心像放映
溝口の話。
身内用です。
タイトルは米津玄師様より。
うちは金持ちだったらしい。そう気づいたのは小学校の頃だ。私立小学校に通っていたわけでもないが、小さな事柄が私の立ち位置を自覚させていく。
例えば、服。一桁の年齢にしては可愛げのない服装だった。あの頃は当たり前だったし、不思議に思ったこともなかった。そう考えるとあの日「溝口さんって地味な服きてるね」と言ってきた後ろの席の女の子は随分頭が良かったのだろう。
例えば、家。私は社交的な子供ではなかったので__最低限に人付き合いはするがきゃっきゃとした子ではなかった__友達の家に遊びに行くようなことは、それこそ小学校6年生までなかった。行ってみたところで思ったことは、
「狭い」
だ。口に出さなかっただけ良かったのだろう。口に出していたら次の日から学校で何されるかわからない。
ランドセル一つだって、飾り気がない代わりに生地は良いものだった。他の子のランドセルを背負ってみるとそれがわかる。シールも貼らなければ落書きもしなかった。今思えば、つまらない小学生時代を過ごしたものだ。
中学生をある程度過ごしてから、祖父が死んだ。祖父母に可愛がられていた私だったのでもう少し悲しむかと思っていたが、存外平気だった。ごめんねおじいちゃん。なぜ悲しくなかったのか。今も隣に居てくれている、そう信じていたからだろうか。
私は祖父が居なくなったことが一番重要な出来事だったのに、家族は、親戚は、皆遺産の話をしていた。十四とそこそこの餓鬼が遺産の話をここまで聞くことになろうとは。これはどうするか。売り払うか受け継ぐか。そんな話がされていた。難しいとかわからない以前に興味がなかった。山が売り払われようが私道がビルになろうが知ったことではない。
しかし、とある二つの遺産に対しては違った。
母が「ここは売りましょうか」と一枚の写真を提示した。金の話に飽き飽きしていた(なぜ部屋に戻ろうとしなかったのかは覚えていない)私が少し気になって身を乗り出した。その写真は、随分古そうな廃校を写したものだった。
蔦が絡み、ヒビもところどころ伺えるオンボロなそれがどうにも素敵に思えて、親に待ったを出した。普通なら子供の話なんか間に受けるべきではないそのシーンで、何故か親は了承した。最近それを不思議に思って聞いたところ、あまり金にならなそうだったから、だと言う。
十四にして自分の土地を手に入れた私が入り浸っていたのは祖父の部屋だ。木と、畳と、人の匂いがする薄暗い空間は私のお気に入りで、暇あらばそこにいた。古い本が置いてあったから、読んだ。レコードがあったから、聴いた。私の幼少期を作った部屋だった。変わったのは、祖父がいないだけ。
十年余りを過ごしてきた部屋だったが、押し入れの中の大きな木箱は開けたことがなかった。生まれた時から既にあった、古びたアンティークの木箱だ。祖父が死んでから、重いそれを引っ張り出して開いた。その中身は私の目に、輝いて写っていた。
レトロが詰まっていた。
見たこともないような映像機器の数々である。
元々映画が好きだった。喋らなくてもいい空間、誰もが静かにするべき空間が好きだった。図書館も似たような理由で好きだった。
他人が見ればガラクタと笑いそうな一つ一つを、私は手に取って、ぼんやりと、
私は映画をとるべきなのだ。そう思った。
思わぬ形で手に入れた廃校に足を運ぶ。歩いて行けば一時間かかるかもしれない。自転車で三十分。しばらく漕いでいなかったマイチャリを走らせて蔦だらけの校舎に向かった。
大きくない学校だったが思ったより綺麗だった。虫が苦手なので助かる。窓ガラスも大きく、陽の光が差し込んでいていい所じゃないか、売るなんて勿体ないとあの日の自分を褒めていた。その矢先だ。
「ひぃっ!!」
「!?」
曲がり角で相見えた私たちを運命と称するかは悩むところである。
「……誰?」
「もっ、もしかして持ち主さんですか!?」
「持ち主さん……そう、持ち主さんだけども」
なぜ慌てる。いや待て、こいつ侵入者じゃないか。自覚があるから慌てているのか。気づいたが、私は気にしていなかった。長い間放置していたところに人が入っているのはなんら不思議なことではない。
「私は溝口京。ここの持ち主になった。でもずっと放ったらかしだったから、貴方を責める気は無いよ。突然来てごめんね。」
わたわたとポニーテールを揺らす彼女だが、落ち着いたようで一度大きく深呼吸してから自己紹介を始めた。
「内田れんです! えっと……一年前くらいから居座らせてもらってます! すみません!!」
「い、いいよ。」
「ごめんなさい! ジュース飲みます?」
「え? ……なにそのえぐいタイトル……」
高めの声で名乗った内田というこの少女。腰に届きそうな程長く綺麗な黒髪と快活な表情が特徴的だ。正直な性格なのだろう、動きから見て取れる。
握りしめた読み上げたくもならないタイトルのジュースについて、これ美味しいんですよーと語る。ここまで口に入れる前から嫌悪感を顕にさせる飲み物もなかなか無いのではなかろうか。凄く似合わない。
その飲み物よりも、右手に握られた紙の束の方が気になった。螺旋が入っているし文字も書かれている。何だろうか。
「なぁ、それ……」
「わーっ!」
遠ざけられる。
「恥ずかしいので見ないでください!」
「えー」
「笑うでしょ!」
「えー、見せてくれよ。笑わないから」
「……笑ったら怒りますからね!」
ジュース飲まされるよりはいいか、と思いつつ笑う気はなかった。ひったくるようにしてから読む。これは……
「プロット?」
「! わかるんですか?」
「あぁ。あ、こっち絵コンテじゃないか。すごいな。」
「ホントですか!」
私映像が好きで! いつか映画が撮りたいなって思ってるんですよ! 話とか世界観とか想像するのが大好きで、でも別に私が考えたのじゃなくてもいいんですとにかく携わりたくて! 最後のスタッフロールに自分の名前が流れたらなぁっていつも考えるんです。誰かに見てもらって、拍手を貰いたいんです。私の夢なんです!
嬉嬉として語る内田が輝いて見えた。きらきらと、星の瞬き。ほの暗い中で、内田の目は夜空みたいにきらきらしていた。
「それなら」
どうしてだろう? あの日あんな言葉が出てきた理由は、長い間考えてきたけれどわからない。自分にはできる、どうしてか確信していた。家に何でも揃っていたわけじゃない。時間が有り余っていたわけでもない。出会って四半刻と経っていない内田によく言ったものだよ。
「一緒に映画を作らないか?」
唐突の誘いに案の定内田は狼狽えた。すぐに答えを出すことに躊躇っている。
「そんな、急ですね! 楽しそうですけど……」
「映像機器なら揃ってるんだ。買い足しの費用はこちらが出せる。私自身、撮りたくてきたんだし」
「でも……」
「わかった。それならお前がここに不法侵入していたことをうちの親に伝えよう。警察にも通報してやる」
多分、今私はにたにたと笑っているのだろう。想像したくもない。
内田は悩んでいた顔をただ真っ青にさせていき、わたわた、手や足を動かす。
「もうそれ選択肢ないじゃないですかぁ!」その通りだ。
「自分に不利な行いをした罰だと思え。よし、これでお前は……」
そこで気づく。この活動に名前が無い。
なにせ今突拍子もなく考え出された活動だ。あるはずもなければ、すぐに思いつきもしない。
「む……映画制作会、ムービー……」
私が名前で苦慮しているのに気がついたのか顔を上げ、一度遠くを見たあと、こちらを向く。
「フィルムクラブ、でいいじゃないですか」
何でもないことのように少し笑いながら言った彼女に私は、これからに対する不安を見事に払拭された。
どうやら、今にも取り壊されそうになっていたおんぼろの廃校の影に隠れてしまっていた逸材を見つけることに私は成功したようだ。
「よし。じゃあ、フィルムクラブ一号内田、よろしくな」
手を差し出す。歯を見せて笑いながら、彼女はその手を握った。
*
「まず必要なのは人数だろう」
「え、機材は?」
「なんとかなる。この学校に残っている放送器具も入れれば、充分事足りるだろう」
そうですね、と内田。実際この学校の構造等における把握は彼女の方が長けていた。一年くらい居座っているらしい。
長い黒髪が動く度に揺れるのを眺めていると、何やらすらすらとペンを紙の上に走らせているようであった。私が与えた白い紙だ。
「何してるんだ?」
「人を呼ぶならまずポスターですよ!」
「ポスター」
「私これでもイラストなら得意なんです、お任せ下さい!」
これでも、というより、まさしく、ではなかろうか。そういったことが得意そうだ。私も絵をかくことは好きだがデザインとなるとなかなか違う。
特に下書きもせずボールペンやマーカーペンを使い分けて描いていく様は手馴れているように見えた。広報、美術担当なんかがいいかもしれない。
溝口さーん、ゆるい声が掛かる。
「人きたら何するんですか?」
「何って、撮るのさ。映画を」
「じゃあいっぱい人が必要ですね」
「まぁ、な。キャストは寄せ集めたりもなんとかなるが、機材を扱えるようになるには時間が要る」
「人の目を惹かないと!」
やる気スイッチの入った内田を眺めつつ、持参したインスタントのコーヒーを飲む。思ったより熱くて、舌を痛める。
まだ一つ悩み事はあった。今後の資金、そして協力者。
これだけのことは子どもだけでは出来はしない。それは能力的なものではなく、成人していないという事実である。例えばロケをしたり、何かをレンタルしたり、場合によっては大人の名前が必要になる。
さて。
私はスマートフォンの電話帳を開き、親という最も身近で最も難関な大人に受話器を取った。
*
暑いので、クーラーをつけた。費用の問題は何とかなった。条件付きだが、今の私には人手以外にそこまで不安がない。なんとかなる、と思っている。
内田の持ってきたぬいぐるみには〈ジョン万次郎〉と名付けられた。薄い茶色の、柔らかいぬいぐるみである。常に内田の膝に座り、彼女の体を温めていた。
「新入りさん、来ませんかねぇ」
「急いでも仕方が無い。ホームページの開設にはまだ時間がかかりそうだしな」
「ネット社会ですからねぇ」
とはいえど、通れば必ず目に入る張り紙というのはやはり効果が違うはずだ。近隣の学校や町会にもお願いしたし、これで誰も来ないというのは……
ドアがノックされた。二人して飛び上がる。私はパソコンの前に座ったまま、お前が行け、と口パクで内田に命令し、内田も渋々ドアを開けに行った。
「はぁい」
ドアの向こうに立っていた二人のうち一人に、見覚えはあった。
「黒澤じゃないか!」
「! 溝口……成程、あんたが主催だったんだね。俺は黒澤陽向。こいつは後輩の宮川。よろしく」
「宮川優祐です。宜しくお願いします」
相変わらず黒色と灰色の境のような髪を目にかけて、笑う。黒澤は中学二年の始まりで転校した、元同級生である。宮川は緊張した面持ちで頭を下げて、手を前で結んだまま上げた。
二人にこの活動の概要を伝える。貼り紙を見て来たという。映画を撮る、というので参加したいと思い赴いたらしい。大方そうだろうが……しかし凝り性で有名だった黒澤となると、良いようで悪いような問題が浮上する。
「よろしく。溝口京、ここの責任者だ」
「内田れんです! フィルムクラブ一号!」
「じゃあ俺らは二号と三号?」
「そうなるな。宮川だったか、気張らないでくれ。そんなにキリキリやっている場所でもない」
「あ、は、はい」
物腰柔らかで優しそうな顔をしている。狐みたいな猫目の黒澤はそんな宮川を随分可愛がっているのだろうか。元々、こういう場に友人を連れてくるような人間だとは思わなかったが。
疑問を感じとったのか黒澤が言う。
「何ね、所謂映像研究会の後輩なんだ。今の学校なかなかいいよ。人が多いから、部活も多い」
「いいね。しかしこのフィルムクラブには人手が足りなさ過ぎて、企画の話すらできやしない」
そう聞いた黒澤は意外そうにしてから、残念だ、と呟く。
「あんたの事だからてっきり、伝を当たってがんがん呼んだのだと」
「協力者はいても加入者はそうそういない。ましてや、同年代だとね」
「そうかい。じゃあ、スカウトしかないね」
加入者をひたすら待っていた私には、考えてもいなかった言葉が耳に届いた。
「スカウト?」
「そうだよ。こいつだな、って思ったやつに声をかければいいんだ。恩を着せても、脅したっていい」脅した経験はあるな。「何をしてもいいから機会を逃すな」
「なるほどな。盲点だった」
「そうと決まっては、街を歩いてみたらどうだい? 俺は内田君にここを案内してもらおうかな」
「えっ」
「それはいい。内田、頼んだよ」
「あっ、えっ、わ、わかりました!!」
「じゃあ宮川も内田君についていこうか」
「はい」
スカウトの旅に出る。太陽は青い空の天辺から、嫌に私を照らすので、黒い帽子と白のカーディガンを羽織ってから、錆び付いた金属製のドアを開けた。
「あのビル、高くていいな。あれだけの高さが倒れたら大分迫力がある……爆破するのは駅周辺がいいなぁ。人が逃げていく様はリアリティを描きやすいし、あぁそうだ、酒瓶が倒れる様子なんかも生活の中の異常が明確に」
「ちょっと君」
何かをぼそぼそと、いや、はっきりと口に出している青年が街を巡回していたのであろう警官に声をかけられ振り向く。
フォーンの色をしたセンター分けと眼鏡が、夕焼けの逆光の中で訝しげな顔とともにこちらを見た。
「なに物騒な事言ってるの。まさかとは思うけど、犯罪に関わってるんじゃないだろうね」
「はぁ? そんなんじゃなくてだな、特撮の……」
「少し気になるから話を聞かせてもらう。一緒に来なさい」
これはピンチか、センター分け君。
本来なら見捨てて巻き込まれないように帰るつもりだった。だけど、彼の口から出た"特撮"の単語は私の足の向きを変えるには事足りている。
「そいつ、私の連れです」
警官の肩を叩いて言った。振り返った警官は、連れとはどういう意味であるのか暫しの間思案した後、止めて、そうか、と返した。
「この子いつもこんななの?」
「え、あぁ、口癖みたいなものじゃないですか。気にする必要は無いかと」
「そうか……何か不審なことがあったら、すぐ通報を!」
「はい」
お勤めご苦労様です、心の中で挨拶をして軽く頭を下げると、警官は自転車に乗ってちりんちりんとここを後にした。
センター分け君は頬を膨れさせてから、私の顔を見てずかずか歩いてきて、目の前で腕を組んで止まる。
「助かったよ、ありがとう。まったく礼儀の無い警官だなぁ」
「お前が物騒なことを人に聞こえる大きさで口に出しているのが悪いんだろう」
「何を言う。見てみろ、ここからの眺め」
高台のここから見える街並みは、確かに綺麗で、夕日から燃え上がる街を想像するのは、特撮好きなら有り得るのかもしれない。
いいところだな、と呟くと、そうだろう? と彼は得意げに。
「あのビルをなぎ倒すんだ。怪物が。大きな船が落ちてきてもいい。日常が前置きのない何かでぶち壊される。そこで混乱しながらも打開案を練りに練る。一つの非日常は確かにファンタジーだけど、そこから描き出されるのはリアリティに溢れるものなんだ」
手を広げて、オレンジ色の街並みに言う。
目線の下では電車が人を乗せて走っていて、デパートやスーパーが照明をつけ始めていた。商店街を行き交う人間が子供から大人に入れ替わっていく。似たような形のマンションが軒を連ねて、街を造っている。
彼はこちらを振り返って、言葉の感想を求めているようだった。私は口を開く。
「名前は?」
「名前? 本多幸輝。好きなものは特撮だよ」
「一緒に映画を作らないか?」
「お、粋な口説き文句だね」ちょっと意味のわからないことを口にする。「いいよ」
「え」
「だから、いいよ。とはいっても活動場所や頻度、費用によるかな。まだ僕も子どもだし」
私たちはまだ子供だけれど、行動力なら大人に負けない。行動のために努力する心持ちだって、負けてない。
活動内容などについて説明すると、彼は快く了承した。本多という人間は内田に輪をかけて変人だが、物事を広く見るという観点において類を見ない力を持つ。そう感じた。
*
本多が加入してからというもの、備品が増えた。ほぼ彼の趣味だ。黒澤はあまり誰かの趣味が出張った装飾を好まなかったが、本多に直接言うことは無かった。
棚に増えていくマグカップがフィルムクラブの人数を示している。今、五人。各々の個性が光るカップの隣には紙皿と、幾ばくかのお菓子、紅茶やコーヒー。それと、ティーポット。
拠点は最早居住地になりつつあった。寝泊まりしている人間はいないが。
「第一回企画会議の結果、フィルムクラブ最初の作品は脚本が本多、演出が黒澤で異論無いな?」
「なーし」
内田の大きな返事に頷いて、パソコンにカタカタと打ち込む。予定をねらねばならない。あと費用か。機材、確認しておかないと。
「それにしても、溝口さんの家ってすごいですね。活動費用全部そこから出てるなんて」宮川が儚く笑いながら言う。
「あぁ……言っても、活動にはそこまで金がかからん。CGや舞台セットに力を入れればかかるがな。維持費や、機材は揃っていたわけだしそこまでかかってない」
数字を管理するのは苦手だった。本当に嫌いなので、支出した際のレシートだけノートに貼り付けて、時間の空いた時に計算する。したところで、出ていく金は内田が何となく作った小道具たちの素材だ。
「二人とも、どんなものにするかを大体話し合っておけ。宮川と内田は新しく買ったカメラの使い方を指南するからこっち来い」
宮川は正直、カメラが天才的にうまかった。天才ってオーラが薄いのが難点だが、ポイと与えたカメラで学校を撮ってこい、と命じたところ滑らかなカメラワーク。黒澤曰く、彼は映像研究会では美術担当らしいがそれは配役を見誤っている。黒澤の性格では適材適所を重んじるとは考えにくいが。
「起動とシャッターはいいな。レンズが少し違うんだ、ここのズームで……」
時間は進み、時計の針も回る。人が増えてきたからこそ起こる問題に対して、私は無頓着過ぎたのかもしれない。
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