20151125-さよなら愛しのチキュウヒト
報告書No.Z―351―909―XXX
――初めに――
この宇宙には、幾万、幾億、幾兆、幾京の星がありますが、その中で生命を宿している星は少ないでしょう。さらに、知的生命体が活動している星は、限られた数なのかも知れません。
我々ウチュウヒトは、その知的生命体の活動を見守ってきました。中には優れた思想によって、輝かしい未来が約束された星もありました。しかし一方で、劣った思想によって、環境を破壊し、殺し合いをして、自ら滅びの道へと歩む星があることも、残念ながら事実です。
我々は、そんな星をシュクセイして、あらたに平和な文明の道を歩めるように、手助けをしています。それが、我々ウチュウヒトに与えられた使命なのだから。
しかし、シュクセイする星の中にも、優しい考えを持った者がいます。どういった者であるのかは、一度この手記、チキュウと言う星のひとりの少女の手記を読んでもらいたいと思います。
――手記――
◆1999年9月2日、木曜日。
わたしの名前は中田ミウ。どこにでもいる、ごく普通の高校3年生。17才。
そんなわたしに起こった話を聞いて欲しい。
言っておくが、これは作り話じゃない。本当の話だ。
夜10時。わたしは、寝る前にメールソフトを立ち上げた。だが、どれもみな宣伝のメールだった。
しかし、その中に1通だけ差出人のないメールがあった。件名は『ウチュウヒトからの大事なメッセージです』。
ただの迷惑メールだと思い、削除しようとして右クリックした。
すると、勝手にメールが開いてしまった。驚いたわたしは、思わず読んでしまった。
『我々は、ウチュウの彼方(かなた)からやって来たウチュウヒトです。
1999年9月9日、チキュウヒトは分けあって滅びます。
しかし、我々は、チキュウヒトの限られた個体数を保護することにしました。
そして、あなたは選ばれたのです。
1999年9月8日、○○○に来てください。
きっと、あなたをお救いしましょう。
なお、このことは決して口外しないでください。』
一度読んで、とても信じられる内容ではなかった。きっと、誰かの手の込んだイタズラなのだろうと思い、わたしは気にしないで眠りにつこうと、水槽の金魚にお休みをした。その時だった。
突然、目の前の水槽が消えたのだ! あと形もなく!
驚いたわたしは腰を抜かし尻もちをついた。目をつむりもう一度見ても水槽はなかった。周りを見まわしても見つかりはしなかった。トワと一緒にいったお祭りの夜店で買ってもらった金魚も、あと形もなく消えてしまった。
わたしは、ガクゼンとした。このメールの話は本当なんだ、どうしようと……。
メッセージを受け取ったのは1999年9月2日の深夜0時。予告の日まで1週間しかない。それなのに、メールを開いたのは9月2日の夜10時。もう1日近くたってしまった。
どうにかしなくちゃと、わたしは必死で考えた。なんとかして、彼らの計画を阻止するんだ!
しかし……、さっき消えた水槽のことを考えたら、それはとても危険なことだ。わたしも消されてしまう。これじゃ、誰かに相談することもできない。それに、彼らがどこにいるのかも分からない。とても、彼らの計画を阻止するなんてできない。絶望的だ!
残された道は……。
深呼吸をして落ち着いて、もう一度メールの文面を見てみる。『限られた個体数』と言っている。
もしかして、ウチュウヒト?は少ない人数を生かして、その子孫を繁栄させようと考えてるのかも知れない。もしそうなら助けてほしい。わたしは死ぬのはいやだ。生きたい。生きて子孫を残したい。
でも、恋人の佐々木トワは? 彼が選ばれたって証拠はない。彼を見捨てるのか? いやだ、絶対にいやだ! それに両親は、たぶん選ばれてないだろう。それも見捨てて生き残るのか? いやだ、そんなの!
わたしは一晩中必死で考えていた。しかし、答えは中々出なかった。生きたいのに、恋人や家族を見捨てることができない。それが答えが出ない原因だった。
そして、決して口外してはならないという一文が、一層わたしを悩ませた。誰にも相談できないことが、こんなにつらいものだとは……。
◆1999年9月3日、金曜日。
眠れぬまま朝を迎えた。
6時過ぎ、わたしがぐったりした顔で洗面所に立っていると、母が起きてきた。
「あら、ずいぶん早起きね。なにかあるの?」
「おはよう。昨夜はなんだか眠れなくて……」
声が震える。
「ちゃんとクーラーかけて寝たの?」
「うん」
「そう。あら、顔がまっ青よ。大丈夫?」
母が心配そうに、わたしの顔をのぞく。
「1日くらい寝なくたって大丈夫よ。若いから」
わたしは、作り笑いをして声を張り上げる。
「気をつけなよ。若くたって突然死はあるから。ねえ、今日はお休みしたら?」
わたしの額に手を当て、熱を確かめた。
「いいの?」
どうしよう? お母さん、助けて!
「いいわよ。でも出歩いちゃダメよ。なんのためにお休みするか分からないし、人目もあるからね。分かったわね?」
「うん、ありがとうお母さん」
わたしは、こころの中で悲鳴を上げていた。涙が出そうなのに無理に笑顔を作って洗面所をあとにした。
少しの間ボーっとしたあと、母の呼ぶ声で現実に引きもどされる。時計を見ると、もう7時半だ。わたしは、急いでパジャマを部屋着に着がえ、父と母が待っている食卓テーブルについた。
「せーの、「「いただきまーす」」」
いつものように、父のかけ声と共に全員でいただきます、を言う。このときが家族がそろう唯一の時間だ。わたしの一番好きな時間である。
このとき母が、わたしがお休みをすることを父に話した。
「今日、ミウは眠れなくって体調悪いって言うから、学校お休みさせるからね」
父は、わたしの顔を見て心配そうにこう言った。
「そうか、ミウは眠れなかったのか。あんまり無理をするんじゃないよ。これから少しでも目をつむっておいた方がいいよ。そうだ、ミウ。帰りにケーキでも買ってこようか?」
「わあ、ありがとう。わたしはイチゴのショートケーキとモンブラン、それにシュークリームね」
お父さん、お父さん! こころの中では必死に叫んでいるのに、わたしは不自然なくらい陽気にケーキのさいそくした。頭がもうろうとする。
「どうせなら、あと1、2品適当に足してケーキパーティーにしようか? ねえ、母さん」
「まあ、あなたったら珍しくミウに甘いわね。小言の一つでも言われると思ったのに。ふふふ」
「まあ、たまにはいいじゃないか。これくらいハメ外したって。なあ、ミウ?」
「うん、……」
つらい。なにも言えないことが。わたしは、ふたりにさとられないように必死で笑顔を作った。
もしわたしが、なにを悩んでいるか知ったら、ふたりはどう言うだろう? きっと、お前だけは助かりなさいと言うに決まっている。
しかし、なにも言わず自分ひとりが助かったとして、両親はわたしを許してくれても、わたしは自分を許せるのか?
いや、許せない! 許せる分けはない! きっと、自分を一生呪うだろう!
……。なんだ、答えは出ているじゃない。急にこころが楽になった。
わたしも一緒に滅ぼう!
そのとたん、わたしは耐えきれずに大声で泣き出してしまった。びっくりした母は、わたしの肩を抱きしめ頭をなでててくれて、子供をあやすように肩をポンポンと叩き続けた。よし、よしと言って。
ごめんね。お母さんたちを見捨てようかと迷っていたなんて。これからは、最後のときまで親孝行するね。そう、こころの中で誓った。
ようやく落ち着いて朝食の続きをとり、自分の部屋にもどった。わたしはゆっくりと睡眠をとろうと思い、ベッドにもぐり込んだ。
しかし、胸がズキッと痛んで、すぐに目覚めてしまった。そのときわたしは、あることがトゲのようにこころに刺さっていたことに気づく。それはわたしが犯した罪のことだ。
6年前の小6のとき、わたしはたった一度だけマンビキをした。
その日は、すべてにおいて最悪な日だった。先生には、つまらないことで疑いをかけられ、疑いは晴れたが謝りもしてくれなかった。おまけにその日、初潮がきて朝から身体がつらかった。なぜ女だけがこんな苦しみを味わうのか。そして、出産はそれのなん十倍もつらいと聞く。神様はひどく不公平だ。
だからと言ってわたしは、自分の犯した罪を許すことはできなかった。家に帰って死ぬほど後悔した。そして、こころにずっと負い目を感じていた。
だから最後のときを知った今、悔いのないように謝りに行くことを決めた。そう、こころのトゲを取るために。
母が買い物に出かけると、わたしは家を抜け出して目的地へ向かった。路地を抜けて、表通りを行くと、その店はあった。
着いた、この本屋だ。深呼吸をする。息が震える。これからすることを考えると思わず涙がにじむ。だが、これを避けては通れない。
まず他に客がいないことを確認する。大丈夫だ。やはり、この時間は客がいない。
もう一度深呼吸すると、引き戸を開けて店内に入り、おじさんの前に歩いて行った。ああ、心臓がキリキリ痛い。
わたしは、いきなりドゲザをして謝った。
「すみません! 6年前、マンビキをしました。本当に申し訳ありませんでした!」
わたしは地べたに頭をこすりつけて、必死になってこころから謝った。涙がほおをつたう。
おじさんは突然のことに、くわえていたタバコを落とした。
「6年前? これまた昔のことだね。一体どうして謝りに来たんだい? その訳を教えてほしいね」
わたしは、ずっと後悔していたこと、そしてある切っかけでこの世に悔いを残さないと決めたと言った。
すると、おじさんは急に心配そうに言った。
「え? この世に悔いを残さない? ちょ、ちょっと待ってよ」
そこでわたしは、はっと気づく。しまった。これじゃまるで死ぬみたいじゃないか。わたしは、あわてて言い直した。
「すみません。言いまちがいです。ただただ苦しいんです。罪悪感で」
そのあと、おじさんはちょっと考え込んでいたが、言いづらそうに口を開いた。
「止めてくれよ。自殺なんて……。俺が眠れなくなっちゃうよ……。お願いだから死なないでくれよ」
おじさんは、つらそうにそう言った。
「そんな、自殺なんてしません。信じてください」
「ああーよかった。そう言ってもらえておじさんほっとしたよ。それから、もう分かったからドゲザは止めておくれ。許すから」
よかった。許してもらえたようだ。これで、肩の荷がおりた。わたしは、おじさんの言葉に安心して再び涙を流し、おじさんに困らせた。
ようやく涙がやんで、おじさんに本代と、わずかばかりの、わび賃を支払った。最後におじさんは、わたしをはげますように言った。
「大丈夫だよ。君の勇気はちゃんと受け取ったから、前を向いて生きて行きなさいよ!」
なんてステキな言葉だろう。わたしは深く礼をして本屋をあとにした。
無事におわびもすんで、わたしはすがすがしい気持ちで帰りの道を歩いていた。
だがそのとき、突然変なことを考えてしまった。あと、1週間足らずでこの世界が終わってしまうことを知ったら、あのおじさんは、わたしをどうしただろう? 足が止まった。……。想像しただけでゾッとした。
ああ、決して口外してはならない理由とはこう言う意味もあったんだ。気をつけようと思った。
家にもどり、大好きな紅茶をひとくち飲み込んで、ほっと一息ついた。
なんにせよ、これでこころのトゲは取れた。あとは、遠くへ引っ越した親友のヤスコに会いに行くことと、彼と愛し合うことだ。わたしの中では、彼女は彼と同じくらい大事な幼なじみ、親友だった。最後の土曜日と日曜。この二日間にふたりに会おう、そう決めた。
その晩、お父さんは早く帰って来た。そして、お母さんとわたしに、おみやげをかざして得意げだった。
「わー、本当に買ってきてくれたんだ。ありがとう、お父さん!」
「当たり前じゃないか。今夜は夕食抜きでケーキパーティーだからな!」
「ケーキ。待っていたわよ。今朝、ああ言っていたから、ごはん用意してないし」
「ほれ、この通りちゃんと買って来たさ」
「ふふふ。それじゃ、わたしは飲み物、入れるわね」
母はひさびさのケーキに、機嫌よくティーカップふたつとマグカップを戸棚から出した。
「ああ、おいしく入れてくれよ」
と言って、お父さんはニコニコして、ケーキの箱を開けた。どうぞ、と言うお父さんにうながされ、わたしはお目当てのショートケーキ、モンブラン、シュークリーム、それからロールケーキを取り分けた。
お母さんとわたしは紅茶を、そしてお父さんはコーヒーを飲んでケーキを味わう。おいしいなー、と言う父の声がよりいっそう、わたしたちを笑顔にした。わたしは、幸せと共に最後のケーキを味わった。
ケーキパーティーも終わり風呂へ入ったあと、わたしは自分の部屋に入り携帯電話をかけた。まずは、高田ヤスコ。彼女は元気な声と共に電話に出た。ひさしぶりの訪問の約束にお互いテンションが上がった。それじゃ、バイバイ、と言って電話を切った。よし、これでまずは休日一日目は埋まった。
それから、深呼吸をして佐々木トワに電話をかけた。
「もしもし?」
「はい。トワだけど。ミウ? どうしたんだい。めずらしいね。君から電話なんて」
相変わらずの明るい声に、わたしは確信した。トワはメッセージを受け取ってはいないと。予想どおりだと。わたしはそのことを冷静に受け止めた。
「トワ。あのね、今度の日曜日、1日時間を空けてほしいの。お願い」
わたしは必死だった。日曜日に会えなければ、ふたりはもう二度と会うこともできずにこのまま消滅してしまうのだ。神様、お願いします。そう、こころの中で祈った。
「分かった。どうにかして空けるよ。そうだなー、朝早いけど9時でいい?」
わたしは、ほっとして返事をした。
「うん。ありがとう」
「それで、悪いんだけど夕方6時に仕事が入っててさ。9時から6時の間でいい?」
「うん、大丈夫。ありがとうね」
わたしたちは、それじゃ日曜日、と言って電話をきった。よし、これで日曜日も埋まった。
その瞬間、静けさが部屋を満たす。時計の音だけがカチコチと響く。わたしが、そっとドアを開けると、一階から両親の笑い声が響いてきた。思わずほっとする。大丈夫、まだ時間はたっぷりある。
それから窓を開け、お月さまをながめた。満月だった。きっと、わたしたちがいなくなっても、月は変わらずに闇夜を照らすのだと思い、しばらくの間お月さまと語り合った。あとわずかのお月見だ。最後に目に焼きつけた。
この夜。わたしはぐっすり眠った。もはや、わたしの胸は痛まなかった。6年ぶりに、よく眠れた。
◆1999年9月4日、土曜日。
天気は曇りだった。
どこへ行くの、と心配するお母さんを、なんとかなだめて家を出た。そして、わたしは電車に乗り3時間ばかりの遠出をした。高田ヤスコとは4年ぶりの再会だ。どんな風に変わっているだろうか、想像するだけでドキドキする。
その友人は中学1年の終わりに引っ越していった。わたしたちは泣いて別れを惜しんだ。だって、幼稚園のときから家が隣同士で仲がよかった。もちろんケンカもいっぱいしたけど、飼っていた犬が死んだときには一緒に泣いてくれた。一生近くにいるものだと思っていた。それが突然お別れを言われたのだ。泣かずにはいられなかった。
さあ、電車を降りたら、もう近くだ。もうすぐ会える。わたしは手紙に書いてある住所へ急いだ。
高田の表札を探し当て、息を整えチャイムを鳴らした。
「はーい。どなた?」
「ミウです。中田ミウでーす」
はやる気持ちを、おさえ言った。胸がドキドキする。
「待ってたよー、ミウー」
明るい声がしてドアが開いた。
「ヤスコー」
「ミウー。会いたかった」
ハグをして涙で再会を喜んだ。
それからわたしは、ヤスコのお母さんにあいさつをして、彼女の部屋で手を取り合って話した。
「どうしてた? わたしはあれからこっちへ来てさびしかったんだからね。電話も3回きりしか、かけてくれなかったし」
ヤスコはちょっと怒り顔でそう言った。
「あのころは受験勉強が忙しくなって……。ごめん。それは言いわけね。でもね、本当に会いたかったんだよ」
電車で3時間は中学1年では果てしない距離に思えたのに、高校3年生になったらそれほど遠い距離には感じなかった。なぜ、もっと早くに会いに来なかったんだろうと、わたしは後悔した。
「うんうん、分かる。わたしもあれからなにかと忙しかったし。それより、あなた恋人ができたでしょ? 髪型が変わったのを見ればわかるわ」
「そう、ショートで前髪をそろえたの。似合うでしょ? 彼のお気に入りよ。そんなことより、あなた。全然変わってない」
「もう。わたしのことは放っておいて。それよりも、うらやましい。ねえ、お相手はなん才? きっと大人でしょ?」
「よく分かったわね。25歳の公認会計士よ」
「まあ、国家資格? すごいわね。で、どうやって出会ったの?」
「それがねー、バス停で彼が柱にぶつかったの。ほんと、大きな音でね。本を読んでて気がつかなかったんだって。バカね、フフフ」
話はつきなかった。わたしは彼のバカ話を、彼女は最近気になっている男性の話をえんえんとした。途中で彼女のお母さんが話に加わった。彼女の両親は恋愛結婚だと言うのだが、それも告白したのはなんとお母さんだったと言うのだ。だからいまだにアツアツなんだと笑って話してくれた。
わたしと同じだと思った。あの日、大声で笑ったあと、彼に声をかけたのは、このわたしだった。
*
ゴーン! 「あいてててて」
「あはははは」
「ひどいな。ひとの不幸を笑うなんて。フフフフ」
「ごめんねー。でもおかしくって。ねえ、大丈夫? ずいぶん大きな音がしたから」
「大きなコブができたよ。おーいて」
「傷バンだったらあるけど、コブだからね。どれ、見せて。エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり! これで大丈夫」
「悪魔を召還(しょうかん)してどうすんだ? げらげらげらげら」
「ホントだ。あははははは」
お腹をかかえて笑った。あかの他人とだ。わたしは、ときめいていた。スーツをオシャレに着て、笑顔がステキだったから。でも、このまま名前も聞かずに別れるのか? すごくさびしい。わたしは、意を決して名前だけでも聞くことにした。
「「……あの」」
声が同調した。
「「ハモった!」」
またしても。
「「あははは」」
再び、ふたりでひとしきり笑ったあとで、自己紹介をした。
「僕は佐々木トワ。よろしく」
「中田ミウです。こちらこそよろしく」
それから携帯の番号をやり取りした。わたしは、うれしくって顔がほてっているのが分かる。なんてダイタンなわたし。それでも、わたしのこころは訴えてる。この人と、お付き合いしたいと。そのこころの命令にしたがって、わたしは行動したのだ。
男の人に声をかけたのは、あとにも先にもこのとき一度きりだ。そう、ごく自然に。
そのときから予感はあった。この人はわたしの大切な人になると。
*
「ちょっと、ミウ。なに考えてるの?」
「あ、ごめん。ちょっとね」
わたしは、顔がニヤケていたかも知れない。すると、ヤスコはわたしの顔を真正面からながめて、声を大きくして言った。
「あー、こいつめ。さては、彼氏のことを考えていたなー、このー」
ヤスコはそう言ってわたしの頭をヘッドロックした。
わたしは、たまらず悲鳴を上げた。
「あいたたたー!」
「あはははは!」
ヤスコとバカやるのも今日が最後なのね。そう思うと涙が出そうになる。わたしは、涙を振り払うようにヤスコにお返しをした。すると、「こら、なにやっているのよ」と再びヤスコのお母さんが顔を見せる。「まったく、この子たちは」と、ヤスコのお母さんは、あきれ顔をして大声で笑った。わたしたちふたりも顔を見合わせ笑った。
こんなふうに、ヤスコとの再会の時間はあっという間に過ぎて、もう晩の6時になった。わたしは、もうそろそろおいとましようと、ヤスコのお母さんにあいさつをしに行った。
「ヤスコのお母さん。どうも、お騒がせしました」
「あら、帰っちゃうの? ねえ、食べていきなさいよ」
「いいえ。ぐー……あっ!」
わたしの意思に反して、お腹は正直だった。
「あははは。もうすぐできるから座って待ってなさいね」
「そうだよ。遠慮することないって言ったじゃん」
「えへへへ。それじゃ、ごちそうになります」
わたしは、食卓テーブルに着いて、ヤスコとの会話を再開する。いくら話しても話題はつきなかった。
「さあ、できたわよ」
「わーおいしそう」
見ると、メニューはあのころよく、ごちそうになったハンバーグだ。肉汁がたっぷりと閉じ込められていて、かくし味のチーズが食欲をそそる。わたしは、これにタルタルソースをかけていただくのが大好きだ。
「いただきます」を言って、さっそくひとくちほお張ってわたしは目を丸くした。
「ん! やっぱりおいしい!」のわたしの言葉に、ヤスコのお母さんは気をよくして、
「もっとあるわよ。たくさん食べなさいね」って笑って言ってくれた。
わたしは、ありがたくお代わりをいただいた。もう体重も気にする必要はない。思う存分食べるわ、とわたしはこころの中で思って、おいしいハンバーグをほお張った。
楽しい食事の時間も終り、わたしはヤスコのお母さんに最後のお礼を言った。
「どうも、ごちそうさまでした」
さようなら、ヤスコのお母さん。今までお世話になりました。そう、こころの中で感謝した。
「また、いつでも来なさいよ。待ってるから」
「あーお母さん、ずるーい! わたしのミウなのに」
「あはははは」
「それじゃ、ヤスコ。またね」
またはないのに。胸の奥がズキッと痛む。
「今度は、わたしの方から行くね」
今度はないのよ。不意に涙がこぼれ落ちる。
「あらまあ、こんじょうの別れでもないのに。よしよし」
ヤスコのお母さんに肩を抱かれ涙するわたし。
「ミウ」
ヤスコも、もらい泣きをする。
ごめんね、本当のことが言えなくて。けれど、今日ここへ来たことは忘れないよ。さようなら、大好きなヤスコ。さようなら、ヤスコのお母さん。ふたりとも、最後までよくしてくれてありがとう。
駅まで送るねって言うヤスコに、大丈夫だからって言って家をあとにした。駅まで歩いて15分足らずの距離。わたしは急いで電車に飛び乗った。電車に乗ってからも不意に涙が出る。わたしは上を向いて目をつむり、その涙を手でぬぐった。
時計はすでに8時過ぎ。家に着くのは11時ごろになる。わたしはもう一度涙をふいて、携帯で帰りが遅くなると母に告げた。すると急にまぶたが重たくなってきた。今日はたくさん笑って、そして泣いたからかも知れない。わたしは、いつの間にかウトウトしてしまった。危うく乗り過ごすところだった。
◆1999年9月5日、日曜日。
天候は晴れだった。
最後のときが、こくいっこくと迫ってきた。わたしは、朝早くトワのアパートへ向かった。今日がトワと会える最後の休日だ。1分たりともムダにできない。わたしは、9時ちょうどにアパートに着くように急いだ。見えてきた。あの棟の2階の一番手前だ。
玄関の前に立ち、身だしなみを整えてチャイムを鳴らすと、彼は笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい。どうぞ」
の声に緊張した声で答えるわたし。決意して居間に立った。
「ミウ、よく来たね。さあ、どうぞ」
「うん……」
そう返事をしても、わたしは座らなかった。決心がにぶるようで。
「それで話って?」
トワはいつもの笑顔でそう言った。
「うん……。あのね、今日はお願いがあるの」
わたしの心臓は爆発しそうだった。顔もきっとまっ赤だろう。握りしめた手が震える。
「なんだい、言ってごらん?」
トワも立ち上がってわたしに聞いた。ああ、この優しい表情が好きだ。なんでも話したくなる。そんな人だ。
「トワ! わたしを抱いて! お願い!」
わたしは、目を固くつむって声をはりあげた。
「な、なに言ってるんだよ。高校卒業するまで待っててって言ったのに……。まさか、あのメッセージを受け取ったんじゃ?」
「え? メッセージって、……あの滅びの!」
わたしたちは、びっくりして顔を見合わせた。
「そうか、君も受け取ったんだね……。でも行かないつもりだね、君は」
「だって、両親や友達を見捨てて、自分だけが助かるなんて……、できない」
「僕もだよ」
最後のときを知っても、彼は変わらずにいてくれて、ほっとした。やっぱりわたしの愛した人だ。
でも、ふたりに残された時間は少ない。わたしの言った意味を理解したトワは小さくうなずくと、「おいで」と言って、わたしの手を取りベッドへ導いてくれた。そしてふたりは愛し合った。お互いの命をむさぼるように激しくどんよくに、そして涙を流してふたりは愛し合った。
ふたりの愛のつむぎが終わり、わたしはぐっすりと眠るトワの頭をかかえ満足していた。やっぱり無理してたんだね。ごめんね、わがまま言って。でも、わたしは幸せだよ、つかの間でも。
これで、わたしの望みがすべてかなった。処女のまま滅ぶだなんて、そんなことにならなくてよかった。あと、子供を産むことがあったけれど、それは間に合わないことだ。それにすぐに滅んでしまうなんて、かわいそうだから、それはいい。だから、もう思い残すことはない。身もこころも満足した。
トワは夕方目を覚まし、急いでシャワーを浴び仕事に出かけた。「もしも万が一、あのメッセージがウソだったらまずいだろ。それじゃ、木曜日に」、そう笑って出かけた。わたしも、そのあとシャワーを浴びながらトワの言ってたことを考えていた。
トワの言うことは確かにそうだが、わたしは見てしまった。突然、わたしの目の前の金魚が水槽ごと消えてしまったのを。トワからもらった金魚なのに。だから、もう疑いようがない。
きっと、彼らは時間をも支配する力を持っているのだろう。その力で、彼らは我々チキュウヒトを滅ぼそうとしているんだ。それは我々が、彼らにとって許しがたい滅ぶべきことをした、またはこれからするからのだろう。それ以外に考えられない。
――シュクセイ――。この言葉が当てはまるかは分からないが、彼らはこの文明社会のコンセキを、地表からすべて残さずに消し去るのだろう。その期限が1999年9月9日なのだ。悲しいけれど、それが我々の運命なのだろう。
だからといって、わたしたちはアダムとイブになる気はない。なにもない荒野でトワとふたりで生きていくなんてできない。朝、目覚ましで起きて、朝食はパンを食べ、バスに乗って学校へ行く。そんな日常の朝を迎えられないと生きていけない。きっとトワもそうだろう。両親や友達を見捨てることができない? それは言い分けだ。結局、文明社会が恋しいのだ、わたしたちは!
消滅を選択させてくれた彼らの優しさに、感謝した。
風呂から上がり身体をふいていると、ふと気がついた。やけに背が高い帽子かけケン洋服かけがなくなっているのを。クローゼットの側にあった、彼のお気に入りの帽子かけなのに……。
「プ、あはははは」
彼にも、わたしの水槽みたいに、なくなったのもがあったのね。それがあの帽子かけなんて。あー、おかしい。そうすると、さっき言ってた『もしも万が一、あのメッセージがウソだったらまずいだろ』ってのは、彼の勤勉さをかくすためのテレカクシか。そうか、彼らしいと思った。
わたしはお腹をかかえて笑ったあとで、身なりを整えトワの入れてくれたコーヒーを飲んだ。そして、トワが今日くれた合カギを大切に持って、彼のアパートをあとにした。
これで、わたしにできることは、すべてやった。マンビキのおわび。大好きな高田ヤスコに会いに行くこと。そして、トワにわたしの処女を捧げること。すべて、無事にすんだ。わたしは、破瓜(はか)の痛みをここちよく感じ、深い眠りについた。
◆1999年9月6日、月曜日。
今日も、いつものように朝がやって来た。太陽がまぶしい。わたしは手をかざして言った。
「お母さん、行ってきまーす」
元気に玄関を出ると、家の前で待つ友人に笑顔であいさつをした。
「お待たせ、エミ。おはよう」
「おはようミウ。ねえ昨日の爆笑×××見た?」
「ううん。昨日は一日お出かけしていたから」
「えーすごかったのに。△△△がおかしくさー。それでさー」
エミの楽しい会話も、あと三日足らずで終わりになるのか。でも、天国へ行っても相変わらずしゃべり続ける友達を思い浮かべ、思わず笑みがこぼれる。そのわたしの表情を目ざとく見つけたエミは、周りに聞こえるような声で言った。
「どうしたのー? あー、さては恋人とのエッチでも思い出していたんでしょう? 焼けるねー」
わたしは、あわてて口にひとさし指をあてヒソヒソ声で話した。
「しー、大きな声で話さないでよ」
エミもヒソヒソ声で、興味しんしんで聞いてきた。
「え、本当に? わりー。で、どうだった?」
「それはもう……、うふふふ。ヒミツ」
「あー、ズルーイ!」
「あははは」
校門へ入りあたりを見まわす。このデコボコな校庭も、あのヤケに目立っているトーテンポールも、この古い校舎も消えてなくなるんだ。そう思うと急にさびしさがこみあげてきた。エミが「なにやってるの」と言って待っている。わたしは、「待って」とあとを追いかけて、エミと腕を組んで校舎へ入って行った。
できたら痛くないように死にたい。ただ消える。それがわたしの最後の願いだった。そして、みんなも痛くないように死なせてと、祈るのだった。
この日、わたしは初めて晩ごはんの手伝いをした。「めずらしいわね。どうしたの?」と言う母の言葉に、わたしは「たまには、お手伝いしないとね」と言うあいまいな言葉を笑顔で返した。
わたしは大したことはできなかったけれど、母はとてもうれしそうだった。もっと前からこうしていればよかったと思った。自分で作ったおみそ汁はちょっと薄かったけれど、初めてにしてはよくできたと母はほめてくれた。
ごめん。いくらほめてくれたって、あと三日足らずで親孝行はできなくなるの。ごめん。今までろくに手伝わなくて。ごめんなさい。こんな娘で。
◆1999年9月7日、火曜日。
今日も一日なにも変わらず、その一日が終わった。
あと二日。それがわたしたちチキュウヒトに残された時間だ。それにも関わらず、もう思い残すことがない。いっそ、早く殺して! その言葉が頭の中をかけめぐる。きっと、死刑を待つ囚人の気持ちとは、こういうものなのだろう。胸がくるしい。
だが、それもトワが一緒にいてくれたら、安らかに死を迎えられるような気がする。それほど、わたしはトワを愛してしまったのかと、今さらながら気づく。彼と会えない日が、こんなにつらいとは。彼の勤勉さが恨めしい。そう思いながら、わたしはいつしか眠りにつく。
◆1999年9月8日、水曜日。
今日はウチュウヒトがわたしたちを救ってくれる、その日だ。
わたしとトワは共に滅びましょうと約束した。だが、ここに来てまでもわたしは心配してしまった。まさか、トワはわたしを裏切って救いを求めたりはしないよね、と。
それでも、わたしは彼を信じるしかなかった。その日は怖くて携帯をかけられなかった。
◆1999年9月9日、木曜日。
とうとう約束の日が来た。
空は朝からどんより曇っていて雨を予感させるものだった。最後のときに、ふさわしい天候だと思った。
家を出るとき、わたしはお母さんに思わず抱きついて「ありがとう」と言った。お母さんは心配そうな顔をして「どうしたの?」と聞いてきた。わたしは、「外国式のあいさつよ」と言ってごまかして、お父さんにも同じく抱きついて「ありがとう」と言った。そして、笑顔で家を出て走った。
本当は「今までありがとう」と言いたかったのだけれど、まるで嫁に行くときのあいさつだと思って「今まで」は抜いた。これが最後のお別れだと思い、わたしは走りながら泣いた。サラリーマンが心配そうに見た。それでもわたしは走り続けた。涙がやむまで走り続けた。
わたしはそれから学校への道を行かずに、最後のときをトワと過ごすために彼のアパートへ向かった。
入口のチャイムのボタンを少しためらいながら押すと、扉が開いた。思わずほっとする。わたしは、トワが今日ここにいてくれたことを、こころの底から喜んで抱きついた。「よかった。いてくれて」と言って。そして、最後まで彼を疑ったことを謝った。
しかし、それはトワも同じだった。彼は、もしわたしが直前になって裏切っても仕方のないこと、当然のことと考えていたらしい。それが普通の人間の思考だ。本能で助かる道を選んでしまう方が人間らしい。そう思ったそうだ。そして、今日わたしが来たことに、正直驚いたらしい。
わたしは、あらためて彼のこころの広さを知って、わたしには過ぎた人だと思った。だが、それは口に出さずに、最後のときを迎えよう。彼の考えが変わって、しまった行けばよかった、と思ってしまわないように。そう、彼が後悔しないように。
わたしたちは、お互いに見つめ合い、どちらかともなく最後のセックスをした。それは、この前とはだいぶ違う趣(おもむき)で、いつくしむような、惜しむような、そんなセックスだった。
ふと外を見ると、目の前のビルが音もなく消えた。
「始まった」
トワはやっぱり、と言う落胆の表情でわたしに知らせる。
「ええ、そうね」
わたしはそれを静かに受け止めた。そして、わたしたちは手を強く握りしめ寄りそい、裸でベランダに立って最後のときを見守った。そのとき、雨が降ってきた。まるでわたしたちの運命を悲しむように。
次に消えたのは駅と線路だった。ま新しいマンションが、5階建ての古いビルが、思い出深い小学校が、ふたりで行くはずだった市役所が、多くの建物が音もなく消えた。
……そしてミウとトワのいたアパートも、いつしか消えていた。
すべての人工物がなくなって、その跡には原っぱだけが残った。チキュウヒトの歩みが一瞬で無に帰した。雨の中、ただタンポポの花がいちりん咲いていた。
――終わりに――
この手記により、星のシュクセイの再考を要求します。我々がシュクセイするのではなく、優しい考えを持った者がその星のヒトたちを導いて行けるように、我々ウチュウヒトが手助けをすることを提案します。そしてできれば時間を操作して、チキュウヒトの復元を願います。
以上で、報告を終わりますが最後に、この少女に寄せられた言葉をのせたいと思います。
このチキュウヒトの少女の話は、我々ウチュウヒトの間に長い間語り継がれるでしょう。
さよなら愛しのチキュウヒト
さよなら愛しの恋人たち
(終わり)
20151125-さよなら愛しのチキュウヒト