贖罪の少年 第4章 4部

樫之木千里

嵐前の静けさ

 授業が終わり、放課後の部活の時間になった。
 高橋はまたもや一番乗りで練習場に着いた。しばらくすると他の部員も姿を見せ、少しずつ人気が出て来た。
「お願いします」
 先輩達に挨拶しているその時、ふと気づいた事があった。

 七瀬の姿が見えない。

 そう思ったころ、七瀬は慌てて
「お願いします」
 と挨拶をしながら練習場に入ってきた。
 遅刻ではなかったものの、練習場に入ったのは半分以上の部員が集まっていた頃であった。

(今までこんなこと無かったのに…)

 これを見て不穏に思った高橋だが、部員の大部分が集まり始めたので練習に集中することにした。



 この事があって依頼、七瀬は練習に一番のりになる事が無くなった。嫌、むしろたまに練習に顔を出してない時もあるほどだった。
 さすがに主将の三島も気になったらしく、たまに彼が七瀬を迎えに行き、朝練に連れてくることもあった。

 高橋も七瀬に声をかけたかったのだが、心無しか三島主将がそれを邪魔しているようにも感じた。
 そう感じた理由は三島のこの一言だ。

「高橋、お前は相生のことよりも自分の技量を上げることに集中しろ」

 一見主将らしいもっともな言葉だったが、それを言った三島のふと見せた怪訝な表情に、高橋はチクリとした痛みを感じ取った。
(三島主将は俺が七瀬先輩に声をかけるのを嫌がっている。だとしたら部内で七瀬先輩に声をかけるのは懸命ではないな)
 三島は野球部の部長で、部内での権力は圧倒的だ。下っ端の一年である高橋なんか簡単につまみ出せるだろう。
(仕方ない。部内で七瀬先輩を守るためにもここは息をひそめ、代わりに『アレ』を入念にチェックしとくか)


 部内ではこういうちょっとしたいざこざがあったものの、それ以外の学校の日々は高橋にとっては一見、平穏でなものであった。
 そして学校以外では良い報告もチラホラ入っていた。


 まず、伊吹の件だ。

 伊吹はいとこでもある部長の山岡の注意もあり、部活内でパシリにされることは少なくなっていった。
「大地さんの注意のおかげで、今までみたいな酷い目に合わなくなってきたんだ」
 伊吹と電話をした際、彼は少し嬉しそうに高橋に報告をしてくれた。それを聞いた高橋は少し心が軽くなった。


 もう一つは山岡大地からの報告だ。
「日内を付けて分かったんだが、あいつ、やっぱり『阿修羅』の拠点らしいところに出入りしている。高橋君が目星をつけたとおりだ」

 これを耳にした高橋は実はとても驚いたのだ。
 実は高橋は日内に対しては(七瀬に取り入って、その話しを悪い仲間内で笑い話にしている無粋な輩)ぐらいにしか認識していなかったのだ。第一、好きな相手に飄々と近づく日内が気に食わない。しかも七瀬はそんな日内と自分の意志でコンタクトを取っているのだ。いわば高橋は日内に嫉妬していたのだ。
 そんな日内が悔しくて、必死になって彼の弱みを掴み、それを七瀬に吹き込んで七瀬が日内から離れるよう、計画を考えていたのだ。
 そのために山岡に『日内は阿修羅かも』などとホラを吹き込み、彼を使って日内を監視しようとしていた。

 しかし日内が『阿修羅』の一員となればそれどころではない。

 山岡からの電話を終えると、高橋は『アレ』を入念に確認した。
「日内は『阿修羅』で、七瀬先輩が知っている儀式をネタに『霊の社』を脅している。だから七瀬先輩に近づいた。一方、桜庭先輩は『霊の社』信者で『阿修羅』にバレないように七瀬先輩を抹消しようとしている。大変だ!こうなったらやつらの企みの証拠を掴んで、七瀬先輩を守るんだ」


 こうして高橋はある程度の情報を手に入れた。

 『霊の社』にはとある儀式がある。七瀬先輩はその儀式に参加し、そのせいで「七瀬は男を誑かせて殺した変態」と噂が立つ様になる。
 その噂を「本当の出来事」と知った三島の彼女、中村那奈は金欲しさに幼なじみの日内に『霊の社』脅しを提案。日内はそれを受け、付き合いのあった『阿修羅』に協力を依頼し、阿修羅も同意して協力をする。日内も儀式の証拠を手に入れるため七瀬に取りいり、声をかける。
 しかしその行動はすでに『霊の社』側に知れ渡っており、信者である桜庭先輩は先手を打とうと「七瀬を虐めて自信を失わす」と高橋に提案した。

「なるほど、こう考えるとバラバラだったパズルのピースが全て繋がる。なら『あの女』もマークしないといけないな…」
 そう思案を巡らせていた日々、部活が終わった高橋は誰もいない部室で
「ガタガタっ」
 と物音を耳にした。

 部活の練習と断りを入れ、ずいぶん遅くまで高橋は学校にいたのだ。それはある作戦を実行するためでもあるのだが。

(人がいると困るんだよ…。野球部や他の部も皆帰ったのを見て『帰るふり』までして部屋を暗くして残っているっていうのに…)
 頭の中で不満を思った高橋だったが、ある可能性を連想する。

(もしかして幽霊?いや、泥棒だったらマズイ!)

 高橋は近くにあったバッドを片手に、物音のする方へと忍び足で向かった。
 しかし彼がみた「モノ」は幽霊や泥棒よりとんでもないものだった。

情事

 物音がするのは部室練の空き部屋だった。高橋は開いているドアの隙間から空き部屋を覗き込んだ。
 そこには彼が見知っている人物が二人いた。

(桜庭先輩と三島主将だ)

 二人は高橋がいるとはつゆとも思わず、とんでもないことをしていた。


 二人は深く口づけをかわしていたのだ。


 それを見た高橋は腰を抜かす程驚いたが、口づけを終えた二人はさらにとんでもない会話をかわし始めた。

「萩彦君。私、高橋君を取り込むのに失敗したわ。ごめんなさい」
 しゅんとなっている桜庭に三島は優しい声でこう言った。

「かまわない。高橋が七瀬の味方だということが分かっただけでも収穫だ」
「でも、萩彦君も七瀬が儀式のことを公表したら困るでしょ」
「ああ。家も『霊の社』の幹部だからな。七瀬には儀式のことを黙ってもらわないと困る」
「…でも、『中村那奈』がそれを許さないわよ。あの女でしょ?『阿修羅』を使って『霊の社』の儀式をばらすって脅迫している主犯は」

「止めろ!那奈はそんなことをしない」

 威嚇するように桜庭の意見を踏みつける三島に、桜庭は怯える様に
「ごっごめんなさい」
 と謝った。

 そんな彼女を見て三島はもとの優しい顔になり、彼女にこういった。
「俺は那奈の幼なじみ、日内康平が怪しいとふんでいる。
 ことがバレる前に七瀬の精神を『抹殺』するんだ。日内にもバレないよう、那奈にもその件は黙っておくんだ。いいな」
「分かったわ。あの女には何も悟られない様に、今までどおり監視しておく」
「ありがとう。俺は七瀬の方を何とかする。俺は小さいころからアイツを知っているんだ。アイツがどういえば口を噤むのか知っている。その時には千恵子、君を頼りにしている」
「嬉しい。私、幼いときから貴方のこと好きだったの。貴方に私の全てを捧げるわ」
「ありがとう千恵子」

 そういうと三島は千恵子に重なり、そのうち千恵子が嬌声をもらしはじめた。
 いつしか三島と桜庭は情事にふけるようになり、二人が夢中になっている間に高橋はソロ~リと忍び足でその場を立ち去った。

(うわっ!コレはとんでもない事を聞いてしまった)

 高橋は素早く身支度を整えると、大急ぎでその日は学校を後にした。


…………………………………………………………



 その日から高橋は三島にも『アレ』を仕掛けるようになった。
 そこから漏れた情報で、高橋は七瀬の周りでとんでもない事が起こっていると確信するようになる。

 そして三島に対してはこんな評価を下す様になった。
(この男は俺よりとんでもないヤツだ。今までは『真面目で努力家、父兄の威厳がある男』と思って尊敬してたけどそうじゃ無い。しかもアイツは七瀬先輩を家の事情うんぬん以上に毛嫌いしている節がある。危険なのは日内より三島じゃないのか…)

 心の中でそう思っている高橋だったが、部活の練習中は三島に対して一切そういう態度は見せなかった。
 この前も三島に
「高橋、最近本当に練習を頑張っているな」
 と褒められたとき、彼は人懐っこい笑顔で答えたものだ。

「ありがとうございます!俺、三年生になったら三島主将みたいな男の中の男になりたいから、三島主将にそう言ってもらえて嬉しいです!」

 それを聞いた三島は多いに破顔して喜んだものだ。
 それ以来、三島は高橋への警戒を解いたようである。

(観察した介があった。三島主将は『男らしい』という褒め言葉に弱いみたいだからな。なんでかは知らないけど)

 そう思いながら高橋はぽつんとつぶやいた。
「俺も含めて、人間って本当に恐いな」
 
 そう、人間は本当に恐いのだが、高橋は三島達の行動に気を取られてある恐い人物を見逃していたのだ。

悪人の襲来

 その恐い人物の襲来は、ある日の部活終わりであった。

 高橋は自主練習を早めに切り上げ、そのまま家路につこうと校門を出た。
 そのとき
「高橋君、かな」
 と、同世代の男から声をかけられた。

 声の方を振り返った高橋は、思わぬ客人の姿に心底驚いた。

 その客人とは日内康平だった。
 彼は数人の手下を連れて、極悪人の意地の悪いニヤニヤ顔をしながら、馴れ馴れしく高橋に絡みよって来た。

「最近さぁ、山岡主将がオレの周りコソコソかぎ回ってるんだよ。なんか怪しいと思ってこっそり山岡主将のスマホを覗いてみたらなんと!高橋君。君の名前の着信履歴がいっぱいあるじゃあないですか」

 そういいながら、日内は“ガシッ”と片方の腕を高橋の両肩に回して来た。
 多分高橋が逃げない様に捕まえ、連行するためであろう。手下も高橋の周りを取り囲む。
 驚く高橋に、日内はニヤニヤ顔をふと真顔に変えて、本物のヤクザそのものの睨み顔でこうきいた。

「何企んでんだテメェ」

 ドスの利いた日内の声に、周りにいた他の山守高校の生徒はギョッとしながら二人の方を見た。どこからどう見ても高橋は悪い男に連行され、そのまま連れ去られて行くと想像できた。
 しかし等の高橋は怯えるかとおもいきや、まったくの無表情だった。
 しかもそのすぐ後「フッ」と小さく笑い、日内を挑発したのだ。

「テメェッ!」

 日内が暴力をふろうとしたそのとき

「火事、火事だぁああああああッッ!!!」

 とこの世の終わりかのように高橋は大声で叫び始めた。
 その声を聞いた近所の住民は

「何だなんだ!」
「火事ってどこだ」

 などと一斉に外へと飛び出し、火事の現場を探し始めた。

 その中の一人が高橋を殴ろうとしている日内を発見すると
「君、何をしようとしている!」
 と携帯電話を取り出して警察に通報しようとした。

 ヤバい!
 とふんだ日内は必死に取り繕いながら
「あ!すみません。弟が言う事きかないもんだからつい」
 ともっともらしい言い訳をした後、高橋の口を押さえ込んだ。

 しかし火事の現場を探そうとする人々は増えて行き、日内と手下は頭を抱え込んだ。

「すみません!弟がふざけて言ったホラです!」

 と日内が言ったとき、高橋は小声で日内に提案を出した。
「中村那奈さんが危険ですよ。その情報をききたくないですか」

 それにぴくりとなった日内を見て、高橋はニヤニヤしながらこういった。
「しかも、あれもあられもない内容です。そんな話しを他の男どもにも聞かせるつもりですか?」

 日内は高橋の意図を察したらしく、憎たらしげに手下に退却を促すよう命じた。

 そして辺はいつの間には日内と高橋だけになっていた。
 近隣の住民は日内の言葉を聞いて火事がホラだと分かり、他の山守の生徒は日内達が恐くて逃げ出してしまったからだ。

 二人になった頃に高橋は優等生スマイルで日内に懇願した。
「お腹空いたな。今日は神崎駅前のファミレスでご飯食べよう。お兄ちゃん♪」
「クソッ。くえないヤツ」

 日内は高橋を連行して阿修羅の基地に連れていこうと、車を用意していた。
 その車に二人は乗り込むと、そのまま神前駅前のファミレスへと向かって走って行った。


…………………………………………………………………


 車で向かう途中、日内は高橋に何気なくこういった。

「神前駅ってお前の家の近くだな」
「やっぱり知っているんですね」

 さらりと言う高橋に日内はこう付け加えた。

「そりゃそうだ。野球部員としても、お前は要注意人物だからな。おまえだけじゃなくて山守のレギュラーの情報はすべて頭に叩き込んでいる」
「なるほどね。念のため、神前方面に中村さんの知人はいないですよね」
「ああ。新境地の神前に那奈の知り合いはいない。それに『霊の社』や『阿修羅』に関する人間も少ないって事も知ってるさ」
「なら話しは早いです」

 しばらく二人は無言であった。少しして、日内は疑問に思っていたらしいある事を高橋に尋ねた。

「お前、よくあの堅物な山岡サンを使えたもんだな。何したんだよ」
「ふふ。見ます?」

 高橋笑いながら信号待ちしている日内に、スマホに撮ったある写真を見せた。
 その写真を見た日内は思わず

「ブフォッ!」
 と吹き出した。

 その写真はラブホテルらしいところで青い顔をしながら、慌てて下着を付けている山岡の姿であった。半けつになりながら情けない顔で驚いている山岡の表情は、まるでコント漫画のように滑稽であった。

「どうやって撮ったんだよソレ」

 日内が笑いながら尋ねたので、高橋は簡単な経緯を話した。それを聞いた日内は思いっきり大爆笑をしたものだ。
 そんな日内を横目に高橋は心の中で山岡に謝罪した。

(山岡さんすみません。でも、桜庭先輩への恋心は言ってないのです。これぐらい許して下さいね)

 そうこうしている内に、車は目的にである神前駅前のファミレスに着いた。

口戦

 ファミレスの店内に入ると平日の夜ともあって、客足はいくぶんか空いていた。
 二人は店員に一番奥の席へと案内された。
 席に着いたふたりはそれぞれ注文をたのみ、店員が席を離れると日内は話しを切り出して来た。

「那奈のピンチって何?」
「それは、中村さんが『ある事』から手を引いてくれればいいだけの話しです。そのためにも日内さん。今後一切、相生先輩に近づかないでくれますか」
「は?どういう事だよ」

 切れ気味に返事をする日内に、高橋はある機械をテーブルに置いた。

「これ、盗聴器か?」
 驚く日内に対し、高橋は冷静なまま機械のスタートボタンを押した。

[“プルルッ”あ、康平?うん…うん。こっちも何とか出来そう。
 …………大丈夫だよ。三島君、七瀬の虐待の件で私達がかぎ回っているの気が付いてないみたい。
 このままいけば阿修羅を使って『霊の社』の性的虐待を暴けるかもしれない。
 上手くいけば金銭をたくさん巻き上げられるはずよ。
 え?…七瀬なんてどうでもいいわよ。むしろ三島君の心を乱す害虫?みたいな。
 ハハハハッ!大丈夫。あいつは山守から追い出すだけだよ、からかうぐらいのモンじゃない。…わかった、じゃあ後で]


 ここまで再生されたとき、高橋は盗聴器の停止ボタンを押した。

 そう、高橋がいままでしかけていた『あれ』とは盗聴器のことだったのだ。彼は七瀬を守るために、誰が七瀬の敵で、その敵がどういう思考で行動しているのか先手を打つために、部室内の様々なところに盗聴器をしかけていたのだ。

「中村さんもまさか、部室内で盗聴している人間がいるとは思っていなかったみたいですね。日内さん、あんた中村さんとグルになって相生先輩が受けた『霊の社』の性的虐待を利用して、お金を巻き上げようとしてるんでしょ。そのために相生先輩に近づいただなんて、最低ですね」

 冷たくいう高橋に対し、日内は悔しそうに彼を睨みつけた。


 しかしそれも一瞬だった。
 日内はにやりと笑うと、ある一冊のノートをテーブルの上に出した。

「これ知ってる?」

 そのノートを見た高橋は凍り付いた。
 ノートには「後藤聡」という名前が書かれていた。

 日内は意地の悪い笑い顔で高橋にそのノートを突きつけた。

「後藤君って知ってるよね。お前が虐めたせいで自殺した同級生。
 お前やお前達の親、学校の先生達はイジメの証拠を抹殺するために、このノートを処分したんだってな。いやいや、優等生な顔してお前最低だな。
 これどうやって手に入れたか知ってる?お前の事調べていた時に、俺に協力してくれた人間がいたんだよ。そいつが『後藤君から預かった大切なノートです』って渡してくれたんだ。そいつからの伝言あるんだわ。

『これで終わりだと思うな。ノートの情報もスキャンしておいている。お前の化けの皮、絶対にはいでやる』

 ってな。お前、後藤君の友達に相当恨まれているんだな」

 薄ら笑いをする日内に対し、高橋は無表情なまま日内の方を睨んでいた。
「イーブンになっちゃいましたね」
「まあ、そういう事だ」

 少し沈黙している二人の席に、女の店員が注文の品を運んで来た。
「お待たせしました」
 さらりと対応する店員に、高橋は人懐っこい笑顔でこう言った。

「わぁっ、ありがとう。すごく美味しそう」

 そんな高橋を見ながら日内は内心(今までのガンつけ顔はなんだったんだよ)と毒づいていた。
 店員は注文内容に含まれるからか、高橋が注文したナポリタンの上に削りたてのチーズを振りかけていた。

「お姉さん、もっとチーズかけてちょうだい。ここのチーズ大好きなんです」

 甘えた様におねだりする高橋に、店員の女性は少し困ったように、しかしわずかに微笑みながら「仕方ありませんね」といって高橋のナポリタンに多めにチーズをふりかけた。
 そして日内も同じナポリタンを注文していたのだが、店員の女性は大雑把に彼のナポリタンに削ったチーズをふりかけ、さっさとその場を後にした。

 高橋と日内のあまりにも差がある女性店員の対応に、日内は眉をひそめた。

「なんだよ、あの店員。イケメンにだけサービスすんのかよ」
 そんな日内を横目に、高橋はナポリタンを美味しそうに頬張りながらこう答えた。

「店員へ向けた表情の差ですよ。ほら」

 高橋が指差した方には、少し不細工な男性が座っていた。
 しかし彼の身なりはとても清潔で、スーツもとても綺麗に着こなしていた。
 その男はさきほどの女性店員から食後の紅茶をもらっていたのだが、男はさっと奥にあった食べ終えた食器を前に移動させた。
 取りやすい位置に食器を移動してくれた男性に、女性の店員は笑顔でお礼を述べていた。

 驚いた表情で見ている日内に高橋は得意げにこう言った。
「ね。言ったとおりでしょ。容姿じゃなくて、相手への対応なんですよ。俺は笑顔で店員に言葉を交わしたのに対し、日内さんは店員の前でむすっと無言でしたよね。そういう事ですよ」

 それを聞いた日内は、高橋との話しはとりあえずイーブンなはずなのに、何故か言い負かされたような気分になった。
 渋い顔をしながら、日内はナポリタンを頬張った。

霧に消えた『幻想』

 二人ともお腹が空いていたのもあり、ナポリタンをサッと食べ終えた。
 それを見計らって、高橋はやんわりと日内に進言をした。

「俺、結構人を味方に付けるの上手なんです。それに人の弱みを握るのも得意です。日内さんがずっと相生先輩に付きまとうっていうなら、俺、それなりに日内さんを蹴落とそうと思ってます。いいのですか?」

 日内は渋い顔をしたが、一呼吸置いて醒めた顔をした。

「まあ、一対一でならお前の方が上手だ。けどもうオレ一人じゃあ判断出来ない所まで来てんだ」
「…どういう事ですか?」

 何かを察した高橋は顔色を少し変えて日内に詰め寄った。

「七瀬が受けた性的虐待を脅しに使う件、阿修羅のトップである稲月さんが率先して関わる様になったんだよ。オレと那奈個人の話しじゃなくて、組織的な案件になってんだ。もしお前がオレの邪魔をするなら、オレじゃなくて他の阿修羅のメンバー達がお前を狙う様になるぞ。いくら要領のいいお前でもそうなるとマズイだろ」

 それを聞いた高橋は顔面蒼白になった。

 自分の身を案じてではない。愛する人の『存在そのもの』が様々な世界の攻撃のせいで『抹消』されると予見したからだ。
 すなわち相生七瀬がこの世界のこの時代に生きていたこと自体無くされるのだ。これはある意味殺害より残虐なことだ。

「…相生先輩がいなくなる…」

 震える声でそうもらした高橋に、日内はしかめっ面をした。

「あのな、いくらなんでも相生を殺そうとは思わねぇよ。
 ただアイツの黒歴史を使って金を巻き上げるだけだ。そんな世界が終わったような顔すんな」

 “バンッ!”
 高橋はテーブルに両手を叩き付け、その勢いで日内のほうにさらに詰め寄った。
 高橋の目は大きく見開いており、じっと日内の目を刺すように見抜いた。
 さすがに日内も驚いてしまい、少し下がって高橋に意見した。

「なっ、なんだよ急に」

 しかし高橋はじっと日内の目の瞳孔を見たまま冷静に、しかし断言するようにこういった。

「世界は終わります」

 あまりの言葉に日内は誤摩化す様に素っ頓狂な声を上げて高橋をなだめようとした。
「ハハハッ。おまえ、ちょっと考え過ぎだっての。少し相生をビビらせるだけだろ?世界が終わるって漫画の見過ぎだろ」
 ごまかし笑いをする日内を見ながら、高橋は鼻でバカにしたような発言をした。

「フッ。日内さん、実は馬鹿じゃないですか?脳内どんだけお花畑なんですか?」

 小馬鹿にされた日内はカッとなり高橋の胸ぐらを掴んだ。

「お前オレを舐めてんのか?」

 ドスの利いた声で脅す日内だったが、高橋の目の中を見た瞬間、背筋がサッと凍り付いた。

「ハハハッ。めっちゃ舐めてますよ。だってあんた、昔のバカな俺そのものですから」
 ハハハハハハハハハッ。

 と狂ったように冷たく笑う高橋の顔は、まさに『醜い邪鬼』そのものであった。
 そう、これはかつて後藤を虐めて楽しんでいた高橋の顔であった。

 だが日内が愕然としたのは、ただ単に高橋の様子だけでは無い。


 「高橋の瞳に映った自分の顔」を見たからだ。


 日内は今まで目の前にいる『邪鬼』になった高橋そのものの顔をしてたのだ。
 これはすなわち「日内の未来」は「高橋」なのだと確信できる何よりの証拠でもあった。

 日内の未来である高橋は落ち着いて席に座り、過去の自分である日内に自分の内心を吐露しはじめた。

「俺だって、後藤を虐めていたときは『シメテやろう』ぐらいにしか思ってなかったですよ。
 でもあいつの心はそんな軽い気持ちじゃなかった。だから自殺した。

 そう、この世から消えたんです。

 その人間が消えたら、過去の過ちを謝ることも出来ない。
 だから前に進むことが出来ず、同じ様な事がまわりで起こるたびに後藤が俺の心を苦しめる…。

 なんで俺、後藤が好きだった人を好きになったんだよ…。だから余計に後藤の心の苦しみが伝わって来る。
 でも俺は、もうあいつに謝ることさえ出来ない、あいつの心を救うことさえ許されない…。
 だからずっと苦しいままなんだよっ…」


 涙をこらえて懺悔の告白をする高橋を、日内はただ呆然と見ていた。

 この高橋は近い将来の自分と那奈だ。

 もし、七瀬が日内達の目論見のせいで自殺などしたら、高橋同様、日内達は七瀬を苦しめた事により、重い十字架を背負わされるのだ。
 それは一生心の底から笑う事が許されない人生だ。


「那奈…」

 日内は真っ先にはじけるように笑う、幼なじみの笑顔を思い出した。
 その笑顔がずっと見れなくなると考えたとき、自分が苦しむより何十倍も日内の心を締め付けた。


「中村那奈さんのこと、好きなんですか」

 高橋の声に日内はふと現実に戻った。
 真剣なまなざしの高橋に、内心を見透かされた日内は誤摩化す様にこう答えた。

「すっ好きというか、幼なじみなだけだ」
 顔を赤くして否定する日内に、高橋は静かに言った。

「では大切な女性(ひと)ってことですよね」
「そっ、そりゃあ大切な幼なじみに決まってんだろ」

 目を泳がせる日内に、高橋は神妙な面持ちで言葉を告げた。

「なら、心して聞いて下さい。
 三島萩彦は野球部マネージャーの桜庭千恵子と体の関係を持ってます。桜庭千恵子は『霊の社』の幹部の娘。その女、阿修羅が『霊の社』をかぎ回っているのを知っていて、先手を打つために『七瀬を虐めろ』と俺に要求して来ました」

 これを聞いた日内はあまりの事実に目を見張った。

「三島が浮気?しかも相手の女が『霊の社』だと?」
「はい。ちなみに三島主将は桜庭千恵子が相生先輩を虐めることを容認しています。三島も『霊の社』の幹部一家。儀式の事を公にされないよう、口封じのために相生先輩の自尊心を折るつもりです。そんな人間達が敵である阿修羅側に対して、どう行動をとるのか予想は出来ますよね」

 日内は三島の裏の顔を耳にし、顔を青くした。

「あの真面目な男が…まさか…」
「まさかではなく事実です。俺が直接この目で見ました。
 それよりも中村さんにとって危険なのは桜庭千恵子です。この女は体を使って何人もの男と関係を持ち、その男を上手く利用する女です。この女は三島に惚れ込んでいます。三島の彼女である中村さんの事を良く思っていないうえに『霊の社』に敵対する阿修羅側の人間だと知られれば、桜庭千恵子は手下を使って中村さんに危害を加えてくるでしょう。
 それがバレないうちに、中村さんは山守高校から離れるべきです」

 
 高橋が忠告したことの重大さに日内は絶句した。
 七瀬を使ったただの遊びが、いつの間にか那奈を危険な目にあわせる状況を作り出したのだ。

 しかも日内自身、高橋に忠告されるまでそれに気づかなかった。
 自分の不甲斐なさに日内は心底あきれ、腹立たしくて仕方なかった。

「お前の言っていたことは本当だ。オレは馬鹿だよ。
 単なる面白半分でやったことがこんな大変な事になるなんて予想出来なかったからな」

 自分を責める日内に高橋は冷たく問うてみた。
「日内さん。あなた何故、相生先輩の心の傷を利用しようとしたのですか?」

 日内は少し間を置いて、ぽつりぽつりと自白をした。

「最初はやっかみ半分だよ。オレの戦略をあざ笑うかのように、いつも澄まし顔の相生に赤っ恥をかかせてやりたかった。
 あとの半分は金欲しさだ。
 オレの家は食べるのには困る訳じゃないが、贅沢は出来ない。
 部活の野球用品だって先輩達のお古だ。それを横に山守高校のやつらは何でもホイホイいいもん買ってやがる。
 オレ達だって新品のグローブとか欲しいよ。

 そうだよ。相生に嫉妬してたんだよ。

 あいつは天才ピッチャーな上に金持ちで器量も良くて頭もいい。女が夢中になる王子様。
 オレだってなりたいのにそうなれないから、悔しくて相生に意地悪したんだよ」


 そこまで聞いた高橋は日内に冷たく突きつけた。
「じゃあ、日内さんは相生先輩のこと、何も知らないんですね」
「は?どういうことだ?」

 怪訝な顔をする日内に、高橋はこう答えた。

「だって、日内さんの知っている相生七瀬は『マスコミの表記そのもの』の相生先輩じゃあないですか。
 それは『知っている』ことにはなりません。
 人を知るというのは、その人の言葉そのものに耳を傾け、本人の行動を直接見て、その人間が何を考えているのかを『理解』することです。
 天才ピッチャーとかお金持ちとか上辺のオプションを知ることじゃないのです。
 日内さん、あなた相生先輩が何を考えて、何を思っているのか考えたことあるのですか?」

 高橋の言葉をきいて、日内はあらためて七瀬の事を顧みた。
 そこにあるのは『美貌の天才ピッチャー』『父が大手企業のエリート社員』『文武両道』という巷であふれた七瀬の評価だった。

 七瀬が何を思い、何を考えているのか。本当に七瀬自身、巷の評価をどう思っているのかは日内には分からなかった。


 そこまで考え至ったとき初めて、日内は七瀬に対して抱いていた嫉妬や羨望が『ただの幻』である事に気が付いた。


 日内はただ、霧の中にある七瀬の影から七瀬を『妄想』していたに過ぎなかった。
 妄想の霧が晴れれば、妄想していた七瀬の姿はこの世のどこにも存在していない。

 そして霧が晴れた環境で七瀬の姿を探そうとしたとき、七瀬は何者なのか『一切知らない』ことを突きつけられた。



「なんだよオレ。勝手に一人で嫉妬して盛り上がってただけじゃねぇか…」
 ため息をつきながらそういう日内を、高橋はじっと見つめながら助言を下した。

「今からでも遅くはありません。あなたは相生先輩の本当の姿を知ってください。
 相生先輩は今は生きてます。やり直せるのです。
 俺みたいに相手が死んで、何も出来ない時に後悔することはしないで下さい」

 そう良い終えると
「お先に失礼します」
 と言い残し、高橋は自分の注文した食事代をテーブルに置いて席を去って行った。


 残された日内はしばらく頭を下げて考え込んでいた。

「分かってるさ。何しなきゃいけないかくらい」
 そうつぶやいた日内は意を決したようにスマホを取り出し、電話をかけた。

「もしもし…
 うんオレ。
 相生君、相談したいことがあるけど合えないかな」

 日内が座しているファミレスの外では、夏の夜の風が青く元気な木々の葉を優しく揺らしていた。
 月もまるで今夜ばかりは罪人を救うかのごとく、淡い光を町中に照らしていた。

贖罪の少年 第4章 4部

※「贖罪の少年」は毎週火曜日18時頃に更新予定です。

贖罪の少年 第4章 4部

この話はあなたの「助け」になるかもしれません。 長編連載小説、第4章 4部。 ※「贖罪の少年」は毎週火曜日18時頃に更新予定です。

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-03-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 嵐前の静けさ
  2. 情事
  3. 悪人の襲来
  4. 口戦
  5. 霧に消えた『幻想』