哀れな勇者

哀れな勇者

哀れな勇者


 たぶん、僕らはこのまま終わりなんだろう。 頼れる回復役もいないし、頼もしい盾役もいない。 足の速い牽制役も、火力の高い魔道士もいない。 みんな地面に伏せて事切れている。 目の前の圧倒的な敵を前に、僕らはなすすべもない。 彼の強大な力は、勇者一行と呼ばれた僕らでもまるで歯が立たなかった。 僕らの予想をはるかに上回る能力を、彼は退屈そうに振る舞いながら僕らを一掃した。 まだ全体の10分の1も出してないとでも言うように。
 そう、だから僕らはこのまま終わりなんだろう。

 そして今までの旅も、役目も、目的も、ここで終わるんだ。 もう疲れる思いをしなくていい。 緊張することも、しんどい思いも、誰かが傷ついて嫌な思いも、もうしなくてもいい。 やっと終わるんだ。 

 そう思ったら、なんだか全身から力が抜けてきた。 死ぬのではなく、終わるのだ。 

 僕たちが死んで、このあと世界がどうなるかとか、僕らに思いを託してきた人たちがどう思うかとか。 そんなことはもう考えなくていいんだ。 

 だって、僕らはもう立ち向かうことができないんだから。 

 美しい景色も、癒しの歌も、暖かいふれあいも、静かな草木も、全部置き去りにする。 
 
 すべて見ないことにする。 

 そしてあとは眠るのだ。 

 忘れてはいけない思いに背を向けて、僕は眠ることにしたのだ。



 圧倒的な無がやってきて、僕の想像ではそれは真っ黒なイメージだった。 
 だけども実際は違った。 
 眩しい。 とても眩しい。 
 それは純白とは程遠かったけれども、見方によっては美しいと言えなくもない。 
 未来や過去もなく、現在も存在していない。 
 上下もないし、奥や手前もない。 
 だた広がる眩しいばかりの白色。 
 それが無だった。
 


 
 いつからここにいるのかわからない。 けれども、ちゃんと僕はここにいる。
 ここは教室なんだと思った。 
 いつからここにいるのかわからない。
 僕はたしか意識を超越した光の中にいたはずだった。
 すぐ目の前には机がある。 
 僕は椅子に座って、目の前の黒板を眺めていた。
 なぜ僕は、いつからここにいるのかわからないのだろう。 完璧な無の世界にいたせいか、僕はまだまだぼんやりとしていた。 
 窓から見えるのは、全ての音を殺してしまうような晴天。 太陽も、雲も、音を嫌っているようだった。 晴天の下には大きなグラウンドがあった。 白線が楕円系に敷かれ、トラックのようになっている。 ここは学校で、僕は教室にいる。 そのようだった。 
 僕はいつからここにいるかはわからない。けれどいつの間にかここにいる。 

すぐ近くに人の気配を感じた。
 
 「たぶん、あなたが全てをあきらめてしまったからよ」 そういったのは頼れる回復役だった。 彼女は僕の少し離れた席に座っている。 ここからだと後ろ姿しか見えない。 制服のようなものを着て、細く美しい肩が際立っていた。 彼女の存在が、なぜかとても懐かしく感じた。 彼女は僕に何を言っているんだろうか。
 しょうがないじゃないか。僕はあのときもう限界だったんだよ。 かつては希望だと言われた僕だったけど、圧倒的な力を前になす術がなかったんだよ。
 「それでもあなたはみんなの希望だったのよ」と頼れる回復役はいった。 彼女にそう言われ、僕は何も言えなくなった。
 
「どうして剣を手放してしまったんだよ。 なんで戦いもせずに逃げたんだよ」 足の速い牽制役がそういった。 長身で、なで肩な彼は冷ややかにそうつぶやいた。 僕から離れるように座っていて、彼の鼻筋の通った横顔が見えた。
  そうだよ、僕は逃げたんだ。
 みんなあのとき、返事がなかったし、それに息もしてなかった。 あれは一瞬の出来事だった。 僕以外のみんなが光の衝撃に包まれて、耳障りな音と共に地面に叩きつけられた。 あれは恐怖とか、悲しいとか、悔しいとか、そういう次元じゃなかった。 何もかもが、無になったんだ。 

 「いいんじゃねぇか、それで」 後ろの方から聞こえた声は、頼もしい盾役だった。 みんなに責められてる気がして、僕は彼の方を振り向けなかった。 「だが、結局お前もやられたわけだ。そしてここにいる。どちらにしろ、同じことさ」 いったいここはどこなんだろう。 どうして僕はここにいるんだろう。 みんなが僕にどうして欲しかったかなんてわかってる。 今まで旅してきた仲間だ。 そんなことはわかってる。 今まで犠牲になった人たちや、苦しんでいる人たち。 僕らを想ってくれた人たちのことを振り返って、そして立ち向かって欲しかったんだろうさ。

 でもだよ。 相手だって、バカじゃないさ。 世界を手に入れようとした相手だ。 きっと並外れた才覚と、圧倒的な凶暴さと、底なしの残虐さを持っている。 僕が5で、相手が9だったんだよ。 とても簡単な話さ。 

 「でもアンタ、ホントは違うでしょ」 火力の高い魔道士がすぐ隣に現れた。 彼女は凛とした表情で、澄んだ瞳をこちらに向けた。 

 彼女の黒く吸い込まれそうな髪が揺れた。 いつもの見慣れた表情だった。 彼女はいつも冷静で、頭がよく、そして揺るぎない信念をもっていた。 

 「アンタはね、快感に感じていたのよ」 彼女は僕と向かいあい、まっすぐな瞳でそういった。 
 僕がいったい何を快感にしていたというのだ。 いったい君は何の話をしているんだよ。
 「たしかにね、アンタにはみんな期待していたわよ。 アンタは昔から優秀で、何をやらせても上手にこなせて、誠実で人柄がよかった。 誰かが困ってると放っておけない性格だった。 いつも誰かがアンタを頼って、いろんなものを押し付けて、そしてアンタはそれをちゃんと解決する。 そうやってきたのよね。 でね。 わたしたちはいつしかアンタをこう呼ぶようになった。 頼れる勇者って。 勇者にできないことはなかったわよね。 荒れ狂う海の主もたおして、厳しい山岳のドラゴンも手懐けて、人さらいの盗賊団を壊滅させた。 勇者はいつもこういってた。 仲間がいるからできた。 今までの人たちの思いがあるから、僕は負けない。 負けるわけにはいかない。 この悪の時代を終わらせる。 勇者はそう言ってた。 そして人々の信頼を一抱えに、最後の決戦に挑んだ」 

 「でもわたしは、アンタを幼いころから見てたからわかるの。 アンタは、たしかに立派な勇者になったけど。 でもアンタの中にはとても小さな歪みが眠っているのよ。 それは勇者になってからも変わらなかった。 たしかにまっさらな人間なんていないわよ。 わたしだってそう。 みんなそう。 でもアンタの歪みは、その辺の人とはちょっと違うの。 その歪みは、決して治ることがない、いわばアンタの人間性を支えるものになっていたのよ。 アンタの誠実さも、優れた能力も、判断力も、ぜんぶその歪みから発生しているのよ。 はっきりいうとね。 アンタはすべてをぶち壊したいだけなのよ。 すべて。 なにもかも。 美しい景色も、癒しの歌も、暖かいふれあいも、静かな草木も、アンタにとってはぶち壊す前提でしかないのよ。 積み上げてきたものが誠実でまっすぐであればあるほど、破壊したときの快感は増す。 アンタが純粋であればあるほど、自分の中でのその快感が膨らむのよ」
 火力の高い魔道士は突然言い終えた。 すかさず静寂はやってきた。 その静寂は、みごとなまでに完璧な静寂で、もはやうるさいくらいだった。 
 みんなの視線を感じる。 みんな、じっと僕のことを見つめている。 僕は、顔を上げることができなかった。
 君の言ってることはよくわかる。 自分でも本当はわかっていたことなんだ。 あの相手の圧倒的な敵は、たぶん僕自身だったんだよね。世界を手に入れようとしていたあの相手は、きっと僕自身の歪みだったんだ。 僕は、自分の築き上げてきたものをすべて無にしたかったんだ。 人の営みとか、誠実さとか、生命の輪廻とか。 そういうものをバラバラにして、こなごなにしたかったんだ。 期待、信頼、構築、死と再生。 僕があのときやられて、これで世界が終わるんだと思ったとき、僕はなぜか胸がときめいたんだよ。なにもかも忘れて眠ってしまうことが快感だったんだよ。 あれは、いったい何なんだろうな。 でも僕はそれを望んでいたんだろうね。
 
 ねぇ、僕は世界を救う必要なんてあったのかな。 僕は昔から君のことが好きだったんだ。
 ねぇ、僕は世界を救いたかったのかな。 僕は本当は君を守りたかっただけなんだ。 君を守って、守って、守り抜いて、最後には壊してしまいたかったんだよ。 君は僕だけのものになるんだよ。そしたらもう他の誰にも取られないからね。 
 そしてこの綺麗な空も、美しい大地も、賑やかな人の営みも、脆く儚い木も、草も、花も、壊して、壊して、壊して。 全部僕のものにしたいんだよ。 誰にも侵させない。 誰にも渡さない。 この世界は僕のものなんだ。 この美しい世界は、僕のものなんだ! 

 「さようなら、哀れな勇者」 彼女の声が聞こえ、その瞬間、耳障りな音とともに真っ白な無に押し付けられた。 何かを考える間もなかった。 
 

哀れな勇者

哀れな勇者

純粋なファンタジーですね。 わりと短くまとまっていると思います。 RPGをしてて、全滅しまくってたときに思いついた話です。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-03-13

CC BY-ND
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