ループ
彼女と２人で校舎に肝試しに行く。俺たちは少しワルで、服装もチャラくダサかった。カーストのその辺りにいるカップルは、肝試しに行くのだ。
青が光源の夕方、廊下に並び続ける同じ形の窓は、校舎の影と外の青を混じらせ、濃紺で凹凸を見せていた。
奥側の階段を登っている。４階のどん詰まりにあるイワクツキの教室に向かっている。
彼女は俺の５、６段先を随分機嫌良く登って行く。お花畑でも歩いているみたいに、両手を少しあげて、肩を左右に振って歩く。長い髪で、制服姿。誰が見ても女子高生とわかる記号をきちんと分母に添えて、その膨大な人数分の１に自ら飛び込む勇気がある。どれだけ希釈されても大丈夫、彼女には自信というものがあるから。１／１＝１はナウくないという、否定から数えた自信。これを持って人生を突っ走るんだ。周りの景色が良く見えないように。
こうやって今日も老後語り続けられるように(老後があればの話し。1999年に人類滅亡するらしいから)、俺らの中で共感制の強い類いの遊びをする。俺らには似た仲間が大勢いる。似たようなのが沢山いるから仲間が多いんじゃない。仲間はいいものだ。だれもそれは否定しない、だからいいことだ。
俺はリーゼントが良く似合う。彼女のスカートは目立って長い。
個性的だ。その個性はカテゴライズされる。だけど、俺たちは１人１人精一杯個性を出していたし、コミュニティが小さくなればなるほどその個性はきちんと効果があった。Tシャツの絵が違うし、好きな食べ物もみんな違った。誰１人同じ奴なんかいなかった。
ハゲデブのおじさんが一人階段を下りてきた。
違和感。
用務員さん？けっこう遅くまで仕事するのかな。
生気の無いおじさんはこちらを一瞥もしないで擦れ違う。生気が無いと言っても落ち込んでいるのとは違って、ただただ無表情で、自動で階段を降りている意志の無い何か。俺は自然に避ける側になって彼をまじまじと見る。俺たちは人が来たら避けない方が強いといつも意気込んで頑張っているが、このおじさんは俺たちの競争の枠外にいる。どんなに勉強ができようが、どんなに金持ちだろうが、俺たちの気合いの入った横隊が負けることは無い。俺たちはあらゆる権力より強いのだという事実を瞬時に証明できる。確認できる。どんなに頑張っても弱い奴は強くなれない。頑張って偉くなったとかいう奴とすれ違ってギャフンと言わせてみたいけど、気付いたら俺の生活圏にいない。みんな、丸の内とか、新橋とかにいるらしい。俺はそこに用事が無い。だから偶然擦れ違った弱いオーラや鼻につくオーラをからかい威嚇する。この町にいる限り、その快楽は得られ続けることができる。
４階まで来た。階段を登って廊下を右に曲がると、他の教室より広めの教室が１つある。離れでどん詰まりになっていて他のクラスの邪魔にならないから、特別授業の時に使われたり行事で少し騒がしいことをする時に集合したりする。彼女に続いて教室に入るとそこに机は無く、棚が横倒しになってバケツや延長コード、とにかくいろいろな物が適当に転がっている。
大人の胸の高さまでのロッカーが教室の後ろにあって、そこに人がいる。ロッカーの上で何やら作業をするその人の手元を照らす照明器具の灯りでシルエットが現れ、おじさんであることがわかる。
違和感。
何で？こんな遅い時間に何をしている？この教室、現役なのか？まるで廃墟…
おじさんは待ってましたとばかりに振り向いて、当たり前の様に彼女を捕まえた。
俺はおじさんと彼女を引きはがし逃げろと叫んだ。彼女が逃げる後ろ姿を確認してから、彼女の代わりにおじさんに掴まれた左手首を剥がそうと、右手でおじさんの腕を引っ張ったり、足でおじさんを蹴ったり奮闘が続き、床に落ちていた固い物体を拾い上げ、おじさんの頭をかち割った。おじさんは膝から順番に力を失い、立ち膝の状態からゆっくり倒れる瞬間、俺は腕を振りほどいた。
走って廊下に出る。彼女の姿はとうに無い。無事逃げ出せただろうか。窓の外は真っ暗で、住宅地なのに誰の家にも灯りが付いていない。街灯が付いているところが数カ所だけあり、その光の照らす範囲以外がほとんど見えない。全速力で５歩くらいの短い廊下を走る一瞬の時間に、これだけ色々な物を見て考えた。
来る時に登った階段をそのまま下りて戻ろうと、教室の廊下から左に曲がった瞬間、そこにたった今頭をかち割られ、体中に血が垂れ流れたおじさんが立っていた。
「わあああああああああっーーーーーーーーー！」
恐怖から、腹の底から雄叫びのような悲鳴を出した。夜の校舎に異様に響き渡る。おじさんは深手を負っているのを知っている、俺が思いっきり手加減無く鈍器で頭を割ったのだ。狭い階段のど真ん中に立つ血まみれのおじさんの横を素早く走り抜ける。螺旋状になっている学校の階段をグルグルと遠心力が付くぐらい早く、振り回されないように手すりに捕まってカーブすると、そこに、今擦れ違ったばかりの血まみれのおじさんがいる。
「わあああああああああっーーーーーーーーー！」
自分でもどこから声が出ているのかわからない本能的な叫び声をあげる。今さっきすり抜けてきたのだからと、こちらも全速力ですり抜ける。階段をぐるんと回る、死角からまた血まみれのおじさんが現れる。
「わあああああああああっーーーーーーーーー！」
凝りもせず、最初と全く同じ大きさ、同じトーン、同じリアクションを繰り返す。どこか、現状と違う所にある自分の理性が、こんなに全く同じ声が出せる物だろうか？と思う。
１階の廊下にたどり着いた。そこを走ると、今度はトイレの少し凹んだ死角から血まみれののおじさんが出てきた。
「わあああああああああっーーーーーーーーー！」
全く同じ声をあげる。自分への違和感は大きくなる。おじさんが出て来るというパターンはもうわかった。何故声をあげるんだ？
振り切って逃げては、教室や柱の影から血まみれのおじさんは出て来る。その度に俺は
「わあああああああああっーーーーーーーーー！」
と、録音したかのような同じ声をあげる。死角から血まみれのおじさんは出て来る、次も次も。何故出てくるのかは今はわからない。ただ外へ出て、彼女がちゃんと逃げ切れたのか安否を確認したい。今はとにかくそれだけでいい。
教室を仕切る柱などで凹凸の多い学校の壁。長い廊下に短いスパンで力一杯雄叫びをあげ続ける。
「わあああああああああっーーーーーーーーー！」「わあああああああああっーーーーーーーーー！」「わあああああああああっーーーーーーーーー！」
肺活量いっぱいの、腹の筋肉を最大限に使った、全く同じ雄叫びを上げ続ける。
「わあああああああああっーーーーーーーーー！」「わあああああああああっーーーーーーーーー！」
どこか現状と違う所にある自分の理性が、行きに廊下で擦れ違った小太りのおじさんの事を思い出す。この校舎の中に、俺以外で小太りのおじさんに追いかけられ続けている誰かがいるのじゃないか？何も見えないけど、どこかに。俺と擦れ違う範囲で、聞こえない時空で。
外はまるで居住禁止区域。家の明かりが一つもついていない。これは何だ？校舎を出られた所で助かるのだろうか？
俺は玄関までまだ相当ある、様々な死角から現れる血まみれのおじさんに一つ一つ足を止め、
「わあああああああああっーーーーーーーーー！」
と声を出す。
俺は何で叫んでいるんだろう？
2089年3月22日
ループ
僕たちにとって、あの青春の日々は永遠です。
