Confessions
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自分の何が足りなかったんだろうってね、ずっと考えていたんだけど、
それは一緒にいて時折感じていた君の笑顔で、それが象徴になっていて、
足りない何かの象徴が笑顔なものだから僕は忘れることができなくて、
どんな笑顔かって言うと、
それは例えば、「午後から何しようか?」なんて君に聞いてね、君が「泰人に任せるよ」って返事をして、
「でもオレは香奈が行きたい場所に行くのが好きだし、香奈がやりたい事をやるのが好きなんだよ」なんて答えた時にね、
そういう時にふと見せる笑顔なんだけど、
その表情には「なんでこいつはそんな面倒臭いことを言うんだろう」とか、
「男なんだからこういう場合はリードしてよ」とかそういう意味合いは含まれてなくて、
でも正直言うと、僕は最初そういう意味合いの笑顔なんだと思ったものだから、
慌てて上映中の映画情報を調べたりね、
今週開催しているイベントに何か良いのがなかったか探したりね、
面白そうな新刊の小説でも見つけに本屋へ行こうか、とかね、
雰囲気のいいアジア料理の店がオープンした、って雑誌に載ってて夕食の予約をして、
でも今はまだ午後の二時を回ったばかりで、
夕食まで何をして過ごすかが問題なのに、夕食の予約を済ませてしまったりね、
そんなことをしながら君の笑顔を見て、
君の目の奥や頬の表面や口元の動きに不自然さがないかを、実は何度か確かめたんだけど、
そこには「面倒臭い」とか「頼りにならない」とか、そういう色合いのものはどこにもなくて、
つまり僕を軽蔑しているような影は全く見当たらなくて、
君の笑顔はとても優しくて柔らかくて、君という人間そのものを表しているんだけれど、
その笑顔が、僕に足りないものがあることを寂しげに伝えているから、
僕は自分が使い古した雑巾にでもなってしまったような気がしていたんだ。
男は告白の対象者に別れた恋人を指定した。
山崎香奈、女性、二十六歳。一九九〇年二月七日、国立市生まれ。株式会社須郷設計デザイン勤務。
父、山崎重則と母、郁子との間に生まれた二人姉妹の次女。
そこまで入力して検索すれば、大概は問題なくデータベースから抽出される。山崎香奈も同じだった。
検索項目は他に、対象者の現住所、携帯電話番号、血液型、学歴、職歴、既往歴、マイナンバー、両親及び身内の職業などがある。
抽出したデータは「コンフェッション」に書き込まれるが、これには多大な時間を要する。
何しろ書き込まれるデータは該当者の「一切全て」だからだ。
DNAレベルで、全身の細胞データを一つ残らず再現する最先端技術が、四年ほど前に発表された。
「ゲノム投影システム」という名称が、しばらくの間報道を賑わせていた。
ハーバード大学で研究されたDNAデータ記録技術が発端となって開発されたものだが、
一般人の使用、または所有は法律で禁じられている。
つまり、私は非合法的にこのシステムを手に入れ、
それを「コンフェッション」と名付けてビジネスにしている。
僕はボロ雑巾のようになりながら、
それでも君の笑顔の中にあるものが一体何なのか、ずっと引っ掛かっていて、
でもそれを直接君に聞くのは良くない事だと思っていて、
結局一緒にいる間にはとうとう解らなかったんだけど、
あれはやっぱり寂しかったんだなってことが、君が去ってから半年も経った十二月の寒い夜にね、
今にも雪が降り出しそうな、街灯に照らされた街全体がぼんやりと霞んでいる夜に、やっと理解したんだ。
それで、どうして今になって理解できたのかという、その理由についても解った。
その二つは同時に僕の所へやって来たよ。
理解には痛みが伴っていた、それが理由だ。僕は君といる間、その痛みからずっと逃げていたんだ。
なぜ逃げていたのかと言うとそれは簡単で、
僕が痛みを受け入れたら、もうそれ以上は君と一緒にいられなくなる事を知っていたからだ。
そうだ、実は知っていたんだ。知っていながら、
そこから目を逸らして知らないふりをしていたら本当に知らないことになって、
僕にクエスチョンマークを植え付けた。
シークレットルームだね、開かずの間みたいなものだ。
僕が探していたものは、僕が作った開かずの間にしまってあったんだ――。
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「ゲノム投影システム」は、特定の人物を遺伝子レベルで忠実に再現して、
専用の特殊なスクリーンに投影するというものだ。
細かいメカニズムについては、私は専門ではないのでわからない。
システムの購入時、その仕組みの概要を説明されたがさっぱりわからなかった。
要は採取したDNAデータに対し、いくつかの高度なプログラムが追加される仕組みだそうだ。
脳細胞に働きかける人工知能の補助プログラムや、
筋線維への刺激を誘導するプログラム、それに最先端の3D技術などがそれに当たる。
「スクリーンに投影する」と聞いて、最初私は映画のようなものを想像したが違った。
スクリーンに投影された人物は三次元的に反射してスクリーンから抜け出し、
そこに本当にいるかのように動き、考え、表情を変える。
録画と違い、その場で発生した話題について言葉を交わす。
一連の現象を体験した誰もがしばし唖然とする。
そこに存在するのは、はっきりとした質感を持ち、
仕草も声色も、古傷のひとつ皺の一本に至るまで、呼び寄せた本人そのものなのだ。
ただし唯一、それに触れることだけは叶わない。
初めてこのシステムでビジネスをした時、透明なスクリーンから抜け出てきた人物に向かって、
顧客は長い告白を始めた。
顧客は長距離のトラック運転手で、対象者にはかつて事業を共同で経営していた人物を指定した。
共同経営者は会社に多額の借金を残して蒸発し、その後会社は倒産していた。
「いや、ヤツにね、本当は、事の顛末をきっちり説明させるつもりでいたんだけど、
いざ目の前に姿を現すと、もうそれはどうでもいい事に思えてきちゃってさ」
と、トラック運転手は弁解するように、白髪の混じった頭の後ろを掻きながら言った。
この初回の出来事をきっかけに、
私は自分が所有している「ゲノム投影システム」を「コンフェッション」と名付け、
秘密裏に体験者を募集した。
その体験者の殆どが
「コンフェッション」によって姿を現した身内や知人に対し、自らの事情を打ち明けたのだった。
顧客たちが何故、
わざわざリスクを冒してまで呼び寄せた相手に、説明を求めるでも身の上話をさせるでもなく、
顧客自身の思いや出来事を淡々と告白し始めるのかについては、
その機会を何度か重ねるうちに理解できた。
それは、少なくとも視覚及び聴覚的には完全なリアルである対象者を、
しかしやはりリアルな本人ではないと認識している事に関係している。
システムによって呼び寄せられた対象者は、云わば完全なるダミーだ。
ダミーは顧客を前にして様々な反応を見せる。それらは当然、顧客との関係性を意味している。
その点から考えると、反応の中には「そこから逃げ出す」という行為もあって然るべきなのだが
それはしない。
なぜ逃げ出さないのか、
私はシステムの購入元である、オーストラリアのサイエンス技術者に一度聞いたことがある。
彼は「そのようにプログラミングされているから」と答えたが、それが本当かどうかはわからない。
いずれにせよ、顧客は法に背き、
且つ大金を支払ってまで会いたいと願った相手との対面を果たすのだが、
触れられない事を除けば百パーセントの精度でもって自身の前に現れ、
逃げ出すこともせず、ともすれば用意された椅子に腰掛ける様を見て、
複雑に入り混じっていた感情がひとつになる。
それは「静」となって顧客を支配する。
とにかく待ち侘びたこのひと時を静かに過ごそう、と心に決めるのだ。
だから相手に色々と詮索して、その言明で感情が揺らいでしまうことを望まない。
しかしそれは、目の前の相手があくまで「ダミー」だと解っているからこそ成立する感情だ。
もしも私が提供しているのが「コンフェッション」によって出現させたダミーではなく、
どこからか拉致してきた本当の本人だとしたら、顧客はまた違った感情を抱くであろう。
つまり「コンフェッション」とは、本質的には実に不毛なシステムなのだ。
顧客はダミーに向かって本音の告白を展開するが、それでも不毛である。
にも拘わらずニーズは決して少なくないし、今のところそれが途切れる兆候もない。
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