景色と回想
古びた雑居ビルの屋上に、木島はいた。シャツ、ズボン、コート、スニーカーにはシミや埃などをはじめとした様々な汚れが付着しているが、気にする様子は見せない。
雑居ビルの中には、木島以外の人間はいない。数か月前まではは小さなオフィスやヨガ教室などが入っていたが、今はもぬけの殻だ。
落下防止用のフェンスに手をかけ、木島は目線を上に向けた。状況に似つかず、空は雲一つない青空だった。
比較するかのように、目線を下に向けた。道路全体が、人で埋め尽くされていた。ときどき上に目線を向けながら、混乱を起こし、悲鳴を上げる人々。その中に、甲高いクラクションが混ざる。
木島にはその光景が、あまりに滑稽で、自身が待ち望んでいたものに見えた。それと同時に、この郊外の町にこれほどまでの人間がいたことにも驚いた。
木島はなぜか、九年前に居酒屋で青野と話していたことを思い出していた。
その頃木島と青野は大学生だった。新入生歓迎会で知り合った二人は、たまにこうして二人で飲んでいた。
木島は平凡な、しかしそれなりに幸せな人生を送ると、ぼんやりと根拠もなく考えていた。
家族と揉めて連絡を絶ち、大学を中退し、職が見つからずに貧困に苦しむことなど、想像していなかった。
「お前さ、もし恐竜が文明を築いていたらどうする?」
「は?」
「恐竜は、はるか昔に絶滅した。けどもし、文明を築いていたとしたらどうする?」
「どうするって言われてもな」
「恐竜は知性に目覚め、今の人間たちと同じように独自の制度や技術、そして思想を作り文明を築き上げた。ところが絶滅と同時に、その文明を支えていたあらゆるものが隕石の衝突による衝撃と長い年月により腐敗などで消えてしまった」
「妙な話だが、実際にないとは言い切れないな」
「そうだ。だが、本当にあったとしたらえらいことになるぞ」
「本気で考えるのも馬鹿らしいが、どうやって証明するんだ?」
「それっぽいのならあるぞ。ナスカの地上絵だ」
なぜ恐竜の文明とナスカの地上絵が結びつくのか、何度聞いても木島は理解できなかった。
しかし、青野が大学の研究でナスカの地上絵ばかり調べている理由はなんとなく分かった。
大学中退してからは、青野と連絡はとっていない。
青野はあの人の群れの中にいるのだろうか。もしかしたら、誰もいない場所でナスカの地上絵のようなものを作っているのかもしれない。
木島は地面に向かって唾を吐いた。地面の誰かに当たろうが知ったこっちゃない。
世界は変わるのだ。
恐竜の文明が終わり、人類の文明へと変わるように、劇的に。
そして人類が生きた証など、ほとんど残らないだろう。
まるで他人事のような事実にたどり着き、木島は奇妙な高揚感を味わっていた。
それはつまり、自分の過ちも、苦しみも、全て消してくれるということだからだ。
木島は空を見上げた。先程の青い空は消えていた。パニックの声は大きくなっていくが、木島は全く気にしない。
「おーい! こっちだ、こっち!」
木島は大きく手を振りながら、空から降って来る巨大な物体を迎え入れた。
景色と回想