SF
前から構成を練っていた小説です。
今まで恋愛物ばかり投稿していましたが、実はこのような話の方がよく書きますw
長編になる予定なので亀更新になってしまいますが、興味があったら是非読んでください。
海Ⅰ
一人ぼっちの僕を助けてくれたのはいつもお兄ちゃんだった。お兄ちゃんと言っても本当のお兄ちゃんではない。孤児院で仲よくなった五歳年上の瀬人(せと)お兄ちゃんだ。お兄ちゃんはカッコよかった。自分より下の奴にイジワルをして、誇らしげに笑っているあいつ等なんかよりずっと偉かった。僕を助けたお兄ちゃんはちっとも偉そうじゃなかった。セルフレームの眼鏡の下の目はいつもと同じように涼しげで少し怖い。でも僕はお兄ちゃんが大好きだ。
お兄ちゃんはよく僕と砂場で町を作った。小学生の僕達が作る町は幼稚園生の作る物に比べると立派でリアルだった。完成すると、その砂場の町にいつもお兄ちゃんは思い切り踏みつける。踏みつけてこう言うんだ。
「俺は誰よりも強くなる。今はこんなちっぽけな町しか見下ろせないけど、いつかは本当の町を見下ろすんだ」
お兄ちゃんの涼しげな目元はいつもと違い、真っ赤に燃える炎のように熱かった。冷酷なお兄ちゃんより何倍も怖い。でも、好きだ。
僕はお兄ちゃんの目を見つめると頷いた。
「その時は僕も連れて行ってね」
お兄ちゃんは口元を緩める。
「当たり前だろ」
お兄ちゃんは僕に手を差し伸べる。真っ白な陶器のような手のひらを離さない様、うんと力強く握りしめた。
忍Ⅰ
人使いが荒いんだよ。兄貴は。
俺はぶつぶつと文句を言いながらその辺に落ちていた小石を蹴飛ばした。勢いよく転がった小石は野良犬の元へ引き寄せられるように転がる。足にこつんと当たったそれはそんなに痛くはないだろう。なのに野良犬はこちらを睨み付け威嚇してくる。
「お?やんのか?お?」
俺は負けまいと犬を威嚇する。犬の種類は分からないが大きく、強そうな犬だ。だが、見た目と反する事はよくある。その一例が俺だ。俺は男の割に背が小さい。体重も対してない。でも喧嘩は大体負けない。
あ。でもこの負け知らず記録は兄貴がいる場合だけだったような。そもそも俺と兄貴は双子でいわゆる二人で一人の関係だ。つまり、今回のこの強そうな犬とのバトルは俺一人。半人前。つまりはノーカウントだ。よし。負けても大丈夫。
「かかってこいやぁ!」
そう叫ぶと後ろからでこぴんをされた。爪の刺さる感覚、痛いような痛くないようなぱっとしない痛み。こんなでこぴんをする奴は一人しかいない。
「兄貴」
振り向くと俺と同じ顔をした男が立っていた。俺の双子の兄貴である駿。通称ミロだ。体格も同じくらいで鏡を見ている気分になる。ちょっと気持ち悪い。
「ガロ。何しているんだ」
兄貴は眉間に皺を寄せて睨み付ける。強そうな犬顔負けの貫録だ。おぉ。怖い。怖い。クワバラ、クワバラ。
「丁度良かった兄貴。今からこの生意気なわんちゃんとガロ様の決闘なんだ。兄貴、代わりに闘ってやってくれよ」
「ふざけるな。そもそもお前はコンビニにチョコレートを買いに行っただけだろ。冬季限定とろけるトリュフチョコ」
「あぁ。とびだすトリュフチョコな。今な、そのチョコをこのわんちゃんが食べちまったんだ。だからミロ君。決闘したまえよ」
兄貴の眉間にはますます皺が寄る。
「ずっと見ていたぞ。お前、チョコ買っていないだろ。お前の蹴った小石が当たってそのわんちゃんは怒っているんだろ。あと、とびだすトリュフチョコじゃなくてとろけるトリュフチョコだ。飛び出すチョコなんて食べられるかよ」
うげ。ばれてやがる。
「いや。そんな事はないって…。うん」
言い訳を始めようとすると兄貴の背後に雷の落ちる瞬間を見た。
「大体な。お前はいつもいい加減なんだ。昨日だってそうじゃないか。依頼人を怒らせたのはお前だろ。折角の仕事が減っちまったじゃねぇか。どう埋め合わせするんだ?あぁ?いい加減反省と言うものをしろ。反省は猿でも出来るんだ。お前は猿以下か。いや、お前なんかと比べた猿が可哀想だ。他にもお前はな…」
やばい。兄貴が饒舌になった。兄貴は普段は無口で何考えているのか分からないポーカーフェイスな奴なのに、怒ると怖いくらい饒舌になる。しかも昔の事ばかり言ってくるから余計タチが悪い。こんな時はすぐ謝るに限る。
「悪かった。悪かったって」
「思っていないだろ」
あぁ。兄貴は面倒くさい。
「思っているさ。ごめん、ごめん。ミロ様。お許しを」
大袈裟に頭を下げると兄貴は仕方ないと言いながら許してくれた。もしかするとそんなに怒っていなかったのかも。謝って損をした。
「さすが、兄貴。優しい」
「ふん」
怒りが収まると全く話さなくなる。全く、面倒な奴だ。それでも昔から行動を共にしているから嫌いになれない。むしろ好きだ。
「あれ、おい。ガロ。あれ、セルじゃないか?」
兄貴は慌てた声を出し、数メートル先を指さす。
「え?セルっち?あれが?」
兄貴の指の指す方向には紫のパーカーを着た痩身で長身の男がいた。顔に黒のセルフレームの眼鏡がある。同業者のセルという男に似ていると言えば似ているが、イマイチぴんと来ない。スーツ姿しか見ないせいか。服装で人はかなり印象が変わるものだなぁと俺は感心した。真っ黒なスーツに身を包んだセルは饒舌なミロに負けないくらい恐ろしい。最も、饒舌ミロと無口セルでは同じ土俵に上がる事は無いのだが。
「間違いない。セルだ」
兄貴の目は恐ろしく良い。そして記憶力も気持ちの悪いくらい良い。俺は、目は良いが頭は悪い。そして記憶力はもっと悪い。
「兄貴がセルっちって言うならそうなのかもな」
「でもおかしくないか?なんでセルが公衆電話なんか使っているんだよ。あいつ、いつも携帯だろ」
「確かに。今時テレフォンカードは時代遅れだな」
「いや。別にテレフォンカードは無くても使えるんだがな」
ミロはじっとセルのいる公衆電話を見つめている。
「携帯が壊れたんじゃねぇの?」
「セルはそんな間抜けじゃない」
「電源が無くなったとか」
「セルは間抜けじゃない。ガロじゃないんだから」
「あぁ。そうですか。そうですよね」
俺は唇を突き出して拗ねたような声を出した。こうすると大体ミロは「子供か」と突っ込んでくる。でも今日のミロは何も言わずにセルのいる電話ボックスを見つめている。しばらくするとセルは受話器を置き、電話ボックスを後にした。ミロの視線も移動する。
「そんなにセルっちを見ていたい?ミロ君ホモなの?恋しちゃった?」
俺の冗談にも反応しないくらい兄貴は集中してセルっちを見ていた。らしくねぇな。兄貴。そんなに気になるかい?
あ。言っておくけどな。嫉妬とかじゃねぇよ。第一、兄貴はセルっちの事恋愛対象として見てねぇよ。え?分からないだろって?分かるんだよ。
俺と兄貴は二人で一人だ。だから、一心同体なんだよ。
如月Ⅰ
高校の卒業式前日に両親が亡くなった。
それはあまりに突然で衝撃的だった。いつもの他愛のない話をしていた時間が遠く感じる。
両親は拳銃で殺されていた。玄関のドアを開けるとまず母が倒れていて。リビングでは父がソファーで倒れていた。
警察には両親がトラブルに巻き込まれた様子は無かったかと聞かれたが勿論私に心当たりなどない。
放心状態で卒業式の日を迎えた。当然、行ける訳も無く、叔父と叔母の家にいた。両親の亡くなった家にいるのは辛いだろうと二人が気を利かせてくれたのだ。
叔父と叔母の家に居る時色んな事を考えた。
主にこれからの事だ。
私は大学に進学の予定だったが、両親がいなくなってしまい、資金難になっていた。これから生活するお金だけで精一杯だった。二人の死んだ家に住むのは流石に抵抗があるので引っ越しをしないといけない。二人の葬儀もしないといけない。叔父と叔母がサポートをすると言ってくれたが、元々二人とはほとんど面識が無かったので甘える気分になれなかった。
叔父と叔母の家を離れ一人暮らしを始めた。大丈夫。二人がいなくても私には友達と恋人がいる。そう思っていたが現実はそんなに甘くなかった。
両親が亡くなった事件から誰も連絡を寄越さなくなった。初めはどうして?という気持ちが強かったが冷静になって考えてみると当たり前だ。友達も皆春からの新生活がある。忙しいだろう。
それもあるが一番の理由は両親の亡くなり方だ。例えば事故等で亡くなったとすれば同情する人間はいただろう。でも両親は殺された。しかも拳銃で。強盗という線もあったらしいが、家がどこも荒らされていない点、拳銃という比較的手に入りにくい凶器。怨恨と暴力団の線で捜査される事になった。仮定の話だが暴力団と関わりのあったかもしれない親の子供となんか連絡を取りたくないだろう。
私は現実を受け入れた。そして一人ぼっちになった。
一人でいる時間というのは虚しく、そして長い。毎日暇を持て余していた。
持て余すと言ってもお金がそんなにあるわけではないので毎日毎日公園のベンチに座っていた。公園で遊ぶ子供達を見ていると少しだけこの先何とかなるような気がしていた。
「ねぇ。君いつも一人でいるよね」
ある日いつものように公園のベンチで暇を持て余していると男の人に声をかけられた。そんなに背の高くない十代後半くらいの年齢の男の人だった。
「え、ええ…」
声を発するのが久しぶりで上手く話せなかった。笑顔も作れない。そういえば両親が亡くなってからずっと笑っていなかった気がする。
青年は太陽のような笑顔をこちらに向けた。
「暗い顔すんなよ。幸せ逃げるぞ」
そう言うと私の頭を少々乱暴に撫でた。
「ティム?何しているんだ」
小柄な青年の後ろから痩身で背の高い男の人がやってきた。私は彼の顔を見ると目を見開いた。
こんなにも顔の整った人は見た事がない。芸能人顔負けなくらい格好いい。
アッシュブラウンの髪の毛に二重でやや釣り目の大きな目。程よく高く形のいい鼻。薄めの唇。白すぎず黒すぎないバランスのいい肌の色。私は一瞬のうちに彼の虜になった。
「あ。ジェイ。なんかこの子、いつもいるけどすごく暗い顔しているんだよね」
どうやら小柄な男の子の名前はティムでイケメンな男の子の名前はジェイらしい。外国人?と思ったが顔は日本人っぽい。
「そうか。俺には関係が無い」
ジェイさんはそう言うと肩掛けにしている鞄から文庫本を取り出すと読み始めた。冷たい態度を取られたのに全然嫌な気分にならないのはジェイさんに見とれているからだろう。
「ごめんね。ジェイ、人に関心ないから」
ティムさんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや。大丈夫ですよ」
「ありがとう。で、君、なんか悩みとかあるの?よかったら聞くよ」
ティムさんはジェイさんとは対照的で優しく、穏やかな人だった。
私は普段は簡単に人に気を許すタイプではなかったが、両親の事や友達がいなくなった事も重なり、優しく、話しやすいティムさんに全てを話していた。
「そうか。そんな事があったのか」
ティムさんは先程の笑顔から一転して暗い顔になっていた。最もこんな話を笑顔で聞かれても困るのだが。
「ねぇ。ジェイ」
ティムさんがそう呼ぶとジェイさんは文庫本から顔を上げこちらを見た。
「この子、うちで雇わない?」
思いがけない発言に私は驚いた。
「や、雇う?」
「そう。うちさ、あんまりまともじゃないけどグループで活動しているんだ。よかったら、なんだけど」
ティムさんは遠慮勝ちにこちらを見てきた。ティムさんの言うまともじゃないグループと言うのはどんな物なのだか気になるが贅沢は言っていられない。せっかくのいい話なんだ。
「是非引き受けたいです」
私がそう言うとティムさんは嬉しそうに笑った。
「じゃあ今からうちにおいでよ」
「おい。ティム。セルに怒られても知らないぞ」
ジェイさんは冷たく言い放った。
「大丈夫。ポップなら分かってくれる」
ジェイさんは文句のありそうな目でティムさんを睨むとさっさと歩いて行ってしまった。
「じゃあ僕に付いてきて」
ティムさんはそう言うと歩きだした。ワンテンポ遅れて私も歩き出す。
「あの」
「そうだ名前教えてよ」
ティムさんに遮られそう言われた。
「あ、はい。私は如月由美って言います」
「由美ちゃんか。僕はティム。ちょっと本名は勘弁してほしいんだ。こいつはジェイ」
ティムさんはジェイさんを指すとそう言った。
「本名は勘弁してほしいって…。何か事情があるんですか?」
「いや。事情と言うか…」
ティムさんが言いにくそうにしているとジェイさんが振り向いた。やっぱり何度見ても恰好いい。
「おい。ティム、あんまり喋るな」
ジェイさんの表情は氷のように冷たい。
「あ、ごめん」
ティムさんは小声で謝るとそれきり話さなくなってしまった。
不安で胸が一杯になるが、私にはもう何もない。この二人に全てを委ねてみようと思った。
瀬人Ⅰ
烏森との待ち合わせ場所である近所のショッピングモールに着いた。時計を確認する。午後二時。時間ぴったりだ。
烏森を目で探すがそんなに苦労はしなかった。灰色のパーカーに紺のジャージのハーフパンツ。そしてエナメルバックにスニーカー。烏森は童顔なのでどっからどう見ても部活帰りの中学生だ。確か烏森と出会った時、あいつは十八歳だった。あれから二年経っているという事はもう二十歳だ。いい大人が未だに中学生に見えるというのはなんだか妙な気分だ。
「烏森」
ベンチに座る烏森に声をかける。能面のような表情だ。俺も人の事は言えないが。
「セル。遅かったな」
声にも抑揚がない。ロボットみたいだ。
「時間ぴったりだ」
「普通待ち合わせには余裕を持ってくるもんだ。パパとママには教わらなかったのか?」
烏森の口元が珍しく緩んでいた。
「俺には両親はいない」
「そして良心もいないよな」
「それ、面白いと思っているのか?」
俺がいつもよりきつい言い方をすると「悪かった」と小さく謝った。
「これ」
烏森が茶封筒をエナメルから取り出した。素早く受け取る。
「ご苦労だったな」
俺も鞄から茶封筒を取り出すと烏森に差し出した。中身は札束三つだ。
「こんなに悪いな」
金を前にしても烏森は笑わない。
俺は烏森から受け取った封筒の中身を確認する。透明な袋に包まれている面貌を見て、安堵する。
「セルさんよ」
烏森の抑揚の無い声が聞こえる。
「その面貌何に使うんだ?」
自分より下の人間に詮索されるのは気分が良くない。
「お前はただスリをすればいいんだ」
冷たく突き放すように言うと烏森の目が見開かれる。彼の怒った時の癖だ。
「その言い方は無いんじゃないか」
口調は淡々としているが怒っているのは丸分かりだ。
「まぁ。何となく予想はついているけどな。あえて詮索はしない。あんたの気を悪くしたくないからな」
烏森はこちらを睨みつける。
「じゃあセルさん。俺はこの辺で失礼するよ」
そう言うと烏森は立ち上がり、出口の方を向いた。が、すぐにこちらを見る。
「最後に言っておくけどな。セル。あんまりスリを舐めんなよ。こっちは一回一回が真剣勝負なんだ。金を渡されてほいほいやるような犬みたいに扱うとな」
烏森が笑った。不気味な笑顔だ。
「カラスに足元救われるぜ?」
そう言うと烏森は去って行った。
足元を救われるだと?あんな餓鬼に舐められたもんだ。
俺はゆっくりとした動作で足を組むと口元を緩めた。
俺を誰だと思っているんだよ。
如月Ⅱ
「ここ。僕達の家だよ」
ティムさんに付いていき三十分くらい歩くと薄暗い路地に一軒の家が建っていた。見た目は普通の二階建ての家だ。
「とりあえず入って」
ティムさんがドアを開け、私、ジェイさんの順番で中に入る。
再びティムさんは歩き出し、私は後を追った。後ろからジェイさんも付いてくる。
先程からティムさんは話さなくなった。だからティムさんやジェイさんがどのような仕事をしているかは分からない。不安も恐怖もあったがそれ以上に無関心な自分がいた。やはり両親が亡くなり、一人ぼっちになった事実より恐ろしい物はこの世にはない。
「ここ。セルの部屋だから入って」
ティムさんが指を指す先にあるドアに恐る恐る手をかけた。
中に入ると奥に机と椅子があり、一人の男性が足を組んで椅子に座っていた。男性はセルフレームの黒い眼鏡をかけていて、ジェイさん程ではないが整った顔立ちをしていた。男性の横には小柄な子が立っていた。肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪は女性のようだが恰好は男性物のスーツ。小柄で女の子のような背丈だが目つきはこちらの心を見透かすように鋭かった。女の子にも見えるし男の子にも見える中性的な子だった。
「ティム。ジェイ。その女は誰だ」
中性的な子が口を開く。声は低くもなく、高くもなくやはり中性的だった。
「公園で会った。うちで雇おうと思うんだ」
ティムさんが口を開く。中性的な女の子は更に目を鋭くした。
「またいつもの同情じゃないんだろうな?」
声に怒りが混じっていて怖い。ティムさんが怯んだのが分かった。どうやらティムさんはこのグループの中であまり発言権がないみたいだ。
「ポップ君。あんまりお客さんを怖がらせない方がいいんじゃないかなぁ?」
背後から女性の声が聞こえ、振り向く。そこには驚く程小顔の赤毛の女の子が立っていた。ショートカットがよく似合っている。背は私よりも少し低い。
「チェリー。帰っていたのか」
セルフレームの男性が口を開く。どうやらこの女性の名前はチェリーらしい。
「今帰ってきたのよ。ねぇ。貴方うちの事どのくらい知っているの?」
チェリーという女性は私に声をかけてきた。
「あ、えっと。そんなに知らないです」
私がおどおどと答えるとチェリーさんは笑顔を浮かべた。少しだが緊張が解れるのが分かる。
「じゃあ私が説明してあげるわ」
チェリーさんは部屋の中心へと歩いていくとセルフレームの男性の仕事机であろう机に腰を下ろした。何枚かの資料が床に散らばる。中性的な子が睨んだがチェリーさんは気にしていないようだった。
「うちはね、Seru,s family。通称SFと言う非合法組織なの」
非合法。意味は分かるが具体的な事はよく分からなかった。
「分かりやすく言うとね。人を殺してお金をもらったり人に頼みにくい事を依頼されて動く。そんな組織よ。いわゆる何でも屋」
どう?とでも言わんばかりにチェリーさんはこちらを見てくる。
「チェリー。それは威張って言う事ではないぞ」
ジェイさんが口を開く。
「まぁいいじゃない。んで。貴方はこんな組織でもいいの?それならいくらでも雇うわよ。雑用なら腐る程あるから」
チェリーさんから説明を聞く前から答えは決まっている。私は大きく息を吸った。
「よろしくお願いします」
ティムさんは驚いた表情を、チェリーさんは感心したような表情を、セルフレームの男性と中性的な子、それからジェイさんは無表情のままだった。
「じゃあ歓迎会をしましょう。メンバーを紹介するわ」
チェリーさんはそう言うと出口へ向かって行く。手招きをされたので私は彼女の後に続いた。部屋を出るまでセルフレームの男性の身体に纏わりつくような視線を感じていた。中性的な女の子は文句のありそうな顔でこちらを睨んでいた。すごく居心地が悪い。
チェリーさんに連れられ大きな部屋へやってきた。彼女によるとここはダイニングルームらしい。
「さぁ座って」
私は一番左端の席に座った。椅子は全部で九個あった。しばらく座っていると見たことのない人や先程いた人が続々とやってきてそれぞれの席に座る。
「おいおい。チェリー、この子誰なんだよ」
短髪の男の人がやってきて口を開いた。
「後で紹介するからとりあえず座りなさいよ」
チェリーさんが宥めると短髪の男性はしぶしぶ席に座る。
「さて、と。全員揃ったか」
私の隣の隣の隣の隣、つまり右端に座るセルフレームの男性が口を開く。この人はセルと呼ばれていたからリーダーなのかもしれない。
「いきさつについては後で話す。まずは自己紹介だ。俺の名前はセル。このSFのリーダーでもある。主に仕事は依頼を受けたり報酬を貰ったりする。いわゆる司令塔だ」
セルさん。私はきちんと名前を覚えた。
次にセルさんの正面に座る中性的な子が口を開いた。
「僕はポップ。セルの助手として依頼の管理をする事もあるけど基本は依頼をこなす側。毒物による殺人をしている」
ポップさん。性別は分からないが名前は覚えた。「あ、ちなみにね。ポップは男よ。見えないけど」
チェリーさんが合いの手を入れる。確かに一人称が僕だから男だろう。ポップさんがチェリーさんを睨む。しかし、チェリーさんは全く動じない。彼女は気の強い性格なのかもしれない。
「俺はギャロだ。頭は弱いから管理とか出来ねぇんだわ。専門は銃殺。よろしくな」
セルさんの隣に座る金髪の男の人が口を開いた。見た目相応に口調が軽い。
ギャロさんの正面に座るジェイさんが口を開いた。
「俺はジェイ。情報収集が専門。時々自殺にみせかけて殺す時もある」
ジェイさんは相変わらず無表情だった。それでも彼の整った顔を見ると心臓が五月蝿くなる。
次にギャロさんの隣にいるチェリーという女の人が口を開いた。
「私はチェリーよ。専門は爆発物。よろしくね」
チェリーさんは私に笑顔を向けてくれた。彼女は親しみやすい雰囲気だった。
「俺はラルクな。武道が得意なんだ。だから基本武器は使わない。男らしいだろ」
チェリーさんの向かいに座る短髪の男の人がそう言った。得意げな顔をしている。
「私はリーリ。この中で唯一人を殺めない仕事よ。情報収集しかしていないわ。よろしくね」
チェリーさんの横に座る巻き髪が印象的な大人っぽい女性が口を開いた。
「僕はティム。刃物を使って仕事をする。よろしく」
私の横に座っていたティムさんが口を開いた。彼も親しみやすい。
セルさんに顎で指され、私も自己紹介をした。
「如月由美です。物騒な事はしたことがないのでよく分かりませんがお世話になります」と頭を下げた。
「普通物騒な事なんてしねぇよなぁ」とギャロさんの笑い声が聞こえてきた。私は少し恥ずかしくなり、下を向く。
私の自己紹介が終わるとセルさんが咳払いをした。
「とりあえず如月はティムとチェリーに色々な事を教えてもらえ。仕事はある時にポップを通して渡す。分かったな」
抑揚の無い声だった。
「分かった」とティムさん。
「えぇ。私もー?」とチェリーさん。
文句を言うな。とギャロさんの叱咤が聞こえてきた。チェリーさんは渋々頷いた。
「強制的にここに全員住み込みになる。二階に部屋があるから使ってくれ」
セルさんはそう言うと立ち上がってどこかへ行ってしまった。続いてポップさん、ジェイさんが立ち上がる。
「ポップの事怒らせちゃったかな」
ティムさんが呟いた。
「そうかもなぁ。でもポップが怒った顔しているのいつものことじゃねぇ?気にしなくてもいいだろうが」とギャロさんが返す。
「どうでもいいけどさ。私これからまだ仕事残っているのよね。失礼するわ」とリーリさん。
「あ。俺は明日早いから寝るわ。ギャロも早いだろ」とラルクさん。
「そうだなぁ。じゃあ俺らも失礼するかぁ」とギャロさん。
三人はそれぞれ入口、二階への部屋へと向かって行った。ダイニングルームには私とチェリーさん、ティムさんの三人になった。沈黙を破ったのはティムさんだった。
「大丈夫?由美ちゃん?」
ティムさんは心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「大丈夫です」
「そっか。じゃあ今日はもう休みなよ。明日から僕達が色々教えるから。な、チェリー?」
「へいへい」
チェリーさんは気怠そうに返事をした。
「じゃあ、もう寝ます。あの、部屋は…?」
「あぁ、僕が案内する。行こうか由美ちゃん」
そう言うとティムさんは立ち上がり私を手招きした。私は彼の後に続く。
「あ。由美ちゃん。僕に対しては敬語とさん付けしなくていいからな」
ティムさんにそう言われ私は頷いた。ティムさんは親しみやすく、落ち着く相手だった。
「ここね。由美ちゃんの部屋。隣は僕の部屋だから、何かあったらおいでね」
私の部屋は二階の廊下の左端の部屋だった。
「ティム。ありがとう。それじゃあお休み」
「お休み」
私はドアノブに手を伸ばしドアを開け中に入った。中にはベッドやカーテン、鏡台等生活に必要なものが揃っていた。クローゼットを開けると男性物の着替えも女性物の着替えが入っていた。勝手に使えという事だろうか。とりあえず私は寝間着のようなものを適当に手に取り、着替えベッドに入った。
今日は色々な事があったな。と一日を振り返る。SFに正式ではないが入った。詳しくは分からないがいわゆる裏社会をいうものだ。実感は無かったが元の生活に戻れそうにないことは分かる。でも、もう元に戻らなくてもいい。私の事を待っている人なんていないのだから。
目頭が熱くなり、涙が落ちそうになる。私はその時初めて眼鏡をかけたままベッドに横になっていた事に気が付き、慌てて眼鏡を取り、ベッドサイドに乗せた。
疲れと不安混じりの溜息をつく。
私はいつの間にか深い眠りに落ちていた。
加奈子Ⅰ
夢を見た。
それは遠い遠い昔のことでまだ私のお母さんがいた時の夢。
私には物心ついた時にはお父さんはいなかった。兄弟もいなかった。お母さんと二人きり。周りは私をかわいそうと言う。でも私には分からなかった。私にはお母さんがいる。かわいそうなんてことない。お母さんは「加奈子(かなこ)は強い子だね」と言いながら頭を撫でてくれる。
お母さんがつぶれた。ある日、お母さんだけで出かけた時、電車が事故を起こしつぶれた。私は一人になった。一人になって悲しくて悲しくて泣いていた時お父さんだという人が来た。お父さんに引き取られて私は工藤加奈子からサクラギ加奈子になった。お父さんはお母さんと違って頭を撫でてくれない。お父さんは私を加奈子とも呼ばない。
こんなの家族じゃない。
私はまた一人になった。
一人の私に優しくしてくれたのはクラスメイトの海ちゃんだった。海ちゃんに家族はいなかった。海ちゃんとすぐに私は打ち解けた。
「私ね。海ちゃんのこと大好きだよ」
私が海ちゃんの手を取りそう言うと彼女は笑ってくれる。
「僕も加奈子ちゃんのこと好きだよ」
海ちゃんは私と話す時だけ笑う。
海ちゃんを笑わせてあげられるのは私だけだから。海ちゃんは私のものだから。誰にもあげないよ。
海ちゃん。大好き。
夢から覚めた。目の前に広がるのは海ちゃんじゃなくて殺風景な部屋。頬はわずかに濡れている。
絶対海ちゃんを手に入れてみせるから。
海ちゃんは私のもの、海ちゃんは私のもの、海ちゃんは私のもの。海ちゃんがいなきゃ生きていけないもの。海ちゃん好き。海ちゃん大好き。海ちゃん愛してるよ。
如月Ⅲ
「おら!起きろ如月!」
目を開けると目の前から布団が消えた。代わりにチェリーさんの赤毛と小さい顔が見える。
「チ、チェリーさん。おはようございます」
寝ぼけ眼で挨拶をするとチェリーさんはベッドサイドから眼鏡を取り、私に差し出した。
「ほら。如月。ご飯だ。下行くよ」
眼鏡を受け取り、かける。チェリーさんを見るともう部屋にはいなく、階段を降りる足音が聞こえる。私も行かなきゃと思い、慌てて部屋を後にし、ダイニングルームへ向かった。
ダイニングルームに着くと、ギャロさん、ラルクさん、リーリさん以外全員揃っていてテーブルには朝食が並んでいた。
メニューはスクランブルエッグにウインナー、サラダにコーンポタージュ、パンだった。美味しそうな匂いがする。
「さぁ座った座った。ご飯冷めるよ」
チェリーさんに肩を叩かれ椅子に腰を下ろす。
「おはよう。由美ちゃん」
私の斜め前に座るティムに声をかけられた。
「おはようティム」
「よく眠れた?」
「まぁまぁかな」
「そうか」と言うとティムは優しい笑顔になった。裏社会にいるのを忘れるくらい素敵な笑顔だ。
「これ、誰が作ったの?」
ティムに尋ねた。
「あぁ、これはセルだよ。セル、料理得意なんだ」
裏社会のグループの朝食というとパンと飲み物とかシンプルなものが多いと思っていた為、とにかく驚いた。周りを見るともう食べはじまっていた。私も料理を口に運ぶ。
「美味しい」
無意識に感想が出た。お店に並んでいても自然なくらい美味しい。
「でしょう?セル、無愛想で何考えているか分からないけど料理だけは上手いのよ」
チェリーさんはけらけらと笑いながら返してくれた。
「そういえばね、うちと仲良くしている同業者がいるんだけどね。ミロとガロっていう双子の殺し屋。二人の経営するlittle twin’sっていうカフェのコーヒーもかなり美味しいよ」とティム。
「そんな人達がいるんだ」
「そうそう。確かポップと仲がいいよね。ね、ポップ?」
ティムがポップさんに話を振った。ポップさんの方を見ると元々鋭い目を更に鋭くさせてティムを睨んだ。
「黙って食え」
ポップさんの声が響く。この中の誰よりも声が小さいのに一番響いているような気がする。
「ご、ごめん」
ティムはそう謝ると静かになってしまった。代わりにチェリーさんが口を開く。
「ポップ君何でそんなにティムに当たり強いわけ?ラルクとかギャロのが何倍もうるさいじゃん。あ。もしかしてティムの事が…」
がしゃんと食器の割れる音が響く。
チェリーさんの方を見るとどこからかお皿が投げられたようだ。お皿は壁に当たって粉々になっている。チェリーさんには一応怪我はない。
「チェリー。黙れ」
ポップさんの声が聞こえ、彼の方を見ると投げた後のような恰好をしていた。チェリーさんの近くにお皿を投げたのはポップさんのようだ。私の顔が青白くなる。ここで殺し合いとか始めるのかと嫌な想像をしてしまう。
「片づけが大変だろ。落ち着け」
ジェイさんの低めの声が聞こえた。ポップさんは文句のありそうな顔でジェイさんを睨みつけるがすぐに椅子に腰を下ろす。チェリーさんはどこからか袋を取ってくると割れたお皿を片づけていた。
「私も悪かったよ。騒がしくしてごめんよ」
チェリーさんがみんなに謝る。
「ポップもポップだ。どうした昨日から様子が変だぞ」とセルさん。
ポップさんはセルさんの方を見ようともしないでもくもくとご飯を口に運んでいた。
朝食を終え、私はティムの後に続き仕事部屋まで向かっていた。
「ティム」
ポップさんがティムに声をかけた。
「なに…。ポップ」
「話がある」
ティムはこちらを遠慮がちに見た。
「私、先に行っているから。この先の突き当りの部屋だよね?」
「うん。そう。ごめんね」
ティムは申し訳なさそうに言うとポップさんとダイニングルームへ戻った。私は仕事部屋に向かう。
陸Ⅰ
「ティム。貴様何がしたいんだ」
ポップに胸ぐらをつかまれそう言われた。声は普段より低く、威圧感が強くなっている。僕より数センチ身長が低いから見上げられているが蛇に睨まれた蛙のような気分になるくらいの威圧だ。
「何がしたいって由美のこと?」
僕も負けずと睨みつける。
「そうだ。なんであんなやつ連れてきた」
「人手が足りないでしょ」
「僕一人でどうにかなる」
「ならないよ」
「なるんだよ」
「ポップは一人で何でもやろうとするなよ。たまには僕とか頼ってよ。だってきょう…」
「黙れ」
ポップが叫んだ。こんなに大きな声を聞くのは久しぶりだった。
「ティム。お前はいつだって同情で物事を進める。そんなもの、いらないんだよ。同情したらしただけ困るのはお前だ。お前が困るのはどうでもいい。だが僕を巻き込むな。セルを巻き込むな」
「セルは賛成してくれていたよ。反対しているのはポップだけだよ」
ポップの舌打ちが聞こえる。普段から口論になると僕が負けるが今日は少しだけ優勢のようだ。
「セルが何も言わないならいい」
ポップはそう言うと部屋に向かって歩き出した。
「ポップ」
「なんだ」
振り向いたポップはかなり不機嫌そうだ。
「由美、いいやつだよ。嫌わないで仲良くしてやってくれよ」
「何も分からないお前にだけは言われたくない」
そう言うとポップは階段を上がって行った。
「何も分からないってそんな事ないのに」
僕の溜息が廊下に響く。
如月Ⅳ
「ごめんね。由美ちゃん」
椅子に座り、周りにある本棚をぼんやりと見つめているとティムがやってきた。
「大丈夫。ポップさんとのお話終わったの?」
「うん。まぁ」
ティムはそう言うと目を逸らす。何があったのか気になるが聞くと気まずくなりそうなのでやめた。
「じゃあ由美ちゃん。まず由美ちゃんの仕事について説明するね」
私は大きく頷いた。
「今日やってもらうのはファイルの整理。僕達は仕事の依頼が来ておおまかな仕事内容のレポートを書いて依頼人について書いたレポートと念入りな実行計画、それから終わった後のレポートの計四枚を書くんだ。それらをまとめて保管する時間が無くてね。同じ依頼のレポートをまとめて整理するのをやってもらいたいんだ」
「分かった」
私がそう言うとティムさんは部屋の隅にある段ボールをこちらに持ってきた。中を見ると沢山の紙が入っている。
「これを今日はやってもらうね」
「了解」
私は早速段ボールに手を伸ばした。
「僕も少し手伝うから。今日は十時から仕事なんだ。それまで暇だからここにいるね」
「ありがとうティム」
ティムは照れたように笑った。
「それからここには基本誰か来てくれる事になっているから何かあったら聞いてね」
「分かった」
段ボールの中身を少し出すと紙に沢山の文字が書いてある。紙のサイズはまちまちで時々ノートの切れ端みたいなのもある。かわいいメモ帳もあった。
「あぁ。紙ね、その人の個性が出るから。チェリーはかわいいメモ帳をよく使うし、雑なラルクはノートの切れ端。面倒くさがり屋なギャロはチラシの裏とかに書くよ」
「この名刺の裏は?」
「それはリーリ。リーリは情報を聞き出す仕事をするからその人の様子を本人の名刺の裏に書いているんだ。A4用紙を使うのはポップとセルだよ。二人は几帳面だから。ジェイは特にこだわりはないなぁ」
確かに個性が出ているのが分かる。紙を眺めているだけなのにその人のことが分かったような気分になるから不思議だ。
「それにしても皆仕事に偏りがあるね」
荒くしか見ていないがいつも大人数の所へ行くのはギャロさんやラルクさん。逆に少人数の所へ行くのはティムやジェイさんになっている。
「うん。皆それぞれ得意分野があるからね。ラルクやギャロは腕っぷしに自信があるから結構荒っぽい人のいる所へ行くんだ。でも二人とも予想外の事態にに対応出来ないからたまにポップが連れて行かれるんだけどね。ジェイは自殺専門だから一対一が多い。僕はそんなにここに入って経ってないし、まだ殺したりすることに抵抗があるから比較的簡単な依頼が多いんだよ」
「チェリーさんは?」
「チェリーは爆発物専門だからね。建物丸ごと壊したりする時くらいだからそんなに行かないかも。他は自分で爆弾を作って販売したりするんだ」
「すごいね。皆得意なことをやるんだ」
「じゃないとこんな所でやっていられないよ」
ティムはそう言うと笑った。
「ギャロはすごいんだよ。何があっても臆さないから。いつでも前見て仕事する。あ、由美ちゃん、ちゃんと手を動かして。動かしながら話をしよう」
「あ。うん」
私は段ボールに意識を移した。
「ラルクはいつでも楽観的で一緒にいると前向きな気分になる。ポップは頭の回転が速いからその場にすぐに柔軟に対応が出来る。ジェイはとにかく手先が器用で鍵なんかも簡単に開けちゃうんだ」
ティムは嬉しそうに他のメンバーの話をした。ラルクさんは朝のジョギングが日課で走らないと一日うるさかったり、ギャロさんは面倒くさがりすぎてよくセルさんに怒られたり。話ながらの作業でも割と早く進んだ。時計を見るともう九時三十分を回っている。
「じゃあ僕はそろそろ行くね。多分次はラルクかギャロが来ると思うよ。二人ともそろそろ帰ってくるから」
ティムはそう言うと立ち上がった。
「ティム、ありがとう。仕事頑張ってね」
「ありがとう」
ティムの後ろ姿を見つめた後、私は再び作業に取り掛かった。
ふとジェイさんの事を思い出す。
一晩寝ても彼の容姿が頭から離れない。恥ずかしいが昔から大の面食いなのだ。この部屋にジェイさんが来たらどんな話をしようかと考えてしまう。普段と比べると想像も出来ないくらい危ない環境なのに自然と心が落ち着いていた。これもチェリーさんとティムのお陰なのかもしれない。二人からはそんな雰囲気を感じないからだ。
一夜Ⅰ
「あぁ。ハードだったなぁ今日は」
横で運転をするラルクに缶コーヒーを渡しながら俺は呟いた。
「確かに。まさか倉庫にあんなに人がいると思わなかったなぁ。ありがとうコーヒー」
ラルクは前を見たままコーヒーを手に取るとポケットにしまった。
今日の依頼はとある同業者の倉庫に入って資料を盗む事だ。この資料とは俺達が元々握っていた情報でいわゆる盗まれたものだ。以前ジェイが深夜の帰宅途中に背後から何者かに襲われ盗まれたそれだ。ジェイの言うとおりボールペン型のUSBがご丁寧に倉庫にぽつんと置いてあった。USBを手に取りさぁ帰ろうと思った所で敵が現れ時間を食ってしまった。おまけに銃を使ったから何発か弾が無くなった。ラルクの使っていたメリケンサックも若干血がついている。でも俺達はとにかく腕っぷしには自信がある。相手は十人くらいいたがなんてことはない。俺とラルクの二人なら十五人まで相手に出来る。拳銃もあれば二十人は楽勝だ。
信号待ちで車が止まっている時、窓にこつんと音がした。窓を開けてみるとそこには見覚えのある女が立っていた。
同業者の鶴田(つるた)紅(べに)だ。
「ギャロじゃん。ラルクもいる」
「ちーっす。紅さん」
紅は俺よりラルクより年上で物騒な仕事を始めたのも俺よりラルクより早いから先輩だ。ちなみに年齢は紅、ラルク、俺の順番。仕事歴は紅、俺、ラルクの順番だ。
「どうしたんだよ。紅」
「ちょっとこの辺に仕事があってさ。ねぇギャロ。この後暇でしょ。ちょっと付き合ってよ」
紅は艶めかしい視線をこちらに向けてくる。紅は元々顔が色っぽく、スタイルもいい。視線まで色っぽくされたらこっちもお願いを聞きたくなる。ラルクの方を見ると
「ギャロ、行ってきなよ。俺一人で帰るからさ」とニヤニヤしていた。多分ラルクは俺が紅にデートに誘われたのかと思っている。紅の場合、それは百パーセントありえない。紅は仕事に関わる事しかしない女だ。それでも聞いておく価値はある。
「じゃあお言葉に甘えて。じゃあなラルク。レポートは頼んだぞ」
俺はそう言うと車から降りた。タイミングよく信号が青に変わり、手を振って見送った。
「んで紅。何の用だ?」
「まぁとりあえず散歩でもしようよ。ここに立ち止っていると邪魔でしょう」
紅の言うとおりここは歩道だ。立ち止っていると迷惑だろう。
「じゃあ行こうか」
俺が歩き出すと紅はごく自然に腕を絡めてくる。ハニートラップをうちのリーリより上手くこなす紅はとにかくエロい。気を抜くと彼女の虜になりそうになる。
「桜が綺麗ね。こうやって歩いていればカップルみたいよ。最もこんな平日の朝にいい大人がデートするのもおかしいわね」
紅が微笑む。紅の息が首元に当たりくすぐったくなる。これも彼女得意のお色気だ。
「んで話ってなんだよ」
「もう本題に入るの?もう少しデートを楽しみましょうよ」
「こっちも時間無いんだ」
「あら。そう。じゃあ本題に入るわね」
しばらく歩くとベンチを見つけ紅はそこに腰を下ろした。俺も横に座る。
「話はセルについてよ」
「セル?なんでまた」
「セルの様子、最近おかしくない?」
俺は言葉に詰まった。セルは元々感情的になりやすく、時々癇癪を起こす。最後に起こしたのはいつだったかなと考えるが記憶が曖昧で思い出せない。でも最近起こしていなかったのは事実だ。
「そうでもねぇな」
「そう。じゃあ私の杞憂かしらね」
「何かあったんだろ。じゃなきゃわざわざ俺の仕事終わりに待っていねぇだろうが」
俺がそう言うと紅は驚いた顔をした。
「あら。私が待っていたの、気が付いていたの」
「お前は必要なことしかしない主義だろ。全ての行動に意味がある」
「ギャロにしては鋭いじゃない」
紅がわざとらしく笑う。
「んで何なんだよ。セルがどうした」
「セルに依頼されたのよ烏森が」
「烏森が?何で」
烏森というのは紅の弟子のような存在で天才スリ師として有名な男だ。年齢の割に顔が幼く、中学生のような恰好をしてスリをし、相手に警戒されないように近づく侮れない奴だ。俺達SFは以前彼と色々あった。
「よく分からないわ。烏森にある男のDNAを採取してほしいなんて依頼したのよ」
「DNA?それ、烏森の専門じゃねぇだろ。そもそもDNAなんてどうやって採取するんだよ」
「あら知らないの?今はねDNAなんて簡単に採取できるのよ。面貌みたいな専門の道具があって口の中をちょんちょんってやるだけ。今はね、DNAでかかりやすい病気とか分かっちゃうらしいわよ」
「それをどうしてセルが依頼するんだ。あいつにDNA集めとかそんな趣味あったのかよ」
「ほらね」
紅は大袈裟に肩をすくめた。
「何が」
話の筋がイマイチ掴めない。
「ギャロが知らないなんて普通ある?ティムやリーリは最近入ったから知らない事があるにしてもあんたは古株なんだから分かるでしょ。つまりこれはセルの個人的依頼なのよ」
「だからってなんでまた烏森」
「そこなのよ」
紅は人差し指を立て、足を組んだ。綺麗な白くて程良く太い脚がエロい。
「DNAだから手に入れるとしたらDNA鑑定を調べる業者に化けるっていうのが普通のやり方なわけ。そんな仕事だったらおたくのジェイのが適任だと思わない?スーツ着たらイケメン営業マンよ。なのに二十歳になるのに未だ中学生の振りする烏森に頼むわけないわ」
「何でセルは烏森に依頼したんだよ」
俺は理解が遅い。紅はイライラしてきたようだ。
「だからね。これがセルの個人的な依頼なわけ。だからジェイにもポップにもギャロにも相談しない。ましてや他の四人に相談するわけがない。他の人に依頼する。例えば私とか。でも私はこの通りギャロと仲がいい。つまり漏れる。他の適任といえばミロやガロよね。でもミロもガロもポップと仲がいい。つまり漏れる。だから烏森よ」
「烏森は特別SFメンバーと親しくしてないよな?つまり俺達には詮索されたくない依頼ってことか?」
「その通りよ」
やっと分かったかとでも言いたげな目で紅は見てくる。
「だから不向きでも烏森に依頼したわけ。その依頼もまた強引なのよ。ターゲットの家にDNAについてのチラシと採取用の道具を置いてきてからそれをスレって。そんなの上手くいくと思う?セルって案外馬鹿なのね」
「セルらしくねぇな」
セルはとにかく頭がいい。もっと賢いやり方があるだろう。
「でしょう。昔からの付き合いのギャロが言うんだから本当にセルらしくないわよ」
「んでお前はどうしたんだ?」
「戸惑う烏森に見かねて私が引き受けたわよ。珍しくスーツ着て。DNA鑑定しませんか?その人にあった健康法が分かりますよとか適当な事言ってね。ただDNAを渡すだけの仕事なのに三百万っていうのも魅力的だったしね」
「それは高い」
今日の資料盗みの仕事の倍以上の金だ。
「一応やったはいいけどやっぱ気になるわけ。何でDNAって。ギャロなら心当たりあるかと思ったんだけど無駄だったみたいね」
「俺には全く心当たりないな」
「聞く相手を間違えたわ。ポップにすればよかった」
はぁと大袈裟に溜息をつかれた。溜息をつきたいのはこっちだ。無駄足を踏んだ。
「そういや紅。そのDNAを採取した相手って誰なんだ?」
肝心なことを聞くのを忘れていた。てっきり紅は教えてくれないと思ったが案外簡単に教えてくれた。
「如月由人(よしひと)よ。女に口に月で如月。珍しい苗字よね」
「如月…」
如月。確かに珍しい。でも最近どこかで聞いたような。
「どう心当たりある?」
「いやねぇな」
「やっぱり聞く相手間違えたわ。まぁとにかく何か分かったら教えて。このままだと気持ちが悪いわ」
そう言うと紅は挨拶もせずに去って行った。一人残された俺はひたすら如月由人について考える。如月。如月、如月。あ。如月由美。
昨日ティムに連れられてやってきた女だ。如月由美。あいつとDNAの件、何か関係があるのか?
頭を使うのはとにかく苦手だ。全然分からねぇ。とりあえずポップがジェイ辺りに話してみるか。
俺は立ち上がると帰路についた。
如月Ⅴ
「にーがつ」
誰かの声が聞こえ顔を上げると目の前にラルクさんが立っていた。にがつとは何だろう。
「二月っていうのはお前のあだ名な。だってお前如月なんだもん。如月って二月だろ?」
私の疑問が顔に出ていたのか。ラルクさんに考えていたことを当てられて少し驚いた。
「よく分かりましたね」
「俺に分かるわけねーだろ。よくポップに言われたんだ。ラルクは説明しない。ってな。だから二月も分からなかったのかなって思っただけだ」
ラルクさんは口を大きく開けてげらげらと下品に笑う。SFには静かな人が多いから珍しいタイプだ。
「んでどうよ二月。仕事は進んでいるか?」
「ええ。何とか」
段ボールの中を見ると半分くらい減っている。まずまずの出来だと思う。
「じゃあ休憩しようぜ。俺と話そう」
「え。それは不味いのでは?」
私が遠慮がちに言うとラルクさんはまたげらげらと下品に笑う。
「いいんだよ。こまけぇことは。とりあえず話す。分かったな?」
本当にSFには珍しいタイプだなと思いながらも私は頷いた。疲れてもいたから丁度いい。
「二月はSFのことどこまで聞いたんだ?ティムと一緒にいたってことは少しは聞いているんだろ。あいつお喋りだもんな」
「ええ。少しだけ。皆さんの性格とか聞きました」
「じゃあ俺がとっておきの話を教えてやるよ」
ラルクさんは誇らしげに私を見てきた。期待を膨らませ耳を傾ける。
「SFって最初からこのメンバーだったわけじゃないんだぜ」
「え。そうなんですか?」
「おうよ。大きく三分割されていてさ。結成当時からいるのがセル、ポップ、ギャロ、ジェイなんだ。あの四人は同じ孤児院出身らしくてとにかく深い仲らしいぜ」
それを聞いて私は少し納得した。ジェイさんやギャロさんはよく分からなかったがセルさんとポップさんには信頼関係というか、言葉に出来ないがお互いがお互いを認め合っているようなそんな雰囲気がしていた。
「んで次に入ってきたのが俺とチェリーだ。チェリーが何で入ってきたかは知らねぇけど、俺は七人兄弟の末っ子でな。家が柔道の道場なんだ。とにかく両親が兄貴を贔屓するから嫌で出てきたんだ。そこで知り合ったのがSFに入ったばかりのチェリーでさ。俺はセルもポップもギャロもジェイも信頼しているけど一番はやっぱチェリーだな」
「二人は仲が良いんですね」
「まぁな。たまに二人で遊びに行くぜ」
殺し屋というととにかく物騒なイメージしかなかったがこの話を聞いてかなり変わった。仲のいい二人で遊びに行く。学生とそんなに変わらない。
「んで最後に入ったのがリーリ、ティムだ。ティムに関しては数か月前だぜ」
「それしか経っていないのにこんなに人を殺しているんですか?」
私はさっきまとめたレポートを指さした。
「まぁ普通だろ」
殺し屋の世界はよく分からない。私は今までで一番そう思った。
「と、まぁここまではそんなにびっくりすることじゃない。これからだよ、とっておきの話は」
ラルクさんが更に誇らしげな顔になるので私は身構える。
「実はさ」
「ポップとティムって双子なんだ」
「…はい?」
目が点になり、間抜けな声が出た。
「だーかーらー。双子なの」
「誰が?ですか?」
「ポップとティム」
頭の中でポップさんとティムの顔を思い浮かべる。顔は似ていなくもない。でも性格は…。ティムは優しくて面倒見がよくて私にも優しくしてくれる。ポップさんはよく知らないが怖いというイメージしかない。
「冗談ですよね?」
「マジ。ポップが弟でティムが兄な」
「見えないですね…」
「だろ?俺も最初何かの間違いかと思ったぜ」
ラルクさんが口を大きく開けてげらげらと笑う。
「だけどなぁ。あの二人超仲悪いぜ」
「そうなんですか」
今朝のティムの様子を思い出した。ポップさんと喧嘩をしたのかもしれない。私は兄弟がいないからよく分からないが弟と仲の悪いとはどんな気分なんだろう。
「ところでラルクさん。二人は双子なのに何で入った時期が違うんですか?」
「あー。うん。それはなぁ」
ラルクさんが口を開くとタイミングが良いのか悪いのかドアが開いた。ジェイさんが立っている。
「ラルク、無駄話はそこまでだ」
ジェイさんの綺麗な声が部屋に響く。整った顔によく合っている。
「え、もう?」
「お前がいると如月の仕事の邪魔になる。お前は大人しくレポートを書け」
「へーい」
ラルクさんは唇を尖らせながら渋々部屋を出て行く。目が合うと手を振ってくれた。ドアが閉まると途端に部屋が静かになる。ジェイさんと二人きりになった。
「…………」
沈黙が怖い。とにかく手を動かさないと。そう思い必死に動かしたが視界の隅にいるジェイさんを見ていると手が止まってしまう。直視すると顔が赤くなるのが分かる。
視界に入れないよう、必死で段ボールの中身に集中した。
海Ⅱ
「海。疲れているんじゃないか?」
セルが突然手を止めて聞いてきた。僕は返事をすることも頷くことも出来ず目を向けるだけだが。
「特に…疲れてはいないよ」
「そうは見えないけどな」
セルの目はこちらの心を見透かすように鋭い。言える訳ない。セルのことが心配で眠れないなんて。
「あんまり思いつめるなよ」
セルはとにかく冷静な人だ。でも癇癪持ちで時々暴れてしまう。その時に落ち着かせるのが僕とギャロとジェイだ。
セルの方を見る。特に何も無かったかのようにパソコンのキーを叩いている。心配いらない…と信じたい。
セルが最後に癇癪を起こしたのは一か月前くらいだっただろうか。正しい日にちは覚えていないが最近起こしていないことだけは確かだ。
ガシャン。
セルの書斎から何かの割れる音がしたのは昼間だった。家には誰もいない。僕だけだ。
僕は読みかけの本をテーブルに置くと真っ直ぐセルの部屋へ向かった。とにかく心配だった。
「瀬人?大丈夫?」
僕達。セル、ギャロ、ジェイの四人の間の約束。四人だけは本名で呼ぶ。僕達はいつだってこれを守ってきた。
セルの部屋を開けると荒らされていた。勿論犯人は瀬人。瀬人は狂ったように叫び、次々と部屋の物を投げていた。僕の身長は百五十八センチ。瀬人の身長は百八十センチ。どう考えても瀬人を抑えることの出来ない体格差だ。こんな時はすぐに頼るに限る。ポケットからスマートフォンを取り出した。
「もしもし?一夜?」
数回のコールの後すぐに電話に出てくれた。
「どうした?海」
「瀬人が暴れている。すぐに来て。出来たら圭も」
「おうよ」
ギャロは、一夜はそう言うとすぐに電話を切った。
暴れる瀬人を見つめる。普段の冷静で格好いい瀬人はいない。まるで獣のようだ。でも、普段の瀬人だけでは人間らしさがない。たまにはこんな日も必要だ。
だが怖いのも事実。僕は瀬人を目に入れないよう部屋の外で蹲り嵐が去るのを待った。
「あの男が。あの男がいなければ…」
瀬人がそう叫んだ。
あの男?
僕にはよく理解出来なかったが瀬人の荒らした後を少しずつ片付ける。部屋の外にもペンのインクや物が散乱している。
数分経つと一夜と圭が駆け付けてくれた。
一夜はすぐに部屋に入ると瀬人に覆いかぶさる形で抱き着き、動きを抑えた。背は瀬人のが高いものの、細い瀬人では一夜に抵抗することは難しい。しばらく一夜が抑えていると瀬人は落ち着いてきた。
「大丈夫か?海」
圭が僕に手を差し出してくれる。手を取り、立ち上がった。
「大丈夫だよ」
僕が笑って答えると圭は嬉しそうに笑った。相変わらず整った顔だなぁと感心した。
「瀬人。どうしたんだ今日は」
落ち着いた瀬人をソファーに座らせた一夜が尋ねた。
「いや。別に」
瀬人は大体癇癪を起こした後は何があったか話してくれる。なのに今日は話してくれなかった。圭のどうした?にも僕のどうしたの?にも答えない。瀬人の目は真っ直ぐだったが僕達の方は全く見ていなかった。
その時はおかしいとは思わなかった。でも今になって思う。
瀬人。どうしたの?
聞きたいけどその一言が出ない。
瀬人の癇癪はしばらく起きていない。安心するべきなのに僕には不安しかない。
瀬人。大丈夫だよね?
僕は祈るように瀬人を見た。セルフレームの下の目はパソコンを睨むように見ている。
如月Ⅵ
「………」
SFに入って一週間が経った。仕事も慣れてきて、数名を除くメンバーとも打ち解けてきて。順調なはずだけど未だにジェイさんとは会話が無い。今もジェイさんが同じ部屋に居てくれているが沈黙のみだ。最もジェイさんとは緊張して上手く話せないのだが。
ティムを初め、チェリーさん、ラルクさん、ギャロさんとは話すことが出来た。リーリさんは昼間は寝ていることが多いのか、全く顔を合わせない。ポップさんともセルさんとも一緒の時は何度かあったか会話はほとんど続かなかった。
この調子でやっていけるのか。そんな不安が日々強くなる。ティムは「僕がいるから大丈夫」と言ってくれる。今はその言葉を信じるしかない。
「如月」
ジェイさんが声をかけてきた。名前を呼ばれただけなのに心臓が口から出そうなくらい、驚いた。
「な、なんでしょうか」
心臓が五月蝿い。よくこんなにも五月蝿い音が出せるなと感心する。
「お前はここを辞めた方がいい」
ジェイさんの言葉は氷のように冷たかった。氷が尖り、氷柱になり私の心に突き刺さる。
辞めた方がいい。その通りだと私も思う。
「嫌です」
ここにいるのは正直怖い。でもここ以外私の居場所はもう無い。一人で、公園で時間を無駄にするよりここで雑用でもこなしている方がずっとよかった。
「お前には向いていない」
ジェイさんの言葉が更に心に突き刺さる。
「それでも、私は辞めません」
ジェイさんが大袈裟に溜息をついた。聞く耳を持たないやつだとも思っているのだろう。ジェイさんに嫌われるのはあまり嬉しくない。でもここから離れる方がもっと嬉しくない。
「私はここにいたいです。お願いします。足は引っ張らないので辞めろなんて言わないでください」
語尾が震える。泣きそうになるのを堪えながら必死に声を出した。
「如月。俺の話を聞いてくれ…」
ジェイさんの声を遮るようにドアが開いた。
「如月?いる?」
チェリーさんが入ってきた。
「はい。なんでしょうか?」
「セル君からの依頼だよ。初の外回り。私とティムと今すぐ行こう」
突然の外回りの依頼に嬉しさのあまり飛び跳ねそうになった。今まで資料整理しかして来なかった。足手まといじゃなかったんだ。
「あのジェイさん。話って…」
遮ってしまい、聞くことの出来なかったことを尋ねた。
「いや。何でもない。気を付けて行って来いよ」
ジェイさんは笑って手を振ってくれた。私は頷くとチェリーさんの後を追う。
そういえばジェイさんの笑顔を見たの、初めてだ。彼の笑顔を忘れない様、脳裏に焼き付ける。
これがジェイさんを見かける最後なんてこの時は思いもしなかった。
零七Ⅰ
欠伸を噛み殺しながらパソコンと向き合う。いつの間にか外が明るくなっていて、時計を見てみると午前十時を回っていた。再びパソコンに目を落とす。もう少しで今日のノルマは達成出来そうだ。とりあえず寝たい。ただそれだけ。
昨日も深夜まで偵察に行っていた。新たなターゲットを見つけ調べ、どのタイミングで殺すべきか見極める為だ。この作業程面倒臭く、大事なものは無い。昨日撮った写真をもう一度全て見てみる。すると一枚だけターゲットのものではない写真があった。なんだろうと首を傾げる。
そうだ思い出した。
同業者のミロという男と謎の黒髪少女の写真だ。ミロが女と歩いているのが珍しくてつい撮ってしまった一枚だった。ミロは依頼の話をいつも店でする。彼等の経営する喫茶店の方が人目につかないから都合がいい。そしてそのまま店で別れるのがミロのスタイルだ。
なのに昨日は人と歩いていた。
ミロにもガールフレンドの一人や二人はいるだろう。だから放っておいてもいい。でも面白そうだからつい撮ってしまった。
今度ミロに突き付けて話を聞こうと思い、私はその写真を印刷した。
プリントアウトされた写真を眺める。ミロではなく黒髪の女の子の方だ。
どこかで見たことのある顔だった。驚く程小顔に白い肌、ぱっちりとした目。整った顔だ。雰囲気は大人びていたが時々見せる笑顔は幼く、可愛らしい少女だった。
とくに気にする必要もないか。
ミロの弱味になればそれでいい。私は写真を放り投げるとベッドに飛び込んだ。
私はとにかく、眠いんだ。
如月Ⅶ
「由美大丈夫?表情が固いけど」
ティムが顔を覗き込むように見ている。
「大丈夫。大丈夫よ…。うん」
「全然大丈夫じゃないじゃない。そんなに緊張しなくてもいいのよ」
チェリーさんは私の顔を見ると愉快そうに笑った。
緊張するなと言われてもしてしまうものはする。今日はSFに入って初めての外回りだ。一週間全く外に出ていなかったせいかただのコンクリートの道も新鮮に感じる。
「今日はどこに行くんですか?」
「少し歩くけど廃墟があるのよ。そこに人がいた痕跡を探すっていうだけよ」
チェリーさんは何でもないように話すが私にとっては未知の世界だ。一週間まとめたレポートを見る限りこの世界は何が起きるか分からない。もしかしたら今すぐ後ろから殺し屋がやってきて私の首にナイフを突き付けて殺しに来るかもしれない。普通の生活ではあり得ないことがここでは起きるんだ。
ふとジェイさんのことを思い出した。出かけ際に見た彼の笑顔、行って来いよと言いながら手を振ってくれた…。
「チェリー…。由美、今度は顔が赤くなっているけどどうしちゃったんだろう」
「さぁ?知らないわよ」
今の私の耳には二人の声が入ってこなかった。帰ったらジェイさんにどんな話をしよう。無事仕事が出来た報告はするとして他に何を話そう。
「着いたよ」
ティムに肩を叩かれやっと我に返る。周りを見ると先程とは打って変わって緑の多い景色になっていた。目の前には壊れる寸前の廃墟がある。
「ここよさっき話した廃墟は」
「じゃあ行こうか」
ティムさんを先頭に私、チェリーさんの順番で足を踏み入れる。中は昼間なのに薄暗くてなんだか気味が悪い。
「誰もいないね」とティムさん。
「ティム。三人でまとまっていても効率が悪いから二手に分かれよう」とチェリーさんが提案した。
「でも、私一人だと流石に心細いです」
私が控えめにそう言うとチェリーさんは分かっていると言いたげに大きく頷いた。
「大丈夫。如月と私で一緒に行動しよう。私と如月は右側を見るからティムは左側を見て来て」
「う、うん。分かった」
ティムさんはそう言うと左側へ歩いて行った。途中何度かこちらを心配そうに見ていた。
「さぁ如月行こうか」
チェリーさんが私の前を歩く。彼女の背中は心強かった。
チェリーさんは少し歩くと通路の右側にある部屋に入って行った。私もその後に続く。私が部屋に入るとチェリーさんは扉を閉めた。
様子がおかしいことに気が付いたのはその時だった。
さっきから何度か部屋を見て人の有無を確認していたがチェリーさんが扉を閉めたのはこれが初めてだった。そもそも人の有無を確かめるのだから扉は閉める必要がない。
「チェリーさん?」
チェリーさんは不気味な笑みを浮かべると勢いよく突っ込んできた。咄嗟の出来事で避けることも反撃することも出来ない。動くことも出来なかった。チェリーさんは私より小柄なのに力は倍以上あった。腕を抑えられ、背中で縛られた。足も同様に。
何も言えずただただ今の状態を見ているだけの私をチェリーさんは冷たく見下ろす。
「あんた。馬鹿よねぇ」
「え…」
やっと出た声は間抜けだった。
「だってさぁ。疑いもなく私と二人きりになるんだもの。あんたさ、SF内であんたによくしてくれたのティムだけだってことに気が付かなかった?」
「元々あんたのこと殺す計画を立てていたのよ私達。ティムがあんたのこと連れてきたから計画が狂ったけどさ」
チェリーさんは今まで見たことのないくらい冷たい目でこちらを見てくる。チェリーさんにあった親しみやすい雰囲気は、今は、無い。
「仕方ないから計画変更したわ。すぐ殺してもよかったの本当は。でもすぐに殺(や)るってなったらティムがあんたのこと逃がすでしょ。それはプロとして最も恥ずべきことだから様子見たわけ。ティム、想像以上にあんたに惚れているみたいだし」
「どう?この一週間殺意を隠されて過ごした気分は?楽しかった?」
チェリーさんの淡々とした言い方が心に突き刺さる。私の居場所はもうどこにも無かった。そう思うと自然に笑みがこぼれる。
「楽しかったです。最後の最後で皆さんのお手伝いが出来て」
私がそう言うとチェリーさんは意外そうな顔をした。
「あ、そ。じゃあ最後に何か言うことある?遺言くらい聞いてあげるわよ」
チェリーさんはいつの間にかナイフを取り出したのか、手に持っていた。ナイフの刃は銀色に輝いていて不気味だった。
「最後ですか。ティムさんにありがとうって伝えてください」
ジェイさんのことを言うか悩んだ。でもジェイさんも、もしかすると私を殺す為にあの笑顔を向けたのかもしれない。チェリーさんの言うことが本当なら今の私の味方はティムさんだけだ。
「分かったわ」
チェリーさんはそう言うと私に近付いてきた。一歩、二歩と距離を詰める。
「如月。あんたいいやつだったよ。これも仕事だから殺(や)るしかないんだけどね」
そう言ってもらえて嬉しいです。言おうとした瞬間、チェリーさんの腕が勢いよく動いた。首に激痛が走る。
「バイバイ。如月」
チェリーさんの声が遠く感じる。視界が白くなっていく。あぁ私、死ぬんだ。
最後に色々なことを考えた。今までのこと、SFで起きたこと。
ティムありがとう。私の味方で居てくれて。
お父さん、お母さん。すぐいくからね。
圭Ⅰ
静かな部屋で一人、溜息をつく。如月の出て行ったドアを見つめ、再び溜息をついた。
これでよかったのか。引き留めるべきだったのか。よく分からない。
如月は今日殺される。チェリーの手で。本当は、如月は死ななくても良いのに。
このことは、俺と瀬人しか知らないことだ。如月由美を初め如月夫妻は殺される必要は無かった。俺は無意識にあの日のことを思い出していた。
あの日はいつも以上に仕事が早く片付いた。そのまま真っすぐ戻ってラルクの夕方のジョギングに付き合わされることを考えると寄り道して帰って、ラルクの出発した後に戻った方が賢明だと思い、普段は使わない道を使っていた。だから初め瀬人を見かけた時は他人の空似だと思っていた。瀬人はこの道を使うことは無いし、この世には似ている人が三人いると聞くし。
瀬人によく似た男は「如月」と書かれた家に入って行った。普段だったら特に気にかけることは無かった。瀬人によく似た人の名前が如月で帰宅したんだなと思うくらいだ。だが、すぐに銃声が聞こえ、その後に何かが倒れる音がし、俺は如月家に飛び込んだ。銃声と言っても大きな音じゃない。サープレッサーを使ったがちり。という僅かな音だ。普通の人には聞こえないかもしれないが、ギャロが、一夜がよく仕事の時にサープレッサーをはめた拳銃を使うので僅かな音も耳が拾うようになっていた。
家に入るとまず玄関に四十代半ばくらいの女性が倒れていた。すぐそばに置いてあった写真立てに女の子が一人、母親らしき人、そして父親らしき人が写っていたからこの家に三人で暮らしていることが容易に想像出来た。倒れていた女性が母親だ。彼女の遺体を見つめていると再びがちり。という僅かな音と何かが倒れる音がした。どくん、どくんと俺の心臓がうるさくなる。嫌な予感しかしない。
銃声の聞こえた奥の部屋に入る。そこにはやはり瀬人によく似た男が立っていた。いや、似た男じゃない。瀬人本人だ。手にはサープレッサーがはめられた拳銃、足元には先ほどの写真に写っていた父親らしき人が横たわっている。一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。
「せ、瀬人。どうしたんだ」
やっとの思いで発した声は我ながら間抜けだった。
「やぁ圭。どうしたんだ?」
瀬人の目は穏やかだ。とても、人を殺した後とは思えない。
「どうしたって」
「俺の方は見れば分かるだろ」
瀬人はそういうと顎で男の遺体を指す。そして手に持っていた拳銃を高く掲げた。
「殺したんだ」
「依頼があったのか?」
「いや」
依頼の無い人を殺すのはSFのルールに反する、重大な罪だ。だが、瀬人は悪びれる様子もなく堂々としていて、こちらの認識が間違えていたのかと思ってしまった。
「圭。外に出ようか。このままだとこの家の娘が帰ってきてしまう」
瀬人は冷ややかな笑みを浮かべると拳銃を鞄にしまい、玄関へ向かった。俺もその後を追う。
外へ出た瀬人はすぐ近くの公園へ向かって行った。俺も続く。公園には誰もいなく、遊具が寂しそうにしていた。
「大丈夫か?圭。顔色が悪い」
「大丈夫じゃない…」
俺は考え事をするとすぐに顔が青ざめる。自分の顔を見ることは出来ないが、恐らく真っ青になっているだろう。何故瀬人が依頼の無い人を殺したのか、何故俺達に相談しなかったのか。俺達は孤児院の頃から四人で生きてきた。一言何か言ってもいいだろう。
「何から話せばいいのか」
瀬人は困ったように頭を掻いた。
「そうだな。まずは如月家の奴らとの関係だな」
瀬人はゆっくりと話し始めた。
「俺さ、父親が誰だか分からないって話しただろ」
孤児院出身のやつのほとんどが父親がいない。だが瀬人は父親の顔も、名前も知らなかった。
「あの人、父親だったんだ」
どいうこと。声を発しようとしたが上手く出なかった。
「俺さ、前に話したよな。圭にも海にも一夜にも」
「俺の母親、犯罪者だって」
そう。瀬人の母親は世間を騒がせた有名な犯罪コーディネーターだ。やっていることはSFと大して変わらない。ただ、個人で行い、実行には移さずただ計画を練るだけだ。「俺の父親さ、強姦魔なんだ。色々調べて分かったことなんだけど、母親、結婚していないし、誰か特定の人と関係持っていたわけでもないらしいし。そしたら母親が俺の生まれる前に強姦に遭っていたことが分かってさ。その犯人があの如月って男なんだ。如月由人」
言葉が出なかった。俺達は瀬人の話を聞いた時、てっきり不倫をして子供が出来てしまって産んだのかと思っていたから。
「俺を産んだ後、母さん捕まったけどさ。捕まる前言っていたんだよな。『ごめんね。こんな両親で』って。意味がようやく分かったよ。犯罪コーディネーターと強姦魔の子供だもんな、俺。昔から大人に白い眼で見られていた理由が分かった」
「瀬人。だから…」
「そう。如月が憎くて殺した」
「あの如月さ、捕まっていたんだけど当時未成年で少年院に入っていたんだよ。だから早く出て来た。それで結婚して子供作って笑顔で暮らしているんだ。あいつの被害者の母さんは捕まった後病気で死んだし、俺は白い眼で見られ続けたし。許せなかった」
瀬人の声は震えていた。こんなに怒りを露わにする瀬人は珍しかった。
「だからあの時。癇癪起こした時あの男がって言っていたのか」
「そうだな。そう言えばそんなこと言っていたな」
俺は何も言うことが出来なかった。勿論瀬人がやったことは許されることではない。俺達SFは何人も殺めてきたが一つだけルールは守ってきた。
『私情で人を殺してはいけない』
瀬人はこのルールを破った。でも、瀬人を責めることは出来ない。瀬人に如月由人を恨むな、なんて言えるわけない。これを海にも一夜にも話すことは出来ない。二人にバレたら怒るだろう。ルールを作ったのは瀬人なのに。瀬人が破るなんて。特に海は瀬人を慕っている。憧れの瀬人が個人的な感情に飲まれ、手を出したなんて知ったら。何をするか分からない。
「でも、瀬人は如月家の娘は殺さないんだよな?」
「いや。殺す」
瀬人は考える素振りも見せず、そう言った。
「なんで殺すんだよ。瀬人が憎いのは如月由人だろ」
「確かに如月が憎い。でも娘だって許せない。如月の幸せは全て壊したくなるんだ」
瀬人は頑固だ。決めたら絶対に譲らないだろう。
「でもどうする。娘に警戒されるんじゃないのか?」
「圭に頼みがあるんだ」
瀬人の頼みはこうだ。娘をSFに入れたいと。一週間娘がどんな人間か見たい、と。結局、瀬人は殺す。それは分かっていた。本来なら如月の娘は助けるべきだと。でも、出来なかった。
もう一つ瀬人からの頼みがあった。如月のことは俺達二人の秘密にすること。あくまでも如月を殺す名目は依頼があったことにすること。ティムにも、リーリにも、ラルクにも、チェリーにも、勿論海や一夜には言わないと約束した。
もう一度如月の出て行ったドアを見つめる。
俺は怖いんだ。瀬人が。冷酷で躊躇いもなく人を殺せる瀬人が。俺はきっとSFの中で一番殺しに向いていない。感情を普段から押し殺すようにしているものの、心の中ではいつも怯えていた。殺した人間が見えるんだ。
如月。ごめん。助けてやれなかった。
気が付くと頬が濡れていた。泣いたのいつぶりだろう。
陸Ⅱ
「何…これ」
なかなか戻って来ない如月とチェリーが心配になり、様子を見に来た。すると血だらけで倒れている如月と、血だらけのナイフを持ったチェリーがいた。
「何なのこれ」
チェリーを睨む。チェリーは仕事の時に見せる冷たい目で吐き捨てた。
「見りゃ分かるでしょ」
「分かんないよ!」
僕が大声を出すのは久しぶりだ。少し掠れ気味の声が喉を鳴らし、出た。
「あんたさ、本当お気楽な馬鹿よね」
チェリーが冷たく吐き捨てる。僕の顔がどんどん赤くなるのが分かる。ポップもそうだ。チェリーもだ。僕が何も知らないとか分かってないとかいつも言って。君達のがよっぽど分かっていない。君達のやっていることは犯罪なんだ。
「誰もあんたに如月がターゲットだってこと言わない理由が今分かったわ。元々気が付いていたけど。あんたに言ったら如月のこと逃がすもんね」
「だったら何?由美に殺される理由なんかないよ」
「分かんないわよ」
「なんでそう言えるの?」
「もしかしたらあの如月って子、嫌なやつかもしれないじゃない。人の恨みなんていつ買っているか分かんないわよ」
「だからってなんで殺すんだ!」
僕が再び叫ぶとチェリーが僕の頬を打った。痛みで一瞬頭がぼうっとした。
「だったらなんでここにいるの?あんた殺し屋でしょ?いい加減そのいい子ちゃんやめなさいよ。あんたのいい子ぶった言動見ているの、腹立つのよ」
チェリーはそう言うとさっさと出口へ向かう。僕も仕方なく後に続いた。
チェリーの言っていることは正しい。チェリーは殺し屋なんだ。でも違う。殺しはいけない。しかも仲間なんだ、由美は。許せる訳ないじゃないか。
前を歩くチェリーの背中を睨みつける。チェリーの赤毛が由美の血と重なって見えた。
弘樹Ⅰ
「チェリー?入るぞ」
チェリーの部屋をノックすると中から気怠そうな声が聞こえてきた。YESかNOか聞き取れなかったがとりあえず入る。
「大丈夫か?」
ベッドに寝転んでいるチェリーに声をかけた。昨日から具合が悪いと言っていたが大分回復したみたいだ。
「うん。まぁ」
「ならいいけど」
許可を取らずに俺はベッドに腰を下ろした。
「ラルク」
「何だ」
「私殺されるかも」
「はぁ?」
「なんか殺されそうな気がする」
チェリーの顔をまじまじと見つめる。冗談を言っている顔には…見えない。
「誰にだよ」
「ティム」
俺はあぁと納得した。
如月由美を殺して早三日。ティムはあれからSFメンバーと誰とも口を利かない。まぁ当然か。あんなことがあったんだから。
ティムは元々殺す予定だったターゲットに惚れ込み、しかも仲間からターゲットであることを伝えられていなかった。ターゲットであることを伝えない方がいいという意見は全員一致で決まった。当然だ。ティムはただでなくても情に流されやすい。両親が死んだ如月に感情移入するのは簡単に想像がつく。惚れた女だったら身を滅ぼしてでも逃がすだろう。
「でも、ティムだったら簡単に捻り潰せるだろ。チェリーがティムにナイフの使い方教えたんだから」
「そりゃそうだけどね。でもねラルク、人は時々思いもよらない行動するのよ」
「そうだよなぁ。何せあのポップの兄だもんな。一筋縄では行かないよな」
「ポップとティムは違うよ」
チェリーが珍しく早口になった。普段から自分のペースを崩さないのに珍しい。
「いや、違うっていうのは冷酷さね。まだティムには私を殺す度胸はないと思うけどさ」
チェリーはそう言うと立ち上がり、シンクに向かった。一応全員の部屋には小さなガスコンロとちょっとした洗い物が出来るくらいのシンクがある。チェリーは冷蔵庫から濃縮タイプの飲み物、水を取り出し、シンクの下から計量カップとマドラーを取り出し、こちらに戻ってきた。
「お前相変わらずだな」
俺は呆れて笑うしかない。
「いいじゃない、これがいいのよ」
チェリーの昔からの癖だ。飲み物でもなんでも几帳面に計る。この濃縮タイプの飲み物も四倍に薄めると書いてあれば計量カップで計ってぴったり四倍にする。
「まぁこれなら味変わらないよな」
「ラルクは大雑把すぎなのよ」
「うるせぇ」
チェリーと目が合うと二人同時に笑った。
「とりあえずさ。ラルク」
「ん?」
「私が死んだら真っ先にティムを疑ってよ」
チェリーは飲み物を差し出しそう言った。
「分かったよ」
俺は受け取ると口を付けた。いつもと変わらない濃くも薄くもない味だ。俺が作るものとは同じ商品のはずなのに味が違う。
「なぁチェリー」
「何?」
「今度どっか遊びに行こうか」
「そうね。私が生きていたらね」
チェリーはそう言うと悪戯っぽく笑った。まだそう言うか。俺も釣られて笑った。
陸Ⅲ
「じゃあ行ってくるね」
玄関からチェリーの声が聞こえる。恐らくラルクに言ったのだろう。今家に居るのはラルクとセルとジェイだけで、セルは書斎に籠っていて、ジェイは体調を崩しているらしく、部屋から出ていないみたいだ。僕はポケットにナイフをしまうと立ち上がる。右ポケットに二本、左ポケットに一本、右太腿辺りのポケットに一本、左脹脛辺りのポケットに一本、計五本。これだけ準備をすれば抜かりないだろう。
僕は行ってきますも言わずに外に出た。チェリーの後を追う。行先は分かっている。三日前由美が死んだ廃墟だ。昨日セルに廃墟ごと壊してくるようチェリーが依頼されていた。勿論遺体の身元を隠すためだ。
チェリーより先に行かないよう、慎重に後を追う。目的はただ一つ。由美の敵討ちだ。
皆おかしいんだ。何で由美を殺すことに誰も反対しない?由美が殺される要素なんてどこにある。皆の顔を思い出すたび沸々と怒りが沸く。
ふとギャロの言葉を思い出した。SFに入りたての頃何度も言われたことだ。
『殺し屋は私情で人を殺してはいけない』
今の僕のやろうとしていることはまさにそれだ。確かそれを破ったら酷い目に遭うと何度も言われてきた。でも、でも。やっぱり許せないよ…。
チェリーが廃墟に入って行く。手には時限式の爆弾。あれで建物を破壊するつもりだ。
由美の遺体諸共…。
許せない、許せない、許せない。
落ち着け、と自分に言い聞かせ僕も廃墟に入る。そしてチェリーの後を追う。チェリーは左奥の部屋に入った。僕もすぐに追う。その時だった。
腕を思い切り引かれた。引いたのは勿論、チェリーだ。
「尾行下手」
チェリーに跪く形になり、見上げた。目は由美を殺した後のように冷たかった。
「いつから気が付いていたの?」
「初めからよ。どうせ敵討ちとか思っているんでしょうけど」
図星をつかれ、何も言えない。僕の無言を負けと解釈したチェリーは嘲笑った。
「本当あんたって馬鹿。私を殺したらSFのルール違反よ?身を滅ぼしたいのかしらね。そうだ。あんた、かなり如月由美に惚れているみたいだから特別に一緒に死なせてあげる」
そう言うとチェリーはポケットから手錠を取り出し、片方を部屋にある机の脚にかけた。もう片方は、僕の腕だ。
「これで満足よね。好きな女と死ねるんだから」
ふざけるな。僕の頭の中は未だかつてないくらい怒りに染まっていた。もう、迷わない。元々殺すつもりだったんだ。僕はチェリーに掴まれていない右手を動かし、左ポケットから勢いよくナイフを抜いた。
チェリーは素早く避けた。僕の動きを予想していたみたいだ。
「許さない許さない許さない!」
僕は思い切りチェリーに突っ込む。だが右手を抑えられ、すぐにナイフが奪われてしまった。ならば。と思い、右ポケットからナイフを抜いた。沢山準備しておいてよかった。左手にナイフを持っていることは予想していなかったのか、チェリーはよろけ、掴んでいた右手を離した。左手に持っていたナイフを右手に持ち替え、右ポケットに入っていたもう一本のナイフを左手に持つ。尻餅をついたチェリーに一歩、二歩と近づく。チェリーは僕から奪ったナイフを持つと立ち上がり僕に向けてきた、
「ナイフの使い方教えたの、誰だっけ?私に勝てると思っているの?」
恐らく僕はチェリーには勝てない。度胸も身体能力も彼女のが上だ。でも勝つことは出来なくても転ばせることくらいなら出来る。そしてチェリーがさっき僕の手に付けようとしていた手錠を彼女の腕に付ける。そして時限爆弾を起動させ、僕は逃げる。自分の作った爆弾で殺されるのはどんな気分だろう。考えただけで背筋がぞくぞくする。僕ってこんなに殺すの好きだっけ。あぁ、憎いから楽しんだ。きっと由美は怖かっただろう。自分に良くしてくれていた女に突然ナイフを向けられたのだから。絶対に、仇を討ってやる。
僕は決心するとチェリーに突っ込んだ。当然ながら彼女は華麗に避ける。が、僕はその足の動きを見逃さない。チェリーのナイフを避ける時の動きはもう何回も見させてもらった。これでミスする方がおかしい。チェリーの足に上手く足をかけ、転ばせることに成功した。だが、気は抜けない。一秒でも時間があれば反撃されてしまう。僕は瞬時に手錠を手に取るとチェリーの右腕にかけた。がしゃん。という器具の音が部屋に響く。チェリーは右手首にかけられた手錠を見ると悲鳴を上げた。
「何するのよ」
チェリーの大きな声は初めて聞いたかもしれない。冷静なチェリーが取り乱す様子は見ていて愉快だった。
「チェリーってさ馬鹿だよね。僕に何回もナイフを避ける時の動き見せてくれたんだもの」
身動きが取れずにいるチェリーに一歩近づく。ナイフの先で彼女の顎を持ち上げた。
「ねぇ。由美がどんな気持ちか分かる?分からないよね。SFの皆はそうだ。弱者の気持ちが分からないんだから。僕は分かるよ。皆して僕を馬鹿にして!」
チェリーの顔をナイフで刺そうとしたが、止めた。自分の作った爆弾に追いつめられる姿を出来れば傷つけていない体で体感してほしい。恐怖に包まれる姿を痛みなんかで誤魔化さずに感じてほしい。
「じゃあね。チェリー」
僕は時限爆弾に付けられている突起を押すと部屋を後にした。チェリーがこちらを見上げる顔を思い出すと、笑みが止まらない。
ざまぁみろ。
一夜Ⅱ
ノックを三回する。中からジェイの、圭の気怠そうな返事が聞こえる。
「俺だ。大丈夫か?入っても」
「うん」
ドアを開け、中に入ると布団に包まる圭がいた。顔は見えないが声から体調が悪そうなのは一目瞭然だ。
「どうした」
ベッドサイドに腰を下ろし、まずそう声をかけた。圭は何も答えない。
圭は昔から決まって何か悩み事や考え事がある時に必ず体調を崩す。例えば苦手な数学のテスト前日、クラスで虐めが起きた時。とにかく圭は精神的に弱い。だからいつだって俺や海や瀬人が悩みを聞き、助けて来た。だが、今回の体調不良は何も話してくれない。海だけ、瀬人だけに相談した可能性はかなり低い。瀬人は年上、海は年下で昔から同級生の俺だけに話すことが多かったからだ。
「圭」
呼びかけてもぴくりとも動かない。
「どうしたんだよ」
やはり動かない。
寝たのか。そう思ったが規則正しい寝息は聞こえない。代わりに嗚咽のような微かな泣き声が聞こえる。
気になるのは山々だが、詮索はしたくない。俺は一つ呼吸を置くと圭に声をかけた。
「圭。俺との約束、覚えているか」
嗚咽が一瞬止まる。
「何でも相談する。一人で抱え込まない。あと」
「嘘を付かない」
部屋に入って初めて聞いた圭のまともな返事だ。俺との約束をちゃんと覚えていたみたいでよかった。心の底からほっとした。
「うん。覚えてくれて嬉しい」
「圭。だからさ、詮索はしないから、俺にだけは嘘付くなよ。頼むよ」
俺の必死に訴えに圭は体を起こすとこちらを見た。目が腫れていて綺麗な顔が少しだけ崩れている。
「一夜」
「どうした」
「俺、殺し屋辞めたい」
「うん。そう言うと思っていた」
俺はそう言うと圭のベッドに座った。そして圭の身体をこちらに引き寄せ、抱き締めた。圭の細い腕が俺の身体に絡みつく。縋るように強く。
「圭は優しい。優しすぎて臆病なくらい。だから向いていないんだ。如月のことがあったからだろ?だから辛いんだろ?」
「違うんだ」
圭の背中は震えている。
「違う。違う。一夜に今すぐ話したい。でも話していいのか分からない。なぁ一夜。俺どうしたらいい」
俺に話してはいけないこと。頭の悪い俺には皆目見当もつかなかった。
「圭。話していいのか分からないなら今はいい。でも限界が来たら必ず話してくれよ。お前の体が一番心配だ」
圭が更に泣くのが分かる。嗚咽が今日一番強く聞こえた。
「うん。うん。一夜ありがとう」
俺が圭から身体を離すと少し笑ってくれた。顔をまじまじと見つめる。やっぱ、圭は綺麗な顔だ。
「一夜、俺、嘘は付かないから。絶対本当のこと話すから。今は、ごめん」
「大丈夫だ。お大事にな」
圭の背中を軽く叩き、俺は部屋を後にした。
廊下に出て、とりあえずダイニングルームでお茶でも飲もうと思い、向かった。
中に入ると先客がいた。リーリだ。
「こんにちは。ギャロ」
リーリはカップに手を伸ばすとゆっくりとした動作で飲んだ。部屋全体に甘い香りが広がる。恐らくホットチョコレートだろう。リーリの大好物だ。
「少し私と話、しない?聞きたいことが山程あるわ」
俺は頷くとリーリの正面に腰を下ろした。
SF