酒に酔えない男

天気の良いお昼頃、物置へ透明な酒と柿の種を用いた私は、扉を片目の幅くらい開けといて、飲食した。
「ああ、酔えねえ、酔えねえ」
それもそのはず。
透明なこの酒、正体はどっこい、水だ。
騙すつもりは無かった。ただ、金が無くて買えんのだ。
私は、恥ずかしいことをして、こうして僅かな光の差すほこりの詰まった物置の中で飲食しているのであるが、そもそも、この行為自体恥ずかしい。恥生む恥とはよく言ったものだ。
身勝手で、どうしようもならない小さな愚痴や文句にさえも、酒の力を借りようとする私だから、何をしても、恥ずかしい。
言うな、事実だ。
それでも私は、酔いたくて。誰かに同情してもらおうと、扉をこのようにしたのである。
「ああ、…あれ」
覚めた。いや、元からかな。
私はとにかく物置から水も、柿の種は五個取ったが、それ以外は置きっぱなしにして外へ出た。私はほこりは駄目なのだ、アレルギーなのだ。事実だ。鼻水は溢れて止まらないし息も辛くなってひぃひぃ鳴る。
なのになんで、その温床とも言えるあんな物置に正座までして居たんだろう。アレルギーという事実は欺けないのに。
頭の中を整理しようと、この自宅からそう遠くない公園を目指して歩き出すことにした。
途中、私は知り合いに会ったらどうしようかと、思い始めた。
「あ、照じゃん。久しぶり」
「なんだよ、金田かよ」 彼は高校の頃の同級生で私の教師だ。同じ部活でペアを組んでいて、もしかしたら家族よりも一緒に居た時間が長いかもしれない。
「相変わらずだなお前、頭の方もかな」
赤点を取って部活に行けなくなると、私も困るし金田も困るから、彼は、私に勉強を教えてくれた。テストの度に、何度も。
「よせよ、からかうなよ」
いかにも土木業者の人の恰好をしている教師に、シャツとジーパンの生徒は冗談で言った。
すると教師は、面目ないと顔で伝えながら、
「あ、じゃあさ、照は高校出てからなにしてるの。俺は見ての通りだけど」
私は、焦った。そして不覚にも、金田に悟られた。
「…なんで、焦る必要があるの」
体が弱いからと、金田の仕事の誘いを断り、金銭面は家に任せて仕事をせず浪人して大学へ行ったと言ったら、彼は何と言うだろう。家庭の事情とか言っていたし。
金田の負けず嫌いは良い刺激になるが一方、悪い面もある。
高校の頃、一度に二人とも同じ女子を好きになった時だ。どっちが先に愛を叶えるか。とか言って競争したことがある。結果は、私が先に叶えた。そしたら、
「この野郎、いんちきだ!認めないぞ」
罵倒され、遂には殴られた。
私は今、大学を出て就職したと言ったら彼のプライドを傷つけてしまうかもしれない。
予想もつかないし、公園にも着いたので、金田なんていう私の知らない奴の勝手を空想するのはもう止めよう。
第一、飽きた。純粋な負けず嫌いが歪みそこから転じた往生際の悪さから興醒めだったのだ。
振り返っても、辺りを見渡しても目の前にあるのは、何も無い閑散とした道だけ。侘しさをも感じる。
金田なんて空想、嘘、いない。ただ、そんな友がいたらいいななんて、少し理想を描いてみたら、やはり失敗した。それだけのことなのだ。
公園に着いた私はいつもの定位置であるベンチの方へ歩いた。
着いてみて足が一歩下がった、先客がいた。いつも朝から夕方までここをぶらぶらしているスーツの男である。私も、一応、しているが、男は左手の薬指に指輪をはめている。
ああ、だから嫌なのだ。困ったのだ。
私は彼の名を知らないから所謂知り合いでもない言わば、顔見知り。彼からしたらそれだけでなんの変哲もない私に、許しも無く、自分を書かれている。しかし申し訳ないとはもちろん思っているが、男に一言いってやりたかった。
「誰の許可を得て、私のベンチに座っているんだ!」
等しく、虚しき世の中。
まあ、いつまでも丸まってても仕様がない。あのベンチに詰まった思い出でも思い返すことにした。
「悪いね、初デートが公園だなんて」
そう言って背中を丸める私へ、首を横にも縦にも振らないで、ただ微笑んで、彼女は言う、
「照君と一緒なら、どこでもいいよ」
正直私は、その一言に引いた。
なんて陳腐で、歯が浮くような台詞だろう。聞いていて、恥ずかしい。
しかし高校の頃の私は、これにひどく舞い上がった。それは、彼女の微笑みが見れたからだ。
あんなにも、不確かで満ちているあの微笑みだけで、まるでやわらかくあたたかい朝の光に包まれたような気持ちになる。私はそんな朝の光で無いのは全て、ただの慾だと思っている。
くそう、言っていて恥ずかしい。
何故、こんなにも陳腐で歯が浮くような言葉でないと、語れない。しかも、私の頭の中だけの存在に。いや、目の前の存在でも同じことだろう。
たまらなくなって、男に聞いた、
「あなたの、指輪を語ってください」
男は語りだした。
「全てが許された。僕は、罪人だよ。その理由を、僕の、彼女にしか分からない魅力として異様に自信がついていた。いったい何でだろう。彼女がこう言ったからかもしれない、あなたはね、走ることを諦めない凡人なの。自分を、ありのままを、見てくれたんだと、馬鹿騒ぎだけしてた。こんな行いをした。罪だ。そしてもう、戻れない」
男は私の手を見て、語ってくれと言った。
だから、言ってやった、
「酒」
夕方になり、男は帰って行った。
私は、男がいなくなって、秋の寒風に吹かれるベンチを、私も吹かれながら、無関心に見つめた。
「寒いな」
秋の寒風が、私の胸の穴へ吹き通るのを感じながら、公園の向こうにある満開の桜の並木道を抜けて、そこから少し歩いた所にある居酒屋に入った。温もりが、遠くても欲しかった。
しかし中へ入ると客は一人も居なく、なんだかほこりっぽいので店を出ようとした時だ、
「あら、いらっしゃい」
その中々に美人な女を見て、抱きたいとそれだけ思った。
だから、鼻水も息の辛いのも我慢して焼酎を頼んだ。
それから私は女に酒をすすめ、結果酔わせたところで、真顔で惚れたと言った。もちろん、微笑みを見たいからではない。が、包まれはされたかった。
「嫌ですねお客さん、妻がおられるのに」
女は、私の指輪を見て酔いが覚めたようだ。
私はなるべく慌てて、
「いやいやこれは違います。これは、ファッションですよ」
明らかに怪訝な顔をして、
「やめてください。事実を言ってくださいよ、指輪に嘘をつくなんて質が悪すぎです。死刑です、独房で無期懲役です」
焼酎を一本がぶ飲みしてから、
「事実ですか。それは、それはです…ね、騙してくれると思ったからです。しかし全然駄目なんです、ちっともしちゃくれない」
「逃げてるんですね」
「逃げれるものなら、とっくの昔に」
酔いは、まわらない。
「それは何で」
言ったはずです。全く、やはり飽きてしまったか。
損した気分になったので、物置から出ることにした。なんのために鼻水も息の辛いのも我慢したんだか。
そう思うと、無性に酔いたくなってくる。
「あの居酒屋にでも行くか」
何も無い道を歩き、公園に入り、ベンチに座る男へ挨拶する。
「また、酒ですか。いいかげん、酔うのは止したらどうです」
「すみませんが、その期待には今後も応えられそうにありません。恐らく、生きてる限り」
そうして、満開の桜の並木道を通る。
調度真ん中に差し掛かったところで、桜を見つめた、なんだか、桜が私を嘲笑しているように思えた。なにが、秋の寒風かと。
「馬鹿にするのか」
桜は笑って、
「紅葉山さん、今は、春ですよ」
金田やベンチの彼女を空想しながら、その酔いと、桜への感謝と、胸の穴を吹き通る覚めとあの何も無い道を、全て同時に感じていた。
「居酒屋は、今度にしよう」
帰ることにした。
あの、ひっそりとしてもの静かな自宅へ。
机へ。言うな…。

酒に酔えない男

酒に酔えない男

男は、ひたすら酔いたかった。酔わせてくれないそれの存在で。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-05-09

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