魚たちは光の中を泳ぐ
携帯電話が震える。莉奈子は目を開けた。佳苗からのLINEメッセージだ。
「明日の水族館デート、朝九時に駅で待ってるね。お泊りセットも忘れずに」
佳苗は莉奈子より一つ先輩の三年生で、莉奈子の恋人だ。二人は自分たちの関係を周囲に秘密にしている。通学路でも、校内でも、関係を悟られるようなことはしない。
だが、デート先では別だ。駅で待ち合わせた二人は、いくつもの駅が過ぎゆくあいだ、手をつなぐ。水族館では、指をからめ合う、大人ふうの手のつなぎ方をする。
はためから見れば、仲の良い姉妹かなと思われるだろう。莉奈子は背の低い佳苗を眺める。ストレートヘアの莉奈子とは異なる、やわらかなウェーブのかかった佳苗の髪。その髪からは佳苗の香りが漂ってくる。莉奈子はいつか同じシャンプーを使うようになったら、同じ匂いになれるかなと思った。
私を見つけてくれた、特別な女の子の佳苗と、いっしょになりたいという考えが、莉奈子の頭を占めていた。
莉奈子は水族館の水槽を佳苗と眺めた。イワシの群れが光を受けてきらめいている。魚は何も考えずに、本能で群れをなしているのだろう。群れをなす魚たちに、不意に学校の同級生たちの姿が被った。本能で群れるだけで、特別じゃない同級生たち。
「群れてる魚なんて殺してやりたい」
「……! りなちゃん、どうしたの? 」
「群れなきゃ何もできないなんて、私は嫌だよ」
「……りなちゃんはそう考えるんだね。魚たちは生きるために群れているんじゃないかしら。」
そうだけど……と莉奈子は口ごもった。
アシカショー、クラゲの水槽、ペンギンのエサやりなどを順番に見ていった佳苗と莉奈子は、水族館デートをおおいに楽しんだ。水族館の少しうす暗い照明が、二人きりでいることを強く意識させるようでいて、莉奈子には心地よかった。
二人は電車に乗り、佳苗の家へ向かった。
「お母さん、ただいまー。莉奈子ちゃんを連れてきましたよー! 」
はーい、と返事が聞こえた。ぱたぱたとスリッパの音を立てて、佳苗によく似た女性が玄関先へ姿を現した。
「今日もよろしくお願いします」
莉奈子は微笑んで、佳苗の母親へおじぎをした。佳苗の家へ泊めてもらうのは今回が初めてではなかった。莉奈子には父親しかおらず、父親は出張で家にいないことが多いので、佳苗の家へ泊めてもらう口実に事欠かなかった。
二人が交際していることを知らない佳苗の母親は、佳苗によく似たほほえみを向けて、莉奈子を歓迎した。佳苗が年をとったら、こんなきれいなおかあさんになるのかなと莉奈子は夢想した。
チャポン。
アヒルの人形が浴槽のお湯の中から、音を立てて浮かび上がってきた。浴槽の外では佳苗が体を洗っている。莉奈子は浴槽で、浮かんでは沈むアヒルの人形とたわむれていた。
佳苗が体を洗い終えた。
「さ、りなちゃん、湯船に私を入れてくださーい」
「どうぞどうぞ」
一般家庭の佳苗の家の風呂は、女子高生二人の体でいっぱいになり、お湯が少しあふれた。アヒルが浴槽のフチにぶつかる。莉奈子の背中側に入った佳苗は、莉奈子を全身で抱きかかえるようにして、手足を莉奈子の方へ伸ばした。佳苗の体が、莉奈子の背に触れた。
佳苗は湯をかき、手を受け皿のようにしてお湯をすくった。
「りなちゃん、今日水族館で、殺してやる、っていったじゃない? 」
「うん」
「殺してやる、って気持ち、私にもわからなくはないわ。でもね……」
佳苗はすくったお湯を、頭の上へかかげた。
「水って、水の中から見ると、光が反射して見えるのよね」
「……? 」
佳苗が何を言おうとしているのか分からずに、莉奈子は首をかしげた。
「水の中から水面を見ると、自分たちの姿が見えるの。水の中の私たちの姿は、群れからはぐれているのかな……? 」
「私たちは特別だから、群れとは一緒じゃないわ。はぐれているって、まるで群れているのが正しいみたいじゃない」
「群れることは間違っていることじゃないよ、りなちゃん」
そう言って佳苗は莉奈子を抱きしめた。
「群れがあるからこそ、私たちは規定されるの。だから、群れを殺してやるなんて言わないで」
「佳苗…………。わかったよ」
莉奈子は、自分の体に回されている手をそっとつかんで、佳苗を受け止めた。
群れがあるからこそ、特別が規定される。私たちは群れからはぐれているわけじゃない、それでも特別な二人なんだ……と莉奈子は思った。浴槽の中でひとつになる二人の体を、あたたかい湯が包んでいた。佳苗の肌の上できらめく水滴が、魚のうろこのようで美しいと莉奈子は思った。
魚たちは光の中を泳ぐ