春の夢、そして初夏の風

プロローグ 3月


「風子・・・
  どこにいるんだ・・・」
 高校2年もあとわずか数日で終わろうとしている。
 明は、まだ、もやもやとしてた。
 風子の彼氏だった先輩は、もう卒業してここにはいない。
 明は、すっきりと諦めていたわけではなかった。
 まだ、どこかに風子を追い求める自分がいるのを感じていた。

 「彼女の田舎っぺのようなりんごの頬にどんな魅力がある?
  幼子のような一重の童顔に、僕が恋心を抱くものか。
  小学生程度の膨らんだ胸になんの魅力があるんだ。」

 そう思いつつも、まだ、どこかに未練はあったのだろう。
 高校2年のこの冬の苦い思いを引きずるつもりはなかった。
 初めて自分から誘った恋だった。
 自分の中のわずかな勇気を振り絞って。
 受け身ではなく、奪い取るつもりの恋だった。
 ライバルは一年上の先輩だった。

 風子は地学部のアイドルだった。
 特別に可愛いというわけではなかったが、何かしら不思議な魅力があった。
 明は彼女の写真を、冗談めかして何枚も撮ろうとした。
 彼女が撮られるのは嫌だと逃げ回るのを追いかけるのが楽しかった。
 まるで初恋のようなみずみずしさがあった。
 しかし、風子は先輩が勝ち取った。
 そういう噂が部の中で流れた。
 少なくとも明にはそう見えた。
 彼女が先輩とデートをしたこと。
 親しげに二人だけで話し込む様子を。
 一つ一つのことが既成事実のように積み上がっていった。

 「風子のことは、もうなかったことにしてもいい。」
 恋の情が憎しみに変わりそうになっていたのを、冬の間ずっと耐えていたの
かも知れない。明は憎しみを抱きそうになる自分に嫌悪感を覚えていた。

 春だ。もう冬は終わった。
 だからこそ、明は恋したかったのかも知れない。中途半端に終わった前の恋
を帳消しにするように、身近な、そして、平凡な風子に恋してかなわなかった
傷心の癒しを求めていたのかも知れない。
 このままでは、自分はだめになる。だから、新しいイデアが欲しい。
そう、新しいスタートを待っていたのだ。

第1章 4月はじめ


 地学部のドアを勢いよく開けて入ってきたのは、明菜だった。
 辺りをきょろきょろと見回すと、
「あれ、智恵子は?」
と明に尋ねてきた。
 明菜の髪が、春の夕日を逆光に浮かび上がる。
明菜は、つい先日、途中入部したばかりの2年生だ。
「今日は来てないよ。」
素っ気なく答えると、明菜はなーんだっと言った顔をして、明のそばにすっと
座りこんだ。
そして机に突っ伏すと、上目遣いで明を見上げた。
手を伸ばすと届きそうなその距離に戸惑いながらも、明菜の無警戒な様子に
明の方から会話を続けた。
「ちょっと、近づきすぎなんじゃないの。」
あえて挑発的に言ったのは、僕は興味津々というメッセージだったのだろう。
「なに、それ。」
ちょっと、唇を突き出しながら、明菜はさらにいたずらっぽい大きな瞳で上目
遣いに明を見上げた。
「なんだこいつは」と思いつつ、明は少しどきまぎするのを感じた。それを悟
られないように余計な一言を発してしまった。
「いや、女の子がこんなに近くに座るもんかね。」
言った後、後悔した。
「別にいいじゃない。なんでそんなこと言うの。」
明菜はちょっと怒ったような口調で問い質した。
「だって---」
明は口籠もってしまった。
「へーんなの。ま、いっかぁ。」
 明菜は暇といった顔をして、頬杖した。
「明先輩は、もてるんですか。」
ちょっと沈みかけた場の雰囲気を明菜の方から戻してくれた。
「何突然言い出すかと思えば、見当違いのことを」
そう思ったものの、なぜか軽々しく会話が保てる。明は、出会って間もない女
性と、ここまで話すのは生まれて初めてのような気がした。
「そんなもてるなら苦労しないよ。」
「へー、苦労してるんだ・・・」
「余計なお世話です。」
 しかし、考えてみれば、明はもてないでもなかったのかもしれない。
 小学校の初恋は実らなかったが、中学校では、それなりにもてた。二番目の
恋は、好きだった彼女の方から打ち明けられた。中三の卒業間際の恋も実っ
た。でも、どちらも恋が実っても、その後がなかった。恋の成就はゴールであ
って、その後の展開がなかった。恋がゲームだとは思っていなくても、実際は
恋に恋していた、典型的な幼い恋だった。
 とかなんとか、明は、いつの間にか明菜と、拙い恋愛話を話し込んでいた。
春の夕日はとっくに沈んでしまって、部室の蛍光灯がいやに明るく見え、外
の景色は見えなくなっていた。
「もてるんですね。明先輩。意外だなあ。」
明菜はいたずらっぽく笑うと、
「あっ、電車の時間!」
と叫んで大慌てで鞄を持って駆けだしていった。
「先輩、楽しかったです。さよなら!」
振り向きもせずに、部室の戸を蹴り開けるようにして出て行った。
ぱたぱたという足音が消えた後には、明菜の若草色の匂いだけが残っていた。
「いや、僕こそ、楽しかったよ・・・」
まさか、自分の拙い恋の履歴を、会ったばかりの明菜に話すとは思ってもみな
かった。
情報の共有は、恋につながるのか?情報を共有することによって愛おしくな
るのか。
まあ、どうでもいいことだが、長い間、自分の心の中にあったもやもやを吐
き出した後の爽やかな心地がした。
 何かが新しく始まるような予感がする。いや、始めようとしている自分がい
る。

春の夢、そして初夏の風

春の夢、そして初夏の風

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-05-13

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  1. プロローグ 3月
  2. 第1章 4月はじめ