高校生にまつわる話

とどまる

 放課後、誰もいない廊下は電灯に照らされそれでも薄暗く、ますます僕の気持ちを落ち込ませた。
 静かすぎる校舎には遠くから聞こえる運動部の掛け声だけが反響して、薄汚れた白い壁はどんどん現実味を無くしていく。
「必ず挨拶!」と毛筆で書かれた仰々しい張り紙を無視して職員室の重いドアを静かに開けると、フッティが待っていた。「お」とだけ言って僕に椅子を勧める。
「何の話かわかってると思うけど…」書類を出しながら言うフッティは僕と目も合わそうとしない。
「お前、このままだったら、卒業ヤバイぞ」
 わかっていたことだけれど、一応「マジすか」と言ってみる。驚いて見えるように、口を開けて小首を傾げてみる。これで驚いているように見えるのかはわからないけど。
「高校で留年て、なかなかおらんぞ。しかも、こんな普通の公立で」
「じゃあ、どうしたらイイすか」
「どうしたらイイすか、て」フッティが僕の目を見た。職員室に入って始めてだ。2年生になって始めてか、もしかすると人生で始めてかもしれない。
「勉強するしかないやろな」
「うっす」
「うっす、て。ほんまにわかっとんのかいな」
「ハイ」
「お前は、成績以外は問題ないんやから」
 そう言うフッティは、イマドキの高校生がお前呼ばわりされるとイライラすることを知らない。もう定年もまぢかな年の先生だもんなあ、と思うと、なんだか可哀想に思えてくる。フッティは、仕事を辞めたあと何をするんだろう。
「藤崎先生は、仕事辞めたら何するんすか」
「何でそんなこと聞く」
 先生は少し驚いたように顔をあげた。質問に質問で返しちゃいけないんですよ、なんて言える度胸もなかったため、ただ「ウス」とだけ言って誤魔化した。
「とにかくやな」
 フッティが言う。僕はボチボチ締めかな、と少し肩の力を抜く。
「ちゃんと真面目に勉強をして、そうでないと、お前留年ももちろんやけど受験とかどうするんや」
「どうしましょう」
「俺に言われてもなあ」
「ウス」
「適当な大学行ったかて、金の無駄やからな」
「ウス」
「ウス、て。ほんまにちゃんと聞いてんのか」
「ハイ」
「もうええわ。とりあえず、そういうことやから。気引き締めろよ」
「ウス」
「じゃ」
「ありがとうございました」
 なんとなく頭を下げて、僕は職員室を出た。
「それでどないしたん」
「どないも何も、ちょっとお小言くらって終わりや。勉強せえ、勉強せえって」
 職員室を出ていつもの溜まり場に向かうと、友達が待っていた。職員室に呼び出された話を聞かれたので、僕はそう答えた。
「お決まりのやっちゃな」
「言われんでもわかってることばっかり言いよるな、ほんまフッティは」
 僕は両手をあげて、参ったぜ、のポーズをとる。参ったぜ、正しいことしか言わないんだから、と心の中でつぶやく。
 先生の言う通りなんてカッコ悪いことができない僕らは、こうしてドンドン馬鹿な方へ馬鹿な方へと転がっていく。でも大丈夫、みんな一緒なんだから。そう考えると胸の奥のモヤモヤが掻き消されるようで、ぼくは友達の繰り出す話題に手を叩いて笑うことができた。

暗いたまり場

 流魂街、とぼくたちの集う廊下の端にある水飲み場に併設されたベンチ付きの踊り場を名づけたのは、誰が最初だろう。ぼくは知らない。普段ぼくと会話もしないイケてる誰かがそう呼び始めたんだろうことは想像がつくけれど、特定の苗字までは、ぼくの耳には入らない。
 流魂街で、ぼくは今日もお昼ご飯を食べている。母がつくって持たせてくれる、二段重ねの弁当箱。一段にはご飯が、もう一段には味の濃いおかずがぎっちり詰まっていて、それは食べ盛りの息子を気遣った母のやさしさなのだけど、ぼくにはすこし重すぎる。授業中は居眠りをして、短い休憩時間は眠ったフリをして、長い昼休みは流魂街で好きでもない人たちと特に会話もしないまま昼食を摂る。それがぼくの高校生活の全てだ。お腹が減るようなことは何もしていない。学校が終わればすぐ帰宅して、夕食に呼ばれるまではネットサーフィンばかりしているから、ぼくは自宅での晩御飯も残しがちだった。動かなすぎて、並の高校生と同じ量を食べていたら、エネルギー摂取過多なのである。
 弁当の中身をなんとか片づけたら、気まずい時間が待っている。流魂街の住人はそろいもそろって陰鬱な顔をした奴らばかりだから、会話の弾みようもない。暗いタイプは暗いタイプ同士、仲良くなるのだろうという想像は間違っている。コミュニケーションの上手な、明るい人とも上手に話せないのに、同類同士では会話を牽引する人がいないから、どうにもならない。どうしたって場は沈む。窮屈な空気が流れる。居心地が悪い。はやく抜け出して、自分の席で文庫本でも読んでいたい、と思う。だけど、それはできない。教室にはぼくを傷つける奴らがわんさかいる。孤独に過ごすことは罪だと思っている、私刑の上手な、イケてる奴らが、今日も嬌声をあげながら騒いでいるはずだ。
 ここにいるみんな、ただ教室にいたくないがために流魂街へ来ているのだろう、とぼくは考えている。
 一年生のとき、教室でひとりで弁当を食べていたら、ふりかけだよ、と、ご飯の上に消しカスをばらまかれた。ぼくは何も言い返せなかった。ただ、顔を赤くして、黙っていた。心のなかでは怒りと恥ずかしさが同居していて、恥ずかしさが圧倒的に優勢だった。恥はなぜか申し訳なさに変わって、ぼくに消しカスだらけの弁当をたいらげさせた。まわりがはやしたてるなか、お腹を壊したぼくは5時間目の授業の途中で席を立ち、そのまま家に帰った。あのときはもう一度登校するまでに、2週間かかった。もうあのときのような気持ちは味わいたくない。惨めになるほど、自分に自信が持てなくなって、学校の外でも生きているのがつまらなくなるのがわかる。どんなにつまらないところでも、居場所がないよりマシだ。だからぼくは、気まずい沈黙を今日もジッと耐えて、ここにいる。話題を探しているような顔をつくって、だけど本当は自分から口火を切るつもりもないまま、座っている。
「なあ、昨日のドラマ、見た?」
 沈黙を破ったのは、田中だった。三組のお調子者。それでいて、チビでダサくてブサイクだから、イケてるグループには入れない。人間関係を頑張る気質のせいで、はなからそういうものを諦めているぼくよりもむしろ可愛そうに見える、道化。今日、はじめて、流魂街での暗い昼食会に参加した。大きすぎる鼻の穴をさらに膨らませながら、田中は言った。
「加藤ユリアよ。見た?見た?なあ、山本、すごくたまらん足してたぞ、昨日も!」
 山本は何も答えない。きっとこいつは、田中が見ているような最近のドラマなんか、ひとつも見ていないに違いない。いつも教室の隅っこでライトノベルばかり読んでいるような奴だから。オタクときらびやかな芸能界のスターに、接点はない。そう思っていた。
「……見たよ。俺は、あの人の、鼻筋が好きだと思ったけど」
 ぼそぼそと、だけどはっきりと言い切る口調で、山本はそう言った。ベンチに並んでむっつりご飯を食べていた連中が、顔をあげる。ぼくの隣に座っていた幸助が、「あのー」と声をあげた。
「俺も見た、『タンデムランプとカルーセル』。加藤ユリアもいいけど、尾藤さしきも、よくなかった?演技、すごい上手だった」
「あー、さっちゃん!さっちゃんもね、最近、すごい実力あげてきてるよね!だけど、でも、なー!俺はやっぱり、加藤ユリアのおみ足に、ぞっこんなわけよ!」
 田中が鼻から生温かい息を盛大に噴出しながら、わめいた。
「俺も」
 ぼくも、そう言いたかった。言わなければいけない、という焦りさえあった。流魂街で、珍しく会話が成り立っている。ここで乗り遅れたら、と思うと怖い気がした。二度と、追いつけないのではないか、と思った。だけど、『タンデムランプとカルーセル』を、ぼくは見ていない。見ていないドラマの感想は、言うことができない。流魂街のなかまの顔を横目で見ながら、会話に参加しているように見えたらいいな、とそう思った。
「斉藤、お前はどうなんだよ。加藤ユリアは、あのすらっとした足が最高だと、思うだろ?」
 田中がぼくに顔を向けた。「俺も、そう思うよ」と言いたいのに、言葉が出なかった。形にならない声が、「あ、あ、う」とわけのわからない音になって口からもれ出た。「あのー」と幸助がまた声をあげた。
「斉藤は、あんまりドラマとか、見ないんだよ。本を読むのが好きだから。なあ、斉藤、むかし、加藤ユリアが出てたドラマの原作本、お前読んでなかったっけ?」
 それなら読んでいる。あの本は、話の構成が巧みで、作者の確かな技量が感じられる、良本だった。ぼくはそう言おうと口を開きかけたが、田中がまた大声で「そうかー、斉藤はドラマ駄目か!加藤ユリア、一回ちゃんと見たほうがいいぞ、男子高校生なら!」としゃべりはじめたので、ついに発言できなかった。
 その日の流魂街は、昼休みが終わるまで、会話が絶えなかった。田中は勝手なドラマの感想ばかり言っていたし、その話自体におもしろみはない、と感じたけれど、その場の空気を保たせるにはそれで充分だった。ぼくは田中の聞きしに勝る身勝手さと、ふだん学校ではろくに口もきかない幸助の変わり身のはやさに辟易していた。放課後、幸助とふたりで歩く帰り道で、ぼくは今日の田中の話を、唯一の友達に振ってみた。
「田中ってさ、二年生になってすぐのころは、三組でけっこう目立ってたよな」
「そうだっけ、俺は一組だから、よく知らないけど」
「佐敷とか、浜本とか、野球部の連中に邪険にされて、俺らのところに来たんだよ。あの、流魂街に」
「流魂街って、なに?漫画?」
 幸助が不思議そうな顔をするので、教えてやった。俺達がいつもたまっているあの場所は、野球部やサッカー部のやつらからは、そう呼ばれているんだよ。死神みたいな顔した奴ばかり集まっているから、と。幸助はぼくの言葉に、信じられない、という顔をした。
「マジか、最低だな」
「本当だよ。俺達、ちゃんと人間だよな」
 ぼくは頷いたけれど、幸助は首を振って歩みをとめた。ぼくを見つめて、真一文字に結んだ口を開き、怒った声を出した。
「お前がだよ、斉藤。斉藤が最低なんだ。流魂街なんて、そんな風に、俺達のたまり場を呼ぶんじゃない」
「どうして。だって、実際にそう呼ばれてるんだから、別に悪いことじゃないだろ。幸助だって、あそこにいたくているわけじゃないんだから、怒ることないじゃないか」
 ぼくは、ぼくの反論を至極まっとうだと思ったけれど、幸助はまた首を振った。もう一度ぼくを見つめるその表情には、哀れみの色さえ浮かんでいた。
「流魂街、なんて言われて、そこで弁当食べてる俺達が、気を悪くしないと思わないのか。前から言おうと思ってたけど、斉藤、お前、立場は低いくせに、考え方はイケてる奴らと同じだよな」
「そんなことない」
「そんなこと、あるよ。なんか、斉藤って、かわいそうだよな、誰よりも」
 吐き捨てて幸助は振り返らずひとりで帰り道を歩いていった。おいてけぼりにされたぼくは、だまって友達の背中を見ていた。帰宅部連中がうごうごしている学校近くの歩道のなかで、彼の姿はじきに見えなくなった。

文化祭の準備

 放課後、教室に差し込む陽の光はオレンジで私達がどれだけそこでくだらないおしゃべりに時間を費やしたのかを物語っていた。
 教室の真ん中には解体されただけのダンボールと描きかけのイラスト、放り出された色とりどりの油性ペンが転がっている。
「文化祭は明日なんだよ、早く準備やろうよ」
「悪口なんてくだらないよ、坂口さんが怒る理由、私わかる気がする」
 そんな言葉がぐるぐる頭のなかを巡った。臆病な私はそれが口からこぼれる前に急いで打ち消す。そうして代わりにくだらない彼女たちの悪口にぴったりな当たり障りのない相槌を打つ。
 それが私の、教室で生きるための工夫だった。
 工夫をしない工夫。
 足並みを揃える努力。
 出すぎた杭にならないように気をつけて、のんべんだらりと、平凡に。
 そうしておけば、平穏な学校生活を過ごすことができた。
「実際さ、あいつのせいでこうなった部分もあるわけじゃん?」
「わかるわかる。あいつがでしゃばるせいでさ」
「ていうかなんであんなに張り切っちゃってんの?」
「さあ、先生へのご機嫌とりとか」
「うわ、ますます嫌いだわ、そういうの」
 みんなが笑い声をあげて、私も急いで作り笑いを浮かべる。にへら、にへら、と私の笑顔は情けない効果音をたてるようでなんだか情けない。
「あんたたち、まだ終わんないの?」
 坂口さんだ。教室の引き戸を勢い良くあけて、怒った顔をしている。私のおしゃべり仲間は彼女の姿を認めるとニヤニヤと嫌らしい笑顔を浮かべた。
「まだ終わりませんです」
「なにやってんの。看板つくるって言って、もう2時間は経つよ」
 床に散らばったダンボールと私達を見比べて、坂口さんは眉間に皺をよせた。
「全然、できてないじゃん。間に合わないよどうすんの」
「ごめん、ごめん。なんかさ、たかが文化祭に張り切るのも疲れちゃって」
「そうそう、私達は楽しくやりたいんだけど。誰かさんがさ、うるさいから。ねえ」
 同意を求められて、私は仕方なく頷いた。ちょっとの辛抱だから、すぐ終わるから、と自分で自分に言い聞かせて。
 坂口さんがじっと見つめてくるので、私はあんたなんか嫌いよ、の表情をつくる。眉をひそめて、嫌な虫でも見るみたいに。
 うまくできたかは自信がない。
「いいよ、あとは私がやっとくから、あんたたちもう帰って」
 ため息をついてそう言った坂口さんは、ひょっとすると私達が本当に帰るとは思わなかったのかもしれない。だって完全下校時間まであと1時間もないわけだし、ひとりでやるには作業量が多すぎた。
 もしかしたらカマをかけたのか、なんて。
 でも私達は私も思って見なかったほどに図太くて、「本当、ありがとう、じゃあね」の三言だけ残して教室を出ていってしまった。
「ごめん、忘れ物したみたい。先に帰ってて」
 みんなで並んで歩く帰り道、私はそう言って彼女たちと別れた。背を向けて歩き出す私に誰かが「坂口に捕まんなよ」と声をかける。振り返らずに手を振ってそれに応えた。
 おそるおそる教室の引き戸を開くと、坂口さんが床に敷いたダンボール板に絵を描いているところだった。
「あれ」
 顔をあげた坂口さんは驚いた顔をしていた。
「あんた、どうしたの」
「ちょっと忘れ物」
 足元に転がっていた青色の油性ペンを拾って、手近なダンボールを手元に引き寄せる。
「仕事、やるの忘れてた」
 坂口さんの顔を見ないようにして、ダンボールに青色を入れていく。絵の下手な私が描いた「だんご喫茶」のデザイン文字は小学生が描いたみたいにヘロヘロだった。これじゃあ、却って足手まといかも、なんて思った矢先、坂口さんが私の手からダンボールを奪い取った。
「小学生が描いたみたいだ」
 彼女の言葉を聞いて、やっぱり私も坂口さんが嫌いだ、と思う。
「これはいいから、こっちの下絵いれた方に色塗ってって」
「何色でもいいの」
「そこは任せる。あんたのセンスで」
 目の前のことに真剣な坂口さんはすこしかっこよくて、だからやっぱり私は彼女のことが嫌いなのだった。
 彼女がいなければ、平穏無事な私の学生生活はずっと続いただろうに。
「まあ、これでハブにされるってこともないだろうけど」
「なんか言った?」
「なんにも」
「時間ないから、早くね」
「はいはい」
 まんまと坂口に捕まってしまった私は急いで彼女の描いた下絵に色を塗っていく。坂口さんが文化祭とクラスのために考えた、うさぎのキャラクターが描かれている。
 団子の串を握りしめた、ふわふわのうさぎさん。坂口さんは嫌いだけど、このキャラクターは悪くない。私は彼女の描いたうさぎを、丁寧に、丁寧にピンク色で塗っていった。
「坂口さんはさ」
「なに」
「ちょっと、口が悪いよね」
「そうなの?」
 本当に驚いたみたいに私を見つめる彼女の顔がおかしくて、思わず笑ってしまった。

高校生にまつわる話

高校生にまつわる話

高校生が出てくる3つの短い話です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. とどまる
  2. 暗いたまり場
  3. 文化祭の準備