昨日フラれたんだけど、ちょっと話を聞いてくれないか?
おーい、こっちこっち。
わるいな、休日に突然よびだして。迷わなかった? このファミレス、気に入ってるんだけど、入り口が入り込んで分かりにくいから心配してんたんだ。あ、ほんとに? だったら良かった。
いやいや、そこまで大した話じゃないんだ。ただ、ちょっと聞いて欲しいことがあって。
相談……、まあ相談だな。
こんなこと、お前にしか言えないし。
うん。やっぱり仲のいい友人にしか言えないんだよ。学校で話しても良かったんだけど、ほら、裕樹とかに聞かれたら面倒だろ? あいつ口軽いし、後々やっかいなことになりそうだしさ。
あ、ドリンクバーなに飲む? いや、せっかく来てくれたんだから、それくらいはおごるよ。いいよ、じゃあコーラ入れてくる。
はい。
なんだろう、こうやっていざ話そうとしたら恥ずかしくなってきたな。あんまり、こんな機会ってないから、どうしても緊張しちゃうんだよね。
分かった、分かってるよ。
メールでも言ったけど、昨日、俺、好きな子に告白して、フラれてしまったんだ。それで——
うーん、どこから話そうか。……そうだな、まあ出会いから順を追って話すよ。
その子と初めて会ったのは、年末年始にしてた短期のバイトのときだ。
ほら、冬休みに学童のアルバイトするって言ってただろ? そう、山畑小学校の。あのアルバイトで、俺と同じように短期で来てたんだ。大塚日向子って名前で、北高の三年だから、俺たちと同い年だな。みんなから「ヒナちゃん」って呼ばれてて、俺もそうやって呼ぶようになった。
容姿は、そうだな、キレイ系っていうより、かわいい系な女の子。たれ目で、身長も俺の肩くらい。髪の毛にゆるいパーマを当てて、ちょっとだけ茶色がかってた。大きめの体操着を着て、手が半分隠れてるような、ふわっとした雰囲気だったな。
もともと保育士を目指してるだけあって、子供にすっごくなつかれてた。
最初から、ちょっとだけ気になってはいた。
彼女、ちょっとしたことですぐ笑うんだ。それこそ子供たちの「いないいないばあ」で笑い出しちゃったり、絵本の読み聞かせ中にその内容で笑っちゃったり。
そのときの笑い声がすごく可愛くて、頬にえくぼが出来るのも素敵で、だんだん、彼女の笑い声が頭から離れなくなってきた。
恋をするのって、本当に初めて体験したよ。
もう、いつだって彼女のことを考えてしまう。何をしてても、手持ちぶさたになるって言うか。何にも集中できないって言うか。でも嫌な気持ちでもない。ノートに彼女の名前を書くだけで、ほっこりするんだ。
ほら、よくあるだろ。ラブソングとかでさ、君のことを思って泣きそうになる、とか。好きすぎて震える、とかね。
俺、ちょっと前まで信じてなかったんだよ。そんなわけあるかいって。
でも、今なら痛いほど分かる。
ラブソングが、胸に突き刺さるんだよ。
現にあるんだよな。そういう気持ち。俺は間違ってたんだなって、気づかされた。これまでの愚かな自分を張り倒してやりたいくらいだ。
切ない歌詞を聞いて、胸にじわっと熱いものが広がって、目の奥がツンとする感じ。鼻の奥がじくじくするんだ。
分かってるって。気持ち悪いのは、俺が一番把握している。
だけどさ。恋をしたら誰だってこうなるはずなんだよ。お前も、恋したことあるなら分かると思う。だってさ、人類がこうしてずっと子孫を残し続けることが出来ているのは、こういう感情があるからこそなんだよ。気持ち悪いけど、この気持ち悪さが、こうして何千何万という命のリレーをつなげてきたんだよ。そうだろ?
ごめん、話が逸れた。
それでな、まあ俺は頑張ったんだ。
バイト先でも話しかけてみたりとか、連絡先を聞いてこまめにメールでやりとりとかしてさ。
なんとか、俺は彼女と一緒に遊ぶ約束を取り付けた。
初めて遊びに行ったのは、二月に入ってすぐのことだった。あまり最初からがっつくのは良くないって思って、昼飯だけ食べに行ったんだよ。
バイト先では、彼女はいつもパーカーとか、体操着を着ていたから、私服をみるのはその日が初めてだった。森ガールっていうのかな。長いレースの茶色いワンピースを着て、ニット帽をかぶってた。全体的にふわっとした感じ。彼女によく似合ってた。
食事は、川沿いのカフェでとった。
その日は特に何もなかった。普通に食事して、ちょっとだけ河川敷を歩いて、それで分かれた。正直、俺は緊張してたから、どんな話をしてたかもう覚えていない。
ただ、河川敷を歩いてるときに、次は車でドライブしようって話になった。彼女も「いいよ」って言ってくれたんだ。
二回目のデートは、バレンタインの日だった。学校が終わってから、俺は親に車を借りて彼女を迎えにいった。
え?
あ、そっか。これ、内緒にしてたんだった。悪い。あの日、デートの予定があったんだよ。いや、だって言い出せないだろ? クラスの奴とか、リア充爆発しろ、みたいなこと言ってる中でさ、「俺、今日デートいく」なんて言ったら、丸一日教室に監禁されるよ。いや、まじで。裕樹なら本気でやりかねんから。
いやいや、お前にも言えないって。俺も恥ずかしかったしな。
でももう時効だろ? フラれちゃったわけだし。
まあ、それで、俺はお前と別れた後、家に帰って車を取って迎えに行ったんだ。
ヒナちゃんは、白くて緩いセーターを着て、頭にも白いニットをかぶってた。俺はね、思ったよ。ああ、この子は雪の精霊なんだって。なんというか、オーラが違った。助手席にちょこんと座って、「わあ、車の中あったかい」って言うあの表情が、——もうめっちゃ可愛くてさ。一生この時間が続けばいいって思った。
だけど、待ち合わせが六時回ってたから、そんなに長くは遊べなかった。近くのショッピングモールに行って、ちょっと店を見て回って、ご飯を食べた。パスタを食べたよ。
そして、チョコをもらった。
あ、でも誤解しないでくれ。そのチョコは俺が頼んで作ってもらった物なんだ。互いに都合のつく日がたまたまバレンタインだったからさ、チョコちょうだいって冗談半分で頼んだんだ。嬉しいかったよ。嬉しかったけど、やっぱりあれも義理だったんだろうな。フラれちゃったし。
まあそれで、車の中でもさ、いろんな話をしたな。
彼女、子役タレントの『小田未来』が好きなんだって。ほら、知ってるだろ、あの有名な天才子役。車載のテレビに、ちょうどその子の出てるCMが流れてさ、めっちゃテンション高く言うんだ。「わたし、この子すっごく好きなの」って。小田未来が二年ほど前にでてたドラマをみて、それで子供に興味を持ったとかって言ってた。それで、保育士になろうって思ったんだって。
そんな、二回目のデートは楽しく終わったんだ。
家に帰って、チョコを食べた。
リボンを外して、中を開いた。手作りだったな。三つ、ハート型にかたどられたチョコがあった。二つ、ネコの顔がスタンプされた丸いチョコも入っていた。
食えるわけないって思った。
食えるわけないって思ったけど、でも残しておくわけにもいかない。
チョコレートのハートを口に入れたとき、俺は腹を決めた。
彼女に告白しようって。
結果がどうなるかは分からない。告白だってしたことがないんだ。でもそれでも勇気を振り絞ろうと思った。
それで、昨日が三回目のデートだったんだ。
バレンタインの日から結構時間が経ってしまったけど、それでもちょくちょく連絡は取り合ってた。
もう決めてたんだよ。「今日、告白しよう」って。事前に計画も練って、頭の中で何度もシュミレーションした。
おしゃれなレストランを調べてさ、予約なんかしちゃってね。
大型商業ビルの最上階で、夜景がすごくよく見えるところだった。
イタリアンだった。
正直、味なんてよく分からなかった。というより、メニュー開いても読めないんだよ。カタカナばっかりでよくわかんないし、ぶっちゃけたところ、周りの客層が大人すぎて、場違いな感じがして居心地が悪かった。背伸びしすぎたなって思った。
それでも、ヒナちゃんは優しかった。ああいった局面で強いのは、やっぱり女子の方なのかもしれない。「夜景すごいねー」って楽しそうな笑みを浮かべて、外に広がる景色を眺めていた。彼女の頬には、いつもと変わらずえくぼが浮かんでいた。
俺は彼女のことが好きだって、そのとき再確認したよ。
さ。問題は、ここからだ。
食事を終えた後、俺たちは車に乗って比嘉の海に行った。告白をするのは、夜の海にしようって、ずっと決めてた。
海には人はいなかった。まあ、まだ三月だし、それも当然と言えば当然だった。だけど、そんなに夜風は冷たくなかった。
しばらく歩いた。遠くに灯台の光が見えて、空には星がきらめいていた。静かな夜だった。
告白しようと思った。
だけどさ、——いざそういう状況になったら言い出せなくなっちゃって。
恥ずかしいって言うか。頭の中ではあんなに簡単に言えるのに、いざ本番になると声にならないんだ。
それで、海岸沿いをぶらぶらして、結局俺たちは車に戻った。
おかしい、と俺はハンドルを握りながら思った。
こんなはずじゃない。こんなはずじゃなかった。計画は完璧だったはずだ。その前日に練習したときはきちんとうまくことが進んだんだ。一人で車を走らせて、デート雑誌やネットで調べてきちんと決めたはずだったのに、どうして。夜景の見えるレストランで食事をして、楽しい話に花咲かせて、それから夜の海でしっとりと波の音をBGMに、澄んだ星空を眺めて告白する。
俺のスケジュール帳にはそう書かれていたのに、予定が狂いはじめていた。
とにかく、言わなきゃいけないって思った。
このまま、家まで送り返してしまうのは、絶対にダメだって思った。好きなんだし、つきあいたいって思ってたし、それを言うために準備もしたんだ。
「あっそうだ」って、何気ない感じを出して、俺は言ったんだ。
「松木城のふもとに、しだれ桜があるから見に行かない? ほら、夜桜の季節だしさ」
もうダメ元だった。そのとき、時間はもう十一時を回ってたから、「ごめん、もう帰らなきゃ」って言われてもしょうがないって思ってた。
でも、ヒナちゃんは優しい声でね、「いいよ」って。
俺はそのとき、心の中で両手を合わせたよ。ああ神様と。ここにいたのかと。
そのままハンドルを右に切って、快速飛ばして松木城へと向かったんだ。
松木城の駐車場にはほとんど車は止まっていなかった。夜は城も閉まってるから、当然っちゃあ当然だ。
とりあえず、車から出た。
中に入れなくても、城はライトアップされてたから、外観だけで見応えがあった。それに、視界を外に向けたら、夜の街が遠くに見えた。城下町は建物だけでも風情がある。桜の木がずらりと並んでいる。
一つ誤算だったのは、桜がまだ蕾だったことだ。
いや、本当は最初から分かってたはずなんだ。昨日、朝のニュースで、桜の開花は一週間後ですって言ってたのを聞いていたんだ。それを完全に忘れていたのは、あのとき俺がテンパっていたからかも知れない。
ロマンチックな雰囲気に、水を差す出来事だった。
けれど、それでも完全にミスだったわけじゃない。三月も中旬。風だってもう寒くない。春の到来を感じさせる暖かな風が俺たちの間をながれていった。
きれいだね、って遠くに見える夜景を眺めながら、ヒナちゃんが言った。
君の方がよっぽどきれいだよ——そんなアホみたいな定型文を、思わず言ってしまいそうになった。まさに、そんな雰囲気だった。
沈黙があった。
悪い沈黙じゃなかった。俺は意を決した。
俺はヒナちゃんに向き合った。
「ヒナちゃん」
言おうと思っていた台詞は、ずっと決めていた。
気取った言い方なんて、俺には似合わない。練習通り、『すきです』とシンプルに言おうと思った。
だけど、……ってやつだ。
ここでまた、臆病の虫がひょいっと現れた。
あのときの状況を、俺は今も事細かく覚えている。
息を吸う。息は吸っている。口の形は、完全に『す』になってる。あとは、声を出すだけ。肺の中の空気を吐き出して、声帯を震わせるだけ。それだけで、言葉が出てくる。頭では理解している。けれど、その『す』が出てこない。『き』がすぐ後ろに控えてるのに、その『す』が出てきてくれないんだ。
ヒナちゃんが、首をかしげた。
けど、ヒナちゃんは何も言わなかった。じっと俺のことを見てた。大きなたれ目が、俺を見ていた。ライトアップの光がヒナちゃんの瞳に反射して、すこし潤んでいたように見えた。その瞳に、吸い込まれるかと思った。
「——す、」
なんとか、そう言ったんだ。勇気を振り絞ったさ。
だけど、そこで非常事態が起きたんだ。
俺の口の中でスタンバイしていた『き』が、とっさに臆病風に吹かれた。口から出たくないって駄々をこね始めた。こんなところで表(おもて)に出るのは恥ずかしいから嫌だって。あんだけ後ろから『す』を急かしてたくせに、いざ自分の番になったら怖じ気づきやがったんだ。
むりやり絞り出された『す』は、俺の前で宙ぶらりんになってしまった。
「……す?」
長い沈黙に耐えられなくなったのか、ヒナちゃんがそう聞いた。しかし、目は俺から少しもそらさなかった。
俺は葛藤した。早く出てこい、と思った。腹の底から絞りだそうとして、身体中を逃げまわる『き』を追い駆けた。
けれど、結局『き』は出てこなかった。とんだチキン野郎だ。心底軽蔑したよ、俺は。
「す、……すっごく楽しかった! たまらないくらい楽しかった。ありがとうね」
ヒナちゃんは、一度うつむいた。そして満面の笑みを浮かべて、
「うん、こちらこそ」って言った。
それから、俺たちは車に戻ったんだ。
自分の意気地なさを呪ったね。
ふたたびだ。俺はハンドルを握りながらまた同じように自問してた。なぜ言わなかった、と。今日絶対に言おうって決めて、それで言わなかったら明日は絶対に言えない。
家まで送る途中も、彼女はあんまり発言をしなかった。俺だって何を言っていいのか分からなくて、沈黙がちになった。このまま分かれるのも嫌だった。
時刻は、もう十二時前になっていた。またどこかに行こうって言うのは、無理だった。でも、どうしても逃げることは出来なかった。チョコレート食べながら、絶対に言おうって思って、たくさん準備したのに、いまこの瞬間にちょっとだけの勇気を振り絞れないなんて、そんな情けない話はない。
それで、結局、俺は車を路上のわきに止めたんだ。
なんてことない、普通のバイパスの路肩だ。周りにいい景色があるわけでもない、コンクリで固められた山がそびえてるだけの、薄暗い山の中の公道だよ。
ロマンスも何もあったものじゃない。
「どうしたの?」
って彼女は言った。当然だよな。まだ家までは距離があるのに、こんなところで止められても困る。
だけど俺は、それでもやっぱり必死だった。これで言わなきゃ、一生言えないって思ったんだ。それで、俺はシフトをニュートラルに入れて、クラッチを切った。
助手席に体を向けた。
彼女は、——なんだろうな、驚いたようでいて、でもどこか「ここできたか」みたいな悟った顔をしていた。やっぱり、「女の勘」ってやつなのかな。いや俺のあの日の様子を見てたら、おかしいって誰でも思うのかも知れないな。
好きです、って、伝えたよ。
そのときは、すっと出てきた。
それだけ言ってしまえば、あとはなんてことなかった。本当に、勇気がいったのはその一言だけだった。ふたを開けてみたら、まさに流れるようにして口から言葉が出てきたよ。初めて会ったときどう思ったかとか、どんなところが好きとか。どれだけつきあって欲しいか、とか。
だけどさ、やっぱりもう遅かったのかも知れないな。海と城で勇気が振り絞れなかった時点で、俺の負けは決まっていたんだろう。
彼女は、唇をキュッと結んだ。視線を手元に落として、しばらく黙ってた。その沈黙で、俺はなんとなく解答を悟った。
彼女は首を横に振った。
「ダメだよ」って。
「そんなんじゃ、だめ」って。
ああ、フラれたんだなって、思ったよ。
悲しかった。悲しかったけど、のんきに感傷に浸っている場合ではなかった。俺はすぐさま次の行動をとった。オペレーション「N」だ。
さっきも言ったように、俺はこの日のためにかなり準備をしていた。デートプランは当然のこと、告白する場所、告白する言葉。綿密に準備して、練習してた。そして、告白して「OKだった場合」と「NGだった場合」——それぞれどうしたらいいのかも準備していたんだ。
そりゃそうだろう。返事は「イエス」か「ノー」かなんだから、どっちに転がってもいいようにするのは当然だ。
そして、俺は計画していた通り、「NGだった場合」の行動に出た。
それがオペレーション「N」。
フラれた後に、男がするべきことってなんだと思う? へこんで無口になるのか、あるいは全く気にしていないように平然とした態度を取るか。
おれは、笑わせることだと思った。
だって、告白っていうのは、するほうは当然勇気がいるけど、断るほうだって相当の勇気がいるだろ。気だって遣うし、罪悪感も感じるはずだ。できることなら、気まずくならずに終わらせたいって互いに思ってる。笑って場が和んだら、彼女だって安心するはずだ。そうすれば今後も仲のいい友人として、関係は続くはずだ。「恋人」がダメなら、「面白い友人」でもかまわない。
だから、俺はヒナちゃんを笑わせようとした。
前にも言ったと思うけど、ヒナちゃん、子役の『小田未来』が好きなんだよ。テレビCMでちょっと出てくるだけで大はしゃぎするくらいに。
それでね、その小田未来がプリンのCMやってるの、知ってる? 同じ小学校の男子たちが、こぞって小田未来に告白するやつ。あんま知らんかな?
小田未来がさ、自分の好みは「甘くて大人な人」だって言ってさ、それで小学校の男子たちが「大人」のパーツを付けて小田未来に告白するんだよ。スーツ着たり、香水付けたりして。なんとか好みのタイプに近づこうとしてさ。でも全員ことごとくフラれちゃう。
そんでね、その中に、ハゲのカツラかぶってチョビ髭つけた男子がいるんだ。そいつも当然フラれちゃうんだけど、そいつが落ち込みながら下校してる最中にプリンを買うわけ。そんで泣きながらプリンを食べるわけ。
そしたら、どこからともなくあらわれた小田未来が「あまーいっ!」って目をハートにする——っていうコメディ的なCMがあるんだ。
もしも、フラれた俺が、すっとポケットからプリンを取り出したら、きっとウケるだろうなって思った。
なんたって、彼女の一番のお気に入りのCMだ。このシチュエーションでプリンが出たら気づかないわけがない。
わざわざフラれることまで想定して準備してるなんて、自分でもバカだと思う。彼女だってこんなところでまさかプリンが出てくるなんて想像もしていないだろう。こいつバカじゃないのかって、笑ってくれるはずだった。
だからさ、
俺はさ、
ヒナちゃんが「ダメ」って言った瞬間に、おもむろに自分のカバンを広げたんだ。
頭に禿のカツラ。
鼻の下にシールのチョビ髭。
そして、プリン。
何度も練習してたから、手際はすっごく良かった。俺は完全に、あのCMの男子小学生になっていた。
「フラれちゃったっ!!」
男子小学生顔負けの泣き顔を作って、俺はプリンのふたを開けた。そして、勢いにまかせてプリンをゴゴゴーっと口に搔っ込んだ。
きっとヒナちゃんは笑ってくれるって、本気で俺は思っていた。「なんでプリン用意してるの」って。いや、いっそのこと「あまーいっ」ってノってきてくれるとすら思っていたよ。
あのときの彼女の顔。おれは一生忘れない。
彼女は笑わなかった。
いや、笑う笑わないってレベルじゃない。青ざめていた。さっきまで舞台の上で戦っていたヒーローが楽屋でタバコを吸ってるのを目撃した子供のような、絶望したような顔っていうのかな。
ぼそっと、彼女はこう呟いた。
「え? そういうこと?」
どういうことなのか、俺は今でも分かっていない。
けれど、そのとき俺がなにかしらの失敗をしたのはさすがに分かった。彼女は突然不機嫌になった。すうっと顔から表情が消えていった。理由は分からないが、でも怒らせてしまったのは正直問題だ。
気が遠くなるような沈黙が訪れた。
車内の空気は冷え切っていた。たぶん、あそこに室温計があったら、きっと氷点下を指してたと思う。深呼吸なんてしようものなら、肺細胞が凍傷してた。俺は寒くて震えていた。怖かった。可愛い子が怒ると、こんなに怖いんだって、初めて知った。
それでも、俺は何とかしてようとして場を暖めようとしたんだ。
そりゃそうだろ。なんたって彼女のことが好きなんだから。こんな最悪な別れなんて絶対に避けたかった。そもそも、プリンを用意していたのは、今後も仲良くいられることを望んでいたからなんだ。
けど、どれだけ俺が話しかけても、彼女はもう笑ってくれなかった。ハゲのカツラかぶって必死に笑わせようとする俺と、無表情で黙り込むヒナちゃん。地獄なんてレベルじゃなかった。
「車、早く出してよ」
彼女の声はキンキンに冷え切っていた。
「あ、はいっ」
上官に指示された新兵のような返事をして、すぐにアクセルを踏んだよ。断れるような雰囲気じゃなかった。あの言葉がナイフだったとしたら、今頃おれの首と体は真っ二つに分かれていただろう。
無言のドライブ。会話なんて一切ない。つい十分前までの楽しい雰囲気が、遙か昔のことのように思えた。テレビの声が白けたように車に響いてた。賑やかなバラエティ番組でもやってたら、ちょっとは気が紛れただろうに、どのチャンネルを回しても堅苦しいニュース番組しかしていない。議員が問題を起こしたとか、芸能人が不倫したとか、ますます車内の空気も暗くなる。
ときおり勇気を振り絞って、テレビの話題をふってみたけれど、彼女は何も答えてくれなかった。
そのまま、彼女の家の前についた。
彼女は、何も言わずに助手席の扉を開いた。「さようなら」も、「またね」もなかった。
俺はここで、最後の賭けに出た。悪あがきだ。
別れ際って大事だろ? 終わりよければすべてよしって言うし、せめて分かれる時だけでも笑顔で分かれたかった。今はなぜか勘違いして怒っているけど、黙ったままじゃどうにもならない。
「おやすみ、シンデレラ」
俺は彼女の背中に向かって言った。これ、小田未来の出世作「未熟なシンデレラ」の名セリフ。
「このガラスのように冷えた時間も、明日になれば魔法で元通りだ。これからもよろしくな」
思いっきり引っぱたかれた。
目から星が出るって、本当なんだな。一瞬、何が起きたのか分からなくて、気がついたら、目の前で星がキラキラ飛んでた。後を追って、頬がじんわりと熱くなった。
バタン、と力尽くで扉を閉めて、彼女は一度も振り返ることなく玄関をくぐった。
俺は結局、真っ暗な車の中に取り残されて、呆然としていた。
ほんのりと血の味がしていた。
それが、昨夜の話。
ごめんな、話し出したら止まらなくなってしまった。
結局、いまでも俺はどうしてたたかれたのか分からなくて、どうしても誰かに話したかったんだ。だからこうして、日曜日にファミレスに来てもらったってことだ。今もさ、ちょっと口の中が切れてて痛いんだよ。口内炎みたいになってる。未だに分からない。どうしてそんなに彼女が怒ったのか。俺がビンタされたのか。ちょっと面白い冗談なのにな。やっぱり面白いねって、これからも友達としてよろしくねって、なると思ってたのにな。
なあ、そう思わないか?
……、あれ。
どうしてお前までそんな不機嫌そうな顔をしてるんだよ。
やっぱり、俺が悪いのかな。悪いってことを自覚できてない時点で、救いようがないのかも知れないけど。
俺もよく分からないんだよ。女心って。難しいと思うからさ、出来れば教えて欲しいんだ。なあ、俺が悪いんだったら、そう教えて欲しい。そうしたら、あとでヒナちゃんに謝れるからさ。何が悪いかが分からなかったら、謝ることもできないんだ。
できればさ、また仲のいい関係に戻りたいんだよ。だから協力してくれよ。乙女心ってやつをさ。
なあ、
どうしてそんなふうに睨むんだよ。
頼むよ。こうして頼むことが出来るのも、お前しかいないんだよ。ほら、もうここまで話しちゃったからさ、もう最後までつきあってくれよ。
この間のバレンタインで、チョコレートをもらったのは、ヒナちゃんと、お前だけなんだよ、美雪。だから、他に相談できるのって、お前くらいしかいないんだよ。なあ、頼むよ。お前あのとき義理チョコだって言ってたけど、嬉しかったんだから。
え、ヒナちゃんに叩かれたのは、左頬だけどさ。それがどうかしたの——
昨日フラれたんだけど、ちょっと話を聞いてくれないか?