だらんとエッセイその④

浸入

 誰かと会話をしている時、わざと過去のことを聞き出してみる。その時の風景や出来事や感情を思い出してもらう。思い出は深い層になっている。無感情の層。退屈の層。喜びの層。怒りの層。そして悲しみの層だ。私はオゾンを次々と突き破り、真空圏へと抜けいでる。そこには大きくふくれあがった悲しみの疣が脈うっている。表面には血管がういてボコボコと節くれ立っている。私は悲しみの疣をつっつく。疣は膿みに膿んで膨張しているから、指が触れた途端パチンと弾け、みるみる透明の中身を溢れさせる。
 この頃になると相手の顔は笑みを浮かべながらもどこか寂しげで、たまらなく無防備である。よく見ると鼻筋に夕暮れの紫がひっかかっている。私もついついもの憂い顔になる。そうして相手と悲しみを噛みしめている時、私はなぜか空にぷかぷかと浮かんでいる。彼らの涙でぐちゃぐちゃになった顔が雲となって天を舞い、風に吹き散らされてゆく。真っ赤な断末魔の波の中を私は上機嫌で泳いでゆく。いつまでもドス黒い空に寝転がっていたい。陳腐な憎しみで腐った心の肉を噛みしめていたい。どっぷりと黒い湯に浸りながらふと、自分が相手の沈んだ顔に悦びを見いだしていることに気がつく。私は己の浅ましさを笑みで隠して、身震いしながら温い湯船を出る。
 時々自分がウイルスみたいに思える時がある。人の心にぐいぐい入り込み、弱みを握って信用させている。それくらいしか信頼関係を築く方法を知らないからだ。そして何よりそういう話が好きなのだ。彼らの弱い部分を聞いていると満足する。キレイな部分ばかりではなく、バカみたいに汚いところを見たくなる。それを知らないと相手を理解できないとさえ思う。汚れが人の神髄だと信じ切っている。しかし本当は、汚さは彼らの一部でしかないと分かっている。私が故意にしていることは何なのだろう。弱さを人質みたいに差し出しあうことで優しさが保証される関係って、一体何なのだろう。
 人は誰もが分かってほしいと思っている。自分を知ってもらいたくて、弱い部分を受け止めてもらいたくて仕方がない。人の弱さを嗅ぎ回っていると、必然的にそういう思いが強い人とよく出会う。だけど彼らと何かを共有できる場合は少ない。彼らは自分しか語らないからだ。私の話なんてどうでもいいのだ。彼らはとりあえず寄り添える場所があればいい。私はそのツールでしかなく、役割を投げれば彼らはいとも簡単に私を忘れてゆく。
 ドンブラコッコと浮き世を流れる悲鳴を救い上げホルマリン漬けにするような趣味がなければ、私は誰にも気がつかれずに生きて行くことしかできなかっただろう。人のぐちゃぐちゃした部分を受け取って初めて、私はやっとコミュニケーションできたような気持ちになる。私はその瞬間だけ誰でもない人ではなくて、私として見てもらえる。
 私がしているのは相手の寂しさへの寄生だ。混沌とした瞳の中から一縷の悲しみを見つけ出し寄り添うことで、とろけるような喜びと、自分の存在意義を感じられるのである。また悲しみの共有は相手の悲しみに自分の寂しさの面影を見いだす行為なのかもしれない。相手を通じて自分を抱きしめようとして私は誰かと絶望的な話をしたがるのかもしれない。
 ああまた黒い空を泳いでドロドロになりたいなあ。

母に

 雨が降っていた。母と私は黙りこくっていた。喧嘩をした後だった。いつものことだ。怒鳴り合い、足を踏み鳴らし、母が泣き、私が溜め息をつく。決まりきった流れ。どうしてそうなったのか、もはや思い出せない。家には常に何かが沈殿しているような重い空気がたれ込めている。ずっとこういう空気の中にいたような気がする。家にいると息苦しい。母の乱れた髪、増えてきた皺、あかぎれだらけの指を見ているだけで、得体の知れない感情に苛まされる。
 母は毎日玄関に花を飾る。花びらが引き戸から差し込む朝日に透ける。母は満足そうに微笑む。母は料理を作る。必ず朝作る。作り置きなんかしない。早起きして、一から野菜をきざみ、炒める。味噌汁を煮る。私と父が目覚め居間に行くと、すでに美味しそうな匂いが漂っている。母は働く。嫌な上司がいる会社で働いて、くたくたになって帰ってくる。私は愚痴を聞かされる。お酒の臭いのする溜め息と一緒に。でも母は翌朝も必ず早起きしてご飯を作る。
 母は自分の体に鞭をうっているように見える。母は手伝いをさせてくれない。何もかも全部自分でやる。買い物にも行かせてくれない。どんなに忙しくても自分で買ってくる。私に美味しいご飯を食べさせるために。そのせいで疲れ果て体調を崩して寝込む。やめておいたほうがいいと言っているのに仕事に行こうとする。お金を稼ぐために。そんな時でもご飯を作らせてくれない。有無を言わさず包丁を握り、野菜をきざみはじめる。私は泣きそうになる。お母さんお願い。寝ててよ。心配だからさ。けれど言えない。黙ったまま母が準備した野菜をそっと水に浸す。
 母の背中を見ているのが辛かった。母が身を削るたび責められているように感じた。愚痴を言うたび落ち込んだ。あなたは私のために嫌なことをしているの? 感謝の気持ちを示そうとしてもそうさせてくれない。私は一体どうすればいい? 親は、と父は言った。親ってのは、子どもがそこにいてくれるだけで幸せなんだ。お前がいてくれるだけでいいんだよ。お前は優しい子だから責任を感じるだろうけど、何も心配しなくていい。私は黙って聞いていた。だけどそんなのたえられないよ。
 この雨の日、窓の外は青白く煙り、庭の全ての植物が濡れ、梢のざわめきの中に母と私は閉じ込められていた。母の頬もまた濡れており、私はその雨を止ませる方法が分からなかった。私は時々母に歯向かった。自分がどうしようもなく不甲斐なくなるからだ。お母さん! 頭の中で思い切り叫んだ。お母さん、お母さん! どうやったらあなたの背中を温めてあげられる? 荷物を減らしてあげられる? 愛していると伝えられる? 酒で酔いつぶれた母にイライラしながら再び叫ぶ。お母さん、笑って。けれど母に愛を叫ぼうとすると涙が出そうになった。そうしたら止まらなくなりそうだった。喉が痙攣し胸が引き裂かれそうになった。他の人に言う時はこうはならないのに。だから臆病にも拳を握って立ち尽くすしかなかったのだ。なのにどうして母を怒鳴り散らしてしまうんだろう。たったの五文字なのに。本当の「愛してる」を口に出す時、いつも怖い。悲しい。その言葉はあまりに尊く、当たり前で、手が届かず、無垢で、眩しくて束の間で、口に出したら溶けて消えてしまいそうなのだ。安い恋愛映画で何度も叫ばれる「愛」という言葉が私は怖いのだ。そしてめちゃくちゃになりながらひたむきに私に愛をあたえようとする母が、狂おしく、一番恐ろしいのだ。
「お母さん」
私は硝子の破片が散らばった床を踏みしめ、肩を震わせている母に近づいた。触れたかった。もう何年も母に触れていなかった。けれど手を引っ込めた。私は、私は臆病だ。
「私のこと、好き?」
母はゆっくり振り返り、私の目から滝のように流れ落ちる涙を見たかもしれない。見なかったかもしれない。だってそんなのは嘘だもの。私は親といういじらしい生き物を見下ろしながら、自分がこんなにも生かされているという事実に胸がいっぱいになった。お母さんが毎朝食べさせてくれる優しさで、私はここまで大きくなった。だからどうか泣くのをやめて。私が愛していると伝えるまで、どうか死なないでそこにいて。私はようやく唇を開き、かすれる声で、
「ごめん」
と言った。
 もう分かっている。母は涙をふき、何事もなかったように微笑むだろう。そして、その顔は美しい。

夜の田園

 夜になると田園は虚ろになる。ただ闇が広がる空間となる。地平線にぽつりぽつりと街の灯が見える。それだけだ。時々無性にその風景を見たくなる。暗がりに潜む稲の束以外何も存在しない場所で、空気が唸る音を聴いていたくなる。生温い風が通り抜けるゴォォォオという音が鳴っている。もちろん人なんか通らない。真夜中の田んぼに用のある人間などいないからだ。沈黙と心細さで構成されたミニマムな世界。一人でぼうっとするにはもってこいだ。
 今日もそれを見るためだけに車を走らせた。国道を北上し適当なところで左折すればすぐに辿り着く。適当に車を止め外に出る。見渡す限り何もない。針で開けたような赤、黄、青のネオンが一定の間隔で散らばっている。あれは一体何の明かりなんだろう。私の車のテールランプも向こうから見たら同じように見えるのだろうか。
 この間東京を旅行している時ふと気がついた。ここには「何もない風景」がない。田舎に住んでいると少し足を伸ばせば簡単に虚無に行き当たる。だからいつでもそのような光景に出会う覚悟ができている。そう、それは覚悟だ。暗い田園に入ると唐突に光と人の気配が消え、どこかに放り出されたような気分になる。標識もコンビニもない。頼れるのは自分の方向感覚と誰かが敷いた道路だけだ。しかし東京にはどのスペースにもギッシリ建物が詰め込まれていて空白がまるでない。歩けど歩けど虚無は見えてこない。沈黙はやってこない。都市はエーテルのような光と騒音と雑踏に包まれている。私は安堵と疲労を覚える。
 東京の街を友人と二人で歩いている時思った。
「今、私は相手の前から容易く消えることができる」
これだけの人と音があれば簡単だ。狭い路地に入ればいい。それだけで相手は私を見失うだろう。しかし田舎では二人はどこまでも二人でしかない。何もない場所で消えるのは不可能だ。孤独な暗がりに浮かび上がる相手の影は濃密で重苦しく感じられるほどだ。がらんどうの空間に吐息や鼓動が浮かび上がり、胸が隆起し服がこすれ合うのを肌で感じる。相手の挙動一つ一つが空気に波紋を作る。唇の開く音が超音波となり頬をくすぐる。遠くで車が走り去る音が心臓を揺さぶる。
 東京では何もかもが抽象だ。田舎では何もかもが暗喩だ。どちらの土地も人の気配を歪めてしまう。土地の風景は人の存在感の質に大きく影響するものらしい。一人でいてもそれは同じだ。東京で一人でいると迫りくる人々に吸込まれそうになる。自分がどこにもいないような感覚に襲われる。しかしここにいると、私は息苦しいほど私なのだ。
 存分にぼうっとしたので帰ることにした。埃っぽい車に乗り込み、真っ直ぐな道路を走った。十五分もすると中心街に差し掛かる。すると前を浴衣を着た人々が通り過ぎてゆくのが見えた。そういえば今日はお祭りだった。祭り囃子は聞こえないが、にぎやかな声が溢れている。この人達も時々、虚無が恋しくなるのだろうか。

夏の時間

 昨日も得体のしれない衝動に襲われ車を走らせてきた。いつも北上ばかりしているので今回は南下してみた。どちらにしろ何もない。見えてくるのが田んぼか街かだけの違いだ。
 私の住んでいるところは山に囲まれているので、土地の高度の差が激しい。だからぶらぶらしていると意図せず夜景の見える場所に辿り着くことがある。道路がゆるやかな上り坂になっていて、気がつけば扇状地に散らばるオモチャのような明かりを見下ろしていたりするのだ。そんな風景に出会うと何だか嬉しくなる。
 今回も道路から街の灯を見渡せるのに気がついた。街の灯は一つ一つは小さいが確固たる鋭さで存在している。いつか消えるという可能性を否定するかのようだ。星の発する光のような儚げな印象は全くない。人間の図々しさや底なしの生命力を暗示しているようだ。夜景というセンチメンタルな情景と、想像したものの差に、皮肉に似たおかしさを感じる。
 無意味なドライブの後、ぼうっとした頭で本屋に行った。絵本、科学、文庫本、短歌、エッセイ、少年少女エロ漫画、棚の隅から隅までねっちりと見て回ったのに、探している本は一冊も見当たらない。いや見逃しただだけでどこかにあるのかも、とも思ったが本屋は中々広い。すっかり疲れてしまった。もう一巡するのなんてごめんだ。ここにまだ納まり切らない本があるだなんて変な感じだ。日本中の本をかき集めたら東京ドーム何個分になるのだろう。そんな倉庫があったら住みたい。本の海に溺れてしまいたい。いっそ紙を食う虫になりたいとさえ思う。人間でいるのは時々疲れるのだ。
 家に帰るとぐったりする。一つとして意味のある行動をしていないのに変な話だ。それなのに落書きを始めたら夢中になってしまい、床についた頃には午前二時を過ぎていた。しかし時間を無駄に過ごすのも悪くない。何しろ今は夏なのだ。夏の時間はある程度無駄に過ごすのが正しいような気がする。夏休みというものを経験してきたからそう思うのだろうか。とりとめもなくベランダで朝顔が咲いている風景を思い浮かべながら眠りに落ちる。夏の花は野性的で美しい。

伯父

 四年前の冬、母の兄が死んだ。癌だった。亡くなる前、故郷から車で三時間走ったところにある病院に見舞いに行った。大雪だった。白い風が横殴りに吹き付け、対向車がよく見えないほどだった。
「もの凄い天気だな」
父が言った。
「うん」
私は愛想よく答えた。心が頼りない時は他愛のない話が何よりの救いになる。
 それから記憶の中の私は突然病室に立っている。伯父が簡素なベッドに横たわっている。たくさんのチューブが体に繫がれている。鼻にも細いチューブが取り付けられている。戸棚に大人用のオムツがつめこまれている。伯父はとても痩せていた。手首に血管が浮き出ていた。肌が黄色く、灰色の髪と同じくらいくすんでいた。黄疸だ。嗅いだことのない煤けた臭いが部屋に充満していた。吹雪の音なのか暖房の音なのか、小さく唸るような音がどこからか聞こえた。伯母がベッドの横で硬そうな椅子に腰掛け微笑んでいた。彼らと何を話したのか覚えていない。病室を去る時伯父に手を振った。伯父は起き上がるのもままならない体で微笑み、私達に向かってピースをした。
 私と父が伯母の家に泊めてもらっている間も母は帰ってこなかった。寝ずに伯父の看病をしていたからだ。母は癌の家系に産まれていた。両親も長男も癌で亡くしていた。伯父を亡くしたら母は一切の肉親を失う。母は伯父を看病しながらそのことに思いを馳せているに違いなかった。けれど母は私達に会うといつもの無邪気な顔で笑った。こういう時の母は強かった。一言も弱音をもらさない。愚直な一途さでそこに居続ける。父は傷つき易さを秘めた目で母を見つめていた。母より父の方が憔悴しているようだった。
 私達が駆けつけて三日目に伯父は亡くなった。伯父は仏間の布団に寝かせられた。伯父の顔は病室で見た時よりも力が抜けて穏やかだった。安らかとはこのような表情を言うのだと思った。顔色も床に伏せていた時よりいいように感じた。伯父は病気の苦しみから解放されたのだ。従兄が枕元で声をあげて泣いていた。普段彼は伯父を名前で呼んだ。だからこの時も変わらずそうした。
「リュウジよう、お前、いいヤツだったよ」
私は彼がカート・コバーンが死んだニュースをテレビで見た時も、こんな風に泣いていたのを思い出した。私は彼の飾らないところが好きだ。
「なあ、リュウジに触ってやってくれ」
私は従兄の言う通り伯父に触れてみた。伯父の肌は冷たくてザラザラとして、硬かった。
 親戚皆が集められ葬儀が開かれた。胸が痛くなるくらい空気が張りつめていた。仕舞い込まれた座布団の黴臭さと線香の煙が混じり合い、どことなく宗教的な臭いがした。伯母は黒い衣装を身にまとった客人に、畳に額をつけて挨拶をした。納棺は従兄が行った。伯父はあちら側に旅をするために白装束が着せられた。伯父はほがらかで飄々とした人であったから、何の苦労もなく向こうに辿り着くことだろう。伯父が母と似た笑顔を浮かべながら花畑を歩く風景が脳裏に浮かんだ。
 葬儀の後、私達はバスに乗って霊柩車の後ろを追いかけた。火葬場に行くのだ。火葬場は白く乾いた空気をしていた。コンクリートの色も、背もたれのないソファも、無造作に置かれたシンプルな観葉植物でさえも、何かが抜け落ちてしまったような明るさを漂わせていた。古く暗い伯母の家から移動してきたからか余計そのように感じた。私達は広いガランとした部屋に、朝礼を行う学生のように等間隔に並んだ。壁のように見える火葬炉の中には既に伯父が寝かせられた棺桶が入れられている。伯母が何度目かの挨拶を行い礼をすると、伯父は音もなく燃えた。
 別の部屋に移った時伯父はもう骨だった。骨片はほとんど粉でところどころが黒く焦げていた。伯父は博物館でネアンデルタール人のミイラが展示されているような様子で、硝子に囲われた立派な台の上に散らばっていた。数々の黒い背中が分厚く伯父を取り囲んだ。様々な模様のハンカチが人々の口に押し当てられていた。母は泣いていなかった。スポットライトの黄色の光に照らされて、母の小動物のような目と口紅がキラキラと光っていた。父は目を真っ赤にして喉を詰まらせていた。
 遺骨を眺めていた親戚の内の一人が言った。
「これは何かしら」
私達はそれをまじまじと見つめた。人差し指ほどの大きさの黒く尖った何かがあった。しばらくの沈黙の後、
「点滴の針だわ」
と誰かが言った。伯父は祖父が眠る墓に納められた。

 それから一年後の夏、私達は墓参りに行った。誰かを亡くした人々がいい匂いのする花をめいいっぱい抱え、寺に集っていた。カラフルな和菓子が無骨な墓石を華やかに彩っていた。あの時肩を震わせて泣いていた従兄が、伯父の墓の前でおもむろにビールの缶を取り出した。
「ほら飲め。リュウジさんよお、好きだったろ。天国じゃ飲めないだろうから持ってきてやったよ」
彼は小気味いい音でプルタブを開け墓石にビールをかけた。それはシュワシュワと涼しい音をたてながら石の上を滑り落ちて行った。彼は日焼けした目の奥で笑いながら、大事な人の体を撫でるように墓石を拭いた。肌を焦がす日差しの下で御影石はただ輝いていた。

だらんとエッセイその④

だらんとエッセイその④

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-02

Public Domain
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  1. 浸入
  2. 母に
  3. 夜の田園
  4. 夏の時間
  5. 伯父