恋愛のススメ
はじまり
暑い夏の昼下がり。
何もしてなくても日の光が当たればうっすらと汗ばむこの季節。
学校の課題も既に済ませて、涼は何をするでもなくただただボーっとしていた。
ちょうど1年前に事故で両親をなくしてからこの広い家に1人で生活することになった「西木涼」は、関西にいる祖母が帰ってこいというのにも関わらずこの東京で1人で暮らしていくことに決めた。
両親の残してくれた財産は結構な額で、学費や生活費など困るものはない。
それだけではなくこの大きな家まで残していってくれた。
東京のはずれのためこんな広い家を建てる事ができたんだと、いつか父親が言っていた言葉を思い出す。
もちろん一軒家に1人で住むのは少し寂しいものもあるが、それでも涼はこの家が好きで手放す事はしたくなかったのだ。
両親の思い出の残る、この家を。
そう素直に話すと、祖母もすぐに納得してくれた。
そして、辛くなったらいつでも帰っておいでと言ってくれる祖母に心の中で感謝しながら、涼は毎日を平凡に過ごしていた。
そんな祖母から毎年のように送られてきたスイカが今年も届いたのは昨日のことで。
そういえば今日友人が遊びにくると言っていたのを思い出し、1人で食べられないであろうそのスイカを一緒に食べるために、涼は庭にある小さな簡易プールでスイカを冷やしはじめたのが1時間前のことだった。
(おばあちゃんのスイカ、おいしいもんなぁ)
丸々と大きく綺麗な形で育ったスイカを横目で見ながら、後からドタドタと来る予定の静と篤史の喜ぶ顔を思い浮かべる。
それにしても、暇だ。
涼は基本的に課題は出されてすぐに終えて後から楽をしたいというタイプなため、既に何もすることがなくなっていた。
バイトとしてやっているコンビニも今日は休みだ。
何をするでもなく、ただこうやってスイカが除々に冷えていくのを見るだけの1日になりそうな予感を感じながら盛大に溜息を吐き出す。
カタン
ふと、音がした。
いつもならうるさい蝉の鳴き声で聞こえないような小さな音が、玄関のほうから。
「静?篤史?」
こんな時間にくるなんて聞いてない。
涼は携帯の時計を見て、2人がくると言っていた予定の時間よりも1時間も早い事に顔をしかめながら立ち上がる。
何をしてたわけでもないが、なんとなく重い足取りのまま玄関へと向かった。
「………あれ、」
どういうわけか誰もいなかった。
人の気配は一切せず、風が吹いて何かが倒れたというわけでもなく。
ただ1ヶ所だけおかしかったのは、玄関に小さな箱が置いてあったということだけだった。
箱を手に取りもう一度辺りを見渡すがやっぱり誰もいない。
そして視線を箱に移す。
「……差出人も宛先もあれへん」
***
もう一度スイカの隣においてある椅子に腰掛けた涼は、その手の中にある箱を四方からジッと見つめた。
どこから見てもただの黒い包装のされた箱。
やっぱり差出人の名前もなけりゃ、宛先さえない。
家の前の表札を見ているなら自分宛に届いたものというのは間違いなさそうだが、さてどうしたもんやら。
ジッと考えてみるがそうしていても埒があかない。
そうして出した結論は、
「あけてみるかな」
涼は勢いよくその黒い包装紙を破った。
「なんや、これ」
中に入っていたのは10個の丸い小さくてカラフルなボールと1枚の紙。
ボールを手にとってみるが硬いような、でも手触りはいいような。
今度は紙を手にとってみる。
「なになに…『お待たせいたしました、お約束していた物です。使い方はとても簡単!水につければOKです。型がなれば、後はお客様の自由にお使いください』……え、何が?このボールのこと?」
全く理解ができなかった。
何を水につければOKなのか。
型がなるってどういうことなのか。
自由に使うってなんのことなのか。
むしろ約束なんて一つもしてないんですけど。
涼の頭はパニックになりつつボールと紙とを何度も交互に見た。
「………」
頭の中で誰かが叫んだ。
わからないならやってみたらいい、と。
紙には水につけたらいいだけだと書いてあるのだから、そこから先は嫌でも勝手に事は進むのだろう。
そう思うと一気に喉が渇いたような気がした。
ゴクリと音を鳴らして何の音も聞こえない。
ただ自分のドクンドクンという胸の鼓動の音だけがいやに響いて。
涼は知らずの内にボールに手を伸ばしていた。
「ボールを、水につけるだけ…」
手にしたボールは10個の中でも特にはっきりとした黒いものを選んだ。
ピンクやオレンジといったカラフルなボールを選ばなかったわけは特にないが、ただなんとなく黒いそのボールに惹かれたのだ。
不思議な感触のするその黒いボールをマジマジと見つめるが、やっぱり特に変わった所はない。
辺りをキョロキョロと見渡すと、先程のスイカの入ったプールが目に入る。
「うわー…うちって用意えぇんとちゃうん…」
自分が意図的に用意したものではないとしても、ちゃんと置いてある事にはかわりないそのプールを見て亮は自分自身に苦笑した。
そして中にいれてあったスイカをいそいそと別の場所に移動させる。
別に中にスイカが入ったままでも良かったのだが、もし爆発やらなんやらが起きてしまったらという事を考えてのことだった。
そして準備が整ったところで、ボールを手にしてプールの前に立つ。
「………」
少なからず緊張している自分に笑いそうになりながら、ボールをプールに乱暴に投げ入れた。
………
……
…
「なんや、なんもないんかい」
ドキドキと鼓動打ってた心臓と、乾燥しそうなぐらい瞬きもせずにしっかり開いて見ていた割りに、結局何も起こらないボール。
涼は本気でガッカリしながら肩を落とした。
「そりゃこんなんで何かあるとは思われへんけど、もしかしたらって思うてもうたやん」
心のどこかで、もしかしたら退屈なこの1日の暇をつぶすような事ぐらい起きるんじゃないかと期待していた分、なぜか裏切られた感があるのは否めない。
重みがあったのか水の中に沈みきった黒いボールを見て、涼はまた盛大な溜息を1つ吐いた。
そして独り言で物々と文句を言いながらスイカを元に戻そうとボールに背を向けた、その時だった―――
ボン!
「…ボン?」
「こらぁ!」
なんだか大きいような、それでもマヌケな音が聞こえた。
そう思ったら、自分が振り向くより先に怒鳴り声が聞こえた。
「乱暴な投げ方したらアカンやろ!俺怪我するやんけ!」
振り返ればそこには、知らない男が全裸で立っていた。
全裸の男が現れてしばらく、涼は固まってしまったまま動けないでいた。
男はぶつぶつと言いつつ服を着ようとしない。
むしろ服がどこにあるのかさえわからない。
そして同じ男とはいえ目のやり場に困る。
しかし次の瞬間、ドタバタと音が聞こえてきた。
そう思ったら今度はシルクハットをかぶったちっちゃい男の子…いや、年齢はさほど変わらなさそうだが、まぁ変わった感じの男の子が入ってきた。
「佐々木さん!?」
「……え?あ、いや、違いますけど…」
「さ、佐々木さんとちゃうのっ!?」
「はぁ……西木です」
「……やってもうた…」
突然人の家の庭に入り込んできたシルクハットの男の子は、涼の名前を聞くと同時に頭を抱えてその場にしゃがみこみ顔をしかめた。
涼は涼で、いまだ状況を把握できてないためその男の子の行動を見ておく事しかできない。
というかその子から視線をはずすと、どうしてもさっきの全裸の男に目がいきそうで怖かったのだ。
「……えーと、君、ちょっと状況を…話してくれんかなぁ?」
「…西木さん、でしたね。こうなったらしゃあない。とりあえず、あなたにモニターになってもらいます」
「は?」
そういうと男の子はすくっと立ち上がり涼に向かってニッコリと笑みを向ける。
つられて微笑んでしまった涼だが、なんとなく嫌な予感がした。
「はじめまして、僕の名前はヤスダ。Aコーポレーションに所属しています、あ、これ名刺です。先程は大変失礼な事をしてしまってごめんなさい」
名刺を手渡しふかぶかと頭を下げるヤスダ。
その手際の良さに内心感心しながらも、涼は名刺を受け取りいぶかしげにヤスダを見る事しかできなかった。
「あ、怪しいもんじゃないですよ」
(いや、見るからに怪しいよ)
「実はですね、ちょっとした手違いで別の…佐々木様というお客様に渡すはずのサンプルを、あなた様にお渡ししてしまったんですよねぇ」
あぁ、さっきのボールのことか。
涼はようやく理解できたように小さく頷いた。
「あれはちょっと特殊な物でして、返品が聞かないんですね。見たところ使ってしまったようですし…そこでワタシ、決めました」
「…なにを?」
「佐々木様には申し訳ありませんが、今回のモニターは、西木様にお願いしようと思います」
また話がこんがらがってしまった。
モニターってなんだ?
というか俺の意見はどうなるんだ。
またもや不思議そうな表情になる涼だが、今度はヤスダもとんとんと勝手に話を進めていこうとする。
「ちょ、ちょっと待って。モニターってなに?っていうか、あれなんなん?」
「……急だとわかんないですよね」
慌てて話をさえぎる亮を見て、ヤスダはふっと笑みを浮かべた。
そして改めて軽く礼をすると、「説明しましょう」と聞きやすい通った声で話し始めた。
「わがAコーポレーションは、一言で説明するとアンドロイドを作って提供している会社です」
「アンド、ロイド…」
「はい。一概にアンドロイドと言ってもわかりにくいですが、見た目は人間と変わりません。いわゆる高性能なロボット、と考えていただければと思います。アンドロイドを作っている会社は少なくありませんが、」
(そうなんや…)
「我が社は特に高性能な物が多いと評判なんですね。お客様のニーズに応えるという事がモットーなので、いろんな種類のアンドロイドがいます。使い方はお客様次第ですしね」
「はぁ、」
「ただ家事全般をやってくれるアンドロイド、自分とソックリに作って身代わりにするアンドロイド、子供の友達にといって小さなアンドロイドもいます」
「へぇ」
「そして今回、新たに作り出したアンドロイドがあるんです。それが、今西木様が手にしてるそのボール!」
「この、いろんな色の?」
「はい!今回のコンセプトはシチュエーションラブです」
「シチュエ…ラブ?え?」
「シチュエーションラブ。いわゆる恋愛型アンドロイドですよ。ただその場にいるアンドロイドではなく、お客様のご要望で作り上げられたシチュエーションが実在になって現れるんです」
「……どういうこと?」
「んー、難しいですかね。じゃあ…たとえばさっき出たそこにいる彼!」
「え、このマッパの?」
「はい、この彼がこの恋愛型アンドロイドの試作品第一弾なんです。この彼、一応名前は『横川 悠』っていうんですけどね。この横川くんのシチュエーションは昔は仲良く遊んでいて、つい最近ちょっとかっこよくなってきた幼馴染のお兄ちゃんです」
「………」
「こうやって水から作られた時点でもうそのシチュエーションは生まれてるわけなんです。作り上げた人を中心として成り立つこの関係なんで、今彼は西木さんの幼馴染としての記憶がインプットされてるんですよ」
「えっ!?」
「他のボールもそうですよ、いろんなシチュエーションがあるんです」
「…ちょ、ちょっと、」
「彼はまだ試作品の段階なんでいろいろと不都合もあるかもしれないですけど、それを試してもらうのが西木さん、あなたになったんですよ。本当は抽選で決まった佐々木様にお願いするはずだったんですけど、あけてしまったからにはもうしょうがないですしね」
そこまで言われて、ようやく涼は彼・ヤスダの言いたい事が理解できた気がした。
佐々木さんという女の人が本来行うはずだったのは、Aコーポレーションのこの恋愛型アンドロイドの試作品との擬似恋愛。
その内容ををモニターとしてヤスダに報告する。
しかし佐々木さんに宛てられた荷物は間違って自分のところにきてしまい、それを自分が開けてしまった。
このアンドロイドは返品できないので、ヤスダの考えたのは―――
「あたしが、このマッパと、恋愛…?」
「はい!」
「ア、アホかーっ!!!!」
考えるのもアホらしい。
涼は目の前で不思議そうな顔をしているヤスダにワナワナとした手を抑えながら怒鳴りこんだ。
普通に考えれば当たり前のことだ。
箱を渡す相手を間違えたのはそちらのミス。
それを返品できないからと言って、よりにもよって自分と恋愛ごっこをしろって言ってきた。
「断る。あたしやって好みってもんがあんねん」
なんだかワケのわからない断り方になってしまった。
別に好みがどうとかっていう問題じゃない、ただアンドロイドに抵抗があるんだ。
涼はヤスダに背を向けて、いまだ服を着ないでさっきまで自分が座っていた椅子に腰を下ろしている横川悠に目をむけた。
「ほら、アンタもそんな格好で風邪ひくでしょ。この子と一緒に帰り」
アンドロイドだから風邪なんて引かないんだろうと思いつつも、一応礼儀としてそう言葉にする。
しかし横川は不思議そうにこちらを見たまま動こうとしない。
「あのねぇ―――
「涼、なんや大人になったなぁ」
「え?」
「なんか前まで俺にくっついてただけのちっちゃいガキやったのに。今に追い抜かれそうやわ」
そう言って笑う横川。
涼は唖然として横川から視線を逸らす事ができなかった。
「僕の言う事、わかっていただけました?…もう彼には自我があるんです。彼の中であなたは幼い頃からの妹のような存在になってるんですよ」
これが、返品できない理由です。
ヤスダのその言葉に、涼は身をもって痛いほどその訳を理解してしまった。
けれどそんな事突然言われても自分にはどうする事もできない。
涼は先程よりも勢いのなくなった口調でゴニョゴニョとそうヤスダに訴えかける。
「……いいんですか?」
「は?」
「こちらのミスで荷物を届けてしまった事は謝ります、確かに私が悪い。でも…身に覚えのない商品を勝手に開けて、さらに商品を水にいれてしまったのは―――西木様、あなたの過失となります」
「う」
「このボール、1つ処分するのにどのくらいの費用がかかると思います?」
「……ぇ」
「1つ、3000万です」
「3000万!!??」
目の前が真っ白になってしまった気がした。
いや、いっそこのまま倒れて次起きた時には夢でしたってオチならどれだけいいか。
こちらを見てニコッと悪魔のような微笑みを向けるヤスダが心底憎たらしかった。
そして残りのボールが入った箱を手にして、ググッと力の入る拳を抑える。
こんなボールのために、こんな、たかがボールのために―――
「涼!きたぞ!」
「お邪魔しまーすっ」
「うわぁっ!」
「あ」
ポチャン
突然やってきた訪問者・静と篤史に驚いた涼。
手に持っていた箱が手から離れて嫌な音がした。
もちろん、そこに9人の真っ裸の男が現れたのは言うまでもない。
アンドロイドとの生活
あの事件が起きてから夏休み真っ最中な涼の生活は、今までとは全く違うものになっていた。
静と篤史に驚いて思わず水に残りのボールを落としてしまった涼。
涼は慌てて静と篤史を家の中に押しやった。
こんな変なもの見られてしまっては説明しようがない。
ましてや「あたし今から恋愛するんだ、10人の男と」なんてどう考えても説明したくない。
2人はぽかんとしているもののヤスダの姿を見て「お客さんきてるならまた別の日にするか」と言って、きた時と同様パパッと手際よく家の玄関から帰っていった。
そして涼がホッとしたのも束の間、もう一度庭に戻ってきた時にはすごい事になっていた。
真っ裸の男が、横川を合わせて丁度10人。
服を着ているヤスダや自分がおかしいのではないかというぐらいの光景で、涼はまた眩暈を起こしそうになる。
ヤスダは「3000万が10個…どうしますー?」なんてニヤニヤと言ってくる。
自分にはもう選択権などない事なんてわかりきっているのに。
黙り込む涼にヤスダは、
「とにかく簡単に恋愛を楽しむ気持ちでいいんですよ。別に結婚しろって言ってるわけじゃないですし」
と言う。
そんなこと当たり前だ!と言い返したかったが、そんな気力も失せた状態の涼はまだ目を覚ます事なくその場に横たわった9人を見た。
そしてあれから。
嫌だと言っていたわりにこの状況をどこかすんなりと受け入れてしまってる自分に気付いてしまっていた。
ヤスダの計らいで彼ら10人には「生活」が与えられた。
佐々木さんに渡す時から大体は決まっていたのか、住む家や仕事なども元からある設定で。
幼馴染という設定の横川と、もう1人自分の兄という設定の「日那(ひな)」だけは突然住む場所を作る事ができなかったため、あの広い錦西木家に住む事になった。
ヤスダの言う通り彼らは10人とも違う容姿と性格で。
しかもなんとオマケに10人とも自分の事を好きになるように作られているらしい。
これはこういうお客様が多いからというが、もう自分は彼らの中で恋愛対象になっているのかと考えると少し引いてしまう。
自分は彼らの事を何1つ知らないのに。
こんな10人と自分は擬似恋愛をするのかと考えると、涼はこの先がとても不安でしょうがなくなった。
「りょう、メシできたで」
「あ、うん。今行く」
自分の名前を呼ぶ声がキッチンの方から聞こえ、涼はもう違和感もなく普通に答えると声のした方へと向かった。
キッチンで待つのは2人。
一番初めに自分の前に現れた横川悠、そして日那。
横川はヤスダの説明通り幼馴染の兄のような存在として今ここに居候している。
ちょっと口うるさいところもあるが、案外優しいところもあり涼とも気が合った。
そして日那は「重度のブラコンで自分を第一優先してくれる実の兄」という設定らしい。
「今日の晩何食いたい?」
「んー?なんでもえぇよ、作ってくれるなら」
「そんなんやったらわからんって。何でも好きなもん作ったるから言い?」
「じゃあ…オムライス」
もう、実に、こんな感じと言ったところで。
涼の言葉を聞くとそれはそれは嬉しそうに「おっしゃ」と微笑む日那。
なんだかそんな日那を見ていると本当に兄ができたみたいで、これはこれで悪くないと思ってしまっている自分がいた。
しかも、
「なぁヒナ、今日図書館行く言うてたやろ?」
「あぁ、大学の課題やろ?」
「うん、俺も一緒に行くわ。調べたいもんあるし」
「ほなそうしよかー」
横川と日那の設定は(ヤスダがしたのだろうが)小学校からの同級生という設定らしい。
自分の実の兄である日那と自分と幼馴染である横川はもちろん幼馴染で。
しかも年齢も一緒だという。
(しかし…ほんよくできてるなぁ)
そういった事も含めて、涼は更に感心した。
本当の人間のように接して、どこがアンドロイドかもいまだによくわからないこの人達。
自我を持って、彼らの中には自分との過去があって。
(あたしには、アンタらとの過去なんていっこもないのに…)
涼は、ほんの少しだけ寂しくなった。
「今日から新しく入る事になった大澤竜義くん、西木さん、君がいろいろ教えてやってね」
店長にそういわれて彼を紹介されたのはつい数時間前。
新しく店に入る事になった新人バイトくんの教育係として、涼は1日を費やす事になった。
店長は用事があるからという事で今日のシフトは2人。
はじめから2人だといろいろと大変なのではないかと考えもしたが、どうやら彼は経験者らしく手際よくいろんな事を覚えてくれた。
大澤竜義。
自分より1つ年下の彼は少し大人びて見える顔つきで。
身長も随分と高くてしっかりしているように見えた。
けれど中身はまだまだ子供と言った感じで、少し自分に慣れるとすぐに「涼ちゃん」と呼んでくるようにまでなった。
随分と人懐こいこの大澤は涼を気に入ったのか何でも彼に話しかける。
「涼ちゃん、両替するで」
「涼ちゃん、あれ新商品やなぁ」
「あ、涼ちゃんそんなところにほくろあんねんね」
一体何がどうなったのか、彼はぴたりとくっついて離れようとしない。
悪い気はしないのだがここまでくると不思議に思えてくる。
「……大澤くん、なんで君あたしにそんなにくっつくん」
「え?…なんでやろ?そんなんわからんわぁ~。あ、俺の事たつよしでえぇよ。たつよしって呼んで~」
「……」
本人もわかっていない様子で、むしろ話の内容は変わってしまっていた。
もう一度「なんで?」と聞いたが、彼は「別にえぇやん」とだけ笑って言いまた仕事に戻る。
なんだか変わっているけれど一緒にいても落ち着くような、優しい雰囲気のする子だった。
「あの子えぇやろ?年下でほんわかしとって、なんか自分よりおっきいのに…ほら、クマのぬいぐるみみたい」
「クマって…」
あの最初の事件から毎日のように家に遊び、もとい偵察にくるヤスダ言葉はなんとなく理解できた。
確かに、思わなくもなかったのだ―――クマっぽいなぁと。
「あの子涼と地元が近いって設定やから関西弁やねんで。えぇやろ?なんかそのほうが親しみやすいし。俺も関西やしそのほうがなんか嬉しい」
どうりで関西弁なわけだ。
そういう設定があったのかと涼はひとりで納得した。
そして…
(ヤスも関西なんや…)
その事も意外だったので少し驚いたが、ペチャクチャと別の事を話すヤスダを見てると、もうどうでもよくなってきてしまう。
「で、あの子あたしの事好きなん?」
「あぁ、そっか。言ってなかったやんね。多分まで好きになってへんのとちゃう?」
「え?まだ?」
そう不思議そうな表情を向けると、ヤスダは飲んでいたオレンジジュースをテーブルの上に置いてこちらに向き直った。
そして腕につけていた腕時計を見て時間を確認する。
今は8時だ。
まだ夜は長い。
「説明、するわ」
「うちのアンドロイドが高性能ってのは説明したと思うけど、それはなんでやと思う?」
「なんでって…なんで?」
「うちのアンドロイドはね、他の会社のアンドロイドにないものが1つあんねん。それは、「感情を持つ」ことやの」
「感、情…?」
「うん。普通ロボットとかって人間の言うとおりに動くやん?人間があれせぇこれせぇ言うて何も言わずにその通り動くの」
「…まぁ、そういうイメージやね」
「うちは違う。うちのアンドロイドは自分で感情を持つから嫌なもんは嫌って言うし、好きなもんは好きって言うんよ」
「え。じゃああいつらがあたしの事好きになるっていう事は…」
「いや、それやと恋愛型アンドロイドやねんから商売にならんよ」
「…じゃあ、どういうこと?」
「最初の設定はそれぞれあるし、設定通りに出会ったりするよ。それにどういう過程やろうと、涼を好きになるのは変わらん。やけど、その後は涼次第やねん」
「あたし、次第…?」
「うん、もしかしたら途中で涼の事嫌いになるかもしれんし、涼以外の奴を好きになる事やってある」
「そうなんや…」
「本当にね、彼らは人間と同じなんよ…」
「……」
「だから簡単に「処分」できん。自我を持った彼らを処分するってことは、人1人殺す事に値するんや」
「……」
「やけど、それぐらいリアルじゃないとアカン事ももちろんあるしなぁ。なんか難しいやろ」
本当に難しいと思った。
それなら最初から作らなければいいんじゃないかとか、そうまでして作るメリットはなんなのだとか。
たくさん考えてしまう。
だけど自分の知らない事はたくさんあって、多分そういう事も承知の上で作ってるんだろう。
「……ヤスも大変やねんね」
「ま、俺は仕事でやってるしなぁ!大丈夫やけど!」
「……」
あっけらかんとした表情のヤスダを見て、涼は前言撤回と心の中で呟いた。
.
なついてくる後輩 編
「ねぇ涼ちゃん、俺ね、実は最近ドラム始めてんよ」
涼は今日、夜勤でコンビニのバイトに入っていた。
コンビニは大体が2人体制、しかも夜中の店は大体客足なんてしれている。
そんな中、バイトの後輩大澤がレジでボンヤリしていた涼に声をかけてきた。
大澤竜義―――何を隠そう、この子もアンドロイド。
彼の設定は「やけに懐いてスキンシップの激しいバイト先の後輩」だそうだ。
確かに言葉通り自分にえらくなついている。
自分のする他愛もない話を楽しそうに聞いて、自分のちょっとした反応に笑ったり泣いたり。
こうやってバイトをしていて、仲良くなって、敬語とかも砕けて。
とっても気の合う後輩―――らしい。
つい最近ヤスダにあんな話をされたばかりの涼は、少しモヤモヤした気持ちを抱えていた。
『本当にね、彼らは人間と同じなんよ…』
ヤスダの言葉通りだ。
こんなに普通に暮らしていて、バイトもして、楽器を始めたって喜んで。
これのどこが人間じゃないっていうんだろう。
本人達は自分がアンドロイドだなんてこれっぽっちも知らないのに。
あたしとの記憶を信じて、あたしの事をすごく大切にしてくれて…
そんな人がまだ9人もいる、いや、世界中数えたらどれだけいるかわからない。
結局は人間のエゴじゃないか。
そうやって都合のいいように彼らを作って、都合の悪い時はアンドロイドだって言って処分するのだろう。
なんだかいたたまれない。
「涼ちゃん」
「えっ」
いつの間にか動きが止まっていたらしい。
新しく陳列する商品が届いていた検品の最中に考え込んでいた。
不思議に思った大澤が涼の顔の前で手を振る格好をして気付かせる。
(アカンアカン、結局振り回されてる、しっかりしなきゃ)
涼はなんでもないというようにニカッと笑みを浮かべると、また検品作業に戻った。
「そうや、今日朝交代したらご飯食べにいかん?」
作業も終盤に差し掛かった頃、時間にすると午前5時頃のことだ。
突然大澤が思いついたようにのほほんとした声で言った。
「え?あ、うん」
「やった。朝マックしよやー」
何気ない会話で朝ご飯に行く事になった2人。
時間はあっという間に過ぎて、すぐに交代の時間になった。
「食ったぁー」
「たつよしってほんま朝からあんだけよう食べるね」
「朝言うても今まで働いとったもん」
「まぁそうやけど」
朝の店は全くと言っていいほど人の出入りがなく、なんだか得したような気になってたくさん食べてしまった。
大澤は食べる事が本当に好きなようで通常の1.5倍ほど食べていたのを覚えてる。
食べている時の大澤も幸せそうな顔つきでいろんな事を自分に話してくれた。
存分に食べた帰り道、近くの公園で朝日を浴びながらちょっと休憩をする2人。
高校3年生と高校2年生の男子2人が公園のちっちゃめのブランコで遊ぶ姿は、ちょっとばかし異様だった。
「涼ちゃん明日もバイトはいってるん?」
「や、明日はないよ」
「そっか、寂しいなぁ…」
ブランコをグイッとこぎながら大澤が少し寂しそうにそう呟く。
涼は心ではわかっていてもなんだかビクリとしてしまった。
(寂しい、か)
大澤には家族がいない。
元々そういう設定で作られたらしいのだが、家に帰ってもいつも1人ぼっちで。
結局彼は、初めから「独り」なのだ。
それならばそれでいいのだが、彼には寂しいと感じる心がある。
東京に初めてきた時、自分も友達と離れてきたからそう感じた。
もちろんすぐに新しい友達もできたしそんな思う事もなくなったが、それでも―――
(お父さん、お母さん)
寂しい。
その感情を、もう忘れかけていたような気がする。
死んだお父さん、そしてお母さん。
あたし、やっぱり寂しいと思う。
涼は空に還った父親と母親に話しかけるように、空を見上げた。
「涼ちゃん」
「ん?」
「俺ね、やっぱ思った」
「なにが?」
「なんでかわからんけど」
「うん」
「俺、涼ちゃんのこと、好きです」
朝日が眩しくなってきた
気の合う同級生 編
「今日はグループで授業を受けてもらいます。実験だから4人1組ね」
化学の授業はどちらかというとあまり好きじゃない。
実験もめんどくさいし、何に対しても理論的。
それなら歴史とか英語とかそういった方がいい。
涼はそう考えながらも席を立った。
そして静と篤志の近くに行き、ドカッと勢いよく座る。
「お。今日はなんか機嫌悪いね?どしたの?」
篤志が涼の顔を見るなりケラケラと笑った。
機嫌が悪いとわかっているのに何故そういう事を言うんだろう。
涼はいつもなら笑って流せるような篤志の行動にもイライラしていた。
淳の言う通り、今日の涼は誰から見てもすこぶる機嫌が悪かった。
理由は自分でもわかってる。
ヤスダの言った言葉が頭の中から離れないのだ。
アンドロイドも人間と一緒だよ
(じゃあなんでその「人間」をあたしに10人も押し付けるんよ)
最初からわかっていた事なのだが、今になって苛立ちが隠せない。
そんなアンドロイドのうちの1人、大澤に告白のようなことをされた。
昨日の朝のことである。
大澤はすぐに、
「急に変なこと言ってごめんな」
と言ってぱっと背を向けて先に歩き出した。
そして途中で振り向いて、
「でも本気やから。また考えといて」
そう付け足して、彼は先に帰っていった。
涼は大きくため息をつくと見たくもない化学の教科書を開く。
「あ、4人1組かぁ」
「うちら3人じゃん」
「あと1人、誰か入ってもらわなきゃね」
静と篤志が「あ」と気付いて顔を見合わせる。
他の皆は4人にまとまりかけていた。
「あの、」
「へ」
どうしようかと静が口を開きかけた時、ちょうど誰かの声がした。
涼の後ろから少し高めの、でもこもった声。
「中村くんじゃん」
涼は反射的に後ろを振り返る。
そこには声の主だろう、ポテッとした唇が印象的な男子生徒が立っていた。
「え、と」
「あのさ、俺入りそこねて…入れてくんない?」
おとなしい印象で話をした事がなかった彼は案外にこやかに「入れて」と寄って来た。
静や篤志は「いいよー」「やろやろ」と言って彼の分のスペースを作る。
実験も順調にいき、その頃には涼の機嫌もいつものように戻っていた。
理由は多分、中村だろう。
中村雄輔。
クラスでは目立たない性格で基本的に誰とつるむという事もせず、その時に一緒にいたい人といたらいいじゃん、と言った彼の顔がとても印象的だ。
おとなしい性格かと思いきや案外毒舌だったり、表情豊かな部分もたくさんあって。
関西人の涼でさえ驚くほどツッコミが早かったりと、つつけばつつくほど色んな事がわかった。
真面目だし、少しビビリだし、でも頑固なところもあって。
可愛いところもかっこいいところも、全部ひっくるめて、涼は中村という男を気に入った。
「あー、今日は楽しかった!久しぶりかも、あんだけ一緒の人と話したりすんの」
「あたしもそうやなぁ…静や篤志は気が合うからよう一緒におるけど、あんま誰かとつるんだりってなかったもん」
学校からの帰り道。
実は方向が一緒だったという事が化学の時間にわかり、今日は一緒に帰ってみますかという事で今こうして下校している。
「へー、一緒一緒。めんどくさかったり?」
「そやね、ぶっちゃけめんどくさいね」
「なんだー!涼ちゃん気が合うね!」
「あたし中村がこんな感じやと思わんかったわぁ」
「俺もー」
あれだけイライラしていた午前中、中村と偶然一緒になって話しただけなのに。
それだけの事でこんなにも気分は軽くなるもんなんだ。
涼は不思議な、でも嫌じゃないような気分でいた。
ん?
なんだろう、なんかひっかかる。
「……」
なんだか、とても大事な事を忘れているような…
「………あ。」
そうだ、そうだそうだそうだ!
とても大事な事を思い出した。
なんで今のいままで気付かなかったんだ!
「涼ちゃん?」
中村、雄輔…。
「どーかした?」
あたしのクラスに、こんな人―――…
いなかったはずだ……
.
可愛い転校生 編
学校に行くといつも静や篤志と一緒にいることが多い涼も、あれ以来中村とも一緒にいることが多くなった。
話も合うし優しいし、頭もある程度いい。
付き合えば付き合うほど中村にはまっていくのがわかった。
けど彼はアンドロイドだ。
気付いてしまったのはあの仲良くなった日。
クラスに彼の居場所なんて本当はなく、作られた記憶と生活していた。
静や篤志も彼の事は何故か頭にインプットされていて、あたかも前から同じクラスにいたようにされていたが間違いない。
「……はぁ、」
大澤のように新しく出会った人だけならともかく、こうやって自分以外の人の記憶に以前からいるような事はまだ慣れない。
実際問題、日那や横川のような設定もどうしていいかわからないところがあったが、よく考えれば自分とヤスダ以外は彼らの事を知らないため幾分かマシだった。
これからもそういう人に出会うのかもしれない。
少なくとも今アンドロイドだとわかっているのは横川、日那、大澤、中村だ。
あと6人、どういう形で出会うんだろう。
涼はそんな事を考えながら重い足取りで学校へと向かう。
現在の時刻は午前8時過ぎ。
確実に遅刻しているという事はわかっていた事だったが、今日は木曜日で今から急ぐ気にもなれなかった。
次の角を曲がって真っ直ぐ200m程進めば校門があるにも関わらずだ。
「あー…学校めんどいなぁ…」
優等生らしかぬ言葉を吐き捨てるように言いながら、涼は角を曲がった。
そして視界に入ってくるのは見慣れた景色―――のはずだった。
ぼんやりと歩いていた涼の目に入り込んできたのは茶色のふわふわした頭。
もちろん、人の頭だ。
自分と同じくらいの高さであろうその身長の持ち主は、あろうことか自分にお構いなしにつっこんできた。
(え―――!?)
危ないっ、とそう感じた時には既に遅し。
ドスンッという大きな音を立てて自分とその人はぶつかった。
「い、いたたたた…」
「…ったぁ~…あ、ご、ごめん!大丈夫!?」
勢いよくぶつかってしまった挙句、涼は後ろ向きに思い切りしりもちをついてしまった。
途端にやってきた鈍痛に顔をしかめながら耐える。
なんとか無事だった手で強打した腰をさすると、ようやく痛み以外の現実が見えてきたようでゆっくりと目を開ける事ができた。
そこにあったのは―――もとい、いたのは先程視界に入ってきた茶色のふわふわした髪の毛、を持つ自分と同じくらいの年の少年だった。
「だ、大丈夫???」
「…え、あ、うん…大丈夫、」
心配そうに覗き込むその少年は、少し身長の低い目のクリッとした綺麗な顔であからさまな涼の痛そうな表情に自分も顔を歪めた。
大丈夫だと伝えると少しほっとした顔で笑みを浮かべて手を差し伸べてくる。
涼は男の子にしては少し小さなその手を掴んで立ち上がった。
「よかったぁ~!ちょっと俺急いでて慌てちゃってたからさ…あ!そうだ!遅刻だ!」
慌ただしく表情をコロコロと変えると、彼は自分の状況を思い出したのか顔色を変えた。
そして「ごめんね!じゃあね!」と大きな声でそう言うと、パッと軽やかに立ち上がり踵を返してその場を去っていった。
走っていく背中を見ながら、涼は「変な奴…」と呟いた。
もちろん教室に行くと担任である城野が教壇でHRを始めていた。
「遅れてすみませーん」と、あまり罪悪感のなさそうな声で教室に入り自分の席に着く涼。
確か1限目は古典の授業だ。
小さく欠伸をしながら授業の用意をしだす。
「涼、涼」
「ん、おはよ、静」
後ろの席の静がくいくいと袖をひっぱってくる。
まだ半分眠たそうな涼はそんな静にお構いなしの様子だったが、静もなかなか引かない。
今度は背中をポンポンと叩きながら教壇を指さした。
「違うって、ほら、前見てよ」
「は…?」
静の言葉に反応してそのまま前を向く。
その涼の目に飛び込んできたのは―――…
「あ」
「あー!」
まぎれもなく、さっきの台風のような少年だった。
「俺ね、手嶋絢也。父さんの転勤で神奈川から移り住んできたの、よろしく」
「あたしは田村静。んでこっちが笹口篤志、よろしくね。んで、」
「……西木、涼。よろしく…」
「俺は中村雄輔ね、よろしくー」
転校生の手嶋は学級委員長である篤志に一任された。
篤志の周りには城野からの信頼もある涼や静、それに最近では中村もいるということで安心して任せられるらしい。
篤志自身も人見知りなど全くない性格のため「はいはーい、いいですよー」と二つ返事で受け入れることになった。
丁度1限目は古典の先生が会議に出席しなくてはいけないらしく自習となったために、こうやって自己紹介タイムとなっている。
「でもまさかそんな運命的出会いがあったとはねぇ~」
篤志が茶化すようにそう言った。
その言葉は紛れもない今朝の事で、手嶋も「ほんとだよね~」と篤志と一緒になってキャピキャピとはしゃいでる。
(運命的出会い、ねぇ…)
言ってみれば本当にそうかもしれない。
偶然とは言え、あんな漫画みたいな出会い方をすることがあるなんて思いもしなかったし、ましてやこうして同じクラスで話をしている事も奇蹟である。
そう考えるとだんだんと篤志の言うことが正しく思えてきた。
「運命、ねぇ」
繰り返すようにそう呟く涼。
しかし、その言葉に異様に反応した人物がいた。
「えっ、涼ちゃん、運命とか信じるのっ!?」
「…え、や、なんとな…く?」
「なんだよ~中村くん、涼ちゃんと手嶋くんに運命があっちゃ困るの~?」
「…い、いやっ、そんなんじゃなくて…」
涼はとにかく驚いた。
自分がなんとなく呟いた言葉に異様に反応したのは、何故か中村だったからだ。
中村は頬を紅潮させている。
自分の言った言葉に誰よりも驚いているようだった。
静と篤志はからかうような言葉をかけるがそれほど気にはしてない様子で。
「……」
ただ手嶋だけは何も言えずに紅くなった中村を見ているだけだった。
「西木さん!」
「…手嶋、くん」
昼の休憩時間、静と篤志はいつも通り購買に昼食を買いにいった。
今日は朝時間がなかったんだと言った中村も一緒に行ったので、昼食を元から用意していた涼は教室で1人待つことにした。
その時に声をかけてきたのが、手嶋だった。
「僕もお弁当持ってきてんだ。だからお留守番」
「おいしそうやねぇ。手嶋くんのお母さん料理うまいねんや」
「うん、めっちゃくちゃ上手」
確かに手嶋の持ってきた弁当箱を覗けば、中からは高校生の男子が持つとは思えないような可愛らしくてカラフルなおかずが並んでいた。
中でも玉子焼きがおいしそうだと伝えると手嶋は惜しみなくそれを涼に譲った。
しかもカップルがするように「あーんv」と可愛らしい動作つきで。
涼も最初は戸惑ったのだが、何故か断りきれずにパクリと玉子焼きを口に頬張る。
それを見て手嶋は本当に嬉しそうな表情を見せた。
こんな風に感情を外に丸々出せる手嶋を見て、涼は素直に可愛いと思った。
困った顔も、笑った顔も、とにかくこちらにまで移ってきそうなほど。
「あーらら、えらくアツアツだねぇ」
「あいつら結構気ぃ合ってるみてぇだしな」
「………」
そんな様子を見ていたのは、購買から帰ってきた3人だった。
静と篤志は大して気にとめる様子もなく席に戻ろうとする。
しかし、中村だけはその場から動けなくなってしまっていた。
どうして涼と手嶋が仲良くするとこんなにもモヤモヤした気持ちになるんだろう。
今までそんな事一度もなかったのに。
中村の頭の中は、もうその事を考えるのにいっぱいっぱいだった。
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