手紙

あおい はる

 嗚呼、と、彼は嘆くのだった。
 嘆く彼の手には、一枚の便箋が握られている。その便箋を開くたびに彼は、嗚呼、と、悩ましい声を発するのである。
 桜の花が散る頃に手紙は届いた。彼が洩らす、嗚呼、を聞くのは木の葉の色が赤黄色に染まり始めて以来であり、木々はとっくに暖色のマントを脱ぎ捨てていた。彼は駆け出しの脚本家である。脚本の仕事よりも、居酒屋でのアルバイトの比重がまだまだ大きい。対して手紙の送り主は、写真家である。珍しい動物の写真を専門とし、写真集も何冊か出している。以前はよくこの部屋にも遊びに来ていたのだが、彼に手紙を送りつけて以降、一度も姿を現さない。国と国とを転々とし、世界中を飛び回っている人だから、帰国が長引いているのかもしれない。昨年もその人は半年間、日本にいなかった。その人がいない間、彼は随分とさびしそうにしていたが、その時に書き上げた単発ドラマの脚本は好評だったと聞く。ドラマは、はるか遠くにいってしまった片思いの相手のことを、いつまでも忘れられないでいる男が主人公だった。主人公の男は、彼にそっくりだと思った。見た目ではなくて、片思いであることが。
 アルバイトから帰ってきた彼は、まずベランダで煙草を吸う。彼が煙草を吸うのは、このときだけである。朝の五時。冬の朝は夜に等しい。家々の灯りは消され、等間隔で光っているのは街路灯である。時折、ぶううんという低い唸り声が聞こえるが、その正体は大型の動物ではなくて新聞配達のバイクの音であるらしい。それを教えてくれたのは写真家だった。写真家は僕に、いろんなことを教えてくれた。ヘビースモーカーだった写真家の、この家での定位置はベランダであった。僕はベランダで、煙草を吸う写真家に寄り添っているのが好きだった。写真家の吐き出す煙草のけむりに抱かれていると、部屋の中から彼が声をかけてくる。笑顔で、けれど、仲間はずれにしないでと訴えるような眼差しで、写真家と僕を見てくる。珈琲よりも紅茶が好きな写真家は、彼の淹れた紅茶をがぶがぶと飲んだ。写真家のような友達が、僕も欲しいと思った。
 煙草を吸い終え部屋に戻った彼は、またあの悩ましい嘆き声を上げた。嗚呼。ああ。アア。僕の眠りを妨げる、朝の五時十分。これから彼はシャワーを浴びて、一眠りするはずだ。六時間後に起きて、彼は、書きかけの原稿と対峙する。行き詰るとペンを放り、本を手に取る。「絶滅の危機にある世界の動物たち」という、写真家にとって三冊目の写真集である。もしくは、僕にちょっかいを出してくる。僕がご飯を食べていても、昼寝をしていてもおかまいなしに。ほんとうは煩わしいけれど、かわいそうだから、かまってあげる。
 僕にだってわかるよ。猫だけど。
 キミが、写真家のことを忘れられないのは、その手紙のせいだって。
 煙草に火を点けるその時、燃やしてしまえばいいと思うよ。キミの想いと一緒に煙となって、きっと、届くから。

手紙

手紙

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-23

CC BY-NC-ND
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