夢で見た、かつて私であった人々の記録

夢で見た私であった人々を記して行きたいと思います。一夜の夢を書き終わったのでupします。まだまだ沢山の私であった人々がいます。続きは追々足して行こうと思います。

指の関節を折る刑

気弱でおとなしい女性がいた。目立たずこっそり暮らしていた。
誰とも関わりを持っていなかった事が災いして、濡れ衣を着せられた。
彼女の罪を見た者はいない。
彼女が犯行時刻に何をしていたのか知る者もいない。
真っ当な顔をした真犯人を含めた群衆は、真っ当な顔をした真犯人のかけ声一つで、真っ当な顔をした真犯人の沢山の脂ののった友だちが叫び、群衆の中のリーダーを嗅ぎ分けるセンサーが強者の声色を探知し、そして全ての群衆が神々しい正義と化した。
彼女はか細かった。地味であった。ひたすら弱かった。
公開処刑という程のでかいイベントではなかったので、その程度の処刑は個室で執行される。ただ、多数決の裁判の為にさらされただけ。異を唱えるものがいないならば、民意は反映され、法のもとに刑は下される。
女は処刑室に連れて行かれる。男達の力強い腕に引っ張られるだけではない、法という絶対的な壁に、絶対的に避ける事ができないという見えない枷をかけられる。群衆が決めたこと。この全ての出来事、歴史は群衆が決めたもの。
二本の足は、処刑室に向かう為のみ左右稼働する。他には一本の道も無い。それでも人には必ず進む道がある。今日を生きるという事はそういうこと。
今日彼女の稼働域は裁きの中。群衆の輝く瞳は、弱者が一方的に消え失せる事を渇望する。
彼女が犯人なのかどうかではなく、彼女の悲劇が面白いかどうかか決め手である。
彼女が1人で暮らしていたのには理由があった。彼女は、太陽から愛された力のみなぎる人と、その灯りに群がって守ってもらおうとする何者でもない人々に絶対的に嫌われるのである。彼女が何もせず立っている事に対して、とても等価とは思えぬ悪意を彼らに抱かせるのだ。もしかすると彼女は、彼らの生命力溢れる悪意の蓋を開ける事ができる特別な人間なのかもしれない。
彼女はその世界中の、未来永劫続く全人類を代表する悪意を全身に浴び、証人とか、ありばいとか、事実とか、今はそれらに何の効力も無いことがわかった。彼らを見下ろしながら壇上で1人、人というものを解した。
拷問室までの道のりは、右も、左も、後ろも、固い石の壁で覆われた、細い通路を歩くかのように感じた。止る事すら許されない。進め、弱者の苦しみという人々の晩餐になるために。
歩く速度と同じように、部屋に入ってからの職場の人間の仕事は順調に進んだ。止る事の無い世界。給料が発生することは全て善であるという労働者のプライドが、彼女の指の関節を一つずつ折って行く。
彼女の手は、彼女にとってかけがえの無い物であった。見た目も、頭も悪く、異性にも運にも見放された人生を過ごしてきた。
ただ、彼女は手が器用だった。
誰とも接する機会の無い彼女が人生で最も見たのは、作業をする自分の手であった。
鏡を見ると、その後数日に渡り非情に嫌な気分になるのだが、自分の手を見ている限り、その手の持ち主の顔がこんなに醜悪であるということを忘れてしまうくらい美しい手をしていた。彼女はひねくれて自分を醜女と言ったのではない。むしろ高い審美眼故に、その顔の雑作に耐えられなかったのだ。贔屓目無しに、彼女の手は美しかった。

仕事。

仕事をする人間にとって、《美》などどうでもよかった。ただその変わった刑を初めて体感するため、折る方も、それを監督する方も、興味深く、今度はどちらに折ろうか、どの順番で折ろうか、下からでも、上からでも、右からでも、左からでも。右に折っても、左に折っても、斜めに折っても、とにかく色んなパターンが考えられた。もうそれに夢中で、ほかの細かい所にまで頭が回らない。その細い指は、強い男の、しかも両手の力に随意に折り曲げられた。弱い者を何の負担も無く苦しめる。生命の基本。
彼女は苦悶した。しかし、覚えていない。彼女がどんな苦痛を覚えたのか知っているのは、折る度に彼女の表情と絶望を、希望に満ちあふれた、やりたい事が山積した前途有望な若者のように生き生きとした目で凝視した執行人の方であった。
時は過ぎる。
執行室までの廊下の足を止める事が許されなかったのと同じ理由で、処刑は終了し、いつもと同じように日は昇り、また沈んだ。決して止らなかった。

あれから、毎日日々は過ぎた。朝が来て、夜が来た。どうしても彼女は生活をするしかなかった。
彼女の顔は無表情だった。家事をしていた。慣れた手つきで鍋を火にかけようとしていた。指は全て曲げられたあの日の角度のままだった。
彼女は罪人で、刑罰である為に、怪我として医療にかかる事は許されなかった。
彼女はやはり器用で、日常のことは手の腹と、腕をつかってある程度の事はできるようになっていた。彼女はあの日からずっと表情を無くしたままだ。
何年間も表情を変えずに生きる事などできるだろうか。できるのだ。

彼女の家の外には、彼女から奪った表情を精一杯振りかざして人と人とが己の幸運と位置を確かめ合っていた。これからミサに行くのだと、太陽の光を浴びて大きく笑っていた。

死体保管所

死刑執行の後、遺体はそれぞれ行き場があり、その正しい行き場にたどり着くまでにとりあえず中継地点である我が家に保管される。
家の中に土間があり、3畳ほどの小部屋に仕切られている。4部屋だったか5部屋はある。絞首刑は、そのまま吊るして保管できるのでスペースを取らない。名札を付けて横木にぶら下げておく。
今、部屋は2部屋使われている。どちらも磔刑で、一部屋は男の遺体、もう一部屋は母子の遺体であった。その母の気管から音が漏れていた。まだ完全に死んでいないらしい。この状態では、あえてとどめを刺さなくとも、放っておけばそのうちに死ぬ。その傍らにある子どものほうは隣部屋の男同様完全に死んでいる。土間の上なので血液が流れても砂を取り替えればいい。屋内なので獣に食われる事も無い。
私たち家族は、その一番奥の部屋で生活をしていた。それが生業なので、我が家の当然の有様だった。
居間は、今でいう所のTVやコタツがある部屋という感じで、そこら辺は特に変わった事も無く一般人並みのレベルで家具は揃っていた。ただ、ドアを開けると、首を吊った遺体が奥の入口付近に見えて、風もないのに、2、3体微妙にユラユラ揺れているのだ。
居間で飯を食い、眠った。それが生活の風景だった。

乾いて筒状になる茎を持つ植物を心の臓に刺すショー

殺人ショーの観覧は、有料であった。
外ではタダ見客を排除しきれないということで、ちょっとした見世物小屋が建てられた。
学校の教室程の大きさの客席、そこに満員の人間が、オールスタンディングでステージの中央を見ている。
ステージの中央に、私は押し出された。
一本の木の棒に立った状態でくくり付けられる。
人の目。
私に何が起きるのかを楽しみにする人々の表情によって、私に起こった事が、人々にどのような快楽を与えているのかを知る事ができる。だから私はかれらを凝視する。
植物が乾燥し、固くなり、外皮だけが残りストローのようになる。
それを私の心臓に突き刺した。
私は自分に何が起こっているのか見る事ができない。見えるのは、固定された首でも視界に入る、自分の心臓から規則的に吹き出る血液と、全員が全員、全く同じ個体であるかのように、表情の出力を忘却した顔。目の前の光景をひたすら見ることで、その能力を100%使い切っている故に、己が己である事すら意識できぬ群衆。
時計の秒針のように、定期的に吹く血液は、ストロー程度の大きさではなかなか致死に至らない。それどころか、際立った外傷が無いだけに、自分がいつ絶命するのかも全く見当がつかない。
恐怖はいつまで続くのか、いつ終わるのか。
私は群衆ではなく、見せ物側なのか?何故私は群衆ではないのか?
見せ物という者は、見て楽しむものなのだ。
何故私は見られている。
おもしろいのか?気味が悪いのか?群衆の表情からは何も読み取れない。
私の表情も、自分に起こっている事が何もわかっていない。

生け贄としての一生

10歳になる私の家に白羽の矢が立った。
私の村では、美しい娘は男達が嘆くので、美しくない女を生け贄にする。醜女は子孫を残しにくいはずなのに、なぜいつの世も美醜の数はバランスが取れているのだろう?強い雄だけが子孫を残せるはずのなのに、カブトムシはいつまで経ってもただのカブトムシだ。それ以上にも以下にもならない。
人は最終的に何なりたくて伴侶を選び、子孫を残すのだろう。
脳内の思考は純粋であればあるほど空気としてその人間にまとわりつく。
人と変わった事をしてはいけない。それはわかっているだろうが、人と変わった事を考える事もやめた方がいい。
未来に発見される、確実にある人間の器官が、他者と違う物事を考える人間を探知し、排除する。

村の醜女達は、祈りの家に集められ生活をする。そして順番にいなくなる。死刑囚のように誰がいつ執行されるのか決まっていない。死刑囚に与える恐怖に値する彼女達の罪とは何なのだろうか。ある朝突然姿を消す彼女達の住む部屋には、前の住人の私物が置きっぱなしということがある。本人達が処分しなければ部屋は過去の私物だらけになってしまう。
私の部屋にも生け贄になった醜女達の私物が残っていた。外部と連絡を取る事を許されていない一日を、いつ終わるとも無く過ごすのに、特に予定はない。彼女達の私物はそれぞれが箱の中にしまわれていた。だから棚の中は箱だらけだった。
私は箱の中にメッセージを入れて父に助けを求めた。
世の男性は醜女を憎み、男性に憎まれた醜女を遠ざける事で女は我が身を守った。世間との歩調を合わせる為に娘は敵であると主張する母。父という存在だけが、何故か絶対的に自分を守ってくれる唯一のバランスを保っていた。
私物を捨てる係がゴミ捨て場に出し、ゴミ捨て場の箱を父が開け、日々の暮らしと、いつどのタイミングであれば警備が薄いという情報を共有した。
そしてある時、父は私を連れ去る事に成功し、私たち親子はまったく知らない土地で新しく暮らし始めた。
そして15歳になると、その村では生け贄を川に流さなくてはならず、私が選ばれた。その時は父も手が打てず、私は流されてしまった。
たった5年生き延びただけだったが、父には感謝している。

生け贄になる為に生まれた生命は、必ず生け贄になるのだ。そのルールは未来永劫変わらない。未来永劫私は生け贄に生まれ変わる。


                  

安楽死

安楽死を選択した。日に何人もの人が希望するため、一部屋に20人くらいが横になり、薬を飲む。
どういう理由でか、即効ではなく、一時間かけて、穏やかにゆっくりと死ぬというものだった。
仰臥しながら、いつもの不眠状態をやり過ごすように時間を費やす。
いよいよ本当に終わりなんだ。生きている間、ずっと頭から離れる事の無かった死。ずっと、毎日、数時間置きに。
それが、一時間後に現実になる。
終わるのか。
体と、心で死への準備が始まる。
頭には、過去も現在も何も浮かばない。浮かばないのではなく、何も無いのだ。
徹底的に気付かされた。私の人生には何も無かった。
日記に書いてあった、かつて大切にしたハムスターのように、まるで記憶が無い。そのハムスターと私の違いは無かった。

虚。

こんなに愛し日々ともに過ごしているはずの愛犬も出て来なかった。私は何と関わって生きたのか。
部屋の人達は静かにこの世を終えて行く。一時間はゆうに過ぎたはずなのに、相変わらず眠れない。いつもの不眠、眠たくて何もできないのに、目を瞑っても眠りに入って行けない膨大な時間。
無機質な白いシーツの固いベッドから起き上がる。ほとんどの人が既に死体になっていた。
開始した時と、見かけはほぼ変わらないけど、それは違った。
髪型やメイクなど、違いという物にほとんど気付けない私だけど、生きている人間から、死んでいる人間に変わった変化はわかる。
何かが違うんだろう。

死体と、仕事をこなす数名のスタッフを見回した。稀にあるそうだ。薬が合わない人が。麻酔が100%ではなく、何故100%ではないのか説明できないのと同じく、この薬も、ほんの稀に効かず生き残ってしまう人がいる。
どうも自分はそうだったらしい。まるで主人公だ。
よくみる主人公の設定。
何も無いのに。
選ばれて生き残ったような感覚。若い頃、たまに感じた特別な感じ。全てまやかしだった。
ここで1人薬が効かなかった事にも、何の意味も含まれていない。ただ、そうであった、その1人であっただけだ。

その日のその部屋での仕事は終了した。私は、帰る事になった。
生き残る、サバイバルの感覚とはとうていかけ離れた虚しさ。死を目前にして叩き付けられた《個にして全》という感覚。その大きなうねりの中の自我などプログラムの枠を超えない。何かの細胞の一つでしかなかったような、物質的なことだけではなく、記憶までもが当てにならない。虚しい。

風にあたりたかった。それだけだった。
ただ、風に吹かれてみたかった。
今死んでいないのだとしたら、風に吹かれてみたかった。

夢で見た、かつて私であった人々の記録

夢で見た、かつて私であった人々の記録

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-23

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 指の関節を折る刑
  2. 死体保管所
  3. 乾いて筒状になる茎を持つ植物を心の臓に刺すショー
  4. 生け贄としての一生
  5. 安楽死