恋模様

秋河綾香

突然の影。
俺は思わず声を荒げそうになる。ここは映画館だ。見ている他の人のことを考えて、もっと体をかがめるべきだろう。
影は俺の気も知らないで、のっそりとロビーへ出ていき、それきり戻らなかった。俺はイライラし続けたままでひとり、映画を最後まで見た。
映画館のロビーへ出る。見ていた映画の良いシーンで突然の影が視界に入り込み、興ざめもいいところだった。それだけでなく、デートではないのだからせめて内容に集中したかったと、どこか頭の端で考えていた。

翌朝、太陽のまぶしさに、毎日の通勤路で顔をしかめる。最寄り駅に対して、会社は東側にあるので、いつも朝日を顔じゅうに受けながら通勤している。道端の自動販売機が、きれいに整えられたアスファルトの地面に濃く影を投げかけている。その自販機でエネルギー飲料を買っている人間が目に付いた。
よく見ると俺の同僚だ。
「よう、おはよう」
「ああ」
挨拶を交わした俺たちはそのまま一緒に会社へ向かう。
「なんでそんなの飲んでるんだ? 昨日遅かったのか? 」
「いやちょっと昨日眠れなくてさ……」
「なに、心配事? 」
「実はさ……」
その同僚の話は、今日の夜、恋人に婚約の話をする、というものだった。エネルギー飲料を飲んでいるのは、緊張して眠れなかったせいだろう。話を詳しく聞くと、多少の脚色はあるにしても、お相手の彼女が婚約の申し出を待ち遠しく思っているとしか思えなかった。彼はどうやら俺の知らないうちに恋人との仲を盤石にしていたらしい。
「幸せそうだなー……」
「いやまだわからないよ、ってお前別れたばっかりだったな、すまん!! 」
同僚は心底あわてた様子でフォローしてきた。こいつの裏表のないところを好ましく感じた。
「いや、いいんだ。早く昔の恋なんて忘れちまいたいよ」
俺は口角を上げて、あいまいに微笑んでおいた。

仕事を終えたものの、家に足が向かない俺は家電を取り扱う店へと立ち寄った。何気なく向かった先には、様々な色や形をしたランプが置かれていた。
ランプか……。
「いらっしゃいませー、ランプをお探しですか? 」
「あ、はあ、まあ……」
「どのようなものをお考えですか? 」
「いろいろありますね」
「こちらなどおすすめですが」
そう言って店員がすすめてきたのは、直線的なフォルムをした白っぽい光のランプだった。人気のあるデザインらしく、店員の説明にも熱が入っている。
店員の話をハナからあまり聞いていなかった俺は、隅の方でオレンジ色のあたたかい光を放っている、球体のランプに目が行った。
あいつ、みたいだ。
一人きりの部屋の端々へと入り込んでくる影を振り払えるかもしれない、と思いながらそのランプを購入した。

電気をつけないままの暗い部屋に入り、新しく買ってきたランプを机に置いてスイッチを入れた。
「お、良いじゃん」
球体のランプは暖かい光を部屋じゅうに投げかけている。ふと、自分の姿が影になって壁に映っていることに気がついた。影絵ができそうだ。親指と中指と薬指の先端を合わせ、人差し指と小指を立てた。
壁に踊る一匹の孤独なキツネ。
そういえば影絵で遊んだな……。
あいつが光であるならば、影絵は俺たちの恋模様だろう。俺はその影絵を投影するための手だ。俺が形を変えることでしか、俺たちの恋愛には変化が起こらなかった。あいつはいつも優しく、眩しくて……。
「いかんいかん」
感傷にひたるのを押さえようと、俺は頭をおおげさに振った。
もう別れたんだ、関係ない。と自分に言い聞かせる。

冷やしておいた缶ビールを冷蔵庫から取り、俺はベランダへ出た。猫の爪のような月が、控えめに輝いている。
思えば、最近影にばかり気を取られていたような気がする。突然の影の介入にいら立ったことも、自販機の影も、二人の影絵も、どれも振り払おうと、気を取られ続けていた。しかし、光がこの世にある限り影はそこにあり続けるのだ。
「影はどこまでもついてくる、ってな」
あの恋を、忘れられないでいる自分を少し許せるようになった。

恋模様

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「影(陰)」をテーマにしました。彼女を振って孤独になっている社会人の青年のウツウツとした日常です。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-29

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