High school girl in the mineral water

 私の名前はチカ。おめめチカチカのチカ。漢字も何も分からなくたっていい。私は、ただのチカ。髪は黒髪ストレート。化粧はまだ覚えてない。サラリーマンの娘です。出席番号十五番。友達は三人、あとはいない。もちろん彼氏もおりません。
 今日は日直でした。たくさん黒板を消しました。明日は今日より早く帰れます。帰宅部だし。今は放課後です。私は廊下を歩いています。校舎は静まりかえっています。皆、部活動に行っちゃったから。
 今から先生のところへ行きます。先生は、私の担任です。一重で、短い髪をした、三十代半ばの、未婚の男性です。先生は私をチカと呼びます。はい、私は、ただのチカです。他の女の子も名前で呼びます。先生は、私を、特別にしない。

 教室に辿り着くと、白い扉がぴっちり閉まっていた。私は戸をそっと滑らせる。
「先生」
先生は外を眺めていた。私の机に腰掛けている。
「待ちましたか」
「いや」
先生はぼんやりとこちらを振り返る。
「そうですか」
私もぼんやりと言い返す。私は先生の隣に座る。机の表面がお尻に冷たい。パイプがキシ、と音を立てる。先生は言う。
「ミネラルウォーター買っておいたぞ」
「そうですか」
「有り難うぐらい言ったらどうだ」
「有り難うございます」
「変だよな。飲むためじゃなくて、飾るために買うなんて」
「きれいなんですよ。月とか、夕日とか透かすと。ぐにゃぐにゃに歪むんです。水底みたいに」
「変わったやつだな」
「先生にそう言われると、嬉しいです」
「どうしてだ」
「私が他の子よりも少し、目立てたような気になるので」
先生は笑う。
「よく分からない」
 グラウンドでサッカー部の男子がわあわあ喚いている。泥だらけになって走り回って、何だか、同じ人間じゃないみたいだ。
「いいな」
私の呟きに先生がこちらを見る。
「私も動物になりたい」
先生の手が伸びて私のスカーフをゆるく掴む。
「望まなくても動物だろ」
「そうでしょうか。私、時々自分がビールスみたいになったような気になるんです。シャーレに浮かんだあの白い。ぷつぷつの。粒の一つになったような」
「じゃ、俺もそのうちの一つか」
先生の手がするりとスカーフから離れた。
「そういうことになりますね」
「失礼だな」
先生は重たい手を私のすぐ傍に置く。
「でも楽なんですよ。皆ビールスだと思うと。私たちはとるにたらないものだから、皆の目も気にしなくたっていい。わざと下着を透けさせている女子も。それに反応する男子も。純情すぎる内気な子も。どっちつかずの私も」
私は背中を丸めて自分の右胸を掴んだ。柔らかいんだか柔らかくないんだか分からない。これは一体何なのだろう。
「私、まるで成長がとまってしまったみたいです」
先生は暮れなずむ校庭よりももっと遠くを見ながら言った。
「チカがとまるのを願っているからじゃないか」
「そうかもしれませんね」
先生は考え過ぎとか違うとか言わない。ただぼーっと聞いてるだけ。だから私は何でも喋る。何でも。
 私は先生の前に立つ。先生はようやく私を見る。テストの採点で疲れた目がどろっとしている。私は、同級生にはない濁りを宿したその目が好き。先生の頬を撫でる。髭がじょりじょりする。やっぱり、同じ人間じゃないみたいだよ。そのまま唇まで指を滑らせてみる。上唇。下唇。その形をなぞる。私より少しだけ皮膚があつい。先生は私の鎖骨らへんを黙って見ている。されるがまま。いつだってされるがままだ。先生。私は先生の耳の裏に手を添えてくちづける。少しだけ顔を離す。先生の目はまだ閉じている。だからその瞼が開く前にもう一度そうする。今度は小さく食んでみる。先生が応えてくれるのが、私はうれしい。私たちの唇は同じ温度、だから冷たくも温かくもない、胸の底と後頭部が熱くなる。私だけだろうか。耳の裏のカーブを撫でながら私は体を離す。先生は少しうつむいている。焦点があわない。先生は本当の意味で私と目をあわせたことがあるのかな。私の頭の中のシャーレにビールスが二匹蠢いている。
 私は先生のネクタイの先を握って少しひっぱる。先生の体がわずかに揺れる。私は彼の膝に腰をおろす。スカートのひだが、黒いベルトにひっかかって乱れる。大きな手がずり落ちないようにそっと背中を支えてくれる。胸に頭をあずけると、先生の鼓動が少しだけ乱れているのが聞こえて、私は微笑む。先生の手が私の、頬や耳を、髪を、首筋を、ちょっと見えてる脇腹を、ふとももを、優しくすべってゆくのが好き。私が先生のものになったみたい。弾力のある、ただの対象に。本当の意味でのジョシコウセイに。先生の手が制服の中に入り込んでくる、けど、致命的なところまでは届かない。私はいつでもそれが不満だ。でも私は制服をはいだら、もう私でしかなくなるから、先生はそれが嫌なのかな。
 私は先生の「もの」になってしまいたい。先生、私を押し倒して、私の歯を、舌でなぞってください、スカーフをひっぱれば、私の衣ははぎ取れるのに、このスカートだって、脱げと言われればそうするのに、先生は、先生は。私は、せんせいのうえをとおりすぎてゆく、一着のセーラー服でした。
「先生」
先生は応えない。私の腰に両手をまわし、そっと体を引き離すと、
「職員室においで。ミネラルウォーター取りに」
 立ち上がってひらひら手を振った。

High school girl in the mineral water

High school girl in the mineral water

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-02

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