だらんとエッセイその②
独特のルール
私は雑である。例として本棚に並ぶ本は巻数も作者もめちゃくちゃだ。漫画の二巻の間に歌集が入り込み、後に童話が続いて再び歌集、歌集、さっきの漫画の三巻と一巻といった具合だ。愛着を持っている人が見れば殺意を覚えるだろう。違う。私は本を愛してやまない。飲み物がこぼれたらとりあえず拭く。ページが折り曲げられていたら少し怒る。踏んづけたら「しまったな」くらいは思う。もう一度繰り返すが私は本を愛している。
そんな私にもルールがある。分類の仕方についてだ。本棚は一見何の規則もないように見えるが、実は大きく三つに分かれているのだ。一つ目は何度も読み返すくらい大切な本、二つ目はこれから読み返したい新しい本、三目つはたまに取り出して眺めたくなる本である。配置も決まっていて、一つ目はテーブルから見て正面にある。いつでも背表紙を見られるようにだ。二つ目は布団の斜め上にある。すぐ手が届くようにである。三つ目はクローゼットの中に埋もれている。積み上げすぎて地層のようである。どうにかしなければならない。大雑把ながらも棚を三つに分け、本を放り込むことでかろうじて部屋が散らかるのを避けている。それ以上の分類は体力的にも集中力的にも無理である。
雑であるもう一つの例として、携帯電話を投げる癖がある。メールを打ち終える。投げる。通話を終える。投げる。なくしていたのを見つける。投げる。何の恨みがあるのかと言われそうだ。決して傷つけようとしているのではない。移動させようとしているのだ。私は油断すると物を放置してしまう。時々携帯電話をメリッと音がするくらい踏んづける。だから意識的に安全な場所に避難させてやらなければならない。つまり私が気がつき易い場所だ。結果投げる場所は決まってくる。
ここでルールの話になる。投げる時は、ソファーや布団など柔らかい場所に投げること。愛情がない訳ではない。遠くから投げる時もきちんと狙いを定めているし、あまりはずしたりしない。携帯電話の優先順位が低いのは否めない。どうでもいい人々からどうでもいい連絡が入ってくるのが鬱陶しいし、電話帳に並ぶ縁のせいで軽い本体が重い。先代は逆パカの被害にあっている。ちなみに逆パカとはまっ二つに折ることである。優先順位が高い本はあまり投げないし、牛乳もちゃんと飲む。だから携帯には過酷な運命を課してしまっているが、今日のご飯は何にしよう。
本の話に戻るが、帯は必ず取るというルールも存在する。帯は邪魔なものでしかない。読む時びらびらして持ち辛いし、書いてある文句を読んでいると先入観に凝り固まり、感想を持ち辛くなるような気がするのだ。どんなに綺麗な帯でも邪魔なものは邪魔である。だから本を買ってきたら帯をむしり取り、捨てる。出版社の新刊などを紹介している小冊子が挟まれている時もあるが、もちろん捨てる。時折特典でついてくるポストカードも実はいらない。美しい装丁がされてなかろうが古かろうが、文章が書いてあればいいのだ。
他人のルールを観察するのも面白い。この間入院した病院の看護師さんは、決して眼鏡拭きを使わないと言っていた。眼鏡を何度もはずして服で拭いていた。「どうしても油が取れない」と言う彼に「持ってるやつ、貸しましょうか」と言ったら「そうしたら負けのような気がする」と答えていた。何なんだ、その意地は。
好きな花
ポピーが好きだ。ポピーはケシ科で、正式名称をアイスランドポピーという。花は有害アルカロイドを含んでおり有毒である。だがケシのような麻薬成分はない。中学生の頃、住宅街の空き地がポピー畑になっていた。誰が種を蒔いたのか、赤い花が広く咲き乱れる光景は圧倒的だった。花びらが太陽に透けきらきらと光り、風が吹くと細い茎が一斉に揺れた。花同士がこすれあう優しい音がその一角を覆っていた。赤く薄い花びらは葉脈が透け、まるで手のひらを日にかざしたような色をしていた。その色味は何だか妖しく美しかった。何年か経ちそこを通り過ぎると、花畑は新しい家に潰されていた。
ムクゲも好きだ。ムクゲはアオイ科でよく庭木として用いられ、夏に花開く。もしゃもしゃとした分厚い木に、申し訳程度にちりばめられている素朴な花が好きだ。くしゃくしゃの花びらは真ん中だけ濃い色で、飛び出したおしべとめしべが少し不格好だ。強い陽に照らされているのを見ていると、夏の盛りと終わりを感じる。私の知っているムクゲは、母の実家の庭に一本だけむっくりと生えていた。私より遥かに背が高く、風が吹いてもびくともしなかった。花びらの色は白く、蒸暑い草の緑に涼しげに浮き上がっていた。私は麦わら帽子を被った垢抜けない少女を思い浮かべた。しばらく野性的なきらめきに惹かれ眺めていた。だがこの間母の実家を訪ねると、切り倒されてしまったのか木はなくなっていた。
ニセアカシアの匂いが好きだ。ニセアカシアはマメ科ハリエンジュ属で、名前は「偽のアカシア」からつけられたという。アカシアは黄色い花を咲かせるのに対し、ニセアカシアは白い。刺があり、全体に毒を持つが、花を天ぷらにして食べたりもするらしい。ニセアカシアは近所の河原に群生しており、五月になるといい香りが家の方まで漂ってきた。匂いを嗅ぐためだけに窓を開けて眠ったものだ。香りは甘く澄んでいて、藤の匂いとよく似ている。花が開く季節になると、河原にわざわざ見に、正しくは嗅ぎに出向くくらい好きである。
余談になるが、藤は恐ろしい木だと聞いたことがある。美しい見た目から庭木に使われることも多いが、山では嫌われものだ。なぜなら丈夫な蔓で他の木に巻き付き、終いには枯らしてしまうかららしい。私は藤に飲み込まれてしまった家を見たことがある。家は通学のために乗っていた電車の窓から見えた。壁中に藤の蔓が絡み付き、廃墟のように朽ち果てていた。しかし花の時期になると、蔓に隙き間なく紫の花が垂れ下がり、童話の世界から抜けだしてきたような佇まいになるのだ。それはこの世の風景とは思えないほど美しかった。房になった花びらは電車の風にあおられ、たおやかに揺れた。窓越しに可憐な匂いが漂ってくるような気がした。しかしこの間車で通りかかると、蔓はすっかり取り払われ、家はただの古い平屋になっていた。
美しい花というのはいつか失われる運命なのだろうか。唯一残っている河原のニセアカシアも、整備のために切り倒されてしまうのではないかとハラハラしている。
石を食べる
何でも口にいれる子供だった。赤ちゃん時代の話ではない。小学校高学年になってもそうだった。
当時私は「小学○年生」といった雑誌を買っていた。漫画を読むのも好きだったが、巻頭に載っているおもちゃのカタログを眺めるのが特に好きだった。ある時キャラクターものの文具特集をやっていた。シャープペンシル、消しゴム、筆入れは鮮やかな飾りつけがなされていて可愛らしかった。私が気に入ったのは定規であった。白地のプラスチックにパステル調でキャラクターの絵が描かれているものだ。なぜ気に入ったかというと、美味しそうだったからである。白くてつるつるした定規が、ケーキの上にのっている薄っぺらいホワイトチョコレートに見えたのだ。雑誌の次号が出ても、前のものを開いては定規に見入り、頭の中で板チョコのようにポリポリと齧っていた。
何がきっかけだったか忘れたが、十円玉を食べたことがある。さすがに飲み込んではいないが口に含んだのだ。十円玉は舌の上にジリジリと重く、凸凹のある舌触りだった。味も忘れられない。こめかみがツンと痛くなるような強烈な鉄の味で、ほんのりと苦く酸っぱかった。
確か一円玉も食べたことがある。あっけないほどに軽く、噛んだら容易に奥歯が沈みそうだった。舌で転がすとカラカラと音がした。無味であった。おはじきの食感に似てるなあ、と思った覚えがある。ということはおはじきも食べたのだろう。表面に刻まれた斜めの窪みがサラサラとしていた。これも無味だった。他の硬貨は食べたことがない。なぜ一円玉と十円玉だったのだろう。恐らく私を惹き寄せる何かがあったのだろう。そんなわけで今でも十円玉を見るとパブロフの犬の如く唾がわいてしまう。
当時、私は石集めにはまっていた。石集めというと陰気で地味な子供がやりそうなイメージだが否定しようがない。休み時間になると理科室の下にもぐりこみ、つるつるの石を探して回った。そこはなぜかつるつるの石が密集する場所だったのだ。川原でも石探しに夢中になった。何がそんなに楽しかったのか覚えていないが、大きめの薬ビンがいっぱいになるくらい集めた記憶がある。ある日私は母に連れられスーパーに買い物に行った。母が自由にしていいと言うので、文具のコーナーをぶらぶら見ていた。自由帳の棚に手を突っ込んだら何だか違和感がある。手に当たるものを掴んで見てみると、宝石のように透き通った石であった。薄紫や翡翠色をしていてどれも霜がふっており、おまけに磨き上げられている。私は首をかしげた。スーパーにはそんなものを売っている場所はなかったし、なぜ包装もせずバラバラのまま棚の奥に押し込まれているのかも分からなかった。私は店員に見せたが彼らにも覚えがなく、結果貰い受けてしまった。家に帰って私が何をしたかというともちろん食べたのである。宝石は冷たく、この上なくすべらかでうっとりするほどであった。溶けてなめらかになった氷と似た味がした。空で瞬いている星を舐めているような気分になった。
他にも色々なものを食べた。ビー玉を食べた。飴玉みたいで魅力的だったのだ。十円玉よりも重くて顎が疲れてしまい、すぐに吐き出した。何度か食べたような気がする。ビーズも食べた。細かく小さいものではなく、幼稚園で使うような大きくてカラフルな色をしたプラスチックのビーズだ。真ん中に入った継ぎ目がプチプチと舌に当たった。噛んだら歯形がついてしまった。鉛筆の尻もよく噛んだ。勉強で使っていた鉛筆は、ねずみの齧り木のように歯形だらけであった。今もイライラしている時にやってしまう。
つい最近まで他の子供もしているものだと思っていたが、人に話をしたらやらないと言われてしまった。どうして。ビー玉……美味しそうに見えないのか。なぜ物を食べることに執着したのか分からない。口唇欲求が強かったのだろうか。ちなみに口に含んだものは全て食べる前に洗ったので安心してほしい。「血は鉄の味がする」と例えで言われたりするけれど、頷いているあなたはどこかで鉄を舐めたことがあるんですよね。同士ですね。いつ舐めたんですか。私と語り合いましょう。
お兄ちゃん
産まれた時から犬が傍にいた。私が零歳の時、彼は二歳だった。彼は雑種で中型犬ほどの大きさをしており、体躯は茶色、目と鼻は黒、耳がピンと立っていて、バンビのような顔をしていた。私は彼のくるんと巻いた尻尾が好きだった。やんちゃな犬だった。それもそのはず、両親は一番元気な子犬を貰い受けてきたのだ。兄弟が母犬に抱かれぐっすり眠る中、一匹だけ何度も外に出たがり、意気揚々と小さな冒険に繰り出していたのだと言う。後にどうしてそんなに元気な犬を貰い受けたのだと何度も思うことになるのだけれど。
母によれば彼は私を初めて見た時、においを嗅いで母の目を見つめたらしい。こいつは何だとでも言うように。彼と私はさながら兄妹だった。よく派手な兄妹喧嘩をした。兄はお気に入りのぬいぐるみをボロボロにするのが大好きだった。宝物を奪われないように胸に抱こうとも、腕の隙き間から細い鼻を突っ込んで簡単に奪い取り、渾身の力でブルブルと振り回して、あっという間に綿のカタマリに戻してしまうのだった。またお菓子を横取りされた。私が食べようとしているクッキーをしつこく追い回す彼の写真が残っている。口から垂れた漫画のような涎を私は忘れない。幼稚園から帰ったところをお出迎えをしてくれるのはいいのだが、思い切り飛びかかるものだからよく転ばされた。寝床を横取りされもした。人間のように枕に頭をあずけ、鼻ちょうちんまで出してぐうすかと眠っているのである。どかそうとすると唸るので、起きるまで見守っているしかなかった。泣かされてばかりいたように思う。
しかし彼と私は同時に仲のいい友人だった。私は彼を参考にはいはいを覚えたので、他の赤子と違って顔が下を向いていた。私がベビーベッドから落ちて泣きわめいているのを彼が見つけて、母を呼びにすっとんで行ってくれたこともあった。そのベビーベットは後に彼の寝床となった。彼は私を泣かせるかわりに、私のすることには寛容だった。鋏の使い方を覚えた私が何でも切って回っていた時、彼の眉毛と髭を標的にしようが大人しくしていてくれた。まあ彼にとっては毛などどうでもよかったのかもしれない。私が雪だるまを作る横で彼はおおはしゃぎした。旅先でも私と同じくらいはしゃぐのは彼だった。お気に入りの沼の美しさを知っているのも彼だけだった。颯爽と山道を歩き、早く来いとでも言うようにくるりと振り向いて待っていてくれた。一緒に車に乗るのが好きだった。彼は必ず助手席に座り、きっと前方を見据えるのである。この先に何が待ち構えているのか見極めてやる、とでもいうような目つきであった。一度私が助手席に乗ろうとしたことがあったが、当然のように後ろから乗り込んできて、狭い座席に一緒に座るはめになり妙な気分になったこともある。私が楽しい時、彼も尻尾を振っていた。こう言うと親バカと言われるかもしれないが、私は彼の気持ちがよく分かるような気がしていた。
彼は年をとるごとに大人しくなっていった。元々白かった顔がますます白くなり、お出迎えで私を押し倒すこともなくなった。いやしいのは相変わらずだったが。小学五年生になる頃、彼はすっかり年寄りになっていた。その頃私は学校に行くことができなくなっていた。家の中は険悪なムードが漂い、両親は激しい喧嘩をした。自分のことで親が言い争っているのを見ていると胸が張り裂けそうだった。そんな時、彼も悲しそうだった。尻尾を股の間にはさみ首をすくめ、目を大きく見開いていた。そして必ず傍にやってきて、そっと寄り添うのだった。彼を撫でていると穏やかな気持ちになった。祖父母は私に「できそこない」「失敗作」「どうしてこんな風に産まれてきた」「障害者」と言った。今まで可愛がってくれた祖父母がそんなことを言うなんて信じられなかった。母は駄目な母親である己を責めるのに精一杯で、私の気持ちにまで手が回らなかった。胸が針で刺されたようにズキズキと痛んだ。母は何時間も悲しい愚痴を言った。私は自分が悪いと思っていたので被害者ぶって涙を流すことだけはしたくなかった。しかし募った悲しさがこらえきれない時もあった。そんな時彼は状況がどうであろうが涙を舐めてくれた。心配の証であるキュウキュウという声を惜しみなくあげてくれた。恥さらしである私を純粋に心配してくれるのは彼だけだった。夜になると寂しさに襲われた。自分の理解者はどこにもいない、世の中に必要のない存在で今すぐいなくなるべきなのだと思った。両親にふさわしい子供ではないと思うと眠れなかった。しかし泣くことができなかった。ある時震えるような寂しさに襲われ、彼にすがりついたことがあった。両親はスキンシップを取る方ではなかったから、抱きしめてくれる相手は彼しかいなかったのだ。彼は何も言わずに抱かれていてくれた。受け入れてくれるものがここにいる。静電気のような緊張の中、彼だけが私の味方だった。
兄は小学校の卒業式の前日に死んだ。水のような雪がふる日だった。外に出たがる彼に母が着いていこうとすると、「来るな」と言うように唸った。彼は椿の咲く裏庭で息をひきとった。寄り添ってくれた温かな体は信じられないくらい冷たかった。目は白く濁り、丸く見開かれていた。母は彼の瞼をそっと下ろした。私と母は彼をあのベビーベットに寝かせて、焼却場に連れていった。思い出の寝床と共に彼の体はあっけなく灰になり、空に昇って行った。帰りの道で自分が助手席に座っているのが変な感じがした。車にはまだ彼の毛がふわふわと舞っていた。庭の土を掘り返すと、彼の戦利品である父の靴下や萎んだチクワが出てきた。そんなものを埋めてどうするつもりだったのだろう。しかし変な物が出てくる度、私と両親は現実の問題を忘れて笑った。
あの時私を心から心配し、思いやってくれたのは、彼だけであった。人間ではないからこそ世間体に囚われず、いつでも私を個人として受け入れてくれた。確かに動物と心を通わせることができるなんて考えは人のエゴなのかもしれないけれど、彼と私はそうでなかったと思いたい。少なくとも、私にとって彼は、かけがえのないお兄ちゃんだったのだ。
孤独の価値
気心の知れた友人が何人かいる。定期的に構ってくれる人もいる。私は寂しがりなのでとても嬉しい。なのに誰かといても一人でいるように感じる瞬間がある。談笑している時、周囲からスッと音が消えて、相手の笑顔だけが取り残されたように静止している。自分がどんどん透き通ってゆくような感じがする。さっきまで楽しかった気持ちが嘘のように虚ろになる。音はすぐに戻ってきて、相手は何事もなかったかのように動き始める。私がぼうっとしていたことにも気づいていないようだ。私は声の調子をあげながら、取り繕うように笑う。これが何なのか分からないが、誰しも感じるものなのかもしれない。
学校でも同じことが起きた。女友達が談笑している横で私は空中を見つめていた。適当に相づちを打つことはできるし、私を慕って相談などしてくれる人もいるのだけれど、心が遠くに飛んで行ってしまう。窓の外の空だとか、その上を滑ってゆくカラスだとか、ペットボトルの水滴だとかを見つめていたような気がする。表面上では仲のいい友達と笑い合っている筈なのに、何よりも心が安らぐのは、机に突っ伏して眠っている時か、図書室にいる時か、授業中に落書きをしている時だった。
周りにいるのはマイペースな私を見守ってくれる人ばかりだ。私は彼らが愛しい。本当に感謝している。優しい人々に甘えながら、それでも涙が止まらなくなる時がある。贅沢だろうか。彼らはこんなに心を開いてくれているのに、どうして私はうまくできないんだろうと思う。もっと甘えていいんだよと皆は言う。そうしたい。でも一線をこえるのが難しい。本当のことを言おうとすると涙が出てくる。年を重ねるにつれ口先だけが達者になりごまかすのは得意になったが、本質はなかなか変わってくれない。
だから一人の時間が必要だ。毛布に包まっていると、どこにも力を入れなくていい。本や映画を見て空想の世界に飛んで行ってもいい。誰も望んでいない冗談を言わなくてもいい。私は愚かな自分を隠そうとして見栄をはりすぎるのだ。それが相手との関係をぎすぎすさせてしまう時だってあるのに。
いつか、何も気負わずに相手と話をしたい。心から自分のままで。誰かがそこにいるのに孤独だなんて、身勝手なことは思いたくない。
最近は以前よりも人に甘えられるようになった。前は寂しくても我慢するべきだと思っていたが、今は誰かに連絡しようと思える。私はよく携帯電話とにらめっこする。今連絡していいかな。迷惑じゃないかな。忙しかったらどうしよう。勇気が出ずに一時間ほど街をぶらぶらするが結局気がまぎれず、ようやくメールをする。返信がくるまでハラハラしながら布団に丸まってみたり、PCを開いたり閉じたりしてみたり忙しくしているが、バイブが鳴った瞬間携帯に飛びつき、「いやあ、暇でさあ」なんて何もなかったように冗談を言う。
だらんとエッセイその②