私のこと、キライですか?

響 あり

ある地方都市の、ある駅から少し離れた裏道に、忙し過ぎでもなく暇過ぎでもないコンビニがある。
このコンビニでアルバイト歴2年になる古株の小野(さとる)が店に入ると、元気の良い女の子の声が響いた。
「いらっしゃいませ。」
店員も客と同じ自動ドアから私服で出勤するので、今日から入る新人の子が客と間違えたらしい。
見かけパンチパーマで強面マッチョなのに、実は天然パーマでおっとりした店長が小野を見て笑顔になった。
「あ、おはよう小野クン。あ、羽田さん、ベテランアルバイトの小野クンだよ。」
店長が女の子に説明すると、女の子は慌てて言い直した。
「すみません、おはようございます。」
小野はチラリと女の子を見てすぐに目をそらした。
「…おはようございます。」
小野はバックルームに入り制服を着て、レジの方に戻ってきた。バックルームは冷蔵庫の裏にあり、事務所や店員の休憩所になっている部屋だ。

「あ、小野クン。今日から働いてもらうことになった羽田香苗さん。あ、羽田さんが慣れるまで、小野クンが仕事教えてあげてね。」
「あの、今日からこちらで働かせていただきます羽田です。よろしくお願いします。」
「…よろしくお願いします」
香苗はお辞儀をした後で小野を見たが小野は目も合わせない。
「あ、小野クン無口で人見知りだから、慣れるまでは時間がかかるけど気にしないでね!あ、でも本当はとても優しい子だし、仕事は僕よりできるし、教えるのが本当に上手でさ〜。あ、新人さん入ると必ず小野クンに任せてるんだよ!あ、だから小野クン怖そうだけど心配しないでね!あ、それはもう言ったか!」
香苗は何と返事をしてよいか分からず曖昧な笑顔で頷いた。小野の方を見ると、眉間に深いシワを寄せながらレジで接客している。
「あ、よしと!小野クン来たから僕は奥で仕事するね。あ、羽田さんレジ研修は一通りやったから。」
店長は鼻歌を歌いながらバックルームに入って行った。店長は小野が来ると、店を小野に任せきりにして長いことバックルームに籠るらしい。夕方まで一緒に働いたパートさん達からの情報だ。
香苗はいきなり小野と2人きりにされて緊張した。
香苗がチラリと小野の方を見ると、小野は相変わらず目も合わせてくれない。今も小野の眉間にはシワが寄って機嫌が悪そうだ。
(私も人見知りなほうだけど、小野さん本当に人見知りなんだ。大丈夫かな…。)
男に関する限り、香苗には何も良い思い出が無かった。
2年前の記憶が蘇る。

香苗は高校を2年の時に中退している。
始まりは、同じクラスの松浦が香苗に告白してきたことだった。松浦は1部の女子にはとても人気があったようだが、香苗の好きなタイプではなかったので断った。
しばらくすると、ビッチな香苗が美希から松浦を寝取ったというメールが回され、教科書や体操服が無くなるようになった。美希は1軍グループの中でも目立つ存在で、女王のようにクラスメイト達を統制していた。
香苗は少しでも美希に嫌な思いをさせたくて、好きでもない松浦と付き合うことにした。
2度目のデートでホテルに誘われた時も、本当は全然気が乗らないのについて行った。香苗が処女だと知ると松浦は興奮したが、思いやりは持てなかったらしい。自分だけが気持ち良くなってイければ満足するタイプの男だった。それに加え、『女子が自分を奪い合って喧嘩している』などと自慢するようなクズっぷりだった。美希に優越感を感じるはずだったのに、香苗には痛みと後悔しか残らなかった。今でも後悔している、自分の1番の黒歴史だ。
学校での嫌がらせは香苗の体力と精神を少しずつ消耗し、高校2年の夏休み明けにとうとう学校に行けなくなってしまった。

その後香苗は通信制の高校を卒業した。その2年間で会話した相手といえばほぼ、家族と、小学生の頃からの友達の優子と麻理と、犬のアヤメだけだ。両親は、大学に進学するか正社員で就職するかどちらかにしろと迫ったが、香苗はまだ『グループ』に属する心の準備ができず、かと言ってニートになるのも嫌なので、とりあえず家から地下鉄で2駅離れたこのコンビニでアルバイトを始めることにした。

久しぶりに家族以外の人間と喋ることになったのに、香苗は小野の[話しかけるなバリア]に怯んでしまった。
小野から仕事の指示があるまでレジで大人しく待つことにした。

暫くして、客が数人続けて店に入ってきた。
ちょっとヤンチャそうなカップルが香苗のレジの前にやってきて、香苗は更に緊張した。
坊主で色黒の男が、香苗の胸をガン見しながら
「セッターのボックスとぉ、アイスコーヒーのL」
と言い、ほぼ金色の髪を盛りに盛った女が
「お弁当あっためてぇ」
とカウンターに海老カツ弁当を滑らせた。
「は、はい!かしこまりました!
ええとあのセッターって…」
小野の方を見ると、小野も接客中で忙しそうだ。
「セッターはセブンスターのことや!タバコ!」
「ああ!はい!」
(ええとセブンスター、セブンスター…あった!)
香苗は慌てて1番初めに目に入ったセブンスターを棚から取り出した。
「こちらでよろしいですか?」
「ちゃうちゃう!メンソールじゃない!メンソールなんか吸ったらインポになるやろが!」
「すみません!少々お待ちください!」
棚をもう一度見直すと、セブンスターの種類が沢山あり過ぎて、香苗はパニックになった。
(とりあえずタバコは後で小野さんに聞くことにして、まずお弁当とアイスコーヒーをなんとかしよう)
夕方一緒に仕事したパートさん達は、香苗にレジだけ任せて後は全部やってくれたので、お弁当を温めるのもコーヒーを入れるのも初めてだった。
レンジにお弁当を入れて時間を合わせ、アイスコーヒーを作る。
(カップに氷を入れて、Lのボタン押すLのボタン…あれっ⁉︎なんか氷が全部溶けてる⁉︎溢れちゃった!どうしよう!)
「ねぇちゃんまだかぁ?なにそのうっすいアイスコーヒー??作りなおせや!」
「すすみません!今作り直しますので!」
その時レンジの中のお弁当が、ボスッバスッという不吉な音を立てた。
「ちょっとぉ⁉︎私の弁当大丈夫⁉︎」
香苗は慌ててお弁当を取り出そうとした。
「ギャッ⁉︎熱っ!…いっ!!」
温めた、というより沸騰させたグニャングニャンのお弁当を地面に落としてしまった。
「はぁっ⁉︎何してんのあんた!海老カツ弁当最後の1個だったのにぃ!」
「すみません!すみません!」
泣きそうになりながら土下座しそうになったその時、小野がさっと隣にやってきた。
「アイスコーヒーのLお待たせしました。セブンスターの14mgのボックスでよろしいですか?
お客様大変申し訳ございません、海老カツ弁当は最後の一つでしたので、代わりに当店で1番人気のスペシャル焼肉弁当と、アイスコーヒーのLを2つサービスさせていただきます。いかがでしょうか?」
さっきまでずっと無表情だった小野の見事な接客スマイルに、香苗は思わずぽかんと口が開いてしまった。
「サービスってぇ、ただでくれるってことぉ?」
「はい、さようでございます」
「ふぅん、そんならええよ。もう私の口の中は海老カツやったけどぉ」
カップルはタバコ代だけ払って店を出て行った。

「小野さん、ありがとうございました!お弁当もコーヒーもすみませんでした!今すぐ片付けますね!」
香苗が恐る恐る小野の方を見ると、
小野はこちらに背を向けて何も言わない。肩のあたりが少し震えている。
(小野さん怒ってる。当たり前だよね、こんなに仕事できないんじゃ)
落ち込みながら掃除道具を取りに行こうとした瞬間、
「ブフーッ!!アハハハハ!コントみてぇ!」
突然小野が、もう我慢出来ない、という調子で笑い出した。
「あの…ごめん!馬鹿にしてるわけじゃないよ、でも笑いすぎだよね、ゴメンウククッ…」
「そんな、全然大丈夫です。小野さん怒ってるんじゃないかと思ったので安心しました。ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」
深く頭を下げてから顔を上げると、小野はまだ笑っていた。
しかし香苗と目が合った途端、小野は真顔に戻り横を向いてしまった。
小野は今年21歳になるのだが、童顔なので今でも高校生に間違えられることがよくある。特に、大学の同じゼミの友達からは『笑うと子犬のように可愛い、いやむしろ子犬だ』などとからかわれるので笑顔を見せるのが恥ずかしかった。
そんな小野の事情など知らない香苗は、小野の笑顔が突然消えてしまってすごく残念に思った。
「じゃあ片付けようか」
「はい」

店長の言った通り、小野は本当に人見知りで無口だったが、すぐに気にならなくなった。
小野は、面倒そうな客が来ると香苗をレジとは違う作業に回して自分が接客したり、レジで香苗が手間取っていると必ず助けに来てくれた。パートさん達のように、香苗にレジだけさせて放っておくのではなく、仕事のやり方も丁寧に教えてくれた。
しかし、小野は仕事に関する事以外は一切何も話さなかった。たまに目が合っても、小野はすぐに目をそらしてしまう。

あっという間に時間が過ぎて、香苗の仕事が終わる夜10時に近づいた。
店長が慌てた様子でバックルームから戻ってきた。
「あ、ごめんごめん!新人さんいるのに2人きりにしちゃって!あ、でも小野クンだから大丈夫だと思ってさ!あ、どうだった?大丈夫だった?」
「あの…」
香苗がお弁当とコーヒーの事を伝えようとする前に小野が素早く返事をした。
「はい、大丈夫でした。」
「あ、やっぱりね!あ、羽田さん10時になったら帰っていいからね!あ、お疲れ様!」
店長は商品の品出しをしに離れていく。
「あの、小野さん、私お弁当とコーヒーの事店長に言ってきます。」
香苗が店長の方へ行こうとすると、小野が香苗の肩をそっとたたいた。
「羽田さん、お弁当とコーヒーの事は言わなくていいから。大丈夫だから。」
「でも…小野さんに迷惑かけるんじゃありませんか?」
小野と香苗が話していると、深夜シフトの今井が店に入って来た。

パートさん情報によると、今井は小野より1つ年下で美容学校に通っているそうだ。背が高く、顔もモデルみたいに整っていてカッコいい。でも、香苗は今井を一目見た瞬間、苦手だなと感じた。雰囲気がなんとなく松浦に似ているのだ。髪型や格好にとても気を使っていて、自分がカッコ良くてモテると自覚しているタイプ。今井が近づいてくると、ムスク系の香水が強烈に匂ってきた。確か松浦もサムライとかいう似たような香りの香水をいつもつけていたのを思い出した。
「おはようございま〜す。あれ?新しいバイトの子ですか?」
今井は香苗を上から下まで舐めるように見ながらバックルームに入り、制服に着替えてレジに戻って来た。
「あ、今井クンおはよう!そうそう、今日からアルバイトで入ってもらうことになった羽田さん。あ、羽田さんこちらうちの店1番のイケメン今井クン。あ、今井クン、羽田さんには手を出さないでよ。今まで今井クンにふられて辞めた子が何人もいるからね。」
「店長〜。僕のせいじゃないですよ〜。いつも勝手に好きになられて困ってるんですから〜。」
今井は全然困っている感じでもなく自慢気に言い放った。
店長がまたレジから離れると、今井は香苗が後ずさりしたくなるほど近づいてきて耳元で話してきた。
「羽田さん歳いくつ〜?」
「19歳です。」
「じゃあデートしても犯罪にはならないよね。連絡先教えてよ。」
(今井さん、カルそうだし連絡先教えたくないな。でも断ると仕事で顔合わせにくくなっちゃうし…どうしよう)
香苗が「ああ、えええと…」と断る理由を探しながらモゴモゴ言っていると、
「羽田さん、もう10時まわってるよ。お疲れ様でした。」
小野が眉間に深いシワを寄せながら言った。
「えぇ〜羽田さん10時上がりなの?残念だな〜。俺も羽田さんと仕事したかったな〜。」
小野が話題を変えてくれたお陰で香苗は今井から離れることが出来た。
香苗は心の中で小野に感謝しながら挨拶をした。
「お疲れ様でした。お先に失礼します。」
香苗はバックルームに行って制服を脱ぎ、鞄を持って自動ドアに向かった。
レジの前を通る時、今井が接客中でホッとした。今日はもう話しかけられずに済みそうだ。小野にだけ軽く頭を下げて店を出ようとすると、初めて仕事以外の事で小野の方から話しかけてきた。レジ横の募金箱とテープカッターの位置を微妙に変えながら。
「夜遅いから気を付けて。電車?遠いの?」
「電車です。でも降りる駅から家が近いので大丈夫です。小野さん、今日は色々とありがとうございました。明日もよろしくお願いします。」
「うん。本当に気を付けてね。」
小野は募金箱を見つめたままで香苗とは目も合わせてくれないが、話しかけられてなんだか嬉しくなった。
(仕事を教えてくれるのが今井さんじゃなくて小野さんで良かった…)

次の日からも毎日、小野が店にやってくると店長は小野と香苗を2人残してバックルームに消えた。小野はこの店きってのエースで、記録は無遅刻、インフルエンザにかかった去年の冬を除いて、シフトを組んだ日は無欠勤、大学の授業が無ければどんな時間帯のシフトにも入れるという三冠王だった。実際に、小野が休みの日は仕事がとても忙しかった。きっと陰で相当な仕事量をこなしてくれていたのだろう。
それに、小野と仕事をする時の一体感は特別だった。黙っていても、小野が次にどう動くのかが何故か解るのだ。
最終的に香苗は、初めは不安だったはずの小野の寡黙さが心地よくなってきていた。
店長やパートさん達と会話をするのは楽しいけど、色々と聞かれる事も多い。特に、高校を中退してから最近までの事を何回も根掘り葉掘り聞かれるのは、さすがに疲れるものだった。

この日の前日は小野の休日だった。香苗は小野と仕事が出来るのが嬉しくて挨拶に少しアレンジを加えてみた。
「おはようございます。今日も失敗ばかりしますけどフォローよろしくお願いします。」
「…おはようございます。失敗ばかりだと困るので勘弁して下さい。」
予想外の言葉に、香苗は小野の顔をマジマジと見つめてしまった。小野は下を向いて口元をヒクヒクさせている。
「…小野さん?」
「ごめん、羽田さんの初日のこと思い出しちゃって。羽田さんがアイスコーヒーのカップにホット入れたり、弁当爆発させたり、ブホッ、メンソール出して怒られたりしたのを!ウクククク!」
香苗の顔は真っ赤になった。
「ひどい!笑い過ぎですよ!もう忘れて下さい!」
「あと10年はあれをネタにして思い出し笑うよ。今日もウケるやつお願いします。」
「もう、今日は失敗しないように頑張ります!」
本音を言うと、香苗は小野の笑顔が見られるなら、何度失敗してもいいと思った。小野が笑うと、いつもの無口な小野とは全く違う印象になる。とにかくハッとするほど魅力的だった。
その時ついに、小野の[バリア]は完全に解かれたと思ったのに、なかなかこの[バリア]は強固だった。
小野はすぐにまた仕事に関すること以外一言も喋らなくなってしまって、目が合うとすぐにそらしてしまう。
香苗は、小野が再び笑顔を見せてくれるような面白い話題が何かないか、自分の頭の中を検索してみたが、乏しい人生経験のせいか何も見つけられなかった。
無理に会話しようとするのを諦めて、香苗は小野をコッソリ観察することにした。
香苗は小野の手が大好きだと思った。体のわりにゴツくて大きな手。でもとても器用で素早く仕事をこなす。香苗がレジで手間取っていると、横からこの手がすっと伸びてきて助けてくれる。
小野が下を向いた。前髪が少し邪魔そう。かきあげてあげたい。睫毛が濃くて長い。女の子みたいな可愛い目をしてるけど、目尻が少し上がっていて眉毛がキリッとしているから、全体的に凛々しい印象になる。そして思わず指でなぞってみたくなるような唇をしている。
その瞬間、香苗は小野とキスをしている自分を想像して顔が真っ赤になった。
男の人にこんな感情を持つなんて、ずっと長いこと忘れていた感覚だった。
香苗は突然、鏡で自分の姿をチェックしに行きたくなった。髪はずっと美容院に行ってなくて伸ばしっぱなしだし、化粧もマスカラとチークを塗るくらい。家族や周りの人からは、タヌキ顔で可愛いと言われるけど、実は美希みたいなキリッとしたつり目の美人にずっと憧れている。
(小野さん、彼女とか好きな人いるのかな…。どんなタイプの子が好きなんだろう…)
出会ってまだ2週間くらいしか経ってないのに、香苗は小野に強く惹かれている自分に気がついてしまった。でも、告白する勇気はない。望みが薄過ぎる。人見知りとはいえ、香苗に好意を持っていたら小野のような態度は取らないだろう。それに、職場でギクシャクするくらいなら、小野への気持ちは隠し続けていく方が良いと思った。

それから何日か経ったある日、店長が休みの日があった。
いつも香苗と入れ違いに仕事に入る今井が出勤して来た。
今井は香苗に会うたびなんとか連絡先を聞こうとして絡んでくるのだが、店長が近くにいるとわりと大人しいので、なんとか受け流してこれた。今井は権限を持つ人間には弱いようだ。
「おはようございま〜す。あれ?今日店長いないの?」
「今日は店長お休みみたいですよ。私、お先に失礼しますね。お疲れ様でした。」
香苗は、嫌な予感がして、今井に捕まらないように急いで挨拶してバックルームに入った。
香苗が2秒で制服を脱いで鞄をひっつかんだ時、今井がバックルームに入ってきた。ここはレジにいる小野からは完全に見えない場所だ。
「今井さん、お疲れ様でした。」
店の方へ慌てて出ようとした香苗を、今井の腕が遮った。
「電話番号教えてよ。」
「すみません、急いでるのでもう帰ります。」
「ちょっ、待って!香苗ちゃん彼氏いるの?オレ、初めて会った時から香苗ちゃんのこと可愛いなと思っててさ。今度、どっか遊びに行こうよ。」
今井は香苗の二の腕をぎゅっと握ってきた。呼び方がいつの間にか[羽田さん]から[香苗ちゃん]になっている。
香苗は気持ち悪くなって鳥肌がたってきた。
「彼氏はいません。…でも、番号教えたくありません。すみません、離してください。」
「え?なんで?そんなケチらなくてもいいじゃん。」
今井は香苗をグッと押して壁際に追い込んだ。壁ドンのつもりなんだろうか。
今井が顔を近付けてきた。強い香水の匂いが鼻にツンときて、香苗は顔を背けた。
「今井さん、離して!やめてください!」
「恥ずかしがらなくていいよ。」
今井は、香苗が本気で嫌がっているのが分からないらしい。強引で鈍感なんて最悪ダブルタッグだ。
香苗が、今井のスネと股間のどちらを蹴ろうかと迷い始めた時、小野がバックルームの入り口から顔を出した。
「今井くん、何してんの。仕事しろよ。」
今井は慌てて香苗から離れた。
「今すぐ行きま〜す。ごめんなさい小野さん!」
小野が姿を消すと、今井の作り笑いも消えた。小さく舌打ちして今井はバックルームから出て行った。

「今井くんはねぇ、顔はまぁまぁなんだけど、隠れて仕事サボってねぇ、深夜に来る客の女をしょっちゅうナンパして店でイチャついてるしねぇ、私はあまり好きじゃないわねぇ。その点小野くんは真面目だし優しいし、オススメよぉ羽田さん。小野くんよく見るとカワイイ顔してるしぃ。」
昼間はイラストレーターとして働いていて、深夜や土日だけたまにアルバイトで入る、オネェ言葉の越谷さんが言っていたことを、香苗は今思い出した。
まさか小野は、バックルームに今井を呼びに来た時、香苗と今井がイチャイチャしていた、などと誤解してはいないだろうか。
何も悪い事はしていないのに、なんとなく小野と顔を合わせ辛くて、香苗はこっそりバックルームからレジの方を覗いてみた。今井は品出し中でこちらに気付かなかったが、小野と目が合った。
すぐにそらされると思ったが、小野は香苗の目を見つめ返してきた。射るような鋭い視線だった。香苗はみぞおちの辺りがゾクゾクした。
やはり小野に誤解されているような気がする。
小野と2人きりで話がしたかったけど、今井がいる前では無理だ。
うつむきながら黙って店を出た。

次の日、香苗は小野が仕事に入る時間になるのが待ち遠しいような、来て欲しくないような、落ち着かない気持ちでいっぱいだった。夕方はパートの西井さん、東さんと会話しながらも、ずっと昨日のことを考えていた。
「おはようございます」
小野が、いつもと変わらない無表情さでレジに入ってきた。
「おはよう!小野くん!最近仕事に入る時間早いわね!」
小野が来て、声も体も大きな西井さんの声が更に大きくなった。
「ほら〜、羽田さんが入ったからさ〜、小野くんが専属契約で教えてるんじゃな〜い。店長いっつも新人入ると小野くんに丸投げじゃん?」
元ヤンと噂の東さんが気だるそうに言った。
「東西コンビはもう仕事上がりでしょ?早く帰って旦那さんの夕飯作らないと」
「ちょっと!東西コンビって!東さんと一緒くたにしないでちょうだい!あはは!」
「こっちこそ西井さんとコンビにされちゃ迷惑だわー。小野くんいつも真面目な顔で面白い事言うんだから〜。」
香苗は、小野が楽しそうにパートさん達と話しているのを見て羨ましくなった。いつになったら小野は香苗に、真面目な顔で面白い事を言ってくれるようになるんだろう。

パートさん2人が消えると、客の少ない店内は一段と静かになった。
小野は今日も香苗に対して[バリア]をはっていて、パートさん達と気安く話していた小野はどこかに行ってしまったようだ。
接客しながら、香苗は小野に話しかけるタイミングを探していた。とにかく誤解を解きたい。
(昨日は、助けてくれてありがとうございました、、)
(昨日は今井さんに無理やり迫られて、、)
言葉が唇の手前まで来てるのに、なかなか外に出ようとしない。小野の方を見ると、今日の小野はしょっちゅう募金箱の位置を直している。癖なんだろうか…と香苗がぼんやり眺めていると、唐突に小野が話しかけてきた。
「オレが口出しする事じゃないって分かってるんだけど。」
「はい??」
「今井くんさ、すげぇ女グセ悪いんだよ。気をつけた方がいいよ。」
「…私っ、昨日も連絡先聞かれて、何度も断ったんですけど、今井さんしつこくて、無理やり迫ってきて、困ってたんです。」
「やっぱりそうだったんだ。」
「昨日は助けてくれて、ありがとうございました。」
「うん。…大丈夫だった?」
(小野さんは私の連絡先知りたくありませんか?)
(小野さんには私の電話番号教えたいんですけど)
香苗は、今度は思わず口に出そうになった言葉を慌てて飲み込んだ。
「はい、なんとか大丈夫でした。」
「そうか。それなら良かった。…あのさ。」
小野は心配そうな顔をして香苗の方を見た。香苗の顔を見て話してくれるのはこれが初めてで、香苗は期待で胸が高鳴った。
「実は、もうすぐ大学の試験があって、明日から2週間くらい休むんだ。その間、今井くんが羽田さんとシフト一緒に入る日もあると思う。」
「えっ…」
今度は突然深い深い落とし穴に落ちて、上から砂をかけられて埋められたような気分になった。
香苗が何も言えずに黙りこむと、小野が心配そうに尋ねてきた。
「オレから店長に話してみようか?今までも今井が原因で辞めてった女の子いて、店長も次は限界だって言ってたから。」
「いえ、そんな…。言うなら自分で言いますよ。小野さんは試験に専念して下さい。気を使ってくれてありがとうございます。」
「本当に大丈夫?」
「はい。本当に大丈夫です」
香苗は無理やり口の周りの筋肉を総動員して笑顔を作った。
「分かった。何かあったらすぐに店長に言いなよ。あまり頼りにならないけど。見た目コワモテなのに、中身は乙女だから。」
「本当にそうですよね。」
せっかく小野と打ち解けて色々話せたのに、お店が混んできたので何も話せないまま帰る時間になってしまった。
夜10時前、今日は今井ではなく越谷さんがやって来て、店長がバックルームから出てレジに入った。今井は休みなんだろう。今日は今井に会わずに済むと思って香苗はホッとした。
「あ、小野クン、今日は10時あがりだよね?明日から2週間試験休みに入っちゃうし、あぁ、小野クンがいないと痛手だなぁ〜。」
「小野くんがいないと私も寂しいですぅ。」
店長と越谷さんの会話を聞いて、香苗も心の中で大きく頷いた。

小野と同じ時間に仕事が終わるのは初めてだった。2人でバックルームの方へ向かうと、小野は入り口で立ち止まった。
「先に着替えておいでよ。オレ後でいいから。」
制服を脱いでも下にはちゃんと服を着ているので見られても全然構わないのだが、香苗は素直に従った。今井とはまるで正反対の清廉さだ。
香苗は少しでも小野と一緒にいたくて、小野が帰り支度をして出てくるのを待った。小野はバックルームから出て来て香苗が待っているのを見ると目を見開いて笑顔になった。
「行こうか。」
「はい。」
なんのことはない、自動ドアまで一緒に行くだけなのだが、レジの前を通る時、店長と越谷さんが何故かニヤニヤしているので香苗もなんだか恥ずかしくなった。

「羽田さん電車だったよね。オレバイクなんだ。じゃあ、お疲れ様でした。」
「お疲れ様でした。小野さん、試験頑張って下さい。」
「ありがと。2週間経ったら羽田さんの仕事も完璧になってるよね。楽しみだな。」
「あまり期待しないで下さい。」
小野は笑いながら香苗に軽く手を振って、店の横に停めてあるスーパーカブの方へ歩いて行った。
小野とこのまま別れるのは名残惜しいが仕方がない。
(ようやく小野さんと普通に会話できるレベルまで来たのに、2週間経ってまた元に戻っちゃったら嫌だな…)
香苗はぼんやり考えながら歩いていたので、駐車場を出たところで今井とぶつかりそうになって心臓が止まりそうになった。
「今井さん⁉︎これから出勤ですか?」
「違うよ。香苗ちゃんを待ってたんだ〜。今からご飯でも食べに行こうよ。俺おごるから。」
(ハッ⁉︎昨日私があんなに嫌がったの本当に気付いてないの??この人の頭膿んでるの??)
松浦といい、今井といい、自分はこの手の勘違い男に良く好かれるらしい。

今井は、香苗が呆れて無言になったのを、『OK』だと判断した。
「さ、行こっか。オススメのお店あるんだ〜。香苗ちゃんも絶対気に入るよ。」
今井は香苗の手首を掴んで引っ張って行こうとした。
「ちょっと待って。行きません!私行かないから!もう誘わないで下さい!」
思わず大きな声を出して今井の手を振り払った。
「ハァ?ウブなふりでもしてんの?。そんな可愛くもねぇくせに調子乗んなよ。」
今井は態度を豹変させて逆ギレしてきた。香苗が恐怖で動けなくなった時、後ろから小野の声が響いた。
「おい。羽田さんから離れろ。」
小野がバイクを引きながら近づいて来た。
「嫌がってるのが分かんねぇのかよ。お前強引なんだよ。」
小野は声を抑えているし、背丈も今井より低いのだが、怒ると迫力があった。
今井は一瞬怯んだようだったが、負けずに言い返した。
「あんたには関係ねぇだろ。引っ込んでろよ。」
あまりの展開について行けず、それまで空気になっていた香苗は我に返ると、小野の方に走り寄って小野の左腕に自分の両腕をからめた。
「関係なくないです。私達付き合ってるんです。もう誘わないで下さい。」
さすがの今井も予想外だったらしく黙り込んだ。
(お願い小野さん、違うって言わないで。せめて今井さんがいなくなるまで黙っていてお願いお願い)
香苗が必死の思いで更に強く小野の腕にしがみつくと、小野の腕の筋肉がピクリと動いた。
「…そういうことだから。」
「ハァ⁉︎俺の誘い断ってこいつと付き合うとかありえねぇんだけど⁉︎」
今井が失礼な暴言を吐いてギャアギャアわめくのを全無視して、小野はグリップにかけてあったヘルメットを片手で器用に取り上げて香苗の方を向いた。
「はい。これかぶって。」
香苗は小野の腕にしがみついたままだというのを忘れていた。慌ててヘルメットをかぶると、小野があご紐を付けてくれた。
「じゃ、ここに乗って。」
小野の後ろに座ってジャケットの脇腹辺りを軽くつかむと、小野が小さく笑った。つかむ場所を間違えたらしい。小野は香苗の両手を取って自分の体に回すと、エンジンをかけて走り出した。
香苗が今井を振り返ると、今井はまだ呆然とした顔でこちらを見ていた。

バイクは香苗がいつも乗る駅を少し通り越して、表通りから目立たない脇道に入ると止まった。
「家はどの辺?ついでに送るよ。」
「そんな、自分で帰れるので大丈夫ですよ。」
「遠慮しないで。彼氏なんだから。」
小野が顔を赤くしながら香苗の方を振り向いた。
「あの、ごめんなさい。変な嘘ついて変な事に巻き込んでしまって。」
「大丈夫だから。あいつが諦めるまで付き合ってる事にしとこう。」
見上げると、小野の顔がすぐ近くにある。バイクの後ろに乗せてもらうのは初めてで、走っている間ずっと小野にしがみついていた。怖いのと嬉しいのと楽しいのと恋しいのがいっぺんにやって来たけど、今は欲求しか感じない。
自惚れかもしれないけど、小野の目にも同じものが浮かんでる気がする。
言うなら今しかない。
「あの、嘘じゃなくて、本当に、付き合ってもらえませんか?」
「え」
「私、小野さんのこと、好きなんです。」

「…参ったな。」
小野が困った様子で前を向いた。
やっぱりただの自惚れだったみたいだ。
香苗は涙が出そうになって何回も瞬きした。
「ごめんなさい、図々しい事言ってしまって。忘れて下さい。私、電車で帰りますから。」
もうあと1秒で涙が溢れてしまう。香苗は慌ててバイクの後ろから降りた。
「ちょっと待って!…ヘルメット。」
香苗は恥ずかしいし涙が出るし焦っているしで、あご紐が外せない。
小野はバイクから降りてスタンドを立て、香苗のヘルメットのあご紐を外してくれた。香苗は節くれ立った小野の大きな手が、自分のあごの下で動くのを滲む目でぼんやりと眺めた。
小野はヘルメットを香苗の頭から取ってグリップにかけると、香苗を優しく抱きしめた。
「オレも、好きだよ。初めて会った時から。」
「えっ」
香苗が顔を上げようとすると、小野の胸に顔を押し付けられた。
「ぅうっ?!」
「ごめん。顔見ると恥ずかしくて言えないから、そのまま聞いて。
羽田さんに初めて会った時、すげぇ可愛いなって思って。一目惚れっていうのかな。こんな風に女の子好きになったの初めてで。人見知りだし、好きな子には目も合わせられないくらいのヘタレだから、かなり挙動不審だったよな、オレ。」
「そんなの、全然、気付きませんでした…さっきもふられたんだと思いました。」
「いつも頭の中羽田さんの事ばっかなのに、好きなんて言われたら、試験勉強なんか余計出来なくなるし、それで参ったなって思って。泣かせてごめんな。」
小野は香苗を抱きしめる腕に力を込めて、首元で長い長い溜息をついた。
「ごめん。もう…我慢できない。」
小野は香苗の両頬を挟んで上向きにすると、親指で涙を拭い、香苗が息継ぎをする間もなくキスをした。
香苗は本当に溺れそうになった。いつもは人見知りで無口な小野が、こんなに情熱的なキスをするとは思わなかった。
以前に松浦がディープなキスをしてきた時は気持ち悪いだけだったのに、小野の舌が香苗の唇をゆっくりなぞると、おへその辺りがキュンとして堪らなくなった。
足がふにゃふにゃで立っていられなくなって、無我夢中で小野のロンTにしがみついた。小野の舌が唇をこじ開けて侵入してくると、香苗も負けずに小野の唇を噛んだり舌を吸ったりして応戦した。更に小野の左手が香苗のうなじを支え、右手が腰のあたりをグイと引き寄せると、香苗も両腕を小野の背中に回して自分の体を強く押し付けた。小野が突然訳のわからない呻き声を上げて香苗から体を引き離した。
2人ともマラソン大会に出たかのように息が荒かった。
「…送るよ。家どこ?」
「え」
質問の意味が分からず、自分の住所がどこなのかも一瞬忘れてしまった。香苗が説明すると、小野はヘルメットを香苗にかぶせて後ろに乗せた。
地下鉄2駅分の距離はあっという間だった。家の近くにバイクを停めてエンジンを切ったのに、香苗は小野に抱きついたまま動きたくなかった。小野もしばらく無言でじっとしていたので、端から見たら止まったバイクに乗るおかしなカップルだと思われただろう。
「あっそうだ。連絡先、交換してくれる?」
「はい、もちろん。」
2人でスマホを取り出して連絡先を交換していると、小野が真面目な顔になって言った。
「今井の事店長に電話しとくよ。今度こそあいつクビになると思う。逆恨みで何かしてくるかもしれない。また何かあったら、夜中でも朝でも良いから絶対に電話してきて。約束して。」
「はい、分かりました。約束します。」
香苗がバイクから降りると、小野がヘルメットを外してくれた。
「送ってくれてありがとうございました。」
「うん。あとでメールする。お休み。」
小野は香苗の両手をギュッと握り締めて、今度は唇が触れ合うだけの軽いキスをした。小野が恥ずかしそうに笑うと、香苗はとろけそうになった。
香苗は小野がヘルメットをかぶって走り去るのを姿が見えなくなるまで見送った。

次の日、香苗は今井の事を店長に相談しようと思ってかなり早目に出勤した。バックルームに入って店長に話しかけようとすると、店長はそれを遮るように手を上げた。
「あ、小野クンから話聞いたよ。今井クンの事だよね?さっき電話して辞めてもらったから。あ、それにしても、そこまで酷いヤツだと思わなかったなぁ。ただの女たらしだと思って甘く見てたけど、かなり強引だったんだよね?店長として本当に申し訳ない。」
「いえ、そんな。店長のせいじゃありませんから。」
「いやいや、あ、昨日小野クンが夜中にやって来て、キツ〜く怒られちゃったよ。変なヤツ雇って放っておくなって。あと、今井クンがまたストーカーみたいに待ち構えてたら、すぐに警察と自分に電話しろって。あんなに怒った小野クンは初めて見たよ。」
「えっ。小野さん昨日コンビニに来たんですか?」
小野は電話して話したのではなく、香苗を家に送ったあと、わざわざコンビニに戻って来たらしい。
「あ、それと、小野クンと付き合ってるって事も聞いたよ。いやぁ、越谷さんやパートさん達とずっと話してたんだよね、小野クンは絶対羽田さんの事好きよね〜って。ウフフフッ。」
越谷さんの笑い方が伝染した店長がニヤニヤしながら言った。
「えっ。みんな気付いてたんですか?」
「あ、だって、小野クン羽田さんの前だと地蔵かってくらい表情なくなっちゃって、チラリとも羽田さんの方見ないじゃない。人見知りにも程があるわよ。あ、今まで若い女の子入ったってそこまで変じゃなかったもの。」
「…店長、越谷さんのおネェ言葉うつってますよ。」
「あ、あらやだ。最近シフト越谷さんとばかり入ってるから。やぁねもぅ。」
今井が辞めたので、これからもっと越谷さんと一緒に深夜シフトに入ることになるだろう。香苗は少し責任を感じて申し訳なくなった。

今井が辞めたのと小野が試験で休みを取っているのとで人員不足になり、急遽ヘルプに来てくれた本部の鈴木さんと一緒に仕事をして、香苗が帰る10時近くになった。
駐車場に、見慣れた黒のスーパーカブが入ってきたなと思ってよく見ると、それは本当に小野だった。

「愛だね。」
「羨ましいですね。」
ニヤニヤする店長とニコニコする鈴木さんに見送られ、自動ドアの外に出ると、小野が新しいヘルメットを渡してきた。
「それ羽田さん専用に買ったんだ。送るよ。」
2週間は小野に会えないと思っていた香苗は嬉しくなったが、少し気が重かった。
「試験勉強しなきゃいけないのに、悪いです。明日からは自分で帰りますからね。」
「羽田さんが無事かどうか気になって勉強なんかできないよ。頼むから帰りだけでも送らせて。」
小野が自分のことを大事に思ってくれているのを感じて、香苗は胸がいっぱいになった。
「本当は会えてすごく嬉しいです。ありがとう。」
香苗が後ろに乗って必要以上に強く小野に抱きつくと、小野が嬉しそうに笑った。
「オレもすげぇ会いたかった。」
小野はポツリと呟くとエンジンをかけて走り出した。

その日から毎日、小野は香苗が帰る前にコンビニにやって来て香苗をバイクの後ろに乗せ、香苗の家に着くと物足りないキスをして帰って行くようになった。
小野の2週間の休みが終わる頃、深夜シフトに1人と夕方シフトに1人、新しいアルバイトの採用が決まった。
もはや新人アルバイトの研修インストラクターと化した小野は、仕事中香苗と顔を合わせる暇もなくなった。
小野は今井の襲撃を心配して、香苗と一緒に帰ることが出来るシフト時間に変えようとしたが、香苗は断った。これ以上小野やお店に迷惑をかけたくなかったし、あれ以来今井が姿を見せることはなかったからだ。

たまに店長が気を効かせて2人同じ日に休みをくれたので、色々な所に遊びに出掛けた。
恋人として付き合うようになった小野は、とても面白く、優しい男だった。そして、紳士過ぎるくらい紳士だった。デートの時も手を恋人繋ぎにして、舌をからませないキスをしてくるだけで、香苗が告白した日のような濃厚なキスはそれ以来して来なかったし、一人暮らしをしている自分の部屋に香苗を誘ってくることもなかった。
香苗は歯痒くもあり、ホッとしてもいた。
どうしても、松浦とやった時の事を思い出してしまう。
初めてで痛がっているのに、そのうち気持ち良くなるからと無理やりねじ込まれて、いつまでたっても痛いから早く終わって欲しいとしか思えなかった。
まさか小野はそんな卑劣な男ではないと分かるけど、松浦の時のように自分の反応が悪くてがっかりされたらどうしようかと気懸かりだった。

それは、今井が辞めて1カ月は経っていて、ヤツの事などすっかり忘れていた頃に起こった。
小野がバイトを終えて部屋に着く深夜1時頃、必ず香苗に送ってくれるメールがその日は来なかった。
付き合い始めてからお休みメールが来ないのは初めてのことだったので、香苗は少し不安になった。
(疲れて寝てるのかな。まさか事故とかじゃないよね。)
迷ったけれど、一応当たり障りのないメールを送っておいた。
朝7時頃、メールの着信音で目が覚めてチェックすると、小野からだった。
「昨日帰る途中で事故ってしまった。
右足の骨にひびが入っただけだから、心配しないでね。
今警察と病院から帰ってきたところで、しばらくはメールもできないかもしれない。
また落ち着いたら電話するね」
落ち着くのを待っていられなくて、即行で電話すると、すぐに小野がかすれた声で出てくれた。
「もしもし小野さん⁉︎事故って、右足って、ひびって、本当に大丈夫ですか⁉︎」
「落ち着いて。大丈夫だよ、ギプスでしばらく仕事できないけど。」
「今帰って来たばかりなんですよね?警察と病院で長いことかかって大変でしたね。」
「うん、ちょっと時間かかっちゃったよ。ごめん、さすがに眠いから、またあとで電話してもいいかな?」
「あっごめんなさい!今すぐ切ります!ごめんなさい!」
「ちょっと待って。心配して電話してくれたのに、本当にごめん。…愛してる。じゃっ。」
いきなり電話を切られてしまったのと、最後の言葉の衝撃でしばらく呆然とした。
今まで「好き」と「大好き」は何回も言い合ってきたけど、「愛してる」と言われたのは今のが初めてだった。
香苗もメールで「私も愛してる(ハート)」を50回くらいコピペして送っておいた。
小野の事は本当に心配だったし、今すぐ小野の部屋に飛んで行きたいくらいだったけど、なんとか我慢してコンビニに出勤した。

バックルームに入ると、店長が防犯カメラの映像を食い入るように見ながら、「う〜ん」「やっぱりそうだ…」などと呟いている。
「おはようございます。何か問題でもありましたか?」
「ヒャッ!あ、羽田さん!気付かなかったよ。あ、小野クンの事聞いた?」
「はい。事故で足の骨にひびが入ってしまったみたいですね。早く治るといいんですけど。」
「あ、他にもなんか言ってなかった?事故の原因の事とか…」
「朝電話で話した時、小野さん徹夜で疲れていたみたいで、詳しくは聞いてないです。店長詳しく聞きましたか?」
「あ、いやぁ〜〜〜。僕が勝手に言うのはマズイかな〜〜〜。あ、う〜〜ん。」
「そんなこと言われたら余計に気になるじゃないですか。教えて下さい。何があったんですか?」
店長がいつまでも唸っている間に、この店では珍しく特徴のない普通の新人アルバイトの甲斐くんが出勤してきてしまった。香苗も仕事に入る時間だ。
「あとで休憩の時、絶対聞きますからね。」
「あ、う…。」

香苗がそろそろ休憩に入ろうと思っていると、小野が松葉杖をついて店に入って来た。
右目の下に白いテープ、右足にはギプス、両腕に松葉杖、という想像していたよりも痛々しい小野の姿に、香苗は鳥肌が立った。
「どうして来たんですか?どうやって?本当に大丈夫ですか?」
「タクシーで来た。大丈夫だよ。そろそろ休憩だよね?話があるんだ。」
「分かりました。今行きます。」
甲斐くんに休憩に入ると告げて、小野と2人でバックルームに入った。
「あ、小野クンごめんね。こんな大変な時にわざわざ来てもらっちゃって。怪我してるのに。」
「いえ、ずっと隠し続けるのは無理でしょうし、オレから直接話をしたかったので。」
小野と店長が苦い顔をして頷き合った。
「いったい、何の話なんですか?」
「話、というか、これを見てみて。」
「え…」
小野がパソコンを指すと、防犯カメラの映像が映っていて、画面に小野のスーパーカブが見えた。店の右横に大きくはないが空きスペースがあって、そこに従業員の自転車やバイクを停めている。そこの映像だ。小野が映像を早送りすると、黒いスウェットの上下にメガネとマスク、軍手をした、見るからに怪しい男がカブに近付き、周りをキョロキョロしてから、何かの道具を使ってカブの側面をいじくり出した。
香苗は、男が画面に映った途端、どっと冷や汗が出た。
(今井だ。伊達眼鏡とマスクをしていてもわかる。)
下に表示されている時間をみると、昨日の午後11時30分頃。小野が仕事を終えて、カブに乗って事故ったのはこれの約1時間後。
「今井さん…。まさか…。」
「やっぱり誰だかすぐわかるよな?
昨日走ってる途中でチェーンが突然切れたんだ。それで道の真ん中でカブが止まったあと、後ろの車にぶつけられてこけた。チェーンは3ヶ月前に替えたばかりだったし、オレほぼ毎日乗る前に点検してるからありえないんだよ、そんなこと。後でチェーンをよく見ると、チェーンのピンがいくつか外されてた。」
「…今井さんがやったんですね。」
「おかしいと思って、昨日病院と警察行った後タクシーでコンビニに来て、店長に防犯カメラの映像見せてもらったんだ。あいつ、店内の防犯カメラの位置は把握してたみたいだけど、ここにも防犯カメラあるの知らなかったんだろうな。今井に電話してカメラの話したらすげぇ慌ててた。明日の夜、今井の親も交えて話し合う事になってる。」
「あ、話し合いには僕と、本部のお偉いさんと、会社の弁護士も一緒に行くからね。あ、自転車の無断駐輪が多いから、僕の自腹でここにカメラ付けたんだよね。僕グッジョブ。」
「今井が原因で事故ったなんて羽田さんが知ったら、気にするかなと思って本当は隠しておこうと思ったんですけど…。」
小野が店長の方をチラリと見ると、自慢気だった店長はしょんぼりした。
「あ、ごめんね、小野クン。僕隠し事できない性格だから。」
香苗の耳には2人の会話は入って来なかった。一歩間違えば、小野は死んでいたかも知れないのだ。今井のせいで。…いや、自分のせいで。そもそも、今井との事に小野を巻き込んだのは自分だった。香苗は血の気が失せて、目の前が真っ暗になった気がした。
「…店長、私、早退します。」
「あ、え⁉︎羽田さん大丈夫⁉︎」
「どうした?気分でも悪くなった?一緒に帰るからちょっと待って。」
心配する店長と小野を無視して帰り支度をし、店から飛び出した。

駐車場を半分くらい進んだ所で、後ろから小野の声がした。
「羽田さん待って!止まって!」
振り向くと、小野が杖をついて必死に追いかけてくるのが見えた。さすがにこのまま走り去ることは出来ず、小野に駆け寄った。
「小野さん!そんなに急がないで下さい!危ないです!」
香苗が慌てて駆け寄ると、小野がバランスを失って倒れこんできた。
コンビニの駐車場のど真ん中に2人で寝転ぶ形になった。小野は香苗が動けないように押さえ込んできた。
「何を考えてる?もしかして、本当に自分のせいだとか思ってないよな?」
「…しばらく1人で考えたいんです。どいて下さい。」
「嫌だ。行かせない。」

「あの、大丈夫ですか?」
車を出せず私達を見かねたサラリーマンのお客さんが、私達を助け起こそうとして近づいてきた。
「ありがとうございます。大丈夫です。」
サラリーマンに支えられて小野が立ち上がると、香苗は小野に杖を渡した。
店の前でオロオロと見守っていた店長も遅れてやって来た。
「あ、羽田さん、今日はもう帰っていいからね。あ、小野くん、心配だから一緒に帰ってあげてね。今からタクシー呼ぶから。」

店長が呼んだタクシーが来て、2人で乗り込むと、小野は自分の住所を告げた。小野が借りている部屋も香苗の家と同じ方向だが、香苗の家の方が近い。
香苗が問いかけるように小野の顔を見ると、小野はタクシーが来る前からずっと握っている手に、無言で力を入れた。何かを決意したような小野の表情を見て、香苗も何も言わなかった。
10分くらい走ったあと、小野が指示して3階建てのアパートの前でタクシーを停めた。小野が財布を出したので香苗も慌てて財布を出そうとすると、店長からお見舞金を貰ったから、と断られた。
「ごめん、3階だけどエレベーター無いんだ。こんな事になるなら1階借りとけば良かったよ。」
ギプスをした足と杖で階段を上がるのはとても大変そうだった。3階の踊り場に着くと小野は壁にもたれて大きく息を吐いた。
「ごめん。時間かかって。」
「大丈夫ですか?痛くないですか?」
「大丈夫。」

仕事でほとんど毎日会ってはいたけど、ここのところ新人の研修や大学の授業で忙しくて休みが合わず、こんなに小野の近くに寄るのは1週間ぶりくらいだ。ふと、小野の髭が生えてきているのに気付いた。いつも綺麗に剃っているけど、昨日から忙しくて剃る暇が無かったのだろう。いつもの安全そうな小野とは正反対で、顔に傷ができて無精髭の生えた小野は危険で悩ましかった。
外はもう陽が完全に落ちて、いつもより速くなった自分の鼓動の音と、アパートの共用廊下の暗い蛍光灯の周りに虫が飛び交う音と、近くの部屋から聞こえるテレビの音だけが聞こえた。

呼吸が落ち着くと、小野は目を細めて辛そうな表情を浮かべ、しみじみと香苗の顔を眺めた。
「オレと、もう会わないつもりだった?」
いきなり核心を突かれて体が震えた。初めからそうだった。小野には余計なものがない。言葉にも、素振りにも。
隠すことも誤魔化すこともできない。
「小野さんが怪我をした姿を見て、すごく…怖くなったんです。私と付き合ったのが原因で、小野さんが死んでたかもしれないって考えたら、パニックになってしまって。とにかく別れなきゃいけないんじゃないかって思いました。」
小野は左手に持っていた杖を下に落として片手で香苗を抱き寄せた。香苗の左肩に顎を乗せて、肩甲骨あたりまで伸びた黒い髪をゆっくり撫でた。
「事故った後、オレ、心底思ったよ。後ろに羽田さん乗せてなくて良かったって。もし昨日羽田さんが乗ってて死んでたとしたら、自分を許せなかっただろうな。いや、その前に今井を殴り殺しに行くけど。」
香苗が鼻をすすると、小野の手が背中を撫でた。
「オレのこと好き?」
「好き、じゃない。愛してます。」
見えないけど、小野の口角が上がったのを感じた。小野は香苗の背中に置いた手に力を込めて強く抱きしめた。
「オレと会えなくなったら悲しい?」
香苗は小野の鎖骨に顔をうずめて頷いた。
「オレも同じだよ。愛してる。羽田さんと会えなくなったら、オレもすげぇ悲しい。だから2度と別れるとか言うなよ。」
小野が香苗の肩から頭を上げて、香苗の顔を覗き込もうとすると、香苗は顔をうずめたまま首を振った。
「キスしたい。顔見せて。」
「嫌です。涙でぐちゃぐちゃなんだもん。」
小野が声を上げて笑うので、釣られて香苗も顔を見せて笑った。
香苗が小野の右目の下に貼ってあるテープを指でなぞると、小野の目が欲望で陰った。
「帰るなら今だよ。これ以上進んだら、オレ我慢できない。走って逃げれば、オレ追いつけないけど。」
無理に笑おうとしているけど、小野の顔は真剣だった。
本音は、香苗も我慢の限界だった。タクシーの中ですでに覚悟は出来ていた。
「もう走って逃げたりしません。…今すぐ部屋に連れていって。」
「…そこの杖取ってくれる?」
香苗が下に落ちた杖を拾って渡すと、小野は右脇に2つの杖を抱えて、左手で香苗の右手を握った。
踊り場から4つ目、1番奥のドアの前に立ち止まり、小野が鍵を開けようとすると、ドアの向こうから大きな笑い声と騒ぐ声が聞こえてきた。
「クッソ。あいつらまた勝手に…!」
「えっ?何?誰か居るの?」
「ごめん。大学の友達が勝手に来てる。すぐに追い出すからちょっと待ってて。」
小野は怒りを押し殺した声で言うと、中に入ってドアを閉めた。
中から怒っている小野の声がした後、ドタドタとドアの方へ走ってくる足音が聞こえ、いきなりドアが開いた。
小野のお前ら待て、という叫び声がした後、中からそれぞれタイプの違う3人の男が出てきて、香苗の顔を見ると、3人とも同じ表情になった。
一瞬の静寂の後、3人が一斉に喋り出した。
「スゲー!さとちゃんの彼女チョー可愛いじゃん!」
「ちょうどええわ。今から鍋やるから一緒に食べへん?」
「かなえちゃんですよね?初めまして日比野です。小野くんにはいつもお世話してます。」
ドアを押さえつけて小野が外に出られないようにしながら、3人はそれぞれ香苗に話しかけてきた。
「バイト先で知りあったんでしょ⁉︎こんな可愛い子いるなら、俺もコンビニのバイトやろっかなー!」
「鍋の具は何が好き?出汁はいつも何でとってる?」
「小野くんいつも女の子に興味のない振りしてましたけど、かなえちゃんの話になるともう…」
隙間に無理やり杖をねじ込んで、ようやくドアをこじ開けて出てきた小野は、3人の靴とカバンを廊下に放り出して松葉杖を振り回した。
「お前ら!余計な事言ってんじゃねぇ!さっさと帰れ!」
「さとちゃん、コンドームはちゃんとしなきゃだめだよ!」
「鍋の材料冷蔵庫に入れといてや。腐ってまうからな。」
「ていうか小野くん、その足どうしたの?」
日比野さんの話の続きをもう少し聞きたかったけど、3人は色々と捨て台詞を吐きながら帰って行った。
香苗は突然竜巻に遭遇して揉みくちゃにされたような気分だった。
「今、光速で部屋片付けるから、もうちょっとここで待ってて。」
小野は香苗が返事をする前にドアの向こう側へ消えた。部屋の中から、小野が大きな何かを移動させてぶつけたか、何かにぶつかって転んだような大きな音がした後、ドアを開けて顔を出した。さっき階段を上がってきた時よりも息が切れている。
「まだ汚いけど、どうぞ。入って。」
「お邪魔します。」
香苗が中に入ると、古い外観からは予想外に、中はちゃんとリフォームされた綺麗な1LDKの部屋だった。リビングには麻雀セット、ゲーム機が4種類、ダーツなどいくつも娯楽用品が置いてあり、テーブルの上には3人分に配布されたUNOカードと、厳選されたらしいキムチ鍋の材料と、簡易コンロが置いてあった。
香苗が興味津々で部屋をキョロキョロ観察していると、小野が冷蔵庫からお茶を出しながら言った。
「さっきはごめん。ここ、大学に近いから溜まり場になってて。あいつら合鍵を勝手に作って返さないんだ。もう鍵を取り替えるよ。あ、座ってよ。」
独身男子の部屋に来たのは初めてなので基準がわからないけど、小野は綺麗にしている方だと思った。
「みんな面白い友達で楽しそうですね。」
「あのさ、前から思ってたんだけど、もうその敬語やめにしない?」
小野がテーブルの方へやってきて右足をかばいながら座った。
「そうですね。あっ!嫌だ。仕事でも一緒だから癖がなかなか抜けないん…抜けなくて。」
「あと、苗字じゃなくて、下の名前で呼ぼうか。」
「さとちゃん?」
「…いや、慧にして欲しい。オレも、香苗って呼ぶから。」
「はい、あ。うん、わかった。慧…くん。」
「何?香苗。」
2人で顔を真っ赤にしながら名前を呼び合うと、不意にさっきまでの親密な空気が戻ってきた。
「香苗、お腹すいてる?」
「全然すいてない。慧くんは?」
「オレも。」
本当はお昼から何も食べてなくて、死ぬほどお腹がすいてるはずなのに、食欲なんてどうでもよくなっていた。
「こっち来て。」
小野が香苗の手をとって自分の方へ引き寄せた。香苗は膝立ちになって小野の首に両手をかけると、自分からキスをした。
「ずっと、こうしたかった。」
「オレも。」
香苗は一旦唇を離して小野の目を見つめると、決意を固めた。やっぱり伝えておきたい。
「あのね、言っておきたい事があるんだけど。」
「何?」
小野は香苗を気遣う優しい表情になった。
「前に、痛い思いしかした事なくて、反応が悪くてつまらないってがっかりされた事があるの。慧くんも、がっかりするかもしれない。」
「ハァ⁉︎マジでそんな事言うヤツいるの⁉︎自分が下手くそなだけだろ。今からそいつのとこいってボコボコに殴ってやりてぇ。」
小野が余りにも真剣に怒るので、香苗の目が涙で滲んだ。小野は使命を帯びたような顔になり、香苗を強く抱きしめた。
「オレもそんなに上手でもないけど、痛くしないように気をつけるから。痛かったら教えて。」

ギプスをした小野を手伝って、2人でテーブルを片付け、リビングに布団をひいた。
シングルの布団に2人で寄り添って寝ると、小野は香苗を引き寄せてキスをした。お互いに舌をからめて口の中を貪り合った。小野が香苗の胸を触りながら敏感な首元にキスすると、香苗は背中から電気が走ったみたいにゾクゾクして鳥肌が立った。小野は少し体を離して、息を荒げながら香苗の服とブラを脱がせ、左の乳首を吸って舌の先で刺激しながら、右の乳首を指にはさんで軽く引っ張ったり、こすったりした。
「あっ。」
「痛い?」
「ううん、その反対。」
小野は嬉しそうに笑うと、香苗のデニムのボタンを外してズボンとショーツを足から引き抜いた。
自分の人差し指と中指を舐めて香苗の股の間に手をのばし、中の液体を周りに広げるように性器全体を撫で回した。それから香苗の目をじっと見つめ、人差し指と薬指でクリトリスを挟んで、中指で円を描いたり、上下左右にこすったりしながら、尋ねた。
「大丈夫?痛くない?」
「痛、くない、あぁっ!」
「気持ち良い?…これは?」
今度は指を2本差し込んでゆっくり出したり入れたりしながら、親指でクリトリスをこすった。
香苗がたまらず足を閉じようとすると、ギプスの右足で押さえ込まれて動けないようにされた。
「だめ。逃がさない。」
1人エッチする時は、自分で気持ち良さや、いく瞬間をコントロール出来るのに、今はただ小野の指の動きに操られて従う事しか出来ない。体が自分のモノではなくなったみたいだ。
香苗は喘ぎ声をあげて、腰がビクビクと動くのを止められなかった。
「慧、くん、もう、だめっ…!」
「だめ?やめて欲しい?」
「いじわる、言わないで!お願い、もう、慧くんの、欲しい。」
「まだだよ。…ここ、感じる?こっちかな。」
小野は微妙に指の角度を変えて動かし、香苗の反応の変化を見守った。指先で香苗の奥のスポットを探り当てると、香苗は悲鳴をあげて小野にしがみついた。
「いっちゃう!あああっ…ん!」
それは、突然やってきた。香苗の全身がビクビク震えて止まらなくなり、もらしたみたいに小野の手と布団をぐっしょりと濡らした。
「香苗、すごい潮吹いてる。ほら、自分で分かる?」
「いや!恥ずかしいよう!あっ!お願い!もう、やめて!あんっあんっ!」
「香苗のイキ顔、すげぇ可愛い。もっと見せて。」
小野は容赦なく香苗を指で攻め続け、香苗は自分が何回いったのか、どれだけ潮を吹いたのか、何も分からなかった。
小野がようやく香苗を解放して杖を使って立ち上がった時も、脱力してピクリとも動けなかった。
小野はタオルとティッシュとコンドームを持って戻ってきて、香苗のそばに座ると、香苗の濡れたところを優しく拭いてタオルを布団の上に敷いた。
「ごめんね、布団汚しちゃった。」
「謝らないで、オレのせいだから。てか、布団をずっとこのまま飾っておきたいよ。トロフィーみたいに。」
香苗が笑うと、小野は香苗にキスをした。
「今度は、オレが潮を吹く番だな。」
小野はTシャツを脱いでスウェットのズボンを脱ごうとしたが、右足のギプスの部分がきつくてなかなか外せない。
「くっそ!ハサミで切ってやる!」
「私にやらせて。」
香苗は、慎重にギプスからズボンを外して、小野のボクサーパンツを脱がせた。小野は準備万端だった。
香苗が触ろうとすると、小野に止められた。
「待って。今、少しでも香苗に触られたら、オレやばい。出ちゃうよ。」
「だめ。さっきの仕返しだから。」
松浦にどれだけ懇願されても嫌だったのに、今は小野が喜んでくれるなら何でもしてあげたかった。
雑誌のセックス特集にフェラのやり方が載っていたのを以前読んだ事がある。香苗が先端を口に含むと、小野がハッとしたように息を吸い込んだ。香苗は手で上下にこすりながら唇で吸って、舌で色々な部分を探索した。
小野の呼吸がだんだん速く大きくなってくると、香苗は小野の感じている顔を確認したくて、上目遣いで小野を見た。
「香苗、その顔ヤバイ。オレもうイキそう。」
小野は苦しそうな顔をして震えながらうめき声をあげると、香苗の口の中に放出した。香苗は全部吸い取って飲み込んだ。
香苗が頭をあげて誇らしげににっこり笑うと、小野は途方に暮れたような顔をした。
「こうなるって、分かってたから、今まで、我慢してたのに。」
「え?」
「1回でも香苗を抱いたら、もう2度と離したくなくなるって、分かってたから。オレ、独占欲強いし、嫉妬深いんだ。」
「私も、慧くんとずっと一緒にいたい。離れたくない。」
小野は香苗を押し倒して優しくキスをした。香苗が濡れているのを確かめると、コンドームを付けて仰向けに寝転んだ。
「今はこの体位しか無理かも。上に乗ってくれる?」
香苗は小野の上にまたがって、小野の顔を見つめながら、ゆっくりと腰を下ろした。
本当に入るかどうか不安だったし、痛みを覚悟したけど、無事に全部香苗の中に収まった。お腹の中がキュンとして、香苗が震えてため息をつくと、小野は困ったような顔をした。
「香苗、すげぇキツイ。またすぐいっちゃったらごめん。痛くない?」
「大丈夫、痛くない。でも、どうやって動いたらいいか分からない。」
小野は香苗の腰を両手でつかむと、ゆっくりと上下に動かした。香苗が自分のリズムで動き出すと、小野は腰から手を離して、親指でクリトリスを押して刺激した。
「あっあっ!ダメッ!いっちゃううっ!」
香苗が膝をガクガクさせて倒れこむと、小野は両手で香苗のお尻をつかんでさっきよりも速く動かし、香苗の奥の方を突いた。
さっき潮を吹いた時と同じ箇所を今度は小野自身で深く強く突かれ、香苗は自分でも溢れ出そうになるのが分かった。
「いやっ、ああ〜っ、慧くんっ、出ちゃう、出ちゃうう〜っ、あっ!あっ!あっ!」
恥ずかしくて我慢していたのに、小野が奥を強く突くたびに何度も溢れて吹き出した。
「我慢しないで。全部出して。」
香苗がイキすぎて死ぬんじゃないかと思った頃、小野にも我慢の限界がやってきた。
「もう、オレもいきそう、いい?」
香苗が必死に頷くと、小野が香苗をギュッと抱きしめて痙攣した。

しばらくは、2人ともまったく動けなかった。小野の胸に頭を乗せて心臓の音を聞いていると、今までどうやってこの人無しに生きてこれたのか不思議なくらいだった。今、小野と繋がっているのが『当たり前』の状態で、小野は自分の体の延長部分じゃないかとさえ思った。
「香苗、そろそろ抜かないと精液漏れるよ。」
「だめ、動けない。」
「オレも。」
その時、小野のお腹が大きく鳴った。
「キムチ鍋たべよっか。」

小野が布団をベランダに干して乾かすと言い出したので、香苗は断固拒否した。香苗がシーツやタオルを洗って布団をドライヤーで乾かしている間、小野がキムチ鍋の準備をすることになった。鍋奉行の鶴屋くんが選んだ九条ネギと島豆腐と真鱈と豚肉を、2人で褒め讃えながら最後の締めの雑炊まで食べ尽くした。

そのあと、小野のギプスをゴミ袋でカバーして、2人でシャワーを浴びた。お互いの髪を洗い合ったり、お互いの体を洗い合ったりしているうちに、結局はお互いのあそこを洗い合って2人で喘ぎ声をあげることになった。
「だめだ、香苗の中でいきたい。早く出よう。」

急いで2人で体を拭き合って、今度はタオルを何枚も敷いて備えた。
「香苗、後ろ向いて膝ついて。」
小野は香苗を四つん這いにさせてその後ろに座った。
「慧くん、恥ずかしいよ。あまり見ないで。」
「香苗、オレのもしゃぶってくれる?もっとお尻を上げて足を広げて。」
香苗がペニスをつかんで口にくわえると、小野はクリトリスがよく見えるように性器を指で広げて、唇で吸いながら舌の先で押したり弾いたりした。
「ああんんっ!それ、すごく、気持ちいい!あんっ!もう、いくううう〜っ!」
指ともペニスとも違う、ねっとりとして絡みつくような感触に、香苗は自分でもびっくりするほどあっという間に絶頂に達して、そこからずっと痙攣が止まらなくなった。
「あっ、あっ、慧くんっ、もうっ、お願いっ、もうっ、だめっ、おかしくなっ、なりそうっ!」
「香苗、だめだよ、オレのもちゃんとしゃぶって。」
香苗が手と口を必死で動かそうとすると、小野は余計に激しくクリトリスを吸ったり舐めたりしながら中に指を2本入れて搔き回した。香苗はペニスをつかんで先の方を口にくわえるので精一杯だった。
「んっ!んっ!うっう〜〜っ!んんっ、んんっ!」
「香苗が潮吹くとこ、間近で見たい。いい?」
小野はそういうと、右手で奥の方を細かく振動させるように突きながら、左手でクリトリスをいじくった。
「いやいやっ!出ちゃう!出ちゃうう!あああ〜〜っ!」
「香苗のあそこ、すげぇ。オレ、こんな感度の良い子初めてだよ。ちょっといじくるとすぐビクビクして、何回も潮吹くんだから。」
「ああっ!慧くんっ!いじめ、ないでっ、おね、がいっ!あああ〜〜!」
「香苗が反応悪いなんて言ったヤツ、本当馬鹿で女見る目ないな。」
「慧くん、が、相手だからっ、こんなに、感じるの。慧くん、じゃないと、だめなの。」
上の涙腺もゆるんだのか、香苗が涙を流しながら小野の方を振り返って見ると、小野は香苗を引き寄せて抱きしめた。
「オレも、香苗じゃないともう立たない体になったから。責任取ってくれる?」
小野は微笑んで、香苗の涙を指でぬぐい取り、長くて優しいキスをした。それからコンドームを付けて香苗を自分の膝の上に乗せ、両手を後ろについて言った。
「香苗、自分で動ける?」
「うん、やってみる。」
香苗は小野の肩に両手をかけて、腰を上げたり下げたりしてみた。
だんだんと、どの速さが良いのか、どの角度が良いのか分かってきて、香苗はいつの間にか夢中になって腰を振っていた。
「ああ〜、すごく気持ちいい、慧くん、大好き、愛してる。」
香苗は腰を動かしながら小野にキスをして、小野の耳たぶを軽くかじった。
「オレも、愛してる…うあっ!香苗、オレもう出そう。」
今までずっと攻められ続けてきた香苗は、逆の立場になって興奮した。
「まだ、出しちゃ、だめっ」
確か、あの雑誌には男の人も乳首が感じるって書いてあったはず。香苗は腰を動かしながら親指で小野の乳首をいじくった。
「…ううっ!すげぇ気持ちいい、やばいっ、マジで出るっ…!」
小野が震えながら目を閉じて切ない顔をするのを見て、香苗はもっと攻めたくなった。
2人が繋がっている部分に手を伸ばして、下の袋の方を優しく撫で回すと、小野はビクッとして低い呻き声をあげた。
「ごめん、もう、出る…!」
香苗も我慢が出来なくなって来て、手を後ろについて足をM字に広げ、思い切り腰を振って動かした。
「ああっ!慧くんっ!私も、いきそう!あっあっ!」
小野も左足の方に体重をかけて、腰を振って香苗を強く速く突いた。
2人でほぼ同時に果てて抱き合っていると、小野がニンマリして香苗に言った。
「香苗、実は攻めの方なんだな。テクニシャンだし。」
「そうだよ。もう、他の女には手出せないようにしてやる。」
小野の耳の下を軽く噛んで、強く吸い、見えやすい場所にキスマークを作った。
「あっ!ヤベエ!明日ゼミと、今井との話し合いがあるのに!」
「あっ!ごめんね、すぐ消えないかなぁ」
香苗が本気で謝っていると、小野は笑い出した。
「香苗、ごめん、うそ。本当は嬉しい。みんなに自慢したいくらい。オレも香苗に付けていい?」
「もう!本気で謝ったのに!付けちゃだめ!」
香苗は本気で防ごうと頑張ったけど、服を脱ぐと意外と筋肉質な男の力にはどうしても勝てる訳もなく、両手を押さえつけられて首と胸元にキスマークをいくつか付けられた。
そんな風にふざけ合っていると、小野がまた欲望のこもった目で香苗を眺め始めたので、お互いにまだ素っ裸なことに気付かされた。驚いたことに、小野はすでに硬くなっていた。
「今日、まだ2回しかやってないし、もう1回だけ、だめ?かな?」
小野が優しく乳首を吸いながら聞いてきた時、香苗も自分の性欲の強さに驚かされた。
「でも、出したのは、あっ、3回、じゃなかった?あんっ、慧くん、すごいね。」
「口の中のは、カウントしないから。ごめん、疲れてるの分かってるんだけど。今までずっと、我慢してきたから、今猿みたいに止まらない。」
香苗はもう何回もいかされ続けて性器全体が充血して敏感になっていて、表面をゆっくりと優しく撫でられただけで、中が収縮してビクビクと動いた。
「あっ!私も、気持ちいいのが、ずっと、止まらないの。ああっ!慧くんに、ちょっと、さわられるだけで、もう、あん!あんっ!」
乳首を吸われながらクリトリスを少しこすられただけで、香苗はもういきそうになった。
「香苗、上に乗って。」

結局、3回目(出したのは4回)が終わると2人とも性欲ではなく体力の限界がやってきて、湿った布団ではなくラグの上で手と足を絡めあいながら深く眠った。

香苗が目覚めた時には小野はもう大学に行っていて、菓子パンと鍵とメモがテーブルの上に残されていた。
メモには書きなぐった文字で
『友達が勝手に部屋の中に入って来たら、包丁を持って追い出して。パンは朝ごはん。鍵は返さなくていいから、いつでも来て。夜中の2時でも。あとでメールする。愛してる』
と書いてあった。
真夜中、香苗が寝ていると、小野に抱きしめられて目覚める、という瞬間が何回かあった。
香苗が深く知る事になった本当の小野と、付き合う前の小野に、あまりにもギャップがありすぎて、香苗は1人でにやけるしかなかった。
あの人見知りで生真面目な小野の中に、こんなに面白くて愛情深い人間が隠されていたなんて、初めて会った時のことを考えると着ぐるみを着ていたとしか思えない。
起き上がって歩くとあそこが少しヒリヒリして、昨晩のことを思い出させた。
香苗自身も、自分の知らなかった自分を思い知る事になってとても驚いている。あんなに自分の体が敏感だったなんて、知らなかった。
(彼が上手なだけだったのかもしれないけど。)
ふと、顔も名前も知らない、小野の昔の彼女達に強く嫉妬した。誰が彼にあんな技を覚えさせたんだろう。なぜ彼女達は彼を手放すなんて馬鹿なことをしたんだろう。
香苗は昨日自分も小野と別れようとした事を不意に思い出して自分を嘲笑った。

時計を見ると、お昼近くになっていた。鞄の中のスマホを見ると電源が切れている。
香苗はその瞬間、自分の親に何も連絡を入れていない事に気がついて顔が青くなった。
特別厳しいわけではないが、娘がバイトの後連絡も無しに行方不明になれば騒いでいるはずだ。
小野のスマホが同じ機種なので充電をした。電源が入って確認すると、恐ろしい数の電話とメールの履歴が残っていた。母親から15件、店長から10件、親友の優子と麻理から5件、小野から2件入っている。
まず1番大丈夫な相手に電話した。
でも小野は授業中らしく出てくれなかった。
次に店長に電話すると、2コール目で繋がった。
「あ!もしもしっ!羽田さん⁉︎お母さんから何回も電話あったよ!もう連絡した⁉︎」
「ご迷惑おかけしました。昨日家に連絡せず外泊してしまって…。すみません、家には今から電話するところなんです。」
「…ごめんね、僕隠し事出来ない性格だから。お母さんに全部話してしまったよ…。」


とうとうこの日がやって来た。6週間ぶりに、今日ようやく小野のギプスが取れるのだ。
医師からバイクに乗る許可も出たらしく、本当に久しぶりに、香苗がバイトを終えたあと小野がカブで迎えに来てくれて、今夜は小野の部屋に泊まりに行くことになっていた。
香苗がウキウキしながら店で品出しをしていると、駐車場に黒のシエンタが入ってきて、降りてきたのはなんと小野だった。
「あ、小野クン!久しぶり。あ、足治って良かったね!ところであのクルマ小野クンの?愛車のカブは?」
香苗が聞きたいことを店長が代弁して聞いてくれた。
「カブは売りました。今井の慰謝料で車買ったんです。やっぱりバイクは事故ると危ないと思って。」
「えっ⁉︎カブ売ったの⁉︎あんなに大事にしてて、あんなに乗るの楽しみにしてたのに⁉︎」
香苗は思わずコンビニ中に響く大きな声を出してしまった。車にぶつけられてコケたにも関わらず、小野の愛車は持ち主よりも傷が浅くて済んだ。小野は16歳の時に二輪の免許をとって、アルバイトして自分のお金で初めて買った黒のスーパーカブ110を、カスタムしてずっと大切にしてきたはずだ。
「うん、、まぁね。店長、出勤の予定書いてきます。」
香苗に歯切れの悪い返事をして小野はバックルームに消えた。
「あの事故のあと、僕と一緒に防犯カメラの映像見ながら、小野クン何回も言ってたよ。香苗ちゃん乗せてなくて本当に良かった、バイクは事故ると恐い、って。ああ、愛だね…。」
店長が目を閉じて感慨深げに呟くのを見て、香苗は喉が詰まって何も言えなくなった。何もしてないと涙が出そうなので、いつもの2倍速で商品を並べた。

初めて小野の部屋にお泊りして無断外泊した次の日、事故についての話し合いがあった。今井本人は話し合いに姿を見せなかったが、訴訟をしないという条件で、今井の親が慰謝料を支払うことになった。意外にも今井の両親は普通の常識的な人達だったようで、カメラの映像を見せると土下座をして謝ってくれたそうだ。そして、自分達の息子が高校生の時から、女の子を妊娠させたり、女の子を殴って保護命令を出されたりしたこと、何度も同じように慰謝料を払ってきたことを小野に語ったらしい。小野はそのお金で車を買ったのだろう。

あの日、娘が家に帰らず『バイトの同僚で彼氏の小野くん』と連絡のないまま消えて、友達の優子と麻理にも電話した香苗の両親は、隠し事の出来ない店長から今井のヤバイ話を聞いて、ヤバイやつから娘を守ってくれた小野を責めなかった。むしろ、2年間もひきこもりの生活をしていた娘に彼氏ができたことを喜んでくれた。
それから1週間に1度は小野の部屋に泊まるようになり、この1カ月半の間、怪我で乗れないカブを丁寧に磨く小野の姿を、香苗は何度も見てきた。助手席に座って新車の匂いを嗅ぐとますます胸が痛んだ。
「また、自分のせいだとか思ってるだろ。オレがカブ売ったこと。」
小野は車を運転しながらラジオの音を小さくして、店からずっと黙り込んでいる香苗に話しかけた。
「だって、いくら何でもやり過ぎだと思う。私がこんな事言う立場じゃないって分かってるけど。慧くんがあのカブをすごく大切にしてたの知ってるから。ねえ、私がお金出すからカブ買い戻そう?」
小野は前を向いたままため息をついた。
「そんな必要ないよ。」
小野はアパートの横にある駐車場に車を停めてシートベルトを外すと、座席にもたれて頭の後ろで手を組んだ。
「確かに、カブを売ったのは香苗に怪我させたくないからって理由もあるけど、他にも色々考えて、車に乗り替えることにしたんだ。」
「本当に?」
「本当だよ。新車で買えば10年くらいは乗れるだろ?オレも再来年就職したらどうせ車いるだろうし、香苗と結婚して子供ができてもこの車ならファミリーカーになるし、香苗も運転しやすい大きさだから…どうした?」
「…私達、結婚、するの?」
「えっ。…しないの?」
「えっ。」
「えっ。」
小野は香苗の表情を見て、自分が先走っていることにようやく気付いたようだ。左手で香苗の右手をぎゅっと握りしめて言った。
「オレは、香苗と付き合うようになってから、ずっと考えてたよ。いつか結婚したいなって。香苗がこれから学校行ったり、就職したりしても、もちろん応援するけど。…香苗は、思ってもみなかった?」
暗い車内で、香苗はパネルの薄い明かりに反射した小野の横顔をじっと見つめた。右手でハンドルをいじりながらこちらを見ずに恥ずかしそうに話す小野は、出会った頃の彼を思い出させた。
突然、香苗の目の前に情景が広がった。この車の後部座席に乗ったチャイルドシートの赤ちゃんや、スーツ姿で帰ってきた小野を料理しながら出迎える自分の姿が、鮮明に。
「うん、今までは、結婚なんて全然考えてなかった。だって男の人と真剣に付き合うのも初めてだし、付き合い始めてまだ3カ月くらいだし、自分の進路も決まってなくて中途半端な状態だから。でも…」
「でも?」
小野が香苗の方を向いたので、香苗も小野の顔を見て震える声で伝えた。
「慧くんは、バイクでも何でも、1つのものをずっと長いこと大事に使って、すごく大切にする人だよね。
きっと、慧くんと結婚したら、私も死ぬまで幸せだと思う。いつになるかまだ分からないけど、もし結婚するなら、慧くんしか考えられない。」
小野は泣きそうな顔をしてから香苗を強く抱きしめて、耳元で囁いた。
「絶対、死ぬまで香苗のこと、大事にする。…行こう。」
小野は張り詰めた様子で車を降りて香苗の手を引くと、長いことギプスをしていた右足を少し引きずりながら3階まで上った。

部屋に入って靴を脱いだ途端、小野は香苗の両腕を壁に押さえつけて、唇を食べ尽くす勢いでキスをしてきた。
「ずっと、ギプス取れるの待ち遠しかった。香苗を色んな体位で抱きたくて。今日は覚悟して。」
小野が少し意地悪な時に出す低い声を聞いて、香苗は期待と興奮で震えながら唾をゴクリと飲み込んだ。
ギプスをして3週間経った頃には、小野は右足にほとんど体重をかけても大丈夫になり、何度もおねだりしてきたけど、香苗は心配で騎乗位以外の体位を今日まで禁止していた。
「…治ったばかりだから、あまり無理しないでね。」
「無理しないように、頑張る。」
小野はその場で香苗のズボンと下着を脱がせ、しゃがんで香苗の右足を持ち上げると、クリトリスを舐めながら指を2本入れて動かした。
「あっ!ああんっ!慧くん、立っていられないよ、あっ!」
香苗が足をぶるぶるさせて小野の肩に両手をかけると、小野は立ち上がって自分のデニムの前を開け、コンドームを付けて立ったまま挿入した。香苗の右足を自分の体に絡ませ、香苗の顔を見ながらゆっくりと出したり入れたりした。
「香苗、気持ちいい?」
「うん、気持ちいい。でも、もっと…。」
「激しいのがいい?」
香苗が恥ずかしそうに頷くと、小野はニヤリとして香苗から離れた。
小野は香苗を台所に連れて行き流し台に手をつかせると、香苗の腰をつかんで後ろから一気に奥まで貫いた。
「あっ!」
「ああ、やっぱ気持ちいいな。バックで入れると、すげえ締まる。」
小野はため息をつくと、ゆっくりと抜いて、また奥まで一気に強く貫くのを繰り返した。
香苗は初めて後ろから入れられて、恐いくらい奥まで入ってくる感覚にびっくりした後、夢中になった。
「ああ、慧くん、すごいっ。あんっ、…あんっ。」
「奥まで届くの、分かる?香苗も気持ちいい?」
「奥まで、気持ち、いいよう、あんっ、あんっ!」
小野は右手を香苗の前に回してクリトリスを撫でた。
「あっ!いっちゃううう、あっ!あっ!」
「入れながらここ触ると、香苗の中ギュって締めつけてくる。ああ、やばい、出そう。もっと他の体位も試したいのに。」
小野は入れたまま動くのを止めると、香苗の服の下から手を入れてブラをずらし、乳首を指先でグリグリとつまんだ。
「んんんっ、慧くん、もう、いきそうなの。お願い…。」
香苗が振り向くと、小野は香苗にキスをして耳元で囁いた。
「どうして欲しいの?ちゃんと教えて。」
「お願い、焦らさないで。もっと、激しくして、欲しいの。」
香苗が顔を真っ赤にして言うと、小野はまたニヤリと笑みを浮かべた。
「分かってる。おいで。」
小野はリビングに布団を敷くと、2人の服を全部剥ぎ取り、香苗を四つん這いにさせた。
小野が香苗のお尻をつかんで激しく奥まで何回も突くと、香苗はまたすぐにいきそうになった。
「ああっ!気持ちいいよう、お願い、止めないで!あっ!あっ!」
香苗はもっと気持ちよくなりたくて、自分で足を広げてお尻を高く突き上げた。
「香苗、すごいよ。きつく吸い付いてくる。」
小野がかがんで香苗の胸を揉み、違う角度で激しく突くと、香苗はぶるぶると腰を痙攣させて絶頂に達した。
「あああ〜っ!出ちゃうう、んんん!あっ!あっ!ああん!」
「香苗、いったよね。突くたびに吹いてる。バック、気持ちいい?」
「すごく、気持ち、いい!ああっ!」
「ごめん、今度は違うのやりたい。」
小野は本当に色々な体位を試して、そのたびに香苗の感想を確かめた。

「これが1番やりたかった。ずっと香苗に上に乗ってもらってたから、香苗がいくとこ上から眺めてみたかったんだ。」
正常位で動きながら、小野は香苗の顔や胸をじっくりと見て微笑んだ。
「やっぱ、香苗は下から見ても、上から見ても、可愛いな。」
「慧くん、も、あっ…、どこから、見ても、かっこいいよ、あっ。」
小野は、香苗のお尻を高く持ち上げて腿の裏をがっちり抑えると、上から体重をかけて深く突いた。
「ああ、この眺めも、最高。写メで、撮っておきてぇ。」
抗議の声をあげたかったけど、気持ち良過ぎて香苗は何も言い返せなかった。動けないように小野にがっちり押さえ込まれ、上から激しく深く何回も突かれると、悲鳴をあげて自分と小野をぐっしょりと濡らすことしか出来なかった。
「…もう、いくよ。いい?」
遠くから声が聞こえたような気がした直後、小野が覆いかぶさってきて香苗を抱きしめた。
「結婚したら、こういう事毎日出来るんだよな。しかもナマで。…今すぐ結婚しない?」
「…それ、プロポーズのつもり?」
「うん、そう。」
香苗は、小野の子犬のような笑顔を見て、怒っているふりが出来なくなった。

真夜中、またいつもの様に香苗は小野にギュッと抱きしめられて目覚めた。小野が眠る時はいつも、香苗を後ろから抱きしめて胸に手を置くポジションと決まっていた。いつもならキスをしてまたそのまま眠りに落ちるはずなのに、今日はかなえの足を少し開けて後ろから挿入してきた。
「慧くん、…んんん、本当にすごいね。さっきも、…あんなに、長いことやったばかりなのに。」
香苗が純粋に褒め称えると、小野は香苗の耳をかじって応えた。
「今までもずっと、香苗が寝てても入れたくて仕方ない時あって、でもギプスのせいで我慢してた。いっつも香苗に入れてないと…なんか落ち着かない。ごめんな、起こして。」
そんな風に言われて、指で優しくクリトリスを撫でられながらゆっくりと挿入されたら、眠くても体が自然と応えていた。
今では香苗のポイントを知り尽くしている指の丁寧な動きと、ゆっくりとしたペニスの動きに、香苗の波は少しずつ高まって、達したあとも繰り返し繰り返し波が押し寄せた。香苗がいくら切ない声をあげてよがっても、小野は長いこと同じ動きを繰り返して止めなかった。
そのあとも明け方にもう一度、香苗は深い眠りから起こされる事になった。

次の日は2人ともバイトと学校が休みで、2人で激しく運動したり、マッタリとイチャつきながら過ごしていると、チャイムが鳴って、ドアを叩く音がした。
「おーい、さとちゃーん。いるー?車でどっか遊びにいこうよー。俺運転するから!…あれ?どっか出掛けたのかな?さとちゃんの車あったよね?」
「絶対おるわ。昨日かなえちゃんが泊まりに来る言うてたからな。ギプス外れて調子こいてハッスルして疲れて寝とるんやろ。」
「なるほど、その可能性高いね。快気祝いはまた今度にしようか。」
「あーあ、さとちゃんの車乗りたかったのになぁー。車の合鍵ってどこで作れんの?」
3人の足音が遠ざかっていった。
以前、香苗と小野が抱き合っている最中に合鍵で踏み込まれた事があり、小野は鍵をノブごと交換し、3人にチャイムを鳴らすことを覚えさせた。
香苗は3人の会話の途中で思わず笑い声がもれそうになったけど、小野の手が慌てて口を塞いだ。
「クッソ。昨日、あいつらに絶対来んなって言っといたのに。…車の鍵どこに置いたっけ。」

それから4年後、港の近くの会場で小野と香苗は結婚式を挙げることになった。小野は大学を卒業すると、システムエンジニアとして車会社に就職した。コンビニを辞める時はかなり店長から引き止められたが、丁寧に断った。香苗は小野の影響を受けてバイクへの愛が芽生え、2輪自動車整備士の学校を卒業し、最近オートショップに就職が決まったばかりだった。小野は香苗の卒業と就職をずっと辛抱強く待ってくれた。
そしてようやくこの日、二人はハレの日を迎えることができた。

おまけ

会場の受付に優子と麻理、日比野が立っていた。
「ちょっと、受付なのに遅くないですか?あの人じゃなくて鶴屋さんの方が受付すれば良かったのに。鶴屋さんかなり早くから来てたでしょ?」
街でみんなが振り返るほどの美貌を持つ優子は、黒のシンプルなドレスを着ていてもゴージャスだった。その優子がカルティエの腕時計を見て完璧な形の眉毛を歪めながら日比野に文句を言った。
「鶴屋くんは余興のネタ合わせで忙しいって言って、関西弁グループ集めて長いこと更衣室にこもってますよ。」
「えっ?ネタ合わせって、鶴屋さん1人で『乾杯』唄うだけじゃないんですか?関西弁グループって、何ですか?」
「大学の関西出身者だけ集めた鶴屋くんの…。」
背が高くて物腰の柔らかい日比野は、青いスーツとピンクのシャツをそつなく着こなし、受付で親戚のおばさま方を魅了していた。普段はユニクロ専門の麻理も、今日は眼鏡をコンタクトに替えて水色のドレスで見違えるようだった。いつも大人しい麻理が珍しく声を出したので、日比野が丁寧に説明していると、入り口から大きな声が響いた。
「ヤッベ!寝坊しちゃった!
しんちゃんごめんね!ゆうこちゃん、まりちゃん久しぶりー!今日は一段と可愛いじゃん!」
受付の中に入ろうとした曽我部を、優子が氷のような眼差しで制した。
「もう、参列者の皆さんほとんど受付終わりました。ご祝儀は?」
「ヤッベ!玄関に置いて来ちゃったかも!」
曽我部は焦りながら鞄の中やポケットを探った。
「そんな事だろうと思って、曽我部くんの分も持ってきたよ。」
「しんちゃんさっすがー!営業トップなだけあるわー!気が効くじゃんサンキュー!ところでさ、駐車場で見たんだけど、さとちゃんってまだあのシエンタ乗ってんの?俺が前かなり凹ましちゃったやつ。」
「まだ乗ってるみたいだよ。あの時は小野くん激おこだったよね。」
「…友達の車ぶつけるとか、ありえない。最っ低…。」

私のこと、キライですか?

私のこと、キライですか?

人見知りの男の子に恋する女の子のお話です Hな描写あります

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2016-03-01

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著作権法内での利用のみを許可します。

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