機械化少年と猫型少女
白衣の女性は手術台に乗せられた裸の少年を見下ろし、額にしわを寄せため息をかみ殺す。
「地球人、連合型の典型的な知的生命体で幼いオス。かねてより必要だったサナギと元の遺伝子が近い個体として優良なサンプルと考えられる……なるほど、珍しく書式を揃えてきたと思ったらこういうことね」
白衣の女性はサンプル集めと称し不必要なオスまでさらってくる部下の行動を再三注意していた。今回部下は忠告に従ったと言えるのだが、それでも彼女には不満が残った。むしろ、規則を守ることで要求を押し通されているように感じた。
「カイリの野郎、本当にやりたい放題やりやがる。よりによってサナギの息子を連れてくるなんて、悪趣味にもほどがあるぜ」
助手の女性は不快感を隠そうとしていない。
「マリカ、今何とかしなきゃいけないのは男の子の処置よ。マリカのナノマテリアルを撃ち込まれているんだから、放っておけば死ぬわよ」
ドクターの言葉が頭にきたのか、助手のマリカが声を荒げる。
「生かす? この小僧を? 本当なら殺す場面だっただろ、現に他の人間は殺してる。なあ、こいつを生かしてもサナギが苦しむだけだ、やめようぜ」
ドクターは地球での出来事を思い出した。サナギというのは自分たち試作兵姫部隊の新しい仲間だ。ピノシステムという自動機械化兵量産システムから改造を受け、四年間の試験をクリアし自分たちの仲間になった。
彼女が地球を離れ基地に来る際、地球にはサナギが人間に戻ったという設定で遺伝子も記憶も同一のコピーが作成される。これは矛盾の回避というより、試作兵姫として人を捨てるものに対する手向けの意味合いが強い。だがサナギは自分は人間に戻れるものと勘違いし、脱走して地球に帰ってしまった。結果、地球に置かれたコピーと鉢合わせしてしまった。コピーは成長し結婚し子供まで出来ており、サナギは大きなショックを受けた。
本来なら、試作兵姫であるサナギの姿を見た人間は全員殺すのが決まりだ。しかし、生殖の可能性を研究するカイリが横やりを入れ地球のサナギの息子だけを生かして連れてきてしまったのだ。先ほどドクターが述べたとおり、サンプルとして適しているというもっともな理由を付けて。
「カイリには男のサンプルを取ってくる権限がある、わたしたちにサンプルを殺す権限はない。残念だけど、ここでは階級より任務が優先されるわ」
権限という言葉を聞き、マリカは壁を殴りつける。金属製の壁は大きくへこんだが、しばらくするとゆっくりと元の形に戻っていった。
「いつものか」
「そう、カイリの特権が失効するまで好きにさせるしかないわ」
ドクターは気を失った少年の上に手術用の機械を下ろす。
「で、どうするつもりなんだ。普通に蘇生して養殖場に突っ込むのか?」
「いいえ、連合式で行くわ。男の機能はそのまま、残りをアップグレード可能に改造する」
「ピノシステムも使わずこんな施設で? 生殖機能を残さなきゃいけないんだぜ、どうするつもりだ」
少年の体を固定し、注入されているナノマテリアルと手術用の機械をリンクさせていく。
「わたしたちの技術は今のところ、生殖機能が未発達な個体に使うよう最適化されていないわ。だからこそ、サナギを保有するわたしたちは実験名目での改造が推奨される。サナギだって未発達なまま改造が加えられた珍しい例よ、そのデータを生かすのはわたしたちに与えられた重要な任務。つまり、どんな仕様に改造しようとカイリの権限じゃ口が出せないってわけね」
発光するナノマテリアルを確認して、ドクターは少年の頭を固定し新しいナノマテリアルを注入する。それを見たマリカは少年を宙に浮かせ、固定した状態でどこからでも切開ができるよう手術台を変形させた。その顔は笑っている。
「失敗して目を覚まさなくても、オレたちの責任じゃない。なるほど、考えたなドクター」
「いいえ、わざと失敗したりはしないわ。まあ、任せなさい。わたしもカイリのことはどうにかしなきゃって思ってるんだから」
「へいへい、何考えてるか知らないがやることやりゃあいいんだろ」
マリカが加わり、機械たちが動きを加速させる。奥の倉庫と直結したレールから一台のコンテナが運ばれ、中から不自然なほど光る蛍光色の液体が詰まったシリンダーがいくつも取り出された。
「ドクター! 小僧を起こすなよ? 今目覚めたら脳神経が全部焼き切れるぜ」
「心配しなくても、この子には何が起きたのか気付かないくらいぐっすり眠ってもらうわ」
少年の体があちこち切り開かれ、血液、髄液など主要な体液の通る管すべてにチューブが割り込む。吸い出される体液と同量補充されるのは、先ほどの蛍光色の液体だった。
「気持ちいいか少年? サナギオリジナルのナノマテリアルは。本物のカーチャンが作ったんだ、よーく馴染むはずだぜ!」
今回使うのは血縁者、しかも年齢の近いサナギを一度変化させたことのあるナノマテリアルだ。負担は最小限で済むし、済ませる必要があった。
ナノマテリアルは、主導権を持つサイボーグが扱う前提で作られている。彼らは意識的にナノマテリアルを変質させ、自分に都合良く作り替えることが出来る。しかし、ナノマテリアルの主導権を持たないもの、今回のように生身で、制御システムを持たず意識も失っているような人間を改造する場合、ナノマテリアルは激しく自己主張する。自分の持っている特徴を無差別に肉体に反映しようとしてしまう。
「さすがは親子、すごい速さで浸食するぜ。ドクター、そっちは?」
「今話しかけないで、ナノマテリアルは脳まで来てるのよ?」
ナノマテリアルが個体の特徴や性別を変更してしまわぬようドクターが操作しているおかげで、作り替える手順が最低限で済んでいる。手順が少なければ少年への負担は少なくなり、負担が少なければ手術が終わったあと意識が戻る可能性が大きくなる。肉体を分子レベルで操作出来るドクターたちにとって死とは、意識の喪失を意味する。生身の時の意識が保持できなければ、彼女らにとっては死んだも同然だ。
「精密作業中だったか、悪いね。オレのような下っ端にゃ無理な作業だ、せいぜいがんばってくれよ、ドクター様」
「練習してもいいのよ? スペック上はあなたでも可能なんだから」
マリカはシリンダーが空になったのを確認してチューブを取り外していく。
「オレにデリケートな作業は向かねぇよ、ドクターが左遷されたら考えてやってもいいがな」
少年の見た目に変化はないが、その体はタンパク質ではなく特殊ハイポリマーの繊維に置き換えられており、強力なレーザーを使わなければ傷を付けることも難しくなっていた。
「わたしが左遷される頃には、この基地は廃棄でしょうね」
しかしナノマテリアルのみではそこまでが限界で、内部構造を機械化するには専用のシステムを組み込むか手動でやるしかない。データ採取用の基地はそもそも男性の改造を想定したシステムなど備えておらず、手動でやるしかなかった。
「なら、オレはずっと執刀担当ってことでいいわけだな」
マリカは少年の腹部を切り開き、動力炉の形に加工された心臓を取り出した。心臓は加工されてなお脈打っており、ナノマテリアルを全身に循環させている。マリカはそれを容赦なく切り取る。少年の体は危機を察したのかビクッと震えるが、意識も肉体も封じられた幼い彼に抵抗するすべはなく、ただただぼんやりと天井の明かりを見上げている。
「小さいが元気な心臓だ、いい動力炉になる」
専用の溶液に入れ、マリカは完成形となるデータを入力していく。心臓は一度爆発的に膨らまされ、その際内部に触媒となる結晶を入れられる。結晶に光が宿り、それを確認した心臓は内部から構造を作り替えつつサイズを小さくし、元の心臓と同サイズの動力炉へと変化した。
「ドクター、脳は?」
「ギリギリまで押さえ込んであるわ。早くして、長くは持たないわよ」
「アイサー」
マリカが動力炉を少年の心臓部に戻すと、動力炉は周囲と一瞬で結合し、高いうなりを上げて浸食を開始する。動力炉を中心に張り巡らされた新しい信号網から次々と指令が飛び、人間の形を保っていた骨格や内臓が自身を最適化させようと急激に変形しはじめる。その動きがあまりに激しいため、少年の顔は苦痛にゆがみ、体が左右に大きく揺れている。
「マリカ、アンプル!」
「了解、アンプル注入!」
合図を受けて、マリカは機械を操作し変化している内蔵たちに一斉に薬品を注射する。すると少年の動きは収まり、苦痛にゆがんだ顔も少し和らいだ。変化は今も続いている。
「持って三十分、それまでに終わればいいけれど」
心配そうなドクターに対し、マリカは楽観的だった。顔だけでは男とも女ともわからない少年のあごに手を触れ、口元に笑みを浮かべる。
「こんなおチビな体にそう時間がかかるとは思えねぇけどな……お?」
マリカは少年のチンコが勃起していることに気付き顔を近づけて眺めた。
「こいついっちょまえに勃起してやがる、子供のナニを見るなんて何百年ぶりだろうなぁ」
「そっとしておいてあげなさい、代謝が上がれば自然と固くなるものよ」
マリカは気のない返事をしながらも、それ以降少年のそれに目を奪われていた。男のそれは見慣れているがこれは何とも小さくてかわいらしい。切り開かれたままの皮膚の隙間からは無骨な機械が見えているのに対して、生っぽくて小さい男の子のそれはギャップが大きく、マリカの動力炉に失われたはずの鼓動すら感じさせる。
「マリカ、内蔵が終わったから脳に……どうしたのマリカ?」
「あ、ああいや何でもない! 脳だな、オーケー」
頭蓋骨を切り取り脳を露出させている間、マリカは少年の小さな男の子に夢中になっている自分に照れくさくなっていた。認めるのは容易い、しかし男性として機能しない生殖器がどんな感覚を味わうのか、そしてそれはどんなものなのかを想像するとゾクゾクした。元より電子ドラッグで快楽は十二分に味わっているマリカであったが、少年のそれを追体験したことはない。あこがれるのは当然のこととも思えるが、その思いは彼女にとってとても恥ずかしいものだった。なぜ恥ずかしいのか彼女自身にもわからず、そのせいで照れくさいのだ。
「ドクター、準備出来たぞ」
「催眠深度最大、切り離し!」
「了解、切り離し!」
少年の脳髄が切り離され、動力炉のときと同じように溶液の中に入れられる。脳は目に見えないほど薄い糸により裁断され、部位ごとに制御チップが埋め込まれていく。このチップひとつひとつが脳の数億倍という処理能力を持ち、少年の複雑化した機械の体を制御する。
チップは埋め込まれると周囲の脳細胞と融合し、脳細胞自体にも変化を与える。機械と脳を直結するためのプラグを生成したり、電力により脳の思考力をブーストできるようにしたり、脳自体が栄養を受けられなくても死なずに済むよう構造を変化させるなど、役割は多い。
「チップの取り付け完了だ、ドクター」
「こっちはそろそろ限界よ、ペース上げるわ、再結合!」
「あいよ、再結合!」
バラバラだった脳を再びひとつに戻す。精神をコントロールするドクターにとって分離や結合と言った作業は少年の脳が悲鳴を上げるため押さえ込むのに苦労する。そのため作業は短時間であるほど好ましい。
「そのまま再装着!」
「再装着、今!」
形の変わった脳が少年の頭に戻される。動力炉に火が入ったままの活発な体とリンクするように脳も活性化し、脳のナノマテリアルがまぶしいほどの光を放つ。その不規則さから、脳がいかにストレスを感じているかが見て取れる。
「すげぇ点滅だな。ドクター、大丈夫か?」
「目覚めそう……でも、あと少しよ。マリカ、組み立てと縫合!」
ドクターの指示を受け、マリカは機械が剥き出しの少年の体に新しい皮膚を形成させ、基地で生活するに最低限の装備を組み付けていく。少年はまだナノマテリアルを自由に扱えるように出来ていない、通信機や姿勢制御装置といった基本的なものさえ後付けで付けてやらなければいけないほどノーマルな状態だった。
「システムがあればこんな手間はないんだがなぁ」
「手間なのはこっちも同じよ、愚痴らないで手を動かして」
皮膚をまとい、最低限の装備を付けた少年は裸になってようやく機械とわかる程度のシンプルな見た目に収まった。ナノマテリアルを操れる電脳を持っていればこれらの特徴も消して完全に擬態できるのだが、既存の改造システムを使わず、しかも本人の意識を封じた上で改造ではこれが限界だった。
「終わった……ドクター、意識は?」
「残っているようだけど、目覚めるまではわからないわ」
マリカは裸の少年を見て口惜しそうにつぶやいた。
「これだけ手間かけて目を覚まさなかったら泣けるぜ」
そんなマリカを見て、ドクターは横目で笑った。
「ずいぶんお気に入りね、最初は殺せって言ってたくせに」
ドクターの言葉には応えず、マリカは恥ずかしそうに少年を抱えてそそくさと部屋をあとにした。
少年が目を開けたとき、目の前にあったのはマリカの顔だった。少年はマリカの顔など知らないので当然驚くが、頭がぼんやりしていたため飛び退いたりはしない。
「気がついたのか、少年」
少年は自分が椅子に座っていることに気がついた。その後周囲を見渡し、自分が知らないところに居ることにも気がつく。そこで状況を整理しようと記憶を探るのだが、思い出せない。思い出せない、ということ自体が不自然で戸惑い、少年は口を開く。
「ここは、どこなんだ?」
「メイブン星団連合進化研究所天の川銀河支部、オレたちの基地さ」
「ぜんぜんわからない」
自身に余計な混乱を招いた少年は、再度質問する。
「あなたは、誰なんです?」
「マリカ、と呼ばれている。お前が目覚めるまでそのかわいい顔を眺めていたエッチなお姉さんだよ」
生殖器を眺めていた時間はもっと長いけどな、というただしをマリカは黙っておくことにした。
「かわいいなんて言わないでくれ、もう十歳なんだから」
「へえ、そうなのか」
「あ、あれ?」
自分で口にしておきながら、少年は自分が十歳であるということが思い出せなかった。奇妙な感覚に襲われ、マリカに対して三度目の問いを投げかける。
「ボクは十歳なのか?」
真顔で聞く少年にマリカは真面目な姿勢で答えているが、内心ではかわいらしくて仕方がなかった。
「オレに聞くのかよ、自分で言ったんだぜ?」
「思い出せないんだ」
ある程度の記憶障害を予想していたマリカは特に驚きもせず、少年に質問を返す。
「自分の名前はわかるか?」
「わからない」
マリカは立ち上がり、少年の頭に手を置いた。ナノマテリアルと電脳を通じて、直接データをやりとりする。
「ハルキ、という名前に覚えは?」
マリカの問われ、少年は唇に手を当てる。
「知ってる気がする、馴染みがあるような……誰の名だ」
「お前だよ」
「ボク?」
言葉の意味がなかなか呑み込めない少年の頭から手を離し、マリカは自分の頭をかいた。
「聞いても思い出さないのか、重傷だな。まあゆっくり思い出していけばいいさ、自分の歳は聞いてもいないのに言えただろ?」
「そうだな、話していれば思い出すかも知れない。なあマリカ、他に何かわからないか?」
身を乗り出すハルキの頭を、マリカが人差し指でコツンとつつく。
「そう急ぐな、自分の名前もピンと来ないやつに何を話せって言うのさ、とりあえず基地での生活に馴染むことを考えるんだな」
要領を得ないのか、元々そういう性格なのか、ハルキはマリカの提案を合理的と考え素直に受け入れた。
「マリカの言うとおりだな。そうだ、それとは別にもうひとつ聞いてもいいかな」
「かまわねえぜ、聞くだけならな」
「キミは、ロボットなのか?」
マリカはヘッドホンのような耳に全身プラグだらけのボディスーツという自分の姿を思い出した。電子ドラッグを常用している彼女は、普段からこの姿でいるのが習慣になっている。まあ、ロボットに見えるだろうなとマリカは思った。
「ああ、そんなところだ。一応、ハルキと同じで元は生身だったんだけどな」
「生身?」
「元々は生物だったってことさ、お前が産まれるずっと前の話だけどな。ここにいる喋れるロボットはみんなサイボーグだと思っていい。そういう研究をする基地で、そういう実験をする場所だからな」
「なんでそんなところにボクがいるんだ?」
マリカはカイリのことを思い出し、嫌な気分になった。せっかくのハルキとの時間を台無しにされたような気がして、必要以上にいらだつ。
「それはな、悪趣味でゲスなウチの問題児が無断でお前を連れ去った上に帰れないようにしたからだ。すまないと思っている」
マリカはハルキの前で握り拳を作ってみせる。そうせずにはいられなかった。ハルキはその拳をしばらく見つめ、立ち上がってマリカに抱きつく。
「ごめん、マリカは悪くないんだね」
「な、なんだよ……ガキが気を遣うんじゃねえよ」
怒りは吹き飛び、マリカはハルキの薄茶色の髪をやさしく撫でた。
「ここで居住区は終わりだ、この先で迷ったら耳に付けてあるアンテナを使えば元の場所までナビゲートしてくれる」
基地の中を案内しながら、マリカはハルキに内蔵されている機能について説明していた。彼にはまだ機械の体であるという自覚はなく、取り付けられたオプションもよく分からず使っている。だが、マリカも詳細を説明しようとはしなかった。一度に多くを説明して、混乱させたくはなかった。
「なあマリカ、この耳のアンテナは外せないのか?」
ハルキは自分の体にくっついて離れない機械の証を手で必死に引っ張っている。
「ああ、外れたら万が一迷ったときオレたちでも見つけられなくなるからな。なんだ、外したいのか?」
「いや、別に……」
内心外したいとは思ったが、ハルキはマリカを思って回答を濁した。今の自分は他に依るところがない。今は優しくしてくれるマリカも、何かの拍子に敵になるのではと警戒していた。
「かわいいな、お前」
そんな子供の様子を察知できないマリカではなかった。彼女はハルキの頭を掴み、頭をワシャワシャと撫でる。恥ずかしそうにするがまんざらでもない様子のハルキを見て、マリカの胸は更に高鳴った。
「おやおや、ジャンキーの割にかわいらしいことをする」
その場の空気に水を差すように住居区側から背の高い女性が現れた。ハルキを見つめる細い目に色白の肌、真っ赤な口紅と、それと同じくらい赤い後ろに下ろした長い髪。加えて肩幅のある上品な黒いコートが、マリカとは正反対のタイプであるという印象をハルキに与える。
「カイリ、何の用だ。オレは今忙しい」
「忙しい? その男の子、意識が戻ったらわたしの元に連れてくる予定だったはず。それ以上の用があるというのか」
アゴを少し持ち上げ、目線を高くしてカイリは語る。マリカの拳に力がこもるが、彼女は衝動を押し殺し呼吸を整える。
「まだ未完成だ、動作チェックが終わるまで渡せないぜ」
感情を抑えるマリカの様子など気にもせず、カイリは高圧的な態度を崩さない。
「かまわん、未完成のままわたしの権限で受領する」
「あなたに何の権利があると言うんだ?」
ハルキの返答に、二人は驚いた。カイリの表情が怒りにゆがむより早く、マリカは二人の間に割って入る。
「待てカイリ、こいつはまだ何も知らない、記憶だって無いんだ」
「黙れ」
カイリに押し飛ばされ、マリカは何の抵抗もせず床に倒れる。その様子を見るカイリの表情は変わらないが、目は憎悪に燃えている。
「少年、何の権利があるかと言ったな。これが権利だ」
「ハルキ、逃げろ!」
マリカの言葉にハルキが気付く前に、カイリはハルキの胸元を掴んでいた。シンプルな袖の無いシャツを強引に引っ張られるが、ハルキはそれに抵抗できなかった。
「な、なんだ、力が入らない?」
「当然だ、わたしたち試作兵姫は任務の達成を最優先とする、任務を妨げようとすれば無力化されるのは当然。お前は男だが、試作兵姫の素材を使っているようだな。さあ少年……ハルキとか言ったな、来てもらおう」
立ち上がれぬマリカをそのままに、カイリはハルキを連れ居住区から離れていった。
「到着だ」
カイリに続き、ハルキは分厚い金属の扉をくぐり部屋の中へ入る。部屋の中は明るく、床が非常に柔らかい素材で作られていた。急に不安定になる足場によろけハルキが壁に手を付けると、その壁もふわりと力を吸収しハルキの小さな手を包み込む。
「なんだこの部屋は、奇妙だな」
「実験室だ、お前たちが暴れても自分を傷つけないようにするためのな。サナギ、出てこい」
カイリの呼びかける先を見て、ハルキは部屋の隅でうずくまる少女の姿を見つけた。歳は彼より少し下くらい、金色の綺麗な髪をしており、シンプルな水着一枚という姿だ。あんな格好のまま閉じ込められていたのか。と、ハルキは今の自分の境遇と重ね少女に同情と親近感を抱いた。
「今度はなにをさせるの……その子は!」
ハルキを見て、サナギと呼ばれた少女の表情から血の気が失せる。それを見て、カイリは満足そうに笑った。
「お前のコピーと一緒にいた少年だ。想像の通り、その息子だよ」
カイリの言葉に、サナギはますます戸惑う。今の状況をどう捉えたらいいのか分からない様子だ。そのきっかけであるはずのハルキは、なぜサナギが戸惑っているのかがまったく理解できていない。
「キミは、ボクのことを知っているのか?」
「あ、あんたなんか知らない!」
声高に叫ばれ、ハルキは自分の心が深く傷つくのを感じた。なぜそんなに傷つくのか、理解できないが少年の心に深く突き刺さるものだった。
「そうか、ボクのこと知らないのか」
落ち込むハルキを見て、カイリは愉快でたまらないのか声を上げて笑った。
「はっはっは! 酷いやつだなサナギは、自分の息子を知らないと言うなんて」
「息子!?」
驚くハルキに、サナギは急いで弁明する。彼女自身、落ち込むハルキを見て心痛める自分に気がついていた。
「わたしが産んだわけじゃない、地球であんなに時間がたってるなんて思わなかった!」
まくし立てるサナギに、カイリが油を注ぐ。
「そう、お前は確かに子供を産んでいない。だが砂凪(さなぎ)という人間は無事に成長し結婚して子供まで産んでいた。守護兵姫(しゅごへいき)となり、人間に戻ったという記憶を残したままな」
「だったら何なのよ!」
サナギが耳をふさぎ絶叫するが、カイリはやめなかった。
「それはわたしの知ったことでは無い、ただお前が地球に戻らなければコピーは死ぬこともなく人間として生涯を終え、この少年も地球人として過ごすことが出来ただろう。サナギ、責任を感じず何もしないというのは虫がいいと思わないか?」
「それは……」
「待ってくれ」
罪の意識にさいなまれるサナギと責め立てるカイリの間に、ハルキが割って入った。
「話を聞いていれば、まるで彼女がボクの母さんみたいな口ぶりじゃないか。どうしてボクより小さな女の子がお母さんなんだ、理由を説明してくれないか」
カイリは不機嫌そうにハルキとサナギを見下ろして舌打ちした。
「親子揃って飲み込みの悪い。そこのサナギが脱走して地球へ行ったことも含めて、基地のデータベースにアクセスすれば全部わかることじゃないか。せっかく機械化した脳、使わずにさび付かせるつもりか? 過去の出来事に相対時間のズレやピノシステムの働き、結びつければ分かりそうなものじゃないか」
「機械化、だって? ボクの脳は……機械なのか!?」
ハルキの恐怖に歪む表情を見て、カイリは機嫌を直した。
「なんだ少年、知らなかったのか。お前は脳も体もすっかり機械に改造されてるんだよ。記憶がないのは手術の弊害だ、全部入れ替えればそれくらいのことは起こる」
「バカな、そんな……」
信じられない、といった様子でハルキは自分の両手を見つめ、サナギはその様子をどう受け止めていいのか分からず手で空気をかき分けながら見守っている。それがカイリには気にくわなかった。
「飲み込みの悪いやつは嫌いだって言っただろう」
カイリは掌にアクセス用ナノマテリアルを展開し、ハルキの頭に触れた。自身より権限の強い個体から求めを受けたことにハルキの体が反応し、後頭部と首筋の部分にナノマテリアルを注入するためのプラグが現れる。
そこへ、カイリは自分のナノマテリアルを注入した。ハルキに流れ込んだ異物は高い権限をいいことにハルキの内部を好き放題に動き回り、彼が機械であることを自覚させようとした。
「あ、ガ……データリンク、内部構造チェック、ああ!」
少年の電脳は浸食され、無意識すら無視して意識領域に自分の体の状況を映し出す。ハルキは意味を理解できなかったが、強引にメモリーに書き込まれ、知らないが知っているという矛盾した精神状態が作り出される。
「が、か……」
結果、矛盾を解消するために電脳はフル稼働し、高い電圧を伴ってハルキを苦しめた。矛盾はカイリより止めどなくもたらされるため、処理能力の高い電脳にも限界が来る。
「キカイ……知ってる、ボクは、うああああ!」
頭から火花が散り始め、ハルキは次第に単純な単語を抑揚のない機械的な言葉を繰り返し口にし始める。
「知ってる、ボクは機械……改造され、されて、実験動物として連れ、連れてこられた人間のオス……春樹(はるき)、ボクの名前、ボクの、ボク……砂凪、ボクの、お母さん、の、名前……」
ハルキの電脳は理知的な活動が困難になっていた。その隙を突いて、カイリの意思を持つナノマテリアルたちは彼のより深い部分へ侵入、洗脳を試みる。
電脳に他者のナノマテリアルを強引に流し込むのは、星団連合であれば人権を持つ相手に行えば極刑もあり得る重犯罪だ。手順を踏めば相手に絶対服従を課すことさえ出来、解除方法は記憶を含む全データの削除しかない。が、ハルキにはそういった人権は認められていない、扱いはあくまで実験動物だ。カイリはそれをいいことに、初めから彼を都合のいい人形として扱うつもりだった。
「ハルキ、ハルキ!」
サナギはもはやハルキへの心配を隠そうとしなかった。目的が異なるとは言え、電脳をいじられるという経験をしたことがあるサナギはハルキの苦しみが痛いほどわかった。もうしがらみなどどうでもいい、境遇の近い一人の人間として彼のことが心配でたまらいという心境だった。
「ピノシステムがなくたって、なんとかしてあげるから!」
彼女は自身の首筋からケーブルを引き出し、ハルキの首筋に繋げる。強いノイズが痛みとなって走るが、彼女はハルキへのアプローチを続けた。
「うあああ、が、か……ま、待ってて、助けて、あげるから」
サナギは自身のナノマテリアルを持ってカイリの注入したナノマテリアルを選別し、取り出す作業にかかった。自身が汚染されてでも、ハルキを助けたかったのだ。
「クククク、健気なことだ。マリカが見たら感動するだろう」
が、これこそカイリの望んでいた展開だった。サナギは入って一年未満とはいえカイリと同じ試作兵姫、直接ナノマテリアルを流し込めば制裁の対象となる。しかしハルキを仲介すればそれはサナギの自由意思でありカイリは裁かれない。こうして、カイリはサナギを合法的に手中の納め、なぶり、彼女を気に掛ける基地の試作兵姫たちの心を砕くという意地の悪い目的を達成できる。
「もう少し……はああ! な、なんで!? この信号……う、うにゃあああ!」
ハルキからナノマテリアルを除去し終えようというとき、サナギは全身に電流が流れるのを感じた。同時に、自分の体が自分のものでなくなっていくような感覚も。振り向くと、カイリが後ろからおしりにあるアンプル注入口にガンタイプのシリンダーを突き刺していた。
「完全に掃除されると困るんだ、お嬢ちゃん。子供は子供らしく、猫のように戯れていればいいんだ」
抜き取られたシリンダーをにらみつけ、サナギが声を低くする。
「何したの!?」
「ナノマテリアル用のアンプルを注入した、それだけだが?」
サナギにはそれだけには思えなかった。自身にわき上がる暴力的な衝動、甘えたい衝動、まだ理解できない性的な欲求。どれも普段感じることのないものだった。
「ハルキやわたしに何する気か知らないけど、思い通りになんかならないんだから」
「口では何とでも言える」
「うにゃああああ! にゃああああ!」
今度は後頭部にアンプルを注入され、サナギの顔が引きつる。苦しそうに叫び、ハルキから手を離して四つん這いになった。
「あ、あたまが、ぐるぐるにゃ……」
ふらふら立ち上がろうとするサナギをカイリは蹴飛ばした。バランスを失い、サナギは柔らかい床の上に倒れる。
「地球の動物、猫から作ったアンプルだ。量が多いほどお前の心を猫に染める」
サナギに撃ち込まれているのは子猫のアンプルであった。有機、無機を問わず浸透する強力な薬品は、まずナノマテリアル全体に張り巡らされた信号網とその中枢である電脳に影響を与える。繰り返し投与すれば中枢にまで変化を起こし、不可逆な事態も招きかねない。
「それに熱い……にゃにゃ!」
サナギは自身の股に割れ目が出来ているのに気がつき、ぞっとした。表面装甲はそのままなのに、ナノマテリアルが性交渉の準備をしている。水着のように見える装甲板が柔らかくなり、そこへ秘部が現れるのは、サナギにとって想像以上に恥ずかしいことだった。
「にゃ、にゃんで……やめてにゃあ!」
「辞めない、まだ終わっていないからな。おい起きろ」
カイリは横になっているハルキにもアンプルを注入し、首元を掴んで強引に立ち上がらせた。ハルキの体はけいれんしている。
「やめてにゃ、ハルキも猫にするきにゃ!?」
「違う、よく見ろ」
ハルキはけいれんしたまま、焦点の定まらぬ目でぶつぶつと何かつぶやいていた。
「マスター認証、完了。ボクは、ハルキ……以後、カイリ様の命令に絶対服従します」
「ハルキ!」
サナギの叫びも、ハルキには届かない。ハルキはただギクシャクとした動きでカイリのほうに向き直り、ゆっくりと膝を突く。
「カイリ、様……ご命令、を」
その様子を見て、カイリは少し不満そうだ。
「礼儀はなってるが、ちょいと動作が不安定だな、お坊ちゃん」
カイリは再びアンプルをハルキに注入し、ハルキはぶるぶるとけいれんする。顔は無表情のままだが、その動作はどこか苦しそうだ。サナギは自身がアンプルを打たれた時を思い返し、絶叫する。
「やめてにゃ! もうハルキにアンプルを打たないで!」
「ならば小さなお嬢ちゃん、お前が代わりに打たれてもらおうか」
カイリは別のアンプルを手に持ち、サナギのほうへ歩み寄る。
「ちょ、いや……にゃああああ!」
全身に自分以外の神経を張り巡らされるような奇妙な感覚と、それに伴う苦痛と自身の感覚の変容がサナギを苦しめる。三度のアンプル注入で、サナギは四つん這いから立ち上がれなくなっていた。ナノマテリアルはアンプルに合わせるように耳を猫のようにとがらせ、尻尾まで生えかけている。
アンプルの制御により震える二人の子供にカイリが命じたのは、性交渉であった。彼女のナノマテリアルにより、二人はその命令に背けない。つたない知識で、お互いの生殖器同士を絡め合わせようと懸命に体を近づける。二人が生身の人間で、ここが浴場であればじゃれつく兄妹にしか見えないほどその行為は初々しかった。
「にゃあ、んにゃあ~」
「せい、性交渉、開始、開始……」
しかし、そんな様子がカイリにはじれったい。
「やり方も知らないのか、中身まで子供とは困ったガキどもだ」
カイリは新しいアンプルに性交渉の手順をプログラムし、ハルキに打ち込んだ。
「がが、が、がああ!」
ひときわ激しいけいれんのあと、ハルキは涙とよだれを垂らしながらとたんに積極的なセックスへと移行した。豹変する態度と、ハルキにアンプルが打ち込まれたことに対して、サナギが憤る。
「な、なにするにゃあ! わたしが代わりなら、打たないって言ったにゃ! 嘘つきにゃ!」
「黙れ、メスガキ」
カイリは怒りを隠さず四回目のアンプルをサナギに打ち込む。
「んんにゃああああああ!」
薬品が浸透しきっていたところへさらに追加され、サナギの中で濃度を増したアンプルはナノマテリアルの変化という形で外へ現れた。耳は完全に猫のものとなり、尻尾も伸びきり、手足も猫のような形となって白い毛まで生えた。内部の異物に暴れ狂うサナギを余所に、ハルキは性交渉を続けていた。
「んにゃああ!」
改造されており、しかも相手の男性器が小さいとは言え、生娘のサナギに性行為は刺激が強すぎた。膣がこすれる刺激に苦痛の悲鳴を上げる。
「や、にゃあ! ハルキぃ!」
言葉は届かない、ハルキは相変わらず遠い目をして未発達な男性器を突き立てている。それでも諦めず、サナギは涙ながらに訴える。
「サナギがお母さんでもいいにゃ、違くてもいいにゃ、だからこんなのやめようにゃ、お互い痛いだけにゃ!」
届かない、サナギが叫べば叫ぶほど男性器は更に侵入してくる。
「にゃあああ! ハルキ、もう、だめなのにゃ?」
答えない、ハルキは麻結ひとつ動かさない。サナギは自分の痛みよりも、次第にハルキがかわいそうに思えてきた。
「何にも、感じないにゃ?」
答えはない。
「声、聞こえないにゃ?」
やはり答えはない。サナギは意を決して、下腹部に込めた力を緩めた。
「もう、いいにゃ。恨んだりしないにゃ」
言葉はなくても気持ちは通じるはず、そんな思いでサナギは心からハルキを受け入れた。男性器は深々と突き刺さり、未成熟な体内で作られた精液はありったけサナギの体内に送られていく。
体を機械化させた彼女ら試作兵姫たちは進化の袋小路に行き詰まらないために、繁殖には様々な手段を残してある。その中で最も重要視されているのが、自身のルーツたる生物としての生殖方法だ。彼女らは、機械でありながら孕むことが出来るよう作られている。そのため試作兵姫に選定されるのは基本的に女性であり、姫の語源にもなっている。ハルキのように男性器を維持したまま改造される例はまれだ。
行為の果て、カメラのような瞳で見つめるハルキを見て、意識を猫に支配されながらもサナギは自我をとりとめた。
「はあ、はあ、ハル、キ……」
ハルキは答えない、答えられない。彼に打たれたのはロボット用のアンプルであり、やはり人権あるものに使えば罪状の付く代物だった。それは対象の思考を奪い制御化に置くという、本来ならプログラムの暴走時に使用するものだ。
「ごめん、にゃ、わたしの、せいで……」
サナギは自身の意識が消えていくのを感じた。カイリが満足したため、強制終了の指令を受けたのだ。ハルキも同じらしく、彼女より早く物言わぬ人形となりサナギの胸に倒れ落ちた。
カイリの計画は予想通りの結末をもたらした。彼女が行った行為は、彼女の権限で行った新型機サナギを用いた生殖実験であり、合法であるとされたのだ。ハルキへの対応は実験動物へのものとして当然不問、サナギに対してのアンプル使用は「実験参加者の暴走行為抑制」として認められている行為だ。
結局カイリは不問のまま、猫のような姿になったまま戻れなくなったサナギと、感情を失い辛うじて記憶を留めるだけのハルキだけが残された。
「ごめんな、オレが巻き込んだんだ……」
小さなハルキとサナギの二人を抱きしめ、マリカはさめざめと泣いていた。
「泣かないでにゃ~、マリカは悪いことしてないにゃ~」
慰めるサナギは、おむつをはかされている。生殖器が剥き出しのまま固定されてしまったため、潤滑液が漏れぬよう仕方なく履かせているのだ。サナギは猫のようにごろごろと喉を鳴らしマリカの胸に頭をこすりつけるが、マリカにはかえってそれが苦しかった。猫の耳、尻尾、手足。これらはナノマテリアルが強く記憶し神経を張り巡らせてしまったため、強引に作り替えなければ元に戻せない。だが、今のサナギにそんな手術をすれば意識が持つかどうか……。
「だって、お前ら元に戻らないんだぞ」
「大丈夫にゃ、どうせサナギたちはロボットにゃ。マリカがかわいがってくれるだけで幸せにゃ」
「ボクも、幸せ」
ハルキも、サナギのマネをしてマリカの胸に頭をこすりつけた。しかし、そのしぐさはとてもぎこちない。あの日以来、ハルキからは表情が失われてしまっていた。記憶喪失なりにも豊かだった言葉や表現は、カイリの限られた目的を達成するために最適化されてしまい、それ以外を行うのにとても不向きなのだ。これもまた、大幅な改変なしには治らない。精神に制約があるのに、改変など加えたら人格が失われてしまう。
お前たち、本当はロボットなんかじゃなかったんだ! 元に戻れないのに、悲しくないのか!? 試作兵姫は人間の延長だったんだぞ!
マリカは言葉を飲み込み、二人の頭を撫でた。慰められて嬉しいはずなのに、彼女は自身の無力感と自責の念で胸が張り裂けそうだった。自分もナノマテリアルとはいえ、機械の体だ、いっそ裂けてしまえばいいとさえ思った。
それを脇目で見て、カイリはほほえんでいた。彼女の望みは、マリカが苦しむ様を見ることだった。
カイリは優秀な試作兵姫であった、その優秀さを買われ視察に来た連合国籍男性との性交渉まで許可された。しかしその後試験をクリアし、試作兵姫となったマリカはもっと優秀であった。基地で唯一の連合人であるドクターに買われ、助手として様々な特権も与えられた。他の試作兵姫たちの人望も厚かった。自分の居場所が奪われたような気がした。
カイリが誇れたのは、連合国籍男性の子供の出産に成功したことだった。子供とはすぐ引き離されたが、カイリには準連合国籍の資格が与えられた。彼女は喜んだ、栄光の日々が戻ってくると。
しかし人心が戻ってくることはなかった。以来、彼女はことあるごとにマリカのお気に入りを壊している。
「今、わたしは満たされている。あなたには感謝してもいい、マリカ。こんな気分にさせてくれるんだから」
「じゃあ、もう思い残すことはないかしら」
カイリに背後から声を掛けたのはドクターだった。彼女は普段の白衣ではなく、黒く染められた正規の軍服に身を包んでいる。
「その格好……どういうつもりだ、ドクター」
「試作兵姫、わたしが軍務に就いているときはメルセデス所長と呼びなさい。あなたを人格破壊の容疑で拘束します」
カイリは身構えたが、すぐに構えを解いた。ドクターことメルセデスはこの基地で唯一連合人であると同時に正規の軍人でもある。任務以外の事柄でカイリが逆らうことは許されない。しかし妙だ、とカイリは思った。自分は人格破壊の容疑はかいくぐり、合法の判定を受けたはずだ。なぜドクターがこんな強硬な態度で自分の前に出てくるのだろうと。
これには裏があった。連合国籍を持つドクターは、密かに本星へハルキの養子縁組を申請していたのだ。カイリに合法の判定が出たあと申請が通り、サナギがハルキの子供を出産したため、判定が覆ることになったのだ。
まず、カイリに与えられていた特権は連合国籍を取得したハルキの子供を出産したサナギに移ることになる。これはカイリが生殖実験の任務発令の権限を失い、主導することも不可能にすることを意味する。新たに主導権を得たサナギがカイリに対して絶対服従の現状は、カイリの越権行為として新たな軍法会議を開かせる口実となった。軍法会議の場で本星連合の国籍を取得しているハルキに対して過去カイリが行った行為が改めて取り上げられ、処断されることになったのだ。
「残念だけど、これだけやれば誰であろうと極刑ね」
ドクターは冷たく言い放った。殺人に相当する暴虐を幾度となく、しかも準連合国籍の身分で犯したのだから言い逃れの出来ない状況だった。
「貴様、最初からそのつもりであのガキを改造したな! 連合仕様に! 養子縁組できるように!」
「自業自得よ。あなたが何もしなければ、裁かれることもなかったのよ」
「やめろ、知ってればやらなかった、チャンスをくれ、わたしは死にたくない!」
「メイブン本星連合進化研究所天の川銀河支部所長メルセデスが命じる。これよりカイリの全機能を停止、解体処分する」
「おかあさーん」
マリカは振り向き、飛びついてきた五歳前後の男の子を抱き留めた。
「お、アキト一人で来たのか? お兄ちゃんとお姉ちゃんは?」
「お仕事終わったから来るって!」
アキトはにこやかに答え、その笑顔にマリカも精一杯の笑顔で答えた。
「そうかそうか、邪魔しなかったか?」
「うん!」
デスクから立ち上がり、アキトの頭を撫でながらマリカはサナギとハルキの姿を確認した。
「ほら、お兄ちゃんとお姉ちゃんきたぞ~」
「こらーアキト! お母さんの邪魔しちゃだめにゃー!」
「お母さん、仕事、一段落?」
子供たちに囲まれ、マリカはデスクを離れレクリエーションルームへと向かう。
「大丈夫、ドクター様がおまえらが来たら仕事ほっぽっといても良いって言ってくれてるからな」
「それ、大丈夫にゃ?」
「心配だ」
「あ、お姉ちゃんスカート履いてる!」
アキトはマリカからするすると降り、サナギのスカートを引っ張った。
「ちょ、やめるにゃ!」
「なんだ、やっぱりおむつはいてるー」
「う、うるさいにゃ! お姉ちゃんはオシャレしたいのにゃ!」
「オシャレ……」
「ほらほら子供たち! もたもたしてると休み時間が終わる。さっさと行くよ」
長身のマリカに連れられ、三人の子供たちがレクリエーションルームに入っていくのをモニター越しに見ている人物があった。ドクターだ。
「別にゆっくりしきてもいいんだけどね」
カイリの手で打ち込まれた絶対服従のナノマテリアルが彼女の機能停止で無力化されたため、サナギとハルキの状況はわずかながら好転した。が、それ以降回復の兆しはない。
人格を初期化せず変化したサナギの体を元に戻したり、二人の思考を人間に近づけるのは今の技術では不可能というのがドクターの結論だった。人格の初期化は、彼らを何の感情も記憶もないロボットに変えるのと同義だ。しかし、ドクターはマリカにまだ復元の可能性が残されていると伝えていた。それも嘘ではない、革新的な技術の発展があれば、遠い将来、個を維持したままナノマテリアルの都合の悪い部分だけを除去する方法が発明されるかもしれないからだ。
サナギとハルキの子供、アキトの肉体的成長は、成長を止めた二人に合わせるためにバイオメタルを素材とすることで調整していた。長く子供で居させることで、マリカと長い時を親子として過ごさせようというドクターのエゴだった。ドクターは長年の相棒であるマリカが電子ドラッグも使わず、笑顔で過ごしているのを見るのが好きだった。
「次の試作兵姫も何百年先かわからない、マリカが子供と遊んだところで仕事に支障はないもの」
しかし、ドクターは宇宙中にサイボーグの種をばらまいている当事者の一人だ。多くの発展途上の星から見て、彼女は悪の頭目である。執刀医は暇でも、研究所の所長の手が空くことはなかった。
「ま、わたしが忙しいのは仕方ないわね」
ドクターは基地の中枢、監視所へ入り銀河中のピノシステムの動きに目を走らせた。
機械化少年と猫型少女