修行者
各地に散らばっていた修行者たちが一斉にある方向目指して移動を始めた。大規模なものではないが、既に「教え」は全員が知っていた。脳内にある機械によって彼らは情報を持ち寄ることができた。彼らは常に一人で野山に暮らしていたが、孤独ではなかったのは、機械によるところが大きい。修行者たちは、野草の採集や、動物を狩って生きていた。時たま、地元住民との間に対立が生じたことがニュースで伝えられる。しかし、彼らは争いを好まない。山に暮らす人間も行かないような険しい場所に修行者たちは去っていく。やがて、対立と怪しい人間は忘れられる。ただ、わかっているのは、この修行者たちが皆、信州の山奥から各地に散ったということだ。人々との交流を好まない修行者の中にも、少しは喋るものもいた。青い布をまとった彼らは「信州から来た」「救世主の到来」を待っている。この2つの言葉しか言わないということを、公安警察の笹塚誠はつかんだ。
そして、笹塚は癌で亡くなり、彼の作った資料だけが残った。彼らは警察の間では「青い雷」と呼ばれていた。彼らは雷を信仰していると笹塚の書き残した資料にあったからだ。
以下、笹塚の記した資料の一部――――――――――――
ユマと名乗った男の修行者はアラビア文字に似た奇妙な文字を書いていた。写真を撮って、その文字が何語であるか、大学の言語学者に見せたところ、何語でもないということだった。一体、彼らは、この日本で何をしようとしているのか。ただ、福井にいる公安の同僚柿谷は彼らが雷を信仰していることを突き止めた。といっても、豪雨が降った昼、一心不乱に雷に祈る姿を双眼鏡で確かに見た、と柿谷に話したバードウォッチングの団長が言ったということしか、根拠はない。信州のどこから彼らは来たのか。その動向が注目される。というのも、青い雷たちは皆信州で、何かを体得するからだ。ただ、彼らに危険性はあるだろうか。判断がつかない。彼らは人からの干渉を避けている。これは確かだ。
信州の一画に、巨大な避雷針があった。近くの住人たちは「雷の塔」と、建物を呼んだ。地下深くに巨大な空間があった。そこには、日にあたらない生活を続ける修行者たちの原型がいた。彼らは俗世に縛られ、どうしようもなくなった哀れな人間たちであった。自らの欲望を抑えることができずに苦しむ破戒者たちであった。彼らは自分たちのことを「鉄舟の民」と話した。公安が雷の塔を見つけたのは笹塚の死から5年後だった。その頃になると、鉄舟の民、または青い雷、は隠し切れないほど、大きな一団となっていた。公安は彼らの内部に潜り込もうとしたが、逆に修行者となって、見つかった。彼らは昔のことを覚えていたが、興味がなさそうに、振り返るのみだった。公安は警戒を強めた。しかし、強制捜査にやっとこぎつけたところで、上層部からストップがかかった。
「信州の青い雷についてはこれ以上の調査は無用」
修行者