機械化少女の防衛戦
雲のない夜空の下、吐く息を白くしながら少女は流れ星を待った。流れ星に願いをかければ、叶うという話を父親から聞いたからだ。ベランダの空気は寒く、妹はベッドに入り、部屋の明かりは消えている。両親は少女が眠ったものだと思っているから、起きているのが知れれば怒られてしまうだろう。だが彼女は流れ星を見つけるまで眠りたくなかった。切実な願いがあるわけではない。ただ、本当に叶うのかどうか確かめたかったのだ。
空を見続けていると、視界の端で光が動いたような気がした。少女の見間違いかも知れない、それでも彼女は流れ星だと信じた。手を合わせて目をつぶり、強く強く念じる。十数秒ほどのわずかな間だったが、彼女にとってはとても長い時間だ。
目を開けると、目の前に小さな光が浮游していた。
「ピノを呼んだのはあなたかしら、お嬢ちゃん」
語りかける小さな光を見て少女は後ずさり、そのまま見つめ続ける。まさか、本当に願いが届いたのだろうか。
「あはは、怖がってる。かわいいかわいい」
口を開けない少女を見て喜んだ小さな光は改めて自己紹介をする。
「わたしはピノ、あなたの願いを聞いてやってきたの」
「お願い?」
少女は問い直す。自分がしたこととは言え、にわかには信じられなかった。
「そう、あなたは流れ星にお願いをした。そしてそれは実現するわ」
少女は思い出した。つい先ほど、世界が平和でありますようにと願ったことを。
「あなたはお星様?」
「違うよ、ピノはピノ。そして平和を守るのは、あなた」
「わたしが?」
ピノを名乗る小さな光は問いかけに答えず、少女の体の中に吸い込まれるようにして消えた。そしてすぐに、少女の頭の中に声が響く。
「あなたは守護兵姫(しゅごへいき)、星を守る正義の味方に選ばれたのよ」
気まぐれな願いは少女の人生を変えた。彼女は今、日常から高度三千キロメートル離れた真空の中にいる。
「砂凪(さなぎ)、地球に近づきすぎているわ。こうなったらおびき寄せて戦いましょう」
「だめ! 地上に被害が出ちゃう、ここで食い止める!」
「損傷率は30%を越えているのよ?」
砂凪の全身は装備から皮膚まで固い金属のような質感を持ち、周囲には光を拒むような金色の膜が張られている。膜には所々穴が空いているが、これは元から空いているのではなく何かの衝撃で開いたものに見える。金色の膜の内側は鏡のように、彼女の奪われた左足の断面を映していた。
「向こうはまだ太陽風の中にいるんだ、影になってるここからならリフレクターレールガンでも精密射撃ができる」
砂凪の両脇からチューブのような物が伸び、砲身を形作る。狙いの先には、砂凪と同じように金色の膜を帯びた小さな点が素早く動く。
「外れたらどうするの、撃ったらしばらくシールドは使えないわよ」
「大丈夫、向こうは警戒してシールドを張り続けてる。目視できる相手なら外さないよ」
「だと、いいんだけど」
狙いを定め、物理法則に導かれた弾頭が輝くプラズマを伴い打ち出される。音のない宇宙空間の静寂の中、少しの間を置いて遠くで大きな閃光が発せられた。各種レーダーに反応はない。
「当たった……何とかなったわね」
砂凪とピノは引き上げる前に、念のため爆発のあった場所を調べることにした。
「死んだフリなんてことはないと思うけど、気をつけてね」
「分かってるよピノ、怪我が無限に治るわけじゃない、でしょ?」
深夜の日本、砂凪は周囲の景色と一体化しながら自分の部屋に面したベランダに降り立った。カモフラージュを解いた体には戦いの跡が刻まれており、ちぎられた左足からは骨格とチューブのようなものが見える。全身の装備はぼろぼろの粉末になり風と消え、血のような赤い液体も流れてはいるが、流れ出てしばらくすると消えてしまうようだった。
「痛ぁ……くそぅ、あの機械兵姫(きかいへいき)結構当ててきたね」
「そうね。また新型みたいだし、砂凪の守護兵姫卒業は期間いっぱいまでナシね」
「守護兵姫って、四年間しかなれないんだっけ」
「そうよ、ピノと一緒に居すぎると離れられなくなっちゃうの」
「四年も経ったら六年生かぁ。ねぇピノ、守護兵姫が終わったら普通の体に戻るんだよね」
砂凪は無くなった左足を心配そうに見つめる。
「ええ、ピノがいなくなったらもう変身はできないわ」
「そうじゃなくて、中身のことなんだけど」
合点がいったのか、ピノは優しい声で答える。
「安心して、機械の体はナノマテリアルが一時的に組み替えてるだけだから、元に戻るなんて簡単よ」
「そっか、そうだよね」
「でも、死んじゃったらおしまいだからね! 無理はしちゃだめよ」
「わかってるよ」
砂凪は聞き飽きたとばかりにいなし部屋の中へ入った。中では砂凪を一回り小さくしたような少女が先に寝息を立てている。
「ただいま、麻結(まゆ)」
小声で挨拶し、砂凪は小さな妹の唇にキスをした。すると傷はたちまち修復され、失われていた左足も元に戻った。
「いつもありがとう」
彼女は自分の妹に、余った生体エネルギーを蓄えていた。
「ピノ、人間に戻して」
言葉を合図に砂凪の体は元の質感を取り戻し、裸同然だった姿はパジャマ姿へと変わる。
日常を少女として過ごし、機械兵姫襲来のときは守護兵姫としてひっそりと地球を守る。それが砂凪のあり方だった。
「ねえパパ、一緒にお風呂入ろうよ」
「麻結も、麻結もー」
珍しく父親が早く帰った日、砂凪と妹の麻結は父親を包囲して困らせていた。姉という肩書きがあるため父親の膝の上は妹に譲っているが、少しでも甘えたい砂凪は父親の首に手を回し背中からのしかかっている。
「ははは、かわいい娘達に頼まれると断りにくいな。でも今日は仕事が大変でね、疲れてるんだ。もう小学生なんだから、二人だけで入れるだろう」
「えー」
「ぶー」
ふてくされる二人を台所から見ていた母親が一喝する。
「パパ疲れてるんだからせがんだりしないの!」
結局二人で入ることになった姉妹は大いに不機嫌だった。長風呂する気にはなれず、二人とも不真面目に体を洗う。
「たまにはいいじゃんねー、ママのケチ」
「ねー」
風呂から上がった砂凪と麻結の二人はテレビを眺める父親の元に駆け寄った。綺麗に洗った分父親へのアタックに遠慮がない。それを見た母親から鋭い怒鳴り声が飛ぶ。
「砂凪、麻結!」
「まあまあ、二人とも静かにテレビを見るならいいだろう?」
父親が仲介し、リモコンでゆっくりとチャンネルを変えていく。その中に、サイボーグを特集した番組があった。砂凪の心臓は鼓動を早める。
「ねえパパ」
「なんだい?」
「パパは砂凪たちが機械になっても好き?」
テレビ番組はちょうどサイボーグについて解説している。医療目的から軍事目的、果ては脳細胞のナノマシン化による不老不死がいずれもたらされるだろうという内容だった。父親は少し考えてから、砂凪の顔をつつく。
「砂凪たちを嫌いにはならないが、機械になるなんて考えたくはないなぁ。だって機械になってしまったら、偽物の砂凪と区別できないだろう? こんなにかわいいんだ、将来は美人にもなる。お前は一人で十分だ」
「うあああああ!」
機械兵姫四体の襲来にもかかわらず、砂凪はそのことごとくを撃破していた。敵の評価は高いらしく、連携した上での波状攻撃という打ち合わせたような戦いを仕掛けてくる。
しかし砂凪は自分のダメージなどお構いなしに高機動戦闘を仕掛け、プラズマアームズで一体ずつ八つ裂きにしていった。突撃による各個撃破は確かに有効で敵の意表を突くことが出来たが、シールドはほぼ消滅、砂凪の体はボロボロになっていた。
「戦い方が乱暴すぎるわ! 自己再生が追いつかない、マナチャージャーだっていつまで持つか……一歩間違えたら死んでいたのよ!」
「うるさいうるさい! 砂凪が勝ったからいいんだ!」
錯乱する砂凪をピノがなだめる。
「パパに言われたことを気にしてるの?」
「気にしてない、わたしは人間だ! だから早く元に戻して!」
「バカ言わないで、ここは宇宙よ!」
あまりに暴れるので、砂凪は疲れて眠ってしまった。部屋に帰るまではピノが砂凪の体を動かす。守護兵姫は本体の意識が浅い眠りなどで薄らいだ状態、スリープモードのとき内部AIは宿主の体を操作することが出来る。
自由落下しながら、ピノは不安定な砂凪の精神状態を危惧した。
「手を打つ必要があるわね」
「お姉ちゃん、パパもママも遅いね」
麻結の問いかけに、砂凪は返事を返さない。消えてしまいたい気分だった。いずれ元に戻れるとは言え、自分は体を機械に変えてしまったのだ。父親に嫌われたらどうしよう、偽物だと思われたらどうしよう……そんな気持ちでいっぱいだった。
「あ、ママ」
帰宅した母親の表情は明るくも暗くもなく、形容しづらいものだった。百年の時を一瞬で目撃し、唖然とする人間の表情とでも言えば伝わるだろうか。
「二人とも、落ち着いて聞きなさい」
聞きなさいと言いながら、その声はどこか他人事のようだ。
「パパが、トラックに引かれたの」
「いやっ! パパが死んだのに、戦うなんてイヤ!」
機械兵姫の存在を感知したピノが砂凪に呼びかけるが、彼女は守護兵姫に変身することを嫌がった。
「パパがいないのに守っても意味ない、みんな死んじゃえばいい!」
「ママと麻結がいるでしょ? それにあなたのパパは嫌がる砂凪なんて嫌いになっちゃうに決まってるわ」
「そんなことない、パパは機械が嫌いだって言ってたもん」
ピノは小さなため息をつき、改めて砂凪に問い直した。
「その記憶は間違ってるわ、よく思い出して。あなたのパパは機械になった砂凪が好きだったはずよ」
「違う、パパは機械になった砂凪が嫌い」
チキ。
「あっ」
「パパは守護兵姫に変身した砂凪が大好きよね?」
「違う、パパは人間の」
バチリ。
「あああっ!」
体を大きくのけぞらせ、砂凪は頭を押さえる。
「違う、ちがううううう!」
チキ、パチ、バチリと電気の炸裂する小さな音が少女の頭の中、体の中から発せられる。
わずか数分の出来事だったが、炸裂音は数百回に上った。
「ちが……あ、あれ? わたし、泣いてる」
「パパが死んじゃったからじゃないの?」
涙をぬぐい、砂凪はベランダの窓を開けた。
「泣いてる場合じゃないでしょ、戦わないと天国のパパに笑われちゃうもん」
砂凪はこれまでにないほど負傷していた。両手両足はもげ、腹部には大穴が空いている。目は片方しか見えていない。
「こ、これ、生きてるの?」
「これがギリギリよ。とりあえず麻結のところまで戻るわ」
ベランダへ降りると、パジャマ姿の麻結が外へ出てきていた。麻結は慌てたが、ピノは落ち着いている。おどろおどろしい姿になった姉を見て、麻結が驚く様子もない。
「大丈夫、今は催眠術にかかっているようなものよ」
「そんなことして麻結は大丈夫なの?」
「あなたねぇ、人の心配をしてる場合じゃないと思うんだけど」
砂凪はすぐさま口づけされ、ベッドへと運ばれる。
「そっか、今のわたし軽いから……」
「そうね。でも、おかげで大幅なグレードアップができるわ」
「へ?」
ピノはそう言うと麻結の体の中に入り、砂凪の上に覆い被さった。
「これでよし、と」
「何をやって……ああ!」
かろうじて見える片目に映るのは、ピノと共に自分の体に入り込もうとする妹の姿だった。体を重なり合わせ、自身を液体に変えて砂凪に溶け込もうとする妹を見て砂凪は絶叫する。
「止めなさい、そんなことして麻結は平気なの!?」
しかし、誰も部屋に入ってくる様子はかった。彼女のスピーカーが壊れ、音を発さないため気づかれないのだ。
「どのみちマナチャージャーとして限界だったんだ、マテリアルとして使うのが効率的だと思わない?」
「何言ってるの、止めてよ!」
「止めないわ、もうマナチャージャーはいらないもの。二人分の素体を内包できるほどに、ボディの性能が上がったからね」
体内に流れ込む麻結は砂凪にとって心地よく、痛みを和らげ活力を取り戻させた。同時に、少女の体に再生のスイッチを入れる。
「だ、だめ!」
砂凪は今まで感じたことのない不思議な感覚……何もないところに体が出現し、そこへ積み木のように次から次へと新しい物が継ぎ足され、繋がった瞬間に神経が通る。そしてそれが、とても暖かく心地よい、しかし耐えがたく凶暴で刺激的……無理矢理言葉にするなら、ならそんな感覚が襲いかかってきた。
「あああ!」
砂凪は再び叫び声を上げたが、やはり声にならない。
「つ、つく……造られ! 造られる!?」
四肢の断面がうずき出し、ゆっくりではあるが、目に見える速さで体の再生が始められた。
「に、人間なのに、組み立て、組み込まれて、い、くぅ」
叫んでいる言葉は意図しない無意味なものであったが、状況を説明するものでもあった。
彼女は今まで怪我をするたび、妹の中で事前に造られた体と交換することで再生していたが、妹の機能を得た今、自身で自身の体を新たに作り、体に継ぎ足すことができる。この再生法は修理と言うより改造、改良と言ったほうが正しい。
今までの戦闘経験と麻結というエネルギー源を得て作り直されていく強固な身体を見て、ピノは心が躍った。
「喜びなさい砂凪、ピノたちはまだまだ強くなる」
朝になり、再生を終えた砂凪はまだ人間に戻っていなかった。妹が消えたこと、自身の体が造られ生えることを、ピノによって受け入れさせられているのだ。
「ま、麻結が死んじゃうなんて……知らな」
チュイイイイ
「し、知って、知って、た」
それでも、母親が部屋を覗きに来ることはなかった。夫を亡くして以来の深酒がピノに味方したのだ。
結局、麻結は行方不明ということで決着した。妹の行方について、砂凪は何も語らなかった。
父親と妹を立て続けに失った砂凪の一家は母親の実家に身を寄せ、傷心のまま三年以上の日々を送っていた。しかし砂凪の戦いの日常は変わらない、むしろ激しさを増していた。
「ターゲット消滅。ピノ、あと何体?」
「センサーに敵影三、もう一匹くらい隠れていそうよ」
「じゃあ、きっとこれだよ」
砂凪は手をかざし、もう使われていない人工衛星に電磁衝撃砲を投射した。中に積まれているバッテリーが爆発し、爆炎の中からステルスのためにシールドを切っていた機械兵姫がふらふらと姿を現す。砂凪はレーザークローで心臓部をわしづかみにし、機械兵姫のハッキングにかかった。
「そう、あんたがわたしの場所を。捨て身の偵察? 泣かせるじゃないの、ただの機械のくせに!」
砂凪のバックパックから大量の亜光速ミサイルが撃ち出され、数秒と待たぬ間に三つの閃光が近くの宙域にきらめいた。
「砂凪、電磁衝撃砲はああやって使うものじゃないでしょ。あらら、地球圏の通信は謎の電波障害で大混乱、って感じになってるわね」
あきれるピノに、砂凪は涼しい顔で答える。
「わたしたちの戦闘は隠さなきゃいけないんだ、ピノの仕事を減ったと思えばいいじゃない」
「あからさまなのは後始末に困るのよ」
砂凪は大気圏を通り、祖父母の家に用意された自分の部屋にこっそりと帰る。その姿はピノと出会った頃の砂凪と同じ容姿であったが、人間に戻り始めると変化が現れた。三年以上の年月をしっかりと感じさせる体の成長、まったくなかった胸も中学校入学を控える女の子として見ればまぁなくはないと言える主張をしている。パジャマもその体に合わせたサイズになっていた。
「やっぱり人間の体は落ち着くわ」
ベッドに寝転がり、まくらを抱きながら小さくつぶやく。
「守護兵姫の体はイヤ?」
ピノの問いに、砂凪は顔を暗くする。
「小さい頃を思い出しちゃうからね、機械兵姫が憎くて憎くてたまらなくなる。機械の体は好き、でも思い出は嫌い」
「大丈夫、もうすぐ守護兵姫になってから四年になるわ。卒業すれば元の体に戻れるんだから、思い出す心配もないでしょ?」
卒業と聞き、砂凪は地球のことばかり考えている自分のことを少しかえりみた。
「そう言えば小学校も卒業だっけ。なんかわたし、色々忘れてるような気がするなぁ」
肌寒い北風の吹く冬、砂凪は祖父母家のベランダ兼洗濯物干し場になっている二階から曇った空を見上げていた。空はあいにくの曇り、母は祖父母を連れて買い物に出かけてしまっている。休日の砂凪は悪天候でないかぎり、大抵は空を見てぼーっと過ごしている。初めは機械兵姫に素早く対応するための習慣だったが、今では、なぜ自分は遊ばないのだろうかとか、人並みに友達が居ないのだろうか、などと年並みに知恵の回ることを考える時間になった。が、考えるだけで砂凪はそれ以上のことをしようという発想ができないでいた。
「ねえ砂凪、あなた自分は暇だとか考えたりしないの?」
機械兵姫が絡まない限り話しかけてこないピノの声が聞こえ、放心状態だった砂凪は自我を取り戻す。
「なに、急にどうしたの?」
「最後くらい、思い出に普通の話をしてもいいかなって思ったのよ」
ピノが語り終えると、砂凪の体からかすかな光が放たれ始めた。守護兵姫に変身するときの様子に似ている。
「最後って、え?」
「忘れたの? 守護兵姫は四年間が限度なのよ。そして今日が四年目、今夜ピノたちはお別れよ」
砂凪の体から小さな光の点が分離する。それは浮游し、彼女の前で制止していた。
「こうしてゆっくり話すのは四年ぶりね、砂凪」
「ピノ……」
忘れていた感情が蘇ってくる、そんな感覚が砂凪にはあった。暖かかったり冷たかったり、気持ちよかったり痛かったり。当たり前だけど、どこかないがしろにしていた感情。目の前のピノを見ることで、ピノと出会う以前に持っていた気持ちが蘇るようだった。
「なんで、前もって言ってくれなかったの」
「そんな大げさなことじゃないもの。それより砂凪、あなたはよくがんばったわ。これからは友達を作って、いっぱい遊んで、自分のために生きるのよ」
らしくないピノの様子を見て、砂凪は年相応の笑顔を咲かせた。気取らない、一生懸命で全力の笑顔。父親が死んでから一度も見せたことのないものだった。
「なにそれ、そんなの当たり前じゃん」
「なら、ピノは安心だわ」
和やかな雰囲気のまま、寒さも気にせず二人は長い間談笑していた。そのまま日が暮れて別れると砂凪が思ったそのとき、背筋に寒いものが走る。同時に、取り戻したと思った感情も凍り付く。
「ピノ、これ」
「うん、どうやらすんなり卒業させてくれないみたいね。大群、数はざっと十……いや二十!」
「早く変身しよう、怒らせすぎたんだ、地球が壊されちゃう」
砂凪の体は虹色の粒子に覆われ、人間の体からはじけるように二回りほど小さい守護兵姫の姿をした砂凪が姿を現した。残った粒子はそのまま砂凪の体の周りで固まり、様々な装備や武器に変わっていく。砂凪は慣れたもので、装備の固定化が済む前に離陸の姿勢を取っていた。
「どうする砂凪、敵はハイパースペースを出たばかり、太陽系の外側にいるみたいだけど」
「反次元杭転移でヤツらの背後に回り込もう。最後なんだ、無茶してもいいさ」
「本当に無茶苦茶ね。それ、最近思いついただけで一回も試してない航法なんだけど」
「地球がなくなるよりはいい、宇宙に出るよ!」
砂凪はベランダから音もなく飛び立った。飛び立つ瞬間、砂凪は誰かに見られたような気がしたが、この速度なら人間の目には錯覚としか映らない。仮に母親に見られても自分と感づかれることはなかろうと、気を取り直して外宇宙に目を向けた。
外宇宙より飛来した機械兵姫たちも障害物の多い星系内部から光速を越え奇襲してくるとは予想していなかった。何の前触れもなく現れた砂凪の陽電子砲になぎ払われ、三体が宇宙の塵となる。しかし、その戦果は砂凪の予測を下回っていた。
「三体しか沈められなかった? ピノ残りを数えて、立て直される前に叩く」
シールドの展開を警戒し、砂凪は手にした陽電子砲を分解し貫通力のあるショットガンジャベリンを装備する。数百本ずつ束にされた槍を広範囲に打ち出すそれは、今まで多くの機械兵姫をシールドごと串刺しにしてきた。
「そらぁ!」
砂凪のかけ声とともにたびたび打ち出される鋭利な槍の嵐に展開したばかりのシールドが次々と剥がされていく。しかし槍を逃れたいくつかの光が砂凪を取り囲もうと動き始めた。
「砂凪、囲まれるわ」
「わかってる!」
奇襲での殲滅を諦めた砂凪はショットガンジャベリンを爆発力のあるブラストジャベリンに変換し、発射と同時にシールドを破壊した機械兵姫の群れへと突っ込んだ。爆炎を目くらましに使えば一時的だが相手を分断できる、幾千回もの戦闘を経験し体を強化した砂凪は一対一ならすぐに勝負を決着できる自信があった。敵は推定二十、同士討ちはないものと信じて、砂凪は煙幕の中で戦うことを選んだ。
確認できるだけでシールド破壊に成功したのは七体、うち足を止めているのは五体。そいつらはブラストジャベリンの餌食となるだろう。
「残り二体」
砂凪は高機動バックパックを起動しフォトンブレードを抜いた。
「手負いのうちに仕留める」
爆発と同時に、砂凪は事前に予測していた機械兵姫の胴体を断ち切った。その勢いを殺さず二振り目で頭を破壊する。
「次!」
爆炎はまだ治まっていないが、砂凪は新たな火種作りのためブラストジャベリンを構え直す。そのとき、発射口とシールドのわずかな隙間から撃ち込まれたレーザーがブラストジャベリンが打ち抜いた。砂凪は慌ててバリアの外へ捨てたが、爆風で煙幕の外へはじき飛ばされてしまう。煙幕の外では、戦闘態勢を整えた機械兵姫がおのおの違う武装で取り囲むように待ち構えていた。
「砂凪、敵の数は」
「もう自分で数えられる、残り十二よ」
間髪入れず、敵の銃弾にビーム兵器、ミサイルや電磁衝撃が砂凪に集中する。砂凪はすぐさま後部にシールドを集中し、攻撃を諦め回避しながら太陽系の方向へ逃げる。
「ちょっと砂凪、逃げてばかりじゃ勝てないわよ」
「さっきのレーザー、まぐれ当たりなんかじゃない。あの中にとんでもないのが混ざってるんだ、何もないところはまずい」
しかし退路をふさぐように一つの光が回り込み、砂凪のショットガンジャベリンと同じような武器で攻撃してきた。前方にシールドを回していなかった砂凪は急いで全方位に切り替えるも間に合わず、数十本が全身に突き刺さった。どれも貫通するには至っていないが、体中からナノマテリアルが漏れ出てしまっている。
「同等だとでも? バカにして!」
傷口からナノマテリアルを噴射して針を抜き、砂凪は先回りした機械兵姫へ向かって突撃する。
「だめよ、再生もまだなのに」
「うるさい!」
そのまま飛びかかるかるかに思われた砂凪だが、二発目の弾丸を大きく避け機械兵姫を素通りし、再び太陽系へと加速する。しかし今回は逃げには徹せず、加速したまま太陽を背にし、胸のハッチを開いて内部構造を露出させた。行動の意図に気づいたピノは、冷静な口調で砂凪につぶやく。
「ダメージは覚悟の上ね?」
「かまわないよ、人間の部分が無事なら!」
「それは保障するわ」
砂凪は漏れ出たままになっているナノマテリアルを自身の動力炉と直結させ、エネルギーを送り込み一気にプラズマ化させた。ナノマテリアルであったプラズマはエネルギーを増し続けるも主人の支配を受け続け、砂凪の意思通りの動きをする。突然現れた群れを成す無色の太陽に一体、また一体と機械兵姫が焼かれていく。
機械兵姫たちは反撃を試みたが、実体武器は言うに及ばず、ビーム兵器までも砂凪の切り札と言うべきナノプラズマ兵器に打ち消され近づくことも出来なかった。
「ぐ、ううううう!」
それを操る砂凪は自ら生み出す苦痛に表情をゆがめていた。動力炉は限界を超えたエネルギーを生み出し続け、半ば暴走に近い状態になっている。これを押さえ込むために砂凪は自身の内部に制御棒とシールドを生成し続けねばならず、その素材として自身の体を削り続けていた。いわば持久戦、ピノがそう考えはじめたとき、一体の機械兵姫がプラズマをはじき飛ばしながら迫ってきた。相手は強力な電磁場で自身を覆うことでプラズマを弾いている。迎え撃とうにも、今の砂凪は両足を使い切っており、左手も半分消費している。反撃に使えるのは右手だけだ。
「こいつが、さっきの!」
「動力炉を守るのよ、砂凪!」
小さな砂凪の右腕では剣を払いのけるには足りなかった。機械兵姫は手にした結晶製の剣を、砂凪の動力炉に突き刺す。動力炉の光が消え、砂凪から露出した機械の放つ小さな光も徐々に消えていく。
勝ちを悟った機械兵姫はプラズマの消滅を待ってその場を離れようと考え、手にした剣を砂凪の動力炉から引き抜こうとするが、抜けない。それどころか、体の自由が利かなくなっていた。
「ハッキング成功」
砂凪はにやりと笑い、自分を突き刺している剣を握った。
「あんたには格の違いを教えてから倒すって決めたんだ」
機械兵姫は混乱した。死んだフリではなかった、確かに動力炉を直撃したはずなのにと。
「わたしにはね、動力炉が二つあるの。そして」
突き刺さった剣を伝って、今まで砂凪のナノマテリアルに供給されていた膨大なエネルギーが機械兵姫に流れ込んだ。
「潰した動力炉のエネルギーはあんたたちに受けてもらう」
爆発寸前までエネルギーを流し込まれた機械兵姫は砂凪の意のままに仲間のところへ向かい、巻き込むようにして大爆発を起こした。砂凪は敵の全滅を確認し、満足して宇宙に体を投げる。
「ああ、最後も勝ててよかったよ……これで終わりだよね? ピノ」
「ええ、これで終わりよ。あとは任せて」
帰りをピノに任せ、砂凪はそのまま眠りについた。
目を覚ますと、砂凪は二階にある自分の部屋でベッドに横たわっていた。体は人間に戻っており、手も足も無事に付いている。
「ピノ?」
砂凪がいくら呼びかけても返事はない。彼女は達成感と共に、一人部屋に取り残されたかすかな寂しさを感じ一人つぶやいた。
「普通の暮らし、か」
普通という言葉を繰り返し考え、砂凪は自分の部屋を見渡した。ベッドや机などのプライベートスペースに遊びのない、個性の見えぬ殺風景な部屋。これは果たして普通なのだろうかと、砂凪は自分に疑問を投げる。
「ぬいぐるみって、どんなのがあるんだっけ」
ぬいぐるみの一つくらいあったほうが自然なんだろうな、などと言葉にはしてみるが、具体的なイメージも実感もわかなかった。彼女の部屋で歳相応のものと言えば、祖母が畳んでタンスの前に置いておいた衣服と床に置きっ放しのランドセルくらいだろう。しかしこれは彼女が用意したものではない。
「あ、学校……」
今日が平日ということを思い出し、砂凪は急いで準備を始める。わからないなら同級生を見て学べばよい、なんてことを考えながら。
「普通、普通の生活しなきゃ」
着替えて一階へ降りると、母親が味噌汁の具をきざんでいた。普段は祖母の仕事なのにと、珍しそうに眺める。
「母さんが作るなんて珍しいね」
「失礼だね、作ってやってるのに。あんた自分で作る?」
「おばあちゃんは?」
「じいさんと旅行でしょ!」
「あ……」
そう言えば海外へ行くなどと言っていた、ような気がすると砂凪は思い出す。自分の記憶力にあきれながら、台所に立つ母の背中を眺め朝食の完成を待つ。
「あんたもあまりばあちゃんに迷惑かけるんじゃないよ、歳を取ると寒さが身にしみるんだから。ほら出来たからさっさと食べな」
砂凪は出されるまま母の手料理を口に運んだ。
「おいしいね」
「なに、あんた今日気持ち悪いね」
娘に向かって気味悪いとは何事か。と、砂凪は思ったが、母親の言うことももっともだと思い直す。砂凪は自分を守護兵姫だと自覚することで今日まで生きてきた、だから今までおいしいとかまずいとか、そういうことを気にしてこなかった。これからは、そういうことも考えていかなきゃいけないなぁと考え、ふと思い出す。
「でも、パパも麻結ももうご飯がおいしいとかわからないんだね」
彼女が仏壇のほうに目をやると、母親は心配したの砂凪の額に手を当てた。
「あんた、熱でもあるの? 盆でもないのに死人が帰ってきたみたいな……」
母親は目をそらしたかと思うと、飛ぶように玄関へ走って行った。そのあとすぐ、大きな声を出したいけど出せない、そんな絞り出すような声で泣き始めた。不審に思い母親に続く砂凪も、表に出て気を失いかけた。ふらつく彼女は、大きな手に抱き留められた。
「大丈夫か、砂凪」
「パパ!」
死んだはずの父親と麻結が、玄関に訪ねてきていた。砂凪と母親の心臓は破裂寸前だ。
「バカ! なんで生きてるのよ!」
「ママ、痛い」
母親は小さな麻結を抱きしめて離さない。そして父親は。
「なあ砂凪、どうも記憶がハッキリしなくてな。お父さん気づいたら麻結とおじいちゃんの家の前に居たんだが……お母さんはこんなだし、昨日お前とお母さんはおじいちゃんの家にお泊まりしたのか?」
どうやら、自身が死んでいたという自覚がないようだった。砂凪はそれを察し、死には触れず父親に答える。
「うん、お泊まり!」
「あとお前、なんかでっかくなってないか? 頭二つ分くらいおっきくなってる気がするんだが……パパ、昨日お酒飲んだのか?」
「え、えっと」
砂凪は母親の目を見る。その目は余計なことを言うなと語っていた。
「そうだパパ、砂凪の部屋に来てよ」
「なんだお前、おじいちゃん家に部屋作ってもらったのか」
「早く早く!」
母親が麻結を抱きしめているのを確認し、砂凪は父親の手を引いて家の中へ入った。
「砂凪ね、砂凪ね」
四年間の暗さを照らすように、砂凪は父親にせっついた。思いつくことは何でも話し、手に触れ、においをかぎ、精一杯甘える。
「今日はずいぶんしゃべるな。それに砂凪、もう小学生だからわたしって言うことにしたんじゃなかったのか?」
「今日はいいの!」
部屋に戻っても、砂凪のおしゃべりは続いた。ピノと融合して守護兵姫になったこと、機械の体になったこと、四年間見事戦い続けたことなどを父親に話して聞かせた。父親嬉しそうに話す娘を見て満足そうだ。
「そうかそうか。そして、砂凪は人間に戻ったんだな」
「うん! でもパパが喜ぶんだったら、また機械になってもいいよ!」
娘の言葉に、父親は少し難しい顔をする。
「おいおい、ピノがいないと砂凪は人間に戻れないんだろう。それでもいいのか?」
「パパのためだもん!」
砂凪は部屋に必要な工具を引いて、改造手術のための手術台を準備した。
「えへへ……あれ? おかしいな。なんか、ちょっと怖い? 嬉しいのに、ホントおっかしいなぁ」
砂凪が怖がる様子を見て、父親は娘を優しく抱き上げる。
「これで怖くないだろう」
父親の手が温かく、子供の頃を思い出させる。砂凪の中で、恐怖が払拭されていった。
「ねえ、このまま手術中もだっこしてて」
「いいよ」
父親は娘にやさしくキスをすると、手術台の上に乗せた。
「うあぁ、パパぁ!」
砂凪は全身に注射されるナノマテリアルにより体の組織が浸食され、人間としての機能を停止し始めた。胸は切り裂かれ、改造を終えるまで生命をつなぎ止める維持装置が心臓の位置に埋め込まれる。そうしている間、浸食を終えた部分から切り取られ、機械に加工されては体の中に戻された。もどされた機械はナノマテリアルに馴染み、まるで鼓動するように砂凪に血液の代わりの電気情報入りナノマテリアルを送り込む。
「は、外して、くっつけられて……砂凪、オモチャなの?」
自身のさらされている状況から、砂凪はブロックをつなぎ合わせるオモチャを連想したようだ。
「お前はオモチャじゃない、もっと高度なものに生まれ変わるんだよ」
浸食は内蔵に及び、刺激はいっそう激しくなる。内蔵は抜き取られると、機械化され組み込まれる。そのたびに、少女の脳は揺さぶられた。これが繰り返されたら、死んでしまうのではと思わせるほどに。
「パパ、助けて……」
「気持ちいいだろう、砂凪」
「気持ち、いい?」
「そう、砂凪はまだ小さいからわからないんだ。この感覚は、とても気持ちのいいものなんだよ」
とうとう生命維持装置が役目を終え、砂凪の体からはぎ取られた。
「んあああ! これ、怖くないの? 気持ちいいの!?」
「そう、気持ちいいんだ。さあ、次は脳を改造だね。もっと気持ちいいよ」
「なる、もっと気持ちよくなるぅ!」
「ドクター、ボディの解析はほぼ終わりだよ……っと、もうピノの解析結果が上がってきてるのか、じゃ残りはこの子の電脳だけだね。モニタリングはどうなってる?」
ドクターと呼ばれた女性はヘッドマウントディスプレイを付けたまま、部下の女性に指示を出す。
「地球のコピーとリンクが切れた、けど問題ないわ。まだぐっすり夢の中、死んだ父親と再会を喜んでいるわ。マリカ、このまま電脳の解析に入るわよ。ボディの組み立てもお願いね」
マリカと呼ばれた女性は肩をすくめて見せる。
「へえ、これだけバラバラに解剖してるのにまだ精神が持つのか。素体が幼いのに大したもんだ」
「幼いから、かも知れないわ。ピノが成長を止めたのがプラスに働いているのかも。彼女は性的快楽を与えても自覚しきってはいない、無知ゆえにむさぼっていられるのかもね」
マリカは目の前で頭部を開かれ、電脳を剥き出しにしている少女を見つめる。
「ふぅん。なぁドクター、終わったらそいつの体感データを追体験できるようコピーしてくれよ。最高にハイなドラッグが出来そうだ」
「この子の電脳が解析に耐えられたらね。悪趣味に付き合うなんて本当ならゴメンだけど、今日はピノシステムが大きく進化する一日の一つ、少しくらい付き合ってあげるわ」
「へへ、話がわかるじゃないかドクター様よ」
マリカは満足げだが、ドクターはあまり乗り気ではなさそうだ。
「脳天気でうらやましいわ。動作チェックが終わったらピノシステムのアップデートに本星連合への報告、わたしたちの体へのフィードバックまでしなきゃいけないのよ? 電子ドラッグで遊ぶ時間なんていつになることか」
「まぁまぁ、時間なんて作ろうと思えばどうとでもなるもんさ」
楽しげな気分を隠さず、マリカはピアノを叩くようにコンソールを操作していく。
「さぁお嬢ちゃん、お互い機械兵姫にならずに済んだ身の上だ。ここで死んだらつまらないぜぇ? 根性見せろよ」
砂凪の小さな電脳にデータ吸い出し用のナノマテリアルが注入される。発光を始める電脳を見守りながら、マリカはドクターの指示の元、砂凪の体の組み立てを再開した。
機械化少女の防衛戦