マケドニア

藤原 舞弥

1

 彼にとって「合コンの頭数が足りないから来てくれ」と言われるのは死の宣告と同義だ。
 理由は至極簡単で、彼の顔が怖いからだ。怖いと言うより、目つきが悪い。最悪だ。付き合いの長い者か、理解ある者でなければ迷わず悪人とかそういった烙印を押される事になる。
 よって、見ず知らずの人間が集まって飲み食べ話そうという席にあっては、彼は羊の群れに紛れ込んだ狼のように思われてしまう。その目つきのせいで、彼は悲しい運命を背負って生きていくことになってしまった。
 それでも、今回合コンへと誘ったのは、彼の古い友人で、「大学生活と言えば酒と女だろう!」という訳のわからん理屈を散々聞かされた挙句、義理立と思って出席を決めた。
 目つきの悪い彼の名前は、五十嵐皐月という。

 合コンはそれなりに進んでいった。酒もまわってきた。皐月は飲まない。酔いたくないからだ。皐月は酒に強い体質ではあるが、調子に乗って飲んでいたら呑み込まれて痴態を晒した、という経験がある。始めの一杯だけは付き合い程度に飲んでやったが、二杯目からはウーロンハイと言い張ってウーロン茶を飲むことにしている。
 騒がしいのは苦手だ。酒の席は嫌いではないが乱痴気騒ぎは遠慮するというのが皐月のスタイルだ。今日も今日とて空気に徹し、あとは頃合いを見て引揚げようというのが彼の魂胆だ。

 しかし遠慮なく酔っ払った友人が、皐月のことをこう紹介してしまった。
「こいつは魔術師でーす!」
 突然、電波系発言をした友人に注目が集まる。このまま反応を起こさなければ、ただ酔っ払ったバカの世迷言としか思われなかっただろう。
「ふざけんなバーカ!ンなわけあるか!」
 しかし皐月はもの凄い形相で否定した。当然、目つきの悪い彼のことだから、まわりの女の子はドン引きである。
 やってしまった、と冷静な頭が思ってしまった。これは、誤魔化すしかない。
「……それ、多分これのことだろ?」
 皐月は仕方ないという風に、上着の内ポケットからライターとタバコをとりだした。使い捨てのライターを嫌う皐月は銀のよく磨かれたオイルライターを使っている。
 そのライターを、開いて点ける。さながら指の先から火が出たように見える角度でタバコに火をつけた。
「これのどこが魔術だよ」
 どうみても、下手なマジックにしか見えなかった。
「……おいおい皐月よ、すこしは……!」
 友人は完璧に酔いが覚めてしまった顔で、皐月を見た。
「タバコに火ィつけちまったから、すこし外出てくるわ」
 無情にそう告げ、席を立った皐月を必死の呼び止める友人の声を不憫とは思わなかった。

 皐月が魔術師だ、というのは、暇な大学生達がまことしやかに語った噂話である。彼が指先から火を出してタバコに火をつけたところを見た、という話から発展していったものだ。
 が、これらは全て実話であり、現実でたり、まぎれもない真実である。
 彼は魔術師だ。

 頭痛がひどい。
 酒の一杯だけで頭を痛くするような皐月ではない。むしろ彼は酔うことはない。
 頭痛の原因は友人による身バレである。それなりに秘匿するべき情報を、ふざけ半分とは言え事実を暴露されたのだから頭も痛くなる。下手なマジックなんぞで誤魔化そうと試みたが、あれは成功か失敗か、考えるだに頭痛がするのだ。
「顔が広い魔術師さん……ですよね?」
 左後方を見ると、ひとりの女の子がいた。
 わざわざ外まで来た彼女に冷たく接するのは忍びない。仕方なく皐月は「……どちらさん?」と応じてやった。
 質問に質問で返すのは少しばかり気が引けたが、名乗りもせずに(実際は一番最初に自己紹介していたのだが)質問したのだから、それくらいは良いやと自分に言い聞かせる。
「あ、えーと、私、占師の水咲薫っていいます」
 意外とすんなり答えてくれた。
「あぁ、どうも」
「で、顔の広い魔術師さんって本当ですか?」
「信じちゃってる?俺が魔術師だって?」
「はい」
「なんで、また。そんなファンタジーな世界が生んだ幻想みたいなものを信じちゃうの」
「知り合いが言ってたんですよ」
 次に薫が放った言葉に、皐月は驚愕した。愕然とした。誰だ、そんな情報を流しやがったのは。
「知り合いというか、お客さんなんですけど。目つきの悪い男が魔術師を名乗ったら、それは有名な“無駄に顔が広い魔術師”だ、って」
 彼は無駄に顔が広い。ゆえに、そのような噂を流布したバカに心当たりがあり過ぎて、結局誰が流したのか見当がつかなかった。顔が広いのも、困りものだ。

「あぁはいはいはい。そうです俺がその……顔が無駄に広い魔術師ですよーだ」
 半ば投げやりに答える。
「じゃ……あの」
 言いにくそうに、顔を赤らめながら薫が言う。
「これから、二人で話せませんか?」
「無理です」
 合コンで女の子からの誘いを断る目つきの悪い男。印象は最悪だ。それでも薫はしつこく食い下がる。ついに負けた皐月は、強引に別の店に行くことになった。行くことになってしまったのだ。

「さて、聞きたいことが一つある」
 二人が入った店は、隠れ家的料理屋でもバーでもホテルでもない。近くにあったスターバックスコーヒーだ。そこで二人は横文字連ねた長ったらしい名前の、しかし結局はカフェラテに分類されるコーヒーを飲んでいた。酒よりマシだけど夜にカフェインを摂るなんて、というような不満はこの際胸にしまってそのままにしておいた。
「その、俺が顔が広い魔術師って、だれから聞いた?」
「すこし前に占いにきた魔術師さんですよ」
「名前は?」
「中村春瑚って」
 あの野郎、今度会ったらぶん殴ってやる。
 そう思わずにはいられない。何せ、この皐月という男ほど、人前に出たり目立ったりすることが嫌いな男はいないだろうから。そのことを知っている中村がそんな噂を吹聴するとは許しがたい。酒の二杯三杯じゃ許さん。いいタバコも付けさせてやる。
「ーーで、春瑚がそう言った、と」
「うん」
 春瑚に占いに行くような悩みでもあったのかと思うと、なぜか残念になる。
「その時に中村さん、こう言ったんですよ。目つきの悪い男が魔術師だって紹介されたら、それは俺の友人の無駄に顔が広い魔術師だ、って。本当だったんですね」
「まさか、あんた、そこらで噂になってる、よく当たる占師さんかい?」
「え、そんな、噂になってるんですか!?」
「なってる」
 ツイッターでは有名だ。彼女がどこそこにいた、占ってもらった、なんて呟きは珍しくなく、そのツイートを見て悩める子羊は大移動を開始するという。
 そうして皐月は、さも納得したかのように頷いた。
「わかったよ。春瑚に絡まれた理由」
「絡まれたって」
 薫は苦笑している。本当にお客さんだったんだなと思いつつも、先を続ける。
「あんたのその占いが、魔術師連中からは魔術の類なんじゃねぇか?って話が出てるのさ」
「そうなんですか?」
「そうなの。ついでに言うと、春瑚はそれなりに由緒ある魔術師だよ。人間としての信用はそんなにないけど、魔術師としての信用はそれなりにある。悪いやつではないよ」
 いや、悪いやつだ。こんな占師に顔が広い魔術師として紹介するくらいだ。悪いやつに決まってる。ごめん嘘をついたと謝ろうとして皐月は思いとどまった。
「皐月さんって、本当に魔術師なんですか?」
すこし返答に困って、そしてすぐに答えた。行動で示した。

 薫の前で指を鳴らす。
 軽い音とともに、指先から火が出た。
 薫は、口を開けて驚いている。
「まぁ、魔術師なんだよね、これが」
「すごいすごいすごい!はじめて見ましたよこんなの!」
「そりゃまぁ、普通の人は関わらないもんな。魔術なんて。運がいいんだか悪いんだか」
 息で吹き消す。
「そうだ。一つだけ訂正。春瑚な、あれは魔術師じゃない。魔導師ってやつだよ」
「魔導師……?」
「魔術師と大した違いはないんだけど、何ていうか、家系の違いと、敬称の違いかな。別にどうでもいいんだけど」
 術師の世界では、魔導師と魔術師は全く別のものとなっている。5代以上続けて魔術師が生まれた家系は、魔導師を名乗って同族(術師連中)のなかで権威を高めようとする。たまに派閥争いやらが起きることもあるし、絶縁状態の派閥もいくつかある。
 皐月はどこの派閥にも属さないフリーの魔術師だ。と言えば聞こえはいいが、実際のところ、皐月は魔術師になって五年程度でしかないから、どこの派閥にも属せないと言った方が正しい。
 派閥にとらわれることなくわたり歩いたからこそ、今の顔が広い魔術師が生まれたというわけだ。

「今日はどーも。悪いね、こんな夜中まで。せめて駅までは送っていくよ」
「いえいえ、大丈夫ですよ。皐月さんも来てくださいね、占い」
「そのうちに」
 占師は去っていった。
 皐月はすぐに中村魔導師に連絡し、夜中であろうと構わず電話口に怒鳴りつけてやった。

 後日である。
 魔導中村家第三八世中村春醐魔導師は、自分の行いにより、五十嵐皐月にいろいろと奢らねばならない状況になっていた。
「とりあえず強い酒」
皐月は酒に強い体質で、滅多に酔っ払うことはない。気を抜くとすぐに酔うが二日酔いはしないタイプの酒豪だ。合コンのときは、大勢の前で飲む酒は美味くないからなのだ。
「あいよっ」
声が返ってきて、すぐに
「ーー頼むから自重してくれよ?」
「何言ってんの。お前が顔の広い魔術師なんて噂流したんだから」
「確かにそうだけどさ、まぁ、あの占師も魔術師なんだし」
「あれは占師じゃないのか?」
「お前の目は節穴かよ。占ってもらってないのか?惜しいことだよ本当に。あれは未来を予測するような魔術師だ。相手も魔術師と聞いても全く動揺しなかったからね。まぁ問題ないだろう」
 大有りだ、と反論してやりたい。今後、俺は占師なのか魔術師なのかもわからない人に魔術師という正体を知られて生きねばならんのか、と。
「お前はさ、皐月。別に魔術師って恥ではないだろ?ここはドンッと売り込んでいかないと」
「指から火を出すような人間は人間じゃねぇよ。怪異だよそりゃ」
そう言いつつ指から火を出しタバコに火をつける。
「……飽きないね。よくそんなもの吸ってられるって」
「吸うかい?」
 皐月がタバコを勧めてみる。
「吸うか」
 予想通りの答えが返ってきた。
「食わず嫌いか」
「タバコを食ったら死ぬだろうが。吸ったことくらいあるさ。でも俺には合わないようだ」
 魔術師の大半は術を施したタバコであるとか、煙を吸っている。「自身の魔力を貯めるため」に吸っているのだが、彼らは肺にまで魔術をかけているから保健体育の教科書に載っているような真っ黒な肺になることは絶対にない。実に便利なものだ。

「そうだ、皐月」
「ん?」
 皐月は顔色一つ変えずに五杯目の酒を飲み干した。
「支笏湖の森で陣が見つかったんだと」
「陣?」
「魔術封じの陣だ」
「へぇ、そりゃ物騒な」
 一般人には何の問題のない陣でも、魔術の使い手たる彼らにとっては物騒なものだ。自分を魔術師たらしめる魔力を、その陣は封じ削り壊すのだから、これは脅威となる。
「京都にもあったんだとさ」
「京都までか。何だ?全国に出現したってのか」
「いいや、全世界だ」
「世界、ね」
「何か知ってないか?皐月よ」
 すこし顔色を悪くした皐月は、六杯目の酒を半分まで飲んで答えてやった。
「俺の情報網では、ヨーロッパ、北米、あとコレはどうでもいいけど中国大陸だ。舐めてもらっちゃ困るね」
 そう言って、皐月は世界各国にいる知り合いの魔術師から送られた報告を見せた。
「中国の連中は嫌いだからどうでもいいな。しっかし、こりゃまぁ酷いな。全世界じゃないか」
「ヨーロッパのクライトン家のアンバーさんは調査に乗り出しそうだ」
「おいおいおい、名家クライトンまでお知り合いか。俺でもお会いしたことはないぞ」
 皐月の相も変わらぬ顔の広さに中村魔導師は目を回しそうになる。
「まぁ今はどうでもいいだろ」
軽く流して六杯目を飲み干す。
「京都といえば、千華組か」
「そりゃさすがに、日本の魔術師といえばあそこだからな。うちとも付き合いがある」
「ほぉ、中村魔導師も千華組のネットワークにあるのかい」
「そりゃな。日本というより、世界の魔術師の憧れだからな。京都千華組は」
「千華組ね。近いうちに行ってくるよ」
 少なくとも、千華組は気楽に行けるようなところではない。
「よし、飲み飽きた。もういいよ中村。ありがとうよ」
「俺の都合は無視かよ」
「この酒と、千華組に顔だした時に支笏湖の件を詳しく伝えとくから、それで占師の件はチャラだ」
「好条件とは思えないな」
「思うなよ」
そう言って、中村魔導師に飲み代を払わせに行かせた。

 北海道の六月の夜は、まだ肌寒い。
 誕生日祝いにと貰ったジッポライターでタバコに火をつけながら、街を歩いて横切り地下鉄の駅へ向かう。
「京都、ね」
 久しく訪れていない地名に、皐月は溜息をつくしかなかった。

 京都千華組は、魔術師の自衛組織である。
 京都千華組の歴史は平安時期まで遡る。
 千華組初代は、陰陽師であった。現代でいうところの魔術師だ。
 陰陽師というのは当時、朝廷やら貴族やらから大層重用され、その一方で使われる面も多かった。それに危機感を抱いた初代が自衛組織として千華組を立ち上げたという。
 それから千有余年の時を七十九代の魔術師が千華組を支え続け、転機が訪れたのが八十代の頃。太平洋戦争を生き延びた千華組は、京都大阪付近のヤクザの皆さんから目をつけられてしまった。それから抗争というものが度々起こってきたが、それに千華組打倒を目的に参加した組員は口を揃えてこう言う。
「あいつらは人間じゃない」と。

「とまぁ、掻い摘んで説明するとこんなもんさ」
「よくわかんないなー」
 五十嵐皐月魔術師の京都千華組の説明は、この水咲薫という自称占師には通じなかった。
 皐月がフラッと立ち寄った大学の学食に、薫がいた。同じ大学の違う学科に通っていると知ったのはこの時だった。
 すこしばかり話してから、皐月がなんとなしに「京都に行く」と言ったら、薫は京都千華組の存在を知らないときた。仮にも占師を名乗るなら千華組は知っておけと、親切にも皐月がそれについて教えてやったのだ。
「日本の魔術師の総本山だよ。あそこは」
「へー……なんか凄いことはわかった」
「千華組は世界規模だからね。すごいよ」
「世界規模って」
「俺が魔術師と知り合うきっかけは、だいたい千華組のネットワークから」
「あ、それは凄いってわかった」
「凄いの尺度が俺基準かよ」
「そりゃ、皐月さんの顔の広さは誰もが認めるところだし」
 中村から何を吹き込まれたのか追求してやりたい衝動を必死に堪えながら、ある提案をしてみた。
「一度顔だしてみないかい?」
「へ?」
「千華組に」
「え」
「占師っても、まぁ大別してしまえば魔術師に分類されるんだし、行って損はないっしょ」
「私なんかが顔だしてもいいところなんですか?」
「あそこは広く門扉が開かれてるから」
 あんな説明してたら怖くもなるわな、と皐月はすこし後悔する。たしかにあそこは初見の人には怖すぎる場所だ。
 まず、人が少なく、霊が多い。しかもその霊が実体をもっているときたもんだ。
 千華組の当主は、降霊魔術の使い手で、霊をポンポン召喚して邸内の守りなどの役割をさせている。生身の人間といえば、千華静当主か、組長敷島六花、そしてほんの僅かだ。「人間じゃない」とは、こんな霊が魔弾をバンバン撃ってくるものだからそりゃ恐怖もしよう。初めて邸内に入った時の皐月はヤクザの皆さんに同情してしまった。これは怖かろうと。
 霊のくだりは説明していなかったが、行くと決心して飛行機に乗るまでは絶対に言うまいと決めた。
「それなら、行ってもいいかな」
「じゃ、話をつけておくよ」
「なんか、悪いね」
「なんもだ。あ、いつ行けるかい?」
「じゃ、ゴールデンウィークにでも」
「おけ」
「中村さんは行くの?」
「中村ぁ?あいつは行かないよ。あれだって仮にも魔導家の当主だ。無闇に土地を離れるわけにもいかんのさ」
「なるほどね~」

 「じゃ、講義があるから」と薫が席を立った。なんだかんだで一時間程度話していたことになる。
「学部は?」
「私?こども発達学」
「あー、あそこね」
「皐月はん」
「歴史学」
「なんかイメージのまんま」
「よく言われる」
 あ、言われるんだ。それは意外だと薫は思ったが、口にも顔にも出さなかった

 北海道土産なんて、道内各地を飛び廻らなくても新千歳空港で事足りる。地元民としては、行き先で土産をいちいち買うのではなく、帰りにここで一気に買ってしまった方が楽なのではないかとさえ思ってしまう。北海道ショールーム新千歳空港には、そんな土産物屋の一面がある。
 そんなことで、皐月がこれから行く京都千華組の当主が好きな菓子は、そこらにゴロゴロと転がっている。探す手間もない。
 大型連休初日の空港は、出発と到着の客で溢れ、ごった返している。聞こえてくる言葉は異国のそれで、ここは本当に日本かと錯覚する。それでも館内アナウンスと諸々の文字は日本語なので、外国ではないと確信する。
 隣にいる薫と荷物を預け、身軽になった状態で保安検査にむかっている。別に何も持っていないが、ゲートをくぐるときはいつも緊張する。そして何も鳴らずに出て行くのだ。
「え、なに?皐月は飛行機怖い系の人?」
「違う。搭乗手続きが面倒系の人」
「ただの面倒くさがりかい」
「そう言うない」
 薫も、この魔術師にすっかり慣れてしまった。慣れた人とは随分と話すことも、皐月は理解した。
「保安検査通ってからが長いんだよね。それが面倒で仕方ない」
「魔術師ってイメージ的に、瞬間移動とかできそうだけど、どうなの?」
「できる人もいるって聞いたことはあるよ。会ったことはないけど」
「こんなに顔広い皐月でも?意外」
「そんな人は滅多に出てこないから。自分の研究室とかに篭りっきりさ」
「引きニート」
文字に表すと最後に「w」を付けたような声で笑った。

日本は南北に長い。故に国内で季節が違うというのは不思議でもなんでもない。
 関西国際空港。クーラーをガンガンに効かせた屋内から一歩でると、気温は北海道民の認識でいう猛暑のそれだった。太陽は真上からすこし傾きかけた、一日で最も暑い時間帯だ。
「……くっそーやってらんねぇ」
「……暑すぎだよ」
 気温は二八度。北海道民には耐え難い暑さだ。北海道ではこの時期、半袖では寒いが、ここでは半袖でも暑すぎる。
「アイス食べたい……」
「北海道のアイスにかなうモンはないよ。京都で抹茶アイスでもあればいいけど」
「ここには?」
「空港なんてリゾート価格だ。買うもんじゃないよ」
「出た、リゾート価格」
 それは冗談にしても、たしかに観光地の物価は通常よりも二割り増しに高い。街場の店で120円で売っているスープ付きカップ焼きそばが、空港では180円なんてよくある話だ。空港には何でもあるが、安いとは言っていない。
「しばし辛抱せ。もうすぐ動く冷蔵庫が来るから」
「?」
 皐月の言う動く冷蔵庫とは何なのかわからずに薫は首をかしげる。
「しかし遅いな。すこし早く着きすぎたか?」
「誰か来るの?」
「うん。昨日連絡があってね。静さんから」

当主からの電話だった。
『明日こっちくるんだろう?』
「えぇ」
『そんなら、六花を遣るから、それに乗ってくるといい。関空からココまではそれなりに距離あって不便だからな。あ、バターサンド忘れるなよ?あれ忘れたら廊下で寝かせるからな』
「わかってますよ」
 屋外に出さないあたり、彼女の慈悲深さが滲み出ている。さすが千華組の当主である。

「というわけだ」
「おお……ありがたい話だね」
 すると、黒塗りの車が三台、皐月たちの前に滑り込んできた。
「お待たせして、申し訳有りません」
「なんもですよ。お変わりないようで、六花さん」
「お陰様で」
 黒いスーツに身を包んだ男が車から降りてきた。服装と言葉遣いは普通のサラリーマンのようだが、彼の眼光の鋭さは堅気ではないと物語っている。皐月は目つきが悪いのだが、彼の場合は優しい目つきをしているのに、人を竦ませるほど眼光が鋭いのだ。
「この炎天下で立ち話というのも馬鹿げた話ですから、どうぞ車へ」
 丁重に最敬礼し、車内に二人を迎える。黒塗りの車の中はクーラーが効いて天国か何かのようにヒンヤリとしていた。
 この黒塗りの車と黒服の男、この異様にして未知の空気にただ一人薫は肝を冷やし、背筋を凍らせたという。

 薫は気が安らかではない。
 知らない男達(しかも絶対に堅気ではない)と一緒に車(しかもギラギラの黒塗り)に乗り、唯一頼みとしている皐月は「敷島六花」と名乗った男と「ご当主は元気で?」「えぇ。相も変わらず攻め込んでくる輩を自ら撃破されてますよ」といったふうに談笑している。
 こんな状況で、どうして気が休まろうものか。女の子をこんな状況に置くなんて正気かよ?と薫が思うのも仕方あるまい。
「なぁ、薫」
「ふぁいっ!?」
唐突に投げかけられた言葉に驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「薫は占師だったよね?」
「占師だよ」
皐月は、話を薫に持っていくつもりだ。
「占師?珍しいですね」
「えぇ。随分と稀有な系統の魔術らしいんで、中村が見つけて引っこ抜いたんですよ」
「中村さんが。あの人はとんでもなく目敏いですもんね」
 六花は意外と人懐こい笑みを浮かべる。鋭い眼光さえなければ、彼はとんでもなく可愛い顔をしているのかもしれない。
「本当ですよ。私もびっくりしましたよ。君は魔術師かー?なんてプレイボーイなノリで聞いてきたので」
「ははは、そうですか」
「新手のナンパかと」
皐月と六花が揃って吹き出した。
「ナンパ!はは、そりゃねぇわ!」
「中村さんに限ってそれはないですね」
「ちょ、どういうことよ!」
薫の問いに皐月が珍しく顔中笑みを浮かべて、下衆い笑みを浮かべてこう言った。
「あいつはゲイだから」
「……マジで?」
「というのは冗談だ」
「バーカ!バーーーカ!」
「あいつは婚約者がいる。見ず知らずの女に手を出すほどあいつは軟派じゃないよ」
「中村さんは義理堅いですからね。そんなことは許さない人ですよ」
「そのくせ態度がプレイボーイだから余計タチが悪い」
「うわぁ……」
薫の中での中村魔導師のイメージは、良くも悪くも変わらなかった。

「さて、と」
と六花が切り出した。
「これから本家に向かいます。そこでご当主がお待ちです」
「うん。わかりました。会見は直ぐに?」
「もちろん可能ですよ」
「そりゃよかった」
「こちらにご宿泊とのことですから、まずはお部屋にご案内しますので」

 ここに至り、薫はここに来たことを激しく後悔した。
 目の前には、威圧さえ感じさせる瓦ぶきの門があり、邸宅があり、車寄せの前には年若い女性に皐月が挨拶している。
 薫は気が安らかではないどころか、動転してしまいそうだった。
「ご当主自らのお出迎えとは、恐縮です」
「うん。遠いところご苦労さま。まぁそんなに硬くなるなって。私とお前の仲だろうが」
「いや、残念ながらそうもいかんのですよ」
 京都千華組、第八十二代当主#千華静__せんげ しずか__#
 白い肌、黒い目、背中までの黒髪を一つに束ねた麗人で、大和撫子を体現したようでありながら、どこか日本人離れした美貌をもつ、それが千華静当主だ。
「楽にしてくれ」
と勧める所作にさえ威厳を感じる。八二代の格式を持つ家柄のためか、また彼女自身の天性の何かかわからないが、彼女は明らかに何かが違う。
「そうだ、これ。ご所望の品」
千歳空港で見繕ってきた土産を差し出す。銘菓マルセイバターサンド。
「おおお!さすが皐月!ありがとう!」
「いえいえ」
先ほどの威厳たっぷりの顔は何処へやら、目を光らせて箱を見る。
「相も変わらず好きですねこれ」
「これ以上のお菓子がどこにあるか。これは至高だよ」
とにかく、彼女はこれが大好きなのだ。
「ん、この人が?」
「あぁ、紹介しましょう。水咲薫、系統としては占師らしいですよ」
紹介をうけた薫は頭をさげる。
「さすが中村くんだ。あんたが顔が広いなら、中村くんは出会いが豊富だな」
「その類に何かもってるんですよ。あいつは」
「さて、水咲さん。私は京都千華組第八二代の当主をつとめる千華静という者だ。よろしくね」
とんでもなく気さくな笑顔で手を差し出す。それを薫が握り返す。
 硬い。掌が、硬かった。
「ごめんよ、硬くてね。ちょっとばかり銃を扱いすぎてね。仕方ないよ。こんな稼業に就いてるとさ」
「何ですかい、まーたドンパチやらかしたんですか?」
「やりたくてやったわけじゃないよ。仕方なくさ」
 室内に効いたクーラーのせいか、または別の理由か、薫の背は再び凍りついた。

 薫の体が良い具合に冷え切った頃合いで、皐月は本題を切り出した。
「中村から聞いてますか?」
「聞いてるも何も、それ私らが設置したやつだよ」
 驚愕の事実に、皐月さえも口を半開きにして言葉を失う。
「え、いや、そんなもんが何で今更騒がれたんですか」
「視点が凝り固まっているな。あとで風呂にでも入ってほぐすといい。まぁ冗談はこの程度にして、それは見方が違うのさ」
「見方?」
「ほれ、薫占師、どういう意味かわかるかい?」
薫に話をふる。蚊帳の外に置かれないようにという静魔導師の配慮でもあった。
「……さぁ?私にもさっぱり」
わからない、というよりも理解できない。その「陣」とやらがどんな性質のものなのかもわからないからだ。
「あー、そこから説明しようか」

 静魔導師が語るに、「陣」とは要するに抑え込みの陣である。北海道の深い湖、支笏湖の周囲には、深い森がある。そこは昔からの魔力の溜まり場で、放っておけば直ぐさま崩壊するという。その崩壊はごく最近も起きており、例えば季節外れの台風が本来上陸するはずのない北海道の、それも支笏湖の周囲をピンポイントで通過して行ったりした。その影響で木々は倒れ、山は崩れ、道は崩落した。これで単に偶然と断ずるにはあまりに愚かしい。
 そのような崩壊が起きないように、魔力を抑え込み分散させていたのが「陣」である。
 その陣が、今更見つかったくらいで何故こんなに騒がれるのか。
「簡単だ。本来の場所からズレた、もしくは何者かが故意に陣を消した、だな」
「出現ではなく、再現か、消失ってわけですか」
「その通りだ薫さん。ある日唐突に目の前に現れたものが、そこから生じたというわけでもないだろう?どこからか来たものかもしれない。そうさ、物事を一つの可能性だけを信じ込んで見てはならんのだよ。いい勉強になったな皐月」
仮にも彼女は占師だ。洞察と観察に優れている。魔術的な手助けを差し引いてもこれだけは常人を凌駕する。
「私の見解としては、陣が現れたように見えたのは、魔術師に何らかの影響のある術を上書きしたんだろう。誰かが」
「そんなことができるんですか?」
「そうさね。私がやったのは魔術封じの陣を置いただけで、後のことは知らんのさ」
薫の問いに、半ば諦めの表情で静は答えた。
 千華静魔導師には、事態の重さがよくわかっている。もちろん、魔術師たる皐月にもだ。
「場所がズレちまったんなら、早いところ直さないとダメなんだけど、この有様だと探すのに難儀しそうだな」
 知識が半端な薫は「使い魔みたいなもので探しては?」と問うてみた。
「だめだ。使い魔は見つけるだけで、座標を送っちゃくれないよ。送る前に陣の効力でペチャンコだ。こうなったら人力で探さにゃならん」
「うわー、それは……難儀ですね」
 そのとき、薫にはある考えが浮かんでいた。この応接間に入るまでに、何人もすれ違った屈強そうな男たち。彼らを動員する。彼らにとっては骨折り以外の何物でもないが、数の多さにものを言わせて見つけ出すことは不可能ではないだろう。
「うちのやつらも動員できりゃ楽なんだけどな」
「そりゃ、術式でこの世に留めてる英霊には無理な相談でしょうに」
 そうだった、と薫は思い出した。京都千華組の大半は静魔導師による降霊でこの世にいるのだから、彼らも否応なく陣の餌食となってしまう。

 千華静の決断は早く、そして的確であることが多い。
「わかった。今度の国際魔術師連絡会の総会でこの件の対応について提案してみよう」
「静さん出席されるんですか?」
「あぁ。もちろん六花も行くことになる」
「承知しておりますご当主」
 もちろん薫には、その連絡会というのも総会というのも訳がわからない。
「俺も行こうとしてたので都合がいい」
「そうか。そりゃ助かる」
当たり前のように話をすすめる彼らに口を挟めるような度胸はなく、しかたなく六花に「連絡会ってなんですか?」と質問してみた。
「えーと、簡単に言えば世界の魔術師の集まりです。魔術を知らない人から見ればビックリ人間ショーみたいなもんでしょうね」
「それに、敷島さんと静さんが?」
「ご当主は協会内での発言力が強い方でして、何もない限り努めて出席してるんですよ」
「それ、どこでやるんですか?」
「うーん、まぁヴェネツィアの近く、くらいですかね」
「ヴェネツィアっていったら」
「えぇ。イタリアです」
「いいなーイタリア。私も行きたい」
その無邪気な願望に「残念ですが、これは遊びではないので」と応じたのも六花であった。

 なんだかんだで、皐月と千華組のイタリア行きが決まった。中村春醐魔導師は「イタリアは言葉と常識が通じないから嫌だ」ということで不参加らしい。言葉の壁については魔術師が扱う「音霊」で何とでもなるのだが、春醐は外国語は英語さえわかりゃ良いという考えから使っていない。実に勿体無いと皐月も静魔導師も口を揃える。
「私も行きたかったな。えーと、総会だっけ?」
「総会。あんなとこ行ってもつまらんぞ?」
組専属の料理人がつくる京料理を味わった後、彼らは充てがわれた客間で休むはずだったが、何故か薫は皐月の部屋にいる。
「ヴェネツィアに近いっていっても行く時間ないし、協会本部は古いし。それだけのために飛行機代出すのも勿体無いくらいだ」
「そんなに言う!?」
「言うとも」
 彼がこんなにもボロクソ言っているが、表情は決して嫌な顔をしていない。
「なんか嬉しそうだね皐月」
「そうかな」
「そうだよ」
 確かに、楽しみはあった。

 静魔導師に薫を紹介して陣について報告するという当初の目的を達したので早々に帰ることにする。
 京都の朝は思いの外涼しく、昼の暑さは何なのかといったものだ。
「なんだ、もう帰るのか」
「はい。北海道での仕事もありますから」
「ったく、お前は本当に忙しい奴だな」
どんな仕事をしているのか、薫は知らない。
「まぁいいさ。次会うのは総会かな」
「そうなりますね」
「薫さんは暫く会えんな。残念だ。また来な、ここはいつでも門扉を大きく開いてるから遠慮することはないよ」
「ありがとうございます静さん」
 千華組の若衆に見送られながら、関空へと向かっていった。もちろん、六花も同行した。

「あまり言いたくはありませんが」と言って、六花は慎重に切り出した。
「またあの話かい?」
「ええ。ことは軽いものではありませんから」
「残念ながら、ご当主と結婚するつもりは無いんですよ」
「くぁぁ、これは参った。ご当主と親交のある方はあなたくらいしか居ないんですよ」
「静さんの男っ気の無さも困ったもんだ。六花さんも気が休まらんでしょうよ」
「だから、あなたにお願いしてるんです」
 薫にもだいたい察しがついた。
 要は静魔導師と皐月が結婚と相成れば万々歳といった話なのだろう。
「もっとほかに良い人いるでしょ。中村とか」
「中村魔導師はダメです。魔導師ですから」
「あーもー、家柄とか気にしてたら絶対、絶対に静さんは婚期を逃す。断言しよう。薫に占わせるまでも無い!」
「横からすいません、私の占いでは、静さん、近いうちに良い方と良い感じになるっぽいですよ」
 この占い結果は、二人の目をこれでもかと見開かせた。その眼には「嘘だろ無理だそんなはずがない」と書かれている。
「ハズレだな」
「ハズレですね」
二人の意見は一致した。
「ええ!私の占いは九割九厘当たってるよ!」
「残りの1厘はハズレだろ?」
「うっ……」
その通りである。
「面倒くせぇ、いっそ六花さん結婚してやりな?」
「冗談キツイですよ。あの女性は、私みたいな男よりも良い男性と結婚なさるべきです」
「あれー?六花さんも良い男なんでないの?」
薫はその言葉に反応してしまった。
「そんなわけないです。さて、もうすぐ空港に着きますんで、支度なさってください」
 なるほど、魔導家において後継は大切な問題なのだ。静魔導師も若いと言っても、もう若いと言い切れなくなる年齢も近づいている。正面きってそのことを静魔導師の前で言い放ったならば普段の美貌にこの世ならざる悪魔でも宿したかのような眼で見殺されるだろうから、誰一人として結婚話を本人の前で言わないというのが、千華組の暗黙の了解だ。

「そんじゃ、六花さん。どーも送ってもらってすんません」
「いえいえ、お気をつけて」
 来た時と同じように黒塗りの車は去っていった。

「ふー、んじゃ、北海道に帰るとしますか」
「北海道寒いんでしょ?」
「そりゃ、まだゴールデンウィークだもん。雪の一つや二つ残ってるだろうさ」
「うわーやだー」

KIX→CTS

 五月の下旬、北海道の道端には、土筆やら蕗の薹が顔を出している。もちろん市街地に生えているようなものは犬でも食わない。排ガスで真っ黒になるからだ。なので蕗の薹やらの山菜が食べたいのなら、山に入って採るしかない。
 というわけで、支笏湖の森には、山菜オヤジがうようよ居るわけだ。
 そんな山菜採りに訪れる人々の路駐された車にうんざりしながら、皐月は樽前山を望む国道を走っていた。目的は山菜採りなんかではなく、件の陣の調査だ。
 イタリアでの国際魔術師連絡会が開催される七月までに、ある程度まとまった調査を完了させなければならない。身軽で暇な大学生だからこそできる調査だ。報告次第では連絡会から協力金も支払われるので割のいいバイトでもある。
 実際、彼は探偵に向いている。洞察力、観察力に長けている彼は、多種多様な調査を依頼され、それを見事に成功させている。重要な情報や優れた理論を示した者に連絡会が贈る「#偵察の魔術師__ペガサス・マギア__#」の称号を中村春瑚魔導師が保有しているのも、もとは皐月が連絡会の総会で示すはずだった情報を、所用で出席できなかった彼の代理を務めた春瑚が読み上げて授与されたものだ。
 皐月は、なまじ顔が広い故に依頼が多い。
 山のような依頼のなか、最優先するのが千華組からの依頼だ。「支笏湖の陣について何か調べてきて」という軽い感じで静魔導師は言ってきた。
 魔術封じの陣の近くだ。魔術師たる皐月は頭痛に襲われるわ眩暈はするわで生きた心地がしない。しかも、もとの設置場所から逸れてどこにいっているかわからないのだから疲労は半端ではない。
 皐月は気にするなと言ってはいるが、根が真面目な春瑚は、皐月が手にするはずだった称号のせめてもの償いとして積極的に協力してくれている。この件に関しての情報は全て皐月に流してくれると約束してくれた。
 皐月ほどの実力があれば、この程度の調査は半日かからず終わるものだが、場所がわからないのでふらふらと彷徨うことになった。山歩きには向かない服装できてしまったことを後悔した。既に日は高く、時計の針は午後1時を指している。のんびりしている暇はない。もとより、のんびりなどしていない皐月だが、夜の山の怖さは道産子ならば小学生には教え込まれる。何せ通学路に熊が出るのだ。当たり前といえば当たり前だ。

「こんにちは」
 急に呼び止められた皐月は、ほんの数秒声の主を探す羽目になった。自分の右後方に声の主と思われる男を見つけたのは、約3秒後のことだった。
 男の「山菜採りで?」という問いに「ああ、いや、まあそんなところかね」曖昧に返しておいた。さすがに自分の本当の目的を一般人に教えるわけにはいかないという判断からだ。男も「そうですか」と、皐月の全く山歩きに向かない服装を質そうとはしなかった。
「何か、採れてます?」
「もちろん。いやしかし、変なものがありましてね」
「変なもの?」
「そう。ほら、この……赤いような」
 男が指さした先に、陣があった。
「赤い……?いや、俺にはわからんが」
「そうですか?ほら……」
 皐月は強化魔術の心得がある。男の腕程度は一度掴めば万力のごとき力でもって決して動かさず、放さない。今回も例外なく、陣に触れようとした男の腕を、乱暴にこちら側に引きつけた。その行動は、自分は陣が見えていると言っていることと同義であった。
「……見えてるじゃないですか」
 男の目つきが変わり、皐月はその殺気を感じ取り、すかさず手を離して後退する。
「あんたッ!魔術師かよ!」
「さてどうだかね!」
 皐月は腕から指の先までピンと伸ばし、男に狙い澄ます。すぐさまその先から魔弾を3連射。腹を狙って殺すわけにもいかないので脚を狙う。当然あたるわけがない。当たらないことを承知でまた、今度は股関節を狙って撃ちすえる。脚よりは的が大きくなったが、彼も陣が見えている、即ち魔術師だ。回避しようなど造作もない。
 その魔術師のような男の手には、どこから出したか短機関銃があった。
(スコーピオン!?)
 Vz61スコーピオン。約27cmという小さい機関銃ながら、一分間に750発という発射速度で7.65mm弾を吐き出す銃は、まさに皐月を見据えている。そのような短機関銃の名前を思い出すよりも、まずは回避行動をとるべきだった。無慈悲に放たれる7.65mm弾は、皐月の左肩を掠めいった。切り傷に火傷の痛みが重なる銃創の痛みは、すでに京都の千華組で経験済みだ。だがいかに経験済みとは言え、痛いものは痛い。激痛だ。
「ちッ!」
 動きは速いとは言い難い。しかし木が射線に入り邪魔をする。魔弾に木をブチ抜く威力はない。それは7.65mm弾も同じことだが速射性能が違いすぎる。間弾なく降り注ぐ拳銃弾を防御魔術で防ぎながら、後退するしかなかった。

「中村!聞こえるかッ!?」
『聞こえている、どうした?」
 たまらず皐月は中村魔導師に救援を依頼していた。この場合、京都の静魔導師よりも、札幌の春醐の方が救援に来てくれるなら近くて良いという判断からだ。
『陣を見つけた!それと、何かわからんが、陣を弄くろうとしてた男も」
『そりゃ大手柄だ。ペガサスの称号は堅いな』
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃねぇんだ!頼む、助けてくれ」
『あーあー、そんなこったろうと思ってたよ。お前から電話かけてくるなんて尋常じゃないもんな』
「いいから早よ!疾く!」
『わーったわーった』
 電話越しにも、春醐が準備している音が聞こえる。じき来るはずだ。
「それと!いまその男と交戦中だ!」
『はぁっ!?』
「どエライことに、やっこさん実弾銃で武装してやがる!」
『いいだろう!あいわかった!とびきり戦闘向きの使い魔を送ってやる!三分だ、三分辛抱してろ!』

 皐月は、男を見失わないように魔弾を撃ち続け、7.65mm弾を避け続ける。奴の弾は無限かと思うほどによく撃つものだ。
 実際、彼の弾は無限にあった。撃った弾を複製して、また撃つ。リロードするのは#弾倉__マガジン__#が魔術に耐えられなかったときだけ。三分は長い。
「くそー、普段カップ麺を食わんから三分の感覚がわからんな……」
 彼が後に即席麺をよく食べるようになったのは、この件と関係があるとか無いとか。
 それでもなお、永遠とも思える三分を、自身を守ることにのみ費やした。反撃のタイミングは男がリロードするその一瞬に賭けた。
 まさにその一瞬が来た。銃撃は止み、男はスコーピオンから弾が満載された弾倉が落ちる。男はすかさす新しい弾倉を手に持つ。その手に照準を定めた皐月は、魔弾でそれを弾きとばす。強化された脚は尋常ではない跳躍を可能にし、皐月を男の目の前まで飛ばして見せた。
「よう、捕まえたぜ。あんた陣が見えてたな?何者だよあんた」
「ただの山菜採りに来たオヤジ、と言っても信じてもらえないでしょうな」
「ハッ!まだオヤジってほど歳とってもねぇだろうよ!」
 男は珍しく、皐月の目つきの悪さに怯むことはなかった。
「私は魔術を壊滅させましょう、って団体の支持者でね、呼びかけ人の言った通り、ここに何かわからんが魔法陣みたいなものがあったから壊そうと思ったのさ」
「おいおいおい、そんなことしてたら身体がヤバいぞ?魔術なんて一般人には毒以外のなんでもない」
「毒は消毒ってね」
「そもそも、魔術なんてキテレツなもの信じてるのかい、あんたは!」
「信じざるを得んのさ!経験があるからね」
 その経験とは皐月の魔弾のことか、それとも他の何かなのかは判ずることはできなかった。遠くから羽音が近づいてきたのを感じ取った皐月は、男から瞬時に飛びのいた。
 蜂の群れ。春醐の差し向けた使い魔。これには男も動揺したのか、直ぐには動けなかった。蜂の群れが通過した後には、もう男の姿はなかった。

「なんだか知らんが、あれも魔術師だな」
 現地に来た春醐は銃撃の痕を呆然と眺めていた。あり得ない量の弾丸があたりに撒き散らされた惨状のなか、陣を破壊せんとした魔術師について詳細をさらに噛み砕いて伝える皐月を見た春醐の感想だ。
 春醐は遅れてやってきた。陽はとっくに沈んでいる。
「というわけで、やつらはどこぞの団体だ。それが陣を壊そうってんだから、これは連絡会に対する宣戦布告だろうな」
「おいおい、とんでもない考えの馬鹿がいたもんだ。自ら魔術を無くそうなんぞまともか思慮のある人間のすることじゃねえぞ」
「大量の蜂をぶつけてくるやつに言われたかないと思うね」
 もはや辺りは黒洞々たる夜の闇が覆っている。冬眠から覚めてすぐの熊が闊歩している暗い夜の山に長居することは死を意味すると理解している北海道民の二人は、早々に舗装された道路まで出た。
 夜中の国道を走り、家に着いた頃には頭の中では疲れ以外の思考はなかった。

 顔を洗おうと鏡の前に立った皐月は驚愕した。
 昨日の戦闘から車に乗って帰ってきたのは日付が変わるか変わらないかの頃。ベッドに倒れこんだ皐月はそのままゲームをして、寝落ちした。
 そして朝起きて鏡の前に立って驚愕した。
 顔のいたるとこにに擦り傷切り傷が出来ている。肩の銃創も思ったよりひどかったようだ。たしかに少しばかりヒリヒリするような気もする。
 久しぶりに魔術を全開に使ったせいか全身がだるい。しかし講義に出なければいけない。決して講義を面倒くさがるような皐月ではないが、今日に限っては心底面倒くさい。
 そう言えば、中村は昨日何を言おうとしていたのか、と考えながら、徒歩五分の地下鉄駅へ向かった。

「皐月どしたの、その顔」
 大学の講義に出ると、目敏く薫が傷に気づいた。
「あー、いや少しドンパチやらかしてさ」
「え、大丈夫なの?」
「身体がだるいの何の。もうサボっちまおうかと思ったわ」
「でも来るんだね。真面目かよ」
「今日は菅さんの授業だから。あの人のは逃したくない。これが鉢村だったら休んでたね」
 菅 勝比古。学生から「菅さん」と呼ばれ親しまれる現代社会科の講師。例え話が上手くユーモアに溢れた講師で、皐月は相手を説き伏せる話術、薫は占いの依頼者への話し方を参考にしている。
「わかる。聞いてられないもんね。鉢村のときは別の勉強してるよ」
「偉いな、あんた」
 皐月は素直に感心した。溜まりに溜まった仕事依頼を消化しているだけの彼から見ると、薫は勉強熱心としか映らなかった。実際、薫は勉学は熱心だ。占いに関しては全く勉強していないが。
「そのあたり感心するよ、俺は」
「いや、皐月も#大学__ここ__#に入れたんだから頭はいいっしょ?」
「一般教養はそれなりに。高校時代も数学と体育以外は全部5だった」
「体育苦手なの?意外」
「そりゃ魔術使えないもん。俺の素体は体力すらない萌やしなの」
「自虐が過ぎる」
 この顔色の悪さを見れば、誰でも今の皐月が体力を使い果たしたのだと思うだろう。しかし彼が消耗しているのは体力ではなく魔力。普段の皐月ならば体力がなくても魔力で動かしてしまうから何の問題もない。

「でもさ、無理しないほうがいいよ。魔術がどうとか、私みたいな占師がわかる話じゃないんだろうけど、身体がブッ壊れたら何の意味もないよ」
「そうさな……それでも、やらにゃならんのよ。俺は魔術って奇天烈な趣味と、その趣味で幾らかの金が貰えるからやってるんだ。誰かに言われたからじゃない。
 俺だって魔術なんてどうだっていい。このまま大学出て、就職して、結婚するかはどうでもいいから、とりあえず毎日メシ喰えればそれでいい。それの序でに、魔術があれば万々歳って感じだからな……」
 薫の言葉に、皐月はそう言うしかなかった。そう言った意味では、皐月は不器用にしか生きられなかった。
「ま、辛気臭い話はもういいや。もうすぐ講義始まるから行こうか」
「あぁ、そうだな、行くか」
 菅さんの小粋で珍妙な講義を聞きに行った。

 黒いシャツ、黒いジャケット、黒いパンツ、目つきの悪い顔。どこを見てもいつもの皐月だ。喪服のような色合いのファッションは、これからヨーロッパはイタリアに行こうとする格好ではない。
 国際魔術師連絡会の総会が、4日後に迫っている。皐月はこれに出席する。同じく出席する予定の静魔導師は一足はやく現地に到着して、連絡会の上位会員、五侯正役員と何かしらの協議をしている筈だ。静魔導師は五侯正会員の序列では上から二番目にあたる。
 #戦神__ワルキューレ__#の称号を持ち、かなりの権限が与えられている。平安時代から続く魔導の家柄がこの地位を約束させた。
 勿論、魔術師になって五年程度の皐月が大層な称号を持っている筈もない。正会員の資格を持っているだけで十分といえた。

 登場手続きは何度やっても慣れないものだ。シートを見つけるまでが登場手続きという格言通り、座るまで気をぬくことはできなかった。
 魔術師と言っても、瞬間移動のような、ある種チートじみた都合の良い術など知らないのである。神のような存在が「お前ら魔術師は十分に便利な思いしてるんだから、移動くらい自分の足で歩け」と言ってるのだと思って我慢している。
 今回行くのは異国の地。異国の地には時差ボケという非常に恐ろしい化け物が付いてくるので、皐月も機内では大人しく寝て過ごした。

 ヨーロッパ、イタリアはヴェネツィア空港に降り立った皐月は、疲労の極みにあった。このままホテルに直行して眠りこけたいという気持ちはあれど、遊びに来たわけではないと気を取り直すのに時間はかからなかった。
 とりあえず、ヴェネツィアまでの7キロを移動しなければ何も始まらない。千華組の若衆が迎えに来てくれた京都とは大違いだ。
 人酔い、というものがある。世界でも有数の観光地であるヴェネツィアの空港でキャリーケース片手に歩き回る人を見続ければ酔いもする。まして人混みに慣れていない皐月ともなれば相当になる。すぐに目を回した皐月は、空港内のカフェで休んでから、連絡会本部に向かうことにした。

 今回のヴェネツィアは連絡会出席のためだけに来たのではない。とある人と会うのも目的の一つにしている。連絡会の本部に行けばすぐにでも会えるだろうから急ぎこそしないが、普段に輪をかけて早足になる。ヴェネツィアも三回目となれば、観光気分は薄くなる。彼ら魔術師ならば、どうして水没するような街に来なけりゃならんのだといった感想しかないわけだ。皐月が薫を連れて来たくなかった理由がそれである。

 ちなみに、連絡会の本部というものはこの世には無い。決して現世にはなく、しかしあの世でもない。いってしまえば異世界のようなものだ。連絡会初代会長たるカローラ・ヴェルデ魔術師が異世界に続く穴を見つけてしまったことが由来となった。どこで見つけてしまったかといえば、かのサンマルコ大聖堂である。いや、開いていたところに建った聖堂に魔術処置を施した、と言った方が正しい。
 かのカローラ魔術師の伝承として、サンマルコ大聖堂で穴を見つけ、そこを改築と称して新たに魔術で編んだ小部屋を作り、穴を抜けた先の異世界に僅か3日で魔術師の拠点を創り上げてしまったというものがある。当時の魔術師達はこの部屋を秘匿して来たが、聖堂が観光地となると秘匿が困難になってきたので「秘匿とかできそうもないし面倒だから、それならいっそ連絡会に加盟している魔術師は教会関係者として扱ってしまえ」という考えのもと、関係者パスを渡して、加盟魔術師ならばいつでも入館できるようにしてしまったのが、戦後に会長職に就いた先々代の#連絡会会長__カローラ__#。魔術師にとってはありがたい改革ではあったが、当然本物の教会関係者からは歓迎されなかった。
「でも、あの連中が来てから、なにかと金を落としていってくれるから、まあ我慢してやるか」というのが関係者の諦めである。

 そんなサンマルコ大聖堂の前に、皐月が立った。午後2時。それなりに人が多く、見ただけでは誰が魔術師か一般人か判別がつかない。それほどに現代の魔術師とは世間に溶け込んでいる。外見的には。
 それでも、「サツキさーん」という待ち人の呼び声だけは聞き違えない。
「お久しぶりです~!」
「よお、シーシェ、久しぶり」
 待ち人--皐月の婚約者、シーシェ・ヘーデルヴァーリが、そこにいた。

 シーシェ・へーデルヴァーリは、皐月と同じく、何かのきっかけで魔術師になってしまった類の術師だ。当然、親と姉は魔術師ではない。何がきっかけかは本人もわからないようで「とりあえず、魔術がきっかけでサツキさんに会えたから良し」と考えている。

 皐月とシーシェの出会いは、こんなものであった。
 皐月が19歳のときだ。そのときも、このサンマルコ大聖堂の一室から連絡会本部に入っていた。本部とは魔術師しかいない場所だ。一般人から見れば相当奇異な人種が集まっていると映るだろう。しかし皐月は何の不思議もなくただ歩いていた。
 二度目の本部は勝手が全く同じで、何の変わりもない。これなら静魔導師に説明を受けつつ歩いた最初の方が幾分かマシとか詮無いことを考えていると、どうにも右も左も分からない少し昔の自分を見ているような、そんな挙動不審な危なっかしい一人の少女がいた。
 皐月も、それなりに紳士である。困っているような素振りを見せる少女を放っては置かなかった。「大丈夫かい?」と日本語で声をかけてみる。途端に少女はこちらを向いたが、次の刹那には少女の顔が恐怖か何かで引きつった。
「目つきが悪いことは自覚していたが、初対面であんな顔をされたらさすがに凹んだ」と彼は後に語った。
 冷静になって考えれば、確かに異国の地で日本語がそう通じるわけでもないと考え直し、現地語での意思疎通を試みた。
「#Che cosa succede?__どうした__#」
 するとなにやら泣き出しそうな目で見つめてくるではないか。
「えっと……何もかもわからなくて。場所だけはわかったけど、みんな何話してるかわからないし」
 ここで皐月は一つの疑問を抱いた。彼女は日本語で“音霊”と呼ばれる精霊を使役していないのか、と。訊いてみると、その存在自体を知らないと言うのだ。
「うーん、ここで“音霊”を使わないで歩くのは無理があるね。通訳くらいなら承るけど」
「是非!お願いします!」
 皐月は大学の第三国語でイタリア語を選択しておいて良かったと、そのとき心から思ったという。
「“音霊”ってのは、バベルの塔建設以前から姿と有り様が変わらない世界語を司る精霊で、どんな言語の意味もわかるって、それは便利なものなんだよね。これないと魔術師の世界では生きていけないって俺の師匠からの教え」
「なるほど……その“音霊”?の使役の仕方、良ければ教えてくれますか?」
「もちろん。じゃ、材料だの揃えにゃならんから、総会が終わったら揃えにいこう。場所くらいは提供するよ」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
 ここまで、すべて#現地__イタリア__#語での会話だ。

 総会にも、形式的な慣習がある。それらを全て静魔導師から教わった皐月は、静魔導師が欠席している今回も周りに恥じぬ程度に遂行した。当然の如く、シーシェに対してもそれらを逐一教えていく。たった30分前に出会ったばかりの二人は、端から見ればペアのようにも師弟のようにも見えた。
「これから、連絡会の五卿が登場される」
「五卿?」
「うん。平たく言えば、連絡会の会長と、それを補佐したりする役員」
 皐月は議長席の方に目をやり、説明していった。
「向かって右端が#大角笛__ギャラルホルン__#。その横が#戦女神__ワルキューレ__#で、正面が会長たる#花冠__カローラ__#の席。その隣が#獅子__レオン__#ときて、左端が#薔薇騎士__ローズ__#とくる。まぁ、覚えなくてもいいけどさ」
「頭パンクしそうです……」
「その五卿らが登場するときは起立して迎えるって慣例があってね」
 言い終えるかどうかのタイミングで、五卿到着の報が飛び込んだ。
「シーシェ、起立して」
「へっ?えっ?」
「立って」
 魔術師が一斉に起立する。正面の大扉が開くと、五つの人影が総会の会場となる大講堂に入ってくる。
 その様は、荘厳である。
 その様は、異様である。
 特異な力を持つ者の手が、その特異な力によって輝きを放ち、そして一斉に大講堂を照らす。

「--よろしい。第18代#会長__カローラ__#、イリアス・ヴェルデが開会を宣言する」

 右も左も分からない新米魔術師、シーシェ・ヘーデルヴァーリの初めての連絡会総会が始まった。
 術師がかざした右手が、魔術によって光をはなつ。術師たる証を見せる。これを見れば、この大講堂には魔術師しかいないことが良く分かる。
「いいよ座って。開会宣言終わったし」
 皐月が親切にも教えてやる。シーシェも言われた通りにする。
「あとは、まぁ適当に座ってれば終わるよ」
「何かするんですか?」
「何もないわ、今回。ただ称号の受勲者の発表だけだわ」
「え、そんなものなんですか?」
「そんなものだよ。新しい魔術が見つかっただのってことはないし。そんなものは発見者は秘匿して当たり前の情報だからね。開示するわけがない」
「へー……なんかこう、そんなものなんですね」
「現代科学と比べれば、魔術なんてもんは不便極まりないからね。魔導家の連中でもなけりゃ熱心に研究なんてしないさ。魔導師でさえも研究しない時代だし」
 シーシェは、がっかりしたような表情で総会を終えた。

「さーて、“音霊”の使役で一番面倒なのは材料の調達だね」
「何が必要なんですか?」
 総会もそこそこに終わり、皐月は久しぶりに魔術師らしい仕事をしようとしていた。
「まずは精製水。それから各種ハーブと鉱物。それ以外はシーシェ、あんたのもので出来上がる」
「え?」
「血だよ。使役者の血。やつらは使役するやつの血の匂いを覚えて行ったり来たりする。使役者本人の血でなけりゃ意味ないのさ」
「へー……」
 血を抜かれると思ったシーシェは顔を青ざめさせた。
「あとハーブとかは、俺の知り合いが持ってるから売ってもらう。顔が広いってのはこんなときに役立つね」
「知り合い多いんですね」
「まぁ、それなりに。顔が広いってのも、良いことばかりじゃないからね」
 初めて魔術師の世界に入って孤独を感じていたシーシェは皐月を羨ましく思った。少なくとも、知り合いが多いということは心強いと思ってしまった。
 実際、他の魔術師相手にハーブやらを買いとる算段を整えている皐月はどこか楽しそうでもあった。
「人好きなんですか?」
「人は好きだね。集団というか、人混みは嫌いだけど」
「それじゃ、ここなんて地獄みたいなもんですよね」
 それには皐月も苦笑した。
「いや、そんなことはないよ。変人奇人を相手にするのは疲れるけど楽しいからね」
 変人奇人の代表のような目つきの悪い男がそう言った。

 フラスコだのビーカーといった器具の類は皐月が貸した。器具だけ見れば錬金術に見えるが、大別すると降霊魔術にあたる。
「うん。いい具合に沸いたね」
 ビーカーの水が沸いたのを見計らい、シーシェにハーブと鉱石をいれるように言う。
「これでいいですか?」
「そうだね。あとは水が光を帯びたら、血を垂らしてやれば使役できるよ」
「この光が“音霊”?」
「の、卵みたいなもんさね」
 本当に光ってきた。この光は魔術師にしか見えないという異形のそれであり、これを見ることができれば逆説的に魔術師となる。後に薫もこれに似た方法で魔術師だと裏付けた。
「じゃ、血いれて」
 光を放つ水にシーシェの血を垂らす。たちまち光はシーシェの耳元まで飛んでくる。
「え、これが“音霊”?」
「そうだね。これでどんな言葉も理解できるはずだよ」
「ありがとうございます!」
「あ、意味わかったみたいだね。いま日本語で喋ってたけど」
「え、うそ」
「それが“音霊”のおっかないところ。何語で喋ってるかわからないんだよね」
 言語での出身国の識別に難があるのだ。魔術師の社会では国籍も人種も関係ないから問題はない。
「てなわけで、これで大丈夫だろうさ。あとはまぁ、うまくやっていきな。困ったときは連絡して」
 そう言って皐月は連絡先を渡した。それはもう流れるような所作で。
「ありがとうございます。助かりました」
 それから、三度ほど皐月が連絡先に出席したときには欠かさず会い、結婚の約束を交わすことになった。
 二人の左ではなく、右薬指には、#婚約指輪__エンゲージリング__#がある。

 異世界にある一室で、五人の魔導師が顔を突きつけていた。
 連絡会五卿会議。いつもであれば「何処何処の何某に何という称号を与える」といった至極簡単な総会準備の場であるが、今回ばかりはそうではなかった。魔術陣の破壊、及び移動という大事件を協議しなければならないからだ。
 事の発端は#戦女神__ワルキューレ__#たる千華静魔導師が発表した陣に関する諸々の問題である。彼女の降霊魔術に支障が出るほどに魔力が滞っており、その原因を突き詰めた結果、陣の破壊が発見されたというものだ。
 彼女は組の者や皐月をはじめとする情報屋の手を借りながら事を調べ、今日に臨んでいる。

「これが世界各地で見つかっているわけか」
 #花冠__カローラ__#がいつも通りの神妙な顔で問いかける。
 これに答えたのは#薔薇騎士__ローズ__#のユーグ・アリフランド卿。北欧の魔導師である彼は、静魔導師からその情報を聞くと、すぐに自分が動ける範囲で魔力を調べた。するとあちこちの陣が移動していることが判明した。
「事実です#花冠__カローラ__#。私の北欧でもそれなりの数がやられていました」
「日本で確認できたのは、富士と支笏湖、あとは白神山地の三ヶ所です。狭い島国で三ヶ所は多いと見るべきでしょうな」
 紫煙を吐き出し静魔導師も付け加える。
「アメリカ大陸と、アジア大陸の状況が気になるところだな」
 ふむ、と鼻をならしてそう言ったのは#獅子__レオン__#の称号ヤオル・ド・シュワーレ卿である。彼もまた煙草を吸いつつ話に参加する一人だ。
「まぁ、全世界で広がってるわけだから、最低でも一つや二つのイレギュラーはあるだろうさ」
 情報の多さで言えば、静に敵うものなどいない。なにせ、皐月が協力しているのだから。
「私の協力者は優秀でね、訊いてみれば世界の情勢かんぞ手に取るようにわかるだろうさ」
「魔術師サツキ・イガラシか。彼は来ているんだろう?」
「もちろん。あれは今回こそペガサスの称号をとろうと意気込んで乗り込んできたんだ」
「彼が総会で有益な情報を開示したのなら、私はペガサスの称号を贈るに吝かではない」
 有益なものには、それなりの報酬を。そういったある種当たり前の感覚をこの会長は持ち合わせている。特権魔導師による上位組織の占有を廃止したのも彼であり、そのお陰で五卿会議に入れたのが#大角笛__ギャルホルン__#の称号を持つジーン・ロック卿だ。
「魔術に対する危機管理を担当する卿の意見は?」
「この状況が長引けば、影響を受けるのは魔術師だけではありますまい」
 ジーン卿は至極真っ当な返しをする。
「魔術というのは、言ってしまえば異形の術だ。これが自然に溶け込むのは無理がある」
「はたしてそうだろうか?」
 ヤオル卿がなにやら不満そうな顔で言った。
「魔術というのは、有史以前からあるもの。それが自然に溶け込むことができないのであれば、とっくに世界は荒廃しているはずだ」
 ヤオルは滔々と言葉を続けた。
「しかし今、この世界は全くの無傷だ。そこまで世界に対する影響は認められない」
「ヤオル卿よ、今は世界への影響云々の話ではない。陣の話をしているのだ。これは連絡会に対する挑戦であり、魔術に対する冒涜だ。断じて許されるものではない。だからこそ、この魔術師が集まるこの場で議論せねばならんのだ」
 どこまでも冷静な会長がヤオルを制止する。
「論点が逸れたな。話を戻そう。
 陣が破壊されたことは今までにない。もし世界の陣が壊されれば、どのような影響がでるか分かったものではない。世界か、あるいは術師か、またはそのどちらにも影響が出る可能性がある。ことは大事だ。今回の総会において、この一連の事の調査を全ての術師に依頼し、速やかな情報提供を呼びかける」
 会長の判断はすばやかった。

「まぁ、そう気を落とされるな、ヤオル卿」
 五卿会議終了後、静はヤオルのもとを訪れた、
「卿の言い分はわかる。しかし会長の言った通り、前例のない事案だ。慎重に事を運ぶことは大事だ」
「うむ……確かにそうではあるが」
「それよりも、ご子息にお子が産まれたとか。謹んでお祝い申し上げる」
「いや、これは組長、痛み入る」
 静は五卿会議のメンバーや、それ以外からも「組長」と呼ばれる。理由は言うまでもあるまい。
「安心召されよ。お孫に影響が出ぬように、我々が対処したら良いのだ。ヤオル卿、くれぐれも、な」
 静は煙を漂わせながら、ヤオルを置いて部屋を後にした。

 総会がはじまる。

 外はあいにくの雨模様である。
 異世界は、その限りではない。
 異世界にホテルが建った、というのは連絡会ですこしばかり話題になった。内装もそれなりの部屋が必要に応じて増えたり減ったりというのだから魔術の粋を集めたものであることが良く分かる。
 皐月が目を覚ましたのは、そのホテルの一室である。隣には、シーシェが寝ている。
「……」
 昨夜のことはしっかりと覚えている。
 別に何をやらかした訳でもない。ただ消耗した“音霊”の回復法を教えていただけで、決してやましいことはどしてはいない。いや、婚約しているわけだし、やましいも何もあったものではないが。
「……まだ時間あるな……」
 11時の総会の開会まではあと2時間ある。この異世界ホテルのレストランに行くのも面倒だ。昨夜の術師親睦会で大量に飲み食いしていたから胸焼けを起こしかけている。これから総会で発表する者として、これ以上ない悪条件だ。
 シーシェは依然起きる気配がない。
「あ、おはようございます、静さん」
 とりあえず静に電話することにした。客室備え付けの電話--というか魔術を使った電話のようなものは、すべての客室に繋がっている。事前に教えてもらった静の部屋に電話をかけると、すぐに出たのである。
『よう皐月。おはようさん』
 声は寝ぼけている。術師の朝は遅いらしい。
「遅くまで五卿会議ですか?」
『いや、会議自体はそう長くはなかったよ。でも事が事だからね。議論は複雑を極めてひどい有様さね。好きでやってるわけでもないし、気が滅入るなぁ』
「そう腐らんでください。俺も好きでここ来てるわけでないし」
『お前ひどい奴だな。隣に彼女いるってのにそんなこと平気で言うなんて』
「そりゃ、そうですよ。こんな異世界じゃなくて、もっとこう、いいところに泊まりたかったですよ。ヴェネツィアだってのに」
『いいじゃないか、特別料金だ。ヴェネツィアのホテルよりもどれだけ安いか』
「まぁ、そこは感謝してますけどね」
『わかったら贅沢言わずに有難く泊まっとけ。じゃ、また総会でな』
 後ろで六花の声がした。なにやら慌ただしくなってきたようで、放るように静は電話をきった。

 結局、シーシェは総会開始のギリギリまで起きることはなかった。皐月が幾度か揺り起こしてもすぐに寝てしまう。仕方なく皐月が抱き上げて総会の会場まで運んでやった。皐月はこれほど気が休まらない総会は初めてだった。
「にゃーん……?え、なにここ」
「おはようシーシェ。もう総会はじまるよ」
「へっ!?うそ!なんで」
「あれだけ揺さぶって起きなかったんだ。死んだかと思ったよ」
「うえ~……そこまで寝起き悪くないのに」
「ま、あと少しで始まるから、それまでにしゃきっとしとけ、しゃきっと」
 既に会場は九割方が埋まっている。
 あとは、会長はじめ五卿を待つのみ。

マケドニア

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  • 小説
  • 短編
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更新日
登録日
2016-03-18

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