農園の文学士

農園の文学士

物語作家七夕ハル『紙は死んだ!』

 収穫の秋とはよくいったものだ。田園地帯一体見渡す限り、オレンジ色で覆い尽くされている。光の加減によって、くすんだ黄色に見えることもあるが、晴れた日などは壮観である。そして、今日は晴れだった。ただ、いつもと違う点もある。わずかばかりに動く影があったのだ。この物語の主人公丹波陽雲(たんばやくも)だ。丹波は日焼けした顔に涙黒子を湛えて、静かに空を見上げた。雲はわずかばかりに動いているようだが、丹波が見上げる時間はほんの数秒。汗が滴り、雲の動きを感じるのを邪魔することに丹波は苛立っていた。
「おーい。丹波さん。そろそろ休憩にしようか」
 ぽつんと小高い丘の向こうから一人の人間が声を出しながら、歩いてきた。人の良さそうな表情が田舎の人情を思わせる。丹波は男を見ると、ペコリと頭を下げた。丹波は日焼け止めを取り出して、小屋まで歩いて行く。男もそれに付いていく。この広い果樹園に休める場所はそこしかない。季節は夏の盛りではなかったが、まだまだ太陽の陽射しはきつかった。
 小屋といっても、吹き抜けの簡単な造りだった。4本の檜柱が周りを支えている構造だ。そこに同材でできたベンチが2つある。その内の一つに腰掛けると、丹波はウェストポーチから文庫文を出した。後から付いてきた男は光の雨からようやく逃れられるのが嬉しいらしく、柔和な笑顔を見せながら、麦わら帽子を脱いだ。
 男はこの果樹園の持ち主大矢雷蔵という。もう今年で70歳になる。そろそろ誰かに、この果樹園を継がせたいと思っていたが、二人いる息子はまったく興味がなく、半ば諦めている。
 それならば、と東京のハローワークに求人を出したのが、3ヶ月前だった。住み込みで働いてくれる50歳までの人物。正直大矢雷蔵は古い人間らしく、女性に広い土地を切り盛りするのは無理だと思った。だから、もし女性が応募してくれば、断ろうと思っていた。ただ、その必要はなかった。丹波陽雲が、応募してくれたのだ。ちょうど、勤めていた建設会社が倒産したとかで、やって来た若者を大矢雷蔵は好ましく眺めた。丹波はたくましい体の持ち主だった。そして黙々とよく働いた。物覚えは良い方ではない。だが、根気強く教えれば、必ず覚えてくれた。自分の今まで培ってきた知識をこの若者に何でも教えてやるつもりだった。
 ただ、大矢にとって気がかりもあった。この若者はやたらに、本が好きらしく、仕事が休みの日には必ず大矢のトラックを借りて、町の本屋に行くのだ。それが仕事に関する本なら大矢も文句はない。むしろ歓迎しただろう。ただ、丹波は小説を好むらしかった。今日も日陰で一人本を読み始めた。いずれ全ての仕事を継いでもらうならば、臨時の雇い人などとも世間話の一つや二つしなければいけないというのに。だが、大矢は楽観していた。柄にもなく『必要は発明の母』という言葉を信じていたからだ。いずれ、どんな仕事であれ、やる必要があれば、きっと丹波は上手くやるだろう、と。
 ベンチに座って二人が涼んでいる。なんとはなしに大矢が声をかける。
「何を読んでいるんだい?」
 東京弁で話しかける。まだ丹波は土地の言葉を覚えていない。それでも、みんなテレビのニュースや、新聞で東京弁はよく知っている。問題はないだろう。それでも、方言の一つや二つは場を和ませるためには覚えてほしいものだと大矢は欲張っていた。
 丹波は静かに目線を大矢に向けると、ぼそぼそと言った。
「カポーティのティファニーで朝食をという本です」
「そうかい」
 大矢は若者の真っ直ぐな目を見て、驚いた。どちらかというと、仕事をしている丹波の目は世間を疑うような目つきだった。それが、本を読む時は、こんな目に……。大矢は、ふと疑念を感じた。
(俺の目は間違っていたかもしれん。もしかすると、この若者は、ここに終生いるような人間ではないのかもしれん)
 だが、大矢とて、すぐに諦める気はなかった。本を読むことが好きな人間は大概、それで食っていけるわけではないことを知っていた。ちょうど、息子がそうだったことを思い出す。
 長男の泰平はきつい目をした息子だった。大矢はとても可愛がった。本が好きで、町に行くと、決まって本屋に行って本を買ってきたものだ。ただ、雷蔵は息子が欲しがる本は何でも与えた。そんな、ある日、泰平は思いつめた顔で、「俺小説家になりたい」と告げたのだ。大矢は「そうか」と内心の動揺を隠しながら、その日は終わった。次の日から泰平は部屋にこもって学校にも行かなくなった。もう高校3年生の春だったし、大学に行かせるつもりだった雷蔵は悩んだ。ちょうど、友人の知り合いに小説家がいたので、事情を話してみた。すると、その小説家は「一度、息子さんの作品を見てみたい」と言い出した。そのことを息子に伝えると、泰平は喜んで小説家の家まで出かけていった。
 そして、夢を捨てて帰ってきた。何があったかはわからない。ただ、小説家は頼んだ通り、上手くやってくれたらしかった。裏でコソコソしたのは後ろめたかったが、結果は出た。翌週から泰平は学校に行きだし、無事大学も出た。しかし、それから、嫁をもらって東京に仕事を見つけると同時に連絡がめっきり来ない。雷蔵が東京から人を募集したのは、東京に奪われたものを返してもらうつもりもあったのかもしれない。

「丹波さん」大矢は林檎の品定めをしながら、口を開いた。同じく林檎をぼんやりと見ていた(どのように見ていたかは誰も知らない)丹波は少しずつ、林檎の栽培について覚えている最中だった。冬の剪定(せんてい)、雪よけ、春から秋にかけての農薬散布、草刈り、さらに再び冬のノネズミ対策など、やることは山ほどあった。ただ、丹波の興味は一連の作業過程にあるのではなく、林檎の病についてだった。だから、大矢は病気のことから重点的に教えようと考えていた。
「これはさび果病というんだよ」
 斑点の黒い模様が本来の赤い色を邪魔するように果実の一面に染みついている。丹波は興味深そうに大矢の差し出した林檎を見た。大矢の説明が続くが、丹波は林檎を受け取ると、観察に没頭し始めた。やがて、相手が聞いていないことを大矢が悟るまで無意味な言葉の音声は続いた。大矢は、人間というものを知っていた。無理に覚えこませようとしても、無理なのだ。相手が進んで覚えようとする時こそ精魂を込めて教えてやればいい。それが、息子たちを育てた経験から学んだことだった。丹波は、やがて見飽きたのか、大矢の手にそれを戻すと、立ち上がった。林檎を受け取った大矢は静かに、病に冒された林檎を取ると、選り分けた。大矢にとって、この選別作業が何より辛かった。大矢にとって、できた果物や野菜は皆、小さな家族のように感じていたからだ。だから、市場に出せないモノでも、食べられるならば、なるべく食べた。中には病気がひどく進行していて、無理なものもあるのだが……。大矢には林檎塚と呼ぶ、林がある。そこに、林檎や野菜を埋めるのだ。葉っぱと一緒に埋めると土壌に馴染む。野生動物に見つからないように、慎重に小高い丘の上に作った。それでも、たまに掘り返されている。埋め直すのは大変だが、食べてもらえるなら、御の字だなと思う。あれは、妻が死んだ一年後に作ったのだったな。遠い記憶を思い返して、大矢はそこに丹波を案内しようかという気になった。
「丹波さん、ちょっといいか?」
 丹波は振り向いた。その顔がどこか悲しげに見える。涙黒子が独特な作用を通じて、感情を表しているのかもしれない。丹波はいつもどおり、静かに付いてきた。人のいない林檎樹の間を抜けていくと、遠くに太陽が沈もうとしている。燃え盛る炎のような色が二人を照らす。大矢は長靴で、しっかり地面を踏みしめる。歩くことに慣れた人間の歩き方だ。一方、丹波は颯爽と歩く。最初、この歩き方を見た時、大矢は丹波がモデルでもしていたのか?と疑問に思ったが、そんな経歴は履歴書にない。それに、根っからの文学少年であったろう丹波がまさか、そんな仕事をしないだろうという考えもあった。もちろん、あり得ない事ではないのはわかっている。だが、それらは有機的に上手く大矢の頭の中では結びつかなかったのだ。とにかく二人は30分程歩いた。丹波は何も文句は言わなかった。
 ようやく林檎塚に着いた時には夕日は完全に沈もうとしていた。辺りに闇の静寂がやってこようとしていた。それとともに、夜行性の動物たちの息吹が大矢には感じられた。
「ここに、燃やした野菜などの灰を捨てるんだ。時に燃やさないモノもある。それは、自由に判断してくれ。日本は火葬が主だが、世界には土葬の国もあるようなものだよ。もちろん、君にここの全部を任せることになった時は、別の場所に移すなり自由にしてくれていい。ただ、私が管理している間はここに埋めてくれ」
 丹波は暗闇の中で肯いたように見えた。都会の若者らしくないと云えばそれまでだが、大矢は極力喋らない丹波を個人的には好きだった。その意味は友人としては、ということだった。後継者としては、少々複雑な思いで眺めているのだ。
 それから二人は農園の入り口に置いてきた白い軽トラックまで歩いた。エンジンをかけると、初めて、自然以外の何物かを感じたように大矢はビクッとした。丹波はいつものように後の荷台に座ってウェストポーチから文庫本を取り出した。ちらっと文庫本を見ると「星の王子様」とある。昔、息子に買ってやった覚えがある。だが、内容は大矢には思い出せなかった。それに、読書に熱中している彼を邪魔するのは本意ではなかった。車は田舎の林道を抜けて、少し大きな立派な国道に入り、それから、町に入った。郵便局はとっくに閉まっているらしく、中は暗くなっているのを大矢は横目で確認する。今日の飯は何にしよう。家まで、もう少しという距離になって、二人で作る夕食を思い浮かべた。思えば、大矢は丹波とは実の息子たち以上に密接に接していた。そういえば……息子たちに丹波にここを譲ることを話してなかったな。大矢はしばらく連絡を取っていない息子たちを思い出そうと努めた。若い頃の顔が出てきたが、最近会っていない息子たちの顔はどうしても、浮かばなかった。
 

農園の文学士

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物語作家七夕ハル。 略歴:地獄一丁目小学校卒業。爆裂男塾中学校卒業。シーザー高校卒業。アルハンブラ大学卒業。 受賞歴:第1億2千万回虻ちゃん文学賞準入選。第1回バルタザール物語賞大賞。 初代新世界文章協会会長。 世界を哲学する。私の世界はどれほど傷つこうとも、大樹となるだろう。ユグドラシルに似ている。黄昏に全て燃え尽くされようとも、私は進み続ける。かつての物語作家のように。私の考えは、やがて闇に至る。それでも、光は天から降ってくるだろう。 twitter:tanabataharu4 ホームページ「物語作家七夕ハル 救いの物語」 URL:http://tanabataharu.net/wp/

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-17

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