赤い飛行機雲と外国の香りのする手紙、蝶々結びでさようなら。
西木眼鏡
一通の手紙が届いた。もう二十年も前のことだからすっかり忘れていたけれど、僕は当時外国に住んでいた。父の仕事の関係で僕の家庭は、生まれ育ったこの日本をしばらく離れなければならなかった。行先は英語圏ではあったけれど、僕自身英語が得意というわけではなく、中学校で習うあいさつや簡単な会話ができる程度だったから、急な海外への出立は余計に不安になった。
その当時のことをまるで懐かしい景色を見たときのように一瞬で思い出した。この手紙の差し出し人である女性との初恋。
新しい住居に着いて、一通り家の片付けも終わったころ。近所を散策してみようと思い立った。すぐ行動に移したがる僕は、携帯電話も持たず、ただこの国の通貨が入ったお財布だけを持って出かけた。右も左もわからない街角を勘に頼り歩き回る。綺麗な花屋や古い本屋を求めて気の向くままに散策をした。当然のことだが、気が付くと全然知らない場所にいた。道を尋ねようにも言葉がわからず、まるで僕は孤独に押しつぶされそうだった。
やがて歩き着かれて、僕は公園のベンチに腰を下ろした。こんなことなら携帯電話を持ってくるんだった。こんなことなら、母と一緒に来るんだったと後悔をしていると人影が僕の前で立ち止まった。
青い瞳の女の子だった。歳は大体僕と同じくらいの十二歳前後。何を言っているのかわからなかったが、僕の顔を覗き込んできた。涙目に気づかれまいと必死に目を背けるが、無駄な抵抗だった。僕は英単語を継ぎ接ぎにして必死に家への帰り方がわからないと伝えた。女の子はしばらく考えたあと僕の方に向き直って微笑んだ。カモンと言われて僕は素直に応じた。連れてこられたのは交番だった。女の子はそこで警察官に僕のことを説明した。あとで聞いたところによるとこのとき女の子は、このあたりに最近、外国から引っ越してきた家族がいないか訪ねていたそうだ。するとあっさりと見つかったようで、警察官が僕の家に連絡をしてすぐに母が迎えに来た。慣れない英語でありがとうと女の子に言って、僕は帰った。空を見上げると夕焼けの空に一本の飛行機雲が伸びていた。
次の日、家の前に昨日の女の子が来ていた。どうやら僕に興味がある、つまりは友達になりたいのだそうだと母から聞いて、僕は女の子のもとへ急いだ。それから何度か会うようになり、気が付けば女の子は僕の英語の先生になっていた。女の子と話がしたくて僕は必死に英語の発音を真似した。その甲斐あってか、三年もすると僕の英語は随分上達し、普通に会話ができるくらいになっていた。
十八歳になるころには僕と当時、女の子だったジェニファーと同じ大学に通うようになっていた。ジェニファーと僕は一番の友達だといえた。もちろん、僕に男の友達がいなかったわけではないが、ジェニファーといる時の方が落ち着いたし、楽しかったのは確かだ。それがのちに僕の初恋だったのだと知るのはもう少し後になる。
二十歳になる少し手前、急な別れの時が来た。僕ら家族が日本に帰る時が来たのだ。もしかしたらこれで会えるのが最後になるのかもしれないと思っていたのだが、最後の最後まで僕はジェニファーに思いを告げることができなかった。ジェニファーは旅立つ僕に蝶々結びのリボンが付けられたプレゼントを僕にくれた。中にはジェニファー自らが編んだ赤いマフラーが入っていた。
外国から届いた便箋を僕は開く。少し黄ばんだ手紙は僕が子供時代を過ごした街の香りがする。ジェニファーが近く日本に来るらしいという知らせを見て、心が躍った。
その日の夕方は、二人が出会ったあの日の夕焼け空だった。飛行機雲が僕らを繋ぐようにまっすぐと伸びている。
赤い飛行機雲と外国の香りのする手紙、蝶々結びでさようなら。