天国永年パスポート

一章

一彦はうんざりしていた。大学へ入ればもっとマシな日々を送れるだろうと思っていたが、つまらない必修科目や、怠惰な生活を送る学生を見て嫌気がさした。また社会へ出てみれば、生活をするために仕事をするのではなく、仕事をするために生活しているような現実に気付くと、何のために生きているのか分からなくなった。

ある時、電車に乗っていた一彦は、隣に座るサラリーマンが会議用に用意したであろう資料が、窓を少し開けていたために風にあおられて宙に舞い、散り散りになって飛んでいくのを見た。それが、羽を羽ばたかせて飛んでいくハトのように見えたとき彼は自殺しようと思った。

執着心というものが彼には著しく欠落していた。殊に物欲にというものには顕著で、彼の家には必要最低限の物しか置いていなかった。その為、金は並み以上に持っていたし、生活が苦しかったわけでもない。金銭欲というものも殆んど無かったから、貯まった口座を見てもそれを保持したいとも、増やしたいとも思わなかった。本来持っているべき執着心が彼にはなかったので、『生』という究極的に最優先すべき事についても彼にとっては、さして重要なことではなかった。だから彼は、自殺するために必要な睡眠導入剤を次の駅で降りてすぐに買った。

初めて来る客が大量の睡眠薬を購入するとなれば、店員も警戒するはずなので、少しばかり用心して買うことにした。店員は若い二十代後半くらいのデップリと太った醜い女だった。

「やあ、お嬢さん。元気かい。少し僕は仕事に疲れてしまっていてね。欲しいものがあるんだ。」

「いらっしゃい。眠れるお薬が欲しいんですね。幾つほどご用意しましょう。」

「君は察しが良いね。とりあえず、大人一人が確実に死ねる量をくれないか。」

女はあっけにとられて、少し驚いて口をポカンと開けた後、その口をさらに大きく開いて大笑いしていた。その醜さといったらなかった。一彦は自分の命を捨てる前に話す最後の女がこのような女になるのかと思うと、少し死ぬことに戸惑ったが、ここまで来てしまった以上、止めることも面倒なので話を続けた。

「本当に死ぬ人間がこんなことを言うはずなかろう。何度もここに来るのが面倒だから、それくらいの量をストックしておきたいと言っているんだよ。」

「それもそうですわね。いきなり何を言い出したのかと思いましたわ。それならば、一人分とは言わずに三人程死ねる量をご用意致します。」

「いや一人分で充分だ。大人一人分死ぬ量を買えば、何かの拍子に死にたくなった場合でも、その時にはもうすでに致死量より少なくなっているからね。三人分ともなれば、下手をすると常に死と隣り合わせの日々を送らねばならなくなる。そんなのはごめんだ。」

「確かにそうですわね。それではお持ち致しますので、暫くお待ちになっていて下さい。」

女はそう言うと、後ろの棚から薬を取りだし、袋に包んで差し出した。金を払ってお目当ての物を手にいれると、早速人気のない場所を探した。薬局の裏を凡そ二百メートル行くと小さな山があり、そこへ行くまでの道も街頭が少ないことから、決行する場はその山中に決めた。道中のコンビニで五百ミリリットルの水を買い、急ぐこともないのでゆっくりと歩いた。その時彼の心は澄んでいた。一千光年離れた星と一万光年離れている星の距離が明確に分かり、湿ったアスファルトの凹凸が街頭に照らされて、細かな点々の反射光が夜空の星をそのまま映しているように見えた。

奥深い山中まで来た一彦は、これから自分は死ぬつもりでここへ来たと言う事実からか、妙に興奮していた。自らの命を自らの手でたつというのは、現代社会において、特異な事であると感じていた為からかも知れない。つい半世紀前まで、日本という国は争いのなかにあり、争いのなかで命を落とす。あるいは、潔く敗北を認めて自決するということに、彼は一種の憧れを抱いていたからだ。華々しい死ではないにせよ、彼にはその行為自体が一つの美として思えてならなかった。その為、彼は空をあおぎながら、小さな錠剤を口一杯に押し込み、水で流し込むのに何の躊躇いもなかった。

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一彦は日々の生活とこれまでの生活に嫌気がさしていた。ある時、彼は自殺することを思い立つ。いらないものだと考え、命を捨てた彼の魂は黄泉の世界へと向かい、人としての生き方と動物としての生き方を学ぶ。多くの生き物への転生をした彼は徐々に『生』と『死』について深く考えるようになる。最後に彼のだした命の意味とは…

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-23

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