2009年4月23日に書き上げた小説

昔書いた小説を気まぐれに投稿しようと思います

駄目ニートと家出少女

PROLOGUE


無限に可能性があるというのは残酷なものだ
なぜなら希望の可能性は低いのに、絶望の可能性の方が圧倒的に高いからだ
故に無限の可能性は残酷である
だが、もし人間に可能性など無く、あらかじめ決められたシナリオ通りに生きていくだけの人生であっても苦痛である。
無限の可能性のある世界と可能性の無い世界ならどちらの方がいいのだろう。
                    by山下あつし
                     

俺は、既に人生に疲れを感じていた。始めは些細なことだった。しかしその些細な事が、積み重ねていき、それは大きくなった。
 良い事をすれば、それが些細なことであれ、いずれは約に立つこともあろう。
 一つ例え話としてあげれば、一日に腕立て五〇回を、続けていけば、いずれ腕力は付く。
 逆に一日300回の腕立てをしていても続ける事もなく、10日でやめてしまえば腕力は一時的に上がるだけで、後は元の腕力に戻ってしまうだろう。
 それは、ほとんどの事に言えることであって、勉強も積み重ねていけば、それなりの知能を得ることができる。善行などをすれば、それが巡りに廻っていずれは自分のために良いことが起きるかもしれない。
 積み重ねていけば、良いほうに事が運ぶ可能性があると言ったが、それはあくまでも、良い事を積み重ねていけばいいという話であって、ならばその逆の悪いことを積み重ねていけばどうなるか。
 結論からいうと人間的な魅力がなくなり、この世がつまらなく感じ、家から出ないで、一日中、ただ無為に時を重ねていくことになる。
 その良い証明の存在が俺である。
 俺は今ニートと呼ばれる人達と同等の位置に所属している。始めはただ、学校を休んだりしていただけだが、そういう悪い積み重ねをしていった末に、ニートと呼ばれる存在まで、堕ちてしまった。
 本当に些細な積み重ねだったのに、今では高校を卒業してから、一度も働かず、大学にも行く意志がなくて、4年も無為な時間を積み重ねてしまった。
 4年という年月は、同級生なら既に大学を卒業して働いている奴もいるし、大学に行かずに就職している奴もいて、それなりに、貯金がある奴もいるだろう。結婚している人間さえいるかもしれない。
 しかし俺は未だ何もしていないし、何かをやり遂げてもいない。
 そんな俺の人生に何の意味があるのだろう。いくら思考を廻らせたところで、答えなど見えはしない。俺にはもう、ただ怠惰に生きていくことしか出来ないのだろうか。
                     by山あつし

そんな事を考えながら俺はいつものコンビニまで足を運んでいた。
 今は既に深夜をまわっている時間である。
 なぜ深夜にコンビニに行くかといえば、それは昼に外を歩くことが怖いからである。ようするに人の視線という物が怖いという事だ。人に見られたりしたり、人が笑っていたりしているというのがこの上なく怖いのだ。相手は、自分のことなど視野に入れてはいないのに、俺は相手が俺のことを馬鹿にしているような気がしていて、それが俺の神経をイラ出させたり、不快にする。相手は本当に自分というちっぽけな存在など気にも留めていないのに、自分自身が相手の気持ちを勝手に歪曲して、自分自身で苦しんでいる。いわばこれは一種の精神病の類である。
実際精神病院に通院していた形跡もあり、その時は、今の倍異常に病んでいた。
 精神病院に通うことになったのは、自分だけが特別という中二病的性格と、学校で友と呼べる人間がいなかったことが原因で、うつ病の症状が出てきたからである。
しかし、それは表面上であり、本当の理由は親にも医師にも告げていない。ある事がきっかけになったのである。
 そのきっかけになったことは、中学生の時にすごく親しい関係にあった、いうなれば親友と呼べる人間にしか話していない。
 その親友とは今でも時々メール等をたまにしている。だが、電話は二年くらいはしていない。そして直接会うことはない。
 直接会わないのは、その親友が地元から離れて、遠くに出勤しているからである。
 しかし考えてみれば、中学時代には、友達と呼べる人間も決して少なかったわけではない。人付き合いが出来なくなったのは高校に入学してからだ。
 高校といえば、今まで親しくしていた人間と離れ離れになって、新しい環境に入ることである。そして、最初のきっかけで、友ができるかどうか決まるのである。
 俺はそのきっかけを掴めなかった。そこから段々人付き合いが出来なくなり、そして最終的には、人と何を話せばいいのかさえもわからなくなってしまった。
 つまり負の積み重ねである。人間関係という物も積み重ねが必要であるという事を、経験として知ったわけである。
 中学の友達も最初は偶然どこかで会えば、話をすることができたが、今ではこちらから近寄らないし、かつて友達と呼んでいた人さえも話しかけなくなった。
 しかし、不思議なもので、親友と呼べる一人の人間とは、縁が切れてはいない。そいつとは、高校も違うし、性格もかなり違い、趣味も一致していない。それなのに縁は切れていないのだから、未だに不思議に思うこともある。

様々な思案に暮れながら、ようやくコンビニに着いた。
 コンビニでの買い物は主に発泡酒とつまみである。
 最近ではようやく気持ちよく酔うことの出来る体質になったので、アルコール飲料を買う事が多くなった。そしてついでにつまみを買うことにしている。
 コンビニでは最初に雑誌コーナーで雑誌を流し読みして、次に本の置いてあるところに行き、気に入っている本があれば購入して、気になる本が置いてあったら、ついでにそれも買う。そして安物の発泡酒とつまみを買うことを主流にしている。たまにカクテルや日本酒、焼酎を買うこともあるが、ほとんどは、発泡酒を買っている。
 レジに言って会計を済ませるという事も、前は苦痛であったが、今は平気である。
 店員が自分より若いと、何となく自分自身が情けない存在であると自覚させてくれる。自分より若いのに、働いている人は沢山いる。それなのに自分は働きもしない。自分はなんていう甘ったれの人間なんだろう。今まで一度もバイトをしていない自分が嫌になる。
 俺はいわば、温室育ちの平民である。
      
コンビニで会計を済ませた後、いつものように公園に足を運ぶ。
 深夜の公園は人がいなくて心が休まる。そんな安らぎの気持ちで、公園のベンチに座りながら、発泡酒を飲んで人生の疲れを取るのが日課である。
 酔いが回り始めると、気分が良くなり、人生という現実から目をそらす事ができる。このままずっと気持ち良く酔っていて、人生の悪いこと、苦痛、現実の壁、等がなくなればいいと思いながら、つまみを丁寧に少しずつ食べていく。
 酔いがさらに回ると、色々と哲学的なことを考えて、自分は天才かもしれないと一瞬浮かれながら、そんな考えは既に、何世紀も前に本に記されていると考え、また気分が落ち込む。しかし落ち込んだとしても、酒で酔っているので、さほど気にしないで、次の思考に入る。
 そして、空を見上げながら、月が綺麗だなと思い、宇宙の起源を考えたりもする。
 もちろん専門的な知識などないから、独学で勝手に宇宙とはこう出来た、ああ出来た、などと自分の中にいる幾人者ホムンクルスが議論しながら、結局分からずじまいで終わる事がほとんどである。
 宇宙に関する思考交錯の途中では神の存在なども考え、神に対して恨み言を頭の中でしている。どうして俺をこの世に産み落としたのだと。
 神の存在は基本的には信じてないが、もしかしたらいるかもしれない、という考えもある。
 酔いが最高潮に達すると自分の生まれた意味を考え、そして自分は本気を出せば世界的に名が知れ渡り、自分という人間がいたことが歴史の教科書に載るのではないのかと、総合失調症患者みたいな妄想に入っていく。
そして自分が死んだ後、魂はあの世に回帰してそして、自分のした事を神か、あるいはそれに準ずる者に認められ、あの世に存在する何か貴重な物をくれたり、何かのスコアを貰えるのではないのかと考える。
スコアは現世でいえば、通貨のような物で、それを使えば、何かを買えたり、スコアが高ければ天国に居られるとか、そんな狂人じみた考えをしている。
スコアがゼロになればまた、この世に産み落とされるという考えまでしてしまう。
しかし一度酔いが醒めるとそうゆう考えはなくなり、現実という地獄に舞い戻ってしまう。
       
夜が明けてきそうになれば、アパートの自分の部屋に帰り、そしてパソコンを起動させ巨大掲示板などを見て、たまに書き込みなどをする。そして無料で落としたゲームのフリーソフト等をして、疲れを感じたら風呂にも入らずに、ゴミの散らばった、狭い部屋で眠りに付く。
 寝る時間は昼ごろなので、起きたときは夜になっていて、またパソコンでネットサーフィンやフリーゲームをして時間がきたら、コンビニに行って公園で酒を飲み。そして現実とは無縁の、自分だけが思い込んでいる高尚な考えをしてアパートの部屋に帰る。
 そうして現実から目をそらし、生きているのだか、死んでいるのだか分からない生活をして過ごしている。
 既に社会復帰など出来ないだろうと思い、親の仕送りがなくなったらどうするか考え、それでも危機感を持たずに生きている。
 だか、心のどかで何か自分が変わるきっかけが欲しいと思っていた。
 自分の今の生活を変える存在が欲しいと。
 そんな存在などありはしないと思いながらそれでも、何かが起きて欲しいと願っていた。
 そう……何かが……






真正ニートと自称家出少女


この世に生まれた事は、奇跡的幸福か?
それとも、奇跡的不幸か?
それを決めるのは自分自身であり、他人が決める物ではない。
                     by山下あつし
                     

時は四月下旬、そろそろ暖かくなった頃である。
その日もいつもの様に、深夜のコンビニに行った。月の明かりが鮮明で街灯のない道でも辺りの風景はいつもよりもはっきりと見える。
 コンビニに着くと、コンビニ内に、未成年らしい男が数人居て、何かを話していた。何を話しているのかまったく興味がなかったが、話声が大きくて聞こうと思わなくても話の内容は聞き取れた。
話している事は、これから何処に行って遊ぶかとか、あいつ空気が読めないよなとか、親の悪口とか、そんなような内容だった。はっきりいってどうでもいいので、俺はいつものように買い物をした。
その日はカクテル類の飲み物が飲みたかったので、カクテルを買うことにした。カクテルには、つまみなどというもの等は相性が悪いという事を、経験として知っていたので、つまみは買わなかった。そのかわりアルコール飲料以外の飲み物と、ガムとグミを買うことにした。
会計を済ませようとしていたら、先ほどの若者と店員が揉め事を起こしていた。
それは、若者がアルコール飲料を買おうとしていたら、店員に二十歳以上である証拠があるか見せてくれと言われて、若者は証明する物はないが、二十歳以上だと主張していた。店員はそれでも一応、証明になる物を見せてくださいと言っていた。そのことで揉めていた様である。
結局、若い男性は悪態をついて友人達と店の外に出て行った。しかし、はっきりいって、その男性は明らかに未成年だったので、店員の対応は正しいものだと思った。
そんな事があって、自分も会計を済ませようとした時、とりあえず年齢を証明するために免許証を見せた。
買い物が終わると、いつものように公園に行った。
    
公園に着いたら、珍しく先客が一名いた。人がいる時は落ち着いて酔う事ができないので、公園から立ち去ろうとした。
しかし、よく見てみると、まだ高校生くらいの女の子であったので少し様子を見ることにした。
少女は何か本を読んでいながら、たまに空を見上げて、何かを考えているようであった。その様子が、少しだけ神秘的なもののように見えて、少し見惚れていた。
月が出ているという事もあり、その演出が少女をさらに神秘的にして、美しく映し出していた。
少女の外見上は、不良少女というものではなく、むしろ何処かのお嬢さんといった感じの人間であった。服装はTシャツにジャンパーというラフな格好であったが、それでも神秘性はある。そんな少女がどうして、深夜の公園にいるのかわからなかった。家出でもしてきたのか、それとも、ただの散歩でたまたま公園で休んでいるだけなのかは、わからなかった。
俺は少女に声を掛けたかったが、そんな勇気はなかった。
公園を立ち去ろうとした時、意外なことに少女のほうから話しかけてきた。
「お兄さん、さっきから私の事をずっとみていたでしょ」
少女はそう言いまっすぐに俺の目を見ていた。
俺は人と目をあわせるのが苦手なので、すぐに目をそらしてしまった。
しかし、さっきは少し遠くから見ていたのでわからなかったが、少女の顔立ちは、綺麗に整っていて、かわいいと、美人の間に位置するような、美しい顔だった。背も低くなく、かといって高くもない身長で、体のほうも、整った体型をしていた。髪も肩まであり、さらさらしていた。はっきり言って、自分にとって、理想的なタイプの子であった。
そんなことを考えていたら、再び少女から話をかけていた。
「なんで見ていたの? 質問に答えて」
なんで見ていたか問いかけられて、返答に困った。
「君が綺麗だから、見惚れていた」
そんな答えをした自分に驚いた。俺ははっきりいって、そんな台詞を言う人間ではない。それに人と話すのも苦手で、最近では人とは話をしてなくて、たまに独り言を言う程度だから、そんな言葉が自然と出たことに驚いた。
「見惚れていた? それだけなの?」
少女は疑問系で質問した。
何を話せばいいのかわからなかったので、とりあえず無難に答えることにした。
「それだけだよ」
少女は少し考えるそぶりをしてから。
「襲ってきたり、クロロホルムで眠らせて監禁しようと考えたり、性行為を無理やりしようとしたんじゃないの」
と、涼しげな顔をしながら言った。
少女の口から、クロロホルムや監禁や性行為という言葉が出てきて戸惑った。俺ってそんなの怪しい人間にみえるのか? 
外見上はおとなしい子に見えるが、実はかなり性格が悪いのかと思った。
「そんなことする勇気はないよ」
とりあえず、先程のように無難に答えた。
「そうなんだ……ずっと見ていたから、いつ襲うかを考えている危ない人間だと思った」
少女は毒舌だった。とりあえず、話題を変える事にした。
「君こそどうしてこんな時間に公園にいるんだい」
「家出してきたから」
そう平然と答えた。
こんな真面目そうな子でも家出するんだな、やっぱり現代社会は病んでいる。そう考えていると、少女はまた質問してきた。
「ところで、お兄さん、今一人暮らし?」
少女はそう言ったが、質問の真意がよくわからなかった。
「一人暮らしだけど」
そう短く答えた。
次に少女は意外なことを言った。
「じゃあ、しばらく泊めてくれない」
その言葉に驚かされ、しばらく頭がフリーズしていた。
「泊めてくれたら身体を触ってきたりしてもいいよ。ただキスや性行為をしようとしたら警察を呼ぶけど」
その後覚えてはいないが、俺は少女をアパートの俺の部屋に泊める約束をしてしまった。
   
アパートに着いた時、彼女は一言言った。
「案外いいところに住んでいるね」
その一言で俺は、変わった子だなと思った。
アパートはお世辞にも良い所などとは言えない様な外見で、年頃の女の人がみたら、引いてしまうようなおんぼろなアパートだからである。家賃も駅などがそれ程近くにないので凄く格安な値段である。そのおかげで、親からの少し多くて、けれど、それほどの金額ではない、いたって普通の金額の仕送りでも、金を無駄に使わなければ、一万や二万くらいは預金できるようになっている。
しかしそれでも、俺は金の使い方が極端で、使わない時は徹底して使わないのに、使う時はかなりの金額の物を購入してしまう。だから預金の金額は増えることはない。
部屋に見知らぬ女をいれる事に抵抗があったが、ここまで連れてきて、やっぱり駄目だと言うのは少し気が引ける。それに逆に考えれば幸運である。好みの女の子と同棲? 生活が出来るのだから。キスや性行為は駄目といっても、触れるくらいならいいと言っているんだから、抱きついたりはしていい事なのだろう。今まで女との縁がなかった俺に、チャンスが出来たんだ。それを最大限に利用しよう。
そして、俺は少女を部屋に入れることにした。
少女は部屋の状況や狭さに驚いているようだった。何せ俺の部屋はゴミハンスなみに乱雑に物が散らかっていて、自分でも必要なものが何処にあり、不必要な物は何なのか判別できない状況だからである。それに部屋の壁にシミ等のよごれがあり、ひどい有様である。
少女は今度はまともな意見を言った。
「人間が住んでいるところじゃないみたいね」
と、少し毒舌や皮肉をこめて、小さな声で呟いた。
「勝手に使えよ、ちょっと汚い所だけどな」
自分でちょっとと言ったが自分でもちょっとどころではなく、かなり汚い部屋だと自覚している。
不意に少女が一言言った。
「ところで、真下(ました)さんの下の名前は何ていうの」
自分の名字を呼ばれて驚いた。たしかまだ自己紹介などしてなかったはずだ。もちろん名前なども教えていない。
「どうして俺の名字がわかったんだ」
疑問に思ったことを聞いたら、答えは簡単なことだった。
「部屋の表札に名字が書いてあったから」
とのことだった。
そして、俺はまだ少女の名前も知らないということに気がついた。
「まずそっちから名乗れよ」
そう少し苛立ったような口調で言った。
「山下(やました)京子(きょうこ)っていうの、偽名だけど」
わざわざ偽名で名乗る意味がわからなかったが、相手が名前を言ったのだから、こちらも名乗らなければいけないと思い、フルネームを言った。
「真下高次(こうじ)だ。呼び方は勝手にしてくれ」
「よろしくお願いします、和也(かずや)さん」
たしかに、呼び方は勝手にしていいと言ったが、一文字もかすっていない。適当な名前で呼ばれた。
「やっぱり真下と呼んでくれ」
とりあえず前言撤回の言葉を言った。
「真下ご主人様、どうぞよろしくお願いします」
京子は冗談で言っているのか、本気で言っているのかわからない。とりあえず扱いに困る女であるという事だけはわかった。
「普通に真下さんって呼んでくれ」
京子に疲れ気味の声で言った。
「高次さんよろしくお願いします」
下の名前で呼ばれたが、訂正させる事も面倒くさいので、その呼び方でいいやと思った。
        
その日は、コンビニで買ったアルコール飲料が公園で飲めなかったので、アパートで飲むことにした。もちろん公園で飲まなかった理由は、公園に京子がいたせいと、自分自身が人がいる所で、気持ちよく酔えないという、二つの原因があったからだ。
しかし、京子とは出会って間もないのに、何故か会話が出来た。長年人との縁がなかった自分が、少しでも会話ができる事は、不思議な事だった。京子自身の人柄というのか、京子が特別な何かを持っているのか、それはわからない。しかし、俺は出会って間もない少女に、なぜか気を緩めていられた。
とりあえず、コンビニで買ったカクテルを飲もうとプルトップに手を掛けた。そしたら京子が興味深そうな目で見ていた。
「ねえ、それカクテルでしょう」
そう聞いてきた。誰の目からみてもカクテルにしか見えない物を、確認するために聞いてきた。小学生低学年くらいの年齢ならジュースだと勘違いしそうだが、京子は明らかに小学生ではない。
「カクテルって一回飲んでみたかったの、だからちょっとだけ分けてくれない」
無言でいると京子の方から、そう言ってきた。
京子はたしかに小学生ではないが、未成年であると思う。
「未成年はアルコール飲料を飲んではいけないって、誰かに教われなかったのか」
「私、こう見えても二十歳過ぎているから、飲んでもいい年齢だよ」
そんなことを言われても、すぐには信じられなかった。どんなに大人びていても、未成年である可能性がある。未成年にアルコール飲料を飲ませたら、飲ませた側にも、罰があたえられるという法律があるから、安易に飲ませる事は出来ない。
「二十歳以上であるという身分証明書を見せてくれたら、飲ませてあげるよ」
「身分証明する物なんてないし、本人が二十歳過ぎているって言っているからいいじゃない」
なんとなく、先ほどのコンビニでの若い男と、店員のやりとりを思い出した。きっと店員もこんな気分だったのだろう。
「別にいいよ、勝手に飲んでいてくれ」
俺は面倒だったので、そう無責任に答えた。
「じゃあ飲んでいいのね。そっちの言うように、勝手に飲ませてもらうわ」
「調子に乗ってあまりいっきに飲むなよ。地獄の苦しみを体験するから」
ちなみに、俺も若い頃、未成年だったのにビールを飲んでいた。何回かビールを飲んでいるうちに、一度だけ調子に乗って、ビールをがぶ飲みした事がある。その時は最初は気持ちよかったのだが、もっと酔いたいと思い、二缶くらい追加でビールを飲んだ。そこから地獄の苦しみというのを体験した。三時間くらいトイレに籠もり、水を飲みに台所までいき、それからまたトイレに籠もり、早く治ってくれ、死にそうだ、いや死ぬより辛いから死んだ方がましだ。などと思っていた記憶がある。
京子は最初はちょっとだけ飲んでいたが、まずくはないと思ったのか、少しだけ早いぺースで飲んでいた。
「ちょっとふわふわして気持ちいいかも」
そんなことを呟いていた。俺も自分の分のカクテルを飲み始めた。

京子は疲れていたのか、それともカクテルで酔いつぶれたのか、ぐっすりと寝てしまった。
はっきりいって、かなりの無防備である。今日あったばかりの男の部屋で眠るなど、常識のある人間ならしないだろう。京子という人間には常識というものがないのだろうか。あるいはただの馬鹿なのか、それとも俺がちょっかいをしない、臆病な人間だと思い込んでいるから安心して寝ていられるのだろうか。
たぶん常識がないというのが合ってるような気がした。今日の会話だけで京子は馬鹿な人間ではないと思ったし、俺が臆病な人間というのは京子は知らないと思う。
実際俺は臆病な人間、という表現の似合う人間だが、かといって善良な人間でもない。おとなしくて臆病な人間こそ、普段抑圧された感情が爆発して、犯罪行為をする場合が多いのだから。
俺は眠れなかった。美少女が近くで寝ているので眠れるはずがなかった。こんな状況で寝られる人間は、多分女遊びになれている人間で性欲が満たされている人間か、それとも女に対して性欲が湧かない人間だろう。
触ってもいいって言っていたのだから少し触ろうかと思い手を伸ばすが、触った瞬間、警察を呼ぶかもしれない。
実は最初から計算していて、触った瞬間、賠償金を支払わせるつもりであえて眠ったふりをしているのかもしれない。そして触ってくる機会を待っているのかもしれない。
そういうことを考えて、とりあえずパソコンを起動させ、いつものようにフリーでダウンロードしたゲームをすることにした。そうやって気を紛らわせて眠くなったら寝ればいい。いつも通りにしてみよう。
ゲームをする事に飽きた俺は、2chを専用ブラウザーで覗いてみることにした。2chにはそれぞれ板があり、運営板やら実況板や哲学板や宗教板、オカルト板、メンタルヘルス板、果ては薬物違法板などがあり、そしてもっとも有名なVIP板などがある。
VIPといえば聞こえはいいだろうが、実際には落ちこぼれの集団が集まる場所である。
掲示板自体多少の落ちこぼれが集まっているのに、それを遥かに上回る落ちこぼれ集団の集いの場所、落ちこぼれのエキスパートが自然と足を踏み入れる板である。ひどい状態の奴は、その板に依存して、一日中VIP板を見ている奴もいる。
かくゆう俺もまた、落ちこぼれのエキスパートで、ある時は一年くらい一日中VIP板を覗いていたこともあった。しかし今ではVIP板にはあまりいかず、他の板を少し眺めて、たまにVIP板を覗き、気になるスレを見つたら、ログを取っておく位しかしていない。
今日は哲学板を覗いて見る事にした。死に関して哲学をしているスレ等を覗いてみる事にした。俺は死に興味があり、死後の世界がどういう物なのか知っておきたかった。そうすれば、死に対する心構えができ、生きる希望や目的にもつながるかもしれないと思っていたからだ。
死後の世界は存在しないかもしれないが、模索もせずに、死後の世界を否定するのは愚考である。
宗教板でも死に関するスレがあるが、そういう板にいる人は、死後の世界についてあまり懐疑的ではなく、死後の世界はこういう物だ、と断言する人間がいて、大半が死後の世界の有無を語るのではなく、いかにして生きていけば、心地よく死後の世界に旅立てるのかを考えている人が多い。
しかし哲学板の人々は死後の世界に懐疑的であり、死後の世界の有無を語る時は、あるかもしれないし、無いかもしれない、という事を自分独自の哲学観で語っている。もちろん、そんな議論も哲学に興味がある初心者や哲学書を読んだ事のない自称哲学者が語っているのだから、あまり参考にならないレスが沢山ある。
しかし一握りだが、俺にとって有意義だと思われるようなレスがあり、そういうレスは自分の世界観を広げるために役に立っている。
  
早朝になって、アルコール飲料が飲みたくなった。それで、深夜にコンビニで買ったカクテルを飲もうと思い、コンビニの袋を探った。昨日買った6缶のカクテルは無くなっていた。
たしか自分は三缶しか飲んでいないのに、残りの三缶が無くなっていた。犯人は京子だろう、俺は京子という人間を侮っていた。おそらく一缶、飲んでも二缶くらいだと思っていたので、一缶くらいは残っているだろうと踏んでいた。しかしその推測は間違っていた。
京子は三缶飲んでいた。カクテルは発泡酒よりアルコール度が高いから、目を覚ました時、京子はこの世の地獄というものを体験するかもしれない。
俺もアルコール飲料を初めて飲んだ時は、最初は気持ちよくて、この世にこんな快楽があるのかと思った。しかし次の日の朝で、俺は地獄というものを体験した。まさに天国から地獄に落ちる。という言葉が似合う体験だった。
俺はアルコール飲料が飲みたくて堪らなかった。しかしもう早朝になってしまっている。出かける気があれば出かけられるが、朝に外に行く事なんて二年以上なかった。ブランクが長過ぎて明るい内に外に行くという当たり前の行為が苦痛に感じる人間になってしまっている。
どうするか、このまま部屋で過ごすべきか、苦痛や恐怖を乗り越え、外に行ってコンビニまで行くべきか、そんな事を考えた末、結論は外に行こうというものだった。
今外に出なければ永遠に外が明るいうちに、この部屋から出られないと思った。ならば今こそ勇気を振り絞り外に出るべきだ。そう自分を奮い立たせた。
とりあえず、京子が起きた時、京子が何かを盗んで、そのまま行方知らずという事がないように、通帳預金と印鑑は持っていくことにした。七万しか入ってない通帳だが、今の自分の貴重品と言えば、これしかないからだ。後は盗まれてもいいものだけだから、ほっとくことにした。盗む価値があるものなんて無いからだ。
外に出た時、一瞬異世界が目の前に広がっているような、そんな錯覚が起きた。今まで闇の景色しか見てなくて、あるとしたら、少しの光を放つ冷たい街灯の明かりだけだったからだ。
明るい世界を歩きながら、景色をよく見て感動にも似た感情をもってコンビニまで行った。何もかもが鮮やかに見える。昔は当たり前だったが、二年という年月が、明るい何気ない世界を、美しいと錯覚させる効果を及ばした。
歩きながら京子の事を考えた。京子のおかげで、俺は明るい時間帯に外に出て行けたのではないのだろうか、もしあの時俺が焼酎を買っていた場合、京子は焼酎に手を掛けずに、そのまま寝て、そして焼酎は朝になっても無くならなくて、俺は外に出てアルコール飲料を買うという行為はしなかっただろう。
だがそれはただの偶然だろう。京子のおかげで外に出られたなんてことはない。最終的には、自分の意志で外に出たのだ。
俺はコンビニに着いて焼酎を買って、アパートに帰ろうとした。
帰る途中、普段深夜で酒を飲んでいる公園に行こうとした。
早朝の公園の景色というのが見たくなったからである。
公園には既に何人かの人がいて、犬の散歩をさせている人がいれば、一人ラジオ体操をしている老人などや、ランニングをしている三十代あたりの男性の姿も見られる。ここにいる人達は、今日はじめて何かをしたのか、それとも、長年続けていて習慣になった人達なのかは、俺にはわからなかった。
俺は早朝だというのに、さっき買ってきた焼酎を飲み始めた。人のいるところでは絶対に酒などは飲まないが、今日は気分がよかった。だから普段しない行為をしてみたくなったのである。他の人から見れば、奇異な行為に思われると思ったが、案外人は他人という者に興味がなくて、だれも俺のことなど気にしないで、自分のやりたいことをしていた。
俺は少し自意識が過剰だったのかもしれない。他人は全然俺のことを気にも留めないのに、おれ自身が、他人に見られているとか、さっき俺の悪口をいったとか、俺を見て笑っている、というありもしない他人の悪意の感情を自分自身で生み出してしまったのだろう。
他人は他人のことを気にしない。他人が俺に悪意を向けているというのは俺が創り出した妄想にすぎない。
そんなことを考えながら焼酎を半分飲んだ。そしたら、急に眠気が襲ってきた。俺は他人のことなど気にしないで、公園で寝ることにした。
起きた時は既に空が茜色に染まっていた。ずいぶんと眠ってしまったみたいだ。
俺は公園にある水道で顔を洗い、アパートに帰る事にした。
京子はまだ俺の部屋にいるのだろうか、それとも、もう出て行ってしまったのだろうか。
     
アパートに帰ったとき予想通り京子はいなかった。既に別の住む場所ができたのか、それとも俺と居るのが嫌だから出て行ったのか、それはわからない。
しかし少ない時間であっとはいえ、京子のおかげで外に出ることが出来たのだ。京子に感謝するべきか、神という、居るかいないかわからない存在に感謝すべきなのかはわからない。
それと、自分のゴミだらけの部屋が綺麗になっていた。おそらく京子なりの感謝の気持ちで掃除してくれたのだろう。綺麗になった部屋は、広く感じられ、このくらいの部屋なら京子ともう少しくらいは同棲生活を出来たかもしれない、という思いが駆け巡った。しかし、もう京子はいなくなってしまった。
もし俺が公園に寄らなければ京子と一緒に暮らす事を、俺が必死にお願いしていれば、一緒に暮らす事が出来たかもしれない。
そんなことを考えても、後の祭りなのに、俺は考えずにはいられなかった。
そしていつも通りにパソコンの電源を入れて、いつも通りの生活をする事にした。

パソコンを起動してみて気がついたが、ディスクの空き容量が増えていた。少し不信に思いパソコン内のフォルダーを見てみた。エロ画像やエロ漫画のフォルダーの中身が10ギガバイト減っていた。どうして減っているのか考えるまでもない、京子が削除したのだろう。
さらにパソコンを調べると、自分が作成していないテキストがあった。内容は簡潔で〔エロ画像ばかり集めちゃ駄目だよ、もっと健全なことにパソコンを使うことをお薦めするよ〕という内容であった。
俺は唖然とした、京子の奴は人のパソコンを覗いて、しかも不健全なファイルをほとんど削除していたのだ。この分だと、インターネットの履歴も見られているなと思った。京子は善意のつもりでやったのか、それとも悪戯心でやったのかはわからないが、ファイルを削除するなんていうのは、非常識で、もっといえば、他人のパソコン内を見るなんていうのは、非常識中の非常識、つまり普通の神経の奴ならやらないことを平気でしてしまったのだ。
京子の奴を侮っていたかもしれない、パソコンにウィルスが入ってないか、ノートンで調べてみたか、さすがにウィルスなどは仕込んでなかったみたいである。
俺のエロフォルダーは2chの半角二次元板や2chとは違う某巨大掲示板から、二年程かけて、12ギガバイトくらい集めた。
それが、いっきに10ギガバイト減ったので、落胆した。
俺は残ったエロ画像で自慰をすることにした。ズボンを下ろし、パンツを少し脱いで、瞑想して、俺の大事な竿に手をかけて、落ち込みを抑えて、精神を尖らせてから、俺は自慰をしようとした。
「けっこう大きいけれど、皮は剥けてないみたいだね」
なぜか京子の声が聞こえた。おそらく幻聴だろう。気をとりなおし、自慰をしようとした。
「女の子が見ている前でオナニーをしようとするなんて、やっぱり変わっている人ね」
今度は幻聴じゃないと悟り、後ろを向いた。そこには京子がいた。
「お前なんでいるんだ、出て行ったんじゃないのか」
きわめて冷静に質問してみた。内心はかなり動揺していたけれど。
「しばらく泊めてくれるんじゃなかったの?」
そんな疑問系で聞かれても、対応に困る。
「じゃあ、お前さっきまで何処に行ってたんだよ」
「夕食の買い物に出掛けていたのよ、掃除している時、コンビニの弁当がいっぱいあったから、かなり偏った栄養を摂っていると思ったの、だから夕食を作るために買い物に行っていたの」
京子は出ていったわけじゃなく、一時的に買い物に出かけて行っただけだったようだ。
「そういうことなら置き手紙をしてから出かけていってくれ。帰って来たら、居なかったので、もう出て行ってしまい、二度と戻ってこないと思ってたよ」
「置き手紙ならテーブルのところにあるわよ」
俺はテーブルの上を見たが、それらしき物は無かった。
「無いじゃないか」
「テーブルのところって言っただけで、テーブルの上に置いたなんて一言もいってないわよ」
テーブルの周辺を探し、そして置き手紙らしきものを、テーブルの下で見つけた。たしかに手紙には買い物をしてくる、と書いてあった。だが普通テーブルの下に置くなんてことは、常識人ならしないだろう。そのことを問いつめた所。
「常識の範囲内でしか物事を捉えられない人間っていうのは、愚かな人間ではないかと思うよ」
という返答してきた。
とりあえず、京子が戻ってきたことを、内心では喜んだが、俺は少し恥ずかしかった。すごく、落ち込んだことと、そして。
俺の大事な物体を見られてしまったことに……
     
京子が作ったのは、牛肉と野菜の炒め物だった。余った野菜はサラダにしていた。京子にしては普通の食事だった。もっとキワモノの食事が出てくると思っていたが、杞憂であった。
「それにしても、よく買い物する金があったな」
当然の疑問を投げかけたところ。
「買い物なんてしてないわよ、全て万引きしたものだから」
という、とんでもない答えが返ってきた。
俺は少し固まってしまった、そんなことを平気でやってのけて、しかもそれを当然のように言う、そんな京子という女に恐れを抱いた。この女、実は家出じゃなくてもっとやばいことをして、警察か、それともヤクザに追われているんじゃないのか。そんな考えが頭によぎった。
「さっきの話は嘘、全部自分の残り少ない財産で買ったのよ、万引きなんてするはずないじゃない」
俺は少しほっとした、ただの冗談だという事がわかって。しかし、とんでも発言を次の瞬間にした。
「万引きするくらいなら、首相の孫を誘拐して大金を掴むほうがよっぽどいいじゃないの」
やっぱりこいつは常識を重んじない人間である、そう再認識した。
食事を終えた後、食器洗いは全部俺に任された。料理を作ったのは、私だから後片付けは高次さんがやっといてという事だった。居候をしているのだから、お前が後片付けをしろと言ったが、食器の後片付けくらいできないと、この先、生きていくことは不可能よ、とか言われてしぶしぶ食器洗いをした。
本当に買い物するだけの金があったのか、確かめられなかった。まあ、家出してきたのだから、それなりの金も持って家を飛び出したのだろう。そして金がつきかけて、途方にくれていた時にちょうど俺が公園に立ち寄ったから、泊めさせてくれと頼んだに違いない。
      
それにしても京子は本当は何者なのだろう、ただの家出少女とは思えない。まだ出会って一日も経ってないのに、こんなにも俺が心を許すなんて信じられなかった。京子には聞きたい事が山ほどあったが、たぶん聞いても答えてくれないだろう。
もしかして京子と言う存在は俺が作り出した架空の人物で、実際には京子という女は存在していないかもしれない。その場合俺は重度の綜合失調病の可能性がある。という考えが、ふっと浮かんだ。
もちろん、そんなことはない事をおれ自身が知っている。架空の人物が会話をしたり、部屋の掃除をしたり、料理を作ってくれるわけがない。京子は実際する人物だ。そういう実感がおれ自身で持てている。
しかし、本当にそうだろうか?
高度に精神が狂った人間は、現実と妄想の区別がつかなくなり、自分が今感じている世界が全てと思い込む癖がある。
他人から見れば狂人だが、自分では自覚していない場合が多い。もしかしたら俺は知らないうちに、精神が狂いだしていて、それでも自分では自覚していないだけかもしれない。
俺は本当は精神病院の隔離施設に入れられて、今現実だと感じている世界が、実は俺が生み出した幻覚であり、現実の世界では俺は、訳のわからないことを言っている、精神病者なのかもしれない。
コギト・エルゴ・スム。我思う故に我あり。デカルトの心境が少し理解できた。
     
「ねえ、このアパートって風呂はないの?」
さっきから本を読んでいた京子が、突然そう言った。
カバーがかけられているので、何の本を読んでいるのかはわからない。文庫本の大きさだから、文庫本にされるほどの有名な作家の本かもしれない。哲学を読んでいるかもしれないし、ハードSFの本かもしれないし、本格ミステリーかもしれない。
一般の、普通の人でも読むエンターテイメントの本の可能性もある。あるいは意外性をついて、ライトノベルかもしれない。まだ一日しか経ってないので、どんな本を読んでいるか推測するくらいで、確実に、こういうジャンルの本を読んでいるというのはわからない。本人に聞こうと思ったが、真剣に読んでいるらしくて、声は掛けられなかった。
だから俺はパソコンに向かって、いつも通りにしていた。
そんな時にいきなり風呂があるのかを、不意打ちに近い形で聞かれたのである。
「あるけれどかなり小さいよ」
そう短く答えた。
「高次さんのあそこが?」
どうしてそういう事を言うんだ。今風呂の事を聞いたから、風呂の大きさを言ったのに、俺の大事な物体の大きさの事を何故言うんだ。そうツッコミたくなったが、よしておく事にした。京子と不毛な言い合いをしたら、確実に俺のほうが折れると思ったからだ。
「風呂が小さいのなら、一人しか入れないね。高次さんと一緒に入りたかったんだけどな……」
京子の戯言を無視して俺は言った。
「普段から風呂にあまり入らないから、浴槽は汚くなっていると思うよ」
「じゃあ高次さん、風呂掃除してくださいね。それから入るから」
居候のお前が風呂を掃除しろよと言いたかったが、京子にそんなこと言っても無駄だと思い、渋々俺は掃除する事にした。
風呂の掃除が終り、湯を沸かした後、京子はすぐに風呂に入った。
      
京子が風呂に入っている間、俺は出会ったときから気になっていた、京子が持っているでかいバックを覗き見ようとした。
家出をしてきたのだから、当然荷物とかも大量に持ってきているのだろう。
俺は背徳感を感じたが、それを上回る好奇心に負けて、京子のバックの中を見た。中身はほとんど本であり、後は薄い毛布と3枚の下着しかなかった。
俺は京子がどんな本を読んでいるか気になり、本のタイトルと著者の名前を見ることにした。しかしその前に、しておきたいことがあった。京子の下着の匂いを嗅ぐことだ。バックの中にあった下着を取り出し、匂いを嗅ごうとしたが、それはさすかにまずいと思ったので止めておいた。
そのかわり、下着を穿こうとした。こんなチャンスは二度とない、男には多少の冒険心があってもおかしくない。そうこれは未知なる物へのチャレンジだ。人生は経験を積まなければいけない、そして俺は下着を穿こうとしたが、途中で理性を取り戻した。
俺はさっき何をしようとしたのか、そんな行為、変態ではないか、下着の匂いを嗅ぐ事と、五十歩百歩ではないか。そう思い俺は下着を穿くのをやめた。何で下着を穿くなんて行為をしようとしたのかわからない。たぶん疲れていたんだろう。俺は当初の目的を果たす事にした。
本はほとんど文庫版のサイズの物で、カバーが掛けられている物と、掛けられていない物がある。カバーのない物は中古で購入した物だろう。とりあえずカバーのない本から、タイトルと著者の名前を確認することにした。
読んでいる本の内容がわかればその人の性格や、興味のあることがわかる。京子という得体の知れない人間を少しは理解できるだろう。
本はミステリーものと、SFものが大半だった。
クレッグ・イーガンの「宇宙消失」やフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」幾本伸司の「神様のパズル」などがあり、ミステリーのほうは、夢野久作の「ドグラ・マグラ」森博嗣の「笑わない数学者」などがあり、ジャンル訳が難しい本では清涼院流水の「コズミック」「ジョーカー」、浦賀和宏の「記憶の果て」瀬名秀明の「デカルトの密室」などがある。他にも「聖なる予言」や森田健「私は結果原因の世界への旅」立花隆の「臨死体験・上・下」がある。特に臨死体験の本はかなり年季がある。購入したときからぼろぼろだったのか、それとも何度も読み直したのかはわからない。
ライトノベルもあり、「涼宮ハルヒの消失」がある。その近くに「俺の心臓を返せ」というタイトルの本で薄っぺらい本がある。正直いってこんな本どこで手に入れたのか、かなり気になる、出版社は聞いたことも見たこともない会社であった。
おそらく誰かが自費出版したのだろう。内容が気になり少し読んでみた。

タイトル「俺の心臓を返せ」
                  阿久津健一

俺の心臓を返せ。そう一人の男が言った。
       【中略】
男は心臓を取り戻せて満足でした。
                         Fyn

はっきりいって何がなんだかよくわからない小説だった。こんな事を書いて本にして出版するメリットがわからない。
作者は何を伝えたかったのか、作者の意図がわからない。
通常、本を出版する目的は、誰かに何かを伝えたいという思いがあり、その思いが大きくなり、そのことを文に書いて本という媒介を通し、伝えるということが一つの目標である。
欲をいえばそれが大ヒットして印税が沢山もらえるようになりたい、という事があり、そのため自費出版というのは、自分の金を犠牲にして本を出版するわけだが、この作品からはそういった思いが感じられない。
はっきりいって携帯小説以下の作品であると思った。
それにしても、よく京子の奴はこんな本を手に入れることができたな。ある意味、超レア物かもしれない。
そして、更にバックの中を探ったら日記らしき物もあった。京子の事をもっと知るために読もうと思い、手にとってみたが、何故か悪寒のよう感覚がした。日記を読めば後悔するという考えが、俗に言う第六感みたいなもので感じられた。俺は日記を読む事をしないで元通りバックの中に入れ直した。
      
京子が風呂から出たとき、俺はバックを元の位置に戻しておいて、自然体のまま、パソコンに向かってゲームをしていた。京子にバックの中身を見たことを悟られないために。
しかし、京子は少し考えるそぶりをして、平然とした口調で聞いた。
「バックの中にある下着の匂いを嗅ごうとしていたでしょう」
俺も、平然した口調で答えた。
「バックの中に下着が入っているのか、今度みせてくれよ」
内心は、かなり焦っていたが、俺は外見的には冷静な顔を作っていた。
「俺の心臓を返せを読んだ?」
「俺の心臓を返せ? 何そのダサいタイトルの本は?」
少しだけ返答に困ったが、滑らかな口調でそう答えた。
「私が書いた本なの今度読ませてあげるわ」
……一瞬だけ俺の時が止まった。
「しょ、小説を、しゅ、出版したんだ。凄い……ね」
ものすごくぎこちない口調で答えるしかなかった。
「出版したんじゃなくて、私が一から本を作ったのよ、表紙を作るのには苦労したけど」
本を出版したんじゃなくて、京子が一から作ったのか。でも出版社名が載っていたけど、あれも架空の物なのか?
少し疑問に思ったけど、口に出して言わなかった。もし言えば、俺が京子のバックを見たことに、気つかれてしまうからだ。
俺が無言でいると。
「まあバックの中身を見たりして、下着の匂いを嗅ごうか、穿こうか、何をしてもいいけれど、日記だけは見ないでね」
そう呟くように言った。
たぶん京子は最初から、俺がバックの中を見たことを知っていたんだろう。勘で知ったのか、それとも風呂には入らず、俺がバックの中身を調べているのを見たのかは、わからない。
しかし謎は残る。日記には何が書かれていたのか。京子が日記を見なかった事で、後の事は許しているのは、日記の内容がかなり深刻な物で、俺が見ていたら京子に対する対応が変わってしまう可能性があるからだろう。
しかし、俺が京子にする対応が今までとは変わっていなかったから、京子は俺が日記を見ていないと判断したのかもしれない。
そんなことを考えても答えなどは出ない。
第一京子は、俺がバックの中身を見ていたという事を知らなかった可能性だってある。
さっき、俺が京子のバックの中を見ていたのを京子は知っていたという根拠のない理由は、俺が勝手に考えた物だ。
後もう一つ謎がある。
俺の心臓を返せ、は本当に京子が書いた物なのか。
もしそれが本当だったら、そうとう文才が無いか、あるいは意図的に文才の無いふりをして書いていたかのどちらかである。
だが、はっきりいって、俺の心臓を返せの謎は興味がなかったから、京子に追及する気は無かった。
それよりも、日記の事が気になっていたが、それを追及すれば、京子はアパートから出て行ってしまうような気がした、だから、日記の事を考えるのはやめた。
     
京子はバックの横についているチャックを開けた。俺はそこにチャックがあることに気がつかなかった。だから何が入っているのかはわからない。
京子はコンビニの袋をバックから取り出した。そしてその袋から薬の入ったシートを取り出し、薬を手に取り、口に入れ、水を使わずに飲み込んだ。手馴れているような動作であった。
「何の薬を飲んだんだ、病気でも患っているのかい」
とりあえず疑問に思ったことを聞いた。
「病気なんて患ってないわよ、ただ少し気持ちがよくなる薬を飲んだだけだから」
京子は当たり前のような口調で言った。
「ちょっとその薬見せてくれ」
俺がそう言うと、京子は薬のシートを渡してくれた。
「たぶん、なんの薬かわからないと思うよ」
そう京子は呟いた。
シートにはパルギンという薬名が記されていた。俺はその名前をよく知っていた。
「マイナートランキライザーのエチゾラム系の薬か……デパスと同じ成分の薬だな。精神でも病んでいるのか」
京子は少し驚いた声で言った。
「薬の名前でどんな薬かわかったの」
「俺も少し前までは精神病院に通院していたから、精神系の薬はちょっとだけ詳しいんだよ、減薬するのは結構苦労したよ」
俺はどうして、あってから一日しか経ってない京子という謎の自称家出少女に、精神病院に通院していたことを言ってしまったのだろう。
精神病院に通院していたという事は、一般の人からすると、何か精神が狂っているのではないかと思われるという、デメリットしか生まない。だから他人には話さないと自分で誓っていたはずなのに。
俺が京子に話したのは、京子が精神安定剤を事もなげに普通に飲んだから、精神病患者の事を理解しているかもしれないと思って話したのかもしれない。
「勘違いしないで、別に精神を病んでいるわけじゃないから、一週間に一錠だけ飲んでいるだけだから、単なる一週間に一度の楽しみみたいな物よ、酒とは少し違う気持ちよさが味わえるから」
京子は別に精神を病んでいるわけではないという事を力説していた。
「じゃあ薬は何処から手に入れたんだ?」
俺は当然の疑問をぶつけた。
「他人以上知り合い以下の人間から買ったのよ」
京子は普通に、そして冷静に、理解しがたい言葉で答えた。
      
京子は午後十一時まで読書をしていたが、薬が効いたのか、十一時十分になったら寝てしまった。京子がさっきまで読んでいた本が何か気になっていたが、詮索する意欲がないので本のタイトルは見なかった。タイトルがわからなかったのは、カバーがかかっていたからである。おそらく新品で買ったのだろう。新品で買えば、ほとんどの本屋はカバーを掛けてくれる。カバーから推測すると、文真堂で買ったのだろう。
京子が寝てからしばらく、考え事をした。京子が何者であるか、そんなことを考えていた。
ただの家出少女という訳ではないと思っている。何か謎めいた存在で、本当は俺と同じくらいの年齢ではないのかという考えが、頭をよぎる。見た目は高校2年か3年くらいだが、性格が大人びている。ミステリアスな雰囲気があり、実は既に三十歳を超えた人間なのではないのかと思う。とりあえず俺より人生経験は豊富だろう。 
俺は高校を卒業してから、ほとんど、家に引きこもり、何もしない、虚無的な日々を送っていたのだから。
 京子から、本当の事を聞きだしたいが、たぶん教えてくれないだろう。それに京子が教えたとしても、それが本当の事か自分では判断は出来ないだろう。
考えても答えは出ないのだから、考える事を中断した。
京子の日記でも見れば、何かわかるかもしれないが、それはできればしたくなかった。
京子の方から日記を見せてくれれば見るが、黙ってみる事は、何となく嫌な予感がしていた。好奇心は猫をも殺すという言葉があるので、好奇心に負けないようにしなくてはいけない。
眠くは無いが、起きているのも辛いので、京子が持っていたパルギン錠を飲むことにした。一錠や二錠くらいならばれないだろうと思ったからである。
パルギンの入っているコンビニの中身を見て驚いた。尋常じゃないほどの薬があった。全てパルギン錠であるが、軽く見て百錠は超えているという事がわかった。
百錠の薬を一週間に一錠のペースで飲めば、二年は持つだろう。本当に一週間に一錠しか飲んでないのかは、疑問に思う。
だが、そんなのは俺には関係の無い事だ。京子自身の問題であろう。精神安定剤と言っても、毎日のように飲んでいれば、薬なしの生活はきつくなる。
そのことを俺は身に染みて思い知らされた。今でこそ薬なしの生活を出来るが、少し前までは一錠でも薬を飲まなかったら、気が狂いそうになるほど大変だった。
今日は身体が疲れているが、眠れないので、仕方なく、京子の薬を二錠飲んだ。それぐらいならぐっすり眠れるだろ。
そして薬を飲んで一時間後、俺は寝むりについた。

起きた時、既に時間は昼になる直前だった。携帯で正確な時間を見たら十一時三十分くらいだった。京子は既に起きており、読書中である。
「高次さんニートなんだから、もう少し寝ていてもいいんじゃないの」
京子は俺のことを、ニート呼ばわりした。実際ニートだが、京子がそれを知っているはずはない。たぶんカマをかけてきたのだろう。
「俺はニートじゃないけど、どうしてそう思うんだい」
京子にそう言ったら、京子の奴は当たり前のように、答えた。
「平日の昼に何もしていない人間はニートでしょ、それに深夜の公園であった時、あきらかに働いている人間には見えなかったもの」
たしかに、いわれてみればそうだが、しかし年齢不詳の自称家出少女にニートであることを、悟られたくはなかった。
「大企業に勤めているから、平日が休みで土日が出勤なんだよ」
「企業名を教えてくれない」
そう聞かれたので、適当に自分が知っている企業名を言った。
「山田電気だよ、接客業だから平日より、休日のほうが買い物に来る人が多いので、土日は出勤で、平日は休みなんだ」
まったくの嘘をついた。
「へえ、そうなんだ。でもなんで2ちゃん専用ブラウザに土日の昼のログがあるの? 会社に出勤しているのなら、ログなんて摂取できないと思うけど」
京子の奴は2ちゃん専用ブラウザの中身までチェックしていたようだ。いつ調べたのかはわかる。おそらく俺が昨日外に出ている間に調べたのだろう。
「そうだよ俺は、ニートだ! それが悪い事か? どうせ蔑んでいるんだろう。人生の負け犬だよ。もうどうしようもない状況になってしまっているんだよ。笑えよ山下さんよ!」
俺はかなり開き直って、そして少し早口で言った。
「諦めなければ道は開ける。そう悲願することはないわよ、僅かな勇気を振り絞って、前へと一歩だけでもいいから進めば活路は開ける」
京子らしくないことを、京子は言った
「後、名前を呼ぶときは、他人行儀に呼ばないでほしいのだけど、山下さんじゃなく、京子って呼んで欲しいわ」
付け加えて京子はそう言った。
たしかに京子のことを名前で呼んだことはない、むしろ山下さんって呼んだことも、さっきが初めてだ。
      
「京子ちゃんたしかに俺は今現在ニートだが、今から働こうという努力をしてみるよ。今からハローワークに行って就職先をみつけようとする。君が言ったように僅かな勇気を振り絞り前へ進もうとするよ」
俺はここから最寄のハローワークの場所も知らないのにそう言った。
「嘘ね、高次さんは働く気なんて無いわ。働こうとしているなら、もっと以前から、就職先を見つけようと努力するもの。今の貴方ではハローワークにすらいけないでしょう」
さっきは僅かな勇気を振り絞って一歩でも前に進めば活路は開けると言っていたのに、京子は自分がさっき言った事とは、全然違う事を言っていた。
「まず働く前に、世間になれる努力をしたほうがいいわよ。街でも適当にぶらついてきたらいいんじゃないの」
確かに働く以前に、世間になれておかないといけないだろう、二日前までは昼に外に出ることすらできなかったのだから、昼に人の多い所に行って、対人恐怖症を少しでも治しておく必要があるだろう。
「ここら辺で人の多い所に二人で行って、外の世界に精神をならしていったほうがいいわ」
京子はそう言ったが、男女二人で外の街を歩くって事は、ほぼデートじゃないんではと、そういう考えが頭に浮かんだ。
「でも京子ちゃんはいいのかい、出会って間もない人と外を出歩いて、途中で襲っちゃうかもしれないぞ、ラブホテルに連れて行っちゃうかもしれない可能性もあるぞ」
「高次さんにそんな度胸があるのなら、私が眠っているうちに手と足と口にガムテープを張って襲っているわ。でもそれをしないという事は、度胸がないのよ。だから少し度胸がつくように、街で二人でデートごっこでもしようって提案しているのよ」
京子は普通にデートという単語を使った。
「後、名前を呼ぶときは、ちゃん付けで呼ばないで、呼び捨てで呼んでよ」
     
俺でも予想がつかない展開になってきた。つい最近までは、引きこもりのニートだった俺に、美少女というカテゴリーに分類される、京子という謎の少女とデートする事になった。つい最近までは、何かが起きて、今のような堕落した生活から抜け出したいと思っていたのに、実際、生活が変わり始めると、少しだけストレスが溜まってくる。
本当は俺は、何も変わって欲しくはなかったのかも知れない。今までのような何もない虚無的な生活をだらだらと過ごして、死ぬ時は、つまらない人生だったなとか思い、死んだほうがましだったのではないのだろうか?
嫌、違うな、たぶんあのままずっと変化のない日々を過ごしていたのなら、俺はいつか自殺でもしていただろう。
京子に出会えたのは、運がよかったのか、悪かったのかわからないが、とりあえず、自分が変わるチャンスをくれたのだろう。
それがただの運による偶然か、それとも、人々が安易に使う運命と言う、概念上にしか存在しないものによって起きたものなのだろうか。それとも、神と呼ばれる存在の導きなのだろうか……。
「高次さん、何を考えているの?」
京子の声で、俺は一時的に考える事を中断した。
「いや、ただボーっとしていただけだ、それより……ええっと京子ちゃ、いや京子、いつ何処でデートするんだ」
女の子の名前を呼び捨てにして呼んだ事がない俺は、少し戸惑いながら名前を呼んだ。そしてデートの事を聞いてみた。
「今日は、デートじゃなくてデート用の服を買うことにするわ、その後何処かお洒落な所で、食事でも取りながら、デートする場所とか決めましょう」
それってほぼデートじゃないか、そうツッコミたくなったが、あえて口にしなかった。
      
そんなこんなで今俺は京子とコンビニに向かっている途中である。何故コンビニかというと、実はここに引っ越してきてから、ずっと引きこもっていたので、駅のある場所さえもわからなかったからだ。
コンビニで地図を見て、駅の場所はなんとなく掴めた。後はこの県内のどこに、繁華街があるか調べるだけだった。調べたところ、ここから五駅ほど上り、そこで乗換えをすると、人の多い繁華街があることがわかった。
しかし正直乗り気ではない、人の多い所に行くことなどは、苦痛にしか感じない。京子が隣にいても、やはり人々の視線に対して恐怖を感じてしまうだろう。だがこの機会を逃せば、俺は本当にアパートの自分の部屋に閉じこもったまま、一生を過ごすかも知れない。
僅かな勇気を振り絞り前へと進む、そうしないと次のステージに到達できない。たとえ一歩でも何かをやり続けたら、それが積み重なり、そして自分という存在を高みに上げてくれるだろう。そう信じて、俺は最初の一歩を歩く決意をした。
駅に行く前に京子が言ってきた。
「どうせなら、ハローワークっていう所に行ってみたいわ、高次さん、ハローワークに行くつもりだったのでしょ。ならハローワークに寄っていかない?」
ハローワークに行くっていうのは、もちろん嘘であるから、そんな事を言われて俺は困った。
「ハローワークならいつでも行けるじゃないか、今はデートの準備に時間を振り分けようよ」
適当にそう答えた。
「やっぱり、働く気なんて無いんじゃないの? それ以前にハローワークの場所さえもわからないんじゃないの? 駅の場所をコンビニの地図で確認していたから、この町の地理も知らないんじゃないの?」
いちいち急所を狙う質問が俺には痛かった。全部図星であるからなおさらだ。
「別にハローワークの場所なんて知らなくてもいいんだよ。コンビニでタダで置かれている求人誌を見てバイト先でも探せばいいんだし」
求人誌でバイト先を見つけようとした事はあったが、それはかなり昔の事であり、今では求人誌なんて物を手に取ったりもしない。
「求人誌なんていうのも今は見てないでしょ、部屋を掃除したとき、それらしい物なんてなかったもの、履歴書も無かったし、やっぱり働く気なんてないんでしょ」
そういえば部屋の掃除は京子がやってくれたのだったっけ、今考えてみると、俺の部屋には、人に見られたら恥ずかしい物が、それなりにあったので、今更ながら、恥ずかしい思いが少し込み上げてきた。
色々と無駄に思えることを、話しながら歩いて、ようやく駅に着いた。
       
駅では上りの電車は10分後に来るらしかった。その間会話などはなく、京子は文庫サイズの本を読んでいた。でかいバックは持ってきていないけど、俺の部屋にあった、小さいバックを持ってきて、その中に何冊かの本を京子は持ってきていたのだ。
俺も退屈だったので、京子が持ってきた本を読ませてもらったが、読書をすることになれていないので、本を読んでいるほうが苦痛だった。
ちなみに本のタイトルは「リプレイ」という物で、外国で出版されて日本語に訳された本だ。ジャンルはSFものであり、一回死んで、時間が遡り、人生をやり直すという内容であり、そこまでは一般の、誰でも考えそうな内容だが、やり直した人生の後で、同じ日に死に、また人生をやり直すという内容であった。
 電車が来て電車内に入っても京子は読書をしていた、俺は京子が何の本を読んでいるか気になり、聞いてみた。京子は「NHKにようこそ!」っていう本を読んでいると簡潔に述べただけで、また読書に専念した。
「NHKにようこそ!」は俺も読んだ事がある本で、主人公の佐藤さんにはかなり共感していた記憶がある。
作者の滝本さんの体験を元に創られた本であるらしいので、作者に少し好意感のような感情がある。他の作品でも「超人計画」等のエッセイも読んでおり、少なからずとも楽しめた作品である
。特に興味を持った場面は、薬に対する事が書かれている部分であった。たぶんそこに一番共感を覚えたのだろう。
ちなみに「NHKにようこそ!」はニートが主人公という小説である。
       
この県で栄えている分類に入る街に着いた。かなりの人ごみであるが、東京程ではない。しかし今の俺にとっては、人ごみが少ないほうでも、かなり緊張していた。つい最近までは深夜にコンビニに行く程度だった俺が、今はそれなりの人がいる所にいる。それもまだ日が昇っている時間帯にいる。なんかギャップがあって不思議な気分を感じていた。                     
昔は普通に街を歩けていたのに、今はそれなりの精神的な疲れを感じていた。まだ駅から出て、5分も歩いてないのに……
ちなみに東京には、とある事情で7回くらい行った事がある。その内一回は新宿で野宿をしていたが、あの時は2月下旬で寒さのあまり、あまり眠れなかった。
京子は街を少し眺め、何処に行くか考えているようだった。そして俺の腕を掴み微笑みながら『こうして腕を組んで歩いたらカップルだと思われるよね』と言った。俺は少し動悸が激しくなった。腕を掴まれたことより、おっぱいが当たっているので、俺の理性は崩壊しそうになっていた。
「京子ちゃん、胸が当たっているよ」
冷静を装いながら、なんとかそう言える事が出来た。
「当ててんのよ」
京子は、どっかの漫画の名台詞を言った。
「あと、名前を呼ぶときは呼び捨てにしてよね」
そう付け加えて言った。
まず京子が行きたいと言った場所は、カラオケであった。実に若者らしい思考を持った嗜好であった。
俺自身はカラオケには2回しか行ったことがなく、カラオケに一緒に行った相手も、俺が唯一親友だと認めている森高(もりたか)だけである。しかもかなり昔のことだから、歌を歌うことなんてしたくなかった。もし相手が森高なら音痴でも、歌を歌うことは出来るが、相手は知り合って間もない、少女であるから、歌うことは避けたかった。
しかし京子はカラオケで歌いたくてたまらないようであり、断る事が出来なくてしかたなくカラオケに付き合うことにした。
カラオケは一時間で十分だと思ったが、京子は二時間にしてくださいと、店員に言ってしまった。はっきりいって俺は歌う気がないから、二時間は多すぎだと思った。
しかし今更店員に一時間にしてくださいと訂正する事が、引っ込み思案の俺には言えなかった。
京子はさっそく曲名をリモコンで入力して、歌を歌いだした。京子の歌う歌は聞き覚えのない曲だったが、おそらく最近の曲だろう。
音楽に疎い俺でも京子の歌声はかなりのものであろうと思い、少なくとも森高より歌を歌う事に慣れている感じであった。
京子は4曲くらい歌った後に、俺に歌う事を促した。俺はそれを拒否すると、京子はますます、俺が歌う姿が見たいようであった。時間はまだ一時間二十分残っていたので、仕方なく、俺は歌う事にした。
俺が歌った曲は「メグメル」「鳥の詩」「Lihgtcolos」であり、全てKyeという大手エロゲー会社のエロゲームのオープニング曲である。
京子は何の曲だがわからないようであったが、静かに耳を研ぎ澄ませて聴いてくれた。
一旦火がついた俺は調子に乗り、「恋獄」「奈落の花」等という一般人が知らない曲を歌っていた。京子のほうは自分も歌いたいらしくなり、歌う事に満足した俺は、京子に残り時間は歌わせようとした。しかし残り時間が少なくなり、延長するのかを店員に言われたので、延長することは、断って、カラオケ屋を後にした
結局俺と京子は5曲ずつ歌っていた。
ちなみにカラオケ代は全部俺が払うことになった。
昼はファーストフード店で軽く食事をした。代金はもちろん俺が全て出した。
それからは、適当に街をぶらついた。ゲームセンターによってゲームをしようと提案したが、京子は乗り気ではなかった。しかし一旦ゲームセンターでゲームをしたら思いのほか、京子は熱中し出して、そろそろ別の場所に行こうと言ったが、京子は後もう少しだけと言い、結局2時間くらいはゲームセンターで遊んでいた。
それから、雑貨店やおもちゃ屋でウィンドウショッピング等をしていた。
そして最初の目的である服屋は最後に行った。
服屋では、どれがデートに相応しい服か意見を求められたりした。はっきりいって高い物は買えないので適当に安そうなのを、似合うよとか言って、高そうなのは買わせようとしなかった。
安そうな服を買ってあげようとしたら、値段があと少しで五桁になりそうな物だったので、少し躊躇したが、見栄を張るために買ってあげた。
ちなみに、買った服は可愛らしいワンピースだった。この季節だとまだ肌寒いのではないかと思ったが、どうでもよかった。
京子は「これで、デート用の服は確保できたね」と言っていたが、今街を歩いている事が既にデートだろう、と言いたくなったがあえて言わなかった。
日が暮れ始めた頃、京子が夕食を街で食べたいと言ったので、ちょうど近くにあったラーメン屋に寄ろうとした。そしたら「お洒落なレストランがいいなー」と言ってきた。しかしそんな金は既になくなりかけていて、下手をすれば電車代が足りなくなり、アパートに戻れなくなりそうだった。
京子をなんとか説得してラーメン屋で夕食を済ませたら、機嫌を損ねたらしく、しゃべらなくなった。
気まずい沈黙が、電車に乗るまで続いた後、京子はようやく話しかけてきてくれた。
「デートする時は、お洒落なレストランで食事する約束してね、今日はただ服を買いに来ただけだから、デートの内には入らない、だから許してあげるけど、今度本当のデートをする時は、ネットや情報誌で調べてから、綺麗な夜景が見える所で食事をしましょうね」
今日の出来事だって俺にしてみれば立派なデートだと思うのだが、京子はそうは思っていないようだ。本当のデートとやらはかなりの金を使用しそうだ。後で貯金を下ろしておこう、そうしないと、デートをしている途中で、金が尽きてしまうという事態になりそうだから。
         
今日はなれない事をしたのでかなり、疲れた。肉体的に疲れたというより、精神的な疲れのほうが、大きかった。
今までの二年間、外出など深夜以外にしていないのに、いきなり、人の多い繁華街に出て行ったからだろう。
しかしこの短期間で、俺は少しだけだが、前進できたと思う。おそらく俺一人の意志で外出をすることはなかっただろうが、京子のおかげで外出をする事ができた。そういう点では、京子には感謝している。
だが、京子は本当は何者なのだろうかという疑問が浮かんできた。ただの家出少女ではないという考えが浮かんだし、第一京子の年齢は幾つくらいなのだろう。
外見は少し大人びた少女であり17歳か18歳くらいに見える。だが、正確に年齢を確かめたわけではないので、もしかしたら俺よりも年上かもしれない。京子に年齢の事を尋ねようとしたが、おそらく京子は本当の年齢は言わないと思う。だから俺は年齢のことを聞く事はやめといた。
京子のほうを見ると、京子は本を読んでいた。
かなりの読書家であるだろう。京子のその姿は、文学少女のような、華麗で綺麗で、神秘的で、思わず抱きしめてしまいそうになるくらい美しかった。
京子が何の本を読んでいるか、カバーが掛かっていてわからないが、高尚な本をよんでいるのだろうと思った。気になったから、何の本を読んでいるのか尋ねてみた。
「ハイデカーの存在と時間を読んでいるの」
ものすごい本を真剣に読んでいるのだな。と素直に感心した。存在と時間は俺が高校生の時少し読んだが、3ページで読むことを放棄した本だ。
「嘘よ。今読んでいるのはヴィトゲンシュタインの論理哲学論考よ」
それでも凄いだろうと言おうとしたら、今度も嘘よと言った。
「キルケゴールの死に至る病を読んでる」
「京子さん、本当は何の本を読んでいるのか教えてくれない」
俺は痺れを切らして尋ねた。
しかし、京子は本当のことは言わずに次々と別の本のタイトルの名前を言った。ドストエフスキーの「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」トルストイの「アンナカレーニナ」「復活」「戦争と平和」等と質問するごとに、本のタイトルを変えていった。俺は我慢の限界がきて、京子の読んでいる本を強引に奪い、カバーをはずした。
タイトルは「神様のメモ帳」という本であり、ライトノベルだった。俺はちょっと期待を裏切られたような気がしたが、京子の持ってきた本の中に「涼宮ハルヒの消失」があったので、京子は乱読派の人間らしいと理解した。
「高次さん、私ちょっとだけ機嫌を損ねましたわ。この怒りを何処にぶつければいいんでしょうか」
確かに、本を読んでいる時に無理やり奪われたら、誰でも怒るだろう。
「あんなに名前を呼び捨てにしてって言ったのに、さん付けでなんで呼ぶの」
怒りの矛先はそっちかよ。何で呼び捨てで呼ばなければいけないのかわからないが、とりあえず謝っておくことにした。
「ごめん京子。次からは気をつけるから。でも何で呼び捨てで呼んで欲しいんだ」
当然の疑問を口に出していた。
「呼び捨てで呼んでくれないと、親しい関係じゃないみたいじゃないの」
凛とした、透き通った声で、あたかも当然のように京子はそう答えた。
親しい関係って言っても、まだ出会ってから一種間の半分もたってないじゃないか。
そう言おうとしたが、そんな事を言っても京子には無駄だと思い、何も言わなかった。
     
京子は10時過ぎた頃に自然と寝ていた。たぶん京子も今日の事でかなり疲れたのだろう。
それにしても、危機感のない奴である。つい最近出会ったばかりなのに、静かな鼻息を立てて、熟睡していやがる。
俺のほうも疲れがあるのに睡魔がこない。おそらく精神的に疲れすぎて、逆に興奮状態になっているのだろう。慣れない事をすると精神にストレスを与えて、神経が休まらない事がある。俺が鬱病の初期の時にそういう経験はしている。
俺は高校三年で鬱病になった。原因ははっきりとわかっている。だがその原因を俺は親には話してないし、心療内科の先生にも話さなかった。唯一俺が鬱病に罹った真相を知っているのは、森高だけである。
俺が鬱病になった本当の理由を親に話せば怒られると思った。だから話していない。それに今更真実を話す事になんの意味も無いから、これからも話さないだろう。
鬱病に罹った時は、世界が色あせ、これは本当に現実なのかと疑ってしまうほどの虚無感があった。絶望とは違う、もっと恐ろしいものを俺は経験した。
最初は、普通の内科で調べてもらったが、何の異常も無いと言われ、風薬をもらっただけだった。もちろん風薬は効かなくて、意味の無いことであった。
次は脳外科に行き脳をMRIで調べてもらった。しかし異常なしであり、むしろ健康状態ですね、と言われただけだった。一応髄液も調べてもらったが、異常は無かった。脳外科の先生は心療内科に行く事を薦めたが、俺は精神病ではないと激怒した。
しかし症状は一向に良くならず、一週間が過ぎた頃はこの世の何もかもが、くだらない物に思えて、自分の部屋のベッドで横になっていた。そして俺は、認めたくはないが、やはり精神に異常があると思い、親に心療内科に連れていってもらった。
そしてペーパーテスト等をして、重度の鬱病の可能性があると医者に言われ、その日は欝に効く薬を処方してもらった。
坑欝剤を飲み、坑不安剤を飲んだら少しだけ楽になり、二週間後くらいには治ったという錯覚を与えてくれた。だから一ヵ月後には薬はほとんど飲まなかった。しかしそれは大きな勘違いであり、人生で3番目の失態であった。
坑欝剤を飲まなくなって三週間後、最初と同じくらいの欝になり、さらに二週間後は最初に感じた欝症状より重くなっていた。
先生に相談したらいきなり薬を飲むのをやめると、そういう症状が出てくると言われ、まず徐々に減薬していかないといけないと言われた。
それから、俺は薬との戦いの連続であった。少し減薬すると、また悪くなったりしたが、二年減薬し続けてようやく、薬に頼らない生活に戻す事ができた。
しかしそのせいで失った物も多く、俺は今まで普通にしてきたことを、出来なくなってしまった。精神が軟弱したのだろう。昔ほどの情熱はなくなり、常にパソコンで2chのVIP板に張り込む事が生活になっていった。
今は2ch自体見る事は少なくなったが、そのかわりフリーのゲームソフトをダウンロードして、ゲームをやる事が生活の一部になった。
それからはただ堕落していく日々だった。深夜のコンビニでアルコール飲料を買って、酔うまで公園で哲学的で深遠と思われる事に考えを廻らませて、酔いが醒めると、馬鹿らしい妄想をまたしてしまったかと思い、アパートに帰っては、パソコンの電源をいれ、眠くなるまで、色々なサイトを見て回る、そんな生きた屍のような日々を送っていた。
何もかも変わって欲しいと何度も神や仏に願いながら、それでも何も変わることのない生活に嫌気が差していた。
そんな時に、俺は京子に出会った。
京子は俺の生活を一週間も経たない内に変えてくれた。
これからも京子がいれば、生活は変わり、そして俺のこの腐りきった精神を浄化してくれるかもしれない……
そして俺を精神的に大人の人間にしてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を心の何処かで感じていた。

それから二週間くらい経ち、なんの変わりも無い生活をしていた。
俺はパソコンに向き合い、ニコニコ動画という、コメントが出来る、動画サイトを見たり、ディアボロの大冒険という、ジョジョの奇妙な冒険の、同人的なゲームをプレイしたりと、普段と同じような生活を送っている。
京子は本を読んでいるばかりで、たまに声を掛けてくる事もあったが、ほとんどしゃべらない日々が続いた。
二週間前に京子が俺を変えてくれると言う考えは薄れていった。京子は帰るべき場所がないから俺のアパートに住み着いているだけで、俺のことはどうでもいいと思っているのだろう。出会って数日くらいは親しく声を掛けてくれたが、今はあまりしゃべろうとしない。まるで倦怠期の夫婦のようなそんな関係が今はある。
「高次さん、今日は何をやっているの?」
京子はそう話しかけてきた。たまに俺がパソコンで何をしているのか気になるらしくて、何をしているのか話しかけてくる事がある。
「いつものようにゲームだよ」
俺はいつものように答えるだけだった。
おそらく京子との会話が無いのは、俺が話を膨らませようとしないで、邪険に答えているからかもしれない。しかし、仕方が無い事だ。俺は二年間、誰とも話しをしてなくて、どうしゃべればいいのかさえも忘れた人間だ。しかも、相手は女なのだから、なおさら何を話せばいいのかわからない。
自慢ではないが、学校では女子と話した事が無く、女子からも話かけてこないという日々を送っていた。だから俺は女に対して耐久性がなく、女が喜びそうな話題が思いつかないのだ。
本当に自慢できる事ではないな……むしろ女子と話しかけたことの無いというのは恥だろう。
自分で自分に対してツッコミをした。心の中で。
エロゲーやエロ漫画なら話は進展して、既に性行為くらいはしているのだろうが、現実はそう甘い物ではなく、厳しいものだった。最初の数日間に京子と会話をしていたのは、奇跡に近いものだったのだろう。今考えてみると、夢か幻のような数日間だった。
だけど今はあまり話さない、これが本来の俺であり、これが現実なのだろう。
        
「ねえ、しばらくの間、パソコン貸してくれない?」
京子が突然そう言い出した。
「パソコンで何をするつもりなのか、はっきり言わなければ貸してやらないぞ」
はっきりいってパソコンを貸す事には抵抗があった。
まず、一つは、京子にパソコンを貸すと、とんでもない事になりそうな気がしていた。
第二に、パソコンの履歴やらファイルを見られると、軽蔑されるようなファイルがあるので貸したくなかった。
京子がアパートに住み着いたその日にファイルやら履歴を見られているわけだが、この二週間で、見られたくないファイルや履歴がまたできた。
履歴などは消去すればいいけど、ファイルの方はどうすればいいのだろう。
そういえば、隠しフォルダー設定ができるんだっけ、見られて恥ずかしいファイルは隠しフォルダーにすればいいだろう。
まあその二点はどうでもいいが、もし京子にパソコンを貸すと、俺がパソコンを使えなくなり、何をすればいいのか途方にくれてしまう事になる。だから安易に貸す事はできない。
「実はパソコンのワードを使って小説を書きたいの」
その言葉を聞いて俺は耳を疑った。
俺の心臓を返せの作者が小説を書けるのか疑問だった。そして小説を書いたとしても、ヒットするような作品を生み出せるのか、かなり不安だった。
まあ、小説を書いてそのまま、自分だけの作品にするだけなら害はないが、出版させようとするのなら、かなり無理があるだろう。京子は賢い女だから小説を書いたとしても、自費出版というハイリスクを伴なう事はしないだろう。
「小説を書くからには、大ヒットする作品を仕上げるわ」
お前の実力では無理だろうと言おうとしたが、それはさすがにきつい言葉なので、ソフトに何か言葉を発しようとした。
「自費出版だけはするなよ。もし小説で儲けたいのなら、まず賞に応募して、何かしらの賞を取って、名前を売っておくことから始めるんだ」
考えに考えた末、そう俺は答えた。
「それって私の実力ではヒットする作品が作れないってこと?」
そこまでは言ってないが、俺が言いたい事を京子本人が代弁した。
    
とりあえず、履歴を消しヤバイファイルなどは隠しフォルダーにして、京子にパソコンを貸してやる事にした。
俺も昔は小説を書いて一儲けしようとしたけれど、俺には文才が無く、しかも集中力や書き上げようという根性が無く、挫折した事があった。小説を書くのはそんな一朝一夕で書き上げる事は出来ないという事は俺が身を持って既に経験している。
はたして京子に小説を書く事が出来るのか、かなり不安だった。たとえ書いたとしても、最後まで書き上げられるのか、疑問的である。
だけど本人が書きたいと言うのなら、書かせてあげてもいいだろう。たぶん挫折はすると思うが、何事も経験しなければわからないものだから。

京子にパソコンを貸したことで、俺は暇になってしまった。おもえばいつもパソコンに向かいあって暇を潰していたんだから、いまさらパソコン以外に何かしようと思っても何もする気が起きなかった。
とりあえずアパートにいてもやる事は無いので、ひさしぶりに外出する事にした。
しかし何処に行けばいいのか、悩んでいた。コンビニで酒でも買って、いつもの公園で暇でも潰そうかと考えていたが、昼間に酒を飲む事は自分が駄目人間であることを、再認識してしまいそうで、止めて置くことにしといた。
既に駄目人間の俺が更に駄目な人間に落ちぶれる事だけはしたくはなかった。
考えた末に俺は以前京子と仮デートした街に行き暇を潰そうという結論に到達した。あそこの街なら何か暇を潰す最適な場所があるだろうと思っての結論だった。
最近は昼に一人で外に行く事が苦痛ではなくなっていた。京子が俺の被害妄想という架空の思考の檻を壊してくれたからかもしれないが、それは考えすぎだろう。
とりあえず俺は街に出かける事にした。
    
二週間前に京子と仮デートに行った街を俺は歩いていた。
あの時は京子がいてくれたから少しは気が楽だったが、一人で来るというのは、さすがに勇気が必要であった。しかし俺は何とかひとりで街に行く事が出来た。二週間前の俺なら考えられない事だった。
とりあえず暇を潰すために一人で街を歩く事にした。
街を探索して見て、京子と来たときには気がつかなかった場所を見つけた。
そこはインターネットカフェで、暇を潰すのには好都合な場所であった。とりあえず財布の中身と相談して、その結果、まだインターネットカフェには寄らずに、街をまた探索してみようと思った。
今の手持ちの金額は一万五千円とちょっとの小銭である。帰りの電車賃などを考えて、うまく金を使って暇を潰すことにしよう。
貯金を下ろせば七万くらいの金があるが、このあたりの何処に銀行があるのか分からないので、銀行で金を下ろすという考えは捨てる事にした。それにコンビニのATMから金を下ろすという手段があるが、手数料を取られるので利用したくは無い。それに緊急時に金を下ろそうとしても、貯金が少ないというのは心細い。最低でも銀行に貯金してある金は五万くらいないといけないと思う。だから俺は金を下ろすという考えは捨てた。
それにしても休日でもないのに、人は結構いるほうである。東京並ではないが、それでも、この人の数は結構な物だと思う。
しかし以前のように、人ごみにいても苦痛ではなかった。やはり俺は変わり始めているのだろうか?
とりあえず、前に来たときに見つけた古本屋による事にした。そこなら金も掛けずに暇を潰せるからだ。
           
古本屋で潰した時間は二時間くらいだった。
昔なら余裕で八時間くらい立ち読みができたのだが、今はそれほど読みたいマンガ本がなくて、読んでいる最中、苦痛すら感じられた。マンガの質が落ちたのではなく、年月が俺を変えたのだろう。昔の俺なら受け入れられた本も多数あったが、今の俺では楽しめなくなってしまった。
当時の鬱病のときも、何もかもつまらなく感じ、あれだけ好きであったマンガ本を読むと言う行為も苦痛になり、時間が経っていくのを、無意味に過ぎていくのを望んでいた無気力な日々があった。
しかし今はあの時とは違い冷静な感覚で、マンガを読むのが楽しくないと感じていた。俺は知らない間につまらない人間になってしまったのだろうか? マンガみたいな出来事などないと、そう思っているからマンガを読むのが楽しくなくなったのだろうか?
つまらない生、つまらない日々、そしてあっけない死、そんな人生を俺は送るのだろうか? 就職するのさえ恐れている俺は、おそらく何も成し遂げないで死ぬだろう。
つまらない人生がこの後待ち構えているのだろうと思い、溜息を自然と吐いてしまう。
俺の中学の同級生は今何をしているのだろうか? 高校を卒業して、就職に就いた奴もいるだろうし、大学に行き、そしてほとんどの奴は、大学卒業後、やっぱり就職したのだろう。俺みたいに何もしてない奴も少しはいるかもしれないが、やはり俺よりかは立派な人生を歩んでいるだろう……
そう考えると憂鬱な気分になってくる。鬱病とは違うけど、それでも不快感はぬぐえない。
    
鬱々とした思考をした時に、かなり時間が経っていたので驚いた。俺はそんなに物思いにふけていたのか。過去を懐かしみ、未来に絶望して、色々な事を考えている間に、無意味に過ぎてゆく時間。俺の人生事体が無意味な物なのかもしれない。
陰鬱な気持ちで俺はインターネットカフェに入った。
料金は三時間カップで千円であったが、インターネットカフェに今まで足を運んだことのない俺は、安いのか高いのかわからなかった。フリータイムは二千四百円だったが、それほど店にいるわけではないので、三時間カップを選択した。
どうして俺はこんなところにいるのだろう。という疑問が湧いたが、京子にパソコンを貸したから、ここにいるのだと思い出した。
そもそも京子にパソコンさえ貸さなければ俺はいつものように、自分の部屋でパソコンを使用できたはずなのに、京子が小説を書きたいという理由で、パソコンを貸してしまっから、ここでパソコンを使用している事になっている。
もし京子にパソコンさえ貸さなければ、俺は未だに一人で部屋から出られずに、黙々とパソコンでニコニコ動画やら虹裏などを見て、専用ブラウザーで2ChのVIP板などを見ていたかもしれない。そしてフリーでダウンロードしたゲームで淡々と遊んでいるだけの、価値のない事を黙々としていたかもしれない。
もしかしたら、京子は小説を書きたいと言うのは建前で、俺を自立させるために、パソコンから引き離したのかもしれない。
本当の事はわからないが、俺が今街に一人で出歩いているという事は事実である。
結局インターネットカフェに立ち寄りパソコンを触れているわけだけれど、一人で街に来られたというのは、俺にとっては大きな前進であろう。
こうやって少しずつ、外の世界になれていけば、俺でもいつか、バイトでもしてみようと思える日が来るのではないのか、という希望感が持てた。実際には今はバイトをしようという気は全然湧いてこないので、あくまでも希望的憶測である。
           
インターネットカフェでは何もしないのと同じであった。こんなカフェでパソコンをするより自分の部屋にあるパソコンでインターネットをするほうが、気が楽であるというのを実感した。
そろそろ、日が傾き出していたので俺はアパートに戻る事にした。
しかし、その前に買っておきたい物があった。Ps2のゲームソフトである。もし京子が本気で小説を書いているのなら、しばらくパソコンには触れられないだろう。だからそういう事も考えて俺はゲームショップに行った。
しかしいざゲームショップの前に来ると、何を買えばいいのかわからなかった。とりあえず、適当に商品を見ていって、面白そうなゲームがあれば買おうという作戦に出た。
だが、どの商品を見ても魅力が無いと感じられた。やはり年月が俺を変えてしまったのだろう。候補としてあがったゲームは、人生ゲームの最新版であった。
人生ゲームなんて全然人生という物を感じさせないゲームなのに、何故か人生ゲームという名前がついている。
人生ゲームのように年収一億とかの人生なんて、大半の人は送ってないだろうとツッコミたくなるが、それが人生ゲームの魅力の一つであることは認めよう。
現実に戻った時の喪失感や虚無感が味わえるのも人生ゲームの魅力であるだろう。
とりあえず俺は人生ゲームを買おうと思いレジに行こうとしたが、とあるコーナーで足を止めた。そこはギャルゲーの置いてあるコーナーであった。
普段からギャルゲーには興味があったが、プレイしたのはAIRとKANONとカルタグラの三作品くらいしかない、今欲しいギャルゲーは実は一つだけある。CLANNADというゲームである。
CLANNADはテレビで放送されていた頃から興味があったゲームで、何故か2chでは、人生と呼ばれているゲームである。
どうして、人生と呼ばれているのか分からないが、その謎を解きたくていつか買おうとしていたゲームである。
そんな事を考えながら、俺は人生ゲームとCLANNADのどちらを買うか迷った。そしてCLANNADを買う事にした。
      
帰路する途中にいつものコンビニでカクテルを買った。カクテルを買ったのは気まぐれではなく、京子と一緒に飲むためだ。酒を飲む事で二人の親睦を深めようと思ったのだ。アルコールを飲んで酔えば、緊張が解れて色々と何か話せるかもしれない。今は何を話せばいいか分からないが、酒で酔えば自然と会話が出来るだろう。
俺は自分の部屋に帰った。京子はパソコンの前にいて、何かをしていた。おそらく小説でも書いているのだろう。それともいざ書いてみようと思ったはいいが、何を書けばいいのか分からなくて、小説を書く事を辞めてネットサーフィンでもしているのだろうか。
「ただいま」
そう短く、小さな声で、帰ってきた時の定型文を述べた。
「お帰りなさいませ、ご主人様、お風呂と夕食のどちらが先でいいですか」
俺はツッコミをしなかった。ツッコミを入れたら負けだ。だから無言でいた。
「どちらもお気に召さないですか? それなら私と一緒に気持ちのいい事をしますか?」
俺は何も答えない、答えたら負けだ。正直気持ちいい事には興味が大変あるが、ここで気持ちのいい事って何? って答えれば、京子は冷笑を浮かべ『何本気にしているの、エッチなゲームのやりすぎじゃないの』と言いかねない。だから俺は無言し続けた。
「高次さん、何黙っているの、ここは突っ込むべき場面でしょ、それとも少し本気にしていたの」
無言でいても、少し悪態を吐かれた。
俺は何か言おうとしたが、何を言えばいいのか分からない。しかし次の瞬間何を話せばいいのか閃いた。
「そういえば京子、お前小説を書くとか言っていたけど、実際に書けたのか?」
この会話は自然である。さっきの京子の冗談から、話題の転換が出来る。
「ちゃんと書けたわよ、少し見てみる?」
「見るよ。京子の腕がどれぐらいか、知りたいからな」
「じゃあちゃんと見て、素直な感想を聞かせてね」

心に傷を負った少女I
                      作・阿久津健一

 ───アタシの名前はアイ。心に傷を負った女子高生。モテカワスリムで恋愛体質の愛されガール♪
アタシがつるんでる友達は援助交際をやってるミキ、学校にナイショでキャバクラで働いてるユウカ。訳あって不良グループの一員になってるアキナ。
 友達がいてもやっぱり学校はタイクツ。今日もミキとちょっとしたことで口喧嘩になった。

         【中略】

「……!!」
 ……チガウ……今までの男とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルな感覚がアタシのカラダを……駆け巡った……
(カッコイイ……!……これって運命……?)
その男はホストだった。

         【中略】

彼は死んでしまった。でも彼の命の鼓動は、私のおなかの中に宿っている。
私は頑張って生きていくよ。だから天国で見守っていてね、謙(けん)治(じ)。
                              FIN

俺は唖然とした。
これは既に小説では無い、小説の形をとった、ただの文字の羅列である。こんな作品なら俺は十分で書き上げ、そして即削除するだろう。それほどひどい作品である。
「どう私の作品、傑作でしょう、これならどこかの賞に応募すれば、佳作くらいはとれるでしょ」
冗談なのか本気なのか分からない、もし本気で言っているのなら、俺は京子の感性を疑う。
ここは本気で厳しく作品? の評価を言うべきか、それともやんわりと優しく否定的な言い方するべきか。
「黙ってないで、何か答えてよ高次さん」
俺は徹底的に批評する事にした。もう少しマシな作品なら、フォローが出来るが、この作品もどきに、フォローすべき言葉が思いつかなかった。
「あまりにも酷過ぎてしばらく声が出なかった。この作品は小説ではなくて、ただの文字列に過ぎない。最高点を100点として、合格点を70点とするなら、この作品はマイナス108点だ。ほとんどの人は最初の一文で読むことを止めて、少数の物好きが、最後まで作品を読んで、その人達全員が時間を返せと抗議をするぐらい酷い物だ」
正直な感想を述べた。実際にはもっと酷く言えるのだが、俺は京子が可哀相なので、少しだけ優しく感想を言った。
京子は今にも泣きそうな顔をして、俯いてしまった。
「でも書き続けてれば、いつか良い作品が書ける様になるよ」
と偽善的な言葉を言って慰めた。
京子は俯いたままでいる。泣くのを堪えているのだろうか。しかし、そうではなかった。京子は笑いを堪えているのであった。
訳が分からなかった。泣くのを堪えるために俯くのなら理解はできる。だが、笑いを堪える理由が理解できない。
京子はようやく顔をあげて、予想もしない事をいった。
「その作品って冗談で書いたのよ、本当の作品は別にあるの。それなのに高次さんって本気にしちゃって、それが少し可笑しかったのよ」
冗談だったのか……少し考えれば分かる事なのに、俺は本気で批評してしまった。なんだか恥ずかしい。
「本気で書いたものだけれど、まだ未完成だから見せれないわ」
 そう京子は言って、本当の作品なる物を見せてくれなかった。
      
「京子、今日の酒はお前でも飲めるカクテルだ、一緒に飲まないか?」
俺のほうから京子に話しかけた。今まで俺のほうから話をかけなかったので、京子は少し意外そうな顔をしていた。
「高次さん、今日、何かいいことでもあったの?」
当然の問いかけだ。
「良い事なんてなかったが、悪い事もなかった。ただ、今日一日街を一人で歩いて、何かを見つけたような気分だ」
「何を見つけたの?」
「何かはわからないが、とても大切な事だと思う」
「あっそ、どうでもいいから、早くカクテルでも飲みましょう」
あっそ、の一言で片付けられた。大切な物って何? とか聞かれると思ったが、京子は関心がなかったようだ。
京子はカクテルを次々と飲んでいった。かなりのハイピッチである。急性アルコール中毒を起こさないかと、少し不安に思った。もし急性アルコール中毒なんて起こしたら、俺が罰を受けるかもしれない。それと京子が体を壊してしまうかもしれない事を心配していた。
前者の方は、もし京子が未成年であった場合、酒を飲ませたほうが罰を受けるからだ。
後者の方は、純粋に京子の体を気遣っているから。
しかし、何で俺は京子の体を気遣うのか、それが分からなかった。今まで他人が苦しもうと、自分には関係がないから、無関心でいられた。しかし俺は京子の健康状態を気にしている。二週間以上一緒に過ごしてきたから、情が移ったのかも知れない。
でも、改めて思う事がある。京子は一体何歳なのか?
今聞いておくことにしよう。今なら酒で酔っているので、年齢くらいは教えてくれるだろう。
「ところで京子、お前はいま何歳なんだ」
「高次さんの年齢を教えて? 人に名前を尋ねる時は、まず自分の名前を言わなければいけない、年齢とかもそうでしょ」
言っていることはわかる、確かに人から情報を得ようと思ったら、まず自分から情報を相手に与えなければいけない。そう何事も対価が必要なのだ。
「俺は今、22歳だ。今年で23歳になる」
「じゃあ、私と七歳違いなんだ」
七歳違いと言う事は、つまり22+7だ。
「意外だな、29歳なんだ。君が大人びている理由が少しわかったよ」
京子は呆れた顔をしていた。
「なんで、そうなるの? 私は今15歳よ」
俺は耳を疑った。15歳と言う事は高校一年生ではないか、俺はてっきり20歳前後だと思っていた。しばらく唖然とした後、一つ尋ねた。
「じゃあ、高校はどうしている。それとも受験をしなくて、今はぶらぶらと遊び歩いているのか?」
京子は呆れて、やれやれ、という顔をしていた。
「高校になんていってないわ、だって今はまだ、中学三年生だもの」
なん……だと……!
俺は驚愕した。
「ちなみに誕生日は4月2日で、早生まれだから。証拠でも見せてあげようか?」
証拠の呈示を俺は断らなかった。自分でも信じられないし、もしかすると、いつものように京子の冗談かもしれないから、だから俺は証拠を見て、それが嘘だと安心したかった。中学生と同僚しているとなったら、俺の立場が危ういからだ。
京子は学生証を取り出し、住所などを見せないようにして、必要な項目だけをみせてくれた。
山下京子という名前と、生年月日と、そして自分の顔写真が写っている所をみせてくれた。
確かに嘘ではないようだ。本当に中学生らしいという事はわかった。
しかし最初名前を聞いたとき、偽名とか言っていたけど、あれは京子流の冗談だったのか。
「ねっ、言ったとおりでしょ」
京子は小悪魔のように、妖美な笑みを浮かべ、そう言った。
        
俺もカクテルを飲んで、そして今の状況を酔った脳で考える。
今、山下京子という女がいる。そしてカクテルをグビグビと豪快に飲んでいる。
俺は二週間くらい前は、女との接触が零に等しい男だった。
しかし、今は京子という少女がいる。その少女は自分より大人びていて、そして顔などは、SAランクに入るぐらい美形である。体格等も素晴らしく、時々近寄ってくる時に、いい匂いを醸し出し、俺の性欲を極限まで上げてくれる。
そんな女が、実は中学生でしたという、とんでもない事実を、京子本人が教えてくれた。
もし俺が襲っていたら、警察沙汰になっていた。
京子が18歳以上ならなんとか言い訳をして、執行猶予が付いたかも知れない。
だが、京子は15歳で、しかも中学生という身分である。襲っていたら、かなりややこしい事になっていただろうし、ロリコンというレッテルを貼られ、生きていかなければいけない、という事になっただろう。
俺は今、二週間くらい前の、京子と出会った時の、過去の俺に感謝していた。
過去の俺よ、京子を襲わなくて感謝する。ありがとう、過去の俺よ。
ちらりと、京子の方を見て俺は考えた。
京子は何故家出をしたのだろうか、その原因を聞きたいのだが、京子は教えてくれないだろう。仮に聞こうと思っても、こちらから何か対価を支払わなければいけないだろう。年齢を聞きだした時の対価は、俺の年齢だった。
それなら、家出をした理由にも、対価が必要であろう。しかし、それが何かわからない。対価が、どうして俺がニートになってしまったのか? というものなら、簡単だが、たぶん京子はそれ以上を求めるだろう。へたしたら、『一億円払ってくれるのならおしえてあ・げ・る』とか言いそうだ。
だから安易に家出した理由は聞かないほうがいいだろう。たとえ聞いたとしても、嘘を言うかもしれないし。
京子の方から家出した理由を話してくれればいいが、まだそこまで親密な関係ではないし、どうすれば好感度を上げることができるのか、わからない。
エロゲーやギャルゲーなら簡単だが、現実では都合のいい選択肢が出ない。すべて自分自身で行動し、自分自身が考えた台詞を言わなければいけないという、シビアなものだ。
ゲームはリセットできる、しかし現実の人生はリセットができない。つまりやり直しはできないという物だ。
やり直せないから、人生という物は、素晴らしいのではないのか。という台詞を吐く人もいるかもしれない。
しかし、自分はそういう考えが出来るまで、達してない。もし人生をやり直せるという道具を、未来から来た猫型ロボットがくれたら、俺はその道具を使うだろう。

京子の方を見ると、既に寝ていた。
俺は京子が完璧に寝ているのを確認しようと思った。もしかしたら寝ている振りかもしれない。そっと近付いて、おっぱいを揉んでみた。
かなり柔らかい。そして大きすぎず、小さすぎない、美乳である事がわかった。
そして俺は更にしつこくおっぱいを触り、その感覚を脳に刻みつけ、今度は唇を撫でてみた。
ぷにぷにとしていて、みずみずしい。キスでもしたくなったが、それは止めといた。
次は、髪を撫でて、匂いを、くんかくんかと嗅いだ。そして最後に耳元に息を噴出した。
それでも起きなかったので、完全に寝ていると確信した。
そして、自分が今やった行為が、既に変態の領域に達している事に気がついた。
とりあえず、気にしない事にした。京子自身が触る事はオッケーだと、初日に言っていたのだ。だから今さっきの行為は別に咎められることではない。
京子が寝ているのを確信して、ようやく本当の目的を果たす事ができる状態になった。
まず、京子がさっき見せた学生証だ。本当に中学生なのか、そして、住所は何処なのかを確認するためだ。
偽造の学生証等、作るメリットなんて無いが、京子ならやりかねないと思い、調べた。その結果、どうやら本物らしい事がわかった。
住所は埼玉県らしい。案外ここから近い所であり、少し以外に思った。京子はもっと遠い場所から来たと思っていたからだ。
とりあえず、あとは日記でも見ようと思った。京子は日記を見られたくないような事を言っていたが、日記を読めば、京子が家出した理由と、京子が本当はどんな人物なのか、少しはわかるかもしれないと思ったからだ。
前は日記を見るのを躊躇った、というより、第六感が見てはいけないと叫んだから、見なかった。
だが、今日の俺は違う。京子の事を知りたいという衝動が駆け巡っている。だから今日は京子の日記を見る。
と意気込んでから、二時間が既に経過していた。京子のバックをあさっても、日記が見つからなかった。そして、部屋に隠してあるかもしれないと思い、探したがそれでも見つからなかった。
そもそも、本当に日記なんてあったのだろうかと、自分の記憶を疑った。
たしかに、あった。いやあったかもしれない。実は幻覚だったのかもしれない。あれは夢であった。実感を持った夢と現実と妄想が創り出した、架空の物体だったのかもしれない。
考えても切りがないから、俺は眠る事にした。
寝る前に、京子のおっぱいに顔を沈め匂いを嗅ぎ、手で揉みもみして、それから眠った。
      
起きた時、京子はパソコンで、何かをしていた。おそらく小説でも書いているのだろう。
とりあえず、今は何時であるか調べようとして、携帯を見た。
時間は既に午後3時であったが、そんな事は日常茶飯事なので気にしない。
とりあえず、京子におはようと挨拶をした。
「もう今はこんにちはの時間よ」
というツッコミをされたが、それも普段のことなので気にしない。
とりあえず、京子がパソコンで何をやっているか、聞いてみた。
小説を書いている。という言葉が来るだろうと思っていたが、違っていた。
「高次さん、ごめんなさい」
何を謝っているのか、理解できなかった。
寝ぼけた頭のせいじゃなくて、いきなり説明もなしに、謝られたからだ。
「実はディアボロの大冒険って言うゲームをプレイしたら、死んじゃって、ホテルとかいう場所に戻されたの」
ええっと、どういう事なのだろう。今度は脳が覚醒してないので、その言葉の意味が、しばらくわからなかった。
「あれってトルネコのダンジョンとかと同じで、死んだら今までのレベルが一に戻されて、アイテムなんかも無くなるようなゲームでしょ」
ようやく理解できた。つまり京子はディアボロの大冒険をプレイして、死んだというわけだ。
「俺のデーターじゃないよな」
と質問してから、愚問だと思った。俺のデーターじゃないのなら、謝る理由がない。しかし、謝っているという事は、俺のデーターでプレイしたという事で、そして見事に死んで、今までの俺の努力の結晶を無に帰したという事だ。
「京子、お前何てことをしてくれたんだ、ダンジョンが40階前後なら許せたけど、今回は、ものすごく運に恵まれていて、89階という前代未聞という所まで行ったんだぞ。どう責任を取るつもりだ。ディアボロの試練は、外部からアイテムが持ち込めないから、レクイエムの迷宮と違い、深部に行くのには、かなりの運と知識と知恵が必要なんだぞ!」
と愚痴を吐いた。
俺の今までの努力を返してくれ、と言いたいが、しばらくは何も言葉を発することも出来ない状態まで落ち込んだ。
「昨日の、じゃなくて今日の夜中に私のあらゆる部分を触ったことで帳消しにしてくれない」
そんな事で、ゲームのデーターは戻ってこない。と言おうとして、気がついた。
あれ……今日の夜中にあらゆる部分を触った事……って言う事は、まさか、起きていたのか? という疑問を抱いた。寝ていなかったのか、京子の奴は。
いや、京子のブラフかもしれない、誘導尋問に引っかかってはいけない。COOLになるんだ。勤めて冷静に質問に答えよう。
「いや、俺は今日の夜中はいつものように、ゲームをプレイしていたよ」
「何てタイトルのゲームをやっていたの?」
「アンディー・メンテというサークルのゲームの『あの世』というゲームをしていたよ」
「そうなんだ、ゲームしながら、胸を揉んで、唇を撫でて、髪の毛の匂いを嗅いで、そして耳に息を吹きかけたんだ」
京子の奴は、ブラフではなく、本当に俺が夜中にした行為を、全て知っているんだ。
「その後、バックの中を探り、何かを探していたみたいだけど、何を探していたの?」
「わかった、全て正直に話す。バックの中を探していたのは、京子の下着を、アダルトショップで売ろうとして、それでバックの中を探っていたんだ」
自分でもフォローにならない、嘘をついた。京子は今日から、俺から距離を置いてしまうだろう。でもいいだろう、京子は俺みたいなところに居続けては駄目なんだ。俺と居てもプラスになる事などない。ただ傷つくだけなんだ。
「でも、よかった……」
と、京子は意味の分からない言葉を発した。『でも、よかった……』ってどういう意味だ。俺の愛撫が気持ちよかったのだろうか?
「高次さんって今まで私を触らなかったでしょ。もしかしたら私に魅力が無いのかと、少し自信を無くしかけてたの。あと、高次さんがガチホモじゃなくてよかった」
「京子は凄く可愛いよ。でも今まで触らなかったのは、俺が強い精神力で性欲を我慢をしていたからだ。しかしその我慢も限界に達し、京子を触らなければ死んでしまうという、強迫観念が出てしまったので、触ってしまったんだ」
 ある意味嘘であり、ある意味真実であることを、京子に伝えた。
「でも、失望した点があるの。まさか高次さんがロリコンだったなんて……」
昨日京子は自分が中学生だと話してくれた。中学生である証拠まで見せてくれた。
そして、今まで胸など揉んだりした事もないのに、中学生と知った途端、夜中に急に色々な部分を触った。
それの意味する事は、紛れも無いロリコン野朗であるという事を、言葉ではなく行動で示してしまっている事になる。
だが、俺が京子を触っていた理由は、中学生の体であると知ったからではなく、起きているのか、起きていないのか、確かめる為に触っただけである。
俺は決してロリコン野朗ではない。
そう自分に言い聞かせた。そして京子にも誤解が解けるように、何か適当な理由を言わなければならない。
「違うんだ京子、あれは酒で酔った勢いでやってしまったんだ、決してロリコンではない。それに、君は大人のフェロモンを醸し出している。本当の年齢が15歳で、しかも中学生だとはとても思えない。だから俺はロリコン野朗じゃない。信じてくれ」
俺は必死に弁解した。
「別にどうでもいいわよ。そんな事は些細な物だもの」
そう言って、京子はパソコンの裏に行って、ある物を取り出した。それは日記である。
「高次さんが見たいものってこれでしょ。見せてあげるわ」
まさか、パソコンの裏に日記があるなんて思いもしなかった。そして京子は俺が日記を探していた事を知っていたようだ。
俺は日記を受け取り、中身を見た。そして俺は驚愕した。
日記には何も書かれていなかった。書いた文字を消した後もない。日記の全てのページを探っても、何も書かれていなかった。
「がっかりしたでしょ、答えの載っている本を見つけたと思ったら、何も書かれてなかった。っていう気分でしょ」
     
俺は別に落胆してはいない。
そういう可能性も少なからず、あると思っていたからだ。
「今度は高次さんの番ね」
京子がそういったが、何のことだが理解できなかった。
「高次さんが日記を見せる番よ」
そういう事か……京子はタダで何かを教えたり、何かを見せるような奴ではない。何かしらの対価を支払わなければいけない。京子は日記を見せたのだから、俺も日記を見せなくてはいけない。そういう事なのだろう。
日記は森高のホームページで書かせてもらっていたが、ここ1年は日記を更新していない。MIXIのほうも、最初は日記を2日に一回の割合で書いていたが、今はもう書いていない。
MIXIのほうは、日記さえ書いていれば、『マイミクに登録してもいいですか?』という人が来るのを望んで書いていたのだが、一向にその傾向が来ないので、日記を書くのを止めてしまった。
そして、森高の方は今でもホームページを開いているのかが気になる。サイトを閉鎖してしまっていたら、俺の書いた日記も消去されている可能性がある。
それに京子に見せて何か得する事でもあるのか? 別に見せなくてもいいと素直に思う。
もし日記を見せて好感度が上がるとしたら、俺は見せるだろうけど、逆に、好感度が下がる可能性もある。ゲームならやり直しなどが出来るし、二択の選択肢を気軽に選んで、もし間違っていたとしても、リセットが出来るから悩む必要はない。
しかし現実は、選択した後にやり直しができなくなり、選んだ未来を進めなくてはいけない。それがどんな絶望的な未来でも……
選ばなかった未来が、どのような世界か知ることは出来ない。
もしかしたら、選ばなかった方の未来のほうが素敵な世界かも知れないし、選ばなかった方の未来の方が、もっと悲惨である可能性だってある。可能性の話をすれば、それこそ無限の可能性があるので、語りつくす事はできない。
俺は日記を見せないほうの未来を選択する事にした。
「残念ながら、俺は日記をつけていないよ。だから見せる事は出来ないんだ」
      
「そう……残念ね。この意味深な紙も何の意味も持たないなんて」
京子が何のことを言っているのか分からなかった。
「どういう事なのか分からない。意味深な紙って何の事だ」
京子は、自分のバックの中から一枚の紙を取り出して、俺に見せてくれた。
そこに書かれているのは、『日記 パスワード74xs4f』という物であった。それは昔に、日記の管理者パスワードが、何なのかを忘れてしまった時の為に保険として書いたものだ。
「インターネットで自分用のホームページがあって、このパスワードっていのは自分が管理者である事を認識させるものでしょ。だから日記はあるけれど、見せたくはない内容が書いてあるから、私に日記を見せないんじゃないの?」
7割は当たっている、自分のホームページは持ってないが、たしかに日記は書いている。見せたくない内容は書いていないが、見せたくないというのは当たっている。
俺の日記は正直言って、日頃起こったことを書くのではなく、たまに思いついた自分なりの思考を書いているだけの日記だから、見せるのが恥ずかしいという事である。
ここは正直に白状して日記を見せるべきなのか、それとも何か嘘をついて、この場をやり過ごすか。
選択肢は俺が考える限り、二つしかない。どちらを選択しようか、迷っていた。
「確かに、友人のサイトに日記を書かせてもらっていたけど、今はもう友人のサイトは閉鎖している、だから日記を見せることが出来ない」
俺は嘘をついてその場をやり過ごす事にした。
「へぇー、高次さんって友人って呼べる人が居たんだ。ちょっとだけショックを受けたわ」
何でショックを受けたのか分からない。一応ショックを受けた理由でも聞いておくか。
「何でショックを受けるんだ。俺に友人が居て悪いのか?」
「ものすごく悪い、高次さんは誰とも話したことのない人間で、学校では友達と呼べる人間が居なくて、そして昼休みはトイレの個室で弁当を食べているような、そんな人間だと思っていたのに、それなのに友達が居る事がショックでもあり、高次さんに友達が居るなんて、宇宙七大不思議に匹敵するぐらいの、衝撃を受けたわ」
 普通、そういう台詞は本人の居る前で言わないだろう。しかし京子はさも当たり前のように、毒舌を吐いた。
 俺はそんな京子の台詞を無視して、話題の方向を戻そうとした。
「悪い京子、何にも見せるものが無くて、代わりに何かしてあげるよ」
 そういってから、後悔した。京子のことだから、ものすごく無理難題な事を注文するだろう。
もし時間が巻き戻すことができるなら、さっきの台詞を言う前に戻りたい。それほど後悔していた。
「じゃあ今日から三日後にデートしましょう。それなら文句は無いから」
 ある意味、無理難題な注文が帰ってきた。女子中学生とデートなんて、羨ましいと感じる人が居るかもしれないが、俺にとっては苦痛にしかならない。
 前に京子と街に行った時に、何を話せばいいのか分からないで、少し気まずかった事を思い出した。そんな俺をデートに誘うという事は、京子にとってメリットはあるのだろうか?
「ごめん、京子。実は俺はもう金が無いんだ。だからデートは出来ないよ」
「どうして嘘をつくのかな?かな?」
「嘘じゃないよ。本当に金欠状態なんだ、もしデートなんてしたら今月は極貧生活を送ることになるよ」
「嘘だッ!!私知ってるよ、高次さんが7万円の貯金があるという事を、その金を下ろせばデートくらいできるんじゃないのかな?かな?」
なんでこいつ俺の貯金金額を知っているんだ、しかも、ひぐらしのなく頃にというゲームの竜宮レナというキャラの口調になっているのは何故なんだ。
「なんで、俺の貯金金額を知っているんだ」
俺はそう質問せずにはいられなかった。
「高次さんが寝ている間に、貯金手帳を見たから知っているのよ」
こいつ勝手に人の部屋を調べて、個人情報を手に入れるなんて、非常識にも程があるという事を知らないのか。と思ったが、俺も人のことは言えない立場である。京子が寝てる隙に(実際には寝ている振りだったけど)、バックの中を物色とかしていたからだ。

今日から三日後に京子とデートする約束をしてしまった。しかし、今の俺の力量では、京子を満足させる事は出来ないだろう。もし満足させることが出来なかったら、京子は俺の元から去ってしまうような気がした。
とりあえず今の俺に出来る事は、貯金を下ろして、金銭を獲得する事だろう。そんなわけで俺はとりあえず銀行に足を運んだ。
貯金を下ろしたとき、少し疑問に思った事があった。貯金金額が、10万円になっていたのだ。おそらく親が仕送りした物だろう。しかしいつまで俺は、パラサイトな生活を続けなくてはいけないのだろう。親に何一つ恩返しをしていない事に、少し心が痛んだ。
だが、大きな前進をしているのは確かである。昼に銀行に行く事など、昔の俺には出来なかった。
しかし、今俺は普通に昼に出かける事が出来た。それは他人からすれば、当たり前の事かも知れないが、俺にとって大きな一歩である。
本当はすぐにアパートに帰って、調べたい事があるのだが、今も京子がパソコンを使っているので、調べたい事も、調べられないと言う状況だ。
俺は書店に行き、デートスポットや、初デートを成功させる本を読んでみた。だが参考にはならなかった。本が悪いのではなく、デートという物の本質が分からないので、理解が出来なかったのである。
今まで哲学を学んだことが無い人間が、哲学の入門書を読んでも理解できない。というのと本質的には同じである。
     
デートをするにあたって大事な物は何か。という事が何かわからない内にデートの日になった。
森高に相談しようとも思ったけど、あいつは何一つ教えてくれないだろう。
森高は職場の女子社員と親しい関係になって、一時期は同棲していた経歴がある人間だ。実際には会った事のないので、架空の存在かもしれないと疑った事もあるが、仲の良い雰囲気の写真やプリクラを見せてもらい、彼女がいる事を俺は素直に認めた。
しかし許せないことがある。俺よりも先に彼女を作った上に同棲までして、しかも童貞を俺よりも先に捨てたことである。
森高とは中学からの付き合いだが、俺とあいつは同じ所を常に同じ速度で進んでいた。だが、あいつと高校が別になってから、距離が開いてしまった。
開いた距離は、俺と森高との人間関係ではない。あいつは俺よりも少しずつ人生という道を地道に進んでいった。そして俺はいつの間にか歩みを止めて、人生と立ち向かう事をしなくなっていった。
開いた距離は、人生経験による人生レベルである。俺が今、人生レベル3なのに対し、あいつは人生レベル37というくらい差ができてしまった。
この差を埋め尽くすのにはかなりの経験を積まなければいけない。しかし、俺はもう人生の経験値を稼ぐ気にすらない。
ならば、小さい経験で経験値を積むよりか、はぐれメタルを倒した時並みの経験値を手に入れなければならない。俺はスライムを倒して、地道に経験値をためるタイプではない。
だから、京子との出会いは幸運であると思う。京子ははぐれメタル並の経験を俺にさせてくれる。だから京子を逃がさないで、一気にレベルを上げていきた。
ある一定のレベルに達すれば、できる事も増えていくだろう。
京子とのデートは俺に何をもたらすのだろうか。不安であり、その反面、期待している自分がいることに気づいた。

そんなこんなで、約束の場所に俺はいた。そこは京子と仮デートした街である。京子は後から来ると言っていた。同じ部屋に住んでいながら、何故待ち合わせをしているかというと。『デートっていうのは待ち合わせ場所で相手を待つところから始めるのよ』という理解しがたい理論を京子が言って、俺がその意見に反論しなかったからだ。
そして今、俺は約束の場所に約束の時間に来て、既に一時間半くらい待たされている。
こんな事になるのなら、京子の意見に反対しておけばよかったと後悔していた。
それから更に三十分ほど経って、ようやく京子は約束していた場所に来たのだった。
「高次さんごめんね、少し待たせてしまって」
二時間という時間が少しという時間では無いと俺は思ったが、予定どおりの台詞を言った。
「いや、全然待ってないよ。僕も少し約束の時間に遅れて到着したから、お互い様だよ」
この台詞は俺の意志ではなく、京子がそういう台詞を言ってね、と念を重ねて言っていたから、仕方なくそう答えただけである。
内心ではかなりイライラしていて、この場でおっぱいを揉んで、ディープキスをしてやりたかったが、人が大勢いるので我慢した。
「高次さんって酷い人ね。もし私が約束とおり時間に来ていたら、私のほうが待つ羽目になっていたじゃないの」
その台詞は俺の少しの怒りの炎に、油を注いだ台詞だった。もし人気の無い場所に着いたら、後ろから抱きしめておっぱいを揉み揉みしてやろうと決意した。
しかし、昔の俺ならそんな事は考えたりはしなかっただろう。
京子という存在が俺の存在を変化させているのだろうか?
人と人が付き合えば必ずどちらかが変わると言う性質を持つ。それは人との干渉が、人に影響を及ぼしているからだろう。今まで人との付き合いが希薄だった俺に、京子という未知なる存在が、俺を確実に変化させた。
成長という物なのかは判断できないが、俺は自分という殻に閉じこもっていたが、その殻が壊れていき、新しい存在に変わっていくことを確かに感じた。
「京子、ところで今日はどんな所を回っていくんだ。この街も所詮平凡な街の一部だ。回っても面白い所なんて無いぞ」
「じゃあ、今から東京に行ってみる? 東京なら楽しめるところがあると思うよ」
京子は平然と言ったが、此処から東京なんて片道三時間掛かる。東京に着いても帰ってこられないかもしれない。とそう言って東京行きを拒否した。
だが京子はとんでもない発言をした。
「帰れる時間がなくなったら、ラブホテルに泊ればいいんじゃないの」
本気で言っているのか分からなかったが、中学生とラブホテルに入る度胸なんて無い。それ以前に、女の子とラブホテルに行くという事なんて、つい最近まで、俺の辞書では都市伝説に過ぎない物と登録されていた。
「京子、それ本気で言っているのか、ラブホテルに泊るという事は、性行為をしてもいいよという事になる。俺みたいな奴に抱かれたくないだろ?」
「でも高次さんのアパートに住んでいるけど、高次さんは一切性行為はしなかったでしょ」
確かに俺は、京子のおっぱいを揉んだり、髪の匂いを嗅いだり、唇を指で撫でたりしたが、性行為はしていない。しかしそれは俺の部屋だからしないのであって、ラブホテルに入れば必ず性行為がしたくなる。そんな予感がする。しかし俺はその申し出を断らなかった。
「じゃあ、今から東京に行ってみるか」
何故俺はそんな返事をしてしまったのか分からない。
やはり俺はこの短い期間で少しずつ、性格が変わっていったのかもしれない。

電車で京子と移動するのはこれで二度目だ。しかも両方ともデートをするために移動する事を目的として使用している。
電車の中では京子は前回と同じくおとなしくてしていて、そして本を読んでいる。大勢の前では、はしゃいだりしないタイプなのか。今は電車に人は少ないけど、誰かに会話を聞かれるのが嫌なのかどうかわからないが、とりあえず人がいて密閉している空間では京子はあまり喋らない人間である。
移動している間、俺は暇なので京子に本を借りて、本を読んでいた。タイトルは『聖なる予言』ジェームズ・レッドフィールドという作者が書いたものらしく、自費出版したもので世界的ベストセラーになった本らしい。少し読んでみたが、凄くスピリチュアル的な内容である。
俺も世界で起こりうる全ての出来事は、今の科学では説明はできないと思っているので、スピリチュアルな事も20パーセントくらいはあると思っている。あの世の存在も10パーセントは信じている。
信じているというより在ってほしいという願望がある。だが人から語られるそういった類の話は、信じようと思っても、今まで生きてきて得てきた二十二年分の常識的思考では、素直に信じられない。疑ってしまう癖がついてきている。
あの世の存在を10パーセント信じているという事は、つまり残り90パーセントは信じていないという事でもある。
今生きているだけでも大変なのに、死後の世界について思案してしまう。
あの世の存在を考える事は無意味だと知りつつも、人は死について考えてしまう。死は恐怖の対象とされているが、本当に死ぬという事は恐怖なのだろうか? もしかしたら死は救いではないのか?と考える事もある。
未知なる物を考えるのは、人間特有の物だが、死という物は生きている時は未知なる物であるが、その未知の領域にいずれは逝かなくてはならない。生物は例外なく死ぬのだから、いずれ自分も死ぬ。だから死というのは、未知でありながら、しかし身近な物である。
故に、人が死に対して思案するのは、極当たり前の事である。

とりあえず東京に着いた。
到着時間は既に午後9時頃であり、今からアパートに戻ろうとしても無理な時間帯だった。
京子に何処か行きたい所があるか聞いてみたら、メイド喫茶に行きたいと言った。しかし、残念な事に秋葉原の店は八時には閉まるので、メイド喫茶に行く事は出来ないと教えてあげた。
「じゃあ東京タワーに行ってみたいな」
との事だったので、とりあえず東京タワーに向かった。
そして浜松駅で降りて東京タワーに行く事にした。
実は俺は東京タワーには何度か足を運んだことがあるが、浜松駅以外のルートでしか東京タワーに行く方法を知らない。最短距離で東京タワーにいける駅もあるらしいが、そこが何処なのか分からない。だから仕方なく浜松駅から、東京タワーに向かう事にした。ちなみに浜松駅から行くと、15分くらいかかる。
東京タワーに着いた時は、既に9時半を少し過ぎていた。特別展望台に行く事は出来ないが、大展望台にはいけるらしい。チケット大人二枚買って大展望台に行く事にした。
「夜景が綺麗ね」
と京子が言ったので俺も何か言い返す事にした。
「君の瞳の方が9倍綺麗だよ」
「ところで高次さん、何でチケットを大人料金で買ったの、中学生は子供料金で買えるのに」
俺の発言を華麗に無視して、京子は疑問に思った事を俺に聞いてきた。
「君はどう見ても中学生に見えない、それにこんな時間に中学生を連れている事が発覚したら、警察に職務質問とかされるから、そういう面倒なことを避けるために、大人料金のチケットを買ったんだよ」

「ところで、これからどうするんだ。今の時間で東京で遊べるところなんてほとんど無いぞ」
東京の夜景を見ながら京子に尋ねてみた。
「何処かお洒落な店で食事がしたいなー」
京子はそう呟いていた。
東京タワーの営業時間が終わろうとしていたので、東京タワーから出ることにした。
さてと、これからどうするか、考えてみよう。
今の時間帯の東京で遊べる場所などはほとんど無い。クラブとかならやっているかもしれないが、俺にはハードルが高すぎる。とりあえず寝る場所を何処にするかを考えるのが最優先だろう。
京子が言った提案はラブホテルで泊ればいいという事だが、道徳的にも倫理的にも問題がある。しかも、京子の言ったラブホで泊る計画は、京子の冗談である可能性がある。
 だが俺には既に、何処に泊まればいいのか? という問題を解決している。
 まあ、ぶっちゃけて言うと、ネットカフェに泊まればいいという、単純でシンプルだが、これ以外の解決方法は無いと断言できる名案である。
「京子、ネットカフェに行こう」
「私も今、ネットカフェに行く事を考えていたところよ」
 まあ、100人いれば96人がネットカフェに泊まろうという考えに行き着くわけだ。京子も100人いる内の96人の考えに辿り着いたようだ。
「ネットカフェでは、予約無しでも泊まれるホテルを探す事と、ラブホテルのおススメの場所を検索する事ができるからね」
 京子は想定外の答えを口に出した。100人いる内の4人の人間に部類される人間であった。
「所でネットカフェって何処にあるの?」
京子のもっともな疑問に俺は堂々と答えた。
「秋葉原ならある。いやあるはず。たぶんあると思う。あると信じよう。」

そして秋葉原に着いたが、はっきり言って何処にネットカフェがあるかわからない。俺が唯一知っているのは、高校三年の時、東京の心療内科にいった帰りに必ず通っていた、大人のコンビニくらいなものだ。秋葉原駅から近いからすぐに行けるので、当時の俺にとっては最大のオアシスだった。
あそこは普通に女性同士の客とかもいるから、商品を物色している振りをしながら、女性客を見て、ものすごく淫靡な妄想を膨らませたり、カップル同士の客を見たりして、この後二人はどんなプレイをするのだろうか。という想像をしていた。つまりここは、想像力を育む場所として最良であり、そして、健全な教育場所だったと言えよう。
とりあえず、駄目元で、京子の奴をその店に案内してやるかと思った。京子はラブホテルに泊まるとか言っているが、実際に大人の玩具というのを見せれば少しは危機感を覚えるだろう。そう、これは俺が大人のコンビニに寄りたいのではなく、京子の健全なる性教育のために行かせるのだ。
あくまでも俺の為では無く京子の為だ!
そう頭に言い聞かせて、俺は京子に大人のコンビニに寄らないかと聞いてみた。
京子はあっさり同意したが、店の中を見れば唖然とするだろう。
そして大人のコンビニに着いた。しかし若干、名前が違っていたが気にしないようにしよう。
大人のコンビ二は大人のデパートという名前に進化していた。
店の名前がランクアップしていたけど、内装は変わっていなかった。とりあえず大人の玩具がある所に京子を案内した。
京子は少し驚くだろうと思っていたが、想像以上に驚いていた。しかしその驚きは俺の想像した通りではなかった。
京子は大人の玩具を手に取ったりしながら、すごーいとか、これ使ったら気持ちいいかもとか、高次さんのより大きいのがあるとか、凄くうれしそうに声に出してはしゃいでいた。
さすが京子、俺の想像の斜め上をいく反応をしてくれる。そして京子は俺にとてつもないことを言った。
「高次さん、このローター買ってくれない。前から欲しかったの」
俺はどうやら選択肢を間違えたようだ。エロゲーなら、その後二人はホテルで愛し合い、絆を深めて様々な困難を乗り越えトゥルーエンドになるが、現実では、少女と援交、警察沙汰、親は俺を見捨てる、就職に在り付けない、なんとかバイトくらいはできるようになるがバイト先で首になる、そして公園でのホームレス生活、誰にも知られることなく死ぬ。
簡単にバッドエンドが想像できた。これ以上最悪の事態にならないように慎重に行動を選択しよう。
「京子、コレのほうがいいんじゃないか?」
と、アナル系バイブを見せて言ってみた。おそらくこの発言で引くだろう。
「そっち高いけどいいの高次さん」
そっけない返事をしているが、かなり引いているだろう。
「そっち買ってもいいのなら、そっちの買うよ」
これはハッタリだろう。本当はドン引きしているが、そういう事を顔に出さないだけだろう。と思っていたら京子は、俺が持っているバイブの色違いを既にレジに持っていっていた。
もう店員が商品を袋につめているところだった。今からやっぱり買うのをやめます。何て言えなかった。仕方なくバイブの料金を払う事にした。ちなみに値段は五千円前後。

「京子って既に処女じゃなくて経験ずみか?」
大人のデパートを出て真っ先に出した台詞はセクハラみたいな台詞だった。
「えっ、どうしてそういうデリカシーのない事を言うの?」
「いや、バイブ見ていて妙にはしゃいでたりしていたし、A系のバイブとか平気で買っているから」
京子は少し笑って控えめに答えた。
「性的な体験がないからああいう店の雰囲気や、そこで売っている物が新鮮的にみえたの。安心して私は処女で純白な穢れの無い心を持った、中学生だから」
後半の穢れの無い心という場所以外は信じてあげようと思った。というより信じたいと思った。俺にして見れば京子は少し悪戯心があるが、すれていない少女であってほしいという気持ちがあった。
それでも一つだけ聞きたい事があったので聞いてみた。
「そのアナル系バイブはどうするんだい」
ただ記念に買ったというならいいけど、使用したいという願望があって買ったという言葉は聞きたくなかった。京子がそういう趣味を持っていると、俺の中にあった京子という偶像が音を立てて崩れ去る気がしたからだ。
「高次さんに使用するために買ったの」
満面の笑顔をして京子はそう言った。
それは冗談なのか本気なのか分からなかった。ともかく俺は京子が持っている、バイブの入った袋を奪った。
「これは俺が買ったから俺の物だ。だから所有権は俺にある」
「高次さんってそういう趣味もあったんですか、すごいですね。私尊敬しちゃうわ」
京子は、そういう趣味もあったのですね、と言っているが、俺はいたってノーマルな性癖しかなく、このバイブを俺の所有物にしたのは、京子からけつの穴を守るためである。アブノーマルな趣味なんて五十%くらいしかない。

インターネットカフェを探して街を彷徨い歩いたが、夜の秋葉原というのは、人気も無く、凄い無機質な街であると思った。昼などは人で溢れているのに、そのギャップが何か自分の中で虚無的な感情を抱かせた。
そして高校の頃の記憶が少し思い出せられる。
あの時は、あるものを探して東京に来ていた。東京に着いた時は既に、夜の九時半を過ぎていて、帰るという選択肢は自分の中には無かった。新宿駅で降りて新宿の街を彷徨い歩いていた。
九時~十一時までの間はまだ人がゴミのようにいた。そして自分もゴミの一部だった。
俺は人の多さに圧倒され、自分がいかにちっぽけな存在であるかというのを思い知らされた。ここにいる人達の内、どれだけの人が満足に、幸せに生きているのかは、通常の人間である俺には、憶測しか出来なかった。
そして現状に満足してない人が殆どだろうと、勝手に決めつけた。自分も現状に満足してなく、現実に絶望しかけていたからだ。
新宿の歌舞伎町に着き、あるものが売っていそうな店を探していた。途中呼び込みの人にしつこく、内の店に寄って行かないかい? といわれ戸惑ったが、時間が無いと言い何とか逃げ出す事が出来た。その後も呼び込みがしつこかったが、無視をするのが最善だと思い無視して呼び込みの人を近寄らせなかった。
そして、大人の玩具が売っているところに辿り着き、そこであるものを買おうとしていた。あるものというのは、脱法ドラッグである。店を一覧して、ドラッグが売っている所を見つけ、そこに近寄った。
当時はまだ高校生だから、店員に何か言われるかもしれないと、内心不安に思っていたが、店員は興味を持たなかったようだ。たぶん東京というところは未成年者が、大人の玩具屋に出入りしても、そんな事は日常茶飯時だから、俺のような人間が来店しても、別に不思議という訳ではないのだろう。
とりあえず、ドラッグを見てみたが、ケミカル系のドラッグは売ってなかった。ケミカル系のドラッグの5―Meo―Diptというドラッグを買おうとしていたのに、売ってなかったから、軽く打ちひしがれた。
しかしリキット系やアロマ系のドラッグは売ってあり、ラブファイヤーとシュガースノーというドラッグとトリプルXパープルというドラッグを買った。
たぶんそれが、人生における最大の過ちの一つだったのかもしれない。
そして、最大の過ちは、ドラッグを使用する事に慣れて、ドラッグを過剰に摂取して、オーバードーズを起こしてしまった事だろう。
それのせいで、脳内物質の伝達がおかしくなり、鬱病と同じような症状が出たのかもしれない。
しかし、俺は従来の快楽主義者であったので、いずれはドラッグに手を染め、今と同じ苦しみを味わっていたかもしれない。あるいは、ドラッグなど使用せず、普通に就職してつまらない人生を歩んでいたかもしれない。だが、所詮ただの普通の人間である俺が、別の可能性の世界の事を知る術などはない。
だから悔やんでも仕方の無い事である。
今という現実に立ち向かえなければ、道などは開けないだろう。

過去の事を思い出しながら歩いていたので、道に迷ってしまった。京子は無言で何かを考えているようなので、何を考えているのか聞いてみた。
「昔の事を少し思い出していただけよ。それに高次さんも何か考え事していたでしょ。私が話しかけても返事をしないんだもの」
俺は未来の事を考えていたと京子に伝えた。実際には過去の事を振り返っていたけど、その事を話してもメリットにはならないだろうし、他人の過去話ほど退屈な物はないから、あえて、未来の事を考えていたと嘘を吐いた。

俺はしばらくしてから、『此処は何処だ』という考えが浮かんだ。その考えは深遠な哲学的な物ではなく、実際に此処が何処だが分からなかったからである。そして認知病では無い事は確かだ。その証拠に、ここは東京の何処かで、自分の名前は真下高次で、時間は二十三時くらいであるという事はわかっている。
単純に言えば迷子という事になる。知りもしない街を適当に歩いたら迷子になる事は、昔の俺が実際に経験して証明していた。それなのに学習していないのか、同じ過ちを犯してしまった。
「京子、秋葉原駅は何処にあるか覚えているか?」
京子は質問の意味がよくわからないらしかった。それなので、はっきりと言った。
「実は今、東京の何処に居るのかわからないんだよ。それで秋葉原駅の方角がわからないんだ」
「つまり、私達迷子になったってこと?」
「簡単に言えばそうなる」
「さっきコンビニがあったから、店員に、駅の方角を教えてもらえばいいと思うわ」
それは少しだけ嫌だった。人と会話するだけで激しい嫌悪感がするのに、駅の方角を教えてくださいなんて言えば、相手はどう思うのだが気になり、たぶん相手は心の中で笑っているだろうと、俺が勝手に思い込んでしまうからだ。
俺の被害妄想は今に始まったのではなく、かといって生まれて自我が生まれ出した時、既に在った訳ではない。しかし被害妄想が付き始めた時期が分からない。気が付いたらあったという不思議な病である。

「京子、お前が道を聞いてくれよな。俺は人前だと緊張して上手く話せないんだ」
「私とは普通に話しているじゃないの」
確かに京子とは普通に話が出来ている。
被害妄想が自分の中で生まれた時が何時だが分からない並に、京子と会話が普通に出来ている理由が分からない。
「俺は他人と話すのが嫌なんだ、だから京子が聞いてくれ」
「なら、なおさら高次さんが聞きにいかないと駄目だよ」
京子の言っている意味が分からなかった。
「高次さん、人との会話が出来なくて生きていけると思う? 人が生きるためには、コミュニケーションというものが大事なの。小さなことから始めなければ、何時までたっても、他人との会話が出来なくなるわよ。コンビニで道を尋ねる事ぐらい出来ないと、この先、生き残れないよ」
京子にそう言われて、自分がどれほど甘えた人間であるか、少し理解した。コンビニの店員に道を尋ねるという、小さなことが出来なければ、自分は多分一生底辺を彷徨い歩きながら生きていく事になるだろう。

コンビニの店員に、駅の方角を聞きに行くために、コンビニに足を踏み込んだ。それから直接店員の元には行かずに、商品を物色した。物を買わないで道を尋ねるという事が、後ろめたかったからである。本音を言えば、いきなり店員に声をかける勇気がなかっただけである。
とりあえず安い菓子パンを持ってレジまで行った。買うことが大事ではなく道を尋ねるという事が大事なのだ。
「あの、す、す、すいません」
かなり緊張しているのが他人でも分かるほど、どもりきった声を出していた。
「なんでしょうか」
店員のほうは当たり前のように、声を出していた。
今までコンビニのバイトとかを馬鹿にしていたけど、働くっていう事は偉い事なんだな。とぼんやり思っていた。
「あの、用件はなんでしょう」
親切に対応してくれる店員に感謝をしながら、一方では、この店員も心のどこかで見下しているのだろうな、という二律背反する感情が生まれていた。
「えっと、あのーき、聞きたいことがあるんですけど、えーっと、あのー」
言いたい事が上手く言えない、長年引きこもった代償である。
ただ一言、秋葉原駅の場所を、あるいはこの近くにネットカフェが無いのか聞くだけでいいのに、言葉がでない。
「えーっと、この近くに、あのー、えっと」
「すいません店員さん、この近くに……」
見かねた京子が助け舟を出してくれた。京子はなんだかんだ言っても、最後には助けてくれる。そういう奴なんだと、勝手に決め付けた。
「この近くに、ラブホテルがある場所知らないかしら?」
俺の耳がおかしくなければ、京子の奴はラブホテルのある場所を尋ねているらしいが、おそらく俺の聞き間違えだろう。
「ラブホテルの場所ですか? 知りませんね」
店員がラブホテルという単語を出したが、それも聞き間違えだろう。
「じゃあ、秋葉原駅の場所とネットカフェの場所を教えてください」
「秋葉原駅はこの店を出て左にいき、三つ目の信号を右に曲がっていけば大人のデパートという店があるので、そこの目の前に駅はありますよ。後ネットカフェは駅の近くにあった記憶があるので、適当に駅の周辺を探せば見つかると思いますよ」
店員はすらすらと言葉を出していた。俺にもあれぐらいの話力があればいいのにと、ぼんやりと思っていた。
「ありがとうございました」
京子は律儀にお礼をしたが、俺は何も言わなかった。というよりお礼の言葉さえ出せなかった。

言われた通りに、道を行くと秋葉原駅に辿り着いた。俺の憶測では、秋葉原駅までかなり遠くに行ってしまったという思いがあったが、あっけないほど、近くに秋葉原駅はあった。
ネットカフェは駅の近くにあるという事を言っていたけど、それらしい建物は見つからなかった。
京子は駅員に何か話をしている。何を言っているのかわからないが、今はそんなことより、ネットカフェを探す事に専念したかった。
京子は駅員との会話を終えると、真っ先にこっちの方に来た。駅員に何を話していたのかを聞いてみた。
「ここから徒歩五分くらいの所にネットカフェがあるっていってたわ、そして親切に地図を描いてくれたわ」
どうやら京子は、駅員にネットカフェの場所を聞いたようである。というから最初かそうすれば、道に迷うことなくネットカフェに行けたのだという事に気がついた。
駅員が描いた簡易版の地図を見て歩いたら、本当に秋葉原駅の近くにあった。今までの苦労は何だったのだろうか。
しかし、人生なんていう物もそういう無駄な苦労をして生涯を閉じていく物だ。
そして人生という物を考え、人生に於ける真理とは何かを考えた。
人生の真理に辿り着く人間など大多数いるが、ほとんどの人は、自分で考えた真理であり、他人と違う真理を持っている場合が多い。
そして、本当の真理などは存在しないのかもしれない。
絶対の真理など存在しないという真理に辿り着く人間もいるが、その考えは矛盾している。しかし、そういう考えも真理の内の一つなのだろう。
俺の持論では、真理は一つではなくて、人の数だけ真理が在る。という真理に辿り着いた。
そんな意味のない事を0・51秒の高速回転で考えていたが、そんな考えは現実に約に立たないので、考えるのを止めた。

インターネットカフェに着き、とりあえずナイトカップを頼んだ。その時、会員制らしかったので身分証明書を提出した。
しかし困った事になったと思った。俺は別にいいのだが、京子は中学生だから、身分証明書を出す訳にはいかなかった。最近は未成年の深夜の外出に五月蝿いので、安易に見せられない。
しかし俺が身分証明書を出した後、京子が、身分証明書が無いのですがどうしたらいいのでしょうか? と言ったら店員は、別に身分証明書は要りませんよ。と言いあっさりと店に入れてくれた。
とりあえず俺はかなり疲れていたので仮眠を取る事にした。
京子は調べたい事があるというので、パソコンが置いてある場所に移動した。何を調べるのだが分からないが、眠気が強かったので、何も聞かずに目を閉じる事にした。

「高次さん起きて、ねえ起きてよ」
誰かの声が聞こえるけれど、眠気が強いために、誰の声だかわからないし、「起きて」という意味すら理解できない。
俺は眠気が強いと起きたとしても五秒で眠れる。のび太もびっくりの能力を持っている。実際、過去の出来事であるが、俺がまだ高校に通っていた時、母親の『もう朝だから起きなさい』の声で起きて、『今すぐに起きるよ!』と大声をだした後、また眠るという事が多かった。始めの内は、母親も追撃するかの如くに執拗に、起きなさいという攻撃をしてきたが、徐々にそういう事をしなくなってきて、最終的には「今日学校行ける気分なら、午後からでもいいから学校に言ってね」という言葉に変わっていった。
そして俺は返事をした後、また眠り、起きた時には午後の三時を過ぎている場合が多くなった。
「高次さん起きてよ、起きてよ、この腐れ童貞ニート引きこもり根暗野朗の被害妄想病者!」
ものすごく酷い事をいわれている気がしていたが、気にしない事にした。しばらく静かになり、三十秒が経過して、既に眠りと覚醒の境目に、意識が入った時に、顔の上から何かが大量に落ちてきた。
それでも起きない事にしていたら、股間に衝撃が起こり、意識が覚醒した。
まず、俺は顔の上にある物をどけて、股間を見た、そこには五冊くらいの漫画本が乗っていた。顔に乗っかっていたものも漫画本らしい。
俺は、脳を超高速回転させて考えてみた。まず「さん」付けで誰かに起こされた。母親は俺に「さん」付けで呼ぶことは無い。つまり母親以外の女性だ。そして俺が起きないと知ったら、顔面に大量の本落としてくる。
そんな鬼畜的な起こし方をして、更に俺が起きないと知ると、男の急所に、躊躇いもなく、本を落としてくる悪魔的な手段をとる人間。それらから導きだされる人間は……と一分七秒くらい考えていた時に、誰かが声を出して言った。
「お目覚めのほうは、気分がよろしいでしょうか、ご主人様」
俺はようやく気がついた、そんな起こし方をする、自分の身近な女性は京子以外いないことに。というより、今俺に関係している人間は、京子以外にいなくて、俺を起こすとしたら、京子以外に考えられないという、もっとも単純な解答がすぐに導き出せなかった。そんな自分の思考能力の無さに絶望した。
「おはよう京子、もう朝なのか?」
という質問に、京子は呆れた顔で、質問に答えてくれた。
「十二時十五分よ」
と簡潔に述べてくれた。
「もう十二時なのか、凄く寝ていたな、おはようではなくて、こんにちわ、の時間か……」
そんなに寝ていた覚えは無いが、おそらく疲れていたので熟睡していたのだろう。
「高次さん、いいラブホテルが見つかったから、今から行ってみない? 今の時間ならまだ電車に間に合うから」
京子が何を言っているのか理解できなかった。頭が寝ぼけているからではなく、覚醒した脳でも、本当に何の事を言っているのか理解できない。
「京子、何を言っているんだ。君の言いたい事が理解できないのだが」
「だから、今日泊まる場所よ、ネットカフェで眠るのもいい経験になるけど、ラブホテルって、中がどういう構造なのかも気になるのよ」
まったく意味がわからない。今日泊まる場所がラブホテル? まさか今日も夜まで東京にいて、今度はラブホテルに泊まるという気なのか?
「今日は残念ながら帰るぞ、東京になんて何もないからな、一見何かあるように感じるけど、実際は人が多いだけで、そこらへんにあるただの街と同じだからな」
「高次さんこそ何を言っているの、今日は帰れる電車は無いんじゃないの、朝になるまで」
どういう意味か分からなかった。しかしそんな事を考えるより、ネットカフェの延滞料金が気になった。携帯を取り出して時間を見たら、何かがおかしいことに気がついた。何がおかしいのか、携帯と睨めっこしていて、ようやく気がついた。
今はまだ、深夜十二時二十分前であることに。つまり俺はここに着いてから、十五分しか寝ていなかったのだ。
それを、考えると京子の発言も理解できる。しかし京子の考えは理解不能であった。

もし京子が単に好奇心旺盛で、何事も経験したい。という考えであるのなら、将来的に危険な目に遭うだろう。
「好奇心は猫をも殺す」という単語があるとおり、好奇心は時として命さえも落としかねない物である。
好奇心で人ではなく猫が死ぬのなら、それほどたいした物ではないのだろうと、捉えがちだが、実は違う。
別の諺で「猫に九生あり」という物があり、猫は9個の命があるのだとかで、しぶとくてなかなか死なないなどと考えられていた。つまり、「好奇心は猫をも殺す」ってのは、それほどしぶとい猫ですら好奇心で死んでしまうということを表しており、9個の命の猫ですらお陀仏だから人間なんてイチコロだ、という意味合いである。
しかし、それでも人間という物は好奇心を持ってしまう。好奇心という物は、退屈な日常から少し外れる行為をするという意味でもあるからだ。
人間は退屈するというのを嫌う。退屈で単調な日々は緩慢に人を殺すだけだからである。そこで何か違う事をしようと思うのは当然の帰結である。
好奇心とは未知の物事に対する行動や精神的な働きを示す言葉である。だから人間が好奇心を持っているのは当たり前である。しかし、その好奇心を適度にコントロールする事が大事であり、行き過ぎた好奇心は自分の身を滅ぼす物である。
人間は複雑な物なので、命を落とすという事は当然の事ながら避けたい事であるが、命を落とさないで済んだが、そのかわりに大事な物を失ってしまったという事のほうが、普通に命を落とすことよりも、数倍苦しい場合がある。そして精神的に苦しんだ末に、死を選んでしまう。
自ら命を絶つという事は、人間に与えられた特権であるが、自殺に至るまでの経緯で苦しめられている。自殺しようと本気で考えた事のある人間で、実際に自殺を実行する人間等は、肉体的に苦しめられたというより、精神的に追い詰められた人間である。肉体の痛みは苦しい物だが、目に見えるので理解してくれる者がいる。そして、癒す事ができる。
しかし、精神的な痛みは、目に見えないから、理解しにくい。故に他人が癒す事は難しい。
人間は食う、寝る、性欲を満たす、という単純な肉体的な喜びだけでは生きていけない。精神という目には見えないものが、人間の自我を保たせている。
自我が崩壊するほどの精神的な痛みという物は、肉体の滅びよりも辛い物である。その痛みは俺自身がドラッグでバットトリップを経験して鬱病状態になったのでよくわかる。
京子はまだ、中学生だ。(実際にはまだ信じられないが)だから、好奇心が旺盛であるのはわかるが、数週間前に出会った人間とラブホテルに行きたいというのは危険であるというのは、普通に考えれば分かる事だ。
しかし、京子が普通という概念、常識的な考えという物とは皆無というのは、既に俺は知っている。もちろん、まったくの常識知らずというわけでは無いが、常識を重んじる心が圧倒的に少ないのである。
とりあえず、俺は京子の提案どおり、ラブホテルに向かうか、向かわないか決めなくてはならない。できれば行きたくは無い。理由は単純な物である。移動するのがだるいという気持ちと、ラブホテル代を払うのが嫌であるという金銭的なものと、ラブホテルに行ったら、いままで抑えていた性的な欲求が爆発して京子を襲うかもしれないという理由である。
最初の二つはどうでもいいが、最後の襲ってしまうかもしれないというのが怖いのだ。もし襲って無理やり性行為をしたら警察沙汰になるかもしれないし、京子が俺のことを嫌うかもしれないからだ。
実際京子が俺のことをどう思っているのかわからないが、今の関係が崩れるのは、避けたい事である。もし今の関係が壊れたら、俺はまた孤独な生活に戻ってしまう。あの孤独で無気力な生活こそが、俺にとっての緩慢な死であるからだ。

俺は考える視点を変え、もう一度考えてみた。
俺は今までそうやって自分の不都合な事から逃げてきた。そうして出来上がったのが今の俺という存在なのだ。ラブホテルに行くという突拍子のない事も経験してみるのは、俺の今後の人生に役に立つかもしれない。それに理性を抑えきれずに京子を襲ったとしたら、所詮俺はその程度の我慢も出来ない、本当の屑人間なんだと認識できるだろう。
そして、京子が俺の元からいなくなったら、先ほど考えたとおりに、精神的苦痛が襲い、苦しめられるだろう。そうして苦しんだ揚げ句、自死をするのもいいし、精神的苦しみを乗り越えて、人生を再チャレンジさせるのも悪くない。
人間は経験していかなければ、変わることは出来ない。ある人物が言っていたが、「今までと同じ事をしているのに、今日は何か違う事が起きて、自分の人生が変わる。という考えは愚考である。もし自分が変わりたいと思っているなら、自分の意志で普段と違う事をしなさい。自分から変わろうとしないで、運などに頼って、自分以外の存在が自分を変えるのを待つのは、ただの怠惰的な考えである」
この言葉の九割は当たっている。たしかに自分の意志で変えていこうと実際に行動しなければ、いつまでたっても変わることなど無い。
だから俺は京子と会うまで何も変わることの無い人生を歩んできたんだ。「自分以外の存在が自分を変えてくれる、その出会いなんて運がいい人しか現れない」というような事も言っている。つまり京子という存在が俺の元に現れたのは、運が良かったからなのだろう。
しかし、運だけではやはり、自分が変わるのは難しいことである。自分の意志で変わろうとしなければ、自分以外存在によって自分が変わっても、一時的に過ぎない。京子と出逢ったチャンスを生かして、それで自分の意志で自分を変えよう。

とか何とか色々考えているうちに、既に秋葉原駅にいた。
一瞬、「あれ、俺なんで駅にいるんだ? ネットカフェにいたはずなのに」と思った。昔から何かを考えていると、知らないうちに別の場所に移動する事が多かった。おそらく俺が考え事に没頭している間に、京子が俺を駅まで導いたのだろう。
という事は、ラブホテルに泊まる事は既に決定事項になっているのか。
いまさらネットカフェに戻るのも嫌であるし、かといって野宿なんて京子が嫌がるだろう。それに野宿している間に変な人間に何かされたら嫌である。
最近の日本も治安が危なくなってきているから、そういう輩が出てくる可能性はある。やっぱりラブホテルに泊まるという選択肢しかないのか。
考え事に没頭した自分に軽い嫌悪を覚えた。
確かに俺の考えの中には、自分が変わるためにあえて危険な事をしていかなければ駄目であるだろう。と結論付けていたが、ラブホテルに泊まる事はまだ考え中だった。そして考えに考えた揚げ句、やはりラブホテルなんて行かないでネットカフェに泊まろう。という結論を出していただろう。
いくら自分が変わるためだといっても、ラブホテルにいけば、自分が変わるという馬鹿な結論は出さないし、今は危険を冒そうという気にもならない。成長するために危険を冒すなら、行動する意味もあるが、成長する可能性が低いのに危険を冒そうなんていう馬鹿な奴はいない。
京子がセックスしてくれるのならいいが、エロゲー的な展開にはならないだろう。というより、セックスって都市伝説だろうと、つい最近まで思っていた俺には、例え京子がセックスしてもいいよと、都合のいいエロゲー的な台詞を言っても、おそらく俺のAk47は火を噴かないだろう。

ラブホテルに着いた。正確に表現するのなら既に着いていたと表現するのが妥当であろう。はっきりいってどういう経緯でホテルにまで着いたのかわからない。気がついたときには着いていたのである。
「京子、ここ何処だ?」
「高次さん、覚えていないの? ラブホテルに行くって言っていたじゃないの」
確かに言っていた。俺ではなく、京子のほうが。俺は半ば無理やり連れてこされた方の人間である。俺は一言もラブホテルに行くなどと言った覚えは無い。むしろラブホテルにどういう道のりで来て、ここが何処のラブホテルであるか知らない。本当に気がついたときには既にホテルの部屋の中にいたのである。
「京子、ここに来る途中電車に乗ったのか?」
「電車に乗ったじゃないの。覚えていないの?」
覚えていない。むしろ東京の電車って深夜の時間でも動いていた事すら知らなかった。もしかして俺は今夢を見ているのではないのだろうか。実はネットカフェで寝ていて、今ラブホテルにいる自分は、ネットカフェで寝ている自分が見ている存在ではないのか。
むしろ京子と出会ったのも実は夢で、今は自分のアパートの部屋で寝ている自分が本当の自分ではないのか?
だとしたら凄く長い夢を見ているという事になる。
むしろ俺の本体は蝶であり、蝶が見ている夢の存在が俺であるのでは……ってそれって何て胡蝶の夢。
確かめる術はないのだろか? そう考えて0,7秒で名案が思いついた。
「京子、俺の股間を思い切り蹴っ飛ばしてくれ」
京子は少しだけ唖然とした顔をして、その後に当然のことを聞いてきた。
「高次さんってそういう趣味があったの?」
「いや、俺はそんな趣味は無い。だが新しい事や自分が経験した事のないことをしなければ、成長することは出来ない」
京子は微妙な顔をした後に同意の言葉を出した。
「確かに、新しい事や経験した事のない事をするのは大事なことだわ。でも股間を蹴ってくれていうのはちょっと……」
「御託はいいからさっさと蹴ってく……」
台詞を最後まで言い終わらないうちに、俺に激しい衝撃が襲った。物凄く痛くそして気を失いそうなくらいの衝撃が……
「高次さん大丈夫?」
「ああ、目が覚めたよ。あらゆる意味で」
なんとか口に出して答えたけど、短い台詞を言うだけでも苦痛であった。そして確信した。これは夢ではないという事を。

「高次さん、もしかして何か期待している?」
その言葉に対して言える事は唯一つである。
「期待している、かなり期待している、全然期待している」
そう……否定の言葉を出すだけだ。って全然否定していない。むしろ期待している事を肯定している。
確かにやましい事を少し期待しているけれど、京子にそれを求めたら今の関係が崩れてしまう。
「やっぱり期待しているんだ。高次さんも普通の常識のある大人でよかった。もしこのシチュエーションで期待していないのなら、聖人を通り越して、三次元に興味の無い二次元ラブオタだもんね」
二次元にしか興味の無い人間っていうのは大抵は三次元の女との触れ合いが無いからだ。二次元にしか興味が無いとかいう人間は、三次元のかわいい女とのコミュニケーションが出来ないだけなんだ。
と冷静に分析してけれど、そんな事を分析している暇は無い。今まさに本物の人間(三次元)の美少女(独断と偏見だけれど、仮に二千万人の男にアンケートを取ったら十九万七千人の人間が美少女であると答えるだろう)と二人きりでラブホテルにいるという、正に男にとってこれほど興奮する場面は、なかなか出合えないだろう。
そんな場面だから、俺は物凄く緊張している。股間の痛みが鎮まっていくのと反比例して脳の興奮は覚醒していく。
「高次さんは電車に乗っているときから既に変な事を考えていたみたいだもんね。私が話しかけているのに、返事をしなかったもんね。一度『返事がないただの屍のようだ』って言ってもツッコミをいれなかったし」
その推理は間違いである。なぜなら俺は、電車に乗って移動した記憶すらなかったのだから。
「とりあえず、疲れちゃったから、少しお風呂に入って疲れをとろうかと思っているんだけど、一緒に入る?」
京子はそう小悪魔のような口調で言ってきた。そして俺の回答は既に決まっている。
「一緒にはい……らないよ、俺は疲れすぎて風呂に入る気力さえないから」
さっき一瞬だけ俺は一緒に入ろうって答えそうになった。疲れているからなのか、それとも脳が興奮しすぎて、自分が思ったことと違う事を喋らせたのか。あるいは操作系念能力者に操られているのか、スタンドによる攻撃なのか。
そんな一般人では知らない、訳の分からない事を考えている時点で、今の俺は既に冷静で論理的な思考が出来ないのだろうと自分で納得した。
とりあえずクールになろう。
京子は既に風呂でシャワーを浴びている。しかし中学生とは思えないプロポーションだ。知らない人間に京子の年齢を聞いたら二十代前半だと多くの人が答えるだろう。
京子が風呂に入っているのが見えるのは、風呂場のガラスが透明であったからだ。
京子の奴風呂場に入る前に、ただのガラスだという事に気がつかなかったのか? 風呂場に入る前に普通気が付く筈だろう。こちらから風呂場が見えているんだから、京子も風呂場に入る前に、風呂場の中が丸見えだって気がつくはずだ。
もしかしたら誘っているのか? 俺のことを。それとも俺を試しているのか?
もし俺がここで興奮して風呂場に入れば失格とか、風呂から出た後に襲ったら失格とか、そういう事を試しているのか? もし失格になれば京子は俺との縁を切るとか、俺に対して親近的な態度をとらなくなるのだろうか?
そういうことを俺は論理的に考えたつもりだが、多分今の俺は冷静に考える能力が欠如しているのだろ。
後から考えてみれば、物凄い勘違いな事を考えていた。という人もいるだろう。俺も過去にそういう経験があるからそういう人の気持ちは分かる。
考える能力があるから、訳が分からない事も考えてしまうんだろ。考えるというのは、人間に課せられた、一種の罰かもしれない。考えなければもっと楽に生きていけるのに、考えるという能力が在るために、人間という物は翻弄されてしまう。そして他人とのわずかな齟齬(そご)が発生してそれが段々と大きくなり、他人や親しい人との距離が離れてしまう場合がある。考える事が出来るから、人間社会は発達したが、その分、複雑化していったのだ。
とりあえず俺は考えるのを辞めた。

「ああ、いい湯だったわ。高次さんも入ればいいと思うよ。高次さんの体から腐ったカラスの匂いがするから」
平然と酷い事を言うが、もう慣れたので気にしない事にした。
「ところで京子、風呂の様子がこちらから観察できるっていう事に気がついていたか? はっきり言って、こちらから丸見えだったぞ」
「気がついていたけど風呂に入りたい気分だったから、そんな些細な事なんて気にしなかったわ」
京子は平然とした口調で些細な事と言っていたけど、俺にしてみれば、些細な事では無かった。京子が風呂に入っている間、ずっと観測していて、その度に俺の脳みそは沸騰しそうなほど興奮していた。
「とりあえず私は寝るから。寝ている間に変な事をしたら、肉体的にいたぶるし、精神的にも廃人寸前まで追い込むし、社会的にも抹消させるからね」
恐ろしい事をさらりと京子は言って述べた。
京子は五分経たない内に完全に眠りについたようだ。とりあえず俺は何をすればいいのだろう。ネットカフェや電車で眠っていたので、それほど眠気はない。しかし体の方は意識と反比例して疲れ切っていた。体の疲れを癒すためにとりあえず風呂に入る事にした。
京子が眠っているから、風呂には気兼ねなく入れる。もし京子が起きていたら、入浴シーンを見られるから、入ることは出来ないが、京子は今寝ている。だから安心して入れる。
京子が寝てくれたお陰で、俺の入浴シーンを見れる事がないので、安心して風呂に入る事が出来た。

風呂から出た後、俺は何もする事がなくて困り果てていた。寝るという選択肢があるが、おそらく眠りにつくことは出来ないだろう。あのままネットカフェで眠っていれば、おそらく朝までぐっすり寝ていられたが、一度起きて、脳が活動を再開すると、俺は再び眠ることなどが出来る人間ではない。京子のおっぱいでも触って暇を潰すという事も出来るが、もし京子が起きたりしたら、多分俺は眠る事が出来るだろう。二度と覚めない眠りに……
そしてふと思い出した。京子が持っているパルギンを、俺はくすねて自分の財布の中に十錠くらい入れたことを。どうせやる事はないのだから、薬を飲んで寝てしまおう。薬の力に頼れば、眠くなくとも強制的に眠りにつくことが出来る。俺は京子の薬をくすねた過去の俺に感謝した。
そして財布を開けて薬があるか確かめた。四錠薬が残っていたので、三錠薬を飲んで眠りにつくことにした。残り一錠はとりあえず保険の為にとっておいた。

目が覚めた時、一瞬自分が何処にいるのか理解できなかった。しばらく時間が経ってからようやく何処にいるのかが理解できた。そうだ、俺は東京某所のラブホテルにいるんだ。そして不思議な感覚に包まれた。つい最近まで、俺の世界は、アパートと近くにあるコンビニ以外しかなかったのに、いつの間にかどんどん自分の世界が広がっていたのである。その原因となったのは、一人の少女である。
そして今その少女とラブホテルにいるという、自分の人生とは無縁だった場所にいる。
俺の脳も少し活動しだしたので、京子の姿を探す。京子はベッドに腰掛けながら、いつものように読書をしていた。
「京子、おはよう。朝から何を読んでいるんだい」
俺は当たり前のように質問して、京子はその質問に答えた。
「小説」
短い返事が返ってきた。
「質問の答えが小説とは少し大雑把すぎないか」
と言ったが京子は何も喋らないで、無言のまま本を読んでいた。
今日の京子は何だか素っ気ないなと疑問に思い、素っ気ない理由を聞いてみようと思ったが先に京子の方から喋った。
「薬が減っていると思ったら、高次さんが飲んでいたのね、ゴミ箱を漁っていたら薬のシートがあったの」
なぜゴミ箱を漁っていたかは聞かなかった。
それにしても京子の素っ気ない態度はそういう事なのか? もっと違う理由があるように感じられた。
「ごめん、薬を勝手に飲んだりくすねた事は謝るよ」
とりあえず薬の件については素直に謝った。
「私が機嫌が悪い理由がそれだと思っているの?」
やはり、機嫌がわるい理由は他にあるのだという事はわかった。しかし何で機嫌が悪いのかは心当たりが無かった。
「携帯を見れば分かると思うわ」
そういわれ、自分の携帯を取り出して携帯の画面を見た。そして機嫌が悪い理由が分かった。
携帯の時間は既に午後三時を過ぎていた。
「ところで京子、君はいつから起きていたんだい?」
「午前九時に既に起きていたわよ。高次さんが起きるまでずっと待っていたのに、いつまでたっても起きないから。頭や腹を十七回ほど殴っといたわ。それでも起きないから、しかたなく本を読んでいたのよ」
なるほど、そんなに待たされたなら怒られても仕方がないな。それにさっきから、頭痛や腹痛がする訳も理解できた。
しかし、パルギン三錠でそんなに眠ってしまったのか。昔の俺なら、パルギンと同じ成分のデパスを七錠飲んでも、気分が少し和らぐくらいで、眠気などは起こらなかった。けれど、今の俺はたった三錠で爆睡してしまうらしい。おそらく今の俺は薬などに頼らないで生きていけるくらいに、脳の神経が安定したのだろう。
「ところで何の小説を読んでいるんだ」
京子が読む小説が少し気になったので、もう一度聞いてみた。
「恋空よ」
京子の返事は淡々としていた。そして俺の心は物凄く驚愕していた。
まさか京子が恋空などという、携帯小説を読んでいるなんて、夢にも思わなかった。それにしても、恋空と忍空って漢字で書くと似ているな、などと意味不明なことを考えてしまった。
俺が驚愕の表情で黙っていた所で京子は、少し笑いを堪えているように見えた。
「くすっ、嘘に決まってるじゃない。恋空なんて二害あって一利しかないもん、そんな物を読むわけがないでしょ」
「恋空に、害はあっても利益があるとは思えないけど」
正直な感想を言った。
「二害というのは、買うときの値段を払うのが一害で、二害目は読んだ後に、文章を書く能力が下がってしまう事。一利というのは、万が一携帯小説を書く時に、どういうストーリーを書けば中身がなくても売れるのかを研究できる点よ」
まあ、小説などに価値を見出すのは、結局読んでいる人が決めることで、他人が決めることではない。恋空を読んで感動したという人間にとって見れば価値はそれなりにあるかもしれないが、ネタとして読む人間などには、恋空の価値はただの暇つぶしに過ぎないのだろう。
「で、今読んでいる本の本当のタイトルを教えてくれ」
「著者は森津純子という人でタイトルは『僕が僕に還る旅』という本を読んでいるのよ」
聞いた事のない人物が書いた、聞いた事のないタイトルの本だった。
「どういう内容の本なんだい」
「ググレ」
と京子は言った。ググレというのは遠まわしに、Googleで自分で検索しろと言っている意味である。というか京子がググレなんて単語を使うなんて、少し以外だった。
「嘘よ。ちゃんとどんな本か話してあげるから。簡単に言えば、死後の世界で主人公が様々な魂と対話する物語よ」
つまり死後の世界に関する本なのか、と勝手に納得した。
「京子は死後の世界というのを信じているのか」
そういう質問を京子に投げかけてみた。
「死後の世界が絶対あるとは言わないし、死後の世界など絶対無いとも言わないわよ。死後の世界を探索するのは人類に与えられた、最高の哲学だと思うわ」
確かそうだ。しかしその哲学の答えは出てこないだろう。結局自分の主観でしか、死後の世界の答えなど出ないだろう。
しかもその答えは、自分の主観であるが故に、かならずしも、正しい死後の世界ではないであろう。
そしてほとんどの人間は、死後の世界は無く、死ねば無に還るという考えを持っているだろう。
そんな無駄ともいえる思考をした。

「早くチェックアウトした方がいいわよ、このホテルは正午まで宿泊していてもいいのだけれど、それ以降は延滞料金を取られるから」
じゃあ無理やりにでも起こしてくれたらよかったじゃないか。と言おうとしたけど、頭や腹を十七回攻撃されても起きなかった俺が悪いのだ。だから言い訳はしなかった。
それにどうせホテル代を払うのは俺だしな。
「チェックアウトの仕方が分からないんだけれど、どうしたらいいんだ」
「まず電話で、チャックアウトしますって伝えてから、フロントにルームキーを持って行き、それから清算するらしいわよ」
「電話でチェックアウトすると言うのは京子がやってくれ、俺は電話越しでも人と話す事が苦手なんだ」
「だったら尚の事、高次さんがチェックアウトするって言わなければならないよ、電話越しで会話が出来ないのなら、これから社会で暮らしていく事は辛くなるから」
まるで母親のように言う京子の言葉に腹が立ったが、確かに電話越しで人と話せないという人間は、社会で暮らす事は難しいだろう。
「わかったよ。俺が電話でチェックアウトする事を伝えておくよ。京子は忘れ物が無いか調べておいてくれ」

電話での対応は上手くできた。別に緊張するほどでもなかった。その後にフロントにルームキーを返して代金を清算した。延滞料金はかなり付いたが、元々は俺が起きなかったのが悪いので、文句が言える立場ではなかった。
「所でここ何処だ」
ラブホテルから出た後に京子に尋ねた。
「多分、しばらく歩けばここが何処なのか分かると思うわ」
そんな事を言い、詳しい場所説明はしなかった。ただこの辺一帯に沢山のラブホテルがある。
そこからしばらく歩いてみると、自分の知っている風景があった。ここは新宿歌舞伎町であり、懐かしい風景であった。ここで脱法ドラッグを求めて彷徨った時の記憶が蘇る。
当時は歌舞伎町の大人の玩具屋で普通に売っていたが、俺が二十歳の時に来たときは既にドラッグを売っている店は無くなっていた。ドラッグを売っていなくなっただけではなく、店自体もほとんどが消去されていたという記憶がある。
そして今の歌舞伎町は高校生の時とは少し変わってしまった。
それとも俺自身が変わったのか分からない。
とにかく変わって見えた。
「京子、ここから駅まで遠いのに、寝ぼけ気味の俺をよくホテルまで連れて行けたな」
実際に駅から遠いだけではなくて、深夜の歌舞伎町を歩けた事に少しだけ驚いた。
京子くらいの歳なら歌舞伎町と聞いただけで、物騒な街と連想しそうなのに、京子は深夜の歌舞伎町を歩いたんだ。   
肝が座っているのか、それとも常識しらずだから、怖くはなかったのか、どちらにしても凄い性格だと俺は素直に思った。
「高次さんはちゃんと自分の足で歩いていたよ。怖そうなお兄さんが『おい兄ちゃん、お持ち帰りかい、羨ましいね』って嫌味たっぷりに言ってきたら、高次さんは睨みながら『うるせーよ、そんな事で声をかけてくるんじゃねえ』って低い声で威嚇していたわよ」
「京子、嘘をつくのならもう少しリアルを帯びた嘘をつくんだな」
実際、そんなことを言われたら、俺のほうが萎縮して、相手の顔を見ないで足早で去っていくだろう。
「本当に覚えてないの?威嚇した後、相手の顔を睨みつけて、そのまま睨めっこしていたのよ。結果は相手ほうが先に折れて、一言だけ悪態をついて去っていったのよ」
おそらく嘘だろうと思うが、もしそれが本当なら京子はどう思ったのだろう。疑問は湧いたが、聞いてみて、『実は嘘でした』と言われるかもしれないので、聞きはしなかった。
 でも、引きこもる前の俺なら確かに相手を威嚇して、喧嘩を買っていたかもしれない。昔の俺は怖い物知らずで、楽観的で、世間知らずだったからな。

「それで、この後どうする」
京子にそう問い詰めた。京子は昨日秋葉原に行きたいと言っていたので、秋葉原に行きたいと答えるだろうと予測した。しかし答えは予想しなかったものであった。
「もう東京見学はいいわ、だからアパートに帰りましょう」
「どうしたんだ、疲れたのか」
「東京も所詮ただでかいだけで、人も少しだけ多いだけの街だったってわかったから、もう東京にいる意味はないわ」
確かに東京といえば華やかで、活気のある街と連想しそうだが、この街は他の日本の観光地となんら変わりない。違うのは、人々の心に感情というものがあるかどうかわからないという点である。だから人の心が冷えて見える街であるのだ。
だが、実際には東京にいる人々にも心はあるだろう。葛藤し、何かに懸命になっていたり、何かを成し遂げるという具体的な目的があったり、逆に目的などないくせに、夢ばかりみて、そして絶望している人間がいるであろう。人の心の在り方は、東京という街の人口に比例して、様々な感情や思想や思考、価値観が渦巻いているだろう。
言うなれば、東京という街は、一つの箱になっていて、人との関わりは希薄だが、ちょっとした、他人との些細な関わりによって、人の人生が変わってしまうという、正にシュレディンガーの街という表現が当てはまる街だ。
「高次さん、少しだけ寄りたいところがあるけれどいい」
「どこに寄りたいんだ。俺も東京について詳しくはないから、場所によっては案内できないかもしれないよ」
「浅草に行ってみたいの、浅草寺で願いごとをしたいの」
浅草なら何度も行った経験があるし、浅草寺は東京に行く度に何度も訪れたから、どこにあるのかよく分かっている。
「わかった、浅草にいこうか。ところで願い事ってなんだい」
「願い事の意味もわからないの? 小学生から人生やり直した方がいいんじゃない」
なんという揚げ足取りの仕方、この女間違いなく揚げ足取りの天才である。と一瞬意味の分からない事を考えた。最近意味の分からない事を考えるのが多いなと思った。
「願い事の意味は分かっているよ、京子が何を願うのか少し気になっただけだよ」
「そんな事教えられるわけないじゃないの、自分で考えなさいよ。後、高次さんも何か願ってみたらいいんじゃないの。自殺する時楽に死ねますようにとかさ」
ブラックユーモアなのか本気なのか分からないが、ツッコミはしなかった。
俺も何か願い事でもしてみるか。その為に、何を願うかを決めておこう。
それにしても、さっき京子が発言で、『小学生からやり直した方がいい』という言葉が出てきたが、俺も出来れば中学二年から人生をやり直したい気分だ。けれど、その願いは叶えてくれないだろう。人生は後ろ向きに歩いては駄目なんだ。常に前を向いて歩き、たまに後ろを振り向くぐらいがいい。浅草寺では未来に叶えられそうな事を願おう。
 
浅草に着いた時の第一印象は、人が多いなという事であった。同時に高校生の時に来た時とは、なにも変わっていないなという思いがあった。
細部を調べれば何か変わった所もあるかもしれないが、浅草全体としては変わらずに、存在していた。いつか五十年くらい時が経過すれば変わってしまうかもしれないが、それは当たり前の事である。永遠に変わらず存在する物などはない。
森羅万象という言葉があるように、物や人は変わりゆくのだから。
 人の想いも時間の経過とともに変わっていく。今目の前にいる京子に対する俺の想いもいずれ変わってしまうだろう。今は京子に対する想いは具現化出来ないが、具現化した時には既に、具現化出来ない時とは違う感情が生まれるだろう。
 しかし人の想いというのは、分からないものだ。自分自身の想いすら分からないのだから、どんなに親しい人であっても、その人の本質などは掴めないだろう。よく『○○君の気持ちは分かっているし、理解もしている』という言葉を聞くが、それは単にわかったふりで、実際は20%くらいしか理解できていないのだろう。
他人の気持ちや感情や思考などはブラックボックスであり、誰一人解き明かす事は出来ないのだろう。
 と考え事をしていたら、既に浅草寺まで辿り着いていた。
「高次さんっていつも何か考えごとしているよね、私が話しかけても、想いふけているのか、全然反応がないんだもん」
京子の言うとおり、俺は何かを考えている時は、周囲などは気にも留めないので、話かけられても、無反応の時がある。
「ちょっとした考えごとだから、たいした事など思ってないよ」
「そうなんだ、てっきり高次さんはどうしたら借金取りから逃げられるのかを、考えていたのかと思っていたよ」
「俺は借金だけはしないよ。借金をすれば、自堕落的な俺はとことん落ちてゆき、闇金融のところまで手を出してしまう可能性があるから」
そう俺は借金に手を出したら、とことん落ちていく確率が高い。だから借金はしないと自分に誓ったのだ。
「そうなんだ、私てっきり高次さんは借金していて、既に借りた金は500万を超えていると思っていたのに」
京子にとって俺はどういう人間に見えているのかはわからないが、とりあえず最底辺にいる人間だと思われているらしい。それともさっきの台詞は、ただのジョーダンだったのかもしれない。
「俺がもし借金をしたら、悲惨な末路が待ちかまえているのが、安易に想像できる」
「そうだよね。高次さんは借金を借りようとしても、保証人がいないから、借りられないよね」
保証人がいないなんて一言も言ってないのに、勝手に決め付ける京子。俺にだって保証人になってくれる人間の一人や二人くらい……いないな。

「ところで高次さん、お金貸してくれない。お賽銭にいれる小銭がないの」
「いいよ、貸してあげるよ。その代わり、保証人になってくれる人を連れてこいよ」
京子の台詞を皮肉をこめた言い方で返した。先程の仕返しのつもりで。
「じゃあいいわ。お賽銭に入れるものは一応あるから」
「賽銭に入れるのは金以外禁止だろう。常識的に考えて」
語尾に常識的に考えてを連発して使用してみる事にした。
「賽銭箱に入れるのは、今私が持っている唯一のお金の五千円札よ」
「五千円札があるなら売店で小銭に替えるか、それとも適当な物でも買って、それで小銭にすればいいだろ。常識的に考えて」
「さっきから常識的に考えてって言ってるけど、常識の本質ってものを理解してないわね。確かに常識があるから人々は暮らせている。だけれど常識的な生き方をしている人間は、やがて夢を見なくなり、ただ日常を繰り返すだけの人間になってしまうのよ。小学、中学、高校の時には、叶うことが絶望的に低い夢をみるけど、それでも夢を見ているだけで幸せな気分に浸れるの。しかし現実を知った時には夢を見なくなってしまう。そして、常識的な考えを持ち、常識に沿った生き方しかできなくなる。夢を見ていた時の自分を現実的観点、常識的な観点で考え、昔の自分は馬鹿だったと、昔を否定するようになるの。昔の自分がいたから、今の自分がいるという事を考えもせずに。子供のときに無謀な事や無茶な事をしていたのは、常識という概念が本人になかったから、行動出来たのよ。そして無謀なことや無茶な事をしていたのは、そういう事が楽しかったからなの。常識は大切だけれど、縛られすぎると自由に身動きが出来なくなっちゃうものなの。それと付け加えて言うけれど、天才と呼ばれる人達は、常識にあまり縛られなかったから、偉業を達成できたのよ」
 京子がマシンガントークをして、俺は驚いた。マシンガントークで喋った事に驚いたのではない。京子が本気になって喋ったから驚いたのである。京子はいつも冗談などは言うが、真剣なことについてはあまり喋らない。その京子が熱弁したのだ。
そして、しばらく経った後、京子はもう一言いった。
「そういうわけだから、小銭を入れる為五円玉を貸して」
さっきの話と全然違う事を口に出していた。そういうわけだからってどういうわけだよ。ってツッコミを入れたい。
「京子、賽銭に五円入れるということは、常識的な考えではないのか。五円を入れると御縁がある。だからほとんどの人が賽銭に五円入れている。さっき常識がどうのこうのとか言っていた人間が、常識的な行動をするということは滑稽ではないのか」
「うるさいよ、このニート童貞甲斐性なし行動力なし人間。さっさと五円玉よこしなさいよ。後で三円返してあげるから」
酷い言われようだが、真実であるので何も言えない。でも解せない点がある。なんで五円を貸す人間がこのような言われ方されて、貸される方が威張っているのがわからない。それに、五円貸すのだから、普通は五円返すのが常識的であるのに、三円しか返さないってどういうことだ。京子は常識的な事をするのが嫌だからなのだろうか。
「高次さん、嘘よ。貴方は無駄に性欲を満たす事をしない、働くという事などもせず、行動するという無駄なこともしない立派な人間だわ。だから五円貸してください」
言い方が変わっただけで、内容は変わっていない。そんな事を言う人間に俺は金を貸さない。吹雪や嵐のような強い意思でそう心に誓った。
「おっぱいを五回さわらせてあげるから、貸・し・て」
「俺は今機嫌がいい。だから仕方なく貸してあげよう」
京子のおっぱいは、俺の強い意思を捻じ曲げた。
弁解するとすれば、俺の中に眠る、男性の欲。性欲の一部分が一時的に目覚めただけなので、俺は悪くはない。

浅草寺には多くの人がいた。ここにいる人達は仕事がないのか、それとも定年退職したのか判断に困った。あきらかに三十代の人や二十代後半の人も混じっている。そいつらはニートなのかあるいは、フリーターか、それとも休日に仕事があり、平日に休みがある人達なのだろうか判断がつかない。
確実にわかっている事は一つ、この中に一人ニートが確実にいることだ。その一人とは俺のことである。
 無駄な思考をしている間、京子は既に願っていた。何を願っているのかわからないが、真剣に願っていることだけはわかった。
 俺も何か願っておくか……願い事をしても意味がない事だということは知っているけれど。それでも願ってしまうのである。意味のない事に意味を見出す性質が、人間にはそなわっているのだろう。
神などいないと心の中で思っていても、もしかしたら居るかも知れないという。淡い期待を深層心理で思っているのだろう。
願いごとは平凡な物にしておいた。前に来たときは壮大な願い事をしていたが、今はもう、そんなことを願っても意味がないとわかっているからだ。
ちなみに壮大な願い事とは、この世の真理を知りたいとか、真の悟りを開きたいとか、あの世のことについて教えて欲しいとか。今思い出せば、そんなことが叶うわけがない馬鹿なことを願っていた。そしてそんな事を願っていた自分が恥ずかしい。
浅草寺を出た時に京子に一応聞いてみた。
「真剣に願っていたけれど、何を願っていたんだ」
答えは予想通りのものだった。
「何を願っていたのか知りたいのなら、五千万円払ってよね。そしたら教えてあげるから」
五千万なんていう大金は通常の人なら払えない。つまり願い事は教えないという意味であろう。
「高次さんは何を願ったの?」
「京子が自分の願い事を教えたら、俺の願い事も教えてやるよ」
「一応聞いてみただけよ、高次さんの願い事なんて、一万貰っても聞きたくないから」
俺の願い事ってそんなに価値の無いものって思われているのか。というより、何を願っていたかを教える方が金を払うのかよ。
「もう観光する場所が思いつかないからアパートに帰るか」
そう言ったら京子が不満の声を出していた。
「高級レストランで夜景見ながら食事をするという約束は忘れたの」
たしかに以前そういう約束をした覚えがあるが、夜景が見れる時間になって、食事なんてしていたら、今日も帰れなくなるだろう。
 それに金額的にもやばいので、その約束はまたのことにしようと思い、それを京子に伝えようとした。その時京子の方が先に口を開いた。
「冗談よ。高次さんにそんなお金なんて持っているわけないし、高級レストランってあらかじめ、予約しないといけない店が多いでしょ、だからその約束は今度また二人で出かけた時まで取って置く事にするわ」
京子の方が先に折れるなんて、珍しいなと正直な感想をいだいた。
そして東京から自分のアパートがある町の駅まで電車で帰る事にした。
電車に乗っている時、京子はいつものように本を読んでいた。俺は何の本を読んでいるのか聞いてみた。
「文学少女と慟哭の巡礼者を読んでいるの」
と短い返答だったが、本のタイトルは教えてくれた。本の内容も気になったけれど、読書中の京子は本を読むことに集中して詳しい内容まで教えてくれないだろう。今ではなく、後でどういう本なのか聞いてみよう。

アパートに着いた時は既に午後十時をまわっていた。
俺は疲れていてすぐにでも寝たい気分だった。しかし、京子は俺に風呂に入る事をアパートに同居した次の日あたりから、命令に近い形で言っていた。別に俺にとって風呂に入ろうが入らないかはどうでも良かった。だから今まで風呂に入ることは、気まぐれで入っていて、気分が乗らない時は入らなかった。
そういういい加減な生活が京子は気に入らないのか、風呂に入る事を京子は強制した。実際になんで風呂に入らなければいけないのか? という議論を真剣10代喋り場的な雰囲気で話したが、京子の最終的な結論は、風呂に入っていない不潔な人とは同居ができない。といものであった。
対して、俺はその結論に対してこう言った。『だったら京子が出て行けば解決するだろう』と言ったのだ。実際には京子が出て行ってしまう事を恐れていたので、京子が『じゃあ、でていくわ。今までありがとう』なんて台詞を言ってアパートから出ていこうとしたら、『冗談だよ。風呂には毎日入るから許してくれ』と言おうと思った。しかし京子は想像とは違う事を言った。
「私は別に一日や二日、三日、四日、一週間、一ヶ月、一年、十年、百年、六万五千五百三十五年くらい風呂に入らない人がいてもいいけど、この先高次さんが私以外の女性の人と同居する事になったら、損をするのは高次さんだと思うよ」
と言われてしまった。
しかし京子以外の女性と今後、同居が出来るかわからなかった。
まあ、そんな事があり、俺はとりあえず、京子が同居してからは毎日風呂に入っていた。
しかし、今日は疲れすぎているので、風呂に入るべきか、入らないべきか、迷っていた。
迷った末に風呂に入る事にした、風呂は本来体を綺麗にするものだと思われてきていたが(俺の独断と偏見)、実際には風呂という物は、体の疲労を癒してくれる物だと、最近俺は知った。だから疲れている今だからこそ、風呂に入るべきなのではないのだろうか、そう思い風呂に入った。
そして、風呂から出た後、俺はさっきより疲労を感じていた。疲れすぎている時は、風呂に入らない方が賢明ではないのだろうかという気持ちが込み上げた。
俺は京子のほうを見た。京子はパソコンを使っている。
京子は最初、アパートに帰ってきたとき、半分眠っていた。だからアパートに着いてしばらくしたら、起きて、『あれ、なんでアパートにいるの? さっきまで電車の中にいたはずなのに』と少し混乱気味であった。
俺はその気持ちはよくわかる。なぜなら俺も東京のネットカフェで寝ていたはずなのに、起きたらラブホテルにいた、という体験をしたのだからな。
だから、京子は東京から帰ってきたのに、疲れは少なく、目も覚めているらしかった。故に、京子は眠くなるまで、暇つぶしとして、パソコンを使っている。
パソコンで何をしているのか気になった俺は、少し画面を覗いてみた。おそらく京子は小説を書いているのだろう、あるいは、難しい事が書いてあるホームページを覗いているだろう。そう思い込んでいたが、予想は大はずれであった。
京子は、フリーソフトでやり込み要素がある、『ディアボロの大冒険』をプレイしていた。予想が外れた事はどうでもいいが、問題は、俺のデーターでプレイしていないかという事である。俺はさり気なく聞いてみることにした。
「京子、俺のデーターでプレイはしていないよな」
言ってみて気が付いたが、全然さりげなく言っていなかった。むしろ直球に聞いていた。
「大丈夫よ、新しいデーターでプレイしているから、今最初のダンジョンでこのゲームがどういう物で、どうしたら攻略できるか探っているところよ」
ディアボロの大冒険は、ディアボロが死ぬとレベル一まで戻り、手に入れたアイテムもなくなるゲームである。だからディアボロを育てるというより、プレイヤー自身がゲームを何度かプレイして、プレイヤーが成長するものである。
つまり、トルネコの冒険や風来の試練と同じなのである。
人生と言うのも同じで、たとえ今まで手に入れたものが、ゼロになっても、人生をプレイしている人間が、今までの人生経験を生かして、失う前より豊になるように策を巡らせる事ができる。そして、前以上に豊になる可能性が出てくる。
だからゼロになっても、人生経験が豊富なら、また人生を立て直す事は出来るだろう。しかし、人生経験が豊富ではない人間は、這い上がってくるのは至難な事であるだろう。そして自分自身で死に向かう事になるかもしれない。
だから人生とは、金や名誉や地位を獲得するより、様々な経験を積む事が大切なのである。
そして、挫折というものも、人生には欠かせない経験である。
「京子、俺はもう疲れているから先に眠るけれど、襲ったりするなよ」
もちろん性的な意味で言ったのだが、京子はそう受け取らなかったらしい。
「高次さんを殺したら、人生のほとんどが苦難な道のりになるわ。だから襲わないから安心して、それに高次さん如きで人生を棒に振るのは、メリットがなく、デメリットの方が高いから、だから襲うなんてことはしないわ」
「そうかい、だったら俺も安心して眠れる。京子もなるべく早めに眠れよ」
普段、夜に起きている人間だから、説得力に欠けているが、そんなのは気にしない。
俺は目を閉じて、すぐに眠りについた。

次の日、俺が起きたのは正午過ぎだった。あれだけ早く寝たのだから、午前中に起きられるだろうと思っていたが、俺の読みは、はずれていた。思った以上に疲労が溜まっていたらしい。
パソコンの方を見ると、京子が既にパソコンをしていた。京子は俺より遅く寝たはずなのに、もう起きている。
やはり若いから疲労が回復しやすいのか。それとも、電車内で眠っていたので、俺より遅く眠りに就いても、俺と同じくらい眠った事になったのかもしれない。
予想の域に過ぎないが、そう考えた。 
「おはよう京子、君は何時くらいに起きたんだい」
そう京子に声をかけても、何も答えない。もしかしたら、パソコンを使ったまま寝てしまったのか? 
もう一度声をかけてみた。
「京子のおっぱいは柔らかかった。まるで至高のましまろと究極のましまろを併せ持ったような柔らかさだった。山岡さんと海原雄山が協力して作り出した、ましまろの様に柔らかかった。評価するなら、それはまるで、手のひらでシャッキリポンと踊っているような感覚だった」
そう言っても京子は返事をしなかった。だからもう一度声をかけた。
「返事がない。ただの屍のようだ」
「うるさいわよ高次さん。さっきから意味不明の事を言ったりして、どうしたの」
京子は起きていた様だった。しかし何で京子は俺に返事を返さなかったのだろうか。それほど熱心にパソコンで何かをしているのか。
「京子、今何しているんだ」
「パソコンよ。そんな事も分からないの? 普通、見てすぐにわかると思うけれど、高次さんの貧相な脳では認識できなかったの」
「俺が言いたい事はそんなことではない。パソコンで何をしているのか聞いたんだ。京子こそ言葉の意味も捉えられない貧相な脳を持った人間なのか」
京子が毒舌するのは今に始まった事ではないが、俺が京子に毒舌を吐いたのは、始めてである。
そして俺は昔の事を回想した。
中学の時は、友達と呼べる逢柄の人間には普通に毒舌や、冗談を使っていた。しかし、高校以降、孤立した俺は、毒舌をする事はなかった。
仮に孤立してなくても、友達と呼べる奴らに毒舌を使うことはなかっただろう。人に対して毒舌を使えるような自分は、既になくなっていたからだ。
中学時代の俺はもう死んでいて、高校時代の俺が新たに形成されたのだろう。
中学時代に積み重ねた、友情という物は、段々と消えていったのである。それとともに、友情関係を作ろうとする俺の心もなくなっていった。友情を作るという単純だった技能も、時とともに忘れてしまった。
そして俺は高校時代のことを少し思い出していた。
高校のときの俺は、人が友達を作ることは、単に利害関係があるから友達を作るのだろうと、斜に構えていた。たとえ利害が一見ないと思っていても、友達と一緒にいることが楽しいという感情が、既に利益になっている。もし、一緒にいても楽しくない奴とつるんでいたら、楽しくないという感情が害になっているのである。
それでも友達関係を続けようとするのは、孤立したくないという感情があったからだろう。それは、有益だが、同時に害になる関係である。
俺は、始めの時は孤立するというのが嫌で、誰かが話しかけたら、とりあえず返答しておこうと思っていたのだが、誰も話かけてこなかった。自分から話かけようと思ったときには、既にいくつかのコミュニティーが出来あがってあり、自分から話かけられないような雰囲気があった。しかし、それでもその時誰かに話かけていたら、今の自分とは違う自分がいたかもしれない。
しかし、不思議に思うことが一つだけある。
中学二年の時だけ同じクラスになった森高とは、いまだ友情関係が続いている。俺と森高は似ているようで微妙にずれていた。高校も別の学校に行ったはずなのに何故か時々ではあるが、連絡を取り合っていた。
しかし、ここ一年程は連絡がない。おそらく仕事が大変なのだろう。
ちなみに、今の森高は大手電気会社に入社して、すでに手取り33万円の月給をもらっている。そして俺は未だに仕事経験ゼロで親からの仕送りで何とか生きながらえている。
中学では同じ位置にいたあいつが、もう、俺の手の届かない所まで道を進んでいる。
この差はいったいなんなのだろうか、俺が道を一歩踏み外したからなのだろうか? 脱法ドラッグという物を使用したせいなのだろうか。あるいは高校で友と呼べる人間をつくらなかったからなのだろうか? それを確認する術はない。
そして、話は戻るが、そんな俺が京子に対して毒舌を使用したのだ。これは、俺が京子の事を気兼ねなく話せる人間だと認識したからだろうか。あるいは、俺の中で何かが急激に変わっていっているからなのだろうか。
それも確認する術はない。

俺は再び京子に話を掛けた。
「京子、今パソコンで何をしているんだ」
「小説を書いてるの。気が散るから話かけてこないで」
京子はどうやら小説を書いているらしい。
小説を書くのにはかなりの集中力が必要であるため、さっき話し掛けた時、すぐに返事を返さなかったのは集中していたからだろう。そう解釈した。
しかし京子が小説を書いている時、パソコンは一台しかないので、必然的にパソコンが使えないのである。だから、何をして暇を潰せばいいのか迷った。
そして思い出した。
前に街へ行った時、PS2のゲームを買ったのを。
その時買ったゲームで暇を潰せばいいんだ。
そう思いついて、俺はCLANNNADをプレイしようと、PS2に電源を入れて、CLNNAD(以後クラナドと表記する)のディスクを入れた。
クラナドをプレイしている時、京子が音量がでかいから下げてと言ってきた。しかし音量は既に小さくて、これ以上、下げると聞き取れないくらいの音量になってしまう。
仕方ないので、俺はヘッドホンを買うために、コンビニに行こうと思った。しかしコンビニで売ってなかった場合はどうすればいいのだろう。とりあえず、その場合の事を考えてはいなかった。
売ってなかった時に、また考えればいいんだと、そう楽観的な考えをしていた。

コンビニにはヘッドホンは売ってなかった。楽観的に考えていたので、売ってなかったという事実に、少し落ち込んだ。
思えば、俺はいつも人生を楽観的に捉えていたな。何もせずに何とかなるとか、努力もせずに思っていた。そういう楽観的な考えが、今の俺を苦しめている。そして、今まで意識しなかったが、もし家からの仕送りが無くなったら、俺はどう生きていけばいいのだろう。そういう考えが浮かんだ。
そう俺は、今の生活に対しても楽観的に捉えていた。親からの仕送りは当たり前のようにあり、それが途絶える事なんてないと思っていた。
しかし、よく考えてみれば、次の月から急に仕送りが途絶える事もあるんだ。家は豊なほうじゃないから、親も苦しみながら何とか暮らしているかもしれない。その苦しみが限界に達した時、親は俺への仕送りを無くせば少しだけれど、豊に暮らせるんじゃないのか。と思い、そして俺への仕送りを無くすかもしれない。それなのに、まだ大丈夫だ。と思っていた俺は馬鹿である。
あえて言うなら、超絶馬鹿の世間知らずの大人になりきれない、子供のような精神力の根性なし男である。とも言えよう。
急に危機感が芽生えてきた。
俺は大丈夫、自分はああいう風にはならない。という根拠のない楽観的な考えをしてきた。しかし、俺は大丈夫だなんて、どうしてそういう事がいえるのだろう。
人のほとんどが、明日はわが身に起きるかもしれないとは思わず、危機的意識が欠落していて、実際に自分に災いが起これば、『どうして俺が……』あるいは『どうして私が……』と言ってしまう。自分を特別視して、自分だけは大丈夫だと、何故人は考えるのか。他人からみれば、自分だって、他人でしかない。その事を理解しているのだろうか。自分は特別な存在だというのは、自分にしかいえない事で、他人からしてみれば、ただのそこらへんにいる凡人としか捉えてもらえない。その事を完全に理解しているのかどうか、怪しい。
年季のある人なら、すでに自分は特別な存在じゃないと思う人がいるけれど、若い年齢の人は、自分のことを特別視したがる。特に思春期にそういう傾向がある。
そして、自分は別に特別ではないんだと悟ると、急に人生が虚しい物に思えてくる。そこで、立ち直れるか、立ち直れないか、開ききるか、それとも、やっぱり自分は特別だと思い込むかで、今後の人生は変わってくる。

とりあえず、ヘッドホンが売られていそうな店を、コンビニの地図で探す事にした。
パソコンが使えるのなら、検索して簡単に分かるけど、そのパソコンが使用されている為に、俺はヘッドホンを買おうとして、外にでているのだ。
携帯電話でもインターネットに繋ぐ事ができるが、携帯では正確な位置がわからないだろうし、地図が出てくるのかさえわからなかった。
コンビニの地図で、ようやくヘッドホンが売られていそうな場所が見つかった。山田電気とコジマ電気である。
山田電機のほうは、ここから三駅ほど遠い場所の町にあり、コジマ電気は二駅ほど遠い場所の町にあるらしい。
二駅先のコジマ電気を選ぶのが普通だと思われるが、駅からコジマ電気の場所が、少しだけ遠い。
一方、山田電気の方は、駅から降りて近い場所にあるかもしれないと、地図からの情報でわかった。
一駅遠くても、歩く距離が少なそうな、山田電気に行く事にした。

そして今、俺は山田電気を求めて彷徨っている。駅からおりてすぐだろうと思った俺は、地図の内容を頭に畳み込まなかった。
俺は山田電気の場所がわからないまま、駅から適当に道を歩んでいた。そして山田電気が見つからなくても、焦る事なくその内見つかるだろうと思っていた。
それが、間違いだった。あの後、見つからないのならコジマ電気に行こうと思えばよかった。
コジマ電気のある町は、少数だがコンビニがある事だけは記憶していた。だから道に迷っても、コンビニがあるから、自分の現在の位置ぐらいわかって、いつかは辿り着いてたと思う。
しかし、山田電気のほうの町はコンビニがまったくなかった。しかも迷っている事がわかりながら、それでも歩き回ったから、駅がある方角も見失ってしまった。
まるで俺の人生そのものだな。といつものように考え深けた。
(現実逃避)
俺の人生も、楽な道を選んで、楽をしようと思ったが、ろくに人生の地図を頭に叩き込まずに歩き回ったから、出口のわからない迷路に迷い込んでしまったものだ。
人生という物を熟知しているわけでもないのに、わかったような勘違いをした為、今という現状があり、そして、どうすればいいのか分からないのだ。
これから俺はどういう道を選んで、人生を歩んでいけばいいのかわからない。
高校の頃は何とかなるとか考えていたが、いざ高校を卒業してしまうと、これから先どうすればいいのかわからない。そういう状況に追い込まれた。それでも何とかなるという考えがあったから、4年間以上も、ニートと言う存在を続けてしまった。そして、俺は未だにニートという存在である。
そろそろ俺も就職したほうがいいと思っているのだが、はじめの一歩が踏み出せない。どうすればいいのかわからない。このまま最底辺の人間のまま人生を終えるしかないのか。
そう思案に深けながら歩いていたら、目当ての電気店に着いた。
電気店の名前はコジマ電気。
どうやら、歩き回っているうちに、隣町に来てしまったようだ。
まあ、結果オーライということでいいだろう。
歩き回ったから、いい運動にもなったし。
コジマ電気でヘッドホンを買った後、店員に最寄の駅に着くには、どういう道のりで行った方がいいのか訪ねた。
おそらく昔の俺なら聞けなかっただろう。少しは対人恐怖症が治りかけてきているのだろうか?
コジマ電気の店員に言われたとおり、道を歩んでいたら、あっさりと駅にたどり着いた。
一人でどうにかやろうとするのではなく、人に頼り、人に教わった方が、人生という物も少しは楽に進めるのではないのだろうか。
アパートに帰ってきた時には、既に外は暗くなりかけていた。部屋に入ってみると、京子がまだパソコンを使っていた。
「ただいま、まだパソコンを使っていたんだ。いいかげんパソコンは止めといた方がいいよ」
そう言ったら、京子は振り向いて、安堵の表情を浮かべて、そして俺に謝ってきた。
「ごめんなさい高次さん、少しきつい事を言ってしまって」
俺はきょとんとした。京子があやまるなんて思いもしなかったし、謝られる程の事を言われたわけでもない。
「別に、謝る必要はないよ。というかなんで謝っているのだが分からないんだけれど」
「だって高次さん、こんな時間まで帰って来ないから、今日の会話で怒って、家出しちゃったと思っていたんだもの」
家出しているのはお前の方だろ。ってツッコミを入れたい。第一ここは俺の部屋だから、俺が怒ったら、俺のほうが居なくなるのではなく、京子の方を追い出すだろ。
「反省しているのならいい、その代わり、今後パソコン一時間使用するのに、五百円払ってくれ」
「おっぱいを五回揉ませるだけじゃ駄目?」
「おっぱいを揉むのは飽きた。もしパソコンを使用したいなら、素直に金を払うか、おっぱい以上のインパクトのある事をやらせてくれ」
自分で言ったが、おっぱい以上のインパクトのあることをさせたら、俺のほうがまずいんじゃないのか、と冷静になってから思った。
「じゃあ、パイズリを……」
「やっぱり金以外は受け付けない。どんなに気持ちいいことをしたって駄目だ」
俺は京子の言葉を遮り、先程の言葉を訂正した。
というか、パイズリもおっぱい関係じゃないか。という事に後から気づいた。

「凄く眠い、今日はもう寝るわ」
そう京子が言ったが、時間はまだ午後の8時である。いつもならそんな時間に眠らないのに、どうしたのだろうかと疑問に思った。
「今日はどうしてそんなに早い時間に眠るんだ」
「昨日からずっと起きたままだから、眠くなったの」
昨日からずっと起きていた? その言葉の意味が暫く分からなかった。
「昨日アパートに帰ってから、眠れなくて、ずっとディアボロの大冒険をプレイしていたの、やりこみ要素のあるゲームだからはまっちゃって、ずっとプレイしていたの。それからミステリー小説を書いたけれど、結局書ききらずに終わってしまったわ。後、高次さんの帰りが遅いから心配していて眠れなかったの」
ということは、京子は俺が寝た後は、一回も睡眠していなくて、今日俺が電気屋に言っている間も寝ていないという事か。
「しかし意外だな、京子が俺のことを眠れないほど心配しているというのは」
「だって、高次さんが失踪したら、アパートの代金が支払えないし、重要参考人とされて警察に尋問されるじゃないの」
ああ、そういう事か……
京子の奴は照れ隠しではなく、本気でそう思っているから怖いんだ。
ツンデレとかヤンデレとか、素直クールとか、そういう属性ではなく、掴みどころのない性格で、冗談か本気か、わからない事をたまにいうから怖いんだ。
話題を変える事にした。
「ところで、小説を書いたっていっていうけど、どういう小説を書いたんだい」
「さっきミステリー小説を書いたって言わなかったっけ。高次さん、脳年齢が80歳の若年性痴呆障害なの」
京子の毒舌が復活した。
その後京子はすぐに眠りについた。そして俺だけがこの狭いアパートの一室という、俺にとっては、宇宙と等しい空間に取り残された。
久しぶりに、パソコンでもするか、と思い立ち、パソコンを起動させたら、パスワードが掛かっていた。
他人のパソコンなのに、パスワードを掛けるという、常識人ならまずやらない事を、なんなくやった京子に、怒りと同時に恐れという感情をいだいた。
パソコンのパスワードを聞くために、京子を起こそうとしたが、既に時遅し。
京子は深い眠りについてしまって、声を掛けても、揺さぶっても、おっぱいを揉んでも、抱き付いても起きないという、最悪の状況に陥っていた。
仕方なく、俺はコンビニによって、酒を買う事にした。そしていつもの公園で、鬼ころしを飲む事にした。
少し前までは、習慣だったこの行為も、京子との出会いで、あまりしなくなったのだなと、遠い目を見るような感覚で感傷に深けていた。
酒が酔い始めると、俺は今後の事について、ある意味真剣に、そしてかなりいい加減に考え始めた。
昔なら、これからの事などは考えずに、宇宙の深遠やら、死後の世界やら、自分という存在の意味やら、時間というものやら、を考えていたけれど、それは全て現実逃避でしかなかった。
そういうことに、気づいていながらも、現実を見ないで、現実の事について考えないで、なんとかなるという、いい加減な気持ちでいた。しかし、自分から人生の道を歩まなければ学べない事があるという事に、ようやく気づいた。
 いまから、現実と立ち向かうべく、現実について考え始めた。そして10分で考えるのを止めた。
 今まで現実の事なんて考えてもいなかったのだから仕方が無い。
筋トレをやろうと思いたっても、今まで体を使っていなかったら、10分程度で弱音を吐いて止めてしまうのと同じ現象だ。
 とりあえず今はまだ、酒で酔っ払って、現実や人生とは関係の無い、役に立たない事を考え始める事にした。

アパートに帰ってきたとき、俺も眠気が強くなっていたので、部屋に入ったらすぐに寝るつもりだった。しかし自分の部屋のドアを開けようとした時、ドアが開かなかった。
京子が鍵を掛けたのだろうか、そう思い、チャイムを鳴らした。
しかし、誰も出ない。まさか京子の奴、部屋の鍵を閉めてからまた眠りに付いたのか? と思ったが、犯人はすぐ近くにいた。そう、犯人の名前は真下高次、つまり俺である。俺は部屋に鍵を掛けて出かけたんだ。
何故そんな事にすぐ気が付かなかったのか? と問われれば、俺はそいつにこう答えるだろう。
『鬼ころしを1リットル飲めば、お前にも答えがわかるさ』
簡単にいうと、酒で酔って、思考が上手く出来ない状態であったというわけだ。
俺は鍵を取り出すために、財布を出した。いつも鍵は財布の中に入れているからだ。
小説や漫画やアニメだと、財布を落としてしまい、そして財布探しの旅に出るというフラグが立ち、財布を捜している時に、色々とトラブルが起きるという展開になるのだが、現実は、そんなご都合主義な事はありえない。財布はあり、そして財布の中に鍵がある。その鍵を使い、普通に部屋のドアを開けて、部屋に入り、それから眠りについた。

次の日は、早く起きてしまった。おそらくアルコールのせいだろう。人にアルコールの作用とは何かと聞けば、酔って眠くなる、と答えるだろうが、実はその考えは半分当たっているが、半分間違っている。アルコールは、ある一定の時間になると、覚醒作用をもたらす、だからアルコールで一時期眠くなって、眠りについても、中途覚醒を引き起こす事になる。だからアルコールで眠ったとしても、疲れはとれなく、次の日がだるくなる。
結論からいうと、不眠病の人は素直に診療所で睡眠薬を処方してもらえ。という話だ。
 最初はアルコールのプチ知識を説いていたのに、結論が睡眠薬を処方してもらえっていうのは、論理的に考えておかしいと思っているが、気にしない事にした。
京子はまだ起きていない。これからどうするか。とりあえずクラナドでもプレイしてみよう。この前は京子にうるさいと言われて中断してしまったが、今は京子が寝ているし、ヘッドホンもある。だから好きなように遊べるのだ。何故クラナドは人生と呼ばれているのか、その謎を解くためにプレイしてみよう。
そして三時間後、ゲームが全然進んでいないように感じている。まずシナリオが長すぎるし、選択肢が多すぎる。パソコンさえ使えれば、攻略レビューが見られるのだが、そのパソコンは封印状態になっている。それに、たとえパソコンが使える状態でも、一周目のプレイの時は、攻略は見ないという、俺独自のルールがある。
俺はまだクラナドという坂を上ったばかりだ。

クラナドをプレイして合計10時間が経過して、ようやくヒロインの一人の人物のエンディングを見ることができた。しかし、たった一人のキャラをクリアするだけで、凄い時間が掛かった。
クラナドが人生と呼ばれている所以は結局分からなかった。最後までプレイすれば分かるかも知れない。一つのルートをクリアするのも時間が掛かったのに、全クリするにはどれぐらい時間が掛かるのか。
前にクラナド実況スレでクラナドの放送が終わった時に、いつものように雑談会が開かれた。
その時の情報によると、60時間~100時間くらい、クリアするのに掛かると書き込まれていた。その時は、釣りレスだと思っていたが、実際にプレイしてみて分かった。確かに60時間以上クリアするのに掛かりそうなのを。

三日間、寝ないで麻雀した後の人並みに眠っていた京子が、午後三時になって、ようやく起きた。
「今何時?」
「おやつの時間だよ」
ユーモアーたっぷりの台詞を言ったが、京子には伝わらなかったようだ。
「ということは、深夜の一時なのね、でも外は暗くなっていないけど」
京子にとって、俺のおやつの時間は午前一時だと思われているようだ。あながち間違っていないので反論は出来ない。
「午後の三時だよ。俺のおやつの時間で考えるんじゃなくて、一般人にとってのおやつの時間で考えてくれ」
「わかっているわよ、ただ冗談をいっただけじゃないの。それにしても高次さんって本当に午前一時におやつを食べているの? 少しは自分の体を大事にしておいた方がいいよ」
どうやら俺は、京子の誘導尋問に引っかかってしまったようだ。というより俺のほうが勝手に自爆しただけのような気がする。
「ところで京子、パソコンにパスワード掛けただろ、どういうパスワードを掛けたんだ」
「パソコンを他人が勝手に使用出来ないようにパスワードを掛るは、当たり前の行為じゃないの」
俺のパソコンなのに、他人が使用できないようにパスワードを掛けたと言うが、他人って京子の方じゃないか。
俺はその事にイラつき、胸の中から熱く燃え立つような怒りの感情と、下半身からムラムラする感覚が起きた。
何故下半身にムラムラする感覚が起きたのか、俺にもわからなかった。
まあそんな事は些細な事だ。京子にパスワードを聞こう。
「パスワードにはどういう単語を入れたんだ?」
「パソコン一週間無料で使用させてくれるのなら、一週間後、パスワードを教えてあげるわよ」

俺は京子の条件を受け入れた。
どうせパソコンが使えても、フリーゲームで遊ぶか、専用ブラウザーで2Chを少しみて回るだけだから、パソコンの一週間ぐらい貸してあげてもいいと思ったからだ。
そして条件の内に一つだけ、ある内容を付け加えた。
万が一、小説が書き上がり、そして売れるようになったら、印税の1割は俺にくれるように、という内容を付け加えた。
万が一という言葉を口にしている時に思ったが、確率的にはまだ高い方だと思う。
小説というのは、書き上げるだけでも大変なのに、それを売るという行為まで出来るのは、限られた人間しかいない。
しかも利益を出すという事が難しい。出版までは、自費出版というのがあるので難しい事ではないが、自費出版をした場合、大抵の人は損をするだけである。
だから出版するのは、文芸雑誌に応募して何かしらの賞を取った方がいいのである。しかし、賞を取る事が大変なので、諦める人間も少なくはないだろう。そして自分の才能のなさを嘆くしかない。
京子の場合、運が味方につかなければ、億分の一の確率でしか成功しないだろう。

それから一週間、俺はクラナドをプレイしていた。京子もパソコンで何かしていたみたいだが、四日目からニコニコ動画とか見ていたり、ハムスター速報を見ていたりしていた様で、小説を書いている気配は全然無かった。
小説というのは波に乗れば意外とあっさり書き上げてしまうが、波が潮を引くみたいに無くなれば、書けなくなってしまう。
しかも、波に乗っている時書き上げた小説も、冷静になってみれば、本当に面白いのかどうか分からなくなり、結局書き上げたものを、公に公表しないで、封印してしまうこともある。場合によってはゴミ箱に入れて削除してしまう事もある。
しかし、ゴミ箱に捨てた場合、後で後悔する事になる場合もある。自分が当時、没にした作品も、歳を重ねていけば新しい発見があったり、改稿すれば立派な作品が出来上がるかも知れない可能性があるから。
そういう未練の想いがあったから、俺はニート一年目の時に書いた作品を今でも持っている。昔のパソコンで書いた物だから、今のパソコンの中には無い。CD‐Rの中に保存していて、そのCD‐Rは自宅にある。だから京子にみられる事も無く、そして京子だけでなく世界中の誰にも見られていない物語が机の引き出しにある。
親が捨てていなければの話だけれど。

一週間が経ったが、未だにクラナドをクリア出来なかった。選択肢が多すぎて、どの選択肢を選べば、どのルートに行くのかが分からなかった。しかし、今日からパソコンが使えるので、パソコンで攻略サイトに行き、そしてそのサイトにある攻略法をプリンターで紙にすれば簡単にクリアできるだろう。
しかし、謎が一つある。何故俺はプリンターを所有しているのかわからない。使う機会なんてなかったはずなのに、何故かあるプリンターに感謝した。
まあ、そんな事どうでもいい。俺はクラナドを早く攻略したかったから、京子が起きたらすぐに質問する事にした。
「京子、約束の一週間は過ぎた。パスワードを教えてくれ」
そう言っても京子は一向に起きる気配がなかった。
仕方がないから体を揺さぶって強引に起こそうとした。
そしたら京子は少しだけ起きて一言言った。
「ん、何? 今眠いからもう少しだけ寝かせて」
そういって京子は寝ようとしたが、俺はそんな暇を与えず、抱きつくことにした。
「な、何するのよ! 早く離れてよ」
京子が珍しく慌てていた。少しレアな反応を見れて、少しだけ得をした気分だ。そう思っていた時に、京子がビンタして来たので、少し冷静になった。
「高次さんには恥じらいっていう物が無いの? 女の子にこんな事をするように育てた覚えはないわ」
いやいや、京子に育てられた覚えはないけど。
そして俺は言った。
「出会った頃を思い出して欲しい。あの時AとCは駄目だが、Bならしてもいいと言ったじゃないか、それに京子にセクハラしたのは初めてではないだろ」
「そうだけど、今はもうその契約はなし。パソコンをする時はお金を払うし、ここの家賃も自分で少しは出すから」
それってある程度、金が溜まったら、ここから出て行くという事か?
「京子、とりあえず、ここから出て行くという事は考えないでくれ」
「どうしたの高次さん、もしかして私が居なくなると寂しいとか思っているの?」
「ああ、そのとおりだ」
そういうと、京子は黙ってしまった。そしてしばらくしてから答えた。
「ここから出て行くか、出て行かないかは、私が決めることだから。でも高次さんが居て欲しいと思っているなら、もうしばらくは出て行かないわ」
それを聞いて少しだけ安心した。
そして、変な雰囲気になってしまった時に京子が口を開いた。
「そうそう、パスワードの事だけど、円周率の数字の二十一桁を入力すればいいだけよ。簡単でしょ」
と、言った。

その後も、妙な雰囲気が続いていて京子に声を掛けられなかった。円周率の二十一桁は携帯でインターネットを繋いで検索したのですぐに分かった。
そしてその数字を入力したら、パスは解けた。
ひさしぶりのパソコンだが、何だか何処のサイトも見る気が起きないし、2chや、ニコニコ動画を見る気にもならなかった。フリーゲームをプレイする気にもならなかった。
結局俺がしたのは、最初予定していたクラナドの攻略サイトを見つけて、攻略方法をプリントアウトするだけだった。
その後クラナドをプレイしようと思ったが、なんかプレイする気になれなかった。
「京子、俺出かけてくるよ」
京子にそう言って、出かけようとした。
「何処に行くの? 高次さん」
「ハローワークで職探しをして来るんだ」
そう嘘をいって俺はアパートから出て行った。本当はただ変に京子を意識してしまい、それに耐えられなかったからである。
最初は京子の事をただの家出した美少女としてみていたが、日々、京子と過ごしていたので、いつの間にか、京子は俺にとって特別な存在になってしまった。
ただ、自分の気持ちに気がついても、今までは意識しないようにしていた。いずれ別れの時が来るのだから、京子が居なくなっても平気でいられるように、京子に対する特別な情を封じ込めていた。
しかし、今日改めて実感したのは、京子が居なくなってしまったら、俺は以前より無気力になってしまうだろう、という事だった。
以前の俺なら話す人が居なくても全然平気だったし、むしろ一人で過ごしているほうがましだと思っていた。
しかし、京子と出会い、俺は少しだけ変った気がする。一人でいることもいいが、誰かと過ごすというのもいいと思った。
そして、その誰かというのは、京子だけである。
一度、情が芽生えた相手とは、一緒にいても苦痛にはならない。そしてただの情なら、相手がいなくなったとしても気にはしない。だが、特別な感情が芽生えた相手が居なくなる事は耐えられない苦痛である。
 もし京子がアパートから居なくなったら、二度と会えないかもしれない可能性が高い。だから京子が居なくなったら絶望して自殺するかもしれない。

 そして俺はいつもの公園で、焼酎の一つであるいいちこを飲みながら思案にくれていた。京子の事はなるべく考えたくなかった。もし考えたら、また京子の事を意識してしまい、アパートに帰った時、普段と同じように振舞えない気がしたから。
だから俺は森高の事を考えた。
そういえば、最近森高とは連絡をとってないな。あいつはもう、昔のあいつではないから、そう連絡がとれるわけがない。
昔の森高は、会社に入って社会の犬になるなんてご免だな。とか言っていたが、今では大手電気会社に勤めて、支店長になっている。一ヶ月の残業も90時間あるとか言っていた。もし昔の森高が今の森高をみたらどう思うだろうか。『偽りの未来だ、俺の人生はもっと派手なものになる』とか言いそうだな。
そして、おれ自身の事についても考えた。
もし昔の自分が、今の自分をみたら何て言うのだろうか?
自分自身の事なのに、想像できなかった。あの頃の俺も、今の自分とはまったく別人だったから、想像する事が出来ないのだろう。
昔の俺はいつ死んだのだろうか。少なくても今はもう存在していないという事はわかる。

 いいちこを六百三十ミリリットル飲んだのに、俺は酔うことはなかった。時間もかなり経ったので、俺はアパートに帰ることにした。
 部屋に帰ったら、京子とどう接触すればいいのかわからない。今までなら普通に帰れて、そして、普通に京子にただいまと言って、それからゲームとかする事ができたのに、今日は帰ってからどう声をかけて、何をすればいいのか分からない。
 俺は京子の事を特別な存在であると、認めてしまった。だから今までと同じに過ごせない気がしていた。
 とりあえず、アパートに帰り、自分の部屋の前で京子にどう接触すればいいのか悩んでいた。
 しかし、そんな事に答えなど存在しない、いつも通りにしていればいいんだと心に決めて、部屋に入り、だたいまと言った。
「おかえりなさい高次さん、職は見つかりましたでしょうか?」
 京子はいつものように振舞っていた。しかし職は見つかりましたか? という言葉で、現実に戻った。
京子が居なくなるとかそういう問題ばかり考えていて、就職するという事は考えなかった。
このまま就職しないでいたら、京子はアパートから出て行くというのは、当然なのに、就職するという現実的な考えはしなかった。
俺が無言でいると、京子の方が口を開いた。
「あなた、夕食にしますか、お風呂にしますか、それとも、わ・た・し」
そう言ったので、少し安堵した。京子はいつも通りだとわかったからだ。
「じゃあ、京子の体で俺の体と心を暖めてくれ」
俺もいつものように、振舞った。
「わかりました。では五万円いただきますね」
「金を取るのかよ!」
つい勢いでツッコミをいれてしまったが、普段のやり取りなので、やはり安堵した。そう、意識する事はないんだ。いつも通りに振舞えばいいだけだ。
「ちなみに、食事の方は何円掛かるんだ。後風呂の方はいくらになるんだ」
とりあえず聞いてみた。
「食事の方は五百円か、それとも、一時間パソコンをやらせてくれる権利のどちらかを貰います、風呂の方は百円になります、後、追加オプションで、私と一緒に風呂に入ると、一万円掛かります」
「じゃあ、風呂に入るよ。その後で、コンビニのおにぎりを二個買うから食事はいらない」
そういったら京子は悲しそうな顔をして、答えた。
「私が作ったご飯を食べないっていうのね。高次さんの馬鹿!」
京子がそういったので、仕方なく、京子の料理を食べることにした。どんな料理かと思ったら、カップラーメンだった。初日は結構いい料理を作っていたのだが、いつの間にか衰退していき、安い適当なおかずと、ちょっとした料理と、ご飯だけになっていった。しかしカップラーメンはないだろと思った。
次からはコンビニの弁当を買おう。

次の日、京子は朝起きて俺から五千円を貸すようにせがんだ。
「何に使うんだ」
「ひ・み・つ」
まあ、素直に理由を話すような人間ではない事は分かっていたから、聞いても答えてくれないってわかってた。とりあえず聞いただけだ。
「五千円を何に使うかわからないけど、返さないと体で払ってもらう事にするぞ。おっぱい揉み揉みじゃなくて違う方法で」
「大丈夫だよ、すぐに返すから、それに、たったの五千円じゃないの、そんなけちけちした事言わないでよ」
五千円はある人間にとっては、ケツ拭く紙にもならないが、貧困生活を送っている人にとっては貴重な物だ。それに後発発展途上国では、五千円でかなりの人数の人が助かるほどの金だ。だからたった五千円という言い方はないと思った。しかし俺も金を使う時は使ってしまう人間なので反論は出来なかった。それにコンビニとかに置いてある募金箱に金を入れたことなんて、指で数えられるくらいしかしてない。
まあそんなこんなで、京子は出かけたが、何処に行ったのかはわからない。
俺は久しぶりにディアボロの大冒険をプレイしようと思い、ディアボロの大冒険のソフトを起動させた。ディアボロの大冒険はやり込みゲーだから、はまっている時は面白いが、時が経つにつれて段々と飽きてくる。ニート症候群の俺は、はまりやすく、飽きやすい性格だったので、はっきり言ってディアボロの大冒険にはもう興味が無かった。しかし、最後にディアボロの試練をクリアしたいと思い、プレイしようと決意した。
五分後、俺はディアボロの大冒険をゴミ箱に送った。
京子がプレイしたと思われるデーターが既にとてもなくゲームを進めていたのである。
やりこみとか運がいいとかそんなチャチなもんではない。
裏技的なことをやったのである。
人生にも裏技とかあったらいいのに。とかそんな事をぼんやりと考えた。
しかし実際に人生で裏技をしたら、法律で裁かれる。人生に売れ技などないに等しい。
そして俺は、人生という単語で思い出した。クラナドをプレイして、クラナドは人生と書き込んだ奴の心理を覗き込むという、深遠な、そして、おれ自身の人生の答えのヒントになるかもしれない事を探る作業が残されている事を。
とりあえず攻略通りにプレイしてみた。
そして10時間が経過した今、ようやくヒロインを五人攻略した。
つーか長すぎるだろう、攻略のデーター(どの選択肢を選べば、最善で効率よくクリアできるかが載っているコピー用紙)をみてもこのぐらい時間が掛かるのだから、攻略法を見ないでクリアした奴はかなりプレイしたはずだ。
もしかしたら、ゲームの選択肢の数と、複雑に絡み合うフラグや、プレイ時間、それらを総合して、2chに人生と書き込んだのかもしれない。
謎は解けた。
それにしても、もうすぐ外は完全に暗闇になるというのに、京子が帰ってこない。俺はクラナドという仮想人生から、自分本来の人生に戻った時、京子の帰りが遅くなっていることを、不安に思った。
もしかしたら京子の奴事故にでも遭ったのだろうか。それとも五千円を使い、電車か何かで家まで帰ってしまったのではないのだろうか。
それ以外にも、様々な不吉な考えが浮かんで、落ち着いてられなくなった。こういう時はどうすればいいんだ。ラマーズ方呼吸でもして心を落ち着かせるべきか、下丹田呼吸で心を落ち着かせるべきか、などと、段々と不安が大きくなり始めた。
とりあえずラマーズ方呼吸は妊婦がするものだから、俺がしても意味がないという事に気がついたが、だからどうしたって、自分自身にツッコミを入れてみたりした。
俺がハァハァしながら喉を掻いている時、ようやく京子が帰ってきた。
「京子、何処に行っていたんだ。心配したんだぞ」
「別にそんなに心配しなくてもいいじゃない、まだ夜の八時じゃないの。それとも私がアパートから出ていったんではないのかって心配していたの?」
「そうだよ、京子が居なくなったんじゃないのかって心配していたんだ。帰ってきてくれて安心したよ」
言ってから気がついたが、これはかなり恥ずかしい台詞なのではないのかと思った。
「そんなに心配したの? もしかして高次さん、私の事が好きになってしまったの」
「ずっと前から気にはしていたが、最近になって京子が大事な存在だって気がついたんだ」
凄く恥ずかしくて、告白っぽい台詞を言っているが、そんな事は構わないで、本気の言葉を京子にぶつけた。
「高次さん、それって告白のつもりなの? それともただの冗談なの?」
「告白しているつもりはないが、冗談を言っているわけでもない、本当の事を言っているだけだ。京子にはずっと傍に居て欲しい」
「高次さん、そういう台詞が告白って言うのを知らないの? もし高次さんが生活力のある人ならいいけど、今のままじゃあ駄目だわ。私をここに繋ぎ止めていたいなら、まず就職することだね。就職しなければ私はいつかここから出て行くわ。所詮ここは私にとって仮宿でしかないのだから」

京子は帰ってきてから、一つの本読むことに集中していた。俺が何の本を読んでいるんだと言っても、何も答えないほど集中して読んでいた。
とりあえず、京子が本を読んでいるので、俺はパソコンでフリーゲームをプレイしていた。
二時間後、京子の方は既に本を読むことを止めたようで、少し目を閉じていた。おそらく疲れているのだろう。京子が今日何をやっていたか聞きたかったけど、素直に教えてくれるような奴ではないので、聞かないことにした。
俺は、京子がさっきまで読んでいた本に興味があったので、京子の隣に置いてある本を見てみた。
文庫本ではなく、ハードカバーの本だったので値段はかなりの物だった。とりあえずタイトルと著者の名前でも見ておこう。
タイトルは『死後の世界は存在する』という物で、著者はグスタフ・フェミナーという人であった。著者の名前は聞いたことがないが、有名な人物なのだろう。そう思いWikipediaで検索することにした。
検索してみた結果、グスタフという人は、少しだけ昔の人物で、ドイツの物理学者であり哲学者でもある人物だという事がわかった。
風変わりな人物であり、太陽を見た後の残像を研究するために太陽を肉眼で観察して失明状態になりかけたこともあったらしい。
フェヒナーの哲学思想は、精神と物質はひとつであり宇宙は一つの面から見れば意識、一つの面から見れば物質であるというものである。彼は宇宙を意識的存在と見ることを「昼の見方」、無生物として見ることを「夜の見方」と呼び、夜の見方の眠りに落ちた人々を昼の見方に目覚めさせることを目指した。彼の哲学の反響は小さかったが、その哲学に基づいて構想された、身体と精神(物的エネルギーと心的強度)の関係を研究する精神物理学は大きな反響を呼んだ。
という事がwikipediaに書かれていた。
さらに調べてみると、グスタフ氏は、太陽を見たあとの残像を研究するために、太陽を裸の肉眼で観察して失明状態になったのだが、幸い数年後に視覚は回復して。そして 「見えないもが見える」という不思議な能力を獲得したのであるらしい。
さらに調べてみると、以下の事がグスタフ氏に起こったらしい。
ある花から、その花の魂がゆらゆらと立ちのぼるのを見たのである。それは人間の子供の形をしていたそうだ。
フェヒナーはこの現象を、植物の霊魂が太陽の光をもっと享受するために花から出てきたのであろう、と考えた。
 ようやく視力が回復して、以前のように光を感受できるようになった彼自身の魂の喜びだったのかも知れないのだが、なにびとと雖も本人の内面の心的体験に口を挟むことはできない。
という事が書かれていた。
しかし、京子はどうしてこういう本を読むのだろうか? 京子なりに、死後の世界がどういうものかを考える礎にする為に、読んでいるのだろうか。
死は誰にでも訪れるので、死後の世界を信じたいのだろうか。
そういえば、以前、京子のバックを調べた時に、立花隆の本『臨死体験』がぼろぼろになっていたのを思い出した。
あの時は、古本屋で買ったから、ぼろぼろになっていたのだろうと考えたが、もしかしたら、京子が何回も読み返したから、ぼろぼろになったのかもしれない。

俺はパソコンで、最寄のハローワークの位置を探していた。ニートという社会の底辺から脱出するためではない。京子と長く時間を共有するためだ。
就職が決まり、仕事とかし始めれば、仕事中は離ればなれになるが、その代わりに、休日とかは親の仕送りの金などではなく、俺が稼いだ金で何処かに出かけることも出来る。
それに、もうニートでいる事は飽きてしまった。なんのイベントも起こらないで日にちだけが過ぎていく、そんな退屈な人生に飽きてしまった。物語で一番つまらないのは、何も起きなくて、ただ同じ事を繰り返しているだけの物語である。
そんな物語の主人公を俺はずっと演じていた。
しかし、もう待つだけの人生を続けていく事を俺は辞めよう。
これからは、自分で物語を面白くするように努力しよう。
それと、俗に神と呼ばれる存在に、一つだけ感謝しよう。
京子に会わせてくれてありがとうと。
そして、明日はハローワークに行くと、心の中で強く誓った。

そして朝がやってきた、京子はまだ眠っているみたいだ。そっとしておこう。それと置き手紙をテーブルの上に載せて置こう。今日は遅くなるかもしれないから、心配かけないように。
そしてハローワークへの長く険しい道を歩む決意をした。
とりあえず、昨日、住所と地図をプリントアウトした紙を持って行く事にした。道に迷った時の対策用に。
ここの近くのハローワークは9時から営業ということだったので、今から行っても早すぎるという事はない。
それにしても、俺が再びハローワークに行くなんて考えもしなかった。まだ自宅に居た時は何の危機感も感じていなかったけど、とりあえず暇つぶしにハローワークに行った事が二回程ある。
その時はパソコンのような機械で、何処でどういう仕事をしたいか決めて、そこから、関連する会社が出てきて、その会社の住所と給料、就職する為の資格とかが、出てきた記憶がある。
うろ覚えだから、本当にそういうシステムだったか分からないが、とりあえず行けばどういうシステムだったか思い出せるだろう。
俺は社会への未知なる道を歩むんだ。そうすれば俺は人間的に成長ができるだろう。この一歩は、ほとんどの人は、小さい一歩だが、俺にとっては大きな一歩である。
そして俺はとある台詞を思い出した。
『働いたら負けかなと思っている(24歳)』とかいう台詞を誰かが言っていたが、働いていない時点で、人生の負け組みだと気がついていないのか。と言いたい。しかしニートである身の俺には、そういう人達を非難出来ない立場にいる。しかし、今日を境にして、俺は生まれ変わる。そして、自立した一人の大人になるんだ。

とりあえず、ハローワークには簡単に辿りつく事が出来た。この前の電気屋探しの教訓を生かしたおかげであろう。
だが、ハローワークで何をすればいいのか考えてなかった。
職業相談という欄があるが、今は気にしないで置こう。どういう相談をしたらいいのか分からないからだ。
求人情報検索パソコンで、どんな仕事があるかを見ておく事にした。
そして一通り色々な所を見たが、見ているだけでも、憂鬱な気分になった。
まず、給料が安いという点が一つ。まあ給料が安いくらいなら我慢は出来る。だが仕事の時間が長い事がヤル気を削いだ。
そして、住所等が、アパートから遠い場所にある会社が多かった事と、仕事の内容が漠然としすぎているのが多いので、実際就職してもすぐに辞めてしまう可能性があった。
給料が高い仕事だと、資格が必要である場合が多い。ほとんどは、普通自動車免許だけでもいいという会社があるが、そういう仕事は給料が安い。給料が高い仕事になると、それ相応の資格が必要らしい。
俺は一瞬思ってしまった。今すぐに就職しないで、資格を取ってから、またハローワークに来ればいいんじゃないかと。
そうやって逃げる癖があったから、今ニートをやっている事は十分承知していた。しかし、いきなり就職するなんていうのは無理があるような気がしてきた。
俺は悩んだ。就職しなければ、京子は何処か別の場所に行くと言っていた。しかし仕事をすることを拒否する自分がいる。
俺はこんなに、情けない人間だったんだと、再認識した。

俺はハローワークから出て行って、何処かで時間でも潰そうと考えて、そして、街に行く事にした。
アパートに帰ってしまうほうがいいと思っていたが、そうすると、虚無感に包まれそうだったので、アパートにすぐには帰らないことにした。それに京子にあわす顔がなく、京子の姿をみたら、自分の情けなさが一層深まりそうだったから。

俺は街に着いて、街の様子を見て回った。
平日だが、人はかなりいた。こういう人達も、俺と同じように仕事がないから、ぶらぶらとしているのだろうか。それとも、平日が休みなのか。
俺は街に付いて考えてみた。
街というのは、働いている人間がいるからこそ、機能している。そしてその働いている人というのは、一人ひとりの役割は小さいが、そういう人が大勢いることで、街は機能している。
街だけではなく、世界というのも、それぞれの小さい役割を持っている人が、大勢いるから機能している。
ならば、俺の役割とは何か?
俺は仕事にも就かず、日々を無駄に過ごしてきた。そんな俺の役割とは何だ。
『あんな人間もいるんだ。だったら俺はまだマシだな』と社会人達に優越感を与える役割か?
『あんな人間にはなりたくない。だから努力しよう』と子供に思わせる反面教師の役割か?
 俺は生きることに疲れている。何処でつまずいたか分からないが、もう人生の幕を閉じてしまいたい。
京子がアパートから出て行ってしまったら、俺に残された希望は無い。だから京子がアパートから居なくなった時に、俺は自分を殺そう。

アパートに帰ってきた時、京子の姿はなかった。一瞬もうアパートから出て行ってしまったのだろうかと考えたが、そんな急に姿をくらます事はないだろうと思い直した。
とりあえず、帰ってきてもすることがなかった。パソコンでも起動させて、ひぐらしのなく頃にのミニゲーム、お散歩梨花ちゃんでもやるかなと思ったが、やはりそんな気にはならない。
酒でも飲んで憂いを晴らそうと思い、いつものコンビニに行く事にした。
コンビニには客がいなくて、静かなものだった。このコンビニって客が少ないのによく潰れないなと思った瞬間、名案が浮かんできた。
このコンビニでバイトをすればいいんだ。何もいきなり就職なんてしなくて、暇そうな職場でバイトをしてから、段々と経験を積み重ね、そして就職すればいいんだ。そう思い、とりあえず明日あたりに面接でもしようかと思い。履歴書を買う事にした。そして、快楽天と、ペンキングラブ山賊版と、複数のカクテルを買おうとレジに向かった。
ちなみに、快楽天と、ペンキングラブ山賊版はエロ漫画雑誌である。買うのは恥ずかしいけれど、これくらいの商品を買う度胸がなければ、これから先、生き残れないだろう。
レジには人が居なくて、普通より小さめの声で、すいませんと店員を呼んでみた。
店員はすぐに来たが、意外な人物であった。
「すいません、お待たせしてしまって、って高次さんじゃないの」
店員は京子だった。何でここで働いているのか疑問に思って聞いてみた。
「京子、何でここで働いているんだ」
「求人募集でこのコンビニでアルバイトを募集していたからよ」
「そうなんだ、所で後何人ぐらい、求人を引き受けているんだ」
「もう求人募集してないわよ、一人しか募集していなかったみたいだから」
何てこった。先を越された。ここでバイトしようというプランがいきなり崩れた。
「とりあえず、今はバイト中だから、あまり話さないで、後で話しましょう」
京子は品物を見て少しだけこちらを見た気がする。軽蔑のまなざしで。おそらく、快楽天とペンギンクラブ海賊版を購入したからであろう。
「ありがとうございました」
店を出る時に京子が定型の言葉を言った。なんとなく、嫌味に聞こえたのは俺の気のせいであるのだろうか。

俺はアパートに帰り、まず、死後の世界について、インターネットで調べてみた。死後の世界があるかどうかも分からないが、とりあえず、あると仮定して、死後の世界がどういうものか調べてみた。
三十分くらいが経った時、ようやく自分のしている事の虚しさが、込み上げてきた。俺は心の底から死にたいと思っているのだろうか? もし思っているのなら、とっくに自殺しているはずだ。俺はただ単に、生きたくないだけかも知れない。
生きている事の素晴らしさを説いている人間はいるが、本当に生きることの素晴らしさを理解して説いているのか疑問に思う。俺からしてみれば、生きることの素晴らしさを説いている人間が滑稽にしか見えない。
俺は生きたくはないが、死ぬ勇気を持たない人間だ。
生きる気力さえ出ない。そんな人間にとってのオアシスは、アルコールで酔うという事でしかない。酔えば、憂いも晴れて、気分が高まり、現実を一時的に忘れさせてくれる。
俺は買ってきたカクテルを、三本飲んで、酔いの快楽を味わっていた。ずっと酔ったままでいられれば、世の中は天国なのに、と思いながら世界について考えた。
世界というのは、何処まで行っても自分の主観から逃れられない。つまり自分自身が世界を認識して、世の中がつまらないと考えるのも自分の主観であり、客観的に物事を見られないし考えられない存在である。そして、客観的に考えているという人も、そう思い込んでいるだけである。自分という存在を通して客観的に考えているのだから、所詮は主観にしか過ぎない。人間というのは主観から逃れられない。脳みそという牢獄の中で生きているだけの存在である。
等と、自分でも意味不明な考えが次々と湧いてくる。
アルコールも、自分の思考を変えてしまう様な作用があるから、麻薬と同じである。しかし、もしアルコール飲料が、販売禁止になったら、世の中は上手く循環していかなくなるだろう。

俺が酔いつぶれそうになった時に、京子は帰ってきた。
「ただいま、って何その缶の量は。高次さんどれぐらい飲んだの?」
京子が何か言っているが、俺は何も答えたくなかった。ただ、このまどろみをもっと味わっていたかった。
「高次さん、聞こえている? それとも死んじゃったの?」
ああ、このまま死ねればいいのに、そんなことを考えていた。
「高次さん、酔いすぎて気持ちが悪いなら、右手を上げて、ただ単に、酔いつぶれているだけなら、左手を上げて」
京子が何を言っているのか分からなかった。だから俺は何もしないで、心地よいまどろみの感覚を味わっていた。
「もし次の事に反応がなかったら、救急車呼ぶから」
もう、京子が何を言っているか全然分からなかった。このまま寝てしまおう。
次の瞬間、俺の腹に強烈な打撃が加えられた。一瞬何事かと思った。
「京子何をしているんだ」
「見ればわかるでしょ、ジャンプして高次さんの腹の上に乗っかたのよ」
急な攻撃に、俺はまどろんだ状態から一気に覚醒した。
「京子、どうしてそんな事をしたんだ」
「それより、大丈夫なの、こんなに酒を飲んで。急性アルコール中毒にでもなって、苦しんでいるんじゃないかと思ったの」
「そんな事をしたら、急性アルコール中毒の人は死んでしまうだろ。俺はまどろんだ感覚を楽しんでいただけだ」
「そうなんだ、高次さんが苦しんでいると思ったから、心配したけど、大丈夫みたいね」
謝罪をして欲しいが、今はもう腹の痛みも治まり、眠くなってしまった。だから一言だけしか言えなかった。
「もう寝るから、今度は腹の上にジャンプして乗っかるなよ」
そして俺は眠りについた。

起きた時、少々の頭痛とだるさがあった。
昨日、寝る前に何をしたのかが思い出せない。起きたばかりで少し頭の回転が鈍っているせいなのか、それとも何か別の要因があるのだろうか。
しばらく、昨日の出来事を回想してみた。
たしか、昨日俺は、明智光秀に裏切られた、織田信長のように、絶望した心理状態に陥っていた記憶がある。それから、何があったんだろう。もう少しで思い出せそうな気がする。
何気なく部屋の周りを見た。京子の姿がないことに気がついた。京子の奴はこんな朝から何処にいったのだろう。
テーブルの上に置き手紙が置いてあった。おそらく京子が書いたものだろう。
手紙にはこう書いてあった。
『コンビニ以外のバイトがあるので、出かけてきます』との内容であった。
コンビニ? バイト? 
少しだけ何の事だか分からなかったが、昨日の記憶が呼び覚まされて理解した。
そう、昨日俺は就職先を探しにハローワークに行ったが、結局就職先を見つけないで、アパートに戻ったんだ。そしてコンビニに行き、コンビニでバイトすればいいじゃないかという名案が浮かんだが、京子がコンビニのバイトをしていて、快楽天やらなんやらと、エロ本を買う姿見られてしまって……えっと……それからどうしたんだっけ。この先が思い出せない。
再び部屋をよく見てみた。そしたらカクテルの缶が大量に転がっていた。京子の奴が飲んだのだろうか? 
やはりその先は思い出せない。
だが、コンビニでバイトするというのは我ながら結構な名案だな。京子でさえ、バイトに採用されたんだ。俺も面接を受けてみようか。運が良ければ京子と一緒に働く事ができる。まさに一石二鳥な考えだ。でも働きたくはないという気持ちがある。
いや、思い出した。昨日京子に聞いたら、求人募集は既にしていないと言ってた。
しかし、置き手紙の内容が気になる。コンビニ以外のバイトがあるという事は、少なくとも、京子はバイトの面接で、二回採用されたんだ。
俺はバイトなどの経験がないので、採用された翌日から既に働く事になるのか分からないが、京子が昨日コンビニで働いていた事は確かだ。
俺は中学生よりも劣っているという事だ。
京子の行動力の速さは分かっていたつもりだが、ここの部屋の家賃を半分払うという宣言をしてから、あまり日にちが経たない内に、バイトを始めるとは考えもしなかった。
京子の奴は本気でここの家賃を半分払うつもりなのだろう。しかも親の金じゃなく自分の稼いだ金で。
その時点で、もう俺よりも優れた人間だと、俺は思う。
はっきり言って俺は一生働きたくないと考えている人間だ。京子との出会いがなければ、未だに、昼に行動もできない人間だったかもしれない。
昨日、ハローワークに行ったのも、就職して自立した一人の大人になろうという思いより、京子ともっと居たいという不純な動機からだった。しかも何もせずに、ハローワークから出て行き、それから街に赴き、街で一人黄昏れて、アパートに帰りコンビニに寄って……。それからどうしたかは分からないが、とにかく絶望した記憶がある。
はっきし言って、俺は中学生の身である京子以下の存在という事はわかった。
働かなくては生きていけない、しかし働きたくない。故に生きたくない。なのに死ぬ事さえできない臆病者である。
そんな俺はこの先どうやって生きていけばいいのか。
もう、生きることに疲れてしまった。働いてもいないのに、人生に疲れるという軟弱ものだ。この先、生きていけないかもしれない。
もうどうにでもなれ、流れに逆らわないで、流れるままに生きていき、そして流れるままに死んでいこう。
そう悟った。

京子が帰ってきてすぐに話かけた。
「京子、俺は悟ったよ。俺みたいに一度社会の波に乗れなくなった人間は、社会復帰までの時間は掛かるし、実際社会復帰するような人間は一割くらいだという事を」
「そう……それが高次さんの導き出した答えなのね」
「ああ、そうだ。だから俺は働く事はしないで、ただ堕落的に生きていくことにするよ」
「わかったわ。じゃあもう高次さんは一生働かないという事ね」
「もう働くとか、働かない、という問題じゃなくて、人生を歩む事に疲れたんだ。本当は今すぐ死にたいけど死ぬ勇気もないんだ」
そう言い終えると、京子は少しだけ考える仕草をして、苦々しい顔で喋りだした。
「私からの最後の慈悲を与えてあげるわ。パルギンを15錠あげるから、パルギン15錠飲んで、意識が朦朧となったら、左手首を剃刀で切って、そして、血が凝固しないように水の中に手首を入れて、死になさい」
俺はその提案が素晴らしいと感じた。そしてその提案を受け入れた。
「それはいいね、苦しまずに死ねそうだ。パルギン15錠を今すぐにくれ。そして京子はここから出て行ってくれ。痴情のもつれの末に自殺したなんて思われたら、京子も嫌だろ」
そして、京子は少し感覚を開けてから答えた。
「そうね、私が自殺に追い込んだと思われるのは好ましくないから、すぐに出て行くわ」
「ああ、これは俺の意志で自殺するんだ。京子は関係ない。だから気にする事はない」
そして、京子は20錠パルギンを置いて、最後の言葉を言った。
「5錠はサービスよ。さよなら高次さん」
そういって京子は出て行った。

何故、俺は生まれてしまったんだろう。生まれなければこんな苦しみもなかったのに……
生まれなければ良かったんだ。
そう生はあらゆる事の苦しみを与えるだけで、それ以外は生み出さない。
そして、生の対極にある死は、生の苦しみから解放してくれる。唯一の救済であるんだ。
俺は風呂場にお湯を入れた。京子が言った通りに血が凝固しないための液体として。
そして、俺はパルギンを15錠飲んだ。残りの五錠はパルギンの効果が少ないと感じたら、飲めばいい。
そして剃刀を洗面所から取った。この剃刀は髭剃りとして買ったが、あまり髭をそらなかった。まさか人生の最後を締めくくるための道具になるとは考えなかった。
パルギンを飲んでから三十分が経過した時には、もう頭が朦朧としていた。これでようやく人生の苦しみから逃れられる。後は風呂場で左手首を剃刀で切って、切った手首を湯船に入れるだけだ。
さようなら、この腐りきった現実と、腐りきった俺。
辞世の句を心の中で唱えて、俺は手首を綺麗に切った。
躊躇い線なんて無しに綺麗に深いところまで切れた。おそらくパルギンで頭が朦朧としているから、恐怖心がなかったのだろう。
さよなら、俺の人生。
                    BADEND 





EPILOGUE

私は知っている。この世界に希望がある事を。
 私は理解している。この世界に希望の倍以上、絶望が存在していると。
                      
「高次さんしっかりして、本当に自殺するほど悩んでいるとは思わなかったのよ。いつもみたいに冗談だと思っていたのに。高次さんごめんなさい。軽い気持ちで自殺の後おしをさせて、今救急車を呼んだから、それまでがんばって」
薄れた意識の中で、京子の声が聞こえる。
おそらく幻聴だろう。
今俺は、あの世に向かう途中であり。最後に誰かが京子の声を聞かせているだけだろう。その誰かとは、俺の潜在意識だろう。最後に京子の声が聞きたいと思っている、自分が作り出した架空の声に違いない。

俺の意識はどんどんと、暗いトンネルを通っていき、そしてトンネルの先に今まで見た、どの光よりも輝いている光が見えた。その光は眩しいとは思わないで、直視できる光であった。その光の先を抜け出た時、俺は花畑のような所にいた。そしてその花畑にいる時俺は、今まで感じたことのない幸福感に満たされていた。
この感覚は、なんだろう、この花はケシの花で、この花が出している花粉が俺を気持ちよくさせているのだろうか? これは、夢ではないな、こんなに明確な意識をもったまま見るような夢は今までなかった。俺はずっとここに留まりたい気分であった。
これは、俗に言う臨死体験なのか? ならば俺はここから更に先に行き、次は黄泉の国に行く事になるだろう。
自殺したのだから俺は地獄とやらに行くのだろうか? 
ここでの意識はなくなりかけた、段々と眠くなっていく感覚があり、この安住の地から離れる時が来たようだ。
最後に、どんな薬を使用した時よりも、気持ちいい体験が出来て俺は満足だった。

俺が次に目にした光景は、白い場所あり、自分は白いベットで寝かせられていた。
ここがあの世という場所か、想像していたのと違い、まるで病院の一室であるように思える。
とりあえず、インターネットで調べた通りなら、ガイドと呼ばれるあの世の案内人が現れるはずだ。しばらく待っていよう。
しかし、いくら経ってもガイドというのは現れないでいる。そして俺の左手首には包帯が巻かれていて、右手には点滴が繋がっている。そしてすぐ傍に、ナースコールと思われるボタンがあった。まるで病院を忠実に再現してあるようだ。
まあ、いくら鈍い俺でもさすがに気づいた。ここはあの世ではなくて、病院であるという事に。
どうやら俺は生き残ってしまったようだ。
外は暗いので、夜である事はわかった。しかし正確な時間が分からない。携帯で確認しようと思ったが、携帯電話がない事に気がついた。よく自分の服を見てみると、入院患者が着ている様な衣服を俺は着ていた。
とりあえず、ナースコールでも押してみるかと思った。このまま、眠りに就こうと思ったが、今まで寝て(意識不明?)いたので、眠れなかった。
ナースコールを押したら、すぐに誰かが来た。おそらく看護師なのだろう。そして、看護師は俺が目を覚めている所を見て、すぐに何処かに行った。
そして、医者らしい人間を連れて来た。
医者は俺に対して質問をした。
「自分の名前と、今何処にいるかわかりますか」
その質問に俺は素直に答えた。
「名前は真下高次で、今居る場所はたぶん病院だと思います」
それから医者は指を二本立てて、また質問してきた。
「今、何本の指を立てているかわかりますか」
「二本です。どうみても二本です」
そういったら医者はしばらく黙り込んだ。
今さっきの質問は何だったのだろう。まあ、そんな些細な事なんてどうでもいい。俺は、死にかけて、結局死ぬ事が出来なかったのだ。

「意識は正常のようだ、家族の人に連絡をしてくれ」
医者は、看護士にそう言った。そして看護士が居なくなり、医者と二人きりになった。
「どうして自殺しようと思ったんだ。そんな事をしたら妹さんを悲しませるし、自分自身にとってもいい事はないぞ」
医者が何か説いているが、俺は相槌を打たないで、聞き流していた。
そして、医者が長い説教をしている間に、俺の家族が来て母親が口を開いた。
「どうして自殺しようとしたの? 命を粗末にしてはいけないって習わなかった」
「なんで、こんな夜にすぐにここに来られたんだ」
俺は質問の矛先を変えた。
「私達心配していたのよ。だから今まで意識が戻らない時も、眠れないでいたの」
俺は母親以外の家族に目を向けた。親父はただ黙っている。兄貴は関心がなさそうな顔をしている。妹も何も言わない。ただ母親だけが俺に対して何か言っているだけだった。
「お母さん、何で俺を生んだんだ。生まれなければ俺は、生への苦しみを味あう事がなかったのに」
その質問に親父が答えた。
「甘ったれた事言ってんじゃねーぞ! 生への苦しみとか、そんな事を考えているなら、自分で人生を楽しくしてみる努力をしろ。お前は子供より劣った人間だ。生への苦しみばかり考えて、人生を楽しいものに切り開いていかない。どうしようもない人間だ。生にも楽しい事がある。それを見つけろ」
ドスの効いた声で親父は語った。生にも楽しみがあるという事を。
そういえば、京子はどうしたんだろう、意識が完全に覚醒して、初めて京子のことについて考えた。
「所で、誰が救急車を呼んだんですか?」
その質問に医者は答えた。
「二十歳前後の女性が、救急車を呼び、救急車の中でずっと付き添っていたよ」
二十歳前後の女性はおそらく京子だろう。何も言わなければ中学生には見えない容姿をしているから。
「その女性は今何処にいるのですか?」
医者は難しい顔をして答えた。
「付き添いの女性は一旦帰りますと言ったきり、それ以降は病院に来てはいないんだ。その女性と君はどういう関係だったんだい」
その質問に答える気がなかったので、一言だけ言った。
「禁則事項だ」

次の日に、病院から簡単な検査を受けて、正常だと診断されて、退院する事が出来た。あっさりと退院出来たので、少し拍子抜けだった。しかし検査の結果を言う時に、医者は一言だけ言っていた。『自殺なんていう手段で、安易に命を落とさないで、一生懸命に生きろ。世の中には生きたくても、生きられない人間が大勢いるんだ。命を粗末にする事だけはやめなさい』等と綺麗ごとを言っていたが、そんな言葉を何十回言ったとしても、俺の心には届かないし、今自殺しようとしている人間なんかにも届かない言葉だろう。
生きている事にまったくの意味がわからない。苦しんでまで生きることに何の意味があるのか。そんな事の答えなどないし、例え答えを知っていたとしても、答えを知っている本人が、そう思い込んでいるだけで、他の人にとってはその答えは違っている。
結局、人間が生きている意味や答えなどには、万人の答えなどは無いという事だ。

昔書いた小説だからって、評価に甘えようとしません。厳しい意見お願いします

二幕ニートAFTER

生まれた意味などは自分で決めるべきである。
何かをする為に生まれてきたのだと定義するのは自分自身であり、何を成し遂げるのかを決めるのも自分自身である。
生まれてきた意味や理由など無いと定義するのも自分自身である。
人生とは何か? という疑問に答えを出すのは他人ではなく、自分自身である。
                     by山下あつし

俺は退院した後、アパートではなくて自宅に戻された。またいつ自殺するかわからないからと、親は言っていたが、多分アパートの家賃を払う金が惜しいのだろう。そう勝手に解釈した。
そして、自宅に戻って自分の部屋を見たとき驚愕した。漫画本やら、パソコンのmp3から、焼きまわしていたCDが全部なくなっていたからだ。
思い出の漫画、北斗の拳、賭博黙示録カイジ、エンブレムTAK2、みなみの帝王、殺し屋イチ、覗き屋、カメレオン、GTO、MONSTE、ぱにぽに、苺ましまろ、ネギま!、NHKにようこそ、ARIA、ローゼンメイデン、メガストア、メガストアH、エンジェルクラブ、桃姫、などという俺が買った漫画が全てなくなっていた。
その件について、親と話したら、どうせ帰ってこないと思ったから五百円で売ったとか言う。しかも、俺の部屋は、いつの間にか妹の部屋になっていた。やけにぬいぐるみとか置いてあり、ベッドのカバーがピンク色になっているわけだ。まあ気にしないで置こう。
「お母さん、俺は何処で寝ればいいのですか」
ひさしぶりなので、敬語を使って喋っていた。
「お兄ちゃんの部屋を使えばいいじゃない。あの部屋はもう誰もつかっていないから」
「兄貴のやつ、遂に刑務所にいれられたのか」
「そんなわけないでしょ、あんたが眼を覚ました時にいたじゃない」
確かに俺が病院で眼を覚ました時にはいたような記憶がある。
「じゃあ、兄貴の奴は今何処で暮らしているんだ。女の部屋にでもいるのか」
「お兄ちゃんは、国立の大学で勉強しているわよ、だから大学の近くにあるアパートで暮らしているよ」
そんな馬鹿な、あの兄貴が大学に入学しただと、しかも国立の大学に入学しただと、そんな事はありえない。兄貴の奴は、木刀を常に持ち歩いて、暇な時には木刀で素振りなどをしていた男だ。そしてあの有名な暴走族、円ジェル・亜・羅モードに喧嘩を売って、壊滅させた男だったはずなのに。
これは、漫画とかそういう話ではなくて、本当の話である。兄貴は普段から寡黙だったが、妙な威圧感があり、近寄りがたい雰囲気があった。そして筋トレを一日に必ずする人間で、腕立てとかは、休む事無く連続で300回するような人間だ。そんな兄貴が国立大学に入学するなんて、とても想像できない。
しかし、あの兄貴なら本当に入学は容易く出来るだろう。問題は持続して通っているかだ。
「あんたが何もしないうちに、みんな先に進んでいるんだよ。あんたも少しは何か有益になる事でもしなさい」

兄貴の部屋は、俺とは違い、元の部屋であった。何かをゴミに出したという形跡がない。それどころか、兄貴の部屋は俺が見たときより、置いてある物等が増えている気がした。
この扱いの差は何だ。俺の部屋は片付けた癖に、兄貴の部屋は片付けないなんて。理不尽だろ。どう考えても。
俺はふと思い立ち、兄貴の木刀を持って、外に出た。そして素振りをしてみた。しかし、兄貴のように華麗に振舞えなかった。木刀とは結構重いものだな。金属バットより二倍重いと感じられる。そんな木刀を華麗に振舞える兄貴は凄い人であると思った。
俺は部屋に戻り、何をするか考えた。
そういえば、パソコンは何処にあるのだろうか。母親に聞いてみよう。
「粗大ゴミとして出してしまったよ。アーコが邪魔だといって、それで捨てたんだよ」
あのパソコンにも思い出がいっぱい詰まっていたのに、捨てるとは酷いものだ。ちなみに、アーコというのは妹のあだ名であり。妹の本当の名前を聞いたものは死ぬらしい。
まるで、戯言シリーズのいーちゃんみたいな設定である。
しかし、本名を知った人間が死ぬなんて事は無い。実際に俺は本名を知っているし。

自宅に帰ってきたが、何もやる事がない。何かをしようという意志も薄れているが、やる気が出ない根源は京子がいなくなったからだろう。たぶん。
今まで当たり前のようにいた少女の存在が、いなくなってどれほど大きい存在であるかがわかった。あの後、アパートの大家に問い合わせてみたが、俺が住んでいた部屋は空き部屋になっているらしい。つまり京子はもうそこにはいないということだろう。
京子は実家に帰ったのだろうか、それとも何処か別のところに行ったのか、それがわからない。この心の喪失感は京子がいなくなったから感じているのだろうか。

それにしても、暇すぎる、パソコンは兄貴の奴が持っていたから、パソコンの電源を入れれば出来るだろ。ちなみにアパートにあったパソコンも粗大ゴミに出されたらしい。俺の親は俺の事を良く思っていないのだろうか。
まあ良くは思っていないだろう。アパートでひとり暮らしを始めたのは親の顔がみたくないし、説教が聞きたくないという動機だったから。
親の方も、そんなに説教が聞きたくないなら出て行けと言ったが、俺は本気で一人暮らしを始める気はなかった。なぜなら、一人暮らしをするのは相当な金が必要だと分かっていたからだ。
しかし、親の方から金を出しくれたから、家から出て一人暮らしを始めることにしたんだ。
おそらく親は、俺の顔を見ることにうんざりしていたのだろう。そして俺が一人暮らしを始めれば、バイトか何かをすると見込んでいたのだろう。
その予想を裏切り俺は働かずに、ずっとアパートの自分の部屋に閉じこもっていたわけだが。
俺はとりあえず、妹の顔を見に行く事にした。妹がどれだけ発育したか見に行くためだ。おそらく妹も俺みたいなお兄ちゃんが家族である事が恥ずかしいと思っているだろう。おそらく向こうの方から来る事はない。だから俺自らの足で妹の部屋まで行った。
妹はいなかった。部屋に居ないとすれば居間か、客室の何処かにいるはずだと思い探そうとしたが、俺はある事に気がついた。今日が平日であるという事を。
普段から毎日が日曜日の俺だったから気がつかなかったが、平日というものがあるという事に気がついた。
つまり家には俺しかいないという訳だ。親父はもちろん会社に行っているし、母親もパートの仕事をしているらしい。妹は何処の学校だかわからないが、とりあえず、学校に行っているだろう。
つまり、今の時間、この家の主は俺という事になる。
しかし、そんな事はただ虚しいだけだ。俺だけが何もしない屑人間である証明なのだから。
とりあえず、俺は、元俺の部屋兼現在妹の部屋に行く事にした。これはいやらしい行為ではなくて純粋に、自分の部屋がどう変わったか見るためだ。そしてついでに妹のブラジャーのサイズをみて、どれくらい成長したのかを見るだけだ。

妹の部屋を探索して、色々な事がわかった。胸は大きいほうで、下着は結構大胆である。黒のガーターベルトを見た時は俺の頭の中に淫乱な妄想が駆け巡った。
おそらく、妹は処女ではないだろう。そう推理した。
あと妹の部屋には、801系の本がなくて少し安心した。携帯小説も持っていなくて、極ありふれた物ばかりが置いてあるだけだった。スプーの事は無視しよう。
俺は妹の部屋から出た。と同時に驚いた。妹が部屋の前に立っていたのである。
「アーコ、学校に行かなかったのか」
「高兄こそ、私の部屋で何をしていたの」
久しぶりに見るアーコはかなり大人びてた。病院でも意識が戻った時に一瞬顔をみたが、その時は暗くて分からなかった。三年という月日が、これほどまで人を変えてしまうのか。
「ここは元俺の部屋だから、俺にとって何か思い出になっているような物がないか、探していたんだ」
「そうなんだ、高兄の思い出の物って私の下着だったのね」
しまった。何かの役に立つと思い、下着を一枚ポケットに入れていたのがばれたみたいだ。というよりポケットから思いっきりはみ出している。黒のガーターベルトが。
「別に下着の一つ盗んでも別にいいけど、この事をお母さんやお父さんに話したら、多分勘当させられると思うけど。その後イチ兄が木刀で殴りに来るかもしれないよ」
それは困る、勘当されるのも嫌だが、兄貴が木刀で襲ってきたら、死んでしまう確率がある。
俺は冷静を装って別の話題に降ることにした。
「アーコって何処の学校に通っているんだ。そして今日は何でこんなに早く帰ってきたんだ」
「別に学校の事なんて言わなくっていいじゃないの。今日は学校サボって友達と遊んでいたの」
あの真面目なアーコが学校をサボるなんて、やはり三年という月日は人を外見だけでなく、内面も変えてしまうものなのか。
「そうか、じゃあお兄ちゃんは自分の部屋に行ってパソコンでもするよ」
「わかった。私もお母さんが帰ってきたら下着の事について話すから」
「それだけは止めてくれ、兄貴が万が一、木刀を持って襲ってきたら、俺は死ぬことになる」
「大丈夫だよ、イチ兄はもう木刀を封印したから」
そんな事では安心できない。でも国立大学に入ったという事は、少しは温厚な人間になっているかもしれない。
「イチ兄は今、国立大学に通いながら、ボクシングジムで体を鍛えているから、もし襲うとしても、木刀では無くて拳で襲うと思うから」
あの、化け物がボクシングを習い始めただと、それこそ俺にとっては死亡フラグではないか。
「アーコ、頼むから今日の事は忘れてくれ。お前が学校をサボった事は言わないから」
「言っとくけど、家族全員が私が学校をずる休みしていることを知ってるよ」
なんてこった。一度は死亡フラグを乗り越えたのに、また死亡フラグが立つとは、俺の人生オワタ。
「でも、ある事を教えてくれたら、この件は誰にも言わないよ」
「ある事をって何だ。俺が答えられる範囲なら答えてやる。ちなみに二次方程式とか一次方程式などは、もう忘れちゃったから答えられないけれどな」
そう、全ての物は時とともに忘却していく物なんだ。決して俺が馬鹿で、二次方程式が分からないんじゃない。そう、時の彼方に記憶を置いていっただけだ。俺は馬鹿ではないんだ。
「それで教えて欲しいんだけど、高兄に付き添っていた二十歳くらいの女性ってだれなの。高兄とはどんな関係なの?」
「その情報は国家機密よりも重要なものなので、タダでは教えてあげられません」
京子は今何処で何をしてますか、この空の続く場所にいますか。という歌を心の中で歌った。しかしこいつに京子の事を話したくはない。そういう考えがあったので、言わないようにしよう。
「今日は家族会議だね。帰って間もないうちに妹を襲う何てことをしたから」
「お前、何でそんな悪質で無残な嘘をつくんだ。もし話すとしたら、本当の事を喋べれよ」
あの可愛い妹は何処に行ったのやら、今では生意気な小娘になっていやがる。本当に襲ってやろうかと一瞬思った。
「わかった、本当の事を話すよ。妹の下着を盗もうとしたって言うよ。明日イチ兄も呼んで、歪んだ考えを矯正してもらうから」
兄貴が来たら、俺は殺される。運が良ければ病院に一年くらい入院する程度ですむが、今の兄貴はボクシングをしているようなので、98・999999パーセント殺される可能性がある。
「わかった、話すよ。その女性はお隣さんで、たまたま晩飯が余ったので俺の部屋に着たんだろう。そして不信に思い部屋に上がって俺を発見したのだろう」
 俺はこれまでにない、華麗な嘘をついた。この嘘は並大抵の人間にはばれないだろう。
「あいかわらず嘘をつくのが下手だね、高兄ちゃん。右となりは空室で左となりは男性の部屋だよ。それに仮に、隣の人が女性だったとしても、風呂場までは覗かないと思うよ」
 アーコの奴は意外と鋭い奴である事を忘れていた。しかたないから本当の事を話すか。家族会議でも開かれたら、困るし、兄貴に殺されたくないから。
「実はその女性とは同棲するほどの仲だったんだ。そしてその女性がアパートから出て行くって言って、絶望に暮れた俺は、衝動的に自殺をしてしまったんだ。そしてしばらくしたら、その女性は帰ってきて、それで浴室を調べて俺を発見して救急車を呼んだらしい」
「嘘をつくのがもっと下手になったね。イチ兄が女の人と同棲しているっていうなら信じるけど、高兄が女の人と同棲するなんて考えられない。冨樫先生は急病のため次回はお休みしますとか、取材のため休載します。とかいうのと同じくらい信じられない。早くハンターハンターを終わりにしろよって言いたい」
途中から俺に関する事とは違う気がしていた。
「でも、信じる事にするよ。高兄は性格さえ直せば、結構女の人にもてそうだから。多分、女の人がアパートから出て行ったのも、高兄の性格に気がついて、そして高兄がアブノーマルな性的欲求を強制したから出て行ったんだね。そしてアパートに帰ってきたのも、大事な物を忘れていって、それを取りに高兄の部屋に戻ってきて、その時に、風呂場で自殺していた高兄を見つけたんだね。それなら納得が出来る」
アーコは勝手に解釈して、勝手に自己解決してしまったようだ。

その後、アーコはまた外に出かけたらしく、俺はまた家で一人になってしまった。アパートの時は一人でいるのは苦痛ではなく、むしろ心が休まったが、家では心が休まらない。しかし、家に戻ったから一人になる事が苦痛に思うのではなく、あのちょっとお茶目で本気か冗談かわからない事を言って、そして、毎日を共有していた存在が居なくなった為だろう。
もう一度京子に会いたいが、何処に居るのかさえわからない。これ以上京子のことを考えると、辛い気持ちが募っていく。もう京子の事は考えないでおこう。そうする事が俺にとって最善となるのだから。

俺は、元俺の部屋兼現アーコの部屋を後にした。もう一度部屋を調べているところが発見されたら、俺は殺されるだろう。
元兄貴の部屋兼現俺の部屋を探索してみる事にした。
一通り部屋の中を見たが、特に変ったところはなかった。ただ単に置物が増えただけで、面白い物は発見できなかった。木刀の先端が赤茶色になっているが、気にしない事にしよう。
俺はこれからどうやって生きていけばいいんだ。おそらくこの家を再び出たら、今度は仕送り無しの生活になるだろう。ということは、俺はこの家から一生でないで生涯を終える事になる。
そんな人生もいいかもしれないと思っている自分がいたが、そういう考えが間違っている。俺は人生で成しとけた事なんて一つもない。もし俺がここの家にずっといて、何もせずに一生を終わらせたら、『俺の人生の意味はなんだったんだ!』と悲願暮れて叫ぶ事になる。しかし人間に生の意味があるのかが分からない。本当は人の生に意味はなく、それでも無理やりに、生きている事に意味を見出して、自分でもはっきりとしない漠然な思いを持って生きていくのだろうか。

久々に家族で食事を取った。そこで俺は何故兄貴が国立大学に入学したのかを、両親に聞いてみた。
「なんか、世界を楽園に変える薬を作りたいとか言ってたわ」
「癌を完全に撲滅させるような薬の事かな。俺はあいつの事は分からないから、何にも言えないが」
なるほど、兄貴の考えが俺には理解できた。あの野朗はリスクの少ない覚醒剤か麻薬を作ろうとしているんだ。
前に兄貴の部屋に潜入した時、脱法ドラッグが一杯在った事を俺は思い出した。
そして俺自身も快楽を欲求していたので、薬を一つ持ち出してインターネットで調べてみた記憶がある。
今でもあの薬の名前は思い出せる。5―Meo―DIPTと呼ばれる薬物で、その薬は快感を与えてくれる薬とインターネットには書かれていた。それから俺は何とか同じような薬を手に入れたいと思い、東京まで足を運んだんだ。
本当は兄貴の部屋から薬を持ち出したかった。その方が楽だからである。だが兄貴は大胆な性格を持ちながら、その半面、几帳面な性格を持ち合わせている矛盾した人間だったので、薬が減ってる事にすぐに気がついたみたいだった。何度も俺に対して、部屋に入ってないだろうな。と言ってきたが、俺は部屋に入っていないと言い通した。そして兄貴が家に居ない時に、また部屋に侵入したが、前に薬があった場所に、薬がなくなっていた事がある。おそらく、兄貴の奴は知っていたんだろう。薬が一個足りないという事に、だから次は誰にも見つからないようにと、別の場所に隠したのだろう。
「ご馳走様」
俺はそれだけ言って部屋に戻った。
ここは元兄貴の部屋だから、探せば薬が見つかるんじゃないかという気持ちがあった。俺はもう人生に絶望しきっていたので、もし薬が見つかれば、その薬を躊躇うことなく飲む事が出来るだろう。
幸い俺の財布の中にパルギンがあったので、もしオーバードーズをしても、対策ができる。昔の俺はオーバードーズしてそれで自我が崩壊しそうになったが、パルギンと言う対策用の薬があるので、同じように苦しまなくても済むだろう。財布の中にパルギンがあったのは、おそらく自殺しようとした時に、財布に入れていたからあったのだろう。
そして、部屋の中を丹念に調べて二時間が経過した。結論を言えば、薬は無かった。おそらく薬などは全部使用したか、それとも誰かに高く売ったのだろう。
改めて思ったが、兄貴の部屋は本当に整理していないんだなと思った。昔に部屋の中にあったものが、今でも存在していて、昔なかった物が置いてある。それなのに俺の部屋は整理されているのはどういう事なんだ。これは差別だろ。どう考えても。明日あたりにアーコに聞いてみるか、どうして俺の部屋を整理したのかを。

次の日部屋の事をアーコに聞いてみた。そしたら納得のいく答えが返ってきた。
「高兄は立派な社会人になったから、もう高兄は家に帰ってくる事はないよ。だからアーコの好きなように部屋を自由に使っていいのよ。ってお母さんが言ったから、私色に部屋の中を変えたの」
「でも、なんで俺の思い出の品である数々の本を捨てたんだ。横暴ではないか」
「イチ兄が俺に全部よこせって言ってきたから、それで全部渡しちゃったのよ。さすがにイチ兄には逆らえないからね」
兄貴が俺の本や、その他のもろもろの物を、持っていったのか。いや、母に聞いたら、売ったと言っていた。つまり兄貴の奴は、俺のコレクションを五百円で買ったことになる。そして、兄貴が持っていったのなら納得するしかない。奴に逆らえる人間は、範馬勇次郎 くらいしか居ないからな。
おそらく、俺の数々の本や物とかは、後輩に無理やり売ったのだろう。その時の利益は、五百円の千倍だっただろう。

俺は兄貴の事について考えた。どうして同じ両親から生まれたのに、こんなに実力差があるのだろうか。
運動面からすでに違う存在だと思わされるし、性格的にも全然違う存在である。そして頭の良さがもっとも疑問に思われる。
俺は運動なんか人並みで、性格も親しい奴には外交的だが、親しくない奴には内向的に接していた。だから運動面や、社交性は劣っていると自覚していたが、頭の良さだけは勝っていると思っていた。しかし、そうではない事を、兄貴が中学三年の後半の時にわかった。
兄貴の成績は後ろから数えた方が速いというくらい悪かった。それで両親がある事を兄貴に提案した事がある。
もし、次のテストで10位以内になれば五万やる。という事を言ってきた。そしたら兄貴が、甘いな、その賭けを十倍プッシュしてもらう。もし俺が五位以内に入らなければ一生金の援助はしなくていい。だが五位以内に入れば五十万金を貰う。という事を赤木しげる的に言ってきた。
親父は笑いながらその提案を引き入れた。そして俺は兄貴の提案を聞いた時、ざわ……ざわ……、としか言えなかった。
そしてテストの結果が返ってきたとき、俺の視界はぐにゃりと歪んだ。
テストの結果は二位であったからである。
親父も驚いて、そんな……こんな事が在るわけが無いだろ……何か……そう……何かいかさまでもしたんだろ。そうでなければ納得が……いかない……!と呟いていた。
たぶん親父は俺以上に視界が歪んだはずだ。アーコと母は、ざわ……ざわ……としかいえないほど衝撃を受けていた。
そこで兄貴はもう一つ恐ろしい提案をした。
『さらに倍プッシュだ。もし俺がこの県内で一番倍率が高い進学高校に入学出来たら、100万貰う』と言ってきた。親父はその提案を受け入れた。そして条件を更に加えた。『わかった、その提案を受け入れよう。だが、もし入学できなかったら、五十万は払わない。そして、今後一切の金の援助はしない』
おそらく親父はこう思っていたんだろう。
テストの成績が良かったのは、一夜漬けみたいなものだろう。テスト範囲だけを勉強したから、成績が良かったに過ぎない。だが、高校の受験はそんな甘いものではないぞ。今までの中学一年からの問題がある。だから一夜漬け何てことをしても焼け石に水でしかない。今の内に調子をこいていろ。いざテストが始まった時お前は後悔する事になるからな。と。
しかし、結果は合格。俺はざわ……ざわ……としか言えなかった。親父は青ざめていた。そして兄貴の方はさらに驚愕な提案をした。
この学校でテストが十位以内なら、二百万貰う。そして十位以内に入らなければ、100万は支払わなくてもいい。金の援助も要らない。と
親父はその提案を受けなかった。もうお前が頭がいいのはわかった。だからここで手を打ってくれと。
その後、兄貴は百万を受け取った後に、高校を入学式の時に退学した。そして一年半家に戻らないで、旅に出て行ってしまった。
そして帰ってきた時に、もう一度高校に入学した。その高校は不良とかが大半を占めている学校で、社会のゴミ溜め場として有名な高校だった。
兄貴の頭の構造が知りたいと、俺は今でも心底思っている。

そして、退屈な日常を繰り返している。京子の事を考えると憂鬱な気持ちになるから考えないようにしている。もしあの時俺が自殺未遂なんてしなかったらと、考えた事もあるが、俺は自殺未遂をした世界を選んでしまったのだ。あるかどうか分からないが、別の平行世界では、未だに京子と一緒に暮らしている俺が居るのだろうか。
しかし、ただの人間である俺は世界を一つだけしか選択できない。別の平行世界と行ったり着たりは出来ないのだ。
だから、京子の事は忘れよう。そしてこれからの事を考えよう。それが今の俺に出来る最大の思考行動だから。

とりあえず、俺は小説を書くことにした。小説家といえば、ニートがなりたい職業ナンバー3に含まれている。そして俺は小説を書いてみたが、十三行目を書いた所で挫折した。
そして、改めて思った。小説を一つの作品に仕上げるという事の難しさに。
携帯小説でも一応ストーリーを纏めて、一つの本に仕上げているから、十一行で挫折した俺よりも、優れているという事に気がついた。
俺は十一行で挫折した作品でも一応捨てないで取っておく事にした。後でもう一度みれば、自分の中に、何かを表現したいと思う、漠然とした何かに気づくかもしれないから。
ちなみに、昔書いていた小説は机の中になかった。おそらく捨てられたのだろう。
まあ、自分でもどんな作品を書いたのだが思い出せないので、たいした事は書いてないと思うが、それでも、昔の作品を見る事で、自分の内面がどれくらい変ったか比較できたかもしれない。
しかし、その作品がないから比較はすることは出来ない。
また無の状態から小説を書き上げると思うと、憂鬱になる。だから俺は小説を書くことは辞める事にした。
家に帰ってきた当初は何も言わなかった両親も、日々無駄に過ごしている俺に、バイトでもしてみたらどうだ、とかもう一度勉強して専門学校に行って何か資格を取ってみなよ、とか言っていたが、どうやら俺がそういう意志を持っていないことを悟ると、再び、何も言わなくなった。
俺の人生は既に追い詰められている。もうどうしようもないのだろうか。
もう一度自殺でもしようかと思ったが、自殺する事が出来なかった。死に対する恐怖心ではなく。単純に、痛い思いをしたくなかったからである。
今考えてみると、一度目に自殺未遂をした時、臨死体験をしたのではないのかと思う。一度臨死体験をした人間は、死ぬ事に恐怖心を感じなくなると、どこかのサイトに乗っていた。そして、死に対する恐怖心がなくなるばかりではなく、生きたいという願望も生まれるらしい。
しかし、それは俺には当てはまらない。俺は仕方なく生きている。といった方が適切な表現である。
今の俺は生きる屍である。

ある晴れた日のこと、魔法以上に不愉快な気分が、限りなく続いた時、誰かから葉書が俺宛に届いたらしい。
名前などは記入していなく、住所だけが書かれていた。丁寧な事に番地まで書かれていた。
いったい誰がこんな葉書を送ってきたのだろう。真意が掴めなかった。とりあえず俺の旧友ではない事は確かだ。今まで俺宛に葉書など出して来た奴は森高だけだし、それに今さら旧友からの葉書きが来るわけがない。
俺はとりあえず捨てずに取っておいた。呪いの葉書の類などではないし、後になって見返してみれば、何かに気がつくかもしれないからだ。

俺は暇を持て余していた。しかし、遊ぶ相手もいない俺には、ゲームをして日々を無駄に消費するしかなかった。だが、そんな毎日にも飽きてきた俺は、森高に電話をする事にした。もし森高が携帯電話を新しく変えたのなら、電話は繋がらないだろう。もし繋がらなければ、それはそれでいいと思った。今森高と電話したところで、何も変らないだろう。だから、期待などしないで電話をしてみた。電話はすぐに繋がった。
「もしもし、森高か? 俺だ。真下高次だ。」
「あのー、すいません、森高って誰ですか。私、茂木(もぎ)という者ですか」
電話から出たのは、女の人だった。どうやら森高は、電話を新しく変えたらしい。唯一の親友だと思った森高からも、電話を変えたと言う事を俺に伝えなかったので、かなりショックを受けた。所詮友情とはこんな脆い物なのかと、そう思った。
「あのー、もしかして真下さんって、八千代高に通っていましたでしょうか?」
なんで俺の通っていた高校が分かっているのだろう。素直に疑問に思った。
「そうですけど、なんで俺の通っていた高校が解ったのですか」
「やっぱり、そうなんですね、私も八千代高に通っていました。同級生で真下さんって言う人がいたので、そうかと思って一様確認したのです」
はっきし言って、俺は茂木と言う人のことは覚えていない。
「そうですか、でも僕の方は失礼ながら、茂木という人は覚えていません」
「そうですよね、私は特に目立っている生徒ではなかったし、真下さんも、いつも本を読んでいたので、覚えていないのも当たり前ですよね」
「すいません、本当に覚えていないんです。あの頃は、高校を辞めたいと思っていたので、誰が誰だかわからないです」
そう正直に答えた。
「あの、もしよろしければ、今度会いませんか? 私も今は誰とも付き合っていないので、私真下さんに会いたいです。迷惑でしょうか?」
これなんてエロゲー、って俺は思った。都合が良すぎるだろう。森高に連絡したはずなのに、昔の同級生が電話に出るなんて、都合が良すぎるだろう。でも俺は茂木という人のことは覚えていない、たぶん美人ではないだろう。美少女だったら本を読む振りをして観察していたはずだからだ。もし美人だったら俺は切腹でもしてやるよ。亀田大毅かいう、口だけ達者な人間みたいにではなくて、本気と書いてマジで切腹する。
そして、一週間後にとある居酒屋で会う事を約束した。

そんなこんなで、遭うまでの一週間は、とりあえず、髪を切ったり、風呂に入ったり、着ていく服などを選んだりと、無駄な努力をした。たかが一週間で人は変われないものだが、外見だけは整えといた方がいいと考えたから。
俺は相手が美人だとか期待しないで、居酒屋に足を運んだ。
居酒屋に着いてみたが、茂木という人がどういう外見をしているのだが分からない。とりあえず電話をしてみた。そしたら、既に居酒屋に来ているらしく、何処にいるか聞いてみた。というより、携帯電話を持っていて話をしている人がいたので、その人物が茂木という人であると思った。肩口まである黒髪に、そして居酒屋に相応しくない服装をしている。かなり美人なので最初は、本当に茂木という女性だが、分からなかったが、勇気を出して声を掛けてみた。
「真下さん、ですね。昔の面影があるのですぐに分かりました」
どうやら、本当に茂木という女性である事が分かった。
美人だったら切腹するという約束は、反故にした。亀田も切腹しなかったので、別にいいだろう。それに切腹したらまた親に迷惑かけるだろうし、そんな馬鹿な行動はしない方がいいだろう。

「こうして真下さんと会えるなんて、奇跡です。前から話掛けたかったんですけど、近寄りがたい雰囲気を出していたので、学校では話掛けられませんでした。でもこうしてまた出会うなんて運命を感じてしまいます」
はっきりいって、俺のほうは全然覚えていない。こんなに美人なら覚えているはずだが、いくら記憶の底を探り出しても、思い出せない。
もしかしたら、詐欺師であり、高額で価値の無い物を俺に売りつける気かも知れない。だから、細心の注意を払っていこうと思った。
「茂木さんは今何をしているんですか?」
 そう言ってみた。詐欺師であれば少しは動揺するだろう。
「小さい中小企業に勤めています。深澤製薬という、多分ほとどの人が知らない、そういういう会社に勤めてます。真下さんは今何をしているんですか?」
何をしているのか聞かされ、俺のほうが動揺してしまった。ここは心の中で素数でも数えながら、冷静に嘘を吐く事にしよう。
「ゲームを作る会社に勤めているよ。シュミレーターエンジニアとして働いている。会社の名前はkeyっていう会社だ」
さらりと嘘を吐いたが、多分信用しないだろう。
「へー、ゲームを作る会社に勤めているんですか、凄いですね」
あっさりと信じてくれた。もっと人を疑ったほうがいいのに。
それに逆に信用されると、不安になってくる。もしかしたら、信じているふりをしながら、心の中では嘘と見抜いていて、笑っているかもしれないから。
頼んでいた、ビールが来ると茂木さんはビールを飲みだした。俺のほうは飲まなかった。車でこの近くに来て、そしてパーキングエリアに車を置いて、ここまで来たから。
最近は飲酒運転に対してうるさいから、一滴でも飲んだらアウトになるかもしれないし、少量でも飲んだら、もっと飲みたいという衝動に駆られるかもしれないからだ。
「真下さんは飲まないんですか?」
「本当は飲みたいんだけれど、ここまで来るのに車を使ったから、飲めないんだ。茂木さんはここまで来るのに何を使ったんですか?」
「徒歩です。この近くのアパートで暮らしているから、歩きでもこれる距離なんです」
だから、この居酒屋を指定したのか。

一時間くらい、話をしながら、俺はつまみ等を食い、茂木さんの言葉に耳を傾けていた。
最初の内は他愛のない話だったが、茂木さんは酔ってきたのか、会社の事で悩んでいる事とか、親が結婚したほうがいいっていう話をしてくるとか、元彼に振られて以来、一年以上彼氏がいないとか、聞いてもいないことを語りだした。そして俺はただ相槌を打っているだけで、何も話さなかった。
そうしている内に、茂木さんはテーブルの上に頭だけうつぶせになり、少し泣いていた。
「茂木さん、もう飲まない方がいいと思うんだけど、ここら辺で、お開きしないかい」
「そうね、そろそろお開きにしておきましょう」
そして、居酒屋に会計を済ませた俺達は、帰る事にした。もちろん会計は俺が払った。俺より茂木さんのほうが沢山頼んでいたが、男である俺が払うのが普通だと思ったからだ。
帰ろうとした時、茂木さんが、車に乗せてくれない? と言って来たので、パーキングエリアまで、支えながら茂木さんを連れて行った。支えている時に、胸があたっていたが、それ以上に、酒くさいので欲情はしなかった。

俺は茂木さんが言う通りの道を通った。そしてすぐに茂木さんの住んでいると思われる所に辿り着いた。
しかし、そこはアパートと呼べない、六階建てのマンションであった。一応茂木さんに確認したが、ここであっているらしい。
俺は茂木さんを降ろして、自分も帰ろうとしたら、茂木さんが、部屋の前まで送ってくれない。と言ったので、茂木さんと一緒にマンションに入る事にした。
最初は茂木さんは、酔っているから、階段から足を踏み外さないように、俺をマンションに入れたと思っていたが、エレベーターがあったので違うと気がついた。そして俺のエロゲー脳がある結論を導き出していた。
茂木さんは、俺のことが好きで、それで自分の部屋まで来て欲しいと思っている違いない。と勝手に考えていた。しかしそんな妄想は止めといた。現実はそんなに甘くはないという事を、俺は知っているからである。
茂木さんは、部屋の前まで来ると、鍵を取り出して、そしてドアを開けた。俺の役割はここまでだろう。とっとと帰る事にした。
「真下さん、良かったら部屋に上がってきて」
そう幻聴が聞こえたので、俺はすぐに帰る事にした、そして帰ったら寝ようと思った。
「こんな女の部屋に入るのは迷惑かな?」
これは、幻聴ではないと気がついたが、こんな展開になるなんて、まるで都合のいいエロマンガやエロゲーのように感じられた。
だってそうだろ、始めは森高に電話を掛けたのに、そしたら都合よく、昔の同級生に繋がって、そして居酒屋で飲もうという、超展開なんて起こって、しかも相手は美人で、マンションの部屋に上がってくれないなんて誘うなんて、架空の物語でしか存在しない都合のいい展開でしかないと思うのが普通だろ。

茂木さんの部屋はかなり散らかっていた。コンビニの弁当もあれば、お茶のペットボトルなどもあり、酒類の飲み物があっちこっちに散らかっていた。こんな部屋で暮らしているのか、人は外見によらないと証明できる位汚い部屋だった。
既に茂木さんは眠そうな顔をしていた。
「こことは別の場所に寝室があるから、そこに連れて行って」
「茂木さん、大丈夫なんですか。二日酔いで明日の業務に支障をきたす事になりますよ」
「平気、平気、どうせ私の事は誰も理解していないし、別に私がいなくても、代わりになってくれうひとさいぬかれ……」
茂木さんはろれつの回らない口調で答えていた。
「茂木さん、この近くにコンビニがありますか」
そう言ったが、既に茂木さんは眠ってしまったようだ。
どうすればいいのか途方に暮れた。もし今寝ているのが京子なら、抱きしめているけど、今日対面したばかりの相手にそんな事は出来なかった。
そして、俺は今、今日(高校の同級生?)会ったばかりの人のマンションの部屋を掃除していた。おそらく京子が掃除したのもこういう心理が働いたのだろうな。自分の部屋は汚くても気にならないが、他人の部屋が汚いと、何か凄く掃除をしてみたくなる。
部屋を掃除した後、俺はコンビニに行く事にした。確かここに来るまでに、コンビニが二件あったと記憶している。
とりあえず、マンションから出ようとしたが、ここでちょっとした疑問が湧きあがってきた。このマンションって関係者以外は出入り出来ないようにシステムされているのではないかと。
そう、最近は物騒な世の中になってきたので、セキュリティーも充実している。もしかしたら、一度このマンションから出たら関係者がいなければ、二度と入れないシステムになっているかもしれない。
とりあえず管理人さんに尋ねてみようと思った。そして管理人さんに連絡をとった。
「何だいこんな時間に、今寝ようとしてたのに起きてしまたよ」
年寄りの声が聞こえてきた。どうやら管理人さんは婆さんらしい。まあどうでもいい情報だけど。
「実はこのマンションのセキュリティーの事を聞きたいのですけれど」
「あんた、誰だい、茂木さんの部屋から電話をしているんだろ。確か茂木さんは女性だった気がするのだが」
俺は茂木さんの部屋にある電話機で、内線を使って管理人に電話をしている。
「茂木さんとは同級生でして、それで彼女の部屋に来たのですが、彼女は寝てしまいまして、それで一度コンビニに行って、また彼女の部屋に行こうと思っているのですが」
「早口で何を言ってるのかわからないよ。用件を簡潔に話しておくれよ」
確かに早口で言っているので理解しがたいだろう。用件を簡潔にいう事にした。
「このマンションから出たら、関係者じゃなくても、また入れますか」
「セキュリティーなんて上等な物はうちでは扱ってないよ。ここのマンションにある自動ドアはただの張りぼてだよ」
そう聞いて安心した。ここから一度出てもまた戻ってこられるなら、コンビニに行っても安心だ。
「夜分に申訳ありませんでした」
「ところであんた誰だい、茂木さんの新しい恋人かい」
「最初に言った通り、ただの同級生です」
そう答えて、電話を切った。
 そして、俺はマンションから出てコンビニに向かった。
それにしても、管理人の人は俺のことを新しい彼氏かい。と聞いてきた。確か茂木さんは、一年以上彼氏がいないと言っていたが、あれは嘘なのだろうか……まあどうでもいいか。
 コンビニに着いた時、真っ先にウコンの力と、ビタミンCが配合されている、サプリメントを買っておいた。そして再びマンションに戻って、綺麗になった部屋の真ん中にある、テーブルに、ウコンの力とサプリメントを置いて、そしてそこらヘンに散らかってあった適当な紙に、先程、コンビニでついでに買ったボールペンで文字を書いておいた。
『すいません、僕は嘘を吐いてました。実は僕は高校卒業してから一度も働いてない、ニートです。せめてものお詫びとして、クルクミンを多く含んでいるウコンの力と、アルコールの分解を促進するビタミンCが配合されているサプリメントを置いていきます。嘘を吐いて本当にごめんなさい。見栄を張りたかっただけです。だからもうこんな、なさけない糞ニートの事は忘れてください。さようなら』
三行以内に纏めようと思ったが、意外と長い文章になってしまった。もしVIPPERだったら、三行で説明しろとか言いそうだけど、意外と少ない文章で綺麗に説明するのは難しいと知った。
俺はこのまま帰ろうと思った。おそらく茂木さんとは二度と会わないだろう。そんな予感がした。
そして、疑問に思った。どうしてあんなに美人な人の事を忘れてしまったのか? しかし、答えは簡単だった。俺はクラスメートの顔などあまり見てはいないで、1日中本を読む振りをしていた。そして、同級生のことを蔑んでいた気持ちがあった。プラス、俺はその時既にド近眼であり、十メートル先の人間の顔が見えなかったのである。
だから、忘れたのではなくて、俺がクラスメートの顔を知らなかっただけである。

俺の予感はよく外れると思っていたが、本当に予感は大はずれした。
深夜のアニメを2ちゃんで実況しているときに、電話が掛かってきた。誰からかと思い電話を取って『もしもし、真下ですけど、誰ですか』と、定型語で尋ねたら、なんと茂木さんからの電話だった。内容は以下のものだった
『部屋を綺麗にしてくれたり、私の体調を心配してくれてありがとう。真下さんが無職であったのは驚いたけど、これからの人生で遅れを取り戻せばいいと思います。明日もう一度会いませんか? 今度はマンションの私の部屋に直接来てくれるとうれしいです。だから明日午後8時頃に来てください。その時間帯なら私は帰っていると思うので。迷惑なら来なくていいです。真下さんが行くかどうか判断してください』
という内容だった。
その間、俺はただ相槌を適当についてた。電話が切られて、正気に戻ると、一気に脳が覚醒して、先程の電話は何だったのか考えはじめた。
これはフラグなのか、死亡フラグとか自殺フラグとかではなくて、純粋に恋愛フラグなのか。俺は悩んだ。ちなみにNice Boadフラグは、三人以上の女性と性的な関係があって、その内一人がヤンデレであると発生しやすい。
しかし、あやしい壷を買わされるフラグとか、新薬を買わされるフラグなのか、判断に困る。
それにしても、明日って今日の事なのか。本当に明日なのか判断がつかない。深夜に明日とかいう言葉を聞かされると、混乱してしまう。とりあえず、今日という事にしておこう。

俺が起きた時は既に昼過ぎであった。この時間帯なら誰もいないだろうと思い、大声をあげて、叫んだ。
「びっくりするほどユートピアー! びっくりするほどユートピアー!」
よし、目は完全に覚めた。そしてアーコの視線が冷めていた。ってあれ、何でアーコがいるんだ。今日って平日のはずだよな。
「高兄、とうとう本当に狂ってしまったのね。今お母さんとかに連絡するよ」
「ちょっとまて、俺は正常だ。というか何でアーコが家に居るんだ。今日学校だろ」
当然の疑問を投げかけた。
「今日は中退したの、仮病を使って、あまりにも授業がつまらないから」
「そんな事では卒業できないぞ。お兄ちゃんみたいになりたくなければ学校に行く事だな」
高兄はただ軟弱だから、ニートでオタクで引きこもりなのよ。私は上手く世間を私歩いていくわ、それに退学しようと思っているから、学校に行きたくないの」
俺だって最初は自分のことを特別な人間だと思い、世間を上手く歩いていけると思っていた。しかし、現実は甘くなかった。そのことをアーコに伝えると、アーコは笑いながら、『高兄が特別な存在なわけないじゃん。それに私も自分の事を特別な存在って思っていないから』という答えが返ってきた。
「でも、イチ兄は特別という枠を通り越しているよね、どうして同じ兄弟なのにこんなに違いが出るのか、謎だよね」
「イチ兄は実は血が繋がってないのかもしれないと、たまに思うよ」
「でも、イチ兄と高兄は顔は似ているから、その可能性はないと思うよ」
確かに顔だけはよく似ていると言われる。そう裏を返せば、顔だけしか似ていないと言われているようなものだ。
アーコに電話の事を相談してみるかと悩んだ。しかしアーコは頼りになるか分からない。だが、一応相談してみる事にした。
「実は昨日同級生と呼ばれる人と酒を飲んでいたんだけれど、今日の深夜に電話が来て、明日午後八時にまたマンションに来ていただけますか? という内容の電話が着たんだけれど、どう思う」
そう言って、アーコに意見を求めた。
「うほっ!」
「言っておくけれど、男じゃないからな」
えっ、そうなの? という顔をしていた。
「ついに出会い系サイトに手を出してしまったんだね、高兄」
「話をよく聞けよ。出会い系じゃなく同級生から電話があったんだ。それも女の同級生から」
アーコはしばらく考えた後、一言言った。
「高い壷とか買わないでね」
さすが兄妹、考える事は一緒か。確かに出来すぎていると思う。やはり壷とか売りつけるつもりで電話をしてきたのだろうか。
「ところで、その同級生って美人なの?」
「アーコの108倍美人だ」
そう言ったらアーコが少し拗ねてしまった。
「そんな美人な人なら、なおさら騙してくると思うよ。だって高兄ってモテた事ないじゃん」
「言い方が悪かった、アーコは美人というより可愛いタイプなんだ」
三十パーセントフォローで七十パーセント本当の事をいった。
「可愛いって、それってつまり子供っぽいって事じゃないの?」
「いや違う。つまりアーコは発展途上で、これから凄い美人になる可能性があるっていうことだよ」
フォローに更にフォローした。これをダブルフォローって名づけよう。
「とりあえず、怪しい話とかしてきたら、だが断る。っていうから安心しろ」
「でも高兄は騙されやすいから、いつの間にか多額の借金をしてしまいそう、ちょっと心配」
俺は騙されやすくはない。むしろ疑り深い性格だ。雛見沢症候群のL4くらい疑り深い。
たまに、足音が一歩多くなっている事がある。
「じゃあ、私そろそろ出掛けるから、じゃあね」
そう言ってアーコは家を出て行った。

俺はとりあえず、暇を潰すために、効率良く暇を潰せる事を考えた。そう効率よく暇を潰すのは何か適切か、それを考えよう。
そして二時間後、2chのヒッキー板を見ていた。俺の目的はただ一つ、暇を潰すことを2chの引きこもり達に教えてもらうためである。
三時間後、何の成果も得られなかった。最後はVip板に張り付いていたし、何の有意義な事なんてなかった。しかし、今気がついたが、これって三時間暇を潰せたんじゃないのではと、そういう事に気がついた。暇を潰す方法を探している間に、時間が過ぎ去っていく。これぞまさしく本末転倒というものであろう。
後どれくらい暇を潰せばいいのだろうか、あと三時間以上も時間が余っているぞ。こんな時間の事で悩むなんて、正直忙しい人達にしてみれば贅沢な悩みなんだろう。Time Is Monerという言葉があるが、時間を売って金を稼げるのなら、時間に追われている人に、一時間一万円で売ってしまいたい。
そうすれば、暇を持て余している俺と、時間に追われている人も、救われるだろう。だが、悲しい事に、時間というのは概念でしかなくて、実際に存在しているかも分からないものなのである。そして時間とは、時計で表示されている、客観的なものが正しいのではなくて、自分で感じている主観が正しい物であるのだ。そう、トグラ・マグラに書いてあった。

正直な話、俺は茂木さんとは会いたくなかった。どう接すればいいのか分からないし、親しい関係になったとしても、いつかは別れなければいけない。親しくなった人間と別れる辛さを俺は経験したんだ。その経験を実際に分からしてくれた存在は、他ならぬ京子である。京子の事を考えると少し切ない気持ちになる。
俺は京子と会うまでは、別れる時の辛さを知らなかった。森高と別々の高校に行ったときも、少し寂しい気がしたけれど、森高とは連絡はとれるし、同じ町に住んでいるので、会いに行こうとすれば、自転車で10分くらい走って、簡単に森高の家まで辿り着く事が出来た。だから俺にとって、別れは辛いものではないと思っていた。
しかし、京子と別れて、本当の意味で辛く切ない感情という物を知った。
そう、恋空のキャッチコピーにある辛く切ない物語というのも、今読めば理解できるだろう。
前までは、辛く(からく)切ない(きれない)物語(ぶつご)と馬鹿にしていたが、俺は批判が出来る立場ではない。なんていったって、十一行で小説を書くことを挫折した男だ。そんな奴より、物語を完結させた人間の方が優れているだろう。

とりあえず今日、茂木さんと会って、俺の嫌な部分をさらけ出して、二度と会いたくないと思われる、そんな人間になるように接しよう。そうすれば茂木さんの方から、『帰ってください。そして二度と顔を見せないでください』というだろう。そうしたほうが互いにとっていいんだ。
親しくなってからの別れの方が十倍辛いのだから。

俺は約束の時間より少し速めにマンションに着いた。そして、携帯で電話を掛けた。
しばらくしても電話に出ないので、不信に思ったが、多分まだ会社で働いているのだろうと解釈した。
勝手に茂木さんの部屋に入るのは住居不法侵入にあたるので止めといた。それに鍵が掛かっていると思うから入りたくても入れないだろう。向こうから電話を掛けてくるのを待とう。そう思い、俺はここに来るまでに在った、近くの書店による事にした。

書店の中は色々な物があり、小説や漫画だけではなく、レンタルDVDコーナ等もある。
しかし、俺は暇を潰すために来たので、レンタルDVDコーナーには行かなかった。漫画にはビニールが掛かっており、読めないみたいなので、小説を読んで暇を潰そうと思った。
そして、俺はラノベコーナーで興味がそそられそうな内容の本を物色していた。
昔はライトノベルを読んでいる人間を軽蔑していたが、引きこもり暦二年が経った頃から深夜アニメ等を視聴するようになり、そして気に入ったアニメの原作を読みたくなって、ライトノベルを軽い気持ちで購入した事が全ての始まりだった。
そう、俺はオタクになりたくてなったのでは無い、気がついたらオタクという人種になってしまったのだ。これは引きこもった事がきっかけになったのだろうか。それとも、元からオタクになる素質を持っていたのかはわからない。
例えるなら、環境のせいで犯罪者になったのか、それとも元から犯罪者としての素質があったから犯罪に手を染めたのか分からない。という例えにも出来る。
極論と思われるかもしれないが、実際にはそんな大差はない。と俺は思っている。

そういう考えを自分の中でして、自分の中で自己完結させているうちに、時間は過ぎていったようである。約束の時間の五分前になっていた。この時間なら茂木さんも電話に出るだろう。そう思い、電話した。
「もしもし、茂木ですけど、どちら様でしょうか」
「真下です。もしかしてまだ仕事中でしたか?」
「あ、真下さんですか。ごめんなさい約束の時間に間に合えそうも無いので、後一時間くらい待っててください。それとももうマンションの近くにいるんですか。もしマンションに着いたとしても、私の部屋に入らないでください」
そう捲し立てて、茂木さんのほうから電話を切った。
なんか、変な会話だったような気がする。
マンションに着いても、私の部屋に入らないでください。って言っていたが、俺は合鍵なんて持っていないので、入ろうとしても入れない。もしかして、鍵を掛け忘れたとかそういう事なのだろうか。
そういうことなら辻褄は合う。しかし、いくら非常識な俺でも、昨日あったばかり(同級生だから昨日という表現は合わないが) の女性の部屋に勝手に上がりこむ事はしない。
そう人間は成長するのだ。過去にアーコの部屋に不法侵入して下着をこっそり盗もうとした時、それが見つかり。多少痛い目にあったことがある。だから今度はばれない様にこっそりと……ではなくて、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓ったんだ。
だから俺は、無闇に女性の部屋に上がりこまない方がいい、と学んだんだ。そう失敗は成功の元になる。過去の過ちを繰り返さない事が結果的に成功に繋がるのだ。

そして俺は再びラノベ物色を再開した。
そこで、あるタイトルに目が囚われた。
タイトル名は【文学少女と慟哭の巡礼者】というものである。俺は少し前の事を思い出した。この本は京子が電車の中で読んでいた本だ。あの時は、文学少女というタイトルで、京子は何か難しい本を読んでいるのだろうと思っていたが、京子は乱読癖があるので、ライトノベルを読んでいたとしても、不思議ではないと思った。
あの時帰ったら検索してみようと思っていたのだが、結局検索しなかった事も思い出した。
京子とアパートで同棲生活か……何もかもみな懐かしい……
沖田艦長の様に余韻に浸っていたら、電話が掛かってきた。おそらく茂木さんからだろう。
「高兄、今日の夕飯はどうするの?」
予想通りではなくて、アーコからの電話だった。
「適当に食べるからいいよ。それに、もしかしたら今日は帰って来れないかも知れないし」
「どういう意味。三文字で説明して」
「三文字だと説明できない。とりあえず三行で説明する」
そう言って、俺は一旦考えた。三行以内に説明するために。
「女の
部屋に
泊まるかもしれないから」
一応三行以内に纏めたつもりだ。
「うん、わかった。妄想でもしながらネットカフェに泊まるんだね。そう伝えておくよ」
電話は切れた。本当にアーコは理解しているのか、怪しかった。というより確実に理解していないだろ。妄想しながらネットカフェで泊まるのね。とか勝手に解釈して。まあいいさ、そう思ってくれて。もし正式に茂木さんと付き合ったという事になれば、アーコと両親は驚くだろう。アーコ達の驚く顔が楽しみだ。でも今日は別れ話をする為にいくようなものだ。
感情が矛盾している事に気がついた。
もし本当に今後会いたくないのなら、今すぐ携帯で、彼女から電話があったので今日は行けません。とか言えばいいのに、何故か俺は茂木さんの部屋に行こうとしている。
いつか別れなければいけないというのは、出会いがあるからだ。そして、別れが辛いと感じるほどの相手とめぐり合うと言うのは、奇跡的かもしれない。その人のことが本当に好きだったから別れが辛いわけだ。
付き合う前から逃げるのは止めよう。とことん付き合って、お互いに理想的な相手と思えるようになるまで付き合おうではないか。そう決意した。

俺はとりあえず、文学少女シリーズを買うことにした。京子の読んでいた本がどういう物なのか理解するために。

車の中で先程買った本を読んでいる途中に電話が掛かってきた。今度は茂木さんからだろう。しかし別の人物かもしれない。でも茂木さんからの電話かもしれない。いややっぱり違う人かも……とか考えているうちに、電話は切れてしまった。しかし携帯電話というのは便利な物で、ちゃんと着信履歴が残っている。その着信した電話番号、あるいは登録済みの人の名前をみれば、誰からの電話かわかる。
携帯をみて電話番号を見た。やはり、茂木さんからの電話だった。今すぐにこちらから電話をしよう。
「すいません、茂木さん。さっきはすぐに電話に出られなくて」
「よかった、真下さんが電話をしてくれて、もしかして、私の事が嫌いになったから、もう電話してこないのかと思ってました」
「本当にすいません、すぐに電話を取らなくて。ところでもうマンションに行ってもいいんですか」
「早く来てください、もう準備は整いましたので」
そう言って、向こうの方から電話を切った。
しかし、準備が整ったというのはどういうことだろう。もしかしたら夕食を作っていたのかもしれない。そして早く来てくださいという事は、夕食が冷めない内に来てくださいということなのか。とりあえず今すぐに茂木さんの部屋に行く事にした。
その前に何か茂木さんにプレゼントしてあげたかった。だが、早く来て下さいと言っているので何を買うかを決める時間はない。その時、電光石火の如く俺に名案が思い浮かんできた。近くに薬局店があったという事を思い出した。
マルエドラッグについた時、ある物を購入した。それはマカビンビン液である。これを俺が飲んで、そして茂木さんを性的な意味で満足させれば、互いにいい思い出ができる。そう思って買った。

茂木さんの部屋の前に着いた時は、既に午後十時十分になっていた。ここまで来るのに十五分掛かったから、九時五十五分に茂木さんから電話が掛かってきた事になる。もし今までの時間、残業していたのなら労働基準法に違反している事になる。もし毎日これぐらい残業させられるのなら、訴えても勝てるくらいだ。しかし、そうではないだろう、深夜に茂木さんは、八時に来てくださいと言っていたので、普段からこんなに残業させられているわけではないのだろう。今日、たまたま残業になって、それで長引いたのだろう。
俺はインターホンを押して、茂木さんが部屋を開けてくれるのを待った。しばらく経ってからドアが開いた。
茂木さんは、際どい服を着ていて、体の形がくっきりと見えるくらいであり、おっぱいの形もくっきり見えた。何でこんな服を着ているんだ。もしかして今日、俺は脱童貞できるかもしれない。そんな期待を思わしてくれる様な服装だった。現にマカビンビン液を買ったのだから、それなりに期待していた。
「真下さん、待たせてごめんなさい。遠慮せずに部屋に上あがってください」
俺は、さっきまで気が動転していたが、茂木さんが普通に振舞うから、少し肩の力が抜けた。そして遠慮がちに部屋に上がった。
部屋に入った時まず目に入ったのは、少し大きめのテーブル(昨日は無かった)に、かなりの量の料理が乗っていて、ワインの瓶とワイングラスがあった。
「茂木さん、もしかして時間より遅くなった理由って、料理を作っていたからですか?」
「ええ、本当はもっと早く仕上がるはずでしたが、料理を作ったのはひさしぶりだったので、かなり時間が掛かちゃったの」
残業で遅くなったのではなくて、料理を作って遅くなったのか。という事は、茂木さんは既に八時前には部屋にいた事になる。だから電話で、部屋に入らないでください。と言ってたのか。納得した。そして、準備が整ったというのは、料理が出来上がったという意味だったのか。俺の推理は間違ってなかった。
俺はテーブルの椅子に座り、茂木さんと向かいあった。しかし、照明が少し暗くて茂木さんの顔と体のラインが見えなかった。
俺はすかさず、眼鏡ケースを取り出して眼鏡を掛けた。
「真下さんって目が悪かったの」
「かなり悪いほうだけど、普段は眼鏡は掛けないんだ。掛ける時は車を運転する時か、美女の顔をよく観察したい時だけだよ」
言ってから気がついたけど、美女の顔をみたいっていうのは、恥ずかしい台詞ではないのでは、と思った。
「真下さんって言葉を選ぶのが上手ね。私の事を美人というのだから。そういう台詞で今まで何人の女の子と遊んだの」
俺は茂木さんの事を美女と言った訳ではない、確かに茂木さんは美人だが、俺がさっき言った美女の顔を観察したいというのは、全ての美人に対して言った言葉だ。
あれはまだ俺が森高と遊んでいた頃、森高が、『あの女美人じゃねーの』という台詞に対して、本当に美人だが確かめる為に眼鏡をつけた。というエピソードがある。森高は目はいいから、遠くから美人を見つけ出して観察する事ができる。だが俺は近眼+乱視だったので、眼鏡を掛けないと五メートル先の女の顔もぼやけて見えてしまうのだ。だから、美人探しという、訳のわからないゲームを森高とした時には、常に眼鏡を掛けていた。
「俺はあまり女の子と遊んだ事はないよ。というより俺って女の人に話しかけられた事が少ないんだ」
「本当にそうなの、女の人と同棲とかした事もないの?」
一瞬京子の顔が浮かんだが、それを追い払った。
「いや、同棲以前に家から出た事がないから、だから同棲なんてした事ないよ」
何故か嘘を吐いてしまった。一体なんでだろう。女と同棲した事があったら、茂木さんに嫌われてしまいそうだからなのか。いやそうではない、もし女と同棲をした事で嫌悪感を感じる人だったら、そんな女とは長く付き合えないと感じるだろう。そして俺のほうからここを出て行くだろう。多分俺は京子の事を思い出したくないから、無理に嘘を吐いたのだろう。茂木さんにではなくて俺自身に対して。
「変な事を聞いてごめんなさい、別に真下さんがどういう人生を歩んで、どれくらいの女性と性的な関係を持ったのか聞きたいわけじゃないの。ただこの質問に対してどう答えるかに興味があったの。でも別に深い意味はないから気にしないでね」

微妙な雰囲気になってしまったが、せっかく夕食を作ってくれたのだ。よく味わって食べよう。
「まるで、最後の晩餐みたいだね。二人きりだけど」
「例えが上手ね、真下さん」
例えが上手とはどういう事かわからないが、まあ気にしないで置こう。
ほうほう、これが茂木さんの作った料理か……舌の上でシャッキリポンと踊って美味い。というくらい凄く美味かった。
「ところで茂木さん、俺車で運転してここまで来たので、せっかくのワインだけれど、飲む事は出来ないんだ。ごめん」
そう最近は飲酒運転に厳しいから、万が一事故に遭っても、飲酒運転して事故の遭ったという事になれば、保険は降りないだろう。
「真下さん、大丈夫よ、帰らなくてもいいのだから」
俺は一瞬耳を疑った。しかし、確かに言った。帰らなくてもいいと。つまりこれはお泊りフラグなのか。心の準備が整ってないが、ワインを飲めば正常な思考も無くなり、欲望のままに、抱きしめたり、俺の未使用のロケットランチャーを使う事が出きる。
もしかして、俺の人生は今ようやく始まったのか? 不幸続きだった人生に終止符を打てるのだろうか。
そういえば、今気がついたか、すっぽんの生血と書かれた怪しい瓶がある。これはもう確実にフラグが立っている。そう確信した。
そして俺は、料理を食べ終えて、ワインを飲んだ。これで後戻りは出来ない。しかし、据え膳食わぬは男の恥という言葉がある。俺はかなり興奮していたが、それは脳だけであり、体の感覚が何故か麻痺したようになくなっている。ワインの効果だろう。そう自分を納得させた。
「真下さん、この世の中って楽しいですか?」
そう茂木さんが言ってきた。質問の真意は分からないが正直に答えた。
「人生なんて糞程の価値も無いね、俺は早く死にたいと思っているよ」
そう答えた時、茂木さんが笑顔で答えた。
「そうですよね、人生なんて何の価値も無いのに、それでも何か価値があると思い込んで生きている人が大勢いますよね」
「そうだよ、痛みを伴割らずに死ぬ事が出来たら、とっくに死を選んでいますよ」
そう言ったら、茂木さんはキッチンの方に向かっていった。何のためだろう。
そして、茂木さんは包丁を持って戻ってきた。何の為にだ? 
「真下さん、一緒に死にましょう、こんな世の中からもう、さよならをする為に」
……?
一瞬思考が停止した。どういう事なのか、さっぱりわからない。
「この包丁で胸を刺してあげるから、そうすればもう苦しまなくてすむから」
ようやく、理解した。心中フラグが立っているのだ。
「茂木さん、ちょっとまってください。冗談ならすぐ包丁をしまってくれ」
「冗談じゃないわよ。本気で死のうとしているの、でも一人で死にたくないから。真下さんと一緒に死にたいの。私高校時代から真下さんの事が好きだって言ってましたよね。だから、真下さんを殺した後に私も死ぬわ。天国に行って楽しく暮らしましょう」
なんてこった、本物のヤンデレが目の前にいる。都市伝説と思ったのに、本当に存在するとは思わなかった。これは貴重な存在と出合った。ある意味感動している。
そう思っていると、茂木さんは僕の方にゆっくりと歩んできた。
「真下さんって、リストカットしているでしょう。この前あったとき、左手首にリストカットの後があったから、もしかして自殺願望を持っているのかもと思っていたの」
このリストカットは、一時期の気の迷いで今は死ぬ気はしない。
俺は緊張のあまりに、凄い汗を掻いていて、喉がからからだった。この感覚は初めてではない。5‐MEO―DIPT(ゴメオ)を始めて使用した時と同じくらい興奮している。
「真下さん、大丈夫よ。痛くはないから、さっきの料理に麻酔のような薬を投与したから、多分苦しまずに死ねると思うから」
さて、ここで三択です。この後、俺はどうなるのでしょうか。
① 都合よく隣の人が助けてくれる。
② 賢い高次君は、この状況を回避する手段を思いつく。
③ 茂木さんに包丁で刺されて死亡。現実は非情である。
答えは③しかないだろう。都合よく隣の人が来るわけないし、俺はこの状況を打破出来ないだろう。俺の人生はここで終わるのか。
はっきし言って死にたくない。俺はまだするべき事があるはずだ。そうまだ死ねないんだ。
いや、本当にそうなのであるのか。俺なんて死んでしまった方がいいのではないだろうか。そうだよ、俺の人生は何の価値も無いんだ、だったらもう死んでしまおう。はっきり言って人生なんてもう糞みたいなものだ。俺のような人間が生きていたら周りに迷惑が掛かるだけでなく、自分自身も辛い人生を歩んで、そして苦しみながら、ダンボールハウスで死ぬのだ。だったらここで死んだ方が、幸福だろう。そうだよ、今生き残ったとしても、この108倍苦労する人生が待っている。
もう、ゴールしてもいいよね。
歩み寄る茂木さんに、音速の速さで、近づき、そして包丁を持っている手首を握り、キスをした。キスの味はアルコールであったが、物凄く気持ちがよかった。キスをしたら茂木さんは包丁を落とした。その落ちた包丁を握りしめて、俺は腹を刺した。
そう……自身の腹を……
ああ、あったけえ……最後の最後にあったけえ……

                    最強伝説真下  完







第二幕の終わり

ささやかな幸せとは、あるきっかけにより壊れてしまう可能性がある。
たとえそれが小さなきっかけや行動であれど、壊れる時は予知せずに来る。
だが、生きている限り、きっかけなどはそこらヘンに転がっている物であり、小さな幸わせは壊れる可能性が高い。
逆に、不幸が壊れるという可能性は低い。
                     by山下あつし

俺は気がつくと、どこかわからない、場所にいた。その空間がぐにゃりと歪んだと思ったら、写真なんかでしか見た事のない、建物の傍に居た。何故か俺は神殿と認識した。その神殿の中に入ると、光輝く存在がいた。今まで見たどんな光よりも輝いているはずなのに、直視できた。その光が、俺に向かって語りだした。
「お前はよくここに来るのー、少し前もここに来たと思うが、その時の記憶は僅かしかないみたいだな」
光の存在は俺に何を語りかけているのだろうと疑問に思った。
「お前には、まだまだ、人生経験をしてもらわなくてはいけない。だから現実とやらに戻してやろう。現実は確かに辛いが、それでも生きていかなければいかない。何でだと思う?」
「知りません。現実はただ苦しみを量産させるだけの、つまらない世界です。そんな世界になんの価値があるんですか」
「チャンスをやるから、現実の中で答えを見つけ出してこい」

俺が次に目が覚めた時、一面白い建物だった。俺はなんでこんな所にいるのだろう。そういえば、小便がしたい気分だ。とりあえず探してみるか。そう思い立ち上がると、腹に激痛が走った。腹を見てみると、接合された後があり、しばらく考えてみて、ようやく状況が理解できた。俺は茂木さんの家に行って食事をしていたら、何故か包丁を持った茂木さんがいて、その包丁を奪い取って俺自身が腹に包丁を刺したんだ。
という事は、ここは病院ということか、しかし、さっき光の存在と会話していた時は、妙にリアルだった。普通の夢とは違う。そんな感覚であった。あれが臨死体験なのか。
前に勢いで、リストカットをした時も、鮮明に思い出せる。あれも臨死体験であるという事か。しかし前は、神殿等には行かないで花畑だったような気がする。しかし、光の存在は、前にも来たが、その時の記憶は無いと言っていた。つまり最初の臨死体験も一度神殿に行ったが、その時の記憶がないから、いきなり花畑にいた事になっていたのか。
それにしても、死亡フラグが立ちすぎだろう、ぎりぎりで回避したが、二回ほど死んでいたかも知れないんだ。
まあ、死ななかっただけよしとしとくか。一時期の気の迷いで死ぬなんて馬鹿げているから。
だが、あのまま死んでいた方がマシだったのではないのかという気持ちもある。そんな二律背反に悩まされた。
光の存在は現実で答えを見つけて出して来いとか言っていたが、この世に絶対的な答えなど無いだろう。
余談になるが、光の存在にあう人間は、幼い頃、キリスト教の教えを受けて、大人になって、キリスト教の教えや信仰心がなくなった人間にも現れるらしい。その後、回心してボランティアなどをする人間が居るらしい。
しかし、インドなどでは光の存在などではなく、ヤマラージャという神に会い、『こいつはまだ死ぬべき存在ではない、死ぬのは別の人物だ』と言われ現世に戻るらしい。
つまり、文化の違いによって、臨死体験は異なるらしい。まあ、そんなプチ知識などは意味はない。今は現状を把握しよう。
前回のように暗くなってなくて、まだ日が落ちていない。何時か分からないが、深夜ではない事は明らかだ。
ナースコールを以前と同じように鳴らしたら、看護士と医者が来た。
「ようやくお目覚めか。今家族に意識が戻ったって連絡しといたから」
また説教とかするのだろうか、以前の医者ではないが、この人も説教をしそうな、老年の医者であった。
「しかし災難だったね。女の人の部屋に行ったら、女の人が自殺願望を持っていて無理心中させようとしたんだから」
どういう事だろう。俺は自分の意志で自分の腹を切ったはずなのに。
「女の人は今、精神病院の隔離病棟にいるよ。女の人から電話があって、凄く混乱していたらしいよ。彼女は、何回も自殺未遂を起こしている常連さんだが、人を道連れにしてまで、自殺しようなんて考えるとは、そうとう、まいっていたらしいね。でも彼女の事は恨まないで欲しい。彼女も被害者の一人なのだから」
いまいち話が理解できない。俺が自分で腹を切ったはずなのに、茂木さんの責任になっている。どういうことなのか。

そうこうしている内に、家族が病室にやってきた。なんとなくデジャブを感じる気がする。前の時と同じ様な雰囲気があった。
「災難だったわね高次、女の人に腹を刺されるなんて」
「今回の件で学んだだろう。女は何をする生き物か分からないという事に」
そう親父が言ったら、母は親父の方を睨んだ。
「女の人が何をするのか分からない生物だって、何よそれ」
「いや、お母さん、例えが悪かった。今度から自重するから」
親父はあっさりと折れた。
「高兄、出会いサイトで知り合うからこういう事になるんだよ、もっと出会い系サイトではなくて、バイト先などで見つけた女の人と付き合ってよね」
アーコの台詞で母は、少し怖い顔をしていた。
「高次、出会い系サイトで知り合った女の人に刺されたの? もしそれが本当だったら勘当するわよ」
「お母さん、その件については違いますよ。茂木さんと真下さんは、同じ学校に通っていたクラスメイトだったらしいですから」
「あら、そうなの。実は私は最初、出会い系サイトで女とアポイントを取ったと思い込んでいたの。そしてアーコの台詞を聞いたとき、やっぱりって、確信したけど、勘違いだったみたいね」
ナイスフォローだ、医者よ。貴方がフォローしなかったら、今度は母に殺されていた。そして俺のことを信じない母に怒りを覚えて恨み言を言った。
「糞婆、テメー少しは息子を信じろよ。そういう性格の母親を持ったから俺はニートになったんだよ。謝れよ。そして金払え」
賠償と謝罪を求めた。
「自分自身が強い意志を持っていたら、たとえどんな逆境からでも、立派に育つもんだよ。人のせいにしてばかりいるから、あんたはいつまでも成長する事が出来ないの。まず自分と向き合って、己に克ことをしなさい」
いや、さっきの台詞は冗談だったのに、まじめに答えられると、なんか困ってしまう。
「そういえば、イチ兄はどうしたんだ。俺のことなんてどうでもいいとか思って来ていないのか。それとも今刑務所にでも入っているのか」
「その事なんだけど幸一(こういち)(イチ兄の本名)に電話したんだけれど、電話から出ないのよ」
「今日連絡を取ったって、そう簡単にこられるはずがないじゃん」
「いや、あんたが寝ている十日間ずっと連絡していたのに、電話に出ないの」
そうか……イチ兄はもうこの世にいないんだな。おそらく五千人のヤクザ相手に一人で戦って、そして最後の一人を倒せば、全てが終わるという状況で、少し油断していた所、殺し損ねたヤクザが鉄砲を使い、そして背中を撃たれて死んだんだろう。
そんな妄想をしていた。さすがにそれはねーよって、自分でツッコミを入れたいが、あの人なら本当にやりそうで怖い。
というより、俺って十日も眠っていたのか。それはビックリだ。
「アーコが幸一の部屋まで行ったけど留守だったらしいの。隣の人に聞いても何も喋らないでいて、幸一の妹ですって自己紹介したら、ドアを閉めたらしいの」
「そうなのよ、失礼しちゃうわ、私みたいな美少女女子高生がイチ兄の妹って自己紹介しただけでドアを閉めて鍵を掛けるなんて。むかついたからコンビニに行って、油性マジックを買って、部屋のドアにラクガキしてきたわ」
それもある意味悪質な気がする。しかし、兄貴は本当に何処に行ったのだろう。

とりあえず、退院するまで、三週間かかるらしい。前はリストカットだったので簡単に退院できたが、今回は腹にでかい傷が出来ているので、病院で安静した方がいいらしい。

三週間はパソコンは使えなかった。なんでも、万が一、機材が誤作動を起こしたら、大変だからという理由らしい。でも、前に親父の見舞いで病院に行った時普通にパソコンを使っている人がいたけど、この病院は禁止なのか。まあいいや、三週間は事前に買っておいた文学少女シリーズでも読んでいればいい。
文学少女シリーズは有名な本を紹介しながら、事件を解決させるもので、本を食べちゃうくらい本を愛している文学少女は、本当に本を食べているという、主人公の先輩であった。
それにしても、なかなか面白い本だと思った。アニメ化を希望したいところだが、俺のそんな意見など聞かないだろう。個人的には琴吹さんが可愛いと思う。そして典型的なツンデレなので、かなりいい。

二週間が経過して体の方もよくなってきた。しかし、ほとんど寝てばかりいたので、体は随分と鈍ってしまった。元から体力がない俺が、更に衰えたから、今の俺は、小学五年生とタイマンをしても勝てるか勝てないかという、どちら着かずの五分五分の戦いが出来そうだ。
ちなみに中学一年の体育系の部活をやっている奴と戦ったら、九割九部負ける自信がある。それくらい体が鈍っているという事だ。

退院間近という時、細く病失なまで白い肌をした男の刑事が来て、事情聴取をして来た。俺はありのままの事を全部話した。
「つまり、茂木さんが腹に包丁を刺したのではなくて、自分自身で刺したという事かい?」
「ええ、そうです。茂木さんが刺したのではなくて、自分で腹を切ったんです。だから茂木さんは悪くないですよ」
「しかし、なんで貴方が自分自身で刺したのですか」
「さっき言った通り、野球拳で負けた方が、腹を切るというルールだったので、僕が負けたので、腹を切ったのですよ」
「野球拳ですか……しかし貴方達は服を着ていましたよね。野球拳は普通、負けたら服を脱ぐという物ですが」
「特別ルールで、十回負けた方が一千万払うか、それとも腹を切るかという条件でやったのですよ」
「わかりました。事件の当事者の唯一の人間がそう言うならしかたがありません」
事件の当事者の唯一の人間? 茂木さんも事件の当事者のはずだが。
「ところで刑事さん、茂木さんは今何をしていますか」
刑事は少し考える仕草をして、そしてしばらく経ってから答えた。
「閉鎖病棟から、一般病棟に行った時、職員の気が逸れている時、自殺しました。未遂ではなく本当の自殺を」
「……それって死んだという事ですか?」
「死にました」
「どういう自殺をしたのですか」
「そこまで貴方に話す義理はないです。とりあえず、貴方の話を聞いて、それで報告書を作成しようと思ったのですが、貴方が真面目に答えないので、こちらの方が勝手に解釈して報告書を作成します。長時間の事情聴取で疲れているでしょう。私はもう行きますから」
そう言って刑事は病室から出ようとした。そして振り返り一言いった。
「貴方が気に病む事はないですよ。彼女の方は随分昔から死にたいと言っていたみたいです。だから貴方のせいで彼女は死んだわけではないです」
「一つ聞きたいのですが、本当に僕は茂木さんと同級生だったんですか? 実は全て茂木さんの妄想で、実は同級生ではないという事は無いのですか?」
「調べた結果、確かに茂木さんと貴方は高校の同級生でした。それでは失礼します」
そう言い、病室から出て行った。

茂木さんは死んだのか……どう考えても俺が追い込んだように思えるのだけれど。
あの時、俺が自分で自分自身の腹を刺した事で、茂木さんは精神的に追い詰められたんだろう。もっといい方法があったが、もう結果が出てしまったんだ。やり直しの出来ない世界で、結果を出したら、その結果は変える事は出来ない。それに今だから、もっといい方法があったと思えるが。包丁を目の前に持っている、ヤンデレな女がいたら、正常な思考なんて出来ないだろう。
だから、無数の可能性の中で、自分で自身の腹を刺すという愚行をしてしまったんだ。
今から、考えても結果は変わらない。刑事の言うとおり、気に病まないでおこう。

俺は退院してからずっと、何もしなかった。パソコンには触れず、ゲーム機にも触れず、テレビも見ないで、漫画も読まず、小説も読まないで、本当に何もしなかった。ただずっと、思考を繰り広げていた。親はまた鬱病になったと思い込んだみたいで、心療内科に行く事を薦めたが、俺は断った。
鬱病時は思考さえ出来ない程酷いもので、時間が経つのが遅く感じて、そして落ち着きが無くなる。しかし、今回はそういう症状はなかった。ただ自分の意志で何もやらないだけだった。
そして、決断した。茂木さんが死んだという事を受け止めるために、彼女の墓参りをする事を。しかし、死んでからまだ、二週間しか経ってないので、納骨をしていないかもしれない。その時は彼女の実家に行き、直接線香をあげに行こう。
そう思い立って、高校卒業のアルバムを開いたが住所は記載されていなかった。おそらく個人情報が漏れないようにしているんだろう。
仕方がなく、俺は警察所に行く事にした。そうすれば彼女の住所は分かるだろう。
警察所に行き、茂木さんの住所を聞いたが、教えてくれなかった。そこで俺は事件の当事者である事を言った。そして、しばらくして、俺の病室に来た刑事がやってきた。
「何のようだですか、こんな所まで来て」
「いや、茂木さんの実家の住所を教えてもらいたいだけです。線香だけでもあげたいから」
刑事は少し考えてから、答えた。
「まあ、住所くらいは教えてあげます。でも、もうこの件は終わったことなんです。だから親とかに、事件の当事者とは言わずに、ただの同級生として線香をあげてください」
そして、住所を教えてもらい、警察所から出て行った。刑事はとりあえず名刺をくれた。しかし、多分連絡を取る事はないだろう。それにしても、変な名前である。碌々美六郎(ろくろくびろくろう)という変った名前だ。戯言シリーズに七々見奈波(ななななみななみ)という人物がいたけど、それに劣らないくらい、変な名前である。

紙に書かれた住所通りに行くと、確かに茂木という名札が書かれた家があった。俺は、チャイムを押して、誰かが来るのを待った。
あまり時間が経たない内に、母親らしい人が来た。とりあえず、挨拶をして、事件の当事者である事は知らせずに、ただの同級生と名乗り、家に上がらせてもらった。
確かに茂木さんは死んでいた。そしてまだ納骨が済んでいないらしく、納骨の箱があり、応接室に写真があった。その写真の茂木さんは笑顔であった。それが、俺の心を少し痛めた。俺は線香を上げて冥福を祈り、そして茂木さんの家を後にした。

そして、俺はしばらくして、コンビニのバイトを始める事にした。俺はもう、親に養ってもらう人生は止めにした。もうどうでもいいと思っていたのかも知れない。直接ではないが、人を殺したようなものだから……
そして俺は、生きる振りをしながら、屍の様に生きていた。


第三幕 迷走する人生

ある日、私は自分がいる世界が箱の中だと知りました。
箱の中から出る為に努力をしました。
そして、箱の中から出られた時、私は喜びました。
しかし、しばらくして箱の外の世界も箱の中であると気がつきました。
私は絶望しましたが、それならこの世界からも出てやろうと思いました。
それから、その世界からも出られたのですが、出た先もまた、箱の中でした。
それから、箱の外に出て、そこがまた箱の中だと知り、箱の外に出る。
その繰り返しを何度もしました。
しかし、箱の外は箱の中であり、その度に、次は本当の【箱の外】だと自分に言い聞かせ、また箱の外に出る努力をしました。
しかしいつまでも本当の箱の外には辿り着けない。
いったい、いつになったら、本当の【箱の外】に出られるのでしょうか。
神様、教えてください。
本当の【箱の外】はあるのかを……
                     by山下あつし


そして、俺がもう茂木さんの件を忘れた時に、親からある事を、頼まれた。兄貴のアパートに行って生存を確かめて欲しいという内容だった。
俺は最初断ったが、報酬の三万が魅力的なので、その条件で、引き受けた。どうせ適当に行って、そして、アパートにいなければ、居なかったよ。と言えばいいのだから。しかし、条件を引き受けた俺に、過酷な条件を提案した。もしアパートに居なければ、大学まで行って調べて欲しいとの事だった。顔が似ているから、慎重に行けば、ばれないという勝手な理論で強引に話を進めていった。
アーコは、ダンボールを被って潜入すればいいよ。とか言っていたけど、メタルギアソリットみたいに、うまくいかないだろうと言って、その作戦を否定した。

兄貴のアパートに行く間、車の中で色々と考えていた。まあ、別に深い意味はない。ただ、今までの事を追想していただけだ。この短時間に起こった出来事で、俺も考え方とか変ったような気がする。もし今までの俺なら、三万円の報酬でも兄貴のアパートには行かなかっただろう。まあ、兄貴のアパートに行くだけなら、気を背負わなくてもいいので、行ったかも知れないが、大学にまで行って調べる事は、確実になかった。
そして、大学までは行かないのに、大学まで行ったけど兄貴の行方は分からなかった。と嘘の報告していただろう。
しかし、今の俺は兄貴がアパートに居なかったら、大学まで潜入しようと考えている。兄貴が大学でどういう生活を送っているのかという単純な好奇心で。
 ダンボールは持ってこなかったが、とりあえず、風邪をひいた時に、装着するマスクは持ってきておいた。万が一声がおかしいとか、いつもと違う。とか、兄貴の大学の友達に言われても、風邪をひいたんだ。で済ませることが出来るからだ。
でも、兄貴に友達と呼べる人間がいるかどうかわからない。Fランクの大学なら居るかもしれないが、国立大学で兄貴に友達が出来るのは想像が出来なかった。

住所通りのアパートに着いたが、兄貴の部屋のナンバーを聞き忘れた事に気がついた。携帯で電話でもして、聞きだそうかと思っていたが、そんな必要がないとわかった。
異様なドアが二つあり、その真ん中は正常なドアであることに気がついた。異様なドアとは、明らかに落書きの跡と思しき物があり、真ん中の部屋だけは綺麗であった。
病院で、アーコが話した通りなら、落書きはアーコがしたものであり、多分、洗っても綺麗にならなかったドアなのであろう。
ということは、綺麗なドアが、兄貴の部屋という事になる。ドアの近くまで行き、インターホンを鳴らした。しばらくしても、反応がないので、もう一度押した。しかし何の反応もない。俺は高橋名人 に負けず劣らずの、高速の連打でインターホンを鳴らした。三分間それを繰り返していたが、誰も出てこない。俺はドアを思いっきり蹴っ飛ばした。そして俺は『返事がないただのドアのようだ』と訳の分からない事を呟いていた。
ドアを蹴っ飛ばしたりしていたら、隣のドアが開いて、『うるせーぞ』とか言って来た。俺はその人に謝ろうとした。確かに近所迷惑だったからだ。そしたら、お隣さんは、真下さんでしたのですか、すいません。許してください。と言い、部屋に戻っていった。兄貴は近所からどういう風に思われているのか、少しだけわかった。しかし、俺と兄貴の顔はそんなに似ているものなのか、自分では判断がつかないが、他の人の反応を見れば、兄貴と似ているらしいという事はわかる。
隣の人が再び部屋から出てきて、俺に一万円札を渡そうとしてきた。そんなに兄貴が怖いのか。俺はその金を受け取らないようにしたが、もしここで受け取らなかったら、兄貴ではないと、ばれてしまう。そこで俺はいい提案が思い浮かんだ。ここは逆に考えるんだ 。そうジョージ・ジョースターの台詞を思い出した。
「足りないな、せめて五万をよこせよ」
そう言った。そう言えば、隣の住人は逆に払う事などはしないだろう。そして、隣の住人は部屋に戻った。俺は心の中で『計画通り』と夜神月 のように密かに思った。しかし、逆効果だった。
隣の住人は十万くらい持ってきて、これで許してくださいと言ってきた。さてと、どうすればいいのか。
「別にいらねーよ、テメーも金なんて払うような軟弱な真似するな」
そう、ドス効いた声で言ったら、『見逃してくれるんですか、ありがとうございます』と言って、部屋の中に戻っていった。
兄貴がアパートに居ない事がわかり、俺は大学に行こうとした。大学は別に一般人が入り込んでもいい場所だと森高が言っていたので、普通に振舞っていればいいだろう。
ところで、兄貴の大学って何処なんだろう。国立大学と言っていたが、正式な名前を聞いてなかった。
仕方がない、電話でもしよう。母はパートで働いている、父は仕事中だろう。必然的にアーコに電話をすることにした。どうせアーコは今日も学校をサボっているだろう。
「アーコか。今イチ兄のアパートの近くにいるんだけれど、イチ兄って何処の大学に通っているんだ」
「高兄、そこのアパートから10分歩けばすぐにある大学だよ」
心なしか、アーコの声は小さかった。
「あと、学校に通っている時に電話しないでよ。せめて昼休みとかそういう時間に電話してきて、私普段から先公に睨まれているんだから」
そう言って、アーコのほうから電話を切った。
アーコが、学校に行っているだと! そいつは大変な出来事だ! 今夜あたり隕石が地球に落ちて、人類は滅亡してしまうかもしれない。いやそう簡単に人類は滅びないだろう。モヒカンのゴロツキや明らかに人間とは思えない奴 が現れて、そして、世紀末覇王 が現れたりして、最後には、無想転生 を使った兄弟喧嘩をして『我が生涯、一片の悔い無し 』とか言って第一部が終わるだろう。という妄想が一瞬浮かんだ。

大学まで十分で着けるというのだから、近くにあるはずだ。コンビニによって、この近くに大学がないか調べてみよう。
とりあえず、地図で調べた結果、この近くに一軒だけ大学があるのが確認できた。おそらくそこが兄貴の通っている大学なのだろう。

そして、大学には来たけど、これからどうするか考えてなかった。第一兄貴が何処の学部に入っているのかわからない。親が言っていた通りなら、薬学部という事になるが、それを信じる根拠がない。兄貴が吐いた嘘かもしれないし、そもそも本当に大学に入学したのかもわからない。仮に大学に入学したとしても、既に辞めている場合がある。適当にぶらついて、それで頃合が来た時に家にでも帰ろう。
そして、俺は眼鏡を掛けてぶらつく事にした。何故眼鏡を掛けているかというと、女子大学生の顔を遠くから眺めて見ることが出来るからだ。国立大学の女子大生のルックスはどれくらいかを、自分で確かめてみようという心が芽生えたので、眼鏡を掛けたのだ。
実際俺はかなり目が悪いから、眼鏡を掛けなければ、バストとウエストとヒップ所か、顔さえも見えないので、しかたなく眼鏡を掛けているんだ。ちなみに普段は眼鏡を掛けていない。ここぞというときに使ってこそ、色あせた世界が輝き、感動もより深まるものだから。
適当にぶらついていたら、あまり賢そうに見えない集団が俺のほうに寄って来た。俺は何か悪い事でもしたのか。いや、ただこの先に用事がある訳で、決して俺に用があるわけではないのだろう。しかし、連中は俺のほうにどんどん歩み寄って来た。そして俺に声を掛けてきた。
「イチさん、帰ってきたんですか。ベニデングタケを取ってくるって言って、三ヶ月が過ぎたので、心配しましたよ」
俺の事を兄貴だと思っているようだ。というよりベニデングタケを取りに行って来るってどういう事なんだ。たしかベニデングタケは所持しているだけでも、法に引っかかると記憶してあるけれど……
「それでイチさん、どうだったですか、ベニデングタケの効果は、幻覚とかみたり、多幸感を感じたりしましたか?」
兄貴の奴、キノコ狩りに出かけたのか、しかも違法とされているキノコを。そういえば昔、兄貴の部屋にBENITENG EXTRACT というドラッグがあったような気がする。国が規制したので、今は店では売ってない。だから、兄貴の奴、直接違法物のキノコを狩りに行ったのか。だから今はまだ帰ってきていないのか。
確か一ヶ月連絡が取れていないと言っていたが、実際には三ヶ月前に出かけたという事になる。兄貴の奴生きているのだろうか? もしかしてキノコの摂取しすぎで死んだのではないだろうか。あの兄貴の事だから死にはしないと思うが、少し不安だ。
「イチさんなんか答えてくださいよ」
「悪い、今風邪気味なので、あまり人とは話したくないんだ」
「ああ、そうなんですか。確かに少し声が変ですもんね。大事にしてください。では」
そういうと、集団は去っていった。あの集団はなんだったのだろう、サークル仲間なのだろうか、俺に話しかけたのは一人だけだったが、全員俺に対して敬意を払っていたような気がした。

とりあえず、兄貴がキノコ狩りに行って、まだ帰ってきていないという事がわかった。
親に何て報告すればいいのだろう。怪しいキノコを狩りに出かけたとでも言えばいいのか。でもそれでは、親はもっと心配になって、警察を呼ぶかもしれない。そして兄貴の部屋に手かがりを見つけようとしたら、大量の違法ドラッグが見つかり、ややこしい事になるかもしれない。
しかし、その心配はない。俺が元兄貴の部屋を調べた時に、ドラッグなどは見つからなかったからだ。
兄弟である俺ですら見つけられないのだから、警察でも見つけられないだろう。
あの兄貴がドラッグを破棄したとは思えない。何処かで売りさばいたか、自分で全部使用したか、それとも巧妙に隠してあるかのどれかである。
親には女の部屋に泊まって、それで大学は既に中退したとでも伝えとくか、しかし、そうすると兄貴が帰ってきた時、俺が兄貴に何をされるかわからない。どうやって上手い言い訳を伝えるか、それを考えておく必要がある。

「イッチー、帰ってきたんだ」
今度は女に話しかけられた。髪を染めてピアスをしていて遊びなれているような、美人な女だった。
俺は無言でいた。何を話せばいいのかわからなかったから。
「イッチーって授業以外にも眼鏡かける事があるんだ。ちょっと意外」
俺は沈黙していた。
「イッチーどうしたの、具合でも悪いの。最近大学休んでいたから、もしかしてかなり重い病気にでもかかったの」
「いや、ちょっとした風邪だから心配しなくてもいい」
「そうなんだ、ところであの件の答えまだ聞いていないよね。今答えを聞かせてよ」
あの件の答え? 何の事だ。もしかしたら授業の課題の事かもしれない。
「今は別のことで悩んでいるから、答えられない」
そう答えた。
「別にいいよ。私以外にも女がいるの知っているから。でも私のアパートに遊びに来たりしてよ。たとえ気まぐれでもいいから……」
そう、女の人が言うと、駆け足で行ってしまった。
答えって女関係の事だったのか。しかしどうして俺はもてないのに、兄貴はもてるんだ。不思議でしょうがない。
でも俺にも兄貴くらいの積極性のある性格があったなら、もてていたかもしれない。
ふと、茂木さんの言葉が蘇った。
『前から話掛けたかったんですけど、近寄りがたい雰囲気を出していたので、学校では話掛けられませんでした』という台詞を。
もし俺が、AT・フィールド を張らないで、心を開放していたのなら、友達も出来て、彼女とかも作れたかもしれない。しかし、もうそんな事を考えても無駄な事だ。時が経ってしまい、もうあの頃には戻れないのだから。
時を戻す事が出来る能力があったら、俺は何処まで戻って往きたいのだろう。小学の頃か、中学の頃か、高校の頃か、引きこもる前か。それとも初めて京子と出会った日か、茂木さんを結果的に、自殺に追い込んだ日か。それはわからない。しかし、それらの過去があるから、今の俺が形成されているんだ。それに戻ったとしても、必ずいい方に行くという可能性は少ないだろうし、もっと残酷な結果を出してしまうかもしれない。まあ、考えるだけ無駄な事だな。答えのない問題など考えるだけ無駄だから。
まあ暇つぶし程度の役には立つけれど。

「イチ君ではないの」
考え事していたらまた声をかけられた。この大学はエンカウント率 の高いRPGのように次々と人が声を掛けてくる。兄貴ってそんなに知り合いがいたのかよ。
今度話かけた人物は、利発で真面目そうな眼鏡を掛けた女の人であった。この人も大学生なのだろうか? 少し大人びている雰囲気が漂っていた。
「三ヶ月も何処に行っていたの。まあいいわ、今日こそ勝たせてもらうから」
「何の事ですか? 今風邪を引いているので後にしてください」
そういうと女の人は、俺をみて考え込む仕草をした。
「イチ君じゃないみたい。何だか凄く似ている他人って感じがする」
「その通りです。僕は別人です」
そう言った。ようやく俺が兄貴じゃないと気がついた人と出会えた。なんとなく感動してしまった。
「やっぱり、イチ君だわ。そうやって逃げようとするなんて。三ヶ月会わなかったから少し別人に見えただけのようね」
どうやら、誤解は解けなかったようだ。
「三ヶ月間何処に行っていたかは聞かないけど、勝負はしてもらうわよ」
「一体何を勝負するんですか。全然わからないんですけど」
「いつものように囲碁で勝負するのよ。私が勝った場合は約束を果たしてもらうからね」
囲碁か……それぐらいなら出来るけど、俺が負けた場合はどうなるんだろう。それを聞かなければ、安易に勝負は出来ない。
「俺が負けた場合ってどうなるんですか」
一応聞いてみた。もし五万とか五十万の金でも賭けているなら、気軽に勝負できないから。まあ、元々勝負する気はないけれど。
「いつまでとぼけているのよ。貴方が負けた場合、私と結婚するって言ってたじゃない」
……ある意味、五万とか五十万とか五千万とか、そういうレベルを超越した物を賭けているようだ。
「いや、結婚だなんて、そんな事をしても、お互い学生同士だし、まだ早いと思うのですけど」
「何それ、嫌味。私、準教授で貴方の授業を受け持っている、28歳の行き遅れた女なのよ。生活費は私が出すって言ってるし、それに他の女の人と一週間に一度だけ性行為をしてもいいって約束したじゃない」
准教授? 何それ食えるの?
「ええっと、准教授って何ですか?」
「とぼけるのもいい加減にして! 准教授っていうのは、昔で言えば助教授の意味だって知っているでしょ!」
そうか、一ついい勉強になったなー。って兄貴の奴、教師にまで手を出していたのかよ! いやこの場合は准教授に手を出していたのか、いや、どういう事なんだ。まったくわからない。しかし、今目の前にいる女性が大声を出したので野次馬が出てきた。
『おい、またイチの奴、高野先生を怒らせてるぜ』『つーか、イチの奴帰ってきたのかよ』『しかし先生もいい体と顔をしているんだから、化粧とか身なりを変えればもてるのに、もったいないよな』『しかし、イチの奴が羨ましいぜ。密かに高野先生を狙っている奴がいるのに、イチは囲碁にわざと負ければ、お持ち帰りができる身分だもんな』
とか聞こえてくる。そして時間が経っていく内に色々と野次馬の人数が増えてきた。そして、准教授だという女性は泣いている。ここから早く出ないと、大変な事になる。早くこの場を逃げ切ろう。
俺は、カール・ルイス の如く走り出した。速さは中学二年レベルだけれど。
大学から逃げて、そして身を隠せるところがあったので、上手く隠れた。こんな事ならアーコの言うとおり、ダンボールを持ってきたほうがよかったなと思い、自分の愚かさを呪った。

今日は散々な目にあった。全て兄貴の所為だ。そんな兄貴に素敵なプレゼントをしてあげようと思った。
俺はコンビニに寄って葉書を買い、不幸の手紙を作成する事にした。
そして出来上がった。内容は以下のものである。
『この手紙を読んだ貴方は、三日以内に五万円失うでしょう。もし失いたくなければ。以下の銀号の口座に一万円振り込みなさい。銀行、三菱UFJ○×支店、口座番号xxxxxxxx』
という内容である。もちろん口座番号は適当にしたから、俺が犯人だとはばれないだろう。郵便局には行かないで、直接兄貴の郵便箱に入れてやろう。それぐらいの悪戯は、神様も許してくれるだろう。
そして俺は再び兄貴のアパートに行った。兄貴のアパートに郵便ポストらしいものがないので、新聞とかを入れる所に葉書をいれてやった。これで今日のミッションは終わりだ。後は家に帰り暇でも潰そう。しかし、今日は凄く疲れた。あれだけの出来事があったのだから、三万円ではなくて五万円くらいは欲しいところだ。
俺が部屋を去ろうとすると、誰かが来て声をだした。
「お前、俺の部屋の前で何をしているんだ。場合によっては、一発殴るぞ」
こんな変な奴が世の中にいるのだから、困ったもんだ。俺の部屋に何してるんだって言っているが、ここは兄貴の部屋であるのだから、こんな奴の部屋ではない。だから俺は言ってやった。
「ここは俺の部屋だよ。文句あるのか」
「その声は、高次か?」
一瞬、えっ、と思った。何で俺の名前を知っているんだ。ポケットにしまってある眼鏡ケースから眼鏡を取り出し、眼鏡を掛けた。そこには兄貴の姿があった。何というタイミング、まさか今日帰ってくるなんて思わなかった。もしかして、俺が葉書を入れた所を見られたのか。そうだとすれば結構ヤバイ事になる。また病院の世話になるかもしれない。
クールに普通に振舞うんだ。
「兄貴、帰ってきたのか、ずっと心配していたんだぜ」
心にも無い事を言った。はっきり言って心配していないし、兄貴に一人で会いたくなかった。家族がいる時はいいが、兄貴と二人きりになると、妙な沈黙が漂い。神経が削られるからだ。
「たかが三ヶ月いなくなったくらいで心配するなよ。というより心配していたのは親の方で、お前は全然心配していなかっただろ。むしろ一生会いたくなかったって面してるよ」
兄貴はまるで見透かした様に言った。そして兄貴の推理は100パーセント当たっている。
「まあ、部屋に上がって来いよ。水道水くらいは出してやるから」
お断りしたい気分だったけど、断れない。そんな自分が情けなかった。
しかし、兄貴を知っている人間なら、安易に断れないだろう。だから、俺はそんなに情けない人間ではない。と自分で自分の事を弁護した。

兄貴の部屋はこざっぱりしていて、ノートパソコン以外置いていなかった。兄貴はちょっと水道水を持ってくるから待っていろと言っていたが、水道水を持ってくる気配がなかった。そして、しばらくしてから兄貴は、焼酎を持ってきた。
「悪いな、水道代払ってないから、水道水が出なかった。その代わりに、焼酎を持ってきてやったぞ」
まあ、三ヶ月も留守にすれば、水道も止められてしまうだろう。
「兄貴、悪いが飲めないぜ。何故なら車で運転してきてここに来たから」
「そうかい、俺の酒は飲めないって事か、お前も言う様になったな」
そうではないと言おうとしたが、無理っぽいので何も言わなかった。
「それにしても、隣の落書きの跡が酷いな。一体誰がやったんだ。俺の部屋のドアだけ綺麗だから俺が犯人扱いになってしまうよ。世の中には酷い人間がいるもんだな」
その台詞は、貴方が言えることではありません。そして隣の部屋のドアに落書きしたのは、貴方の妹であり、同時に俺の妹です。そんな事を言いたいが、あえて言わなかった。というより、言えなかった。

「所で兄貴、今まで何処に行っていたんだ?」
もし、大学での情報が正しければ、兄貴はベニテングタケを採りに行ったという事になる。しかし、兄貴がいくらめちゃくちゃな人間でもそんなことはしないだろう。おそらく大学の人に嘘を吐いたに違いない。
「色々してきた。キノコ狩りにも行って来たんだが、お目当てのキノコが見つからなかったのが残念だ」
まあ、キノコ狩りに行きたい事もあるだろう。『そうだ、京都行こう!』くらいのノリでキノコ狩りがしたくなかったのだろう。決して違法物のキノコを狩りに行ったのではなくて、松茸や、シメジとか、なめのことか、トリュフとか、そういう普通のキノコを狩りに行ったに違いない。
「実は、ベニテングタケを取りにいったんだが、中々見つからなくて、それで諦めたんだ。ちなみに、ベニテングタケはシャーマンが神がかりになるときの幻覚剤として使用されるものだ。古代インドのヴェーダに登場する謎の向精神性植物「ソーマ」もこのベニテングタケだという説もある」
俺の否定するような考えは呆気なく散っていった。本当にこの人は、違法物のキノコ狩りに行っていたらしい。しかも、明日使えない無駄知識 を語っている。
「でも、有益だったことがある。ベニテングタケでは無いけれど、別の珍しいキノコが採れたことだ。しかも図鑑に載っていないから、どういうキノコかは分からない」
そういって、兄貴はバックの中をあさり、大量の禍々しい色をしたキノコを取り出した。
「これらのキノコを大学で研究すれば、新しい物質が検出されるかもしれない」
「よかったな兄貴、無駄骨にならなくて」
その時、空腹で腹の音が響いた。
「高次、今大量に食料があるから、キノコご飯でも食っていかないか?」
「ごめん兄貴、今まで言わなかったけど、俺って実はキノコアレルギーなんだ」
苦しい言い訳をした。俺がキノコを食っているところなんて、家に居た時に、沢山見てきたはずだから、すぐに嘘とばれるだろう。
「冗談だ。相変わらず冗談の通じない奴だな。そんな事だから、人付き合いが上手くいかないんだぞ」
そうか、冗談だったのか。兄貴の事だから、本当に作りそうだったから、怖かったけど、冗談で安心した。
「それに、電気代がもったいないし、第一ご飯の元になる米がないからキノコご飯は作れないんだ。だから、キノコだけでも食っていけよ」
この台詞も冗談だろう。だから俺も冗談に付き合った。
「じゃあ、遠慮なく食う事にするよ」
そいうと、兄貴は台所に行き、キノコを洗い出した。水道が止められているので、水ではなくて、焼酎で洗っているようだった。
「ほら、食べろよ。何事も経験が大事だからな」
「いや、冗談だろ。食べられるはずがないじゃん」
そういうと、兄貴は睨み、そして低いドスの聞いた声でいった。
「俺が冗談が嫌いなのは分かっているよな。とっとと食えよ」
あまりにも、理不尽な台詞だった。さっき、兄貴の方から冗談を言ったのに、今度は俺がノリで冗談を言ったら、本気にしやがった。俺はキノコを食べるべきか、兄貴に殴られ骨折するかの二択を責められた。
「案外、天にも昇るくらい美味いかもしれないぜ」
本当に天に昇ってしまうかもしれない。食べるべきか、断るべきか。その二択が今後の人生を左右する。かもしれない。
俺が覚悟を決めてキノコを食おうとしたら、兄貴がキノコを奪い取り、『冗談が嫌いだという事も冗談だ。だからキノコは食べなくていい』と、とんでも理論を言い出した。
全てのタレス人は嘘つきだとタレス人が言った。俺は嘘つきだ、と嘘つきが言った。
並に矛盾に満ちた。兄貴風の冗談だったらしい。

「それにしても、高次、お前色々遭ったらしいな。自殺未遂の次は女と心中するなんて」
「何で兄貴がその事を知っているんだ。自殺未遂の事は知っているのは当たり前だけど、女と心中未遂の事を何で知っているんだ」
同然の疑問だった。兄貴は俺が心中未遂(表向きではそうされている)した時は、居なかったのだから。
「ここに帰る前に、自宅に寄って行ったからな。親から色々聞かされたよ。そして、俺のことについても聞かれたけれど、適当に嘘をついて納得させた」
「そうなんだ。家に寄って行ったんだ」
ということは、今日の俺がした事は、無駄だったのか。まあ、報酬さえ貰えればそれでいいか。
「そういえば、今日お前、俺のことについて調べる為に来たんだっけ。お袋がそう言っていたんだけれど。そしてお袋は報酬は三千円でいいか。とか言っていたぞ」
なんて事だ、運がない。今日、兄貴が帰ってこなければ、三万円の報酬が得られたはずなのに、報酬が十分の一になってしまった。
せめて、明日に帰ってくれば、三万円が手に入ったというのに、運が無さ過ぎる。

「それにしても、お前は随分と変ったな。親が言っていたけれど、バイトも始めたらしいじゃないか」
「まあ、そうだけれど。短時間に色々な事があったから、変ったんだろう」
「親は、高次がやる気になって良かったよ。って言っていたけれど、俺から見れば、今のお前は引きこもる前より、ずっと弱弱しくなっているみたいだが。まるで、仕方がなく生きているという気配と、自分の価値は一円にも満たないという考えを持っている感じと。自分の命など、どうでもいいっていう顔をしているぜ」
兄貴には全部お見通しって事か、確かに兄貴は人の心理を見る事に長けているからな。

「まあ、辛気臭い話はしないでおこう。今日俺の変わりに大学に行ったんだよな。親がそう言っていたし」
「まあ、そういう事になるけど、兄貴は知り合いが多いみたいだね。それと助教授にまで手を出すなんて、相変わらずなようだね」
「助教授ではなくて准教授と言うんだよ。まあそんな細かい事はどうでもいいか」
「准教授に何で手を出したの。兄貴の好みではないような気がするけど」
何気ない疑問をぶつけてみた。
「最初は、囲碁に負けたら授業を真面目受けなさい。と高野の方から言ってきたんだよ。それで俺は、勝った時はホテルに連れ込むけどそれでもいいのか。って言ってやったら、高野の奴凄く悩んだあとに、その提案を受け入れたんだ。高野は囲碁の三段だったらしいから、負けないとでも思ったんだろう。でも俺が勝ってしまったんだよ」
「それで、ホテルに連れ込んで何をしたの。というより兄貴って囲碁ができるんだ」
「いや、囲碁のルールは始める前に、二時間囲碁の本を読んだだけで、囲碁のルールすら知らなかった」
後に裏社会の囲碁を制する闘石伝説の始まりであった。 という考えが俺に浮かんだ。
「ホテルで最初は高野の奴は固まっていて、やっぱり勝負は無効にしましょうって言ってきたけれど、約束だから無理やりに抱いた。そして高野が失神するまで抱いたら、次の日に、お願い今日もしてくれない。って誘ってきたんだ。で、俺は勝負で高野が勝ったら好きな願いを叶えてやるって言ったんだ。もちろん俺が出来る範囲の事で、そしたら、結婚してって言ってきたんだよ」
それなんてエロゲーってツッコミたくなったが、兄貴に対してツッコミを入れるのは、命が七個あっても足りない。
「それで、その条件を兄貴は受け入れたの?」
「ああ、引き受けた。代わりにもし俺が勝った場合は……なんだと思う。高次」
いきなり、問いかけてきた。そんな事、聞かれてもわからない。兄貴が考えている事は凡人には理解できない。
「授業に出なくても、出席した事になるとか」
適当に答えた。さすがにこれはないと、自分でも思った。結婚というハイリスクにたいして、リターンが少なすぎる。
「よくわかったな。その通りだよ。俺が勝ったら、授業に出なくても出席日数は取ってくれるっていう条件で賭けをしたんだ」
兄貴の思考回路は常人に理解できない。ある意味、肉体的な強さや頭の良さより、兄貴の思考の方が恐ろしいかもしれないと俺は思った。

「高次、焼酎飲まないのか」
「さっき言った通り、車で運転してきたから飲めないんだ」
兄貴は既に焼酎を飲んでいる。しかもペースが早い、七百四十ミリリットルの焼酎を既に半分以上飲んでいた。
「兄貴、ペース落とした方がいいんじゃないの。急性アルコール中毒になるよ」
急性アルコール中毒の恐ろしさを俺は知っている。あの時は死にそうになったし、こんな苦しいのなら、死んだ方がましだと思えるほどだった。最初は350ミリリットルの缶ビールを三缶くらい飲んでおこうと思ったのに、気持ち良くなりすぎて、調子に乗って追加で二缶飲んでしまった。そこで終わらせておけば多分苦しい思いはしなかったのだが、更に追加で二缶飲んでしまった。計七缶のビールを飲んで、俺は死ぬほどの、いっそう死んだほうがましだというほどの苦しみを味わった。
高校二年の時、そんな青春を過ごしていた。懐かしい記憶だ。
「高次、本当に飲まないのか?」
 そんな事を兄貴に言われたが、焼酎の中身は既にほとんどなくなっていて、お猪口一杯分あるかないかの状態だった。
 
「ところでどうして兄貴は薬物に興味があるんだ」
以前から疑問に思っていた事を、直接聞いてみた。昔なら遠まわしに言うところだが、今の俺は以前とは違い。直球で質問することが出来た。
「人間の意識という得体も知れ無い物を探るためであり、同時に自分の意識の深層を探り、誰もが到達できない場所に行く為だ。そして後は将来の人間の為に研究しているんだよ」
前者の方は理解できる。だが後者のほうは理解できない。
「どういう意味だかわからないけど……」
兄貴は酔っているから、正常な思考が出来てないのでは、と思った。
「現代の医学は確かにたいした物だが、人間の根源的な苦しみは救ってくれない。人間の苦しみの元を断つために、どんな麻薬より効果があり、ベンゾジアゼピン系の薬よりも副作用が低くて、耐久性もなく、リスクも少なく、依存性が低い薬を作り出したいと思っているんだ」
「兄貴、そんな事を考えていたのか。確かにそんな薬があったらいいと思うが、そんな理想的な薬などは作り出すのは不可能じゃないの」
「確かに、そんな薬を作ることも難しいが、もっと困難なのは、その薬を管理することだ。一ヶ月に七錠までとか決めたとしても、人間の欲求は果てしないから、法の網をすり抜けて、薬を入手してしまう可能性もある。薬自体に依存性が少なくても、人間の理性が衰えれば、人間自体が薬に依存してしまう。オランダでは、マリファナは普通に売られていて、公園や、会社で吸っている人もいる。法で買うことができる数も決められているのだが、上手く手段を踏まえれば、買うことの出来る分量以上に買うことが出来る。その所為でマリファナの依存性はタバコや酒よりも低いのに、人間がマリファナに依存してしまうような現象が起きてしまうのだよ」
兄貴の奴は完全に酔っているな。普段ならあまり喋るタイプではないのに、今は饒舌になっている。

「兄貴、俺そろそろ帰るよ」
 「帰るのか、まあいいけれど、気をつけて帰れよ」
こんな、性格の破綻した人間でも、弟の事を気遣う優しさを持っている。
「せめて、大量の保険金を掛けて受取人を俺にして、事故に見せかけて死んでくれよ」
前言撤回、こいつは弟の事を何とも思っていない。兄貴は常人の計り知れない考えの持ち主だ。だから常人とは見ている世界、認識している世界が違うのだろう。まさに、狂人と天才は紙一重という言葉がぴったりな人間だ

車で運転している時、兄貴の言葉が思い浮かんだ。
『まるで、仕方がなく生きているという気配と、自分の価値は一円にも満たないという考えを持っている感じと。自分の命など、どうでもいいっていう顔をしているぜ』
という言葉だった気がするが、実際には少し的外れなところがある。
仕方なく生きているんではなくて、既に精神は死んでいる。だが肉体は生きている。だから死んでいるが、生きているように振舞っているだけだ。
命などどうでもいいというのも、少し的が外れている。元々命に価値を付けているのは、人間であり、ほとんどの人が、命の価値がわからないと思いながら、それでも他人が、命を粗末にするなとか、自殺は最低の行為とか決め付けているだけである。
俺は元々命自体に価値を重んじていないが、命に付属する様々な事を価値があると思っていた。命がなければ体験できない事を大切にしてきた。どんな苦しい体験も最終的には、いい体験だったと思い。その辛くて苦々しい体験があったから、今の状況がありがたく感じると思い。死に逝く時には、苦しく、悲しく、辛い体験も全て受け止めて死んでいけると思っていた。しかし今はそんな事は考えていない。苦しい体験も、喜ばしい体験も、自分が決め付けているだけで、そんなものは元々無い。自我という物が様々な体験を、苦しい、喜ばしいと決め付けているだけであり、本当はそんな物は存在しない。
つまり、命に付属する自我という物をどうでもいいと思っている。
最後に、かなり的外れなものがある。それは俺の価値というものだ。俺は今まで、最低でも十万円の価値くらいはある人間だと思っていたが、それすらも自分の驕りであると気づかされた。俺の価値は無である。世界に参加していない存在である。
しかし、無と決めるのも驕りであると思っている。俺の存在はマイナスで、生きているだけで迷惑をかける人間だと自覚した。無というのは、元々何も無いから変えることができない。存在が無なら、そこから何も生まれない。喜びも生まなければ、苦しみも生まない。
しかし、マイナスという物は苦しみとか悲しみとか様々な負を生み出す。俺はそういう存在だと、自分でも認識した。

家に帰った時は既に深夜を過ぎていた。家に帰る途中コンビニの駐車場で仮眠しようとして、眠ったら、爆睡してしまったのである。
深夜であるから、当然玄関の鍵は閉められている。インターホンを鳴らすという選択肢があるが、そうすると、寝ているだろう親やアーコに迷惑をかけてしまう。仕方がないので、車の中に戻り、どうしようか考えた。
さっきコンビニで寝たから、眠る事は出来ないだろう。かといってこのまま車の中に居るだけというのも退屈で仕方がない。
コンビニに行き、酒を買って、それで、家に戻り、車の中で酒を飲んで眠るか。それしか、考えられなかった。
コンビニに着いて店に入ると、明らかに高校生くらいの男が二人いた。まあ、今の時代ではそんなに珍しい事ではない。何か大声で話していたりしているが、興味がないので、スルーしていた。
適当に酒を選び、会計を済ませようとしたら、先ほどの高校生らしき男と店員が揉めていた。
内容はいたって簡潔であり、高校生くらいの男が、酒を買おうとしたら、店員が身分証明書を見せてくださいと言っていて、高校生くらいの男は、身分証明書なんて今はもってねーよ、とか言っていた。
結局高校生くらいの男は悪態を吐いて、何も買わずに店を出て行った。
なんとなく、前に見た光景だと思った。これが噂の【ひでぶ】 という……いやデジャブという奴なのか、とりあえず俺はカクテルを持ってレジで会計を済ませた。

家に帰り、車の中でカクテルを飲みながら、先程の光景を何とか思い出そうとした。確かに以前みた事のある光景だが、それが思い出せない。
別に重要な事ではないので、無理に思い出さなくていいか。と思い、何も考えずにカクテルを飲んだ。
酔いが回りだした頃、先程の光景のその先の記憶が蘇った。ちょうど京子と出会ったのは、先ほどの様な揉め事があった日だったな。そしてその日も俺はカクテルを買っていた。つい最近の記憶のような気がするし、物凄く昔の記憶のような気がする。そんな矛盾した記憶を思い出し、懐かしみ、それで、もうあの頃には帰れないと思い、何故か虚無感が込み上げてきた。
そして、意識が朦朧としてきて、俺は眠りに就いた。

朝になって、家の玄関を開けようとしたら、開かなかった。もしかしてまだ寝ているのか? と思い、携帯で時間を確かめたが、普段なら皆起きている時間だ。そして俺は眠りに就く時間だ。
しかし、今日が休日であると気がつき、皆がまだ起きていない理由がわかった。
チャイムを鳴らして起こすのも悪い気がしたが、俺は早く家に入って二日酔いの薬を飲みたい気分だった。普段なら起きている時間だから、チャイムを鳴らして起こしてもいいだろうと思い、チャイムを鳴らした。
すぐに母親がきて、『ああ、今帰ってきたのね。昨日は幸一の部屋に泊まったの?』とか言ってきたが、俺は何も言えなかった。久しぶりに酒を飲んだので少し二日酔い気味だったからだ。
薬を飲み、すぐにベッドに身を沈め、布団を抱きながら寝転んだ。
薬が効き始めると、気分が楽になり、そしてうとうととして、眠りに就いた。
昼になり、起き始めると、家の中は誰も居ないかのように、静まっていた。皆昼寝でもしているのだろうか。しかし、昼飯はどうなったんだろう。
とりあえず、食卓のある部屋に行ったら。置き手紙があった。
『高兄、今日の昼はファミリーレストランに行くから、昼は適当に食べてね。本当は起こして、高兄もファミレスに連れて行こうっていう話をしていたのだけれど、疲れているらしいから、そっとして置こうって、私が皆に言ったの。私って気の利くいい妹でしょ』
という内容だった。はっきしいって気が利いてないし、むしろ場の空気の読めない人間のような気がする。
はっきりいうと俺もファミレスに行きたかった。昔は家族でファミレスに行くなんて、お断りだったけど、今日はやけ食いでもしたい気分だったからだ。

俺は久しぶりに、パソコンの無料ダウンロードゲームをプレイしていた。タイトルは『夜明けの口笛吹き』というもので、ジャンルはRPGである。暇つぶし程度にやっていたが、プレイして二時間が経つ。目が疲れたので、少し自分の頭とパソコンを休めるために、パソコンの電源を切った。
人間も死んだら、パソコンみたいに、ぷっつんと意識が無くなるのかなとか思ったが、その感覚が理解できない。無というものを人間は知覚や認識できない。無は所詮言葉の概念上にしか存在しないものだから、理解する事は不可能だろう。
それにしても、親やアーコ達は、帰ってくるのが遅いな。ファミレスなんて、行ったとしても二時間で帰れるものなのに。
友達とファミレスに行ったのなら、帰りが遅くなるのもわかる。ファミレスの食事なんてオマケみたいなもので、大半が喋る場として活用しているのだから。
しかし、家族とファミレスに行くのは、本当に飯を食うためだけに利用するしかないから、遅くなるなんてことはない。おそらく、何処かで買い物でもしているのだろう。もしそうだとしたら、行かなくて正解だったと思える。食事をするだけの為に出かけるのならいいが、買い物に付き合わされたら堪ったものではない。
俺は思考に深ける事にした。そうしていた方が楽だからである。昔みたいに中二病的なことではなくて、この先の事についての思考だ。
俺はもう、ニートでは無い。フリーターに進化した人間である。もしもう少し早くバイトを始めていれば、それなりの貯金が溜まったかもしれない。しかし、ニートであった時があったから、今のようなフリーターという底辺であっても少しは成長したと実感できる。ニートという最底辺から、底辺へ、そして安月給の仕事へ、一般的な給料にまで駆け上がれば、俺はそれで満足できるだろう。ニートという物を体験してきたから、そういう考え方ができるようになったんだ。決して四年間のニート暦も無駄ではないと今では思う。
とりあえず、ハーゲンダッツでも食べようと冷凍庫を開けた。しかし無かった。よく調べても無かった。どういうことだ。もしかして、いや、まさか、そんな非道な事をするなんて……俺の勘違いであって欲しい。そう願った。
そして、テーブルに置き手紙がもう一つあった。そこに残酷な真実が書かれていた……

親達が帰ってきたのは、午後の九時ぐらいであった。なんでファミレスに行く程度なのにそんな時間が掛かったのだろう。俺の予想によれば、おそらくファミレスだけではなく、他の所にでも遊びに行っていたのだろう。
別に家族の帰りが遅くなろうとも、俺は仏のような寛大な心の持ち主であるから、怒りはしない。しかし、そんな俺もかなりイライラしていた。三度目の正直、仏の顔も三度まで、という言葉があるとおり。俺は仏でありながら、修羅の如く、そしてメロスの如く、激怒していた。
今日の深夜に家のドアが閉まっていた事、食事が朝と昼に食べられなかった事、家族が俺だけを省いて何処かに出かけたこと。それらは、全て許してあげる事が出来る。しかし、どうしても、許せない事がある。それは、俺が買った三つのハーゲンダッツが無くなっていた事だ。そして何故無くなっていたのかは、置き手紙に書いてあった。
バニラ、抹茶、苺、それら全てを買った本人を除き、家族で食べた事が許せない。
ついでに、足の小指をタンスの角にぶつかった事もおそらく、家族のせいであるだろう。
その二つが許せなかった。
その事を家族の前で話したら、母が、十万円くれた。
何故、意味がわからない。
ハーゲンダッツは確かに高額だけれど、十万円の価値があるかと問われれば、五十分くらい悩んで、十万円の方が価値があるという結論に達する。
「お前も最近頑張りだしたんだから、せめてこれくらいのお小遣いをあげなければと思ったのよ」
俺は十万円という金額と母のやさしさに胸を打ち広がれて、先程まで感じていた、あらゆる負を孕んだ感情は消えてなくなった。そして自分の愚かな怒りの感情がとても情けなくなった。
「お袋、やっぱり受け取れないよ。俺はもう子供ではないんだ。これから自分の力で金を稼いでいき、そしていつか、自分で稼いだ金で、アパートの部屋を借りて、再出発するよ。だから、もう迷惑かけることもないから、安心してくれ」
そう告げると、今まで黙っていた親父が一言言った。
「お前はまだ、スタートラインに立ったばかりだ。しかし、今までのお前はスタートラインに立つ事もせず、柔軟運動すらしなかった人間だ。だから、ようやくお前がスタートラインに立ったので、俺は安心した。人生は長いかもしれない。だから、途中で投げ出してしまうかもしれない。実際お前は二度、人生を投げ出そうとした人間だ。しかし、それらを教訓にして、何者にも負けない強い人間に育ってくれ。俺から言えることはそれだけだ」

俺は、その日眠らずに、今までの事を思い出していた。俺はいつから人生を放棄したのか、俺はいつから人生がくだらないものだと思ったのか。俺はいつから人と距離をとろうとしたのか。いつ頃から俺は人生に絶望したのか。
それらの時期がわからない。そして、それ以前に、どうして俺はそういう考えを持つ人間になってしまったのだろうか。起源がわからないし、今さらそんな事を考えても、暇つぶしにしかならない。
暇つぶしにしかならない? はたしてそうなのだろうか。
自分を知ることが、次の人生を生かすことに繋がるのではないのだろうか。今までの過ちを二度と繰り返さないように、考え、思い出そうとしているのではないのか。
歴史の授業でよく聞く、『同じ過ちを起こさないように、歴史というものを勉強しているんだ』という言葉を使っていた先生が居たが、その言葉は覚えているのに、その先生の顔は思い出せない。
しかし、その言葉は、人類の歴史だけに当てはまる事ではなくて、個人の歴史にも当てはまる。
今まで積み重ねた個人の歴史が、その人の今に影響している。そして、個人の歴史は、世界規模の歴史に比べれば、些細な事だが、本人にとっては、世界の歴史よりも大事なものかもしれない。
そして、世界と同じ様に、個人も過ちを繰り返しているであろう。その個人の歴史の誤りを本人がどう受け止めるかはわからないが、例え、過ちを起こしたとしても、それを教訓にして、同じ過ちを繰り返さないようにする事が出来るはずだ。
過ちを否定して、逃げ出しては駄目なのだ。過ちを受け入れて、そして、自分で過ちに打ち勝つ事が、成長という物なのだろう。
俺の人生も過ちだらけだが、それらを受け入れ、そして、打ち勝ち、自分を成長させ、人生を豊のものにしよう。





EPILOGUE
             過ちだらけの人生の果てに

自分という人間の意識の檻の中から抜け出すにはどうすればいいのか?
死ぬ事意外に解答はないのか?
人間の第一の密室は、自分の脳が生み出している意識であり、自我である。
第二の密室は自分の行動範囲以内の場所である。
究極的な密室は、この宇宙その物である。
宇宙から抜け出すことの出来る存在は確認できていない。
                     by山下あつし


あれから、十数年が経ち、私も随分と歳をとった。五十や六十や七十歳、そしてそれ以上の人間からすれば、私など、まだ小坊主でしかない存在だが、それでも、歳をとった分だけ、昔のような、愚かな過ちをしなくなり、結婚もして、今では三児の父である。会社も普通の中小会社に勤めていて、今はそれなりの地位にいる。
昔の私が、今の私を見たら、どう思うのか。愚かと言うのか、堅実なつまらない人生を送っている、つまらない人間だとあざ笑うのか。それはわからない。
自分でも、こんな人生になるとは、夢にも思わなかった。こんな平凡で、代わり映えのない人生を送る事になるとは。
しかし、それでもあえて言っておこう。私は幸せだと。
こういう何気ない幸せを掴むためにも、大変な努力が必要であった。
だが、そのお陰で今は、安定した、生活を送り。そして、何処にでもいる様な女性と結婚が出来た。
今はまだ早いかもしれないが、子供達が大きくなり、そして結婚して、子供を作って欲しいと願っている。
孫の顔が見たいという欲求ではなく、自分の遺伝子を持った人間が生まれれば、俺の使命は半分終わりを告げたようなものだ。
世代は続くが、俺が生きた証である物語は埋もれていくだろう。
それでもいい、人間とはそういうものだ。忘去していく存在である。それを虚しいとは思わない。それでいいんだ。
一人の人間の中に物語が存在し、そして他人の物語と絡み遭い、そして膨大な物語を作り出し塵芥の様に消えていく宿命なのだ。
私は今満足している。普通の生活こそが、幸せだと知ったのだから……
                                     
                           完



しかし本当に満足なのか……?

後半、多分ここまで読んでいる人は4人くらい

第四幕 山下あつし

人間というのは実に盲目な生物である。
赤外線、粒子、ウイルス等、目に見えない物でも存在していると認識しているのに、認識していない目に見えない物を認めたりはしない。
極端な例えにすると、人の自我などは認めるけれど、人の強い想いがエネルギーとして放出され、その思念によって結果が変わるという事を否定している。
確かに眉唾物で在ると思うが、人の強い想いがエネルギーとして放出されていることを、頭ごなしに否定していて駄目である。
今は証明できないが、近い未来に、そういう未知のエネルギーが存在していると、証明されるかもしれない。
人の想いがあると受け入れるなら、魂の存在は在るのかが、解けるかもしれない。
そして全ての疑が、解とされたら、人間は何故存在するのかが分かるかもしれない。そして、存在理由が明らかになったとしたら、人間の生きる道標になるのではないかと思う。
恐ろしいのは、全ての疑が解かれた時、人間には存在理由が無いと証明される事である。
                     by山下あつし


「朝ー、朝―だよー、朝ごはん食べて、学校に行くよ」
その、ボイス目覚まし時計で俺は眼を覚ました。ちなみに声を録音したのはアーコだ。アーコは最初は嫌がっていたが、五千円やると言ったら、やってくれた。しかも、かなりノリノリで。音程は少し外れているのだが、出来はまあまあだったので、ボーナスとして、最初の値段プラス十五円をアーコに払ってやった。
昨日は変な夢を見たので、なんとんなく、寝起きが悪い。
夢の内容は以下のものだ。
俺は既に中年と思われる歳になり、普通に働いて、普通に家族を持っている。そして、そんな生活に満足している自分がいる。というありふれた夢だった。
そう、ありふれた夢であっても、今の俺にとっては、到底叶いそうもない夢なのだ。だから、そういう夢でも、俺にとってみれば、変な夢と捉えてしまう。
しかし、何で人間は夢を見ている間は、その夢が現実だと思い込んでしまうのだろうか? 目が覚めれば、夢であった事は明白に分かるのに、夢の中では、それが夢だと認識出来ないのは何故なんだろう。
もしかして今この世界も俺が創り出した夢ではないのでは、と思い、俺はアーコの所に行って、アーコのおっぱいを揉んでみた。これが夢なら、平気だろう。夢では痛みはないし、自分に都合のいい展開になるはずだ。
俺は五分後、アーコにぼこぼこにされた。分厚い本で108回くらい、殴られた。そして、痛みがあることを確認して、この世界は夢ではない確率が高いと判断した。
「高兄、ついに妹まで手を出してしまう程、落ちぶれてしまったのね。大体予想は出来たけど、まさか今日に行動を起こすなんて、計算違いだった」
まったく、アーコは兄の事をどう思っているのだが、これは夢か現実か確かめる為の儀式みたいなものなのに。その事をアーコに話した。
「犯罪者はみんな、嘘を吐いて罪を逃れようとしているのよ。もし警察に突き出されたくなければ、五十万払ってもらうよ」
「五十万なんて払えられるわけないだろ。せめて千円にしてくれよ」
値段を落とすために、アーコに交渉した。
「高兄、昨日、百万円貰ってないの?」
……?
意味が分からなかった。
昨日、百万円貰ってないの……? どういうことなのだろう。俺の聞き間違えか。
「本当に貰ってないんだ。お母さんに聞けばわかると思うよ」
俺は母に何の事か聞くために、居間に行った。この時間ならまだパートに言ってないはずだから。
「という訳なんだ。どういう事なんだ、お袋さんよ」
俺は簡潔に話し確かめてみた。
「アーコがそう言っていたの。あの馬鹿娘が、黙っていろと言ったはずなのに」
「真相を聞かせてくれ」
「実は幸一が帰ってきた時、大金を持っていたの。その中の千万を私達家族に渡してくれたのよ。そしてそのお金を家族で分けてくれって言っていたの」
イチ兄がどうして大金を持っていたかは、あえて聞かないようにしよう。
「つまり、その金を俺に渡すのが惜しいと思い。十万円を払い誤魔化そうとしていたのか」
「そういうことです」
「百万円寄越せよ。この糞婆」
「昨日、自分の力で金を稼いでいき……とかなんとか言っていたじゃないの。もうチャンスを与えてあげないから。頑張って自分の力で金を稼いでいきな」
そんな理不尽な台詞を言い。母、もとい、糞婆はパートに出て行った。

「それで、アーコは今日も学校に行かないのか?」
「学校? 今日は休みだよ。私だけ」
停学にでもなったのだろうか。
「学校でタバコを吸っては駄目だぞ」
「何言っているの? タバコは百害あって一利なしだから、吸ってないよ」
「停学なんだろ。何をして停学になったのか、お前が尊敬する兄貴に言ってみろ」
「停学なんてされてないよ。ただ気分的に休みたいだけだよ。それに尊敬してないし、むしろ蔑んでいるし」
お前限定の休みかよ。しかも、俺の事を尊敬していないだと。それは正しい認識である。俺も自分の事が嫌いだし。
別に学校くらい行かなくてもいいけど、俺みたいな駄目人間にはなって欲しくない。
「だって、高兄だって学校に行かないで、毎日シコシコしていたんでしょ」
「確かに、当時の俺は、学校に何の価値も見い出せなかった。でも、今考えると、学校でしか学べない事もあったんだな、と思う。後シコシコは確かにしていたけど、毎日じゃないからな」
そう遠い眼をして言った。
「学校でしか学べないことって何?」
……三分考えてみた。そして結論が出された。
「上手くいけば、女子高生と健全にいちゃいちゃ出来て、そして、付き合い、健全におっぱいとか触れたり出来る」
「高兄って女子高生のおっぱいが好きなの? それともおっぱいだけを愛しているの」
「どちらも愛してない。何故なら、こちらが愛を注いだとしても、向こうは愛してくれないからだ」
孤高の漢の如く、かっこ良く言い切った。
「じゃあ、質問を変えるけれど、愛って何?」
俺は愛について考えたが、答えは出ない。愛した経験もなければ、愛された経験もないからだ。
ちなみに、茂木さんの愛は間違った愛なのか、それとも、茂木さんにとっての愛しかたなのかは分からない。そしてもうこの世にいないから、聞き出すことも出来ない。
俺は待っていろといい、自分の部屋に戻っていった。

? 互いに愛し合え。-- イエス・キリスト
? 愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存すると考えられる。 -- アリストテレス、『ニコマコス倫理学』
? 愛に満たされるものは神ご自身に満たされる。--アウグスティヌス
? 愛は魂の美である。--アウグスティヌス
? 愛においては、口よりも手と目のほうが、たいがい、より雄弁に語る。--リカルダ・フーフ
? 愛は魔術のように働く。-- ノヴァーリス
? 愛の対象はそれぞれ天国の中心だ。 -- ノヴァーリス
? 愛は惜しみなく与う--レフ・トルストイ
? 愛は生命だ。私が理解するものすべてを、私はそれを愛するがゆえに理解する。--レフ・トルストイ
? 1オンスの愛は1ポンドの知識に勝る。-- ジョン・ウェスレー
? 罪を憎み、罪人を愛しなさい。-- マハトマ・ガンジー
? 愛はもっともすばやく育つものに見える、だがもっとも育つのに遅いもの、それが愛なのだ。 -- マーク・トウェイン
? 世界でもっともよく、もっとも美しい事柄は目に見えず、触ることもできません。それらは心で感じ取られなければいけないのです。-- ヘレン・ケラー
   ひとつの言葉が私たちを人生のあらゆる重荷と苦痛から開放してくれる。その言葉は、愛という。-- ソフォクレス
無償の愛は存在しない。故に、愛とは究極のエゴかもしれない¦山下あつし
愛? 何それ、美味しいの?-‐真下高次

愛について語っている事をwikipediaで調べ、それを紙に書き記し、アーコの部屋に戻ろうとした。この作業をたった一時間でやり遂げられる自分が恐ろしい。そして、俺にとっての愛の概念もオマケに記しといた。                 
アーコの部屋に戻った時、既にアーコは居なくなっていた。

俺は部屋に戻って再びパソコンの電源を入れた。
そして、俺の中で最高のフリーゲームと思っている『時流』というゲームをダウンロードした。
このゲームは、二年前にプレイしたので、細かい設定は覚えていないが、ループ物のゲームという事と、因果の因を絶つことで果を変える事が出来るという人間が主人公である。そして、選択肢はなくて、テキストを読むだけのゲームである。
ぶっちゃけた話、ひぐらしのなく頃にと似ているゲームである。
そして、挿入歌の『HINATA』とエンディングに流れる『月花夜』はそこらへんで売っている歌よりも、クオリティーが高いところがいい。
二年前にプレイしたが、もう一度プレイしたいと思いダウンロードしたという訳である。

数時間後、腹が減ったので、冷蔵庫を漁って適当な物を食べようと思い立った。パソコンの時計に眼をやると、午後二時半を少し上回った所だった。腹が減るわけだ。何故なら朝食を食べなかった上に、昼時に飯を食べなかったからだ。それにあと三十分でおやつの時間になる所であるからな。
そんな訳で二階の自分の部屋から出て、冷蔵庫がある台所まで行く事にした。
冷蔵庫の中は、賞味期限が一日程過ぎてしまった牛乳しかなかった。まあ何も摂らないよりはマシだろう。とりあえず、温めてから飲むことにした。
そんな優雅な午後の食事をしていて、俺は愛について考えてみた。
愛とはなんだ? そんな物が存在するのか分からない。利害関係無しでの無償の行為を相手にしてあげる事が愛なのか。それとも愛とは都合のいい言葉の一種で、『君を愛している、だから結婚してくれ』とか『あの人が愛しているのは私だけよ、だから貴方はあの人に会わないで』とか『一万年と二千年前から愛してる 』とか、そんな言葉でしか使わない物で、実際の愛なんて存在しないのではないのだろうか?
それぞれの偉人が、愛に対する認識が違う事は先程の事で分かったが、それでも共通する物があるのではないのか。その共通するものが、愛というものに近い存在なのではないのか。そう思ったが、共通する部分がわからないので、結局愛という物はわからなかった。おそらく愛というのは、悟りと同じで、口や文字では表現できないものであり、知らない間に愛というものを知りうるものだろうと思った。

 三時半より少し前に、アーコは家に帰ってきた。今日は学校は短縮授業だったのか。それとも早退したのか。どちらなのだろうか。おそらくアーコの事だから、早退したのだろう。
「アーコ、遅刻と早退をしていると本当に社会の底辺に直通するぞ」
そうアーコに注意を促した。俺が言える台詞じゃないけど。
「高兄、実は私、学校でいじめに遭っていて、もう学校に行きたくないの」
「そうだったのか、お前は実はいじめられっ子だったのか、俺が学校に乗り込んで、木刀で、いじめていた奴の脳天を叩き割ってやるよ」
そんな深い理由があったなんて知らなかった。しかし、ぞくぞくする展開になってきた。実は俺は、最近、筋トレをやり始めて、腕立て連続八十回を三セット、腹筋六十回を一セット、背筋百回を二セット、スクワット三十回を二セットしている。それが二週間も続いているから、そこら辺の不良も木刀があれば、三人くらいは相手に出来る。
ちなみに兄貴が木刀を持ったら、千人を一時間で病院送りできる。
「嘘に決まっているじゃない。私がいじめられていると本気で思ったの? 正直者はある意味尊敬できる存在だけれど、正直すぎると、カルト宗教団体にのめり込んでしまうよ。もう少し適当になった方が楽に生きられるのに」
「なんだ、嘘か、安心したよ」
俺はそれだけを告げた。もし本当だったら、俺の怒りでアーコの通う学校に、パトカーと救急車が来ることになってしまったからな。
ちなみに兄貴が学校に乗り込んだ場合、最悪、自衛隊が来ることになっていたかもしれない。あるいは軍隊が来て、最終的には戦車が来ていたかもしれない。そして米軍なども来て、その軍隊も、兄貴の常識はずれの戦闘能力と頭脳で壊滅させ、それがきっかけで、第三次世界大戦が起きたかもしれない。
「それに、いじめられている方じゃなくて、ある意味、いじめに加担している方だから」
「いじめかっこ悪い」
昔貼られていたポスターの様な台詞を言った。
「勘違いしないで。ある意味いじめに加担しているといっているだけで、実際には私はいじめに加担していないだけなの。簡単に言うと、いじめられっ子がいじめられているのを、ただ傍観しているだけで、助けたりはしないという意味だから」
確かに、そういうケースもある。いじめられっ子を助けたばかりに、自分までいじめられるのではないのかという恐怖心が……
俺の中学時代の時、いじめられている人間がいたけれど、誰一人手を差し伸べなかった。無論、俺も助けようとしないで、ただ傍観するだけだった。
いじめというのは何が原因で起こるかわからないが、俺はあの頃は、いじめられている奴に問題があるから、いじめられているんだと思っていた。しかし、最近は分からなくなってきている。いじめている方に問題があるのか、いじめられている方に問題があるのか、それが分からない。
いじめられている人間が、誰かに助けを求めようとするか、それとも強くなり、自分でいじめている方を撃退するのが、最善の対策なのだが。
しかし、いじめられる人間は、強くなろうとしないで、ただ事態が自然と好転するのを待っているだけだから、いつまでも、いじめられているのではないのだろうか。
それは、現実から逃れている、ニートや引きこもりにも言える事ではないのでは、と思う。ニートも引きこもりも、自分の力で現実に立ち向かわないで、ただ、自分にとって好都合な事が、自然と起きる事だけを考えているのではないのか。
そんな他力本願では、いつまでも事態は変わらずに、ただ事態は自然とゆっくりと悪くなり、気づいた時にはやり直しが出来ない事態になる確率が高いだろう。
それにしても、俺の思考回路はどうなっているんだ? いじめについて思考していたら、いつの間にか、ニートや引きこもりの事を考察していた。
自分でも気づいているが、俺は始めの本題と、最終的な結論が、全然違う事に摩り替わっていく癖がある。
まあ、別に気にする事でもないか。

「そういえば、イチ兄から、高兄に渡して欲しい物があるって言っていたの」
「何だ、金か? ハーゲンダッツか?」
「えっと、よく分からない、粉とガラスパイプを貰ったんだけれど、高兄ならわかるはずだと言われたの。これで悟りでも開けって言ってたよ」
アーコから渡されたのは、本当に訳のわからない粉だった。アンフェタミンなのだろうか? 
「あと、その粉の正式名称が書かれた紙も渡されたけれど、麻薬とかそういうやばいものじゃないよね」
渡された紙に書かれてあったのは、5-Meo‐DMT、と書かいてあった。
俺はその名前をよく知っている。
曰く、最強の幻覚剤。曰く、宇宙にまでいけるドラッグ。曰く、効果は四十分だが、その短時間で、全てを悟ってしまうドラッグ。と言われている最強の、【元】脱法ドラッグである。今では違法ドラッグだから、所持しているだけで、罰せられるドラッグだ。
何故、兄貴が俺にこの薬を託したのだろうか。兄貴は俺がドラッグを使用していたことに気がついていたのだろうか。
当時の俺は、快楽だけを求めていた。だから、幻覚剤なんて興味がなかった。しかし、悪夢のバッドトリップの後の三ヵ月後くらいから、幻覚剤に興味を持った。それも、5―Meo‐DMTだけに。もしその薬物を使えば真理を悟るここが出来るのではないのかと思っていたから。
あの時の俺は、現実に価値を見出せなくなり、死後の世界とかに興味を持ち始めたのだ。だから、最強の幻覚剤で、それも全てを悟るドラッグと言われれば、興味を持つのは当然の帰結である。しかし、いざ入手しようとした時、違法ドラッグとなり、結局は手に入れられなかった薬である。
しかし、兄貴は何処からこのドラッグを入手したのか? 本当に5―Meo―DMTなのかわからない。
それに、今は覚悟がないから使う事に躊躇ってしまう。いつかの為に、今は使用はせずに、とって置く事にしよう。
「あともう一つ受け取って欲しい物があるらしいよ。この紙だけれど、私にはわからない事が書いてあるの。高兄ならわかるっていってたよ」
アーコから紙を受け取って、さらっと内容を見てみた。

催眠導入剤であるGHBを家庭で作る方法です。
特に難しい材料はありませんので、注意して作れば、どなたでもお作りいただけるかと思います。


材料

用いる材料

・水酸化ナトリウム(鹿1級~特級を推奨)
・蒸留水(コンタクト用などの精製水OK)
・水道水
・γ-ブチロラクトン(99%以上推奨)


用いる道具

・取っ手付きの500ccパイレックス(良くある分厚いやつ
・普通のガラス容器(梅酒用2リットルがお勧め)
・キッチンメーター(gオーダーの上皿天秤)
・スプーン
・ガスコンロ
・保護具、特にめがね(推奨)
・上限300度以上の温度計(有ったら非常に便利)


お薬の調達

・水酸化ナトリウム

薬局に電話して「試薬取り扱い」を確認します。
購入は印鑑の持参が必要です。身分証の提示要求はないので、架空の住所・氏名を記載して捺印後に購入することは可能です。
使用用途を書かなくてはなりませんが、廃油石鹸、ミカンの皮むき実験など、適当に思いついた物でOKです。

ちなみに、大手量販ドラッグストアは、ビジネスメリットが低い試薬を取り扱っていない場合がほとんどです。小さな町の薬局はたいてい在庫があったりします。

GHBの合成では、そんなに危ない副産物ができるという報告は聞いていないので、98%程度の苛性ソーダでもOKと思いますが、安いモノなので、純度の高いモノをお勧めします。


・蒸留水

コンタクト用などで売っている精製水でOKです。最後の希釈にも用いると、保存安定性(賞味期限)が長くなるので、
500ccボトルを数本購入することをお勧めします。


・γ-ブチロラクトン

これも薬局で取り寄せできます。電話で、試薬の取り扱いが可能かどうか確認してからが良いです。在庫で置いている所は、ほぼ皆無ですので、取り寄せになります。1瓶数千円だったと思います。用途に関しては、有機溶剤ですので、適用に。

※γ-ブチロラクトンは、薬品用途の他に有機溶剤として用いられています。一例をあげると、特殊塗料や樹脂の溶解等があります。ですので、直接化学薬品会社に「サンプル」として無償または有償で取り寄せ依頼することも可能です。
この場合、試薬ではなく工業用になりますが、指定により99%以のものが手に入ります。ほとんどの樹脂を溶かします。プラスチック容器に計り取ったりすると、容器が解けて不純物混入となりますので注意下さい。



道具の調達

今回の方法で、一般的に入手困難な道具は無いはずです。
しかし、そこらで売っている取っ手付きパイレックスは、「直火がけ×」としているので、購入後水などを入れて、ガスコンロでテストしてから用いてください。
今回の方法では、活性炭やクエン酸、リトマス試験紙などは必要ありません。至って簡単に出来上がってしまいます。

ただし、以下の点に十分注意し、安全第一で作業下さい。
ひとつ間違えれば災害につながります。


1.300度程度の高温になるため、保護具着用必須です。(長袖・長ズボン・エプロン・めがね等)

2.高温アルカリを取り扱うため、目にはいると失明し、皮膚に付着するとその苛性により傷害が発生します。

合成方法

1.用意した取っ手付きパイレックスに、「蒸留水:γ-ブチロラクトン=1:1」で計り取ります。容器が500ccの場合、だいたい150g+150gを上限とします。

       【中略】

9.出来た液体を噴霧するとGHBの粉末ができるわけですが、これは設備がないと無理なので、水で割って保管します。

GHBのレシピが書かれていた。
GHBも使ってみたい薬物であったが、当時の段階で既に違法物だったので、入手が困難であった。だから俺は、一度は試してみたいと思いながら、結局は入手できなくて、諦めた物質である。
その、レシピが今手元にある。つまり、作ろうとすればいつでも作れるわけだ。しかし、何で兄貴は俺の欲しい物を知っているのだろう。驚異的な第六感でもあるのだろうか。まあ、あの人の怪物的な洞察力は知っているから、あまり驚かないけれど。
「あと、もう一つ渡したいものがあるんだけれど」
「まだあるのか」
「これは、イチ兄じゃなくて、郵便箱にあった葉書だけれど、住所と高兄の名前しか載っていないものなの」
受け取ってみてみると、確かに俺の名前と俺の家の住所と、相手の住所しか書かれていないもので、裏とかには何も書かれていなかった。
一回、この手の葉書を受け取ったけど、何が目的なのかわからない。一応とって置くことにするか。

それから、一ヶ月は何にもなかった。ドラマのような、小説のような出来事は起こらずに、淡々と過ぎてった。週に三回のバイトも淡々とこなしていき、普通にフリーター人生を生きていた。
バイト先のコンビニでも何も起こる事もなく、そして案外楽な仕事であると気がついて、今までのニート生活を否定するようになった。
俺は、特別な存在だと思い込んでいて、今までバイトなどそういう平凡な仕事などはしなくて、俺だけに与えられた特別な使命があると思い込んでいた。そして、その使命を果たす時は必ず訪れると思い、ただ待っているだけの生活を送っていた。そんな使命などは単なる幻想で妄想で、俺だけが思い込んでいる、中二病的な考えだったという事に気がついた。
そう、このくらいが普通の人生なんだ。こういう起伏のない、退屈で刺激がない物が、人生と呼ばれる物なんだ。最近、色々な事があったけれど、普通の生活に回帰して、それで満足出来るまで、俺は成長した。これからは、更に安心できる日常を送るために、就職活動して、どこかの会社で正社員にしてもらおう。そうすれば、俺は安心できるし、親も安心できる。ドラマチックな出来事など、望まなくていい。
そうして、生きているという実感も無しに、人生を送っていた。

そして、また例の葉書が送られてきた。何も書かれていない。住所だけ書かれた、俺宛の葉書きが。
そろそろ、警察に相談してみるかと思った。こんな不気味な手紙を一週間に一回のペースで送られるなんて堪ったもんじゃないからな。
碌々美六郎さんにでも相談してみるかな、と思い始めていた。
もう一度世話になるのは何だか気が引けるが、そうした方がいいような気がしていた。それに、知り合いの刑事さんの方が丁寧な対応してくれるだろう。
二度と連絡することはないと思っていたので、適当に机の中に入れといた記憶がある。名刺を机から探し出した。そして、十分後に名刺は見つかった。

電話で話をした後、とりあえず例の葉書きとやらを、警察署まで持ってきてくださいと言われた。
そして、今俺は警察署の中にいるけれど、あまり居心地がよくない。俺が来ることをあらかじめ知っていた碌々美さんは、一時間後に応接間に来てくれた。
「ひさしぶりですね、今日は葉書の件で来たといいますが、具体的にどういう葉書なのですか」
論より証拠という言葉がある通りに、俺は何も言わずに葉書を取り出して、碌々美さんに渡した。
「かなりの量の葉書ですね。合計八枚ですが、何か心当たりでもありますか?」
「いえ、全然ありません」
碌々美さんは葉書を慎重に見ていた。そして一言俺にいった。
「住所は群馬県勢多郡大胡町茂木とありますが、茂木というのは、茂木さんの件と関係ありそうですか?」
言われて初めて気がついたけど、確かに茂木と記されている。しかし茂木さんとは関係ないだろう。その証拠に、俺が茂木さんと知り合う前に一度目の葉書が送られてきたのだから。
それに、茂木さんと連絡が取れたのも単なる偶然で、本来なら知り合うべきではなかったはずである。森高のあほが俺に携帯電話を換えた事を知らせなかったから、茂木さんと知り合ってしまったのだ。
その森高は、退院後に『携帯電話変えたから夜露死苦』と伝えてきたのである。もしもう少し早く連絡してくれれば、悲劇は免れたというのに。
「気になる点が一つありますね」
「えっ、何ですか?」
いきなり声を出されたので少し驚いてしまった。
「六枚目の葉書から住所が、群馬県前橋市茂木になっている点です」
「あっ、本当ですね。五枚目以降しっかりと見てなかったので気がつきませんでした」
しかし、群馬県前橋市茂木という住所に何か心あたりがあったが、漠然としすぎて、思い出せなかった。それに単なる思い過ごしかもしれない。
「とりあえず、暇な時に調べますので、今日は帰ってください。こちらも少し忙しいので」
それだけを言うと、俺より早く応接間から出て行った。なんか警察というのも大変なんだな。約束の時間より一時間も遅れたのも、何かの事件を調査していたのだろう。
俺はその後、警察署から出て行き、寄り道せずに家に帰っていった。

二日後、碌々美さんから連絡があった。もう少し時間が掛かるものだと思っていた。
「住所を調べたところ、その番地には確かに家があったらしい」
「家が在ったらしいという事は、今はなくなっているという事ですか?」
当然の疑問を問いかけた。
「言い方が悪かったみたいですね。家は今もあるけれど、住んでいる人間がいないという事です」
「引越しをしたとか、交通事故で家族が死んだとか、夜逃げしたとかですか?」
「そこまでは、詳しく調べていないのです。すいません。だが、住んでいた人間の苗字と名前は教えてもらったから、今言います」
とりあえず、メモ帳代わりになるものと、シャーペンを持って、その人物の名前を書く準備をした。
「家の権利人の人物は山下あつしと言う人らしくて、国内では有名ではないが、海外では少し知られた人物らしい。何か心あたりはないですか?」
「いえ、まったくありません。とりあえず名前の字がどういう漢字なのか教えてください」
「苗字の山下は、登山とか富士山とか山田電気の山です。下という字は、君の苗字と同じ下という漢字です。それと名前は漢字などではなく、ひらがな三つで、あつしという文字です」
俺はその名前を書き記した。それにしても、名前がひらがな三つであつしというのは、なんとなく、クラナドのことみちゃん を思い出す。能登かわいいよ能登 。
それにしても、妙な偶然ってあるものだな。俺はさるさる日記で、あつしという偽名で日記を書いていたことがあった。
「あと、娘さんがいたらしいけど、今は行方不明だって言われました」
「一応娘さんの名前を聞いてもいいですか」
「まあ、それくらいならいいでしょう。娘さんの名前は京子と言うらしいです」
キョン子 か……めずらし名前だな。涼宮ハルヒの憂鬱のキョンという主人公を、女体化させた名前がキョン子だ。一部の人間には人気がある。
「一応、名前の漢字を教えた方がいいかな?」
「とりあえず教えてください」
「京子の京は京都の京で。子は子供の子です」
京子! 俺の聞き間違えか? 
「キョン子ではなくて京子という名前なんですか?」
「ああ、京子という名前に間違いないと思いますよ。それで、キョン子って誰ですか。そんな珍しい名前の人がいるのですか」
「それは、関係ありません。こっちの聞き間違いです」
しかし、京子の名前が出るとは以外だった。同姓同名ではないだろう。同姓同名である確率の方が低いからな。という事は京子が葉書を出していたのか? しかし俺の家の住所は教えていない。いや、教えていないだけで、京子の方は俺が寝ている間に、免許証などをみて知った可能性がある。
「何か心当たりがありますか」
ビンビンにありまくるが、あえて教えないことにした。
「いいえ、ありません。それとこの件はもう調べなくていいです。そちらの方も大変らしいですから」
「わかりました。何か思い出したら、また連絡をください」
そう言い、碌々美さんは電話を切った。
俺の方は少しだけ、頭が混乱していた。どうして俺に葉書を送っているのかわからない。もしかしたら、京子とは別人が、京子の住所を勝手に使って、葉書を送ったのだろうか。しかし、その可能性は低い。とりあえず、明日までに頭を整理して、これからどうするか決めよう。

次の日もまだ、頭の中で整理仕切れていなかった。いつも俺は肝心な時に、決断する事が出来ない。そういう性格だから今まで堕落していったのかもしれない。
いつもそうだった、次の日こそ行動に移すとか言いながら、結局次の日が来ても、行動する事はなかった。いつかやる、でも今すぐやらなくていい、という考えがいけないのだろう。
俺は決意した。明日には絶対に行動しようと。とりあえず、群馬県の茂木町の位置くらいは把握して、それで茂木に実際に行ってみようと思った。
その前にバイト先に連絡しておいた。『就職先が見つかったので、バイト辞めます』と。すぐに帰ってこられないかもしれないからだ。怒鳴られるかと思ったが、店長は、就職できてよかったねと言ってくれた。少しだけ心が痛んだ。
そして、俺はYohoo! で茂木町を検索して、地図をプリントアウトしておいた。
しかし、今さら茂木町に行って何をするか明確なビジョンはなかった。とりあえず、京子の家を訪ねてみようと思った。

俺は今、あらかじめ調べたルートで前橋市に向かった。電車に乗っている間、暇なので中古で買った西尾維新の作品『僕と君の壊れた世界』を読んでいた。
JRで、高崎駅まで行き、そこから乗り換えて、前橋駅まで行ったが、そこからどう行けば茂木までいけるのか調べていなかった。
完全に自分のミスだった。そこらへんにいる人に茂木までどうすれば行けるか聞きたかったが、茂木までの道が、質問された人もわからない可能性があるので聞かなかった。
とりあえず、携帯電話でグーグルのホームページまでいき、茂木町を検索する事にした。しかし、詳しい情報が出てこなかったので、途方に暮れた。
俺はいつも肝心な時にミスをするような人間である。だから、今回の失敗も今までと同じような失敗である。失敗は成功の元だが、俺にとっては成功の元にならないで、失敗は失敗のまま終わってしまう。
そういえば、今思い出したが、茂木という町は昔、大胡町という地名であったらしいことが書かれていた。前橋市と合併した事で、今では大胡町という名前がなくなったと書いてあった。駄目元で、『群馬県 大胡町』で検索したら、大胡町の事について書かれていた。
大胡町に行くには上毛線というローカルな線路で行けばいいらしい。
俺は前橋駅の駅員に上毛線の位置を聞き出して、聞いたとおりの道を進んだ。そして、そこには上毛線とやらが確かにあった。そして切符売りの自動販売機に大胡駅という名前が載っていたので、その切符を買って、電車が来るのを駅のホームで待った。

大胡駅に着いた時の素直な感想は、物凄く田舎だという物だった。
駅員に茂木がどこら辺にあるか聞いたら、南のほうにあるとだけ教えてくれた。とりあえず南に向かうことにした。歩いた時の周りの風景もかなり田舎で、こんな所に娯楽があるのかさえ疑問に思えた。
少し南に行ったところ、電信柱に茂木という名前があったので、ここが茂木町という所である事はわかった。しかし番地までは書かれていないので、茂木のどこら辺に、山下家があるのかわからなかった。適当に家を選んで、山下さんの家が何処にあるのか聞いてみる事にした。
昔の俺なら聞き込みなんてしなかったが、今の俺は他人に接しても平気なようになった。それがバイトで経験を積み重ねたおかげか、それとも京子に会いたいと思う気持ちがあるからなのかはわからない。
三件目の家で尋ねたら、山下家が何処にあるのか知っている人に出会った。正確には山下という人は知らないが、番地でどこら辺に家があるか分かるという人だった。
教えてもらったとおりの家に行ったところ、確かに住宅街の中に、一切手入れをしていない、ぼろい家があった。
ここからが問題である。とりあえず着てみたが、その先どうすればいいのかわからない。日は既に暮れかけていて、あと一時間すれば、夜の時間になるところだった。
ここら辺にネットカフェなんてないだろうし、カプセルホテルもないだろう。野宿でもするしかないのかと、途方に暮れた。
一層の事、山下家に不法浸入でもして、そこで夜を明かすのも悪くはないという考えが浮かんだ。
ピッキングなどのスキルはないので、窓にガムテープを貼り付けて、そして窓を割るという考えが浮かんだ。
しかし、そんな事をするのはちょっとだけ気が引けた。それにガムテープもないし、ガムテープが売っていそうな店も見当たらない。コンビニもここに来るまでなかった気がするし、本当にどうするか迷っていた。
色々と途方に暮れていた時、山下家の隣人が窓越しにこちらを見ていた。おそらく不審者に思われているのだろう。同じ場所に四十分も何もしないでいたら、誰だって不審者だと思うだろう。
この際だから、山下さんの事について聞いてみようという考えが浮かんだ。
隣人さんはチャイムを鳴らしてもなかなか出てきてはくれない。完全に不審者だと思っているのだろう。そして俺の事を警戒している事はすぐにわかった。
俺は高橋名人ばりの高速テクニックで右手でチャイムを鳴らし、左手でドアを叩いていた。
そして十分後、俺は警察に職務質問されることになった。

「一応聞いとくが、君は何をしていたんだ」
「チャイムを鳴らしていただけです」
素直に答えた。
「でも、岡山さんは君の事を知らないらしいけど、どうしてチャイムを鳴らしたりしていたんだ」
ここの家の人は岡山という苗字らしい、一つ勉強になった。はっきりいって雑学よりもいらない知識だけれど。
「実は岡山さん家の隣にある山下家の事を岡山さんに聞きたかったんです」
「となりの家の山下さんの家はもう誰もいないよ、下手な嘘は吐かない方がいい」
「でもそこの家のところから俺宛に葉書が届いたんです」
そう言い葉書を見せた。
「そんな葉書、偽装するくらい誰だって出来るだろ。本当の目的を言えよ」
こいつ本当に警察なのか? そう思うほど理不尽で凶悪で、そして不細工な男だった。
「とりあえず、署まで来てもらうか」
ピーポ君 のような台詞を言い、俺をパトカーに乗せた。
パトカーに乗っている間、腐れヤクザ警官から逃れる方法を考えていた。碌々美さんに連絡しようと思ったが、これ以上迷惑かけるわけにはいかないと思い、連絡するという選択肢は省いた。
警察署に着いて、ヤクザっぽい警察は別の仕事に取り掛かるらしくて、その代わりに初老の警察官に質問された。
「気を楽にしてください。少しだけ質問するだけですから」
「カツ丼とかは出されないのですね」
「君がお望みなら、出してあげますよ。その代わりに代金は君が支払う事になりますが」
まあ、刑事ドラマではカツ丼が出されるが、実際には食べ物が出されたとしても、全てこちらが支払う事になる事は知っている。
「では、質問しますが、何故君は山下さんのお宅を訪ねたのですか」
「実は山下さんの住所から家に葉書が来たので、気になって尋ねました」
そう言い、葉書を警察の人に見せた。
「確かに、葉書には山下さんの住所が書かれているね」
そう言った後、少しだけ沈黙があり、初老の警察はもう一度口を開いた。
「君が真下高次君なのかい?」
……? どういう意味なのだろう。
「ええ、そうですけど」
「ちょっと証明するものがあったら、見せてくれないかの」
そう言われて、素直に免許証を見せた。
「確かにそのようだね」
「あの、全然話が見えてこないのですが、どういう事なんですか?」
「実は真下高次という人が尋ねてきたら連絡が欲しいと言ってきた人がいるんですよ」
「山下京子という人ですか」
「いや、ちょっと違います。山下京子の叔母に当たる人から頼まれたのです」
京子の叔母が俺に? 何の用があるのだろうか。

京子の叔母に当たる人物が、警察署まで来てくれるらしいので、俺は警察署で待つ事になった。すぐに来るらしいと言っていたが、既に二時間待っている状況だった。
あの葉書は京子の叔母が送っていたものだったのだろうか。ならば何故こんな回りくどい事をしたのだろうか。京子ならこういう回りくどい事をしてくるだろうが、叔母も京子と同じで回りくどい事をするタイプの人間なのか。
それ以前に、俺は京子の叔母など知らないし、京子の叔母がどうして俺の事を知っているのが謎だった。
考えれば考えるほど、泥沼に漬かってしまうので、考えることは辞めにした。そして、俺は本を読んで待つことにした。本のタイトルは『化物語 上巻』で、西尾維新が100%趣味で書いた本らしいが、アニメ化が決定されているらしい。はっきり言って羨ましい。

「真下さんですか? あの起きてください。京子の叔母です」
俺は眠りと覚醒の間(つまりシータ波の状態)を行ったり来たりしていたので、その言葉を聞いても、すぐには何のことか理解できなかった。
すごく眠いので、寝てしまおうと思っていた。だから声には耳を貸さずに、寝てしまおうと判断した。
しかし相手は、寝かせてはくれなかった。頭をゆすったり、体をゆすったりして、寝る事を妨害していた。
しょうがないから俺は眼を少し開いて、相手がどんな顔だか確かめようとした。おそらく俺の睡眠を妨害しているのは、京子の叔母である人だろうと勝手に考えた。
京子の叔母というからには、美人であるのだろう。いや、予想を裏切って凄くおばさんくさい人かもしれない。あるいは物凄く不細工かもしれない。
俺が確かめるまでは、結果は出ていない。波動関数が収縮していないからだ。しかし、これは箱詰めの猫の場合であり、すでに決まった事は、固定されている。つまり俺の中では結果が出てないだけで、世界の法則は俺が確認していようとしていまいと、変わることはない。
まあ簡単な話、俺が観測すれば、どういう人なのか、俺の中で分かるというだけだ。
俺は京子の叔母とやらを見た。
……
京子がそこには居た。どういう事なんだ? 何故京子がいるんだ。とりあえず素数を数えて落ち着こう。素数は、自分の数字と、一でしか割り切れない孤独な数字だ。それを数える事で冷静になろう。
そして冷静になって気がついたが、京子ではないことが分かった。ただ少しだけ京子の面影がある。京子よりも少しだけ幼くしたような人物であった。

俺はその時、まだ完全に脳が覚醒してはいなかったのだろう。だから、京子の叔母に対面した時は、まだ目の前にいるのは京子なのではないかという疑問を抱いた。
その疑問を晴らすために、俺は胸を触り、首筋にほくろがないか確かめて見た。
胸は京子のより小さい、しかし、俺の記憶違いかもしれない。だから、決定的な証拠として、ほくろがあるかないかで決めようとした。そしてほくろがない事を確認して、ようやく京子ではないと確信を得た。
「やだ! 何をするのよ! 警察に訴えるわよ」
こんな事で警察に訴えても意味がない事に気がつかないのか、警察はこんなでは動いてはくれない。
「一部始終を見ていたが、君は何をやっているのかね。こんな所で痴漢に似た行為をして」
老人が言ってきたが、何を言っているのかわからない。しかし、段々と脳が覚醒し始めてようやく気がついた。
ここが、警察署である事に。

「すいません、寝ぼけていので無意識に変な行動をしてしまって」
「無意識であんな行動をするという事は、普段からそういう行動をしていて、それが習慣になってしまったという事かな」
初老の刑事に軽い尋問を受けた。
「違います。無意識にあんな行動をしたのは、普段からそういう事をしたいという願望があったけど、それを普段はしていなかったから、抑圧された性が解放されたのです」
凄くいい加減な言い訳だった。しかも、普段から痴漢行為をしたいという欲求があるという発言は、失言であることに気がついた。
「そういう事ならいいだろう。公共の場ではしないでください」
そう初老の刑事は言った。
というかいいのかよ! ってツッコミしたかったが、あえてしなかった。話がまた複雑になりそうだったから。
「あの、真下高次さんですよね」
今まで、何も発言しなかった京子の叔母とやらが、質問してきた。
「そうです、真下高次というものですけれど」
「私、京子ちゃんの叔母の山下敦子(あつこ)というものです」
俺はしばらく京子の叔母である、敦子という人を観察した。やはり京子よりも幼いような印象を受けた。京子が若返ってみたような人物だ。
もしかして、黒の組織からアポトキシン4869 を飲まされたのかもしれない。そして黒の組織の謎を調べつつ、幼馴染の父親を利用して 名探偵として、事件を解決しているのかもしれない。
まあ、そんなくだらない妄想は止めにしとこう。
「どうして、京子の叔母である貴方が、僕のことをここに案内したのですか」
何の前触れもなく、俺は核心をついた質問をした。
「ちがうのよ。京子ちゃんから連絡があって、もし真下高次という人が大胡まで来たら、あつ姉が高次さんの元に行ってください。という事を言ってきたの。そして私は京子ちゃんの頼みごとを引き受けて、大胡役場に真下高次という人が尋ねてきたら、連絡してくださいって頼んだの。その後しばらくして、また京子ちゃんから連絡があって、高次さんは大胡に来たような情報が無かったの? と聞かれて、私はなかったよ。と答えたら、もしかしたら警察の方に居るかもしれないから、一応役場だけではなくて、警察にも連絡してね。と言われたの。そして昨日警察に真下高次という人物が、山下京子のことで尋ねたら、釈放してください。と連絡したの」
そういう事か。つまり敦子さんは、京子に頼まれて、俺を迎えにきたのか。しかし京子の奴は何を考えているのだが、あいかわらず分からない。そして釈然としない言葉があった。警察に釈放してください発言は、まるで俺が警察のお世話になっていることを、前提としているみたいではないか。
実際に警察のお世話になりかけていたので、助かったけど。しかも昨日というナイスなタイミングで連絡をしてくれたのは、俺が運がいいからなのか。それとも日頃の行いが報われたのか。まあ、ぶっちゃけどうでもいいけど。
「とりあえず、今は警察署から出て、じっくり話しをしませんか」
その発言で、敦子さんが同意して、警察署から出た。

今、車の中にいて、何処に向かっているのかわからない状況だった。しかし俺はそんな事を気にしないで質問した。
「一つ質問していいですか」
この問いかけを京子にしたら、対価交換として、それなりの代償を払らわなくてはいけない。もしかしたら京子の叔母である、敦子さんも何か要求してくるかもしれない。
「なんでしょうか?」
ここで俺の中に、三つの選択肢が現れた。
1・京子の奴はなんで大胡に来た俺に対して、敦子さんを呼んだのか。それ以前に何で大胡に来るように仕向けたのか。葉書は敦子さんが送ったものなのか、それとも京子が送ったものなのか? という疑問を聞く。
2・歳いくつですか。もし彼氏や旦那さんがいないのなら、セックスを前提として付きあってください。と言う。
3・スリーサイズを教えてください。

ここは常識的に考えて、1か2のどちらかを選択する場面だろう。3という選択肢は除外してもいい。
もし3という選択肢を選ぶ人間がいたら、それはエロゲーを熟知して、既に通常の選択肢を選んで、普通に話を進めるのが嫌な人間が選択するものだろう。
俺は5秒迷ったあげく、1という選択肢を選んだ。
そして3よりも2の方がヤバイ事に気が付いた。たった5秒で気がつける俺は天才かもしれない。
「大胡に来た真下さんを、自分の家に入れて調べてさせたい事があるみたいなのよ。その為に私をガイド役として選んだみたいなの。京子ちゃんが言っていたけれど、高次さんはガラスにガムテープを張って、それからガラスを割って潜入するかも知れないから、あつ姉が監視しておいて。と言ってきたの」
「他人の家にガムテープ張って、ガラスを割って潜入するなんて人間ではないですよ。そんなことしたら、人間性が疑われて、モラルのない人間だって言われてしまうからね。それに俺自身、そんな事をする人間は嫌いですし」
京子の奴は俺の事を熟知している。実際、俺はガラスを割って潜入しようと思った人間だし。
「それにしても、何で京子は俺に、自分の家を調べさせたいのかわかりません」
「その事なのだけれど、私も問いかけたら。自分の頭を使って考えてね、あつ姉、と言ってきたの。だから私も目的が分からないのです」

「ところで、敦子さんは何か変な願望とかありますか」
「えっ、特にそういう物はないけれど、どうしてそんな事を聞くの?」
最近の俺は女との出会い=自殺フラグが経つので、少しだけ警戒していた。
「特に意味はありません、気にしないでください」
「そうですか。ところで名前で呼ぶのは止めて下さい。なんだか恥ずかしいので」
京子とは逆の考え方をしている人だな。そうしみじみと思った。
「わかりました。これからは苗字で呼ぶようにします。山下さん」

そしてたどり着いた場所は、高崎にあるビジネスホテルであった。
「山下さん、何で宿に泊まるのですか? 山下さんの家に行けばいいと思うのですが」
「すいません、私の住んでいる場所は、ここから二時間半も掛かってしまうので、ホテルに急遽、予約したのです。空いているホテルはここしかなかったのです」
なるほど、納得のいく答えだ。確かに今帰ることは出来ても、京子の家に再び行くために、また車を運転することになるから、それなら近くのホテルに泊まった方がいいという発想か。
「もちろん部屋は別々ですよね。もし一緒の部屋なら襲ってしまうかもしれませんから」
「実はツインの部屋を一つしか予約できなくて、ツインの部屋で一緒に寝ることになります。絶対に襲わないでください」
絶対にという言葉を強めに発言した。確かに初対面の男と一緒の部屋に泊まるなんて、出会い系サイトを使わなければ、そんな事にはならない。しかしちょっとショックを受けた。まるで、俺自身が嫌いで、一緒にいるだけでも不快に思っているような気がして。
警察署でおっぱいを揉んだせいだから、警戒しているのかもしれない。

ホテルに着き、フロントで鍵を受け取った後に、鍵に記されている番号の部屋まで行った。この間、一切の会話なし。
部屋に着いても何にも喋らない状態が続き、かなり気まずい雰囲気であった。この気まずい雰囲気を消し飛ばす会話を俺は脳をフル回転させて考えた。
「あの、敦子さん。聞きたい事があるのですがいいですか」 
「なんでしょうか、答えられる範囲なら答えますよ。あと呼ぶときは名前ではなくて、苗字で呼んでください」
何故、苗字で呼んでください、というのかが理解できなかった。やっぱりおっぱいの事を怒っているのかな。それとも単に、俺のことが生理的に嫌いだから、名前を呼ばれて欲しくないのだろうか。
しかも、俺との距離がかなり離れているので会話する時、少し声を大きくしなくてはいけない。距離を離しているのも俺のことを警戒しているからだろうか。
とりあえず、無難な質問をしよう。
「スリーサイズいくつですか?」
そう、これが一番無難な質問であるし、互いの事を知ることで、親しく慣れるかもしれない。
「その質問本気で言っているの?」
「本気です。互いの事を知ることが親しくなるコツですから」
敦子さんは少し考えて、荒々しい声で答えた。
「その質問は答えられません」
俺は少し間違った選択肢を選んでしまったのだろうか、そういえばついさっき、自分の中の選択肢で、選んではいけない選択だったような気がする。
「すいません、冗談です。山下さんは彼氏とかいますか。それとも既に結婚をしていますか」
「あの……どうしてそんな質問をしてくるのですか?」
なんの捻りもなく直球で答えた。
「山下さんが可愛いので、彼女にしたいからです」
自分でも本気なのか冗談なのかわからない事を言ってしまった。
「私にも……彼氏くらい居ます。だから彼女にするのは無理です」
少しどもった口調で質問に答えてくれた。しかし、彼氏がいると言う時、少しだけ間があったような気がした。
「山下さんって今何歳ですか」
「あの、何歳くらいに見えますか?」
少し考えて、無難な年齢を言った。
「17歳くらいに見えます。セーラー服着て高校に通っていても、不思議に思われないくらいですよ」
これは、本当に心から思ったことで、お世辞でもなんでもない。
「じゃあ、実際の年齢はどれくらいだと思いますか?」
この質問にはどう答えよう。年齢の事を最初に質問した俺だが、こういう実際の年齢を当てるというのが一番難しい。四十や五十代の人には実際の年齢より若いように答えれば、機嫌が良くなるが、二十代や三十代の女性は、実際の年齢より若い年齢を答えると、貫禄がないと思われて、機嫌が悪くなる可能性がある。
その逆の実際の年齢より上回っている年齢を言うと、自分は実際の年齢より老けているのだ。と思われてしまう。
一体、何歳なのか、それは考えるより直感の方が意外と当たるけれど、俺は既に京子の叔母であると言う情報を得ている。つまり実際の年齢よりも若く見えているだけで、本当は人生経験豊富な、大人の女なのであろう。
「二十九歳くらいですかね」
本当は二十三歳と言いたいところだが、京子の叔母であるので、これくらいの歳だろうと推測した。
ちなみに俺は、つい最近誕生日を迎えたので、二十三歳である。
「それ、本気で言っているの?」
怒気のこもった声を発している。おそらく間違えたのだろう。さてと、相手はどう出るのか、ワクワクしてきた。最近刺激がない生活を送っていたので、京子の叔母がどう怒るのか楽しみである。
「なんで、二十九歳ってわかったの、皆からは二十二とか十八とか挙句の果てに十五歳とか言われて、私ってそんな幼く見えるんだって今までショックを受けていたのに」
なんか正解を当てたようだ。とりあえず何か言っておこう。
「俺は人生経験が豊富なほうで、特に女性関係の経験は大きいですよ」
つい最近まで、ニートだった人間が言うような言葉ではない気がしたが、女性関係の経験が大きいというのは、少しだけ当てはまる。
そして、多いのではなくて、大きいと言った方がしっくりする。
「真下さんは何歳くらいですか?」
今度は逆に話す立場になった。
「何歳くらいに見えますか?」
この質問は、敦子さんから先に言ってきたので、別に悪戯心で言ったわけではない。
「外見は少し幼く見えますけど、私も人生経験が豊富な人間ですから言い当てられます」
「じゃあ答えてください。正解した場合は胸揉み券をあげます」
「そんな、券いりません! 真下さんの年齢は三十ですね」
券がいらないという発言は予想していたが、年齢が三十と思われているのは予想外だった。
「残念、はずれです。今度は実際の年齢を言ってください。はずれた場合は胸揉み券を無理やり発行しますよ。しかもその胸揉み券は、俺が所有する事になります」
「三十歳という年齢は間違っていたのですか」
「ショックを受けました。五歳以上歳が違います」
むーむーと敦子さんは唸りを上げながら考えている。本当に二十九歳なのか疑わしい。はっきし言って外見だけでなく、中身も京子より幼い気がする。
「今度は当たっていると思います。ずばり、三十五歳ですね」
それは本気で言っているのか、男の俺もさすがにそこまで歳を間違えられるとショックを受ける。そんなにおっさんに見えるのか俺って。
「間違った年齢の分だけ胸揉み券を発行しますから。今から胸を揉まれるのを楽しみにしてくださいね」
「本当は何歳ですか、教えてください」
「二十三です。つまり、十二枚券が発行されます。楽しみにしてくださいね」
「証拠がないです。証拠を見るまではそんな事、許しません」
俺は財布から免許証を出して、生まれた年度を見せた。
「これ、偽造ではないのですか。私をはめる為にあらかじめ偽造免許証を作ったのではないんでしょうか」
偽造も何も、本当の免許証だし、しかも、敦子さんと会うと決まったのは今日だから、偽造が出来るわけがない。
「だったら敦子さんの年齢も偽造しているんじゃないのですか。本当は十五歳かもしれないし」
「今証拠を見せるから! それと名前で呼ばないでください!」
「わかりました。名前で呼びませんよ。アッコちゃん」
「アッコちゃんって呼ばないでください! なんで皆アッコちゃんって呼ぶのですか! そんなに私って幼いのですか? 前に京子ちゃんと街に行った時、ナンパされて、私のほうが妹扱いされたのですよ。なんで皆私の事を幼い人間として見るんですか? 私は二十九年も人生を生きてきた立派な大人なのに……」
最初は俺に向かって話し掛けていたらしいが、最後のほうは、少し長い独り言になっていた。
というより皆アッコちゃんって呼んでいるということは、俺だけではなくて、ほとんどの人が、敦子さんを幼いと思っているのだろう。
少し哀れに思った。

落ち着きを戻した敦子さんは、俺に対して核心的な質問をした。
「ところで、真下さんは京子ちゃんとどういう関係なの」
「同棲生活をした仲です」
「あの、嘘は付かないで本当の事を話してください」
嘘は吐いていない、本当に同棲した仲なのだから。しかし、そんな事を言っても納得してくれそうもなかった。どういう風に説明すればいいのか迷った。
「真下さん、何か答えてください。本当に京子ちゃんと同棲したんですか?」
十五分くらいどう説明するか迷っていたら、敦子さんが先に口を開いた。おそらく沈黙している状態に耐えられなかったのだろう。
俺は腹を括って本当の事を話した。
「本当に同棲したんです。寝ている時に唇を触れたり、人前でおっぱいを揉んだり、ラブホテルに泊まったりと、色々とした仲なんです」
「……それ、本当の事なの? 京子ちゃんが何歳か知っての行為なの」
「京子は確か十五歳と言っていました。そして、学生証まで見せて自分の年齢を証明してくれました」
自分で言っている事が自分自身、何かやばい事を言っているような気がした。というよりかなり不味いくて際どくて、法に触れるような発言をしている事に気がついた。
「京子ちゃんがまだ中学生だと知っていたのに、そんなに性行為をしていたの? はっきし言って犯罪よ」
やはり何か誤解している。その誤解を解くための、魔法のような台詞はないのだろうか。
「俺は実は童貞なんです。だから京子とはプラトニックな関係です。ただ単に同棲しただけの仲なんです。信じてください。お望みなら、童貞膜を見せます」
自分で言って、馬鹿みたいに思った。そんなこと言っても無駄なのに。しかも童貞膜ってなんだよ。自分で言った言葉なのに凄く馬鹿馬鹿しくなった。
「まあ、いいわ。ここは大人の女として、許してあげるわ」
許してくれるなんて、凄く寛容深い人間だ。敦子さんに対して、幼いという事を思ってしまった自分が恥ずかしい。
「真下さんのような人間は、大人びた雰囲気の女性に手を出すことが出来ない癖に、幼いと思う人間には手を出す人間だもんね。京子ちゃんと同棲したという部分だけは信じてあげるけれど、胸を揉んだとか、ディープキスをしたとか、ラブホテルで危ないプレイをしたという部分は嘘ですよね。どちらかというと、私みたいに幼くて、性的な行為をしても訴えないような人間に手を出してしまうタイプですよね。つまりロリコンですね。もしかして今私危ない立場になっているのかもしれないわ。今すぐ警察を呼んだ方がいいかしら」
ディープキスをしたとか、危ないプレイをしたとか、そこまで言った覚えはない。
それにしても、凄い毒舌をする人だった。やっぱり京子の叔母というだけあって、外見だけでなく、内面も似ているんだなと思った。そして一瞬でも寛容深い人間だと思った俺は愚かだった。
「で、本当はどういう関係なの」
一瞬耳を疑った。だってさっき、同棲していた仲だという事を信じてくれた人間が、本当はどういう関係なのって言ってきたからだ。
「同棲していたのは本当です」
ラブホテルに泊まったとかいう話も本当だが、それを言っても信じてくれそうもなかった。
「京子ちゃんって、人といる事が嫌いな人間なのよ。その京子ちゃんが同棲するなんて信じられないんです」
人といるのが苦痛? そんな素振りをみせた所はなかった。しかし、退屈な時は本を読んでいるので、俺と親しくしたのは、アパートから追い出されないように、無理やり明るい振りをしていたのか? しかし、それなら俺に葉書を送ったりはしないはずだ。だが、本当に葉書を送ってきているのは京子かどうかわからない。
俺は京子のことについて敦子さんに質問した。
「山下さんが知っている京子を教えてください」

「つまり、京子は登校拒否していて、二年生の時一回だけ気まぐれに登校したら、その日に学生証を作られたということで、俺が見た学生証はその時作られたものという事ですか……そして、父親が行方不明になったので山下さんが京子を引き取ったという事ですか?」
「大体そんなところです。一回だけ私が街に行くように誘った時、一緒に街を歩いた事があったけれど、あの子はあまり興味がなさそうな感じがして、迷惑だと眼で訴えていました。そして、あの子のほうから何かしてくる事はなかったです。いつも本を読んでいてばかりで、寡黙な少女だという印象だったです」
つまり、纏めると、京子の父親が、京子が中学二年の時に行方不明になり、京子の叔母である敦子さんが京子を引き取ったという事になる。それから二人は、あまり会話などはせずに淡々と過ごしていたという。
京子はどう思っていたのかはわからないが、敦子さんからしてみれば、何を考えているのかわからないので、どういう風に接したらいいかわからなかったらしい。
そして今年の四月後半に京子は突然家を出て行ったらしくて、敦子さんは何処に行ったのか、その手がかりがなくて、とりあえず警察に姪が家出したと言ったらしい。
そして、八月の終わりに、突然京子から連絡があり、大胡に真下高次という人が尋ねたら、とりあえず、敦子さんが保護してください。と連絡を入れたらしい。
そして学生証は偽造ではなくて本物だったらしい。つまり俺は本当に中学生に欲情したロリコン野朗だったという事になる。
しかし、ここで俺の弁解をするが、京子は本当に大人の魅力があり、その魅力で俺は京子に欲情したのである。だから俺は決してロリコンじゃない。
と、誰かに向けて弁解した。俺は一体誰に向けて弁解しているのだろう。

「まあ、どういう状況かはわかりました。結論から言うと、京子が葉書を送って大胡町に誘導したのは、俺のことが好きだからですね」
「絶対違うと思います。多分京子ちゃんにとっては単なる退屈しのぎではないのではと思います」
確かにそういう可能性が高い。そして京子が俺の事が好きだからという推理は、ただの冗談に過ぎない。しかし、強く否定されると何だか虚しい気分になる。
だが俺も人生なんていうものは所詮退屈しのぎであると思っている。より良く退屈しのぎをする為に、人間は生きているものだ。その為に金を稼いだり、地位を手にしたり、権威を会得したりしているものだ。
だから京子がそんな行為をしても不思議には思わない。ただの退屈しのぎだろうとしてもいい。京子の退屈しのぎに付き合うことで、俺も退屈しのぎができるのだから。

「今日は疲れました。風呂に入りますけれど、山下さんも一緒に入りませんか?」
「絶対に嫌です。真下さんみたいに女性経験が多い人はそんな事、気にしないと思いますが、私は男性経験が物凄く乏しいので、変なことされたら嫌な気分になります。だから一緒に風呂に入るなんて出来ません。あと、風呂に入る気力がないのでもう寝ますが、変な事だけはしないでください」
そう言って敦子さんはベッドで横になった。
それにしても、敦子さんは少し誤解しているようである。俺は女性経験が多いのではなくて、大きいだけなのである。通常の恋愛では得られない経験があったので、その分経験値も大きいだけで、実際には、女性と親しくできたのは、京子と茂木さんだけである。
京子は俺が自殺未遂をした事に責任を持っているかはわからない。でも自殺の後押ししたのは自分だと思い込んで苦しんでいるかもしれない。あるいは、そんな事を忘れて、今頃何処かで平気で暮らしているかもしれない。
茂木さんの場合は、自殺をさせてしまう程、精神的に追い込んでしまったので、後悔をしている。今でも思い出すと胸のほうが苦しくなる。あの時もっと最善の手があったかもしれないのに、どうして俺はあんな事をしてしまったのかわからない。
とりあえず風呂に入ってリラックスでもしよう。そうして疲れを取る事も、人生には欠かせないものなのだから。

そして風呂から出た後、少し確認したいことがあり、フロントに行った。フロントには一人の若い女の従業員がいた。そして確認したい事を言った。
「すいません、夜分遅くに。聞きたいことがあるので答えてくれますか」
「答えられる範囲なら質問に答えられます」
「僕の年齢はいくつに見えますか」
従業員は少し質問の内容がわからないような顔をしていた。
「直感で答えてください。別に深い意味はないので」
「ええっと、二十一歳か二十二歳くらいに見えますけれど」
「わざわざすいません、質問に答えてくれてありがとうございました」
そういって俺は自分の部屋に戻った。
やっぱり俺はまだ、老けた顔などしていないと安心した。単に敦子さんの眼力がないだけのようだった。

部屋に戻った時、敦子さんは深い睡眠に入っているようだった。しかし、本当は寝ている振りではないのかと疑い、何かして確かめようとした。でも、本当に寝ている振りで、胸とか揉んで警察などを呼ばれたら厄介なことになりそうだったから、止めといた。それに、寝ている振りをするメリットなどないし、仮に寝ている振りでも、俺には関係のないことだから何もしなかった。
これからどうしようか悩んだ。どうして京子(憶測だが)が俺を大胡に導いたのだがわからないし、もっと身近な問題は、どうやって眠るかが問題だった。
もちろん、敦子さんと別のベッドがあってそこで眠ればいいのだが、問題はそうじゃなくて、俺に眠気がないという事だった。
警察署で少し眠ってしまったから、眠くはない。睡眠薬もないので、無理やり眠ることも出来ない。
そういえば、自動販売機が置いてあって、ビールが売られていたような気がする。
酔ってその酔いを楽しむために酒を買うのではなくて、眠る為に酒を飲むのは少し気が引けるが、退屈なのでビールでも買って飲もうと決意した。
そして自動販売機のビールの値段に驚愕した。三百五十ミリリットルの缶が、三百三十円という暴利に近い値段だったからである。
ビールは高くても二百六十円だろうという概念を壊す値段だった。しかし、それでも何もしないより、ビールを買って酔っていたほうがいいと判断したため、俺は三缶ビールを買った。
俺はビールをゆっくり飲みながら、ある本を読んでいた。タイトルは『自分ひとりでは変われないあなたへ』という物で、著者は森田健という人である。
この本は自己啓発書ではなくて、物凄いスピリチュアルな事が書かれていて、ノンフィクションのはずなのに、そこらへんにあるフィクションの本より信じられない事が書かれている。
でも、信じるか信じないかは別として、流し読みしたら、そこそこ面白い内容だったので、気まぐれに買った本だった。もちろん新品ではなくて、ブックオフで百円の値段で買った本である。
死後の世界観が書かれている本なので、少しは楽しめて読めた。
しかし、本当に内容が信じられない事が書かれているので、全てを鵜呑みには出来なかった。とりあえず一割くらい信じて、後は作者の想像で書かれていると思ったほうがいい。
信じるという事も大事だが、疑うという心を持つことも同等に大事なことである。疑うことをしないで百パーセント信じてしまえば、カルト宗教等のインチキなものに嵌まり込み、後々損をすることもあるからだ。
ビールを二缶飲んだら、酔いが回ってきた。俺は酒に弱いタイプではないが、最近飲んでいなかったので、少しだけ酒に弱くなってしまったみたいだ。
とりあえず、明日の事に備えて、今日は素直に眠る事にした。

「真下さん、起きてください。もう朝ですよ」
目覚まし時計に録音されている声と言葉が違う。一体どういう事なんだ。それに揺さぶってくる。こんな高度な目覚まし時計を買った覚えはない。
物凄くだるいのに、こんな事されたら、溜まったもんじゃない。はやく目覚まし時計を止めよう。
そう思い、目覚まし時計のあるほうを探ってみたら、むにゅっとした感覚が手に広がった。その瞬間、顔に衝撃が起こった。かなり高度な目覚まし時計だ。これさえあれば、決まった時間に起きられる。
「いきなり何するんですか。初めて会った時も胸を触りましたよね。そういうセクハラ止めてください」
俺は寝ぼけた感覚で起きて、それで声のしたほうに眼を向けた。そこには京子がいた。何だ、まだ夢の中か、しかし夢って痛覚があったかなと疑問に思った。
「もういいです。そのまま眠っててください。できれば永眠してください。私は先に朝食を摂りますので」
俺はまだまどろみの中にいた。そして五分間、ぼーっとしていて、昨日何があったかを思い出そうとしていた。そして中途半端に目が覚めた時、自分が何処にいるのか思い出し、そして、だるいからまだ寝ていようと思い、また眠りについた。
そして、二時間後、完全に目が覚めた俺は、頭痛と吐き気に襲われていた。たった二缶しかビールを飲んでいないのに、こんな症状が出るのはおかしい。たぶんメタミドボス的な物が混入していたのだろうと勝手に解釈した。
「敦子さん、すいませんが近くのコンビニでウコンの力を買ってきてください」
敦子さんは既に朝食を済ませていて、性欲を……ではなく、暇をもて遊んでいた。
「下の名前で呼ばないで、と言っても無駄みたいなので、敦子さんって呼んでもいいです」
呆れた口調でそういった。
敦子さんがコンビニに行っている間に、吐き気をなんとか紛らわそうとして、テレビをつけた。
「一体何が始まるんですか」
「第三次世界大戦だ!」
俺はテレビを消した。あまり面白そうな物を放送していなかったからである。
敦子さんが帰ってきたときには、既に峠を越して回復に向かっていた。だから別にウコンの力を飲まなくても大丈夫だったが、せっかくの好意(というか俺が買ってくださいと頼んだのだが)を踏みにじる事は出来ないので、ウコンの力を飲んだ。
ウコンの力を飲んで思ったが、こんなに甘くてクリーミーな飲みものを飲めるなんて、私はきっと特別な存在なのだろう。孫の誕生日に与えるのは、ウコンの力にしようと思った。

「所で今日は何をするんですか?」
俺はそう敦子さんに聞いた。
「お兄ちゃんの家、つまり、京子ちゃんの家を見ていく予定でしたはずですよ」
兄のことをお兄ちゃんと呼ぶことに違和感を感じた。精神年齢が京子より幼いというのは間違いではないかもしれない。
 「でも京子の家に上がりこんでもいいんですか。それに鍵とか持っているんですか」
 と聞いて、自分が言った事は愚問だったと気づいた。
「私は、一応お兄ちゃんの妹でもあり、京子ちゃんの叔母でもあるんですから、鍵は持っているし、不法侵入にはならないと思います」
しかし、京子の家を調べることに何か意味はあるのかと思った。まあ、暇つぶしには最適だし、京子やその父親のことを知ることができるかもしれないから、別にどうでもよかった。後は自然に任せれば、何かがわかるかもしれないし、何も収穫がなくても、別にいいと思っていた。
「所で、チェックアウトの時間は何時くらいですか?」
現実的な質問を聞いてみた。
「チェックアウトって何ですか?」
「ホテルから出る時間のことです。チェックアウトの時間を過ぎれば、延滞料金とか取られるんじゃないんですか」
「そんなの知りませんでした。そんな制度があるんですか」
冗談で言っているのかわからないが、本気で言っているのなら、子供以下だろう。いくらなんでも、子供でもチェックアウトの時間がある事ぐらいわかるはずだし。

チェックアウトの時間は十一時だったので、何とか間に合った。
敦子さんはチェックアウトの時間が本当にわからなかったらしかった。ここまで子供っぽいと逆に好きになってしまいそうだ。
まあ重ねて言うが、俺はロリコンではない。誰に向かって言っているかわからないが、とりあえず、神に向かって言っているのだと、自分で納得させた。

「あの、俺が運転していいですか」
俺は車で移動中の敦子さんに向けてそういった。昨日は夜遅くだったので、車道に車が少なかったし、道も暗くて気がつかなかったが、昼の明るさと車道が混雑している時に、敦子さんが車の運転が下手だという事に気がついた。
俺も人の事が言える立場ではない程、運転が得意な方ではなくて、出来れば自分で運転するより他人が運転してくれた方が楽だと考えている人間だが、敦子さんの運転を見ていると、事故に遭いそうで怖かった。
群馬県は交通事故率ナンバー三に入るほどの県なので、余計に不安を感じていた。
敦子さんは私の運転テクニックはイニシャルD の登場キャラ並みだから安心してと言っていたが、もしそうなら、教習所で場内運転を七回講習した人間は、全員高度なテクニックを持った人間になってしまう。
何だかんなで、なんとか京子の家に辿り着いた。
「じゃあ、家に入るために、何処かのガラスでも割って侵入しましょう」
「私鍵を持っているので、普通に玄関から入りましょ」
俺の冗談が普通に流されたので、少しショックだった。

家の玄関はどこにでもあるような家だった。もっと奇抜なのを(ミッ○ーマウスの剥製とかがあるとか )期待していたがそうではなかった。
「どこから調べるんですか?」
「とりあえず、京子の部屋を調べてみましょう。京子の部屋が何処にあるのか知っていますか?」
「すいません、お兄ちゃんの家には八回しか来た事がなくて、何処に誰の部屋があるのかわからないんです」
八回も来たのだから、部屋の位置や、誰の部屋かとかはわかるはずだと思っていたが、敦子さんに期待するのは止めよう。
「じゃあ、分担して闇雲に探しましょう。何か気になるものとかがあったら報告してください」
「そんな酷い事言わないでください。こんな不気味な家の探索を一人でするなんて嫌です。幽霊とかが出てきそうで怖いです。一緒に行動してください」
ツッコミどこらが満載だ。今昼なので幽霊なんて出ないと思うし、この家は敦子さんのお兄さんの家なのに、不気味な家とか言っているし、そして何より、敦子さんが何故か胸を押し付ける様に抱きついている。はっきり言って柔らかい物体と、敦子さんのフェロモンで、俺の大砲が勃起している。
 「敦子さん、抱きつくのは止めてください。色々な意味でやばいから」
 「え、誰が誰に抱きついて……嫌、真下さんの変態! 何でどさくさに紛れて抱きついているのよ! 今度やったら警察呼びますからね」
物凄い理不尽な事を言われたが、ここは寛容な心を持って、許してあげよう。
 「じゃあ二手に別れて行動しましょう。そのほうが効率がいいですし」
 「一緒に行動しましょうって言ったじゃないですか! その約束を破るんですか」
 確かに一緒に行動してくださいとお願いされた。しかし、俺は一緒に行動しようなんて事は同意していない。甘えさせてばかりでは成長はできないだろう。ここは突き放すべき場面だ。
 「おっぱいを揉む権利をくれたら一緒に行動してあげます」
 「いいですよ、おっぱいを揉む権利くらいあげます。しかしその権利は五万払わなくては執行できないようにしてください」
遠まわしに、一緒に行動してください。しかし、見返りはありませんよ。と言っているのと同じだ。
五万出しておっぱいを揉む権利を執行するぐらいなら、北海道のススキノに行った方がマシだ。だが、オプーナを買う権利 を貰えるよりマシに思える。そんな不思議な感覚があった。
そんなこんなで、二人で一緒に行動する事になった。

「ところで、お兄さんが失踪した理由はわかりますか」
「全然わからないの。お兄ちゃんは私より、学校の成績は劣っていましたが、本当は頭がいいんです。それで何かの研究やらをしていたみたいなんですけど、何の研究かはわかりませんでした。それに何を考えているのかわからないので、まるで自分とは次元の違う存在と思った事が何度かありました」
その気持ちはよく分かる。俺の身近にもそんな奴がいるからである。ぶっちゃけて言うと兄貴のことだが。
「じゃあ、敦子さんはお兄さんの事を全然理解できてなかったという事ですね」
「そのとおりです。そしてその娘である京子ちゃんの事も理解できませんでした」
他人の事を百パーセント理解できる人間なんて存在しないし、理解したとしても、それはただ単に、理解しているつもりにしか過ぎない。三十パーセントくらいなら理解していると思ったとしても、本当はまったく理解できてなく、五パーセント未満しか、実際には理解していない可能性もある。
他人が何を考えているか理解することは出来なくても、憶測でどういう人間かは何となくわかるかもしれない。一緒にいる時間が長ければ、それだけ憶測の精密が上がり、どういう人間かという事を少しは理解できるかもしれない。
しかし、所詮は自分とは別の人間であり、人間は考える葦であるから、常に流動的に思考は変化している。だから、なんとなく理解していた人間も、時が経てば別人の様に考え方や世界の見方が変わっている可能性が多い。だから、他人を理解しようとしても、一生理解することは不可能に近いのである。
そして、始めから理解不能な人間も沢山いるから、この世界は成り立っているのである。自分と同じ思考の持ち主しかいない世界だったら、とっくの昔に世界は滅んでいただろう。
世界の成り立ちは、自分とは違う思考を持った、他人との存在がいることで成り立っている。
「真下さん、どうしたのですか。いきなり動きを止めて黙ったままでいて、調子が悪くなったんですか?」
また俺は自分の思考に嵌まり込み、動きを止めてしまった。これはもう悪癖であるとしか言いようがない。
「いや、少し考え事をしていただけです。大丈夫ですよ」
「そうですか、どうやったら私を口説き落とせるかを考えていたんですね」
「いや、全然そんな事考えていませんよ。京子くらいの女性なら好みですけれど、幼い敦子さんみたいな人間なんて、眼中にありません」
「私も真下さんのような、世界中の変態を具現化させたような人間なんて、眼中にありません」
どういう流れでこうなったかわからないが、いつの間にか罵り合いになってしまった。

そして、二時間後、何も成果が得られないままだった。
京子の部屋とおぼしき所を入念に調べたが、何も変わった所もなく、何かのヒントさえ得られなかった。しかもタンスの中は何も入っていなくて、下着とかが無かった事が一番残念だった。敦子さんが何故か冷たい眼をして、何でタンスの中を入念に調べているんですか? と問いかけて来たので、タンスの中に隠しスイッチがあるかもしれないじゃあないですか、とナイスな言い訳をしたのに、何故か呟くように、やっぱり真下さんって異常性癖者なのね。と言っていた。まあどうでもいい事だけれど。
あつしという、京子の父親らしい人の部屋に行った。本棚が二つあり、膨大な数の本が入っていた。そして部屋の中央に机があった。
机の上には眼鏡ケースが置いてあった。そして眼鏡ケースを開けた時、メモがあった。そのメモに期待したが、内容はこういうものだった。『普段の私には必要の無い物』と書かれたメモだった。
この事から推測するには二つの意味がある。
一つは、俺のようにド近眼だが眼鏡を運転とか、美女探しとか、夜景を見るとき以外には使わない場合である。
もう一つは、この眼鏡は伊達眼鏡であり、度数なんてない。そして自分では使用しない。つまり、女の人に眼鏡を掛けることを目的としている。結論を言うと、眼鏡っ子が好きな人間であるという事。
実際に眼鏡を掛けてみることにした、そうすれば答えが出る。
眼鏡を掛けたとき、視界がぼやけた。ド近眼の俺の視界がぼやけるという事は、この眼鏡は老眼鏡なのだろう。
ド近眼で視力0・1しかない俺が、唯一0・01という視力になれる眼鏡である。
おそらく、あつし氏は老眼だったのだろう。
その後はめぼしい物は無かった。あったとすれば、本棚の中にある膨大な数の本だけだった。その本の中に何かメッセージがあるかもしれなかったが、十冊流し読みして諦めた。
後は居間とか客室とか調べたが特に変わった点は無かった。
風呂やトイレや物置らしき所も調べたが、何も変わっているところがなかった。
時間を掛けて入念に調べれば、何処かに何かがあるかもしれないが、この家は結構広くて、ヒントなしだと全てを徹底的に調べなくてはいけないので、かなり辛くなるかもしれない。
そして、今は休憩中で、これからどうするか、敦子さんと話をしていた。
しかし、敦子さんと話をしても、敦子さん自身が、この家のことをあまり知らなくて、しかも、この家に住んでいた、兄や、姪の事を理解出来ていない様なので、参考にはならなかった。
と、その時携帯に電話が掛かってきた。これはおそらく神の啓示か何かだろう。こういう時にタイミングよく電話が掛かってきて、話が進んでいくエロゲー等があるからだ。
俺は誰からの電話か見てみた。非通知での電話だったので、これは期待できそうだと、急いで電話に出た。
「えっと、刑事さんですか? それとも高兄ですか?」
アーコからの電話だった。何でこのタイミングで電話したのだろう。おそらく家に何かヒントになるような葉書か何かが送られてきたのだろう。と解釈した。
「お前の大好きな兄だ。何のようだアーコ、何か大事な話があるのか?」
「お母さんは泣いて、お父さんは怒っているよ」
意味が分からない。どういう事なんだ。
「手短に話してくれ。三行以内に」
「昨日、大胡警察というところから電話があって、真下高次さんは今はいますか? という電話が掛かってきたの、それで今はいませんけど答えたら、そうですか、確認がしたかっただけです。っていう電話が掛かってきたの」
警察がとりあえず、俺が本当に真下高次という人間であるのか確かめたのだな。そう理解した。
「ついに犯罪行為に走ってしまったのね。もう私達家族と高兄は絶縁だから。それだけを伝えたくて連絡したの。ばいばい、高兄」
そう言われて一方的に電話が切れた。

俺はアーコの携帯に電話を掛けた。しかし着信拒否になっているみたいだった。次に母親に電話した。着信拒否、父にも掛けたが拒否だった。家の電話に掛けてみようかと思ったが、おそらく俺からの電話だとわかったら、速攻電話を切るだろ。
誤解だが、そんな事を聞いてはくれない。そう世間はそんな甘くは無い。現に冤罪で刑務所に送られた人間だっている。
俺は帰る場所を失った。
「誰からの電話だったんですか」
深い絶望と深い嘆きと深い空腹感を漂わせて俺は言った。
「元妹からの電話です。さっき絶縁宣言されました。とりあえず、腹が減ったので何か食べよう」
「そうですか。所で妹のことをアーコと呼んでいたみたいですけれど、私もアーコさんっていうあだ名で呼ばれていました」
「じゃあ、これから、敦子さんをアーコさんって呼びます」
「絶対呼ばないでください。知らない他人から呼ばれても、嫌悪感はないのですが、真下さんに呼ばれると、鳥肌が立つほど嫌な感じがします」
そうですか、所詮俺は嫌われ者、それにしても敦子さんは、最初の台詞に『絶対』という言葉をよく使う人間だなと、どうでもいいような事に気づいた。
「とりあえず、何か食べましょう。腹が減ってはセックスも出来ないという諺がありますから」
「そうですね、何か食べましょう」
俺の冗談がスルーされた。その事が悔しかった。
「じゃあ、冷蔵庫の中にあるものでも食べましょう」
「それ、本気で言ってるの? 電気が通ってない冷蔵庫の中には腐ったものしかないでしょ」
ようやく俺の冗談にツッコミを入れてくれた。しかし冷静にツッコミされると何だか悲しい気分になる。
「それに、冷蔵庫の中に食料ではなくて、ホルマリン漬けのやばそうな物があるような気がします」
確かにその可能性があると思った。その時、神の啓示以上の閃きが俺の中に湧いてきた。
「そうです。冷蔵庫の中はまだ調べていませんでした。人間の心理的に、電気の通っていない冷蔵庫を開ける人間なんていないと思う。だからそういう所に意外なヒントがあるかもしれません」
そう思い立って、冷蔵庫の中を調べた。
そして、中には、賞味期限切れの牛乳と卵と納豆があった。徹底的に調べてもそれしか見つからなかった。
「敦子さん、納豆でも食べますか? 納豆なら元々腐った大豆を発酵させたものなので、十%食べられる可能性があります」
「絶対にお断りします。コンビニかスーパーなどで、食べられそうな物を普通に買いましょう」

俺はこれから先のことを考えていた。京子の家の捜索とかそういうものではない。これから俺は何処に帰ればいいのか考えていた。
おそらく、家に帰っても、すぐに追い返されるだろう。自殺未遂を二回した事があり、さんざん迷惑をかけたりしたし、コンビニのバイトを辞めたから、フリーターから、ニートに格下げになってしまった男だ。
そんな奴を誰が養おうという気になるのか、そういう人は多分いないだろう。それにもう二十三歳という歳である。俺の同級生達は先に進んでいるのに、俺だけ立ち止まったままである。今後の人生プランを本気で考えた方がいいだろう。

辿り着いた先は、ありふれたファミリーレストランだった。
敦子さんは適当にステーキを選んで、サラダを頼んでた。
そして、俺は五百円未満の肉と、ご飯を頼んだ。
「これからどうしますか敦子さん」
「京子ちゃんの事だから、本当は意味などなく、悪戯心で私達をもてあそんでいるのかもしれないけど、その可能性は低いわね。京子ちゃんは一見無意味に思えることをしているけれど、後々に、本当は意味のある行為だった事をしていた。と思わせますからね」
「じゃあ、これにも何か意味があるんでしょうか」
敦子さんは少し考えて、答えた。
「京子ちゃんは私に、真下さんを遠まわしに紹介したのではないでしょうか」
「それってどういう意味があるのですか?」
「つまり、結論を言うと回りくどいお見合いをさせたという事です」
凄いこじつけである。MMRのキバヤシさん でも、そんな結論は言わないだろう。

料理が来たので一時的に敦子さんは黙っていた。幸せそうな顔でステーキを食っていた。俺も早く料理が食いたかった。これはある意味拷問である。目の前に料理を食べている人がいるのに、自分は匂いを嗅ぐだけで食べられないという苦行。しかし料理が自分の元にも来れば、そんな苦行から逃れられる。
料理! 早く来てくれー!
そんな事を頭の中で叫んでいた。
と、そんなこんなで、料理は来たが、はっきし言って肉が冷めている。これはクレームものだろうと思い店員を呼んだ。
「店員さん、肉が冷めていますよ。どういう事ですか」
「お客さんが頼んだのは、冷しステーキであったような気がするんですが」
俺は料理名を言わないで、メニュー表に指をさして、これをくださいと頼んだのだ。メニュー表を改めて見たが、『角切りステーキ冷し物』と確かに書いてあった。
何それ……そんなの罰ゲーム物のメニューじゃないか。確かにメニュー表を金額とイメージ写真以外ちゃんと見なかった俺も悪いが、こんなメニューを置く店もおかしいだろう。
俺はその事について問いかけた。
「実はここのレストランは、深夜の客が多くいて、その中でゲームをする人達がいたんです。そして負けた人は罰ゲームとして、冷えたステーキを食べるというルールになっていたのです。最初の内は、その団体の為の隠しメニューでしたが、いつの間にか噂が広がって、冷しステーキを罰ゲームとして注文する団体が増えたのです。そしていつしか、普通にメニュー表に出すようになったのです」
「そうですか、今からメニューを変える事は出来ますか?」
「値段さえ出してくれれば、新しいメニューを追加で注文できますよ」
はっきりいってこの店でこれ以上金を出したくないので、メニューを追加しなかった。
俺が冷えたステーキを食べている間に、敦子さんはジャンボプリン苺DX(メニュー表にそういう物があったからおそらくそれだろう)というパフェを食べていた。
そして、会計の時俺は、千円出して別々で清算しますと言ったら、敦子さんは、『男は普通は割り勘ではなく、奢るものでしょう』と言ってきた、俺は強い殺意を、冷しステーキ罰ゲームを最初におこなった団体に向けたが、そんな事は無意味だと悟り、五千円札を出して、お釣りはいらないと無愛想に答えて店を出ようとした。
「お客さん、お金が足りませんよ」
どういう事なんだ、五千円札を出してもお金が足りないなんて、そんなことは考えられない。
伝票を見て驚いた。角切りステーキ冷しは三百五十円でご飯が百五十円であり、そこまでは予想通りの値段(自分で頼んだのだから、わかっている値段)なのだが、ジャンボプリン苺DXパフェは千五百円で高級黒和牛サーロインステーキは四千円だった。
何故、高級黒和牛サーロインステーキなどという物が、ファミレスにあるのか不思議だったが、冷しステーキをメニュー表に載せる時点で、ここが普通のファミレスではないとそう思った。
敦子さんは始めから俺に奢らせる為にこのメニューを頼んだのだろうか?
とりあえず、一万円札を出して、その店を後にした。
教訓:人は時として、えげつない事を平然とやってのける。

「敦子さん、最初から奢らせるつもりで、この店を選んだんですか?」
「適当に選んだんですけれど、それがどうしたんですか」
この俺の問いへの答えは真実なのであろうか。それを確かめる為にもう一度質問した。
「敦子さんの頼んだ料理って高かったですよね」
「えっ、そうなんですか」
しらばっくれているのか、それとも本当に知らないのか。それを確かめよう。
「実はかなりの値段だったんですけれど、何円くらいしたと思いますか」
「合計で二千百円くらいですか、パフェは七百円くらいだと思うのですが?」
「値段を見なかったんですか?」
「値段は見ないで写真と名前で決めました」
もしこの世に悪があるとしたら、それは無知なことだ。無知という物は人を正しい道へと導かない。そして悪の道を歩んだとしても、無知ゆえに罪悪感を感じない。
そんなフレーズが浮かんだ。
ちなみに俺は、写真と値段しか見なかった。名前を見ておけば、こんな事にはならなかっただろう。そして敦子さんが選んだ物が高額だと知っていたら、キャンセルさせていただろう。
しかし、本当に写真と名前だけで決めたのであろうか? もしかしたら値段を知っていて、それでもしらばっくれているだけかも知れない。
人間の心は知ろうとしてもわからない。それどころか、知ろうと努力をすればする程、分からなくなるものだ。心理学を学んだとしても、人の心など見えてこないだろう。
人間にとってのブラックボックスは、他者の心と自分の潜在意識だろう。
もちろん、それだけがブラックボックスじゃなくて、この世のあらゆる物が、見方によってブラックボックスになるだろう。
そう考えて、俺は敦子さんに問いかけることを止めにした。見えない心を探るなど、時間の無駄だと判断したからだ。どんなに時間を掛けても、わからない物を考えることは、暇つぶし程度にしといたほうがいいだろう。
しかし、新たな考えが湧く。
死後の世界、宇宙の果て、始まりの時、神への追求、そういう深遠な事を探る作業は無駄な事なのだろうか。俺にはそんな事は決められない。例え無駄だろうと、自分が真に知りたいことを探るなら、価値はあるのだろうから。

「敦子さん、さっき京子が何の為にこういう事をしたのか、という話しをしていたけど、考えるだけ無駄ですよ」
「どうしてですか?」
「人の心なんて分からないからですよ。どうしてこんな事をしたのかと、考えるだけでは答えは出ないのです。考えるより行動する事が大事なんです。考えても分からないことは、自分の意志で行動して、答えを探るべきです」
敦子さんは、少しあっけにとられた顔をしている。
「真下さんらしい発言じゃあないみたいです。まるで何処かの本から引用した台詞のように感じられます。というか、なんていう本から引用した台詞ですか?」
「いや、自分で考えた台詞ですけれど、何かおかしい所でもありましたか?」
敦子さんは、少し笑顔になって言った。
「真下さん自身が考えて言った台詞が、真下さんらしくなくて、おかしいのです。真下さんはいつも、いやらしい考えをしている人だと思ったので、そのギャップが可笑しかったの」
そうか、俺はそういう風に見られていたのか。少し、いや、かなりのショックを受けた。

京子の家に戻り、何かがありそうな所を調べたが、何も見つからなかった。
日は既に傾いていて暗くなり始めた。電気が通っていないので照明を点けることが出来ない。そんな状況では、見つかる物も見つからない可能性が高いので、捜索は止めにしといた。

「敦子さん、今日はもう日が暮れていているので、捜索は止めにしときませんか」
「その意見には賛成ですが、そうすると、家に帰らなくてはいけないと思いますけれど」
「どうしてですか?」
「今からホテルを予約しようとしても出来ないし、お兄ちゃんの家に泊まるのは怖いので、必然的に家に帰るしかないんです」
そう言われればそうだけれど、ここで寝てもいいと俺は思っているし、第一帰る家がないので、帰りたくても帰れない。
兄貴のアパートで泊めてもらうという選択肢はない。兄貴の部屋に泊まったら、あとで十万円くらいの金額を請求するだろう。
「あのー、帰る家がないので敦子さんの家に泊めてくれませんか?」
「三十万円払うならいいですよ」
「じゃあ、三十万払うので泊めてくれませんか」
「遠まわしに、お断りしているんですけれど」
ああ、俺だってそんなことぐらいは分かっていたよ。ただ敦子さんがどういう答えをするのか、確かめたかっただけだ。
「でも、敦子さんの家ってここから遠いいのでしょう。だったら、ここの近くのホテルに泊まりませんか」
「予約なしでも泊まれるホテルってあるんですか」
予約なしで入れるホテルは、俺自身が泊まったことがある。
「ラブホテルなら予約無しでも入れますよ」
「嫌です。どうしてそんな所に泊まるんですか。私の体が目当てなのね。真下さんには呆れました。勝手に野宿でもしてください」
そんな、初々しい反応が子供のようで可笑しかった。
「京子よりも肉体年齢だけでは無くて、精神年齢も低いのですね。俺は京子と一緒にラブホテルに泊まりましたよ。そして誘ったのは京子の方からです」
俺は八十九パーセント本当の事を言った。さてと、どういう反応にでるのかな。ちょっとワクワクしてきた。
敦子さんは、携帯を取り出して何処かに連絡をしようとしていた。
「警察ですか。実は児童ポルノ法違反者を捕まえ……」
俺はとっさに、敦子さんに抱きついて、携帯電話を切った。
「すいません。嘘です。俺は京子とはラブホテルに行っていません。今は敦子さんの事しか考えられません。だから、離婚を前提とした、お付き合いをしてください」
「慰謝料一千万を前提としたお付き合いならいいですよ。あと離れてください。いつまで抱きついているんですか」

そして今、何処に泊まるかを話し合った。
俺がラブホテルに泊まった方がいいですよ。今から車で敦子さんの家に行くのは、敦子さんが辛いだろうし、俺みたいな人間を家に上がらせたら、大変な事になりますよ。多分、失神するまで、ヒイヒイ言いながら、天国を味わって、俺から離れられなくなりますよ。
と言ったら、ラブホテルも同じくらい危険です。と、五秒で否定され、健康ランドに泊まりましょうと提案された。そして健康ランドに泊まることが決定した。
この間、約四十五秒。かなり高度な駆け引きがおこなわれ、終結した。
群馬県で健康ランドが何処にあるのかを、携帯でインターネットに繋いで調べてみた。
俺は普段から携帯は使用しないのに、何故かパケット放題のプランを選んでしまった。しかし、こういう時には役に立つので、過去の自分の判断を、自分で賞賛した。
そして、ここから最寄の健康ランドを見つけた。
群馬健康ランド千湯という群馬県高崎市小八木町にある健康ランドである。
 とりあえず、そこに行って見ようという事が、敦子さんと珍しく意見が合ったので、そこに向かう事にした。

車の中で、運転している敦子さんを見ながら、京子の面影を感じた。俺は一体何がしたいのだろう。京子に会いたいのだろうか、それとも暇つぶしをしているだけなのだろうか。どうして俺は群馬という、関東の中で田舎率の高いところまで来たのだろうか。一体何を期待しているのか。その辺が曖昧で、自分でも答えを出せなかった。
自分の事は自分がよく知っているというが、自分でも分からない部分が自分の中にあり、他人に指摘されて、分かることもある。
俺は自分自身の事を、理解しているのか分からなかった。

敦子さんは健康ランドに行く前に、何処かで何か食べていかない。と提案したが、昼間のような悲劇が起こると困るので、直接健康ランドに行く事を勧めた。
健康ランドの料金は、宿泊するとなると、二人合わせて五千円になるという事だった。そこまでは想定の範囲内だったが、誤算が生まれた。健康ランドの食堂にある料理は、暴利とも思えるほどに高かった。
高いと言っても、四千円とかそういう単位ではなくて、美味しそうではないのに、高い値段だという意味だ。
しかし、案外こういうところの料理の方が美味しいかもしれないと思い、一品料理を頼んで、食べてみたが、微妙な味だった。美味しくはないけれど、不味くも無いという味だった。だが、値段の分程の美味しさはなかった。ちなみに、俺が料理を試し食べをしている間、敦子さんは風呂の方に行っていた。
俺も疲れを癒すために風呂に行くことにした。
そういえば、どうでもいいことを思い出した。俺は成人式の夜に、森高のアパートで泊まる予定だったが、森高は急に用事が出来たとか言って、俺を健康ランドに置いて、何処かに行ってしまったという記憶がある。金は森高が三千円を渡してくれたので、足りたが、慣れない所で泊まるという事もあって、ロヒプノール二mg錠 を二錠飲んでも眠れなかった記憶がある。そして、その次の日に、俺は森高から金を借りて、東京の新宿某所のビルの五階にある、新宿ウエストクリニックという所に行って、レビトラ を千五百円で買った記憶がある。看板では水虫の治療と書かれていたが、はっきし言って処方箋も出さないで、アソコが立たないと言っただけで、直接薬をくれたので、違法であると思った。しかし俺はそんなことは気にしないで金を払い、一錠だけ貰ったことがある。
本当にどうでもいい思い出である。

浴場で体を洗い風呂に入った。やっぱり銭湯の風呂はいいな。他の客もいるが、それを補うほどの広さを持った風呂。家の風呂で入るのとは違う意味で気持ちいい。しかも疲れた体で風呂に入るのは極上の気分になれる。これが極楽というものなのか。
しかも、銭湯の定番はサウナである。サウナと水風呂さえあれば、二時間も過ごせる。
サウナで火照った身体を水風呂で冷す。その熱くなった身体と、その身体を冷す行為は、一種のエクスタシーをもたらし、ヘブン状態 になる。
心の中でエクセレント と叫びたくなるほど、気持ちがいい。
サウナと水風呂を交互に使用して、二十回目のサウナに入ろうとした時、既に午前二時を過ぎていた。調子に乗りすぎて、六時間サウナと水風呂を使用していたらしい。心地よい疲労感を感じながら、休憩フロアに行き、そしてそのまま寝てしまった。

起きた時は、まだ午前八時だった。疲れていたので、もう少し起きるのが遅くなると思っていたが、そうではなかった。チェックアウトの時間が十時なので、九時半に携帯にアラーム設定をしていたが、意味はなかった。
とりあえず、まだ時間はあるので、軽く朝風呂でも浴びてくるかと思い、浴槽に行った。
体は軽く洗い、そして風呂に入る時間を増やした。そして、自分で制約を決めた。サウナは三回までというものだ。もしサウナに回数制限をしなかったら、二時間以上サウナに入り、十時にチャックアウトが出来なくなるからだ。
朝風呂は気持ちがいいな。客もそんなにいないし、ゆっくりできる。『ゆっくりしていってね』という幻聴が聞こえた気がするが、無視をしておこう。
風呂から出た時は、九時半だった。計画通りの時間で出れたので、夜神月並みに顔をゆがませて、心の中で『計画通り』と呟いた。
敦子さんは既にフロントにいて、少し怒り気味だった。
「真下さん、昨日フロントには九時に待ち合わせだって言ったじゃないですか、私八時四十分からずっと待っていたのよ」
そんなこと言った覚えはないけれど、とりあえず謝っておいた。
「すいません、敦子さん。実は昨日の疲れが取れなくて、起きたのが九時半になってしまったのです」
嘘の言い訳を言ったが、遅れた事は事実なので、怒られると思った。
「そうなんですか、確かに昨日は疲れましたよね。一万円で許してあげるわ」
怒るより酷い事を、敦子さんはさらりと言った。

「ところで敦子さん、今日何にも成果がなかったらどうするつもりですか」
「家に帰るつもりよ、正確には、家でなくてアパートの一室だけれど」
「じゃあ、俺も敦子さんの家にお邪魔していいですか」
……
少し間が空いた後ぼそりと呟いた。
「真下さんが、そうしたいのならいいです。でも襲わないでください。襲ったら警察に通報しますから」
俺はてっきり、いつものように、絶対嫌です。という答えが返ってくると思ったので、少しきょとんとしてしまった。

さてと、今日も京子の家を調べるか。そう意気込み調べてみたが、何も見つからない。探すべきところは全て探した気がするが、何処かに調べ忘れなどがあり、そういう所に、何かがあるのかもしれない。あるいは最初から何も無いのかもしれない。
昼になり、食事タイムとなった。しかし、俺はファミレスだけはごめんだったので、敦子さんに二千円渡して、コンビニで適当に買ってくるように頼んだ。
「女の人に面倒ごとを押し付けるなんて、最低です」
「余った金で、好きなもの買っていいから、何でもいいので買ってきてください」
しぶしぶとした感じで、敦子さんはコンビニに向かった。
しかし、ヒントになるものも無いのに、こんな広い部類に入る家を探すのは、インターネットで、欲しいエロ画像を無闇に探すほどの行為と同じくらい大変だ。
俺は何気に台所に行った、何処かに酒でもないかと探そうと思ったからである。もしかしたら、年代物のワインが置いてあるかもしれないという、淡い期待を持って探した。
しかし、そんな物など無くて、探すだけ無駄だと悟った時、台所に床下収納があることに気づいた。もしかしたら、ここにワインがあるかもしれないと、楽観的な考えで、開けてみた。
そしたら、あった。
地下室に繋がりそうな怪しそうな階段が……

俺は今、昼飯を食べている。コンビニのおにぎり、梅干入りを。そして敦子さんはほっかほっか亭の弁当の、ロースカツ丼を食べている。しかも、コンビニで買ったのだろうと思われる、デザートが沢山置いてある。
俺は自分の愚かさを呪った。敦子さんがこういう事をする人だと思っていたのに、二千円を渡し、そして、余った金で好きな物を買っていいと発言した自分を呪った。

地下室の事は、まだ話していない。食事の最中ということもあり(俺は既に食べたけど)話せない状態だったからだ。そして一つ疑問に思うことがある。敦子さんは台所の床下収納に地下室があることを知っていたのかどうか、確かめたかった。
俺の結論から言うと、知ってはいないと思う。というものだった。
もし知っていた場合、何故それを教えないのか分からないし、隠し事や嘘を吐いたとしても、嘘を吐く理由が思い当たらない。京子に地下室の事は黙っててと言われた可能性もあるが、その事は極めて低い。
京子自身とは仲が良いとは言ってなかったし、ここの家に来たのは八回くらいだといっていたから、この家の構造に詳しくはないだろう。
しかし、それら全てが嘘であるかもしれない可能性もある。
俺は考えるのを止めた。考えても答えは出ないものは、行動して探せばいいと、昨日の自分が言っていたことに気づいたからだ。

「実は敦子さん、敦子さんが買い物に行っている間に、謎の地下室を発見しました」
「えっ、何処にあったのですか?」
この反応は知らない振りなのか、本当に知らなかったのか判断できない。
「何処だと思いますか?」
「客間ですか? 客間の畳の床を真下さんが壊したら発見できた。ということでしょうか」
俺は嘘かどうかなんて、見破ろう何てことは止めにした。たとえ今まで嘘を演じていて、地下室があると知っていながら行動していたとしたら、理由があるはずだし、もし本当に知らないのなら、それはそれでいいからと思ったからだ。
「デザート五品くれるのなら、教えてあげます」
「卑怯よそんな取引。真下さんは卑劣な事を言うのね」
「とりあえず、デザート五品いただこうか」
デザートに手を伸ばしたら、手を叩かれた。
「二品までならいいわ」
「だめだ、少ない四品で取引だ」
「女の子にとってスイーツは重要な栄養分なんです」
女の子という歳ではないが、外見だけならまだ子供っぽいところがある。
見た目は未成年、精神年齢も未成年、その名は、山下敦子 。そんなフレーズが思い浮んだ。
「じゃあ三品だ。それなら文句はないだろ。第一金は俺が渡したものだし」
「それでも納得がいかないわ。二品までにしてください」
「じゃあ、敦子さんがいなくなったあと、後日ここにきて、謎の地下室に行きます」
「分かりました。三品までだからね。それ以上要求しないでください。後になってお前の体を差し出せといっても、私の始めては渡しませんから」
そこまで、俺は要求しない。ん? さっきの会話で違和感を感じた。何だろう。そう考えてすぐに答えが出た。
「敦子さんってまだ処女だったんですか」
「そそそ、そんなこと、ない……ですよ」
思い切り動揺している。この人は嘘を吐く才能がないと確信した。

スイーツ三個食べた俺は、既にスイーツを食べ終えた敦子さんに向かって、問いかけた。
「何処に地下室があったと思いますか?」
「それが分からないから今まで苦労したのでしょう。お兄ちゃんの性格上ではかなり奇抜なところに、隠しスイッチでも設置しているんじゃないのかと思っているのだけれど。そんなもの探しても見つからないわ。ヒントでもない限り」
「そこが、心理的に仕掛けられた罠です。山下あつしという人を知っているのなら、何か奇抜な仕掛けでも用意していると思います。それで意味のないところを、縦横無尽に探し回るでしょう。でもそんな事はなくて、案外普通の所に地下室はあったんです」
そんな事を自慢げに話している自分が、滑稽に思えたので恥ずかしかった。
それに地下室を見つけたのは偶然なのに、まるで自分の手柄のように話す、その事が、滑稽さに更に拍車を掛けて滑稽に思えるので恥ずかしかった。そして、俯瞰(ふかん)して冷静に眺めている、もう一人の自分が、今の自分を馬鹿にしているかのように、冷たい眼で見てるのを感じた。
「論より証拠ですね。見れば分かると思います」
そう言って、敦子さんと台所に向かった。
「この床下収納のところに、地下室に繋がるっぽい階段があります」
「地下室に繋がるっぽいっていう事は、まだ本当に地下室があるかわからないのですか」
「いや、この階段ってかなり暗いから灯りが無ければ降りられなくて、まだ降りていないんです。だから本当に地下室があるかわからないんです。もしかしたら階段だけで、下に降りたら行き止まりで【残念これはフェイクでした】という文字があるかもしれません」
「そういう可能性があるかもしれないけれど、調べておきましょう、五千円札で懐中電灯を買ってきますから、五千円札を出してください」
この女、なんていう非道な事を言うのだ。懐中電灯なんて千円以下で買えるくせに五千円札を要求するなんて、おそらく余った金をスイーツに変える気だ。
スイーツ的な携帯小説も読んでいて途中で投げ出すが、本物のスイーツなんて、男の俺には五品が限界だ。しかし、女はスイーツを何品食べても平気で、気にするのは体重だけという特異体質を持っている。おそらく敦子さんに五千円を渡したら、スイーツ百八式くらい買ってきそうだ。『私のスイーツは百八式まであるぞ 』とか言ってきそうだ。百八品買えそうに無かったら、五円チョコ でも買って、無理やり百八品を買い揃えそうだ。
「真下さんどうしたのです? 何か考えていたようですが」
「一緒に懐中電灯でも買いに行こうか悩んでいたんだ。懐中電灯があっても、小さすぎると、無いのと同じくらいの明かりしか灯さないですから」

敦子さんが安くていい所があるからと言っていたので、そこに向かうことにした。
そして辿り着いた先は、百円ショップだった。
「あの、敦子さん、最初からここで買おうとしていたのですか」
「百円ショップもいいものが揃っているので、五千円札を貰ったらここで懐中電灯を買って、残りは、ケーキとかシュウクリームとか、買おうと思ってました」
俺の半分冗談みたいな推理は当たっていた。
「百円ショップで1個懐中電灯を買って、山田電気で大型の懐中電灯でも買いましょう。そうすれば、性能の違いがわかります」
「じゃあ、その後、ファミリーレストランか喫茶店に寄って、デザート食べていかない?」
敦子さんは既に、リアルスイーツ依存症候群 に掛かっているようだ。
「そんなに食べますと、胸が大きくなりませんよ」
「えっ、そうなんですか。ソース とか出してください」
「糖分を摂り過ぎると、女性ホルモンの分泌が阻害されて、胸とか育たないし、外見が幼くなってしまうのです」
百パーセントの嘘を吐いた。いくら何でもこんな馬鹿な話を信じる人間はいないだろう。
「そうだったんだ。だから私って幼く見えるし、胸も大きくならなかったんだ……」
いつか敦子さんは詐欺師に騙されるような気がした。

とそんなこんなで、今山下あつしの家に居る。
日が傾いているが、そんな事知ったこっちゃねー。とりあえず、地下に続く階段を降りて行こう。
百円ショップで買った懐中電灯は、少しだけ明かりを照らしたが、あまり効果がなかった。そして大型の方の懐中電灯を使って、階段を降りた。
階段は一人あるいはギリギリ二人が通れるくらいの広さだった。
「真下さん、なんか怖いわ。死体でも出てきそうな感じがする」
幽霊という言葉ではなくて、死体という表現がなんか生々しかった。そして、おっぱいが当たるほどしがみ付いているけれど、俺は何も言わなかった。
結構降りたけれど、階段は続いている。これが小説などで使われる、地獄に繋がる様な長い階段であった。という物なのか。
そして、ようやく階段を降りきって、広い場所に出た。そこには扉があり、横にタッチパネルがあった。

「この扉ドアノブがありませんね。どうやって開けるのでしょうか」
敦子さんは、冗談で言っているのか、天然で言っているのかわからない。横に怪しげなタッチパネルに0~9の数字がボタンのようにあるのだから、それを正しく入力すればいいのだろう。
しかし、電気が通っていないのだから、正しい数字を入力するところか、入力することさえもできそうに無い。
それにパネルの下にヒントらしき文字があるが、そこに書いてあるヒントらしきものでは、正解の数字を導き出す事は出来そうに無かった。
ヒントは以下のものである。
『無限に続くと思われる数字を二十一桁入力せよ』
という物で、これだけでは、ヒントとして物足りない気がする。
さてと、どうするか。せっかく、新しい展開になったのに、ここでまた、手詰まりしそうだ。
そう、思い、悲観したのだが、敦子さんが何かを見つけたようだ。
「真下さん、ここにいかにも怪しいスイッチがありますけれど、どうしますか?」
「とりあえず、押してください。もしかしたら爆発ボタンかもしれないので、少し待ってください。俺は一旦ここから逃げますから」
「真下さんって最低な人間ね。真下さんが逃げる前に、今スイッチを押しますから。今から逃げようとしても無駄ですよ」
まあ、99パーセント冗談だったから、今すぐ怪しいスイッチを押しても構わないと思っている。というより本当は俺が押したい。
そして、敦子さんがスイッチを押した時、凄い破裂音が聞こえた。まさか本当に爆発装置だったのか?
しかし、爆発はしなかった。ただでかい破裂音がしただけで、変わったといえば、灯りが点いたことだけだった。
「どうやら、非常電源のスイッチみたいだったようですね。しかし、個人の家に非常電源があるとは、あつしという人は相当浮世離れした人物だったみたいですね」
そう言っても、実は俺は非常電源が実際にどういうものか、漠然としたイメージしかない。病院で停電が起こった時に自動的に電源供給が出来ることくらいしか知らない。
敦子さんの方を見たら泣いていた。そんなに怖かったのだろうか。
「真下さん、私……生きていますよね? 手とかあります……よね」
泣き声で言ってきている。敦子さんは本当に爆発が起こったのだと、思っていたようだ。俺も一瞬爆発したと思ったので、人のことはあまり言えないが。
「大丈夫です。ちゃんと生きていますし、手もありますよ」
「じゃあ、おしっこを少し漏らしちゃった事も本当なんですね……」
敦子さんは少し恥ずかしそうに言っていた。なんか俺に対して訴えるような眼をしていた。俺が冗談を言ったから、おしっこ漏らしてしまったのか? なら俺が冗談など言わなかったら、おしっこは漏らさなかったのか?
民事裁判になった場合、どちらが敗訴するかわからないくらい、微妙な問題だった。というより、俺にとってはどうでもいい問題だった。

敦子さんは、代えのパンツを取りに上にあがっていった。
その間、俺は問題を解くことに専念した。
適当に押していって、都合よく正解の数字が出るわけはない。四桁とかなら偶然というものもあるかもしれないが、二十一桁になると確実に正解だと思った数字でなければ、駄目だろう。しかも、数字を入力できる回数は三回しかないと書かれている。もし三回失敗したら一週間は扉はロックされるらしい。つまり、勘などではなくて、これしかないという数字を入力しなければいけない。
第一、二十一桁に設定するのもおかしいような気がする。普通はもっと桁が少ないのに、二十一桁というのは、個人しか知らない数字ではなくて、誰でも知っている数字であり、何か法則性があるものかもしれない。
なにかもう一つヒントがあればいいのだが、そのヒントを見ても答えがわからなかったら、絶望的な状況になる。

俺が悩んでいる時、敦子さんは戻ってきた。
「上の方は灯りが点きましたか」
「上の方は灯りは点かなかったです。どうやら、この地下室だけが電気が通っているようです。あと、賠償金としてスイーツ五品くれるというのは、忘れないでください」
やれやれ、そんな些細な事にまだ怒りを感じているなんて、まるで子供だな。俺が誰かに小便を漏らされたら、パンチ五発と蹴り三回して、相手が悶えている隙に、財布の中の現金を全て奪う。それで許してあげられる寛容な精神を持っているのに、敦子さんの精神はまだまだ未発達だな。そうしみじみと感じた。
「もう一つ報告したいことがあるのですけれど……」
「何、ああ、ちなみにバナナはスイーツの内に入るから、バナナ一品でスイーツ一品と計算されるよ」
「そうじゃないの。スイーツの件じゃなくて、ここに来る間に、奇妙な古代文字があって、その下に『これヒントby京子』と書かれていたの」
「その古代文字らしきところに案内してください。少しは答えに近づけるかもしれませんから」
敦子さんの案内で、地下室を昇り始めた。地下室に続くこの階段も一応電気が点いているので、懐中電灯無しで移動できるようになった。

「ところで、代えのパンツって何処から取ってきたんですか? 予備のパンツを持ってきていたんですか?」
「京子ちゃんの部屋から持ってきました。昨日のパンツを穿くのが嫌だったんで。でも京子ちゃんのパンツって大人っぽい物があるんですね」
その会話に違和感があった。
違和感の正体、それは京子の部屋にパンツがあったという事だ。別に変態的な意味で言っているのではない。俺は京子の部屋を調べたのにパンツなんて存在していなかった。
しかも、かなり真剣にパンツだけを探していたので、この俺がパンツの置いてある場所を見落とすわけは無い。
昔、中学二年の時、森高とH・Nと俺で同級生の下着を盗もうとした事がある。
最初にH・Nが下着でも盗みに行こうぜと言い出した。森高は、高次が行くならいいよ。と言った。俺はその時こう言った。二階に干されている下着も盗ってやるよ。一つ残らずに。
後に、人々から恐れられる(変態呼ばれされる)神話が誕生した。
そんな、どうでもいい過去を思い出してた。この間、僅か二秒である。
「京子の部屋の何処にパンツがあったんですか」
「真下さんってやっぱり変態よ。中学の頃に下着泥棒をやっていたんではないんですか」
図星だが、どうでもいい。何処にパンツがあったかが大事なんだ。
「昨日、京子の部屋を調べても、何も出なかったような気がするんですけど」
「真下さんがタンスを探している時、『隠しスイッチでもあるかもしれない』とか言っていたじゃないですか。その台詞で思い出したんです。ちょっとした隠しスイッチみたいなものを」
「どういうスイッチですか」
「スイッチと言うより仕掛けみたいなものです。タンスの一番下を開けて、次に一番上を開けて、そして、真ん中を開けて、その後一番下と一番上を閉めるとタンスの下の部分が開く事を思い出したんです」
ネウロでもそんな仕掛けのある机の話があった気がした。
「でも、何ですぐに教えなかったんですか。そんな事を、そこにヒントがあったかもしれないじゃないですか」
「真下さんに教えたら、ヒントだけでなく、パンツも全部なくなってしまう可能性があったからです。それにヒントらしき物も無かったですし」
まあ、賢明な判断だな。その仕掛けを知っていたら、確かにパンツは何者かに(俺の事)盗まれてしまうからな。
「でも、どうしてそんな仕掛けがあることを、知っていたんですか。京子に教えてもらったとかそういう事ですか」
「えっと、自分でもよくわからないです。誰に教えてもらったか。でも何となく思い出したんです」

そんな会話をしながら、古代文字らしきものが描かれてある所に辿り着いた。
敦子さんが指をさしたところには、確かに古代文字があった。正確には絵文字である。そしてもっと正確に言えば、ジョルジュ長岡のAAが壁に書いてあった。油性マジックのペンで書いたのであろう。
『これヒントby京子』という文字も書かれている。
京子はおそらく俺のアパートからいなくなって、いつだか分からないが、この家に帰ったのだろう。そして俺に向けて、ヒントをここに書いたという事なのだろう。
足りない脳みそを使って無理やりな推測をした。しかし、その推測があっていたとしてもパスを解くためにはならない。
この絵に一体どんな意味があるのかわからない。なんでジョルジュ長岡のAAなんだ。もっと代用できるAAはなかったのか、ジョルジュ長岡自身にパスを解く為の何かがあるのか?
「何か意味がわかりませんが、この古代文字ってどんな意味なんですか?」
「これは古代文字ではなくて、ただのアスキーアートと呼ばれるものです。簡単に言うと絵文字です」
へーそうなんだ。と敦子さんは感心をしていた。俺から見れば、敦子さんの方が物事を知らないだけに見える。しかし、ジョルジュ長岡のAAと一瞬で分かる人間は、おそらく俺と同じ様に、一度は底辺の人生を送ったのだろう。
しかし、今考えてみると、あの底辺だと思っていた時期より、更に深く絶望的な底辺の生活があったかもしれない。例えるなら、株がストップ安になり落ちていったとしても、明日は騰がるだろうと思い、ずっと株を持ち続けている。そしていつの間にかタダの紙切れになってしまった。ということと同じ様に、俺の人生も今が最底辺だ、だからこれ以上悪くなるはずがない。と思っていて、今までの生活を続けていたら、さらに悪化して、いつの間にか底の見えない深い奈落に落ちていったかもしれない。
そして始めて気づく。
底辺だと思っていた場所はまだ、天国と同じであって、人間の絶望は限りなく深く、最底辺など、人間が決められないところにあると知る。
そして何もしないのなら、永遠に落ちていくだけだと知り、人生の底の見えない所をどんどん落ちていき、気がつけば引き返せないところに居て、もがけば、もがく程、どんどん下に落ちていき、最終的には自殺が唯一の救いの手になってしまう所まで落ちていく、そんな人生があったかもしれない。
そんなプランの人生から救い出してくれたのが、偶然深夜の公園で知り合った京子かもしれない。
って言うか、俺って自殺未遂したような記憶が2回程あった気がするが、気のせいだろう。
話が少し逸れてしまった。これは既に俺の癖みたいなものだ。今あるものを見ないで過去を思い出し、そして過去の記憶から関係無い事を思考するという癖が、いつの間にかついてしまったらしい。
しかし、京子の意図が読めない、どうしてこんなところに案内して、こんな妙な事をさせるのかわからない。
他人というのは知れば知るほど少しは理解できるかもしれないが、京子は知れば知るほど謎の深まる存在だ。
ある時、俺が京子にパソコンを貸した時、いつの間にかパスワードが掛けられた時があった。普通の人間なら他人のパソコンに……
今何か思い浮かんだ気がする。霞んでいるが、確かに重要な記憶。
何気なくジョルジュ長岡を見る。その時俺に電流が走った 。
そうか、そういう事か。パスワードの答えがわかった。むしろこれが不正解なら、俺はもう考えるのは止めて、敦子さんのアパートにお邪魔させてもらい。家族の誤解が解けるまで、主夫をさせてもらう。

「敦子さん今謎が解けました。携帯のインターネットで数字を確認したいので、一旦上に行きます。それともし、この解答が間違いなら、もう謎解きは諦めます。その時敦子さんのアパートに住んでもいいですか?」
「もし、家賃の三分の二を出してくれて、毎日美味しいスイーツを買ってくれるのなら、考えてあげてもいいわよ」
「そうですか。わかりました。その時は敦子さんを抱いてもいいですか?」
「そそそ、そんな事、こ、こんな所で、き、決められるわけ……ないじゃない……」
物凄く動揺している。まあこんなところで突然そんな事言われても、答えられる人間なんて京子くらいしかいないだろう。(俺が今まで出会った女性の中では)
「じゃあ、電波のいいところまで行って解答を確かめます」
「……」
衝撃が強かったみたいで、何も答えられなくなっているようだ。

そんな事で俺達は今、タッチパネルの前に居る。
「本当はわからなくて、それで適当な数字を押して間違えて、私のアパートで暮らそうなんていう考えを持っているんじゃないの」
「いえ、違います。本当にこれしかないって言う答えしか見つからなかったので、それが外れたら、多分一生解けないだろうという状況です。だからこれが合っているか、今確かめます」
そして俺はタッチパネルのボタンを押していった。
『314159265358979323846』
そう入力したら扉は開いた。
「何でわかったのですか。それ以前にその数字はなんでしょうか?」
「円周率です。円周率は無限に続くかもしれない数字です。でも、最大のヒントはジョルジュ長岡でした」
「ジョルジュ長岡? 誰ですかその人」
「さっきの絵文字のキャラクターの名前ですよ。ジョルジュ長岡というAAはおっぱいが好きなキャラクターです。そして円周率も記号で表すとπ(ぱい)になります」
「真下さんっておっぱいが大好きなんですね。おっぱいを愛しているのですね。この変態野朗」
最後の方は聞き取れなかったけど、多分博識で頭の回転も速く、そして性能良い、閃きタイプの俺の脳みそを賞賛した言葉だろう、と勝手に思い込んだ。
「じゃあ、中に入ってみましょう。それにしても良かったですね、正解でして。もし間違っていたら、敦子さん困ったでしょう」
「えっ、あ、うん。真下さんのような人が私のアパートで暮らすなんて……ちょっと嫌でした……」
「そうでしょう、本当に正解でよかったですよ。これで次に進めるのだし」
「馬鹿……」
敦子さんが何か言ったが、また聞き取れなかった。俺の耳ってもしかしてヤバイのか。

「あと、さっきの問題で最後のヒントになったのは、京子でした。昔、京子と同棲していた時、パソコンにパスワードを掛かられて、そのパスワードが円周率の二十一桁だったんです」
「真下さんにとって、大事なのは京子ちゃんですか? 京子ちゃんに会いたいから、頑張っているんですか。それともここで何か発見できるかもしれないという好奇心ですか?」
うーん、どっちだろう。やはり京子のことが気になってるけど、好奇心が湧いた事も事実だろう。
「両方だと思います」
とりあえず、そう答えた。

部屋の中にはパソコン? らしいものがあり、沢山のケーブルが床に広がっていた。
「とりあえず、このパソコンらしいものを起動させよう」
「今度は真下さんが起動させてください。今度は本当に爆発するかもしれないので」
その事をまだ根に持っていたのか……まあいい、パソコンの起動で爆発することなんてないし、もし爆発するように仕掛けてあるのなら、この部屋の意味がなくなる。おそらくこの部屋は、山下あつしが何かを研究、あるいは論文を書き記した場所であるのだろう。そして、その事は山下あつし本人と京子以外知らなかったのだろう。(あるいは京子にも教えていなかったが、京子は自分でこの部屋を見つけたかもしれない。まあそんな細かい事はどうでもいいか)

ポチッと電源を入れた。何の仕掛けがなかった事にがっかりした。敦子さんは一時的にこの部屋から退避していたが、何も起こらなかった事を知らせると、部屋に入ってきた。
「何も起こらなかったんですか。何かがっかりですね」
「俺もがっかりしました。何の仕掛けがなかった事に」
さてと、パソコンの中身でも見るか、と思ったが、パスワードが掛かっていた。
『次の問いに答えよ』

【私は去年十九歳で正月を迎えました。そして、二日後に二十二歳で正月を迎えます。私の誕生日はいつでしょう。数字四文字で答えてください。三回まで入力できます】

このクイズははっきり言って簡単すぎる問題だ。こんな簡単なものをパスワードにするなんてがっかりだ。
「敦子さんは答えわかりますか。俺はもう答えがわかったんですけれど」
「えーっと、二月二十九日かな……」
そういう事を考える人間も確かにいると思っていたけれど、まさか目の前にいるとは思わなかった。この問題は論理的に考えれば簡単に答えがわかる。
さっさと正解の数字でも入力しよう。
『0102』
そう入力してエンターキーを押した。
『正解です』
そう短い文字が表れた。
「どうして、そういう答えになるんですか。教えてください」
とりあえず、簡単に教えてあげた。

今を12月31日とする
一月二日=二十二歳誕生日(二日後)
今年の誕生日=二十一歳(一月二日)
去年の誕生日=二十歳(一月二日)
十九歳=一月一日なので正月で十九歳で正月を迎えたことになる。
「と言う訳です。わかりましたか」
「うん、全然わからない。真下さん、説明が下手ですね」
「敦子さんの理解能力が不足しているからわからないんですよ」
そんな言い争いになったところ、またパスワードが出てきた。

【さっきの問題をシンプルに答えよ。五分以内に答えられなければ、一週間このパソコンは起動しなくなる】

そう画面に出てきて、右上の方に数字が現れた。そしてその数字がカウントダウンをし始めた。
「敦子さんわかりますか? 俺は、はっきり言ってこういう直感で当てるものは得意じゃないんです」
「わかりません。真下さんが答えてください。どうせ私は、脳みそスカスカのスイーツ女なのですから」
さっきの言葉を根に持っている感じがしたが、敦子さんは本当にわからないんだろう。
時間はどんどん過ぎていき、一分を切る所までになった。
「とりあえず、適当に入力してみたらいいんじゃないんですか」
そう敦子さんが言ってきたが、正直答えがわからない。
「そうしたいんですけれど、三回までしか入力できないと、さっき書いてあったので、適当に入力するわけにもいかないし、どうすればいいんだ」
「じゃあ、私が一回だけ入力してもいいですか?」
敦子さんは答えがわかったのか? それともただ単に入力したいだけなのか、わからなかった。
「一回だけならいいですよ」
そう答えた。
敦子さんはパソコンに向かって入力しだした。そして、敦子さんが入力した答えに俺はそれで当たっているかもしれないと思った。
敦子さんが入力した答えはあっていたらしい。これはIQサプリ的な答えだけれど、たしかに納得のいく答えだった。
答えは『二日後』という、シンプルなものだった。

『次の問題に移ります』
そういうメッセージが表れた。まだ問題はあったのか。

【ある時は有益であり  ある時は有害である物は何?】

『三回入力できます。あと時間以内に答えなければ、このパソコンは一週間起動できなくなります』
そういうメッセージとともに、また画面の右上の方に数字が現れた。今度は十分以内らしい。
「敦子さんはわかりますか?」
一応聞いてみた。
「今度も一回だけ入力させてください」
そう言われたので、オッケーサインを出した。今回も敦子さんは答えがわかったのだろうか。
『スイーツ』
敦子さんはそう入力した。もちろん間違っていた。
「どうして、スイーツだと思ったんですか」
「だって、スイーツは女の子に欠かせない物だけれど、摂取しすぎると、太ってしまう物ですもの。もしかして、スイーツではなくてデザートが正解かもしれません。もう一回入力させてください」
「いいですよ、ただし間違っていたら、俺の棒を敦子さんの中に挿入させてください」
「やっぱりいいです。入力はしません」
そうきっぱりと言った。まあ、そう答えることくらい想定していたのだけれど。

ある時は有益であり、ある時は有害な物は何?
という問いに、俺は悩まされていた。この問題はさっきの様に、論理的に考えてわかる問題ではないし、直感で答えがわかるものでもない。いや、本当は直感でわかるものだけれど、ただ単に、閃かないだけかも知れない。しかも、時間指定までされているのだ。冷静に考えられない。
十分なんていう時間は、はっきりいってどうでもいいような時間だけれど、こういう制限がされたりすると、貴重な物になってしまう。そういう心理が働くという、不思議な物だ。
そこまで考えて、ようやく答えが見えたような気がした。そして問題文を読んで確信した。
「真下さん、時間がもう一分切っているんですけれど、わかりましたか?」
「もう一分切っていたんですか。時間が経つのは早いですねー」
そんな悠長な事を言いながら、答えとなる文字を入力して、エンターキーを押した。
どうやら正解したらしい。
「どうしてわかったんですか。というよりなんで答えはそれになるんですか?」
「答えがわかったのは、いつもの様に関係ないことを考える癖が役に立ったんです」
「どうすれば、女子高生にモテルかを考えていたんですね。それでどうして正解がわかったんですか」
敦子さんは俺の事をどう思っているんだろう。どうして女子高生にモテル方法を考えていたなんていう事を思い浮かべるんだろう。まあ、どうでもいいか。
「問題文の途中にスペースがありますよね、それが核心へと導いたんです。スペースは間ですから」
そう答えは【時間】である。
「でも、タイム イズ マネーという言葉があるじゃないですか。それなら時間は有益なもので、有害な物にはならないんじゃないんですか」
「でも、時間って言うのは必要な時と必要ではない時があるんです。楽しい時は時間が延びて欲しいのですが、辛い時とか苦しい時は時間がキングクリムゾン で飛ばされて欲しいではないですか。まあ、時間なんて概念でしかないんで、個人が感じている時間は、それぞれ違うものです」
「言っている意味は何となくわかります。確かに辛い時は早く時間が流れて欲しいと思うし、楽しい時は、時間が続いて欲しいと思います。ところで、キングクリムゾンってなんですか?」
「ジョジョの奇妙な冒険第五部を読んで下さい」

『よくここまで頑張りました。次で問題は終わりです』
まだ、問題があったのか、俺は山下あつしはどういう人間なのか興味を少し持った。

【沈黙を答えよ】

そう短く書かれていた。
『ただし、三回入力した時点で、パソコンは一年使えなくなります』
そう、書かれてあって、いつものように、時間制限があった。今度は三十分も時間が在った。
「どういう意味でしょう。真下さんは答えがわかりましたか?」
「いや、全然わかりません。情報が少なすぎます」
「今度も一回だけ入力させてください」
敦子さんにとりあえず、入力させてみようと思い。ゴーサインを出した。
『沈黙』
敦子さんはそう入力した。もちろん間違っていた。
「さすがにストレート過ぎるんではないんですか」
「合っていると思いました。こういう問題は、意外とストレートな答えが正解だと思ったので」
敦子さんが入力したあと、時間は三十分まで戻っていた。
「どうやら、入力すると時間は三十分に戻るみたいですね」
「そのようですね、じゃあ、一回、ここから出て、一階に戻りましょうか」
その言葉で、敦子さんは目を丸くした。
「どうしてですか? 問題を一階に戻って考えるのですか?」
「多分、正解のパスワードは在るけれど、その正解のパスワードは山下あつしさんしか知らないと思います」
敦子さんは、意味がわからないという顔をしていた。
そして、一階に戻った時、既に暗くなり始めていた。どうやら地下室にだいぶ居たようである。時間の間隔がわからなかったので気がつかなかった。

「敦子さん、これからどうしますか。ちょっと早やめの夕食でも食べますか?」
「真下さん、あの問題がわかったんですか?」
「あの問題はわかりました。だから、夕食でも食べましょう。ただし、千円以内にしてください」
この前みたいにならないように、釘を刺しておいた。
「あの、夕食なんて食べていたら、答えがわかっていても、三十分過ぎてしまうと思うのですが。あと、千円以内だとデザートが食べられないと思うのですが」
「いい歳した大人が、デザートの事で文句を言わないでください。それともやっぱり敦子さんって、未成年だったりして」
そう言うと、敦子さんはむーむー言い出した。
「真下さんだって童貞なんでしょ。だったら子供と変わらないじゃあないですか。どうせ、大人の女の人と接するのが怖いんでしょう」
「敦子さんも処女でしょう。だったら、そこら辺の高校生より子供です。どうせセックスするのが怖いんでしょう」
不毛な言い争いが続いた。童貞とか、処女とか、セックスとか、おっぱいとか、スイーツとか、クラナドは人生だとか、フェイトは文学 とか、そんな単語が飛び交っていた。

「あの、真下さん、なんか言い争っているうちに、三十分が過ぎたと思うのですが」
「そんなに、言い争っていましたっけ? 時間ってやっぱり不思議なものですね」
「言い争っている内に時間が経っていたというより、真下さんが、アニメについて熱く語っていたからだと思います。キスダム とポリフォニカ を放送していた、火曜深夜が一番よかったとか言っている間に……」
「そうですか、じゃあまた、地下室に行きましょう」
そう普通に受け流して、地下室に行こうと促した。それにしても、なんでアニメの事について熱く語っていたんだ。俺は女の人には絶対オタクだと思われないように、アニメとかについては否定的であろうと、自分に誓っていたはずなのに。でもそんな誓いなどをしなくても、女の人と会う機会がなかったので、どうでもよかった。しかし、ここ最近女性と出会う機会が増えたので、オタク的な部分を見せないように努力をしていた。それなのに、オタク的な部分を敦子さんに見せてしまった。
敦子さんは大人の女性としては色気がない。おっぱいが小さい。
そう、結論から言うと敦子さんは男である。
「敦子さん、今裸になってくれませんか?」
「どうしてですか、理由を言ってください。あと理由を言っても裸にはなりませんよ」
そう言われるのは承知していた。だから無理やり抱きしめて、股間を触った。股間には男にとって命の次に大事なものであるものが、敦子さんにはなかった!
次の瞬間、強い衝撃が俺の顔面に広がった。
「何するのよ、変態、変態、変態、変態、変態!」
変態と言う度に、顔を殴られた。つまり五回殴られたことになる。
「何をするだァーッ 。親父にも十七回しか殴られたことがない んだぞ」
「馬鹿、変態、お嫁に行けなくなっちゃったじゃないの、真下さんが責任とってくださいよね……」
敦子さんは、涙を流していて、涙声で何かを言っていた。はっきりいって何て言っているのか聞き取れなかった。だからとりあえず俺はこう言った。
「わかりました。敦子さんの要求を一回だけ何でも叶えてあげますから、涙を拭いてください」

地下の部屋に着き、パソコンを見たら、思った通りのメッセージが書いてあった。
『沈黙を答えよという問いの答えは、何も入力しないという事だ。君は少しだけ頭がいいみたいだね。私のパソコンの一部を覗く事を許可しよう』
そう答えは何も入力しない事だった。
この答えがわかったのは、三回入力した時点でパソコンは使えなくなるというメッセージと、入力した時、時間が三十分まで戻った事だ。
今までのメッセージでは、『三回入力できます』だったのに、今回は『三回入力した時点でパソコンは使えなくなる』というメッセージだった。それが最大のヒントだった。
ついでに、敦子さんの『ストレートな答えが正解』という言葉が俺の考えを後押しした。
ちなみに、山下あつしにしかわからない答えというのは、自分のパソコンなのに三十分も待つはずがないから、山下あつし特有のパスワードはあったのだろう。と思った事だが、本当はわからない。もしかしたら、山下あつし本人も三十分待っていた可能性がある。今までの山下あつしという人物から想像すれば、かなりの変態……ではなく変人のようなので、実際にコーヒーでも飲みながら、三十分待っていたというのも考えられる。まあ、そんな事どうでもいいけど。
そして、どうでもいい事に気がついた。最近の俺はどうでもいいけど、と思う癖が増えてきた。まあ、どうでもいいけど。

パソコンのディスクトップはそこらへんにあるパソコンと変わりなかった。フォルダーなどはなくて凄くさっぱりしていた。
ローカルディスクを調べるとフォルダーはあったが、数は少なかった。山下あつしという人物は、本当にパソコンの一部しか見せないようである。それとも、本当は、もっとフォルダー数があったけれど、削除したのかもしれない。削除したファイルなどは、復元できるソフトがあるが、果たしてこのパソコンにも適用されるかわからなかった。
あつしさんの事を聞くために、敦子さんの方を向いてみた。そしたら、顔を逸らされた。
まだ怒っているんだろう。俺だって、男の人に股間を触られて、『俺はノンケでも食っちまう男だぜ』とか言われたら、一目散に逃げた振りして、その男が油断している間に、何処かに置いてあった石で、動かなくなるほど殴るだろう。
だから、敦子さんの心境も二パーセント理解しているつもりだ。
とりあえず、戯言フォルダーという物を見ようと思った。フォルダーの中には、ワードが一つだけあった。そのワードを開いてみた。

「この世の全てが戯言だ。
全ての言葉は戯言
全ての文字も戯言
全ての物質に付いた名前も戯言
名前という単語も戯言
単語という記号も戯言
記号という概念も戯言
概念という言葉が戯言だ」
「ならば問う、お前が使用している戯言というのも戯言ではないのか」
「その問題自体が戯言だ」
「その答えも戯言か?」

もしこの世に悪があるのだとしたら、悪があると認識できる心だ
「この世の中に悪という物は様々な物があるが、真の悪というのは何だ」
「それは悪を認識できる心です」
「どういう意味だ」
「元々、悪と善を区別しているのは心です。そしてそれらの物を認識できるのも心です。
しかし、産まれたばかりの赤ん坊には認識能力がないので、悪も善もありません」
「つまり、全ての物は認識能力が我々にあるから存在しているのか」
「そうです、もしこの世界の何処かに我々の知らない物があっても、認識してなければ存在していないという事になります」

悟りとはどういう物なのか、それを知りたい
「悟りとは個人の主観でしか得られない物、つまり他人に悟りの境地を聞いても納得のいく答えは出ないでしょう」
「つまり自分自身が悟らなければ、悟りという物が理解できないということか」
「そういうことです、しかしその悟りは自分の主観であるから本当の悟りであるのか確認できません。ただ悟ったと思い込んでいるだけかもしれません」
「真の悟りという物は何か教えてくれないか」
「悟りなど所詮概念であるので、実際悟りという物が存在するのか分かりません」
「ブッタの悟りは真の悟りでは無いのか?」
「ブッタの開いた悟りというものも、悟りであるか確認は出来ない物です」
「つまり悟りとはまやかしであるというのか」
「先ほど申し上げたように、自分が悟ったと真に心の中に感じ取ったものが、その人にとっての悟りであると思われます」

ある時は有益で、ある時は有害な物とはなんでしょう
「時間です」
「その心得は?」
「楽しい時などは有益であり、そして時間が過ぎていくのが速くて、もっと時間が多くなればいいと思います。しかし苦痛に感じている時の時間は有害です。速く過ぎ去っていって欲しいと願っても、時間の進みは遅く、時間という物が過ぎていくのを祈りながら待っている事しかできないからです」


それだけしか、書かれていなかった。
バイト数からわかっていた。書かれている事が少ない事に。しかし、一体これは何だろうか? 何かを暗示しているのか。あるいは本当にただの戯言に過ぎないのか。
考えても仕方がないので次を調べる事にした。

死についてのフォルダーというのを見た。ワードが一つあり、バイト数は少なかった。


死に対して語り合ったとしても、所詮机上の空論に過ぎない。
つまり、我々は生きている間に、死の先を知る術は無い。

私は子供の頃の古い記憶を思い出していた。私は子供の頃に、0・9999999999999999という数字を書いていた。しかしいくら語尾に9を足したとしても、1にはならにという記憶だ。
これを数字ではなくて、死という物に置き換えて考えた。そして死を1という言葉に直してみた。そしてある結論に達した。
そう人間とは限りなく死に近い状況(臨死体験等という物)に陥ったとしても、1には到達できない存在なのだ。だから死について研究したとしても、1には届かないのである。
しかし、人間というのは馬鹿である。決して到達する事が出来ない1を、追い求めているからである。そしてその馬鹿の一人として、私も含まれる。
1には到達出来なくてもいい。せめて0・9998くらいに到達できればそれでいいと思っている。

と書かれていた。
俺はオロチ独歩 のエピソードを思い出した。
しかし、死の概念を、ゼロではなくて、イチと捉えるところが、そこら辺にいる人とは考え方が、ずれていると思った。
俺にとって、生は一であり、無限でも在るが。死とはゼロであるという考え方を持っていた。その考え方を覆す事を山下あつしは書いていたのだ。死はゼロではなく一であると。
だが、それは研究上使っていた言葉であり、本当は死という物はゼロと捉えていたのかも知れない。
しかし、そんな事を考えても無駄である。俺は山下あつしという人を知らないからだ。

DMTというフォルダーがあった。DMTは俺も知っている単語なので、興味を持った。


私は面白い論文を見つけた。以下、その論文に書かれた事を記そう。
ニューメキシコ大学のリック・ストラスマンによれば、60人に対し400回以上に渡ってDMTの摂取させたところ、被験者の半数近くが地球外生物に遭遇したと主張している。覚剤の研究家であるテレンス・マッケナによれば、DMTはエイリアンのいる異次元に誘う作用があるということである。サルを飲料や水やDMTを選択できる環境に置いたところ、何らかの刺激に駆られてDMTを好んで摂取した。
との内容である。
私はこの論文を見て、自分も答えを出すため、DMTを摂取することにする事を決意した。
何らかの解答が得られればいい。

DMTを実際に摂取してみた。
簡潔に記そう。
DMTは幻覚剤最強と言われるだけあって、強力だった。ガラスパイプで気化させたDMTを吸って、肺に轟かせた。そして、何の変化もなく期待はずれでがっかりした時、効果が表れたのだ。まず、自分というものが無くなるような感覚がして、次に動悸が激しくなって、体と心がばらばらになり、気を引き締めなければ自我を失い、そのまま帰れなくなりそうな体験をした。
私は、こういう薬物実験を自分でする時は、レキソタン5mgを二錠持っていて、耐えられそうに無かったら、レキソタンを飲むようにしている。しかし今回は本当に危なかった。自我を失いそうになった時、レキソタンを飲もうと探していても、何処にもなくて、レキソタンを持ってき忘れたのだろうかと思い、焦りを感じた。そして自我を失いつつある中で、自分の愚かさを呪った。
そして、十分が経ち、少し冷静になれた時は、心の底から安堵した。
そして、探していたレキソタンは、一錠は手のひらにあり、もう一錠は自分の目の前に置いてあった。
予備知識や、覚悟があっても、このように、恐怖をもたらすのだから、もし知識や覚悟の無い人間が摂取したら、相当の恐怖を味わい。実際に自我を保てなくなり、気絶、あるいは、二度と目覚めなくなるかも知れない。

私が薬物を自分に投与しているのは、快楽を求めるからではなくて、人間の意識の変容などを確かめたいからである。
私が知っている学者の中(記緑上)では、ジョン・c・リリーが一番親しみを覚える人物だ。彼も自分に薬物投与をして、意識の謎に挑む人物であり、天才等が何を考えていたかを知りたいという欲求があった人物だ。
そして彼は、隔離タンクという物を開発して、外界と自分の意識が隔離された時に、どのような変化が現れるか調べたらしい。
当時は感覚遮断テストがおこなわれていたが、ジョンにとっては、そんなものは真の隔離では無いとされて、自分で隔離タンクを作った経路がある。最終的に彼は、LSDを自分の体に投与して、隔離タンクに入ったらしい。
世間では彼のことを、マッド・サイエンティストと呼ぶ人がいるが、私にとっては尊敬する人物の一人である。
宇宙人の報告は、薬だけではなく、臨死体験をした人間も出会うという事があるらしい。立花隆の『臨死体験』でキルデという人のエピソードが書かれている。彼女は、宇宙人やUFO等の存在に否定的な考えを持っていた普通の人間である。しかし、臨死体験後、UFOを目撃して、UFOの実在を信じるようになったらしい。
そして数は少ないが、今までUFO等を信じていなかった人間が、臨死体験後はじめてUFOを目撃して、UFOの実在を信じるようになった人がいるらしい。
作中で、立花さんが記しているが、UFOや宇宙人は、UFO番組に出てくるようなまがまがしいものではなくて、スピリチュアル的な存在ではないのだろうか。と書かれている。
そして、話は飛ぶが、中国に孫儲琳という人がいるらしい。彼女は蘇生能力が使えるらしい。そして、その時の指導霊が宇宙人に似た存在であるらしい。そのマスターから指導を受けた事により、蘇生ができるようになったらしい。
これらの事を踏まえて考えると、二つの結論に辿り着く。
一つは、脳の機能障害で、宇宙人の幻覚が見えただけである。
もう一つは、宇宙人はスピリチュアル的な存在で、ある程度、脳の状態が変化した事により、宇宙人の姿をした高次元の存在を、認識あるいはコンタクトできるようになったという事である。
どちらが正しいかわからないが、その事は、自分の身に臨死体験が起きた時のお楽しみにしたい。
追伸
DMTは二度と摂取したくはないので、DMTの実験は今後しないかもしれない。


結構長い文章が書かれていた。しかし、DMTの摂取でそんな現象が起きる事など知らなかった。そしてDMTがかなりきつい効果を持つ薬物だという事は知っていたが、文にあるとおりだとしたら、5―meo―DMTを摂取する事を躊躇ってしまう。
今度兄貴のところに行ったら、DMTを返して、別の薬でも貰おうかなと考えていた。

存在者と存在というフォルダーがある。見てみよう


存在者と存在

存在者は自分一人であり、他の物はただの存在でしかない。

存在が存在する事により、存在者は変化する。
存在自体も時とともに変化する

存在者が100%存在しない物を100%存在すると信じていれば、存在者にとって100%存在しない物は、存在している事になる。
(この世に100%存在しないと断言する事は出来ない。今はまだ発見されていない存在もある可能性があるからだ)

存在者(自分)以外の他の知的生命体も、存在者(自分)はただの存在にしか過ぎないと捉えられている。自分の主観では、存在者は自分であるが、他の存在(他人)にしてみれば、存在者は、自分一人であるという結論に達するだろう。
所詮、人間は、自分の意識や自我に囚われていて、他の生物に、意識や自我が存在する事は確かめられない。

存在者が存在など無いと思っていても、存在が無いという思考が既に存在している。自分の思考などは、存在がある故に存在している。存在がなければ、人間は思考する事は出来ない。

存在者(自分)は自分が存在者であるか疑問に思っても、疑問する自分は存在する。
我思う故に我在り、とデカルトは本に書いたが、我という物が幻である場合でも、我という物は存在するか答えを出していない。
我という存在も実は幻ではないのか?
しかし、仮にこの世界が幻で、自分自身の存在も幻であり、自分の意識や自我が例え創られたまがい物であっても、幻を創り出している絶対的存在者がいる事になる。それが何かは認識できないが、シンプルに言うのであれば、それは神という言葉が妥当だろう。

意識のある存在があると存在者(自分)が信じれば、存在者(自分)は存在者(他人)の存在を認める。しかし、他人に本当に意識や意志が存在するのかは、人間である以上わかることはできない。
他人に意識や意志が証明されなければ、他人は存在者ではなく存在でしかない。


はっきり言って意味がわからない物だった。俺の認識能力が無いのか? それとも山下あつしに、他人にものを伝える能力が無いのか、判断できなかった。

次に確率と奇跡の存在というフォルダーがあった。

何の変哲も無く仕掛けもない普通の六面体のサイコロで数字の5を出せと命じられ、一回目で5の面を出したとしても、奇跡でもなんでもない。
二回連続で5を出したとしても単なる偶然としてかたずけられる。
三回目も5の数字を出しても偶然の重なりでしかないと言われる
ならば100回連続で5の数字が出たら、それは奇跡なのだろうか?
少数の人は奇跡と認めるかもしれないが、大勢の人は奇跡とは言わないだろう。
それが千回連続、一万回連続5の数字が出た場合、どれほどの人が奇跡と認めるだろうか?
最初に述べたがサイコロには仕掛けなどはない。
ほとんどの人がそういう現象が起きれば、奇跡だと認める。
しかし、そんな事では人は奇跡を目の当たりにしているのに、興味を示さないだろう。
そこである条件を付け加えると人々は6回連続5の数字を出しただけで、興味を示す奇跡になる。
条件はシンプルな物で5の数字を6回連続で出したら一億が貰える。
しかし一回でもミスすれば100万円を払わせられるという物だ。
条件が付けば、6回連続で5を出すことが奇跡的であると、誤認する。
そして、条件がなければ一万回5の数字出すという、確率がおそろしく低い事には、関心を示さない。
それは一万回連続で5を出しても意味がないから、関心を示さないのだろう。
だが、6回連続5を出せば一億を貰えるという条件があれば、6回連続5を出しただけで奇跡的に見えるのである。
結論をいうと、人間は確率が低すぎる出来事が起きたとしても自分と無関係なら興味を示さないが、自分に関係している出来事であれば、1分の46656という確率で、自分に有力な事が起きるという条件があれば、1分の46656の確率の出来事が起きた時、奇跡的であると捉えてしまう。

偶然が重なり、一億分の一でしか発しない出来事を、奇跡と捉えるか,それとも、必然と捉えるかは、個人の自由である。ただ自分の意見を他人に押し付けるのは賢い行動ではない。
偶然が重なり一億分の一でしか発しない事を、それでもただの偶然にしか過ぎないと、捉えるのもいい。
自分の意見を他人に押し付けなければいいだけだ。


これはさっきの文章より分かり易いものだった。
まあ、奇跡の線引きなどは、他人によって違うから、何が奇跡で何がただの偶然かはわからないだろう。

最後に真実のフォルダーという物がある。
開いてみると、これまでと同じでワードが一つだけある。


この世に私の望む物は何も無い。
金で買えるもの、真実の愛、真実の友情、究極の快楽。
そのどれも、私はいらない。
なにをもってして、【真実の愛】【真実の友情】といえるのかわからない。
人間は【真実】を知らないし、他人の心がどうなっているのか、他人に【意思】があるのかすら理解できない者だ。
究極というのは概念であり、【究極の真実】【真実の究極】なんてものは、人間には理解できないだろう。
究極の快楽だと自分が思い込んでいるものも、実は快楽の断片に過ぎない。
薬物で得られる快楽はあるが、それが究極の快楽などはわからない。
だから私は望む、この世が全てではなく、もっと高次元の世界があることを……
高次元の世界……人はそれをあの世と呼ぶ

真実は本当に一つなのか?
もちろん、一人の人間が持っている真実は一つであるが、二人、人間がいれば、真実は二つになるかもしれない。
それは互いに違う価値観を持っているからなのだろう。
この世界には複数の人間がいる。故に真実の数も複数存在している事になる。
だから、【本当の真実】などという物は存在しない。
それが【私にとっての真実】だ。

人は時と共に変わりゆく。故に一度真実だと思っていたものも、時が人を変え、人が思想を変え、真実も変り逝く。
量子力学の世界では、無数の私がいることになる。つまり無数の私が無数の真実を持っていることになる。
常に世界は移ろいでいる。それを人間が認識できないだけである。
私が願うのは、無数の私が、俗に死後の世界と呼ばれているところで邂逅して、それぞれの世界で真実だと思った事を融合して、解を出して欲しい。
それだけが私の願いです。


それだけが、記されてある短い文章だった。
しかし、腑に落ちない点がある。何故京子はここに来る事を望んでいたのかがわからない。山下あつしの書いたこの文章を見せる為とは思えない。だがここに来て、実際に収穫があったのはこれだけしかない。それとも何か別の場所に本当に見せたい物があるのだろうか?
この家は、ほとんど調べきっているので、何かがあったとしても、丹念に調べなければいけないことになる。だが、ヒントの一つくらいなければどこにそれがあるのかわからない。このパソコンにも、ヒントになる文章はなかったから、何かがある場合でも、見つけるのは大変で、何もなかったとしたら、京子がここに誘った意味がわからない。

さてと、どうするか。これ以上有力な情報などは無いので、途方に暮れていた。
「敦子さん、これからどうしますか」
返事が無い、ただの眠りに就いている様だ。
大人しいと思っていたけれど、まさか眠っているとは思わなかった。泣き疲れて眠ってしまったのだろうか。
敦子さんを背負って階段を登ることなど出来ないし、かといって、ここに敦子さんを置いていくわけにも行かなかった。

俺は、少し気になった単語を検索した。京子という単語である。
そしたら、隠しフォルダー設定されていて、実際にそのフォルダーはあった。半ば期待していなかったので、いい意味で期待はずれだった。
フォルダーの中には、ワードとtxtがあった。まずワードの方から見てみる事にした。


私は罪を犯し、罰を受けた。
私の罪は、敦子に排卵誘導剤をとある施設で使い、採卵して、自分の精子を採精して、受精卵を創ったことである。胚は妊娠できない女性であり、子供を生みたいが育てたくはないという女性の体内に入れた。そして、実験は慎重に進められたために、見事な健康体の赤ん坊が生まれた。
その赤ん坊こそが京子である。
当初は、私が京子の事を観察していく事が目的だったが、いつしか、私自身が京子に観察される存在になってしまった。
京子に観察される事に不安を抱いてしまい、妹の卵子をこっそりと使い、京子を誕生させた事が罪であり、観察される事が罰だと私は悟った。
京子は、いつの間にか私を父と呼ばなくなり、あつしさんと呼ぶようになった。何のきっかけも無しに、普通にそう呼ばれるようになったのだ。まるで、私の事を親ではなくて、他人と接しているかのように。私はその時から、精神安定剤無しでは落ちつけなくなったのである。
そしてある日、京子が『私の卵子も提供してあげましょうか? あつしさん』といってきた。
私の卵子『も』という言葉に驚愕して、恐怖してしまった。京子は自分の生まれたルーツを知っていたのである。それをいとも容易く受け入れるだけでなく、卵子を提供してあげようかという事が恐ろしかった。この女は本当に自分の子なのかという事を疑問に思った。
私も普段から何を考えているのかわからない人間らしかったが、それでも人間らしさはあった。しかし、京子にはそれが感じられない。
私はもう、京子といる事に疲れを感じてしまった。
私は失踪して、失踪先で研究を続けるだろう。もう私は京子といる事が、出来なくなってしまった。
勝手だが、敦子に京子の世話を頼む事にする。


……
これは本当の事なのか? にわかに信じられない話である。しかし、京子と敦子さんは、似すぎている。まるで叔母と姪という関係ではなく、母と娘という関係であるほど外見は似ている。

テキストの方を見てみた。

あつしさんの部屋の本棚、二段目にある存在と時間を抜き取り、一段目にある、死に至る病を抜き取り、三段目にある、論理哲学論考を抜き取り、二段目にある存在と時間を元に戻す。


そう書かれていた。おそらくタンスのような仕掛けがあるのだろう。もしかしたらそんな仕掛けなどないかもしれないが、とりあえず試しとく価値はあるだろう。
それにしても、敦子さんが未だに起きない。どうすればいいんだ。ここに放って行くか、それとも服を脱がせて下着でも見ておくか、起きるのをひたすら待つかのどれかを選ぶべきだ。
そして、俺は敦子さんの服を脱がせた。これは性的な行為をする為ではない。下着を確かめる神聖な儀式なのだ。そう納得させた。
ほうほう、ブラジャーは何処にでも売っていそうな普通のものだ。しかし、パンツは違う。黒のパンツでありかなり薄い生地で出来ている。大事な部分が見えそうで見えないという、危ういパンツだ。
その時、最悪の事態が起こった。一体何が起きたのか? 続きはCMの後。

敦子さんが眼を開けて起きてしまった。今すぐ服を着せれば間に合うが、そんな隙も与えず、敦子さんは起き上がった。
「すいません真下さん、眠ってしまって。何だか急に頭痛がしたと思ったら眠くなって寝てしまいました。それにしても寒いですね。地下室だからでしょうか?」
「そうですね、地下室だから寒いのでしょう。もう一回寝てください」
「もう眠気は飛びました。それにしても本当に寒いです。まるで服を着ていないみたい……」
一瞬時が止まった。ザ・ワールド でも起きたかのように。
「なんで私下着姿なんですか。それに真下さんが持っているのは私の服ではないんですか」
「あまりにも寒そうなので、俺も服を脱いでそれで人肌で互いに温めようとしたんです」
怒られる。絶対怒られる。いや、警察を呼ばれる。俺の人生本格的にオワタ。
「変な事したんでしょう。それとも今からエッチな事をしようと思ったら、私が起きてしまったんでしょう。正直に話して」
「いや、ただ下着がどういう物か確かめたかっただけです」
本当の事を言った。
「そうなの、そんな嘘に引っかかりませんよ。正直に話してください」
「さっき言った事が全てです。嘘偽りもない、本当の事です」
沈黙が続いた。
「じゃあ、願い事を一つだけ叶えてください。前に私の要求を一つ叶えてくれるという約束でしたので」
「さあ願いをいえ。どんな願いも一つだけ叶えてやろう……」
俺は神龍 流に言った。
「じゃあ、責任を取ってもらってください」
意味がよく分からなかった。
「どういう意味ですか?」
「責任とって私と一緒に過ごしてください」
えっと、意味がわからない。言葉の意味ではなくて、敦子さんがどういう意味でそう言っているのか。
「結婚を前提としたお付き合いですか?」
冗談半分で言った。多分、そういう意味ではないだろう。
「そうです。結婚を前提としたお付き合いをしてください。私ずっと一人で寂しかったんです。あと、服を返してください」
しばらく黙って考えた。
何処でそんなフラグが立ったのかわからない。しかも本気なのだろうか。冗談で言っているのかわからなかった。
「それは無理な願いだ。神の力を超える願いは叶えられん……」
神龍流に断った。
「服も返してくれないの」
「そっちの方じゃないです」
服は返しておいた。服を着ながら敦子さんはさっきの話の続きをした。
「本気で答えてください。私と付き合ってくれますか。もし本気で付き合ってくれると言うのなら、京子ちゃんの事をもう調べないで、私を見てください。私を京子ちゃんと重ねるのではなく、私自身を見てください」
二択の選択が与えられた。
1・このまま調査を再開して、敦子さんの願いを断る。
2・敦子さんと付き合い、この物語を終わらせる。
俺の取った選択肢は……
EPILOGUE
             不完全な物語の終焉

全ての物語に落ちがあるとは限らない。例え落ちがあってそれがハッピーエンドに終わったとしても、その後、ずっと幸せが続くとは限らない。
逆にバッドエンドに終わったとしても、その後に幸せになる可能性もある。
終わりを告げた物語は、その先どうなるか、想像するしかない。
そして、追記しておくが、現実の物語の終わりは死である。
                      by山下あつし

俺は敦子さんと付き合う事にした。京子の事は忘れようと思った。京子が何を考えていたがわからないが、これ以上探索を続けるというのは、危険なような気がしたからだ。
好奇心は猫をも殺す。
かつて、そう思った時期があった。その言葉は俺ではなくて京子に向けて思った事だ。
しかし、俺自身好奇心で京子の家を探索していたのである。もしあのまま好奇心の赴くままに行動していたら、自分が死んだかもしれない。
肉体的な死ではなく。精神的に耐えられなくなって。

「高次さん、何を考えているの、夕飯はもう出来たわよ」
今は敦子さんと暮らしている。敦子さんは俺の事を苗字ではなく名前で呼ぶようになった。そして、二ヵ月後結婚する予定である。
俺は今、就職した身であり、正社員として働いている。苦痛とは思わない。家に帰れば敦子さんが待っているのだから。
結婚の事については、親は奇跡だといい、アーコはどんな弱みを握っているのか尋ねてきた。兄貴はどうでもよさそうだった。
敦子さんの両親はいないらしい。敦子さんに、どういうことか聞いたが答えようとはしなかった。おそらく事故死か病気で死んだとかそういう過去を持っているのだろう。だからそれ以上問い詰めなかった。
アパートの方は誰かが銀行預金に振り込んでいるので、働かなくても生きていけたと言う。その誰かとは誰なのかわからないが、知ろうとはしなかった。
今はこの幸せが続く事を願っている。


第五幕 まったりと進みそれでいて終焉へと導く物語

終焉の無い物語は存在しない。
全ての物語はいつか終わりを迎える
                     by山下あつし

「すいません、敦子さん、その願い事は無理です。ここまで来たら徹底的に調べます。そして京子の意図を確かめたいのです」
「そう……ちょっと残念かな。やっぱりこんなおばさんと付き合うのは嫌ですよね」
そんな事はない。敦子さんは魅力的だし、しかもおばさんと感じさせない若さ……いや、幼さを持っている。
「かわりに何か別の願い事を叶えてあげます」
俺はスイーツ百八品を請求される事を覚悟して言った。
「京子ちゃんを助けてください。あの子は何処か危ないところがあり、いつか壊れてしまいそうなんです。だから、京子ちゃんを助けてください、それが私の願いです」
かなり意外な台詞だった。そんな事を言うとは思わなかったからだ。
「さっきまで京子ちゃんの事を調べないで、と言っていたと記憶しているのですが、どうしてそう簡単に態度を変えるのですか」
「貴方が京子ちゃんの事を想っているとわかりましたので、それで今お願いしたのです」
「わかりました。京子を救えるかわからないし、京子が救いを求めているのかわかりませんけれど、その願い事は叶えます」
そう答えた。
そして新たに問題がある。それは山下あつしの本棚の仕掛けを確かめる事であるが、もう夜になっているので、今日は本棚を調べる事は出来ない。
明日また捜索すればいいのだが、敦子さんを引き止める理由が無い。敦子さんはおそらく今日は帰るだろう。そうしたら俺は何処で寝ればいいのだろうか。敦子さんのアパートに泊まる訳にもいかないし、家にも帰れない。
「敦子さん、今日はアパートに帰るのでしょう。だったら一晩泊めてください」
駄目元で言ってみた。
「それよりいい案がありますよ。ここに泊まればいいと思います」
そうか、その手があったか。布団類はあった気がするから、泊まる事は出来る。
「でもいいんですか。俺がここに泊まってしまって」
「私もここに泊まります。だから安心してください」
敦子さんもアパートに帰らずここに泊まるつもりらしい。
「いいんですか。闇に紛れて襲ってしまう可能性がありますよ」
「そしたら責任を取ってもらいますから」
そういう事か、つまり俺は試されるという事か、いいだろう。俺は性欲をコントロールできる人間だ。ここに来てからオナニーを一回もしていないのがいい証拠だ。
いや、オナニーをしていないから衝動的に襲ってしまうかもしれない。しかし、俺は耐えてみせる。そうセックスの神様に向かって誓った。

「そう言えば、実は家の方にも非常電源があることを思い出しました」
敦子さんは突然そう言い出した。
「何で今まで黙っていたんですか? 京子のタンスの仕掛けの事は話さなかったのは納得がいきます。この中の誰かが下着を盗む可能性があるからです。しかし非常電源のことは隠さなくてもいいじゃないですか」
「今突然思い出したのよ。だから、話さなかったのではなくて、話せなかったの。あと私を下着泥棒扱いしないでください。京子ちゃんのパンツを穿いているのは、元はといえば真下さんが悪いのですから」
この中の誰かとは、敦子さんに向けた言葉ではなくて、俺が盗んでしまいそうでしたという意味で言ったんだ。
そんなこんなで、敦子さんと俺は地下室から出て地上の日の当たるところに……出なかった。
地下室の階段から漏れる明かりだけが不気味に光っていて、後は不気味な暗闇が広がっていた。携帯電話で時間を確かめたら、二十三時十五分だった。さすが田舎、こんなまだ遅くない時間なのに既に辺りの家の電気が点いてない。しかも、店も無いから、外からの明かりが完全にない。
地下室の階段の灯りが消えれば多分、もっと暗くなっているだろう。
俺は地下室に続く階段の入り口を閉じた。(つまり床下収納の蓋を閉じた)
「真下さん、何だか怖いです。何か灯りになるものは無いんですか?」
「非常電源を起動させればいいんではないんですか」
「その、非常電源の場所までは暗くて歩けません。それにお兄ちゃんの幽霊が出そうな感じがします」
確かに非常電源のスイッチとやらがある場所までは、この暗闇ではいけないだろう。でも、懐中電灯があるので、どうにかなるだろう。
しかし、自分の兄を勝手に死んだ事にして、しかもこの家に化けて出てくると言うのは失礼な気がした。
だが、実際のところどうなんだろう。実は本当に死んでいて、それでも自分の研究あるいは、論文を完成させたくて、この家に時々現れるという事があるかもしれない。
自分で考えて、馬鹿な事を考えていると気がついた。そんなのは単なるオカルトではないじゃないか。
だが、本当に幽霊とか霊魂は存在しないのであるのか?
オカルト番組などを、エンターテイメントとして見る分には面白いと感じるが、オカルト番組を本当だと信じて怖がっていたら、ただのマヌケな人間である。
しかし、オカルト番組に、百個怪談話などがあり、その中に一つだけ真実が含まれているかもしれない。あるいは十個くらい真実があるが、その他の信憑性がなく、どう見ても作り話だと思われる話があるから、本当にあった怪談話が埋もれてしまっているのかもしれない。
とにかく、あるとは思わず、無いとは思わない。そんな矛盾した考えを持った方が真実に近づけるのだろう。
テーゼとアンチテーゼ。そしてジンテーゼの弁証法で考える方が回りくどいが真実に近づけるかもしれない。いそかば回れという言葉があるように。
「真下さんさっきから黙っていますけど、もしかして真下さんも怖いのですか」
そう人を馬鹿にしたように言ってくる敦子さんに、俺は言ってやった。
「ええ、怖いですね。実際幽霊とかいるんではないんですか、山下あつしさんの幽霊が。そして、山下あつしさんはこの家の何処かで、白骨死体として壁に埋め込まれているかもしれませんね」
「そうやって怖がらせようとしても無駄です。さっきのお兄ちゃんの幽霊が出そうって言う話は冗談で……」
突然敦子さんが黙り込んでしまった。そして俺も黙ってしまった。何故なら青白い光が窓の方から照らされたからである。
あれが霊魂だとしたら、霊魂というのは美しいものだな。そう思い見惚れていた。
そして、エンジンの音がなり、その青白い光は何処かに行ってしまった。
ただの車のランプであった事に落胆してしまった。以前から霊魂を見てみたいという願望があった俺は、ようやく霊魂を見れたと思ったのに、それが車のランプだったなんてオチだから、がっかりした。
しかし普段の俺ならそんな見間違えをしないのに、今回見間違いをしてしまったのは、この何処までも暗い闇と何の音もしない世界で、霊の事について考えていたから、見間違えをしたのだろう。
在ると思えば、無い物も在ると認識して、無いと思えば、在る物も無いと認識してしまう。
心霊スポットで霊の目撃があるのは、存在していると思っているから、何でも無い物を霊と認識してしまうのだろう。
「敦子さん、勘違いでしたね。少しだけ残念な気がします」
「ちょっと……下着を取ってきても……いいですか?」
この人はまた漏らしてしまったようだ。
「取って来てもいいですけれど、その前に非常電源を点けて下さい」

敦子さんは少し泣いているようであった。姿は僅かにしか見えなくても、泣いている事がわかる。ちなみに俺が懐中電灯で辺りを照らして、移動している。
そして辿り着いた先は居間である。
「ここに非常電源があるのですね」
「そうです……ここにあります」
声が少し涙声になっている。俺はSではないがMでもない。つまりどちらにも傾ける人間だ。今の俺はSになろう。
「早く教えないと胸を激しく揉むぞコラ!」
びく、と敦子さんは反応して俺はもっと激しい言葉攻めをした。
「どうした、さっきの言葉で濡れてきたのか、本当にお前は淫乱な……」
みぞおちに見事な衝撃が走った。
「真下さん、貴方のお陰で目が覚めました。少し漏らした程度でもいいという事に。真下さんのような変態がいるのだから」
ドスの利いた声でさっきまで黙っていた敦子さんが喋った。
そして、顔面に衝撃が走ったと思ったら、胸、腹、最後に股間。
俺は悶絶した。
「ごめんなさい真下さん、股間まで蹴り飛ばして。でも次に何かいやらしい事や、いかがわしい行為をしたら、東京湾で静かに眠りに就けるので安心してください」
切れた女は怖い。そう悟った二十三の男。

今度は俺が涙声になって言った。
「さっきの台詞は嘘です。あまりにも敦子さんが可愛いので、からかってやりたくなってしまったんです。好きな子にわざと悪戯してしまう子供がいるでしょう。それと同じです」
「それにしたって酷い台詞でしたよ。それに……可愛いって言わないでください。まるで私が子供みたいじゃあないですか」
こんなに砕けた会話なんていつぐらい前だろう。京子といた時もこんなに心を許さなかった。それ以前のニート時など誰とも会わないで引きこもっていたし、さらにそれ以前の高校時代は必要な時だけしか人に声を掛けていない。
中学の二年から中学卒業までの気持ちに戻った気分だ。
あの頃は本当に楽しかった。自分を偽らずに友達と会話が出来ていたのだから。
でも、もうそういう気持ちになるなんて二度とないと思っていた。
しかし、敦子さんと会ってからはどうだろう。最初の内はぎこちなかったが、今のやり取りは、中学の時に戻った気分だった。
股間の痛みはあるが、精神は安らいだ気がする。敦子さんに会えただけでも良かった。そう思う自分がいる。
ちなみに中学二年以前の記憶は無い。正確に言うなら曖昧すぎて思い出せない。
変な組織に薬を飲まされて、記憶が曖昧になったのでもなく、変な研究所で記憶の改ざんや消去がされたのではない。単純に思い出せないだけである。ただ楽しかったという思い出しか思い出せない。小学校でのイベントみたいなものも曖昧でぼやけていて、本当にあったことなのかがわからない。
もしかしたら、脱法ドラッグでオーバードーズを起こしたから記憶に障害が生じたのかもしれない。
薬の名前は、TMA―2というもので、構造的にメスカリンに似ているものである。幻覚作用があるが、多幸感の現われや、神秘体験が出来るらしいので使用した薬だ。
それが原因だったかもしれないし、ただ単に記憶力がないだけかもしれない。
どちらかわからないが、ともかくドラッグを使用した時点で俺は馬鹿なのである。それも、山下あつし氏や兄貴のように意識の変容を確かめるとかではなく、ただ快楽を求めていただけのエピクロス(快楽主義者)である。
しかし、エピクロスとは実際には快楽のみを追い求めることが無条件に是とされるものではない点が重要である。とされている。ある行為によって生じる快楽に比して、その後に生じる不快が大きくなる場合には、その行為は選択すべきでないという。
だから俺は愚かで中途半端なエピクロスなのだ。
まあ、そんな長ったらしい考えは放棄しよう。

「でも、さっきの連打は見事でしたね」
「え、何の事ですか?」
とぼけているのだろうか。それとも無意識のうちに見事な連打が入ったので、敦子さん自身は、さっきの打撃が所々急所を突いた事に気がついてないのか。
「最初にみぞおち、その次に顔面、そして胸、腹、最後の止めに股間。はっきし言って、股間の方はとうぶん痛みが引きそうにないですよ」
「そんなに痛かったのですか。軽くやって適当に殴っただけですけど。それに最後の蹴りはそれほど力を入れてなかったんですけど」
「股間が一番効きました。男にとって大事な部分なので、痛覚も倍以上なんです」
敦子さんは、へーそうなんですか。と感心していた。本当に急所だと知らずに蹴ったらしい。

そして、敦子さんは居間においてある、インチのわからない小さいテレビを弄りだした。
「そんな所に仕掛けがあるんですか?」
「多分、これでいいと思います。これは実はテレビではないのです。巧妙にカモフラージュされた何かなのです」
カモフラージュされた何か……確かに真下あつしという人物はテレビを見そうにない。だからこれはテレビではなく、カモフラージュされた何かなのである。
何かって何だよ! どうでもいいや。
弄くりだして、五分が経過した。敦子さんは『あれ、おかしいわ、こうだっけ、ああだっけ、スイーツ食べたい』とか言って作業が困難しているようだ。
「敦子さん、今からコンビニまで戦闘機で行ってきます。コンビニで弁当とつまみとビールとカクテルと適当なスイーツを買ってくるので、それまでに電気を点けてください」
「ちょっと、真下さん、か弱い女の子をこんな不気味な所に一人置いていく気なの、せめて電気が点いてから行ってください。こんな暗闇の中にいると不安になるんです」
戦闘機の事でツッコミを入れてこないなんて、少し寂しかった。
しかし、暗闇のどこが怖いのだろうか、俺は暗闇の中で一人でいるのは不安ではなく、むしろ落ち着けて、ずっとこの暗闇の中にいたいと思っている事もある。まあ、パソコンなどが無かったり、酒などがなかったら、退屈すぎて死にたくはなる。
「もし、幽霊とかが出てきたら、さっきみたいに股間を蹴ればいいのです」
「女の幽霊だった場合はどうすればいいんですか」
「おっぱい揉めばいいのです。お払いの時も、女性の霊が美人の女性に入り込んだ場合。神主や坊さんはおっぱいを揉むのです。日本だけではなく、世界の常識です」
「えっ、本当ですか、それ。なんか霊に憑かれるのが別の意味で怖くなったわ」
100%嘘なのになんか信じてしまったみたいだ。今度、敦子さんが体調が悪いとか言ったら、霊に憑かれている事にして、おっぱいでも揉んでしまうか。

「ところで、まだわからないんですか」
かれこれ、待ち始めて二十分が経とうとしている。本格的に腹が減ってきたので、弁当が食べたくなってきた。
「あのーコンビニ行ってきていいですか?」
敦子さんは唸り声をあげながら、いじくったり、考えたりしている。
らちが明かない様だ。適当に発言してみるか。
「電池切れなんじゃないのですか? 単一の電池が五個くらい必要なんじゃないんですか」
「あっ、そうか、電池の事忘れていました。確かに電池が切れているかもしれません」
適当に言ったのに当っていたのか。むしろ、それ、電池が無ければ活動しないのかよ!
「じゃあ、一緒にコンビニに行って電池を買いましょう。ついでに弁当とつまみとビールも買いましょう」
「じゃあ、スイーツ五品もついでに買いましょう」
まあ、五品くらいならいい。値段によってだけれど。
「せっかくですから歩いてコンビニに行きませんか?」
「なんで、そんな面倒な事するんですか? 車で行けばいいじゃないですか」
「肝試しとメタボリック対策です。俺は多分平気だけれど、敦子さんは危ないんじゃないんですか。スイーツを食べていますから。だから歩きで行かなければ、スイーツを二品にしますよ」
「季節はずれの肝試しですよ。それにスイーツを人質にするのは、日本スイーツ協会が許してくれませんよ」
日本スイーツ協会? N・S・Kにようこそ! そんな単語が浮かんだ。

そして、歩き出して五十メートル進んで俺の判断は愚かであったと悟った。
「真下さん、本当にここ日本ですか? というよりこの世ですか? 辺り一面真っ暗なんですけれど、もしかして冥界に迷い込んだんじゃないのかと不安です」
 「確かに何も見えなくて怖いですね。お先真っ暗、俺の人生も真っ暗。引き返しましょう」
そして、結局車で移動してコンビニまで行く事にした。

コンビニで単一の電池が売っていたので、十個買う事にした。単二や単三、単四の電池も一応買う事にした。
どうして単一の電池を十個買う事にしたかというと、言い出したのは敦子さんであるからだ。『もしかしたら四個や五個では足りないかもしれない』と言っていた。しかし、こんなに買わなくても足りるだろうと思ったし、もし足りなかったら、その時は、暗闇の中で寝て、明日を待てばいいと思った。金を出すのは俺だから、経費はあまり使い込みたくなかった。会社のように、明細書を出せば経費が下りるわけでもないのだから。
とにかく腹が減っているので弁当でも適当に買おう。そして、酒やつまみも買っておこう。オカズとしてエロ本とエロマンガ雑誌(快楽天)も買いたかったがそれは自重して置こう。
「真下さん、弁当は決まりましたか?」
「ああ、買うものは全部かごに入れときました。というか、なんでスイーツ五個買っているんですか。二個までと言った気がするのですが」
「だって、魅力的なスイーツが十個くらいあったので、悩んでいたんです。それで、美味しそうなのを五個まで吟味して選んだんです。それにあの約束は真下さん自身が破ったんではないんですか。真下さんも徒歩ではなく、自動車でコンビニまで行こうって言ってたじゃないですか」
確かにそう言ったが、敦子さん自身も徒歩ではなくて自動車で移動したい。と言ってたから、その意思を尊重して自動車で来たのである。だから、約束は互いに破った事になる。
「スイーツ限定三個まで、それ以上は自分のお金で買ってください」
「仕方ないです。ここは大人の女として一旦引きます。スイーツ三個までにしときます」
スイーツやらなんやらで、かなりの金額が失われた。
貯金も既に少なくなってきたし、バイトも辞めてしまったし、家にも帰れない。
もうどうにでもなれ、人生の奈落まで行ってきて、そこから這い上がってやる。

山下家に戻ってきた。ふと疑問に思ったことを口に出した。
「そういえば、パンツが濡れたまま、コンビニまで行きましたね。代えのパンツはいいのですか」
「忘れてました。そういえば少し漏らしちゃったんですよね。私って……真下さんよりかなり劣っているけれど、濡れたパンツで外出するなんて、変態ですよね」
別にパンツが濡れていてもどうでもいいが、俺が変態だって言葉が気に掛かった。俺はそこら辺の人間より紳士的な人間なのに。
「じゃあ、非常電源を点けましょう。電池はどこに入れればいいのですか」
「わかりません。私機械類に弱いので」
もしかして、電池なんて必要ではなくて、単に敦子さんが機械類に弱いから、いつまでも、非常電源が起動しないのではないかと心配に思った。
「あのー、もしかして電池とか必要ではなくて、どうすれば起動するのかわからないだけではないのではと思うのですが」
「でも、記憶によると、大きい電池が必要だった気がするんですが」
何か違和感を感じるな。この家に来た事は八回くらいしかなくて、しかも家の構造すらわからない人間が、どうしてこのテレビもどきに、非常電源のスイッチがあると知っているのだろう。
「敦子さん、少し俺にイジクらさせてください」
そういって、テレビもどきを調べた。
三十秒で電池を入れるらしきところを見つけた。物凄く見つけやすい所にあったのに敦子さんはそれを見つけられなかったようだ。
見た感じ、単一が六個に単三が二個必要みたいだった。余分に買ってきてよかった。とりあえず電池をぶち込んだ。
「敦子さん、電池を入れたので、あとは頼みました」
「わかりました、ちょっと待っていてください」
そう言って、テレビもどきに近寄って、普通のテレビにも付いてある、電源入れのスイッチを押した。そして、部屋の明かりを点けるスイッチを敦子さんは押した。
そして明かりが点いた。
俺は一瞬だけ戸惑った。そんな簡単な事で非常電源が起動して、部屋の明かりが点いた事に。

世の中便利になったな……俺のもっとも古い記憶では、木の棒と枯葉と木の板を使って一時間ぐらいシコシコしながら火を点けたもんだ。友達とマンモス狩りに行って、その後大人たちにウホウホと怒られるのが日常だった。
しかし、今の時代はスイッチ一つで明かりが点くのだから、あの頃と比べて文明は進歩したな。そう思った。
「敦子さん、とりあえずかなり遅めの夕食でも食べましょう。電子レンジで弁当を温めて」
「ほうへふへ、ほうひはひょう」
敦子さんはスイーツをほほ張りながら答えた。
デザートは食後だと人はいうが、別に食事前に食べてもいいだろう。常識とは守るべき場合と、壊すべき場合があるのだから。今までの常識を壊す事で、文明が進歩する可能性もあるのだから。
まあ、壊しすぎると逆に滅びるけれど。
「あまり食べ過ぎて、おなかいっぱいにならないで下さいよ」
「あー美味しかった。おなかいっぱいになったから夕食はいりませんね。ところでさっきなんて言ったのですか真下さん、スイーツを食べる事に集中して、よく聞こえなかったの」
「なんでもないですよ。独り言です」
俺は夕食を二人分食べなければいけなくなった。
こんな事なら、敦子さんの弁当を買わずに、オカズ(性的な意味で)を買っておけばよかった。

夕食を食べ終えて、酒とつまみを租借していた。そして敦子さんは、カクテルを飲んでいる。
俺はカクテルなど買った覚えはないが、敦子さんが勝手に、買い物カゴに入れたらしい。カクテルもスイーツのうちに入りますよ。だから金払ってください。と言ったら『バナナはスイーツに分類されるけれど、カクテルは分類されません。その証拠に、遠足で、バナナはおやつの内に入るけれど、ポカリスエットはおやつに分類されていないわよ』という勝手な理論を言われて、しぶしぶとカクテルの代金も、俺が支払った。
そして、カクテルを一杯飲んで敦子さんは眠りに着いてしまった。
今の時期は寒いので、こんな所で寝てしまったら風邪を引くと思い、この家にあった毛布と布団を掛けてあげた。
しかし、地下室で一回眠りに着いたのに、また眠るとは羨ましい体質だと思った。それとも疲れが溜まっていたのだろうか。どうでもいいや。
俺は、今でも軽度の不眠症なので、よっぽど疲れていないと眠れない体質である。だが、昔よりはマシになっただろう。昔の俺は、銀のハルシオンとベケタミンAとロヒプノール二ミリグラム二錠飲まないと眠れなかった。
だが、あの眠れない日々でも辛くはなかった。何故なら睡眠薬を飲んだ後でもパソコンでゲームとかやって、三時間が経過したらマイスリーとアモバンを飲んで眠るという事をしていたのだから。
まあ、昔を懐かしむより、今はやっておかなければいけないことがある。山下あつしの部屋に行き、本棚の仕掛けを確かめる事だ。もし仕掛けが本当にあった場合、何かがあるのだろう。その何かが今はわからないが……

山下あつし氏の部屋まで来た。でかい本棚が二つあり、その本棚には空白がないほど本が埋め込まれている。前に調べた時も思ったが、あつしという人物は相当な読書家だったのだろう。
しかし、そんな事には興味はない。京子が書いたと思われるテキスト通りに事を進めよう。
存在と時間は下巻と上巻がなく中巻しかなかった。とりあえず本棚から抜き出し、そして死に至る病、論理哲学論考を抜き出し、最後に存在と時間を入れ直した。
だが、なにも起こらなかった。ただ単に弄ばれただけかと思い。これからどうするかを考えていた。
もう、帰る場所もない。敦子さんのアパートでお世話になるわけにも行かない。仕方ないから兄貴のアパートに泊めてもらい。それでバイトをして、ある程度金が貯まったらアパート探しでもしてみるか。
そう座りながら思考に深けていたら、本棚の下に少し隙間があった。その隙間から何か本があり、取り出してみた。それは京子の日記らしき物だった。
何で京子の日記があるのだろうか、この日記は少し古ぼけているけれど、アパートにあった日記に似ていた。
いや、よく考えたら、京子がアパートに来た最初の日に見ようとした日記と同じだ。そして白紙の日記は、似ているけれど新しい日記だった。つまり白紙の日記は偽の日記で、本物の日記はこれなのだろうか。しかし、この日記は元からこの家にあって、アパートでみた日記はまた別のものなのだろうか。
考えてもわからない。行動してわかる事もあるのだ。とりあえず、この日記を見るという行動をしてみよう。

ぺろり。とりあえず日記を舐めてみた。この味は青酸カリでもなければ嘘を吐いている味 でもない。そう確信した。
その後、この日記がかなり古いものであることに気がついて、口の中を洗おうとした。
水道からは水は出なかったので、敦子さんが飲んでいたカクテルで口の中を洗った。カクテルにはアルコールがあるから殺菌作用もあるだろう。そう思っての行動だった。なぜ敦子さんの飲みかけのカクテルを使用したかは、俺にもわからなかった。
気を取り直して、俺は日記をぺろりとした。
今度は舐めた擬音ではなく、ちゃんとページをめくった音だ。
一ページから既に文字が霞んでおり、何が書いてあるのかわからなかった。とりあえず読めるとこだけを読んでいこう。

『今日はこの日記を書いてから十回目の記念になります。お父様から貰った日記なのでこれからも大事に使っていこうと思います』

これは何歳の時、書いたものなのだ? はっきり言って俺より字が上手くて、漢字も使用している。これで五歳とかだったら神童扱いなのだが。

『この日記を書いて二十三回目、今日は私の五歳の誕生日をお父様とむかえた。お母様がいないけれど、お父様がいるだけで私は幸せなの。この世界には両親がいない子供が沢山いて、もっと別の国だと生きていく事すらむずかしいらしいの。だから私は幸せ』

神童に認定します。俺が五歳の頃はこんな子供ではなかった。しかし、俺は五歳の時の記憶すらないのだから、俺は相当出来が悪かったのだろう。
むしろ、五歳どころか、小学校の記憶さえほとんど無いのだから、時々疑問に思う。
俺は本当に二十三年間生きてきたのかという事に、そして、本当に小学校になんか通っていたのだろうかという事に……

『この日記を書いて、四十一回目。今日はお父様から何か薬を貰った。毎日決められた分量で飲んでと言われた。この薬を飲むと、綺麗で賢い子になるらしい。でもそんな事より、大好きなお父様がお願いしているから、毎日飲む事にした』

内容がわからない物があったので一気に日記を飛ばして読んだ。一日一回日記を書いている訳ではなさそうだ。好きな時に書いているのだろう。今何歳か気になる。それと薬というのも気になる。

『五十四回目の日記、私は今、小学四年生、学校には毎日通っているけれど、授業がつまらな過ぎて、あくびが出そうだった。友達と呼んでいる子たちと遊んでいるけれど、これはお父様が友達だけは作っておけと言ったから、しょうがなく遊んでいるだけ。早く家に帰り、お父様の本を読みたいなと思って過ごしていた。この日常が毎日続くと考えると憂鬱な気分になる』

五十四回目の日記で既に小学四年になっている。つまり毎日書いているわけではない。そう疑惑から確信に変わった。
しかし、京子は不登校だったはずではないのか? いや、中学に入ってから登校しなくなったと言っていた気がするから、小学校では普通に学校に通っていたのだろう。

『五十六回目の日記。今日は敦子叔母さんが来た。私は正直言ってあの人のことが嫌いだった。誰も寄せ付けない雰囲気とたまに私を見る冷たい眼が嫌いだった。敦子叔母さんが来るといつもお父様と喧嘩して、それで帰ってしまうのだった。あの人とは出来るだけ会いたくない』

敦子さんがあつし氏と喧嘩? それに誰も寄せ付けない雰囲気と冷たい眼? そんな雰囲気は今の敦子さんから感じられない。この日記に違和感を覚えた。

『昔から疑問に思っていたけれど、今日は確信した。お父様は私の事を見ていないようである。まるで存在していないかのように扱っている。お父様は変わってしまったのかしら、それとも変わったのは私のほうなのかしら。答えは違うと思う。正解はどちらも変わってしまったというものだろう。お父様がいつも、変わらない存在はない。そして人間も例外ではない。むしろ思考する事が出来る人間こそが急に変わりゆく存在なのだ。と言っていた事があったから』

今何歳かわからないし、日記の回数も書いていない。だから日記にこの事を書いたのがいつだかわからない。

『今日は中学一年の身体測定がおこなわれた。前からずっと他の女の子より大きいと思っていたけれど、身長が160cmでかなり大きい方だと言われた。顔も大人っぽいので高校生と勘違いされるのではないの。とも言われた。その事をお父様に報告したら、「そうか」の一言だったのが残念だった』

中学で既に高校生くらいの大人っぽさと身長か……まあ、納得は出来るけれどな。

『今日も敦子叔母さんが来ている。そしてまた喧嘩。敦子叔母さんが帰った後、お父様は私の顔を見ようとはしない。お父様は実は敦子叔母さんが好きで、それで喧嘩しているのかもしれない。喧嘩する程仲がいいという言葉があるし。それに敦子叔母さんはツンデレの可能性が高いし』

ツンデレ……今の時代は中学生でも普通に使う言葉なのか。いい勉強になった。

『今日は敦子叔母さんの振りをしてお父様に話しかけた。そしたら「二度と来るなといったはずだろう!」と怒鳴られて、泣いてしまった。お父様は一瞬何事かとおもったらしいけれど、敦子叔母さんではなく、私だと気がついたら抱きしめて、「京子、ごめんな」と言ってくれた。怒鳴られたのは悲しいけれど、抱きしめてくれてうれしかった』

敦子さんと京子を間違える程似ているのだろうか? 確かに似ているが、間違えてしまうほど、瓜二つではない。

『今日はお父様が出かけて行った。いつもの事だけれど、今回は行き先や帰って来る日付を言わなかった。お父様が帰ってきたら、いつも何をしているのか質問してみようと思った』

その後はしばらく白紙であった。そして十数ページめくった後、日記は何事も無かったように再開されていた。しかし、日記の内容が今までとは違っていた。

『今日、ようやくあつしさんが帰ってきた。そして「おかえりなさい、あつしさん」と呼んだら、予想通り、あつしさんは驚いていた。「どうしてそんな名前で呼ぶんだ、京子。いつものようにお父様と呼ばないのか」と言われたので、こういってあげた「変わらない存在はない。思考できる人間こそ急激に変わってしまうものなのよ」と言ったら「そうか」と一言だけ呟いた』

この時から、京子はあつしさんと呼ぶようになったのか。しかし何が起きたら人間ここまで変わってしまうのか。もしかしたら地下室のパソコンの中を覗いて、自分が生まれた過程を知ってしまったからなのだろうか。考えても答えは出ない。続きを読もう。

『ある日あつしさんが、「地下の部屋を見たのか」と言ってきたので、「見たわよ」と答えてあげた。「どうして、地下に何て行ったんだ。地下には行くなと行っといただろ」そんなことを言われてようやくわかった。この人は、私より地下にある様々な粗大ゴミの方が好きだという事に。「地下室には暇潰しになるものがいっぱいあって、楽しめましたわよ、あつしさん。あとパスワードが簡単すぎるから、変えたほうがいいよ」そう答えてあげた』

日記から、俺の知っている京子らしさが伝わってくる。しかし寒々しい感じがする。俺はこのまま日記を読むべきなのだろうか?
一度読むと決めた事だから途中から投げ出さないで、最後まで見てみよう。知る事で後悔するかもしれないことを覚悟して……

『今日、あつしさんに「私の卵子【も】提供してあげましょうか」と言ったら、凄く驚いていた。驚くのも無理はない。パソコンにも書かれていない事を知っているのだから。「京子、どこでそれを」と言いかけて、今の発言が失言だと気づいたらしい。私がカマをかけたのに途中で気づいたらしい。でももう遅い、さっきの発言で私の出生のルーツが疑惑から確信に変わった』

『今日、あつしさんに学校のことについて聞かれた。どうして学校に行かないのかという事に。私は学校に行くメリットがわからないと言い、だから学校には行っていないと答えた。そして何かいわれる前に自分の部屋に行った。あつしさんは私の事を追いかけてこなかった』

『今日は気まぐれに学校に行った。そして、生徒手帳を作る為に写真を撮らされた。先生や他の生徒は驚いていた。学校に来たことではなく、大人びている事に驚いたようだ。先生に「以前から大人びていたけど、この数ヶ月になにがあったの」とか言われたが、無視しといた。久しぶりの学校は物凄く懐かしかった。そして学校には二度と行く事はないだろう』

『今日は敦子さんが来た。敦子さんは以前と変わっていた。何でも交通事故に遭い記憶の一部が失われたらしい。そして、一緒にいた両親は死んだらしい。敦子さんはあつしさんと会って、記憶を取り戻したかったらしい。親近者に会えば記憶が戻ると言うケースがあるからだ。しかし、敦子さんの記憶は戻らなかった。そしてあつしさんの事をお兄ちゃんと呼ぶようになった。あつしさんも戸惑ったらしい。両親が死んだという発言と、敦子さんが変わってしまった事に』

あつし氏の両親が死んだ……それって京子の祖父母が亡くなったという事になる。それなのに何故こんな淡々としていられるんだ。
それに敦子さんが記憶喪失になったなんて、この日記を見て始めて知った。何故敦子さんは記憶が無くなった事を黙っているのだろう。明日になって起きた時にさりげなく聞いてみよう。

『今日、あつしさんは失踪した。あつしさんの机の上に置き手紙があり、しばらく帰らない。もしかしたら二度と帰らないかもしれない。という事が書かれていた。私は失踪したと判断した。その時、あつしさんの部屋に大量のパルギン錠があったので貰っておく事にした。私はこれから敦子さんのアパートに行くつもりだ』

知り合い以上、他人以下。それはあつし氏の事だったのか。しかし、父親が失踪したのにあまり驚いている様子は日記を見る限りではないようだ。京子は父親がいつか失踪する事を知っていたのだろうか。それで心構えが出来ていたから驚かなかったのだろうか。わからない。

『敦子さんのアパートに住んで一ヶ月が経つ。その間ほとんど会話はなかった。敦子さんは私を見る事はなく遠ざけているようだった。まるで私の事が嫌いなように振舞っている。実際に嫌いなのだろう。そう自分で納得させた。敦子さんはパートをして、暮らしているらしいけれど、それ以外にも誰かが自分の口座にお金を振り込んでいるらしくて、暮らしは安定しているようだ。その誰かが敦子さんにはわからないらしい』

誰かからお金を振り込まれている? 一体誰だろう。これは敦子さんに聞いても答えてはくれないだろう。敦子さん自身が知らないのだから。

『今日、敦子さんのアパートを出るつもりだ。今まで敦子さんにばれないように、バイトをしてきた。そしてお金が目標金額に達成したからだ。外の世界でもゆっくり見ながらこの家出を楽しもう。季節的にも暖かくなってきたから、困る事はないだろう。暴漢に襲われない限り』

『お金はまだあるけれど、野宿する事に飽きてきた。だから今日、始めて目にした男の人の家に泊まろうと思った。その人物がどんなにやばくても、付いていこうと思った。私はどうなってもいいと思ったからである。自分が殺されようとも、拷問まがいの行為をされ死んだとしてもいい。そんな事を深夜の公園で考えていたら、挙動不審な男が現れた。この人の家に付いていこうと思って声を掛けた。男の人はアパートで一人暮らしをしているらしい。その人の名前は真下高次というものであった』

京子の奴は怖いもの知らずなのか、それとも本当に自分の事をどうでもいいと思っているのか。深夜の公園にいる挙動不審な奴の所に行ったらどうなるか、想像もできなかったのだろうか。深夜の公園に男一人で来るような奴なんてろくでもない奴だぞ。そいつはどういう奴なのだろうか、俺でも想像がつく。おそらく引きこもりのニートでオタク的な人間で、親からの仕送りで生きているような、救いようも無い奴だろう。
もう一回日記を見てそいつの名前を見てみた。
……俺じゃん!
俺のプロファイリングの凄さに自分で驚いた。まさにプロファイリングの天才だ。

『真下高次という人物は、人間の底辺に属する人間であり、働かないで、親の仕送りで生きているニートだった。そして、引きこもっているらしい。まさに人間の屑だった。こういう人間を観察するのが夢だったけれど、こんな形で具現するなんて思わなかった。これから高次という人間を観察して、それどころか、もてあそんでやろうと思った』

京子はそういう視点で俺の事を見ていたのか……少しだけショックを受けたが、京子のこれまでの日記を見れば、京子がそう思って俺と接していた事に、疑問を持たずに受け入れられる。

『今日デートの予備練習という名目で高次さんを外に連れ出した。面白いほど動揺していたので、見ている分には楽しかった。でもニートといる事に嫌気が差した。働ける身分にありながら、働こうとしない。勉強もしない。何かのトレーニングもしない。それなのに人並みに生きている存在が許せなかった。もっとこの引きこもりを、もてあそんでしまおうと思った』

…………返す言葉もない。

『ある日私は高次さんにパソコンを貸してくれないかな、と頼んだ。高次さんには小説を書くという名目で借りたが、本当はパソコンの中身が見たかっただけである。初日もざっと見て嫌がらせで色々なフォルダーを削除したけれど、二週間でどれだけのフォルダーが新たに形成されたのか気になったからである。つまりニートで引きこもりの人間のパソコンが二週間後にはどうなっているか気になったからだ。まず履歴を見たけれど削除されていた。予想通りだった。次にディスクの中身を見た。ほとんどが隠しフォルダーにされているようで、ディスクの中にフォルダーはなかった。少しだけ検索してみた。そしたら2ch専用ブラウザーのフォルダーが見つかった。普段何を見ているか覗いてみた。薬・違法、哲学、実況、メンタルヘルス、心と宗教、VIP、半角二次と色々な所のログがあった。そしてVIPでのログはかなりのものがあり、くだらないスレばかり見ていたようだ。屑にも様々な屑がいるけれど、こういう種類の屑人間を観察してみる事が一番好きだ』

…………

『今日、高次さんが日記を探していたけれど、私が直接隠してある場所に行き見せてあげた。もちろん、あらかじめ用意した偽の日記である。日記の中身が白紙である事に落胆している高次さんを観察するのは楽しかった。それと性的な行為をしてきたけれど、別に気にはしなかった。そこらへんにある石ころにつまづいた程度の事であるからだ』

やはりあれは偽の日記だったんだ。それなら初日に見ようと思った日記は本物なのだろうか? あれも偽の日記の可能性が高い。しかし、本物かもしれない。どっちなのだろうかわからない。とりあえず続きを読もう。

『今日、東京に行った。夜の東京タワーの景色は綺麗なものだった。でも真の目的はそれではない。東京と言うものの世界が知りたかった。でも途中からどうでもよくなった。目的を変更して、高次さんとラブホテルに行く事にした。ラブホテルという密室で高次というニートはどういう行動をとるのか見たかったからである。もし私に性的な行為をしたら、高次さんの元からいなくなろうと思った。そうすれば高次という人間は苦しめられる事になるだろう。本当は人の苦しむ姿など想像したくないのだが、高次さんはあつしさんと似ている雰囲気があったので、衝動的に苦しめたいという感情が湧いた。しかし、高次さんは何もしなかった。その後浅草寺で祈りごとをした。神や仏の存在はわからないが、真剣に願い事をした。この願い事は恥ずかしいので日記にも書かない事にした』

京子は何を願っていたのだろうか。

『今日、高次さんが私のことが大事な存在だと気づいたと言っていたが、反吐が出る台詞だった。そんなに一緒に居たいのなら、仕事でも探せよと遠まわしに言ってやった。でも、大事な存在だと言われて何故か胸が温かくなった』

『今日、高次さんが自殺未遂をした。思いっきり悩んでいる様子で、しかも生きて行きたくない。そして死ぬ勇気もないと言ったから、冗談のつもりで自殺の後押しをした。こういう人間は自殺はしないタイプだと思ったからである。そして散歩から帰ってきたら、本当に自殺をしていた。急いで救急車を呼び。ごめんなさいと言った。その後、命に別状はないと思われますと医者から聞かされて、安心した。でも、もう高次さんに合わせる顔がないので、会わないことにした』

『そういえば、真下という苗字に覚えがあったので、一応高次さんの家族を調べる事にした。しかし期待はしなかった、確率的に低いからである。だが、期待していなかったのだが、予想は的中した。高次さんは……』

これを読み、どうしてこの人の名前が日記に出るのか驚いた。どういう事なのだろう。この人の名前がどうして日記に載っているのだろう。
本人に聞けばいい。そう思った。

『今、埼玉県狭山市水野のアパート居ます。会う気があるのなら来て下さい。入曽駅から徒歩で十五分くらい歩いた場所にいます』

そう書かれていて、地図が描かれていた。
日記にはそれ以降、何も書かれていなかった。

これだけの日記なのに二時間も時間を掛けてしまった。俺には文章を読む力はあまりないみたいだ。
昔速読に関する本を買い、本に書いてあるトレーニングを二週間だけしたが、効果はなかった。それ以降はあまり本を読まなくなった。しかし、つい最近になってまた本を読むようになった。誰の影響かわからないけれど、おそらく京子の影響だろう。
とりあえず、疲れたので眠る事にした。この部屋で眠るのもいいが、布団が敷ける場所で眠りたかった。確か一階に寝床があった気がするが、そこまで移動するのも嫌になるくらい疲れていた。しかし、寒い所で眠ると起きた時が辛いので、疲労を我慢して寝床まで行こうと思った。
ちなみに今いるこの部屋は二階にある。

目を覚ました時、空はオレンジ色だった。まだ早朝らしい。なぜこんな早くに起きたのだが疑問に思ったが、疲れは取れていないので、二度寝をしようと思った。
その時敦子さんが俺を起こそうとしていた。
「いつまで寝ているんですか、早く起きてください」
「敦子さん、まだ時間も早い事だし、二度寝くらいさせてください」
「早いって、何寝ぼけた事を言っているんですか。もう夕方ですよ」
夕方?
俺は寝ぼけた頭で時間を確かめようと思い。ポケットから携帯電話を取り出した。そして時間を見た。
……確かにもう夕方の時間だ。俺ってそんなに寝ていたのか? 携帯が壊れているだけじゃないのか。そして敦子さんも何か勘違いしているだけではないのか。そんな疑問が湧いた。
まだ疲れも取れていないし、寝ていたい気分だ。しかし、どうやら今が夕方だという事を、世界が証明してくれた。オレンジから段々と薄暗い色に変化した事によって。

「今日はどうしましょうか?」
「もう調べる必要はないです。だから帰ろう」
えっ、という顔を敦子さんはしていた。
「だから、もう調べる必要はないんです。だから僕達の愛の巣に帰りましょう」
「何でもう調べないのですか? それに愛の巣って……真下さんは私を選ばないで京子ちゃんを選んだのでしょ。だから、ここを調べる必要がないのなら、もう私と真下さんの関係は終わりでしょ」
「半分冗談ですよ。本気にならないでください。それにこの物語の決着をつけないといけないし。全てが終わった後に、敦子さんのアパートに行くかもしれませんので」
「何を言っているかはわかりませんけれど、半分冗談という事は半分本気だったっていう事なの」
「いや、ただの戯言です。意味は持ちません」
戯言使い、いーちゃんの真似をしてみた。
「あと、聞いておきたいことがあるのですが、敦子さんが記憶喪失だという事は本当ですか?」
「どこで知ったの、そんな事」
「とある場所にそう書いてありました」
敦子さんは少し考えているようだった。そして話し出した。
「確かに記憶はほとんど無いのよ。小学生から中学の最初の記憶はぼやけて思い出せるけれど、それ以降は思い出せないの」
「俺とは逆ですね。俺の場合は小学生の記憶が曖昧で、本当にそんな時があったのか疑問に思います。それと話を戻しますけれど、事故で記憶を失ったと書いてあったのですが、その時に両親が亡くなったというのは本当ですか?」
敦子さんが俯いている。辛い過去を思い出してしまったのだろか。もっと慎重に聞くべきだったかも知れない。
「実はそこが変なんですよ」
敦子さんはそう一言言った。
「変? どういうことですか。何が変だったのですか」
「実は私の両親はずっと前に亡くなっているんです。医者からは一緒にいた両親が死んだと聞かされ、私だけが生き残ったという事なんですけれど。お兄ちゃんに聞いたら、そんなはずはないだろ。お前と私の両親はずっと前に死んだはずだ。と言われたんです。そして、病院で聞いたら、実は死んだのは私の友達らしいと言ってきたのです。友達の名前を聞いたけれど、教えてくれなかったのです」
……
「そうですか、わかりました。一応病院の名前を教えてくれますか?」

今高崎駅にいる。この駅を経由していけば、とりあえず家に帰れると思い、敦子さんにここまで送ってもらったのだ。
「じゃあ、ここでお別れですね」
「そう……ですね。真下さんがいなくなると少し寂しい気がします」
「二度と逢えない訳ではないので辛気臭い顔をしないでください」
「確かに、二度と逢う事がない別れでは無いですけれど、この世は理不尽ですから、万が一の出来事に巻き込まれて、二度と逢えない事もあります。未来は常に不確定に変化している物ですから、誰にも先の事などわからないのです。だから、二度と逢えない覚悟でお別れします」
それって俺が事故に遭うことを前提にしているのだろうか。
「でも、私はもう一度真下さんに会えるって信じています。だから一時的に今はお別れの挨拶をしときたいです」
そう言い敦子さんは俺にキスをした。唇同士でのキスを。
「じゃあ、さようなら。また逢える事を信じてます」
俺は何も言わずにその場にいて、敦子さんの姿が見えなくなった後、歩き出した。

そして今、家に居る。ここまで帰ってくるのにも時間が掛かったから、かなり遅い時間である。しかも、俺は家族に誤解されたままなので、どうやって家に入ればいいのか迷った。
とりあえず、玄関から入って何とか家族からの誤解を解いておこうと思った。そして玄関にあるチャイムを押した。
一分後親父が出てきた。よりによって親父かよ。この人は兄貴の次に苦手なんだよな。小さい頃はよく殴られたし怒鳴られたし、今でもこの人の顔を見ると衝動的に殺したい願望が出てくる。
「高次帰ってきてくれたのか?」
「ああ、帰ってきたよ悪いのかよ。言っておくけれど警察の件は誤解だからな」
と言い、ある事に気づいた。親父は『のこのこと帰ってきやがって、この極潰しが!』と言うと思ったのに、『帰ってきてくれたのか?』と言っている、どういう事なのだろう。
「すまなかった。警察の件はこちらの勘違いだったようだ。俺を気が済むまで殴ってくれ」
親父からそう言われたのは初めてだった。親父は勘違いした事を反省しているようだ。
そして、俺は親父に五発パンチをした。親父はもう勘弁してくれと言っているが、この程度では腹が収まらない。今までテメーのせいでどれだけ俺が傷ついていると思っているんだ。
さらに五発、あと七回殴ればフィフティ・フィフティだ。そう思いパンチをしようとしたら、親父は既にKO状態だった。さすがにやり過ぎたと思い、俺は冷静になり、二発殴り、最後に蹴りを入れた。
俺はそれだけで我慢できたのだから、立派になったものだ。昔の俺ならあと十発パンチをしていただろう。
俺はとりあえず、救急車を呼ぶ事にした。親父の体が痙攣していたからである。まあ、そんな事はいい。誤解は解けたのだから、正々堂々と家に入れる。
そう思ったが、親父はかなり重体に陥り、あと少しで死ぬところだったと医者に告げられて、お袋は家に二度と帰らないでと怒鳴った。
帰る家がまたなくなった。まあ、いい。あんな家なんてごめんだ。あそこに居れば、しなくてはいけない事も、出来なくなるだろう。だから好都合だった。そうあくまで楽観的に考えた。
泊まるとこは健康ランドとネットカフェにして、交互に泊まりながら準備を整えた。
そして、二週間が経過して、全ての事をやり終えた俺は、京子の元に行くことにした。







最終幕 あの日の少女と再会。そして……

            オチは期待しないでください
by作者

俺は、大宮駅から川越駅に行き、川越駅から徒歩で十五分歩き、本川越駅に着いた。そこから更に、電車に乗り、入曽駅で降りた。
そこから、地図に描いてあるとおりに歩いたら確かにそこにアパートはあった。
京子が住んでいる202号室まで行き、チャイムを鳴らした。しかし、誰も出てくる気配がない。チャイムを五回くらい鳴らしても誰も出なかった。本当にここで合っているのかと疑問に思った。実際にネームプレートがないし、誰も住んでいない可能性がある。もし住んでいたとしても、京子以外の人物かもしれない。
俺はコンビニに行き、適当な本とアンパンと、失楽天を買って、時間を潰す事にした。
アンパンを食べながらアンパンマンソングを歌った。このアンパンマンソングは子供が聞いても何も感じないかもしれないが、大人になって歌ってみると、深いテーマがある事に気づく。
アンパンを食べ終えた俺は、更なる獲物を求めて、またコンビニに行く事にした。今度はビールとビーフジャッキーとスモークチーズとサラミを買った。
そしてまた座り込み。ひたすら待ち続けた。
あたりは少しの闇に包まれた。それくらい待っていたが、もう待ちきれなかった。今日は月の出ている日だったので、それほどあたりは暗くは感じなかった。しかし、俺の胸には暗い影が落ちていた。もしかしたら、もう別の場所に引っ越してしまったのか? あるいは日記に嘘を書いたのかもしれない。その判断が出来なかった。それでも待ち続けるのは賢明な判断ではないと思った。
隣人に聞き込みをしようと思ったが、その隣人も無人状態だったので聞くことは出来なかった。
そういえば、京子と出会った日も月が明るかった記憶ある。あの日京子と出会ったのは偶然だろうか、必然だろうか、それとも奇跡なのだろうか。その判断は俺でも下せない。ただ、俺は京子と出会い、救われた。それだけが重要な事である。京子が俺の事をモルモットのように見ていたとしても、京子と過ごした日々は楽しかった。そして、そこから色々な出来事が起こりだした。
京子がどう思っていたとしても、俺にとって京子との出会いは幸運であったと思う。
少し感傷に深けていたら、寒くなってきた。何処か暖かい場所に行き、それでまたここに戻ってきよう。そう思った時、誰かが声を掛けてきた。
「月が綺麗な夜ね。高次さんと出会ったのも、こんな日だった気がするわ」
「そうだな、ただ今はあの時より澄み切った空なので、もっと鮮明で綺麗な夜だよ」
「ひさしぶり、高次さん」
「ああ、ひさしぶりだな。京子」

京子の部屋に上がらせてもらった。京子の部屋には生活に必要なものしかなくて、あとはノートパソコンと、小さな本棚くらいしかなかった。
これだけ部屋が綺麗だと、返って寒々しい感じがする。まるで人が生活していないように思える。
そんな、部屋の分析なんてどうでもよかった。
「せっかくの再開なので、高級料理でも作ってくれ」
「事前に知れておけば、高級料理を作って待っていたのに。もちろん料理代は高次さん持ちで」
確かに俺は、とある人に、京子の電話番号を教えてもらった。それだけではなく、色々とその人に頼って、二週間調べ事をさせて、自分でも調べたりした。
「せめて、高級ワインでのお迎えがして欲しかったな」
「一万円あげるから今からでも買って来たらどう」
一万円で高級ワインが買えるかという問題じゃなく、今からでも店を開いている所があるのか疑問に思った。
「まあ、せっかくの再開だけどゆっくりしようとは思わないよ。貴方から聞きたい事が多くあるので。京子ではなく貴方から聞きたい事が」
……しばらく沈黙した後、俺は声を出した。
「本物の山下敦子さんである貴方に」

京子は何も言わなかった。いやここは敦子さんと言うべきだろうか、どっちの呼び名で呼んだほうがいいのか、迷ってしまう。
「まあ、ここまで辿り着いたのだから、それくらいは気づくわよね。あと呼び名は自由に呼んでくれていいよ」
「じゃあ、江(え)理(り)菜(な)さんって呼ばしてもらうよ」
「ええ、いいわよ。私が自由に名前を呼んでいいって言ったのですもの。ところで江理奈って誰。適当に考えた名前?」
「初恋であり一目ぼれした人の名前です。それと今のは冗談です。貴方の名前を京子さんって呼びます」
「聞きたいことって何?」
いきなり本題をつかれた。ここに来る前は、色々と質問したい事をどう聞くか悩み、何から聞くか決めといたのに、急に相手の方から聞かれると、何から話せばいいのかわからなくなる。
「とりあえず、スリーサイズを聞かせてください」
「いいのそれで、質問していい回数は限りがあるのに、そんなくだらない事で、質問の回答を一回なくしてしまうの?」
質問には限りがあると言っているけれど、何回まで答えていいのかわからない。ここでもし、何回まで質問していいかを聞けば、その質問自体が一回とカウントされてしまうだろう。
「京子さん、何で敦子さんの記憶をすり替え、自分が山下京子になったのですか?」
「そんな事でいいの? まあ答えてやるわ。一つは自分のエゴ。あつしという人物が今どんな研究をしているかを探るため。要するに兄が何を研究しているか調べて、自分の好奇心を満たしたかったの。後あつしさんに復讐する事。つまり色々な発言をして、精神的に追い込む事をしたかったの」
復讐か……
「京子さんは知っていたのですね。あつし氏が自分の卵子を強制排卵させて、そしてあつし氏がその卵子に精子を入れて、体外受精させたという事を」
「知っていたわ。変な施設に送り込まれて、睡眠薬を飲まされて、そしてあとになって強制排卵をさせられた事に気づいたの。でもそんなことは些細な事だと思っているので、気にしていないわ」
それが些細な事ならどうして復讐するのだろうか。もっと別の問題があったのだろうか。
「どうして、病院で敦子さんに、両親が死んだという嘘を言わせたのですか。すぐにばれる嘘なのに」
「あつしさんを動揺させるためよ。誰も気がつかなかったけど、あつしさんはかなり動揺していたわ」
あつし氏を動揺させる為? 気にしないで俺は話を続けた。
「薬を調べさせてもらった結果、HGHとよく似た成分と、スマートドラッグの成分、そして、その他成長促進剤が検出されたのです。だから敦子さんは実年齢が十五歳でも、本人が二十九歳といえば、少しだけ疑問に思うけれど、まあ、このような大人がいても不思議ではない。と思われていたのでしょう。だから入れ替えが出来たのです」
「でも、顔を見れば知っている人は、違いに気づくでしょう」
「山下あつしの眼鏡を眼鏡屋で見せたよ。そしたら極度のド近眼用の眼鏡らしかったよ。つまりあつし氏は普段眼鏡を掛けていないので、違いに気づかなかった。そして、京子は登校拒否になったのだから、あつし氏以外とは会わなかったのだろう。中学二年になって中学に登校した時も、少数の人しか疑問に思わなかっただろう。月日が経ちすぎて、本物の京子の顔をおぼろげにしか覚えていないし、少し疑問に思った人も、成長期だから成長したのだろうと、自分で納得したのでしょう。敦子さんの場合は、あらかじめ用意しておいた、知っている人がいないアパートに、住ませたのでしょう」
「それで? 何が言いたいの? それに記憶をすり返ることなんて、出来ないでしょう」
「兄貴に頼んで色々と合法なところや、違法のところを調べてもらったよ。違法で倫理的ではない研究をしている所では、一般人が想像できない研究もしているし、実際に人間を使った研究もしている。ちなみに薬を調べたのも兄貴なんだよ」
「そう、幸一さんが手伝ってくれたのね」
「そうだよ、真下幸一が手伝ってくれたんだ。君の日記に兄貴の名前が書かれていた事には驚かされたよ。どういう関係なんだ」
「私ではなくてあつしさんの地下のパソコンに真下幸一の事が書かれていたのよ。それで気になって調べてみたの」
「あつし氏と兄貴はどういう関係なんだ」
「ロバート・モンロー研究所で知り合い、意気投合したらしいわよ。あつしさんは幸一さんを評価していたわ。あつしさんが他人を評価するなんて珍しいことよ」
ロバート・モンロー研究所か、本を読んで俺もそういう所があるのを知った覚えがある。
「あつし氏は死後の世界とか、意識に関する研究でもしていたのか?」
「色々な研究をしていたけれど、特に意識の研究や。死後の世界の研究は、熱心に研究していたわよ『この世に私の欲しい物はない、だからこの世以外の世界がある事を、私は願っている』と口癖のように言っていたわ」
「復讐とはどういうことなんだ。何が動機で復讐しようとしたんだ」
少し黙った後、口を重々しく開いた。
「私の両親を自殺に見せかけて殺したのよ。コーヒーに毒を盛って。普段から両親は疲れ気味で、口癖のように死にたいとか言っていたの。だから警察は自殺と片付けたけれど、私はあつしさんが毒を所持していた事を知っていたの。その事で質問したらあっさりと自分の犯行を認めたわ。でも証拠がないし、殺す動機もないから、警察に言っても無駄だと言われたわ」
「どうして、あつし氏は殺したんだ」
「『邪魔だから殺した』と、平然と言っていたわ。それが動機よ。両親は確かに口うるさかったけれど、殺すほどの事ではないと思ったの。それでいつか精神的に追い込んで自殺をさせようとしたの、両親の代わりに」
「両親が死んだ後、どうしたんだ」
「私は貯金していた金を下ろして家を出たわ。あつしさんは、既に家を建てていてそこで暮らしていたわ。その時、京子という子供をある所から連れだして、一緒に暮らしていた事を知ったの」
「京子はあつし氏と暮らす前までどこで過ごしていたんだ」
「とある研究所のサンプルとして様々な事をされていたらしいわ。そして、色々とした後に、用済みとなった京子ちゃんは何の娯楽もない施設で、ただ待たされて、そして親である、あつしさんが引き取って一緒に暮らす事になったの。もちろん研究対象と観察対象として」
「それで京子を利用して、自分が京子になり、あつし氏に仕返しする計画を考えたんだな」
「まあ、そういう事。でも京子ちゃんの存在がなくても、何らかの別の方法で復讐していたけれどね」

問題や謎はまだ山積みだが、これ以上聞いても意味がないだろう。動機が聞けただけで満足だ。
それにさっき言った事は全部嘘で、動機などなく、入れ替えもない場合もある。だから、これ以上聞いても、嘘の可能性があるので、聞いたとしても無駄だろう。そう判断した。
「あと、聞きたいことはある? それともない?」
「いや、ないよ。それにしても日記では酷い事を書いていたな」
うーん、と唸り声を上げてから答えた。
「ごめんなさい、なんて書いたのか忘れちゃったわ」
「ならいいよ。別に傷ついてないから。でも慰謝料として百万円くれ」
そう、それくらいでいいの? といい京子さんは大きいバックを開けた。そこには一億円くらい入っていそうなほど、大量の札束があった。
「どうやって儲けたんだ。銀行でも襲ったのか」
「厚生労働省の大臣の孫を誘拐して儲けた金よ」
……ここにいるとヤバイ気がした。犯人一味として俺もピーポ君ではなく、雇われたヤクザに拷問され、東京湾に沈められるかもしれない。
「冗談よ。色々と男を騙して取ったお金よ」
それもヤバイ気がする。
「キャバクラで仕事をして、男が貢いだ物を質屋で売って儲けたのよ。だから安心していいわよ。法に触れる事はしていないから」
「それならいい、だったら千万円ください。兄貴に『千万払うか、新薬の実験台になるか、どちらかを選べ』って言われたので。兄貴に調査の手伝いをさせたけれど、まさかあんなに値段を吹っかけるとは思いもしなかったので」
実際は、五十万払えと言われているだけだが、ここで一千万貰えたら、九百五十万の儲けになる。さあどうするのかな京子さんは。
「私も聞きたい事があるの。どこで入れ替えに気づいたの」
「その情報は一千万になりますけど、いいでしょうか?」
多分くれないだろう、一千万というのは巨額すぎる。俺がバイトと自宅警備員をしていたら、一生手に入らない金額だ。
「二千万あげるわよ。だから教えなさい」
俺は耳が悪くなったのだろうか、さっき二千万あげると言った気がする。
「さっき、二千万くれるって言ったのか?」
「言ったわよ、二千万なんてまた稼げばいいでけだし、それに、いくら金が有っても満たされないの。私も兄のようにこの世に欲しい物が無いから。だから生活できる範囲の金があればいいの」
「わかった。言うよ、どこで入れ替えに気づいたのだか。最初に違和感を感じたのは、敦子さん、つまり京子ちゃん、いや、呼び方は敦子ちゃんでいいか。ともかく敦子ちゃんがタンスの仕掛けの事に気づいたときです。敦子ちゃんは部屋の位置さえ覚えていないはずなのに、タンスの仕掛けを知ってました。でもそれは誰かに教えてもらったものと思い自己解決しました。でもその後、予備電源のスイッチの事を知っていたので、また疑問に思ったのです。もしかしてここで暮らしていたのか? という疑問です。そして、日記を読んだときに疑惑は大きくなり、そして敦子ちゃん自身が記憶がないと言ったのが決め手となったのです。しかし、勘違いかもしれないので、兄貴の力を借りて調べました。敦子ちゃんが入院していた病院を。そしてそこは実は意識や自我とかの研究をしている違法な研究所であったりと、様々な事がわかりました。そして、兄貴が脅したら全て相手のほうが吐いてくれました」
「つまり、タンスの仕掛けで疑問に思い、敦子ちゃんの、記憶が無い発言で気づいたのね」
「まあ、簡単に言えばそうなります」
それにしても、何で俺は敬語を使ったりしているのだろう。気にしないでおくか。
「高次さんは鈍感だね。幸一さんならたぶん五分で入れ替えに気づいたと思うわ」
確かに兄貴ならすぐに気づきそうだ。あれ……なんかさっきの会話で違和感があったような気がする。
「京子さん、もしかして兄貴と直接会ったのですか?」
「さりげなく近寄ったの。あつしさんが評価した人物であり、そして、屑人間の兄という人がどういう人物なのかを知る為に」
さりげなく屑人間という言葉を使っている。もしかして日記に書いた事は全部覚えているけれど、忘れた振りをしているんじゃないだろうか。
忘れた振りをしている可能性のほうが高い。
「幸一さんは、高次さんと顔は似ているけれど、雰囲気とかは全然違ったわよ。負け組みの弟と勝ち組の兄。その落差が激しかったわね。勝ち組と負け組みの違い、という教科書を作れるほど違いがはっきりしていたわ」
「それで、兄貴と何を話したんだ」
「カクテルを飲んで、あつしさんの事を聞こうと思ったの。そしたら幸一さんが、『飲み比べして先に寝るか、気持ち悪くなってギブアップした方が相手に従うというのはどうだ』って言ってきて、その条件を呑んだわ。絶対に勝てる自身があったんだけれど、負けてしまったわ」
多分兄貴は自家製の酔い防止のサプリメントでも飲んでいたのだろう。あの人は勝負する時自分に有利な条件でしか勝負しない。
「それで、ホテルにでも連れて行かれて、兄貴のテクニックの虜にでもなったのか」
「いいえ、違うわ。幸一さんは『高次関連で俺に近寄ったのだろう』って言ってきて、それで全部話せと言ってきたわ。だから色々な事を話したわよ」
「それで、どうしたんだい結局」
「高次の事を試してやれ。そうすればあいつがどういう素質を持っている人間かわかるから。と言われて、家の住所が書かれた葉書を送ったり、京子ちゃんに、真下高次という人物が大胡役場に来たら会ってくれないか。とお願いしたのよ」
つまり、色々と家宅捜索をさせた黒幕は兄貴だったと言うわけか。
その少し前に兄貴と会ったけれど、そんな素振りは一つもしていなかった。兄貴は人に嘘を吐く事や、騙す事、そして知らない振りをするのが得意だからな。
「そして、お互いに賭けをしたわ。高次さんがここまで辿り着けるか、それとも辿り着けないかを。私は辿り着けない方に賭けたけど、幸一さんは辿り着く方に自信満々で賭けたわ」
「ちなみに掛け金はどれくらいだったんだ」
おそらくとんでもない額を賭けたのだろう。
「私が負けた場合五十万払う事になっていて、幸一さんが負けた場合、一億を幸一さんが出すと言う条件で賭けは成立したわ」
兄貴の思考回路がわからない。ハイパーハイリスク・ローリターンじゃないか。第一俺がここまで来たことが奇跡的なのに、どうして兄貴はそんなむちゃくちゃな賭けをしたんだ。
俺は兄貴が俺に協力してくれたのが不思議だと思っていた。しかし、自分に関係する事柄だったから、協力してくれたのだろう。
俺にとって大事な事も、兄貴にとっては何の利益が生まれなければ『くだらない』の一言で片付けただろう。だが、兄貴自身も関わっている事なら、協力したのも納得がいく。

「そういえば、兄貴から箱を受け取ったのですが、京子さんと直接会ってから、箱の中を見てみろと言われました」
そう言い、自分のバックをあさり箱探した。
そして、古びた木製の箱を取り出した。
「何が入っているの?」
「半分死んでいて、半分生きている猫ではない事は確かだと思います」
箱を開けてみたら、古びた大きめの手帳が中に入ってあった。
「それって、あつしさんの手帳だわ。一度見たけれど、あつしさんにばれそうになったので、途中までしか読んでいないけれど」
中身を見た。
そこに一枚の紙が挟んであり、途中まで飛ばして読んでいいと書かれていた。おそらく兄貴が書いたのだろう。
最初は研究に関するもので、専門用語とか出てきたので、流し読みをしていた。そして、途中から、研究の事ではなく、内容が日記になっていた。
敦子ちゃんの事が書かれてあったり、今日何をしたが書かれてあったりと、有触れたものだった。
敦子ちゃんの事は、最初は観察日記みたいに書かれていたが、そういう事は後半には書かれていなかった。
そしてあるページに両親の事について書かれていた。

『最近、実家に訪れる度に両親が、精神的に疲れていることがわかった。それで心療内科に行くことをお勧めしたが、既に通っていたらしい。両親の絶望している事を探ったら、二人とも癌に罹っている事がわかった。親父は肺がん、母は乳がんであり、末期状態だとわかった。それでも二人は、病院には行かずに、ただ、苦しみから解放されたいと願っていた。両親は敦子に精神的な苦痛を与えないように、病気の事は黙っているらしかった。そして私は新薬である、快楽を六時間味わって、その後薬の効果が切れた時に死ぬという薬を渡した。そして次の日に両親は自殺した。死に顔は安らかだった。この時私は両親を救ったと思っていたが、本当にそうなのかがわからなかった。警察の方は、ただの自殺と片付けた。警察と医者に俺は、敦子に両親が癌を患っていたことを話さないように頼んだ。だから敦子は両親が癌を患っていたことは知らなかった』

『両親を殺したのはあつしさんでしょう。と敦子に問われて、私は殺した事を認めた。実際に手は下してないが、両親が死ぬ事を後押ししたのは私であるからだ』

『敦子からの責め苦に悩まされたが、それだけでは足りないほど、私は罪を重ねていた。研究所で、非倫理的な実験をしたり、敦子の卵子を摘出したりと、様々な事をやっていた。今思うと自分の愚かな研究の生贄になった人が不憫に思える。この罪は消せないだろう。せめて緩和するくらいしか出来ない』

『ある時、長期の出張から帰っていたとき、京子の態度が変わっていた。なぜ急に性格が変わってしまったのかは、その時わからなかった、しかし、その後に京子と敦子が入れ替わった事に気づいた。確信したのは、敦子が両親と事故に会い、自分だけ助かって、両親は死んだ。そして、自分は記憶喪失になった。という発言で確信した』

『私は罪を犯し、罰を受けるためだけに生まれたのだろう。だから、私は苦しんだ。京子に入れ替わった、敦子の発言の一つ一つが脳に蓄積され、自分の罪深さを再認識した』

『私はこの家を出る事にしよう。罰は私が憧れているあの世とやらで受けよう。自殺はしない。それは返って自分を救う行為だからだ。私はこの世で苦しみ、そして自然に任せて死んで行こう』

そう書かれていた。最後に紙があり、文字が書かれていた。『この手帳は山下あつしと接触して、盗みとったものだ。何が真実だかは貴方が決めてください』という内容が書かれていた。
山下あつしが、わざと罰を受けていたのが手帳の内容から読み取れる。そして、両親は殺されたのではなく、本当に自殺したと書かれている。
「嘘よ、この手帳に書いてあることは捏造に違いないわ。あつしさんはそんな人間ではないもの」
確かに捏造という可能性もある。しかし、手帳の前半部分と文体が似ているから、捏造の可能性は少ないだろう。
「京子さん、人の心はブラックボックスであり、誰にもわからないものです。だから、貴方が思っている山下あつし像は貴方が勝手に創りあげただけです。人間の心などは、常に揺らいでいてわからない物です。だから、知る術はないのです。兄貴が書いたと思われる紙の内容のように、何が真実かは貴方が決めてください」

「おそらく、誰にも見せないでいるつもりだったのでしょう。もし誰かに見せる為に書いたのなら、持ち歩かないで自分の家に置いときますから。兄貴の奴がそれを奪わなければ、日に当たることもなかったでしょう。この手帳は自分で犯した罪を、自分自身で具現化する事で、自分の罪を再認識していたのでしょう」
「…………」
京子さんは何も言わなかった。そして少し悲しげな顔をしていた。今京子さんが何を考えているのかはわからない。さっき人の心は誰にもわからないと俺は言った。確かに人の心はわからないが、推測するくらいなら出来るだろう。しかし、その推測が的外れになる場合が多い。だから人と人とに齟齬(そご)が発生する。
今回の場合もそういうケースだったのだろう。
とりあえず、俺はこれから何処に行くべきか迷った。帰る場所が無いし、金も尽きかけている。
京子さんに一千万を貰おうと思っていても、今そんな事を言ったらKYな人間になってしまう。
何気ない会話をしてみる事にしよう。
「そういえば、京子さんに聞きたい事があったのですが、浅草寺で何を祈ったのですか?」
「…………」
まだ沈黙している。それ程の衝撃があったのだろう。
「今日はもう帰ります。だからゆっくりとあつしという人物の事を考えてください。憎むのも自由だし、許すのも自由です。そして、あつしという人物の事を忘れるのも自由です」
「今日はもう遅いから……泊まっていってください」
「……好意に甘えて泊まらせてもらいます」

「高次さん、起きている?」
「ああ、起きているよ。今日は何だか眠れない」
本当は眠いけれど、京子さんが何か言いそうだったので、俺は嘘を吐いた。
「私はこれからどう生きていけばいいのか、わからなくなっちゃった」
「大丈夫だよ。今はどう生きていけばいいのかわからなくても、時間が経てばやりたい事が見つかるから。でも俺はやりたい事がまだ見つかっていないけれど……」
高校卒業してからもう四年と半年が経つ、しかし、俺は今だ何一つしていない。そしてやりたい事もない。そんな奴が偉そうに語る事は出来ない。
「ねえ、一緒に眠らない? 今日は何だか寒いから二人で寄り添って眠った方が暖かいと思うのだけれど」
「そうだな、今日は寒いから一緒に眠ろうか」
そう言い、俺は京子さんの布団の中に入っていった。そして京子さんの体を抱きしめた。
「暖かくて気持ちいい。高次さん、どうせならもっと楽しい事をして肌を温め……」
俺は京子さんの言葉を最後まで聞けず、眠りにおちいってしまい意識が途切れてしまった。

次の日、京子さんが寝ている間に出て行こうと思った。京子さんの部屋で居候したかったが、これ以上俺みたいなのといるのは、よくないと思ったからである。
京子さんなら、すぐに立ち直って生きていけるだろ。俺みたいに何でも中途はんぱに終わらせるような人ではないのだから。
とりあえず、兄貴の所に行き、兄貴を殴ってこよう。
そして、住み込みが出来る就職先を見つけて、そこで淡々と生きて、最後は妻や子供、孫に囲まれて死んでいこう。
非日常などいらない。日常の中で幸せを見つけて生きていこう。
こんな簡単な事なのに、俺は今まで何もしなかった。しかし、その何もしないという事を経験したから、今の考えがあるわけだ。ようは考え方を変えるだけで世界は変わっていくものだ。
俺はもう、過去には囚われない。過去を捨てるのではなく、過去を肯定し、そして過去を背負って生きていこう。
そして、ここから人生を再スタートさせて行こう。

「高次さん、何処に行くつもりなの」
不意に京子さんから言葉を掛けられた。どうやら京子さんも起きたらしい。
「今からここを出て、新しい人生の旅に出るつもりさ」
我ながら見事な名言を言ったと思う。
「何その気取った台詞。高次さんが言うと滑稽に思えるわ」
そう言いながら、京子さんは笑っていた。
「あの、昨日どう生けていけばいいのかわからない、と発言した人に笑われたくはないのですが」
でも、本当は良かったと思っている。京子さんが笑ってくれたのだから、この人は強く生きていけるだろう。
「じゃあ、俺はもうここから出て行くので、さようなら。また逢えると信じて」
「高次さん、ふざけないでよ。昨日あれだけ愛し合った仲なのに。出て行くのは無責任だと思わない」
えっと、ええっと、えええっと、ええええっと。どういう事だか理解できない。昨日愛し合った? 記憶にないけれど、どういう事なんだ。
「ともかく、私を惚れさせた男として、責任を持ってくれない」
俺の頭がフリーズした。
ドウイウコトナンダ? イミフメイ。
頭がうまく起動しない。全ての思考が片仮名になっている。
「昨日はただ添い寝をしただけではないか。俺は手をつけてないぞ」
「本当に昨日の記憶がないの?」
えっと、ええっと、えええっと、ええええっと。
俺は昨日の記憶を冷静に思い返してみた。しかしやっぱり身に覚えがない。少しエロチカルな夢を見ていただけだ。その夢はまるで現実のように気持ちよかった。そして夢の中の俺は『君とずっと一緒にいたい。だから付き合ってくれ』とか言っていたような気がする。
よくよく思い返せば、それが夢ではなく現実の出来事のように思える。むしろ俺は今思い出した。あれが夢ではなく現実だという事に。つまり童貞を知らないうちに捨ててしまった事になる。そして初体験をして、大人の階段を上った事になる。意外な形で俺の童貞人生は終わりを告げていた。
「あれは寝ぼけていただけなので、キャンセルしてください」
「駄目よ。もしキャンセルするのなら六億五千五百三十五万円払ってください」
何その適当な数字のようで実はドラクエ1の最大経験値の一万倍的な数字。払えるわけ無いじゃん。
「わかりました。付き合いましょう。俺も京子さんの事が好きですから」
こうして、俺の人生は再スタートする事になった。どこかで躓くことも、迷う事もあるかもしれないが、今はこの瞬間を大事に生きていこう。






後日談

こうして一連の出来事は終わったが、続いていくものである。
俺は兄貴が経営している会社に勤める事になった。会社の名前が深澤製薬というものだったので、茂木さんの事を思い出した。
兄貴にその事を問い詰めると、茂木さんの件はまったく絡んでいないとのことだった。そして兄貴は『茂木という女性はイレギュラーな存在だったな』との事で、兄貴も想定はしていなかったらしい。しかし兄貴は微笑して言った『思い通りにならないからこそ、世の中は面白い物なのだ』だそうだ。
京子さんは敦子ちゃんに全てを話した。敦子ちゃんは最初は冗談だと思ったが、色々な事を思い出して、京子さんのいう事が事実であることを認めた。そして、京子さんは敦子さんという名前を取り戻し、敦子ちゃんは京子ちゃんという名前を取り戻した。
そして、俺は敦子さんと京子ちゃんと同棲している身である。養うのは大変だが、正式な会社員になり、社会で働いているので、給料もそれなりにある。だから困る事はない。
俺は一生社会人になれないまま、孤独の内に死ぬと思っていたので、今あるものが現実かどうか時々不安になる。しかし、今まで歩んだ道は実感があり、苦悩があり、絶望があり、様々なものがある。そして辿り着いたのが今いる地点だ。
ちなみに、森高は借金取りから逃げているらしい。塚澤とかいう人間がコンタクトしたら、知らない振りしてくれ。という伝言があった。そして、それ以降電話に出ないし、メールも返信しないから、俺の中では死んだ事になっている。

「そういえば、高次さん。私の日記を読んだのよね」
「ああ、読んだよ。読まなければここまで辿り着けなかったのだから」
敦子さんは微笑み一言言った。
「じゃあ、代償として高次さんの日記をみせてくれない」
ああ、これからも前途多難な人生になりそうだ。

2009年4月23日に書き上げた小説

最後まで読んだ人凄い

2009年4月23日に書き上げた小説

22歳のころに書いた小説ですが、あまりに支離滅裂しすぎていて封印していました。30代になったので、公開(後悔)しようと思いました。

  • 小説
  • 長編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • コメディ
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-03-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 駄目ニートと家出少女
  2. 昔書いた小説だからって、評価に甘えようとしません。厳しい意見お願いします
  3. 後半、多分ここまで読んでいる人は4人くらい