贖罪の少年 第4章 1部 後半

樫之木千里

悪評

 山守高校に着いた二人は野球部の部室に行き、桜庭はその手前で三島と合流してどこかへと消えていった。
 高橋も部室で練習着に着替えた後、グラウンドで他の部員と合流した。

 そこで高橋は視線を感じた。
 視線の先には副主将である緒方のニヤニヤ顔があった。彼は高橋の方に近づき声をかけた。

「高橋、お前先輩女子マネと一緒に登校ってどういうことだ?」
「止めてくださいよ。なんか誤解がある表現じゃないですか」

 嫌がる高橋に緒方は片手を彼の肩に回して、ひそひそ声でこう尋ねた。
「お前、もしかして桜庭にお声がかかった?」
「?はい、まあ…。練習のあと、お願いごとがあるって」

 それを聴いた緒方は「キシシッ」と笑って高橋にこういった。
「桜庭、お前とシたいんだよ」
「なっ!?」

 驚く高橋に緒方は話しを続ける。
「あの女、気に入った男に声かけて結構な数いたしているんだよ。
 真面目な優等生な顔して、中身は大層なヤリマンだ。あの女の毒牙にかかった男も多いから、気をつけろよ」
 赤くなって呆然とする高橋に、緒方は意地悪く笑った。
「あっ。一年の童貞君には刺激が強かったかな?」

 ムッとした高橋は意地の悪い質問をした。

「副部長は桜庭先輩としたんですか?」
 その質問に緒方はまんざらでもない風に答える。
「まあな。あの女、体はいいもんだから、遊ぶには結構よかったぜ。割り切りで考えるならアリだな」
 いやらしくハハハと笑った緒方の顔を見て、高橋は彼の悪い噂を思い出した。
(副部長の緒方先輩、ヤリチンって噂だぜ。眼鏡をかけた知的イケメンの外面とは違って、中身は本当にえげつないよな)

 この噂と目の前の緒方を見て、高橋は彼をこう評価した。
(この男、自分の汚点を笑いながら言うとはとんだ馬鹿だな。だから周りに変な噂なんか立てられるんだ)

 後輩にそんな評価をもらっているとはつゆしらず、緒方は高橋から離れると
「まあ、毒牙にやられないように楽しめってアドバイスだ」
 と言いながら練習場所へと足を向けた。

 高橋はそんな緒方の後ろ姿を見ながら、チームの情報係に徹する彼とスケベな笑みをした彼とのギャップを思い出し、皮肉をこめて毒づいた。
「このチンテリがっ!」


 そのとき丁度、高橋の目の前に七瀬が通りすぎた。
 高橋はいままでしていた不快な表情を一瞬で変え、パアッと明るい表情で

「相生先輩、今からウォーミングアップですか?俺もやります」

 と人懐っこいラブラドール犬のように七瀬の後に付いていった。
 ウォーミングアップのストレッチの際、高橋は七瀬にこう尋ねた。

「相生先輩。今日の練習後に時間ありますか?」
 実は彼は桜庭の面倒くさそうな頼みごとを回避し、憧れの七瀬との楽しい時間を作ろうと思ったのもあって、声をかけたのだ。

 しかし彼の答えは
「いや。すまないが用事が入っているんだ」
 と誘いを断られ、高橋はがっくりと肩を落とした。

 本格的な練習に入った際も、高橋は他の部員に声をかけた。
 しかし一年の中で浮いている高橋の誘いを受け入れる者は誰もいなかった。

 そして空が青から茜、薄暗くなって紺色の空が暗くなる頃に、今日の山守高校野球部の練習は終えることとなった。

 結局誰にも相手にされなかった高橋は、部室で制服に着替えながらこう思っていた。
(はあ…。桜庭先輩の面倒くさいお願いの餌食決定だ…)
 悲壮な気持ちの彼を待っていたのは、意味深に部室の外から尋ねる桜庭の声であった。

「高橋君。予定が無かったら、お願い聞いてくれるって言ったよね。
 部員達に声をかけて予定出来なかったの知っているのよ。私と隣の会議室に行きましょ」

 部室の外で待ち構えていた桜庭は、そこから出て来た彼の腕を掴み、逃げない様にじっと彼の目を見て威嚇をしていた。
 高橋は観念しながら運動部の部室の隣にある、空き会議室に共に向かった。

コンプレックス

 会議室に入った高橋は、先に入った桜庭に質問をした。

「桜庭先輩、お願いってなんですか」

 そんな彼に彼女は答えた。
「ストレートに言うわ。高橋君、あなたに相生君を虐めて欲しいの」

「?何言っているんですか」

 シラを切る高橋に桜庭はこう突き詰めた。
「知っているのよ。あなた、中学のとき同級生を虐めて自殺させたって。それを見込んでお願いしているの」

 そこまで聞いた高橋は、腸が煮えくり返りそうになった。
 桜庭という女は、高橋の最愛の人である七瀬を暗に「殺せ」と言っているのだ。
 下衆な頼み事とは覚悟はしていたが、まさかここまでえげつないとは予想していなかった。

「何で相生先輩を虐める必用があるのですか?」
 高橋はジロリと桜庭を睨みながら質問した。そんな彼に彼女は
「高橋君に言う義務は無いわ」
 とさらりと答えた。

(この女、どこかの集団のトップか権力者か?どのみち裏で人を操るのに長けてやがるな)

 高橋は苦虫を噛む心境でこう思ったが、それをあえて表には出さず、興味が無くなったようにこう述べた。

「ふ~ん。俺にメリットないって事ですね。相手をイジメるにしたってそれなりのメリットがあってするんですよ。それが無けりゃ、リスクだけが高い無駄な行動になりますし、俺そんな無駄なことしたくないです」

 その高橋の答えに桜庭は答えた。
「メリットは私が用意するわ。何が欲しい?お金?学校での権力?それとも彼女?この学校に好きな人がいるなら、それなりにお膳立てできるわ」

「お金も持ってますし、権力なんて今の俺には興味ないです。好きな人との時間は自分で作ります。だから」
 高橋はため息をつきながらこう言った。
「あんたの言う事聴くメリットなんて、俺には此れっぽっちもないです。第一俺は自分で納得しないと行動しない質なんで」
 と高橋は桜庭の誘いをことごとく断った。

 彼女はしばらく口をつぐんでいたが、何かを覚悟したように「はぁ」とため息をつき、口を開いた。

「分かったわ。七瀬君を虐める本当の理由を教えてあげる。私の家は「霊の社」という宗教団体の幹部なの。
 で、この『霊の社』には秘密にしている大切な儀式があるの。七瀬君は部外者でありながら、その儀式を知っているの」

「大切な儀式?なんで相生先輩が知っているんですか?」

「儀式は『霊の社』の人間の心の平安を願ってしている事よ。その儀式に七瀬君は幼い頃、父親の斡旋もあって選ばれたわけ。当時の彼らは保守的な山守にとけ込むために努力したのでしょうね。父親は儀式の事を耳にして、快く了承したみたい。でも七瀬君はなにかを勘違いして、儀式を「悪」と捉えた。その誤った情報のままで彼、世間に儀式のことを公表しようとしたの。『霊の社』が悪評で潰されたら、私の家としては死活問題でたまったものじゃないわ。
 だから今のうちに彼を酷く虐めて尊厳を潰し、せめてなにも言えない人間にする必用があるの」

 七瀬が『霊の社』の儀式に関与し、それを世間に公表する事に関しては高橋は初耳だった。

 確かに、今の七瀬は「天才ピッチャー」として世間に認知度がある。その認知度がある人物の発言力は大きいものがあるのだ。
 しかし七瀬自身が何かを発表しようと行動している所を高橋は見た事が無かった。何故桜庭は「七瀬が儀式を公表する」と勘違いしているのか?それを聞き出そうと、高橋はしばし彼女の話しを引き出そうと試みた。

「桜庭先輩は、何で相生先輩が儀式を公表すると思ったのですか?ただの彼の勘違いなら、桜庭先輩が弁解をすればいいだけの話しじゃないですか」

 しかしその言葉は桜庭にとっては地雷だったらしく、腹立たしそうにこう言った。
「弁解?したわよ。でも私、あの男に口で負けたの。
 何なのよあの男!いつもいつも私より一歩先に出て。
 学力テストだって、必死に勉学のみを頑張っている私をあざ笑うように彼はいつだって一位だし。
 おかげで私は万年二位扱いよ。親からも
 『あんたは顔がいまいちね。勉強だけが取り柄みたいなものね』っ言われている私にとって踏んだり蹴ったりよ!」

 高橋はそれを聴きながら
(この切り出し方はヤバかった。この女自身、先輩への嫉妬心はんぱねぇな)
 と面倒くさく思ったものだが、なおさら彼女の行動や思考を聴かなければと考えた。
 それは愛しい七瀬を守るためだ。この女は家庭の行く末とか抜きで七瀬が憎いのだ。
 このタイプの人間はいつかは嫌いな人間に牙を剥く。
 そのためにも、彼女の行動パターンを把握し、先手を打った方がいいと高橋は考えたのだ。

 そんな高橋に目もくれず、桜庭は堰を切ったように次々と七瀬へのコンプレックスを口に出した。
「そうよ、私は七瀬に嫉妬してるわよ!私は運動が苦手だから勉学だけは頑張っているのよ。
 でもあいつは運動も出来て、勉強も私より出来る。その上器量だっていい…。でも一番ムカつくのはそこじゃない。

 あの男の顔がいつも「不満」な所よ!

 アイツ、勉強も運動も出来て「美貌の天才ピッチャー」とまで言われているのよ!なのにあの顔、何がご不満なのよ!何様って話しよ!
 じゃあ一体私は何なの?私、必死で勉強を頑張っても万年二位。
 でも皆の、周りのために辛くても笑顔で必死に耐えてるの。なのにあの男はそれをしようとさえしない…。
 フザケんじゃないわよ!!」


 感情を露にした桜庭の気持ちは、高橋には痛い程理解出来た。
 何故なら昔、虐めていた後藤に対しての高橋の気持ちそのものだったからだ。

 後藤は世話役の自分を差し置いて、中学野球部のレギュラーに二年の最初に抜擢されたのだ。
 いつも世話をしている自分の苦労など差し置いて…。

 でもだからと言って人を貶めてはいけない。貶めた最後には、高橋のような十字架を背負うのみの人生が待ち構えている。気づいたら最後。後悔はずっと付きまとって行き「喜怒哀楽」さえ奪い尽くしていくのだ。

 高橋は桜庭が自分と同じ過ちを犯す事が無いよう、必死に言葉を探して口に出した。
「まあ、桜庭先輩の言う事も分かります。でも愛嬌が無くて損をするのは相生先輩ですよ。
 ほら実際、相生先輩は桜庭先輩に嫌われているじゃないですか。
 そんな人間を相手にする事自体、桜庭先輩の貴重な時間がもったいないですよ」

 その高橋の言葉を聴いた途端、桜庭の目の色はいきなり豹変した。
「高橋君…。私の事かばってくれるの?」

 どうやら桜庭は理解ある高橋に対して、好意を抱いたようだ。

 高橋は(困った事になりそうだぞ)と警戒しながら、次の言葉を選んだ。
「いや、庇うというか何といいますか…。ほら、女は愛嬌って言うじゃぁないですか。でも男である相生先輩はそうとはいかないです。男は外に出て戦う生き物ですから。男と女じゃ生きて行く立場が違いますし、対比する必用は無いと言いたかっただけ」

 高橋は言い終わらぬうちに、言葉を止めた。
 それは彼の言葉を聴いた桜庭が彼にいきなり抱きついたからだ。

(どうしよう…)

 思い悩む高橋を他所に、桜庭はぐすぐすと少女の様に泣き始めた。
「高橋君…私、今までこんな言葉を言ってくれる人いなかった…。だから
お願い、このままでいさせて…」

 この言葉を聞いた高橋はいよいよ弱って会議室の天井を仰いだ。
(困ったなこれ。どうやって切り抜けよう…)

 そういう考えで頭が一杯であった彼は、さらに困った事態になる予見を出来なかったのだ。
 彼が気づいたのは
“パサッ”
 という制服を脱ぎ捨てる音を聞いたときだった。
 一瞬何の音か高橋は分からなかったが、桜庭の方を目にした彼は事の重大さに多いに焦った。
 なんと目の前の桜庭が制服を脱ぎ捨て、今まさにブラウスをはたけてブラジャー姿の上半身を露にしていたのだ。

「なっ!何をしているんですか?!」

 慌てふためく高橋を他所に、桜庭はこう続けた。
「いいの。私、高橋君になら抱かれてもいい…」

 彼女はそう言って高橋に優しく抱きついた。
 女性特有の温かくて柔らかな感触、そして年頃の少女の花のような甘い香りに、高橋は一瞬クラリとなった。
 しかし

『あの女の毒牙に気をつけろよ』

 と釘をさした緒方の言葉に、彼はハッと我に返った。


 高橋は桜庭を引き離し、弁解をした。
「スミマセン!俺、童貞なんで、年上の女性を抱く勇気がありません!」

 そしてそのまま会議室を出ようとした高橋だが
“パシッ”
 と彼の腕を強く掴む手によって、それを阻止されてしまった。
 高橋が恐る恐る腕の方を見ると、そこには魔女のように不気味で妖艶な笑みをもらしている桜庭の顔があった。

「童貞なんて気にしないわ。私に任せて…」

 そう言った桜庭は高橋の腕を強引に引き寄せた。
 その反動で高橋はバランスを崩してしまい、それを待っていたかのように桜庭は彼の唇を奪った。


 シーンと静まり返った会議室の暗がりの中、しばらくの時が流れた。



 高橋は唇の柔らかい感触に吸い寄せられるように、相手の唇を深く奪った。
 目を閉じて、舌と舌とが触れ合う感触に心地よさを感じていた。

(相生先輩…)

 彼の目の裏には少し笑った七瀬の顔があった。

(相生先輩の顔が見たい…)

 七瀬の顔が見たくなった高橋はうっすらと目を開けた。


 しかしそこにあったのは七瀬の顔ではない。全然別人の女の顔だった。

「違う!!」

 高橋はそう言って怒鳴り、桜庭を乱暴に払いのけた。

「キャッ!何するのよ!」
 その場に倒れた桜庭は鬼女そのものの表情で、高橋を睨みつけた。

 しかし高橋はそんな桜庭を冷たく見下ろした。
 そして
「お前じゃねぇよ」
 と冷たく言い捨て、足早に会議室を出て行った。

 その場に取り残された桜庭は屈辱でいっぱいになり、怒りで体を震わせながら高橋の出て行った方を睨んでいた。


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 外に出た高橋は苛つきながら正門を出て、足早に家路につこうとした。
「なんだよあの女、自己中かよ!」
 そんな高橋の毒づきに

「お前もだ」

 という男の声が返って来た。

「へ?」
 高橋が振り向こうとすると、いきなり

『ガツンッ!』
 という衝撃が彼の頬に響いた。

 痛みでその場にかがみ込む彼に、男はこう尋ねた。

「お前は阿修羅の手先か」
 男の顔は夜の月の逆光になっており、ただ男が体格のいい人物というぐらいしか高橋には予見出来なかった。
 しかも『阿修羅』という高橋が知らない言葉を言っている。なので彼はこれしか男に言えなかった。

「何ですか…それ…」

 そんな彼に男はこう糾弾した。
「しらを切るな!桜庭さんを利用しようと考えて、彼女と話しをしていたのだろうが、このクズ野郎!」

 何が何だか分からないが、男は高橋を狙っているのは確かだ。

 身を守ろうと高橋は必死になって
「わああああぁっ!」
 と叫びながら、通学用の鞄を男に投げ飛ばした。
 この土日に宿題や予習を済ませようと沢山の教科書が入った彼の重たい鞄は、それだけで十分な凶器になって、男の顔面に激突した。
 そして
“バタンっ!”
 と男はそのまま道ばたに倒れ込んだ。

「まったく…。どこのどいつだ」

 高橋は倒れた男の顔を見た。そして

「あっ!」

 とバツが悪そうに小さい声でさけんだ。
 高橋は倒れていた男を知っていたからだ。

贖罪の少年 第4章 1部 後半

※「贖罪の少年」は毎週火曜日18時頃に更新予定です。

贖罪の少年 第4章 1部 後半

この話はあなたの「助け」になるかもしれません。 長編連載小説、第4章 1部 後半。

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-03-02

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