だらんとエッセイその⑤
喋らない人
十年前から母方の親戚と口をきいていない。口をきいていないというのは、文字通り言葉を交わしていないのである。母の実家は遠方にある。行くのに車で三時間は要するが、そこを訪れていないとかそういう意味ではなく、私が個人的に彼らと会話をしていないのだ。母方の親戚は皆ほがらかで和気あいあいとした雰囲気である。彼らが食卓を囲んでいる時も、私は一言も話さない。黙りこくってタクアンなどを噛んでいるだけである。彼らは酒豪であるから時折酒をすすめられる。皆がガハハと笑いながら思い出話に花を咲かせている中で、私だけが喋らない。彼らが私を無視しているだとか、悪く思っているだとか、そのような事実は一切ない。これはあくまで私個人の問題なのである。
思い返してみればそれが始まったのは小学校から中学校にかけてだと思う。当時私は不登校というやつだった。だから親戚の家に行くと必ず交わされる社交辞令というものがひどく苦手だった。というのも「学校楽しい?」「今何を勉強してる?」これらの返事をするのにいちいち自分を奮い立たせなければならなかったからだ。めんどくさいからできることなら「神童と呼ばれています」くらいの嘘を吐きたい。が、できない。すぐバレる。私は正直に答える。
「今行ってないんです」
すると彼らは虚をつかれた顔をした後で、私を捨てられた犬を見るような目で見下ろして言うのだ。
「あら、そうなの」
場が葬式のような雰囲気になる。私にどうしろというのだ。
あるいはこうだ。
「駄目よ行かなくちゃ!」
そんなことできるならしている。私は見えない尻尾を足の間に挟んで耐え忍ぶ。
また事情を知っている親戚ならばこうも言う。
「どう、行けるようになった?」
答えなくてはならないのか。「あなたロリコンは治った?」くらい無神経な質問だ。どうかそっとしておいてくれ。
私が言葉に窮して答えられない時は母や父がかわりに返事をする。
「いやあ、まだ。困ったもんでして」
すみませんね。
「この子、今行けてないんですよ」
その通りでございます。そこでおばちゃんの矢のような相づち。
「あら、不登校ってやつ? 大変ねえ〜」
いっそ殺してくれ。私は頭を垂れるしかない。一体何の拷問なんだ。
どうして世の中には社交辞令というものが存在するのだろう。親戚の家を巡る車に乗り込む時、これからするやりとりに思いを馳せて暗い気持ちになった。車のドアを蹴っ飛ばして逃げ出してしまおうか。でもそんな度胸はなかったし、勉強してない頭でも連れ戻されるのは重々承知していた。私は監獄を引きずり回される死刑囚のように親戚の家を渡り歩かされ、決まり文句の嵐に頭を打ち抜かれて瀕死の思いで母の実家に戻るのだった。
そのようなやりとりを繰り返しているうちに一つ学んだ。会話をする場から姿を消せばいい。というわけで私は親戚に捕まえられる前に部屋という部屋を逃げ回った。また暇ができればすかさず本を開いた。そうしていれば声はかけられない。彼らの言葉は聞き流すことにした。そのうち学校にまつわる話になると一時的に聴覚を麻痺させるという荒技も習得した。というか自分の意識を遠くに飛ばしてしまうのだ。私は彼らが話し始めると白昼夢の世界に逃げ出す。意識は体から離れどこか知らない国を漂い始める。目の前の風景がぼんやりとしてくる。誰かが私に声をかける。私は体が自動的に返事をするのにまかせる。私の操縦者は賢くて最良の台詞を選んでくれる。人体というものは素晴らしい。というわけで私の意識は得体のしれないピンクの動物やらねじねじの植物やらと戯れていられた。今でも妄想癖があるのはそのせいである。社交辞令から逃げて逃げて逃げ続けた結果、私は「喋らない人」というポジションを獲得した。念願の静かな居場所を手に入れることができた。よかった。最初だけは。
この状態は私が学校生活に落ち着くまで何年も続いた。高校に進学した。中退した。再入学した。友達できなかった。学年があがり友達できた。ケンカした。二度と口きいてもらえなかった。もう一年あがった。未だ保健室に駆け込み泣いていた。もう一年あがった。卒業だが進路がはっきりせず悶々としていた。大学生になった。課題で結果が出せず思い悩んでいた。この辺りでやっかいなことが起こった。私が落ち着いてきたのである。喜んでもいい。むしろ喜ぶべきだ。しかしそうなるとどうなるか。今度は喋らない状況が窮屈になってくるのだ。従兄がゲラゲラ笑いながら面白いことを言っている。もの凄く返事がしたい。言いたい冗談がある。言ったら多分うける。言いたい。でも言えない。一度勇気を出して喋ろうとしたことがあった。思い出したくもない。私が一言発した瞬間場の空気は凍り付いた。まるで熱帯魚が喋りだしたような目で見られた。社交辞令とは別の種類の拷問であった。私は再び白昼夢の世界に逃げ出す他なかった。
十数年間、私は母の実家で無言を貫いてきた。しんどい。やめたい。従兄とカート・コバーンの話をしたい。でもやめる時のことを考えるともっとしんどい。喋る熱帯魚になりたくない。天然記念物扱いされてしまう。社交辞令のつぶてと同じくらい打ちのめされてしまいそうだ。だがそもそも私は喋っていても浮いているのだ。美術大学を出たというだけで「芸術家」だと囃される。何を考えているのか分からないところがイメージに拍車をかけているらしい。実力がないのをどうしたら分かってもらえるだろうか。読んでいる漫画を取り上げられ「難しいの読んでる」と嘆かれる。山下和美の「不思議な少年」である。週刊モーニングだ。難しいもクソもあるか。私が喋ると皆の頭に疑問符が出ているのが分かる。どうして。ワタシ日本語ワカル。死にたい。コバーンのように拳銃自殺したい。あの場にいると新種の動物として檻に入れられているようだ。コワイ。親戚コワイ。怯え切った私の横を知らない甥姪が駆け抜けて行く。こいつらいつの間に四人に増えたんだ。赤ちゃんは乾燥ワカメのような勢いで大きくなってゆく。お、お前、もう中学生なのか。彼とも全くコミュニケーションを取っていない。何年か前に「ハイチュウ食べる?」と声をかけて以来何の会話もしていない。でもどのように話しかけてどんな会話をしたらいいのか分からない。彼はインド人に似ている。
というわけで今は母の故郷に帰る車から逃げ回るのに労力を費やしている。今行ったらリストラされた経緯を一から説明しなくてはならない。あそこでは「放っておいて下さい」が通用しない。好奇心というものは恐ろしい。私は理解のできない芸術家でいい。変態になってたぬきを描くから、どうか今は放っておいて下さい。お願いです。
落書きへの尻込み
時間があくと暇つぶしスイッチがオンになる。最初は落書きや思ったことを書き留めたりする程度なのだが、次第にエスカレートして漫画や小説などを作り始める。完成品の質はともかくとして手を動かしている間は楽しい。見えない誰かに思いの丈をぶちまけているような感じだ。
そのノリで一時期物を作る職を目指し美術大学に通っていた。才能のある人々が集まっていた。実際に物作りで生計を立てている人の話を聞くこともできた。図書館には美術書や映画のDVDがびっしりと並んでいた。映画や美術やデザインの歴史を学ぶ授業はどれも面白かった。確かに得るものは沢山あった。しかし私は実技でつまづいた。私が属したのはデザイン科であった。まず授業でこの言葉を学んだ。
「自分の世界観にこだわるな」
デザインの世界では簡単にいえば、万人受けし、美しく、意味のあるものがよいとされている。どれか一つでも欠けていてたらいけない。だから作品にも厳しく批評が入る。徹底的に意見を交わし、無駄な要素を省いてゆく。個人的な思い込みや、ふさわしくない世界観などといった作品の意味に関することから、絵の具の汚れ、折り目のシワなどの見た目まで細かくチェックが入る。どんなに思い入れがあったとしてもいい影響を及ぼしていなければ、その要素は排除される。企業のロゴや売れるカレンダーを作るのに個人の世界観は必要ないのである。デザインに限らず物作りとはそういうものであると思う。世に広く受け入れられている作品は、地獄のような話し合いを何度も重ねて作り上げられている。個人的な思い入れだけで大衆的な作品は作れない。そこには大勢の人の目と分かり易い意味が必要なのだ。
そんな中、私は自分の世界を捨てることができなかった。作ったものに意見されると萎縮した。作品を洗練させるための言葉でも、素直に受け取ることができなかった。技術もないのに小さなプライドを持っていたのだろう。同期生は批評とうまく付き合い、次々に素晴らしい作品を制作してゆく。彼らに囲まれながら、私はすっかり自信をなくし絵が描けなくなっていった。描こうとすると手が止まってしまう。思った通りに線がひけない。完成させたとしても出来映えに必ず落ち込んだ。課題でもキャッチコピーに考え込んでしまい、チラシ一枚作るのにひどく苦しむ。作品を考えだしてもつまらないものに思え、何度も何度も作り直した挙げ句締切を逃してしまう。同期生がプレゼンしているのを見ていると冷や汗が出た。自分がどれだけ劣っているか突きつけられているような気になるのだ。三年生になると授業に出る回数がめっきり減った。課題から逃げ出し家でひたすら眠った。講師からは大事な時に姿を消す困った生徒だと思われていた。柔和な彼の八の字の眉毛を覚えている。卒業制作でも怯え切ってしまいギリギリまで手をつけられず、一度締切を逃し講師や家族にこっぴどくしぼられた。真面目にコツコツと制作を続けている人に比べれば、私の大学生活は甘ったれた散々なものであった。思い出しただけで胸が苦しくなる。
今になって私の大学生活に足りなかったものが分かる。それは作品と向き合う覚悟だ。私は身を削って物を作っている人達を心から尊敬する。自分すらかなぐり捨てる覚悟がなければ素晴らしい作品は生み出せない。彼らは自分のために作品を作っているのではなく、作品のために自分を差し出しているのだろう。自分の小ささを思い知った。
大学を出て一年経った今、ようやく制作への怯えも薄れ、以前のように絵が描けるようになってきた。こうして文章を書いていると、気ままに手を動かす楽しさを思い出す。私はあの世界に戻れと言われたら尻込みしてしまう。歴史に残る何かを作り出したいのならば、何の刺激もなくだらだらと落書きをしているような今の生活はとてもいけない。しかし私はそのような思いに取り憑かれて、物が作れなくなることが一番怖い。私にとってもの作りは最高の暇つぶしであってほしい。それ以上でも以下でもないから、今私は落書きをしていられるのだ。
女友達
女性が怖い。同年代の女性と話しているとおそろしく緊張する。彼女たちのどこからか漂うフェロモンの匂いやきらめきに圧倒され、帆立のように引き蘢ってしまうからである。だがそんな私にも世話を焼いてくれている女友達が二人いる。彼女らは私の暗黒時代を知りながら尚付き合いを続けてくれる女神である。一人は教師志願でえらくしっかりしている。もう一人は看護士の楽天家である。以前彼らの前でガーターベルトの絵を描いてしまったばかりにガーター王と崇め立てられているのだが、それくらい気心の知れた仲だと言っていいだろう。
先日教師と遊んだ。リストラされた話を聞いてもらいたくなったのである。彼女は久々の誘いで地獄のように重い話題を切り出されたのにも関わらず、黙って話を聞いてくれた。甘いパフェが鼻水でしょっぱくなった。それから私の家で首輪や緊縛について話した。
私は首輪を持っている。大型兼用の黒くて丸い鋲がついたやつだ。鎖のリードもついている。以前自分でつけたくなってペットショップで買ってきたのである。なぜ首輪をつけたくなったのかというとこれが不思議なもので、ある日突然「首輪つけたい」と思ったのである。啓示といってもいいほどの突然さであった。欲求は日に日に大きくなり買わざるを得なくなったのである。なぜ首輪を買う場所としてペットショップを選んだかというと、心も体も犬になりたかったとかそういう訳ではなく、人間用の首輪がえらく高かったからである。ちなみに「首輪 人間」で検索すると「彼氏に首輪を買ってもらうことになりました」という記事が一番にヒットして中々面白いのだがそれはまず置いておく。近頃のペットショップは商品が充実していてチェック柄やフリルがついた可愛らしい首輪もあったのだが、どれも小型犬用か猫用で小さかった。大型犬用にキュートなデザインがあってもいいだろうとペット業界に抗議したい。何時間も迷った挙げ句上記のデザインに決め、家に帰って実際に装着してみた。これがしつらえたようにピッタリで運命を感じた。リードをつけて自分でぐいぐい引っ張ると今まで感じたことない感情がわき上がってきた。嬉しくなって首輪をつけたまま家事をする。自分で自分のリードを手首に巻き付け皿を洗っていると妙な気分になる。一度人に引かれる感覚を味わいたくてドアノブに引っ掛けてみたのだが、その光景が目に入ると侘しくなるので止めた。今でもたまにつけたくなったらつけている。
ということを昼間から酒も飲まずに滔々と語った。というか私が一方的に語っていた。私は心を開いた人間にはクローゼットの中の首輪のことを包み隠さず打ち明けている。だから私が首輪の話をしたら心底くつろいでいると思っていただいていいだろう。多分迷惑なだけだというのは分かっている。他にもはしゃいで彼女にキスをしたら泣かせてしまった話もあるがまた今度にしよう(むちゃくちゃである)帰りの車で谷崎や金井美恵子の話ができてとても楽しかった。
私がどうしようもない人間だからなのか、周りには人格者ばかりが集まってくる。彼らは私が酒をラッパ飲みしながら電話をかけようとも、延々と首絞めの萌えポイントを語ろうとも菩薩の笑みで受け止めてくれる。私は時折万年床にパンツ一丁で寝転び腹をかいている自分を省みる。それから彼らのどこからか湧き出ている慈悲深さを見習おうとしてジーンズを履く。しかし自分の正すべきところを列挙する内に人としての土台がそもそも違うことに気がつき、諦めて再びパンツ一丁になるのだった。人格者への道のりは遠い。
ここからは男友達の話になるので余談になる。私の周りには人格者はもちろんだが、類は友を呼ぶせいか妙な人間もまた集まってくる。その内の一人に地蔵によく似たマッチョな友人がいる。彼は知人の誕生日に生の鮭を手づかみで持っていった。「親しかったの?」と聞いたら「そうでもない」と言っていた。ちなみに魚は魚屋で買ったという。他にも「うちの可愛い犬」と言いながら愛犬がゲロを吐く寸前の動画送りつけてきたり、眠くなると語尾にぴょんをつけて喋り出したりといった逸話がある。彼は村上春樹の大ファンで一緒にやれやれごっこをしたりと仲がよかったのだが、今では連絡が途絶えている。私は彼に送った年賀状にツンドラ地帯の絵を描いたことを覚えている。他にもキャベツについての魅力を語り合ったりもした。彼はこの間プロの漫画家になったらしい。プロになった彼の漫画は一作たりとも読んでいないがどこかで頑張れ。ツンドラ地帯。
悪魔たち
高校生は清いものだなんて誰が決めたんだろう。私の高校時代は恋愛の地獄絵図だった。私の母校は定時制のため、一年から四年まで一つのクラスが持ち上がる。そこでは女子によるモテる男子争奪戦が絶え間なく行われていた。一人のイケメンを複数の女子が食いつくす。私は彼女たちに愚痴というノロケをぶちまけられるという方式で巻き込まれていた。若さとは本当に残酷だ。彼らは自分の汚さを覆い隠す術も知らず、ドロドロとした欲と憎しみをありのままぶちまける。私は放課後ファミレスに呼び出されながら、彼女達の般若のような形相を眺め続けるという拷問を強いられていた。心底辛かったし何よりもうんざりした。できるならば椅子に寝転がりイビキをかきたいぐらいだったが、小心だったので出来なかった。
しかし般若と同じくらい恐ろしかったのはイケメン達であった。彼らは一体何を考えているのか分からなかった。どうしてこの泥沼の中で平然としていられるのか。全く関係のない女子に脈のある素振りをしてみせることすらするのか。彼女達も地獄の住人だが、彼らはそれを管理する悪魔なのではないかと思った。
それから私は就職した。そこにも一人イケメンがいた。彼は上司だったが私よりも年下だった。確かに彼は豹のような顔立ちと引き締まった体つきをしていてかっこよかった。だが会社の飲み会の時、アルバイトの大学生の女の子を自分の膝に座らせて酒を飲んでいたのを見て、私の頭は爆発しそうになった。ただでさえ来たくもない飲み会で、なぜこんなピンク色の絵を見せつけられなきゃいけないんだ。膝に座る方も座る方だと思った。彼女がどうして嬉しそうにしているのか分からなかった。こいつは誰に対しても同じ素振りをするんだぞ。嬉しいのか。それでも嬉しいのか。器用にこんなことができる人にとっては戯れでしかないのだろうか。高度な世界すぎて私には分からない。
その後バーに移動し、彼は私の隣に座り苺ミルクカクテルなどを飲んでいた。私も大人しく酒を飲んでいた。それまで私は上司として彼のことを尊敬していたし、礼儀正しく接しようと思っていたのだ。しかし彼は当然のようにがばりと腕を私の肩に回した。体中に鳥肌が立ち、アルコールが一気に脳みそを駆け巡り、ハラワタがひっくり返った。私は上司だということも忘れて、
「やめて下さい」
と叫んでしまった。彼は化け物を見たかのような顔をして飛び退いた。多分彼はそこにいるのが私でなくてもそうしただろう。女であれば誰でもいいのだ。自分がイケメンだというだけでどうして気のある素振りをするんだ。皆が喜ぶと思っているのか。私は自分がそういう人間だと思われたことが一番の屈辱だった。私はあっという間に尊敬の念を忘れた。
内臓中に鳥肌を立てたまま帰る時刻になった。彼の姿が見えない。具合を悪くして別室で寝ていると聞いた時、私はえも言われぬ幸福に包まれた。死ねばいいのだ。
「不思議な少年」感想文
マーク・トウェイン作の「不思議な少年」を読んだ。トウェインは「ハックルベリ・フィンの冒険」「トム・ソーヤーの冒険」で有名だ。このような生い立ちである。
トウェインは1835年の1月30日に生まれた。この年にハレー彗星が観測されたが、トウェインは後年『自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、 "go out with it", ハレー彗星と共に去っていくだろう』と周囲の人間に吹聴していた。その通りにハレー彗星が現れた日に亡くなった。—wikipedia「マーク・トウェイン」より
これだけ読むと冒険小説作家にふさわしい生涯のように思える。しかし「不思議な少年」は楽しくてワクワクした雰囲気では全くない。あらすじはこのようなものだ。
オーストリアの田舎に3人の少年がいた。ある日忽然と現れた美少年の巧みな語り口にのせられて3人は不思議な世界へ入りこむ。その美少年、名はサタンといった―――。—岩波文庫「不思議な少年」解説より
この少年は何でもできる。人の運命を変え、欲しいと願ったものを即座に出してみせる。相手の考えを読み、望んだ通りの返答をする。またどうしようもなく魅力的で、彼がいるだけで周囲の人々はうっとりとしてしまう。だが彼には良心がない。良心がなければ罪も悪も存在しない。彼には悪の概念そのものがないのだ。
「ぼくたち、ほかのものは、いまだに罪なんてものは知らない。第一、罪を犯すことができないんだよ。ぼくたちは汚れってものを知らないんだ。今後もこの状態は永久に変るまいね。つまり、ぼくたちは――
「つまり、ぼくたちは、悪をしようにもできないのだよ。悪を犯す素質がない。だって、悪とはなにか、それが第一わからないんだからね」—同書p21
だから彼は人の不幸を見ても何とも思わない。罪悪感も感じない。そもそも人のことを何とも思っていないのだ。
とにかく、彼の心を動かそうと考えるのはむだだった。どう見ても、感情というものがまったくないのであり、いくら言ってもわからないのだった。まことに浮き浮きした気分で、悪鬼のような人殺しをやりながら、まるで結婚式にでも出ているようなはしゃぎかただった。そして、わたしたちにも、しきりに同じことをするようにと、すすめるのだ。—同書p27
それどころか、彼は痛烈に人間を批判する。
良心といや、一応は善悪を区別する働きだなんてことになっていてさ、しかも、人間にはそれを選ぶ自由があるなんてことまで言やがるんだが、いったい、それがなんになってると思う?たしかにいつでも選んじゃいるよね。だが、十中の九までは悪のほうを選んでるだけじゃないか。悪なんてあるのが、そもそもおかしいんだよ。良心なんてものさえなければ、悪など存在するはずがない。ところがだよ、君、この人間てやつはあまりにも頭の悪いわからずやだもんでね、この良心なんてものがあるおかげで、下劣も下劣、あらゆる生物の最下等にまで堕落しきってるってわけさ。そして、この良心ってやつこそ、もっとも恥ずべきお荷物だということにさえ、とんと気がつかないんだな。—同書p66
そしてついには、人が幸福になるためには狂うか死ぬかしかないとまで言う。
なんて馬鹿なんだね、君は!間抜けにもほどがあるぜ。正気で、しかも幸福だなんてことが、絶対ありえないってことくらい、君にもわからないのかねえ?正気の人間で幸福だなんてことはありえないんだよ。つまり、正気の人間にとっちゃ、当然人生は現実なんだ。現実である以上、どんなに恐ろしいものであるかはいやでもわかる。狂人だけが幸福になれる。—同書p171
彼は村を混乱に陥れ、最後にこう言い残して消えてゆく。
だって、人生そのものが単なる幻じゃないかね。夢だよ、ただの。(中略)その君も実は君じゃない。肉もなければ、血も骨もない。ただ一片の思惟にしかすぎないんだよ。―同書p182
この厭世観に満ちた小説を、トウェインは死ぬまで何度も書き直していたらしい。少年の吐く台詞は痛烈に人間の愚かさを批判する。私も読みながら主人公と一緒に不愉快になり、人間であることが恥ずかしくなった。しかしそうでありながら何度も読み返したくなる。それでも、私は人という愚かものを愛さずにはいられないのだ。
それから、こんなにも人間を見下しているこの少年は、なぜ何度も現世に現れたのだろう。主人公たちに向かって「君たちを好きだ」とまで言ったのだろう。恐らくその疑問を抱いたであろう漫画家がいる。モーニングツーに連載されている「不思議な少年」の作者、山下和美だ。私はトウェインの小説を知る前にこの漫画を読んでいた。ストーリーテリングが素晴らしく、何度読み返しても飽きない。トウェインの作品に出会ってようやく分かったが、この漫画の主人公はサタンだ。
人間の欲望は雪だるまと同じだね そんな小さい欲がころがり落ちてころがり落ちてどんどん大きくなって でも ただひたすら落ちるんだ…… だってそれが人間だろう その法則は進化の過程で何万年も変わらない―講談社「不思議な少年」第一巻p22
しかし、このサタンは小説よりも人間くさい。人間をあざ笑いながらも彼らの人生を見守り、こう呟く。
人間て不思議だ。—同書背表紙より
最後に「全ては夢だ」と捨て台詞を吐いたサタンは、どんなことを考えながら人間を好きだと言ったのだろう。彼の考えは永遠に分からない。なぜなら彼は良心を持ち得ないから。けれど少年は人に興味を抱き、世界を旅した。それだけは揺るぎない事実なのだ。
人間の心の奥底の想いは……こんなにも……長い……長い時を経て 深く…静かに 深く…… しかし時に光を放ちながら生きつづけるものなのか―第三巻p205
だらんとエッセイその⑤