クレパスとクレバス

お正月、実家に帰省した際、NHKで指が一本しかないのに雪山に挑戦する人のドキュメントを見て思いつきました。

子供の成長はいつも親の想像の斜め上を行くように思う。

 「うーん」
 台所で私がその月の家計簿をにらんでいると、リビングの方から突然テレビのついた音がした。
 「ん?」
 娘の都弥子だろうか。
 時計を見ると確かにもうアンパンマンの時間だった。
 ああそうか。
 私は思った。
 それにしても・・・いつもは私が付けてあげていたテレビだったが、いつのまにか都弥子は自分でつけて見るようになったのか・・・。
 そう思うと、何だか、こう、不意にジーンとした。
 子供の成長は早い。
 私も昔はああだったのだろうか。多分そうなんだろう。
 「・・・」
 それから私は、都弥子がキッチンに来るものだと思って、動かず静かにしていたが、
 でもしばらく経っても、特に、
 「ママ、ケロックが食べたい」
 とか言いながら、都弥子がキッチンに来る様子も無かったので、私はそのままキッチンで家計簿の方を再開した。
 きっと都弥子もまた、大半の女の子がそうである様に、親の手がなるべくかからない様な、そんな大人びた子供に成長している最中なのだろう。
 かく言う私も、子供の頃「こっちは大丈夫だから、ママはママの事をして」
 と、母に言ったことがあるらしい。私自身は勿論覚えていないんだけど、でもいまだに親達の笑い話になっている。
 「・・・」
 私はその事を思い出して、フフ・・・っと少しだけ笑った。
 そうかあ・・・都弥子もそうなっているのかあ・・・そうかあ・・・。
 テレビの音は若干大きめだったが、まあいいかと思ってそのままにしておいた。
 都弥子がそれで静かにしているなら、それで、いいじゃないか。
 女の子はこうして、少しずつ女性になっていく。
 なっていくんだろうなあ・・・。


 ただ、
 「・・・」
 リビングから漏れて来るテレビの音からは、いつまで経っても、アンパンチもバイバイキンも新しい顔よもアンアーンも何も聞こえてこなかった。
 それどころか、
 「この地震で・・・雪崩が・・・その雪崩から・・・登山者が下山・・・クレバスが・・・」
 というなんだか不安を感じさせる語句が、時折聞こえてくるだけで、それで、それを聞いてて私は段々と落ち着かなくなっていった。

 「ねえミーコ、何を観ているの?」
 私がリビングに入ると、都弥子はテレビの前に自分用の足の短いピンク色のプラスチックの小さい椅子を置いて、その上にお絵描き帳を広げ、テレビを観ながらクレパスを使って一心不乱に何かの絵を描いていた。
 テレビの画面には海外で起こった地震と、その影響で雪崩が発生して大惨事になっている雪山の映像が映し出されていた。
 「・・・」
 こんなの観て何を描いているんだ・・・。それで私はますます不安になった。
 そして案の定というかやっぱりというか、都弥子が一心不乱になって描いていたのは、その雪山であった。その地震で崩れた雪山。大惨事になった雪山。

 「都弥子!やめなさい!」
 そんな言葉が、喉元まで出たが、でも私はそれをぐっとこらえた。
 不謹慎だ。
 大変な事になっている。
 そんな雪山の絵を描くなんて・・・。
 そう思った。
 でも、それを子供に言うのはどうなんだろう?解れって言うのはどうなんだろうか?
 不謹慎だというのは大人だ。
 不謹慎だと思うのは大人だ。
 不謹慎だと感じるのは大人だ。
 不謹慎だと人を責めるのも大人だ。
 大人は不謹慎なものを好まないから。
 大人だから。
 でも、それで、そう言って子供の自由な心を矯正するのは果たして正しい事なんだろうか?
 「・・・」
 正しい事だとは思えなかった。
 私には。
 現に都弥子はなおもテレビを観ながら、一心不乱に雪山の絵を描いていた。彼女はとても集中してそれを行っているみたいだった。
 私がリビングに来た事も、気がつかないくらい。
 一心不乱に。

 でも・・・、
 そんなわが子を見るのはそれが、その時が初めてだった。
 だから、私は、正直、そんな娘が、都弥子が、
 怖かった。
 「・・・」
 都弥子は私がそうして固まっているうちにテレビを観ながら雪山を、崩れた雪山を描いて、更にその斜面になにか、切れ目を・・・多分・・・クレバスを、今度はそれを描き始めた。
 そんなものまで描く必要があるか?
 おそらく、きっと、そのクレバスのせいで大勢の下山できない人達がいるのに・・・。
 しかし都弥子はその雪山の絵のいたるところにクレバスを描いていった。
 「・・・」
 都弥子はクレバスを描き終わると更に、その上に何かを描き始めた。

 私は娘が何を描くのか、今度こそ恐ろしい想像をしておびえたが、

 でも、都弥子がそこに描いたのは梯子だった。

 クレバスの端から端までの長さの梯子。

 それを都弥子は全てのクレバスに。

 丁寧に、

 決して足りないことが無いように慎重に。
 梯子を描いていった。

 「・・・ふー・・・」
 ソレらを描き終えると、都弥子は達観したみたいな表情で、とても大きなため息を吐いて、
 「・・・あ、ママー」
 と言って私に気がついた。そして都弥子はパッと明るい表情になっていつもの笑顔を見せてくれた。


 その日の夜、会社から夫が帰ってくると、
 「なあ、あの海外の雪山のニュース知っている」
 と何だか若干興奮したみたいに言った。
 「知らないけど・・・」
 私が言うと、
 「いやー、すごいんだ。クレバスの、あ、雪山でさ、地震が発生して雪崩とか起こって、大変な事になってさ、それで雪山の表面の大きな裂け目のせいで、下山できない人が大勢いてさ、でも救助も出来なくてやばかったんだけど」
 夫は何だか嬉々として話している。
 「でも、なんでか突然さ、その雪山のいたるところから、梯子が発見されたんだ。そのおかげで多くの登山者が無事に下山できたらしいんだよ」

 「突然?」
 私は聞いた。
 「そうなんだ、おかしいよなー、でも、それで多くの命が助かったんだってさ、だからよかったよなー、どうしてだかわからないけど、でもよかったよなー」
 「・・・」
 梯子・・・私は都弥子の絵の事を考えていた。
 「あ、パパだー、おかえりなさいー」
 その時、リビングから都弥子が顔を出して、私達の居るところまでかけて来た。
 「お、ミーコ、ただいまー」
 夫はそういうと都弥子を抱き上げて、
 「俺、まずお風呂はいるね」
 と言った。
 「あ、じゃあ、ミーコも一緒に入ったら?」
 咄嗟に私はそう言った。
 「一緒に入るミーコ?」
 「入るー」
 そういって二人はお風呂場に向かった。私はまだ玄関で色々と考えていた。


 次の日、私は都弥子を連れてスーパーに買い物に行った。
 「ミーコ、今日の晩御飯はミーコの好きなものを作ってあげるわ」
 私はスーパーの入り口で都弥子に言った。
 「えー何―、何でー、どしたのー?」
 都弥子はこちらを見上げて不思議そうな顔をした。
 「何が食べたい?」

 都弥子の事をあの時、ちょっとでも疑ったり、怖がったり、そういう事をした自分が私は許せなかった。それに都弥子にも申し訳なかった。だからこんな事で、全部が許されるなんて思わなかったけど、でも、それでも私は都弥子に何かしてあげたかった。

 都弥子はいい子だ。とってもいい子だ。私は今朝、ふとそれに気がついた。それだから私は都弥子の事を誇らしく思った。とても誇らしく思った。

 勿論、都弥子が、あの絵を描いたから、現実の世界でもそうなったなんてそんな事思っていない。でも、都弥子があの状況であの絵を描いたことが、私はすごい事だと思ったんだ。とても勇敢なことだって。この子には人を思いやれる気持ちがあるんだって。

 「ママー、どしたのー?泣いているのー?」


 晩御飯をハンバーグに決め、私が必要なものをカゴに入れていると、
 「ママー、私コレがほしーです」
 と言って、ミー子は文具のコーナーからクレパスを持ってきた。
 それは今ミー子が持っているのよりも、色の種類が四色も多いものだった。
 「欲しいの?」
 「ほしーです」
 「じゃあ、買おうか!」
 私は言った。
 「わーい」
 ミー子はクレパスを両手で持ち上げて喜んだ。
 その姿はなんとも言えず、可愛らしかった。

クレパスとクレバス

別のところで、似たような話を書いていて、かぶるなあって思っていたんですけど、こうして星空文庫さんに登録したおかげで日の目を見れて良かったと思います。

クレパスとクレバス

子供がなんか知らないけど、絵を描いている話です。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-12

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