小さな命

小さな命

   小さな命
          
 五年前の五月二八日未明、一人息子が生まれ、数時間後にその小さい命は息を引き取った。
 真夜中の薄暗い病院の廊下に、生まれたばかりの息子の心臓の鼓動が拡声器を通して響いていた。
「どくっ、どくっ、どくっ」
 外は土砂降りの雨だった。しかし、廊下に待機していた僕にも義父(赤ん坊にとって祖父)にも外の雨音は聞こえなかった。拡声器から聞こえる生まれたばかりの子の心臓の鼓動だけが胸に響いていた。規則正しくはあったが、大人の心泊よりはずっと速い。
 母親は分娩室に入ったままだった。赤ん坊だけが処置室に移されたようだった。僕と義父は無言のまま廊下の椅子に座り続けた。
「どくっ、どくっ、どくっ、どくっ、どくっ、どくっ」
 生まれた子の命が続いていることだけが、分った。長い時間の後、僕と義父の二人は看護婦に呼ばれ、処置室に通された。二人は赤ん坊の姿を見て、思わず息を飲んだ。白くて広いベッドの上の片隅に赤黒い肉の塊のような子がほとんど裸の状態で横たわっていた。鼻にも口にも細いパイプが通され、腕にも足にも点滴の管が刺されている。胸には心臓の鼓動をとるためのマイクと心電図をとるための配線がほどこされている。傍らのオシロスコープは、室内に響いている心臓の鼓動にあわせ波線を描いている。医師は二人、看護婦は三人いた。医師の説明が始まった。
「おたくのお子さんは二十八週で生まれました。体重は一二六五グラムで、いわゆる未熟児です。普通赤ん坊が正常に育つためには三十五週お腹の中にいなければなりません。三十五週で肺の機能が出来上がるからです。二十八週ではまだ肺が十分にできておらず、酸素を摂取する機能が弱いんです。今、パイプを鼻から喉に通す手術をして酸素を送っています。しかし、肺の機能が十分でないため、必要な酸素を吸収することが出来ないでいます。そのため、身体のあちこちが正常に働いていません」
「あのう、それで命は助かるのでしょうか」
「我々は全力を尽くしていますが、助かるかどうかはまだ分りません。もし、命が助かっても後に障害が残る可能性が高いと思います。特に、脳へ酸素が十分に送られなかった場合には知恵遅れということも考えられます。命が助かるかどうかはここ数時間が峠です。我々は全力を尽くしてはみますが、・・・・・」
「あの、もし、助かっても、脳に障害が残るのですか」
「そうです。脳の酸素が不足した状態が続きますと、脳細胞が死んでいきますから、障害が残ると思います。体内の血液中の酸素濃度が低いんです。人工呼吸器で酸素を送っているのですが、肺の機能が十分でないため、これ以上酸素濃度が上がらないんです」
 僕は体内の血液中の酸素濃度をどうやって計るか知っていた。注射器で血液を採り、それを分析器にかけて計測するのである。生まれたばかりで生きるか死ぬかの線上にいる赤ん坊の血液は、その中の酸素濃度を計るために何回か採取されていたのである。
 僕も義父もその説明をしてくれた医師にただ頼むしかなかった。
「先生、どうか宜しくお願いします」
 看護婦が言った。
「それでは、廊下では何ですから、一階の待合室の方でお待ちください。何かありましたら、こちらから連絡しますから」
 僕と義父は頭を下げて処置室を出た。薄暗い廊下を通り、狭い階段を三階から一階まで降りた。二人は無言のままだった。一階の待合室は広々としていた。日中は、お腹の大きな母親たちや付き添い人でごった返す待合い室だったが、今はがらんとしている。白緑の常夜灯だけが所々に光を落としている。二人は待合室のソファに座った。赤ん坊の心臓の鼓動はここまでは届かなかった。辺りはかすかに機械音の低く唸っているのが聞こえるだけだった。義父は口を開いた。
「これから先、長いからちょっと身体を休めておこう。ソファに横なった方がいい」
と言いながら、横になった。僕も横になった。しかし、眠ることが出来なかった。
 お腹が痛いと妻が言い出したのは、一人娘の朝美が寝てしまってからだった。
「お腹が痛いようなんだけど」
「おい、大丈夫か。食べすぎじゃないのか」
「そんなに食べてないけど」
「早目に寝たら」
「うん、しばらく横になると、よくなると思うわ」
 確かに、しばらくすると腹の痛みは治まったらしい。しかし、そのうちまた痛いと言い出した。
「今日は雨が降って寒いから冷えてきたじゃないのか」
「布団の中に入って横になっておくわ」
 体を暖かくして横になっていると楽になってきたと言う。ところが、時間が経つとまた痛いと言い出した。
「腹が痛くなったり、治まったりが規則的に起きているようだが、それはひょっとして陣痛じゃないのか?」
「そうかも知れない。でも、まだ二十八週よ」
「そうかも知れないって、病院へ行かなくていいのか?」
「うん」
「うんじゃないよ。すぐに病院へ電話して」
「陣痛じゃなかったら、どうするの」
「陣痛じゃないかも知れないけど、ともかく電話して相談してみィ、どうしたらいいのか」
 妻は自分で電話をかけた。病院では助産婦が出たようだ。妻は出来るだけ症状が軽いように言っていたが、助産婦の話ではすぐ病院に来いということだった。
 僕は、妻の実家に電話した。義母が出た。
「佳子がお腹が痛いと言っているんですが、どうやら、陣痛らしいんです。今から、佳子を病院へ連れて行きますので、朝美を見ていただけないでしょうか。明日の朝は多分病院だと思いますので、幼稚園まで送って欲しいんですが」
 車で出かける用意をしていると、義母と義父が来た。義母は聞いた。
「何か月ですの?」
「満七カ月です」
「七カ月で生まれるんですか?」
 僕は何とも答えようがなかった。
「朝美ちゃんのことがあるから、私、今夜はここに泊まります」
「そうしていただけると助かります。どうもありがとうございます」
 義父は、車の免許を取立ての僕に不安を覚えたのであろう、一緒に車で行くことになった。妻と僕と義父が車に乗り込んだ。
 真夜中、土砂降りの雨の中を車は走り続けた。車のワイパーは激しく左右に動いたが、それでも視界は悪かった。いくつかの信号は無視した。後ろの座席で妻は唸っていた。間隔の短い本格的な陣痛が来たようだった。四十分ほどで大阪市天王寺区の産婦人科の病院に着いた。後で分ったことだが、車の中でもう破水していた。どうにか出産自体には間に合ったのだった。
 僕は頭の中で、先ほどの医師の言葉を反芻していた。「ここ数時間が峠です」「もし、助かっても脳細胞は死んで行く」「障害が残る」
 眠れないまま時間が過ぎて行った。耳の奥には赤ん坊の心臓の音が響いていた。
「どくっ、どくっ、どくっ」
 夜が明けようとする頃、連絡があった。僕と義父は急いで処置室に入った。赤ん坊はガーゼの寝間着を着ていた。鼻や口に繋がっていたチューブの管も手や足に刺さっていた点滴の管も、心電図を取るための配線も取り払われていた。赤ん坊は眠っているように動かなかった。僕も義父も赤ん坊の死を知った。
 一晩中担当してくれた医師から説明があった。その説明は、前聞いたのとほぼ同じ内容だった。肺の機能が十分に発達していないことを最大の原因に上げた。そして最後に付け加えた。
「私たちも最善を尽くしたのですが、こんな結果になって・・・・・・」
 僕が何か言おうと一歩前に踏み出した時、義父は僕の腕を引き目配せをして、それを制した。義父は言った。
「大変お世話になりありがとうございました。先生方の徹夜の尽力に感謝いたします。どうもありがとうございました。」
 それにつられて僕も小さな声で、「ありがとうございました」と言った。二人は処置室を出た。
 僕は家に電話を入れた。義母に一連の出来事を手短に話した。義母は黙って聞いていたが、最後に一言言った。
「あんたも疲れなはったやろ。今日は仕事休まはって、ゆっくり寝なはれ」
 翌日、僕は入院中の妻と相談し、周一郎と命名した。かねてより、生まれてくる赤ん坊の名前を男の場合は、周一郎と決めていたのだった。僕は、出生証明書と死亡診断書を持って、病院の近くの天王寺の区役所を訪れ、出生届と死亡届を同時に提出した。区役所の係りの役人は、無表情に書類を受取り、しばらくして、埋葬許可証をくれた。手続きは簡単に終った。僕はだらだらと長い坂を歩いて病院まで帰った。春の終りを告げる暑い陽射しの日だった。
 その翌日は、火葬に出す日だった。僕と妻と四歳の朝美は、看護婦に連れられて、病院付設の教会に行った。それまで、周一郎は病院付設の教会の霊安室に安置されていた。正確には、霊安室の冷蔵庫の中に置かれていたのだった。看護婦が冷蔵庫から周一郎を取り出してきた。周一郎は白のガーゼの寝間着に包まれていた。目はつむったままだった。看護婦が妻に周一郎を渡した。母親は我が子を初めて抱いた。母親は病院の寝間着であった浴衣の胸を開け、おっぱいを出した。
「さあ、おっぱいを飲み。腹一杯飲み」
と言いながら、冷たくなった我が子の口元におっぱいをあてがった。周一郎は目をつむったまま、口を開けようとしなかった。
「周一郎、お母さんのおっぱいやで、さあ、飲み。飲みたかったんやろ、お母さんのおっぱいやで、さあ、腹一杯飲み。周一郎、口を開けて飲み」
と母親は言い続けた。さらに力を入れて周一郎を抱き上げ、その口元を乳首に押し付けた。周一郎の口は開かなかった。目も開かなかった。
「ほら、おっぱいを吸うて。口を開けて、おっぱいを飲んで。周一郎、周一郎、お母さんのおっぱい、飲んで」
 母親の声は段々涙声に変わっていった。そばで見ていた看護婦が、
「さあ、もういいでしょう」
と言って赤ん坊を引き取った。母親は泣き崩れてしまった。
 看護婦は用意してあった小さな棺に赤ん坊を入れた。妻と僕は周一郎のそばに、玩具と子供用のお菓子と菊の花を入れた。僕が言った。
「お姉ちゃんも花を入れてやりなさい」
 朝美は初めて「おねえちゃん」と呼ばれた。戸惑うように菊の花を一輪、周一郎の胸の上にそうっと置いた。僕はその小さな棺に入った周一郎を真上から写真に撮った。そして、棺に蓋がされた。

小さな命

小さな命

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-02

Copyrighted
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