世界の神話・異聞 -道を切り拓く者-

「見つけたぞ!」
 私の声に、奴が振り向く。どうでもよさそうな顔で、私を見ていた。
事実、そうなのだろう。何の感情も浮かばない、無気力そうな顔。あの様子では、私のことなど覚えてはいまい。目を瞑れば、私はいつでもあの日あの時あの光景を思い浮かべられるというのに。今日まで忘れることなどなかったというのに。
小学生の時の道徳の時間で、先生が言っていた。いじめについての話だ。いじめた方がその時のことを覚えていることはまれだが、いじめられた方はずっと覚えているものだ、と。なるほど違いない。被害者が被害のことを忘れることはないのだ。加害者の顔を忘れることはないのだ。
奴の顔は、あの頃と何一つ変わらない。違うとすれば、過去の奴は返り血で顔や手を真っ赤に濡らしていたことくらいか。
 いいだろう。そちらが私のことを覚えていようといまいと、関係ない。こちらはただ、復讐を遂行するのみ。
 雄叫びを上げ、目標に向かって駆けた。手には剣がある。銘は忘れたが、宝剣と呼ばれるほどの業物だそうで、切れ味も実証済みだ。人間の体が小型とはいえドラゴンの鱗より硬いはずがない。
 標的との距離が近づく。こちらの存在に気付いているにもかかわらず、奴は面倒くさそうにこちらを見下しているだけで、構えることすらない。私の手にある剣も見えているはずなのに。
その、人を小馬鹿にしたような態度に一層怒りが増す。出来ないと思っているのか? だとしたらとんだ勘違いだ。今の私を、あの時の私と、恐怖に怯えて震えていたころの私と思うな。
 距離がゼロになる。体ごとぶつかっていった。ズブリ、と肉を刺し通す感触が手のひらに伝わった。そのまま体重をかけて押す。関取が相手を組んだまま土俵の外へ押し出すように、私は相手に体を密着させたまま数歩進んだ。ずず、と奴が勢いに押されて後退りする。刺し傷からの血が刃を伝い、手に付着する。そこでようやく、足を止め、少し体を離した。
 剣が、奴の胸のど真ん中を突き刺していた。剣先は体を突き抜け、向こう側に見えている。どう見ても完璧な致命傷だ。
やった。とうとうやったぞ。仇を討った。ずいぶんとあっけないが、目標は達成した。
「痛えな」
 少しのイラつきを感じさせる声が頭上から降ってきた。傷口から視線を移し、奴の顔を見上げた。
 驚愕に目を見開く、とはこのことだろう。私は自身が生れてからこれまでないくらい目をひん剥いて驚きを現した。声すら出ないほどだ。
 奴は死ぬどころか、面倒そうに眉根を寄せて、こちらを見下ろしていた。胸の傷など何の痛痒も感じていないようで、その証拠に剣の柄から私の手を振りほどくと、無造作に引き抜いた。血飛沫が舞い、私の頬を濡らす。
 先ほどの驚きを超える出来事が、目の前で起こった。ビデオの逆再生のように、奴の胸の傷がゆっくりと塞がっていくのだ。
 驚きに気を取られたのがまずかった。奴が接近しているにもかかわらず、私はあまりの衝撃に動くことすら忘れていた。
 がっ、と片手で後頭部を掴まれる。
「な」
 にをする、と問う前に、答えが来た。奴の額だ。体を目一杯逸らせたかと思うと、鞭のようにしならせ、先端である額を私の頭めがけて放ったのだ。頭突き、いわゆるパチキ、という奴だ。
 頭蓋骨がへしゃげた、本気でそう思った。奴の頭の形の通りに、私の前頭部が陥没した。脳が揺れ、めまいが起き、気分が悪くなって、体中から力が抜け、倒れながら吐いた。砕けた頭蓋骨の隙間から脳みそが口を伝って飛び出てきたのだと錯覚した。視界が一気に暗くなる。瞼が自分の意志とは関係なく閉じようとしていた。意識を失いかけているとすぐに分かった。そして、二度と目覚めることが無いであろうことも、悟ってしまった。
 悔しい。口惜しい。後悔と未練でいっぱいだった。涙がこぼれた。よだれもこぼれた。鼻水も。色んな感情が湧き出して、一緒に水分も出ているようだ。
ここで終わるのか。わざわざ異世界にまで来て仇も取れず、返り討ちに遭い、見知らぬ土地で朽ちていくのか。最後の気力を振り絞り、憎き仇を見上げる。
「須・・・佐野、尊・・・」
 そして私は、暗闇に放り込まれた。最後に網膜に焼付いたあの男は、やれやれとため息を漏らしていた。

連鎖

 何なんだ一体。
 倒れ伏した少女を見下ろして、僕は首を捻った。
 いきなり人を呼びつけて、突進してきたと思ったらブスリ、だ。しかもこの女、僕の名前を知っていた。フルネームを、だ。この世界で僕のフルネームを知っているのはクシナダと彼女の村の連中数名くらいだ。そこから漏れたとは考えにくい。なら考えられるのは、元の世界から来た、僕のことを知っている人物だということだ。
 彼女の服装を見る。軽鎧、というのか? 鋼で出来たそれを上半身にエプロンみたいに前面に纏ってはいたが、その下はセーラー服だ。多分どっかの高校の。襟元に校章がついている。
「獅子?」
 気高く吠える獅子をかたどった、この珍しい校章を、僕は見たことがある。そうだ、思い出した。スメラギ女子大付属だ。県では国公立進学トップ、全国でも有数の進学校で、部活も強いって評判の文武両道を地で行く、女子憧れの私立高だ。
 あそこに通ってるってことは、頭が良いだけじゃなくて結構なお嬢様のはずだ。それなりに上流階級の子女が行くところだからだ。親が政治家、大手企業の社長なんてこともざらにある。実際見たわけではないが、月一の頻度で社交パーティが開かれて、あらゆる方面に自分を売りこむ場を作っているとか。僕が消したある男に、そこに通う娘がいたから間違いない。入学できるということはイコール、コネも才能も財力もある、将来を約束されたエリートだということだ。
 捨てた過去の記憶が、断片的に戻ってきた。そして、納得した。
「復讐か」
 復讐の刃を向けたことはあるが、向けられたのは初めてで、なかなか新鮮だ。確かに、僕も向けられて当然の人間だ。殺してきた連中にも家族がいて、愛される家族の一員だったのだ。それを理不尽に奪った僕は、憎しみの対象以外の何者でもない。また、いきなり殺そうとしたのだから、僕が殺してきた連中の身内である可能性は非常に高い。
 改めて、彼女を見下ろす。気を失っている彼女は、あどけない、年相応の可愛らしい顔をしていた。少し茶色く染めた髪は、快活そうな顔と相まって生意気な子猫のようだ。多分これは、男以上に女子、特に下級生に絶大な支持を受ける人相だ。僕の名を呼んだ時もよく通る良い声だったし、運動神経もよさそう。
 両手のひらには、細く白い指には不釣り合いな、それも何度も潰れては出来上がったタコがある。剣道とかやってたんじゃないだろうか。
 彼女は、これから訪れる輝かしい未来を捨てて、こんなところに来た。それだけ、彼女にとって大切な人間を奪ったということか。そんな善人そうなやつ、いなかったけどなぁ。
 感慨にふけっていたところで、ぽかり、と後頭部を叩かれた。振り返る。
 鬼の形相のクシナダがいた。
「何してんの!」
「何って、頭突き?」
「馬鹿じゃないの!?」
 僕を押し退け、その場にしゃがみ込んで彼女を介抱する。
「僕の方が重症なんだが」
「舐めてほっときゃ治るでしょうがその程度!」
 それはそうなんだが。なんとなく納得のいかない僕を置き去りに、ああもう、ああもう、と文句を言いながらクシナダは彼女の口元を拭ってやり、一撃を見舞ってやった頭を水で濡らした手拭いで冷やしている。
「で、これ誰よ?」
 手当てを施しながらクシナダが、当然の疑問を呈した。
「知らない」
「嘘吐くな! 見ず知らずの女があなたの名前を叫びながら刺殺しに来るわけないでしょ!」
 僕も自分が刺されるまでは、そういうのは女癖の悪いイケメンの特権だと思ってたけど。
「本当に知らない。けれど、想像はつく。僕が向こうの世界で殺した連中の身内だ」
「あなたが、殺した?」
「うん。・・・そう言えば、僕がこっちに来た理由を、きちんと話したことなかったっけ?」
 死ぬために来たとは言ったけど、どうしてそうなったか、その辺のことを話した記憶がない。
「聞いても良い? あなたが死にたがりになった理由」
「別段面白い話じゃないよ?」
「面白さを期待するような話じゃないでしょ。・・・話し辛いなら、別に無理には聞かないけど」
「そういう訳じゃない」
 帰る道すがら、退屈しのぎには丁度いいか。
「あ、ちょっと待って」
 踵を返そうとした僕にそう言うと、クシナダは倒れていた彼女を抱き起こす。
「はい」
 そして、彼女の両脇に手を入れて、正面を僕に向けた。まるで腹話術の人形みたいにこっちを向けられても、どうしろと?
「何?」
「背負って。それとも、か弱い私に村まで背負わせる気?」
 百キロ超える猪を軽々と担ぐ女が何を言うのか。
「嘘だろ。連れて行くの?」
 僕をぶっ刺した本人だぞ。彼女にしたって、仇に背負われるなんてご免だろう。しかしクシナダは、どうせ気を失ってるから大丈夫よ、と聞く耳持たず
「放っておく訳にはいかないでしょう? 大体、依頼は化け物退治の他に、私たち以外に退治に向かった女を助けてほしい、だったでしょ」
 確かにそう頼まれた。女の子一人で化け物の巣に向かってしまったから心配だとか村人が言っていたが、それなら最初から止めろ。もしくは自分たちもついて行けと思う。心配は結局杞憂に終わり、僕の目的たる化け物も退治され、胸には刺し傷。散々だ。僕はこの一着しか服を持っていないというのに。そろそろどこかで新調すべきだろうか?
 ため息一つ吐き出して、僕は気を失った彼女を背負った。
「じゃ、戻るか」
 帰りの道すがら、僕はクシナダに語って聞かせた。これまでの僕の犯罪史を。

旅の道連れ

「おにいさま」
 夢だ。
 私は夢を見ている。明晰夢、というやつだ。しかもこれは、私の過去。幸せが当たり前にあふれ、当たり前のように享受できていた頃だ。
「おにいさま」
 夢の中の私が繰り返す。世界で一番大好きで、世界で最も尊敬していた人を呼ぶ。
 視点が低い。多分このころは、小学二、三年の頃だったと思う。私が私の意志とは無関係に走る。過去の私が、目的の人を見つけたからだ。背がひょろりと高くて、少し猫背で、分厚いメガネをしている男性がそこにいた。
「おにいさま!」
 声に気付いた男性、兄である庵は、私の方を振り向き、穏やかに微笑んだ。人を安心させる成分を含んだ笑顔だ。私は既にその成分の虜になっていて、一日に一回は見ないと安心して眠れないほどだった。
「ハルちゃん」
 兄が私の名を呼んだ。それだけで嬉しくて嬉しくてたまらない。走るスピードを上げる。もっと早く、もっと早くと心と体を急かす。
 今の私は、この後のことを知っている。
この日、兄は一人の友人を連れていた。兄が友人を家まで連れてくるのは珍しいことだった。
兄の陰に隠れていた男の全貌が知れる。そいつは、人懐っこい笑顔を浮かべて「こんにちは」と挨拶した。その頃の私は人見知りだったため、すぐさま兄の後ろに隠れた。兄が苦笑する。
「悪いね。人見知りなんだ」
「気にしていないよ。むしろ女の子はそれくらい慎重な方がいい。知らない男には近づくな、警戒を易々と解くな、ってね?」
「はは、まるで娘を持つ父親のようなことを言うんだな」
「それはそっちじゃないのかい? もしその子に気安く近付く男がいたら?」
「全身全霊を賭して排除する」
 おお怖! と大仰なリアクションをそいつが取り、そして二人して笑った。兄があんなに大きく口を開けて笑うところなんて初めて見た。それがとても悔しい。私といるときはいつも、静かに微笑むだけだったからだ。私の知らない兄をそいつが引き出していると知って、その時からすでにそいつのことは気に入らなかった。敵だ、と直感した。その直感は正しかった。
「ハルちゃん。こちらは最近知り合った・・・」
 兄がようやく私の方を向いて、隣にいる男の肩にポンと手を乗せた。
「初めまして。須佐野尊です」
 これが、後に私の兄を殺す男との出会いだ。

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 唐突に、眠っていた彼女が体を起こした。両手を前に突き出して、額に当てていたタオルがびろぉんと引っ付いたままになっている。古いホラー映画に出てくる、額にお札を張られて封印される化け物を思い出した。
「気が付いた?」
 傍で看病していたクシナダが、優しく声をかける。彼女は少しの間、上半身を起こしたまま呆然としていた。状況がつかめていないためだろうか。そして、自分に声をかけてきたクシナダの方を向いた。
「ここは・・・」
「ヘオロトの村よ。多分あなたも、この村で化け物退治を依頼されたのだと思うのだけれど」
「ヘオロト、ええ。確かに立ち寄ったけど。どうして」
 彼女が自分の両手や体を見回す。痛みが走ったか、額を押さえながら彼女は言った。
「私、死んでない?」
「死んでないわよ? 生きてる」
 クシナダが苦笑する。何で、どうしてと首を捻り、周りを見渡していた彼女が、僕の姿を捉えた。
「・・・・須佐野尊!」
 立ち上がろうとして、また頭を抱えてうずくまる。
「無理しちゃだめよ。頭を打ってるんだから」
「触んな!」
 背中をさすろうとしたクシナダの手を、空いていた方の手で振りほどく。
「おい」
 敵愾心むき出しの目で睨んでくる彼女に声をかける。
「良いとこのお嬢さんの癖に、最低限のマナーをパパやママから教わらなかったのか?」
「てめえ、何をぬけぬけと! 人殺しにマナー云々を説かれたくねえ!」
「確かに僕は人殺しで、そのせいであんたから恨みを買っているのだろう。で? それとあんたの隣にいるクシナダは関係あるのか? あんたを助けたのはそこにいる彼女だぞ? 獣だって、自分を助けてくれた相手には襲い掛からんぞ?」
 言われて、手負いの獣みたいな彼女は、納得いかないという風に、それでもクシナダの方を向いた。
「助けてくれて、ありがとう・・・・」
 言われて気づき、素直に、とは言い難いが礼を言える辺り、やはり根っこはお嬢様なんだろう。
「どういたしまして」
 さあこれで満足だろう、と彼女は再び僕を睨んだ。獣の方がまだ話し合いの余地はあるかもしれないな。
「で? どうする?」
 睨みあっていても進展はしなさそうだったので、こちらから尋ねてみた。
「何が?」
「まだ戦うかい? 僕は一向に構いやしないが」
「当たり前だろうが! 殺したくて殺したくて仕方のない奴に、ようやく出会えたんだからな!」
「あの世界を捨てるほどの価値が、僕にあるとは思えないがね」
「自惚れんな。てめえじゃねえ。てめえが殺した人の価値だ。私の世界の全てだった人を奪われたんだ。あの世界に未練などあるか」
 思わず共感できてしまった。確かに僕も姉を殺された時、同じように感じたし、復讐を終えたら世界に未練などなくなった。ほぼほぼ惰性で生きていたようなものだ。
 つまり彼女は、過去の僕で言うところの『復讐編』に今いることになる。もっとも気力が充実し、目的のためならあらゆる苦労を厭わない、そして何でもできる気がする状態だ。
「何笑ってやがる」
 彼女が威嚇するように低いうなり声を上げた。言われて、自分の顔をぺたぺたと触る。気づかぬうちに、笑っていたらしい。
「気にするな。なんでもない。それより、あんたの願いは分かった。じゃあ早速やるか。あんたの武器はそこにある」
 彼女のすぐそばに立てかけてある剣を指差す。
「舐めやがって」
 彼女はふらつく足で立ち上がり、剣を取った。大丈夫か? と思わず心配になる足取りだ。子どもが初めて包丁を使うとき、親はこういう気分になるのだろうか。
「止めなさい」
 ふわり、と彼女の体を後ろからクシナダが抱き留めた。
「な、てめえ、離せ!」
 もがくが、クシナダの腕力はその程度の抵抗で外せるようなものではない。
「無茶はよしなさい。そんなフラフラで勝てるの?」
「勝てる勝てないじゃねえ! ぶっ殺すんだよ! 刺し違えてもな!」
「今のままじゃ徒労に終わるわ。返り討ちよ。また鼻水たらして泣きながら気を失う羽目になるわよ?」
 ぐ、と彼女の勢いが削がれる。先ほどのことを思いだしたのだろうか。
「寝込みを襲うとか、後ろから奇襲をかけるとか、やりようはいくらでもあるのに」
 クシナダは、彼女に僕を襲わせる気なんだろうか。
 いい? と人差し指を立てて、ちょっと偉そうな感じでクシナダ先生は出来の悪い生徒を諭す。
「これは私が狩りをする時にすることなんだけど。獲物をずっと観察するの。相手の死角はどこか、どう行動するのか、攻撃するときは? 逃げるときは? 自分に有利なところは? 不利なところは? 全部わかってから、そこから準備を始めるの。罠を仕掛け、待ち伏せる。確実に仕留めるためにそこまでするの。そこまでしても、何度も仕留めている猪や鹿に逃げられたり、手痛い反撃を貰ってこちらが逃げざるを得ないことになる。まして初めて遭遇する獣に無策で、真正面から挑むなんて愚の骨頂」
 クシナダの講釈を、彼女は俯きながら大人しく聞いていた。傍から見ていたら母親と子どもだ。指導しているのは獲物の狩り方か、僕の殺し方か。
「本当にこの男を倒したいなら、じっくりと良く見ておいた方が良い」
 ・・・ん? なんだか話が変な方向に向かっている気がする。
「一緒に旅をしましょう。そしたら四六時中彼を見張れるし、寝込みも背後も襲いたい放題よ」
 自分の耳とクシナダの正気を疑ったのは僕だけではあるまい。彼女なんか目も口もアングリあけて、声も出ない様子だ。
「馬鹿言うな!」
 当然彼女は烈火のごとく怒った。
「あのな、こいつは私にとって仇。大切な家族を奪った人殺しなんだよ! そんな奴と一緒に旅なんて出来るわけないだろ!」
 同じ場所で同じ空気を吸ってるってだけでも虫唾が走って吐き気がするのに! と毒づく。
「そんな考え方だと、一生賭けても彼を討つことは出来ないわ」
 にや、とクシナダはドヤ顔を披露した。ここ近年ついぞ見たことのない会心の笑みだ。
「獲物を仕留めるには、獲物を知らなければ始まらないの。せめて急所を押さえなければね。今あなたは、剣を掴んで彼に斬りかかろうとしたけど、本当にそれで倒せるの?」
「それ、は・・・」
 彼女の目線が、僕の胸元、穴の開いたシャツを凝視する。彼女に刺された箇所だ。もちろん、すでに傷は塞がっている。ね? とクシナダは彼女の肩をポンと叩いた。彼女は何度も僕とクシナダを見比べる。
「いや、無理だろ! 常識的に考えても! 百歩譲って私が「わかった」つっても、そいつが許可するはず」
「別にいいよ?」
「ないだろうが私はそいつの命を、って良いのかよ!」
「良いよ? ついてきたければついて来ればいいし。一緒の空気を吸いたくなければ別れるか、僕を殺しに来るといい」
「何なんだよてめえは! 舐めてんだろ。完全に舐めてんだろ! 私に殺せねえと思って舐めてんだろ!」
 まるっきり逆のことを思っているんだがな。
 その辺の事情を説明しようと思ったが、止めた。そんなことを言って、死ぬことが目的だなんてばれたら、最後に心変わりをされる可能性がある。だから、何も言わずに肩を竦めて見せた。
 喋り方からちょっと不良っぽい感じを受けたので、効果的かなと思って挑発っぽい仕草をしてみたら、効果は絶大だった。クシナダが今言ったことすら頭かすっぱり消え、顔を真っ赤にしてにじり寄ってきた。どうどう、とクシナダが諌める。荒い息を何度も吸って吐いて吸って吐いて深呼吸して、クシナダに向き直った。
「わかったよ。一緒に行ってやる。けどな、なれ合いをするつもりはねえぞ! 隙あらばそいつの寝首かくつもりだからな! 後悔すんなよ!」
 後悔、か。僕に後悔するだけの材料があればいいけどね。
「それでいいわ。元気があってよろしい。私も彼以外に話し相手が欲しかったの。では、新しい旅の同伴者さん。せめて名前を教えてくれると助かるのだけど」
 怒鳴りつけてもにこにこしているクシナダに毒気を抜かれたか、彼女には何の恨みもないのに怒鳴ったのが良心を咎めたか、なんとなく気まずそうにして、口を開いた。
「・・・大賀美晴。美晴で良い」
 大賀だと? その苗字が記憶の検索に引っかかった。彼女らに動揺を悟られぬように、僕は心の中でもう一度その名前を呟く。
「ミハルね? 私はクシナダ」
「クシ・・・ナダ・・・? クシナダ?! あんたクシナダって言うの?! 冗談でしょ!?」
「何で自分の名前で嘘吐かなきゃならないのよ」
 幸い気づかれなかったらしく、今度はクシナダが彼女、大賀美晴に自己紹介をしていた。クシナダの名前を聞いた美晴は、僕が初めて彼女の名前を聞いた時みたいに驚いていた。
 そうだろうな。あの男も神話の類が好きだったからだ。彼の身内だというなら、その影響を受けているはずだ。
 僕が彼に近付けたのも、自分の名前によるところが大きい。あの時だけはこの名前が非常に役に立った。
 ―須佐野尊・・・漢字にすると、この国最古の英雄の名前だね―
 懐かしい声と共に映像が蘇る。彼と、彼の後ろに引っ付いていた小さな女の子の記憶だ。
「ハルちゃん、か」
 良かったな庵。お前の大好きな妹は元気だぞ。
 ただ、悪い虫に自分から近寄ろうとする跳ねっ返りに成長したみたいだけどな。

それが彼女の進む道

 兄と血が繋がっていないことを知ったのは、父と兄が死んでからずいぶん後、十七歳の時。父が私の母以外との女性の間にもうけた子ども、いわゆる妾の子だということを知った。
 その女性が病で無くなり、兄は大賀家に養子として引き取られた。
 父や母の、兄に対する扱いは家族ではなく、無料で働く使用人と言った方が正しい。ボロボロになるまで兄をこき使った。その様は、まるで使うには足りず、捨てるには微妙な大きさの固形石鹸を意地にになって早く無くなれ、早く無くなれとスポンジにこすり付けているようだった。
 父たちは、自分たちから兄を捨てるわけにはいかなかった。そんなことをすれば自分たちの社会的地位を貶める傷になるからだ。だから、兄の方から逃げ出すように、特に母はきつく当たった。
私だけが何も知らず、のんきな顔で苦労をしている兄にじゃれついていたわけだ。出来る事なら過去の自分をぶん殴ってやりたい。
苦しかったはずだ。辛かったはずだ。心の中でどう思っていたかはわからないけど、それでも兄は、笑顔で私に付きあってくれていた。
 兄は過酷な環境に耐えた。耐えて耐えて、ようやく、その苦労が実るはずだった。苦しみから解放されるはずだった。就職が決まり、家を出ることになったからだ。やっと、自分の人生を歩むことが出来たはずだったのに。

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 翌日、僕らは村から出た。化け物を倒してしまったらここには用はない。次に向かうためだ。地図は、今度は西を指していた。
「ねえ」
 後ろからついてくるミハルを気にしながら、僕は少し小声でクシナダに声をかけた。
「何企んでんの?」
 ついてきてもいいよ、とは言ったものの、やはり気になる。ミハルについてこいと提案した、彼女の意図を探っておくことにした。
「企むだなんて、人聞きの悪い。あなた達の、お互いにとっての落としどころを言ったまでよ」
 それが彼女を連れてくることに、どうしてもつながらない。
「あなたの願いは?」
 唐突に、クシナダが訊いてきた。彼女には、何度も話しているはずなんだけど。意図が読めなくて戸惑いながらも、再度同じことを口にする。
「・・・死ぬことだよ」
「今は、かの神との約定があるから、強い化け物と戦い、その中で死ぬこと、でしょ?」
「まあ、そうだね」
 そういうと、クシナダは声を潜めて
「化け物じゃないけど、あの子は強いわ」
 ・・・もしかして、そういう意図か?
「あなたが刺されたあの時、自分の意志で躱さなかったんじゃない。躱せなかったんじゃないの?」
 良く見てるなあ。狩人の彼女の目の良さに改めて崇敬の念を抱きつつ、正直に答える。
「その通りだ。僕が一番驚いたのはそこだった。あんなに早い踏み込みで懐に入られ、突き刺されるとは思わなかった。この世界で、あれほど強い女に逢ったのは、・・・ええと五人目、かな」
「五人目なの? 意外に多いわね。てっきり初めてって言うかと思ってた」
「記念すべき一人目が何を言う」
 僕を殴り飛ばして場外ホームランにしたのを忘れたか。
 あとは鬼の巫女トウエン、アンドロメダとメデューサの姉妹か。まあ、彼女らは強いといっても方向性が違う。魔術であったり、戦略などの知恵であったり、そういう強さだ。
 そしてミハルは、『力』の強さを持っている。切った張ったの強さだ。
「強い化け物を探すのも良いけど、身近にいる、あなたを倒したくてたまらない人をあなたが鍛えればいいんじゃないのかな、と思って」
 一理ある。あっちは戦う動機も充分だし。ふうん、と相槌を打って、少し気になっていたことを尋ねた。
「彼女が何歳か知ってる?」
「そうそう、それがさ。聞いてよ。同い年なの」
「誰と?」
「私とよ。十七なんだって」
 十七。ふむ、やっぱり計算が合わない。僕が彼女と初めて出逢ったのが七、八歳くらいの時だ。当時の僕がその時十八で、庵が十九だった。
 そして、彼女の父親である大賀雅史殺害を実行したのが翌年の十九の時で、こっちに来たのも同じ年だ。だから僕の体感上は、どう考えても彼女はまだ十歳くらいのはずなのだ。こっちでそんな年月がたったとは思えない。なら考えられるのは、こちらとあちらとは時間の進み方が違うってことだ。
「他にも、何か言ってた? たとえば、どこかで剣の練習をしたことがあるのか? とか」
「ああ、そう言えば『ケンドー』を習ってたって言ってたわね。あとは『コブジュツ』と『イアイ』を少し、とか」
 剣道に古武術に居合いか。まるで侍だな。親しい友人も作らず、青春も謳歌せず、ただただ僕を殺すためだけにずっと訓練してきた風景が目に浮かぶようだ。涙がちょちょ切れるね。
「おい」
 後ろから、ミハルが呼んだ。
「何?」
「・・・なんでもねえ。こっち見んな!」
 ふいっと明後日を向く。何なんだ一体。仕方なく、再び歩を進める。
「何か聞きたいことがあったんじゃないの?」
 クシナダが歩くスピードを緩めて、彼女の歩調に合わせて並ぶ。
「いや、これからどこに行くんだ、って思って」
 クシナダには、ぽつぽつとだが話せるみたいだ。同い年という気安さもあるのかもしれない。
「これから? ええと、たしかこのまま西に向かうのよね?」
「そうだよ」
「てめえには聞いてねえ!」
 聞かれたから応えただけなんだが。面倒くさいなこのお嬢さんは。
「クシナダ」
 僕は地図を投げてよこした。最近使い方を理解したらしく、また面白いらしく、暇があれば弄っている。
「お、ありがと」
 地図を開き、慣れた手つきで操作する。
「え、何これ!? マップ?! GPS機能でもついてんの?!」
「ふふん、凄いでしょう?」
「ファンタジーの概念が崩れたぞおい!?」
 ミハルが予想以上に驚いたのを見て、自分の手柄のようにクシナダが胸を張る。
「今私たちがいるのがここ。で、目的地は・・・・」
 画面を指で移動させる。
「この、赤い丸がある場所。ここに、次の敵がいるわ」
「敵・・・? クシナダって『狩猟者』?」
「しゅ、りょうしゃ?」
 聞き覚えのない言葉が出た。狩猟で食い物を得ているから、狩猟者には違いないのだが。
「狩猟者じゃない? なのに怪物を倒して回ってんのか?」
「私が、というよりも」
 クシナダの視線が僕を捉えた。
「タケルの目的、というか」
 ミハルが探るように僕をじろじろと、つま先から頭まで下から上へじっくり見た。
「趣味なんだ」
 おどけて応える。
「贖罪のつもりか? ええ?」
 皮肉げに口を歪めてミハルが笑う。
「大勢の人間を殺した罪を、大勢の人間を救うことで贖おうってのか? 自己満足も大概にしろよ胸糞悪い」
「ご期待に沿えなくて申し訳ないが、全く、微塵もそんなつもりはないよ。純然たる趣味だ。強い敵と戦うことが趣味の、キチガイなんだよ」
 どこの格ゲー主人公だよ、とわかる人間にしかわからない悪態を吐いた。お嬢様だが、俗世の娯楽にも通じているようだ。
「で、あんたはそのキチガイをわざわざ追ってきたキチガイ二号だ」
「何だと!」
「何だと、って、そうとしか考えられないよ。向こうに居ればエリートコースまっしぐらだったろうに。それとも、大賀コーポレーションの経営権が奪われて一族郎党散り散りにでもなったかな?」
「意地汚い叔父とお袋が経営権を巡って絶賛裁判中だよクソが!」
 泥沼だな。まあ、そういう混乱を狙ったといえば狙ったのだけど。些細なことに気付かれにくいようにね。
「・・・え? お前、今何つった?」
 僕の発言に何か引っかかったようで、ミハルが詰め寄ってきた。
「今、大賀コーポレーションっつったよな?」
「言ったかな?」
 言ったけど。
「とぼけんな! じゃあてめえ、私が名乗った時点で!」
 何も言い返さず、含みを持たせて笑みを作る。
「この野郎」
 ミハルが剣を鞘から抜く。柄の先端につけられた赤い宝石が鈍く光った。
「あの世界を捨てた代わりに手に入れたオモチャがそれかい?」
「てめえを殺すには十分だ」
「見たとこ、身体能力を劇的に上昇させる効果付、って感じか?」
 あてずっぽうで言ってみた。胸から引き抜くとき、結構な重量があった。鍛えているから筋力はある方だとは思うが、それでもあの細腕だ。剣の方に何らかの効果があるのではないかと推察してみた。
 どうやら当たりだったようで、ミハルの頬が少しひきつった。
「この程度のことで動揺するなんて、可愛いねえ」
「ぶ、っ殺す!」
「でも、ちょっとおかしくない?」
 一触即発になりかけた空気に割って入るように、クシナダが疑問を呈した。
「確か以前聞いたタケルの話だと、この世界には元の世界で不要とされた人間が送り込まれてるって」
 もしくは生きる気力を無くしたか、だな。蛇神が死んで、儀式も生贄も必要なくなったから、あっちから送られることはなくなるものだと思っていた。けど、こうして送られてくるのは何故だ。あの神のことだ、無意味に送り込んだりはしないだろうが、思惑がまだ見えない。それとも、僕の考えが間違っているのだろうか?
 僕としては願ったり叶ったりの敵対者だが、そもそも僕に対して神が提示した要望は、この世界に存在する化け物どもを倒して回れってことだった。化け物の数は、世界中の神話や伝説に出てくる化け物と同数らしく、僕が知ってる話のメイン級だけでも十体は超える。まだ三体しか倒してないのに、ここで僕の命を刈り取るのは気が早いんじゃないだろうか。それとも、僕もこの世界に化け物認定されて、倒してほしいリストに名前が載ったのか。
「どうやってこっちに来たの?」
 クシナダは、意図的なのかわからないが僕と彼女の間に移動していた。気を削がれたか、忌々しそうにミハルは剣を仕舞う。
「パーカーを着た神を名乗る女が、現れたんだよ」
 やっぱり、同一神仏か。
「そいつから、私の兄を殺した男が異世界で今も生きているって教えてもらったんだよ。どうりで、あらゆる伝手で探し回っても見つからないわけだ」
 大賀の力を存分に振るったのだろう。探せなかったのは、僕がこっちに来ていたからか。あっちとこっちで流れる時間の速さが違うのは、ほぼ確定で良い。
「信じたの? 神様の言う事を」
「最初は信じなかったさ。だって神だぜ? 今時お笑いのコントでもなかなか初っ端にブッこまないセリフだぜ? 前にもあったんだ、情報があるとか嘘ついて金をせびろうとした奴は。その類だと思った。けど、神っぽい力をいくつか見せてもらって、神かどうかは分からないが、人間じゃねえのは分かった。だから信じてみることにした」
 それに、と続ける。
「私は、こいつを殺すためだけに今まで生きてきたんだよ。こいつを殺せるのならどこにだって行く。それが帰り道のない異世界だろうが、地獄だろうが」
 それ以外に、私にはもう、何もないからな。少しだけ淋しそうに、彼女は言った。

勝者と敗者

「そう言えばさ、『狩猟者』ってなに?」
 野営中、夕飯を食い終えた後。地図を手にしたクシナダがミハルに話しかけていた。女性二人は話を途切れさせることなく、ずっと話している。よくもまあ、あんなに話が続くものだ。
「狩猟者ってのは、街の人からの依頼で魔獣やら怪物を倒して金を稼ぐ連中のことだよ」
 彼女の話を聞いていると、この世界には、すでにいくつかの国家が形成されていることが判明した。文明が生れているってことだ。人が集まって街を作り、その集合体が国となって少しずつ版図を広げている。
 だが、それを妨げるものたちがいる。怪物、化け物、魔獣と呼ばれる人に仇なす者たちの存在だ。人や家畜を襲い、時には群れを成して村や街すら滅ぼす、この世界で最も恐るべき存在。だから各国は周囲に高い塀を築き、兵を配備し、奴らに備える。今は、人対奴らの構図が出来上がっていた。
 国を守るのは、国が鍛えた兵たちだ。だが、兵の数が足りない村や街はどうすれば良いのか。国からの兵が間に合えばそれでいいだろう。だが間に合わなければ? ただ座して滅びを待つのか?
 そうはならなかった。人々の中から少しずつ、怪物退治を生業にする人たちが現れ始めたのだ。それが『狩猟者』のはじまり。以降、狩猟者人口は徐々に増え始めていた。
 僕の世界の歴史でもあったことだが、こういう場合、家督を継ぐのは大体長男。次男より下は安い給金で長男の手伝いをするか、兵士になるかだった。
 そこに第三の選択肢が現れた。依頼は命がけになるから、当然報酬も弾む。また、魔獣からとれる皮や鱗は優れた武具に加工できるため高値で取引される。家を追い出され、明日をも知れぬ貧乏人が、一体の怪物を退治し、その報酬と剥ぎ取った戦利品を売った金で一夜にして億万長者になった、なんて噂話が出回るほどだから、増加するのも無理はない。だが、けして増えすぎるということもない。己の力量も顧みず無茶な依頼に挑んだ結末は死。次々生まれるが、次々死んでいく。ハイリスクハイリターンな職業だ。
「私がこっちに来た時、あの女がこいつをくれた」
 このことを見越してたんだろう、と腰に履いた剣をポンと叩く。
「あいつを探すためには、こっちで生活を送ることになる。で、生活するためには働く必要があるわけで、今の私にうってつけだったのが狩猟者って職業」
 戦い方を学べるし、稼げるし、定住する必要がなく、世界中を回れるからだと彼女は言った。長期戦も覚悟の上で一方通行のこっちに飛んできたのか。見上げた根性と執念だ。本当に惜しい。その才能と力を向こうで開花させておけば、ゆくゆくは歴史に名を刻んだだろうに。
 ふうん、とミハルの話に相槌を打っていたクシナダは、ふいに尋ねた。
「じゃあ、あなたは本来の目的を果たしたら、その後どうするの?」
「え?」
 驚いた顔で、ミハルがクシナダの顔を見返した。その後のことを何も考えてなかったって顔だ。
「目的を果たしたら、もう一度神に逢える事があるみたいだけど、その時は元の世界に戻るの? それともこっちに残るの?」
「その、時は・・・」
 言葉に詰まる。これは彼女が悪いわけではない。
 考えられないのだ。
 人が意識を向けていられる数には限りがある。そして彼女は、その大部分を復讐のためにつぎ込んでる。メモリ一杯の状態で他の作業をしようとするとPCが停止してしまうみたいに、それ以外のことを考えようとしたら思考が止まる。その後のことを考えたくない、という心理が働くのも関係しているかもしれない。
 なぜなら、復讐が終わった後、そこに残るのは燃えカスだからだ。それこそ本当に何も残らない。経験者は語る、だ。


 それから二日。命を狙われることもなく旅は順調に進んでしまい、次の目的地付近に到達した。
 僕たちは、目的地の手前にある、大きな街に入った。どうやら、この辺り一帯を治める国家の首都のようだ。活気があり、行きかう人々にも笑顔が見られる。どこぞの港町とは大違いだ。金銭を要求してくる悪徳兵士もいないし。
 街では丁度、盛大に祭りがおこなわれていた。それだけなら何一つおかしいことなんてない。祭りなんてどこでもするだろうからだ。ただ、何のための祭りか、ということを突き詰めていくと、良い街だという意見が、少し怪しくなってきた。
 原因は、街の中央広場にあった。
 何の祭りか、と真昼間から酒瓶をラッパ飲みしてる酔っ払いに声をかけたら、意味深な含み笑いを浮かべて「中央広場に行ってみな」と酒くさい息を吐きかけてきた。
 広場に近付くにつれて、人ごみが増加し、何か物が腐った匂いが漂い始めた。よくこんな匂いの中平気だなと周りの人を見る。皆顔をしかめていたので、平気という訳ではないようだ。ただそれ以上の価値が、腐臭の先にあるらしく、皆そのために歩を進めている。
 嗅覚は脳に直接刺激を与えると聞いたことがある。だから、くさい匂いというのは目や耳、触覚から得られる不快感よりもはるかに拒絶反応が高いはずだ。それを押しのけるほどなのだから、くさややドリアン、納豆みたいに、我慢してでも欲する魅力的な物があるということなのだろう。ちなみに僕は、納豆もくさやもドリアンも食べられない。
 僕たちは口元を強く押さえながら、人ごみに流されるようにして前に進んだ。人垣が左右に割れて、目の前に空間が広がる。その空間に、それはあった。
 広さとしては、一周二百メートルのトラックがある小学校のグラウンドほどだろうか。そこの中央に、巨大な翼龍の死骸があった。
 腐りかけた翼や手足、そして長めの首、胴体、いたるところに上から巨大な杭が打ち込まれて、標本みたいに縫い留めている。
「何、コレ」
 嫌悪感を露わにしながらミハルが呟く。確かに何だこれ、な光景だ。こんなに手も焼いても食えなさそうなものを見世物にしているこの国の住民たちの感覚が今ひとつわからない。
「悪名高き敵国の守護龍だよ」
 隣にいた見知らぬ男が、何をおかしなことを言ってるんだ? とう顔で聞いてもないのに教えてくれた。
「あんたらは、旅人か? どっから来たんだ? ギルナー? ヨテポリ?」
「ヘオロトからよ。ついさっき着いたばかりなの」
 クシナダが答える。ヘオロト、知らないなあ、と男は首を捻るが、すぐにどうでもよくなったらしい。彼にとっては、最近この辺りに来た僕たちが、自分の知っていることを知らないという事実の方が大事なようだ。
「教えてやるよ。我らが守護者『グレンデル』が、ついこの間、敵国シルドとそこをねぐらとしていた龍を討ち滅ぼしたのだ」
 頼んでもないのに、男が熱く語る。説明から熱を帯びた賛美の修飾語を省いて要約すると、こういう事らしい。
 この国『ロネスネス』は、ここ近年でいくつもの周辺諸国を併呑している強国だ。連戦連勝の彼らには他の国にはないものがある。『グレンデル』という秘密兵器だ。
 グレンデルとは、巨大な人型鎧だ。
 選ばれた人間がそれに搭乗して、中から動かせるらしい。そう聞かされて、僕が想像したのはアニメやゲーム何かに出てくる巨大ロボットだ。まさかこの時代にそんなものがあるわけない、と思ったが、元の世界でもオーパーツやらなんやら出土するのだから、この世界にだって神代の遺物であったり、それこそ異世界や外宇宙の発達した文明の忘れ物があったっておかしくない。しかも、それが十五体存在するという。すこし興味がわいたのは仕方ないことだと思う。僕も男子だからだ。巨大ロボットに胸をときめかせない男がいようか、いや、いない。
 グレンデルを使って、ロネスネスは次々と敵軍を滅ぼしていった。巨大ロボットと前時代的な軍隊とじゃ、戦いもならなかっただろう。人では太刀打ちできない、生態系の頂点に立つとされる龍とて例外ではなかった。証拠が目の前の死骸だ。
「寛大な我らが王の勧告を無視して、シルドの連中は生意気にも恭順の意を示さなかった。あいつらの住処は龍によって守られていたから、攻めてこれないと高をくくってたんだろう。その思い違いを正してやったわけだ」
 グレンデルと万の軍勢で持って攻め込み、頼みの綱である龍を彼らの前で八つ裂きにし、兵はシルドを攻め滅ぼした。もともとの兵力に大きな差があったため、龍がいなくなれば戦争と呼べるものすら起きなかった。一方的な虐殺と略奪だ。それが、つい先日起こったシルド戦争の顛末だった。
「開かれてるのは圧倒的勝利をもたらした王と兵、そしてグレンデルを讃えるための祭りなのさ。一日目は宴だ。この街の全員が食って飲んで歌って踊って大騒ぎした。で、二日目の今日は戦果のお披露目と売買だ」
 売買? ぴんと来ない僕たちに、男はもうすぐ始まるから、と言った。すると奥の方から、銅鑼っぽい音が響いてきた。
「お、始まるぜ」
 銅鑼の音が近づいてくる。死骸の向こう側に、風になびく旗が見えた。向こう側から現れたのは、旗を持つ兵士、次いで、首や手足を鎖に繋がれた、服と呼ぶにはあまりにもお粗末な襤褸をまとった者たちが、武装した兵士に連れられてきた。隣でクシナダとミハルが声を失った。売買の意味が、ようやく吞み込めた。
 そうか。戦争をしているのだから、こう言う事もあり得るのか。
「皆の者!」
 一番前にいた兵士が僕たちに向かって声を張る。
「我らがフレゼル・ロスガウル陛下の計らいにより、シルドで得た戦利品を皆に分け与える! 一同、寛大なる我らが王に感謝せよ!」
 周りにいた全員が頭を下げた。黙祷みたいなもんだろうか。ある人は手を合わせて、ある人は下っ腹辺りに組んだ両手を当てて、王城の方に向かって腰を四十五度に曲げていた。
「止め!」
 の声に、全員が揃って頭を上げる。満足げに兵士は頷き「では早速、競売に移る!」と声を上げた。その瞬間、熱気を通り越して狂気じみてすらいる歓声が中央広場を包みこんだ。兵士が嗜虐的な笑みを浮かべて、近くにいた若く美しい女の首に繋がった鎖を引っ張った。女は苦しそうに悲鳴をあげて、それを見て周りが、特に若い男たちが囃し立てる。
「さあ、ではまずこの女から始めようか」

迷った時の道標

 金での取引というのは、いつから生まれ始まったんだろうか?
 一枚の貨幣に物と同価値があると、全ての人間が信じていなければ取引は始まらない。あちらに世界にいた時は当然のように、何の疑問も抱かずに使っていたが、こっちに来てから金のありがたみが身にしみて分かった。
 この世界の文明はまだ発展途上だ。だから、田舎であればあるほど、物々交換が主流、というかそれしかない。金という概念がないのだ。少なくとも自分の持っているものと同価値のものとしかトレードできない。そのせいで、飯屋で飯を食うのに自分たちで獲物を取ってこなければならないという本末転倒なことを一度やらかしている。
 だが金は利便性が高い。物の値打ちに合わせて増減ができる、持ち運びがしやすい、あらゆる物品が対象になるなど等、通貨が通用するところならどこでも使える。まさに万能のアイテムだ。
 ただ幾ら万能だからと言って、人間一人を買えるというのには少々驚いた。
「さあ、そちらの旦那から、金貨二十枚が出たぞ。見る目がある。この女、今でこそ、このようなボロボロの身なりでいるが、元はシルドの神殿で龍を祭っていた巫女だ。当然その身は龍に捧げたため、純潔を守っているわけだ。さあ、この巫女の固く閉じた岩戸をこじ開けるのは、旦那で良いのかな?」
 兵士が慣れたオークショニアのように商品を喧伝する。美しく若い女、それも処女と聞いて、一部の男性バイヤーたちが涎を垂らして熱狂した。みずみずしい褐色の肌を自分の物にしたい、自分色に染めたいという欲望をかなえるために、彼らは惜しまず金額を吊り上げる。
 もちろん、教育課程で歴史を多少学んだ身の上だ。あちらの世界でも似たようなことは繰り広げられている。過去幾度となく繰り広げられた戦争には、常に勝者と敗者がいて、負けた方が理不尽な要求を吞むことになるということも知っている。
 ただそれを目の前で繰り広げられて容認できるか否か、というとまた別問題になる。特に、人権が尊重される、平和な国で育った人間にとっては。
「下種共が」
 案の定、ミハルが怒りをあらわにしていた。すでに手は剣の柄に伸びて、握りしめている。一押しのきっかけがあればすぐにでも飛び出して、兵士たちを斬り伏せに行きそうだ。
それはそれで面白そうだ。運が良ければ自慢のグレンデルとやらが出張ってきて、一戦交えることが出来るかもしれない。彼女を止められるような手練れはあそこにいないからだ。ちなみに、自分ではやらない。僕はそんな後腐れの残りそうな、面倒なことを率先してやりたくないからだ。
 僕の心の手は、そうっと彼女の心の背を押そうと近寄っていた。話を聞かないとは言っても、僕の声は彼女の耳を通り脳を刺激する。聞かないと聞こえないは同義ではないのだ。
 今の僕はきっと、往年の名優が演じるマフィアのボスのようなあくどい顔をしているだろう。
 残念なことに、彼女の感情を撫でさすり、その背を押し出すために考えた幾つかの策を披露することはできなくなった。
 異変に気づいたのはクシナダだ。僕は何かに気付いた彼女の様子を見て、何かがあったことに気付いた。
「クシナダ?」
「近づいてくる」
 そう言って、彼女は鼻をひくつかせた。肩にかけていた弓を手に取る。
「敵?」
「わからない。けど、四方から血の匂いが近づいてくる」
 こんなに近づかれるまで気づかないなんて、と彼女は少し悔しそうに眉根を寄せたが、この人ごみにこの喧噪、そして彼女の嗅覚を邪魔するような死骸の腐臭の中で、かすかに漂う血の匂いと弱々しい悲鳴に気付けるものなどそうはいない。いるとすれば、悲鳴と血をまき散らした本人くらいのものだろう。
「おい、どうした?」
 僕らがあらぬ方向を見ていたのに気付いたミハルは、怒りの表情そのままにこっちを向いた。聞かれても困る。僕にも良くわからない。
「武器を持った連中が、近づいてくる。すでに何人か殺されていると思う」
「殺されているって、マジかよ」
 クシナダの説明に、流石のミハルも驚く。
「しかしなんだってこんなところで殺人が起こんだよ。確かにぶっ殺してやりてえくらい頭のおかしな連中はいるけどよ」
 ミハルが周りで熱狂する連中を見て吐き捨てる。
「あんた、進学校に通ってたんだろ?」
 とっくに理由に気付いてると思ってたので、ついつい彼女に口をきいてしまった。
「んだよ。馬鹿にしてんのか!」
 その通りなのだが、わざわざ肯定してややこしくしたりはしない程度の分別を僕は持っている。話が進まないから説明する。
「簡単な理屈だ。戦勝国で開かれている奴隷市場に武器もって参戦する連中なんか限られてる。有力なのは、今のあんた以上にこの状況に対して怒りを覚えている連中だ」
 今度の悲鳴は、僕にも聞こえた。最前列の一か所が割れ、熱狂がさざ波が引くように消える。空白を埋めるように現れたのは、今競売にかけられている連中同じ褐色の肌の戦士だ。
「何だ貴様らは!」
 オークショニアをしていた兵士が、先ほどの巫女の鎖を引っ張って自分のもとに引き寄せ、自分の盾とした。
「攫われた者たちを、取り戻しに来た」
 少し小柄な、男か女か判別のつきにくい中性的な容姿をした人物が群衆から一歩進みでる。それを見た奴隷たちが、一斉に目を見開いた。
「ティル様・・・なぜここに・・・」
 巫女が苦しげに言った。彼女の言葉に劇的な反応を示したのは、彼女を捉えている兵士だ。
「ティル、だと? まさか貴様、『ティル・ベオグラース・シルド』、取り逃がしたシルド王族の最後の一人か!」
その名は瞬く間に伝染し、兵士たちが一斉に武器を構えた。
「名前を知っているのなら話は早い。そこに理不尽にも拘束されているのは我らの民。返していただく」
「笑わせるな! こいつらは我らロネスネスが負け犬から勝ち取った戦利品だ! 返せと言われて返すわけがない。我々の物だからだ!」
 それを聞いたティルとやらは鼻で笑った。
「泥棒が人の家に押し入って強引に奪ったものを自分の物だと声高に叫ぶ。滑稽にもほどがあるな。ロネスネスの人間は、王も兵士も臣民も恥知らずばかりだ」
「貴様、負け犬の分際で!」
奴隷たちを囲んでいた兵士たちがティルに対して一歩進む。兵士たちの注意が逸れた、その一瞬。
「うぐっ」
 バタバタと彼らは倒れていった。兵士たちの首や胸、背中には矢や細長い針が突き刺さっていた。吹き矢の様なものだろう。周りの仲間たちが倒れ、残った兵士たちが混乱をきたす。群衆たちが逃げ惑うのもそれを助長した。彼らが外へ向かって流れていくため、外にいる異変に気付いた外側にいた兵士たちは、その流れに邪魔されて中央に近付けない。
 相手の連携が乱れている間に、群衆の中から武器を持った、ティルと同じ褐色肌の戦士たちが襲い掛かる。彼らはカギを奪い取り、奴隷たちの鎖を外していく。解き放たれた奴隷たちは、助けに来た戦士たちに導かれて逃げていく。
ティルの仲間たちは前もって兵士たちを狙える距離に移動していた。そして、一歩踏み出し、奴隷たちから離れたところを一斉に射掛けた。
「見事な手際だね」
「感心してる場合かよ。私たちはどうすんだよ」
 混乱のさなか、僕たちだけが停滞した凪のようになっていた。腹の立つことがあったとしよう。けれど、自分以上に激昂している人が傍にいると、怒りの熱が一気に下がって冷静になる。今、ミハルはその状態だ。僕への怒りすら下がっているみたいだ。
「どうする、と迷ったら、面白い方に行くんだ」
 この場合、面白そうなのは負け犬の方だろう。それに、さっきからがなり立てている兵士が気になることを言っている。「グレンデルはまだか」「あれはまだ調整中だ」と。ロボットみたいに、メンテナンスが必要なのだろう。なら今すぐここに現れることはない。それに、彼らについて行けばいずれ出張ってくるだろう。
 なにより、彼等の逃げる方向が気になった。あの方向は、地図で赤印がついている方向だ。シルドと呼ばれる連中が、無計画にここに舞い戻り、敵兵の命を奪い、奴隷を救出していくだろうか。国を滅ぼされた彼らこそが、グレンデルの恐ろしさを知っている。それでも今日この計画を実行した。報復に対抗する手段を持っているからじゃないのか。それがこの赤印の正体だとしたら。
「タケル?」
 横からクシナダが僕の肩を叩く。
「どうしたの、ぼうっとして。・・・何か悪巧み?」
 じろりと半眼で僕を睨む。
「人聞きの悪い。僕がそんなこと考えるわけないじゃない?」
 どうだか、と彼女は肩を竦めた。

守護龍

前を行く彼らは追っ手の目をかいくぐるためにダミーやトラップをそこかしこに仕掛けていた。しかも大勢の囚われていた奴隷たちを連れて逃げているにもかかわらず、移動速度が速い。現行人類最高クラスの感知能力を持つクシナダがいなければ、僕らもとっくに撒かれていた。それくらい彼らは用心深く逃げていた。
「止まった・・・?」
 そう言ってクシナダが立ち止まる。つられて僕とミハルもその場で停止し、息を殺した。
「気づかれた?」
 小さな声でミハルが尋ねる。
「わからない。・・・・、あ、いや。また動き出したわ」
 クシナダが再び歩き始めた。彼女の感覚に従って、僕たちも後に続く。
「なんか、おかしい。少しずつ人数が減ってる」
 少し焦る様な口調でクシナダが言った。心なしか、進む速度も上がっている。
「減ってる? 前に進んでるから、感知範囲いなくなったせいじゃなくて?」
 確認のために聞く。彼女は戸惑いながらも「自分の感覚を信じるなら、それが一番正しい表現」と返した。
「徐々に減ってる。後、十五人、十二、九、七、五・・・」
 カウントダウンみたいに数が減っていく。零になるまでそう時間はかからなかった。クシナダが誰もいなくなったと判断してから一分経つかどうかというところで、僕らは彼らが最後まで存在した場所に辿り着いた。
「誰も、いない」
木の陰からこっそりと覗き込む。
そこは、切り立った岩肌がそびえ立つ崖だ。所々蔦か雑草の緑があるが、大体茶色と鼠色の断層を見上げる。
「行き止まり、だな」
 ここからは右か左のどちらかしか進めない。だが、左右に生い茂る草木には折れたり押し固められたりと、人が通った形跡が見られない。かといって、高さ十メートルを軽く超える九十度の壁を昇って行ったとも考えにくい。むしろそんな集団なら戦争に負けないだろう。
「なるほど、確かに『消えた』な」
 崖のそばに近付く。彼らが通ったと思しき足跡も、崖の前で消えている。
「こういう場合のお約束といえば」
 崖に触れる。じゃりじゃりして、少し冷たい。触れた傍から、ボロボロと崩れた砂利が下に落ちる。構わず、ぺたぺたと辺りを触れる。
「何してんの?」
 後ろからクシナダが近寄ってきた。
「ん? ああ。こういう時、僕の世界で良くある話なんだけど」
「というと?」
「仕掛けがあるんだ。別の場所へ転移させるタイプか、スイッチ式か、もしくは」
 言いながらも手を動かしていると、岩肌を撫でていたはずの指から感触が消えた。ビンゴだ。
 指が触れた位置まで移動する。他の場所と比べても特に変わったところのない壁だ。そこに向かって、今度は腕を突きいれてみる。
「あ」
 クシナダが手で口元を押さえ、驚きの声を上げた。僕の腕の肘から先が壁の中に完全に埋没しているからだ。確信を持って、そのまま頭を前へ。頭は壁に邪魔されることなく通過する。突き抜けた先は、かなり広い洞窟が広がっていた。点々と星のように壁面で輝いているのは、コケの一種だろうか。そのおかげで洞窟内は非常灯だけが灯る映画館くらいの明るさが保たれている。ようやくファンタジーっぽい風景が現れたな。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「大丈夫っぽい。入れそうだ」
「入れる? 一体そっちはどうなってるの?」
 答えずに、一歩踏み出す。体が完全に洞窟の中に入り込んだ。ヒンヤリした、どこかじめっとした空気が体の内外にぺたりと張り付く。
「タケル、ちょっと待って・・・・って」
 続いてクシナダが入って来た。
「前のも凄かったけど、これは、また」
 以降、言葉が続かない。
「なん、だ、こりゃ」
 クシナダの後に入って来たミハルも、馬鹿みたいに口を開けて、その光景に魅入られる。
「クシナダ」
 まだぼうっとしているクシナダに声をかける。
「今、外の気配を感じ取れるか?」
「え、ええ、えと」
 我に返り、すうっと集中する。しばらくして、首を横に振った。
「彼らは消えたわけじゃなく、ここに入った。だからあんたの感知から逃れた」
「ええ、そして、今ならわかるわ。彼らの気配が、ね」
 ああ、そうだね。僕にもわかるくらいだ。僕たちは導かれるように奥へ進む。甲高く響く足音を引き連れて先へと進むと、円状の空洞が広がっている。空洞の中央あたりにまで来たところで、ヒュ、と短く小さな音を立てて、僕の顔すれすれを矢が飛んでいった。カツンと壁に当たり、火花を散らして落ちる。
 足を止め、当たりを見渡す。光の影に体を溶け込ませて、何十人もの射手が、こちらに向かって狙いを定めている。先ほどのは警告替わりか?
「何者だ。ロネスネスの手の者か」
 静かな声が洞窟内に木霊する。この殺意に満ちた中に放たれたにしては、えらく穏やかな声音だ。
「この声、さっきも聞いたな」
「とすると、お前たちはさっき広場にいた者か? 追跡に全く気付かなかったぞ。見事なものだな」
 陰から一人進み出た。先ほど見た、中性的な容姿をした、確か
「私はティル・ベオグラース・シルド、シルド王族の生き残りにして、シルドを率いる者。短い付き合いになるかもしれんが、そちらも名乗られよ」
 近くで見ても、やはり若い。声も高いし、この容姿だ。男なら可愛い可愛いと女子に弄られながらもちやほやされ、女ならカッコいいとやはり女子にモテモテのタイプだ。
「僕はタケル。ええと、一応『狩猟者』ってことになってる。自覚は無かったけどね。短い付き合いになるかもしれないから最初に聞いておきたいんだけど、あんた、男? 女?」
 ティルは、一瞬キョトンとした後、大笑した。
「私の方こそお前に聞いておきたいな。この状況で、それが最後の言葉になるやもしれんのに、出てきたのが私が男か女か、そんなことで良いのか、と」
 ようやく落ち着いてきたのか、それでも腹を押さえ、ヒィヒィとひきつった様な呼吸でティルが言う。
「その落ち着きぶりからすると、私たちがここで待ち構えているのを分かって、ここに来たな?」
「まあ、そうだね」
「こうなることが分かっていて?」
「想定の範囲内だ」
「目的は? 狩猟者と言っていたが?」
「僕の目的は、化け物と戦うことだ」
「化け物、とな?」
「僕らが持つ地図には、強大な力を持つ化け物の位置が映し出される。地図は今、こっちを示している。あんたらの後ろを興味本位でついてきたのは、たまたまその方向を地図が示していたからだ」
 話の途中から、周りが少しざわつき始めた。目の前のティルは真意を見極めようと目を細め、僕を見つめる。
「・・・化け物に、心当たりでもあるの?」
「化け物には、無い」
 『には』か。なら、何にならあるのかな?
「だが、その情報をお前にやるわけにはいかんな」
「別に、無理に貰おうとは思わないよ。どうせ地図に示されてる。その方向へ進むだけさ」
「それも困るのだ。だから」
 すっと、ティルは一歩下がった。四方からの殺意が強まり、ピリピリと肌を刺す。
「選べ。このまま何も見なかったことにして、ここから消えるか。四方より矢の洗礼を受けるか」
「ずいぶんな二択だ。そんなに大切な物がそっちにはあるってことか?」
「答えてやる義務はない。これでもずいぶんと譲歩していると思うがな。お前らはロネスネスの者ではない。私たちは無益な殺生を好まない。奴らにここの情報を伝えぬと約束するなら、無傷で返そうというのだ。もともと選択の余地などあるまい?」
 ああ、無いね。僕は、自分の目的のための手段を選ぶだけだ。いつだって、どこだって、それだけは変わらない。
「短い付き合いになったね」
「ああ、どうやらそのようだな」
 僕の意志をくみ取ったか、ティルもまた、腰に佩いていた剣を取る。幅広の曲刀が抜き放たれるとともにシャランと鳴った。
「って、待て待て!」
 ミハルが大声で僕とティルの間に割って入った。
「てめえ、何勝手に話し進めてやがる。いつからお前が私たちの意志決定ポジションに付いたんだよ!」
「だって、何も言わないから」
「言う暇を与えなかったんだろうが! あと、お前!」
 ズビシ! とティルを指差す。
「お前もだこの野郎・・・野郎か? まあいい! 言っとくが、こんなことを言ってるのはこいつだけで、私らは違う! 今てめえ、私らのことひとまとめにしたろ!」
「え、違うのか?」
「違うわボケ! こんなやつと一緒くたにするのも腹立たしければ、私らの話も聞かずに殺戮開始ってどういう神経してんだ! てめえ王様だろ。ここのもん率いるリーダーだろ! てめえの指示一つでどういう結果が導かれるか考えたことあんのか!」
「そのくらいわかって」
「分かってねえ、全っ然わかってねえ! お前は目の前の敵をきちんと分析したか! ただの人間としか見てねえんじゃねえのか!?」
 あれ、この話、どっかで聞いたことなかったか?
「狩りの時、目の前の獲物がすげえ弱そうでも万全を期すんだ。何故かわかるか? 獲物の生体、行動を調べて調べて、調べ尽くしても逃げられたり、時には手痛い反撃を喰らうからだよ! 良く知ってるのでもそうなんだ。未知の獲物に真っ向から向かうなんて愚を犯すのか!? それで死ぬのは、お前の大切な仲間たちだぞ!」
「ぬ、うぬぅ」
「うぬうじゃねえよ馬鹿! その程度のこともわからねえでうかつに号令なんぞ発すんな!」
私が以前、あなたに言った事なんだけど、とクシナダが苦笑を漏らした。
「ティル様! 大変です!」
 部下らしき女性が、洞窟の奥から息を切らせて走ってきた。
「卵が、卵が・・・!」
 その言葉を追い抜かんばかりの勢いで、影が飛んできた。女性を追い越し、ティルに怒鳴り散らしているミハルに向けて強襲する。
「え?」
 背後からの完全なる不意打ちに、ミハルは声を上げることも躱すこともできなかった。
「ぐぶぅっ!」
 普通の女子なら一生上げないであろう悲鳴を上げて、ミハルが吹っ飛んだ。ゴロゴロと転がること三回転。ミハルの上に、影が乗っかっている。
「きゅう!」
 影が鳴いた。暗闇に慣れた目が、全貌を映し出す。
「可愛いわね」
 隣でクシナダが微笑ましいものを見るかのような笑顔で言った。ふむ、どこの世界でも、いつの時代でも、女子はマスコットキャラが好きなのか。
 そこにいたのは、小型の龍だ。僕が持つイメージとは少し違い、鱗の代わりにふかふかの毛皮で覆われていた。羽も蝙蝠型じゃなくて鳥の羽根っぽい。
 昔見た映画に出てきた、少年を乗せて空を飛ぶ龍に羽根をつけて小さくしたら、多分こんな感じだと思う。果てしない物語が始まりそうな予感がするよ。
「ごほ、ごほ、なんだ、こいつ・・・・?」
 ミハルが体を起こし、龍と顔を合わせる。自分に気づいてもらえてうれしいのか、きゅうきゅうと甘えた声で鳴きながら、彼女の顔を舐め回した。
「ちょ、おい・・・・うっぷ・・・止めろって!」
 ミハルが龍の胴体を掴み、引き離す。それすらも構ってもらえていると思っているのか、高い声を上げてまた鳴いた。旗から見れば子どもをあやす母の図だな。
「守護龍様!」
 ティルが驚いたように叫び、平伏する。他の連中もぞろぞろと慌てて出てきて、龍の前に跪く。守護龍様、だと? まさか・・・・
 ある予感を胸に、ごそごそと地図を取り出す。
 僕たちがいる場所を示す三角マークと、化け物のいる赤印が、見事に重なっていた。

共存の振動数

「私たちは龍と共に暮らしていた」
 争う理由が、主に僕のやる気の低下によって無くなった。こんな子トカゲとなど戦う気は起きない。一気に面倒くさくなってきて、彼らの相手をクシナダに全て丸投げした。
 クシナダの方は元々敵対する理由は無いから戦う意志など持ってない。だからこうしてテーブルについて、のんきに出された茶をすすりながら話を聞いている。
 ティルの方も、僕たちが敵でないと判断した。それは、ミハルに龍が懐いていることも無関係ではないだろう。
 多分あれだ、動物に好かれる人間は優しい奴だ、とまことしやかに囁かれている都市伝説と一緒だ。うちの守護龍様が懐いているのだから、彼らは良い奴に違いない、話せばわかる連中だ、みたいな感じで。龍と共に暮らしてきた連中は、判断を龍に委ねる傾向になるみたいだ。
 ちなみに僕は全く逆の説、動物に優しい奴は人に冷たい説を支持している。動物に優しい連中は総じて、人間関係に疲れて、人間相手なんぞうんざりという奴が多いからだ。
 すでにこの地の敵から興味を失った僕をほったらかしにして、ティルがクシナダ、ミハルにこれまでの経緯を話している。
「なぜ、生物の頂点に君臨する龍が地を這う人と共に生きているのかはわからない。遠い昔、私たちのご先祖様と龍との間で何らかの契約がなされたらしいが、詳しいことは分からない。知っていた人間は、今回の戦争で全員殺されてしまったからな」
 資料も焼き払われてしまったし、とティルは唇を噛んだ。
「ともかく、私たちは龍を祀り、龍は私たちを守護してくれていた。民たちは穏やかに暮らし、それがこれからも続くものだと誰もが思っていた。あの日までは」
 彼らのもとに、突然そいつらは現れた。
「ロネスネスの使者がいきなり集落に現れて、何の交渉も挨拶も・・・・・ああ、一応あったな、人を見下したような偉そうな挨拶が」
 怒りながら笑うという器用なことをした後、ティルは続けた。
「その後に一方的に通達していったのだ。我らに従え、手下になれと。それだけでも無礼千万であるのに、毎年の税を支払う義務やら分不相応な金品の没収やら村に代官を置くので今後はそいつに従えやら、好き放題要求を吹っかけてきた。噂には聞いていた。近年力をつけたかの国が、周辺の国を次々と併呑していると。そして、滅ぼされた国の民たちは酷い扱いを受けていると」
 族長であったティルの父ラークは、それだけの無礼を働かれながらも、どうにかしてロネスネスと交渉し、平和的に事を解決しようとした。
「誰もが口々に父をなじった。我らには龍の守護がある。これまであらゆる国がシルドを攻め落とそうとして、龍の加護に阻まれ、龍の息吹に逃げ帰った。なのにどうしてわざわざ奴らをいい気にさせる必要がある、奴らこそが頭を垂れて許しを請うべきだと」
 龍にとっては迷惑な話だろうな。勝手に戦いの頭数に入れられているのだから。
「家族である自分までもが、父親は臆病風に吹かれてしまったと嘆いた。父の、あの悲しそうな笑顔は二度と忘れることはないだろう。あの時の私は、浅はかというほかなかった。父の考えを読み取ろうともせず、怒りで考えるのを放棄してしまっていた。全てを話してくれさえすれば、私も父の味方に回ったのに。そう嘆くのは、都合のいい話か」
「全て、というと? 何か事情があったということですか?」
 クシナダの問いに、ティルはミハルに目を向けた。正確には、彼女の頭に飛び乗ったまま離れようとしない守護龍へ向けて。つられて、ミハル以外の全員が目を向ける。
「先代の守護龍様が、新たな命をその身に宿していたことを、さ」
 きゅ? と視線に気付いた幼い龍は首を傾げた。
「龍は最強の生物だ。だが、そんな龍でも力を衰えさせるときがある。出産がまさにそれだ。龍の出産は、他の生物とは一線を画する。己の力を、積んできた経験を次代に受け継がせるために全身全霊を賭す。だからこそ次に生まれる龍はさらに強い個体になる。が、その代り、母体は極限まで弱る。生命力、魔力、根こそぎ出産のために用いられるからだ」
「おいおい、それってもしかして」
 ミハルが、上から垂れてくる龍の尻尾を煩わしそうに払いながら言った。さっきから何度も頭の上から追い払おうとしていたが、追い払っても追い払っても龍は彼女から離れようとしない。ついにミハルは諦め、頭上を龍に占拠されてしまっていた。
「そうだ。父は守護龍様の体調が弱っていることを知り、身籠っていることを察した。だが、そのことを私たちに打ち明けなかった。打ち明けられなかった。数代前、そのことが外部に漏れたことで、悪しき者が龍の卵を奪おうとしたことがあったのだ。以来、龍と直接言葉を交わせるのは歴代の王と祭事を司る巫女長のみ。情報を外に漏らすことを禁じたのだ。漏らせば、王であろうとも極刑は免れん」
 堅い口がよもや国を滅亡させるとは思わなかっただろう。皮肉なものだ。ルールを破れば死、ルールを守れば死、完全に打つ手なしの八方塞がりだったのだ。
「私たちの反対を押し切って、王はロネスネスへと交渉へ向かった。王は、おそらく分かっていたのだ。敵は強大で、たとえ守護龍様の加護があろうと勝つことは難しいと。だから和平の道を探した。そして、首だけになって帰ってきた」
 ティルの両こぶしに力が入る。
「我らの怒りは頂点に達した。怒りの炎が天を焦がさんばかりに立ち上り、一族は一丸となって敵を討つ、そう気炎を吐いていた。我らには龍の加護がある。負ける道理などない。先ほど、ミハルが私に言った通りだ。敵のことを調べようともせず、無根拠に勝てると思いあがっていた」
 愚かだった。自分たちの行為を、そう評した。
「結果はこのありさま。多くの仲間を失い、守護龍様を失い、国を失った」
 場に重たい空気が流れる。
「しかし、王はあらゆる事態を想定していた。自分が死ぬことも含めて、私たちが勝手に敵に挑み、敗れるのも見越していた。万が一の場合に備えて、卵をここに隠すよう命じていた。守護龍の卵は、私たちにとって最後の希望。守護龍あるところにシルドの民はある。卵は孵り、新たな龍が誕生したのは喜ばしいことだ」
 ただ、とティルは続けた。
「まさか、あなたにこれほど懐くとは思わなかった」
 すっと、龍に向かって手を伸ばす。すると
「ぎゃう!」
 伸びてきた手に噛みつこうとした。慌ててティルは手を引っ込める。ガチン、と鋭い牙が指先寸前で合わさる。あのまま伸ばしていたら確実に指を噛み千切られていただろう。古い映画にも出てきた、真実の口を思い出す。
「そして、私がこれほど嫌われるとも思わなかったが」
 少し傷ついたように、噛まれそうになった手と龍を見比べる。龍はティルを睨みつけ、威嚇するように喉を鳴らす。
「本当に、何ででしょう? 私にも一応触らせてくれるのだけど」
 クシナダが龍に向かって手を伸ばす。今度は噛みつこうとはせず、されるがままに撫でられて、気持ちよさそうに声を出した。
「一体どういう事なのだ? ミハル殿」
「いや、それ私の方が聞きたいから。そんな恨みがましい目で見られても困るから」
 そう、さっきからこの龍、本来の守護対象であるティルに全く懐かず、むしろ毛嫌いしている。反対にミハルやクシナダに対しては無警戒で、されるがままになっている。かくいう僕は、というと
「ぐるるるる!」
 龍よりもミハルが威嚇してくるので、まだ試せていない。
「もしかしたら、ミハル殿を親だと思っているのかもしれません」
 ティルの背後に控えていた女性が口を挟んだ。ゆったりとしたローブと、それですら隠し通せない豊満な体つきをした、生真面目でちょっと苦労性がにじみ出ている美女だ。先ほど卵の異変を伝えに走ってきた女性で、龍を祀る巫女長らしい。先代が先の戦争で亡くなったため、急きょ繰り上がりで任命された、と本人が言っていた。
「セーオ、どういうことだ?」
 セーオと呼ばれた巫女長は「先代からの教えに、自分の推測を加えたものになりますが」と前置きして
「いかに龍とはいえ、子は成長するまで自分を庇護する者を欲します。通常であれば、それは親である先代の守護龍様の役目でありました。しかし、もういません。そこでこの子は、親の代わりに自分を守ってくれる者を探していたのではないでしょうか。そこへ、ミハル殿が現れた。ミハル殿の怒鳴り声が届いた瞬間から、卵はひび割れ始めたのです」
「声を聞いてた、ってこと?」
 はい、とセーオは頷く。
「おそらくミハル殿の怒鳴り声は、先代の守護龍様の声と似ていたのではないか、と。それを親が自分を呼んでいると勘違いした守護龍様は、その声の主のもとへと飛んで行った。私はそう考えております」
「・・・ちょっと無理ない? その話」
 龍と声が似ていると言われてもピンとこないんですけど、とミハルが愚痴りながら目の前で揺れる尻尾に息を吹きかけた。細い尻尾がゆらゆらと揺れる。
 彼女は信じられないみたいだが、僕はそう的外れな話じゃないと思っている。テレビの砂嵐画面で流れる音を聞かせると、鳴いていた子供が泣き止んで眠る、とは有名な話だ。母体にいた頃と同じ音だから安心して眠れるそうだ。音楽にはヒーリング効果があるし、女性は男性の低音ボイスに惹かれるという。また、黒板のひっかき音が駄目な人と大丈夫な人がいるように、音に対して耐性というか、個体差もある。
 声も音も、空気の振動だ。耳朶を打ち、刺激を脳に伝える。龍の耳が振動をどういうとらえ方をしているかはわからないが、振動数とか周波数とかが似ている、もしくは自分にとって心地よいから懐いている、と考えられるんじゃないだろうか。つまるところ波長が合ったってことだ。
「しかし、本当に困った。私たちは囚われていた者たちを解放したら、卵を抱えてこの地を離れるつもりだった。しかし、奉るべき守護龍様がミハル殿から離れようとしない。無理矢理引き離せばどうなるかわからん」
 どうしよう、とティルは頭を抱えた。そんな仕草は年相応に幼く見えた。

真実に事実は含まれるのか

 あてがわれた、というか半強制的に宿泊を迫られたので、僕らはその日、洞窟内で一泊することになった。ミハルから龍が離れようとしないせいと、僕らのことを敵のスパイだと疑い、外に出したら情報を漏らされると危惧したせいだ。殺してしまえ、という意見もあったようだが、そこはティルが抑えた。僕らはともかく、龍が懐いているミハルを殺すのはマズイと説き伏せたようだ。その妥協点が監視付きの軽い軟禁状態だ。食事も出してくれるというので、お言葉に甘えることにした。別段急いではいないし、出たくなったらいつでも出られる。
 夕飯から寝るまで、ティルは王族の義務か何か知らないが龍と仲良くなろうと画策し続けた。食い物で釣ったり、貴金属類で釣ったりしていた。
「食べ物は分かるけど、どうして宝石や金貨を使うの?」
 というクシナダの疑問に対して、
「龍は鉱石や金属を好んで収集する癖がある」
 奪われるだけ奪われて結局仲良くなれず、落ち込んで三角座りをしながらティルが説明した。ティルから宝石を奪った龍は、今はミハルの頭上から離れ、奪い取った戦利品をを体の下に敷いて眠っている。低反発には程遠い高価なベッドだ。痛くないのだろうか?
「そういう習性があるから、昔から龍の巣には金銀財宝が眠っているという話が後を絶たず、龍に挑む者たちが後を絶たず、犠牲者が後を絶たない」
 龍の前から命からがら逃げかえった者、偶然見かけた者、時にはシルドの民と同じように龍と交流を持った者たちの話が合わさり、あらゆる生き物の頂点に立つ生物の逸話や伝説が生まれた、とティルは言う。
 曰く、はるか北、夜の無い地には未来を予言する龍がいて、辿り着いた者に一つだけ未来のことを教えてくれる。
 南の大海には、一息吸っただけで人を死に至らしめる猛毒と、あらゆる生物を石にする呪いの力を持った龍が眠っている。
 東の高く連なる山脈のどこかには嵐を纏う龍が住み着き、あらゆる者の入山を拒み、気まぐれに周辺の街を蹂躙し尽くす。
 西の深き森には八本の首を持つ龍が支配していて、その地に住んでいた人々を残らず食い殺した、など等だ。どれも眉唾物だが、とティルは付け足したが、心当たりが一つ二つあったりしたので、全てが全てただの迷信という訳ではあるまい。次は北か東に行ってみよう。
「そう言えば、タケルたちは狩猟者だと言っていたな」
 今度は、ティルが僕たちに尋ねてきた。
「正確には、自分の行動を今の職業に当てはめると、狩猟者になる」
「では、もともと金を稼ぐためにしていたわけではないのか?」
「ただの趣味だ」
 初めは頼まれたからだったんだけど。今では死ぬまでの暇つぶしも兼ねている。
「ただの趣味で、今まで怪物たちと戦ってきたのか?」
 呆れたような驚いたような、そんな複雑な表情でティルは目を見張った。
「事実なんだからしょうがない」
「いや、否定するわけではない。でもその割には、お前はあまり狂気に染まっておらんのだな。正気だ」
「というと?」
 まるで、狂気に染まった奴を見たことがある様な言い草だ。
「ロネスネスの王、フレゼルが、正にそうだった。戦うこと、相手を殺すことを趣味にした、狂人よ」
 ぶるり、とティルは肩を震わせた。
「グレンデルの中でも最も強いグレンデル『フルンティング』を駆り、逃げ惑う人々を虫けらのように踏みつぶし、そして・・・守護龍様の心の臓に剣を突き立てたあの男こそ、まさにそうだ」
 ずっと笑っていたのだ。ティルが両耳を塞ぐ。
「今でもあの光景は目に焼き付いて離れない。あの笑い声が耳にこべりついて離れない。あいつは、笑いながらシルドの民を殺し続けた。女も子供も容赦なく、逃げる者たちをわざわざ追いかけて、念入りに潰していった。守護龍様の遺骸を引きずって持ち帰り、捕虜たちの前で見せつけるようにして遺骸に杭を打ち付けていった。何本も何本も。目を逸らせば鞭打たれ、顎を掴まれ、強引に目を見開かされたそうだ」
 最低だが、効果的だ。心のよりどころを失えば、人はいとも簡単に折れる。なるほど、幾つもの国を併呑してきたのだから、滅ぼした国の民の扱いは心得ているということか。
 すまん、変な話をした、と断って、ティルは話を戻した。
「つまりはまあ、そういうわけで。戦いを趣味にしている人間にしては、まだしゃきっとしているなと。そう言う事を言いたかったわけなのだが」
「はっ」
 ミハルが鼻で笑う。
「そいつがまともなわけあるかよ。あんたはそいつのことを何にも分かっちゃいない」
「そういうお前は、タケルのことを知っているのか?」
「さあ? ただ、私がそいつについて知っているのは、そいつが兄の仇だってことだ。そいつの情報で知っておくべきことなんてその程度で充分だ」
「ミハル、私にさっき言った事と矛盾していないか?」
「してねえよ。ああ、そいつを確実に殺すための情報ならいるか」
 げらげらと笑うミハルに対して、ティルは怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ悲しそうな目を向けた。
「んだよ」
「別に。お前がそれでいいなら、私から言う事など何もない」
「ケンカ売ってんのか?」
 がたり、と椅子を蹴立ててミハルが立ち上がった。声に気付いたか龍が起き、首をもたげる。
「言いたいことがあるなら言え」
「お前にとって耳障りなことだと思うぞ? 気に入らないタケルのことは知りたくもないと言ったお前には、最後まで我慢して聞けるとは思えんのだが」
「言えよ」
 ぐいと体を乗り出して、ティルに顔を寄せた。額がぶつかりそうな距離だ。
「私がタケルに会ってから、まだ一日も立ってはいないが、そこからわかったことは、話は通じる人間だということだ」
「一応同じ人間なんだ。話くらいできるだろうよ」
「そういう事を言っているのではない。話が通じぬ、というのはフレゼルのような輩を言うのだ。タケルは違う。分別を持っている。もちろん、目的のためなら私たちと衝突することも辞さないところもあるが、他は普通、むしろ理性的な方だ」
 ミハルの手が、ティルの胸倉を掴んだ。
「てめえの感想なんぞ何の意味も持たねえんだよ。あいつは殺した! 私は見たんだ! 兄が血まみれで倒れている部屋からあいつが出てくるのを! 返り血で顔も服も汚したあいつの顔をこの目でな! それが事実だ!」
「・・・では、その理由はなんだ?」
 荒々しく吠えるミハルとは対照的に、ティルは怯えることもなく、冷静に返す。
「理由なんぞ知ったことかよ。さっきから何が言いてえんだよ」
「理由なく人を殺さないように見えたから、言っているのだ」
 怒りに染まったミハルの目から逃げることなく、ティルはその目を見返した。
「理由もなく人は他人を襲わない、殺さない。ロネスネスの連中がシルドの民を襲ったのは戦争のため、領土拡大の為、奴隷獲得の為などだ。そこに利があるからだ。私たちがあいつらの仲間を殺したのは復讐の為、囚われた仲間を解放するためだ。そしてミハル。お前がタケルを殺そうとしているのは復讐の為だろう? ではタケルは? 何のためにお前の兄を殺したのだ」
「だからそんなもん・・・」
「怖いのか?」
 そう言ってミハルの手を掴む。
「てめ、離せ」
「真実を知るのが怖いのか? そうだな。殺される理由を、お前の兄が持っているなど考えたくもないのだろう?」
 振りほどこうとするミハル、逃がすまいとするティル。
「兄を侮辱する気か?!」
「侮辱しているのはお前の方ではないのか? お前の言う事が正しいのであれば、兄の最後を知っているのは、目の前にいる憎い男のみだぞ? 兄の最後を知ろうとは思わないのか。一体どんな因縁があって、タケルに殺されなければならなかったか、知る必要があるのではないか?」
「兄にそんな理由は無い! あるはずないだろ!」
 その言葉に、あからさまに馬鹿にしたような笑みを浮かべてティルは言った。
「実はお前は、意外に自分の兄のことを何も知らんのではないのか?」
 ガッ
 ティルの横っ面がはじけ飛んだ。ミハルが殴ったのだ。ティルの言葉が、ミハルの逆鱗に触れたらしい。
「好き勝手抜かしやがって。てめえの方こそ何様だ。私と兄の何を知ってる。何が分かる!」
 肩で息をしながら、ミハルは叫ぶ。
「知らんよ。何も」
 口元に滲んだ血を指でふき取って、ティルは言う。
「だが、これだけは言える。お前の言う事実とやらは、兄が死に至るまでの過程の、たった一部分だということだ」
「偉そうに・・・っ」
 二人が睨みあう。
 まずいな。話が僕の望まないほうへ進んでいる。これ以上話が進みそうなら、少々強引な手を使っても止めるか。そう思って腰を上げかけたところで、丁度いい知らせが届いた。
 敵襲の報だ。

若さゆえの過ち

「敵の数は?」
 ティルは部下たちとともに、テーブルの上に周辺の地図を睨む。僕たちは完全に蚊帳の外で、彼らの軍議を外側から眺めていた。さっきまでティルと言い争いをしていたミハルは体を横に向け、あっち側を見ないようにしていた。子どもの拗ね方と一緒だ。
「およそ千。三つに分かれて、こちらに向かって進軍中です」
「この場所がばれた、ということか?」
「わかりません。報告ですと、敵は四方に同数の兵を送り込んでいる模様です」
 偵察かもしれないな、とあごに手を当てて呟く。
「敵の中に、グレンデルは」
「確認できておりません。やはり思った通り、グレンデルは一度動いた後、一定期間動けないのではないか、と」
「グレンデルさえいなければ、我らにも勝機が!」
 血気盛んな部下を「早まるな」とティルは制した。
「グレンデルの重要性を知っているのは他ならぬ奴らだ。その奴らがグレンデル抜きで進軍してくるなどあり得ない。もし来るとすれば・・・」
 しかし、ティルの言葉を部下は聞かない。
「ティル様は慎重に過ぎます!」
「それでは後手に回ってしまいますぞ!」
 比較的若い、とは言ってもティルよりも年上の奴らが物申す。
王族の一人とはいえ、年若いティルには、まだ部下を御するほどの力はないようだ。彼らにとって、王とは守護龍を率いることのできる者だ。守護龍に嫌われている者を王とは認めていないのかもしれない。もしかしたら、見た目のせいかもしれないが。見た目からは王族の威厳とか人を率いるカリスマは微塵も現れず、むしろアイドル的素養しか見当たらない。
「待て! 勝手なことをするな!」
 ティルが引き留めるのも聞かず、若い連中は部隊の編成に行ってしまった。くそ、と苛立ちを机にぶつけるティルの肩を、背後に使えていた中年男性が叩いた。「ティル様、彼らの気持ちも分かってやってください」
「ホンド・・・」
 彼らの中で一番の年長者がこのホンドだった。それよりも上の世代、同世代の将軍やら隊長にあたる者たちは、全員戦死してしまったそうだ。若い彼らの不安を取り除いて信頼を集め、また王を補佐し、その命を下位に上手く伝達する中間管理職がいない状態だ。これではまとまるものもまとまらない。良くこんな状態で救助に来れたな。
「貴方も、彼らも、奴らに大切な人を奪われました。私だって奴ら一人一人の首をねじ切ってやりたい。そして今、彼らの前にそのチャンスが訪れたのです。止まれというのが無理な話です」
「分かっている。けれど、性根は腐っていても、奴らは百戦錬磨の強国なのだ。グレンデルがなくても、兵士の数は圧倒的にあちらが多く、兵も精練されている。感情に流されるままに戦って勝てる相手ではない!」
「おっしゃる通りです。ですが、彼らはそれを理解していない。グレンデルさえいなければ負けるはずがない、そう思い込んでいるのです」
 また、とホンドが続けた。
「恐れながら、今のティル様は、戦を避けようとした先代ラーク王と同じ、弱腰に見えるのでしょう。そのことが、彼らが貴方を王と認めない一因でもあるようです」
「弱腰と皆に叩かれた、その先王の意見に逆らった結果が、今の私たちだということを忘れたのか?」
「認めたくないのですよ。自分たちが敗れたということ、間違っていたということを。だから証明しようと焦っているのです。ロネスネスの守備をかいくぐり、仲間たちを解放しただけでは、彼らが失った分を満たすには足りないのです」
「では、どうしたらいい? 兵は私についてこようとはしない。このまま彼らの好きなように無謀な戦いを挑ませ、無残に殺されていくのを見届けろと?」
「私が何とか、彼らをまとめます。戦の知識など、あらゆるものでティル様に及びもつきませんが、唯一勝る年の功で、貴方と彼らを繋いでみましょう」
 そう言い残して、ホンドは踵を返し、彼らの後を追った。それを見届けて、ティルは深く深く息を吐いて虚空を見上げた。
「なかなか上手くいかないものだな」
 そう言って苦笑した。まるで部下が言う事を聞いてくれない中間管理職みたいな哀愁を漂わせている。
「人を使うのも技術だって、聞いたことがある」
 その背中に、窓の外を眺める中年サラリーマンの影がダブって見えたので、思わず話しかけてしまった。
「相手にどうしてほしいのか、その要求を通すためにこちらはどうすれば良いか、自分の手札を準備し整える技術だ。その技術は、もちろん先天的、才能というものもあるかもしれないが、経験や実績、相手との信頼関係の積み重ねによるところが大きい、と思う」
「私には、それが足りない、ということだな」
「そうだね。だから、足りない分は他から補ってもらえばいいんじゃない? 今みたいに」
 ティルが虚を突かれたように、口を半開きにして呆けた。
「人間、どうせ出来る範囲なんかたかが知れてるしね。出来る事はやって、出来ないとこは出来る奴に頼めばいいんだ。あんた王族なんだから、頼む相手とよっぽどの注文で無けりゃ、大抵のことは上手く頼めるだろ?」
 そう言うと、ティルの眉間からようやく皺がとれた。
「すまない。気を使わせたようだな」
「僕は言いたいことを言いたいときに言うだけだ。気を使ったつもりはないよ。気なんて、相手に使えば使うほど疲れるだけだからね」
「ふふ、そうか」
 口元に手を当てて笑う。そういう上品な仕草をされると本当に男か女かわからない。結局聞きそびれてからずうっと聞けずじまいで、いっそ知らないままの方が面白いような気がしてきた。
 ところで、と話は変わり。
「お前たちはどうする。このままここに居たら、戦闘に巻き込まれるかもしれない。逃げるというなら、裏から出られる。セーオに案内させるが」
 そのことなんだけど、と前置きして
「僕は、少々残らせてもらおうかな」
 当然というか、ティルは驚いた。
「それは、何故だ?」
「守護龍がまだ成長しきってないなら、後はグレンデルくらいしか僕の相手がいない」
「・・・本気か?」
 正気を疑う様な目で見られた。
「最初に話したはずだと思うけど。僕は化け物と戦うために旅をしている。ただただ、強い敵と戦いたいだけのキチガイなんだ」
「お前がどれほどの敵と戦ってきたかは知らないが、グレンデルは人の知恵を備えた怪物みたいなものだ。もちろん、搭乗者の力量、グレンデル本体の性能によって違いは出るが、同じ知恵を持っていて、相手の方が頑丈で力も強ければ、勝ち目などないぞ?」
 頑丈さと力なら多少自信がある。そんなこと、それこそあんたが気にすることじゃない。
「一番強いのは、王が乗るグレンデル?」
 そうだ、とティルは頷いた。
「私の目から見ても、動きや力が段違いだった。守護龍様にとどめを刺したのも奴だ」
「じゃあ、ここでの最終目標はそいつだ」
 待ってればそのうち来るのだから、楽な話だ。
 
 僕の意志を覆せないと悟ったティルが、残りの二人にも同じことを尋ねたところ、クシナダ、そしてミハルも僕と同じく残ることを選択した。
「あなたが残るのだから、私も残るわよ」
「てめえが残るんだから、私も残るんだよ」
 同じようなセリフなのに含まれる意味が全く違う。まったく、言葉というのは面白い。使う人間の意志一つで同じ言葉が全く別ものになる。
 僕たちの方針が決まった丁度その時、眠っていた龍が目覚めた。
『母上』
 最初、誰の声か気づかなかった。バリトンの利いた渋い声だったからだ。
『母上、嫌な感じだ』
 再びバリトンボイスが母上と呼ぶ。
「え、まさか、あんた!?」
 ミハルが自分に顔を向けている龍を指差す。うん、やはり、間違いなく音源はそのチビ助だ。勘違いじゃなかった。
『当然だ。我が母と呼ぶのは貴女を置いて他にいない』
「いや、私結婚どころか恋愛も・・・違う! 何言わせやがる! そうじゃなくて、喋れんの?! 生まれたばっかだぞ?!」
『龍は先代の記憶や知識を受け継ぐ。人の言葉程度なら、喉の調子さえ整えば造作もない』
 ついさっきまできゅうきゅうと愛くるしいマスコット的鳴き声をしていたとは思えない流ちょうな話し方だ。
『そんなことよりも、母上。何かおかしい。嫌な感じがするのだ』
 多大なる違和感を押さえつけて、声ではなくその中身を吟味する。
「静かすぎやしない?」
 最初に気付いたのは、やはりクシナダだった。
「ここってそんなに広い洞窟じゃないわよね。で、今さっき、ホンドって人が今にも飛び出そうとしてる兵士たちと話をつけに言ってるはずよね?」
 僕たちの視線が絡み合う。互いが互いの顔を見回し、同じ考えに至る。走り出したのはティルだ。すぐに僕たちも続く。
 先ほどの円形の空洞にはすぐに辿り着いた。そして、そこにいるはずの兵士たちは一人もいない。ホンドもだ。代わりに、猿轡を噛まされてその場に転がされているセーオの姿があった。
「セーオ!」
 駆け寄り、縄をほどくやいなや、セーオがぷあ、と大きく息を吸った。
「ティル様!」
「大丈夫か? 何があった」
「皆さんが、出て行ってしまいました!」
 目を瞬かせながら絶句する。
「止めようとしたのですが聞き入れてもらえず、ティル様を呼ぼうとしたところ、このようなことに」
 申し訳ありません、と項垂れる。雪玉式の事態の悪化に、ティルは目をきつく瞑り、天を仰いだ。
「ホンドでもダメだったのか・・・」
 その言葉に驚いたのはセーオだった。
「え、どういうこと、でしょうか?」
「敵が近くまで来ているのは知っているな? グレンデルがいない今が好機と、皆が血気に逸ってしまってな。私では止めることが出来ず、ホンドに間に入ってもらうよう頼んだのだ」
「それ、おかしいです。だって、皆さんを扇動したのは、ホンド様なのですから」

心のゆとりが生み出すもの

 面白いことになってきた。
「そんな、そんな馬鹿なことあるわけないだろう! ホンドが言っていたのだ、彼らを止めてくれると。私との間を取り持ってくれると」
 セーオを支えていたはずのティルがよろめいてくずおれる。セーオがあわててティルの両肩を押さえて、支える側と支えられる側が入れ替わってしまった。
「いえ・・・残念ながら。ホンド様自身が先頭を切って出て行かれました。まるでこの時を待っていたかのように勇んで」
「何故だ、何故だ!」
 頭を抱える。
「勝ち目がないと、自分でも言っていたではないか! なのに何故!」
「・・・勝ち目がないからじゃねえの?」
 そう言ったのは頭に龍を乗せたミハルだ。
「どう、いうことだ」
 その問いに、ミハルはさも当然という顔で答えた。
「他の連中はともかく、あのホンドって野郎、寝返るつもりなんじゃねえか?」
「ありえない。ホンドは古くから仕えてくれていた重鎮だぞ。憶測で適当なことを言うな。客人とはいえ、彼を侮辱することは許さんぞ」
 ミハルは、そんなティルの怒気を受け流し「どうだか」と皮肉げに口を歪めた。
「あのおっさんに良く似た顔を、私は知ってんぞ。私の叔父だ。人のいい笑顔で相手に近付いて、耳触りのいい言葉で籠絡して、裏では相手の全てを奪い取るために画策している。気づいた時には全ての権利が叔父の物だ。そうやって何人もの人間を不幸にしてきても、何ら良心を咎めない人種の目と良く似てる。全く笑ってない、泥沼のような濁った目をしてたぜ」
 私をその目でねちっこく見てたからな、とミハルは言った。
彼女の話を正とすると、色んな推測が出来る。主に悪い方向のものだ。
まず、彼女を見ていた理由は、彼女自身が魅力的に見えた、という他、おそらく龍が母と慕う彼女の価値だ。
 なぜその価値を求めるのか? 交換材料としてではないのか。
 誰と? 当然ロネスネスだ。
 ロネスネスと交渉する訳は? 自分を取り入れさせるためだ。
 別段不思議なことはない。あっちの世界でもよくあることだ。未来のない国を捨て、強国に付くことなんて、戦国時代ならざらにあったはず。古来より人は生きる為、自分の血を残すためにあらゆる策を弄してきた。ここでもそうだったというだけだ。そうやって淘汰が行われて、幾つもの国が興り栄え衰え滅亡してきたのだ。それに従うように人の流れも推移する。
さて、人と国はどこでもそんな変わらないという結論がでたところで。
「これからどうする気?」
 それが一番重要だからだ。
「ここで待ってても何も変わらない、というよりも事態は悪化の一途を辿るだけだ。ホンドが寝返ったのか、それとも若い連中と戦いに行ったのか、それすらここにいただけではわからない。気づいた時には手遅れ、なんてことは簡単に起こりうる状態だ。さあ、どうする?」
「他人事だと思って、簡単に言わないでください!」
 怒鳴り返してきたのはセーオの方だった。ティルは、何か考えるかのように歯を食いしばって黙り込んでいる。口ではホンドを庇う様な事を言いながらも、あらゆる想定について検討中のようだ。
「セーオ」
 結論が出たらしく、ティルが彼女の名を呼んだ。
「今すぐ、ここに残っている皆を集めて、逃げろ。行先は初代シルドの王が守護龍様と初めて契約を交わしたとされるオールボーの山へ向かえ。あそこなら、まだ奴らには知られてはいまい」
「あそこは、王族と我々巫女以外禁足地となっておりますが」
「そんなことを言っている場合ではない。今はタケルの言うとおり、最悪の事態のことも考えねばならない。シルドが滅びるかどうかの瀬戸際なのだ」
 そして、ちらとミハルの方を見た。
「悔しいが、彼女の言う事も否定できない。弁明するべきホンド自身がここにいないのだからな」
「・・・かしこまりました。それで、ティル様はどうなさるのですか?」
「私は、先に出た兵士たちを追う。ホンドにも真意を問わねばならないしな」
「危険です! ホンド様の思惑が何であれ、ティル様にとっては良からぬことでしかないのは明白です。ティル様をおびき出すための作戦だとしたらどうするのですか!」
「それでも行かねばならん。兵士たちの中にはそのことを知らぬ者もいるかもしれない。ホンドの罠か、それともロネスネスの罠かは分からないが、明らかに危機に陥ろうとしている彼らを放っておくわけにはいかないのだ」
 両者一歩も譲らず引かずの状態だ。どちらもなかなか折れず、時間だけがかかりそうだったので、少し石を投げ込んでみるか。
「決着がつかないのなら、僕が代わりに見に行こうか?」
 ティルとセーオが同時にこちらを振り返った。
「どうせ僕の狙いはグレンデルだ。出かける先にロネスネスの兵がいるなら、そっちに向かった方が出会える可能性が高いしね」
 どうせここに居ても退屈なだけだ。
しかし、返ってきたのは「お断りします」という、セーオの冷たい返事だった。
「申し出はありがたいのですが、私はティル様のように、あなた達を信用しているわけではありません。それこそ、あなた達がまだロネスネスの間者であるという可能性を捨てたわけではないのです」
 そう言われては、しょうがない。僕らが信用されてないのは解りきっていたから、想定の範囲内だ。けれど
「あんたの考えなど、正直僕にとってはどうでも良いんだ」
「んなっ!?」
 目を向くセーオに対して「勘違いしないでもらいたいのだけど」と前置きする。
「僕は僕の好きなように動く。たまたま僕の目的がグレンデルで、あんたらの目的地と被ってたから言ってみただけだ。その後の報告とかは僕の気分次第になる。僕は、あんたらの仲間でも部下でもないんだから」
 別段黙って出て行ってもよかったし。
「すまない。頼めるか?」
「ティル様!」
 セーオがまだ言い募ろうとするのを、手で制止し、ティルは言う。
「報告の義務も必要ない。私も行くからな」
「あんたも?」
「そうだ」
「だからティル様! それは!」
「私の考えは、意志は変わらないよ。セーオ」
 ポン、と彼女の肩に、ティルは手を添えた。
「君は一刻も早く、残った皆をまとめて逃げろ。三日経っても私が現れなかった場合、そこからさらに南へ向かえ。また別の国の領土になっていたはずだ。どこでもいいから、無事に生き延びろ。これは命令だ」
 そして、セーオの返事も聞かずに踵を返した。そのまま出口の方へと消えていく。僕も後に続くためにと踏みだし、後ろからついてくる気配に、足は止めずに首だけ振り返る。
「クシナダはともかく、あんたも来るの?」
 そこには苦笑を浮かべるクシナダとミハルがいた。
「当然だろうが」
 ミハルが後ろで歯を剥いた。
「てめえをぶっ殺すまで地の果てまでついていくんだよ」
 と凄んでくるが、全然怖くない。むしろ和む。
「で、そいつも連れてくの?」
 彼女の頭上でとぐろを巻く龍を指差す。指摘すると、ミハルは顔を真っ赤にして
「仕方ねえだろうが! 離したっていつの間にか乗っかってるんだよ!」
『我はまだ生まれたばかりだ。母上の庇護下にいるのは当然だ』
 いるのは頭上だがな、と小粋なジョークを挟むバリトンボイス。この世界で初めてアメリカンジョークを飛ばす奴に出会ったが、それが龍だとは思いもよらなかった。
 そうか、この世界の人間に余裕がないためだ。ジョークや冗談などを飛ばすのは余裕がある奴だけだ。
「ちなみに何だけど。いつ庇護下から独り立ち、独り飛びか? するの?」
 そこは僕としても気になるところだ。赤印は間違いなくこいつを示している。ならばいつ成長しきるのか知っておくのは当然だ。
『ふむ、我に残された記憶を探ってみたが、個体差や環境による差が大きく、何とも言えないな。今回のように何かと争っているさなかであり、また母と呼べるものが存在しなかった場合は生まれて翌日には戦場を駆けていた。自分を守る為に、防衛本能として成長が早まったと推測できる。その時の龍は歪な成長をしたようで、後々苦労したようだがな。反対に、穏やかな場合は十数年ほど共に過ごしたという記憶もある。今回のように、龍族以外の母を持ったのは初めてのことではあるから、正直どうなるかはわからん』
「自分のことなのに?」
『自分の体の成長速度は、残念ながら自分の意志では操ることが出来ない。もちろん、何らかの作用を与えていることは否定できないが、人がそうであるように、我らもまた、例外を除いて育つのに時間を必要とする』
「じゃあ、ずっと私の頭の上に居座る気?」
『はっはっは。母上はなかなか面白いことを言う』
「いや、笑い事じゃないんだけど。今はまだ小さくて可愛らしいけど、これから成長しても頭の上に乗っかられたままじゃ首が疲れるんだけど」
『ご安心めされよ。我は既に空を駆けることが出来る。つまり常に浮遊している状態を維持できるということだ。重さによって、母上の健康に害を与えるようなことにはならん』
「その答えが答えになっとらんわ! 居座る気満々じゃねえか!」
「お母さんは大変ねえ?」
 クシナダが笑いながら龍を撫でると。
『む、クシナダ殿、そこだ。そこ』
 気持ちよさそうに目を細めていた。
「そういえば、あなた、何という名前なの?」
『我か? 我の名はライザ=ブレーゼル=ゲーティア=ウィン=ニデーサ=ベオウォルフ』
 龍が名乗ったとき、僕とミハルは同じ反応をした。
 ベオウォルフだと? なるほど、敵のロボットの名前はグレンデルだ。面白い偶然の一致だ。龍の腹の下に敷いてるのは宝ではなくミハルの頭ではあるが。
「ら、らいざ、ぶれ・・・」
 唯一ベオウォルフの意味が分かってないクシナダだけ、言い難そうに龍の名前を呼ぼうと苦戦していた。
『長ければライザと呼ぶがいい。我らの一族は、この世に初めて現れた六柱の龍の名前をそのまま順繰り順繰りに変えて名乗っている。先代がブレーゼル、先々代がゲーティアだ。そして我がライザ、我の子がベオウォルフになる』
「ということは、ライザは女なの?」
『その質問に答えるのは難しいな。雄でもあり、雌でもある、というべきか。他の龍族がどうかは知らぬが、我らの一族は単身で卵を産む。普通の生物はより強い個体を生み出すためにつがいを持ち、己の血を混ぜ合わせるが、我ら一族の場合、経験や知恵を引き継がせることを主体に置いている。変な話だが、先代と我は、体の大きさこそ違えど、ほぼ同一の存在であると言える』
「クローンみたいなもの?」
 ミハルの答えに、僕もああ、と納得した。
 龍のように元から強大な力を持つ種族なら、他の生物と遺伝子を掛け合わせて子をなすよりも、同じ遺伝子を持つ子を生み出し、経験を積み重ねた方が強くなる可能性は高い。しかも親が積んできた経験は子に全部受け継がれるというのだから、積み重ね続ければ生きるデータベースの誕生だ。
「あ、じゃあ、もしかして、敵のグレンデルの強さも知っているってことになる、のか?」
 ふと思いついた。実際グレンデルと戦った先代の記憶をそのまま受け継ぐのであれば、そう言う話になるが。
『いや、残念ながら、先代が戦うときは既に我は産み落とされた後だったからな。それまでの記憶であれば引き継いでいる。これも、本来であれば卵が産み落とされ、そして我が孵化する間の空白を先代が母上となり埋めてもらえたのだが、今はそれも叶わぬ』
 セッションの切れたデータ通信みたいだな。
『さて、お喋りはここまでにした方が良いだろう』
 何かに勘付いたライザが、前方へと視線を向ける。クシナダは既に気づいていたらしく弓を携え、いつでも戦える状態だ。僕とミハルもそれに習い、視線を前に向ける。
「・・・・・・追いついたようだね」
 前方に小さな背中があった。先に出たティルの背中だ。そして、そのさらに前方からは音が響いている。ギィン、ギィンと鉄同士がぶつかる甲高い音と、それをかき消すように時折聞こえる断末魔だ。
 戦いは既に始まっていた。残念ながら、ティルの目的は既に叶わない状況に陥っている。

裏切りと交渉

 時間は少し遡る。
 ティルの目を盗み、隠れ家を抜け出した兵士たちは、森の中で身を潜めていた。皆一様に息をひそめ、動きすらも止めて、完全に木々の一部になりきっている。何も知らなければ、目の前に居ても気づかないに違いない。それほど見事な隠れ身だった。ただ唯一にして、彼ら全員に言えるのは、植物に似つかわしくない目のぎらつき方だ。
「斥候の報告だと、もうそろそろこの付近に現れるはずだが」
 兵士たちをまとめる隊長が呟く。先ほどの作戦会議で、ティルに噛みついた一人だ。
 彼にとってティルの考えは、本人にも言った通り弱腰としか思えなかった。もちろん、ティルの言いたいこともわかる。グレンデルという巨大な鎧の兵器。守護龍すら殺したその力は圧倒的で、我が身にあの力が降りかかると考えただけでも身の毛がよだつ。
 しかし、自分たちはあのグレンデルを調べた。一度動かした後は、念入りに修理し、調整する必要があるというこ弱点があることが分かった。絶対無敵の存在など、やはりあるわけがなかったのだ。弱点さえつければ勝てる。不意を突ければ自分たちでも、ロネスネスの連中と互角以上に渡り合えるはずだ。
 確信を得たのは、囚われていた者たちの解放に成功した時だ。奴らは自分たちの襲撃に右往左往するばかりで、何一つ対策を立てることが出来なかった。
 これで結論が出た。グレンデルさえどうにかしてしまえば、奴らは弱い。それが、兵士たちの共通認識となった。グレンデル頼みの戦法しか奴らにはなく、それがなければただ人員が多いだけの弱兵集団に成り下がる。復讐に燃える我らに負ける要素は無い。全員が一丸となって当たれば、恐るるに足らず。
 だから彼らは、何一つ恐れることなく、なかば勝利を確信しながら、その時を待っていた。間抜けにも自分たちの間を、何も知らないロネスネス兵たちが通るのを。そいつらの心臓に怒りの刃を突き立てるのを。
 だから彼らは気づかない。いや、気付いていたとしても意識してその情報を無視する。
 ティルが言っていたように、グレンデルのことを最も知っているのはロネスネスだということ。彼らが、自分たちが気づいたグレンデルの弱点に気付かないはずがないということ。何より、彼らは幾多の戦場を駆け抜けてきた戦士たちであり、戦いの経験では自分たちより上だということ。
 その点をすでに無視しているから、後に続く彼らの脳裏によぎった以降の考えも、ありえないこと、に分類される。
 一つ目は罠の可能性。自分たちの隠れ家が見つからないからこそ、奴らは、囚われた仲間たちを奪還することに成功し、勢いに乗っている自分たちをおびき出そうとした可能性。
 二つ。裏切りの可能性。あまりにも簡単に囚われていた者たちを解放できたことについて、誰一人疑問に思わないこと。また、追っ手を出すならそのすぐ後のはずで、日が暮れてから追跡なんて非効率だ。視界も悪く、時間の経過により通った形跡がなくなっていく。
 それでも彼らはこの時間に偵察を開始した。偵察は、相手に見つからないようにするのが普通で、斥候に簡単に見つかる様な大人数では行わない。まるで自分たちの姿を見せつけるかのような行軍。
 この、おかしなところの多いロネスネスの動きを、彼らは疑問に感じない。なぜなら一度成功して、ロネスネスに一矢報いることが出来ているからだ。次も成功すると無根拠に思い込むには充分だった。
 一度の成功こそ、自分の首を絞める毒薬。避けようのないそれを飲み込み、克服するか、破滅するかは本人たち次第。
「おかしい。距離と移動速度からして、もう付近まで来ていてもいいはずだ」
 隊長の呟きは、辺りで待機している部下たちが全員思っていた。情報が誤っていたのか、こちらの待ち伏せに気付いたのか、彼らに焦りが生まれ、雪だるま式に膨れ上がっていく。ここでようやく、肝と共に頭が冷えてくる。自分たちは、
「少し先まで、もう一度偵察に行くべきではないか」
 一人が、おっかなびっくりそう提案した。焦っている時の提案は、瞬く間に彼らの中に浸透し、さも最善の策、全員一致の見解のように思えてくる。
 すぐさま編成し、偵察に向かわせる。だが・・・・
「戻って、来ない」
 しばらくたっても、誰一人として帰っては来なかった。
 これが、悲鳴の一つでも、剣戟の音一つでもあれば方策は絞れる。逃げるか、助けに行くかだ。だが、何もないのが一番厄介だ。まだ偵察途中かもしれない、戻っている途中かもしれない、敵に捕らわれたのかもしれない、様々な憶測が彼らの脳内を駆け巡る。どれが正解かわからないから、行動に移すことが出来ず、その場から動けない。動けないから不安になり、焦りが募る。焦りが頭の回転を鈍くし、不安が体を縛る。

 無為に過ごす時間こそが、彼らの命を削っていくというのに。

 それは、空気を押しのける際に発生する、花火の打ち上げに似た独特の風切り音を伴って飛んできた。
 ただし、炸裂したのは地表だった。どぉん、と腹を押し上げるかのようなそれが接地した場所から、火花が飛び散るかのように土と石、触れた木々の木っ端がばら撒かれる。
 隕石落下の如く地面を抉り、まるで図ったかのように、シルド兵たちの前で止まった。
大きさは約七メートル。鋼鉄の板を何枚も合わせた鎧を纏う人型の何か。タケルやミハルが見れば大興奮間違いなしの、その威容。
「ぐ、グレンデル」
 見上げながら、兵士の一人が呟いた。
『見ィつけた』
 意外と若い声がグレンデルから聞こえた。
『穴倉からようやく出てきやがったか。一度味を占めたネズミは、簡単に餌に飛びつく』
 そう言って、腕を振り上げた。ギミックでも仕込んであるのか、腕の甲から両刃の剣が突き出る。それを横薙ぎに払った。そこかしこに生えた木々もろとも、数人のシルド兵の首が胴体から分かたれた。不気味なオブジェから真っ赤な噴水が吹きあがる。
「ひいい!」
 一人が叫びながら、少しでもグレンデルから距離を取ろうと背を向けて逃げ出した。一人が逃げれば二人、三人と逃げ出すものは続出し、先ほどまでロネスネス兵を返り討ちにすると息巻いていたシルド兵たちは、たった一度の交戦で瓦解した。
 無理もなかった。目の前で、さっきまで一緒に話をしていた仲間たちが、一瞬で物言わぬ骸になったのだ。これが、通常の戦い、というのもおかしな話だが、競り合った上での死であるなら、彼らは仲間の仇を取るべく、それこそ死ぬまで徹底抗戦しただろう。だが、あまりに圧倒的な力の差を前にして戦う意志は簡単に奪われた。
 彼らは走って走って、いつの間にか森を抜けて平原に出てしまった。隠れ家とは反対側だ。
 そしてそこには、三体ものグレンデルが大勢のロネスネス兵を従えて待ち構えていた。グレンデルたちの足元は真っ赤に染まり、その中には偵察に出たはずの兵士の手足が散らばっていた。どんな殺され方をすればそうなるのかわからないくらいバラバラだった。シルド兵たちの目には、それが自分の未来のように見えた。
『来たか。待ちくたびれたぞ』
 真ん中のグレンデルが言った。
『愚か者どもが。欲をかくからこういう目に遭う。分相応に、あのまま逃げてしまえばこのようなことにはならなかったものを』
 多分に嘲りを含ませて吐き捨てる。すると、右隣にいたグレンデルが彼らを庇うように言う。
『はは、フロルフ、そう言ってやるなよ。彼らの頭じゃ分からないのも無理はない。奴隷を解放させてやったあの時から、全て俺たちの計算通りだなんて』
「け、計算?」
『ほら、やっぱり気づいてない』
 右のグレンデルが、人間がするように器用に肩を竦めて見せた。
『君たちの行動はね、全て俺たちの計算通りなんだよ。いや、俺たちが君たちの行動を操作していたというべきか』
 ずん、ずん、と背後から先ほど彼らの前に飛んできたグレンデルが現れる。完全に包囲された。
『その立役者ともいうべき人を、まずはご紹介しようか。出て来いよ。ホンド』
 シルド兵たちは驚いた。先ほどのグレンデルが現れた時以上の驚きだった。ゆっくりと、全員がある一点を見つめる。シルド兵の中でただ一人驚くことなく、泰然としているホンドがそこにいた。
「ホンド、様・・・?」
 兵の一人が手を伸ばす、その手をするりと躱して、ホンドはグレンデルの前に出た。
『やあ、助かったよ。なにぶん、この辺りの土地は我らより君たちの方がよく知ってる。逃げられたら探すのは面倒だからね』
「お褒め頂き、恐悦至極に存じます」
 ホンドが膝をつき、恭順の意を示した。
「ホンド様、嘘だろう? 何でそいつらと」
 問いかけるシルド兵に、先ほどまで彼らと肩を並べ、気炎を上げていたはずのホンドは語る。恐ろしく冷淡な目で見下しながら。
「シルドが滅びるのは、もはや逃れられぬ運命だった」
 すっと立ち上がり、彼らの前に立つ。
「人が増え、国が増えれば、次に起こるのは国家間での領土の奪い合いだ。より多く、豊かな土地を手にした国が生き残り、負けた国は吞み込まれるか、滅ぼされる。今まさに、時代が変わりつつあるのだ。この度の戦争で思い知った。我らは完全に時代に取り残されていた。我らが森の中で細々と暮らしていた頃、ロネスネスは領土を拡大し、国力をつけていた。多くの国を併呑し、人を増やし、備蓄を増やし、金を増やしていた。戦う前から、すでに圧倒的な差があったのだ。勝てるわけがない。そのことに気付いていたのは、残念ながらお前らが弱腰と呼んだ先王ラークと今のティルだけだがな。
 武器一つとってもそうだ。我らの装備と彼らの装備を見比べろ。彼らの装備からすれば、我らの装備など襤褸そのものではないか。本気でグレンデルだけが我らと彼らの力の差だと思っていたのか?」
「で、でも、それでも、解放作戦は上手く行ったじゃないか。たとえ装備で劣っていようが、作戦次第で」
「それが間違いだと言っているのだ。この馬鹿どもが。本当に愚鈍で、どうしようもなく間抜けな連中だ」
 だからこそ、私は見限ったのだが、とホンドは鼻から大きく空気を出した。
「先ほどこちらに居られるアシュレ殿が仰っていただろう。全てはこの状況を創り出すためだ。いい気になったお前らを誘導するのは簡単だった。策略とも知らず、のんきに喜ぶお前らは、傍から見ていて滑稽だったよ。憐れみすら覚えるほどにな」
 もう、誰も口をきけなかった。嘘だなどと言えなかった。
「ほら、さっきまで語っていた夢を、彼らに語って差し上げろ。ロネスネス軍を返り討ちにし、一気に王都を落とす、だったか? シルドを再興させるんだろう? この状況を見て、もう一度言ってみるがいい!」
 一人が膝を折った。一人が目から涙を流した。一人が握っていた武器を取り落した。動作は違えど、全員に共通しているのは、心が折れたということ。
『その辺にしてあげなよ。皆泣いちゃったじゃないか』
 笑いながら、アシュレと呼ばれたグレンデルが笑う。申し訳ありません、とホンドが再び向き直り、片膝をついた。
「ですが、これで御しやすくなったかと。彼らも二度とロネスネスに逆らうという気は起こしますまい」
『ご苦労だったな。フレゼル陛下も貴様の働きをさぞ喜ばれることだろう』
「ありがたき幸せにございます。では、約定通り」
『うむ、陛下と交わした約定通り、貴様をロネスネスの士官として迎え入れよう。王は自ら傘下に加わった者には寛大な御方だ』
「ありがとうございます。・・・それで、もう一つの約定はいかがでしょうか?」
『もう一つ・・・ああ。ここにいる者たちを自分の部下としたい、ということだったな?』
「はい。先ほども申し上げましたように、この者たちに逆らう気はありません。このまま殺し、皆さまの手を煩わせるほどの価値すらありません。私が責任を持ってロネスネスに忠誠を尽くすように教育いたしますので、預けてはいただけませんか?」
 ホンドの申し出に、グレンデルたちは顔を突き合わせる。何かを相談しているようだが、ホンドには聞こえない。やがて相談は終わり、真ん中の、アシュレからフロルフと呼ばれたグレンデルが言う。
『許可しよう』
「ありがとうございます。では」
『ただし』
 言葉が続くとは思ってなかったホンドは、ぴたりと動きを止めた。
『ただし、許可できるのは五人までだ。それ以上は許さん』
「と、言いますと?」
 初めてホンドの顔に焦燥が浮かぶ。
『そのままの意味だ。貴様の部下は五人。それ以外は許可できない。いつ裏切るともしれん連中を大量に抱えるわけにはいかないからな』
 グレンデルや、周りのロネスネス兵から笑いが起こる。
「・・・では、奴隷として連れて行く、ということでしょうか?」
『それもない。男の奴隷はあまり価値がないのだ。貴様らシルドは愚かだが、女は美しいものが多かった。それだけが評価できる唯一の物だ。あ奴らは価値がある』
「では、どうなさるおつもりで?」
『殺し合え』
 あまりに淡々と言われたので、ホンドはその意味をくみ取れず、固まってしまった。
『殺し合え、と言ったのだ。確かに貴様の言うとおり、殺す価値のない連中のために、陛下から下賜された貴重なグレンデルを汚すのは忍びない。血を洗い落とすのも大変なのだ。だから、貴様らで勝手に数を減らせ。生き残った五名が、晴れて貴様の部下だ。貴様も、まだ使える者の方が良いだろう?』
「それは、そうですが」
『何だ? 情がわいたのか? シルドにはほとほと愛想が尽きた、と言っていたのは幻聴か? いまさら止める、ということは、ないよな?』
「・・・まさか」
『まさか、何だ? まさかそんなことはない、だよな?』
 それ以外の返答を、ホンドは持たない。ぐっと、強く目を瞑り、今だ成り行きが良くわかっていないシルド兵の方を向く。再び見開かれた目には、何の感情も浮かばない。
「全員、武器を構えろ」
「え・・・・」
「武器を構えろと言った。そして、互いに向かい合え。まずは隣の者とだ。生き残ったら、他の生き残っている者と戦え」
「ほ、ホンド様。本気で言っているのですか? 本気で」
「やれ。でなければ、全員死ね。シルドとして死ぬか、ロネスネスとなって生き残るか、今選べ。お前たちは、今覚悟を問われている。本当にロネスネスの一員となるのかどうかの覚悟だ。仲間だった者を殺すことで、それが得られる」
 シルド兵たちは互いの顔を見合わせる。殺せるのか、今まで共に切磋琢磨してきた仲間を。
 出来るわけがない、と顔を背けた先は、敵の槍衾があった。剣を構えたグレンデルがいた。
 敵陣に突っ込み玉砕する覚悟など、最初のグレンデル襲撃時に消え失せた。逃げ道もない。彼等の上官であるホンドは、すでに敵として目の前に立っている。生き残るには、自分たちも敵に、ロネスネスの一員になる以外方法は無い。しかしそれには、仲間を殺さなければならない。
 のろのろと、彼らは武器を取る。目の前の相手の顔を見た。今にも泣きだしそうな顔で、相手の顔を見ている。
「さあ、始めろ。生き残るために」
 悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げながら、殺し合うために激突した。

 ティルが追いついたのは、シルド兵が残り十人を切っていた頃だ。
「止めろ!」
 グレンデル、ロネスネス兵、ホンド、死闘を繰り広げていたシルド兵たちすらも手を止めて、声のした方を振り返る。息を切らし、肩を上下させたティルがいた。
「一体何をしている。すぐに武器を捨てろ」
『ホンド、どういうことだ? ティル・ベオグラース・シルドはまだ隠れ家にいるのではなかったのか?』
「そのはずですが。おそらく私たちが抜け出したことに気付き、追ってきたのだろうと思われます」
『まあいい。どちらにせよ、ここで捕らえてしまえば同じことだ』
 フロルフの無機質な目がティルを捉えた。
「貴様がこの部隊の指揮官か?」
 しかしティルは怯むことなく、その目を睨み返した。
『そうだ』
「即刻彼らを解放せよ。もう勝負はついているはずだ」
『その要求に応えることはできないな。勝負がついたからこそ、彼ら敗者の扱いは、勝者たる我らのさじ加減一つだ』
 バタバタと足音を立てて、ティルの周りをロネスネス兵が取り囲む。
『そして、今や貴様も、囚われの王だ。守るべき国を失った、亡国の王。何も持たない貴様は、我らを力づくで従わせることもできず、交渉材料も持たない。よって、我らに対して何一つ要求する権利を持たないのだ』
「本当にそう思うのか?」
 囲まれながらも、ティルは不敵に笑って見せる。
「欲しくはないのか? 守護龍の子を」
『ほう?』
 フロルフが手を上げ、兵たちの動きを止める。
『確かに空を飛ぶのには手を焼いたが、グレンデルのほうが強さは上だ。倒したことが何よりの証明。絶対に必要な物ではない。交渉の材料にはならないな』
「お前らが倒した守護龍は、出産したばかりの、もっとも弱っていた状態だ。全力の時の十分の一の力すら出せてはいなかった。今はまだ生まれたてだが、数年もすればグレンデルに匹敵するほどの強さを誇ろう」
『しかし、グレンデルとは違い、守護龍には意志があるだろう? 素直に協力するかな? 母親を殺した我らに』
「それはこれからの調教、つまり共に過ごす私次第になってくる。まだ生まれたばかりの赤ん坊は、育て方一つで如何様にも変わる。貴様らだって、生まれてすぐに精鋭だったわけではあるまい? もし守護龍が欲しいなら、私の機嫌を取っておくのも、一つの手ではないか?」
 そこから会話は途絶え、にらみ合いがしばし続いた。
『良いだろう。そこまで言うなら連れて来い』
「そこにいる者たちの解放が先だ」
『貴様、立場が分かっているのか? 先ほども言ったが、守護龍は絶対のカードではない。履き違えるな』
「そちらこそ履き違えるなよ。交渉に関しての最終決定権はフレゼル王だ。全て現場の判断で決めて良いとお達しはあったか?」
『貴様』
「お前が出来るのは、この申し出と私を王城まで連れて行くことくらいだ。守護龍の価値は王が決める。そうだろう? そして、この場で守護龍の居場所を知っているのは私だけ、ということになる」
「あ、そう言う事にしたかったの?」
 突然、フロルフでも、ティルでもない、第三者の声が割り込んだ。
「悪いね。そうと知っていれば、僕らは隠れてたんだけどね」
 わざとらしい位の棒読みからは、まったく反省の色が見られない。
『何だ、貴様らは』
 月明かりに照らされて三つの影が浮かぶ。彼らの姿を認めた瞬間、ティルは自分の思惑が脆くも崩れ去った理解し、無念そうに天を仰いだ。
そんなことは気にも留めず、須佐野尊は戦場を、そこに並ぶ四つの巨体を眺めた。まるで、おもちゃを前にした子どもの様に目を輝かせて。

戦う理由

 ロボットだ。まごうことなき。それが、目の前で動いている。あっちでもあるにはあったが災害救助などで使用されるレスキュー用で、戦闘用のものなど当然なかった。それらは全てフィクションの世界の産物で、現実には存在しない。当たり前と言えば当たり前だ。技術的な問題やら効率的な問題やらはともかく、そんなものが存在する必要がなかったからだ。作れたとしてもただの趣味の塊、実際に動かし、ましてや敵と戦うことなんてありえなかっただろう。元気に動くのはアニメの中だけだ。
 それがどうだ。今、現実にロボットは目の前にいて、まるで人のように滑らかに動きまわっている。
「MS、というより、KMFね。第三世代の」
 幾分興奮したようにミハルが言った。僕でも知っている、有名なアニメに出てくる機動兵器だ。年代は違うが、同じものを見ていたようだ。別に不思議なことではない。あらゆる道がローマに通じるように、名作へ至る道というものがある。テレビCMやレンタルビデオ店のPOPとかが道しるべ代わりだ。
「手に剣ついてるから、オプティマスっぽくもあるな」
 もしくはOFのジェフティ。
「・・・ああ~」
 僕の呟きに、思わずミハルも納得してしまった。
「って、何でてめえも見てんだよ」
 その後で、訳の分からない因縁の付け方をされてしまった。
「だって、僕の前職、ビデオ屋の店員だもの。面白いって言われるやつはたいてい見たよ」
 仇討ち関連以外では、時間だけは無駄にあったからな。店員割引も使えたし。
「マジかよ。・・・だからあんなに」
 と続けようとして、止まり、ぱくぱくと無音で口を動かす。そして、今更認められない真実に気づいたような顔をした。
「どうした?」
「何でもねえ!」
 ぷいと膨れてそっぽを向く。
 ちなみに、こんなほのぼのとしたやり取りをしているが、僕たちは完全に囲まれている。
『なかなかいい度胸をしているな』
 一番手前にいたグレンデル一号が僕たちを囲む兵士の後ろから言った。奴の剣は血に染まっている。考えるまでもなく、シルド兵の数が減った原因の一つだろう。
『どういうことだ。ティル・ベオグラース・シルド。この女の頭にいるのは、龍ではないのか?』
「・・・龍ではあるが、それはまた別の」
『我が当代の守護龍だが、何用か?』
 ティルの擁護をいとも簡単に食い破った守護龍ライザがグレンデルを見上げた。
『話が違うな、ティル・ベオグラース・シルド。守護龍はここにいるではないか。これで貴様の要求を聞く必要がなくなった。このまま連れて行けば、面倒な交渉などすることなく持ち帰れる。陛下の御手を煩わせることもない。違うか?』
 くい、とグレンデル一号がハンドサインを出すと、兵たちがティルを取り押さえた。その場に膝をつかされながら、悔しそうに唇を噛み締めている。
『さて、後は』
 グレンデル一号が象みたいな足音を立てながら近づいてきた。うん、近くで見ると迫力あるな。二足歩行なのにバランスも良い。ぜひとも乗ってみたいと思うのは僕だけだろうか。
『女。その龍を渡してもらうぞ』
 しかし、ミハルは答えない。はて、迫力にビビる様な性格をしているわけでもあるまいし、と思っていたら。
「すげえ・・・」
 僕以上に乗りたそうにしていた。
『女、聞いているのか?』
「・・・えっ、あ、いや、悪い。聞いてない」
『その頭に乗せてる龍をこちらに渡せと言っているのだ』
 いささか不機嫌そうにグレンデル一号が言った。
「なあ、ライザ」
『何かな、母上』
 ミハルはグレンデル一号を無視して、ライザに尋ねた。
「あんた、こいつらのところ行きたい?」
『は、愚問だな。こやつらのところになど、あのティルのところ以上に行きたくないわ』
「だそうだ」
 悪いね。とミハルは肩を竦めた。
『・・・貴様は、状況を理解していないようだな』
 幾分怒気を含んだ声で、グレンデル一号が言った。
『貴様は馬鹿なのか、それとも目が見えないのか。貴様の目の前にいるのは絶対の力の象徴、グレンデルだ。それを前にして、生意気な態度を取るということがどういうことか・・・』
「うるせえ」
 グレンデルの講釈を、ミハルは断ち切った。
「ロボットに罪はねえから黙ってたけどな。私は今、不愉快なんだよ。お怒り中だ」
 全身から怒気を発してミハルは僕を指差した。
「こいつと同じアニメや映画を見ていたこともさることながら、その作品が好きだということを否定できない自分がいることに、だ。ああ、そうだな。作品に罪はねえ。こいつが悪い」
 何でだ。大体、視聴したのは絶対そっちの方が後だろうに。
「それ以上に、私はてめえらが大嫌いだ。ライザを物扱いするのもさることながら、シルドの連中に対する仕打ちが気に入らねえ。戦争中だろうがなんだろうが、人道に悖る行為をして良いわけねえだろ」
 まあ、それはあっちの世界での道徳観で、突き詰めれば彼女の中に存在する倫理であり、こちらの世界で通用するわけではない。むしろ奴らにとってみれば非常識にあたるのだ。
 そんなマイノリティを、通用させるにはどうすれば良いのか。
 答えは簡単だ。力づくで押し通せばいい。
「だから、義によって、とは言わねえけどさ。一宿一飯の恩により、シルドの連中を守ることにするから」
 言葉使いは現代っ子だが、彼女の中身、魂とも呼べる部分は武士のそれだ。
剣道や古武術、居合は、技術以上に精神を鍛えることに重きを置くと聞いたことがある。長年武道を学んだ彼女の精神にはそれが根付いていて、根はシナプスのように彼女のこれまでの人生で育まれた正義感や道徳に直結しているのだ。彼女にとっては戦うということは、復讐のためであると同時に、弱者を守る為の技なのだ。虐げられる者を目の前にして、黙ってられるわけがない。
『何をごちゃごちゃと。黙ってそれを渡せ』
 グレンデル一号の腕が彼女に向かって伸びた。それを彼女は一歩前に踏み込むことで躱す。すでに【納刀】された剣を掴んで。
『おのれ、ちょこまかと』
 懐に潜り込んだ彼女に再び腕を伸ばそうとして、その腕が半ばあたりでずれた。肘の当たりを斜めに一直線の筋が入ったかと思うと、ずずず、と滑ったのだ。
『は?』
 誰もがその光景に目を疑ったことだろう。無敵を誇ったグレンデルの腕が訳の分からないまま地に落ちたのだ。
 正直僕も驚いた。レーザーで焼き切ったかのような綺麗な断面が、鏡のように僕の顔を映している。
 武器の質も良いのだろうけど、へたくそが適当に振り回したってこうはいかない。武器以上に恐ろしいほどの技量だ。見た限り、グレンデルだって鋼鉄製か、それ以上の鉱石で出来ているはずだ。居合いを習ってた、なんて習い事レベルじゃない。免許皆伝クラスじゃないのか。良く知らないけど。改めて彼女の執念の一端を垣間見た気分だ。
『な、なぁ!』
「ライザを物扱いするなっつったろ。グレンデルに乗ってなきゃ何もできねえ三下が偉そうに。てめえのその傲慢とプライドを鎧ごと引っぺがしたらぁ!」
 地面を軽く蹴って跳躍、一歩目の着地点はグレンデルの右膝関節部分へ。関節がへしゃげるほど踏込んで二度目の跳躍。膝を潰されたグレンデル一号は自重を支えきれずに右へと傾き、腋から腰にかけての面があらわになる。そこへ二歩目。べコリ、と鎧に足跡を残しながら三度目の跳躍へ。上段に構えた彼女の位置はグレンデル一号の背を超えた。
「ふっ」
 呼気短く、ミハルは剣を振り降ろした。空振りかと思われるほど何の音も立てずに、剣は振りぬかれる。すとん、と着地。
『・・・何だ、何も起こらんじゃないか。驚かしやがっ・・・・て・・・・』
 言葉の途中から、グレンデル一号の左肩から右わき腹にかけてが、まるで取り外し可能だったかのように取れた。中から三十代前後の男が顔を覗かせている。
「ば、馬鹿、馬鹿な・・・・」
 グレンデルからでて、新鮮な空気を吸えるはずなのに、息苦しそうに口をパクパクと開閉させて喘いでいる。
誰も動かないのを良いことに、僕はグレンデル一号に近付いて、切れ目から中を覗いてみる。
「・・・へえ、中身は良くある様な、左右に操縦桿と車のアクセルとブレーキみたいなペダルかぁ。操縦桿はスティックじゃなくて、五指を入れる穴があるんだね。なるほど、銃のトリガーみたいになってて、それを押し込むことでグレンデルの方の指を動かしてるのか」
 もし魔法のような特殊な技術や、本人認証などのキーが無いのなら、僕でも動かせるかもしれない。もっと良く見ようとよじ登る。
「き、気安く見るな、触るな!」
 中にいた男がようやく喋った。今更そんなことを言われてもこちらが困るんだけど。
 なので、彼を外に放り出した。中をもう少し見たかったから、邪魔だったのだ。背後から、ぐえ、という声がしたが無視した。
「うん、行けそう」
「どこに行く気よ」
 呆れたようなクシナダの声。最近、こういう漫才みたいなやり取りが増えて来たな。
「いやなに。中身を見たら僕でも使えそうだな、って思って」
「え、動かせるの?」
「うん。動かせそう。特殊な操作とかが必要じゃなければ結構簡単に」
「・・・・私でも出来る?」
 なんだかんだ言って、クシナダも興味津々だったのか。出来るかも、と頷く。
「そのためには、一つくらい無傷で捕まえないといけないな」
 飛び降りて、改めて辺りを見渡す。いまだ驚愕冷めやらぬ連中が固まっていた。そんな彼らの前に、僕、クシナダ、ミハルがそろい踏みで前に出る。
「ミハルが一宿一飯の恩のために戦うというなら、私はそうね、シルドのみんなを酷い目に遭わせたあなた達が嫌いだから、戦うことにしましょうか」
「いや、クシナダ。それ私の戦う理由と被ってるから」
「あら、そう? まあいいじゃない。・・・タケルは?」
 僕もいるかな? それ。まあいいけど。
「僕は」
 少し思案して
「そうだね、やっぱり戦う理由は変わらない。僕は、お前らと、グレンデルと戦いたいからここにいる」
 そう言った瞬間、周囲にいた兵士たちが後退りした。何故だろう?
 キチガイが。ミハルが横でぼそりと、そんな解りきったことを呟いた。

彼女たちの才能

『こ、殺せ!』
 後ろで事の成り行きを見守っていた、指揮官らしき黒いグレンデルが、両隣にいた二号、三号に号令を発した。我に返ったように動き出すグレンデル二号と三号が、左右に分かれてこちらに向かって走ってきた。
「背中にブースターがあるわけじゃないのか」
 アニメでは背部についたブースターで一気に距離を詰めたり飛び上がったりするのだけど。それでも、走れるってのは凄い。
「左は私がやる。てめえはそっちを何とかしろ」
 こちらの返答も聞かず、ミハルは疾駆した。すでに近づいてきたロネスネス兵を蹴散らして、グレンデル二号へ飛びかかる。さすがに相手も先ほどのやり取りを見ていて油断はなく、長いリーチを生かして懐に飛び込まれないように慎重に戦っている。しかし、ミハルはそんな相手のアドバンテージなどものともせずに、周りの兵士をバッタバッタと倒しながら、当たれば即死間違いなしのグレンデルの攻撃を躱し続けている。動体視力も優れているようだ。どうやら僕は、彼女の才能を開花させる一端を担ってしまったらしい。あの世界では不要な、戦うための才能を。
『どこを見ている!』
 蝶のように舞い、蜂のように刺すを体現した戦い方に思わず魅入っていたところへ、横合いからグレンデル三号が地響きの如き足音を伴って僕のところに現れた。こいつの武器はグレンデル一号、二号と違って剣ではなく、巨大な手甲だ。手のひらも、殴るのに適した改良を施しているのか一号の者よりもでかく、指も太く長い。それをぐっと握り込んで、三号は振りかぶり、打ち下ろした。面前に僕の頭の三倍以上はあろうかという拳が落ちてくる。
「まずは、馬力と威力を検証するか」
 迫る拳に合わせて、こちらも手のひらを差し出す。
『馬鹿め!』
 グレンデル三号が嘲笑する。確かに、質量やら重量やらを考えれば狂気の沙汰だ。誰もが正気を疑うだろう。
 そして、僕は正気を疑われるどころか自他ともに確信しているキチガイであるわけで、この程度のこと、驚くにも値しない。現に、僕と一番付きあいの長いクシナダなんか気にもせずに周りの兵士を倒している。
 ズドムッ
 衝突と同時に重量感のある音が響いた。
『う、嘘だろ』
 それはこっちのセリフだ。
 頭上から響くグレンデル三号のセリフを聞き、僕は大きくため息を吐いた。
 グレンデル三号の一撃は、僕の想像を下回った。高く上がっていた期待のハードルの下をくぐられた気分だ。グレンデルの一撃は、とりあえず僕の腕で押さえられる程度のものだった。
「大丈夫? タケル?」
 全く心配しているようには思えないクシナダの声に、僕は首を横に振ってこたえた。
「タケマルの一発よりも威力は下だ。どおりで、地図に赤印でこいつらの国が表示されなかったわけだ。こいつらは今までの相手とは違う」
『嘘だ!』
 攻撃を止められた事実を認めずグレンデル三号は止められていた腕を引き、その回転を反対の腕に乗せて第二撃を放ってきた。けれど、それはもう脅威にはならない。
 今度は手のひらではなく、拳を握って大きく振りかぶった。
 きっとグレンデル三号は、今から僕が何をするかはわからないだろうし、分かってもその第二撃を止めようがないし止めないだろう。
『死ね!』
 迫りくる拳にタイミングを合わせて、振りかぶった拳をそのまま相手の拳に叩き込んだ。
 最初はグレンデル三号の肘関節部分が火を噴いた。メキョリ、と対となる力に押しつぶされるように、最も脆い部分が衝撃に負けて押し潰される。それが終わると、次に脆かった指の関節、特に僕の拳と衝突した中指が根元から千切れ、配線が覗く。中指を千切った僕の方の拳は、勢いを殺さず手の平に当たり、抉りながら手首部分を強引にもぎ取った。
『なっ!』
「期待外れだよ」
 今回はこんなのばっかりだ。化け物の場所に辿り着いたら、ミハルが勝手に倒しちゃってるし、次に守護龍がいるかと思いきやまだ生まれたばかりのトカゲだし、なら前の守護龍を倒したというグレンデルはさぞ強いのだろうと期待したらこのありさまだ。
 こうなったら、こいつらの王と戦うしかない。ティルもグレンデルには個体差と、搭乗者の操縦技術で強さが変わると言っていた。フレゼル王はもっとも強いグレンデル『フルンティング』に乗っているという。名剣と同じ名前からして強そうじゃないか。そこに期待しよう。
『貴様ァ! 王から下賜されしグレンデルに、グレンデルにぃい傷をぉおおおおおお!』
 わめきながら、無事だった方の腕を再度振り降ろした。今度は受けることも迎え撃つこともせず、躱す。打ち下ろされた拳が地面を叩き、土砂をまき散らした。
「錯乱しながら腕を振り回すなよ。子どもが駄々こねるのとはわけが違うんだから」
 位置の下がった相手の肩間接部分に剣を振り降ろした。ベキン、と金属が悲鳴を上げ、肩から先が落ちる。
「ふむ」
 切った肩と、少し痺れの残る手のひらを交互に見やる。予想以上の硬さだった。
「これを、あんなに簡単に斬り飛ばしたのか」
 グレンデルの肩の切り口は、お世辞にも綺麗とは言えず、切り取られた、というより、強引にねじ切れた、と言う様なぎざぎざの、不恰好な切り口だった。ミハルの切り口と比べるのもおこがましいほどの差だ。それに加えて、剣を通して返ってきた衝撃。あの時のミハルは、衝撃どころか、もともとあった隙間を通した、と言ってもおかしくないくらいスムーズに剣を振っていた。衝撃が返ってきたとは考えにくい。彼女の技量に改めて感服する。少なくとも、剣技の面において僕よりも数段上を行く。
 脚部の関節を破壊し、グレンデル三号を大人しくさせた後、ふと遠くを見れば、ミハルの方もグレンデル二号の首を落としたところだった。頭を落とされたグレンデル二号は右往左往しながらむやみやたらに味方を巻き込みながら暴れている。やはり、頭部に各種センサーがあったのか。それが無くなったから、手当たり次第に攻撃していると。効果的かもしれないが、大人しくさせるのには向かない方法だな。彼女もそう思ったのか、少し顔をしかめながら、腕と足を切り落としていた。
ロネスネスの兵士もだいぶ減ったし、後はグレンデル隊長機のみだ。
『こんなことが、あり得るのか・・・』
 茫然と隊長機が言った。
『無敵を誇ったグレンデルが三機もやられるなど、あっていいのか!』
 あったのだから、仕方ない。そもそも無敵の存在など存在しない。どんなものにも弱点があって、勝ち続けてこれたのはその弱点を突かれる前に勝っていたからだ。ロボットは総じて関節が弱いし、センサー類をやられたら何も見えない。人間と同じように動かせるが人間とは別の理屈で動く。決して一心同体とはいかない。
「どうでも良いけど、残ったのはてめえだけだぞ」
 ミハルが隊長機に剣を突きつけた。
「尻尾巻いて逃げるか?」
『栄光あるロネスネスのグレンデルに、そんな無様な真似が許されると思うのか。我々にあるのは前進のみ。敵を蹴散らし、味方の道を切り開くのが我らの使命』
「そうかよ。プライドがあるのはいいことだけどさ。・・・プライドで現実が変わると思うな」
『抜かせ小娘!』
 隊長機がミハルに向かって突っ込んできた。他の機体よりも早い。三倍、とはいかないが、動きの無駄の無さからみて、他三体よりも熟練の搭乗者だとわかる。機体性能も違うだろう。武装は右手に剣、左手に盾のナイトスタイルだ。
 口調は熱いが、隊長機の戦い方は堅実だった。ミハルの接近を盾でけん制し、足を止めたところへ必殺の一撃が見舞われる。
 ミハルはそれを躱し続けているが、なかなか懐に潜り込めないでいるようだ。隊長機は盾も剣も躱された場合、無理せず後方に飛び引いている。体のでかさがここで差を生む。いくらミハルが素早く動けても、相手の通常の一歩が僕たちの数歩分だ。飛び下がられたら簡単に間合いを開けられる。搭乗者の勘も良い。
「あれじゃらちがあかないわね」
 隣でクシナダが言った。
「ロネスネスの兵は?」
 彼女の方を見ずに尋ねた。
「あらかた逃げたわ。残ってるのはあそこにいるのだけよ」
 と隊長機を指差す。
「終わんないな。クシナダ、一つ頼まれてくれない?」
「何?」
「あの黒い隊長機の動きを止めたいんだけど。さっきも言ったように、出来れば無傷で」
「どうするの? あれ、見た目以上に固いんでしょ?」
「固い。けど、やりようはある。ちょっとこれを見て」
 僕は、先ほど倒したグレンデル三号に近付く。仰向けに倒れている機体の右側に回り込み、屈む。確か、さっきちらっとこの辺りにあったのを見たんだけど。
なぞるように観察していると、見つけた。腰のあたりの少し窪んだところに、赤いレバーがあった。電車の非常解放用のレバーに似ている。僕の予想ではこれでコックピットが開くはず。
 赤いレバーを時計回りに引く。プシュ、と空気の抜ける音と共にグレンデルの胸部ハッチが上下に開いた。ビンゴだ。
 開いた胸部に二人で近づく。中を覗き込むと、男が気を失っていた。こいつがグレンデル三号のパイロットだろう。
「ぐ、うう」
 パイロットがうめき声を発した。意識が戻りつつあるのだろう。今更戻られても面倒なので、一号のパイロットと同じようにコックピットから放り出した。おぶ、と変な声を吐き出して、再び意識を失ったようだ。
「多分、あの隊長機にも同じように、外側から開くためのレバーがあると思うんだ」
「私に、それを射抜けって?」
「その通り。出来る?」
 僕の言葉を受け、クシナダが目を凝らす。ミハルとの戦闘で飛び跳ねている黒い機体をしばらく見つめていた後やにわに弓を構え、狙いを絞って矢を放った。
 プシュッ、と三号と同じように隊長機のハッチが急に開き
「なあっ!?」
 動いている途中に急に開いたため、慣性が働いたか、驚きすぎて操縦桿から手を離したか、理由は何であれ、暴れ馬から振り落とされるようにパイロットが外に放り出された。
 僕は声も出ないくらい驚いているのだが、隣にいたクシナダはなんて事の無いように
「出来たわ」
 と肩を竦めながらお茶目に言ってのけた。
「まったく、頼りになるなあ」
 苦笑して、最大限の賛辞を送っておく。

奴は四天王の中でも、というお約束

「何故だ、ホンド」
 縛られたホンドに、ティルが詰め寄った。
 ホンドは抵抗するそぶりも見せず囚われた。そこに一切の焦りも怒りもなく、ただ淡々と受け入れていた。後々自分の首に刃が迫ろうと、何一つ感情を浮かべずに受け入れそうでもあった。彼を捕らえたシルド兵たちの方がよほど感情的で、ティルの捕らえろ、という一言がなければその場で寄ってたかって殺してしまいそうなほどだ。それも当然の感情だと言える。目の前の人間、信頼に足る上司と思っていた彼が、敵と通じていたのだから。そのせいで、多くの仲間を失ったのだから。
「何故だ!」
 もう一度、ティルは叫んだ。
「シルドの血を残すためです」
 しれっと言い放つ。
「シルドの、血を残す?」
「そうです」
「ふざけるな! 残すどころか、どれだけの血が流れたと思っている! お前がやったことは、敵にこちらの情報を渡し、仲間を死に追いやっただけだ! その見返りとしてロネスネスでの地位を得んがために! そうだな、確かにお前の血筋だけは残るな!」
 しかしホンドはやはり、感情など一切見せず、ティルの目を見返して言った。
「では、ティル様。お尋ねしましょう。あなたはこれから、どうやってシルドを存続させるつもりですか?」
「開き直るつもりか、ホンド」
「そんなつもりはありません。私の策は失敗し、大勢死なせたことも事実です。いかなる罰も受けましょう。もとより、地獄の業火に焼かれる覚悟です。が、私は私の考えのもとに、シルドの血を残すために行動しただけです。そこに一切の嘘偽りはありません」
「考え、だと」
「ええ。そうです」
 ホンドは一度、大きく息を吸った。
「ティル様は、あのままシルドが存続できたと思いますか?」
「・・・どういう意味だ」
「そのままの意味ですよ。あのまま森の中でひっそりと平和に生き続けられたと思いますか?」
「ロネスネスの邪悪な野望さえなければ、あるいは・・・」
「それは間違いです」
 きっぱりとホンドは断言した。
「シルドの人口が年々増えているのはご存知かと思います。そしてそれは、外の、他の国でも同じことが言えます。人が増えれば村が出来、人が増えれば村は街となり、国となる。国が増えれば、いずれ他の国と関わらざるを得なくなる。時代は今、変わりつつあるのです。家族と家の中だけが世界の全てだった赤子はいずれ大きくなり、家を出て、隣近所の存在を知ります。同じように、この世界に存在する多くの国が、別の国を認識しだしたのです。相手は良い隣人か悪しき隣人か。今隣にいる仲間のことさえ良くわからないのに、違う国の他人のことなど解るわけはありません。そして、人は他人よりも自分の利益を追い求めます。これは悪ではなく、当然の欲求です。生き残るために必要になるからです。そこで必ず衝突が起こる。私たちの知らない場所で、今も国同士が争って領土を広げているのです。
 対して、シルドはどうでしょうか。外のことなど関係ないと、森の中でひっそりと暮らしてきた。その頃外ではロネスネスが他国を侵略し、領土を広げ、力を増大させていたことすら知らずに生きてきたのです。何があっても守護龍がいるから大丈夫だと赤子のままでいたのです。生き残るための努力を怠ってきたのです。どうしてそれで、今後生き残れたと思えるのですか?」
 珍しい人間だ。己の国しか知らなかったはずなのに。ロネスネスという外敵一つ知っただけで、そこまで想像の枠を広げることが出来るのか。
「すでに時は遅く、他の隣人と手を組む時間も、国力を増大させてロネスネスに対抗する時間もありません。ならば残された道は、ロネスネスに入り込むこと。新たな庇護下に入ること」
「まるで尻軽な女だな」
「どんな手段でも使うべきなのです。生き残るために」
「仲間を裏切ってまで生きなければならないのか? そこまでして生きることに、何の価値がある!」
「生まれてきたからには、死ぬその時まで己の使命を全うしなければならないのです。権利ではなく、これは義務です。私の使命は、シルドの民を一人でも生かす事。その血を残す事。たとえ今後生まれてくる子孫たちにその自覚がなくても、未来の彼らが生きられるために、今の私たちが泥水を啜ってでもその場所を作り上げなければならないのです」
「あ、そう言う事か」
 ポンと手を打つ。ホンドの考えが見えてきた気がした。
「え、タケル?」
 クシナダが少し驚いた風に僕の名を呼んだ。僕が柏手の音で、全員が僕の方に注目してしまった。
「シルドの血をロネスネスの中に流し込むってことかい? 気の長い話だね」
 今度はホンドの方が少し驚いたように目を見開いた。どうやら的を射ていたみたいだ。
 つまり、長期的な戦略をこのホンドは立てていたわけだ。普通に考えれば、ホンドがロネスネスの将軍として召し抱えられるなんてほぼありえない。この時点で、かなりの交渉術を発揮していたことだろう。そして、自分用の部下、という名目でシルド兵を取り入れる。少しでも血筋が残るよう、確率を高めるためにだ。
 おそらく、十年以上は苦しい思いをするだろう。仲間を売って敵に従うのだから、普通なら良心が咎めるだろうし、ロネスネス正規兵に受け入れられるまでは嫌がらせやら誹謗中傷の類をごまんと受ける。それでも生き延びて、実績を重ね、世代を重ね、やがてシルドの血を引いた者がロネスネスの中枢、地位のある場所へ到達すれば。これは、ロネスネスを内側からシルドが操ることに他ならない。ロネスネスを乗っ取るための、確実性の薄い百年の計略だ。それでもここで全滅するよりましと考えたのか。
「タケル、一体お前は、何を言っているんだ? ホンドは一体何を考えている?」
 横から、まだ事情を吞み込めていないティルが尋ねてきた。僕は視線でホンドに向かって問う。この話をしても良いのか? と。
 僕の目を見返していたホンドは、目を瞑り、かすかに首を横に振った。言うな、ということらしい。ホンドの行為に、僕は苦笑いを禁じ得ない。今しがた自分の口で、何でも利用して生き延びるべきだと言ったばかりなのに。どうやら、ティルたちの前では悪として、憎むべき対象でいたいらしい。このままでは処刑確実だというのに。
「自分を悪に仕立て上げて、残ったシルドの人間の結束を強める気か」
 使命とやらに、どこまでも殉じるつもりか。馬鹿な奴だ。何が馬鹿って、誰からも感謝されない自己犠牲の精神もそうだし、誰にも相談せずに自分一人でいろんなものを背負おうとしたこともそうだし、それしか方法がないと思い込んでいることもそうだし、何より、僕がホンドの考えをくみ取ると思い込んでいるところが馬鹿な証だ。僕がそんなもの守るわけないだろ?
「タケル? 聞いているのか?」
 いつまでたっても喋ろうとしない僕に焦れて、ティルが肩を揺さぶった。
「聞いているよ。ホンドの考え、だろ?」
「そうだ。何が分かったというのだ」
「ちゃんと分かったわけじゃない。もしかしたらこうかな? という仮説が出来ただけ」
「それでもいいから、教えてくれ」
「仮説は仮説だ。間違ってるかもしれない話を他人にさも真実のように話すわけにはいかない。間違った情報を真実と受け取って間違った選択をするのはあんたらの勝手だけど、そうなると僕の気分が悪くなる。だから嫌だ」
「タケルッ!」
「どうしても聞きたきゃ、ホンドから真実を聴き取れよ。その方が奴の為でもある。ティルが真実を知りたいのなら、ホンドを生かすしかない。どういう手段を使っても、生き延びたいのだから、口さえ閉ざしていれば生き延びられる。そうだろ?」
 最後の言葉はホンドに対して贈ったものだ。僕の意図にも気づいているようだが、流石は年長者。すぐに感情を出すティルやミハルと違い、眉一つ動かさず、虚ろな目で僕を見返していた。
「一つだけアドバイスだ。ホンドは処刑するよりも、死ぬまでこき使った方が罰になると思う。信じる信じないは任せる。後はそっちで良きにはからってくれ」
 ティルに言うだけ言って、僕は踵を返した。 

「ぐはっ?!」
 悲鳴を上げながら、隊長機のパイロットが目を覚ました。
先ほど機体から放り出されて気を失っていたので、気つけ代わりに電気ショックを与えてみたら効果はてきめんだった。
 手を後ろで縛られ、胡坐をかくような格好で座らされていた彼は、目を覚ました直後は何が起こったかわからず辺りをきょろきょろと見回していた。焦点も怪しかったのか、比較的近くにいた僕らに気付かないようだったが、時間の経過とともにその目が僕たちを捉えだした。
「き、さまらは・・・」
 喘ぐように口を開く。
「気づいたかい? どう? 喋れるかな?」
 尋ねる僕を無視して、パイロットは起き上がろうとして拘束されていることに気付く。
「これをほどけ!」
 ショックを与えすぎて言語中枢とか舌とかに麻痺が出てないか心配だったが、これだけ元気に怒鳴れるなら大丈夫だな。
「他の、俺の部下はどうした。ロネスネスの兵士たちは!」
「ああ、それなら、逃げたか、死んだわ」
 クシナダがことさら淡々と答えた。
「残っているのは貴様だけだ。ロネスネス軍第二部隊部隊長、ベラルド」
 クシナダ以上の平坦な言葉に、地獄の業火のような怒りを込めてティルが言った。
「ふん、強力な仲間を得て、急に強気になったな、負け犬。一人になったのはお互い様だろう?」
 途端、ベラルドの頬が弾けた。表情すら変えず、ティルが裏手で殴ったのだ。
「先ほど私に言った言葉、そのままそっくりお返ししよう。己の立場をよくよく考えられるがいい」
 しかし、ベラルドの強気な態度は変わらない。
「負け犬に負け犬と言って何が悪い。今のこの状況において、確かに俺は囚われている、が、そこに貴様の力が介在した箇所はどこにもないのだ。全てそこにいる者どものおかげだろう? 貴様は、自分だけでは何一つ成し遂げられない、国を失った負け犬だ」
「だから何だという。気持ちだけでも優位に立とうという小賢しい知恵ではないか。幾ら貴様が言葉を弄したところで、私は拘束されないし、貴様の拘束は解けない。事実は何一つ変わらんぞ」
 ティルがそう言うと、ベラルドは馬鹿にしたように笑った。
「何がおかしい」
「これがおかしくて何がおかしいというのだ。本当に愚かだなティル・ベオグラース・シルド。貴様らを追ってきたのが我々だけだと思うのか?」
 ティルの表情が変わった。
 確か、千人ほど動いているとかなんとか聞いた気がする。僕らが見たのは、パッと見だけどせいぜい三百から四百、半分くらいじゃないだろうか。斥候の見間違いか、それともホンドの息のかかっていた裏切る予定の人間の嘘か、それとも別働隊として動いているかだ。
「私がそこの小娘とやりあう前、通信があった。岩陰からこそこそと逃げ出そうとする女子どもを捕らえたとのことだ。いや、もともと我々の所有物だったのだから、返してもらった、が正しいのか?」
「貴様っ!」
 怒りにまかせてティルがベラルドに飛び掛かった。そのまま、一発、二発と頬を殴る。が、ベラルドは切れた唇から血を流しながらも、不気味な笑みを顔に張り付かせたままだ。
「え、止めないの?」
 ミハルがあれ? っといった風に僕たちを見た。
「何で止める必要が?」
「いや、こういう時のお約束だろ? 『おい、止めとけ! そんなことをしても仲間が返ってくるわけじゃない!』とかさ」
「あんたはその理屈を使うべきではないね。返ってくるはずのない兄のために仇討しようってんだから」
「てめえほんとムカつくな!」
 ムカつかれても事実だ。復讐者が、他人の怒りに任せた行為を否定するべきではない。もし止めるとしたら、こちらにとって利用できるかどうかの時くらいだ。
「私の同胞たちをどこにやった!」
 ベラルドの胸倉を掴み上げ、口から唾を飛ばす勢いでティルが叫んだ。
「王城の牢屋に向かっただろうな。明日には再び奴隷市が開かれるだろう」
 はははははは、ベラルドの高笑いが響く。彼の胸倉から手を離し、ティルは来た道を戻ろうとした。
「どこへ行くんだ?」
 その背中に声をかける。
「決まっている。シルドの民を助けに、だ」
 振り返ることすらせず、答えた。そのエネルギーすら温存して救出のために使いたいという気持ちの表れだろうか。
「どうやって?」
 返答も聞かずに再び進み出そうとした一歩目をくじく。
「おそらくここと同程度の規模の軍隊が動いていたはずだ。助けられる確率は、かなり低いと思うけどね」
 というかゼロだ。シルドの人間が助かる見込みは。
「だからと言って、ここでじっとしていられるわけにはいかんだろうが! 明日にも同胞たちが売り飛ばされようとしているのだぞ!」
「逆に、明日までは大丈夫、ってことでしょう?」
 落ち着かせるように、静かな声でクシナダが言った。
「明日の奴隷市が開かれる前に、助ければいいじゃない。それが開かれるのがいつ頃かはわからないけど、連れ帰ってすぐ、なんてことはないだろうし、大勢の人間を連れているのなら、まだ王城に到着してないかもしれない。時間はあまり無いけど、全く無いわけじゃないわ」
「いい気になるなよ」
 ベラルドが割って入った。
「素直に評価しよう。この十数年、グレンデルから俺を引きずり降ろしたのはお前たちが初めてだ。だが、これをグレンデルの、ロネスネスの強さと思い違いをしてもらっては困る」
 なかなか面白い話をし始めたな。
「俺たちの主な任務は敵地への偵察や強襲などの足の速さを求められることが多い。グレンデルもそれに合わせて設計されており、素早さなど機動性に優れる。反面、馬力や武装の多さは他のグレンデルに後れを取る」
 なるほど、残っているグレンデルは戦闘型で、今ここで戦った奴より強いのがいると言いたいわけだ。
「馬力も装甲の厚さも桁違いの『王の盾』、攻撃の面に置いて比類なき力を持つ『王の剣』、そして機動性、馬力、武装、全ての能力において並ぶもの無きグレンデル『フルンティング』だ。王の腕も相まって、正に最強と呼ぶにふさわしい力を発揮する。加えて都には、勇猛なるロネスネス兵一万が備えている。この意味が分かるか?」
 にい、とベラルドは笑い
「貴様らが行こうとしている都には・・・」
「ああ、はいはい。わかるわかる」
 ミハルが自慢げに話そうとしたベラルドの話の腰をへし折った。
「てめえの言いたいことなんか私の世界ではありふれにありふれて耳にタコが出来るくらい良く聞くテンプレートなんだよ。要約すりゃ『私は四天王の中でも最弱』ってやつだろ?」
 思わず吹き出してしまった。ああ、もう純粋にベラルドの味方自慢は聞けないな。
「べらべらと内部事情を喋ってくれてありがとよ。充分だから、もう寝とけ」
 ゴッ
 ミハルが剣の柄でベラルドの脳天を強打した。頭を揺さぶられたか、ベラルドは再び気を失い、その場に横たわる。
「これで良し、だ。ティル」
「え?」
 ここまでの急な展開についていけてなかったからか、急に呼ばれて戸惑っている。
「次にこいつが目を覚ました時が楽しみだな。こいつの目の前で、シルド人勢揃いでお披露目してやろうぜ。てめえの思う通りにはならなかったぞ、ってな?」
 悪戯っ子のようにミハルが満面の笑みを浮かべた。
「助けて、くれるのか」
「今さらだろ。私もこいつらが気に喰わないし。乗りかかった船だ。全部終わるまで付き合ってやるよ。任せとけ」
 ティルが一瞬呆けた。そして、慌てて取り繕うように「ありがとう」と頭を下げた。それを、ミハルの頭に乗っかるライザはどこか面白くなさそうな顔で見ている。
 彼女は分かってない。今、かなり面倒なことを背負いこんだことに。けど教えることはしない。おそらく、こっちに来てしまった彼女にとっては『幸福』なことだと思うから。

謁見

 ガション ガション ガション
 朝からずっと続く霧雨の中、規則正しい足音を響かせて強襲型グレンデルが門の前にぬっと現れた。
城壁前に駐在していた門番たちはグレンデルと、その後ろで縄をうたれ、数珠つなぎに繋がれているシルドの兵たちを認め、駐在所から飛び出してきた。
「お疲れ様ですベラルド隊長。そいつらで最後ですか?」
『ああ。そうだ』
「予定よりも少ないように見えますが」
『ここにいるのは賢い選択をしたホンド殿と彼についてきた腹心の部下、そして逃げることすら諦めた哀れな連中だ。残りはみじめに逃げ出した。あまりにみじめで可哀そう何で、慈悲深い私の部下はそのまま放ってはおけないと言ってな』
「なるほど、だからいらっしゃらないのですね?」
 門番たちは残虐な笑みを浮かべて答えた。今頃大がかりな山狩りが行われているのだろう、と話し合う。
『陛下にご報告申し上げたいのだが、城へ連絡を頼む』
「陛下へ、ですか? まずはこの者どもを牢へぶち込むのが先では?」
『いや、今回ご報告したい件があるのだ。シルドを壊滅させることに成功したホンド殿を、陛下に紹介したい。その時に貢物は必要だろう?』
 その言葉に背中を押されるようにして、唯一捕まっていない男が門番たちの前に現れた。
「ほう、ではあなたが」
「はい。ホンド、と申します。以後お見知りおきください」
「懸命な判断をされましたな」
「いえいえ。そんなことはありません。皆さまの屈強さとグレンデルの威光の前に膝を折らぬものなどおりましょうか。私は解りきった選択をしたまでです」
 違いない、と門談たちは笑い、ホンドもつられるように笑う。
「そしてこの度、寛大な御心で私を栄光あるロネスネスの民として迎え入れてくださった陛下の御恩に報いるにはあまりにも小さいながら、感謝のしるしとして贈呈したい品がございます」
「なるほど、それが後ろの品々という訳ですか」
「はい。そこには、かの守護龍の子も含まれます」
「なんと!?」
 門番たちの目の色が変わった。
「陛下が打ち倒した、あの巨大な龍の?」
「大丈夫なのかそれは。暴れたりしないのか?」
「ご安心ください」
 動揺する門番たちに、ホンドは穏やかな声で語りかけた。
「たとえ龍とはいえまだ子ども。体も私より小さく、力も弱い。しかし、陛下の御役に立てるように育てることが出来ます。数年後には陛下の手足となり、文字通り翼となって空を駆けることが出来ましょう」
「それは素晴らしい! それならばグレンデルを素早く戦場へ送り込めますな!」
「しかも敵陣中央に、誰に知られることもなく、だ! 戦略が広がり、ますます陛下、ひいてはわが国の勝利は盤石となる!」
「おっしゃる通りでございます。そして、叶うならその後告を私自ら行いたいのです。これが、シルドへのせめてもの手向けとなり、決別の証となります故」
「なるほど、そんな理由があるのでしたら、確かにご自身で報告した方がよいでしょうな。わかりました。城へはすぐに伝令を向かわせます。そのまま中へお進みください」
「御配慮、痛み入ります」
 そう言って、ホンドは彼らの横を通る。続いて、グレンデルと、縄に繋がれたシルド兵たちが続いていく。中には少年兵もいるのだろうか、ぶかぶかの兜をかぶったまま項垂れていて、歩く度にぐらぐらと揺れている。そんな彼らを、門番たちは通した。まるで卸されに行く家畜の群れだ、と笑いながら。

 ホンドが通されたのは謁見の間ではなく、城の裏手にあるグレンデルの格納庫だった。貢物が多すぎて謁見の間には入れられない、という理由と、グレンデルの調整に王が付きあっており、そこで報告を受けた方が合理的だからと王自身が指示したためだ。
 通された格納庫には、調整中のグレンデルが、まるで整列しているかのように左右に綺麗に並んでいた。一番奥まった場所に、他のグレンデルとは一線を画すグレンデルがあった。金色の鎧を身にまとう、神々しき巨人。王が乗るグレンデル『フルンティング』だ。最奥の上座に王のグレンデルが鎮座し、左右を他のグレンデルが並ぶ様は、まるで巨人用の謁見の間だ。この国の象徴が並んでいるのだから、ある意味謁見の間以上にふさわしい場所と言える。
 調整は終わったのか、それともこれからホンドの報告がある為か、グレンデルを扱う技師たちはこの場には居なかった。どころか、人はホンドたちしかいないように見える。
『控えよ。陛下の御前であるぞ』
 突如、フルンティングの横にいたがっしりとしたグレンデルから声が発せられた。どうやら、中に乗り込んでいるらしい。慌ててホンドたちは平伏し、彼らの背後にいた強襲型グレンデルも傅く。
『よく参られた。ホンド将軍。そなたの働き、忠誠、確かに見せてもらった。褒めて遣わすぞ』
 低い声がスピーカー越しにホンドたちへ降り注いだ。天から声を授かったように、ホンドは更に頭を垂れた。
「ははっ! ありがたきお言葉!」
『して、俺に貢物があるとか』
「はい。私を含めた、元シルド兵三十名、そして守護龍の子を陛下にお渡しいたします。」
『ほう、あの龍の子か。話は聞いておるぞ。なんでも、俺に従うように躾けることが出来る、とか』
「陛下の翼となるように育てます」
『それは良い。ゆくゆくは俺にも翼が生えるか』
 フレゼルの冗談に、周りのグレンデルからも笑いが起こる。
「龍だけでなく、我らも陛下の手足として働く所存です」
『俺の手足として?』
「はい。陛下の御為に、どんなことでも致します」
『どんなことでも、ときたか』
 何かを含んだ言い方だった。フレゼルは、少し沈黙した後、おもむろに言い放った。
『では、死ね』
「・・・・・は?」
 何を言われたかわからなかったホンドは、思わず顔を上げ、聞き返してしまった。フレゼルは平然として、言葉を連ねた。
『何度も言わせるな。死ねと言ったのだ。なんでもするのだろう? ではその場で命を絶ってくれい』
「へ、陛下。それは、何かの御冗談でしょうか?」
『冗談を言っているのは、そちの方ではないか?』
 楽しそうな声音とは裏腹に溢れ出す戦意と敵意がビシビシとホンドに叩きつけられる。モーター音が格納庫内に響き渡り、不協和音を奏でる。輪唱のように、他のグレンデルからもモーター音が唸り始めた。
『貴様は誰だ』
 フルンティングが指差すその先。ホンドたちの頭上を越えて、一番後ろで控えていた強襲型グレンデルを指し示していた。
『わからない、ばれないと思ったのなら、浅はか、もしくは俺のことを舐めすぎだ。貴様、ベラルドではあるまい?』
 強襲型は膝をついたまま動かない。他のグレンデルが武器を片手に、左右から強襲型を挟む。
『そのままだんまりを決め込む気か? どうやったかは知らんが、ベラルドからそれを奪い、わざわざここまで来たのだろう? 俺を殺しに。そのままだと串刺しだぞ? 良いのか? 俺としては、最後まで足掻いてくれた方が良いんだがな。このままくたばるなど拍子抜けも良い所だ』
 じりじりと強襲型ににじり寄っていたグレンデル二機が、持っていた槍で突いた。左右から来る穂先に対して、強襲型は腰を軸にして体を回転させた。ラジオ体操の体を捻じる運動と同じ動きをしながら、右手と左手で槍の穂先を弾く。胴体の、パイロットがいる場所を突こうとした槍は前後に逸れて通り過ぎる。そこで終わらず、強襲型は自分を狙った槍の今度は中ほどを掴み、その勢いを加速させるようにして引っ張った。左右にいたグレンデルは引きずられるように体勢を崩して転倒した。そこを見逃さず、強襲型は腕のギミックに仕込まれた剣で倒れたグレンデル二機の胸を素早く突き刺した。悲鳴も上げられずに、グレンデルパイロットは息絶えた。
『やるな』
 他のグレンデルが絶句している中、フレゼルだけが感嘆の声を上げた。
『何でわかったの? 自慢じゃないけど、僕は、声真似は結構得意なんだけど』
 昔取った杵柄でね、と強襲型からベラルドのものではない声が響く。その声の疑問に答えるように、フレゼルが口を開いた。
『グレンデルは、起動しているとここにある明かりが点灯する。停止すると消える。貴様の乗る機体以外の強襲型の灯りがすべて消えた。ここで調整する以外で明かりが消えるといういうことは、誰もが疑ったが事実は一つ。何者かにグレンデルは破壊されたということだ』
 あのように、とフレゼルが指差すところにランプがあった。今破壊されたグレンデルがいた場所だ。他のグレンデルのランプは青色が灯っているのに対して、主のいなくなった場所のランプは消えている。
『何だ。始めからわかっていたのか』
『そういう事だ』
『じゃあ、僕らはまんまと罠にはまったわけだ』
『その割には驚いてはおらんな。そっちこそ、この格納庫に呼ばれた時点で罠の可能性に気付いていたのだろう? おとなしく従わず、そのまま城下で暴れるという方法もあったはずだ。その隙に掴まった連中を解放するという手を取れただろう?』
『そこは、罠以外の可能性も否定できなかったしねえ』
『豪胆なのか愚かなのか、判別に苦しむところだな。なにより、我ら意外にグレンデルを操縦できるものがいる、というところに驚きだ』
『驚くほどのもんじゃない。僕のいた世界ならちょっと練習しただけで子どもでも動かせる親切設計だ』
『僕のいた、世界?』
『ああ、気にしないでくれ。ちょっと遠くから来たもんで、そういう言い方をしているだけだ。それに、あんたが気になるのはそんな些細なことじゃないだろ?』
 今しがたグレンデル二機を屠った剣をフルンティングに突き付ける。
『ご期待に沿えるよう、足掻いてやるさ。ただし、こっちが勝ってしまっても、文句ないよな?』
 グレンデルに感情は無い。けれどその時、パイロットの心情を表すかのように、強襲型は目を輝かせた。

地図の指し示す先に

『ホンド』
「分かっている。ぷらんびー、だな」
 声に反応してホンドは頷いた。その顔にもはや動揺は無い。やるべきことが分かっているからだ。
 さっきまで俯いていたシルド兵たちが一斉に顔を上げた。絶望ではない。覚悟を決めた人間の顔だ。同時に、自分たちを縛っていた縄を自分たちで解く。あらかじめ自分でほどけるように細工しておいたのだ。その中に勢いよく兜を外した奴がいる。ミハル&ライザだ。
『やれやれ、これでようやく窮屈な兜ともお別れか』
 忌々しげに兜を脱ぎ捨て、ぐるりぐるりと事務仕事で肩が凝ったサラリーマンのように首を回したライザが言った。
「あんたが文句言うな! 大変だったのはこっちだ。一緒に行くって聞かないからこっちが色々と骨折ってやったんだろうが!」
 サイズの合わない鎧から頭を出したミハルが叫ぶ。
 城内へ潜入するとなったはいいが、作戦のキーマンの一人、というかグレンデルに生身で対抗できる数少ない人材であるミハルも一緒に行くとなったとき、問題が発生した。ライザが頑としてミハルの頭から離れようとはしなかったのだ。無理やり引っ張ると髪が抜けるどころか首が引っこ抜けそうになったので、妥協案としてへたくそな二人羽織みたいに、頭はライザ、胴体はミハルという形に落ち着いた。
『我が庇護者たる母と共に動くのは当然であろう? それに、他の者から見て背の足りない母の頭一つ分を我が補ったのだ。そういうところで協力もしている。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはない。それに、子どもの教育方針は叱るだけではなく褒めることも大事だと我は思うぞ。我の場合はおそらく、叱って成長を促すより褒めて伸ばす方があっていると思う』
「御忠告ありがとよ!」
『礼には及ばん。あと加えて一つ忠告だが。どうにも母は口が悪い。それでは母の本当の良い所が他人には伝わらなくて損をするからな。子から親への忠告だ。ありがたく受け取るがよい』
「以後丁寧な口調を心がけるからあんたはちょっと黙ってやがりなさい!」
 なんだか、親子漫才に磨きがかかってきたなあ。本当に仲の良い親子のようだ。
「じゃれ合うのは構わんが、もう少し緊張感を持ったらどうだ」
 隣で呆れたようにため息を吐くティル。
「一応ここは敵の本拠地だぞ。お前たちがそれじゃあ、私たちの士気に・・・」
『黙れ小僧!』
 ライザが一喝した。渋い声にマッチする良いセリフだ。そっちの方が小僧でなければもっと良かったのに。
『今我は母と話している。断じて貴様ではない!』
「守護龍様。時と場合を考えてくださいと言っているんです。大体彼女は人間で、それもまだ若い。母と呼ぶには少々無理がありますし、ミハルにとっても年齢的に、あまり嬉しくないことでは?」
『ふん、年齢、種族の違いなど些細な事よ。貴様ら人間はすぐ本当に大切なことを見失う。目に見えるものだけがすべてではない。確かに母は世間を知らず視野も狭く考えも浅い、幼いただの生娘にしか見えんが』
「てめえそれ以上言ってみろぶっ殺すぞ!」
『このように口も悪い。しかし。しかしだ。我にはわかる。母は、ミハルは、我すら包み込むほどの大きな器をその身に宿している。我の本能が告げるのだ。もしかしたら、先代の龍が死んだこと、シルドが滅ぼされたこと、全てが我をミハルに合わせるための運命であったのではないか、そう思わせるほどの逸材ではないのかと勘繰るほどの』
 運命、ね。背後に姉によく似た神様の存在がちらついてきたぞ。
『何をごちゃごちゃ喋っている! たったそれだけで、我らに牙向くつもりか!』
 エンジンの温まった一機が、ごちゃごちゃ喋るミハルたちに向かって突進してきた。強襲型よりも流線型の滑らかなボディを持ち、見るからに腕のギミックと足のギミックが多くておそらく胴体にもいくつかのギミックが隠されてそうなグレンデルだ。あれが『王の剣』とやらだろうか。
 シルド兵を踏みつぶさんと迫る『王の剣』の前に割り込もうと機体を動かそうとした矢先だ。それより早く、ミハルが動いた。するりと、風のように目の前にいたティル、そして他シルド兵の間をすり抜け、迫るグレンデルの股を潜り抜けた。慌てて上半身を捻るグレンデルだが、その勢いを殺すことはできなかった。慣性がついて止まれなかった、ということではない。もちろんそれも有るだろうが、そもそも踏ん張るための足が無くなったら止まれるわけがない。すれ違いざま、ミハルが剣を一閃させたのだ。結果、膝から下がその場に残され、上半身だけが転がっていった。
『親子の会話を邪魔するからこうなるのだ』
「なんでてめえが偉そうなんだよ」
 恐るべき偉業を成した女は、今だ頭上の龍と漫才を繰り広げている。
「器云々はともかく、恐ろしい逸材というのは同意出来るな」
 ティルがシルド兵全員の声を代弁した。
「ティル様。今の内です」
 ホンドがティルを呼ぶ。ミハルが与えた衝撃のせいで、敵は思考が止まっている。その隙を突かない手はない。ホンドを先頭に、ティルたちは格納庫を脱出する。
『っ逃がすか!』
 その動きに気付いたグレンデルが追おうとする。どこに行こうというんだ。お前の敵は、ここにいるというのに。僕は強襲型を操作し、シルド兵たちとそいつの間に割って入る。
『馬鹿が! 出力はこちらの方が上だ!』
 なるほど、こいつが『王の盾』とかいうグレンデルシリーズの一つか。こっちの機体より一回りは大きい。有り余る膂力に物言わせて、上段から槍と斧を混ぜたような武器、ハルバートとかいったっけ? を振り降ろした。まともに受ければ負ける。だからまともには受けない。振り降ろされるハルバートの刃に対して並行ではなく斜めに剣を添える。落ちてきた刃は剣の側面をガリガリと剣の側面を削り取りながら軌道を逸らし、固い音を立てて地面に突き立った。
『な!』
 驚いてる場合じゃないと思うが、わざわざ忠告するほどのものでもない。前面の装甲は厚いらしいが、側面はどうだろうか。無防備な横腹にそのまま剣を突き刺す。さっき潰した二機よりも硬かったが、やはり側面は構造上の問題でもあるらしく突き刺すことは可能だった。火花を散らしながら火花を散らし、そのまま動かなくなる。こうしてまた一つ、格納庫からランプが消えた。
『強襲型は足は速いが装甲は脆く、出力は低い。ロクな攻撃方法も持たない、グレンデルの中では弱い方。だから負ける道理は無い、なんて、幻想だ。出力が違うとか、攻撃力や防御力が違うとか、確かに機体の性能の差は大きいと思うよ。けれど、それが絶対だとは思わない方が良い。機体の性能の違いが、戦力の決定的な差にはならない。結局のところ、勝てるかどうかは操縦する人間次第だ』
「どこの大佐だてめえは」
 半眼のミハルのツッコミを無視して僕は続けた。
『これに乗ってまだ数時間程度の僕に後れを取るようじゃ、あんたらはそのオモチャなしじゃ誰にも勝てない雑魚ばかりということになるね』
 彼らの怒りを表すように、一機、また一機と立ちあがった。ふむ、作戦通りだ。こちらに気を取られてくれればくれるほど、ティルたちの作戦は上手く行く。さて、もう少し混乱を作り上げようかな。
『悔しけりゃ、僕を倒して証明して見せろ』
 言うが早いか、僕は機体をバックステップさせて格納庫から飛び出る。
『待て貴様!』
 釣られて他の連中も格納庫から飛び出してきた。鬼ごっこの始まりだ。出てきたのは、ひい、ふう、み、四機か。ちょうど半数かな。後はミハルが相手をするのかな。
『偉そうなことを言って逃げる気か!』
『逃げる? 違うな。誘い出したんだよ』
『ほざけ!』
 右手の方から、家屋を踏み台にして剣シリーズの方が飛んできた。右手に何か紐のようなものが見えて、それがするすると肘の当たりにあるギミックに戻っている。もしかしてワイヤーアンカーか? すげえな。スパイ映画とかでしか見たことない代物だ。なるほど、あれを射出して家にひっかけ、一気に引き戻した反動で飛んできたのか。
『おいおい、家壊してんぞ? ご家庭にやさしくないことは控えた方が良い。恨まれるぜ?』
『知ったことか。民は我らのおかげで生きていられるのだ。我らの役に立つために生きているのだ。むしろ、役に立って良かったと言うだろうよ!』
 どうりでさっきから、その辺を逃げ惑う市民のことなんぞ目に入ってないかのような動きをするわけだ。しかもそれを隠そうとせず、拡声器越しに喋っている。いいね。その人でなし感。
飛んでくるグレンデルを迎え撃とうと、僕は足を止める。
『もらった!』
 そこへ、追いついたもう一機が、足を止めたこちらに向かってハルバートを横薙ぎに振るう。それを僕は、思い切り機体を逸らせて、リンボーダンスよろしく回避する。大振りも大振り、フルスイングしたグレンデルはすぐには姿勢を戻せない。
『この、ちょこまかと!』
 真正面から正直に飛んできたグレンデルの一撃を、今度は横に転がって躱す。転がる方向は今しがた体勢を崩したグレンデルの方だ。転がりながら手を伸ばし、ハルバートの柄を掴んで奪い取る。
『返っ』
 何か言おうとしてたが蹴飛ばして転がす。
『この野郎!』
 先ほどのグレンデルは、着地の時に折り曲げた脚部に力を込め、こっちに向かって飛んだ。ブースターも翼もないのに、それでどうやって躱すのだ? 空を蹴れるわけじゃないだろ? 僕は奪い取ったハルバートを突き出す。
『そん・・・・』
 グシャ、と頭頂部から胸にかけてハルバートの穂先が突き刺さる。どうやって躱すつもりだったんだ、本当に。こうなることが分かってるはずだろ?
 どうもおかしい。こいつらは歴戦の猛者ではなかったのか。幾らなんでも簡単にやられ過ぎだろう。今しがたのミハルの腕前も見てるし、一応僕も先に三体ほど潰して見せた。油断ならざる相手と見てもらっていいはずだ。それがどうしてこうなる?
 そこで、僕にはある恐ろしい仮説が生まれた。
 ズン、ズン。残り二機のグレンデルが目の前に着地した。
『観念しろ!』
『よくもスターンを! 仇とるからな!』
 彼らの怒りも遠く感じる。今の僕はそれどころではない。自分の辿り着いた想像に身震いしているのだ。その間に、ハルバートを失ったグレンデルが仲間のもとに戻っていった。
『なあ、あんたら』
 恐る恐る尋ねる。
『命乞いなら聞かぬぞ』
『あんたらは、守護龍と戦ったはずだよな』
 何のことを訊かれているのかわからないのか、グレンデル三機は黙りこくってしまった。
『だから、シルドとの戦争のとき、あの国を守ってた龍と戦ったはずだよな。その場に居たはずだよな!?』
『そんなことを訊いてどうする。『陛下』の武勇伝を知って戦意を喪失するだけだぞ』
 陛下、か。そうか、そういう事かよ。
 分かってしまった。どうしてこんな優れた兵器があるのに、赤印が付かなかったのか。
 最初は人間相手だからかと思っていた。神は、自然界のバランスが崩れるからと僕に化け物討伐を依頼した。だから僕は勝手に化け物というのは人間以外なんだろうな、と思いこんでいた。だから、人間の乗るグレンデルは対象外かなと。次は、近くに守護龍というもっと強大な力を持つ化け物がいたから、こいつらの反応が薄れたんじゃないかと。他には、まだグレンデルに乗ってないから、動いてないから反応しないのかとか。
 けど、違うのだ。地図は正しい。あれは化け物、もしくは化け物級の脅威となりうる力を持つ奴に反応する。つまり、つまりだ。
 それ以下には印が付かないんだ。
『どうした。さっきまでの威勢は』
 突然動かなくなった僕を、戦意喪失と見たのか、グレンデルたちが近寄ってきた。
 戦意喪失には違いない。こいつらに対して、戦う気が失せてきたと言うべきか。なんだろう。本当にもう。今回は最悪だ。
『諦めたのか?』
『・・・ああ、諦めたよ』
『くっくっく。そうか。だが遅かったな。お前の死は』
『お前らと戦うのは諦めた。フレゼルを引っ張り出す。・・・クシナダ』
 彼女の名を呼ぶ。返答は矢と共に。三本の、通常ではありえない威力と速度を持った矢が流星の如く飛来し、三機のグレンデルの頭を吹き飛ばした。突如視界を奪われた三機は慌てふためき手足をばたつかせ、弱点である外部の開閉ハッチを曝す。そこへ再び矢が放たれ、パイロット達は強制的に外の空気を吸う羽目になった。
「おとなしくそこから降りなさい」
 クシナダの声が空から落ちてきた。本人も、強襲型の肩の上に降り立つ。
「でないと、癇癪持ちの子どもが大暴れするわよ?」
 それ、僕のことじゃないだろうな? 疑惑の目を向けると、おどけたように目を大きく見開いたクシナダが「おお怖」と笑った。

マイキャラでエントリー

「で、これからどうするの?」
 パイロットたちを全員ふんじばった後、クシナダがそんな解りきったことを訊いてきた。
『さっきも言ったけど、フレゼル王を引っ張り出す。奴くらいしかまともに戦えるのがいないからな』
 こんなところまで古い英詩通りじゃなくていいのに。
『問題は、ミハルと戦ってないかってことだ』
「あら、彼女が心配?」
 まさか、と鼻で笑う。
『むしろ全て終わらせてるんじゃないかってことの方が心配だ』
 フルンティングの実力は未知数だが、ミハルの腕を考えればそうなっていてもおかしくない。
『そういう訳で、僕は彼女の方へ戻る。クシナダはホンドたちの方をお願い』
「分かったわ」
 先行して飛んでいくクシナダを見送る。ああ、このグレンデルにも飛行ユニットがついてれば面白いのに。ま、無い物ねだりしたって仕方ない。
『僕も戻るか』
 独りごちて、踏み出そうとしたその矢先。
『それには及ばん』
 街路に敷き詰められたレンガを踏み砕き、フレゼルの乗った機体『フルンティング』が目の前の家を飛び越えて、落ちてきた。シュルシュルと右手にワイヤーアンカーが戻っているのを見て、さっきのグレンデルと同じようにそれを使って飛んできたのだろう。他の連中が持ってた武装は全部持ってるってことか。
『貴様が探しているのは俺だろう?』
 コイツがここに来たってことは、ミハルはこいつと戦って死んだか?
『安心しろ、あの娘とは戦っておらん。部下たちに任せて、先に貴様の所に行くことにした』
 僕の考えを読んだかのようにフレゼルが言った。戦わずに部下に任せたってことは、それだけの腕前を持ったやつが残ってるってことか。あっちが当たりだったのか。
『貴様の考えは杞憂だ。あの娘の実力は見せてもらった。残してきた誰も敵うまい。見事なものだ。人の身でありながらあれほどの力を持とうとは』
『へえ、じゃあ、勝てそうな僕から叩きに来たってことかい?』
『それも、違う。あの娘は俺の相手にはなれない』
 奇妙なことを言った。相手にならない、じゃなくて、相手になれない。どういう意味だ?
『だが、貴様は違う。貴様は、俺と同類の匂いがする』
 剣を突きつけてくる。フルンティングの中にいるフレゼルが笑っている気がした。
『光栄だね。偉大なるフレゼル王と同類と言われるなんて』
『心にもないことを言うな。王なんぞに畏敬の念を払う様なタマじゃないだろう? 俺も、別段こんな肩書はいらん。この国ではやんごとなきとか偉大とか褒めそやされているが、俺ももともとはただの狩猟者だ。まだロネスネスが今の形を成してない頃、俺はこの地で、このフルンティングを見つけた。恐る恐る触ってみれば、自分の体の延長のように良く動く。しかも力は人間の何十倍もある。ためしにこの辺りで暴れてた巨大な猪に挑んだ。呆気なかったぞ。何十人もの狩猟者を屠ってきた化け物が、こいつの前ではウサギよりも簡単に狩れた』
 ぐぐ、ともう片方の手で拳を作る。
『その時から、戦いが楽しくて仕方なくなった。自分の力はどれほどのものか、何が出来るのか、こいつとどこまでいけるか試してみたくなった。もっと強い敵を求めて、各地を渡り歩いた。色んな化け物と戦った。この地を埋め尽くさんばかりのクモの大軍とも戦った。一匹一匹が人間よりでかくて、親はその何倍もでかかった。森の中にいたグレンデルに匹敵する巨大なヒヒの群れとも戦った。力だけではなく、罠まで張ってこっちを貶めようとしてきた。そういう生活をしていたら、いつのまにか、勝手にいろんな人間がついてきた。そいつらの目当ては俺が倒した化け物どもから希少な皮や牙を取って売ることだったようだ。別段必要ないからそのまま好きにさせていたら、いつの間にか俺は傭兵団の隊長になっていた。粗方化け物を狩りつくしたら、今度は人同士の戦いに参入することになった。人との戦いは、あまり面白いものではなかった。相手にならないからだ。糧を得る為だけに仕方なく戦っていたら、いつの間にか王になっていた』
 ロネスネスの誕生だ、とフレゼルは言った。
『部下共は領土拡大だ、千年王国の建設だと意気込んでいたが、正直俺は国とか政治とか、心底どうでもよかった。ただ強い相手と戦いたかっただけなのだ。部下たちが謀反を起こしたってよかった。これ以外に十四機のグレンデルを発掘したんだからな。だが、それもない。ならば各地に侵攻して俺の魂を揺さぶるほどの敵を発掘しようとした。だがその頃にはもう、敵となる奴がいなかった。退屈だった。本当に退屈だったのだ』
退屈しのぎに滅ぼされたとあっちゃ、シルドの連中もそこで串刺しになってる守護龍もたまらないだろうな。
『だが、今日は違う。戦うべき相手がいる。この時をずっと待っていたのだ』
 ぎち、ぎち、とフルンティングの両手両足の関節が軋む。力を蓄え、放たれる時を待っている。
『貴様はどうだ?』
 問いかけを返す前に、僕は荷物から地図を取り出した。さっきまでなかった赤印が生まれていた。僕の現在地の目の前だ。
 これで判明したことが二つ。
先ほどの僕の推測は大体あたっているということ。
 もう一つ。目の前のフルンティングは、僕が標的とする化け物級の強さを誇るということだ。そのことに口元を綻ばせつつ、僕は答えを返す。
『出会い方が違ったら、友人になれたかもしれないね』
 この答えで充分伝わっただろう。
『ははははは! そうかもな。最も理解しあえる相手が敵というのも皮肉な話だ。いや、敵だからこそ、か? ・・・・さて問答は、こんなもので良いだろう』

『行くぞ』

 足元の石畳を抉る強烈な踏込で、フルンティングは一直線にこちらに飛んできた。僕は持っていたハルバートを振るうことで迎え撃つ。タイミングを合わせて振るわれたハルバートは、フルンティングの頭部を直撃する筈だった。だが、直撃する前にフルンティングは宙に飛び上がった。足元をハルバートが通過する。そのままこっちの頭上を越え
『おお!』
 人の頭上辺りで逆さまになりながら剣を振ってきた。ハルバートをバーベル上げみたいに両手で頭上に掲げる。
 ガィン、と火花を散らしながら鋼と鋼が衝突。
『どぉっと!?』
 拮抗も一瞬、フルンティングが剣を押し切るように振りぬき、押し負けたこっちは体を前に弾かれてつんのめる。体勢の悪さと力の差がもろに出た。
 背後から音と気配が近づく。後ろを確認する暇はなく、勢いに逆らわず機体をそのまま前転させる。転がる真上を横薙ぎに振るわれた剣が通過した。
『これも躱すか!』
 楽しそうにフレゼルが叫んだ。そして追撃。今度は振り降ろし。いつの間にかこっちと同じハルバートを装備してやがる。一回転して足裏が地面に付いた瞬間右へ飛ぶ。ガリ、と左側から異音と振動が伝わってきた。見ると、左足のくるぶしから先が消えている。舌打ちしながら右足と両腕の三点を地面につけて踏ん張った。
『まだまだァ!』
 顔を上げた頃には、すでに目の前にフルンティングが詰めていた。とっさに右手のハルバートをアンダースローで投げつけた。直撃コースの穂先を、フルンティングは想定通りやすやすと弾く。別にかまわない。意識を一瞬そっちに持って行けさえすれば。こちらが相手に飛び込む隙が欲しかったのだ。ハルバートに続くようにしてフルンティングに肉薄する。懐に入り込み、剣を突きいれる。持ってたのがハルバートなら、防ぐのに間に合わないはず。相手は避けるか刺さるかの二択、になるはずだった。
 そこからフルンティングのとった行動に驚かされた。奴は剣の前に左腕を差し出したのだ。左腕を犠牲にして避ける気か、と思いきや、何も持ってなかったはずの左腕の甲部分が卓球台をセットしたように左右に開いた。
バックラーだ。胴体一直線に向かっていた剣先をそれで滑らせるようにして弾く。今度はこっちが隙だらけになった。がら空きの胴体に、フルンティングが体当たりを敢行、防ぐ手立ては何もなく、そのまま数十メートルほど吹き飛ばされ、レンガ造りの建物にぶつかってようやく止まった。計器類が赤く点滅し、内部の各所で小さな火花が飛び散る。モニターも半分は潰れ、残り半分も上から降り注いだ瓦礫によって塞がれている。何とか退けようとしても、どこか関節か配線が千切れたのか左腕の方がさっぱり動かない。
『部下に言っていたな。性能の差が戦力の決定的な差ではない、結局は人間の腕の差だと』
 逃げ惑う人々の悲鳴を押しのけるようにしてフレゼルの声が届く。
『では、腕が拮抗していたら、性能の差は決定的な差になるのではないか?』
 違いない。スポーツでも、実力が同程度なら後は戦略と道具が物を言う。シューズの重さが数グラム違うだけで、足にかかる負担が全く違う、なんてよく聞く話だ。
『貴様の腕は申し分ない。だが、それだけだ。性能で劣るその機体では俺に勝てない』
短い攻防の中でもわかる。フレゼルは腕が拮抗していると言ってくれたが、そんなことはない。機体性能だけじゃなくて、技量も上だってことが分かる。悔しいが、グレンデル同士の戦いでは僕は完敗だ。
『これで終わりか?』
 何かを期待するようにフレゼルは言った。言葉とは裏腹のことを待ち望んでいるのが丸わかりだ。まるで子どもの様に期待するものだから、こちらとしても応えなければならないな。
『この機体で勝てないのなら、自分の機体を使うしかないか』
 内側から思い切りコックピットを蹴り飛ばした。凹んでいた胸部装甲ごとコックピットの一角がはじけ飛ぶ。乗っていた瓦礫も一緒にどけられ、もうもうと埃が舞う中をゆっくりと這い出る。
『自分の機体? 貴様もグレンデルを持っているのか?』
「グレンデルじゃないけどな」
グレンデルはなかなか楽しいオモチャではあったが、少し物足りない所もあった。
 一つは、どうしても自分の感覚とグレンデルの動作にずれが生じるからだ。自分の意志にワンテンポ遅れて動作が開始するような感覚だ。オンラインの対戦格闘とかFPSをやってる感じだろうか。短期間の操縦訓練ではこのタイムラグを無くすまでには至らなかった。
 もう一つは、感覚がいまいち分からないということだ。物を掴む、地面を蹴る、そういうことを当たり前にしてきた人間がグレンデルに乗って同じことをしようとすると、かなりの違和感を覚える。もちろん操縦桿越しにも感覚は伝わってくる。だけどそれが自分のイメージする感覚とかけ離れていて、ちょっと気持ち悪いのだ。触覚が意外に大事だということが良くわかった。
だから、自分にとって最も得意な機体を使うしかない。反応がダイレクトで即伝わり、小さな空気の流れすら感じ取れるほどの鋭敏な感覚が違和感なくリンクできる、そんな機体。
「自分で言うのも何だけど、僕が一番、僕を上手く動かせるもんで」
 つまりはまあ、そう言う事だ。

人生最良の日

 すっかり手になじんだ呪いの剣を掴み、だらりと腕を下げて構える。
 フルンティングが突っ込んできた。両腕でハルバートを振り上げて、裂帛の気合と共に振り降ろされる。速く、鋭く、手加減なく、僕が生身であろうと関係ない一撃だ。
 空気が切り裂かれ、真空が生まれる。分かたれた大気が渦となり鎌鼬を生み出す。直接刃に触れなくてもズタズタにされる。下手に躱しても無駄だな。
 だから、迎え討つ。
「ああぁ!」
 斜め下から上へ剣を振り上げる。垂直に落ちてくるハルバートに対して斜め下から合わせる形だ。
 刃と刃が重なった瞬間、腕が内部で爆発したような衝撃が起こった。しかしその甲斐あって、まだ僕の胴体は真っ二つにもミンチにもなってない。剣を打ち合わせることで刃先の軌道は僕から逸らし、体に受けた衝撃はその場から飛びのくために使った。さすがに全ての勢いを受け流せることはないと考えた結果だが、ぶっつけ本番にしてはまあまあ上手く行っている。
「ぐっつっ」
 歯を食いしばりながら路面と水平に飛び、どこかの家屋の壁面に両足で着地する。
 次はこっちから攻める。側面をそのまま蹴って、一直線にフルンティングとの距離を詰める。フルンティングは振り降ろした体勢から一歩こちらに足を踏み出し、横薙ぎにハルバートを振るった。さっき僕が相手にしたことと全く同じ。タイミングを合わせて相手の頭をホームランだ。今の僕の脚力でもフルンティングを飛び越えるのは難しい。が、僕に合わせて振りぬかれるハルバートなら話は別だ。フルンティングの動きの真似をするように、今度はこっちが相手の刃を飛び越える。
 片足で着地、そのまま滑るように懐に飛び込んだ。こちらは振りかぶるだけの隙間があり、あちらには武器をねじ込む隙間は無い。狙うは胸部装甲の隙間。めがけて、突きを放つ。
 剣と胸部の間に巨大な鋼鉄の腕が割り込んだ。腕に仕込まれたギミックが作動して、バックラーを展開する。バックラーのイメージは普通の盾よりも小さいが、グレンデル用であれば僕の身長よりも直径が長い。完全に視界を覆われる形だ。だが
「そいつはさっき見たぞ」
 切っ先をバックラー自体に向ける。目標は二枚の金属が合わさってできたバックラーの境目。グレンデルに乗ってた時は分からなかったが僅かに隙間がある。そこへねじ込むように切っ先を刺す。僕の勝手なイメージだが、バックラーの用途は防ぐ以上に弾く方が大きい。さっきもそれで弾かれて隙だらけになった。なら、初めからバックラーを破壊することに注力すれば話が変わる。突き刺さりさえすればどうにでもできるはずだ。力ずくで押し込んで腕を破壊することも、それ自体を破壊することも。そして僕には、そのどちらも可能な力がある。
 体内をめぐる電気の流れを知覚し、剣を握る手に向かうように意識する。剣の刀身が中央あたりから青白く輝き始める。
『小賢しい真似を・・・離れろ!』
 危険を察知したか、右へ左へと腕を振りまわす。剣を捻じり、バックラーの裏手に剣先が引っ掛かるようにして振りほどかれるのをこらえる。下手な体感型アトラクションよりもスリルがある。文字通り命がけのスリルだ。
 フルンティングの振り上げた手が頂点に達する。僕の体はフルンティングの体高と腕の長さによって六メートルほどのところに来ていた。このまま叩きつけるつもりだろうが、そうはさせない。充電はばっちりだ。
 左手一本で剣の柄を持つ。体を逆エビのようにしならせ、反動をつける。そのままバレーのスパイクのように右手を柄頭に叩きつけた。金属を削り取りながら剣先がさらに奥へと食い込む。同時、右手に集めていた電気を解放する。解き放たれた電気は剣を伝ってフルンティングへと流れ込む。
 強襲型の飛び出る剣のギミックは内部のボタンを押せば飛び出たり引っ込んだりする仕掛けだ。結局のところ信号のやり取りだ。ならばそこに電圧の負荷をかければ破裂する。複雑であればあるほど、それらのつくりは繊細だからだ。
『がっ!』
 目論み通り、フルンティングの左腕から小さな爆発と煙が上がった。
 このまま畳み掛けられるか、腕から飛び降りて空中で一瞬思案した時、上段から拳が振り降ろされた。破壊したはずの左腕の方からだ。驚く間もない。反射的に剣を掲げ、間一髪で剣の腹で受けることには成功した。だが、空中という位置関係上踏ん張ることが出来ない。そのままななめ下に、今度は僕自身がバレーボールになったように背中から叩きつけられる。肺から息を全て吐き出しながら何度もバウンドし、先ほど踏み台にした家屋に激突する。悲鳴よりも先に血の混じったよだれが飛んだ。頭も打ったらしく、血が流れて顔に垂れてくる。
 なぜ破壊したはずの左から攻撃が来たか、顔の血をこすって拭い、目を凝らす。
凝らした目を、再びこする眼になった。
「腕が、治っている、のか?」
 破壊したはずの左腕が健在だった。ならあの爆発や煙は一体
 いや、違う。
 いまだに線香ように細い煙を上げている左腕がだらりと下がっている。破壊は成功していた。ただ、もう一本左腕があったのだ。
『驚いたぞ』
 フレゼルの声が震えた。驚愕と、歓喜の滲んだ声だ。
『初めてだ。傷を負ったことも初めてであれば、この隠し玉を使うことになったのも初めてだ』
 バキベキ、と右腕で垂れて邪魔になる左腕をむしり、『もう一本』の右腕でこちらに剣を向ける。
「四本腕、か」
『その通り』
 種が分かれば簡単だ。腕が二本しかないなどと誰が決めた。ここは化け物はびこるファンタジー世界だ。なんでもありだ。ミハルに偉そうなことは言えない。僕がいまだに元の世界の常識を引きずっている何より証拠だ。苦笑して、立ち上がる。武装が突然変わったのも、腕を切り替えただけに過ぎない。
『卑怯だと思うか?』
「は?」
 言われた意味がさっぱり分からない。
『疲れを知らぬ体、化け物すらも凌駕する力、そして四本の腕。戦う者誰しもが思うのではないか。自分より強い者に出会った時、そいつが自分より優れた武器を持っていたら。自分が負けたのは道具のせいだと。実力では負けていないと。俺も負けた時は良く思った。今思えば負け犬の遠吠えだが。そして、今は逆の立場にいる。誰よりも優れた道具を駆り、敵を追いつめて思うのだ。弱い者を虐げて思うのだ。奴らは死ぬ前に、俺のことを卑怯だと思っているのだろうか、と。どうして自分の敵がこれほど強い武器を持っているのかと理不尽を感じているのではないかと』
 その言葉に、僕は、
「は、はははははっあはははは!」
 大声で笑い返す。体中が痛くて苦しいのも気にならないほど愉快だからだ。
 なんということだ。この国で一番強い男が、そんな弱々しい、思春期の子どもの様な繊細な感情を抱いていたとは思いもよらなかった。人の目など何一つ考慮しない戦闘馬鹿かと思いきや、倒す相手にも、まあ結局は倒すんだろうが、そんな連中の心情にも心を馳せるような文学少年だったとは。これがおかしくなくてなんだというのか。
「王様、そういうあんたは、僕のことをどう思う?」
 出てきた涙を拭って僕は問い返した。
「普通の人間では死ぬような怪我もすぐ治る体。これまで戦った化け物から奪い取った、電撃を操る力。今のあんたは卑怯だと思うかい?」
 にい、と歯を剥く。
「運も実力のうち、とは僕の国の言葉だ。どれだけ弱くても勝ったやつが勝者で、強くても負けたやつが敗者だ。そいつの持つ全てが、才能とか、努力とか、武器とか仲間とか作戦とか、目に見えない運やそこに至るまでの経緯とか、もろもろをまるっとひっくるめてそいつの実力だ。そいつの歩んできた道、人生と言っても良い。それを卑怯、理不尽の言葉で片付けるほど、僕は賢くない」
 首をゴリゴリと回しながら、再び僕は構える。
「だから、あんたも、せいぜい死ぬまで僕のことは卑怯などとは思わないでくれよ?」
 そう言うと、今度はフレゼルが大笑した。逃げ惑う人たちが思わずギョッとして振り返るほどの大声でだ。
『貴様の名は、何という?』
「僕の?」
 そうだ、とフレゼルは肯定した。
効かれたのだから答えようと、いつものように下の名前だけ名乗ろうとして、止まる。
 これから命がけで正々堂々と戦う相手に、それは少し不誠実ではないかと、学んだ覚えのない武士道精神が顔を覗かせた。
「須佐野尊。化け物と戦うことが趣味な、ちょっとお茶目なキチガイだ」
『感謝するぞ、スサノタケル。敵としてここに現れてくれたことを。渇いていた俺の血を再び滾らせてくれたことを。・・・・今日は、俺にとって人生最良の日だ。最高の敵と戦い、この手で葬れるのだからな!』
 フルンティングが駆けた。三本の腕にそれぞれハルバート、剣、斧を持っている。まるで阿修羅だ。そして、阿修羅の如く戦えることも想像に難くない。
「お褒め頂き恐悦至極。・・・・褒美は、あんたの首で充分だ」
 こっちこそ感謝している。ようやく僕の目的が果たせるかもしれない敵と当たったのだから。
 路面を蹴って、一歩目を踏み出す。相対距離は瞬く間になくなり、ゼロとなった。

守る者の戦い、守られる者の義務

 タケルとミハルがグレンデルを引き付けている頃。ティルたちシルド兵たちは場内を駆け巡っていた。先頭を行くのはホンドだ。彼の手引きにより、ティルたちは迷うことなく道を進んでいる。あまりに迷うそぶりがないので、途中から皆が不信感を抱き始めたほどだ。彼らは一度、ホンドに欺かれている。当然と言えば当然だ。むしろ良くついてきたと褒めてもいいくらいだ。
「ホンド、次はどっちだ」
 ティルだけは、特に異論を挟むことなくホンドの後に従っている。先ほどから何度か兵たちから不安と不満の声を聞いているが、ティルはそれを上手く押さえていた。ティル自身にも迷いはあった。本当に信じていいのか、と。彼が裏切ったのは紛れもない事実。しかし、タケルの言葉がティルには引っかかっていた。ちらりとホンドの表情を窺う。先ほどから全く変わらぬ鉄面皮を貫いていて、そこからは何も読み取れない。ついさっき同じ表情で仲間を裏切り殺したときも同じ顔をしていた。動揺も後悔も何もない。
「こちらです」
 その声に、ティルは思考を一旦振り払った。今はついていくほか道はない。そう腹を決め、兵を二手に割く。一組は見張りと敵が来た際の足止め、もう一組が救出組となる。
 ホンドが城内一階の奥まった場所にある木製のドアを開く。昼間であるのに薄暗い、地下牢への入り口だった。おお、と小さな歓声が上がる。ここまで大した敵兵に発見されることもなく、簡単に到達できた。囮の効果が絶大とはいえ、ここまで抵抗らしい抵抗がないのも気持ちが悪い。
「・・・よく知っていたな。ここまでの道を。仮に脱走されたとしても逃げられないように、かなり入り組んで作られていると聞いていたが」
 いくらかそういったもやもやした感情も込めて、ホンドを窺うようにして尋ねる。少しでもおかしなそぶりを見せればすぐさま判断が出来るよう、前もって二、三の指示を頭の中で想定しておく。
「タケルではありませんが、幾つもの策を練っておくのは当然です。そのためにはあらゆる材料を集めておく必要があります。可能性という芽を育むために。ロネスネスに寝返ると決めたときも、流れが変わって囚われたシルドの民たちを解放することになるかもしれないと考えて、この城の地図は頭に叩き込んでおいたのです」
 どこで何が必要になるかなど、誰にもわかりませんからな。何でもないことのようにホンドは言った。
予想を良い意味で裏切られたティルは、改めて王家に古くから仕える老臣に目をやる。その細い目は一体何を見ているのだろうかと純粋な興味が湧き上がるのを止められなかった。どうしてここまで思慮深い男が自分を、仲間たちを裏切ったのか。処刑されるかもしれないのにまだ自分たちに付き従うのか。謎は尽きない。全てを解決するには、タケルが言ったように本人から聞き出すしかないのだろうか。
「ティル様」
「ああ。行くぞ。全員助け出す」
 目の前に広がる薄暗がりに視線を移し、ティルは階段を下る。

 どさ、どさ、と地下牢入口を見張っていた敵兵がティルたちの足元に転がった。彼らに向けて、ティルが顎をしゃくると、意図をくみ取った兵が倒れた彼らの懐を探る。しかし、しばらく探しても牢の鍵らしいものが出てこない。鍵がないと鍵自体を破壊することになる為大幅に時間が遅れ、時間が遅れれば彼らの身も危うくなる。
「代われ」
 ずい、とホンドが鍵を探していた兵を押しのける。探す事数秒、ホンドは鍵ではなく小さな光沢のある板を取り出した。
「ホンド、それは?」
「これこそが、この城の鍵にございます」
 そう言って、ホンドは見張りが守っていた、妙につるつるとした金属製の扉に板をかざす。

ピーッ

 音に驚いて、ビクリとティルたちが肩を竦める中、ホンドは何事もなかったかのように扉を押す。プシュ、と空気が抜けた音と共に、最初に若干の抵抗のあった扉は音もなく開いた。
「行きましょう」
「ま、待てホンド」
 先ほどから驚きっぱなしで状況に頭がついてこれないティルは、歩みすらも置いて行かれてはかなわないと慌ててホンドの後を追い、扉をくぐった。
「何だ、これは・・・」
 その先には、更にティルたちを驚嘆させる光景が広がっていた。
 地下に広がる空間は、一般的な地下牢のイメージとは少し違った。五人が横に並んでもまだ余る広い通路、その高さは降りてきた階段の高さを考えても優に人の身長の三倍はある。
 壁もティルたちが知る素材とは違っていた。上の城は通常、というのもおかしな話だが日干し煉瓦や石材で出来た、自分たちの知っている素材だったが、地下の壁は所々に細かなヒビが入っているものの、どこにも継ぎ目も凸凹もない、一面真っ平らな壁だった。そこに備え付けられている、内と外を隔てている牢は鉄格子ではなく、空気のように透明な板。全員がその異様な光景に固まる。
 ここにタケルやミハルがいれば、彼等とはまた違った理由で驚くだろう。彼らにとっては懐かしきコンクリートに強化ガラスが存在し、入り口にはカードキーで開ける電子ロックの扉。その先に広がるのは牢獄や刑務所というより、研究施設のようなのだから。
「大昔、それこそ神代の時代に建設されたのでしょう。グレンデルが発見されたのもこの遺跡の奥深くだったそうです」
 先を進むホンドが、以前訪れた時に調べておいた情報を共有する。
「大昔に、こんなものが作られていたというのか」
「詳しくは誰もわかりません。資料もわずかに残ってはいたようですが、誰もそこに書かれていた文字を読むことが出来なかった、とのことです」
 それも無理からぬことだと思う。目に見えているものすら、理解の範疇を超えている。まともに考えていたら頭がおかしくなるかもしれない。
「考えても仕方ない。今は救出に専念しよう。その板で鍵を開けることはできるのだな」
「はい。理屈のわからない物をそのまま使っていたのが幸いです。かざせば開く、ということさえわかれば誰にでもできるのですから」
 その情報を聞き出すのが大変なはずなのだが、ホンドはその情報も持っていた。先ほど何が必要になるかわからないから備えている、と言っていたが、どれほどの情報を揃えているのか。
「着きましたぞ」
 急に立ち止まったホンド、その前に一際大きな牢があった。そこには数十名のシルド人が閉じ込められていた。憔悴し、蹲ってはいるが、死人は出ていないようだ。彼らがティルたちに気付く。死んだようにうつろだった瞳にティルの姿が映り込むと、そこから生気が溢れ、みるみる内に体に巡り、活力を取り戻していく。
「ティル様!」
「皆、無事か? 助けに来たぞ!」
 ああ、とも、おお、ともつかない、何とも言えない声が安堵の吐息と共に出た。ホンドが鍵を操作して扉を開けると、我も我もと飛び出してきた。
「疲れているだろうが、もう少し頑張ってくれ。脱出するまでの辛抱だ」
 ティルの声に全員が頷く。
 そんな時、一番入口に近い兵が振り返った。最も目と耳の良い彼は、遠くから何かが聞こえた気がしたのだ。集中し、耳を澄ます。耳に届いたのは、剣戟の音と怒声だ。
「ティル様!」
 緊急事態に、兵は声を上げる。
「どうした!?」
「物音が聞こえます。おそらく、上階で戦っているものと思われます!」
 その報告に救出で緩みかけた神経が一気に緊張する。
「確かか?」
「はい! それに、今」
 兵が指差す方向から階段を駆け下りる音が先に届く。降り立ったのは、残してきた兵の一人だ。腕に血を滲ませ、息を切らせながらティルたちのもとへ走ってくる。
「報告を」
 走ってきた兵に端的に問う。気遣う余裕もないことを、その兵自身の顔が物語っていた。
「はっ! タケル殿とミハル殿、クシナダ殿がグレンデル相手に互角以上の戦いを繰り広げております。敵はそれを見て危機感を募らせたか、地下にいるシルドの民を人質として利用しようとしておりました。地下に足を踏み入れそうだったので、上に残った者たちが外までの道を守っております」
 報告を受けたティルはすぐさま指示を飛ばす。
「疲れているところ悪いが、お前は戦先頭を走り、この者たちを安全な場所まで連れて行け。皆は、この者の後に続け。決して振り返らず、全力で走り抜けろ。我らは彼らを挟むようにして布陣し、並走しながら寄ってくるものを片っ端から倒す」
 指示を受け、降りてきた兵が入口に向かって走り出した。その後を囚われていたシルド人の女、子どもが追い、兵士が彼らを挟むようにして護衛する。
 階段を上りきった先では、血なまぐさい戦いが繰り広げられていた。兵力で圧倒的に劣るシルド兵たちは細い通路や階段、部屋などを駆使して、一対多数にならないように戦っていた。しかし不利なのは変わりなく、傷だらけになっているシルド兵の死体がいくつか転がっている。そんな中であろうと通路を死守しているのは、執念の成せる業だろうか。凄惨な光景にシルド人たちは立ちすくんだ。
「止まるな、俯くな!」
 仲間の死を悼む暇も悲しむ暇も彼等にはない。彼らの死を無駄にしないためにも逃げきらなければならない。ティルは沈みそうになった一団に喝を入れた。
「走れ! ここで死んだ仲間のためにも、皆は生きなければならないのだ!」
 ティルの言葉に全員が腹をくくる。
 そして叫んだティル自身が、何かに気付いた。裏切りが判明したときの、ホンドとのやり取りだ。シルドの血を残す事こそが義務だと彼は言っていた。どんな手を使ってでも残さなければならないと。それが、これか?
 通路を守っていた兵たちの間をすり抜け、敵が近寄ってきた。護衛の兵と敵兵が切り結ぶ。走りを止めた護衛はすぐさま敵兵に囲まれ、横から、後ろから斬りつけられる。傷つき、血を流しながら、護衛は力尽きるまでその場で剣を振り続けた。助けに行こうとした仲間に対して「来るな!」と叫びながら。自らを盾にして仲間を助けようとしているのだ。その光景を見て、ティルは唇を噛み千切るほど食いしばり、血を滲ませながら、非情な命令を飛ばす。
「決して振り返るな! 絶対に止まるな! 止まった者は置いて行け! 助けに行くな! それがたとえ、私であってもだ!」
 死を覚悟しながら、ティルたちは外までの数百メートルの距離を疾走する。

虎の威を狩る者

 一人、また一人と兵たちが脱落していく。
 足止めとして残っていた兵たちは、誰一人合流できていない。
 たった数百メートル。その距離を走り抜けるだけで、多くの兵士が命を落としていった。 その地獄の道も終わりを迎えようとしていた。数多の犠牲を乗り越えた先に光が見えた。
「出口だ!」
 グレンデルが通れるほどの巨大な城門が見えた。先頭の兵がその門をくぐり、その後をシルドの民が走り抜けていく。それを見届けて、ティルは門前で急停止し反転した。
「ティル様?!」
 前を走っていたはずのティルを追い越してしまった兵数名が慌てて引き返す。彼らに対して戻るな! とティルが叫んだ。普段のティルからは考えられないほどの強い口調に彼らは立ちすくむ。
「何をなさるおつもりですか?!」
「私が時を稼ぐ。皆が逃げる時間を少しでも長く、敵を一人でも多く食い止める。時を稼げば稼ぐほど、追いかける兵が少なければ少ない程、シルドが生き残る確率が高くなる。お前たちはそのまま民たちを誘導しろ」
 追いすがって城から出てきたロネスネス兵たちを睨む。確認できた数は十ほど。その中に、味方の姿は見つけられない。その意味を理解し、歯が折れんばかりに食いしばり、手に持った剣を強く握りしめる。
「しかしそれではティル様が」
「立ち止まった者は誰であれ置いて行けと言ったはずだ」
「馬鹿を言わないでください! あなたが、王族のあなたが生き残らなければ意味がないじゃないですか! シルドはあなたあっての国なのですよ!」
「意味ならある」
 少し表情を緩めて、ティルが言う。
「少し、ホンドの言っていたことが分かった。血を残すということの意味とは、国を残すという意味は、王家に連なる者が生き残ることではないのだ。国という領土が残ることでもない。それは後で出てくる結果だ。自分がシルドの子であるという意志と誇りを持つ者が立っている場所、そここそがシルドだ。そういう者たちがいて、彼らが支えてくれることで、初めて王は王でござい、という顔が出来るのだ。ならば、真に生き残るべきは王ではない」
 誤った判断で国を亡くした王族などは特に、と自嘲する。
「分かったら早く行け。全員の通過を確認次第、この門を降ろす」
 ちらと横目で見た先には、城門の上部にある鉄格子と、それを上げている巻き上げ機だ。ロネスネスの軍を一人で食い止めるのは無理でも、外へと通じるあの門さえ封じるのは一人でも十分だ。外へ無事逃げても、追手がかからないともわからない。守る者は多い方が良い。そう考えれば、ここで自分が残るのが最善手と言えた。
「し、しかし・・・」
 兵たちも頭ではティルの策を理解していた。だがここに残るということは、死と同一だ。
また、これまで使えていたティルを残して行くことなど考えられなかった。
死の恐怖と、これまでの忠誠及び植え付けられた思想との間で迷う兵たちに、再びティルが怒鳴りつける。
「行けと言っている! これは命令だ!」
 肩をすくませた彼らは、ティルと出口を何度も見比べる。
「安心しろ。先ほどホンドに教えてもらったのだが、この城には抜け道があるそうだ。ただし、小柄な人間しか通れないような狭い道でな。お前たちでは逃げられん。だが、私なら逃げられる。門を閉ざしたら、すぐにそっちへ逃げるつもりだ」
「ほ、本当ですか?」
「本当だ。だからそこでぐずぐずされると私の計画に支障が出る。私が早く行けと言うのはそう言う意味なのだ」
「わ、かりました。では、後で必ず会いましょう」
「当たり前だ。皆のことを頼んだぞ」
ようやく踵を返して、兵たちも最後尾の民と合流した。それを見届けて、ティルは巻き上げ機のストッパーに剣を思いきり叩きつける。ガチャリ、とストッパーが外れ、鉄格子が上から降ってきた。ずずん、と重々しい音を震わせて、門が閉じる。
「さて、と」
 迫りくるロネスネス兵に向けて切っ先を向けて構え、舌なめずりをする。恐れは無い。シルドの未来を託せたからだろうか。彼等なら大丈夫だと。ここに到達するまでに散っていった仲間たちも、同じ心境だったのだろうか。
 ロネスネス兵の熱気すら感じられる。負けじと声を張りながら、ティルが敵陣中央へ切り込む。先頭正面にいた兵が槍を突きこんでくる。それを半歩ずれることで躱し、お返しにと上段から袈裟切りにする。頭を割られた兵はその場で脳と血をまき散らしながらどう、と倒れた。その光景に敵兵が一瞬怯む。そこを見計らって、名乗りを上げる。敵の狙いを自分に集中させるために。
「我こそはティル・ベオグラース・シルド! シルド王家の最後の生き残り! 命が惜しくなければかかってこい!」
 瞬間、ロネスネス兵の目の色が変わる。逃げて行った捕虜など比べ物にならない大物が目の前にいるのだ。討ち取れば多額の報酬と栄誉が約束された獲物だ。歩みを止め、狩りのようにじりじりとティルを囲む。誰かが合図を出せば、四方八方から襲い掛かられ、一瞬にして穴だらけの死体に成り代わる。ならば先手、と考えるが、簡単には打たせてくれそうにない。隊列を整えた彼らに下手に斬りかかれば、一人躱してもすぐに左右後方から攻められる。勢いで攻め込んだが、早くも手詰まりだ。
「一体何をしているのです?」
 そんな声と同時、囲いの一部が崩れる。背中から血を流し、ロネスネス兵が前のめりに崩れ落ちたのだ。
「ホンド! それに、お前たち!?」
 空いた穴から新たに現れたのは、てっきり逃げたと思っていたホンドと十数名の兵たちだ。全員ボロボロだが、その顔に浮かぶのは苦悶ではなく悪ガキのような笑みだ。
「かかれ! ティル様をお助けせよ!」
「おおっ!」
 応じて、シルド兵たちはロネスネス兵に襲い掛かる。もともと彼らは山岳地帯に住んでいた為、真正面から当たるより奇襲を得意とする。不意を打たれたロネスネス兵は体勢を立て直す暇すら与えられずに駆逐されていく。全滅するまでさほど時間はかからなかった。
「嘘は良くありませんな。私はあなたにそんなことを教えた覚えがありませんが。だいたい入り込んだばかりの私に城の逃げ道などという命綱に等しい情報を漏らすはずがありません
 血を拭った剣を鞘に戻しながらホンドが近づいてきた。
「どうしてまだこちら側にいる!」
「どうして? それはこちらが言いたいですな。ティル様一人が残ったところで幾ばくの時間稼ぎにもなりません。すぐに囲まれて殺されてしまうでしょう。殿は時間を稼いで任務達成となるのです。時間も役割も果たせないのを殿と言いません。無駄死にと言うのです」
 ついさっき無駄死にしそうになったティルはぐうの音も出ない。
「それに、ティル様の答えを聞きましたのでな。採点に参った次第です」
「私の、答え?」
 少し記憶を巡らせて、先ほどの兵と話したことだと気づく。あの時からどこかに伏せて、門を閉じるのを待っていた、いや、ティルがしなければ彼らが門を閉じる役目を担おうとしていたのだ。
「私から言わせれば、満点とは言い難いですな。むしろ誤り、大間違いだ」
「んなっ!?」
 腹を括り、覚悟を決めて至った答えを一蹴されて唖然とする。
「確かにあなたの言うとおり、民あってこその国でありましょう。それを維持するのは未来ある子ども、子を育てる母、なるほど、確かにそうだ。が、肝心なものを忘れていらっしゃる」
「それは、何だと言うのだ。そんなものあるのか?」
「あなたですよ。ティル様。あなたが不要と判断した、あなた自身が彼らにとって必要なのです」
 ずずいと目を覗きこまれ、ティルは少しのけ反る。
「私、だと? 馬鹿な。王家などあっても意味がないことは、この度の戦でわかったではないか」
「そこが間違いです。あなたは王の意味を履き違えていらっしゃる。王とは象徴、もしくは希望。民の心の拠り所です。この人について行けば間違いない、と思わせるような人です」
「はっ、それならばなおのこと、私は該当しないだろう? 導けなかったからこその現状であろうが」
「そうですね。だからこそ、私は不遜にも自分がそれになろうとした。私こそが、残ったシルドの民を率いて行けると思ったのです。けれど、それもまた、誤りだったようです」
 ティル様、と改まった口調でホンドは言った。
「あなたには、王の資格がおありだ。それを見抜けなかったことが、私の最大の誤り」
 言うだけ言って、ホンドはクルリと向きを変えた。その方向から先ほどの倍のロネスネス兵が現れた。話はこれで終わりだ。
「私が言えた義理ではありませんが、頑張って生き伸びてください。もしこの局面を生き延びることができたならあなたは・・・」
「私は・・・なんだ?」
 いえ、とホンドは首を振る。
「それはまたあとで話しましょうか」
「分かった。その時は全て話せ。一切合財だ。良いな?」
「お約束しましょう」
 互いにその約束を守れそうにないと思いながら剣を抜く。周りにいた兵たちも習って、各々の武器を構える。
「行くぞ!」
 そこからは文字通り死力を尽くし、血みどろの戦いとなった。シルド兵は誰もが獅子奮迅の活躍で、数で勝るロネスネス兵を圧倒していた。しかし時間が経つにつれ、形勢は徐々にロネスネス勢に傾いていく。いかにシルド兵が強くとも体力には限界があり、対してロネスネス兵はその数を徐々に増やしていく。わらわらと、シルド兵たちにとっては悪夢のように城から兵たちが流れ出てくる。彼らは焦らなくていい。防戦で良いのだ。相手が力尽きるのを待つだけで良い。数が増えてくるのに焦り、飛び出したところを討ち取るだけでいい。始めから負けない戦いだ、という心の余裕は大きい。余裕があれば冷静に物事を考えられる。反対に焦りは視野を狭くし、思わぬ不覚につながる。
「ぐぶっぉ」
 ついに、シルド兵の一人が討ち取られた。相手の防御の隙を突こうと前に出た瞬間だ。いや、正にその隙こそロネスネス兵が作りだした誘い込むための罠。
「ブーレカ!? くそ!」
 一人が倒れれば、少数の陣が崩れるのも早い。一人が抜けた穴を他で補うための労力、仲間を殺されて生じる怒りと次は自分ではないかという恐怖。その他様々な精神的負担が、これまで気力でねじ伏せ無理矢理忘れていた体力の限界を脳に思い出させ、疲れとなって体を蝕み始める。まるで波に削り取られていく砂上の楼閣のように、ボロボロとシルド兵は削られていった。遂には城壁に追いつめられる。その頃にはシルド兵は数を最初の数の半分を割り、ティル、ホンドを含めて七名にまで減らしていた。
「諦めろ」
 槍衾の向こうから、ロネスネス兵の嘲笑混じりの声が飛ぶ。彼らの傷に塩を塗り込むように、ねっとりと丹念に。
「諦めろ。お前らは終わりだ」
「逃げた連中も終わりだ」
「今頃、グレンデルに皆殺しにされているかもしれない」
「我らの仲間たちに掴まっているかもしれない」
「全て無駄だ」
「お前らの行いは全て無駄だった」
「無意味だ」
 毒のように、言葉はシルド兵の耳から入って頭を侵し、四肢から力を奪う。
「諦めろ、だと?」
 だから、ティルは抗った。抜けて行く力を必死でつなぎ留め、剣を強く握り直す。
「嫌だね。何一つ貴様らの要求などに従ってやるものか」
 ただの強がりと解りきっているロネスネス兵は笑う。
「やはり、シルドの、愚か者が住まう国の王族は、輪をかけて愚かだな。・・・そう言えば、前にたった一人で乗り込んできた王も愚かだったなあ」
 その言葉にティルたちが目を見開く。
「仮にも王の癖に情けなく頭を垂れ、陛下から譲歩を引き出そうと懇願していた哀れな男よ」
「頭を垂れていたから、その頭を落としやすかったらしいぞ」
「誰が貴様らのような弱小部族と交渉するというのか。おこがましいったらないわ」
 ははは、と勝利を確信したか良く喋る。その嘲笑がシルド兵たちの折れかけた心に火を入れたことに気付かない。そして、もっと重要なことにも。
「何がおかしい! 国の為にたった一人で戦った男に、何一つ恥じるところなどあるものか!」
「戦う? あれがか? 意地も誇りもなく相手に頭を下げることが戦いだと? シルド人というのはどこまでも愚かなんだな。相手にへりくだることが戦いと言うなら、貴様らは一生我らの足でも舐めてろ」
 その発言に、ティルたちは飛び掛かる、つもりだった。意気揚々と喋るロネスネスの油断、自分たちの体力が幾らか回復したこと、その二つが重なったからだ。切り抜けるには今しかないという最高のタイミングで、彼らは飛び出せなかった。
 正確には、飛び出す必要性が失われてしまった、と言うべきか。

「死んでもごめんだね」

 突然降ってわいたのはロネスネス兵でもシルド兵でもない、第三者の声。
 同時、ロネスネス兵中段あたりが爆発に巻き込まれたかのように吹き飛んだ。
「な、あっ!?」
 何が起きたかわからないティルたちは、ただ視線を彷徨わせ、見つけた。ポッカリとあいた空間の中心に、龍を頭に乗せた女が降臨しているのを。
「悪い。遅くなった。生きてたか?」
 女がティルたちに向けて手を振った。今しがたロネスネス兵たちを吹き飛ばしたとは思えないほどの細腕だ。呆気にとられているティルは、反射的に手を振り返してしまう。
「き、貴様、なぜここに!? どうやってグレンデルから逃げおおせた!?」
 ロネスネス兵の問いに、女が不機嫌そうに眉を顰め
『控えよ下郎! 我が母があんな木偶如きに後れをとるか!』
 言い返す前に頭上の龍が言い返した。
「だから、何であんたが偉そうなんだよ」
『我と母は一心同体。母の手柄は我の手柄、我の声は母の声だ』
 当然のように答える龍に、女は言い返す気力も無くしたか、まあいいや、とため息一つで切り替えた。
「頼みのグレンデルは叩き潰した。残りはお前らだけだ。さあ、もう一回言ってみろやこの虎の威を借りたハムスターどもが。虎がいなくても同じように強気で入れるかどうかなぁ!」
 虎のような獰猛な笑みを浮かべて、大賀美晴は牙を剥いた。

思考の迷宮

 たちまち乱戦になった。ティルたちの士気が上昇したのはミハルの参戦だけが影響ではない。彼女の後ろから、死んだと思われていた、足止めを買って出た別働隊にいた生き残りが駆け付けたのだ。腕を失い、目を失っても彼等の戦意は衰えることなく、動揺の収まらないロネスネス軍の横腹に喰らいついた。
「彼らを助けてくれていたのか!」
 自らも闘争の坩堝に身を投じて剣を振るいながら、ティルが叫ぶ。
「通り道だったからな! ついでだついで! それでここに来るのが遅くなってんだから世話ねえよ!」
『ぼさっとするな母上! 右から来るぞ!』
「わーってんよ!」
 ライザの注意に、ミハルは返事のついでに三人ほど薙ぎ払う。
『しかし、もうひと押し欲しい所だな』
 ライザが策略家気取りでふうむと唸る。
 相手に勝つのは、何も相手を倒すだけではない。相手の戦う意志を叩き折ることも一つの手だ。先ほどのミハルが起こしたド派手な演出、数人をまとめて吹き飛ばす作戦も、一時は相手に恐怖を与え、戦意を削いだ。いまだミハルを見るロネスネス兵の目に怯えの色が見えることから、影響は残っているとみていい。しかし、そんなものは時間によって薄れてしまう。今が絶好の機、潮目というやつだ。今もうひと押し、彼らの度肝を抜くことが出来れば一気に瓦解させられる。
 そんな時、ライザの鬣を風が撫でた。鋭敏な感覚を持ち、自らも風を纏って空を舞うライザだからこそ、この風がただの風ではないと気づいた。意志を持つ風だ。髭をぴんと伸ばして、風上に目をやる。その方向から高速で何かが接近し

 ごう、と突風を連れて上空を横切った。

「マジかよ、オイ!?」
 目の前にいた兵の股間を蹴りあげて、色んな意味で再起不能にしながらミハルが頬を吊り上げた。
『まさか我を差し置いて、大空を我が物顔で飛ぶ者がいようとは』
 流石のライザも驚愕の声を上げる。
 駆け抜けた猛烈な風によって、両陣営は綺麗にシルドとロネスネスに分けられた。空いた隙間に、ガン、ガン、と矢が突き刺さる。地面を陥没させるほどの威力と音に、誰もが呆気にとられて戦いから意識が離れる。
「そこまでよ!」
 駆け抜けた先の、城門のてっぺんに着陸し、クシナダが叫んだ。
「ロネスネス兵たちに告ぐ! 勝敗は決した! 今すぐ武器を捨てて投降しなさい!」
 大仰な演説をするように、クシナダは大きく手を振った。
「グレンデルは既に十四体破壊された! 残っているのは王が駆る一機のみ! お前たちに勝ち目はない!」
 しかしそれに、ロネスネス兵が言い返す。
「一騎残っているではないか。それは陛下の乗られる『フルンティング』であろう!」
「そうだ!」
「では、貴様らの勝利などと言えるのは早計だ! 最強のグレンデル『フルンティング』が残っている限り、ロネスネスに敗北は無い!」
「・・・なら、見に行く?」
 これにはロネスネス兵だけではなくティルたちシルド兵たちも驚いた。今まさに自分たちが死守してきたこの場を捨てると言うのだ。
「クシナダ。逃げた連中は無事か?」
 ただミハルとライザは彼女の提案の意味するところを考えていた。提案、交渉をするからには彼ら全員と戦う気はないのだ。また、彼女のことだからシルドの民を殺させるつもりは欠片もないだろう。クシナダの提案とはつまり『シルドの民は安全なところに逃げている』ということを表していると踏んだのだ。
「ええ、安全なところまで逃がしておいたわ。追おうとしていたロネスネス兵は私の方で食い止めたし。それに今の彼らには、逃げたシルドの民を追う余裕はないはずよ」
「ど、どういう意味だ」
 先ほどクシナダに怒鳴った兵が問い返してきた。
「こういうのは、百聞は一見に如かず、聞くよりも見た方が早いそうよ。受け売りの言葉だけど」
 あ、とクシナダはポンと手を打った。何か思いついたらしい。
「賭けをしましょう」
「賭け、だと?」
「ええ。今、私の仲間のタケルが、あなた方の王と戦っているわ。その勝敗を賭けましょう。王が勝てばあなた方の勝ち。タケルが勝ったら私たちの勝ち。それでどう?」
「陛下が勝ったら、お前らはどうする気だ」
「おとなしく軍門に下りましょう」
「ふん、意味のない賭けだ。陛下が勝つに決まっている。そうすれば、自然とお前らも降伏する羽目になる。そんな賭けに乗る理由がない。だいたいあのまま戦いを続けていても・・・」
「本気でそう思ってるなら、今から再戦したっていいのよ? ミハルもまだまだ戦い足りないでしょうし。けど、あなた方はどうかな? もう一度、私たちと戦う?」
 それでもいいけどね、とにこやかにほほ笑むクシナダと、その下で指をゴキゴキ鳴らすミハルに、ロネスネス兵は震え上がった。何の返事もできないロネスネス兵を見て、決まりね、とクシナダは言った。
「その代り、タケルが勝ったら、そっちこそ大人しく降伏しなさい。良いわね?」
 誰からも異論は出ない。それに満足して、クシナダは城門から飛び降りた。
「とりあえずは、開城といきましょうか」

 二つの軍の兵士たちは、戸惑いながらも今更争うことはせず、大人しく従った。
「完全にクシナダのペースに吞まれてるよな」
 ミハルが少し前を行くクシナダを見ながら言う。
『それもあるが、彼女に逆らわない方が良いと全員が思ったのではないか』
「ああ、それもあるわ・・・」
 ミハルは遠い目をした。さっきの話だ。話が決まったということで、早速城門を開けようと言う話にはなったのだが、ティルの一撃で巻き上げ機のストッパーの一部が歪み、上手く巻き上がらなかったのだ。これでは誰も外に出れない、と思っていた矢先、なんてことないようにクシナダが言った。
「しょうがないわね。じゃあ、破っちゃいましょう」
 言うやいなや矢をつがえて放つ。放たれた矢が城門に当たった瞬間、轟々と風がうねり、石造りの頑丈な城門は脆くも崩れ去った。
「とんでもねえな。ホントに」
 あの技を見せられ、まだ戦おうという気概を持つ者などいないだろう。うむうむ、とライザが共感する。
『通常の我ならば、下賤な人にこの身を触れさせることなど許さぬのだが、あの方にならば仕方ないことだ、うむ』
 渋々、と言った感じでライザが言うので、ミハルはぴんときた。
「・・・もしかしてあんた、ビビってんの?」
『びびって?』
「クシナダが怖いんじゃないかってことよ。そうよね、あんた龍、てか動物だし。人間よりも本能で生きてそうだし。あんたの本能が、クシナダが怖いって警鐘を鳴らしてんのかもね」
 だから、大人しく触らせていたのだ。というか、動けなかったのだ。怖くて。そう思うと、頭の上でふんぞり返っているライザが、まだまだ生まれたばかりの子供だと言うことを実感させられ、可愛く思えてきた。
『い、いかに母上とてその、その物言いは許さぬぞぅっ! 我が、お、怯えるゥことなど万に一つもあり得ぬわ! とんだ勘違いだ! 訂正しろ!』
「別に恥ずかしがらなくてもいいのに」
『我は偉大なる始祖龍の血脈! その我が恐れるものなどありはしない!』
「じゃあ、何で触らせてあげてんだよ?」
 意地悪な笑みを浮かべてミハルが言う。
『あ、あれは、そう。あれだ。あれは我が認めたという意味だ。我は何者も恐れはしないが、実力者はきちんと認める。思慮深いく、懐も深いのだ。少し相手の方が優れているからといちいち嫉妬したりするような矮小な人間とは違うのだ』
「ふうん、そう?」
 空を飛んだり一撃で城門破壊したりするような女は、流石の龍族も認めざるを得ない、と言うことらしい。
『笑っていていいのか? 母上よ』
 神妙な声で、ライザが言う。
『母上が殺そうとしているのは、その相棒だぞ』
 その指摘に、一瞬ミハルの足が止まる。頭に浮かぶのはあの男の顔だ。簡単にあしらわれた、最初の出会いを思い出す。あの男も、クシナダのように特殊能力を持っていてもおかしくない。すぐに傷が治ってしまう驚異的な再生力もその一つだ。
 あの時、あの男が自分を侮っていると思っていたが、全くの逆だ。自分が奴を侮っていたのだ。奴にとって自分は、何も知らずに突っ込んでくるだけの猪と同じで、結果はあの様。倒すどころか、本気を出させることすらできなかった。
 自分が生きているのはあの男の気まぐれにすぎない。本来ならばあの時点で殺されていてもおかしくなかった。
 故に彼女の思考は、ごく自然にその方向へ向かう。
「じゃあ、何でだ?」
 何故、奴は自分を殺さなかったのか。奴は父を殺すために優しい兄に取り入り、平気で裏切って父もろとも殺害するような悪魔のはずだ。その疑問は、矢のように深く自分の脳に突き刺さって消えてくれなかった。どころか、検索機能で引っかかったか、余計な記憶まで引っ掛かった。
 ―タケルは分別のある、冷静な人間だ―
 ティルがミハルに言った言葉だ。これまで自分が描いていた最低最悪の犯人像と証言が一致しない。
 二重の意味で、あり得ないことが起こっていた。
 これまでの自分ならば、どれほど須佐野尊が善人だと周りが言ったとしても絶対に信じなかった。その確固たる、自分の中でぐらついてはいけない軸が、ほかならぬ自分の思考せいで揺らぎつつある。
 ―自分の兄のことを良く知らないのではないか?―
 再びティルの声が蘇る。そんなわけはない。自分以上に兄のことを知っているものなどいるはずがない。そう自分に言い聞かせれば、返ってくるのは冷徹な自分自身からの反論だ。ならば何を知っているのか。自分といないとき、兄が何を考え、何を成そうとしていたのか、死の間際に何を思ったか知っているのか。わかると言うなら答えて見せろ。自分の中で意見が分かれ始めた。須佐野尊と言う男を殺すために統一された意志が、今は奴のせいでバラバラになっている。
 ―全体像を見なければ、真実にはたどり着けない―
 ミハルの知っている事実とタケルの知っている事実は同一だ。ミハルの兄が死んだという事実だ。しかし、視点が違う。
「くそっ・・・」
 頭を振る。自分にとって不都合な考えを追い出すように。
『急に頭を振らんで欲しいな』
 ライザが苦情を呈する。
「嫌ならいい加減私の頭から離れろや」
『断る』
 そうかい、とミハルは返す。
『で、答えは出たかな?』
「・・・あ?」
『奴をどうするのだ?』
「んなもん、最初っから決まってる。ぶっ殺すんだよ」
 先ほどまでの葛藤を打ち消すために、言い聞かせるように口に出す。ライザはふう、と大きく長く鼻から息を吐きだし『そうか』と言った。
 彼女らの話が一区切りついたところで、一同は広場に出た。巨大な龍の死骸のある場所で、二体の化け物が斬り結んでいる。

ブリューナク

 振り降ろされる刃が、やけにスローに見える。刃の表面に走る無数の傷が判別できるほどだ。知覚だけが異常に引き延ばされて、他の全て、自分の体すらもスローに感じている。体をゆっくりと動かし、落ちてくる刃をすれすれのところで躱す。横切る刃の腹に自分の顔が映った。髪が数本、引っ張られるような感覚すらなく斬られて漂う。通り過ぎた刃はガン、と路面を打ち砕き。飛び散る破片がゆっくりと自分の体を追い抜いて行く。刃の横を滑るようにしてフルンティングに肉薄する。
 ミハルであれば、この通り過ぎる所でこの腕を切り落としたりするのだろうが、あいにく僕にそこまでの技術は無い。やろうもんなら中途半端に刃が食い込んで抜けなくなるのがオチだ。そして相手の腕一本と引き換えに武器を失う羽目になる。
『逃がさん!』
 フルンティング二本目の左腕が持つハルバートが、一本目の右腕を躱した僕に迫る。垂直に落ちてくるハルバートに対して剣を上に掲げながら潜り込んだ。ハルバートの矛先と剣が火花を散らして摩擦熱を帯びる。純粋な力勝負なら絶対に勝てない。斜めに受け流しているはずなのに押し潰されそうな圧殺力だ。一瞬にも満たない程の攻防に体力を持って行かれるが、その甲斐はあった。潜り抜けた先には、フルンティングの胴体がある。痺れの残る腕を振りかぶり、渾身の力で持って斬りつける。
 ギィイン
 鈍い残響が鼓膜を震わせる。
 胴体と僕の間にギリギリで刺し込まれた斧が、一撃を防いだ。斧の刀身には半ばまでひびが入り、三分の一ほどが欠けたが、そこまでだ。力は届かない。
『がぁああああああ!』
 びき、びき、と関節部を軋ませながらフルンティングが左腕を振りぬく。ラクロスのボールよろしく僕はかっ飛び、再び家屋に激突した。
 ガラガラと破片を振り払いながら立ち上がって踏ん張ったとき、右足から一瞬力が抜けた。思わず剣を突き立て支えにする。
 初めての感覚に驚いた。力はすぐに込められるようになり、両足で立てるようにはなったが、先ほどの動揺は消えない。
『どうした、辛そうじゃないか?』
 使い物にならなくなった斧を投げ捨てて、からかう様にフレゼルが言った。
「大したことじゃない。ちょっと腹が減っただけだ」
 適当に返した軽口だったが、それが理由だと気づいた。多分これは、腹が減っているのだ。
 たかが空腹、されど空腹だ。血中の糖が不足すれば手足の痙攣や頭痛などの低血糖に似た症状が出る。力も入らない。決して侮れない。特にこんな一瞬のミスも許されないような戦いのときに、集中力が続かないと死に直結する。
 では、なぜいきなり空腹になったか。答えは簡単だ。蛇神の呪いである超回復能力のせいだ。ロハで回復していたわけではなく、体にある脂肪や外部から摂取した栄養を治癒のエネルギーに回しているからだろう。究極のダイエット方法だ。二の腕、下腹を気にしたことなんかないけどな。
 ある意味収穫だ。蛇神の呪いも万能ではない。戦い続ければ死ねる。
 ただ、このままじり貧からの敗北なんてつまらないじゃないか。戦いは勝たないと面白くない。約束もあるし、適当に諦めてあっさり死んだら少々不義理だ。だから、負けて死ぬまでは勝つことを考え続けることにする。
「やっぱ、一手遅いんだよな」
 先ほどの攻防にしてもそうだ。相手の攻撃を潜り抜けてから、こちらは一度振りかぶる、構えるなどのワンアクションが必要になる。その一手を打つ前に、フルンティングの三本目の腕が防御に回る。攻撃させて隙を作ろうと思ったが、それも読まれているのか攻撃してくるのは主に二本目まで、三本目はほぼ防御のために使われる。圧倒的な力を持ちながら力押しで来るかと思いきや、堅実で戦略的な戦い方をしやがる。まさに知恵持つ怪物だ。看板に偽りなしってか。
 剣で出来る最速の攻撃といえば、突きか。少しシミュレーションしてみるが、ちと厳しそうだ。突進の力をそのまま使えばワンアクション入れずに済む。けれどそのまままっすぐ突進できるかと言うと別の話だ。どうしても躱しながらいかなければならない。躱すということは方向を転換すると言うことだから、当然そこまで走ってきた勢いは削がれる。振る力が加わらないから、あの装甲をぶち抜けるとは思えない。
 ちらと手の中の剣を見る。以前下っ端のグレンデルと戦った時、僕がミハルのように綺麗に切断できなかったのは道具の影響もある。言い訳がましくなってしまうが、彼女の持つ剣は反りこそ無いものの日本刀に近い作りで刃部分がかなり薄く、鋭利さに重きを置いていた。切断するってことは、結合している物質の組織の合間に割りこんで引き裂く行為だから、鋭利であれば合間に割り込みやすい。漫画には単分子ソードなんていう単分子の厚さしかない剣が登場してなんでも切り裂いていたけれど、その薄さでもって分子同士の結合の隙間に斬り込めるからだろう。
 もちろん、薄いのは脆いっていうデメリットもある。カミソリやカッターは良く斬れるが、横から少し力を加えただけで簡単に折れる。動いているものを斬るってことは、当然横からの動きがあるわけで、タイミングを誤ればすぐにペキッといく。そこまでの薄さではないけれど、あれだけ動き回るグレンデルの頑丈な腕や足を切り落とすのだから、やはり彼女の技量が優れているという証でもあるのだけど。
 対して、僕が持つ呪いの剣は、斬る、というよりかは割る、って感じだ。切れ目を見てもわかる通り、剣の丈夫さと重さで力づくで引き千切っている。通常の、と言うのはおかしいが、今までのような生身の敵相手ならば問題なく斬り裂けるだろうが、相手がああいった金属の装甲を持っていたらこの剣では中途半端だ。切るには少々鈍すぎて刃が通らない。かといって装甲ごと叩き潰せるわけではない。いっそハンマーのような鈍器なら左腕ごとへし折れるかもしれないが。仮にハンマーだったとしても、やはり振りかぶるアクションが必要になるし、速度等の問題で剣よりも攻撃をヒットさせるのが困難になりそう。結局は相手の攻撃をかいくぐらなければならず、ハンマーでは防御しにくい。
 まいったね。まさか武器がここまで重要なファクターになるとは思いもよらなかった。むしろ今まで良くやってこれたな。
 さて、剣では効果的なダメージが期待できず、ハンマーでは攻撃を当てることも難しい。それ以外なら何がある? クシナダのように弓か? それこそ彼女ほどの技術がなければ致命傷どころか傷も負わせられない。却下だ。やはり、現時点で効果的なのは突きだ。防御に手を割かずに、何とか突っ込めれば勝算がある。
「ん?」
 攻める方向性が決まった途端、久々に剣が脈打った。視線をやると、驚いたことにまた勝手に形状を変えだした。ガリガリと質量の法則を無視して、剣先がどんどん細く長く変わる。また、握っていた柄にも変化が表れる。
「おおう・・・」
 何てご都合主義な展開だ。
 数秒後、手の中に現れたのは槍。それも西洋風の馬上槍だ。普通の槍が長い柄に穂先がついているのに対して、馬上槍は八割くらいが刀身になっている。イメージにある様な円錐形ではなく、剣の形を少し継承したかのような、底が二等辺の三角錐。根元の柄付近には外に歯車のついた三つの環が、リボルバーみたいに付いている。
 しかも、槍だけでなく肩までのガントレットが作られた。右腕だけごつい鎧を装着したみたいに完全に覆われている形だ。柄の部分にはバイクのハンドルカバーになっていて、ガントレットの上から右腕をカバーしている。見た目には、槍と盾をくっつけたようになっていた。しかもこの素材、以前戦った魔龍の鱗にそっくりだ。魔龍の鱗は強度もさることながら表面はガラスのようにツルツルしている。攻撃を弾くのにもってこいの素材だ。
 通販番組のセット、あるいは十徳ナイフのように必要なもの全部コミコミで入っている。
『ほほう、面白い。武器が変化するのか』
 フレゼルが言った。
『それが貴様の隠し玉か』
「まあ、そういう事にしておいてくれ」
 本人も知らない隠し玉は隠し玉ではないし、喜んでばかりもいられない。これを作りだした影響か、目が少し霞んできた。疲れ目だ。体力の限界が近い。
 次が最後だ。
 右腕を軽く肘を曲げた状態で前に出す。左手は右腕の肘に添える。体内電流を右手に集中させると、そのまま電流は槍の方へ流れ、槍についていた三つの環がフィンフィンと音を立てて回転し始めた。途端、槍に蓄積されていく電気量が増大していく。
 そうか、この輪はコイルみたいに、流れる電流を増幅する機能があるのか。
 環がF1カー顔負けの回転数を叩きだした頃、蓄積される電力はおそらく限界値に到達した。ついでに僕の体力の限界にも到達しそうだ。
「行くぞ」
 小細工は無用。どうせばれてる。ならば、真正面から粉砕する。
『来い!』
 フレゼルが吠え、フルンティングを構えさせた。腕を大きく広げて、剣とハルバート、折れた斧の代わりにギミックからメイスを取り出して構えている。
 一歩前へ。槍から漏れ出る高電流が空気中で爆ぜて鳴く。
 徐々に速度を上げる。フルンティングが近づく。
『おおおおお!』
 フルンティングが第一撃目を放った。タイミングとしてはこちらの槍とかち合う。槍にあてることで僕の体勢を崩し、遅れて放つ二撃目でとどめを刺すと言ったところか。
 甘いな。その剣はさっきまでの攻防でボロボロなんだよ。
 剣と槍がぶつかった瞬間、剣の刀身が粉微塵になった。
『チィッ!』
 完全に目論みが外れたティルフィングだが、二撃目の軌道を強引に修正し、僕への直撃コースを取った。あの一瞬で動揺を引き摺らずに、すぐに次の手を打てるのはさすがだ。他のグレンデルたちとは踏んでる場数が違うぜ。
 斜め上から落ちてくるメイスに対して、僕は右肩を少し上げた。先ほどの槍についた盾で防ぐような形だ。もちろん、このままでは体重差で圧殺されてしまうが、ヒットの瞬間、落ちてくる軌道に合わせるように飛んで体を横回転させた。ボクシングで言うところのスリッピング・アウェーだ。しかもこの盾は魔龍の鱗と同じく良く滑る。果たして僕の狙い通り、メイスは僕を潰すことなく路面を叩き、僕は突進の勢いを緩めることなく今度こそ胴体に肉薄する。
『まだだ!』
 最後の腕がハルバートで突きを放った。下手に柄で防ごうものならさっきの剣と同じ運命を辿っていたところだ。
 槍の先端とハルバートの先端が激突する。
「だぁああああああああ!」
『ぬぅううおおおおおお!』
 互いの全ての力をその一点に集中させた。拮抗は瞬きの間。
 ベキュ、とハルバートの穂先が折れた。
「ぶち抜けぇっ!」
 柄を砕き、腕を砕き、槍の先端がフルンティングの胸部装甲を貫いた。

これまでという因果の積み重ね

 仰向けに倒れたグレンデルからくぐもった声が聞こえた。よじ登って、捩じ切れてぽっかりと穴が開いた胸部装甲の隙間から覗き込むと、老いた男の上半身が見えた。
「よう」
 声をかけると、男はうっすらと瞼を開き、こちらを認めた。
「・・・俺の負けだ」
 口の端から血を垂れ流し苦しそうにしながらも男は笑った。
「予想よりも、大分老けてるな、フレゼル王。もっと若いと思っていたよ」
 思ったことをそのまま口にした。連戦連勝、勢いに乗っている国の王だから、さぞかし脂ののった働き盛りの三十、四十代を想像していた。だが実物は、真っ白な髪、頬こけた浅黒い顔、袖から出ているやせ細った手。どう見繕っても赤いちゃんちゃんこの似合う年齢は過ぎていると推測した。
「貴様からどう見えているか知らんが、俺は今年三十五だ」
「三十五?!」
 思わず声に出た。想像以上の若さだ。とんでもない老け顔もいたもんだ。
「フルンティングを動かす代償だ。通常のグレンデル以上の性能を発揮し、四本分の腕を動かすためには、人間を捨てる必要があった」
 そう言って、フレゼルは服を捲った。服の下にある、アバラ骨の浮き出た体には、それこそ機械を動かすための配線が数本突き刺さっている。太さは大体、僕の小指くらいだろうか。
「これに乗り込んだ時だ。この管が人の体に好き勝手にぶすぶすと突き刺さったのさ。管からは何か流れ込んで来て、どうやらその何かを定期的に体に入れないとひどく苦しむようになった。代わりにその何かは体を満たし、飯を食う必要が無くなり、眠る必要もなくなった。以来、ここが俺の住処だ。降りるのは整備の時と王として顔を見せなければならない時のわずかな時間くらいか」
 くっくっ、とフレゼルは喉を震わせた。
 パイロットの恐怖感を薄れさせるために薬を投与する、なんて話を昔聞いたことがある。それと同じか、それ以上の効果と中毒性をもった麻薬のようなものが、あの管から流れこんでいたのだろう。また、フレゼル本人が言ったように、四本の腕を動かすなんて言う、本来の体の機能には無い動作を機械で行うのだから脳の未使用領域を使っていてもおかしくない。もちろん今まで出会った人間の中にも角生えてたり予知したり魔法使ったりした奴らがいたが、全員天然もの、先天的に備わっていた能力だ。後天的にそういった脳の未使用領域を開発するためには、薬を使用するくらいあって当然ぐらいだろう。後は、僕みたいに呪いを受けるか、だ。
 そして、急速に老いているのはその副作用と言ったところか。
「もうすぐ死ぬことは分かっていた」
 ぽつりとフレゼルが言った。
「徐々に体が弱っていく苛立ちがお前にわかるか? 死期が近づく恐怖がわかるか? このままこの狭苦しい棺の中で死ぬのは御免だ、満足して死にたい、そう願うようになったら、生きるためにただひたすら命がけで戦っていた過去がひどく輝いて、幸福だったことに気付いた。不思議なものだな、当時は文字通り死ぬほど辛かったのだが。どうせ死ぬなら、もう一度あの時の幸福の中で、戦いの中で死のう。だから、戦った。戦って戦って、俺を殺してくれる敵を探し続けた。幸福の中で時間を止めてくれる者を探していた。そして・・・」

 我が願いは、ここに成った。

 満足そうに両手を広げて、フレゼルは言った。
「感謝するぞ、生涯最高最強の敵よ。貴様のおかげで、俺の人生は最高の幕引きを迎えた」
「こちらこそありがとう、楽しかったよ。死後の世界と言うのを僕は見たことがないから何とも言えないけど、もしあるとしたら。またそこで、戦おう」
 いずれ僕もそこに行くだろうから。そう声をかけると、大口を開けて「それは良い」とフレゼル王は笑った。
「では、またな」
 すうっと、フレゼル王は目を閉じた。
「ああ。またな」
 友人との別れのように僕たちは言葉を交わし、違う道を歩きはじめる。

 フルンティングから飛び降りると、周りをロネスネス兵に囲まれた。と言うよりかは、フルンティングを彼らが囲んでいたのか。そして、降りてきた僕に気付いた。見れば、兵の他にも、街の住民たちも一緒になって倒れたまま動かないフルンティングを呆然と、あるいは愕然とした面持ちで見つめいていた。
「陛下が、負けた?」
 兵士の一人が震える声で言った。
「フルンティングが負けた・・・」
「陛下は死んだ、のか」
 事実が空気を伝って、人々の頭に拡散していく。
「俺たちは、どうしたらいいんだ」
 誰かが呟いた。ロネスネスは、極論を言ってしまえばフレゼル王ありきの国だ。本人にその気はなかったとはいえ、強い王の元集っていたのは間違いない。
「貴様、が、陛下を、殺したのか」
 近くにいた兵が、僕を指差した。フルンティングに向いていた目が一斉に僕の方に向けられた。
「だったら?」
「どうしてくれるのだ!」
 どうしてくれるのだ、と言われてもね。
「陛下が死んだら、我らは誰に頼ればいいのだ。陛下がいたからこの国は平穏でいられた。それを貴様が奪ったのだ。ロネスネスの民は貴様を許さないだろう。平和を乱し、偉大なる王の命を奪った貴様を!」
 兵が、武器を取った。周りの兵も同じように武器を手に取った。群衆の狂気が僕を取り囲んだ。
 僕は笑った。そうか、新発見だ。苛立ちが一定値を突破すると人は笑うのか。
 結局、彼らの心配は彼ら自身の為に使われるのだ。まあ、フレゼル王自身も、その身を案じられて喜ぶようなタマではないだろうが。
「許さなければ、どうするって言うんだ」
 一歩、威勢よく叫んでいた兵に近付く。
「決まっている、貴様を」
「僕を、どうする?」
 もう一歩、二歩と足を進める。
「と、止ま」
 数に物を言わせれば止まると思ったのなら、大間違いだ。
「僕を、どうするって?」
 止まらず進み、震えながら突き出された剣を手のひらで押しのけ、そいつの面前へ立った。同極同士の磁石でも近づいたみたいに、そいつは僕から距離を取ろうと後退りして転んだ。見おろし、それから周りに視線を向ける。勇ましかった連中だが、僕から目を背けた。そうか、自分個人に向けられるのは嫌なのか。一生、その他大勢でいれば良いよ。
「あんたらが僕のことを憎んだり恨んだりしようが、知ったことじゃない」
 人間生きてりゃ恨みの一つや二つは買う。僕がそのことを良く理解している。恨みを買われることをした自覚もある。
「殺したいならかかってこい。いつでも、今これからでも相手になってやる」
 とは言ってみたが、多分、誰一人乗ってこないだろうな、という予測は当たってしまう。そのことに少しだけガッカリしつつ、話を続ける。
「・・・じゃあ、フレゼル王を奪われ、平穏を乱されたと嘆くあんたらに、その奪った張本人からアドバイスをくれてやる。これからのあんたらの指針にすると良い」
 全員が注目する。今しがた自分たちの王を殺した相手にでもすがるのか。それほどまでに自分で切り開くのを望まないのか。誰も立ち上がる気はないのか。
 そうか。この進退窮まった状況で、自らの意志で進む気がないのならここで滅びろ。
「あんたらは僕が平穏を奪ったと非難する。許さないと言う。さて、それでは平和を享受していたあんたらに問おう。あんたらの周りにいるのは、いったい誰だ? あんたらの平和の下に敷かれているのは、誰かの平和の残骸だ。そこに、かしこに、あんたらが奪った平和のなれの果てがいるぜ?」
 言われた通りに、ロネスネスの人間たちは周囲を見渡す。そこには、薄汚い布を纏った奴隷がいる。かつてどこか別の国で平和に暮らしていた、誰かの夫、誰かの妻、誰かの恋人、誰かの親、誰かの子どもがいる。奪われた者たちがそこにいる。
 ロネスネスの人間と彼らの目が合う。
「どうして奪われたことに気付くのに、奪ったことに気付かない。どうして自分たちが誰かを憎めるのに、自分たちが誰からも憎まれないと思い込めるんだ」
 きっと彼らには理解できないだろうな。自分から奪ったという記憶がないから。そもそも奪っているという認識さえなかったに違いない。フレゼル王が先陣切ってやっていることを後から続いてやっているだけだから。王がやっていたことだから、自分たちもしても問題ない。咎められる理由がないのだ。彼らにとっては。
「さあ、平和を奪われた側に問おう。どうする? どうしたい? あんたらが涙をのみ、したくても出来なかったことが今なら『出来るぞ』」
 ロネスネス以外の人間が、自分たちを虐げてきた者たちへと視線を移す。偶然か、それとも示し合わせたのかはわからないが、一斉に笑った。声も上げず、ただ静かに、ロネスネスの人間を見つめる目には昏い感情を湛えて。彼らの目を見たロネスネス側は怯えた。深淵を覗き込んだ人間は、きっとこういう顔をしている。勝者が敗者へ、敗者が復讐者へと変貌した瞬間だ。道は示した。あとは、それぞれがそれぞれの思惑で動くだろう。
 僕を取り囲むロネスネスの人間たちの、さらに外側にある復讐者たちの環が狭まる。武器を持っているのはロネスネスの方なのに、復讐者たちの気配に圧倒されたように竦んでいる。
「止めろ!」
 暴動突入にしようという流れに割って入った声が、彼らの動きを止めた。人ごみを掻き分けてミハルと、その後ろからクシナダが現れた。
「どういうつもりだよ! こんな時にそんな言葉で煽ったらどうなるかぐらい、分かんだろうが!」
 分かってて言ったつもりだ。むしろ僕が気になるのは
「どうしたねハルちゃん。何を怒っているのかな?」
「てめえがその名前で呼ぶんじゃねえ!」
「そうかい。ならミハル。改めて聞くが、どうしてあんたが怒るんだ?」
「あ? んなもん当然だろうが。目の前で、トチ狂った男が復讐しろって扇動してんだからな」
 おいおい、と僕は両手を広げた。
「あんたは復讐肯定論者のはずだろう。ロネスネスに虐げられてきた人々、奪われた人々の気持ちが痛いほど良くわかる人間のはずだ。なのに何故、彼らにそのチャンスが巡って来たのに、それを止めようとする? 自分は良くて、他人は駄目なのか? 元の世界からお持込みした自分の為だけにある倫理観を彼らに押し付けるのか?」
「そ、れ・・・は」
 ミハルが後ろを振り返る。怯えるロネスネスの人間はすがるように、復讐者たちは止めるな、邪魔するなと言わんばかりに、彼女を見つめていた。
「僕としては、ここで互いに戦い、殺し合い、どちらかが滅びた方が禍根は少ないと思うんだよね。どうせ放っておいても、ここは再び戦場になる。ロネスネスという強大な国家を支えていた王は死に、グレンデルは全て破壊しつくされた。今まで押さえつけられてきた周辺諸国はこぞって反旗を翻し、ロネスネスが治めていた領土を切り取りにかかるだろう。すでに何人かはこの場から消え、自分の国に戻っているんじゃないか?」
 強い国にはスパイが紛れ込んでいるのはお約束だ。
「どうせ起きるから、放っとけってのかよ。どうせ死ぬからここで死ねって、そういうことかよ!」
「そうだよ」
 ミハルが僕の胸倉を両手で掴んだ。
「てめえは一体何様だ! その原因を作ったのは」
「僕だ、と本気で思うのか?」
 彼女の手を掴む。引きはがすわけではなく、逃がさないためにだ。
「確かに抑止力となっていたフレゼル王を殺したのは僕だけど。それだけがこの状況を作ったと本気で思うのか? 違うね。作ったのは彼等だ。この国も、そこに住む人の人格も習慣も認識も蓄積されてきた問題もそこから生まれる結果も何もかも。『これまで』を積み重ねて『これから』を作り上げてきたのは、彼等なんだよ。因果応報、というやつだ」
「認め、られっかよ・・・!」
「ならどうする?」
 ぐい、と彼女に顔を近づける。
「それはっ、それはだなぁ!」
 ぎりぎりと歯を食いしばるも、彼女から答えは返らない。
「代替案もないのにあれもダメこれもダメと言うのか? ミハル、あんたこそ一体何がしたい。早く決めなければ全ておじゃんだ。すぐに提案しろよ。あんたの望む結果にするための案を」
 くそ、くそ、とミハルは項垂れて毒づく。それでも必死に頭を回しているのは見ていてわかる。他の連中も、彼女の答えを待っていた。僕も、大人しく待つことにする。
 そろそろ湯気が出るんじゃないか、と知恵熱の出過ぎで卒倒の可能性を危惧しだした時、彼女は顔を上げた。顔は真っ赤になり、漫画なら目がぐるぐる渦巻きみたいになっているんじゃないかってくらいテンパった様子で、僕の胸倉から手を離して振り返る。
 そこにいる全員を見渡して、何度か唾を吞み込み、緊張しながら言い放つ。

「わ、私が相手だ! 全員、かかってこい!!」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・どうしてそうなった?

これからという願い

 一陣の風が僕たちの間を駆け抜けた。だが、どれほど強い風が吹こうとも、この場に芽吹いた疑問の山を吹き崩せはしないだろう。
「そんな目で見んな!」
 全員から白い目で見られ、顔をさらに真っ赤にしながらミハルは怒鳴った。
「分かってる、分かってるから。わけわかんないこと言ってるの分かってるから!」
 しかし、彼女の頭に乗っかったままのライザだけは、彼女を非難の目で見ていない。まるで我が子の成長する瞬間に立ち会った親のような誇らしげな顔をしている。
 順を追って説明するから、ちょっと待って、とミハルは一度、二度と大きく深呼吸した。
「私はこの世界のルールとか良く知らないんだけど、ロネスネス風に考えるとつまりはさ、一番強い奴が王様ってことなんじゃないかな、と思ったわけ。全員の意志を決定できる立場につけると思ったんだよ」
「だから他の意見のある連中をねじ伏せようと? それがかかってこいの真相なのか?」
 呆れたように言ったのはティルだ。
「いやまあ、自分の意見を力尽くで押し通すのだから、最終的にミハルの意見が通るだろうが、ちょっと強引すぎやしないか」
「うっせえな。そんなことは百も承知なんだよ。それだけ押し通したいんだよ。その辺汲み取れよ」
「汲み取れと言われても、何の手がかりも無しに相手の心を読めと言うのはいささか無茶が過ぎないか?」
『ふん、やってもないうちから出来ない出来ないとは情けない』
 どんな時でもライザはティルに厳しいな。一体彼の何がライザは気に入らないのだろうか。
「では、そこまでしてミハルが皆に願うこととは何だ?」
 ティルが促す。話の導き手がいることで、ミハルは上手く願いを口にできた。
「あんたらの気持ちは、私にも少しわかる。私も大切な人を殺されて、その復讐を成すためにここまで来た。そんな私には、あんたらの復讐を止める権利は無い。だからこれから言う事は私の我儘だ。
 私は、あんたらに生きていて欲しいんだ」
 その言葉に、復讐者たちが呆気にとられた。
「本気で復讐しようとすると、壮絶な殺し合いになる。相手も殺せるけど、自分も死ぬ、そういう状況だ。泥沼の戦いで生き残るのは多分数えるほどになる」
「それが、なんだというの?」
 復讐者たちの中の一人が、ミハルに言った。まだ若い女性だった。
「夫を殺され、子どもと引き離され、死にたくなるような辱めを受けて、それでも生きてきたのは、いつかこういう日が来た時に、彼らに一矢報いる為。その為だけに生きてきたの。死ぬことすら怖くは無いわ。だって、私はもうすでに死んでいるのだから。たった一つのその望みさえ叶えられないなら生きている意味がないのよ」
「だよな。うん。だと思う。ひどく共感してしまえる」
「だったら」
「でも!」
 遮って、ミハルは言う。
「それでも、生きていてほしいんだ。頼むから。あんたが死んだら、一体誰が、あんたの旦那さんのことで泣いてくれるんだ」
 そういうミハル自体が、感極まったのか苦しそうに顔を歪めて、瞳に涙を湛えていた。もしかしたら、自分の境遇と、自分の大切だった人と重ねているのか。
「私たちの世界では、人間は二度死ぬって言われてる。命を失った時と、誰の記憶からも失われた時だ」
 若くして亡くなった、ある名優の言葉だ。
「二度、死ぬ?」
「そうだよ。あんたが死んだら、もう、誰も旦那さんのことを覚えてる人間はいなくなる。その瞬間、あんたの旦那さんはこの世から消えるんだ。生きていた意味が消えるんだよ。良いのかそれで」
 なあ、とミハルは彼女にやさしく投げかける。
「殺すな、とは言えない。口が裂けても私には言う事が出来ない。死んでほしくないんだ。生き残ることを優先してほしいんだ。あんたが大事だった人が、仇を取れたとしてもあんたが死んだとあっちゃあ、本末転倒で悲しむんじゃねえかと思うんだ。だって、あんたの夫はあんたに生きていて欲しいから、守りたかったから戦いに行ったんじゃねえのか」
 ミハルは復讐者たちの顔を見回して言う。
「人生経験のない若造が薄っぺらい言葉で語ってるってのは重々承知してる。勝手な理想を押し付けてるのもわかってる。でも生きてくれ。あんたらの大切な人たちの記憶とか思い出とか、意志とか。そういうもんを、ここで絶やさないで、守ってくれよ」
 少し、熱量が下がったように僕は感じた。復讐者たちの沸騰しかけた頭に、確かに彼女は差し水を入れた。一度下がれば、次沸騰するまでに時間がかかる。
 復讐者たちの心情の変化を見逃さなかったのはティルだ。
「彼女の言い分を私は指示する。私ももう、ここで無駄な争いを起こしたくない。シルドの皆が傷つくところを見たくはないのだ。ここでの戦いは終わった。フルンティングが敗れたことで、生き残っているロネスネス兵は全員降伏した。そうだな!」
 ティルの視線の先にいるロネスネス兵たちは、ぎこちなくも首を縦に振った。
「だが、これで戦いが終わったわけではない。ここにいるタケルが言ったように、この地は再び戦乱の嵐が吹き荒れよう。私たちも、ロネスネスも、お前たちも、このままではおそらく、嵐に吞み込まれてしまう。せっかく得た自由をズタズタにする風を纏い、理不尽の雨を降らせる嵐だ」
 ティルは復讐者たち、ロネスネスの人間たちに視線を巡らせる。全員が注目していることを確認して、肝を話す。
「私は、その嵐を乗り切るための家を作る。自由を守り、理不尽を跳ね返す強くて大きな家だ。けれど、今のままでは、その家の外壁すら作れない。
 だから、共に来てくれないか。失うものなど何もないと言うならば、私たちを助けてくれないか。それを生きがいにしてもらえないか。その命を、私たちとお前たちと、子どもたちのために生きて使ってはもらえないか」
 ティルの言葉が、彼らの体に深々と降り積もっていく。
「残酷なことを言っているのかもしれないが、どうか頼む」
 深々とティルが頭を下げた。

「まあ、そう簡単に上手くはいかんか」
 ティルがため息を吐いて言った。
 結局、ミハルとティルの要望を聞き入れ、共に生きると判断したのは復讐者たちの半数にも満たなかった。
「そう、だよな。人間そう簡単に心変わり出来たら苦労しねえよなあ」
 はあ、とこっちではミハルが珍しく落ち込んでいて、クシナダが励ましている。
「そんなことないわよ。二人ともよくやったと思うわ」
「私も上出来な方だと思います」
 慰めるような言葉をホンドが言った。僕も同意見だ。復讐者に復讐を止めさせることがどれほど大変か、復讐者目線でわかるからな。
「その場で殺し合いをするのは喰い留めましたし、残りの者たちも、まだ考えは保留だということですから。答えが出ていないということは、いずれこちらの願いを聞き入れてくれる可能性がある、ということですから」
「・・・そんな言葉が聞けるとは思わなかったぞ。いつも最悪の可能性しか考えないようなお前がいうと、妙な気分だ」
 それは心外、とホンドは薄く笑い、ゆっくりとその場で倒れた。
「ホンド?!」
 ティルが駆け寄り、抱き起こそうとする。ホンドの背中に手を回した時、顔をしかめた。ゆっくりと背中に回した手を面前に持ってくると、そこにはべっとりと血が付いていた。
「ホンド、お前この傷!」
 すぐさまホンドの服を剥ぎ取る。そこにま真っ赤に染まった布が何重にも巻かれていた。布に血が吸われて、見た目にはさっぱりわからなかったのだ。
「全てが終わって、気が抜けたからですかな」
 倒れたことを茶化すようにホンドは言った。よく見れば、彼の額や首筋には汗が浮かんでいるし、顔の血色も悪い。相当な痛みを我慢していたことが見て取れた。立っていることすら困難だったはずだ。それをうめき声一つ立てずに良くここまで耐えたもんだ。
「いつからだ。いつからこんな傷・・・まさか、あの門を守っていた時からか?!」
 それがどれほど前なのかはわからないが、計画の一部にシルドの民が逃げるまでの時間稼ぎがあったから、僕がティルフィングと戦っている時かその前からだ。体感的には一時間以上は経っている。
「なんで黙ってたんだ! すぐに手当てをする」
「手伝うわ」
 名乗り出たのはクシナダだ。ただの出血であるなら、彼女、というか僕らには切り札がある。僕らの血を傷口に垂らすと、そこに含まれる呪いか成分か、それに準ずる何かが傷口をすぐに修復する。以前胸を貫かれた魔女の傷を治したことがあるから実績ありだ。
「お止め下さい。治療は不要です」
 しかし、治療者がそれを拒んだ。
「ホンド!」
「良いのです。これで良いのです。新しい時代が来ようとしている時に、私のような古い人間がのさばっていてはいけないのです。それに、私は許されないことをした。その報いです」
「やり方は間違っていたのかもしれない。けれど、それは、お前がシルドのことを考えたからで」
「考えていても、間違っては意味がないし、悪い結果になってしまっては元も子もない。そういう悪手を私は取ってしまったのです」
 いいですか、とホンドがティルに言う。おそらくこれが最後になるだろう。
「あなたは今、この場での最善手を打った。しかしそれが最良であるか、はたまた最悪になるかはあなたの行動次第です。ゆめゆめそれをお忘れなきよう」
「分かっている。分かっているからもう喋るな。クシナダ、何か手があるんだろう、早くホンドを」
「駄目です。ティル様。分かっていますでしょう。ここで私は死ななければならんのです。今部下を殺されたばかりのあなたの言葉だからこそ皆は聞くはずです。それでもティル・ベオグラース・シルドは憎しみを振り払い、共に生きようと手を伸ばしているのだと。・・・今更どの口があなたの部下などと言えるのか片腹痛いですがね。色んな意味で」
 自嘲気味にホンドが笑う。誰もウケないよ、そんな冗談。
「乗り越えてください。憎しみも悲しみも、人種も国境も。あなたなら出来る。後は、お任せします」
 ゆっくりと、ホンドの瞼が閉じられた。ティルの肩を掴んでいた手が、ふっと離れて落ちた。落ちた手を、ティルは握りしめる。
「・・・・ああ、任せておけ。お前が描いた理想をはるかに上回るものを築いてみせる。だから、見ていてくれ」

失望

 色々あったけど、これにて大円団だ。
 ホンドをはじめ、この戦争での死者を弔うティルたちを見て、僕はそう判断した。後は、ここの奴らが勝手にやるだろう。放っておいても問題あるまい。
 また、フルンティングがいなくなったことで、ここに敵はいなくなった。一応、自称誇り高き龍の血脈とやらはいるが、今は止めておこう。成長したときの楽しみに置いておく。
 つまり、僕のここでのやることはほぼなくなったってことだ。
 残る問題は、あと一つ。
「おい」
 後ろから声をかけられた。振り返る。ミハルが武器片手にこっちを睨んでいた。
「よお。遅かったな」
 にこやかに声をかける。僕から声をかけても聞く耳持たないので、クシナダに頼んで僕のところに来るように言っておいて貰ったんだが、上手く行ったようだ。
「何の用だよ」
 ミハルが苛立たしげに言った。
「ここじゃ何だから、場所を移そう」
 ミハルを伴い、僕は街の外に出た。そっちなら誰の邪魔にもならないからな。
「こちとらいろいろ忙しいんだよ。何かよくわかんねえがティルの野郎から色々頼まれたり、生き残りの連中から色々話しかけられたりよ」
 それを聞いて、僕は吹き出しそうになった。
「あんたに、僕を殺す以上に優先度の高い用件なんてあるのか?」
 振り返って、彼女に剣を突きつける。
「いったい何のためにここまで来たか、忘れたのか?」
「そんなわけねえだろ。私の目的は、てめえを殺すことだよ」
「ぶれて無いようで安心したよ。うっかり忘れてるんじゃないかと思ってさ。そんなミハルに良い情報だ。ついさっき分かったんだが、僕の再生能力は今低下中だ」
「は? なんだそりゃ。嘘ついて油断させようったって」
「嘘じゃない。無限に再生する訳じゃないみたいなんだ。僕の体の養分やら脂肪を変換して再生していて、一定量以上は再生できない。で、フルンティングとの戦いで今の僕は限界までその能力を使い切っている。おそらく普通の人間と同程度の致命傷で死ぬと思う」
「だから、それがほんとだって証拠ねえだろ?」
 疑り深い奴だ。この再生能力は栄養不足で起こっているとは思うが、別条件で復活するかもしれないのだ。疲れが取れるだとか、一日寝たら元に戻る時間制だとか、検証してないから正確なことは分からない。分かっているのは、今は再生できないということだけ。そっちにとってはチャンスなのに、何をためらう。
 それともこいつ・・・・いや、まさかな。一瞬よからぬ疑惑が浮上したが、首を振って打ち消す。
「だったら、僕の首を落とせばいい。それなら文句なしで殺せる。試したことはないが、流石に首が落ちちゃ再生云々関係ないハズだ。もとより、それくらいしか思いつかないだろう?」
 言い終えると同時に踏込み、剣で無造作に薙ぐ。ミハルは後方に飛び退って躱し、着地と同時に剣を構えた。十メートルほどの間隔を開けて、僕たちは対峙する。
「やる気かよ」
「もちろん。ここでやることは大体終わったからな。シルドとか、他の国のことはティルが何とかするだろうし。後はあんたとの因縁だけだ。だから、邪魔が入らないように、クシナダにライザを捕まえておくように頼んでおいた」
「そういうわけかよ。クシナダに抱きかかえられて、哀れライザは蛇に睨まれた蛙みたいに縮こまって固まってたぜ」
「巻き添えになる方がよほど可哀そうだし、そっちも頭が重くちゃ動き辛いだろう?」
「こっちのハンディキャップをなくして、自分は再生能力が落ちてる、弱体化してるときに戦うってのか? ふざけやがって。後悔しても知らねえからな」
 ミハルのセリフに、僕は鼻で笑う。
「させてみろよ」
 ぎり、と彼女が歯を噛み締めた。剣を立てて体の右側に構える。剣道の八相の構えとかいう奴だ。
「行くぞ」
 来い。
 彼女が大勢を低くした。地を這うかのように体を前に倒したのだ。コメディで水の上を走るときに、右足が沈む前に左足を前に出す描写があるが、それの前傾姿勢版だ。倒れる前に足を出して前に進む。なるほど、この速度なら水の上でも沈むまい。
「イィヤァアアアア!」
 突進してきた力をそのまま転化させた、斜め上からの一太刀。右足を一歩後ろに引き、半身を逸らして躱す。最初の一太刀に全てを賭けたような一撃は、速さ、威力ともに申し分ない。だが、躱されれば大きな隙を生むことになる諸刃の剣。
 彼女の右側面ががら空きになる。そこへ向かって、今度はこちらが剣を振るう。水平に振るわれた一閃が、彼女の上半身と下半身を分断させようとする。
「なっ!」
 しかし、返ってきたのは肉を断つ感触ではなく、剣同士が激突した衝撃と痺れ。不可避と思われた一撃は、上に弾き返された。思わずたたらを踏む。
 さっきの一撃を振り降ろした体勢から、両手首を返して剣を返してきたのだ。
 全力で斬りつけた後に、逆方向に切り返しだと!?
 彼女の持つ剣の刃は約一メートル。通常の剣よりも長く、取り扱いは難しい部類だ。幾ら筋力が強かろうが、慣性などの物理法則が邪魔する筈なのに、それをものともせずに振りまわすとはね。
 まるで燕返しだ。本物見たことないけど。
 彼女の技の切れは、大昔の剣豪の必殺技を彷彿させた。しかも、ここで終わらないのだ。切り上げたのだから、当然、そこから斬り降ろしへ移行できる。
 さらに深い踏み込みで、彼女が弾かれた僕の方へと間合いを詰める。下手な回避は逆効果だ。繰り返される上下の軌道を止める。
 退くよりも、前に出ることを選択した。
 振り降ろされた剣と剣が交錯する。力勝負は、ほぼ互角。互いに鍔迫り合ったまま引くことを知らない。
「どうした! 大口叩いてそんなもんか、あァ?!」
 ギリギリと鎬が削られる中、ミハルが叫んだ。
「そっちこそ、少々熱さが足りないんじゃないのか? 最初に会った時の方が、もっと殺意の熱があったと思うよ?」
「言うじゃねえか。・・・こっからだ!」
 ミハルが両腕を突っ張った。互いに後方へと飛ぶ。着地し、足裏が地面を抉る。停止し、そこから同時に駆ける。
 互いの間合いまで瞬き一つ分の距離。いつの間にか納刀している彼女を確認。剣に反りがないことなんて彼女にとっては些細な問題だ。
 人間の反応速度をあざ笑うかのような神速の抜刀術。放たれた刀身の威力は良く知っている。さすがに、この一撃を受ければ無事では済まない。だが、事前に知っているというのは大きな武器だ。剣が描く軌跡が分かれば防ぎようはある。
「なろッ!」
 今度は彼女が忌々しげに声を上げた。
 彼女の斬撃を真下から跳ね上げるようにして弾く。さっき防がれたお返しだ。
「チィ!」
 追い縋る僕に崩れた体勢から鋭い斬撃を放ってきた。剣を弾かれ、体が泳いだ状態の癖に、的確に狙い澄ました攻撃で足止めを喰らった。深追いが出来ない。体幹がどうとかバランス感覚がどうとかいうレベルじゃない。体勢を立て直したミハルと、再び睨みあい、合図もないのに同時に前に出て剣をかち合わせる。何度も切り結び、弾き、弾かれる。

 永遠に繰り返されるかと思われた剣舞だが、片方が辞めれば止まらざるを得ない。それはどちらかが死ぬ時だと覚悟していたのだが、例外的に僕から自発的に止まった。ため息を一つ吐いて剣をしまう。突然戦うことを止めた僕に、剣を振り上げたままのミハルが戸惑った。そんな彼女に声をかける。
「もう、止めよう」
「ちょ、どういうことだよ。てめえから吹っかけてきた喧嘩だぞ、てめえの勝手で終わらせんのかよ!?」
「僕は、無駄なことは出来るだけしたくないんだ。悪いね。付き合わせて」
 彼女に背を向けて歩き出す。
「待てよ。何なんだよ。どういうことか説明しろよ」
 そんなことを言うために僕の後ろから追いかけてくるようになってるから、こういう事態になるんだよ。前の彼女なら、問答無用で背後から斬りかかっていただろうに。
「これ以上やっても無駄だ。あんたに僕は殺せない」
 だから、戦いを止める。充分な理由だ。もう彼女は、僕の敵たりえない。残念だ。心底そう思う。

謎解きは剣舞の後で

「フレゼル王が言っていた。あの娘は自分の相手になれない、と。ならないじゃなく、なれない。その意味がよくわかった。彼は戦いを望んでいた。殺す覚悟があり、殺される覚悟があり、相手にもそれを求めた。つまり、自分を殺す気がないものを敵とは見れなかったんだ。たとえどれほどの実力があろうとも」
「・・・・はっ、そんなわけあるかよ」
 ミハルが言った。
「最初に会った時に言ったはず。殺したくて殺したくて仕方ない奴にようやく会えたってな。その言葉に嘘偽りなど微塵もねえよ」
 その言葉『には』ないだろう。けれど、考えや感情を上回る拒絶反応は確かに存在する。人を、同じ種族を殺すのも必ずそれが邪魔をする。超えてしまえば決して戻れない一線だ。
「クシナダから聞いたけど、あんた、さっきまでの戦いでロネスネスの連中の誰一人として殺してないらしいな」
「それがなんだよ。殺す必要のねえもんをわざわざ殺さなくていいんだよ」
「本当にそれだけか?」
 剣で切り込むよりも鋭く、言葉を刺し込む。
「圧倒的な力の差があるから、殺さずに捕らえられる、なるほど、では、僕は殺さずに捕らえる、と言うことで良いんだな?」
「っ・・・!」
 忌々しそうに彼女の顔が歪む。
「基本動物は同種族を殺さない。もちろん、ライオンの子殺し等の例外はあるけどね。人間だって通常であれば同じ人間を殺すことは無い。これは、種族を繁栄させるための本能であるとか諸説あると思うけど、僕は、これまで積み重ねてきた習慣や教育、宗教等による刷り込みなどの環境依存が大きいんじゃないかと考えている。大人から子どもへ、子どもから孫へと、愛情や倫理を教材にしてな。逆に人が人を殺すのも環境依存の影響が大きい。戦国時代なんかまさにそうだろう。殺さなきゃ殺される時代だからな」
 そして、同じ時代に生を受けて、同じ教育を受けていた僕だからわかる。彼女の中に培われ養われてきた、彼女の感情を覆う『常識』という殻。それが彼女の殺人衝動を抑制する。最初に会ったときが彼女にとってはチャンスだったのだ。勢いで行けたから。あの時はおそらく、僕のことを人間ではなく何か別の、兄を殺した別種の生き物として見れていた。だから剣を突き立てることが出来たのだ。だが今は、僕を同種族として見ている。
 ・・・・そういう事か。僕の脳裏に彼女の顔が浮かんだ。最初からおかしいと思っていたが、つまりはこのためか。僕らは、あの女の策略にまんまと嵌められたわけだ。
「・・・・・・・殺せたのは、そっちも同じだろうが」
 ぼそりとミハルは言った。
「そっちこそ、手ぇ抜いてんじゃねえか! 殺す気がねえのはどっちだよ! フルンティングをぶっ壊したあの槍はどうした! 電撃は!? 私には使う価値もねえってか!」
 疲れてるから出ないだけなんだけどな。電撃もそうだが、槍に変形させるのも体力を削る。この状態だとデフォルトの剣しか出来ない。
「一体何なんだよ。てめえは、極悪非道の悪党だろうが」
 そうだよ。
「私の家族を、兄を殺したんだろうが」
 そうだ。
「そのてめえが、どうして私を殺さないんだよ!」
 面倒くさいな。だんだんうんざりしてきた。こいつにもう、用は無い。適当に切り上げて次に行くとしよう。僕を殺しうる人間だから一緒にいたが、出来ないならイライラさせるだけだ。彼女を見ているとどうしてもあいつを思い出す。性格も言動も似てないのに、やはり、面影がある。
「くだらない。そんなことを気にしてどうするんだ」
「くだらない、だと?」
「そうだよ。庵の望みを蹴ってまで僕を殺しに来たのに、くだらない、些細なことに気を取られて殺すのを諦めるってんだから」
 言い捨てて僕は街の中に戻ろうとした。何と言われても足を止めないつもりだ。時間の無駄だからだ。
「庵の・・・望み・・・?」
 ぼそりと彼女が呟く。
「待てよ!」
 一瞬で回り込まれた。
「何だよソレ。庵の、兄の望みって何だよ!」
 ――しまった。
 イラつきすぎてまさかの失言だ。僕らしくもない。
「どけ」
「ちょ、待て! 答えろよ!」
 彼女の押しのけて帰ろうとしたとき
「ケンカは終わり?」
 ダウンウォッシュが吹き荒れ、僕とミハルの髪を乱す。何食わぬ顔で、上からクシナダが降ってきた。手に抱えられたライザが心なしかやつれている。
「その様子じゃ、互いに満足の行く結果は得られなかったみたいね」
 ほい、と手の中のライザを離した。ライザは親に巡り合った迷子みたいに一目散にミハルに抱きつき、定位置である頭上に戻った。
「ね、話してあげたら?」
「は? 何を?」
 クシナダが僕に言った。
「ミハルが知りたがってること。彼女のお兄さんのこととか」
「そうだね。僕を殺せたら教えてあげてもいいよ」
 無茶苦茶な、とクシナダは言い、意地悪そうな笑みを浮かべてミハルの方を向いた。
「ねえミハル。あなたが信じるも信じないも勝手だけど、これまでの彼の行動を見てきた私の考えを言うわ。
 タケルはね、敵しか殺さないわ」
 突然何を言い出す。
「あなたが大切なことを何も話さないから悪いのよ。・・・・ミハル、私も彼から、元の世界で何をしてきたかを聞いたわ。あなたの父親を殺したこともね。ただ、聞いたのは父親を殺したってことだけよ」
「クシナダ、あんたなあ・・・」
「あ、これ言っちゃダメなことだっけ? ミハルの憎しみを薄れさせないように」
 ごめんね、と棒読みで舌出しやがった。この野郎。口は堅い方だなんて軽口叩きやがって。
「それ、って」
 わなわなと震えているミハルに対し、クシナダが言った。
「うん、ミハルの想像通りじゃないかな。私もそこまでは聞いてないけどね。おそらく、タケルはあなたのお兄さんを殺してないわ」
 信じられない物を見るように、ミハルが僕の顔を見た。
「ありえない」
 人の顔に指を突きつけ、もう一度ありえないと叫んだ。
「だって、私は見たんだ! 倒れ伏した兄を置き去りにして去っていく、血で汚れたこいつを・・・」
「殺したところは見たの?」
 沸騰したところに差し水されたように、ミハルの語気が弱まった。
「勝手な想像だから、間違ってたらごめんなさいね。あなたは、血まみれのタケルが倒れたお兄さんと一緒にいたから、彼が殺したと思い込んだんじゃない?」
 ミハルに指摘しつつ、どう? と言わんばかりの顔で僕の方を見てきた。忌々しいかぎりだ。
「じゃあ、誰だよ。兄を殺したのは誰だっていうんだ。こいつ意外に殺せる人間がいるわけねえだろうが」
 項垂れたミハルが言った。今にも泣きそうだ。図体はでかくなったが、やっぱりこいつは、あの時の、庵の背に隠れてた時のままの子どもだ。あの時から時間が止まったままなんだ。
 このまままとわりつかれるのも面倒だ。とっとと縁を切ろう。
「父親だよ」
 僕の一言に、凄い勢いで振り向いた。これ以上ないってくらい目ん玉をひん剥いたミハルに、僕は彼女が知りたいであろう真実を答えた。
「庵を殺したのは、あんたらの父親、大賀雅史だ」
 これで、満足か?

最大公約数の幸せに個人の幸せが含まれる時

「すまない。しくじった」
 血まみれの手を差し出しながら、庵は言った。汚れるのも構わず、僕は庵を抱き起し、その手を握った。その場についたジーンズの膝に血が沁み込む。
 大賀雅史の部屋に乗り込んだとき、すでに奴の姿は無く、代わりに庵が血だまりの中で横たわっていた。何があったかなど、簡単に想像がつく。
「馬鹿が。なんで僕を待たなかった」
 計画では、僕が大賀雅史を自殺に見せかけて殺害し、その後で庵が奴の悪行の証拠を本人のパソコンから各種マスメディアに送付、良心の呵責に耐えきれず自殺した旨の遺書を残すはずだった。前日まで綿密な話し合いを行っていたのに、どうしてこんな無茶を。
「分かってもらえると、思ったんだ。どれほど強欲な父であっても、心の奥底には、まだ良心が残っていると信じていた。どれほど忌み嫌っていても、俺の言う事に、耳をかたむけてくれるんじゃないかって」
「そんなわけないだろうが! 教えただろう! あいつのせいで何人もの人間が死んでるんだよ! 肉親だろうがなんだろうが邪魔になるなら簡単に人を殺せる精神構造なんだよ。だから悪党でいられるんだ。悪党と善人は別種の生態系なんだよ!」
「お前の、ように?」
 にぃ、と痛みをこらえて庵は笑った。
 いつも僕が言っていることだ。人間と悪党は既に別の種族だ、遺伝子すら差異がある可能性がある、僕もその一人だ、と。しかし、今は人のセリフを真似て冗談を言っている場合じゃない。救急車を呼ばなくては。
「無駄だよ。お前ならわかるだろう」
 携帯を取り出そうとした僕の腕を、庵が抑えた。この出血量では助からない。これまで複数人を殺して得た経験から分かってしまう。それでも、何もしないで良い理由にはならない。結局のところ素人目だ。可能性はまだあるはずだ。だが、庵はそれをさせなかった。瀕死の癖にとんでもない力で腕を押さえつける。
「今お前がすべきなのは俺を助けることじゃない。ここで時間を費やす事じゃないだろ。俺が焦ってポカやった分の時間を取り戻して、奴を、大賀雅史を抹殺することだ。もう殺す以外に止める方法がないとは、救いがないな」
 時間をかければかけるほど、大賀は遠くに逃げてしまう。今は、庵が突きつけたであろう証拠を抹消するために奔走している。それが終われば雲隠れだ。ほとぼりが冷めるまで地下に潜るだろう。適当な代役を立てて、万が一不祥事が発覚すればそいつをトカゲのしっぽにして。
「すまん。最後の最後まで迷惑をかけて」
 ぐぷ、とせり上がる血を吐き出して庵が言った。
「そんなことは無いよ。庵のおかげで奴に近付けた。スケジュールも行動範囲も調べることが出来たんだ」
 感謝している。本当に。おそらく僕が大賀雅史暗殺の為に近付いたことも、最初から分かっていたのに、協力してくれたのだから。
「それは、俺にとっても都合が良かったからだ。あいつは、俺だけではなくハルちゃんをも自分の金儲けの道具にしようとしていた」
 ゆくゆくは政界進出を目論んでいた大賀にとって、大切なのは各方面へのパイプを作ること。美晴をいずれ有力者やその関係者に嫁がせることも計画されていた。
「彼女の幸せを考えた上でのレールであるなら歓迎しよう。けど、彼女の意志を全く無視し、自分の欲望のために利用しようとしているのなら、俺はそれを認めない。断固阻止する」
「相変わらずのシスコンっぷりだな」
「当然だ。ハルちゃんは宇宙一可愛いのだから。彼女の未来は輝かしいものでなければならないのだから」
「そのおかげで、僕は連日徹夜させられて書類一式を準備する羽目になったわけだが」
 大賀の遺言状を偽造し、大賀美晴が成人するまでの間何不自由なく暮らせるだけの財産を分与する旨が記載された書類だ。何度も何度も僕と庵でダブルチェックした力作。大賀の死後、必ず親戚間で遺産に関して骨肉の争いが起こる。その時にかすめ取られないために確保しておいたのだ。資産は金だけではなく、庵が探してきた信頼できる弁護士をはじめとした人材、住まい、学習環境等も含まれる。
「悪い」
 全く悪びれた様子もなく、庵が笑った。僕も笑った。多分、これが最後だと二人ともわかっていた。
「後は、任せてもいいか?」
「ああ。完璧にやり遂げておく」
「だろうな。お前なら安心だ。・・・・そうだな。お前なら・・・・ハルちゃんの婿として認めてもいい・・・・かもな・・・・」
「へえ、じゃああんたは僕の義兄さんになるわけだ」
「・・・・・・やっぱ、認めん。ハルちゃんは・・・絶対に嫁には・・・やらん・・・」
 最後の最後まで、庵は庵だった。握りしめていた手から、力が抜ける。彼の手を、胸の上で組ませ、瞼を閉じさせる。穏やかな顔してやがる。
「お疲れ様。後は、任せてくれ」
 黙祷は数秒。立ち上がり、踵を返す。もう僕が俯くことは無い。


「以上が、あんたの知りたがった庵の死の真相だ」
 客観的事実のみを、僕はミハルに伝えた。僕と庵との会話など個人的なものは言うつもりはないし必要がない。彼女にとって重要なのは庵で、彼が誰のために戦い、誰に殺されたかが気になるところだ。
 僕にとっては一年にも満たない過去の話だが、彼女にとってみれば十年越しの真相究明だ。横槍を入れることなく大人しく話を聞いている。
「つまりさ、大賀雅史を殺したがったのは僕だけじゃない。庵もそうだったんだよ。で、最後の最後に詰めを誤った。僕の忠告も聞かず、僕の到着を待たずに大賀に詰め寄り、自首を勧めた。で、当然その話を聞くはずのない大賀は庵を殺し、証拠隠滅を図った。途中で僕が殺したが」
 社会的抹殺と命の違いはあったけど、僕と庵の目的は同じだった。だから協力関係にあった。
「庵の一番の心配事はあんただ。大賀が牢獄にぶち込まれたり死んだりすれば、お家騒動に巻き込まれる。それを回避するために、あんたが苦労しないように色々と画策してた。だから、今まで何不自由なく暮らせたし誰に妨害されることもなく高校にも行けたろ?」
 彼女が貯金を崩して豪遊しなければ、五十年は何もせずに過ごせるだけの資産を家屋付きで残しておいた。
「あんたが普通に学校を卒業して、就職して、庵は非常に嫌がったが誰か良い人と出会って付きあって結婚して、子どもを産んで育てて、最終的には笑顔で大往生するような、幸福な人生を送ること、それが奴の望みだった。あんたは、それを蹴って今ここにいる」
 それが愚かでなくて何だと言う。
 僕の話をゆっくりと味わいながら咀嚼しているのか、ミハルは全部聞き終えた後もしばらく黙って目を瞑っていた。
 やがて、ぽつりと口を開く。
「私は、とんだ兄不幸者だったわけだ」
 ざまあねえな。とミハルは天を仰いだ。
「あんたのやったことは、全て見当違いの無駄骨だったってわけだ」
 本当にざまあねえので追い打ちをかけてやる。せめてもの腹いせだ。大人げない、とクシナダがため息を吐いた。
「やることが、無くなっちまった」
 突如職を失った働き盛りのサラリーマンのような悲しみを背負い、ミハルは途方に暮れる。
『やることならば、あるぞ』
 ミハルの頭に乗っかったライザが、何をとぼけたことを、とばかりに言った。
「何があるってんだよ。復讐だけで、憎しみだけでここまで来て、こいつを殺す為に元の世界も、兄の思いも全てを捨てたんだよ。それが間違いだって言われて、本当の仇は自分の父親でもう死んでて。事実を認められない自分とどっかで納得してる自分がいて頭ぐちゃぐちゃで、認めない自分に身を任せてこいつを殺すこともできなくて」
 何があるってんだ。泣きそうな顔でミハルが笑った。
 たった一つの目的の為だけに動いてきた人間は、それを達成、もしくは失うと本当に何もなくなる。ポッカリと空洞が出来るのだ。あとは、終わりの見えない無気力に付きあうだけの日々が続く。
 だが、誰かがその空洞を埋めれば話は別だ。
「ここにある」
 ティルが現れた。見れば、後から後から人々が続いていた。シルドの民、ロネスネスの民、亡国の民たち、人種の区別なく集う。
『母上はお忘れか。あなたは以前、そこのティルに向かって全部終わるまで付き合うと言った。またついさっき、囚われていた者たちに向かって生きていて欲しいと言った』
「その通りだ。その約束を反故にする気か」
「・・・そんなもん、知るか」
 拗ねた子どもの様に口を尖らせたミハルに、ティルは歩み寄り

 パァン

 ミハルの横っ面を平手で打った。
「いつかのお返しだ」
「なっ・・・」
 痛みよりも驚きのせいか、ミハルは反撃に移ることは無い。またミハルが殴られたにもかかわらず、ライザが何の反応も示さない。想定済み、ということか。
「本来、女性に手を上げたりするのは本意ではないが、致し方あるまい。我らの御旗がこのありさまでは」
 折れた御旗は、叩くなりして直さねばならんからな、とティルは言う。
「みは・・・た・・・?」
 そうだ。とティルが頷き、片足を一歩退いて、自分の後ろにいた人々を示した。
「ミハル。彼らの姿が見えるか」
「・・・視力は二・〇だ。見えねえわけねえだろ」
「本当に見えているか? 彼らは、お前の言葉によって導かれた者たちだぞ?」
 はっとした顔で、ティルの顔を見返す。ティルの言う『見える』の意味が分かったからだ。
「目的を失った者に生きろと言っておいて、自分はその体たらく、あまりに無責任であり、無様ではないか? 今の姿をお前の兄が見たら、きっと嘆くに違いないぞ」
「そうだろうよ。兄の思いを無駄にしたんだからな!」
「違う。さっきのタケルの話、少し聞かせてもらったが、お前の兄は、お前に何を望んだかを良く思い出せ。幸福な人生を送ってもらうこと、それこそが一番の願いではないのか」
「幸福、だと」
「それが何かは、私にもわからん。お前にしかわからんことだからな。だが、ここで項垂れていても幸福が舞い降りることがないのはわかる」
 すっと、ティルが手を差し伸べた。
「それまでは、一緒に行こう。お前の幸せが何か判明するまでで構わない。もしかしたら元の世界に戻る手段も見つかるかもしれない」
 もう一度あの神に出会えれば可能かもしれないね。
「情けのつもりかよ」
 差し出された手のひらを見つめてミハルが聞くと、いいや、とティルは首を振った。
「いいや、違う。我らも探しているからだ。皆が幸せになれる道を。お前の幸せまでの道も、そこに含めて、皆で探そう。我らはお前に協力する、だからお前も我らに協力する。そういう協力関係だ。それにお前の技量は、むざむざ手放すにはあまりに惜しいからな」
 企業のヘッドハンティングみたいなことを言って、ティルはもう一度彼女を誘う。
「共に生きよう」

青い鳥

 あの後、ミハルはティルの手を取った。まだ完全に納得したわけではないだろうし、気持ちの整理もついてはいないだろう。けど、ここで腐っているよりかはましだということは分かっているらしい。
 まあ、復讐以外のことで自分から選択し、進むことを決めたのだ。庵が思い描いた彼女の未来とは幾分違うだろうが、彼女も子どもじゃない。心配などせずとも勝手に成長し勝手に幸せになるだろう。むしろ僕らのやったことは大きなお世話だったってことだ。
「何だかんだあったけど、最後には上手く纏まってよかったわ」
 出立の準備をするミハルやティルたちを遠くから僕たちは見ていた。すでに他国から居場所を知られ、また先ほどの戦いで街の半分くらいは壊滅状態だ。直すことも不可能ではないが、時間がかかる。それよりは、シルドの隠れ家に手を加えた方が良いと判断したようだ。
 出立は一週間後を予定していた。なぜ今日、明日ではないかというと、なんのことはない、ティルたちはまだ復讐者たちの説得を諦めていないからだ。ロネスネスが壊滅したことを周辺諸国が知るのが三日から四日、そこから軍隊を編成しここに到達するまでが三日と見做し、一週間とした。もちろん想定外の事態を見据えれば、可能な限り早いに越したことはないだろうが。だから、ある程度のめどが付いたら、すでに彼らと共に行く人々は順次シルドの隠れ家に向かう算段となっている。徒労に終わらないことを祈っておく。
「ねえ、どうしてさっきから不機嫌なの?」
 さっきから五月蠅いな。
 僕が不機嫌な理由を知っている癖に、クシナダはあえて聞いてくる。しかも楽しそうに。それがまた苛立ちの原因だ。
「あのなあ」
 半眼で隣にいる彼女を睨む。
「分かってたんだろ、こうなること」
「こうなること、って?」
 すっとぼけてくれる。
「一緒に過ごしていたらミハルが僕を殺せなくなることを、だよ。あんたは、最初っからミハルの人格を見抜いてた」
「見抜いてた、って程じゃないわ。最初に見た時の印象よ。この子、口は悪いけど根は良い子なんじゃないかなって思っただけ」
 ライザもミハルの本質を見抜いていた。蛇神の鋭い感覚を受け継いだ彼女も、そういった人を見抜く力というか、洞察力が鋭くなっているのだ。
「ずいぶんと最初の話と違う結果になったじゃないか。ミハルが僕を殺せるかもしれないから鍛えるために連れて行けば? というようなことを言ってたはずだぞ?」
「言ったわね。多分」
「それでこれだ。何か言いたいことは?」
「計画通りに事が運ぶほど、世の中甘くないってことね」
 ふざけやがって。ぎりぎりと歯ぎしりを噛む僕を、ちょっと優越感に浸った笑みでクシナダは見ていた。
「いつものお返しよ」
「あ?」
「いっつもあなたが謎を解いたり策を練ったりして、あなたばっかり何でもわかってたじゃない。あれ、私としてはのけ者にされてるみたいで面白くなかったのよね。けど、今回でよくわかった。こういう誰も知らないことを自分だけが知ってるって、ちょっと快感よね。癖になりそう」
 嫌な性格が芽生えつつあるな。
 見事に手のひらで踊らされていただけに何も言い返せない僕は、彼女を無視して地図を広げた。さて、次はどこに行くか、と悩んでいたら、赤い印が近づいてくる。距離、およそ百メートル。九十、八十、とどんどん近づいてくる。
「おい」
 顔を上げるとミハルがいた。頭には当たり前のようにライザがいる。ああ、そっか。こいつが赤印の正体か。こんなちっこいトカゲがフルンティング級とは思えないんだが、未来の期待値も含まれているんだろうか。
 ミハルは、微妙に僕から目線を逸らしつつ、何か言おうとしては止まり、言おうとしては口ごもった。そんなことを何度か繰り返して
「行くのかよ」
 その一言を絞り出した。それくらいサッサと言えば良いものを。
「ああ。ここにはもう、用がなくなったからね」
 少量の嫌味を込めて言う。少し前までのミハルなら簡単に突っかかってきたのだが、今は何の反応も見せず「そうかい」とだけ呟いた。それ以降彼女は口を噤み、僕も喋ることがないから地図に目を移した。
「・・・正直、私はまだてめえを許せてない」
 許す必要はないよ。別に、許されたいとは思わないし。庵を見殺しにしたのも事実だ。
「ただ、てめえをぶっ殺すよりも優先しなきゃならないことが出来た。だから、今は見逃してやる」
 そうかよ。ありがとうよ。もう、好きにしろよ。
「だから、今度は全力で戦え。ギタギタのけちょんけちょんにしてやる」
 じゃあな、とっとと失せろ。そう言ってミハルは、再びティルたちのもとへ戻ろうとする。
 楽しみにしてるよ。せいぜい、僕らの用意した未来よりも幸せになりやがれ。
「あ」
 ライザを見て、どうしても気になっていることを思いだしたので呼び止めた。眉根を寄せて面倒くさそうな顔をするミハルを無視し
「ライザ、ちょっといいか」
『・・・何用か』
 どうも警戒されているな。何でだろう?
「一つ聞きたかったんだが、どうしてお前、ティルにはあんな厳しいの?」
 用というほどじゃないが、心残りをあえて言うならライザのティルに対する態度だ。ライザは基本、ミハル以外の人間と絡もうとしない。しかし、それは無視する程度のもので、噛みついたり怒鳴りつけたりすることはまずない。そう言うと、ライザは渋面を作った。
『どうしても、知りたいか?』
「どうしてもって程じゃないが、少し気になってな」
 すると、ライザはミハルの頭から離れ、先に戻っているようにミハルに言った。ライザの珍しい行動に首を傾げながらも、素直に従ってミハルはティルたちのもとへと戻っていった。
『他言無用に願いたいのだが』
 どうやら、ミハルに聞かれては困るらしい。
『最初に母ミハルの器を見抜いたように、我には人の本質、のようなものが見える。そこまではいいか?』
 僕も予想していたことだ。頷いて、先を促す。
『だから、人同士の相性の様なものも、まあ見えてくる』
 話が見えてきたぞ。
「つまり、ティルはライザやミハルにとって、相性が良くない人間ってこと?」
『いや、逆だ。我とは他の人間同様、可もなく不可もない毒にも薬にもならない間柄だが、ミハルとティルの相性が無駄に良過ぎるのだ』
「? というと?」
『下手をすれば、死が二人を分かつまで共に過ごす間柄になれるほど、相性が良い』
 それって、もしや結婚するほど相性が良いってことか?
『そうだ。だが、母はまだ若い。男にうつつを抜かして負抜けてもらっては困る。だから我は出来るだけ奴を母に近付けないようにしている』
 ティルにはせめて、我を認めさせるほどまでは成長してもらう、と鼻息荒く言ってくれるが、僕としてはそれよりもティルが男だったことに驚きだ。そうか、男か。それも気になっていたんだった。どっちかわからないから。そして、ミハルと相性が抜群だと言う。
「はは」
 思わず声に出てしまった。こんな話を聞いてしまったら、まるでライザは庵が遣わした、ミハルに悪い虫を寄せ付けないためのガーディアンに思えてしまうじゃないか。死んでなお妹を守ろうとするなんて、どんだけ重度のシスコンという病にかかったのか。どこかの姉といい勝負だ。
「案外、幸せは近くにありそうだぜ、ハルちゃん」
 次に会うときは、子どもがいるかもしれないな。庵の野郎め、ざまあみろ、だ。

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 後に風の噂で伝え聞く。
 遥か西で大暴れする、少し変わった傭兵団の話だ。
 傭兵団は天駆ける龍とともに現れ、次々と敵軍や魔獣を打ち倒した。
 団を率いるのは一人の女。それがまたえらく強いとのこと。獅子の紋章を背負ったその女は、紋章に相応しい、いや、それ以上の戦いっぷりを発揮していた。
 戦では常に先陣を切って敵を薙ぎ払う一騎当千の活躍で、彼女を一目見るなり歴戦の勇士や戦士が震えあがり、暴虐の限りを尽くして暴れまわっていた魔獣たちが泣きながらこぞって逃げ出す始末。
 その傭兵団が、団員があまりに増加してしまったのを機に、遂には国を興した。
 国の象徴たる国旗には、団長である女の持つ【後ろ足で立つ金獅子】、彼女を補佐し共に駆けた男の理念「家族全てを守る強固な家」を表す【石造りの城】、団の象徴ともいえる強大で美しき【両翼を広げた龍】、そして、傭兵団の行く道を常に切り拓いてきた女が持つ剣、この四つが用いられている。
 その団長の剣のことだが、彼女の活躍と相まってさまざまな謂れがついていく。『王を選定する剣』『正当な統治者の象徴』『民を導き、道を切り拓く刃』などなど。

 エクスカリバー、それが剣の銘だ。

世界の神話・異聞 -道を切り拓く者-

世界の神話・異聞 -道を切り拓く者-

男の前に現れたのは、男に家族を奪われた、元の世界から来た復讐者。男にとっては懐かしい、憎しみと恨みの感情を剣に込めて復讐者が襲い掛かるが、撃退される。 それでも復讐を諦めない相手に、男の同行者である娘はある提案をしてとりなす。「復讐を成し遂げたいのなら、共に旅をして、力や隙を見極めればいい」と。 こうして復讐する者とされる者は共に旅をすることになる。 辿り着いた先にあったのは強力な軍事力を誇る国と、その国に滅ぼされた幸せの残骸だった。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-03-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 連鎖
  2. 旅の道連れ
  3. それが彼女の進む道
  4. 勝者と敗者
  5. 迷った時の道標
  6. 守護龍
  7. 共存の振動数
  8. 真実に事実は含まれるのか
  9. 若さゆえの過ち
  10. 心のゆとりが生み出すもの
  11. 裏切りと交渉
  12. 戦う理由
  13. 彼女たちの才能
  14. 奴は四天王の中でも、というお約束
  15. 謁見
  16. 地図の指し示す先に
  17. マイキャラでエントリー
  18. 人生最良の日
  19. 守る者の戦い、守られる者の義務
  20. 虎の威を狩る者
  21. 思考の迷宮
  22. ブリューナク
  23. これまでという因果の積み重ね
  24. これからという願い
  25. 失望
  26. 謎解きは剣舞の後で
  27. 最大公約数の幸せに個人の幸せが含まれる時
  28. 青い鳥