世界にごめんなさい

 あたし達は駅前の安っぽいチェーン店でハンバーガーを食べていた。ここは繁華街と通り一本隔てているだけの猥雑な世界だ。生足をブリブリ出したハイヒールのお姉さんがたくさん闊歩している。薄汚い森のようだ。汚い革靴を唸らせて男どもが万札ばりばり言わして女買いにきてる。あたし達はそんな大人の事情なんて知りませんよという顔をして、制服から誇らしげに生足出してだらだらと話をしてたんだ。別に学校さぼったわけじゃないよ。そういうのって、もうださいんだ。
「彼氏とのセックスがよくないんだよねえ」
とあー子は言った。あたしは「当たり前じゃん」と言った。
「世の中そういうもんなのだ」
「それでいいのだ」
「西から昇ったお日様が」
「違くて。そういうもんってどういうもんよ。みー子はすぐそういう言い方するんだから」
「そういうもんなんだよ。愛に運命があるのと同じようにセックスにも運命があると思うのよね。それ二つ同時にぶち当たることってまずないとあたし思ってるの」
あー子はあ、そうなの、とか分かったような分かんないような返事をする。仕方がない、今あー子は彼氏とのセックスの記憶をなぞるので忙しいのだ。あたしはあー子に聞く。
「ていうかあんた彼氏いたっけ?」
「向こうがそう言い張るからさ」
「じゃあんたはその人のこと彼氏だと思ってないんだ」
「めんどくさー。別にどうでもいいじゃんそんなこと。彼氏なんてさ、好きって言いながらセックスした相手に貼るレッテルちゃんよ」
そうね。ほんとそうだわ。あたし達はこの話題をゴミ箱に捨てた。
 あー子はチープな紙コップからコカコーラをひたすら啜っている。席陣取るために頼んだのに、それじゃすぐなくなっちゃうよ。それに見てみろこのどす黒さ。見るからに不健康そうな色をしていて、あたしからすればそんな得体の知れないものを美味しそうに啜ってるあー子が信じらんない。
「そうして世の中回ってるのね。地球、くるくるくるくる」
あたしは言う。
「だーかーら、それが分かんないの。そんなのって納得いかないよ」
あー子はぶりっと頬を膨らませる。全然可愛くねえ。
「あーあ、手先がスーパーマンの彼氏つかまえて朝から晩までセックスしたい。どっかにいると思うんだよね、そういうバカ野郎が」
「いねーよ」
あたし達はげらげら笑った。
 あー子は氷が溶けて地獄の釜のようになった紙コップをぐしゃっと握り潰した。あたし達はとっくに冷めてるテリヤキバーガーにかぶりつく。別にお腹は空いてないんだけど、それとこれとは関係がないんだ。あたし達は性欲のまま行きずりのサラリーマンとセックスするのと同じように物を食べまくる。そういうのって同じことだよ。あたし達は、満足するまで食べたいんだ。色んなものを。あたし達はいつでもお腹を空かせているから、与えられるものがあったら全部ぺろっとたいらげたいんだ。
「誰か与えてくれないかな。何かを」
あたしが呟くとみー子が神妙にうなずいた。おっかしいの。
 バンズの端っこから茶色い汁がこぼれ落ちるのを、あー子が人差し指ですくいあげてべろっと舐める。
「あー、あー子そういうのがいいよ。あんたはそういう仕草が似合ってる」
「うそ。あたしエロい?」
「はは。そういうの男の人の前で言ってよ」
「そうねえ。確かに」

 あたし達はしょっぱい唇をぺろぺろ舐めながらチェーン店を後にした。あたし俗っぽい何の価値もないお店行った後って、いつもこういうのが頭に浮かぶ。ソースまみれになった包み紙がほっそりした店員の手で丸められて無様に捨てられてゆくの。べちゃべちゃになってね。あたしそれを思うと少し興奮するんだ。それがあたしだったらいい。見知らぬ男の人のたくましい手で骨まで丸めこまれて血みどろのまま捨てられたい。
「ねえねえ、あたしちょっとセックスしてくからみー子先に帰ってて」
あー子いつの間にか見知らぬサラリーマン(いつもこれだ)と腕くんでわくわくしてる。
「ばーか。殺されても知らないからな。えんじょこーさい、不倫、殺人事件だ、アホ」
「うわっ。ださー。九十年代の香りがぷんぷんするよ」
「そういえば九十年代って荒んでましたよね。エヴァンゲリオン然り」
うるせーサラリーマンは黙って七三になってればいいんだよ。
「その男鞄に包丁忍ばせてるかもよ」
「な、何を言ってるんだ君は」
うるせーってば。
「ぼくは根っから真面目で優良さわやかな彼女と妻を大事にする健全にスケベの……」
「ホテル入った途端後ろからぶすっ。あんたの動脈から血が噴き出るよ。あたり、血染め。おっきな青いゴミ箱満タンになっちゃうくらいの血液」
「うわあ、そしたらあー子、青白い蝋人形みたいになって王子様のキスを待つ眠り姫みたいだね。最高にきれいじゃん。ラプンツェルでもいいけど。名前が可愛いから」
「こいつはあー子があんまりに美しいから、内蔵ずるずる啜って、お尻の肉瓶詰めにして持ち帰ってホルマリン漬けにして毎日眺めるんだから」
「うひひ。何それ。それってあたし、サイコホラーの主人公になれるの? うれしー。ね、こいつのあだ名エド・ゲインにしようよ。3Pしながら一緒に羊たちの沈黙見よう?」
あー子がぎゅうっと背広に皺が寄るほど男の腕を抱きしめるから、サラリーマンはぎょっとして脂汗をかく。
「ごめん遠慮しとく。想像してたらお腹もたれてきた」
「あそ。じゃね、みー子。今日も黙って死ねよ」
「うん、あー子も耳噛まれて死ねよ」
眠るのって死ぬのと似てない? あたしは似てたらいいなと思うんだ。だからあたし達はこうしてさよならするんだよ。一日に何度も世界の終わりがくるのって、いいじゃん。
 あたし達は手首がはずれた人みたいにぶらぶら手を振った。男のよれよれした革靴と、あー子の見せかけの純潔みたいな磨き上げられたローファーが並んで去るのを見送りながら、あたしはコインパーキングにだらしなく生えてる雑草になりたいと思った。あーあ、めんどくさ。

 兄ちゃんの男臭い部屋にはベッドと机とわけ分からんものが山積み。兄ちゃん教科書どこにあんの? 辞書は? 鉛筆は? 兄ちゃんちゃんと勉強してんのかなあ。兄ちゃんこの中からどうやって必要なもの見つけるんだろ。
 あたしがそんなこと考えながら兄ちゃんの煙草ぷかぷか吹かしてたら、兄ちゃんおもむろに部屋入ってきてあたしの頭蹴り飛ばした。あたしは盛大にテーブルの角に頭ぶつける。
「いてーっ。死ねっ」
「オマエは二の句に死ね、だ。芸なし。つまんねー女」
「そりゃあんたの前ではつまんねー女だよ。面白さはとっておくんだ」
「エッチする男のために? オマエの面白さって使い捨てなんだな」
「そりゃそうよ。言葉や価値観なんてつぎはぎで使い捨てなのよ。哲学者も心理学者もいっぱいいるんだから、どんな精神論もかえがきくわよ。少し本よみゃね」
「まー確かに」
兄ちゃんまたげんこつであたしの頭叩く。いてっと思いながらあたしはもっとしてと思う。あたしってヘンタイだ。
 あたしってヘンタイだ、と兄ちゃんに服脱がされながら思う。兄ちゃんとこれからセックスする。あーあ、こういうのって気持ちいいんだよなあ。背徳的ってやつ? 法律とかどうでもいいでしょ。こんなのっていつものことだ。虐待とか売春と同じように世の中っていう絨毯の下めくれば白アリみたいにありふれてんだ。
「ね、兄ちゃん」
「うるせー黙ってろ集中できないだろ」
ほっぺ叩かれる。わーい、もっとして。
 あたしの脱ぎ散らかした制服と、兄ちゃんのブレザーが床の上で絡まりあってる。靴下の跡がかゆい。兄ちゃんの背中に手をまわすと熱くて湿ってる。何で兄ちゃんの背中はいつも湿ってるんだろう? 近くにいるのに兄ちゃんって分かんないんだ。眉間に皺寄せてあたしを睨みながら交わるので、あたしいつも兄ちゃんが気持ちいいのかそうでないのか分かんないんだ。あたしは時々観察されてる気になるんだよ。色んな人から標本みたいにね。
「くず。くず。ばかばかばか。何十人もの彼女に振られて浮気するでたらめな男のくず! あたししか寝る人いないくせに嬉しそうに腰ふってんじゃねーよ」
「うるせえそういうバカに抱かれて嬉しそうにしてるオマエは何なんだよ。ハツカネズミか。年中発情期か」
まあ性欲強いのは確かなことよ。真昼間の光の中であたしの体はよく見えているだろうか。あたしの肋や胸や乳首やお尻のラインが兄ちゃんの網膜に突き刺さって一生消えなくなればいい。
 兄ちゃん制服のネクタイあたしの首に巻きつけて顔鬱血するまでぎりぎり絞めあげるんだ。
「兄ちゃんこんなので興奮すんの? ヘンタイだね」
「悦んでるのはオマエじゃん」
「よく分かってらっしゃる」
「うるせえ、死ね、死ね、死ね。黙って死ね、このバカ女」
思いっきり縄絞めるからあたしはげえげえ喘ぐ。色気も何もあったもんじゃないけど、兄ちゃんだらだら汗かいてるし、まあいいか。
 兄ちゃんこのまま殺してよ。あたし誰でもいいから、愛されたまま死にたいんだ。目瞑ってるうちにさ。誰かに抱きしめられてるうちにさ。あたしは人込みに立ってても、ぎゅうぎゅうの満員電車に乗ってても、冷たい風がひゅうひゅう体を通り過ぎてくみたいだ。あたしの周りにはいつも小さな隙き間があって、それが疾風を呼び寄せる。
「兄ちゃんも寂しい?」
「だからしたくねえやつとセックスしてんだよ」
ああ兄ちゃん大好き。兄ちゃんの寂しさに包丁突き立てて抉ってあげたい。兄ちゃん、あたしの心臓を噛んでよ。兄ちゃんとあたしはキスして殴り合ってぶつかりあって転げ回って静かにイきました。笑えます。

 した後の朝日はだるい、ってどっかの歌人が詠んでたよ。あたしはした後に朝日見たことないな。だってするのってだいたい誰かのアパートか兄ちゃんの部屋かホテルだからさあ。ホテルだったら服脱いで着て家帰って私服に着替えてだらだらテレビ見て寝るわけだからさあ。兄ちゃんとする時はだいたいお昼だしね。した後にベッドで寝るなんてそんな愛が詰まった午後は過ごしたことないんだ。
「愛なんていらねーよ」
ガン、また兄ちゃんからぶたれる。あたしは悦んでにこにこ笑いながら心底、
「いらねーね」
って言う。あたし達はこういうとこが血繋がってるんだなあ。神様いらんことしい。
 兄ちゃん毛布ぐるぐるで芋虫みたいになりながらぷかぷか煙草吸ってる。あたしはぐったり布団に落ち着いてる。お昼からどろどろに絡まってるのっていいものなのよ。兄ちゃんの肘にできたアザとか突っついたりするんだ。この明るい光の中で何もかも見られてるとあたしは、もうごまかしがきかないという気分になるんだ。あたしは紙の上のテリヤキバーガーで、色んなとこから汁垂れ流しながら誰かに食べられてる。兄ちゃんは肩とか齧るけど、あたしは、そうされてるともう訳がわかんなくなるんだ。あたしの腹におさまってる小腸っていうウインナーがもぞもぞもぞもぞ動き出すからさあ。
 あたしは自分の心の構造を突っつき回す度いても立ってもいられなくなるんだ。あたしの心臓には歯がついていて触れる人あらば噛みつこうとする。かぶりついて、骨の髄まで吸いつくそうとしてるんだ。かっちかっちその歯の音が鳴ってるのがいつも聞こえるんだ。兄ちゃんもあたしの胸にあったかい頭乗せて聞いてよ。
 兄ちゃんはあたしが物欲しそうに腕突っついても振り向いてくれない。分かってる、つれない男だ。あたし今セックスした相手が思い通りにならないのにイライラして、大人しく突っつくのをやめる。
 そうこうしてるうちに凶暴な心臓はどんどん歯を鳴らし始めて、犬歯が刃になって、舌が三十センチになった。あたしの心臓は下品な獣のように舌べろべろ出しながら涎を垂らしている。あたしの全身がわなわな震えだす。あたしはたまらず兄ちゃんの腕にしがみつく。
 さびしい。さびしい。兄ちゃん。さびしいよ。
 こういう時だけ兄ちゃんは優しくて頭を撫でてくれるけど、しばらくすると煙草吸いにまたどっか行く。突然放り出されたあたしの両腕、ドチンと地面に落ちる。

 あたしは兄ちゃんの汗も流さずにぶらぶら外に出た。セックスしてる間にあー子から連絡が来てた。終わったから踊ろうって。煙たくてプロかどうなのか何してる人なのか分かんない人が鳴らしてるクラブとかいうところで。あたし達はさっきのチェーン店のとこで合流する。虫食いだらけの街路樹があたしの肩にかざりを落とす。やだ、全然しゃれてないんだな。そもそもこいつら(木のことね)、兵士みたいでいけすかないんだ。町の景観がどうのとか言ってエライ建築家が植えたけど、秋になればイチョウが臭うし夏になれば虫食いで茶色くなる。こいつら自由に育てばまだいいのかも知んないけど、おせっかいな市の職員が冬の間に丸ハゲにしちゃう。ぽちょぽちょと葉っぱが生えてるだけなんで、景観整えてる前提自体がどっかいっちまってる。この辺にはびこる太った芋虫、この見捨てられた街路樹を食いつくしてよ。食いつくしたら強くなって、ビルの鉄骨も食べつくして、最後にモスラになって宇宙に飛んでってしまえ。
 バカの思考みたいに絡まりあってる電線見ながらふらふら歩いてたら、あー子がまたぺちゃくちゃ喋りだした。
「またみー子兄ちゃんとセックスしたんだね。あたし匂いで分かるんだよ。あー子が使ってるボディソープと同じの使ってるだろうに、あんたと兄ちゃんの匂いって違うんだ。不思議だよねえ」
「んー」
あの電線が今すぐ切れたらいいのに。あたしそれ噛んで感電死したい。山田かまちみたいにかっこよく死にたい。アーティスティックに死ねる人こそ真の芸術家。
「ね、みー子。さっきのサラリーマンだけどねえ、よかったけどよくなかった」
「どゆこと?」
「なんか分かんない。あのさあ、セックスってさあ、してる間は相手のことすごい好きって思うけど、した後サーッと冷めるよね」
「あんたは男か」
「そうだったらよかったなあ。だって簡単じゃん。女の子抱いたらさあ、その子を好きだったことすかっと忘れてさ、どっか行けちゃうんだよ。あたしたちって穴ポコだからさあ、何かうじうじしてるしかないよね。洞窟の中のナメクジだよ。粘液もそういう感じだし」
「ははは。ばーか」
信号が凶暴な赤を点滅させ始めたのであたし達はしばらく待った。横断歩道のサイケな白黒あたし好きだよ。出来損ないの縞馬みたいね。あたし達も痩せ馬みたいにコンクリートジャングルに突っ立った。あたし達の後ろにわらわら、忙しい人達が群がってくる。おじさんの足元からかかかかか、と変な音が聞こえる。貧乏揺すりって的を射たネーミングだよね。
 あたしもあー子も追い風にスカート揺らしながら、横目でちらちら男の人を見てた。そいつらの顔見るだけであたし、してるとこ想像しちゃうんだ。どういう強さであたしのこと押さえつけるのかなとか。あー子も絶対そうだよ。ま、そうでなくてもいいけど。
「あたし生まれ変わったらかっこいい男になって、地上にいる全ての女の子をやりまくって無様に捨ててやるんだ」
お、それいいね、と振り向くと、あー子はいつの間にか魔法みたいにどっかから出したリップを唇に塗りたくってた。その赤いいな。思いっきり下品で。

 クラブの入り口って何で皆マットな黒なんだろ。病院みたいなタイル張りでもいいじゃんねえ。かっこよかろうがなかろうが、汚いラーメン屋みたいな油の臭いがしてようが、何もかもふっとばしてくれる爆音が鳴ってればとりあえず何でもいいよ。そうでしょ?
 何人か分かんないマスターはいっつもあたし達にお酒出してくれるけど、あたし達はそれをトイレにぶちまける。おしっこみたいに流されてゆくビールみながらあたし達はざまあみろって笑う。ビールも余計な優しさもクソったれだ。壊すのって面白いんだ。大事なものほどね。
 あたし達は踊り狂う。踊り狂う。夜モードに入った男の人がグラマーな女の人の尻を見てる。ああいいな。あたしもああいう尻になってあの人に見つめられたいな。あたしは常に恋されてる誰かになりたくなっちゃうんだ。世界中の誰もの理想の女の子になりたいんだ。相手が変わる度自分の体も変形するんだったらよかったのにな。あたしそういうラブドールならよかった。
 ピロピロ鳴ってるオーディオから音の水あびながら、あたし達はけらけら笑う。別にどーってことないみたいに。どーってことないんだけどさ。何か悩みがあるわけじゃないし。あー、このクラブ、床も壁も全部黒だ。黒、黒、黒だ。あたし達の制服がくっきりと浮かびあがってる。あたし、このまま、光になって消えちゃいたい。
 あたしが消えたがる殺されたがるさびしがる理由を知りたかったら、シンリガクの本読みゃだいたい片付くんじゃないかな。だいたいは親が原因って書いてるよ。親なんて人、知らない。知らない知らない知らない。そうじゃなけりゃ肛門がどうたらとか。昔の人もたいがいスケベだよねえ。髭生やした爺ちゃんが赤ちゃんの下半身ばっか注目してさ。そんなのってどうでもいい。いっそあたし達、歩く下半身になればいいんじゃない?
 あー子があたしの腹をぶった。あたしもあー子の腹をぶちかえす。
「ねえ、こないだのことだけどさ、あたしの彼氏どうだった?」
あー子が言う。
「それって今の? それとも前の? それとも前の前の……」
「あ、どうだろ。分かんないや」
「分かんなくてもいっか。別に誰だって同じだし」
あたしは言う。
「だよねえ、だよねえ。やっぱあたし達気があうね」
あー子は何回もジャンプしてる。ヘドバンしてると頭に脳内物質が溢れ出てまじで気持ちよくなれるんだ。どんなクソみたいな曲でも、そうしちゃえばどれも同じ。どれも同じだよ。笑い声も彼氏も男もあたしもあなたも愛も恋も。爆弾に巻き付けて塵にしてやる。
「あたしの彼氏は?」
今度はあたしがみー子に聞く。
「えー、どうだったろ。ていうかどれだっけ」
「どれ」だって。笑える。
「あたし達も数々の男の人のなかで『どれか』になってるのかな?」
「女子高生A、Bみたいに?」
「そうそう」
「そうだったらいいね。あたし、そうなりたいなあ」
「あたしも。あたし達、消えちゃいたいね」
「うん。消えて、誰から見てもきれいになりたい」
「すっごく天気のいい日にきらきらして見える部屋の埃みたいにね」
「もしくは普段は濁ってるんだけど、台風の時だけ半透明になる川の水みたいに」
「あたし、雫くんになりたい。知ってる? そういう絵本。雫がさあ、川に流されてさ、海について最後に蒸発してまた雨になるの」
「それって話違くないか?」
あたし達はちっともセンチメンタルじゃない曲の洪水にのまれながら二人手を繫いだ。あったかいな。そうだ、あー子とセックスしよ。

 あたし達はフライヤーをハリセンにしてお互いの頭たんこぶだらけにして帰った。夜のネオンって好きなんだ。泣いてる時みたいにきらきらしてさ。あたしも少しは女子高生なんじゃって思えるんだ。まあ肩書き的には女子高生だけどさあ。あー子はにかっと笑って、自分の八重歯を両手の親指で押した。
「あたし、死んでもいいくらい好きな人ができたらさあ、この八重歯ペンチで引っこ抜いてあげたいな。その人に歯の中に詰まった神経ぺろぺろ舐めてほしい」
それからあー子は街灯のシステマチックな光に照らされながらぼやっと言った。
「あたし愛されたいんだ。ほんとはね。でも何か行きずりの人としちゃうんだよねえ。あたし彼氏がいても隣に男の人いたら寝ちゃうんだろうなあ」
「別に考えなくてもよくない? そんなこと。無意味だよ。してる間に気持ちよけりゃさあ、いいじゃん。誰も傷つかないし」
「んーまあね。そうなんだけど。あたし時々ね、どっちか分かんなくなるんだ。エッチして自分を悦ばしてるのか、傷つけてるのかがさ」
「大丈夫だよ誰もあー子のことなんか見てないから」
あー子は急に子犬みたいな目であたしを見た。あ、何かやばいとこ触れちゃったかも。涙目になってぷるぷる震えだしたので、あたしは頭イッコ分くらい低いあー子をそっと抱き寄せて、おでこを優しく撫でてあげた。
「ごめんね。あたしだけだよ。あー子のこと知ってるの。あたしだけがあー子を見ててあげるね。きれいだって思ってあげるね。あー子が何人もの男の人から忘れられようとも、あたしは覚えててあげる。あたしに奥歯くれたら、あんたの望み通り神経舐めつくしてあげるよ」
「ほんと?」
あー子はあたしの胸に頭をすり寄せてくる。あー子はいつでもひんやりしてる。この子を絶対にロボットになんかさせないんだから。あたしは自分のありったけの体温であー子を包み込む。あー子が気持ち良さそうに目を細めてくれたらいい。そしたらあたし、久々に、ほんの少しの幸せって言えそうなやつを味わうことができるから。
「あたしねえ、あー子とセックスしたいな」
「あたしもみー子とセックスしたい」
「しよっか」
「しよしよ!」
「いえーい」
「いえーい」
わはは、なんて簡単なんだろう。
「あたし、みー子を愛してる」
あたしはうんと答えようとして黙った。それがどういうことか分かんなかったから。

 あたしはあー子の体の隅々をべろべろ舐めながら色白いなあ、と思う。
「みー子女の子とするの初めて? あたしは初めて」
「ふーん」
いつもiPhoneに張り付いてる親指をがじがじ齧る。あ、ここだけ爪のびてる。
「みー子はさあ、いつもはどういうの好きなの?」
「どういうのって?」
「体位とか」
「うーん、何だろ、分かんない」
「兄ちゃんとしてる時ってどういうのが多い?」
「あたしが上乗るの」
「へえー、意外」
「意外もクソもある?」
「分かんないけどさ」
しばらくみー子は黙って耳を齧られている。人の皮膚が歯茎に気持ちいい。独特の弾力で、あたしはこれが好き。あー子はあんた歯がかゆい犬みたいだねえ、なんて言ってる。あんたも一度人を噛んでみろ。
 あたしがあー子の胸をむにむにしているとあー子はまた喋りだす。あたしの涎が潤滑油になってんのか、この子の口はさあ。
「兄ちゃんあんたにどんなことするの?」
「スリッパでぶつよ」
「えっ」
「枕で窒息死させようとしてくる」
「それって気持ちいいの?」
「どうでもいいの。されてる間はさ。どうでもいい方が気持ちいいんだ」
「みー子が自分を粗末にするのって近親相姦してることに罪悪感があるから?」
「何フロイトみたいなこと言ってんの。あたし、そういうのって嫌いなんだ。腐るほどそういう本読んだけどさ、読めば読むほどあたしをそうさせてくれた原因が憎らしくなってくるからさ」
「えっ、憎らしくなるように書かれてんじゃないの、ああいう本って」
「マジ?」
「マジマジ。きっとさあ、昔の人はあたし達に親殺しさせようと思ってあの本書いてんだよ」
「それマジかもねえ、だったら面白いし」
「きゃはきゃは」
あー、くだらねえ。
「ねえねえ、じゃあやってみてよ。あたしの首絞めてみて」
あたしはあー子の言葉にぎょっとしたことに気がついて、不思議な気分になった。ああ、あたしってぎょっとするんだなあ。色んなセックスしててもさ。あたしは目をきらきらさせてるあー子が無償に「愛おしく」なっちゃったりして、あー子の胸に顔を押し付けた。さっきあー子がやったみたいにね。
「できないよ」
あー子はあたしの珍しく真面目で優しい声に心底不思議そうな顔をした。
「どおして?」
「うーん」
「あんた誰にでもそういうことしそうなのにね」
「そうなんだけどねえ」
「どうしてあたしにはしてくれないの? あたしとこうしてるのが気持ちよくないとか? それともあたしが嫌いなの?」
嫌いにならないで、とあー子はまた泣きそうになる。ああ、そうじゃない。今この瞬間に、この子と一つになれたらいい。きょーれつにそう思うよ。物理的に一つになって、ぐちゃぐちゃになって、疲れ果てるまで喚きあいたい。あああたし男だったらよかったのに、そしたらごまかしでもあー子のこと悦ばせてあげられたのに。今ほどこう思ったことってないよ。
 あたしはとりあえずデタラメな文句パテにしてあたし達の隙き間埋める。
「だってあー子の肌ってふわふわしててきれいだからさ。傷つけたくないんだもん」
「えー、それを言ったらさ、みー子だって殴られたりぶたれたりしてるわりに肌きれいじゃん。だからあたしにしても大丈夫だよ」
「嫌」
「どうして?」
あたしはあー子をぎゅっと抱きしめた。そうするしかできなかった。
「みー子があたしの指先スーパーマンになってよ」きゃはきゃは。
まだ言ってるこいつ。バカだなあ。

 これを愛と呼ぶのかどうなのか。あたし、世の中にはびこるほとんどの概念ってやつが嫌いだけど、これは殊更嫌いなんだ。だって得体が知れないんだもの。あたしは感情ってやつも嫌い。この思考ってやつも嫌い。人ってやつが所詮考える繁殖菌なのならばさ、最初から虫みたいに脳みそがなければよかったんだ。子供作るための行為する度にありもしないことで悩むなんて時間の無駄すぎるよ。それが人間なんて我世界の王者みたいなことよく言えたもんだよ。動物達を下に見てるうちはあたしたち、地球に優しくなんてなれない。本来優しさはシステマチックなものなんだ。理屈なんていらないんだ。
 そうでしょ? 兄ちゃん。
「うわ、指先鬱血してるよ。今日はいい感じに動脈つかまえたかも」
手首に巻かれた紙紐がめちゃくちゃ食い込んで、動く度に痛いんだけど、それがまた興奮するんだなあ。兄ちゃんガンガン口の中で動かすからさあ、えずきそうになるんだけどここでゲロ吐いたらどんなに気持ちいいかしら。げほげほ咳き込むあたしを兄ちゃんは足で踏み付ける。死ね、死ね、シネって言う。
「兄ちゃん。殺して。今すぐ包丁持ってきてあたしを殺して」
「はいはい」
あたしは毛だらけの兄ちゃんの足首がしっと掴む。兄ちゃん白けた目でそれを見つめてる。兄ちゃんの瞳から放たれるレーザービームで粉々になりたいわ、あたし。
「兄ちゃん。あたしの皮ひんむいてこの心臓どうにかして。兄ちゃんが握り潰してくれたら、あたし、あたし」
あたしの喉がひいっと言った。あたしはバーガーソースみたいな汁滴らせながらズルズル泣いた。兄ちゃんはあたしの涙ぺろぺろ舐めながら、背中に爪を立てたので、あたしは少し嬉しくなった。兄ちゃんは今に包丁を持ってくる。兄ちゃんもほんとは死にたいんでしょ? 知ってるんだから。汗だくになって二人で死のうよ。それでさあ、あたしを、あたしだけのものにして。
 あたしは愛を軽蔑しながらも、摩耗してくのを防ぐために男に抱かれてる自分も嫌いなんだ。あたしは愛を忘れたいんだ。忘れたら、もう苦しまなくてすむもん。兄ちゃん、あー子、あたしは、あたしは、あたしのこの心臓は、いつか満たされる日がくるのかなあ。たくさんの人とセックスしたら、少し寂しくなくなる日がくるかなあ。誰かを愛しいと思う時がくるのかなあ。キスしたら少し楽になれるから、誰彼ひっつかまえてキスねだることも、それで長く続いた友情ぶち壊すことも、先生から不倫してくれとせがまれることもなくなるのかなあ。
 あたしの皮は涙と一緒にズルズル溶け落ちてゆく。
 兄ちゃんが思いも寄らぬ優しさであたしを抱きしめて「泣くな」と言うからあたしはますます泣けてきて、それからふっと「ばからしー」と思った。お願い兄ちゃん、早く包丁、とか言いながら、あたしはこのままずっと頭撫でられていたいと思った。兄ちゃん煙草吸いに行かないで。ずっとここにいて。でも兄ちゃん煙草吸いにきっとどっか行く。

世界にごめんなさい

世界にごめんなさい

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-02

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

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