小さな白い花

 宇宙の片隅に、小さな小さな星がありました。
 星には科学者とロボットが住んでいました。
 科学者は生き生きと輝く瞳と、賢い頭を持っていました。ロボットは彼女の作品であり、助手でした。チャームポイントは目の近くに取り付けられたランプです。彼には感情を司る装置がありました。装置はとても複雑な構造をしていました。どれくらい複雑かというと、頭のいい科学者でも設計図を見なければ作れないほどです。
 二人が住む星は土が貧しく、植物が育ちませんでした。そこで科学者は土を豊かにするために研究を始めました。二人は星を調査するために旅に出ました。

 荒野で野宿をすることになりました。科学者が言いました。
「さあ、寝よう」
ロボットが言いました。
「僕が見張っています。夜は危険です」
彼はランプをチカチカさせました。笑っているのです。科学者も笑いました。
「優しいんだね」
「心配なのです」
ロボットには感情がありました。
「夜が半分過ぎたら起こしてね」
「はい、お休みなさい」
科学者はテントに引っ込みました。
 ロボットは辺りを見回しました。危険な様子はありません。用意していたランタンに火を灯すと、そこらがぼうっと明るくなりました。夜は静かに更けてゆきました。ロボットは闇が濃くなってゆくのを見ていました。ずうっと。

「なぜ起こしてくれなかったんだい?」
朝です。科学者は怒っていました。
「忘れていたのです」
ロボットのランプが明るく点滅しました。無邪気な仕草に彼女は微笑みました。
「明日は起こしてよね。朝ご飯は私が……」
「もう作ってしまいました」
テーブルにはこんがり焼けたトーストが、湯気を立てて並んでいました。
「負けたよ」
「召しあがれ」
「頂きます」
サクリ。
「美味しい」
ロボットは笑いました。

 二人は歩いてゆきました。野原や沼地、時には崖も登りました。たくさん歩くとまた夜がきました。今度は平野にテントを張りました。
「夜が半分過ぎたら起こしてね」
科学者がそう言って眠ると、ロボットはいつものようにランタンを灯しました。彼はランタンの光が好きでした。しかし光を暖かいとは感じませんでした。ロボットには触覚がなかったからです。
 ロボットを作っている時、科学者は一刻も早く助手が欲しくて急いでいました。そんな中感情の装置を閃いてしまったから、さあ大変です。材料を買う暇はありません。彼女は触覚装置に使用するはずだった材料で、感情装置を作ることにしたのです。ですからロボットには触覚がありませんでした。

 気持ちのいい朝なのに科学者は怒っていました。
「どうして起こしてくれなかったんだい?」
「忘れていたのです」
「君はそんなにうっかりものだったかな?」
「本当ですよ」
ロボットが屈託なく笑うので、彼女は諦めました。一方ロボットは満足そうでした。
「全く……。ところで久々にサンドイッチが食べたくない?」
「とっても」
科学者は鞄から奇妙なものをいっぱい取り出し、個性的なサンドイッチを作りました。ロボットはぱくりと食べて、ランプをチカチカさせました。

 旅は続きました。ロボットは毎晩見張りをしました。科学者が起きるのはいつも朝でした。こんなことが続くので、ある夜科学者は切り出しました。
「こんなのは嫌」
「どうしてですか?」
「不公平だからだよ」
「僕は構いませんよ」
「私が嫌なんだ。危険なことも分かち合いたいんだよ」
ロボットのランプが青く光りました。反省したのです。
「分かりました。今日からあなたを起こします」
「有り難う。じゃあ、お休み」
「お休みなさい」
ロボットはお気に入りのランタンをお供に、夜空を眺めていました。夜はあっという間に過ぎ、彼は科学者を起こしに動き出しました。テントのほろをめくると、科学者が寝袋に包まり気持ち良さそうに眠っていました。ロボットは寝顔をしばらく見つめました。ランプが何度か点滅しましたが、彼は自分でそのことに気がつきませんでした。彼女の唇がむにゃむにゃと動いた時、彼は我に返りました。
「あのう。交代ですよ」
科学者は起きませんでした。ゆさゆさ揺するとようやく、
「……おや」
「ちゃんと起こしましたよ」
「よしよし。後はゆっくり休んでくれ」
「はい。あの。獣がやってきたら、起こしてください。追い払います」
「うん。お休み」
「お休みなさい」
こうして二人は見張りを分担するようになりました。ロボットは科学者を起こす時、寝顔を見つめるようになりました。

 出発点からずいぶん歩きました。研究は順調でした。しかしロボットは元気を無くしてゆきました。足取りが重くなり、溜め息が多くなりました。睡眠は十分なはずです。科学者は助手の変化に気がついていました。ですが、黙っていました。嫌な予感がしましたから。

 その予感は的中しました。ある日ロボットは突然立ち止まると、言ったのです。
「ボタンを押してください」
彼が指さしたのは感情装置を破壊するボタンでした。一度押したらそれきり、感情を失ってしまうのです。
「どうして?」
「苦しいのです」
「悩みがあるのなら聞くよ。研究のこと?」
「いいえ」
「夜の見張りのこと?」
「違います」
「私のこと?」
「…………」
「そうなんだね?」
彼女はロボットの手を掴みました。彼は青いランプを点しました。悲しんでいるのです。
「あなたは悪くありません」
「でも、私のことで悩んでいるんだろう? 君の気持ちが聞きたいんだ」
ロボットはうつむいていましたが、はっきりと首をふりました。
「言えません」
科学者はロボットの手を離しました。
「そっか。気が向いたら伝えてほしいんだ。怒らないから」
「ボタンを押してください。僕の腕では届きません」
「私、そんなに君を苦しめているの?」
「違います。あなたは悪くないのです。違います」
二人は佇んでいましたが、やがて重い空気の中ゆっくりと歩き出しました。
「リュックをかして」
「いえ、僕が」
「不公平なのは嫌なんだ」
「……はい」
木と土と空の他、何もありませんでした。風が冷たい場所でした。

 ロボットは毎日、ボタンを押すよう訴えるようになりました。理由を聞いても「言えません」を繰り返すばかりで、何も教えてはくれません。ロボットはランプをチカチカさせなくなりました。かわりに常に青いランプが点るようになりました。ですが彼は、夜に科学者の顔を見つめるのだけは、やめませんでした。

 二人は星を調査し終わり、研究所を目指して歩き出しました。折り返し地点は砂漠でした。砂が遠いどこかを目指そうと風に吹かれていました。
 ロボットは呟きました。
「ボタンを押してください」
科学者は理由を尋ねませんでした。答えが返ってこないのを知っていたからです。
 砂丘の隅に花が一輪咲いていました。小さくてすぐ枯れてしまいそうな、白い花でした。
「ボタンを押してください」
ロボットはもう一度言いました。青いランプを点して。科学者は振り返りました。
「そんなに苦しいの?」
助手はうつむきました。彼女の目を見ることができなかったのです。ですがついに、答えました。
「はい」
二人の間を風が走ってゆきました。一輪の白い花が見当たりません。風で運ばれてきた砂に、埋もれてしまったのです。
「……分かった」
ロボットの青いランプが消えました。科学者は唇を噛んでいました。
「もう一度聞くよ。ボタンを押したら君の感情は消えてしまうんだよ。嬉しさも、楽しさも、感じることができなくなるんだよ。それでもいいの?」
「はい」
科学者はためらいながら手を伸ばしました。ロボットのランプが久しぶりにチカチカと光りました。科学者はそれを見ていると、たまらなく切なくなりました。彼女はロボットの胸に付いている扉を開けました。そこにはボタンが一つありました。万が一の時にと彼女が取り付けたボタンでした。彼女は「なぜこんなものをつけたのだろう」と思いました。震える指が、ボタンを押しました。ロボットは一瞬静止しました。ランプのチカチカも、ぷっつり消えました。科学者は呼吸が荒くなっているのに、気がつかないふりをしました。
「行こう……」
ロボットは無機質な動きでついてきました。彼の心は、消えてしまいました。

 生活に変わりはありませんでした。夜の見張りも。朝のご飯も。しかしロボットはサンドイッチを食べて笑うことも、科学者の寝顔を見つめることもしなくなりました。ランタンが好きだったことも忘れてしまったようでした。
 彼はただ、付いてくるだけでした。返事をするだけでした。
 しかし慣れはやってくるものです。研究所につくころ科学者は、ただのロボットに慣れてきていました。二人は黙って研究の続きを開始しました。

 数年が経ったある日、ついに科学者は研究を完成させました。成果は大変なものでした。生き物が生まれ、泉が湧き、木々が生い茂るようになりました。彼女の研究所も木漏れ日に覆われました。小鳥の鳴き声もたえません。
 科学者が研究室でお茶を飲んでいると、ロボットがお盆を持ってやってきました。
「お代わりを持ってきてくれたんだね。ありがとう。君見てよ、この森を。数年前と比べたら信じられない光景だね」
「ええ」
「旅を覚えている? 君が夜の見張りをさせてくれないから、私よく怒ったね。でも本当は嬉しかったんだ。君が私を守ろうとしてくれているのが分かったから。そうそう、ランタンの光も好きだった。夜空を見上げているとふと寂しくなるんだよね。でもあの光を見ていると安心してさ……」
科学者は紅茶を見つめていましたが、はっと顔をあげると言いました。
「私何を言っているんだろう。研究が終わって気が抜けているのかな。カップ片付けてきてくれる?」
ロボットは立ったままでした。科学者は不思議に思いました。ここ数年で初めて、ロボットが言いつけに背いたからです。
「ランタン」
ロボットは呟きました。
「今、何て?」
「ランタン」
科学者は目を丸くしました。ここ数年、ロボットが自分から話し出すことはありませんでしたから。彼は堰が切れたように話し出しました。
「僕もあの光が好きでした。あれを見ているとほっとしたのです。あなたと同じで。あの頃は毎日が楽しかったです。感情がありましたから」
「そうだったね」
ロボットは黙りました。思い出しているのです。
「どこにいても、あなたが立っているだけで幸せでした。料理は好きではありませんでしたが、あなたは美味しいと笑ってくれました。夜の見張りはよく覚えています。あなたの顔を眺めていられるからです」
「…………」
「あなたはなかなか起きません。僕はこんなに気持ちよさそうに眠っている人を起こすのは可哀想だと思います。しかし不公平なのは嫌だとあなたは言います。だから僕はあなたの眠りを遮るのを我慢して、起こしに向かうのです。声をかけても起きませんから、体を揺すります。しかし触れても感触はありません。当然のことなのにいつからか、それが苦しくてたまらなくなってしまったのです」
「触覚がないことに?」
「いいえ。あなたに触れられないことがです」
科学者は彼が何を言いたいのか気がついていました。ずっと前から。気がつかないふりをしていたのです。
「僕はあなたが好きだったのです」
木漏れ日が揺れていました。
「あなたは僕を必要としてくれました。僕は応じることができました。それでいいはずだったのです。ですが見張りをしてからというもの、僕はあなたに触れたいと思ってしまった」
「それなら触覚をつけるように言ってくれればよかったのに」
「僕はロボットです。人間ではない。あなたは人間の男性に愛されるべきなのです。あなたに触れることができる人間に。そして二人で新しい命を育んでゆくのです」
科学者はぽろぽろと涙をこぼしました。砂漠に咲いていた小さな白い花。大地は儚い命を生み、殺しました。ロボットの命を生み、そして殺したのは科学者でした。
「私も君が好きだった。だけど怖かったんだ。誰かを愛するのは初めてだった。あの気持ちをどうすればいいのか分からなかった」
科学者はおもむろに、椅子を蹴って立ち上がりました。
「どうしました」
「設計図だよ。感情装置をもう一度造り直すんだ」
「それはできません」
「え?」
「僕が燃やしてしまったからです」
科学者はゆっくりと振り返りました。そこに佇む黒い影は無慈悲に言いました。
「あなたに幸せになってほしかったのです」
科学者はぺたんと膝をつきました。ロボットは彼女を見下ろしました。
「しかし僕はもう、何も分からないのです。喜しさも、苦しさも。あなたが好きだという気持ちも、何も」
「君だけが苦しむのは嫌なんだよ……」
「……変わってないですね」
科学者はロボットを見上げました。彼が笑ったような気がしたからです。しかしそこには冷たいロボットがいるだけでした。ロボットは科学者に手を差し伸べることもなく、「茶碗を片付けてきます」と告げると、隣の部屋に消えてゆきました。

 夜の砂漠でした。地平線の向こうに森が見えました。あの頃とは違うのです。砂の間に小さな白い花が咲いていました。そっと寄り添いながら、二輪。風が泣きながらやってきて砂丘を崩したので、花は埋もれてしまいました。
 研究室では電気も点さずに科学者が座りこんでいました。彼女は涙がかれた目をこすると、拳をかたく握りました。
「設計図がないのなら、一から作ればいい。簡単なことじゃないけれど、私はやるぞ。やってやるんだ」
科学者は机に向かい、もの凄い勢いで図面を引きはじめました。
 やがて朝が来ます。新しい風が吹いたら、白い花は再び顔を出すでしょう。何度埋もれても。だって、小さくたって砂漠を生き抜いてきた、強い命なんですもの。

小さな白い花

小さな白い花

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-02

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