ぼくとあいつ

 僕の友達は頭がおかしい。
 例えば道端で叫ぶ。「ひゃっほう!」「めええ!」どうしようと思う。叫びの内容じゃなくて叫ぶこと自体が。本当は十メートルくらい距離をおいて歩きたいけど、腕をがっちりと掴まれるので離れられない。
 例えば常にコーラを常備している。別にここまではいい。でも口に含んだコーラを僕に吹きかけるのは止めてほしい。その上火を点けようとするのも止めてほしい。燃えるから。コーラかけなくても燃えちゃうから。一度止め損ねて髪の毛の三分の一がチリチリになった時がある。僕は何日か家に引き蘢った。
 例えば帽子を被ってくる。これも別にここまではいい。被ってくる物が問題だ。工事現場のコーンを被ってきた時はリアクションに困った。最初はもちろん笑った。けれどやつは言った。「何で笑ってんの?」コーンを被るやつと真顔で話していたらお腹が痛みだした。僕は下痢して早退した。
 例えばノートに落書きしてくる。「モネ子。モネ子」「屁」「根性丸出しパンツ」「根っからの沼好き男」「こむらがえり」キラキラした目で返事を求めてくる。僕はどうしたらいいんだ。
 例えばやつの家に遊びにいくと金髪美女が三人裸で寝ている。あたり札束だらけ。何があったのか聞くと腕につけてるブレスレットを見せびらかして、「近所の山でとれた石をつけたらほら、幸せがやってきた。お前にもやるから百万くれ」そんな。
 例えば山に穴ぐらを見つけて籠ったきり出てこなくなる。一ヶ月経っても大学に来ないので様子を見に行くと仙人のようにヒゲもじゃになっていた。「仏を感じる」と言って消しゴムを崇拝していたが三日したら元のやつに戻っていた。

 今日あいつは公園で新品の自転車を燃やしていた。涎を垂らしながら裸で踊りだしたのでこっそり帰ろうとしたら木に縛りつけられた。僕は握力が十八の非力男なので抵抗できない。周りの人に助けを求めるけど、燃える自転車とやつの迫力に押されて誰も近寄ってこない。そりゃそうだよな。僕だってこんな光景見たら近づきたくない。やつは笑いながらフライドチキンの皮を僕の首に押し付けてくる。脂っこい。ていうか火、熱い。自転車……。通学に使いたいから見に行こうって誘ったのお前だろ。嫌な予感はしてたけど。気が狂いそうになるので昔のことを思い出して気持ちを紛らわすことにする。

 確か先々月の昼食時間だ。僕は弁当を忘れてきたというやつに調理室に連れていかれた。何かと思ったらおもむろに中華鍋でザリガニを揚げはじめた。僕はザリガニのはらわた抜きをさせられていい加減うんざりしていた。
「そんなことばっかりして恥ずかしくないの」
聞いたんだ。そしたらやつは棚の料理酒をザリガニがそっくり返ってる鍋にぶつけて割った。ガシャーン。ばしゃー。くわんわんわんわん。ああああああああ。床が。油だらけ。ていうか何で割ったんだよ。酒くさっ。やつはその上を腹這いになって滑りながら叫んだ。
「人が俺のことどう思おうが興味ない!」
「あ、熱くないの……」
「熱いよ! 腹の皮が剥けてんだ!」
「何でいつもそんなことするの」
「自分でも分かんない!」

 確かに。現在の僕は炎にあぶられながら思った。僕だってなぜこうまでしてやつに付き合っているのか分からない。というか何も分からない。なぜやつと友達になったのかも分からない。最初は普通の人だった気がする。やつがいつからああなったのか……分からない。中学の頃は筋肉むきむきだった僕がなぜ握力十八のガリ男になったのかも分からない。僕らは何も分からずに生きている。大人である年齢の今だって。
 火の粉がほっぺにはぜて我に返った。ていうかあいつどこだよ。さっきまで木の棒にレンタル屋の旗巻き付けて踊ってたのに。夜が更けた公園には、黒こげになった自転車と木に縛りつけられた僕だけが残された。

 いつの間にかそのまま眠ってしまったらしい。瞼を開けると目の前にやつの顔があってびっくりした。
「うわっ」
「お早う」
「ち、近っ」
異臭がする。やつの髪の毛に藻がからみついている。
「何その草……」
「小学校にさあ、沼があったろ」
「まさか泳いできたの」
「いやあ酷かったぞ。濁っていて何も見えないんだ」
「何で」
「まあ食えよ」
差し出された手にはびちびちとのたうつ鯉が。
「ひっ」
「佃煮にすると美味いんだぜ」
いやいやいや。
「風呂入りなよ」
「そうだ、銭湯行こうぜ銭湯!」
そんなに汚れてちゃ追い返されると思う。
「ていうか今何時なの。大学は」
「知るかそんなもん」
「ねえ単位大丈夫なの」
僕は問答無用で引っ張られ銭湯に連れていかれた。鯉は側溝に流した。どうにかして生きるだろう。
 
「番頭の婆ちゃん寝てるぜ、今のうち」
「いいのかなあ」
「いいだろ、金払うんだから」
やつは水がしみ込んだ靴下でびしゃびしゃと番頭を通り過ぎる。あああ。掃除する人ごめんなさい。
 僕たちは服を脱いでシャワーを浴びた。やつと銭湯にくるのは初めてだ。ちろりとやつを見る。やつは絡みついた藻を洗い流している。全身に入れ墨でもいれてあるか脚が義足だったりして、と思っていたけれど普通の体をしている。やつの弱い部分を見たように感じ気まずい気分になってそっと視線を戻した。二人で湯船につかっているとやつが言った。
「何か面白いことねえかなあ」
「いつもしてるじゃん何かしら」
やつは僕の言葉を聞いて片方の眉を上げた。
「あれは面白くてしてるわけじゃないんだ」
「そうなの?」
「お前は面白いと思ってたのか」
まさか。
 少しの間沈黙。湯気が空いている窓に吸込まれるようにして消えてゆく。やつが話し出した。
「例えばお前が眠いと思った時に布団があったら横になっちまうようにだな。もしくは腹が減った時に美味そうな匂いが漂う店に入っちまうようにだな。そんな風に自転車を燃やしたり沼に潜ったりしてるだけなんだ」
僕は思わずやつを見た。やつは真顔だった。
「俺はこんな風に生きるしかないからこうして生きるだけだ」
「……」
あまりに筋の通ったことを言うのでしばらくやつの顔を見つめてしまった。やつはそれに気が付くと、
「何だよ」
と言って居心地悪そうに笑った。今回ばかりはふざけているわけでもなさそうだった。
「あのさあ」
「何だよ」
「ほんとに単位大丈夫なの」
「うるせえなあ。退屈だろあんなとこ」
「何で」
「俺に付き合ってくれるのお前くらいだし」
ぎゃーっ誰よ床を汚したの。扉の向うで番頭のばあちゃんが叫んでる。
「お前といると飽きないよ」
それから募る話も特になく、僕はやつに飲みかけの牛乳を浴びせられながら帰った。

 その後やつは中古三万で買った車で旅に出てフィリピンの海にダイブした。ふざけてだったのか真面目にだったのかは分からない。とにかく言えるのはやつが姿を消したことだけだ。
 クラスメイトが言った。
「あいつがいなくなって3ヶ月経つな」
「うん」
「あいつ真面目なやつだったよな」
「ど、どこが」
「冗談なんて言わなくてさ」
嘘だ。僕の前ではあんなに変態だったのに。
「思い詰めてたのかな」
嘘だろ、とぼくは思った。思って……。

 それから一ヶ月。
「合い言葉は」
ガララララ。僕の言葉を無視され引き戸が開かれた。
「こら、決まりはちゃんと……」
「よっ」
そこにはやつがいた。
「………」
「いやー参っちゃったよ、フィリピンから日本まで泳いできたんだぜ。船にも何度か出会ったんだけど、俺のこと化け物だと思って逃げちゃってさ。まあその時は俺もサメ食ってたから間が悪かったんだけどな」
「………」
「一番大変だったのは、大潮に巻き込まれた時だよ。岩と岩の間で足踏ん張ってどうにか頑張ったけどさ」
「嘘だろ」
「嘘じゃねえよ。ほらよ」
やつの手にはびちびちのたうつ魚が。
「何だかデジャブが」
「今朝海からあがったら俺の鼻の穴に詰まっててさ。記念にお前にやるよ」
「いらないよ……」
やつはきょろきょろと薄暗い部屋を見回した。
「お前今何やってんの。ここ何」
「ぎ」
「?」
「銀行強盗のアジト」
やつは言った。何でもないことのように。
「なんだそりゃ突然」
「僕にも分かんないよ」
「どうしてそうなった」
「お前が言うなよ。こうなっちまう理由はお前が一番知ってるだろ」
やつは真面目な顔で僕を見た。それから段々笑顔になって僕の肩をばんばんと叩いた。痛い。やつはそーかお前やっちゃったか、と言って笑った。やっちゃった、やっちゃったよ、と言って僕も笑った。涙が出たけどこれは笑い過ぎたせいじゃなかった。
「お前は本当に面白いやつだな」
やつはそう言ってげらげら笑いながら僕に札束を投げつけた。魚がびちびち跳ねる、散らばった札束、揺らいでいるやつの輪郭、パトカーのサイレン。
「おい、俺が帰ってきたってのにもう行っちゃうのかよ」
「ごめんな」
「また遊んでくれよ」
僕とやつは顔を見合わせた。
 僕らは何も分からずに生きている。大人である年齢の今だって。日々はいつもおかしくて、あっけなくて、限られているようでそうでない。
 なあ、と僕は思う。またお前と笑って話せるかな。
 車のドアが開けられる音と共に「ここだ」と乱暴な声が言った。再び合い言葉なしに扉が開かれる。

ぼくとあいつ

ぼくとあいつ

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-02

Public Domain
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