失墜の放火魔

失墜の放火魔

突発的に書いたものです。

誰も知らない私の秘密

“汚物”それが私の呼び名。本当は桃花という可愛い名前が付いているのにクラスのみんなは誰一人としてそうは呼んでくれない。
そんな私の1日を紹介しよう。
朝起きて、学校に行くと上履きがない。机や椅子もないし、担任ですら私の敵。それだけじゃ終わらない。終わることのない罵声と暴力。教科書や筆箱はズタボロにされてゴミ箱へ。
そんな日々が今年で3年目になる。
今は夏休み。いじめの休息時間といったところだろうか。私は自分の部屋でぼんやりと考え事をしていた。リビングでは年がら年中喧嘩をしている両親の怒鳴り声が響いている。
もううんざりだった。正直なんで生きているのかが不思議なくらいだ。ただ死ぬのが怖いから生きている。それって生きてるって言うんだろうか。
「いちいちうるさいんだよ!今関係のない話を持ち出してくるな!!」
「あなただってそうでしょ!自分のこと棚にあげないでよ!」
全く。なんであんたらは結婚したんだ。クローゼットからリュックを取り出して、財布と本を数冊詰めた。リビングでにらみ合う二人を横目に私は家を出た。
こういう時は(というかほぼ毎日)図書館に行く。家の近くにある小さな図書館。こんな私でも受け入れてくれる安息の地。夏場でも冬場でもここの温度は変わらないし、空気感も変わらない。そして何より──。
「あ、また来てる。久しぶりだね。桃花さん」
私の名前を唯一呼んでくれる天谷(あまや)くんがいる。
「久しぶりって。一昨日ぶりだよ?」
「2日も、会わなかったんだよ。久しぶりでいいじゃん」
爽やかな笑顔で言われた。
茶髪の天然パーマで整った顔立ち。メガネがよく似合っていて、いつも茶色のセーターと黒いジーンズをはいてる天谷くん。正直言って、めちゃくちゃタイプだ。
彼と友達になったのは一年前。いじめの質がすごすぎてメンタル的に自殺を考えていたある日、何気なく寄ったこの図書館に彼はいた。いまと同じように4つあるテーブルの端っこに座って本を読んでいた。話したきっかけは覚えてない。気がついたら仲良くなってたって感じ。でも彼には本当の私は教えていない。いじめられてるなんて言えるわけもなく、元気で明るい人気者という真逆の人間で自己紹介をしてしまった。でもそのおかげで今がある。この関係は嘘によって成立している。罪悪感にかられる間もなく、彼から言葉が飛んでくる。
「ねぇ桃花さん。いつもの面白い話聞かせてくれないかな」
さぁ、この爆弾はどう処理しましょうか。バカな頭で考えても答えなんて出ないので、私の学校生活を反転させて話します。
「そうだねぇ、この前は下駄箱にラブレターが入ってたんだ」
嘘だ。入っているのはありえない量の悪口が書かれたルーズリーフだ。
「休み時間は仲いい子たちとちょっとエロい話したりー」
嘘だ。罵声を浴びせ続けられてるだけ。
「昼休みはクラスみんなで鬼ごっこするのが日課でさ」
嘘だ。汚物がうつるってなすりつけあいが始まるだけ。
そんな調子でいろんな嘘が本当の私を埋めていく。自分で言ってて悲しくなるのはもうなれたけど。
「本当に楽しそうでいいなぁ…羨ましいよ」
はぁ、っとため息をついて天谷くんが笑う。皮肉にしか聞こえないけどね。きっと彼はもっと楽しい1日を送っているはず。

今日この日まではそう思ってた。でも違った。
「僕とは正反対だ」
彼のその一言が私の運命を大きく変える。

「正反対…?どういうこと?」
控えめにはははと笑うあまやくんは、悲しそうな目で私を見た。
「そろそろ話していいかな」一瞬ためを作ってから、彼は言った。
「僕ね、いじめられてるんだ」
そんな馬鹿な!そんなわけがない!こんなゆるふわボーイがいじめられてる!?もうすでに地球は終わってるんじゃないか。そんなこんなが頭を巡った。
「いじめってどんな?」
ばかか!私おい!何聞いてんだよ!突っ込む話じゃないだろ!
「悪口を書かれた手紙が引き出しに入ってたり、悪口を言われたりかな…」
お前は私か!
「でも仕方ないんだ。僕はほら、髪の色がこんなでしょ?生まれつきなんだけど、お前だけひいきだって言われて…」
なんだ。ちゃんとした理由があるのか。でも高校生ってちっちゃいな。髪の色が違うだけでいじめちゃうのか。
「天谷くんも大変なんだね」
私がしみじみと頷くと、天谷くんは首をかしげて不思議そうな顔をしていった。
「天谷くん…も?」
しまったああ!私は心の中で叫んだ。だが慌てはしない。君と話すうちに嘘だけは誇れるほど上達したんだ
「ある意味人気者だからさ。天谷くんも」
私は悲しい笑顔を作って誤魔化すように言った。いじめを人気者と表現した私はただのクズだが、そんなクズの発言にも天谷くんはふわっと笑ってくれる。
「でも最近はね、どんなに辛いことがあっても頑張れるんだ。桃花さんがいるから」
はいアウトー。その発言はアウトだよ天谷くん。恋しちゃうよー。ていうかそれ私のセリフだよー。もう二人でここで暮らそう。そうしよう。
「桃花さん?」
「あ、うん?なに」
いかんいかん。正気を保て私。
「時間だから帰るね?」
もう帰っちゃうのか。
「うん。気をつけてね」
さよなら夢の時間。おかえり現実。
「またね」
「うん。またね」
天谷くんが図書館から出て行った。それにしても天谷くんがいじめにあってるなんて。最悪な考えだけど、心なしか嬉しかった。自分とはかけ離れた境遇の子だ思っていた人が、実は同じ境遇だったなんて。

時計は17時を回った。そろそろ家に帰らないといけない。私は一冊本を借りて図書館を後にした。
家路は以外と綺麗なものが多い。最近できた公園とか、綺麗に舗装された道路とか、タイルの街路とか。割と新しいものが多くて、新鮮な気持ちになる。このギャップというか、落差というか、普段汚いものばかり見ているせいなのか、ちょっとした輝きを放つ綺麗な部分がすごく美しいと思う。
家に帰ったら、母の喘ぎ声が響いていた。案の定仲直りセックスの真っ最中だった。親から私はこう学ぶ。セックスは仲直りのための行為。本当は違うってことはわかってるけど、育った環境がそう思わせるんだろう。聞きたくないその声を無視して、自分の部屋に戻ると、いつもの虚無感が押し寄せてきた。なんで生きてるんだろう。私は何が楽しくて今この世界にいるんだろう。答えはいつも一緒だ。惰性。死への恐怖。縋る人の存在。
『疲れた。死のう』
私はそれができる人じゃない。生きるのは辛いけど、死ぬのも辛い。どうしようもない我儘だと言われたらそれでおしまいだけど、普通ならそうなんだろうと私は思う。死にたいときに死ねる人は、多分色んな意味で特殊なんだ。
はぁっとため息をついてベッドに横たわった。お風呂に入って寝ようかなって考えながら、借りてきた本を読もうかと手に取ったが、結局は読まなかった。私にとって本当は暇つぶしでしかないのだ。
しかしながら本から学ぶことは多かった。むしろ本から学ぶことの方が多かった。世間は何も教えてくれない。教えてくれるのは汚いものばかりだ。でも本は違う。それなりに選びさえすればほどよく美化されていて尚且つわかりやすい。
その本たちの中でも私がよく読むのは“犯罪者の心理”という本。
美化もクソもない、汚い現実部分が事細かに記してあり、分析までしてある。この本を読んでいるだけでその時の臨場感や情景が浮かんでくる。その本を読みながら私は初めて自慰行為を覚えた。ゾクゾクと疼く衝動に耐えられなかった。私は生粋のサイコパスだった。なかなか寝付けない夜ほど犯罪者たちの犯行思考を想像しながら自慰に耽った。今日もまさにそんな夜だった。

翌日。今日は一日中勉強しようと思ってベッドから立ち上がったけど、結局本を読みあさるだけで終わりそうだった。起きたのは午前7時半。朝ごはんを食べて机に向かったのが10時。本を読み始めたのが10時10分。それから現在の午後4時半に至る。今日も惰性で生きてしまった。1日の終わりまで残り8時間。夏休みの終わりまで残り31日。人生の終わりまで残りどれくらいなんだろう。
『いつ死ぬのかわからないからこそ殺してやるんだ。俺は天使だ。死の恐怖から解放してやれるのは俺なんだ』
私の大好きな殺人犯の言葉だ。“失墜の放火魔”というこの人は、いろんな殺害方法で316人を殺した。非常に頭が良かったらしく、犯行現場には何一つ証拠は残さず、殺害された遺体だけが無残に放置されているだけだった。ある時は頭を真っ二つに。またある時は椅子に座ったまま眠っているかのように毒殺したり。殺害方法は非常に幅広く、その残酷さはと美しさは世界を震撼させた。
そんな彼はある夏の日、焼身自殺によってこの世を去った。燃え尽きた彼の家を警察が散策すると、リビングの一角だけ無傷の部分があって、そこから彼の遺書が見つかった。どういうトリックなのかは分からないけど、彼は最後の最後まで異様だった。
彼で何度自慰行為をしたのか分からない。私はその異様さと犯行の残虐さの中にある静けさとセンスに魅了された。なんで彼は焼身自殺をしたのんだろう。私は本を読んでからひたすら考えているけど、答えは出ていない。
“僕とは正反対だ”
天谷くんの声が脳内にこだました。よくよく考えてみたら揶揄われてるだけかなって気がしてきた。彼はいじめられてると言ったけど、彼の顔に目立った傷はなかったし、傷ついている人間が出す雰囲気じゃない。確かめなきゃ。そう思って私は図書館に向かった。

僕だけが知る君の話

繭村桃花。彼女はとてもおもしろい子だ。いじめられているのに、それとは全く逆の話を僕にしてくれる。嘘をついているのに真っ直ぐ前を向いて話せる彼女を僕は好きになった。

初めて桃花さんに出会ったのは2年前の夏。通学路を帰っていると、他校の生徒が一人の女の子を囲んで暴行を加えていた。ちょうど人目のつかないところを選んだ高校生らしい犯行だった。僕はその様を木陰から覗き見ていた。興奮を抑えながら。
正直たまらなかった。今すぐにでも混ざりたい。そんな衝動を必死に抑えながら終わるまで見続けた。徐々にエスカレートしてるけど、あくまでも大きな傷は残さないように慎重に定めて暴行を加えていたが、一人の蹴りが女の子の顔面に当たり口から血を吐いた途端、怖気付いたのかみんな一目散に走り去っていった。女の子の方を見ると、彼女は肩で息をしていてとても辛そうだった。焦点のあっていない目で空を見つめて、ふっと笑った。僕はその笑顔が忘れられなかった。何度も何度も自慰をした。あのときなぜ笑ったのか。どういう感情であんな顔をしたのか。君はきっと『世界なんて消えちゃえ』って思ってる悲しい人のはずなのに。
それから僕は学校帰りの君をストーカーするようになった。どこかによれ、どこかによれ!と心で願いながら。しかしながら君はまっすぐ家に帰った。どこにも寄ることはなく、空を見つめたり風景を眺めたりすること以外は何もせずに帰った。
もしかするとばれてるんじゃないかと思った。でもその予想は外れる。結論から言うと、やはり彼女は生になんてしがみついておらず、ただ流れる日々をゆっくりと泳いでるだけの肴だった。
尾行を始めてしばらく経った頃、日課のいじめが終わり、服についた砂や泥を払いながら帰っている桃花さんが商店街の近くで立ち止まった。まずいと思い急いで電柱に隠れて、その様を見守った。彼女は掲示板に貼ってあった広告をしばらく眺めて、いつもとは違う道に入っていった。僕は急いで後を追った。走り様に彼女が見た掲示板をチラ見すると、新しくできた図書館のことが書いてあるチラシが貼ってあった。
ついに寄り道する日が来た。

僕はその日を逃さなかった。

それから約1年半。君とはいい距離感にいる友達として過ごしてきた。なのにどうしてだ。どこでミスを犯したんだろうか。昨日ぶりに会った君から言われた。
「天谷くんって本当にいじめられてる?」
初めてだった。君から疑いの目を向けられるのは。状況的に焦るとこだが、僕は焦らない。
「うん。何でそんなこと聞くの?」
「傷がないなぁっと思って。いじめられてる子には決まってどこかに傷がある。でも天谷くんにはそれがないなぁっと思って」
桃花さんの目は完全に疑っている目ではなかった。家で考え事をしていて、偶然たどり着いた仮定が嘘なのか本当なのかを確かめたい。できることなら嘘であってほしい。早く嘘だと言ってくれ。そんな目をしている。残念ながら君の過程は正しい。僕はいじめとは無縁の存在だ。君の気持ちなんてこれっぽっちもわからないし、可哀想だなとか、哀れだなとか、そんな感情しか持てない。ただ一つ、あの日君が見せた笑顔に興味を持っただけ。
「桃花さんのところでもいじめってあるの?」
不思議そうに尋ねる。
「あ、あるよ」
「殴る蹴るとかのやつ?」
「…うん」
桃花さんの元気が無くなっていく。
「…へぇ。なんていうか、大変だね」笑顔で言った。「よかった。僕たちのところではそういうのがなくて」
そうだねっと、桃花さん悲しそうに笑いながら言った。
「…いじめられてる人って、どんな気持ち?」
核心に迫る質問だ。まさか桃花さんからこの質問がでるとは。ここでなんと答えようか僕は迷った。君目線になって考えた僕の仮説の答えあわせをするか、いじめられている架空の僕の話をするか。迷った末に勝負に出た。
「僕は笑っちゃうよ。なんてこいつらはちっぽけなんだろうって。強い人が弱い人をいじめて優越感に浸ってる様がバカバカしいって思う」
さぁ、どうだ。少し俯いている桃花さんの表情は変わらない。
「…あのね、天谷くん」桃花さんが顔を上げた。「私、嘘つきは嫌いなんだ」
放たれた言葉は思いがけないもので、僕は一瞬にして冷や汗をかいた。そんな僕に桃花さんはさらに追い討ちをかける。
「天谷くんはいじめられてなんかないよね?」

『全部燃やしちまえばいいのさ』

本当はずっと前から気づいていたのかもしれない。彼が嘘つきなのも、私の嘘がばれていることも。今までそれを言わなかったのは、この空間が好きだったから。現実味のない嘘でできた空間が心地よかったからだ。
「…どうしてそう思った?」
「だってあなた、いじめられてる人の気持ちを分かってるフリをしたでしょ?」
何も言い返さず、ずる賢い悪い顔になってる天谷くんが私をじっと見ていた。この顔こそ、本当の彼なんだろうなって思った。
「天谷くんは冗談を言うとき右側の眉を上げる癖があるけど、自分で気づいてる?」
「…いや、初めて知ったよ」
やれやれといった表情をしながら、彼は読みかけの本を置いた。
「なんで嘘なんかついたの?」
「嘘をついていたのは君だろ。繭村桃花(まゆむらとおか)さん」
やっぱりばれていた。まぁ、知ってたんだけど。
「なんで嘘だってわかったの?」
「質問に質問を返して悪いけど、どこまで分かってるの?今の状況」
今の状況。これはどういうことなんだろう。天谷くんは私のことを知っている人なのかな。
「天谷くんが嘘をついた事と、私の嘘がばれてることは知ってるよ。それ以外に何かあるの?」
「あるよ」
「なに?」
「最初に戻るけど、君が嘘をついていたのは君と出会ったその日から知っていた。高架下でボコボコに殴られる君を目撃したからね」
高架下でいじめを受けていたのは2年前の夏。なるほど。目撃者がいたわけか。
「じゃあ、それを見たからどうしたの?なんで助けてくれなかったの?」
「なんで助けるのさ。僕は混ざりたかったんだよ?女の子を殴ってみたい人なんだ」
変態なわけか。
「それで?図書館で出会ったのは偶然?」
「いや、ずっとつけてた。君の後を」
「なんで?」
「興味を持ったんだ。ボコボコにされて笑ってた君に」
ニヤつきながら天谷くん言った。そして初めて知った。私はいじめられながら笑っていたのか。
「聞かせて欲しい。僕はそれがずっと聞きたかったんだ。なぜ君はあの時笑ったのか」
そう言ってじっと見つめてくる。正直なところ自覚がないから困ってしまう。なんで私が笑っていたのか私が知りたいくらいだ。
「…わからない。気がついたら笑ってた。私にもわからない」
「…え、いや…。それは…困るよ。これまで何のために君の嘘に付き合ってきたと思ってるんだ…。何のために偽善者を演じてきたと思ってるんだ…」
天谷くんは私を睨みつけながら静かに怒っていた。ここが図書館でよかった。もしも図書館じゃなかったら、今頃ボコボコにされているんだろう。でも、何だかその姿に私はゾクゾクした。“殺気”を感じたのかな。目の前にいる変態アブノーマルにもしも殺されるなら、私はどういう殺され方をするのだろう。
「天谷くんはやっぱりかっこいいね」
不意に口から出た。自分でもびっくりするくらい場違いな言葉を吐いてしまった。それと同時に私の中で歯車がカチッと音を立てて動き始めた気がした。何か言いたそうな顔をしてこっちを見ている彼に、さらに言葉を吐く。
「ずっと素敵だと思ってた。嘘をつくときの癖も、時折見せる狩猟的な目も、今の顔も、殺気も全部」
私はゆっくりと席を立って、天谷くんの隣の席に移動した。天谷くんの目の前には、さっきまで読んでいた本が置いてある。逆さに置いてあるから題名はわからないけど、きっと古い本だ。私は徐ろにその本を手にとって、動揺する天谷くんの眉間を勢いよく本の角で打ち抜いた。ガッという乾いた音が図書館に響いたけど、平日の図書館に人はいないし目撃者もいなかった。声もなく頭から机に落ちる彼の頭を支えて、そっと置いた。手には血がべっとりとついていて、置いた彼の頭を中心に血が広がっていく。ついにやってしまった。私はもしかすると人を殺してしまったわけだ。頭で認識した瞬間、手が震えだして全身から力が抜けた。操作を解かれたマリオネットのように私は地面に崩れ落ちる。困ったな。これじゃあしばらく動けない。係りの人が来たら万事休すだと思ったが、あいにく水曜は85歳の居眠り老人が担当の日。人が来ることさえなければ見つかるはずはなかった。
そこからどうなったのかは覚えていない。気がついたら家にいた。ベットの上でぼーっと虚空を眺めていた。机の上には小学校の卒業式にもらったシャープペンシルと、消しゴムとルーズリーフが置かれていた。フラフラと立ち上がりルーズリーフを手に取ると、文字が書いてあった。私はしばらくそこに書かれている文字を眺めていた。

午後17時半。仲直りセックスの終わった両親は相変わらずスヤスヤと寝ていた。小声で二人に謝って、車庫にある灯油をベッドの周りにまいた。そのままリビングと私の部屋に繋がる階段を灯油でビシャビシャにした。買いおきされていた12本の灯油缶の内、最後の一本を残して私は自室にきた。扉を閉めて、部屋に最後の灯油缶を半分だけ撒いて、残りは頭からかぶった。ガソリンスタンドで働いてる人は大変だなぁと思った。最終段階まできた私は、ポケットからマッチを取り出した。多分、このままマッチを擦ったら爆発するだろうと思ったけど、しなかった。でもマッチの火がいつもより激しく燃えているように見えた。私が人生で見る最後の火だ。その火を目線の高さまで掲げてじっくりと見た後、マッチ棒から手を離した。ボトッと落ちたマッチ棒の火が押し寄せてくる波のように勢いよくあたりに広がった。ものすごい熱い。熱いなんてもんじゃない。身体中を焼かれてるみたいだ。あ、今焼かれてるんだった。
そんなことを思いながら私は死んだ。

私が起こした事件はすぐさまニュースになった。一家全員焼死。車庫にあった灯油が犯行に使われたことから、第三者の犯行が疑われた。誰も私が火をつけたなんて思いもしなかった。
まる三日間はそのニュースで持ちきりだった。その中で私のクラスメイトがインタビューされている場面が放送されていた。
『おとなしくていい子だった』
『頭のいい子だった』
『何で私たちを置いていったの…』泣き崩れるクズもいた。
死人に口無しとはよく言ったものだ。今の私にこの世のことをどうこう言える権限はない。でも、手紙は残せた。現世に残した呪いの手紙だ。失墜の放火魔のように手紙は残ってくれただろうか。それとも私たちと一緒に燃え尽きたのだろうか。もしも手紙が残っていたら、私もこの世に爪痕を残せたのかな…彼みたいになれたかな。

──拝啓、世の中へ──
“私は幼い頃からこの世界が嫌いでした。嫌いというよりは、好きになれるものがありませんでした。物心ついたときから、両親から愛は受けられず、世間知らずだとハブられ、どん底を生きていました。最低限以下という言葉が正しいのかわからないですが、私は多分人間扱いされたことがありませんでした。高校一年の秋。初めて図書館で出会った一人の男の子は、私のことを人間扱いしてくれました。しかしそれは、嘘が絡み合った虚像だったのです。嘘の鎖が解けてからはいつも通りのどん底でした。一瞬の幸福に溺れた私の責任なんでしょうか。
とりあえず私は、この世を恨みに恨んで死にます。クラスメイトも、親も、先生も何もかも恨んで焼死します。
『嫌なことは全部燃やしちまえばいいのさ』失墜の放火魔の一節です。私は今、自分の家を焼くシミュレーションをしました。灯油をぶちまけて火をつけるだけの簡単な作業。ふと目についた鏡には、自分の顔が映っていました。にっこりと笑った顔が。最初その鏡を見たとき、鏡の向こうにいるのが別の人に思えました。でも間違いなく私なのです。その顔は何年ぶりかに見る私の顔でした。私はおそらく愛に飢えていた。目線に飢えていた。とにかく誰かに愛されたかった。とにかく誰かに見て欲しかった。私は生きているんだと認めて欲しかった。そして私はいじめられるという目線と痛みと愛に気がついた。いじめられているときは、みんなが私を見てくれる。狂った暴力を愛と勘違いしていた。だから私はいじめを嫌がったりはしなかった。みんなの不満をぶつけられる道具であり続ける必要があった。そのために生きていた。そんな人生だった。
嘘の絡みが解けたとき、目の前にいる男の子が憎しみの塊に見えた。だから砕いた。普段は好きだった道も、ガラクタを積んだだけの山に見えた。もう世界にさよならするしかないと思った。だから、その、何度も書くけど、さよなら。みんなさよなら。世界さよなら。
嫌いなものなんで、全部燃やしてしまいます。
生まれてきて、ごめんなさい。わがまま言って、ごめんなさい。家燃やしちゃってごめんなさい。
永遠におやすみ。せめて、せめていい夢を見れますように…。
夢の中でお前らみーんな殺せますように。
…死んだ後、みーんな地獄に落ちますように。

──敬具──

失墜の放火魔

失墜の放火魔

みーんな地獄に落ちますように。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • サスペンス
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-26

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

Public Domain
  1. 誰も知らない私の秘密
  2. 僕だけが知る君の話
  3. 『全部燃やしちまえばいいのさ』