病的これくしょん

お題:情熱的な部屋

 それは何とも奇妙な光景だった。病的、そう表現するのがここまで似合う部屋も無いだろう。壁一面に貼られたカレーパンの写真、そして今までに食べたカレーパンのパッケージがまるで標本のように整理され保管され本棚いっぱいに並べられている。無駄にリアルに膨らんでいるその袋の中には本物のカレーパンが入ってるように思われたが、おそらく中身は3Dプリンターで作ったレプリカを詰めているのだろう。そのカレーパンに対する情熱は一目で認めざるをえないが、早くも俺はこの部屋に入り込んだことを後悔していた。

「だから言っただろう。私は普通ではないぞ、ってね」

 あぁ確かにそうだ。彼女の言葉に嘘や誇張は無かった。好きなものに向ける感性や情熱のソレはまさしく常軌を逸している。これがロリやショタの写真だったら俺は迷わず通報していただろう。こんがりとキツネ色に染まった部屋からは無味無臭のはずなのにまるでスパイシーな香りが漂ってきた。
 俺は彼女ほどカレーパンを愛していないのでここまで執着する理由も原因も想像できない。さっき「お前と結婚してやんよ」などと軽く口が滑ったことを後悔しはじめていた。アニメの受け売りなんてするもんじゃないな。

「どうした? 何もない部屋だがくつろいでいくといい。ようこそ私の部屋へ」
「この状況でくつろげるかぁ!」

 彼女には常識という言葉を教えてやりたい。この所狭しと自己主張しているカレーパンが彼女の全てなのだろう。俺が入り込む余地なんて無いんじゃないか。……写真立ての中にはカレーパンを大事そうに抱え満面の笑みを浮かべる彼女の写真が飾ってある。非常にコメントしづらい。ここまで来ると用意周到なドッキリなんじゃないかとすら思えてくる。遂に頭が現実逃避全力ダッシュの準備を始めたらしい。

「そろそろ座ったらどうだ。私のカレーパンこれくしょん、略してカレこれに興味を示してくれているのは嬉しいが、お前が座ってくれないと私も落ち着かない気分だ」
「あ、あぁ……」

 この部屋に漂う歪な世界観のあまり冷静になることも忘れていたようだ。彼女の言葉に従うようにして俺は適当な場所に腰を下ろした。わりと女の子らしい色のカーペットの上にはカレーパンの食べかすが散らばっているのではないかと一瞬目を凝らしたがそうではなく、わりとマメに掃除されていることが分かった。あるいはカレーパンをほんの少しもこぼさずに食べることができるのか――いやこれぐらいじゃもはや驚かない。彼女は俺の想像もつかない爆弾を抱えながら普通を装っていたのだから。

「ところで誠司。私はお前に打ち明けなければいけないことがある」
「まだ何かあんの!?」
「うん? ……タイミングが悪いか。そうだな、あまりいっぺんに私のことを教えると誠司が帰ってこなくなりそうだ。気が済んだら私を呼んでくれ。私は隣の部屋でメロンパンこれくしょん、略してメロこれを整理してくるから」
「分かった! お前病的な惣菜パンマニアだろ!」
「知った風に言うな。リビングには炊飯器これくしょん、略して炊これと庭には盆栽これくしょん、略して盆これがあることを認知してから決めつけるといい」
「この規模の部屋がそんなに色々あんの!?」

 あぁこいつは本物だ。やべぇ。

「誠司はマジメだなぁ。女の子ならこれぐらいの収集癖があっても当たり前だろ」
「いやせめてもっと女の子らしい趣味があるだろ。ジャニーズ系とかアイドルのポスターとか」
「お前がこれまでジャニヲタとしか付き合ってこなかったことがよく分かるな。人の数だけ趣味があって当然だ。私は普通の人より趣味が多いし変わっていることも自覚している。だからこれまで誰にも打ち明けずこっそりと収集してきた。それでも誠司は私の全てを受け入れてくれると言ってくれたから、こうして清水の舞台を飛び降りる覚悟でお前も家に上げたのではないか。そうだろう」
「ハイ、ソウデスネ」

 いつにも増して熱く語る彼女の勢いに押され、ついに俺は向こうの星へ飛んでいきそうになっていた。もうやだ帰りたい。男のプライドにかけてここで引き下がるワケにもいかないが、許されるなら彼女に告白した前の時間へ戻りたい。インスタントタイムマシンの開発が早急に望まれる。

「むぅ……誠司は何が不満なのだ。仕方ない。誠司これくしょん、略して誠これを設立すれば満足してくれるか?」
「しねぇよ。むしろ悪化してる」
「なんと!? 私はカレーパンが好きだしメロンパンも好きだし炊飯器が好きだし盆栽が好きだし蛇の抜け殻が好きだし犬の写真が好きだし読売ジャイアンツが好きだし、もちろん誠司のことも大好きだ。好きなものをこれくしょんしたくなるのは人として正しいことではないのか!?」
「待て待てツッコミどころが追いつかねぇから。一つの台詞の中に幾つも衝撃的なことを盛るんじゃない。まだこれくしょんが三つもあるのか。あと俺はそこに同義なのか。あとこれくしょんが人として正しいかどうかはまるで俺が正しくないみたいになるからやめてくれ」
「誠司は何かをこれくしょんしたことはないのか?」
「ないな。好きなものはあるしアニメグッズも買ったことはあるけど、正直一つの部屋を一つのテーマで埋めるなんて考えたこともない。ドン引きだ。今すぐやめてくれ」
「うわぁ……」

 四方八方から覗くカレーパンのパッケージを睨みながら自分の意見を率直に述べた。すでにこの現状を受け入れ彼女を抱きしめてやればそれで解決するんじゃないかという甘い考えもあったが、長く付き合っていく人間の趣味を矯正しないわけにはいかない。これでは俺の落ち着く場所すら危ういし、子供が出来たらどうやって折り合いをつけるつもりなのか。いつか自分達を正しい方向へと変える必要があるのならここで日和見するより、正直な意見をぶつけあってこれからのことを議論するのが男の役目だろう。心を鬼にして彼女を導いてやらなければいけない。そう考えての発言だった。
 彼女はしばらく何も言わずにいた。何かを考えているようで俯く仕草は女の子らしくてとてもグッドだ。これで異常な収集趣味が矯正されるなら俺は彼女の彼氏になれたことを誇りに思えるだろう。

「誠司は……逆の立場だったら、何と答える?」
「えっ」

 彼女はか細い声で、特に怒った様子もなく淡々と問いかけてきた。まさかこんな形でパスが回ってくるとは思ってなかったので俺は戸惑う。彼女はまるで親に反抗する子供のようだった。

「確かに誠司の言うことは一理あるし、このまま誠司と付き合うことは出来ないことってことは分かった。だけど私のこれくしょんにどれだけの時間と努力が費やされてきたか、誠司ならこれらを簡単に手放すことが出来るのか?」

 なるほどようやく俺にも理解できる話になってきた。確かにカレーパンの部屋然り他の部屋も同じぐらい彼女の情熱に溢れているのだろう。それを常識というふるいにかけて簡単に手放すことは出来ないわけだ。どうにかして諦めなければいけない。きっと彼女も同じ葛藤に悩んでいるのだろうから。俺がどうにかしなければ。

「私は――昔から人間不信でな。どうしても他の者達と同じように人を愛することができなかった」
「…………」
「あぁ、誠司は特別だ。お前は私が愛した初めての人間だからな。それは嘘でもないし素直に喜んでくれていい。両思いだと分かったときは夢じゃないかと疑ったぐらいだよ。いきなり部屋に上げたことは正直失敗だと思ってるし、失望してくれても構わない。でもお前はまだ私に期待してくれているようにも思える。こんな私でも普通に戻れると思っている。ありがとう。私はその期待に応えたい。――それでも私には普通が分からなかった。どうして人を愛する人間は許されて物を愛する人間は理解されないのか。子供の頃は友達もたくさん居たのだが、彼らは早々に私に見切りを付けて去っていったよ。気持ち悪い女だと罵る男も居た。……なぁ、好きなものに理由は無いだろう。お前は私のどこが好きなのだ?」
「全部に決まってんだろ。お前の全てが愛しいし欲しいから結婚しようなんて言った。確かに理由なんて無いのかもな」
「そうだろう。それが普通だと子供の頃から信じてきた。人を愛することも物を愛することも大差ないと信じてきた。誠司は理解してくれるか……いや理解しなくていい。結局人を愛することが普通で、物を愛する私は異常だということだろう」
「違ぇよ。人を愛することも物を愛することも普通だ。ただそこに限度があるだろって話だ」
「あぁそうか。そうだったな」

 彼女は自嘲気味に微笑んだ。すぐにでも泣きそうなほど脆い表情が顔一面に広がっていた。しかし彼女は強いから簡単には泣いたりしない。その彼女がここまで考え詰めていることは滅多に無い。不甲斐ない自分が情けなかったが、ここは彼女が自分で決めるべき所だろう。彼女に問いかける。

「今までを捨てる覚悟はあるか。どうしたらお前は普通に帰ってきてくれる?」
「そうだな……それは非常に難しい質問だ」

 その言葉とは裏腹に彼女は笑っていた。まるでその質問を待っていたと言わんばかりに。

「じゃあ、誠司がいっぱい私の代わりに私を愛してくれ。そうしたら私も他のこれくしょんは諦めよう。カレこれもメロこれも炊これも盆これも蛇これも犬これもジャイこれも諦めるぞ」
「それだけで……いいのか?」
「いいとも。一度でいいから愛されてみたかった。いつも愛しているのは自分ばかりだ。私は誰にも愛されたことがなかった。だから色んな物を集めて愛を注いだ。見返りが欲しかっただけなのかもしれない。願ったり叶ったりだよ。まさか愛する人間から愛されるなんて夢物語みたいじゃないか。いっぱい愛してくれよ。愛しかたが分からないなら私が教えてやるから」

 そういう彼女は普段よりも輝いて見えた。まるで憑き物が落ちたようにスッキリとした顔で満面の笑みを浮かべていた。写真立ての中の彼女よりも魅力的な表情だった。
 俺は答える。その答えなんて決まっている。ここで引いたら男じゃねぇ。

「あぁ、任せろ。お前を誰よりも愛してやんよ」
「本当か?」
「もちろんだ」
「これくしょんしてくれるか?」
「あぁ。たくさん思い出作ってこれくしょんしてやんよ」
「うむ。人を愛するなら病的なぐらいが丁度いい。私が許可するぞ」

 俺達は笑いあった。そして誓い合った。これからは互いをこれくしょんすることを。こうして俺達は正式に付き合うこととなった。俺は彼女に全てを包み隠さずこれくしょんされることを誇りに思う。これから色んな場所に行って、たくさんの思い出を作るだろう。彼女との日々は一つ一つが宝石のように貴重だった。彼女は一度情熱的な部屋を全て捨てたが、今度は二人の思い出で溢れることを知っている。
 このこれくしょんだけは誰にも譲れない。俺も彼女も衰えることのない情熱で満たされていた。

病的これくしょん

原本 病的これくしょん
http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=291810

病的これくしょん

即興小説 第3作目 微修正版

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted