だらんとエッセイその①
年齢制限
小学校くらいまで、文庫本には年齢制限があるものだと思い込んでいた。あれは大人の読み物だと思っていたのである。細かい文字、飾り気のない装丁のせいでそんな勘違いをしていたのだろう。しかし当時から妄想を激しくする癖があったのか、思い込みはどんどん強烈なものになり、しまいには「子どもが文庫本に手を出すのは恥ずかしく禁じられた行為」だとかたく信じるまでになった。
というわけで私は本文庫本コーナーに近寄るのがもの凄く怖かった。暇つぶしに店内をグルグル回っている時も、文庫本が平積みされているのが目に入るとびくっとして飛び退いた。私の中で文庫本コーナーには見えないボーダーラインが引かれていた。立ち読みをしている大人がいたりするとますます後ろめたさを感じ、そそくさとその場から立ち去るのだった。今思い返してみれば全く無駄な行動である。
私が初めて文庫本コーナーに立ち入ったのは小学六年生の頃だった。母は文庫本コーナーに恐ろしげな視線を向ける娘に、何か普通ではないものを感じていたのだろう。ある日こう言った。「あなた本好きなのに、文庫本は読まないわね」私は、ベッドの下に春画を隠しているのがバレたくらいの恥ずかしさを感じた(念のためであるがこれはあくまで例えであって、実際に隠しているわけではない)。私は答えた。「えっ。文庫本って子どもが読んでもいいの?」母はきょとんとした。当たり前である。「別にいいわよ。ほら、見てきたら?」指差した先には未知のゾーンが。積み重なった小さな本を直視した私はあまりの恐れ多さに慄き、思わず母の腕にすがった。「い、いいのかなあ。本当に行ってもいいのかなあ」「は。行けば?」今にしてみれば母は訳の分からないことで怯える娘に心底呆れていたと思うが、とりあえず私が危険な領域に足を踏み入れるまで黙って傍にいてくれた。私はようやく母の腕から体を引き離し、ジャングルの森林に初めて立ち入る探検隊員の如く、そこに足を踏み入れたのである。禁じられたコーナーに今自分が立っていると思うと背中に冷や汗が伝い、体がぶるぶる震えた。あまりの息苦しさに三十秒と立っていられず漫画コーナーに駆け戻ったのを覚えている。結局落ち着いて立っていられるようになるまで約一ヶ月の期間を要した。文庫にどんだけ畏怖を感じていたのか。バカだったのか。
そういえばPG-15の映画を初めて観る時も同じくらいドキドキしたな。確かあれは岩井俊二の「スワロウテイル」だった。初めて買った文庫本は…覚えていない。きっとあまりの恐ろしさに頭が真っ白だったのだろう。
雑誌の山
私の部屋はガランとしている。物を増やすのが苦手なのである。小物などを魅かれるがまま購入していた時もあったが、手入れもせず埃が積もってゆくのが不憫で、結局机の奥にしまい込んでしまう。そうしたらもう出てこない。時が経ち何かの拍子に過去の物欲がゴロゴロと転がり出てきてうんざりする。こんなもの買ったっけ、と思いながら彼らをゴミ箱に捨て、キレイサッパリ忘れてしまう。そうする瞬間は爽快ですらある。それを繰り返しているうちにこまごましたものを買わなくなった。本当は必要としていないことに気がついたのである。私が買うのは日用品と本と服、時々PC関係の電化製品。他は何もいらない。何も乗っていない机、隙き間の空いた引き出し、絡まり合っていないコード。必要なものばかりで構成されたミニマムな部屋に座っていると、雑念が取り払われてゆくようで穏やかな気持ちになる。
こんなたちだからか「山」というものを見ると崩したくなる。服の山や汚れた食器の山や、得体の知れない袋の山などを目の前にするとムズムズしてくる。しわくちゃの洋服を畳み、シンクにこびりついた食べ滓を洗い流し、かさばるビニール袋をゴミ箱に突っ込んで、やっと安心する。しかし本の山は別だ。積み重なっているのを見るだけで心が浮き立つ。無造作に並べられたCDや何層にもなった雑誌は、「山」の内に入らない。それらはもはや日用品で、私の体を構成するかけがえのないものなのだ。だから私は本を捨てられない。何かの汁を吸った新聞紙なんかと一緒にゴミ処理車に取り込まれる光景を想像しただけで胸がムカつく。私にとって本は手あかがついてすり切れていても、驚きの宝庫であり異世界の扉なのだ。捨てるくらいなら売ってしまう。見知らぬ誰かが彼らを手に取ってくれることを夢見て。
自室の他にもう一つ「山」を意識する場所がある。それは都会だ。私にとって都会は大きな物の山だ。そこここに積まれた私には何の関わりもない商品が「買ってくれ」と叫んでいる。パッケージに踊る文字全てがブツブツと何かを呟いている。通りには様々な専門店がこれでもかと建ち並び、私には陳列された商品が何なのかすら検討もつかない。ああいったものを見るたびに誰がこんなものを買うのだろうと思う。売り場のモニターが大声で商品の効能をまくしたてている、どこかに設置されたステレオがバーゲンセールの時刻を告げる、群がる色とりどりの見栄を纏った人、人、人。私は段々目眩がしてくる。疲れ果てふらふら歩いているところにこぢんまりとした本屋を見つけ、ここぞとばかりに逃げ込む。薄暗い店内は誰の声もせず、カサカサという紙の音だけが響いている。本と沈黙は隣り合わせのところにある。レコードも、映画もそうだ。私はそれらに囲まれていると涙が出るほど安心する。まるで古里に帰ってきたみたいだ。
刹那的時間
私の生活は不安定である。元々生きるのが下手というか、目的を見失った飛行機のようなところがあり、何にしても行き当たりばったりなのだ。長らく着地点を探しているのだが、自分がどこへ行って何をしたいのか一向に見えてこない。だから人生がめちゃくちゃである。また人も苦手ですぐ自分の殻に閉じこもってしまう。外に出るのすら怯えている始末である。こんな有様だから人の手を人一倍借りて生きていると思う。
そんな現実から一時的に逃れるために沢山の妄想をしてきたし、そのような瞬間を求めてきた。特に刹那的ものに魅かれる。誰かと海を歩いたり、永遠に続く花畑に佇んだり、入道雲の下でラムネを飲んだり、屋上から何度も飛び下りたりしているところを想像してうっとりする。坂口安吾がどこかで「親戚の少女が自殺した時ほっとした」と書いていたが私は彼に共感する。どうにもならないことを一瞬のきらめきで覆い隠してしまいたいのである。また貧弱な感性だが私は一時の苦痛を避けるためにふらふらと死に引き寄せられてしまうところがあり、これも刹那を好む性格に拍車をかけているような気がする。
刹那的瞬間というのは終わりとセットになっている。いつか終わると分かっているから風景は美しく輝くのだ。全て過ぎ去ってしまった後の切なさに陶酔しながら、刹那的な時間を過ごすのはなんと甘美なことだろう。刹那が終わる瞬間、自分があの時間を過ごしていた自分とは別の人間になったような感じがする。虚ろになるというか、自分の中のもう一人の私が死んだような気分になるのだ。かつての時間を過ごした私がいなくなるということなのだろう。無意識に何度も小さな死を求めているのだから、刹那主義も自己消滅願望もある意味では同じようなものである。
しかし刹那的でいるには若さが必要だ。年を取るにつれ新鮮な経験は減ってゆき、日々は普遍的なものになってゆく。新しい経験や驚きが溢れているからこそ刹那は成立するのだ。また刹那には未来を想像させる性質もある。つかの間の錯覚だったとしても、この先も希望に満ちあふれているという素敵な予感のようである。だが実際に年をとり、現実の死を見つめざるをえなくなれば浮かれてはいられなくなるだろうし、堅実に生きざるをえなくなるだろう。また結婚し子どもを産めば後は生活を守るのに徹するのであろうし、それはそれで幸福だろうけども、刹那的な喜びとはまた質が違ってくるだろう。私はどこかで自分の若さがいつか終わり、退屈な日常が訪れることを予想しているのだろう。これは恐らく今私が何も知らない若者であるからで(自分で称すのは恥ずかしい限りだが)先の喜びを知ったら何かを諦めてしまうことになるような、妙な恐れを感じているからだろう。そんな中私の刹那は自己消滅願望と若さの死を孕みながら、一層強く輝くのであった。
食べ散らかす
もう一つブログをやっている。自分で作った絵や小説や日記など一緒くたに投稿している。他にも弾き語りをしてみたり漫画を描いてみたり詩を書いてみたり訳してみたりとゴチャゴチャである。メニュータブを作り必死に区分しようとしているのだが、昔の作品を投稿したまま放置しているSNSも山程あるので、リンクも貼ってとなると何が何だか分からなくなる。せめてどこに何があるのか分かるようにしておきたいのだが、無駄な努力なのかもしれない。
私には色々なものに中途半端に手を出してのめり込む癖があるようである。過去には写真を取っていたこともあったし、短歌や川柳を詠んでいたこともあったし、短編ではあるがアニメを作ったこともあった。絵柄も気分次第でコロコロ変わってしまうので、二、三年前の自分の絵を見返すと誰かから貰ったものかと思ってびっくりする。写真だってフィルムだったりデジタル一眼だったり、音楽だって弾き語りだったりポエトリーリーディングだったり、小説だって散文だったり童話だったりとメチャクチャだ。意図してのものなのなら納得もできるだろうがそうではないのだ。私の物作りは完全に衝動に左右されていると言っていい。行き当たりばったりに発散して満足したら放置する。証拠に絵はどれも清書を怠っているし、小説は文法がおかしいし、訳詞だってきちんと英語を調べているわけではないし、写真は絞りとシャッタースピードの関係を理解していない。詰めが甘いったら甘すぎるのだ。というか自分で自分が何をしているのか分からなくなっている節もある。気ままにお喋りをするように物を言ったらさようなら、なのだ。
ストイックに一つのものを続けていた方が技術は向上する。分かっている。それにそっちの方がカッコいい。けれどコントロールしようとしてもできない。美術大学に行っていた時代は物作りする自分をコントロールしなければならなかったが、すぐ行き詰まり長いスランプに陥ってしまった。自分の中途半端な情念に喝が入るのに怯えきり、一枚のチラシを作るのに授業を何度ボイコットしたことか。怠惰で甘ったれな学生の典型である。というわけで今も酒を飲み散らかす酔っぱらいのように、ヘラヘラと色んなジャンルを齧っちゃ捨て齧っちゃ捨てしているのだが、面白いのだから困ったものだ。
物作りの仕方にも人の生き様って現れるんだろうか。私は現れると思う。私の人生は考えなしでメチャクチャで中途半端である。最初だけ気合い十分なのだがすぐにへたばって放り出す。社会生活も人間関係も、自分の信念もなのだから、物作りの仕方には性質がこれでもかと滲み出ていると言っていい。自分で自分をコントロールできないところもそのまんまである。気持ちの悪い話だ。人にも社会にも誠実な人は作品にも誠実だし、物静かな人は思慮深い作品を作る。どれも隙がなく美しい。彼らの周りには職人特有の静謐さが漂っており、私には光り輝いて見える。比べて私は泥沼を這いずる蛙である(そもそも真面目に打ち込んでいる人と、不真面目な自分を比べるのはおこがましいが)けれど彼らを遠巻きに眺めているのはワクワクするし、光り輝く美しいものに囲まれているのは好きだ。今日も私は彼らが垂れ流す蜜をみっともなく啜って悦に浸りながら、食べかけのパンくずをまき散らすのであった。あー、幸せ。
不思議な少年
高校の頃狂ったように絵を描いていた。定時制で午後しか授業がなかったので、午前中と夜は完全なるフリーだったのだ。授業のない時間はほぼ引き蘢って暮らしていた。友達と遊ぶことはあまりしなかった。一緒に行動する友人はいたが、彼らは心を許せる人ではなかったからだ。そもそも私は人に心を開くことができなかった。本当は開きたかったのだが、自分の四方を見えない硝子が覆っているようでうまく言葉を話せなかったのだ。家族に対しても同じだった。好きでもない愛想笑いをしていると猛烈に寂しさを感じ、誰かに本音をぶちまけたくてたまらなくなった。自分は世界中で一人ぽっちだというありふれた思い込みに常時取り憑かれていた。誰とも腹を割って話せないということは、狭い視野のまま生き続けるということだった。よって私は長い間寂しさに頭を悩ませた。
腹に溜まってゆく得体のしれない何かを、誰も傷つけずに発散する方法は、絵を描くことだった。例えヘタクソでも自分が思うまま線をひけるのは楽しかった。とにかく思いつくもの何でも描いたが、繰り返し現れるモチーフがあった。一人の少年だ。彼は髪が黒く目がくりくりしていて、何の特徴もない長袖長ズボンを着ている。私は泣きたくなれば彼を泣かせたし、死にたくなれば首を吊らせた。笑顔にさせると自分まで嬉しくなった。必要とあらば彼は手足を自在に伸ばし、目を飛び出させ、ビルからビルへと飛び回り、人を刺し、誰かを愛した。私は彼を色々な世界に放り込む遊びに夢中になった。彼は私の分身だった。
私は自分を女性として描けなかった。当時自分を「僕」と呼んでいた。無意識だったが、どこかで己の存在に違和感を持っていたのだろう。高校を中退し再入学できたはいいものの、クラスには馴染めなかった。どこにいても浮いているような感じがした。社会的にもマイノリティな学歴(今思えば大したことはないのだが、狭い田舎ではそう認識されていた)を持っているのが落ちぶれているようで嫌いだった。逃れられない過去の様々な事柄が重たく面働くさかった。だから自分ではない誰かになってしまいたかったのだ。また肉体的にも精神的にもジェンダーが曖昧であった。十七才を迎えても胸はぺたんこだったし、尻は少年のように薄かった。変な意地で食事制限のようなものをしてガリガリに痩せていたので、女性らしい体つきとはとても言えなかった。髪もベリーショートにしていたので運動部出身なのかとよく聞かれた。運動は大の苦手だ。それに女が精神的にも女性になるのには少々時間がかかるような気がする。私の場合初恋が遅かったせいもあるのかもしれない。第二次成長期がおとずれても、処女を失っても、半分男であるような気持ちを捨て切れなかった。女性に対し強烈なコンプレックスを感じていたせいもあるだろう。気後れもせず化粧をし、長く伸ばした髪を二つに結い、ミニスカートになり、好きな男子の話を長々としているような女の子になることができなかった。どこか垢抜けず友人から「経験ないでしょ?」と聞かれたこともある。恥ずかしかった。ニキビだらけの肌や大きな鼻や、ぶかぶかの制服を隠したくてたまらなかった。何もしなくてもいい匂いをさせ、処女膜についておくびもなく話し合い、体にあった制服を着た彼女たちは、私の憧れだった。
自分を「僕」と呼ばなくても、絵の中で私はありのままの少年だった。誰からも見えない世界で泣き叫んで助けを呼び、腹を抱えて笑った。また寂しい夜は誰かに抱きしめられキスをしてもらった。しかし彼は私でありながら誰でもない人でもあった。彼は私の手から生み出されているのにも関わらず、私の全てを肯定しようとする他者であり、私に変わって見えない誰かに言葉を投げかけようとするメッセンジャーでもあった。彼は絵の中にだけ現れる唯一の友人であり、不思議な存在だった。
彼との旅は大学に入学する二十才頃まで続いた。課題につまずき絵を描くことができなくなったのだ。たまに彼を思い出し記憶をたどって描いてみるのだが、つまらない気持ちのままでは彼は動かず、無表情で棒立ちになった。それは姿形はそっくりでもあの少年ではなかった。こうして徐々にノートから彼の姿が消えていった。私も少しだが変化した。その頃には自分の性別を受け入れ始めていたし、一人称も「私」と言えるようになっていた。
大学を卒業して一人暮らしをし、気ままに絵を描ける環境になった。しかしまず描いたのは少女だった。高校の頃憧れていた少女達を描きたくなったのだ。彼女達の無垢でエロチックな姿は神格化され、もはや女神の領域にいた。時折あの少年と似た男の子も顔を出したが、「少年」という役割が必要だったから現れたシンボルにしかすぎなかった。私はもう少年ではなくただの女性であった。
高校時代、得体の知れない寂しさに悩まされていた頃、悩みを一番受け止めてくれたのは絵の中に住むあの少年だった。彼は何者にもかえ難い友人であり、誰にも見せることができなかった私のありのままの姿だったのだ。
だらんとエッセイその①