ぼくのおじさん

 おじさんが地底人の骨を回収に行くのは、紫色の空の日と決まっていた。
 乳白色の空の日はいくら探しても骨は見つからなくて、黄土色の空の日に骨を拾うと末代まで祟られるという噂があるらしく、黄緑色の空の日はちっとも骨を触る気が起きないのだそうだ。
 紫色の空の日が続いたときは、おじさんは地底に一日籠ってしまうので、顔を合わせるのは朝起きてからの三十分と、夜寝る前の三十分だけとなる。ぼくはおじさんのための昼食か夕食かわからないご飯を作り置きし、洗濯を済ませてから家を出る。勉強は嫌いではないが学校の友だちはみんな子どもっぽくて、昨日観たテレビの話で盛り上がられても、ぼくはテレビを観ない派であるし、人気だというコメディアンの芸を真似されても、ちんぷんかんぷんであるし。では、ぼくが今読んでいる本の内容を披露しようものならまるで興味がない様子で、退屈が、気のない相槌にありありと示されている上にスマートフォンを弄り始めるものだから、子どもなんて所詮そんなものかと呆れる始末であった。だからぼくは、ほんとうはおじさんの手伝いがしたい。学校をやめて、おじさんと地底に地底人の骨を拾いに行き、それを使ってどうこうしたい。おじさんは指輪を作っているから、ぼくはピアスとか、ペンダントとか、実用的なところで洗面器とかどうだろうか。地底人の骨は頑丈なのだ。
「とりあえず、学校は卒業しなさい」
 おじさんは云う。ぼくはおじさんに養われている。
 おじさんが作る指輪は、売れる。なかなかの高額で。
 地底人の骨より、モグラと遭遇する方が難しいと言われている時代である。おじさんは家の裏の空き地から地底に下りるのだけど、今は街のどこにでも地底に下りられる階段があって、地底に土地を所有している人なんかはエレベーターを設置している。おじさんの収入でだってエレベーターを設置することは難なくないが、おじさんは階段で地底に行くのが好きなのだった。
 地底人の骨にはナンチャラという物質が多く含まれていて、カンチャラという成分と化学反応を起こすから、それらをまぜこぜにして、粘土みたいに弾力と粘り気が出るまで練って、練って、指輪の型を取って焼き固め、削り磨き、時に装飾を加えるのがおじさんの仕事である。ぼくにはそのナンチャラという物質とか、カンチャラという成分の仕組みなどがよくわからなくて、ただ細かく砕いた地底人の骨とおじさんのアトリエにある薬品を混ぜればどうにかなると思っている。おじさんはぼくのそんな浅知恵を見抜いているから、せめて学校は卒業しろと言うのかもしれない。机に齧りついてテキストや黒板とにらめっこしているよりも、地底で地底人が生きた証に触れた方がよほど勉強になると思うし、自らの手で生み出した宝飾を誰かに売り込むことは社会勉強にも繋がるのではないだろうか。改めて宣言しておくが、ぼくは決して勉強が嫌いなのではない。学友たちの子どもっぽさに、ほとほとうんざりしているのだ。
「キミタカにこれをやろう。試作品だ」
 ある日、おじさんがぼくにくれたのはシルバーチェーンのブレスレットで、表現し難い色の丸い宝石がひとつ、それにはついていた。
 表現し難い色というのは、青色のような、緑色のような、けれど角度を変えると赤色にも見えるし、すこし黄みがかっている気がするし、白色の照明の下ではクリーム色のようだし、暖色の照明にかざすと黒っぽい感じもするし、とにかく何色だとは簡単に説明できない色の宝石がついたブレスレットだった。のど飴くらいの大きさの宝石は、おそらく地底人の骨から生成したものと思われる。当然、成分は不明である。
 そういえばぼくは、おじさんの作ったものを身に着けるのは初めてのことであった。ぼくは早速、ブレスレットを左手に装着した。
 なんだか、左手首に熱を感じる。
「なんか変な感じがするね、これ」
 ぼくは正直な感想を述べた。おじさんはまるでぼくの感想を読んでいたかのように頷いた。今日は雲ひとつない、黄土色の空の日だった。
 ブレスレットが、というより、ブレスレットについている宝石が、なんだか、ときどき、鼓動を打っているような気がする。
 息を吹きかけられているような、生温かさを感じる気がする。
「おじさん、こわい、これ」
 おじさんはぼくの左手首を掴み上げ、よくわからない色をした宝石にくちびるの先を触れるだけの軽いキスをした。
 それからおじさんは、怪しく微笑んだ。
 ぼくは十七年間ぼくを育ててくれたおじさんのことが、今日、少しだけ怖いと思った。

ぼくのおじさん

ぼくのおじさん

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-26

CC BY-NC-ND
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