鼻水からの
今日の私の鼻は左側がずっと詰まっていて、とても辛い。ちょっと油断すると鼻水がダラダラ出てくるのも嫌だし、頭がぼーっとするのもいただけない。
ベットに右向きに横になると、少し楽になる。とはいえいつまでもベットの上にいる訳にもいかないし、だからと言って顔を傾け続ける訳にも行かない。
更には鼻をかみ過ぎてヒリヒリするし、かむたび鼓膜が張って不快。最悪。
どうしようかと小さな頭をひねっても、解決の糸口が見えない。
ふと、思った。
もし、このまま鼻が詰まっていたらどうしよう。明日起きても、明後日起きても、一年たってもこのままだったら、どうしよう。
考えてみると、なかなか怖いかも。
だって今まで鼻呼吸してきたのに、いきなし口呼吸にしなきゃいけなくなるなんて、やだやだ。絶対やだ。
でも、やだって言ったってどうしようもないし。結局は受け入れてしまうのだろうか。仕方がないって。もういいやって。
そんな自分の姿が、私は想像できない。分からない、という事が何故か無性に私の胸内を掻き毟る。
もしかして、「未来に漫然とした不安を持つ」って、こういうことをいうのかな。
...鼻水が絡んでるから、まぁ非難されるような物言いだけどさ。でも、要するに私は、今とても怖い。大袈裟かな。
鼻で空気を吸って、吐いていた頃が懐かしくて異様に愛おしい。どうして自分がこんな目に合わなければならないのか、明確に答えてくれる人が欲しい。そして殴りたい。自分以外が羨ましい。妬ましい。そして、想像できない未来に叫びたくなる。
よく分からない何かから、逃げたしたくなるくらいに。
これを凝縮して凝縮した日本語一語に変えると、『不安』になるんだろうか。
いや〜しかし、日本語も厄介なものだ。一語にする事も便利なのかもしれないけど、これじゃあ中身を誰も知らないことになってしまうじゃないか。だって、彼らには言葉の中身なんて覗けないし。
それで、傷ついてしまう人も、結構いるんじゃないかな。うん。
あ、でもそれを利用する人もいるのか。そうやって曖昧にすることは、必ずしも悪いことばかりではないってところか。
...話を戻そうか。
でも、変えられないものは変えられないのかもしれない。変えられたとしても、その先にはきっと、元に戻るなんて無いのかもしれない。
変化とは、いかんせんコレマタ厄介だ。人間は、とかく変化を怖がる。きっと、今の私と同じように、漫然とした「不安」を抱えるハメになるからだと、信じてやまないからだ。
でも、よく考えて欲しい。私達は今ももう既に変化しているのだ。例えるならコンマ何秒、それより細かい単位で私たちは脱皮しているのだ。とめどなく、とめどなく。
だって、今の私はもう今しかいない。今のあなただって、ほら、急がないと変わってしまう。さっきまでのあなたはもう居ない。私たちの今は、その積み重ねでできている。私たち自身が、変化だ。
つまり何が言いたいのかというと、私達は変化自体が怖いのではない、のではなかろうかということ。
じゃあ何が怖いのか。
きっと、過去との決別、だ。
変化をする前の自分との別れ、とも言える。変化したあと、その位置に戻れなくなることが、たまらなく怖いのだ。
視点を変えると、私達は不安を抱えているのではなくて、自ら作っているだけなんだ。
それを、あたかもひょいと投げられた気でいる。そうなると、みんな型にはめられるように同じことを繰り返す。ただ、それだけ。
なんて滑稽な。
さて、たかが鼻水詰まりでこんなに長くなってしまったけど。
最後の最後に言いたいことは、変化後って案外そんなに悪くないかなってこと。
結構、不安になって考えすぎて、何とかこのままでいたい、って思うのもそれはそれで貫くのも素晴らしい。尊敬に値する。そういう偉人は沢山いるしね。
でも、それで自分の身を壊していくのは、私は見ていられない。止めると思う。
一回肩の力抜いて、思い切って階段上がってみるのもいいんじゃないかな。
その先にも、きっと君と同じ答えを出した人達がいて、それも大事な思い出に、過去になる。君が苦しんだ過去も、優しく風化していくはず。
寄り道って、いいもんだよ。そりゃあ、君が欲しがっていたものは無いかもしれないけど、それと同じぐらい価値のあるものが、きっと沢山見つかるはずさ。
そして、私は鼻つっぺを覚えた。
鼻水からの
はい、今も詰まってますよ。