――so, I began to think about the "Death".
文学フリマにも掲載する作品です。 上の画像はWikipedia「ヒナギク」から拝借しました。
ナズナが死んだ。
春咲ナズナは都内の大学に籍を置く女子大学生で、大学生になって間もない六月、僕がナズナと最初に出会ったのもキャンパス内にある広場だった。
咲いている紫陽花の花たちにまるで挨拶をするかのように、ひとつひとつ覗き込みながら無邪気に微笑む、ナズナの整った顔立ちと大人びたスタイルは、男子に限らず女子も振り返ってしまうほど美しくて、広場で食事をとっていた僕もナズナという花に魅了された虫の一匹であった。それこそ彼女のセミロングの黒髪から、白をベースとした服装、ふとした仕草まで、ありとあらゆるものが記憶に焼きついてしまうぐらい、ナズナは魅力的な異性だった。
けれども最初に言葉を交わしたのはそれからしばらく経った後のことで、その時のことを思い返してみると、民法の講義中にナズナの方から話しかけてきたのが、僕らの関係の始まりだった。他愛のない会話から始まったナズナとの関係は、種が芽吹いて葉を伸ばすように少しずつ育まれてゆき、いつしか僕らは互いに惹かれ合い、そして恋人になった。
ナズナが通り魔に襲われたと思われる時間帯、僕は来月に差し迫った彼女の誕生日に渡すプレゼントを探すため銀座へと赴いていた。つき合い始めてからあと数ヶ月で一年が経とうとし、大学二年生になったこともあって、少しだけ凝ったプレゼントにしようと決めていたのだ。
指輪にしようか、ネックレスの方が似合うのではないか、それとも別のものの方がいいのだろうかと考えていたその時、皮肉にもプレゼントを渡すはずのナズナはスプリー犯によって、十九歳という短い生涯を閉じた。程なくして近くに住む三十代無職の男が逮捕され、犯行や手口そして使用した凶器などから、世間で騒がれていた都内連続殺傷事件の全容が明るみとなった。
犯行は老若男女問わず無差別に行われたが、八人の被害者のうちナズナだけが帰らぬ者となった。その男は「自殺したいがために凶行に及んだ」、「生きるのが嫌になったので、死刑になりたい」、「自殺はどんな方法であれ、自分の身体に痛みを加える。そんな勇気がなかったので殺人をした」と供述して、ニュースを見る人達を驚愕させた。また、警察のずさんな対応が浮き彫りとなり、批判を投げかけるコメンテーターや特番が連日のように放映され、ナズナという人間の死は多くの人の関心を集めた。そうして世間は十九歳でこの世を去った少女に同情を示していたが、次の週には上野にある動物園のパンダの赤ちゃんが死亡したというニュースの方へ関心が移っていった。
僕にとっては、何から何までもが理不尽な出来事で、実感がなかった。どれも現実味がないことばかりで、ナズナの死に悲しむことも通り魔を憎むこともできなかったし、葬儀の時でさえ、棺の中からナズナが何事もなかったかのように出てくるのではないかと、色とりどりの花たちが供えられている壇上の棺桶をずっと見つめていた。
棺の小窓が開かれて、僕は久しぶりにナズナと対面した。ナズナはたくさんの花に囲まれていて、安らかに眠っているだけのようだった。
ナズナは本当に花が好きで、自宅の近くにある花屋でバイトをしたり、デート先に植物園やフラワーパークを提案したりするほど夢中で、それこそ僕自身花たちに対して嫉妬を抱いてしまうほど彼女は心から彼らを愛していたし、一緒にいる時もよく花の話を聞かせてくれた。「花に囲まれていたい」といつの日か語っていたナズナの願いは、こうして死者への手向けという形で残酷にも叶えられてしまった。
思い返せば、ナズナの葬儀は僕の人生で初めての法事であった。
両親は僕が保育所に入って間もない頃に事故でこの世を去っていたし、いくら両親の死とはいえど、四歳に満たなかった当時の僕はその現場に居合わせたという特別な事情もなく、葬儀の時の記憶はおろか、彼らに抱きしめられた記憶すらも定かではなかった。何を思いながら彼らを見送ったのかも、もう覚えていない。
そうして僕は、写真で見る二人が実の親という確かな実感すらあやふやのまま物心がついて、いつの間にか十九歳になってしまった。家族のものであれ、親戚や友達のものであれ、とにかく僕は実質的に葬儀に立ち会ったことはなかったし、恋人の法事に立ち会うなんてことは一瞬たりとも、考えたことさえなかった。だからナズナの亡骸を目にしても未だに信じられなくて、飾られた遺影の中で微笑む彼女と、棺の中で静かに眠っている彼女が、同じ人物だとは思えなかった。
時折、参列者やナズナの両親が静かに涙を流していたが、僕には彼らがなぜ泣いているのかわからなかった。それは僕の周りで起きていながら、現実から酷く乖離された光景でしかなく、どうして彼らは黒い服装を着てここに集まりナズナの写真や棺の中を見て涙を流しているのか、なぜ僕は彼らと同じ服装をしてここにいるのだろうかと、果てしなく遠い場所から思い眺めていた。ナズナが死んだことが事実であっても、それが一体どういうことなのか理解できずにいて、僕はただ一人虚空の中に佇んでいるような感覚の中に、自分がどこにいるのか見失った。
時間だけが刻々と過ぎていき、気がつけば葬儀は終わっていた。
ナズナの父親に殴られたのは、葬儀が終わって参列者が退出をし始めている時だった。
あまりにも突然の出来事に、最初誰に何をされたのかわからなかった。朦朧とする視界の中、近くにいた人達に取り囲まれるナズナの父親を見て、言うまでもなく僕は驚いた。ナズナの家に訪れた時も、僕がナズナの彼氏だと知った時も、彼女の父親は愛想よく微笑んでいたし、母親と共にまるで僕も家族のひとりであるかのように振る舞ってくれた。
ナズナの父親は目を真っ赤にさせ、涙を流しながらこちらを睨み付け、そして叫び声を上げながら僕を殴りかかろうとして、周りの大人たちに取り囲まれながら床に崩れていった。
「ナズナが死んだんだぞ。ナズナが死んで悲しくないのか。彼氏のお前がどうして涙ひとつ見せないんだ」
取り囲む大人たちの声や入り乱れる音を切り裂くように、父親は嗚咽を吐き散らしながらそう叫んだ。
何の罪もない一人娘を、犯人の一方的で理不尽な行為によって失ってしまった彼を責め立てようとする者は誰もいなかった。取り乱して突発的な行動をしてしまったのだと、声を上げながら泣き崩れる父親とその傍に寄り添って同じように涙を流しながらそっと抱きしめるナズナの母親を見て、参列者たちは静かに同情を示した。そして再び目を潤ませる参列者たちは、その場に尻餅をついたまま、涙ではなく口元から血を流している僕を一瞥し、不快なものを見るように表情を歪める。まるで僕がナズナを殺した犯人とでも言うかのように、彼らは視線と沈黙によって僕を磔にした。
恋人が殺されたのだ。ナズナは死んだのだ。理不尽な現実に怒りや憎しみを抱かないわけじゃない。ナズナの死が悲しくないわけでも、ましてや嬉しいわけでも決してない。
でも、僕にはわからなかった。人が死ぬってことが、大切な人を失くしてしまうということが、どういうことなのかわからなかったのだ。
僕にとって、「死」というものは生の対義語でしかなかった。それは、どんな生命であれ必ず訪れるものであり、そして、人は誰しもいつか死ぬという、そんな常識的な事実しか知らなかった。それだけだった。
思い返してみると、僕は今まで、死というものが何なのか、それがどういったもので、どのようなものなのかを考えたことはなかった。決して死とは無縁の人生を送ってきたというわけではないが、生きる中で死を実感することもなく、そうして死というものがわからないまま、いつの間にかこの世に生を受けて二十年が経とうとしていた。
夏が始まる前に僕は二十歳になる。二十歳というものは特別なものではない。日々の生活の繰り返しの中で気がつけばいずれやってくるものであり、この国ではその時間の経過によって誰もが法的に大人と看做されるに過ぎない。言ってしまえば、十九歳との差なんてものはそれだけしかないのだ。
けれども、僕はそう思う一方で、二十歳という区切りにはひとつの線引きがなされているような気がしてならなかった。
成人になるまでの人生の中で学ぶべきこと、二十歳になる前にしか学べないことがあるのではないだろうか。大人でないからこそ、大人になる前に学び、時に悩み感じて育まなければならないことがあるのではないだろうか。
そう考えた時、僕の頭を過ぎったのは、やはり「死」についてだった。死というものが何なのか、なんの答えを持つこともないまま、このまま成年になって良いのだろうかという疑問が目の前に立ちはだかった。
僕はその問いの答えを見出さなかったとしても、来るべき期間が過ぎれば法律的にも社会的にも成年とみなされ、大人として扱われる。けれど、その二十歳という一定のラインに達してしまったら、その答えにもう一生辿り着くことができないように思えたのだ。
「死」というものについて、僕は知りたかった。答えを見つけなければ、僕は自分を見失ってしまう気がした。
これはきっと、それまでの人生で死を学ぶことのなかった自分に課せられた使命であり、義務なのだろう。成人になる前に果たさなければいけないことなのだ。
僕は知らなければならない。
学ばなければならない。
死というものについて、自分の答えを出さなければならない。
あるいは納得、あるいは核心、あるいは真理へと辿り着かなければいけないのだ。
そう――だから、僕は「死」について考えるようになった。
*
目が覚めるとまだ夜が明けていないのか、カーテン越しの外から光はなく、部屋の中は真っ暗だった。
湿気と静寂が纏わりつく梅雨の季節の夜は嫌な夢そのもので、夜中に目覚めてしまった僕は重たい上半身をベッドから起こした。湿度は高いものの、喉はカラカラと乾いており、身体が水分を欲していた。脂汗を拭いながら、壁に掛かっている時計を確認すると、ちょうど深夜二時に差し掛かっていた。丑三つ刻である。
すぐ隣には、三歳年下の妹が健やかな寝息を立てていた。夏が近いとはいえ、夜は未だ身に堪える。シーツをそっとかけて、静かにベッドから出た。
ぼんやりとした視界と眠気に揺られながら、僕は寝部屋の引き戸を開け、通じる居間を抜けて、左奥にある決して広くない台所へと向かおうとした。けれども、引き戸を開けたところで、不意に視線を感じた僕は立ち止まり、正面に位置するガラス戸の外に目を凝らした。
ガラス戸の外から差し込む月の薄明かりの中に、黒い影のような物体がいるのを視界に捉える。眠気はどこかへ消えていた。立ち止まってしばらくの間、その黒い物体を見つめるが、物体は動かないままだった。
恐る恐る近づくと、ようやくその正体がわかった。一羽のカラスだった。
カラスは外にあるベランダの手すりにとまっていた。昼間にゴミ捨て場や駅前のロータリーで活発的に活動する彼らの姿をよく見かけるが、夜に、しかもこうして静かにとまっているのを見るのは、初めてだった。彼らだって生物なのだから寝ないわけがない。そう頭の中で理解していたものの、なぜかその光景が異様なものに思えた。
カラスは丸く黒い目を僕の方へと向けている。鳥は寝ている時も目を閉じないのだろうか。月の光を反射しているその目はどこまでも深く、奈落のような深淵を覗いているようだった。ずっと見ていると後戻りが効かなくなってしまうような気がして、僕は視線を逸らした。
驚愕と緊張の後に残ったのは、得体の知れない気味の悪さだった。吹き出る汗を拭いながら、僕はカラスを無視して台所へと向かう。何もしてこないカラスをわざわざ追い払う必要はなかったし、寝ている最中に起きるほど気分を害することはないのはカラスも同じだろうと思ったからだった。
食器棚からコップを取り出し、蛇口をひねった。水を一杯だけ口にする。美味しいとまでは言えない水道水だったが、乾きとどんよりとした気持ちを振り払うのには十分だった。
ふと台所脇の壁に掛けられているカレンダーが視界に入る。日付を確認して気がついた。今日は、ナズナの四十九日だ。
実感はなくとも、時間の経過は、僕に事実を思い知らせる。十九歳でいられるのも、あと一ヶ月しかない。二十歳になるまでの残りの日数を踏まえると、「死」を知るのには、とてもではないが時間が足りない気がして不安だった。
焦りを自覚する内に意識が覚醒していく。今そのことに改めて思い当たっても、重い身体が睡眠を欲していることには抗えないというのに、夢揺蕩う場所から僕を追放しようとする。どうやら水を飲み過ぎたらしい。
目が覚めたところで、身体の疲労がなくなるわけではなかった。重い身体は疲れが溜まっているままで、ため息はしている最中に欠伸に変わってしまう。早起きをするには早過ぎる時間だったので、洗ったコップを食器籠に立てた後、おとなしく寝部屋に戻ることにした。
先程のカラスが頭の中を過ぎったのは、ちょうど引き戸に手をかけた時だった。僕はそのまま立ち止まる。カラスはまだそこにいるのだろうかと、ふとそんな疑問に駆られ、もういないのではと思いながらも、あの伽藍堂のような視線が背中越しに僕を誘っているような気がして、後ろが気になった。
振り返ってはいけないという、そんな根拠のない臆病風に身をかられながらも、あのカラスの底知れぬ深淵のような黒い眼を頭から拭うことはできず、僕は理由もわからないまま後ろを振り返った。振り返って、そして我が目を疑った。
そこにいたのはカラスではなく、黒い和服を着た一人の少女だった。
黒染めの着物に身を包む少女は、月の淡い光に照らされながら、艶やかな黒色の長髪をより黒く際立たせていた。小柄な身体と整った顔立ちには幼さが残っていて、ひと欠片の雪のような儚さを彷彿とさせるものの、目立った表情が無いせいか、こちらを見つめる二つの黒い瞳はどこまでも澄み切っていて、精巧な日本人形を連想させた。露出している肌は宛ら雪のように白く、妖しくも美しかった。
少女はベランダの手すりに座って、こちらをずっと見ている。表情は依然として変わらず、何か目的があってそうしているようにも、はたまた退屈そうにしているようにも見えなかった。まるで初めからその場所にいたかのように動かず、時折瞬きをしながらも真っ直ぐとした視線を向けていた。
僕はゆっくりと近づく。少女が只者でないことはわかっていた。この部屋は五階だったし、真夜中に和服姿でベランダに座っている少女が、少なくとも人間ではないことは容易に想像がついていた。けれども不思議なことに、少女が恐ろしい存在だとは思わなかった。
ベランダのドアを開けて、網戸を引く。冷たい風が部屋の中に入り込んだ。少女は僕を見つめる。それは吸い込まれそうなほど、透き通った瞳だった。
「君は」
問いは問いにならず、言葉は湿り気を帯びた空気の中へ溶け込んでいく。それは僕の意識が少女へ向けられていったのと同じだった。
「私のことが見えるの?」
その声は、水面に落ちた雫が作る波紋のように澄み渡る。写し出された月が揺らぐように、僕の感覚は微睡んでゆく。
「君は一体、何者なんだ?」
「わからない」
表情は依然として変わらない。だから少女が何を思っているのかを伺うことはできなかった。まるで暗闇を見つめているようだった。
恐る恐る、手を伸ばす。少女がそこに存在しているのを確かめようとして、手で触れようとした。そうすればわかるような気がしたのだ。
「触れては駄目」
声が響く。静かな波紋が広がったその瞬間、強い風が吹きつけ、思わず目をつむってしまった。
「触れてはいけないわ」
風が通り過ぎる刹那、耳元で少女の囁き声が聞こえた気がした。聞き逃してしまいそうなほど一瞬のことで、幻聴のようにも思えるほど朧げなものだった。
目を開けると、そこにはもう少女の姿はなかった。
嫌になるほど静かな夜で、月の光は雲間に隠れてしまっていた。
*
朝食をとっていると、ハナミズキが心配そうな表情をしながら、僕を見つめていた。
ナズナと一緒にいた時も度々気になっていたのだが、どういうわけか女性は男が思っている以上に洞察力が鋭いらしい。些細なことでも感づくことができるのか、僕はその度に、名探偵に全てを暴かれた犯人のような心境に苛まれる。別に何か後ろめたいことがあるわけでもないのに、どうも見透かされてしまう。それがもどかしくもあり、心地よくもあるから、僕はいつも反応に困ってしまう。
「どうしたそんな顔して?」
「ヒナギクこそ、浮かない顔してるけどなんかあったの?」
「変な夢を見た」
「夢?」
ハナミズキは箸を止めて、首を傾げた。拍子抜けしているようだったので、僕は話を続けた。
「そうそう。ちょうどこの部屋が夢に出てきて、そこのベランダの所に日本人形みたいな黒い和服姿の少女が座ってたんだ」
味噌汁を飲もうとしていたハナミズキを余所に、その右後ろに位置するガラス戸を指さしながらざっくりとした内容を説明した。すると、変なところに入ってしまったのか、ハナミズキは咽りながら、「突然、怖い話するのはやめてよ」と文句を言う。
ハナミズキが、オカルト系の話が苦手であることは小さい頃から知っているけど、別に悪気があって言ったわけではない。事実をただ簡潔に述べただけだった。それに、僕はあの少女が恐ろしい存在には見えなかったのだから怖い話をしたつもりはない。
「結局、彼女の正体は何だったんだろうって気になってね」
「何ってそれ、幽霊でしょ」
「ちゃんと足があったし、恐ろしいとは思わなかったよ。それに幽霊にしては華奢な少女だったし、あっ、肌は雪のように白かったよ、そういえば」
「うわー。私と一緒に食事しながら夢の中の女の子のこと考えてたんだ、ヒナギクは。サイテー。ロリコン」
「間違ってはないけど、問題のある言い方だな。あと俺はロリコンじゃないし、むしろ年上好きだ」
「でも考えていたのは事実でしょ?」
「む。そう言われると何も言い返せない。悪かったよ」
「わかればよろしい」
満足げにハナミズキは微笑む。これまたどういうわけか、男は女性が思っている以上に、彼女らが何を考えているのかを理解するのは難しい。向こうはこちらを見透かしているのに、こちらは一向に見当もつかないといったことが多々ある。けれど、こうして無邪気な笑顔を見ていると、不思議なことに大抵のことは許容できてしまうのだから、男は女には敵わないなと僕は思う。
幸せそうにご飯を食べているハナミズキを見ていると、嘘をついていることが申し訳なく思えてきてしまった。僕は一つだけハナミズキに謝らなければならない。それは、夢が夢でなく、事実であるということだった。
「でも、なんでヒナギクはその子のことが気になるの?」
「どうしてだろう。うまく説明できないけど、何か惹きつけられるものがあったんだ」
「黒い和服の少女に? 容姿がよかったとかそういうの?」
「いいや。彼女が纏っている雰囲気とか、存在そのものに惹かれていた気がする。まるで魅せられていたみたいに不思議な感覚だった」
僕がそう語ると、ハナミズキは眉を顰めた。引いているのではなく、何か恐ろしいものを垣間見たかのような怪訝な眼差しを、テーブルに並べられたお菜たちに向けている。右手を握り拳にして、親指を唇に当てているのは、考え事をしている時の癖だ。
表情が曇りつつあるハナミズキを他所に、僕は朝の食事中には不適切な話題だったかと内心反省しながら、妹の動向を探っていた。
「それってもしかして……」
声は段々小さくなり、続きは途切れてしまった。そうして僕とハナミズキの間に静かな沈黙が訪れ始めた頃、「やっぱり、この話はやめよう」といつもの他愛無い笑顔で切り返される。はぐらかされてしまった。
ちょうど部屋を出るために準備をし始めなければならない時間になってしまったこともあり、結局、その続きが直接声に出されることはなかった。けれど、それはハナミズキなりの優しさであることはすぐにわかった。たった一人の家族なのだから、女心に疎い僕でもそれだけは理解できる。
朝食の片づけを済ませ、高校の制服に身を包んだハナミズキと一緒に部屋を出た。
ハナミズキは僕の三歳年下の妹で、現在高校二年生。黒髪ショートヘアがよく似合う活発的な女の子で、テニス部に所属しており、最近夏場も近づいてか肌の色を気にしている。もともと色白なくらいなので、健康的な小麦色の方がいいのではと思うのだが、本人はそうではないらしい。まぁ、そのへんの事情は男の僕がとやかく口出すことではないだろう。
ハナミズキが通う高校は、僕らが住んでいる学生マンションから歩いて十五分程の距離にあり、以前は僕もその近くにある大学へ向かうため、途中まで一緒に歩いたりもしたが、今では遠い昔のことのように感じる。
「今日はどこ行くの?」
ハナミズキにそう聞かれて、正直気まずかった。本来ならば僕は大学に行き、講義に出なければいけない身分なのである。けれど、ナズナが死んだ日からもう一ヶ月以上大学には足を運んでいない。友人達から安否確認の連絡が来ているものの、僕には大学で行われている講義以上にやらなくてはならないことがあったので、正直今はそっとしてほしいというのが本音であった。一方で、いくら「死」を考察するためとは言っても、サボっていることの自覚と現状に対する罪悪感は持ち合わせていた。
ハナミズキは、僕が大学に行かなくなってしまったことを責めることもなく、いつも通り接してくれた。本心でどう思っているのかまでは僕にもわからなかったが、心配をかけさせていることだけは自覚があった。
「神保町。そこで目ぼしい本が見つからなかったら、そのまま国立図書館に行くつもり」
「それ、最初から図書館行った方がよくない? 大学にも図書館あるでしょ? そこのじゃダメなの?」
「大学のは法律関連のものばっかりで、探しているのはほとんど置いてないんだ。それに、歩きながら考えた方が、物事が綺麗に纏まる。これ、知っておくと便利だぞ」
「まぁ、ずっと部屋に引き篭っているよりはマシだけどね。せっかくいい天気だし」
最近は梅雨入りしてからというもの、天気がよくないことが多い。晴れている日は束の間の平和と言っていいだろう。それに僕は雨が好きではない。
階段を下りて、学生マンションの自動ドアを潜り出ると、大家さんの桔梗乙女さんが玄関口の掃き掃除をしていた。トメさんは僕たちの母方の伯母にあたる人で、両親を事故でなくした僕らの身の回りの整理や、不自由がないように生活の手助けをしてくれた恩人でもある。
トメさんは二十年程前に東京で不動産を営んでいた男性と結婚して上京し、今では下町でひっそりと学生マンションを個人経営している。旦那さんは結婚当時大手の不動産企業に勤めていたそうだが、バブル崩壊を機に失業という時代の波に翻弄されながらも、保有していた不動産による賃借経営で最低限の生活ができるほどまでに立て直したとのことだった。
僕らの両親が事故で亡くなったという訃報が入ったのは、ようやく生活が軌道に乗りつつある、そんな時だったらしい。親族の間では、僕と妹が別々に引き取られるという話が挙げられたそうなのだが、トメさんと旦那さんはそれに反対だったと聞いている。兄妹を離れ離れにして育てるのは彼らのためにならないと言い、社会の逆風の中で子供をもうける余裕もなかったのにもかかわらず、僕らを引き取ると決断したそうだ。そうして僕と妹は、トメさんと旦那さんが経営している学生マンションに一緒に住むことになった。
トメさんと旦那さんは本当の家族のように僕らに愛情を注いで育ててくれた。とりわけ旦那さんは、高校時代に野球でこそこそ名のあるピッチャーを勤めていたらしく、僕に野球というものを教えてくれた。僕はあまり素質に恵まれていなかったが、それでも毎日暗くなるまで空き地でキャッチボールをしたことは、今でも良い思い出として残っている。他の大人達よりも一回り大きくて、見た目はちょっと恐いのに、子供みたいな笑顔を見せる旦那さんは僕の憧れでもあった。
旦那さんがいなくなってからは、トメさんが女一筋で育ててくれた。
いつ旦那さんがいなくなったのかは僕にはわからない。そんな前触れもなかったし、ふと気がついた時には、霧が晴れてしまったかのように、彼はいなくなっていたのだ。トメさんに聞いても納得のいく答えは帰ってこなかったので、いつしかそのことを尋ねるのはやめた。大人の事情を理解できるほどの人生経験がないことは自覚していたし、仮に真相を知ったところで旦那さんが帰ってくるとも思えなかったのだ。それにトメさんの困った顔の中に隠れた、悲痛な表情を垣間見る内に、答えを求める疑問はどこかへと消えてしまった。
そんなことがありながらも、トメさんは僕たちを一生懸命育ててくれた。季節の行事は毎回執り行ったり、夏と冬にはキャンプや温泉巡りをしたりなど、生活面では充実した日々を送らせてくれた。躾や教育もちゃんとこなし、叱る時はちゃんと叱り、褒める時には存分に褒めるというスタンスで、トメさんは厳しくもあり優しくもある母親のような存在であった。トメさんの教育は独特で、まだ物心がついて間もない僕やまだ幼かった妹に、僕らの本当の母と父が亡くなったこと、そして伯母方である自分たちが保護者として二人を育てていること、実の子のように愛していることをしっかりと伝えながら、僕らを育ててくれた。その上で、トメさんは僕らに母のことを話してくれた。
トメさんは伯母といっても、僕らの母とは歳が十年以上離れていたようで、他の兄弟姉妹の中でもとくに末妹である母を、妹でありながら自分の娘のように可愛がっていたと、よく僕らに思い出話をしてくれた。赤ん坊の時なかなか泣き止まなくて苦労したことや、母が小さい頃よく男の子の友達と一緒に野を駆け回り手足に絆創膏をつけていたということ、学生の時に恋の相談にのって一夜を明かしたこと、そして母が父と出会った時のことを、まるで昨日の出来事のように僕と妹に語ってくれた。両親との記憶が定かでない僕らにとって、トメさんは両親と僕らを繋ぐ唯一の架け橋だった。
妹が中学生になってからは学生マンションの一室を提供してくれて、そこで僕と妹とで共同生活をすることになった。僕と妹は関係もそれなりに良好だったし、「やれることは自分でやる」というスタンスのトメさんにしても、自立を促すために家事全般は今のうちからやっておいた方がいいとのことだった。とは言ってもトメさんはなかなかの心配症なのか、月の生活費を渡すのとは別に、結構頻繁に出入りしては掃除や食材を持ってきてくれたし、妹と喧嘩した時はどちらかが出て行ってはトメさんのところに潜り込んだりもした。熱を出した時にも、トメさんの部屋でつきっきりの看病をしてもらったので、自立半分といった感じの名目的な共同生活だったと言えなくもないだろう。
この共同生活も今や六年目になる。そして僕らが今、何不自由なく大学や高校に通えるのもトメさんのおかげだった。僕らにとってトメさんは、家族であるのと同時に、感謝してもしきれない程の恩人なのである。
「トメさん、おはようございます!」
「おはようミズキちゃん。ヒナギくん」
「おはようございます、トメさん」
挨拶を交わすと、トメさんは「行ってらっしゃい」と僕たちを見送った。朝日に照らされて、髪の生え際の白さと頬の皺の彫りが強調される。今や背は僕の方が高くなってしまったが、それでも「行ってきます」という一連のやり取りは今も昔も変わらなかった。
僕にとっては何気ない日常のひとつであったが、ハナミズキは何か思うところがあったのか、笑顔の中に若干の怪訝さが混じっているようだった。駅に向かう途中、「トメさん、最近元気ないよね」とハナミズキが話題を振ってきて、そこで僕はようやく「そうかもしれない」と気がついた。
「何かあったのかな」
心当たりがないか考えてみるものの、それらしき断片を掴み取ることはできなかった。原因が定かでない以上解決することはできそうになかったが、それでも、僕らにできることはいくつかあった。
「最近、一緒にご飯食べていなかったしな。話ついでに、手伝いも兼ねてお呼ばれするか」
「あっ、んじゃー、学校帰りにスーパーで買い物してくるね」
「了解。今日は早めに切り上げるよ」
「そう言っていつも遅くまで帰ってこないでしょ、ヒナギクは。まっ、いいけどね」
ハナミズキと話しながらしばらく歩いていると、飯田橋の駅に着いた。平日の朝の東京は人が溢れ、駅前には老若男女が絶えず入り乱れている。そんな見慣れた風景の中に、道脇のゴミ箱から溢れ出た残骸を啄む、何羽かのカラスを見つけた。
「んじゃ、またね。今日は早く帰ってきてよ」
「はいよ。行ってらっしゃい」
「行ってきまぁーす」
ハナミズキが通う高校は駅からさほど遠くないビル街の中にあるので、ここでお別れだ。僕がハナミズキを見送るのは、彼女が高校へ通い始めてからの日課でもあったが、ここ最近は部屋から出ない日もあったし、起きる時間にもばらつきがあったので、久しぶりに立ち会ったことになる。そのためだろうか、ハナミズキはどこか嬉しそうな表情をしていた。
見送りの後、僕は駅東口から伸びる道路をまっすぐ進んだところにある九段下駅を左に曲がり神保町へと向かおうとしたが、道脇でゴミを漁るカラスたちに視線を奪われ立ち止まった。
機敏で、狡猾で、そして活発的な彼らを見ていると、昨晩見たあれはカラスの姿をした別の何かだったのかもしれないとさえ思える。それにどことなく、あのカラスと少女は格好や身に纏う気配が類似していたし、ひょっとしたら一つの同じ存在なのかもしれない。
しかしそう考えたところで、人間でなくカラスでもないその存在が一体何なのかという疑問を拭い切ることはできなかった。
ふと、僕は朝のハナミズキとのやりとりを思い返す。言葉として発声はされなかったものの、「それってもしかして」の後に動く唇を、僕は見逃さなかった。
「死神……か」
つぶやきは瞬く間に、吹きつける風の中に埋もれる。カラスたちが一斉に飛び立ってコンクリートジャングルの中へと消えていった。
どうやら今日は風が強いらしい。風は雲を運び、雲は太陽を隠してしまう。それでも、雨よりは十分だった。
*
「死」とは何か?
その問いは、おそらく人類が始まって以来、問われ続けている疑問の一つと言える。
死が、命や生命がなくなること、あるいは生命が存在しない状態を指すとしても、何をもって人間の死とするのか。その判定や定義は文化、時代、分野などにより多岐多様に分かれている。ひとえに死といっても、医学、生物学、哲学、宗教、法律学、心理学など種々の角度から捉えられており、学問が変わればその見方も根本的に異なっていると言えるだろう。そういう意味では、「死」は演繹的だ。
僕が知りたい「死」というものは、死という抽象的概念の中から分離した、幾つものジャンルやカテゴリーにわかれている中の、ひとつ特定の視点に立った上における、死ではない。
確かに僕はナズナの死がきっかけで、人が死ぬということ、大切な人を失くしてしまうということがわからないことに気がつき、故に「死」というものに対しての問いを抱いた。しかし、「死」を考察する上で、あるひとつ特定の分野に基づき、死とは何かという答えを追求することが、果たして僕自身が知りたいと望んでいる真理を、導くことに繋がるのだろうか。
思うに、死というものは、命や生命がなくなるといった一般的・普遍的な前提から、時代や文化、分野や学問によって、より個別的・特殊的な結論を数多に導き出している抽象的概念であり、それ故に、ある視点から死を考察したとしても、それは死という概念のほんの一部にしか過ぎず、「死」とは何かという命題に対する答えとしては不十分なのではないか。一つの視点、あるいは特定の分野の視野のみから全体像をアプローチするには、死というものは限りなく漠然抽象としたものであり、仮にそれを試みようとしても、ひとつの起点から始まり導き出された解が、果たして永遠性・普遍性を有する究極的概念たる真理と言えるだろうか。
そう考えた時、僕が「死」を考察する上でまず、様々な視点や分野からあらゆる死についての分析や評価、思想や主張を明らかにし、次に、それら個別的・特殊的な事例を基に「死」とは何かという一般的・普遍的な真理を、帰納的に導き出そうとした。
無論、それが容易でないことは百も承知であったし、僕一人の力では、膨大な死に関するそれらの資料を十分に揃える収集力も、はたまた例え資料があったとしても、それら全てを網羅するほどの時間や能力が圧倒的に不足していることも理解していた。それでも、「死」を帰納的に考察することが、自分が求めている答えに近づくための定石であり、近道であることは容易に想像がついたし、ある意味では確信をついていたとも言えるだろう。何より、他に目ぼしい方法が考えつかなかったのだから、どのみち時間の問題だったと言えなくもない。
ともかく僕が最初に行ったことは、死についての知識や情報を得るための資料探しだった。
幸運にも、学生マンションの近くには中古本販売チェーン店があり、駅前にはそれなりの規模を持つ本屋が立ち並んでいたので、書物に関しては比較的資料の面で苦労することはないと思い込んでいた。しかし、実際に本屋に立ち寄って、普段めったに足を運ばない哲学書のコーナーを見てみると、驚いたことに、死に関する思想を筆録したものはほとんどなかった。死よりもむしろ生に重きをおいたものばかりで、どう生きるのかを主題とした哲学や思想が九割以上を占めており、これには思わず眉を顰めてしまった。
孔子の言行を弟子達が記録した書物『論語』にある名言の一つに、「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」というものがある。これまで生きてきて、生きるということ、人生ということすら未だに理解できないのに、どうして死というものがわかるだろうか、といった意味を持つ格言であり、死より今生きていることの方が重要であるといったニュアンスを内包している。孔子の教えは御尤もであると僕自身評価しているが、それにしても、本棚一面に並べられている書物の表紙に生を謳う主題ばかりが並べられているのは、複雑な心境だった。
どう生きるのかに迷い、生というものが何なのかを知りたい人には打ってつけなのだろうが、死を知りたい僕からしたら、うんざりするものであった。確かに、生きるとは何か、生とは何ぞやという大きな主題から、死という相対的な視点を分析追求することは結果的に死とは何かという問いを投げかけることになる。死を考察する上での、一つの重要なアプローチであることは明白だったが、生とは何かという、死よりも遥かに曖昧で不明瞭で漠然とした抽象的概念を様々な視点から考察していたら、それこそ人類史始まってから今日に至るまでの時間を費やしたとしても足りないだろう。
それに、生に対する問いを投げかけたところで、結局のところ、生きるとは何かの問いの対象はその人自身に限定されるものである場合が多く、誰しもに言えるような一般性や普遍性を有しているとは必ずしも限らない。その人の歩んできた唯一無二の数十年の人生から導き出されるであろう、波乱万丈十人十色の個々多様な結論から、帰納的に抽象的概念に対する問いの答えを導くことは、死に対するそれよりも果てしなく、そして不可能なことだろう。
僕が知りたいのは「死」についてだ。生ではない。
そう思うと、目の前にある書物がただの紙束に見えてしまった。興味や関心が無くなると、それはその人にとって死んだのと同じなのではないかと僕は考えながら、その日は本屋を後にした。
お目当ての書物が中々見つからないのでインターネットを使い、事前に死についての記述がある本の候補を挙げ、学生マンションから十五分程自転車を走らせた距離にある区の図書館へ行って、それらを借りてきた。流石に、何十冊という単位の本を一度に借りることはできなかったし、部屋に引き篭って一日中読む作業に没頭していても読める本の数には限りがあった。そのため、三日に一度通ってはリュックサックに詰め込めるだけの本を借りて、あとは部屋に篭もりっぱなしで寝る間も惜しんで読み込むという生活を二週間程続けた。
借りた本の中でも印象に残った書物を挙げると、養老孟司の『死の壁』や中島義道の『「死」を哲学する』、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』、エリザベス・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』などだ。
特に、養老氏の『死の壁』では、人は自分のことを死なないと勘違いするようになったという指摘が一番印象的だった。
人間が死ぬということが知識としてわかっていても、実際には死がどういうものかわかっていない。現代人は死を日常生活から切り離していき、自然の一部でもある死が実在ではなくなってしまった。そうして死を身近に感じなくなって、人は自分のことを死なないと勘違いする「不死の病」に罹っているのではないだろうか。養老氏のユーモアを交えた皮肉には思わず頷かされるものがあった。
養老氏のこうした指摘は別の視点からも言えるだろう。現代の社会は医療も技術も進歩しており、そういう事情を踏まえるならば、確かに昔より人々は死に対する認識が希薄になった。戦前、国民病とまで言われた結核が、今日では不治の病とまでは言われなくなったことからも、氏の指摘は推察することができる。
結核はその昔、労咳と呼ばれ、当時はほとんど打つ手のない死病であった。国民病・亡国病と称されるほど罹患者の多い疾病で、近代以降の文化史に強い影響を与えている。当時の人達からすると、罹ったら死を覚悟しなければならない病気が蔓延しており、いつ自分が発症してしまうのかという恐怖が、心のどこかに病巣のように蔓延っていたことになるだろう。
結核だけをとっても、当時と今では死に対する認識に大きな隔たりがあったと言える。おそらく彼らは、現代を生きる僕らからは想像できないほど、身近に死を認識していたに違いない。近代の文学や詩歌俳句を嗜む上で、こうした時代背景や認識の違いを念頭に置かなければ、より深い理解をすることは難しいのかもしれない。
他にも、養老氏と似たような指摘が、ハイデッガーの『存在と時間』にも書かれている。もっとも、二十世紀を代表する哲学者であるハイデッガーは、死を実存論的に分析した上でどう生きるべきなのか、というところまで説いている。
ハイデッガーによると、人間の有限性という事実を最もはっきりと示しているのは、死という現象である。人間は死という終わりを持っており、人間は死とかかわりを持たなければならない。そこでハイデッガーは、死という現象を非常に重く見て、次のように考察している。
死は、人間の究極的可能性であり、それと同時に、人間のすべての可能性は、死において切断されてしまう。故に死というものは、人間の現実的投企(※投企とは、マルティン・ハイデッガーによって提唱された哲学の概念。人間が自己の存在へかかわる仕方で、人間はすでに事実として世界のうちに投げ出されている被投性において、常に自己にふさわしい可能性に向ってこえ出ようとするということ)が有限であること、そして、死という現象が人間存在について、人間は孤独であることを示している。
ハイデッガーは、死という現象が示す人間存在の孤独に関連して、「各自の存在は、各自のものである」と述べている。自分というものは、例え頭脳が貧相であろうが容姿が醜かろうが、自分がどんなに気に食わなくても墓場まで背負って行かねばならず、こういうものは他人に代わってもらえない。自分ひとりで死ぬまで付き合っていかなければならないと。
同じように、死というものは各自のものであり、誰かに代わってもらうことはできず、自分で自分の死というものを引き受けなければならない。また、人間は死んでゆくときに、一人きりであり、そういう意味で死は人間の孤独さを突きつけてくる。別離の悲しみがあったとしても、死んでいくのは、たった一人なのだと。そして、自分の死に直面したときには、それまで様々に関わってきたすべてのものが、自分に対してものを言わなくなり、自分にとって意味のないもの、自分と関わりのないものと感じられるようになる、と言っている。
このように、死は人間存在の孤独さを明確にしている。「人間は、本来、孤独なものでしかないのだ」ということを、死というものは露呈するとハイデッガーは指摘する。
死という現象が示しているように、実存は有限で孤独なものであり、実存には終りがあり、限りがある。本来的な実存の投企によって人間は、自分が本来、孤独なのだということを、過酷にも自覚させられている。言い換えるならそれは、人間が自分の現実の死に先立って予め自分の死を覚悟することであり、これが、人間存在あるいは人間の現実的投企は有限であること、人間は孤独であることの二つを自覚させているという。
ではなぜ、人間はこうした自覚をさせられるのか。ハイデッガーによると、普段の我々が実存の有限性や孤独であるということを忘れて生きているからであり、あるいは、そういうものからわざと目をそらして生きているという事実があるからこそ、死への先駆的決意、いわゆる覚悟をしなければならないのである。
我々が健康でいるときは、現実的な死というものは自分のものではなく、他人のものである。そして我々は、テレビや新聞などを通して、こういう現実的な死に取り囲まれている。しかし、我々が出会う死というものは他人のものであって、決して自分のものではない。それなら自分の死はどうなっているのだろうか。
多くの人々は、自分の死というものは、起こりうる単に一つの可能性に過ぎず、自分の死が現実的になるのは、いつのことかわからない、今のところ自分とは関係ないと、健康である限り思っている。晴れている日に台風のことを考えないのと同じようなものだ。「人は、いつかはきっと死ぬ。しかし当分は私の番ではない」と、ハイデガーは言う。
では、ハイデッガーがこのことから言わんとしていることは何なのか。
同じくドイツの哲学者である、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェによれば、人間が死に対して優越できる唯一の方法は、自分の死というものを忘れることであり、死に対する理解を回避する気楽さ、いわゆる、いずれ訪れる死をはっきり自覚しないことこそ、人間が生きていくための条件だとしている。
一方、ハイデッガーはこれとはむしろ逆の立場をとっており、死への先駆的な覚悟が、人間として生きてゆくための手段となるという。自分の死を覚悟し、自分の生涯というものが有限であることをはっきりと自覚することによって、その人の生涯は、初めて緊張状態に置かれることになり、限られた時間を、無駄に過ごすことがない生活を送るようになる。
言うなれば、死を直視・認識することによって人々は本来の自己を取り戻し、真に自由な選択を実現することができ、そしてそれこそが、自分が自分として存在していることへの確信へとつながるということだった。死を実存論的に分析したハイデッガーは、最終的にこのような趣旨の主張をしていると言えるだろう。
正直なところ、ハイデッガーの『存在と時間』は、哲学書を読み慣れていない僕からしたら、苦痛でしかなかった。難しい言い回しや複雑な概念が使われているせいなのかはわからなかったが、途中で何度も文字が文字でないものに見えてきてしまって、幾度も読んでは戻り、意味を頭の中で消化させるという作業を繰り返した。この本は返却日ギリギリまで借りていたのだが、終ぞ理解できなくて、インターネットや哲学の入門書などの力を借りつつ、概ね彼が言おうとしていることの輪郭をなぞれるくらいには、最低限理解した。
本書は確かに難解だったが、ハイデッガーの死に対する分析や考察は感銘を受けた。確かに、人は日常的に自分の死を、ほぼ今現在は起こりえないであろう、ひとつの可能性としての意識しかしておらず、心のどこかでは潜在的に自分とは関係のないものだと思っている節がある。
そうでなければ、いざ自分に死が差し迫っていることを知った時に、拒絶や後悔、悲しみや怒りといった思いを顕にしたりしない。自分とは関係のないものだと思っているからこそ、死という非常な現実を前にした時、キューブラー=ロスが著書『死ぬ瞬間』において記述しているような、死の受容のプロセスは起こりえるのではないか。
無論、ハイデッガーの言うように、自分の死を覚悟し、自分の生涯というものが有限であることをはっきりと自覚した上で、限られた時間を無駄に過ごすことがない生活を送ったとしても、いざ自分の死を認識した時に、どのような過程で己が死を受容するのかは、はっきり言ってしまえば、その人次第である。このような過程を経て死を受容するかもしれないし、そうでないかもしれない。死とはどう生きていたかに関係なく、誰しもに等しく訪れるものだからだ。いくら死を覚悟したとしても、怖いと感じれば、その者がどんな人生を送っていようともそれは怖いのである。
人は、死にたくないあるいは死ねないから生きている。その辺の理由は人それぞれだろうが、少なくとも、死にたいと本気で思っている人は自ら手を下すわけで、それ以外の大勢の人々は各自、死を認識した時にはキューブラー=ロスの言うような死の受容のプロセスを踏むことになるのだろう。いずれにしろ、人が死を受け入れて尊厳を持って死に臨めるようにするためには、やはり周囲の理解や協力が必要不可欠になるのかもしれない。
ところで、『死ぬ瞬間』を読み終え、ふと何気なく思ったことがあった。自殺する人の死の受容とは如何なるものなのだろうか。死にたいと具体的に思ったことがない僕は、そうした自殺願望や自殺に思い当たるまでの心情などがわからなかったので、想像することも難しかった。
他にも宗教関連の本や、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、樫山欽四郎、池田晶子など数多くの書物を拝見したが、まだ自殺という視点から死をアプローチするための資料を取り寄せていなかった。そのため、今日は自殺という視点における死を考察するために、気分転換も兼ねて、神保町の古本屋を巡り、目ぼしい資料がないか探すことにした。
読書自体はそれなりに嗜む方なのだが、実のところ神保町の町を歩いて回るのは初めてであった。大学自体、市ヶ谷にあるので、近いと言えば近いのだが、なかなかこちらの方には出向かない。そのため、どの通りを入っても本屋が立ち並んでいる町並みは結構新鮮だった。
最近は部屋に引き篭ってずっと本を読んでいるか、自転車を漕いで区の図書館へ行き来するかだったので、こうして街中を歩くのは久しぶりだった。最後に街中を歩いたのは銀座でナズナへの誕生日プレゼントを買った時以来であり、そう考えると、あれからもう四十九日が経過してしまったことを思い知らされる。
ナズナが死んだことはわかっていても、僕にはまだその実感がなかった。今僕が大学に向かい、合議を聞くために席に座ったら、しばらくしてナズナが講義室に入ってきて、混み合う学生の中から席に座って準備をしている僕を見つけ、何食わぬ顔でその隣に座って、今の季節に咲く花の話をし始める、そんなかつての日常がきっとあると、そう思わずにはいられないのだ。これまで理由をつけては大学を休み続けているが、ひょっとしたら大学に行ってナズナがいないという現実を認識することが、怖いのかもしれない。
あの日からずっと、何処へともなく町の中を彷徨い続けているような気がしてならなかった。僕の時間はあの日の夜からずっと止まっているままで、ナズナのいない世界が僕だけを置き去りにして進んでいく。
だとしたら、僕がするべきことは一体何なのだろう。僕にはそれすらもわからない。わからないことだらけなのだ。死というものが何なのかも、そして自分がどうしたらいいのかもわからなくて、それを探すためにこうして彷徨っている。
神保町の古本屋や新書コーナーを巡って、気になった数冊の本を購入した後、そのまま靖国通りから皇居にそって内堀通りを進み、永田町にある国立図書館へと向かった。予めインターネットで調べていた目ぼしい本を、受付で取り寄せてもらい、閲覧室でさらに必要と思われる資料を厳選して、借り受け館で複写する申請を承認してもらってからコピーを取った。普段慣れない厳格なやりとりだったが、欲しいものは一通り手に入ったので満足だった。資料探しに時間を費やしたこともあって、時刻は十六時を過ぎていた。
再び歩きながら、「死」について考える。あらゆる死について考察し、死というものが何なのかを帰納的に追求していく。真理たる最終的な答えを出すには、まだまだ知識と情報が足りない。時間は、来月に訪れる二十歳の誕生日までだった。それを過ぎたら、大学にもちゃんと通うし、ハナミズキにも迷惑はかけない。いつも通りの日常を、ナズナだけが居なくなってしまった現実をありのまま受け入れる。だから、それまでの間はモラトリアムなのだ。死について考え、そして僕自身がわからないことの全てを整理するための猶予なのである。
国立図書館を出た後そのまま内堀通りを下り、桜田門の前を抜ける。そのまま僕は霞ヶ関を横切り、日比谷公園へと足を運んだ。
日比谷公園は、ナズナとのデートでよく訪れた思い入れのある場所だった。花を溺愛していたナズナにとって、ここは大都市という砂漠の中心にある楽園そのものだったと言えるかもしれない。午前中で講義が終わった日や休日など、毎週のように訪れていた場所だった。大学生のカップルのデート先にしてはかなり珍しい部類に入るだろう自覚はあったが、他に行く場所と行ったら、町中にある花屋巡りくらいしかなかったし、喜んでいるナズナの笑顔を見ているのは、僕としても満更ではなかった。
六月下旬の日比谷公園は、ガクアジサイやアガパンサス、やぶみょうが、クチナシなど夏に咲く花が美しい花弁を広げている一方、春先に咲いていた花たちが萎れ色褪せた花弁を落とし、季節の変わり目を感じさせていた。
祝田門から入り、テニスコートを抜けて、第一花壇と呼ばれる芝生が一面に広がる場所へ訪れる。舗装された通りの向かい側には、薔薇を中心とした花が植えられており、今の時期、派手やかな色合いの花を咲かせていた。
暖かい午後の日差しを身体中で受けながら、咲き誇る花たちを見ていると、心が徐々に和らいでいくのを感じた。なんだかんだで、僕も花に魅せられたうちの一人なのだろう。ここは思い出のある場所であるのと同時に、いつしか僕自身の心の拠り所でもあったらしい。
花たちを眺めながら第一花壇の周囲を歩いていると、道脇の花壇の一角にある花が目に止まった。僕はすぐ側にあるベンチに荷物を降ろし、その花壇へと近づく。萎れながら枯れかけていたので、最初何の花かわからなかったが、白い花弁の先端にあった緑の斑点でようやくわかった。スノーフレークだ。
スノーフレークは、ヨーロッパ中南部原産の多年草で、釣鐘状の白く小さな花を数輪咲かせる。釣鐘状の花がスズラン、幅がある細長い葉っぱがスイセンに似ているところから、鈴蘭水仙とも呼ばれており、特徴は花弁の先端にある緑の斑点だ。そして春先に咲く花なので、初夏には完全に枯れてしまう。
萎れているのも自然の摂理であった。長い間ここには来ていなかったけれども、きっと春に美しく可愛らしい花を咲かせていたのだろう。そう思うと、少し切なかった。
花はどんなに美しく咲いても最後は枯れてしまう。人だって同じだ。どんなに悪事を働こうが、立派に生きようが、最後は誰もが死ぬ。それがこの世に生を受けたもの、存在しているものに対する絶対的なルールなのだ。
でも、それならどうして人は死を悲しむのだろうか。死という現象に対して、どうして様々な感情が湧き上がるのだろう。死という予め定められている運命がいずれ訪れることは、明白なのに。
いいや。この問いは愚問かも知れない。
人は、死という運命の原理を理解できても、納得はできないのかもしれない。だから死について考察し、哲学し、時にはそれらの思想を体現させる宗教というものを発展させてきたのだろう。受け入れられないからこそ、あるいは受け入れるために、そうしたものが時代を得て伝えられてきたのではないか。
枯れかけたスノーフレークを見つめながらそんなことを考えていると、ベンチのところで鳥の羽ばたく音が聞こえた。荷物をカラスに悪戯でもされたかと思った僕は音に反応して振り返ったが、次の瞬間、目を見開きながらその場に尻もちをついてしまった。
「嘘だろ」
声が震える。鳥ではなかった。鳥ならばどれほどよかったことだろう。
そこにいたのは、夜に出会った黒い和服姿の少女だった。あれが夢ではないことは理解していたが、いずれ時間の経過と共に、やはり夢や幻覚であったと自己完結してしまうような類の不思議な出来事であると思っていた。けれど、それが今や現実のものとして目の前に現れてしまった以上、もはや見過ごすことはできなくなっていた。
恐る恐る立ち上がり、ベンチに座っている少女に気づかれないよう、忍び足で荷物へと近づく。
「私のことが見えるのね」
リュックを手に取ろうと手を伸ばした時だった。身体を向ける様子はなかったが、少女は僕に対してはっきりとそう言った。
「気づいていたのか?」
冷静を装いながら問うてみたものの、声が掠れてしまう。動揺しているのは何よりも明らかだった。
和服姿の少女は、首を縦にちょこんと動かした。それだけだった。
僕はゆっくりとその前に移動する。表情ひとつ変えない少女はどこか虚ろで、等身大の日本人形と対峙しているみたいだった。その目はどこまでも深く、あたかも奈落を覗いているような感覚に陥らせる。それは昨夜のカラスと同じ目だった。
夜に会った時は暗くてわかりづらかったが、黒い和服は所々、色鮮やかな花たちで模様付けがなされていて、地味でなく派手でもない、ほどよい上品さと優雅さが備わった着物であった。そして、それを身に纏う長い黒髪の少女は、中学生くらいと思われるような体型をしていて、見るからに身長も小柄だったが、着ているもののせいか、肌は病的なまでに白く、この世のものでないほど妖艶で、それこそハナミズキが口に出さなかった言葉が全てを物語っているように思えてしまうほど、少女は異様な存在感を持っていた。
「君は、死神……なのか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「私にもわからない」
少女の表情には変化がなく、心情を読み取ることはできなかった。もとより人を探るのは苦手なのだが、少女に至ってはまったくの検討もつかなかった。
「わからないっていうのは、君がカラスのお化けである可能性もあるって意味か? それとも記憶がないのか?」
少女は答えなかった。無表情のまま首を少し横に傾ける。どうやら本当にわからないようだった。仕方がないので別の質問をする。「名前は?」
「わからない」
「名前がないのか?」
「たぶん」
うーん。
ますます謎が深まった気がした。いっそのこと「私が死神です」とでも自己紹介してくれたら、楽なのにと思う。
「……かった?」
「え?」
考え事をしていると、少女の声を聞き逃してしまった。僕の反応で悟ったのか、少女はもう一度尋ねてくれた。
「探し物は見つかった?」
心臓を鷲掴みされた気分だった。突然の問いの真意がわからなくて、そして少女の澄んだ瞳が僕の全てを見透かしているような気がして、焦りを隠せなかった。
ふと、少女は後ろを振り返って、先程まで僕がいた場所を見つめる。それでようやく、僕が落し物を探していると勘違いしているのではということに気がついた。
「ああ。あれは落し物を探していたんじゃなくて、花を見ていたんだ」
「花?」
「スノーフレークっていう花をね。でも、もうすぐ夏だから今年は終わりなんだ」
実際、花壇に植えられているスノーフレークは既に枯れかけていた。明日には完全に花を散らせ、枯れてしまっているかもしれない。
「けど、スノーフレークは多年草だから、来年の春になればまた花を咲かせる。消えてなくなってしまうわけではないよ」
「でもあなたが次に見る花は今見た花じゃない」
そうでしょ? と少女は問いかける。僕は不意をつかれて驚いたが、少女の言おうとしていることは理解できたので、静かに頷いた。
「どんな花もそう。まったく同じ花なんてどこにもない。同じ場所、同じ茎から咲いてもそれは別々の花なの」
少女は続ける。表情も口調も相変わらずだったが、瞳に園内の花たちを映し、彼らを讃え憂うかのように告げる。「だから、花が散るのはとても悲しい」
僕は少女の言葉ひとつひとつに耳を傾けた。花というものは、その時にしかない唯一無二の、たった一つだけのものであって、だからこそ、それが散って無くなってしまうことが悲しいのだと少女は言う。
何も難しいことではなかった。でも僕は少女に言われるまで、そのことを認識することすらできなかったのだ。花は花であって、たくさんの花があっても、決して一輪の花をかけがえのない物だと思うことはなかった。少女に言われて、僕は初めて気づかされた。
「君は死んだ人間をどうするんだ? 花が散るのは悲しいと言うけれど、死神は命を狩り取る存在じゃないのか?」
「私の役目は死んだ人の身体から魂を切り離して、元あった場所へ還すこと。狩るのとは違うわ」
「それじゃ、その魂っていうものは一体何だ? 元あった場所っていうのはどこを指しているんだ?」
少女が本当に死神であるかはさておき、人ならざる存在である以上、死というものが何なのかに関連する疑問の答えを知りたかった。しかしそんな僕の期待は裏切られる。「わからない」と少女は告げた。
「人の言う、魂が何かまでは知らないの」
「それってつまり、死体から何かを切り離しているけどそれが何なのかは結局のところわからないし、それが果たしてどこに行っているのかもわからない、ってことで合ってる?」
少女は首を縦に頷いた。僕はその答えがあまりにも曖昧過ぎて、ため息を一つついた。
「君は本当に死神なのか?」
「たぶん。出会った人はみんな死神と呼んでいたわ」
少女と出会った人が他にもいると聞いて、それは新たな疑問を僕に呼び起こした。
「ひょっとして、ナズナの最期にも立ち会ったのか?」
藁に縋る思いで、僕は問いかける。けれど少女は「わからない」と答えた。それは今までの「わからない」とは違い、「ごめんなさい」と謝られているみたいだった。
「取り乱して悪かった。ごめん」
僕は一回だけ深く深呼吸をする。よくよく考えれば、少女一人が死ぬ人全員を見送るわけでないことは想像できた。一日に世界でどれくらいの人が亡くなっているのか、具体的な数字は知らなかったが、いくら死神といえども、一人でそれだけの死を受け持つことはできないだろう。もしかしたら、少女のような存在が他にも存在しているのかもしれない。
そこまで考えた時、ふと少女が僕の前に現れたことに対して、ある疑念が頭の中を過ぎった。
「ちなみに、その人たちは全員……君が最期を看取ったのか?」
「ええ」
少女はあっさりと答える。正直なところ、それだけ聞けば十分だった。嫌な予感は薄々感じていたが、どうやら的中したらしい。
それ以上言葉を発することはできなかった。他にも聞きたいことが山ほどあるはずなのに、今目の前にいる存在からもたらされる、膨大な情報を全て受容し消化できるほどの余裕がなかった。まるで頭を強く殴られ、昏倒しているようだった。
「お兄さん、お兄さん、あんたベンチに向かって独り言しゃべって大丈夫かい?」
話しかけられた僕は、驚いて後ろを振り返る。すると、杖をついた、如何にも人が良さそうなお婆ちゃんが、こちらを心配そうに見つめていた。僕は、確かにベンチに座っている少女とお婆ちゃんを交互に見つめながら、やがて和服の少女が僕にしか見えていないことを悟った。
「驚かせちゃってすいません。ちょっと演劇の練習をしていて……」
嘘をつくのは心が痛んだが、これ以上話をややこしくするわけにはいかなかった。それから二十分ほど、そのお婆ちゃんと他愛のない世間話をした後、ようやく話が一段落ついたところで別れ、僕はベンチに腰を下ろす。
僕がお婆ちゃんと話をしている間、少女はずっとベンチに座りながら、ここでない遠くの場所を見つめていた。目を離した瞬間に跡形もなくいなくなっているのではないかと、不安に思っていたのだが、それは危惧であったかもしれない。
世間話をしている内に高まりつつあった感情が引いていき、僕は冷静に物事を考えられるくらいまで復帰した。そしてそれと同時に、自分にしか少女の存在が見えないという事実は、嫌な予感というものをさらに根拠づける結果にもつながっていく。
「少なくとも、君が普通の人間じゃないということは確信が持てたよ」
少女とは一人分の距離をおいて、同じベンチに座る。だが、これも他の人から見たら、僕一人が座っているようにしか見えないのだろう。
「それで僕に何の用があるんだ?」
愚問であることは承知の上だった。少女が本当に死神であるなら、僕の目の前に現れた時点で、死を宣告しているようなものと受け取って差支えないのだから。ならば尚更、僕は少女に問わなければならなかった。死とは一体何なのかを。
けれども、その愚問に対しての少女の返事は、僕の予想を越える意外なものであった。
「あなたは死に近づき過ぎている」
少女の透き通るような声によって発せられたその言葉は、自らに訪れる死に対して冷静になりつつあった僕を、それでもなお死とは何かを考察しようとする僕を、刺し殺すのには十分な威力を持ち合わせていた。
「これ以上、死に触れてはいけないわ」
昨晩の少女と目の前にいる少女の姿が重なる。何処までも濃い黒色の瞳が僕を覗いている。死という深淵に触れることは、その深淵もまた僕に触れるということなのだろうか。
「やっぱりヒナギクじゃん。こんなところで何してるの?」
突然、投げかけられた声に激しく動揺した。ハナミズキだった。運動着姿をしており、肩にテニスラケットを掛けている。
「ハナミズキこそ、どうしてこんなところにいるんだよ。部活はどうしたんだ?」
「それがさー、高校の屋上にあるテニスコートの屋根が水漏れを起こしてたみたいで、コートがベチョベチョになって使い物にならなかったんだ。工事の業者も入ってて、今日は部活休みかと思ったんだけど、そしたらコーチが大会近いし日比谷公園でやるぞって張り切っちゃってね」
「そりゃまた大変だったな」
「まぁ、大変なのはこれから始まる練習メニューなんだけどね。外ぶらつくのはいいけど、ちゃんと時間には帰ってきてよ」
「はいよ。今日はトメさんと夕食だしな。ちゃんと覚えてるから大丈夫。それじゃまた部屋でな。部活がんばれよ」
「はいはい、そっちもね。あっ、もし私よりも早く帰ってきたら、お風呂沸かしといてねー」
「了解」
日常的なやりとりを交わした後、ハナミズキはテニスコートの方へと走り去っていった。普段と変わらないハナミズキの反応を見る限り、やはり僕にしか死神の少女の姿は見えないようだった。
「死に近づき過ぎているってどういうことなんだ? それにどうして死神の君が……」
言葉は後に続くことはなかった。振り返ると、既に死神の少女は目の前から消えていて、溢れる疑問の行き場はどこにも残されていなかったのだ。
*
「それでさぁ、公園に着いて早速練習かと思ったら、コートに入る前に公園の周りをランニング二十週ってコーチが言うもんだから、もうほんと大変だったよぉー」
「あらあら。それは災難だったね」
「もう足がヘトヘトでさ、買い物はお兄ちゃんに付き合ってもらっちゃった」
トメさんとの夕食中、ハナミズキは今日の学校であったことや部活での出来事を話題にする。
テーブルには前菜である菜の花の御浸しや胡瓜の塩漬け、生らっきょうの味噌添え、春キャベツの巻物などの旬の野菜を使った料理が並べられており、どれもトメさんが腕に縒りを掛けた逸品だった。そしてそれらの前菜に囲まれたメインディッシュがコトコトと音を立てながら、もう少しで出来上がることを知らせていた。
「ところで、どうして鍋なんだ?」
冬ならいざしらず、季節は六月の初夏。梅雨の影響だろうか、晴れの日は少ないものの湿度は高く、ほんのりと夏を感じるくらいには温みのある時期である。そのため、電気コンロに土鍋という本格的な鍋料理が目の前にあることに、少なからず違和感を抱かずにはいられなかったというのが本音だ。もちろん鍋が嫌いというわけではない。
「鍋は季節に関係なく美味しいじゃん。野菜の栄養も丸ごと摂れるし、体には冷たいものよりも温かいものの方が良いんだって」
「テレビの知識か、それ。まぁ、ミズキの料理は美味しいからいいけど」
「お兄ちゃんの料理は、たまに変なことし出すからねぇ~。この前のグリル」
「なにそれ! その話聞きたいわ」
トメさんが興味津々とばかりに食いついてきたので、ハナミズキは僕が魚のグリルを作ろうとした時に、アルミホイルで包んだ魚をオーブンではなく電子レンジで焼こうとしたエピソードを話し始めた。
ちなみに、アルミホイルを電子レンジにかけると火花が発生するという話を知らなかったわけではない。一言弁解をするならば、その時ナズナと電話をしながら下拵えをしていて、調理に集中していなかったのが主な原因だったりする。たまたま冷蔵庫に飲み物を取りにハナミズキが顔を出していなかったら、電子レンジの中の魚は本当に焼けていたことだろう。
「お兄ちゃんは一つのことになると他のことほったらかしちゃうところがあるよね」
「良く言えば一途、悪く言うなら融通が利かないってやつだね」
ハナミズキとトメさんは通じ合うところがあったのか、にっこりと微笑み合う。ガールズトークには年の差など関係ないのかもしれない。二人を見ているとそう思える時がある。
「もうそろそろ煮立つ頃かな」
「そろそろ開けてみる?」
「まだまだ。野菜がじっくりと煮込むまで蓋は開けちゃダメよ」とトメさんはハナミズキを制した。「時にはじっくりと待つことも大事なのよ。あなた達はまだ若いんだから、そう焦ることはないわ」
「トメさんも十分お若いですよ」
「あら嬉しいこと言ってくれるじゃない。ありがとう。でも私はもう皺皺のおばあちゃんの仲間入りよ。それに歳をとると、いつまでも待つことができなくなってしまうものなの」
悲しいことにねと、最後にトメさんは付け加えた。いつものように柔らかく微笑み、何気ない口調だったが、俯くような眼差しはどことなく哀愁を漂わせていて、僕はトメさんの背格好がより一層小さく感じた。
旬の野菜がたっぷり詰まった鍋料理を三人でつまみ、トメさんとの夕食会はお開きになった。鍋の残りは明日のご飯にと、トメさんが譲ったので、土鍋を両手に僕とハナミズキは部屋に戻った。
部屋に戻るなりハナミズキは、夕食会の前にあらかじめ汲んでおいたお風呂へ我先にと駆け込んでいった。僕は今日調べ挙げた資料へ目を通しながら時間をつぶそうとしたが、ふと一人になった瞬間に思考を支配したのはあの少女のことだった。
死に近づき過ぎている。これ以上触れてはいけない。
その警告の真意を探ろうとしてみるものの、胸が締めつけられるような動悸と焦りによって、考えは一向に纏まることはなかった。むしろそれよりも、なぜ自分がこんなにも混乱しているのか、その原因を探る方へと思考がシフトしてゆき、やがて自分が恐怖していることに気がついた。
目の前に現れた死神の少女。そして少女の姿が見えるのは僕一人だけという事実。少女の目的が僕の死に関係していることは間違いないだろう。
近々、僕は死ぬのかもしれない。それが明日なのか、一週間後なのか、一か月後なのかはわからない。どんな原因で死ぬのか、どんな最期を辿るのかもわからない。けれど、やがてその時は訪れるのだろう。
真っ先に考えたのはハナミズキのことだった。僕のたった一人の家族、かけがえのない大切な妹のことを思うと、自分はハナミズキに何一つしてあげられなかったのではないかと急に不安になった。両親ばかりでなく兄も亡くし、ひとり残されるハナミズキを思うと後悔と形容しがたい程に溢れ出る愛情が胸を締めつけ、風呂に入りながら涙を流した。
死ぬのが怖かった。怖いのだ。どうしようもなく。
なんて愚かだろう。「死」について考察している時には決して感じることのなかったその感情を、僕は自分の死と直面した時に初めて思い知った。怖くて、怖ろしくて、ただただ自分では抗うこともどうすることもできない死に対する恐怖で、それが僕の胸の中だけでは納まらなくて、滴が頬から零れはじめ、シャワーから注ぐ流水の中へと溶けていった。そうしていく内に頭の中はやがて空っぽになり、少しだけ冷静になった。風呂から出た後に、部屋にいるハナミズキに何も悟られぬよう、目の充血が引くまで湯に浸かった。
部屋の電気が消えていることに気がついたのは、脱衣所で寝間着をまとい、洗面所で歯を磨き終えてリビングに戻ろうとした時だった。練習の疲れでハナミズキは先に寝てしまったのだろうと思い、そのまま電気をつけずに寝室へと向かった。
ドアを開けると、すぐそこに人影が立っていた。驚いたのも束の間、部屋が暗かったこともあり、パジャマ姿の妹の表情を窺うことはできず、ハナミズキはそのまま倒れ込むかのように抱きついてきたので、僕は声をかける間もなく、頭ひとつ分背の小さな妹を受け止めた。
「どうしたんだ、急に?」
「お兄ちゃん、あのね」
「二人の時は『お兄ちゃん』じゃなくて『ヒナギク』だろ。三人でそう決めたじゃないか」
「でも、ナズナさんはもういないんだよ。
お兄ちゃんがナズナさんのことどれ程好きだったのか知っているし、ナズナさんの死を受け入れられなくてずっと苦しんでいるのも知っている。けど、いつまでも立ち止っていちゃダメだよ」
声を震わせる妹の目には涙が溜まっていた。力を入れれば壊れてしまうのではないかと思うくらい華奢な身体でしがみつく。そのぬくもりに心が痛んだ。
ナズナが亡くなってから、妹にどれ程の心配を掛けさせていたのだろうか。
思えば僕は、ナズナが死んでから何かがおかしかった。入学金をアルバイトで稼いでまで入った大学の授業に出ることをやめたし、仲の良い友人たちからの安否確認の連絡もすべて無視した。ほとんど寝ることも、満足な食事すらおろそかにして、まるで取り憑かれたかのように資料探しや読書、考察に時間を費やすだけの生活を送っていた。それまで歩んできた日常を犠牲に、そして自分ですらおかしいことに自覚を持ちながらも、ひたすら「死」について考えた。死を知らなければ、僕はナズナの死を受け入れることができないのだと。
もしかしたら、それは言い訳染みた我が儘であるかもしれない。けれど、その我が儘に縋らなければ、僕はこの理不尽な現実を受け止めきれないまま、いつしかナズナのことも忘れてしまい、ナズナのことを愛していたその気持ちすら曖昧になって、消えてしまうのではないかと思うのだ。僕は忘れたくない。ナズナのことも、ナズナが好きだったことも。
妹はそんな我が儘を受けとめて、ずっと傍で見守ってくれていた。寝ないままの日が続くと、「一緒に寝よう」とまるで幼かった頃のように僕を促し、わけもなく情緒が不安定になった時には、優しく抱きしめてくれた。花好きのナズナが僕らにつけた「ヒナギク」「ハナミズキ」という呼び名を、僕が無理に続けているのにも合わせてくれた。今の僕の現状に思うところがあっても、妹はそっと心の中にしまっていたのだろう。
僕はずっと、そんな妹の優しさに甘えていたのだ。
「ごめんな、ミズキ。心配ばかり掛けさせて」
妹を抱きしめ、髪を撫でる。久しく口にしていなかった家族の名前を呼ぶと、妹は泣き顔のまま僕を睨みつけ、「バカ」と罵った。互いに見つめ合うその距離は、吐息が混ざり合うほど近くて、胸の奥底から湧き上がる感情に身を委ねれば一瞬で詰め寄ることができてしまうのに、僕はその距離を縮めることを拒み禁じた。
僕は知っている。妹のその献身は家族という枠を越えた愛情によるものだと。
妹が僕のことを好きでいると気がついたのはいつのことだろうか。物心つく頃には既に両親を失い、伯母方に育てられるという複雑な事情が、僕らの成長にどのような影響があったのかは当の本人ですら想像が及ばないが、少なくとも家族というものに対して、僕と妹は人並み以上の愛情を求めていることに相異なかった。少なからず僕らはお互いに依存し合っていたし、それにどちらが先に異性を意識したのかは、鶏が先か卵が先かという問題と同じほど、知る術がないことだった。
気づけば、僕は妹を異性としてみていたし、妹も僕に恋をしていた。もちろん、兄と妹とで抱くその感情が禁忌であるということはわかっていたし、相手を想い慕う一方でこれ以上親密になれば、もうただの家族ではいられなくなることは互いに直接言葉を交わさなくとも理解し合っていたのだろう。だから僕は、妹とはキスもしたことはなかった。いや、もしかしたら幼少でまだ無邪気だった頃、大人の真似事とふざけて唇を重ねたことは何度かあったかもしれないが、妹を一人の女として意識していることを自覚してからは、たとえ身体が反応しても、ハグ以上の肉体的接触は一度たりともしなかった。失いたくなかったのだ。たった一人の家族である妹を。
「お兄ちゃん……」
しがみつきながら、恋しそうに妹は見上げる。体温が上がっていくのを感じた。身体だけが僕の意思とは無関係に反応する。このまま押し倒しても、きっとミズキは僕の全てを拒むことなく受け入れるだろう。
僕は妹の、妹は僕の愛を受け入れる。その時には僕らはもう家族ではいられないし、血の繋がった男女という禁断の関係はいつか僕らを不幸にするかもしれなかった。それでも良いかもしれない。答えなんてものが本当にあるのかもわからないことを求め続けることも、花が咲くことなく終わってしまった恋愛に対する心の整理をすることもやめてしまって、初めから僕のすぐ傍にあった大切なものを受け入れればよいだけのことなのだ。
目をそっと閉じた妹の唇に、自分のを重ねようとした瞬間だった。頭の中に過ったのは死神の少女だった。なぜ少女のことを思い出したのかはわからなかったが、その一瞬で僕は高ぶりつつあった感情を抑え込むことができた。
死神の少女は、僕が求め続けているものの答えに辿り着くことができる唯一の存在なのではないか。
この二ヶ月あまり自分が追い続けてきた疑問を解く鍵を、僕は手に掴みかけている。死というものを知るために死に触れることになったとしても、例えそれが僕自身の死に繋がっていようとも、この先僕がどんな道を歩んだとしてもいずれ目にし、そして自らにも必ず訪れる「死」というものから目を背けて生きることは、ただの逃避であり、烏滸がましいことなのではないか。死を知らずして、ただこのまま生き続けることは果たして「生きている」と言えるのだろうか。
「このまま投げ出すわけにはいかないんだ」
身を任せる妹をそっと離す。迷いはもうなかった。
ミズキは僕の眼差しから何かしらの意思を悟ったのか、強張らせていた肩の力を抜き、零れ出していた涙を拭った。顔をあげた妹はわだかまりが消えたのか、表情はいつも通りに戻っていた。
「お兄ちゃんは、やっぱりお兄ちゃんだね。いっつも真っ直ぐ突っ走って、私のこと置いてけぼりにしちゃうんだから。ただ傍にいてほしいだけなのに。その内どこか知らない所へ行っちゃうんじゃないかって心配なんだよ?」
「大丈夫だよ。心配しなくても、大丈夫。どこにも行かないから。だからミズキは待っていてほしいんだ。今度、誕生日が来て二十歳になったら、元のお兄ちゃんに戻るから。大学だってちゃんといくし、今のモグラみたいな生活も改めるよ。その時が来たら、一緒にナズナのお墓参りにも行こう」
それまで僕が生きているかは保証できなかった。けれど、元来誰も自分の死がいつ訪れるのかはわからないのである。確かに死に対する恐怖を克服することは難しいし、それは誰しもができることでは決してない。だが一方で、死に怯える必要もないのではないかと僕は思うのだ。死は誰にでも、必ず訪れるものなのだから。
僕は知りたいのだ。死について。そして死とは何かを。
「うん」
ミズキの安堵を浮かべた表情を確認して、僕はもう一度妹を抱き寄せた。愛おしい温もりが恋しくて、僕は願う事ならば、その時が来たら妹の全てを受け入れようと思った。それが、例え訪れる死の間際だったとしても、自身を愛してくれる者の愛情を噛みしめながら最期の時を迎えたいと、そう思わずにはいられなかったのである。
*
新しい一日は、眠気とは無関係に突然やってきた。先に目が覚めたハナミズキは時計を見るや否や隣の僕を叩き起こし、それに飛び起きた僕が時計の指し示す時刻を確認して、ようやくことの事態を把握することになった。寝坊である。
しかしカレンダーをよく確認すると、今日は土曜日。大学を自主休講中の僕にはもともと曜日に関係なく急ぐ必要などどこにもないのだが、今日が休日である以上、高校生であるハナミズキも同じことなのではないか。
「今日は休みじゃん」
「部活は休みでもあるの!」
部活動に所属しているハナミズキはそうもいかないようであり、寝起きのまま上半身を起こして欠伸をする僕を余所に、パジャマからテニスをするための軽装へと着替え、洗面所へと駆け込んでいった。女性の朝は長く殺伐としていることはわかりきっていたことなので、ベッドから出た僕は簡単な朝食を用意しようとしたのだが、結局ハナミズキは来るや否や焼きあがったばかりの食パンを一切れ咥えこみ、そのまま荷物を片手に駆け出して行った。
「曲がり角には気をつけろよ」
「はいよー、行ってきまーす!」
冗談は届いたようだったが、返事はやけに遠くから聞こえた。
ハナミズキが行ってから、焼き上げた食パンを頬張りつつ、昨日の鍋の残りをすすった。空腹を満たすだけの食事を摂りながら、ふと窓の外に目を移す。
昨晩、死神の少女がベランダにいたのかはわからない。少女は突然現れて、そして突然いなくなるのだ。次にいつ現れるのかも、どこに行くのかもわからなかった。待っていればいずれ再び目の前にやってくるのだろうか。
待っている時間が惜しかった。動かずにはいられなくて、僕は少女を探すことにした。確証や根拠はなかったけれど、あの場所へ行けば少女に会える気がしたのだ。
雲がうっすらとかかっているが、今日も晴れである。合間から照り始める太陽は僕を後押しするかのように光を差していた。
エレベーターで1階に下りると、そこでトメさんと出くわした。トメさんは管理人として1階で暮らしていたし、朝は入口の掃き掃除やゴミの分別などでよく顔を合わせる機会が多かったのだが、今日のトメさんは着物姿の喪服で化粧を施しており、最初トメさん本人だとわからなかった。それに、どこか沈んだ表情を浮かべるトメさんは、昨日僕らと食事を楽しんでいる時とあまりにかけ離れていたため、僕は驚きを隠せなかった。
「お葬式、ですか?」
ようやく出た言葉は問いかけというよりも、驚きを飲み込むための時間稼ぎのようなものだった。見れば喪服であることは誰しもがわかっただろうし、葬式に赴くであろうことは想像がついたことだろうと思う。けれど、トメさんはそれを否定した。
「お葬式って言えばそうかもしれないわね。でも残念ながらそうじゃないわ。家庭裁判所と役所の方へ行くの」
「旦那さん……ですか?」
「ええ、そうよ。さっさと身の回りの整理をするように、兄弟姉妹たちから言われ続けられてね」
それを聞いて僕は、大学一年生の前期で学習した民法総則のある条文に思い当たる節があった。民法第三十条の失踪宣告である。
失踪宣告は、ある人が一定期間生死が不明となっている場合に、家庭裁判所に失踪宣告の審判を申立てて、審判で認容された時にはその人を死亡したものと看做し、財産関係や身分関係を整理するための制度である。この制度を講義で目にした時、やはり僕の脳裏に浮かんだのは旦那さんのことであったので、印象深く覚えていた。
「申し立てをしたのは去年の今頃だったかしらね。私は法律のこと詳しくないからよくはわからないけれど、調査やら公示催告やらで一年くらいかかってしまったわ」
苦笑いを踏まえながら、トメさんは続けた。「あの人がいなくなってから十一年、今年の夏が終われば結婚して二十五年が経つわ。人間いつまでも若いと思っていちゃダメね。気がつけば私はよぼよぼのおばあちゃんの一人で、もう待てなくなっちゃった」
失踪宣告の要件である期間は、旦那さんの場合おそらく普通失踪の七年間の生死・行方不明である。しかしトメさんはその要件期間を過ぎてもなお、旦那さんを待ち続けていたのだ。
トメさんの皺はその一つ一つがこれまでの苦労と時間の経過を物語っているように見えて、僕は励まそうとしようとしたが、結局何も言葉は思い浮かばなかった。
「男の人ってどうしていつもこうなのかしらね。ふらっと現れたかと思えば、余所見している間にまたふらっとどこかへ行って、こっちが心配して居ても立ってもいられなくなるとまたふらっと帰ってきての繰り返しよ。だからいつか帰ってくるんじゃないかって待っていたら、いつの間にか歳をとっちゃってねぇ。少しは待たされる身にもなってほしいわ」
つぶやくようにそれだけ告げると、トメさんは僕の前を通り過ぎて行ってしまった。通り過ぎた瞬間、線香ではない、ほんのりと嗅いだことのある匂いがした。それがラベンダーの香りであることに気がついた僕は、トメさんが出ていってしまった後のドアを見つめる。「待てなくなった」と語ったそれはトメさんの真意でないと、確信を抱くのであった。
「『あなたを待っています』」
花好きのナズナの影響で密かに興味を持ち、勉強していた花言葉。ラベンダーの花言葉の一つを僕は口にする。
花言葉は、象徴的な意味を持たせるため植物に与えられる言葉であり、一つの花に無数の花言葉があるものや、良い意味と悪い意味が混在するものも決して少なくなく、学問のように統一された体系が必ずしもなされているとは言えない面がある。ラベンダーだけをとってみても、他に『清潔』、『優美』、『沈黙』、『疑惑』、『不信感』、『許しあう愛』などいくつもの意味があるのだ。言うなれば花言葉は、それを使う人の想いを汲み取らなければ、その意味を捉え違えることになる。
僕はトメさんの全てを知っているわけじゃないし、トメさんが本当は何を考えて思っているのかはわからない。けれど、去り際に浮かべた寂しそうな表情を見るに、トメさんはまだ心のどこかで、居なくなってしまった旦那さんを待ち続けているのだろう。
じっと待つことも時には大事なことかもしれない。けれど、待つだけの時間がどれだけ残されているのかわからない以上、僕は答えを導くまで立ち止るわけにはいかなかった。
電車に乗り、乗り換えをしながら有楽町駅を目指した。日比谷公園は有楽町駅からは徒歩数分のところにある。昨日は国立図書館から歩いたので、そこそこの距離があったが、今日は駅を出てから皇居方面へと向かうだけで、入り口の一つである有楽門に着いた。日比谷公園の角部分に位置する有楽門は交番の右横にあり、第一花壇へと続く道が伸びている。樹木が作る緑のトンネルを進むと、風にのってテニスコートから活気ある声とボールを打つリズミカルな音が聴こえてきた。
第一花壇に辿り着き、昨日座ったベンチに行くと、その裏手にある花壇のところで、黒い和服姿の少女を見つけた。死神の少女は立ち尽くしたまま、枯れかけのスノーフレークを見下ろしている。目から朝露のような一筋の涙を流しながら。
「どうしてここにいるとわかったの?」
泣いているのに、その口調は昨日と同じで淡々としていた。少女の声は透き通るように空中を靡いて、僕のところにまで届く。それはまるで水滴が波紋を作るかのような不思議な感覚だった。
「確かな確信はなかったけど、なんとなく君はその花のことを気にかけているようだったからね。それだけだよ。少しでも時間がずれていたらたぶん会えなかっただろうし、むしろ会えたことに一番驚いているのは僕の方さ」
少女の視線がスノーフレークからこちらへと対象を変える。静かに涙を流す黒い瞳は僕を見つめる。今度は僕が問いかけた。
「どうして泣いているの?」
「わからない。とても悲しいの」
悲しくて泣いていると、そう答えた。
僕はわからなかった。少女が何に対して悲しみの涙を流しているのか。なぜ枯れたスノーフレークに対して、そんな風に感情が零れ出るのかわからなかった。
死神の少女は再び視線をスノーフレークへと移す。その場にしゃがみこんで、枯れた花を両手ですくい上げるかのように優しく触れた。
刹那、少女の手の中にあるスノーフレークスはまるで生を取り戻したかのように、緑色の模様が特徴的な白くて小さな花を咲かせ始める。
「命を与えたのか?」
その問いに対し、立ち上がった少女は首を横に振って答えた。「命を元あった場所へ還したの」
「どういうことなんだ? だってこの花はこんなにも綺麗に咲いているじゃないか。死んでいるようには見えないよ」
「目に見えるものだけが死とは限らない。死は境界のようなもの。死によって生は魂から解放されるの」
死によって生は魂から解放される。魂が死によって生から解き放たれるという話ならばまだわからなくもなかったが、生が魂から解き放たれるというのはどういうことなのだろう。少女の話では、まるで生が魂によって縛られているかのような印象を抱かずにはいられなかった。
疑問を投げかけようとした時、ふと少女の手の中にあるスノーフレークに視線を奪われた。僕はその花が春先にどのように咲いていたのかを知らない。けれど、少女が手にしているスノーフレークはまるで「生」を象徴しているかのように美しく、力強く咲いていた。花びらは太陽の日差しの中でも淡い光を放っているのではないかと錯覚するほど白く、深碧の葉茎は瑞々しくも精強に伸び生えている。
そのスノーフレークを見ていると、少女が言ったことのほんの断片に指先が触れられそうな気がした。もしかしたら少女は、死が生を補完するという意味合いを持つものであると言ったのではないか。死はその人の時間を永遠に止める。この先どれだけの時間が経過し、社会のありとあらゆるものが変化しようとも、ナズナが十九歳のままであるように。そして、生きている者だけが時の流れという変遷の中で歳を経ていく。やがて死が訪れるその時が来るまで。
死は決して美しくない。花を散らしながら朽ち果てることもあれば、本人が幸せを噛みしめ生きることを望んでいたとしても時として無情にも奪われることだってあるし、パンダの赤ちゃんのように生を受けて間もないまま果ててしまうことだってあるのだ。そして、死が決して美しいものとは限らないのと同じように、生きることもまた美しいものであるとは限らない。スノーフレークはこの場所で梅雨の雨風に晒され、照りつける太陽に身を焼き、夜の寒さを受けながら、懸命に花を咲かせたのだろう。もしかしたら人や動物に踏まれることだってあっただろうし、その花は決して美しいものではなく、花びらが欠けていたり、色褪せていたり、虫や病気によって蝕まれていたかもしれない。
けれど、死によって時間が永遠に止まった時、たとえその身が朽ち果てても、記憶や思い出が消えて無くなってしまうわけではない。そうしたものの中で、いうなれば生き続ける。そしてそれは記憶や思い出であるために、必ずしも生きていた時のありのままの姿であるとは限らない。僕の目の前で咲き誇るスノーフレークがそうであるように。ナズナとの思い出が、今や僕の中で特別なものになってしまったように。
「君はずっと傍にいたんだね」
死神の少女がこれまでにどれほどの人たちを見送っていったのかはわからない。けれど、少女はいつも彼らの傍にいて、彼らの命が終わるその瞬間まで見守っていたのだろう。
少女は彼らが生きている時と、死んでからの生を知っている。その人が今どのように生きているのかを、そしてどのような最期を迎え、旅立つのかを目にしているからこそ、涙を流すことができるのだ。そこには命の重比や区別などというものがない。だから少女は、枯れていた花に対しても、その死に感情が溢れ出すのかもしれない。
「まるで君はその花みたいだ」
少女のことを思うと、感極まって僕はそんなことを口走っていた。死神の少女はこちらを見つめながら少しだけ首を横に傾ける。表情は依然として変化がないのにもかかわらず、なぜかその一瞬だけは、少女が驚いているように見えたので、僕は慌てて言葉を取り繕った。
「スノーフレークの花言葉だよ。『純粋』、『純潔』、『汚れなき心』、『皆をひきつける魅力』、『記憶』、『慈愛』。君はどの言葉にも当てはまるから」
「私……みたいな花……?」
手の中のスノーフレークを少女は見つめる。そうして何を思っているのか僕には想像もつかなかったが、少女が戸惑っていることは察することができた。
「名前が無いんだよね、確か。それなら僕が決めていいかな?」
少女には名前がない。それは少女を認識することができる死期が近い人間よりもそうでない人間の方が圧倒的に多いせいで、出会う機会自体が限られているからなのか、それとも少女の役目の性質上なるべく人間とはかかわらないようにしているせいなのか、はたまた口下手な少女はかかわるとしても最小限の言動で事を進めているせいなのか、いくつか想像の余地はあったものの、死神という存在すらまだよくわかっていない僕には何一つわからなかった。一つだけ言えることは、名前が無いのは不便だしかわいそうという、人間としての視点からの意見だけだった。
再び少女はこちらに視線を移す。返事はないままだったので、僕はそれを同意と、勝手に受け取ることにした。
ふと、ナズナとの思い出が頭の隅で甦る。
――ナズナの花言葉は『あなたに私のすべてを捧げます』って意味があるんだよ。
そう言って僕に「好きです」と告白したナズナ。
花を愛していたナズナは、僕に「ヒナギク」という呼び名をつけた。それは僕の名前の響きから発想を得た呼び名であって、実を言うと最初はあまり好きではなかったのだけれど、雛菊の花言葉の一つが『あなたと同じ気持ちです』と知って、僕はナズナのことがより一層愛しくなった。それがきっかけで、今まで何の興味も抱かなかった花たちに興味が湧いて、僕は自分で花や花言葉を調べるようにまでなった。
ナズナを妹に紹介した時、最初妹はずいぶんとナズナを煙たがっていたけれど、僕と同じように名前の響きから「ハナミズキ」という呼び名をつけられ、ほぼ一方的にナズナに可愛がられていた妹は、いつしか僕よりもナズナと出かける機会が多くなっていた。ハナミズキの花言葉は『返礼』、『華やかな恋』、そして『私の想いを受けてください』。ナズナが妹の恋心をどの程度把握していたのかは今となってはわからないが、僕と同じように妹のことも愛していたのは紛れもない事実であった。
ナズナがいてくれたからこそ、僕と妹は少しずつ変わることができた。ナズナが恋人だったからこそ、僕は花を好きになった。
だから、僕が死神の少女に花の名前をつけるのは、ナズナが傍にいてくれた影響なのだ。きっと。
「ユキノカケラ。スノーフレークをそのまま日本語にしたものだけど、こっちの方が君にぴったりだと思って」
「ユキノ……カケラ……。それが私の……名前?」
「ああ。白い花弁も、色白の綺麗な肌に合っているよ」
「名前をつけてくれた人はあなたが初めて」
そう言ってユキノカケラは首を少し傾けさせながら、手の中で美しく咲くスノーフレークをそのまま髪へと結んでいく。名前はその人を縛ると、何かで耳にしたことがあるが、少女は花を髪に結ぶことで、その名前を自身のものにしようとしているのかもしれない。僕が名前をつけたのと同じようにあっさりと、少女は花を髪留めのように取りつけた。
「似合う?」
少女の表情は変わらない。喜んでいるのか、怒っているのか、楽しんでいるのかも定かではないが、時折人間らしさを感じさせる瞬間があって、僕はそれがなんだか愛らしく思えてくるのであった。
和む僕を余所に、ユキノカケラは唐突に問いかける。「あなたは何者なの? どうして警告を無視して会いに来たの?」
「僕は死が何なのかを知りたい。だから、会って話がしたかったんだ」
続けて問いかける。「死とは何だ? さっき、死は境界のようなものと言ったけれど、死神ならば死がなんなのか知っているんじゃないか?」
「私にもわからない」
その返答で納得できるはずもなく、さらに疑問を投げかけようとした。少女が次に続く言葉を綴ったのは、正にその時だった。「だから、私も死を知りたい」と。
考えれば、単純なことだ。死神だからといって、少女は死のすべてを知るわけではないのだから。
けれど僕の頭の中を支配したのは、少女もまた自分と同じように死を知りたいと願っているという事実だった。それがあまりにも意外で、驚きのあまり言葉を失った。
「これ以上、触れては駄目。あなたは死に惹かれ始めている。後戻りできなくなるわ」
「なぜ僕を助けようとするんだ? 死神が人の生死にどの程度干渉できるのかはわからないけど、もうすぐ死ぬんだろ。君は他の人には見えないし、僕にしか見えないんだから。
だからそうなる前に知りたいんだ、死が何なのかを。その答えを見つけなければ、どのみち次に進むことなんてできないんだ」
教えてほしい。「死」とは何か? 有史が始まって以来問われ続けている、その命題の真理を。
ユキノカケラは僕を見つめる。少女の視線と僕の視線が重なり、時間の感覚が微睡みながら乖離してゆく。どこまでも引き込まれてしまいそうな深淵を彷彿とさせる瞳は、僕のありとあらゆるものを見透かそうとしているかのようで不気味であったが、自身のすべてをあるがままに任せてしまいそうなほど、その美しさに惹かれていた。
「あなたは間違っている」
それは聞き逃してしまいそうなほど儚い声だった。
「死ぬのはあなたじゃないわ」
頭を殴られたかのような突然の衝撃に、僕は倒れ込んだ。それが実際に殴られたのではなく、物と物同士が激突する際に発せられる音だと気がつく頃には、人々の悲鳴や叫び声が聞こえ始める。公園内には、僕と同じように何が起きたのか把握できない人たちが立ちつくし、やがて衝突音がした有楽門の方向へと歩み始めた。
振り返ると、死神の少女はいなくなっていた。胸騒ぎがする。考えるよりも先に身体が動いた。
人を押しのけて走る。有楽門のところに群がりつつある群衆を掻き分け、交番から現れ現場を確保しようとする数人の警察官の隙間を抜ける。交差点へ出ると、そこは惨状だった。
砕き散らばった自動車の部品。路上に塗り引かれた血の跡。あらぬ方向に手足を曲げて絶叫する人や、既に死んでいるが明らかな程破損した遺体。電柱に衝突して大破した自動車からは黒煙と炎が上がり始めていた。
そんな地獄のような光景の中で、僕は見覚えのある姿を見つける。それは今朝、部活に行くと言って出ていった妹のミズキだった。跳ね飛ばれたままの状態で、動く気配は一切ない。
「ミズキ、僕がわかるか? お兄ちゃんのヒナギだ」
駆け寄った僕はミズキを抱き起こし、問いかけ続ける。路面に放射状に飛び散る血が、頭から地面に激突したことを物語っていた。
妹は目を見開いたまま、空を見つめている。返事はなかった。
「お願いだから答えてくれ。お兄ちゃんって呼んでいいから――」
そこで僕は妹から引き離された。僕を両腕で持ち上げながら引き離した警察官が、何を言ったのかは覚えていない。ただひたすらに僕は妹の名前を叫び続けたのだけれど、数を増やす群衆の中の嗚咽や飛び交う無数の声、携帯電話のシャッター音や駆けつけた救急車のサイレン音によって埋もれていった。何もかもが日常から乖離した異常な光景だった。
事故現場の規制線の外へと連れられた僕が人々の合間から最後に妹の姿を見た時、その傍らには死神の少女が立っていた。黒い和服に身を包み、髪には美しく咲くスノーフレークをつけているユキノカケラは、足元のミズキを見つめながら、この場にいる大勢の群衆の誰にも存在を認識されることなく、ひとり静かに涙を流していた。
*
日比谷公園前の交差点で起きた事件は、連日のニュースの一面を飾った。
日本の首都機能が集中する霞が関近くの交差点で、突如暴走した自動車が他の自動車と接触しながら歩行者を跳ね、電柱にぶつかって炎上したことから、当初はテロが起きたのだと、SNSなどを中心に一気に人々の関心を集めた。事件の全貌が報道され、テロではないことはすぐに知れ渡ったものの、発端となった自動車の暴走が運転手の男性の突発的な病死が原因であること、発作による急死でアクセルを踏んだまま交差点に進入し、部活帰りの女子高生や他の歩行者を跳ね、十数名の死傷者を出してしまったことなどから、事件の話題は一週間近く続いた。病死した運転手の男性の他、巻き込まれた女子高生のミズキ、ミズキの友達、歩行者の老人とその孫である小学生の男の子の四人が死亡し、三人が重体、八人が重軽傷を負う惨事だった。
ミズキの葬式は、同じく事故で亡くなった女友達と一緒に執り行われ、報道陣を含む多くの人達が参列した。事件後、僕のところには、トメさんや他の親戚、警察官やミズキの学校の校長や担任の教師、部活の顧問やミズキの友達、事件の心境を尋ねる報道陣や葬儀社など、両手で名前を数えきれないほど多くの人達がやってきたのだが、彼らが望む対応を演じることなどはできずに、一人また一人と去っていった。
僕からしたら、彼らはカラスでしかなかった。ミズキの死に群れる数多のカラス。その中にはもちろんミズキの死を本当に悼んでくれている人も確かにいたが、訃報を聞きつけて群れを成している以上、死肉を喰らおうとする者たちとなんら変わりはなかった。いずれミズキが死んだことすら忘れて、彼らは生きていくのだから。そしてそれは兄妹である僕も同じなのだから。
降り注ぐ雨は初夏の暑さを忘れさせるほど冷たく、傘を差していない僕の身に染み込んでは体温を奪っていく。雨音は激しさを増すにつれて静寂を生み、草木は雨で青葉の色をより深く彩ってゆく。
ミズキと両親が眠る墓は郊外の墓地の一角に置かれている。平日の昼間で、天気が悪いためか、墓地には僕以外の人気(ひとけ)はなかった。彼岸や盆の度に足を運んではいたけれど、墓石の目の前に辿り着くまでずいぶんと遠く感じた。
「哲学者ハイデッガーは、死という現象が人間存在について『有限』と『孤独』を示していると、差し詰めそんなことを言ったそうだよ。僕には彼の著書である『存在と時間』が難し過ぎて、終ぞ理解できなかったみたいだけどね」
後ろを振り返ると、ユキノカケラがそこにいた。
黒染めの着物に身を包み、雪のように白い肌を着物の裾から露出させている。艶やかな黒色の長髪には、花弁の先に緑色の模様をつけた白い花が美しく咲き、少女の髪をより黒く際立たせていた。黒い瞳は透き通るように澄んでいて、僕という存在をどこまでも深く見つめている。降り注ぐ雨は少女を濡らさず、そこに何もいないかのように通り抜けていった。
「死期が迫っている人が君を認識することができるんだと勘違いしていたよ。正しくは、自身の死を認識している人のみが君の姿を見ることができるんだ」
認識には、それが意識的なものなのか無意識的なものなのか、あるいは積極的か消極的かといった違いはあるだろう。だがどのみち、自身に死が差し迫っていることを本人が少なからず知らなければ、死神の少女の姿を捉えることはできない。なぜなら、死は各自のものであって、誰かに代わってもらうことはできず、自分で自分の死を引き受けなければならないからだ。
ミズキを含め、事故で亡くなった人たちは、あの日あの場所で自身が死ぬことなど、全くと言っていいほど思ってもみなかったに違いない。病気で急死した運転手にしてもそうだ。自分が死ぬことを知らなかった。死が近づいているとわからなかった。だから他の人達はユキノカケラの姿が見えなかったのだ。
ならば、どうして僕には少女の姿が見えたのか。
その答えは想像がついた。僕は死を考察する内に、死に近づき過ぎたのだ。本来僕自身が辿るべき道を逸れ、踏み越えてはならない領域へと知らず知らずの内に踏み込んでいたのだろう。異常だったのは僕の方で、見えるはずのないものが見えていたのだ。
死ぬはずでない人間が死へと向かいつつあった。だから、ユキノカケラは警告したのだ。死に近づき過ぎている。死に触れてはいけないと。
「僕は愚かだ。死について考えなら、何一つわかっていなかったんだ。剰え、近々自分が死ぬと錯覚し、ろくでもない使命感に囚われ、ミズキの身に死が差し迫っていることに気づいてやれなかった」
「死は私にも変えることができない。あなたが干渉しても死は変わらないわ」
「そうだね。死はそういうものだ」
けれど僕は思うのだ。たとえ死という結果は変えられなかったとしても、何かを変えることができたのではないかと。
これは我が儘だろうか。もしかしたら都合の良い希望に縋りたいだけかもしれない。後悔によって自身が束縛されるだけだというのに、僕はそう思わずにはいられなかったのである。
「君が来たってことは、いよいよ僕の番か?」
「まだあなたは死なないわ。けれどもう」
粉雪のように儚い声は雨音の中へと溶けていった。それだけ聞けば十分だった。
雨が勢いを増してゆく。濡れた服が風にあおられ、寒さに身が軋む。痛いほど冷たくて、急に誰かの温もりがほしくなった。
けれど、僕の傍にはもう誰もいない。恋人であったナズナも、妹のミズキも、もうこの世にはいないのだ。
そう思うと、涙が溢れ出てきた。寂しくて、孤独で、ひとりでいることが虚しくて。そして気がつくのだ。二人が居てくれたから、僕は僕でいられたのだと。
ミズキがいてくれたから、両親が居なくても寂しくはなかった。僕の大切なたった一人の家族。最初に見つけた、守りたいもの。喧嘩することもあったけど、それはミズキのことを本気で想っていたからなんだ。怖いものがなかったのも、ここぞという時に勇気を出せたのも、ミズキが僕を好きでいてくれたことが自信になったからなんだ。
ナズナがいてくれたから、他の人に愛されるってことを知った。初めて、この人と一緒に同じものを見て、ずっと一緒に居たいと思えたんだ。それまでなんの興味も抱かなかった花が好きになったし、自分で花の種類を言い当てることや花言葉を覚えることだってできるようになった。この人の為に生きたいと思えたのは、ナズナが僕を愛してくれていたからなんだ。
「どうして僕はひとりなんだ」
死は嵐のようだ。目の前に現れたかと思えば、瞬く間に去ってゆく。何が起こったのかを理解するのは、いつも過ぎ去ってからだ。そして奪われていったものが、自分にとってどれだけかけがえのないものだったのかを知るのも。
死は誰にでも等しく訪れるものだと知っていたはずなのに、なぜこんなにも悲しくて苦しいのだろう。寂しくて、胸が張り裂けてしまいそうなほどつらいはずなのに、どうして僕はひとりで立っていられるのだろう。
「大切な人を失っても、僕は自分の足で立っている。それがたまらなく怖ろしいんだ」
止めどない思いは雨の中へと溶けて消えてゆく。このまま、この身も溶けてしまえればいいのに。そうして天を仰いだ時だった。温もりが僕を包んだ。
ユキノカケラは僕に寄り添いながら静かに涙を流していた。その温かさに縋りたくて、そっと抱きしめる。そうして僕はナズナの死を、ミズキの死を思い知った。零れる感情は声となり、雨風を掻き消すほど僕は泣き続けた。
身に溜めていた感情全てを吐露し、涙が出なくなるまで泣くと、いつの間にか足の力が抜けて、その場に崩れていた。寄り添いながら涙を流し続ける少女を見上げる。少女こそが死なのだと、僕は理解した。
「あなたの魂は私が還してあげる」
耳元でそっと告げた少女は、最後に僕の頬を手で優しく撫でると、瞬く間に消えていた。僕の前から去っていったのだ。
雨はしとしとと墓地に降り続ける。ここには僕以外、誰もいない。その場所には柵も、生きる中で僕を繋ぎとめていたあらゆるものもない。墓場は生者が行く最果ての場所なのだ。
だから、僕は考えることにした。死について、死神の少女について。死の全てを知るために。
やがて訪れる、その時が来るまで。
――so, I began to think about the "Death".
●参考文献
『存在と時間(中)』 ハイデッガー著 桑木務訳 (岩波文庫)
『死の壁』 養老孟司 (新潮新書)
『「死」を哲学する』 中島義道 (双書 哲学塾)
『死ぬ瞬間―死とその過程について』 エリザベス・キューブラー=ロス著 鈴木晶訳(中公文庫)
『面白いほどよくわかる! 哲学の本』 秦野勝(西東社)
「実存哲学講義」 朱門岩夫
(http://www.geocities.jp/studia_patristica/exis0.htm)
「失踪宣告:よくわかる相続の基礎知識」 すがぬま法務事務所
(http://www2.odn.ne.jp/~cjj30630/shisso.html)
他多数の資料を活用させていただきました。
ご精読ありがとうございました。