ハレルヤなんてさようなら

Scene1 銃弾《ブレット》なんてさようなら

  ***

 荒野を渡る街道を、一台のオープンカーが走っている。
 思いっきり風を浴びている搭乗者は、だったら乗らなきゃいいのにというほど吹きつける風に苛立っていた。
「ポンコツ渡しやがって!」
 無駄だとわかっていても髪を撫でつけずにはいられない。
 搭乗者は若い男である。若いといってもサングラスをしているので顔はよくわからない。
 ただそのなびかせた黒髪と、臙脂のシャツから覗かせる艶やかな肌が、男の若さを物語っていた。
 男は忌々しげにセンターパネルのボタン――幌の張りだす絵が描かれている――を押した。
 しかしガリガリと音がするばかりで何の変化もない。
 連打していると、ボタンは転げ落ちて、座席の下へ消えていった。
「今度あったらタダじゃおかねえ!」
 照りつける日差しは、容赦なく降り注ぐ。
 果てしない荒野には、陽を遮るものなど何もない。
 ビビッドレッドの塗装は底抜けに明るく、とても目立つ。
 だが搭乗者のほうは、その険しい顔もあいまって暗い印象をあたえていた。首から下げている十字架(ロザリオ)も年代物で陰気である。

 総じて『陰険』という言葉が似合うこの男の名は、ノエル・グロリア。その名のとおり、試練()から愛される栄光(グロリア)を授かっていた。

  ***

 行商が立ち往生しているのを認めて、ノエルは車を停めた。
 運搬用の馬が、暑さでへばったようである。
 フードを目深に被った行商が、ひたひたと近付いてきた。
「水を売ってくれねえですケェ?」
 行商はすまなさそうに言った。
「行商が水を切らすなんて、何かあったのか?」
「賊ですケェ。一番安ィ水の袋を捨ててェ、逃げてきたんですケェ。」
 そういうと行商は銀貨を1枚、ノエルに差し出す。
「安ィといっても、乾いたトコじゃあ高く売れますケェ。」
 だがノエルは金を受け取らずに、
「おれはすぐ次の街に着く。好きなだけ持っていくといい。」
 とトランクを開けた。
「ありがてえですケェ。」
 行商はトランクから水の入ったタンクを下ろすと、まずは桶に水を張る。それから自分のコップにも水を注いで、ぐびぐび飲み干した。
 馬のほうも水の匂いを感じたのか、ゆっくりと立ち上がる。
 そこで――馬だと思っていたものが少し違っていたことに気付く。
 普通の馬よりも足が太く、鳥のかぎ爪のようになっていた。
「なんだ、『バグ』だったのか?」
 ノエルは行商に声をかけた。
「へえ。こいつだけじゃねえですケェ。」
 行商が目深に被ったフードを取り払うと、湿った肌があらわれた。
 こちらは両生類といったようなぬらぬらした肌で、目玉も飛び出している。
「あんたも『バグ』だったのか。」
「これも神サマの思し召しですケェロケロケロっ!」
 行商は耳まで裂けた口を、ぱっくりと開けて笑った。

  ***

 起こるはずのない出来事。
 常識から逸脱してしまった事象。
 そうした『不具合』の総称を、『バグ』と呼んでいる。

 『不具合(バグ)』はいまや世界中に広がっており、珍しいものでもなくなっている。むしろ『不具合(バグ)』が起きることが常態化してしまった世界、といったほうがいい。
 人生に何が起こるかわからないように、世界にだって何が起こるかわからない。
 ある日突然に『不具合(バグ)』が目を覚ますという事態も、こうして常態化してしまえば、さして不思議でもなくなっていた。

***

「ところで旦那。厚かましいついでに、もうひとつお願いがあるんですケェ。」
 行商がやや馴れ馴れしく話しかけてきた。
「お願い……」
 ノエルは顔をひきつらせる。
「へえ。あれですケェ。」
 行商は東の空を指した。
 遠くに小さく、飛行船が浮かんでいるのが見える。
 飛行船は底部からチカチカと、規則的な光を放っていた。
「EMラジオですケェ。聞かせてもらえねえですケェロケロ?」
「なんだ、そんなことか。」
 ノエルはほっと胸を撫で下ろすと、コントロールパネルの『EM』ボタンを押した。
 ダッシュボードに設置されている、卵型の金属球が点滅をはじめる。
 飛行船から発信される電波を、この端末が受信しているのであった。端末の形から、(embryo)の頭文字を取って『EMラジオ』と言われている。
「ミカたんのファンなんですケェ。あの声を聴かねえと、一日やる気が出ねえんですケェ。」
 光がおさまると、車載スピーカーから陽気な音楽があふれ出した。
 行商は、すぴすぴすぴぴぴぴ、と鼻息を荒くしている。
 音楽に続いて、今度は景気のいい女声が聞こえてきた。

『みなさぁん、こんにちは! というわけではじまりましたー、ミカと父ちゃんの〈マジカレード・タイム〉! お相手はミカこと、ミッチー・カイラスと』
『父ちゃんこと、ラガー・サイビエスでお送りいたします。』
『はあい、お願いいたしますー。さてさて、父ちゃん』
『はいはい、ミカちゃん』
『先週に続きまして、パニッシュドーナツの私だけの食べ方! ミカ的にはお湯でふやかしてソースをつけて食べるってのがマイフェバでしたが、もう一通お便りが届いたのでご紹介しまーす。ペンネーム「町工場のオネエちゃん」からいただきました。「オネエ」ってのが意味深ですねー(笑)! 
 パニッシュドーナツの私だけの食べ方!
 「氷砂糖といっしょにミキサーで砕く!」
 おぉ~ワイルドかつスウィート――――』

 この牧歌的ラジオに、ノエルは少し気分が紛れた。
 荒野に車を停めて、のんびりと風を感じるのも悪いものではない。
「あっしも、お便りを読んでもらったことがあるんですケェ! 『カエル商人』って言うんでケェロケロ!」
 行商はうっとりと、ミカたんの美声に聞き惚れていた。

Scene1 銃弾《ブレット》なんてさようなら  その2

  ***

 行商と別れてほどなく、アヴァルスの街が見えてきた。
 山間部に囲まれた海辺の街は、豊かな水資源と開かれた港によって栄えている。
 白壁のまぶしい居住区も景観がよく、穏やかであった。
 買い物袋を一杯にして歩く若い女性。
 犬を連れ歩く青年。
 道路に椅子を持ち出して編物をする老婆。
 窓越しに声をかけあう奥様方。
 広場はかけっこに興じる子供たちの甲高い声にあふれている。ベランダには植物が茂り、中庭(パティオ)の池は水をたたえていた。

 そんな中、路地を徐行するノエルは――人々の笑いの種になっていた。
 風にかき乱された黒髪が、巻き貝のように逆立っていた。
「まずは宿だな。」
 とっととシャワーを浴びるべきだろう――
 気にしないフリをして衆人環視を抜けるノエル。
 腹の内では悶々と、車を手配した者への恨みを募らせた。

 ノエルは、ボードゲームに熱中するふたりの老人に、宿を知らないかと尋ねた。
 老人は盤上から少しも目を離さずに、道を指差した。
「ありがとよ、じいさん。」
 老人は黙ったまま、サムズアップでこたえた。

 しばらく進んでも、しかし宿らしき建物は見つからなかった。
 居住区を抜け、中心街も抜けると、やがて倉庫が立ち並ぶ一角まで来た。
 海に程近いここは、人気もなく閑散としている。
「見落としたか? にしても――」
 ここはまずい。
 人の少ない場所というのは災難(トラブル)の温床である。
 受難者体質のノエルにとっては早々に立ち去らなければならない場所である。

 だがそんな予感をあざ笑うかのように、巨大な石門が姿をあらわした。
 朱や金で装飾された、けばけばしい石門は、〈龍華街〉の入口を示している。
 そこは移住者たちによって築かれた、異人街。
 法治が行き届かず、不法滞在者や犯罪者のねぐらにもなっている。
 あたりは次第に祭りの喧騒に包まれていった。
 どうやら月に一度の闇市を開催中らしい。
 通りは怪しい商人や観光客であふれてきた。
 青や黄の旗が吊るされ、派手な龍のハリボテがそこかしこに置かれている。
 ここまで来たらもう引き返すことはできない。
 龍華街というのは一度入り込んだら、街を抜けなければ出られないようになっているのだ。
 だが、本通りは闇市で通行不可である。
 ノエルは気が進まないながらも、裏通りへ回るほかなかった。

   ***

 くたびれたビルに挟まれた、薄暗い路地。
 ここは移民たちの居住区であるらしい。
 そこかしにゴミや段ボールが堆積しているせいで、車の通れるスペースはかなり狭く、ゆっくりとしか進めない。
 頭上には幾本ものひもが張られ、黄ばんだ洗濯物がぶら下がっている。
 バシャっという水音が聞こえてきた。
 誰かが窓から排水でも捨てたのだろう。
 衛生観念の欠落した裏通りは――不穏であった。
 立ちこめる悪臭も、屋根がなければ防ぎようがない。
 焦燥に駆られるが、スピードも出せない。
 滅入る気持ちを少しでも紛らわせようと、ノエルはセンターパネルに手を伸ばした。
 EMラジオの牧歌さを取り戻したかったのである。
 だが、そのとき――

 手がボタンに触れる前に、ラジオがひとりでに起動した。
 ミカたんの可愛らしい声が、車載スピーカーから爆音(・・)であふれ出した。

『はっじまぁるよ~~~~~!!』

 静かな路地に、響き渡るミカたん。
 途端――銃撃音があたりをつんざいた。
 ノエルの頭上へ粉砕されたガラス片が降ってくる。 
「あ?」
 ノエルの口から気の抜けた声が漏れる。
 ノエルはアクセルを踏み込んだ。
 間一髪、ガラス片は後部座席を引き裂くに留まった。
 しかし銃撃音は鳴り止まず、ノエルの頭上には次々とガラス片が降り注ぐ。
 スピードを上げて突っ切りたいのだが、散乱したゴミのためにそれができない。ハンドルとアクセルで、なんとか自分の身だけは回避していくノエル。
 ガラス片に刻まれて、光沢を失っていくビビッドレッド。
 頭上からは男たちの怒声が聞こえてくる。
 だが声も銃撃も、ノエルに向けられたものではなかった。
 左側のビルの4階付近で揉め(トラブル)があり、そのとばっちりに会っているようだ。
「だぁああああ! 屋根ええええええ!」
 ノエルの悲痛な叫びは、しかし銃撃音にかき消される。
 EMラジオからは、軽快なジャズが流れっ放しになっていた。
 ビルは内部がつながっているのか、ガラスはのべつまくなし降ってくる……

 ようやく路地の出口が見えてきた。
 表通りは日当たりも良いようで、ここからは輝いて見える。
「あと少し!」
 出口付近はゴミも少なく、思い切りアクセルを踏めそうだ。
 ノエルがそう思ったとき、4階の窓から何かが飛び出した。
 逆光でシルエットしかわからないが、人影のようにも見える。
 その影は――ノエルに向けて発砲してきた。

 パスンっ!

 軽い銃声に、ノエルは思わずブレーキを踏んだ。
 金切り声を上げて急停車する赤い車。

「っ……!」
 弾は当たっていない。だが――
 ノエルはハッとして空を見上げた。
 ビルに挟まれた細長い空は、青々としている。
 その中を、洗濯ひもがぶらぶらと揺らめいていた。
 
 どうん!

 騒音とともに車が激しく揺れる。
「ひゃっ――ああっ!」
 女の声がして、またも車が揺れた。
 ノエルが振り返ると、後部座席は大量の洗濯物に埋め尽くされていた。
 その洗濯物の中から、2本の足が生えている。
 突き出たそのあでやかな足は、やはり女のようである。
「だ、大丈夫か?」
 呆気に取られながらも、ノエルが声をかける。
 しかしそんなノエルの鼻先に、洗濯物から生えてきた拳銃(ハンドガン)が突きつけられた。
「助けてくれる?」
 顔は埋もれているが、その眼光はまるで闇夜の猫のように、洗濯物の奥からこちらを見据えているのがわかった。
「それはお前の願いか?」
 ノエルは、何か場違いにも思える言葉を返していた。
 しかし女のほうも平然と、
「そうね、わたしの心からのお願い、かな。」
 と返した。
 女がそう言うと――銃弾がボンネットに穴を開けた。
 ビルから頭を出した男たちが、短機関銃を手に銃弾の雨を降らせている。
 女は埋もれていたもう一方(・・・・)の拳銃を、男たちへ向けて撃つ。
 ノエルはアクセルを踏み込んで、まぶしい表通りへと飛び出していった。

Scene1 銃弾《ブレット》なんてさようなら  その3

         ***

「あ~、きっもちぃい~!」
 後部座席に陣取った女は、右手でノエル、左手で追跡車に狙いを定める二挺拳銃スタイルで、風に髪をなびかせていた。
 しかしノエルと違い、女のしなやかな髪は乱れたりしなかった。
 どんな強風にあおられても、さらさらと受流してゆく。
 ズダダダダと後方から銃声が響いて、リアバンパーが剥落していった。
 すでにテールランプは破壊され、バッグドアも取れかかっている。
「もっとスピードでないの?」
 後部座席に立っている女がぼやいたが、それはきっと逃げるためではなく、もっと風に当たるためだろう。
「あんた、いったい何やらかしたんだ?」
「ノン、ノン。」
 女は銃を突きつけたまま、人差し指を左右に動かした。
「わたしはアンナっていうの。アンナ・E《エマ》・クロニクル。」
「そうかいっ!」
 ノエルがおもむろにハンドルを切る。
 いままで走っていた車線で手榴弾が爆散した。
「あなたは?」
「あ?」
「名前。」
「おれはノエルだ。ノエル・グロリア。」
「あら、素敵な名前ね。」
 アンナの銃弾が追手の擲弾筒(グレネードランチャー)を叩き落とす。
「あなたって不愛想な人?」
「銃を向けられて、愛想もなにもねえだろ。」
「あははは、そうよねっ」
 などと悠長に笑っている。
 追手はまだ5台ほど続いている。
 外見は黒塗りの高級車だが、すべてアーマード化された装甲車となっていた。
 タイヤもフロントガラスも、アンナの銃弾では歯が立たなかった。

「おれを解放する気はないんだな。」
「いま出ていったら、挽肉(ミンチ)にされちゃうよ。」
「巻き込まれた『被害者』なんだけどな。」
「裏通りにオープンカーなんて出来すぎよ。疑われて、ズドン。」
 アンナはノエルを撃つフリをした。あまり冗談にもなっていない。
「ただの偶然だ。」
「龍華街の裏通り《あんなところ》で、ノエルは何をやってたの?」
「宿探しだよ。」
「嘘くさーい。冗談は髪型だけにしときなよ。」
「これは好きでやってんじゃねえ!」
 ノエルは反駁しながら、ハンドルを切った。
 またも手榴弾が、道路で爆散する。
「用心棒の口でも探してた?」
「どうしてそう思う?」
「だってノエル、さっきから全部避けてるよ?」
 ノエルは敵の砲撃を、かわし続けていた。
「おれは……善良な一般市民だ。」
「ふうん。」
 アンナは躊躇なく、ノエルに発砲する。
 ノエルはぐいと首を傾けて、皮一枚でそれをかわした。
「あっぶねぇっ! なにすんだ!」
「ほら避けた。普通だったら当たってるよ。」
「そんなことあっさり言うんじゃねえ!」
「だって善良に見えないんだもん。」
 アンナはまじまじとノエルを見つめた。
 逆立つ髪、血のような色のシャツ、サングラス、ロザリオ……チンピラといったほうがしっくりくる。
「信用できない人からは、銃口(これ)はずせないよね。」
「だからって、撃っていいことにはならねえだろ!」
「大は小を兼ねるのよ。」
「いや意味がわからねえ!」
「転ばぬ先の杖! 濡れぬ先の傘! といってもわたしは、雨でも傘差さないけどねっ。」
「いや聞いてねえ!」
 太々しく返すアンナに、噛みつくノエル。
 こうして言い合っている最中にも、銃弾はひっきりなしに飛んできている。

「いいから早く、追手をなんとかしてくれ。」
「装甲が固いのよ。拳銃(ハンドガン)じゃ威力が足りないの。」
「装甲車に追われるなんて、何やらかしたんだ?」
「逃げきれたら、教えてあげるっ。」
 アンナは悪戯っぽくウィンクしてみせた。
「けっ」
 ノエルは気怠そうに、助手席のダッシュボードを開ける。
 そこには大口径六連銃(リボルバー)が一丁しまわれていた。
「ちょっとノエル、変な気起こさないでよね。」
「いいから、どいてくれ。」
 ノエルは片手に銃を取り上げると、後方へ構えた。
「わぁ、きれいな銃。」
  銃身に施された山羊の彫金が、陽光に照らされ浮き上がっている。
 ノエルは撃鉄を上げ、バックミラー越しに――
「……………」
 と小さく何かをつぶやいて、引き金をひいた。
 バォウン!低く鈍い銃声が響く。
 銃弾は、しかしむなしくも固い装甲にはじかれてしまう。
「残念。強装弾(マグナム)もダメみたいね。」
 だがノエルは気にも留めず、銃を助手席に投げ捨てた。
「罪過のない人間はいない。」
「え? 何か言った?」
「山羊は生贄にされたことを恨んでた、って話だ。」
「それ何の話?」
 アンナがそう返したときに、事は起こった。

 はじかれた銃弾は数十メートル先の街燈をかすめていた。
 ろくに整備もされず老朽化していた街燈は、すでに金属疲労の限界にきていた。
 そこへきて銃弾がかすめたものだから、そこからぼきりと折れ曲がる。
 折れた街燈は、先頭を走っていた装甲車にぶち当たる。
 街燈の襲撃に驚いたドライバーが慌ててハンドルを切ると、車体が傾いた。
 そのままバランスを崩して側面を地面にこすりつけながらグルグルと回転する。
 回転する装甲車からは手榴弾が転がり落ちた。そして後続車両の直下で暴発(・・)
 さらに次の車も、めくれ上がった大地にハンドルを失い、岩盤に激突した。
 こうして追跡車輌は次々と偶然の事故(アクシデント)に見舞われて――鎮静した。

「すご~い、全滅!」
「いまのうちに逃げるぞ。」
「ねえねえ、どうやったの?」
「おれは運がいいんだ。」
「奇遇! わたしも運がいいのよ。」
 そういうとアンナは屈託なく笑った。
 だが銃口は、いまだノエルに向けられている。
「……嘘は言ってない。」
「真実がひとつとはかぎらないわ。」
「けっ、たまんねえな。」

 ズタボロのビビッドレッドが街道を抜けてゆく。
 すでにアヴァルスの街は離れ、周囲にはまた荒野が広がりはじめていた。

Scene2 酒場《バッコス》なんてさようなら その1

  ***

 日の暮れかかるころ、ポークルムという小さな宿場町にたどり着いた。
 ここなら宿には困るまいと思っていたノエルだったが、アンナに先導されたのは、『パッション』という酒場であった。
「ノエル、お金持ってる?」
「はあ?」
 後部座席のヘッドレストに、女帝よろしく腰かけたアンナが訊いた。
 銃口はいまだにノエルを捉えている。
「なんだ、カツアゲか。」
 さすがにそろそろ苛立ってきたノエルが口を尖らせた。
「違うわ。貸してって言ってるの。」
「カツアゲはみんなそう言うんだ。」
「わたしはお願いしてるのよ。」
「また『願い』か……」
「食べなきゃ人は生きていけないのよね。哀しいけど。」
「全然、哀しそうにみえねえな――OK、わかったよ。」
「ありがとっ。」
 ノエルが渋々了承したのをみて、嬉しそうに車から飛び降りるアンナ。
 足取りは軽く、ノエルに銃口を向けながらも先に歩いていく。
 ノエルも仕方なく、アンナに続いて車を降りた。
 ログハウス風の酒場はまだ新築らしく、木の香りを漂わせている。
 店長の趣味なのだろうか、太い木が組まれた頑丈そうな店である。
 さらに入口には、やたら大きな立看板があった。

『安心明朗会計の店〈パッション〉
 当店では、次のような方の御入店をお断わりしております。
 ・ほかのお客様のご迷惑となられる方
 ・刺青を入れた方
 ・反社会的組織に所属しておられる方
 尚、ご理解いただけない場合は、強制排除といたします。
 何卒ご容赦いただきますよう、お願い申し上げます。』

 どこか物々しさを感じさせる語句である。
 すでにこの店からは情熱(パッション)ではなく、受難(パッション)のにおいが感じられた。
 だが荒くれ者の多い宿場町であれば、こうした気遣いも悪くない。
 注意書きはまだ続いていた。

『また、当店は「アンナ・E・クロニクル」対策店となっております。金髪二挺拳銃の女を見かけましたら、至急、店長までお知らせください。
〈店長 バックス・バルザザール〉』

――――

「おいアンナっ!」
 ノエルの声に、酒場のドアに手をかけていたアンナが振り返った。
「なぁに?」
「おまえ、何やらかしたんだ?」
「いちいち大げさなのよねー、ここの店長。」
「…………」
 なにか不穏なものを感じたノエルは、黙ってしまった。
 そしてそれは正しかったと、すぐにわかることとなる。

 パスン。

 入店早々、アンナは店長の耳たぶを撃ち抜いていた。
「ひぎゃっ!? あっ、アンナさん!?」
 驚愕する店長に、アンナは微笑みをもってこたえた。
「久しぶりぃ、バックス。元気にしてたぁ?」
 バックスと呼ばれた大男は、みるみる青ざめていった。
「お店もきれいになったのね。建て替えてからどれくらい経つの?」
「いえ……まあ……」
 耳を押さえながらおびえる店長。タンクトップからあふれるご自慢の筋肉が、見事にあわ立っている。
(見ろ、アンナだ!)
(あの土竜殺し(ワームキラー)?)
(実在したのか? 都市伝説だと思ってたぞ。)
 などと客が口々に囁きはじめる。
「ところでさあ、入口に目障りなものがあったんだけど――あれ何?」
「うっ……」
 窮した店長は、さらに顔をひきつらせた。
「困ってることがあるんだったら相談してよぉ。わたしとあなたの仲でしょう?」
「う……うぅ……」
「あ、わかった! 勘定(ツケ)が溜まってるのね。でも大丈夫。」
 そういってアンナは、入口に立ち尽くしていたノエルを指した。
「今日は彼が払ってくれるの。」
「恐喝されてるんだ。」
「余計なことは言わなくていいのよ、ノエル。」
 アンナが銃口でカウンターを指定するので、ノエルは仕方なく席に着いた。
「あ、アンナさん。お支払いはもう結構ですので……」
「そうなの?」
 店長は精一杯の声を、喉の奥からしぼり出す。
「本日は……お帰り願えないでしょうか……」
「え、気のせいかな? いま、わたしに帰れって言わなかった?」
「アンナさん……ハアハア……お帰りを……ハア……ください……」
 過呼吸のようになりながらも、絶え絶えに言葉をつなぐ店長。
「バックス……表の看板はあなたの意志なのね?」
「そうです……あれはわたしらの意志です……」
「へえ。」
「頑張れバックス……頑張るんだ……わたしはこの日に向けて……厳しいトレーニングに耐えてきたんじゃないか……」
 伏し目がちだった店長が、勃然、自身にエールを送りはじめた。
「ようやく建て直したこの店を……また破壊されるわけにはいかないんだっ!」
 店長は歯を食い縛ると、3つのカクテルシェーカーを両手に構えた。
「アンナさん、見ていてください!」
 店長はシェーカーをキッチンに叩きつけると、カウンターに並べてあった酒瓶を次々に注いでいった。
 それが終わるとすべてのシェーカーに蓋をして、おしぼりできれいに水分を拭き取った。
「これがわたしの高次元シェーカーです!」
 カウンターに並んだ3つのシェーカーを、目にも留まらぬ速さでシェイクしてゆく店長。
 ときには1つ、ときには2つ、ときには3つ同時に、巧みな技でかき混ぜていった。
「おおぉぉ!」
 美技を披露する店長に、アンナは目を輝かせた。
「わたしはついに発明したのです。数種のアルコール、プロテイン、ステロイド、テストステロン……それらを精緻にかき混ぜることによって、『バグ』に似た現象を人為的に発生させるカクテルの作り方を!」
 店長は3つのシェーカーを、巨大な銀盃に注いだ。
「これがわたしの、バグ・オブ・バックスだっ!!」
 盃に黄緑色に発光する怪しい液体が満たされた。
 店長はそれを両腕で掲げて、ぐびぐびと飲み干した。
「ノエル聞いた? バグ・オブ・バックス(不具合なお酒)だって!」
「これじゃあただのバグ・オブ・バックス(変なオジサン)だな。」

Scene2 酒場《バッコス》なんてさようなら その2

  ***

 フン! と鼻息ひとつ鳴らすと、店長はカウンターを飛び越えてホールに降り立った。
 そして奇声を発しながら〈ダブルバイセップス〉を決めた。
 それは上腕二頭筋を強調する、ボディービルダー特有のポージングである。
 すると、もともと肉厚であった店長の筋肉が、さらにもう一回り大きくなる。
 続けて〈アブドミナル&サイ〉〈サイドトライセップス〉〈ラットスプレッド・バック〉など数々のポージングを極めながら、全身の筋肉を拡張してゆく。
「くふう~~どうですかアンナさぁん。これがわたしの真の筋肉(トゥルーマッソー)です。もう昔のわたしとは違う! いまやわたしの肉体は弾丸さえも弾くのです!」
 筋肉で釣り上げられた笑顔で、アンナをねめつける店長。
「ごきげんよう。」
 望み通りにアンナが銃撃を加える。
「きええぃ!」
 店長が気合いを入れると、弾丸は厚い胸板に少しだけ食い込んで止まった。
「ふはあっ!」
 さらに掛け声ひとつで、弾丸は押し返されて地面へ落ちた。
「これであなたは手も足も出ないっ! 大人しく帰っていただきますっ!」
 誇らしげに筋肉を見せつける店長。
 だがアンナは微笑みを手向けると、天上に向けて撃った。
 吊るしてあったシーリングファンのコードが切れて、店長の脳天に直撃する。
 ふぎぃっ、と声にならない声を上げて店長は倒れた。
「バックス、もういいかしら? わたしたちお腹空いてるの。これ以上やるんだったら、機嫌が悪く(・・・・・)なるから、そのつもりでね。」
 優しく語りかけたアンナに、伏したままビクッとおびえた店長……
 しかし、いささかの逡巡ののち、ふたたび立ち上がるとまたも奇声を発した。
「きええええぃぃ!! バグ酒があれだけだと思ったら、大間違いだぁっ!」
 店長はポケットからリモコンを取り出して、ボタンを押す。
 すると壁掛けの大きな一枚絵が落ちて、扉があらわれた。
 扉を開けると、中には酒樽が積まれていた。
「残念でした、アンナさん。今日は商工会の打ち上げをやっていたのです!」
 店長がそう叫ぶと、居合わせた客が一斉に立ち上がり、揃いの法被を羽織った。
「いきますよ!商工会青年部のみなさん!」
『おぉー!』
 掛け声とともに青年部会員たちは樽を取り出して、天蓋をハンマーで叩き割る。
 強烈なにおいが漂う酒を、手際よく柄杓で注ぎ分けていった。
『乾杯ー!』
 活気あふれる青年部会員たちは、一気にバグ酒をあおる――
 かくして、アンナはむくつけき大男たちに取り囲まれてしまった。
「そんなもの飲んで、将来ハゲても知らないからね。」
 アンナは腰のホルスターに拳銃をしまうと、指の関節をボキボキ鳴らす。
 ようやく銃口から逃れたノエルだったが、そんなノエルに、
「逃げたら撃つねっ。」
 とアンナは冷ややかに言い放った。

 青年部会員の肥大した手が伸びてくる。
 アンナはその手を握り返した。
 互いに手と手を取り合う、力比べの形となる。
「握り潰してやらァァァ!」
 大男に押されてズンと沈み込んだアンナだったが――
 アンナは涼しい顔をしていた。
「じゃあ次はわたし。」
 アンナは大男の両腕つかんだまま、ひねり上げる。
「にぃぃぃ!?」
 大男が悲鳴を上げたがもう遅い。
 アンナは大男をぶん投げた。
 地面に打ちつけられた大男はあっさり失神してしまう。
「力比べだったら、わたし負けたことないの。」
「ふぬぉぉぉ!!」
 雄叫びとともに、青年部会員は次々とアンナに飛びかかる。
 しかしアンナはそんな男たちを、ちぎっては投げ、事もなく蹂躙していく。
 投げられ、極められ、折られた青年部会員は、あえなく消沈となった。
「あら、もう終わり?」
 アンナがふうと一息つくと――どこからか声が響いた。
『ふっふっふっふ……』
 含みを持ったいやらしい声は、店内のスピーカーから流れているようであった。
 そういえば、店長の姿がない。
 青年部会員とやり合っているうちに、姿をくらましたようである。
『アンナ! いや、アンナさん……』
 染みついた恐怖は拭えないのか、マイク越しでも呼び捨てにできない店長の声。
『今日という今日は、一滴も飲まずに帰っていただきます。』
 ファンファーレが鳴り響いた。
 壁がせり出てきて、隠し部屋が開かれる。
 おそらくこの店は、店長が対アンナ用に改築しまくったのだろう。
 壁の中からあらわれた店長は、妙な機械を身にまとっていた。
 それは強化外骨格(パワードスーツ)の一種で、より攻撃に特化した武装外骨格(アームド)と呼ばれるものである。
「それ、軍事品? よく手に入れたね。」
『あなたに勝つためなら、ローン地獄も怖くない!』
 武装外骨格(アームド)。それは『神の遺物』という希少なオーバーテクノロジーを利用した兵器である。
 市場に出回らない逸品を、関係者に横流しでもしてもらったのだろう。
 店長が脚部のリニアキャタピラーを空転させると、キュインキュインと轟音が上がった。
『鍛え上げられたわたしの肉体を、肉の弾丸として射出する!』
「えっと……つまり『突進』ってこと?」
『わたしの思いを届けるには、これしかないっ!』
 店長はすでに泡を吹き、目を血走らせていた。
 バグ酒の影響だろうが、これでは狂人、いや狂犬、いや狂猪である。
『わたしがこうなったのもォッ、あなたのせいだぁァッ!』
 キャタピラーが地面に触れると同時に、高速射出される店長。
 アンナがひらりとかわすと、直線上に倒れていた青年部会員たちが吹き飛んだ。
 さらにその激突は、もはや爆撃のように分厚い壁をえぐる。
 しかし店長は、その強靭な肉体に護られて無事であった。
「あーあ、またお店が無茶苦茶ね。」

 アンナが無邪気に笑うのを――ノエルは部屋の隅から眺めていた。
 こんなおかしな人たちの邪魔には、絶対にならないでいようと、そっと隅に移動していたノエル。
 ことごとく砕けゆく、テーブルと椅子。
 粉々になるグラスとビン。
 ぶちまけられる料理と酒の数々。
 突進する狂人と、宙を舞う大男たち。
 現実離れしているゆえに、むしろ幻想的にさえ見えてくる。
 さらに、それらを軽々とかわしてくアンナは、その金髪のせいか闘牛士(マタドール)を思わせた。

 ぱすん、ぱすん。

 アンナの銃弾が脚部の管にあたって、武装外骨格(アームド)から液体が漏れ出した。
 黄緑色に発色したそれは、どうやらバグ酒である。
 常にバグ酒を体内に巡らせる構造のようであった。
『ぬふォッ。アンナさん、熱い、熱いよォッ、これだァ、これだァッ!』
「気持ち悪いなぁ、もう。」
 この攻防にも飽きたのか、それとも空腹が限界を超えたのか、アンナは苛立ってきた。
『やっぱりわたしはアンナさんじゃないと燃えられない! それなのに、それなのに――』
 突然店長は、ノエルを指した。
『なんですかぁ! この男は!』
「へ?」
 ノエルの口から空気の漏れるような声が出る。
「別にいいじゃない。払ってくれるんだから、良い人よ!」
『良い人!? アンナさんの良い人!』
「陰険な顔してるけど、お金出してくれるんだから、良い人よ。」
『金持ちじゃなきゃダメなんですか! 所帯持ちじゃダメなんですか!』
 錯乱している店長には、もう何を言っても通じない。
『憎い。アンナさんと一緒に居られるなんて……憎い……』
 店長はゆっくりノエルへ向き直った。
『なんだその髪型はああああああ!!』
 狂人が、ノエルに向けて射出される。
「知るかーーーーーっ!!」
 絶叫のため、ノエルは身動きが取れなかった。
 あたりに爆音が轟いた。

Scene2 酒場《バッコス》なんてさようなら その3

  ***

 粉塵が店内の照明を乱反射させている。
 ふたたび、静寂が戻ってきた。
『ハハハハッ! わたしの勝ちだァァァ!』
 店長が勝鬨の声を上げる。
 しかし――

「……わたしの金ヅルに何やってんのよ――」
 不機嫌なアンナの声が、店長の顎下から聞こえた。
『!?』
 粉塵がおさまると、店長の前には壁でなく、人影があった。
ノエルの手前で、アンナが店長を受け止めていたのである。
『そんな――バカな……』
 愕然とする店長に、アンナは死を告げる(諭す)ように言った。
「いいこと教えてあげる。中途半端な力は身を滅ぼすのよ――バックス。」
『いぎぃぃぃ……』
 恐怖に包まれた店長は、さらに加速しようとキャタピラーを廻した。
 しかしアンナに押さえられた身体はそこからビクともしなかった。
『なぜだァッ! なぜだァァッ!』
 店長の喚声も、アンナの前ではむなしくこだまするだけである。
「アンナちゃん必殺ぅ……」
『ひ、ひぎゃあァァァッ!』
「上手投げぇ!!」
 上体をひねられた店長は、バランスを崩して射出され――
 きりもみしながら、脳天を地面に擦りつけて――
 気絶した。
「ふう。」
 廃墟と化した店内には、アンナとノエルだけが立っていた。
 アンナはノエルに向き直ると、
「さて、食事にしましょうか。」
 と、さらりと言った。

  ***

 その後、ノエルが見たものは――
 バグ酒の抜けきれない大男たちが厨房では飯を作り、ホールでは酒を注ぐという光景であった。店長がどこかから机や椅子を持ってきたからよかったが、もしなかったら大男たちが机や椅子になっていたかもしれない……

「「「またお越しくださいませぇ!」」」

 半壊した店の前に整列させられた店長と青年部会員たちは、清々しい笑顔を作らさせられ、満足げなアンナといまだ戸惑いを隠せないノエルを、見送らせさせられていた。

Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その1

  ***

 深夜。
 ようやくたどり着いた宿屋で、アンナは臆面もなく言った。
「ツインで。」
「ほほう、こんなべっぴんさんとご旅行なんて、妬けますなダンナ。」
 台帳係が軽口を叩く。
新婚旅行(ハネムーン)なのっ。」
 酒に酔って上機嫌なアンナは悪乗りをはじめている。
 カウンターの下で銃口を突きつけられているノエルは、黙るしかない。
「お熱いですな。ダブルも空いてございますよ。」
「それも良いわね? ノエルはどっちがいい?」
「おれはシングルがいい。」
 精一杯の悪態をつくノエル。
「小さなベッドで抱き合うのもいいわね。」
「そうゆう意味じゃねえ! 2部屋だ!」
「ほほほ、仲がよろしいですな。でしたらツインにしておきましょう。」
 なにかを誤解した台帳係は、にやにやと筆を進めていく。
「それからオジサン、もうひとつお願いがあるの。わたしたち『泊まってない(ノー・ステイ)』ってことにしてくれない?」
「おや、いわくつき(・・・・・)ですかい?」
駆落婚(ランナウェイマリッジ)よ。応援してねっ!」
「これはまたお熱い! ええ、ええ、応援いたしますとも!」
 気の回る台帳係は、明らかに偽名が書かれた宿帳にも、なにも言わなかった。
 部屋まで通されると、アンナは真白なシーツがピンと張られたベッドに身をあずけた。
「ふぃ~。」
 力を抜いて、ベッドへ沈んでいくアンナ。
 しかしその手にはまだ、拳銃(ハンドガン)が握られている。
 ノエルも自分のベッドに腰を下ろしてから、こう切り出した。
「それで――これからどうする気だ?」
「そうねえ、先にシャワー浴びていいよ。」
「シャワーのことじゃねえ!」
「ノエルひどい髪だよ? 絶対先に入ったほうがいいと思う。じゃないとわたし……笑っちゃう! っぷはははははっ! きゃはははっ!」
 爆笑をはじめたアンナに、ノエルは眉間にしわを寄せると、黙ってシャワールームへ入っていった。
 するとアンナも、そっとシャワールームへ近寄っていく。
 だがふたたび顔を出したノエルと目がかち合ってしまい、ハッとたじろぐアンナ。
「……おい。」
「な、なに?」
「まさかとは思うが……覗くなよ?」
「普通逆でしょ? それを言うの。」
「おまえならやりかねんと思って。」
「う……」
 目を泳がせるアンナ。
 ノエルは、視線を落としてアンナの拳銃に目をやった。
「そろそろ銃を下してくれないか? おちおち風呂にも入れねえ。」
「ん~……いまいち信用できないんだよね、ノエルのこと。」
「人の風呂を覗こうとしてたやつの言うことか。」
「だからそれは……その……」
 とやや口籠ってから、アンナはこう続けた。
「ノエルの正体を見てやろうと思ったの!」
「あ?」
「だってノエル、いまいち『人』って感じがしないのよ。」
「…………」
 これには、ノエルも窮してしまった。
「でも――こんなに巻き込んでおいて、さすがに(これ)はもういいかな。」
 アンナは拳銃(ハンドガン)をゆっくりホルスターへしまった。
 信用とまではいかなくとも、人並みに感謝はしているようである。
「ふう。」
 緊張から解放されて、ノエルがひと息ついた。
「ほんと、ノエルって変人よね。わたしのお願いを聞いてくれるなんて、もう天使くらいしかいないと思ってたのに。」

――ゲホッ、ゴホッ、ゲホッ!!
 
 思わず咳込んでしまったノエル。
 アンナは、ふふふっと破顔すると、ベッドに戻った。
 ノエルは気まずくなって、そそくさとシャワー室へ逃げ込んだ。
 ノエルがシャワーから上がると、アンナは寝息を立てていた。
 酒場で大立ち回りを演じていたのと同じ人物とは思えないほど、あどけない顔で眠っている。起きているときは大人びてみえたが、こうしていると10代後半、20代になりたてといったところかもしれない。
「天使みたい……か。」
 アンナの直感はあなどれないな、とノエルは思った。
 ノエルは自分の愛銃を取り出して、ぼんやり眺める。
 ランプ灯がゆらゆら照らす銃身には、山羊のほかにも、〈H&G〉という文字が彫り込まれている。
 それは〈聖なる山羊(ゴート・ホーリー)〉の頭文字を取ったもので、田舎町のとある名工によって作られたものであった。
 そしてその名工も、かつてノエルに同じことを言ったのだった。
『ノエルって、天使みたいだね。』
 そういってはにかんだ彼女の顔は、いまでもノエルの目に焼きついている。

  ***

 アンナはその豊かな胸をタオルで包んだまま、大股でノエルの前を横切った。
「羞恥心とか無いのか?」
「ぷっは~~~、生き返る~~~」
 起き抜けのシャワーを浴びてきたアンナが、水さしをラッパ飲みする。
「デリカシーというか……これから先のアンナの人生が心配になるな。」
「ノエルはわたしのお母さんなの?」
 といってアンナは、ノエルの目の前でレースのパンティーを履いていく。
 ノエルは頭を抱えて、深いため息をついた。
「昨日会ったばかりだぞ。」
「そうゆうノエルこそ、可愛い女の子が横に寝ているのに夜這いもしないなんて。わたしの母国だったら『甲斐性なし』って、避難轟々ね。」
「おれは紳士(ジェントル)なんだ。」
「わたしだって淑女(レディ)よ。」
 アンナは鼻歌まじりに下着をつけ終えると、タオルをはずした。
 そのはち切れんばかりの肢体を、ノエルに見せつける。
「どう?」
「どうって、なにが?」
「きれい? って聞いてるの。」
淑女(レディ)は恥じらうものだ。」
「わたしが知ってる淑女(レディ)は、みんな派手な下着を付けてたわ。」
「どの界隈だ。」
貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)ですって。」
「クソババアども。」
「ノエル、口汚いのはよくないわ。」
 なぜだかアンナのほうが説教を垂れる。
「誤解してるみたいだけど、わたしは処女(ヴァージン)よ?」
「さっき『甲斐性』がどうとか言ってなかったか?」
「リップサービス。」
「どっちにしろサービスになってねえな。」
 とふたりが言い合っていると、ドアがノックされて、台帳係の声が聞こえた。
『おはようございます、旦那さま、奥さま。怪しい男たちが嗅ぎ回っておりました。お気をつけください。』
 恋の応援団となった台帳係は、黒服をうまく追い返したようだ。
「ありがとう。また来るわ。」
『再会できる日を、楽しみにしております。』
 そういうと台帳係はフロントへ引き返していった。
 ノエルが窓から外をうかがうと、たしかに昨日アンナを追っていた連中がうろついている。
「どうする、ダーリン?」
 下着姿のアンナが、楽しそうに顔を近付けてきた。
「まずは服を着ろ。」
「つれないなー、ノエルっ。」
「これだと、車は押さえられてるだろうな……」
 とノエルはぼやいたが、どのみちポンコツ車だったので惜しいとも思われない。
 次の車を用意してもらうまでだ。
「ここに立てこもって、やり過ごしてもいいんだけど。」
 アンナはベッドに倒れて、脚をくねらせた。
 本気だか冗談だか艶っぽく振る舞おうとするアンナだが、ノエルにはそれがセクシーギャグにしか見えず、とりあえず受け流(スルー)した。
「鼻がいい『バグ』もいる。あまり得策じゃない。」
「ちぇっ。」
 アンナがつまらなさそうに舌打ちする。
「地上がダメなら、天井だな。」
 ノエルは優雅にかしずいて、向かいの屋根を指した。
「空中散歩! ロマンティックぅ!」
 アンナは目の色を変えると、さっさと着替えを済ませた。

Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その2

  ***

 屋根伝いに移動していたノエルが、ふと足を止める。
「悪いが、ちょっと行ってきていいか?」
「行くって、どこに?」
 とノエルが指したのは煙草屋であった。
 辻の角にある煙草屋は老舗のようで、開け放たれたガラス窓の向こうでは、白髪の婆さんが座ってミカンを食べていた。
「ノエルって煙草吸う人?」
「そうじゃない。電話を借りたいんだ。」
 見るとガラス窓の前には、公衆電話が設置されている。
「応援を呼ぼうと思ってな。」
「仲間がいたの!?」
 すっとんきょうな声を上げるアンナ。
「そんなに意外か?」
「そうだよ! だって目つき悪いし、陰険だし、口も悪いし、なに考えてるかわかんないし、人付き合いも悪そうだし、組織とか向いてなさそうだし、独り言多いし――」
「わかったもう言うな。ツラくなる……」
 まだ出会ってから1日と経っていないのに、えらい言われようである。
 ノエルはうんざりしながら、苦し紛れにこう返した。
「ただの同僚だよ。」
「ふうん。『何でも屋』みたいなの?」
「まあ、そんなとこだな。――ふたりじゃ目立つから、おれひとりで行くよ。」
 ノエルは、非常階段へと飛び降りた。
「はあい。」
 アンナもすんなりと見送った。
 もしノエルが逃げたとしても追わずにいようと思った。
 けれどもとりあえず、待つだけは待ってみようと、アンナはその場に寝転んだ。

  ***

 あたりに追手がいないことを確認してから、ノエルは煙草屋のガラス窓を叩いた。
「ばあさん、電話借りるよ。」
「あいよ。」
 傷んだ白髪を後ろで一束ねにした婆さんが、不愛想にこたえる。
 ミカンに夢中で、一瞥もくれなかった。
 ノエルは慣れた手つきで番号を押すと、交換手を待った。
「――1059番地のユーリエル・カンヴァスを頼む。」
『少々お待ちください。』
 電話がつながるのを待ちながら、ぼんやりと店内を見回す。
 自宅の軒先を煙草屋に改装したというような店である。
 屋内店舗もあるようで、日用品や駄菓子が並んでいた。
 奥には居間があり、旦那らしき爺さんがクラムチャウダーをすすっている。
 と電話がつながり、開口一番のハイトーンが鼓膜に刺さる。
『あ~ん、も~ぉ、ノエルぅ~』
 高音域が、耳障りに感じられるのは、それが男声だからである。
『タイミング悪いよぉ~。ボクこれからお風呂に入るとこだったんだよ~。ほらノエルぅ、想像して、ボクはいま素っ裸だよ、あられもない姿だよ――』
「ユーリエル。用件だけ言う。黙って聞け。」
『ちょっとぉ。突然かけてきといて、扱いがひどくなぁい?』
 そんな男のぼやきも、無視して話を進めるノエル。
 この男が、ノエルの『協力者』のユーリエル・カンヴァスであった。
「車を用意してくれ。」
『え、もう廃車にしちゃったの!? ボク昨日渡したばっかりだよねえ? どうなってんのよノエルぅ! もっと大事に使ってよぉ!』
 受話器の向こうで好き放題わめくユーリエルに、ノエルは青筋を浮かべた。
「理由が知りたきゃ、助手席に乗せてやるよ。」
 これは不満と諦めをない交ぜにした、恫喝である。
『う……』
 ユーリエルも、これはこたえたようで、
『それはご遠慮願おうかな……ボクも営業(どさまわり)の経験がないわけじゃないけど……ノエルとの旅は別格ぅ。身体がいくつあっても足りねえっス。』
 としおらしくなる。
「だったらすぐに来い。いまポークルムって町にいる。」
『あの、これからお風呂に……』
「却下。」
『お化粧もしなくちゃ……』
「それも却下だ。いま、すぐに、こい!」
 しまいには語気が荒くなるノエル。
『はぁい……わかりましたぁ。』
 とユーリエルは渋々承諾した。
「またふざけた車持ってきたら、おまえをガソリンタンクに突っ込んでやるからな!」
『格好良かったでしょ? ノエルにはぴったりだと思ったんだ~!』
「ふざけんな! 屋根さえありゃ、こんなことにならなかったんだ!」
『ノエルの場合、関係ないと思うよ?』
「うるせえ! いいから早くもって来い。」
 ガチャン、と有無を言わせずノエルは電話を切った。
 とても気疲れのする相手である。
 ノエルはガラス窓を叩いて、煙草屋の婆さんに声をかけた。
「ばあさん、ありがとよ。」
「はいよ。」
 婆さんはここでようやく顔を上げた。
「あんれまぁ!」
 入れ歯が飛び出しそうなくらい大口を開ける婆さん。
「あたしゃ、あんたたちを見るなんて、久しぶりだよ。」
 まるで同窓生を見るような眼差しをノエルへ向ける。
「どこかで会ったかい?」
 ノエルがそういうと、婆さんはしたり顔で、
「わたしゃ『見える』性質(たち)なんだよ。」
 とノエルの肩口を指した。
「――いまは……仕事中だ。」
 察したノエルは、やや迷惑そうに返した。
「気をつけないとね。あんたたちがいるってことは、何かあるんだろう? そうだ、これを持ってお行き。」
 そういうと婆さんはミカンをふたつ分けてくれた。
「悪いなばあさん。」
 ノエルはミカンを受け取ると、辻を斜めに渡っていった。

  ***

 ポークルムの住宅密集地は、空中散歩に打ってつけだった。
 家と家の間隔も狭く、軽々と飛び越えることができる。
 おかげで追手にも見つかることはなかった。
 にもかかわらず、どこへ行っても数人の黒服が必ず待ち受けていた。揃いのスーツ、サングラス、腕時計、チーフ……なのですぐにそれとわかる。
 それだけ動員をかけているのかもしれないが、どこか待ち伏せされているような感触があるのだった。
 いよいよ不審に思いはじめたアンナがぼやく。
「わたしたち、泳がされてる?」
「そんなことはないと思うんだが……」
 黒服たちは血眼になって捜索している。
 そこにはったり(ブラフ)はないように思われる。
「鼻のいい『バグ』もいるって言ってたけど……それかな?」
「鼻のいいやつは、あくまで追跡しかできない。だが――」
 これは先回りである。
 となると、逆に答えはしぼられてくる。
「予知する『バグ』がいるってこと?」
「その可能性も、あるな。」
 あらゆることが起こりえる(・・・・・)可能性、それが『バグ』である。
「そうなってくると『不具合(バグ)』っていうか、『超能力(エスパー)』よね。」
「そういうアンナだって、超怪力(バグ)なんじゃないのか?」
「わたしは通常(ノーマル)よ。」
「おれには異常(アブノーマル)に見える。」
 ノエルの皮肉にも、アンナはあっけらかんとして、
「言ったでしょ? 運がいいだけ。」
 とこたえた。
「いずれにせよ――先回りされていたら応援と合流できない。」
「わたしが降りていって、あいつらを蹴散らしてこようか?」
 逃げるのが面倒になってきたのか、力でねじ伏せようという魂胆らしい。
「そんなことしたら、今度こそおれは逃げる。」
 ノエルは半眼で返した。
 乱闘ひとつで酒場を崩壊させた女である。
 繁華街でマフィアとやりあった日には――街が消し飛ぶかもしれない。
 そんな映像(みらい)が脳裏をよぎったのだった。
「それより、もっとスマートな方法がある。」
「何か考えがあるのね?」
 アンナは興味深々といった面持ちで、ノエルを覗き込んだ。
「相手が『予知』できるんなら――それを使わせてもらう。」
 ジャケットの下に着こんだホルスターから、ノエルは愛銃を引き抜いた。

Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その3

  ***

 ポークルムの東端に、この町の獣苑(じゅうえん)がある。
 そこは木々の生い茂る自然公園というべき場所で、そのまま背後の深山へと続いている。
 いわゆる、「気」の流れが集まるパワースポットであり、古来より土地の(ぬし)が住むといわれ、それゆえに『獣苑』と呼ばれている。こうした獣苑は都市ごとに存在している。
 その獣苑前の広場――そこは駐車場でもある――に黒塗りの車が十数台停まっていた。
 黒服に身を包んだ男たちは、無線機を片手に慌ただしく動き回っている。
 龍華街の支部を襲ったアンナ・E・クロニクルを、町から駆り出すために集められた〈クーザ・キルティ〉というマフィアの構成員(ギャングスタ)であった。
 その広場の一角。
 とりわけ大きなリムジンの中に、白い祭服に身を包んだ若い女が座っていた。
「おかしいですね……」
 車内の円台に広げられた地図を眺めながら、女がつぶやく。
「この町にいることは間違いねえんだ。慌てることはねえ。」
 女の向かいには恰幅の良いご老体が、深々と座っていた。
 しわの刻まれた厳めしい顔つきで、声もひどくしゃがれている。
「いいえ、コンマイトさん。なにか変なのです……」
「どこがどう変なのか、このご老体にもわかるよう説明できますかな? 司祭様。」
 司祭と呼ばれて、女はやや顔を赤らめた。
「司祭だなんて、よしてください伯父さま。いつものようにティナとおっしゃってください。」
「祭服の司祭様を呼び捨てだなんて、とんでもねえ。」
 老人は諭すように言った。
 恰幅の良いこの老人は、アレグラハム・コンマイト。
 暗黒街にその名を轟かす〈クーザ・キルティ〉のボスである。
 そして向かいに座る、白い祭服の女は、ティナ・フィバーチェ。
 彼女は(かんなぎ)の能力をもつ巫女であった。

「こちらに近付いている気がするんです。」
 ティナは気を取り直して、アレグラハムに言った。
「ほう。どれどれ。」
 アレグラハムは上体を起こして、地図に目を落とす。
 ティナは、地図にアンナの進路を指先で描いていった。
「この地点から、進路を変えて。そこから、このようなルートをたどって……いまこのあたりにいるようなのです。」
 ほうほう、と大きくうなずいてみせるアレグラハム。
「ゆっくりこちらに近付いているような気がするのですが……」
 指先の航路を見て取ったアレグラハムは、すぐに思いいたった。
「やつら屋上を移動してやがる。」
「えっ? そうなのですか?」
「まちがいねえ。」
 というとアレグラハムは運転手に指示を出した。
「やつらは屋上だ、払い落とせ。」
「かしこまりました。」
 運転手が車外に待機していた構成員(ギャングスタ)へ伝えると、情報はまたたく間に伝播していった。
「こちらの居場所が割れていると思うか?」
 アレグラハムがティナに訊いた。
「いえ、それはないと思います。精霊(ぬし)も穏やかですので……」
 だがティナは不安が拭えずにいた。
 それが、失敗は許されないという逼迫からくるものか、直感からくるものか……ティナにはいまひとつわからなかった。

 無線端末から指示を受けた構成員は一斉に屋上を見上げた。
 ある者は高台へ登って、眼下に屋根を捉えた。
 しかしどこにも、ノエルたちの姿を見つけることはできなかった。

 そのころアンナは、ミカンをふたつ、男に差し出していた。
 男は面食らい、動揺しながらも、震える手でそれを受け取った。

「え?」
 円卓の前に座っていたティナが、思わず声を漏らす。
「どうした?」
「いえ、その……」
 ティナは次の予測地点に驚いて、口籠ってしまった。
 この『予知』というのは、厳密にいえばティナがやっていることではない。
 (かんなぎ)の力をもって、獣苑の(ぬし)、つまり精霊と、心を通わすことにより、街に暮らす人々の『思い』を、精霊(ぬし)から教えて(・・・)もらっているのだった。
 そのため彼女たちの(かんなぎ)の力は、精霊魔術(ジニマギア)とも呼ばれている。
 その精霊の囁きによると、アンナが次にあらわれる場所というのが――
「ここ、に来ます。」
「あん?」

Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その4

  ***

 突如、大型バイクが獣苑前の広場へ繰り出した。
 金髪をなびかせたアンナが、黒塗りの車を目がけて飛び出したのである。
 慌てた構成員たちは、一瞬判断が鈍ってしまった。
 愛銃を構えて、後部座席にしがみついていたノエルが叫ぶ。

贖罪の山羊(スケープゴート)!」

 ノエルは広場に並んだ装甲車に向けて、発砲した。
 その激しい反動(リコイル)も片手で受け止め、全弾打ち尽くした――

 広場には『偶然(アクシデント)』が次々と舞い降りる。
 倒木、水道管の破裂、地盤沈下、埋没不発弾の炸裂……などなど、どれをとっても起こりえないはずの事態(ふこう)が、連鎖的に発生していった。
 構成員たちは、何が起こっているのか理解ができないまま、不幸に絡め取られていく。

 ノエルとアンナは、その光景をたしかめもせずに、走り抜けていった。

            ***
 
 混沌となった広場へ、アレグラハムとティナが降りてきた。
 ふたりが乗っていたリムジンは、この惨劇の中でも無傷であった。
「司祭様がいてくださって助かった。」
 惨状を見渡しながら、アレグラハムが礼を言う。
「そんなわたしは何も……」
「不運というのは贖罪だ。代価を払わぬ者が受ける。その点――司祭様は禊を済ませていた。」
 死線を潜り抜けてきたアレグラハムには、この事態が何によって惹き起こされたのか……わかっているようであった。
「いいえ……わたしは生きていることが罪なのかもしれません。」
 ティナは哀しげな顔でうつむいてしまう。
「だが……これは、『不運』だけでもないらしい。」
 アレグラハムは、構成員たちに目を向けた。
 みな気を失っているものの、命には別状がないようである。
「加護か……厄介者を敵に回したようだ。」
 アレグラハムは厳めしい顔を、さらにしかめた。

  ***

「いまいちわかんないんだけど、どうしてあそこがわかったの?」
 バイクを乗り回しながら、アンナがノエルに訊いた。
「やつらがおれたちの『行きたいところ』に先回りするんなら、行先を『予言者のいるところ』にしたらいい。」
「ん?」
「おれたちは黒服を追えば、予言者へたどり着けるってわけだ。」
 つまり黒服たちを案内役にしたということである。
 そして予言者を叩けば、先回りをされることもなくなる。
 とはいえ、そこに敵の拠点があったのは、ノエルにとっても嬉しい誤算であった。
 これでしばらくは、連中も追ってこれないだろう。
「ニワトリが先か、タマゴが先かってこと? ――やっぱりわかんないわ。」
「予言なんてそんなものさ。」
 そう無責任に言い放つと、ノエルは銃をしまった。
「つーかさ、このままバイクで逃げてもいいんじゃない?」
「返して差し上げろよ、店長(バックス)に。」
 無慈悲なことを言い出すアンナを、ノエルはたしなめた。
 このバイクは、酒場(パッション)店長(バックス)の自宅から巻き上げ……もとい、ミカンを(かた)に借用したのである。
「へいへい。」
 アンナは生返事でこたえると、エンジンを噴かせた。

Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その1

  ***

 ポークルムの北西、またも荒野へと続く町はずれの街道沿いに、今度はビビッドイエローのスポーツカーが乗り捨ててあった。
「はぁ……」
 ノエルは頭を抱えた。
 いちおう天蓋(ハードトップ)はあるが、またしても派手である。
 鍵はシートの上に置かれていた。
 おそらくユーリエルが用意した車はこれだろうが――
「あいつのセンスはなんとかならんのか。」
 なぜこうも派手な車を手配するのか。嫌がらせでなかったら、悪趣味だと思わざるえない。
「たったあれだけの時間で、こんな車を調達できるなんて、さすが『何でも屋』ね。」
 アンナは素直に感心している。
 だが、当のユーリエルの姿が見当たらない。
 突然呼び出されたことに、腹を立てて帰ってしまったのだろうか?
 アンナは気にもかけず、早々と車に乗り込んだ。
「うん、内装は素敵よ。」
 と助手席に居座るアンナ。
「おれが運転するのか?」
「無免でよければ、わたしがやるけど?」
 にべもなく答えるアンナに、ノエルはぎょっとした。
「ちょっと待て、じゃあさっきの二輪は!?」
「そりゃあ、乗るのは簡単よ。」
 乗るのは簡単。ではいったい何が難しいのか? 
 考えるまでもない。法規(ルール)という概念(じょうしき)だ。
「免許なんて、いらない制度だと思うのよね、わたし。」
「わかった、おれがやる。」
 やや食い気味にノエルが言った。
 ノエルの受難者体質(トラブルシューター)以上に、アンナは問題児(トラブルメーカー)なのだろう。
 だとすれば相性は抜群ゆえに最悪。
 ノエルに残された道は、できるだけ被害を最小限に抑える努力をするということだけである。
「そろそろ理由を教えてくれないか?」
 運転席に腰かけたノエルは、エンジンをかける前にそう訊いた。
 アンナは少し考えてから、
「そうねぇ……」
 と腰のベルトに巻き付けられたポーチを開けた。
「これよ。」
 取り出したのは、小さな(はこ)であった。
 茶色くくすんでいて、幾本も筋が入っている奇妙な匣である。
「なんだよこれ。」
「さあ、わかんない。」
「わかんない?」
 まだ冗談を言っているのかと苛立つノエルだったが、アンナは平然としていた。
「ホントにわからないの。そのへんにあったもの適当につかんできただけだから。」
「はあ?」
 理解ができなさすぎて、正気を疑うノエル。
 それじゃあアンナは、こんなわけのわからないもののために命を狙われているというのだろうか?
「だからわたしも、コレで追われてるのか、単なる腹いせなのか、わからないのよねぇ。」
 そのアンナの口振りといったら――近くにため池があって夏場は蚊が多くて困るのよと、親戚と雑談している主婦のように――日常的であった。
 つかみどころのない女だと思っていたが、ここまでくるとただのバカかもしれないとも思えてくる。
「でも『キューブ』って言ってたから、出すとこに出したら良い値がつくかも。」
「あてはあるのか?」
 ノエルは頭を抱えながら訊いた。
「わたしも、仲間に会いに行こうかな。」
「よく人のことが言えたな、アンナこそ仲間がいるように見えないぞ。」
「あら、わたしの仲間は大勢いるのよ?」
 自信に満ちたアンナの微笑みに、ノエルは怪訝な顔をした。

Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その2

  ***

 またも荒野。
 『バグ』により、大地まで『再編』されてしまったこの世界では、都市周辺は荒野や森林に覆われていることが多い。
 果てしなく続く変わらない景色は――眠気を誘う。
 暢気なアンナは、すでに寝息を立てている。
 昨晩と変わらず、眠っている姿はあどけない。
 起きているときはハチャメチャで、寝ているときは無垢なんて子供みたいである。
 しかし時間が止まったかのように退屈な移動ならば、眠るのも仕方がないかもしれない。
 だが――
 数時間が経ち、ようやくノエルも異変に気がついた。
 いくら車を飛ばしても、景色がまったく(・・・・)変わらないのである。
 『景色が変わらない』というのは、普通は比喩であって、変わらないように見えるほど似たような景色が続いているということであるが、いまノエルが目の当たりにしている景色は、文字通りに『何も変わらない』のであった。
 いや、詳細に言えば、『何も』ではなかった。
 空に浮かぶ雲。
 普段であれば、気ままに風に流されてゆくあの雲が――少しずつ引き延ばされている。
 棍棒で延ばされるパスタ生地のように、いびつに延びていくのだ。
――これは『再編』なのか?
 この現象を説明するには、『バグ』以外の答えが見つからなかった。
 ノエルは車を停める。
 風は凪いでいる。
 それなのに、空の雲ばかりがじわじわと延びていく。
 いや、延びていくというよりは――
「延ばされている?」
 物理的に延ばされているのか、それとも時間をいじられているのかわからないが……異変のただ中にいることは間違いないようだ。
 アンナに声をかけたが起きる気配がない。
 そういえば、空間が引き延ばされているのに、ノエルたちが無事であるのもおかしな話であった。
 もし『再編』に巻き込まれたのであれば、車やノエル自身にも影響が出ているはずである。『再編』は自然災害と同じく、人を選んだりしないからだ。
 だが――自分たちは無事で、その周辺事態のみが変異しているとなると、これは――
「おれたちを中心に起こっている?」
 何者かが、意志をもって、ノエルたち目がけて天変地異を起こしているということであった。
 そしてそんなことが可能である者など、ノエルには思いいたらない。
 いや、神サマであれば可能かもしれない。
 しかし、神サマがわざわざあらわれて、こんな回りくどい啓示するとも思えない。
 そうやってノエルが潜考していると――
“くひひひひひっ”
 ノエルの耳元に女の囁き声が聞こえてきた。
“やっと気が付いたのぉー? ちょっと遅すぎぃー”
 ノエルは見回したが、声の主はいない。
“わたしを捉えることができないってことは、あんたたちの知覚って、人間(ひと)と同じくらいなのね。もうちょっと期待してたんだけど”
 心が読まれているかのように、声だけが響いてくる。
「あんた『たち』だと?」
 ノエルが虚空に向かって叫ぶと、荒野に砂粒が集結した。
 こんもりと砂山が築かれると、今度は風もないのにさらさらと砂が流されていった。
 砂の中には、男がひとり残されていた。
「ふええええ、ノエルぅ……怖かったよぉぉぉぉ」
 おいおい泣いているその男は、ユーリエル・カンヴァスである。
 淡いエメラルドの髪をゆさゆさと揺らしているのは、砂で成型された縄で、きくつ縛られているからであった。
「……おまえ捕まってたのか?」
「暗かったよぅ、狭かったよぅ、怖かったよぅ、暗かったよぅ、狭かったよぅ、怖かったよぅ、暗かったよぅ、狭かったよぅ、怖かったよぅ……」
 トラウマを負ったようで、会話にならないユーリエル。
“うろちょろされると目障りなのよね”
 また声が聞こえると、車のボンネットに砂粒が結集した。
 砂山が消えると、小さな女の子があらわれた。
 全身を植物の葉のような衣服で覆っている、年端もいかない少女である。
 短い髪には、植物の弦で編みこまれたレースが結びつけてあった。
「わたしは繊細にできてるの。」
 少女は挑発的に、ノエルを睨みつけている。
「心当たりがないな。人違いじゃないのか?」
()違い? よく言うわ。」
 少女はボンネットからぴょいと飛び降りると、大地へ消えた。
 そして空間転移でもしたかのように、ユーリエルの背後へ地面から飛び出してきた。
「言ったでしょ? 繊細にできてるの。あんたたちが人間(ひと)かどうかくらい、すぐわかるわ。」
 少女が両手を広げて、空中で何かをつかむ仕草をする。
 すると少女の手から虚空へ砂粒が侵食してゆき――
 砂の陰影がそこにあるはず(・・・・)のものを描き出していった。
 ユーリエルの背後に、大きな翼があらわれた。
「ひぃぃぃ!? ノエルっ! はやく助けてぇぇぇ!」
 翼を鷲づかみにされたユーリエルが悲鳴を上げる。
「ユーリ、長い付き合いだったが――いざ別れとなると――べつに寂しくもないな。」
「ちょっとノエル! なに別れの挨拶キメてんのさ! 命がけで助けなさいよぉ! じゃなきゃ恨んだり、祟ったりするからねっ! ちょ、ノエルぅ!」
 じたばた喘ぐユーリエルだったが、ノエルには返す言葉がなかった。
 目の前の少女には、どう足掻いても太刀打ちできないと感じていたからである。
 生命における階級(ヒエラルキー)があるとすれば、間違いなく少女はノエルの上位者であった。
「どうする? おにいちゃん(・・・・・・)。」
 そういって少女は悪戯っぽく微笑む。
 その生意気な口振りも、圧倒的優位からすれば当然かもしれない。
「ユーリ、最後に教えてくれ。こいつはいったい何なんだ?」
 ユーリエルは、震えながらもこたえてくれた。
砂蟲(サンドワーム)だよぉ! ちょっと、最後ってなんだよ!」
「サンドワーム? なんだそれは?」
「『バグ』によって発生した新種の生き物っ! 助けてぇ!」
「ふうん、知ってたんだぁ。」
 少女は意外そうな顔をしたが、驚いてはいない。
「実体化した龍みたいなものだよ助けて、龍は精霊体だけど助けて、砂蟲(サンドワーム)は実体を助けて持つ助けて生き物なんだ助けて助けて助けてぇ!」
 ユーリエルは補足しつつ懇願した。だが――
「悪ぃな、ユーリ。」
「へ?」
 少女がくいっと手を返すと、ユーリエルの右の羽がポキリと折れ曲がった。
「そんなあああっ!」
 哀顔で絶叫して、ユーリエルは気を失った。
 少女が手を離すと、翼を覆っていた砂も消え去り、そのままばたりと倒れ込んだ。

Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その3

「この子、うるさい。」
 少女は迷惑そうな顔をしている。
「許してやってくれ。喋ることが、そいつの生き甲斐なんだ。」
「あんたたちってみんなこうなの?」
「頼むから、おれとそいつを一緒にしないでくれ。」
「ほんとに? おにいちゃんは、わたしを楽しませてくれる?」
 というと少女は姿を消して、空中に(・・・)あらわれた。
砂蟲(サンドワーム)。まさに(バグ)ってわけか。」
「なにそれ、つまんなーい。」
 少女はブーイングを飛ばした。
「どうしておれたちに構うんだ。」
「言ったでしょう? わたしは繊細なの。」
 少女が寝転がって、指先をくるりと回すと、ノエルが立っていた大地が隆起する。
 あっという間に、少女と同じ目線に引き上げられた。
 ノエルは抵抗するわけでもなく、面倒そうに眉をひそめている。
 少女はノエルに顔を近付け、耳打ちするようなひそひそ声で語りかけた。
「あんたたち、地上の生き物じゃないでしょ。」
「ああ。」
「だから、あんたたちが近くにいると感覚が狂っちゃうのよ。」
「そうゆうことか。それは――悪かったな。」
「悪かった?」
 ノエルの足場が崩れ去った。
 自由落下してゆくノエル。だがそれでも抵抗しない。
 どうにでもなれ、なされるがままといった態である。
 そのまま地面へ激突するかに見えたが、大地がウォーターベッドのように柔らかく受け止めると、今度はそこに砂のビーチが築かれた。
 砂製のビーチパラソルの下、砂製のロングチェアに寝かせられるノエル。
 砂の海から水着姿の少女があらわれ、手を振りながら走ってくる。
「おにいちゃーん!」
 少女は勢いよくぴょんと跳ねると、ノエルにまたがった。
「悪かったって思うんなら、わたしと遊びましょう?」
「あ?」
 予想外の言葉に、ノエルの渋面が崩れる。
「わたしはミズカ。よろしくねっ、おにいちゃん!」
 というとミズカは、ノエルの胸に顔をうずめた。
「これはいったい何の真似だ……」
「へえ~、体温もあるんだ~。ほんとうに人間(ひと)と変わらないのね~」
「ちょっと待て!」
 ノエルはミズカを引き剥がして、上体を起こした。
「何が目的だ?」
「こうしてると、ほんとうに付き合ってるみたいよねぇ。」
 ミズカは、ノエルの首に手を回す。
 少女の短い手では、おのずと顔と顔との距離が近くなる。
「どぉ? おにいちゃん。女の子と触れ合う気分は。」
 見た目の年齢からかけ離れた、妖艶な笑みを浮かべるミズカ。
 だがノエルとて、精神まで屈服したわけではない。
 押し黙ったまま、迷惑そうに少女を見据えていた。
 そんなノエルに興ざめしたのか、
「……あーぁ、つまんない。」
 というとミズカはノエルから身体を離した。
「遊びに理由なんている? おにいちゃんって、ともだちいないでしょ?」
「おれたちが近くにいると、感覚が狂うんじゃなかったのか?」
「わたしは繊細なの。あんたたちに関する知覚を鈍らせるくらい、すぐにできるわ。」
 ミズカはいじらしげに、べーと舌を出した。
 そしてそっぽを向くと、まるで子供が拗ねるみたいに、地べたに座り込んでしまった。
 しかもそれは、拗ねた「フリ」ではなく、本当に「拗ねている」ようなのである。
「もしかして……本当にただの遊びで?」
「だから、そうだって言ってるじゃん。おにいちゃんの、バカ。」
「…………」
 ノエルは閉口した。
 おそらくそれに間違いはないのだろう。ちょっとした興味くらいで、空間をねじ曲げてしまえる力――それがこの砂蟲(サンドワーム)という新生種なのかもしれない。
 つまり、興味が湧いたから突っかかってきた、それだけなのだ。
 するともう機嫌を直したのか、ミズカは顔を上げた――
「と、いうわけで。おにいちゃんのことを、もっともっと知りたいの。」
「あ?」
 砂の戒めがあらわれて、ノエルの手足はロングチェアにがっちりと固定される。
「――!?」
「触れ合わないと、わかり合えないこともあるでしょ?」
 ミズカはいそいそと、ノエルの上着のボタンをはずしはじめた。
「や、やめっ……」
「うふふふ、じゅるり……」
 ようやく危機感を覚えたノエル。
 これは肉体でなく、精神へ響きそうだったからである。
「ゆ、ユーリで調べたんじゃないのか?」
 人身御供を差し出そうとするノエルだが、
「あっちは嫌。だっておもしろくなさそうでしょ? その点おにいちゃんは――」
 そう言ってノエルを舐め回すように見つめるミズカ。
「強がってる感じとか、嫌がってる感じとか、もう最高っ!」
 あらわになったノエルの肌に、ミズカは頬ずりをした。
 ミズカにとっては、最高の玩具を手に入れた瞬間であった。
「ひっ。」
 砂が集まって出来たとは思えない、柔らかな頬がノエルの身体を這う。
「み、ミズカ。もう一度よく話し合おう。」
「やっと名前で呼んでくれた! うれしいな、おにいちゃん。」
「わかった、何でも話す! だからはやまるなっ……」
「大丈夫。生体反応もゆっくり観察するからっ!」
 爛々と目を輝かせたミズカが、ノエルのベルトを緩めにかかる。
 ノエルの肌には、すでにミズカのよだれが垂れていた。
「じゅるじゅる……さあ力を抜いて、おにいちゃん。 優しくして、あ・げ・るっ」
 ミズカは、ノエルのズボンを下ろした――

Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その4

 ぱすん。
 
 ノエルの目の前で、ミズカはこめかみを撃ち抜かれていた。
 ミズカはそのまま砂と化して、ノエルの上へ崩れ落ちる。
 砂によって築かれていたプライベートビーチも、風に舞うようにさらさらと消えてゆき――もとの荒野があらわれた。
 ノエルの手足を縛っていた戒めも消えている。
 荒野には気を失っているユーリエルと、眠っているアンナ。
 そのアンナの手には、いま撃ったであろう拳銃が握られていた。
 乱れた衣服を正しながら、ノエルが車に近付くと――またもボンネットにミズカがあらわれる。なぜだか、ミズカも衣服が乱れている。
「あぶなっ! 興奮して本体の構成比率上がってたから、もう少しで死ぬとこだった!」
「たぶんこいつ、寝ぼけて撃ったぞ。」
「はあ!? あの精密射撃を寝ながらやったっていうの!?」
「まあ……そうだろうな。」
 アンナならば、それもあり得そうな気がした。
 興奮して膨れ上がったミズカの生体エネルギーへ向けて、無意識的に(・・・・・)発砲したとでも考えればいいのだろうか。
 まじまじとアンナを見つめていたミズカの顔が、青ざめていく。
「ち、ち、ち、ちょっとこの子もしかして、アンナ・E・クロニクルじゃない?」
「なんだ、知ってんのか?」
 ノエルの返答に、バッと散り散りになると、距離をおいて集積するミズカ。
「さきに言いなさいよ!」
砂蟲(サンドワーム)のミズカが、人間相手におびえることないだろう。」
「アンナは、わたしたちの天敵なの。」
「はあ?」
 またしても気の抜けた声が漏れる。
「人間の個体差なんて、見分けられるわけないでしょっ!」
「おまえたちは繊細な生き物なんじゃなかったのか?」
「あーガッデム。アンナがいるなんて迂闊だったわ。」
 ミズカは、ノエルを睨みながらさらさらと消えていった。
 それは「あなたが言わないのが悪い」という責任転嫁の視線であった。
「さようなら、おにいちゃん。もう二度と会わないでしょうね。わたしも二度と会わないよう気をつけるから。アンナと一緒に、わたしたちのいないとこで好きにやってね。」
「おい、ミズカ……」
 完全に姿を消してしまったミズカ。
 あとは声だけが響いてくる。
“おにいちゃんのこと――忘れない”
「死ぬ前提で話すな!」
“んー……がんばって”
「なんだその投げやりな応援はっ!」
 しかしミズカの声はもう聞こえなかった。
 ちょっと待て――いま『天敵』って言ってなかったか?
 おれが手も足も出なかった相手を、蹂躙したとでもいうのだろうか?
 いやいやそんな――――
 答えのみえぬ沈思黙考のなか、引き伸ばされていた雲が、逆再生されるように縮んでいった。
 やがて縮みきると、ゆっくりと風に流されてゆく。
 痩せた大地から細い葉を突き出している草々も、風に揺られはじめた。
 荒野が息を吹き返していた。
 途方に暮れていたノエルだったが……しかし暮れたからといって、どうにかなるものでもなかった。
 なんだかバカバカしくなって、ノエルは考えるのをやめた。
 とりあえず地面に伸びているユーリエルを、後部座席に叩き込む。

『バカになれ、とことんバカになれ。』

 いつかどこかで聞いた格言を、ノエルは思い出していた。

Scene5 陰謀《プロット》なんてさようなら その1

  ***

 ミズカに捕えられているあいだに2日が経っていた。
 それがわかったのは、クリプタの町に着いてからである。
 町はすでに休息日を迎えていて、ノエルたちと曜日の間隔がズレていたのだ。
 敬虔な町であれば、店が1軒も開いていないというのが、この休息日である。
 やはりクリプタでも、飯屋を探すのに手間取ってしまった。
 目を覚ましてからすっかり意気投合したアンナとユーリエルは、ノエルにはお構いなしに盛り上がっている。
 店を見つけるあいだも、なんとか食堂を見つけてからも、テーブルに座ってメニューを眺めていても、料理を待つあいだも、皿が並んでからも、ふたりの会話は止むことがなかった。
 ノエルはまるで婦人会に参加してしまった主夫のように、漫然と眺めていた。

「ユーリ、帰らなくてもいいのか?」
 居たたまれなくなったノエルが、ぽつりとつぶやいた。
 しかし口元マシンガンになっていたユーリエルには、火に油を注いだだけであった。
「なにノエル! ボクにまた砂蟲に捕まれっていうの!? あんな思いは二度とごめんだね! ってかさノエル、ボクのこと見捨てたよね? 普段ボクがどれだけノエルに尽くしてるかわかってる? ボクがいなかったらノエルなんかいまごろ、むしられて野良猫みたいにニャーニャー鳴きながら、雨にそぼ濡れてるところだよ? だいたいねえ、折られちゃったから、帰りたくても帰れないのっ! そりゃボクだって帰れるものなら帰りたいよっ! でもねえ帰れないから困ってるんだよ! だれのせい? ねえこれって誰に当たったらいいのかなボクは!」
「ああそうだな……」
 疲れ果てたノエルは、生返事をするのがやっとであった。
「ユーちゃん大変だったね。わたしが起きてたら助けてあげたのに。」
「いくらアンナでも、砂蟲は無理でしょ?」
「よくわかんないけど、土竜ならやったことあるよ?」
「えっ!? 土竜ってなに!?」
「んー、砂漠を這うおっきな蛇って感じかな。ムカデみたいな足が生えててね。」
「きもちわるぅー!」
 いつの間にか矛先がずれて、ふたりで話し込んでいる。
 もう好きにやってくれ……
 思わず「ふう」と息をついたら、それにさえも食ってかかるアンナとユーリエル。
「ため息なんてついてどうしたのさ、ノエルぅ。」
「ノエルはただでさえ陰気なんだから、これで辛気臭くなったら、もう終わりだよ?」
 臨界点を超えたノエルは、疲労と諦めの入り混じった『解脱(アルカイック)スマイル』をふたりに返すと、窓外へ視線を転じた。
 すべての悩みを放置して、ぼんやり外を眺めると、食堂の喧騒もどこか遠い国ことのように感じられた。
 街路樹の優しい木漏れ日が、ノエルに降り注いでくる。

――ああ長閑。

 ノエルは向かいでわめき合うふたりを脳内から消し去り、独り優雅な食事を楽しむことにした。
 が――

『クソアマがぁ!!』

 野太い罵声が、それをぶち壊しにした。
 声は表の通りから聞こえてきたようである。
 と、ノエルが覗いていた窓に、女があらわれた。
 ローブ姿でフードを被った女は、ふと追手を振り返った。
 そのときに、窓ガラス越しにノエルと目が合った。
 ノエルには、フードの奥に女の顔が見てとれた。
 若くて、きれいな顔立ちをしているが、どこか凛々しさのある女だった。
『たすけてください。』
 ガラス越しに、か細い女の声が聞こえた。
 いや、聞こえた気がしただけだった。
 慌てていて声が出なかったのか、女はパクパクと口を動かしただけであった。
 女は、すぐに走っていってしまった。
 そのあとを、人買い風の男が追いかけていく。
 男女が去ると、まるでつむじ風でも通り過ぎたように、町に平穏が戻ってきた。
 だが……やはりノエルは席を立った。
 会話に夢中だったアンナとユーリエルは、小競り合いに気付かなかったようで、
「あれ? ノエルどうしたの?」
 と目をぱちくりさせている。
「ちょっと、便所だ。」
 そう言い残してノエルは食堂をあとにした。

  ***

「オラァ、捕まえたぞ! 手間かけさせやがって!」
 人買い風の男が、女の腕をねじ曲げる。
 その拍子に、女のフードが脱げた。
 女は苦痛に顔を歪ませている。
「二度と逃げる気の起きねえようにしてやる。」
 男は力任せに、女を壁に叩きつけた。
 だが壁にぶち当たる前に、ノエルの腕が女を支えていた。
「あ? 誰だてめぇは?」
 歯並びの悪い男が、唾を飛ばしながら突っかかってくる。
「通りすがりの紳士(ジェントル)だよ。」
 ノエルは男の神経を逆撫でした。
「気取ってんじゃねえぞ!」
 逆上した男がノエルにつかみかかる。
 だがノエルは、女を軽々と抱えてから、くるりと男をかわした。
 そしてそのまま、男の背中に蹴りをお見舞いしてやる。
 男はつんのめって、顔面から壁に激突した。
「うげっ!」
 ノエルは女を降ろして、
「ちょっと下がってろ。」
 と背後に追いやった。
「ヤロォ……そいつは商品なんだ、返してもらうぜ。」
 男は手で顔を押さえながら、立ち上がる。
 すでに男の腕時計にはひびが入っていた。
「おれもできれば関わりたくないんだが――」
 男が飛びかかってきたので、ノエルは蹴り一閃で男を地面に沈めた。
「『願い』を聞いちまったんだ。」
 倒れた男に背を向けて、ノエルは女に近付いた。
「どこへでも行くといい。」
 それだけいうとノエルは、立ち去ろうとした。
 だが、女はノエルの背中にすがりつき、またこう言ったのだった――
「たすけてください。」

Scene5 陰謀《プロット》なんてさようなら その2

  ***

「ノエルってどうゆう性格してるのぉ? ちょっとトイレに行ったら、女の子連れて帰ってきて、『それ誰?』って聞いたら『知らない。』だって。知らない? なにそれ。知らない女の子をどうやって連れてくるのさ? トイレで誘拐でもしたの? ノエルは変態なの? 変態さんなの?」
 ユーリエルにまくし立てられるも、ノエルには返す言葉がない。
 アンナもあきれたような半眼を向けている。
「ノエルってスケコマシだったんだ。とんだ紳士(ジェントル)よね。これからは色男(ドンファン)とでも自称なさったらいかが?」
 などと不名誉な暴言を吐かれる。
「いえ、あの――」
 ローブの女が割って入った。
「ノエルさんをお呼び止めしたのは、わたしなんです。」
「へー。」
「ふーん。」
 気のない返事をして、非難の眼は変わらずノエルに注がれている。
「できれば、みさなんにもお願いしたいのです。あの――」
 そういって女は、アンナに顔を近付けた。
 女のきれいな顔立ちに、同性のアンナでさえも一瞬ドキッとした。
「アンナ・E・クロニクルさんですよね?」
「ん? わたしのこと知ってんの?」
「もちろん存じています。アンナさんのご高名は、かねがね伺っております。」
「へえ。」
 アンナはすっと手を差し出した。
「はじめまして。えっと――」
「ティナです。ティナ・フィバーチェと申します。」
「ティナね。よろしく。」
 ふたりは力強く握手を交わした。
「それで、わたしたちにお願いって?」
「じつは――」
 ティナが語りはじめたその時に、4人の囲むテーブルにナイフが突き立てられた。
 料理を運んできたウェイターが、果物ナイフを突き刺していた。
『ぎぎぎぎぎ……ン』
 ウェイターは何か唸り声を上げている。
 目は虚ろで、だらしなく舌を垂らしている。
『みみみみ、みつけ――だ……ティナ・フィバーチぇ……』
 ウェイターの唸り声に――しかし、おびえたのはティナだけだった。
「ユーリ。なんとかしろ。」
「はぁい。」
 ユーリエルはウェイターへ手の平を向けた。
「わあ、ねじくれた術式。遠隔操作系だねぇ。ちょいちょいっと――」
 ユーリエルが空中で糸を引っ張るような仕草をすると、操り人形の糸が切れるように、ウェイターは倒れた。
「はい、一丁あがりっ。」
 倒れたウェイターに気付いて、別のウェイターが駆けつけた。
 彼は一言謝ると、介抱のため倒れた同僚をバックヤードへ連れていった。
「ボクは解析とか解術とかが得意なんだよね。はじめまして、ユーリエル・カンヴァスです。本名はウリエルって言うんだけど、あんまり可愛くないからユーリエルってことで。ユーリとか、ユーちゃんとかって呼んでね。」
「えっ、は、はいっ!」
 ユーリエルにまくし立てられて、慌ててしまうティナ。
「ティナちゃんって、変な術者にからまれてるの?」
「…………」
 アンナにそう訊かれると、ティナは黙ってしまった。
「遠隔操作系の術式だったけど、かなり手が込んでたね――あれ?」
 とユーリエルが、テーブルに突き立てられたナイフに目をやった。
「こっちにも変な術がかかってる。ちょっと待って。」
 とまた空中で糸をつかむ仕草をする。
「またまた変な術――」
 ユーリエルは指先を器用に動かして術を解いていく。しかしはたからみれば、空中で指先をくねくねと動かしているようにしか見えない。
「――あ」
 ピン、と甲高い音がして、ナイフがはじけた。
 その切っ先をティナへ向けて飛んでゆく。
 しかしノエルの右手がさっと伸びて、刃先をつかみとった。
「うっ」
 ナイフはノエルの手に少しだけ食い込んで、止まる。
 血がじわりとあふれてきた。
「ふう……」
 一瞬のうちに膨れ上がった緊張が、ゆっくり解けていく。
「ごめんよノエルぅ。術式そのものが罠だったみたい。」
 無理に解除しようとすると、ナイフが飛ぶ仕掛けだったらしい。
「ダメだ。毒が塗ってある。」
 ノエルは手を開いて、ナイフをテーブルへ捨てた。
 切り傷が早くも赤く腫れ上がっている。
「毒を吸い出して。」
「触れないほうがいい。っ――」
 切り傷とは違う痛みが、ノエルを襲った。
――参った、これはかなり手の込んだ毒――
 ノエルが面食らっていると、ティナが手を差し出した。
「見せてください。」
 ノエルの手を取って、傷口を見つめるティナ。
 はっとして顔を暗く陰らせながらも、ティナは傷口に手をかざした。
 それからぶつぶつと、なにかを唱えはじめる。

『かけまくも 畏き精霊よ 古き世より連なりし 偉大なる其方らよ かつてその御身を清めし清流のごとく 我らが身に降り罹りし災いを どうか払いたまえ……』

 祝詞のようであった。やがてティナの手が橙色に光ると、傷口がみるみる塞がっていった。
「すごーいティナちん。」
 アンナが驚きの声を上げる。
「これって精霊魔術(ジニマギア)? ティナちゃんそんなことできるんだ!」
 ユーリエルも驚嘆した。
 精霊魔術の中でも治癒の力は、ほんの数人しか扱えぬものであった。
 詠唱が終わり、ノエルの痛みも引いたところで、ティナが口を開いた。
「わたしはウリザネアウスの巫女です。」
 ノエルは手を開閉して、感覚をたしかめてみる。
「なにもなかったみたいだ。」
 傷も痛みも消え、すべてが元通りになっているようであった。
 だが、ティナの顔はますます暗いものになっていた。
「いいえ、これは応急処置にすぎません。体内には――まだ残っています。」
「この毒を知ってるのか?」
「はい――その毒は……いえ、その病は――『冥魚』と言われています。」
 神妙な面持ちでティナが黙っていると、食堂の店長があらわれて、ウェイターのお詫びにと1人1杯ドリンクを御馳走してくれた。

Scene6 聖域《アジール》なんてさようなら その1

  ***

 ティナは代々ウリザネアウスに仕えてきた巫女の家系だという。
 ウリザネアウスは北方の大国で、国土の約半分が凍土に覆われる極寒の地である。
 ティナの家は(かんなぎ)の力をもちいて、獣苑の精霊(ぬし)と交感し、神託を行ってきた。
「ウリザネアウスは崩壊の危機にあります。」
 ティナはそう話の端を開いた。
「内乱状態にあるとは聞いていたが。」
「はい。政府軍と反乱軍とが争っています。」
「反乱軍を鎮圧しきれないから悪いんだって、飲み屋のおっちゃんが言ってたよ。」
 とアンナが口をはさむと、ティナは悔しそうにこう返した。
「すべては……ラースに仕組まれていたんです。」

 宰相ラース・フレイディア。
 ティナによると、このラースにより現在の混乱が引き起こされているという。 

 ラースがあらわれたのは5年前。
 そのころウリザネアウスには奇病が蔓延していた。
 全身を鱗のようなもので覆われるというこの病は、体内に生物がうごめくような激痛が走るという。そして死の際には、口から一匹の魚を吐くのであった。魚は地面へ落ちるとそのまま蒸発して消えてしまうという。そこで人々はこの病を、『冥府』の『魚』と書いて『冥魚病』と呼んだ。

 国王は国を挙げて医者や術者を集めたが、誰も『冥魚病』を癒すことができなかった。
 ティナもそのときに召集されたひとりだった。
 精霊魔術(ジニマギア)で痛みを抑えることはできたが、根本的な治療にはいたらなかった。
 そこへあらわれたのが、当時まだ無名の呪術師ラース・フレイディアである。
 ラースは怪しげな術で、病をたちどころに癒した。
 そしてその功績を認めらて、ラースはウリザネアウスの僧侶となったそうだ。
 僧侶といってもウリザネアウスでは巫女に次いで国政に関わる力を持っている。
 彼はすぐさま頭角をあらわすと、5年の内に宰相まで登りつめたのだそうだ。
「実は――王妃殿下も冥魚病を患っていました。ラースはその術で殿下を救い、信頼を得たのです。いまでは陛下もラースの傀儡になっているそうです。」
「うわさじゃ、魔僧だとか言われてるらしいな。」
「でも悪いことばかりじゃないんでしょう?」
「はい。ラースが実権を握ってから、ウリザネアウスは国力をつけました。」

 それまで温厚な国であったウリザネアウスが、一転。
 隣国の情報収集に力をいれ、軍備の増強などを行ったそうだ。

「むしろそれらは国民から受け入れられました……」
「自国の強化は、悪いことじゃないもんね。」
「そうなのですが……」
「じゃあ反乱軍は、何に反対してるんだ?」
「あの、わたし――」
 ティナは言いにくそうに口籠ってから、話を続けた。
「ラースとは面識があったんです。」
「お、恋バナっ?」
 政治には興味がなくてあくびをしていたユーリエルがすり寄ってきた。
 ティナは微苦笑すると、また話を続けた。
「ウリザネアウスの巫女は代々、『聖域』を守ってきました。わたしたち巫女にとって神聖な場所で、〈聖マザー〉しか足を踏み入れることができない場所です。わたしが出会ったころのラースは、『聖域』を調査させて欲しいとやってきた学者の1人でした。」

Scene6 聖域《アジール》なんてさようなら その2

  ***

「聖域には、まだ手つかずの遺跡が眠っています。それはわたしたち人類にとって重大な発見となるでしょう。わたしたち人類のルーツをたどることにもなるかもしれません。聖マザー、どうかわたしに聖域の調査をさせてください。」
 その思いつめたような瞳は、これまでティナが見てきたどの学者とも違っていた。
 功名心に憑りつかれたものではなく、研究に身をやつした者の純粋な探求心からくる瞳。
 まだ幼いティナにとって、その目はとても透き通っているように感じられた。
「聖域とはそのような場所ではないのです。」
 白髪に覆われた小柄な聖マザーは、ラースの用意した資料にも目を通さなかった。
「お志は素晴らしい。ですが、どうかお引き取りください。」
 聖マザーは凛としていた。
「なぜですか! せめて理由を!」
「お引き取りください。」
 聖マザーの固い意志は、決して揺らぐことはなかった。

 しかしそれでも、ラースは聖マザーのもとに足しげく通いつめた。

 
 あるとき、聖マザーを訪ねてきたラースに、当時まだ幼かったティナが話しかけた。
 ティナは庭先で、ひとりで遊んでいた。
「おじさま、また来たのね。」
「やあ、ティナ。聖マザーから許しをもらうまでは何度だって足を運ぶよ。」
「ふうん。おじさまはそんなに聖域が好きなの?」
「ああ、わたしの一生をかけてもいいくらいにね。」
「なにがそんなに好なの?」
 まだ言葉の足らないティナであったが、それが逆にラースの心に響いた。
「あの聖域には――可能性が眠っているからさ。」
「かのうせい? なにそれ。」
「こうであった『かもしれない』、こうなる『かもしれない』、そういう『かもしれない』のことだ。わたしたちはそれを、昔の人が残してくれたものから知ることができるんだ。」
「『かもしれない』を、昔の人が残しているの?」
「ああ、そうだ。」
「おじさまは『かもしれない』が好きなの?」
「そうだ。『かもしれない』は、わたしたちに希望をあたえてくれる。もしかしたら人は、もっと素晴らしいものになれる『かもしれない』。もっと素晴らしいものに出会える『かもしれない』。そんな『かもしれない』を、少しでも確実にするために――わたしは土を掘るんだ。未来のことは、過去からわかるんだよ。」
「おじさまは土を掘るのね。わたしも土を掘るわ。」
 ティナは、砂遊び用のスコップと、土の入ったバケツを見せた。
「わたしと一緒に土を堀りましょう?」
「わたしは土を掘るのが上手いよ。」
 ティナはバケツの土をひっくり返して、庭にぶちまけた。
「かわいそうなおじさまが『かもしれない』を見つけられるように、わたしの宝物をあげるね。」
 そして土の中から『かけら(・・・)』をつまんで、ラースに渡した。
「それ、わたしの宝物。大事にしてね。」
 ラースはその『かけら』を見て――驚いた。
「こ、これをどこで?」
 ティナは聖域の森を指した。
「あそこ。」

「まさか――ティナは、あの森に入れるのかい?」
「うん、少しだけなら。」
 聖域は迷いの森と言われていて、聖マザー以外に足を踏み入れるとができなかった。
 もしほかのものが入ったら、道に迷った挙句、森の外へと出てきてしまう。それゆえに聖域の調査には聖マザーの協力が不可欠であった。
 しかし――ティナは聖域に入ることができるという。それはいずれ聖マザーとなるものの血を引いているからかもしれない――ラースはそう考えた。
 ラースはもう、衝動を抑えることができなかった。
「よかったら……これを見つけたところにわたしを案内してもらえないかい?」
「そうしたら、おじさまは喜ぶ?」
「……ああ。」
 こうしてティナは、ラースの手を引いて聖域へ入っていったのだった。
 ティナとしても、毎日やってきては哀しそうな顔で帰っていくラースに同情していたのである。

 ラースはそこで、遺跡の『かけら』を発掘した。

 以後も、ラースはティナに手を引かれて聖域に入った。
 しかしすぐに聖マザーに発見され、ティナは聖域に入ることを禁止された。
 もちろんラースも、二度とフィバーチェ家の敷居を跨ぐことは許されなかった。

  ***

「そっか、ティナちゃんはつらい失恋をしたんだねぇ。」
 やや的はずれなことをいうユーリエル。
「それで次に会ったら呪術者か。怪しい臭いがプンプンするわね。」
 アンナはドリンクをすすりながら言った。
「そのことなのですが……」
 とティナはさらに神妙な面持ちで続ける。
「もしかするとあれは、『神の遺物』だったのかもしれません……」
「『神の遺物』?」
 とノエルが顔をしかめたので、ユーリエルがすらすらと補足をする。
「太古の昔に起きたといわれる神々の戦争。そのときに神さまが地上に置き忘れていったものたち、のことだよね?」
「はい。」
「どうしてそれが、ラースの力とつながるんだ?」
「その『神の遺物』っていうのは、不思議な力が宿っているといわれているんだ。その『神の遺物』の仕組みを解明することによって、いまでも様々なものが作られているんだよ。たとえば、武装外骨格(アームド)なんかもその類だね。」
「よく知ってんな。」
「勉強は得意だからねっ。」
 ユーリエルは誇らしげに鼻を鳴らす。
「『神の遺物』から、ラースは力を引き出したのかもしれません。」
「しかも『聖域』にあるような『遺物』だから、すっごい力が隠されていたかもしれないってことね?」
「はい……」
 ティナはまたうつむいてしまった。
 もしそれが事実だとしたら、ティナはラースの幇助をしたことになる。そしてそれがいまや家族のみならず、一族や国家そのものを苦しめているということにもなるのだった。
 ティナはそんな呵責に苛まれてきた。

 だが、ノエルには引っかかることがあった。
 戦争をしていたとはいえ、神がそんな危険なものを、地上に置いていくだろうか?
――ユーリ。実際のとこどうなんだよ。
 ノエルが耳打ちする。
――遺物っていっても、いわゆる戦争ゴミだよ。空薬莢とか破壊された兵器の破片みたいなものだね。むしろ、人はよくそこから技術を取り出したなって感心するよ。
 ふむ……とノエルは考え込んでしまう。
 そんなものから、どうやったら『呪術』などを取り出せるのだろうか。

「でも、どうしてティナが狙われてるの?」
 とアンナがもっともなことを訊いた。
「わたし――ラースに結婚を申し込まれたんです。」
「「「はあ??」」」
 3人の声が見事にハモった。

Scene6 聖域《アジール》なんてさようなら その3

  ***

「宰相であるわたしと、次期聖マザーであるティナが一緒になれば、ウリザネアウスの力はより強固なものとなる。」
 ラースの邸に呼ばれたティナは、こう迫られていた。
「ラースさん、お言葉はうれしいのですが……」
「わたしじゃ、不満だというのか。」
「…………」
「この国を思えば断ることはできまい。」
 ラースは怪しい笑みを浮かべた。
「教えてください。ラースさんはいったい何をしようとしているのですか?」
「この国の――」
「いまでも聖域にお入りになりたいのですか?」
「…………」
「あなたの力は……『神の遺物』によるもの、ですよね?」
「…………」
「あなたは聖域に入るために、わたしを利用しようとなさっているのですか?」
 詰め寄るティナに――ラースはゆっくりと口を開いた。
「わたしはティナに見せたいのだ。」
「……なにをです?」
「かつてティナがわたしに『聖域』という可能性を見せたように、今度はわたしがティナに『力』という可能性を見せたいのだ。」
「前に言っていた『かもしれない』ですか?」
「わたしの力は、いわば可能性だ。しかもまだその端緒でしかない。この力をより確実なものにしてゆけば、この国どころか、この星のすべてを手に入れることができる。」
「あなたは……何を言っているのですか?」
「まだわからないか? わたしは告白をしているのだ。」
「…………」
「わたしとともに、同じ夢を見ないかと言っているのだ。――どうだ?」
 ラースはふたたび笑みを浮かべた。
 目の奥が笑っていない、貼りついたような笑みであった。
 そこにはかつてティナが見た、情熱的な研究者の面影はなかった。
「わかりました……お断りします。」
 ティナはきっぱりと言った。
「なんだと?」
 思いもよらぬ返答に、ラースは動揺した。
「ラースさん。あなたも変わったのかもしれませんが――わたしも変わったのかもしれません。」
「あん?」
「ラースさんの顔……いま見ると全然タイプじゃないんです。ごめんなさい。」
「――っ!?」
 ラースは口をあんぐりと開けた。
 ティナはきびすを返すと、走ってラース邸をあとにした。

 それから数日後、聖域を守る巫女たちの村〈シビュレェ〉は、何者かに襲撃された。
 そして一晩のうちに壊滅したのである。

  ***

「わたしは、聖域に逃げ込んだので無事でした。ですが一族のものはみな……」
「え、いやうん、ちょっと待っ――」
「いまでも祖母の言葉が耳に残っています。祖母はわたしに『聖域』を守るように言いました。」
「だからティナちゃん、ちょっと――」
「わたしは一晩、森の中で震えていました。そして翌朝、森から出てきたときには――村は焼き払われていたんです……」
 一同はしばし沈黙した。
 もちろんティナの悲しい話にであるが、内心どこかでラースの心中も察してしまった。
「これがラースの手によるものか――確証はありません。」
「いやたぶん間違いないっス。」
 ティナは哀しげに話を続ける。
「ですが村を襲ったのは――天使でした……」
「はあ?」
 ノエルとユーリエルの声が漏れた。
「本当です……4枚の羽で空を飛び、火の矢を放つ天使でした……」
「ティナちゃん、さすがにそれはないと思うよぉ?」
「本当なんです!!」
 ユーリエルが疑うのも、もっともだった。
 なぜなら天使は、地上での力の行使を制限されているからだ。
 飛んだり、炎を放つというのは、まず無理なことである。
「まあ、羽が生えた『バグ』ってのは、ありなんじゃない?」
「た、たしかに……」
 アンナに説得されてしまったノエル。それに――
 天使に人は殺せないが、人にならそれはできる。
 万が一、それが天使なのだとしたら、傷を負った人々に手を下したのは人間なのだろう。
「それに問題は、誰がやったかじゃなくて……どうしてやったか、だと思うけど?」
 またしてもアンナが冷静に分析する。
「そうだね。腹いせとはいえ、聖マザーやティナちゃんがいなくちゃ聖域に入れないもんね。」
 とユーリエルも冷静さを取り戻した。
「もしくは――聖マザーやティナがいなくてもいい方法でも見つけたか、だな。」
 ノエルは自分で言って、これが一番正鵠を射ているように感じた。
 おそらくラースは、自力で聖域に入る手段を発見したのだろう。

 だが、巫女の村(シュビレェ)を襲ったのはやはり反響も大きく、ラースを怪しむ声も高まった。政界から巫女が居なくなり、ウリザネアウスはますますラースの天下となったからである。

 こうして聖マザーを信奉する多くの人々の不信を買い――
 ついには〈緑の信奉者〉という反乱勢力(レジスタンス)まで立ち上がったのだった。

「ってゆうかこれ、フラれた腹いせだよね。」
 ユーリエルが我慢できずに言ってしまった。
「まあ、そうだよな。」
 ノエルは疼きはじめた右の手をテーブルに置く。
 手の甲の皮がめくれて、鱗のようなものができていた。
「あっ!?」
「『冥魚』ってのは、誰か(・・)が広めてたってことだよな。」
 ノエルの射すくめるような視線に、ティナは黙ってしまう。
 ティナの命を狙うものが、『冥魚病』を人為的に広めていた犯人であるということである。
 そしてそれは、状況からみてラースに間違いないだろう。
 ラースが人々に病を羅漢させ、治療し、信用を得たと考えれば筋が通る。
 やはりラースに力を与えたのは、ティナかもしれない。聖域に案内した幼きティナによって、ラースは『冥魚』という怪しげな術を練る力を得たのだろう。
「ノエルぅ、それ痛い? ねえちょっと触っていい? うわーきもちわるぅ。」
 ユーリエルがつんつんと鱗を触ってくる。
「ユーリ、ナイフから毒を解析できねえか?」
「無理だねー。これは毒じゃなくて、術みたいだから、すでに体内に入ってて、ナイフには何も残ってないよ。それに体内に入った術も、外からの解析を受けないようになってるね。よくできてるよ。」
「すみません……」
 緊張の糸が切れたのか、ティナがぽろぽろと泣きだした。
「もうわたし……どうしたらいいかわからなくて……」
 よほど辛かったのだろう。
 国や、故郷だけでなく、家族も誇りも奪われたティナ。
 それでもノエルたちに向かって巫女であると宣言したのは、挫けるわけにはいかないというティナの魂の底意地であったのかもしれない。
 そう思うと、ノエルはぐっと奥歯を噛んだ。
「オッケー、任せておいて!」
 アンナが元気よく立ち上がった。
「女の子を泣かすやつは、アンナちゃんが成敗してやるんだからっ。」
 そういうとアンナは、優しくティナを抱きとめた。
 その顔には、どこか母のような安からさがあった。

Scene7 機密《ミスティリオン》なんてさようなら その1

  ***

 たったいま食堂から出たばかりなのに、アンナはパン屋の前で立ち止まると、パンの焼ける芳香を、鼻一杯に吸いこんだ。
「ノエル! 美味しそうよね!」
「おれはもういらねえ。」
「アンナ、まだ食べるのぉ? よく太らないね。」
「わたしは運動してるからいいの。」
「どうぞ行ってきてください。わたしたちはここで待っていますから。」
「そう言わず、みんなで入るよ。ねっ!」
 とアンナは強引に、みなをパン屋へ引き入れた。

 2階が自宅で1階が工房兼売り場という小さなベーカリー。
 大人が4人も入れば、狭くなってしまうような店内には、売れ残りのパンがちらほらと棚に並んでいる。まだお昼過ぎなのに陳列されている数が少ないのは、人気店だからかもしれない。
 たった今焼き上がったパンを籠に入れて、おかみさんが満面の笑顔であらわれた。
「いらっしゃい。ちょうど焼けたとこだよ。」
 おかみさんは空いた棚に手早くパンを並べていく。
 アンナは適当に4つほどトレーに載せると、カウンターへ置いた。
「おばさん、秘密の暗号って知ってる?」
「おやおや、なんでしょう?」
 アンナが妙なことを言い出したので、ノエルたちが訝しんでいると、アンナは拳銃(ハンドガン)を抜いた。
 そして柄の底に描かれている絵を見せる。
 そこには紋章が刻印してあった。
 薔薇と船の舳先のようなものが、円い輪に囲まれている紋章である。
「新作を案内してほしいな。」
「はいはい、ちょっと待っててね。」
 そういうとおかみさんは、店の奥へと消えていった。

 しばらくすると、奥から店長らしき男があらわれた。
 骨ばって背の高い男で、あまりパン屋のようには見えない。
「なんだ、アンナじゃねえか。」
「また調べて欲しいものがあるんだ。ちょっといいかな。」
「まあ、上がんなよ。」
 店長はアンナを案内しようとして、ノエルたちに目を留める。
「そいつらはどうすんだ?」
「わたしの友だちなんだ。入れてやってよ。」
「そうかい。」
 そういうと男は品定めでもするように、ノエルたちをじろりと見た。
 パン生地をこねる作業台や、巨大なオーブンを抜けた先に、応接間のような部屋があった。
 そこまた4人も入れば一杯になるような、殺風景な部屋である。
「こちらでお待ちください。」
 そういうと店長はノエルたちを残して部屋から出ていった。
 店長が扉を閉めると、ごうんごうんと機械の起動音が聞こえはじめる。
 続いて部屋ごと小刻みに揺れた。
「おい、これってどういう――」
 とノエルが言いかけたが、
「新作をいただけるんだってよ。」
 とアンナがはぐらかす。
 やがて揺れがおさまり、起動音も消えると、アンナはいま入ってきた扉を開けた。
 扉の外は、パン工房ではなくなっていた。
 見慣れない機械であふれかえったそこは、研究室のようである。
 どうやら小部屋ごと地下へ移動したらしい。
「うわー、なにここ、すっごー。」
 あふれる秘密基地感にユーリエルがはしゃいだ。
 その研究室のさらに奥で、汚れた作業着に身を包んだ老人が土くれと睨めっこしている。
 伸び放題の白ひげが、老人の口元を覆い尽くしていた。
「よう、シシカバ。また来たよ。」
「なんじゃアンナか。ほれ、はよう出せ。」
 シシカバと呼ばれた老人は、つかつかとアンナに歩み寄ってきて分厚い手を差し出した。
「話が早くて助かるよ。」
 アンナはポーチから、匣を取り出した。
 シシカバはそれを手に取ると、感触をたしかめて、拡大鏡でよく観察する。
「―― 15分だ。」
 シシカバはすぐに部屋の奥へと戻ってゆき、匣を機械の中へ放り込んだ。研究室は、閃光や起動音に満たされていく。

Scene7 機密《ミスティリオン》なんてさようなら その2

 なにが起きているのかさっぱりわからないティナだったが、ノエルとユーリエルには察しがついていた。
「さっきの紋章。あれは『四つの庭(フォースガーデン)』だよな?」
「そうそう。」
 アンナは拳銃(ハンドガン)を引き抜いて、紋章を見せた。
「わたしはそのなかの『放埓の舟(ワイルドアーク)』に所属してるみたい。」
「みたい、だなんて人事だな。」
「まあね、生まれたときから会員だもん。親の影響ってやつよ。」
 と悪びれる様子もないアンナ。
「あの、さっきから何のお話しをされているのですか?」
 ますますわからなくなったティナが、ユーリエルに訊いた。
「えーっとね、『四つの庭(フォースガーデン)』ってのはいわゆる秘密宗教結社って感じ。正教会の流れを汲む分派だねぇ。正教会から異端だって、敵視されているよ。とはいえ秘密結社でいえば業界最大手ってとこかなぁ。」
「へ~、ユーちゃん詳しいのね。」
「『四つの(・・・)庭』というように、教義ごとに4つの団体に分かれていて、それぞれ『放埓の舟(ワイルドアーク)』『邂逅の樹(ミーティングツリー)』『凍傷の唇(コールドマウス)』『眠れる湖水(スリーピングレイク)』って呼ばれているんだよねぇ。」
 としたり顔のユーリエル。
「そうそう、わたしは『放埓の舟』。放埓って言うように、自由の利く団体なのよ。じゃなかったら、わたしも脱退してるわ。」
「でも考え方としては面白い結社だよ。『四つの庭(フォースガーデン)』ってのは4つの教義を合わせて、はじめて『大いなる愛になれませる』んだよね。バラバラにもみえる教義を拮抗させながら『愛』に到達しようってゆう団体なんて、他に見ないよぉ。たしか主神は女神さまだっけ?」
「聖母様。」
「そりゃ正教会も扱いが難しいよねぇ。」
 ユーリエルが文化人のように話をはじめたので、ノエルは顔をしかめた。
「アンナさんって、やっぱりあぶない組織に所属していたんですか?」
「ティナちん、『やっぱり』ってどうゆうことかな?」
 と顔をひきつらせるアンナ。
「あ、いえ、すみません……悪名ばかり聞いていたものですから。」
 ティナは慌てて、心底すまなさそうに返した。
「ん? もしかしてティナって刺すタイプなの?」
「ボクも薄々気付いてたけど――だぶん無意識系の天然系ですねぇ。油断してたらサンドバックかも……」
「なるほどなるほど。」
 などと分析をはじめるアンナとユーリエル。
「う……」
 気まずい顔になるティナだったが、ユーリエルがさらに追い討ちをかけた。
「小さいときひとりで遊んでたって言ってたけど、単にともだちが出来なかったんじゃないの?」
「えっ、これって昔っからなの!?」
「うううう……」
 目に涙を浮かべるティナ。
「わ、わたしぃ……なぜかわかんないんですけど……ともだちができないんですぅ……」
「うんうん。まずは自覚するところからはじめようね。」
「うわああああん……」
 なんだかじゃれ合う3人に、ノエルはただ、
「まあ……仲良くしろよ?」
 なんて言葉をかけてしまい、なんでおれは保護者みてえなことを言ってんだと、げんなりした。
 扉が開いて、さきほどのパン屋らしくない店主が、バスケットを持って入ってきた。バスケットには、4つのグラスと焼き立てのパンが入っていた。
「どうぞ。」
 店主は、いつも図面が広げられているだろう作業台にそれを置いて、みなに勧める。
「ありがとう。ところでなにかいいネタ入ってない?」
 アンナが訊くと、店主は口元をくいと釣り上げて、
「大漁だぞ、アンナ。どの回線もおまえの話で持ちきりだ。懸賞金までかかってやがる。」
 と楽しそうにこたえた。
「出処は?」
「〈クーザ・キルティ〉。暗黒街五家のひとつだな。でけぇとこに喧嘩売りやがって。」
「あー、そりゃ面倒なわけだ。」
「それで収穫は?」
「さあ。」
「さあ?」
「よくわからないんだよねえ、そのへんにあったものをひっつかんできただけだから。」
 この返答に、店主は喉をカラカラと唸らせて笑った。
 アンナの豪傑ぶりがたまらなく気に入っているようである。
「シシカバに渡したよ。」
 とアンナは奥を指した。
「ああ見えて、鑑定士としての腕はたしかだ。」
 店長はまるで自分のことのように胸を張って、ノエルたちに言った。
「ねえねえ、アンナはなんで龍華街にいたの?」
「ああそれね、」
 アンナはパンを口に放り込みながら、なんてことないように、
「龍華街の麻薬ルートを潰してやろうと思って――お、旨いなこれ。」
 と続けた。
「あ?」
 これまた突拍子もない発言に、ノエルの声が漏れる。
「7回目のトライだったんだけど、なかなかうまく行かないのよねえ。」
 アンナは屈託なく笑った。
 店主もまたカラカラと喉をうならせている。
 ノエルはあきれたが、しかしアンナならやりかねないとも思ってしまう。
「うまく潜入できてたのに、外からすっごい大声がして見つかっちゃったんだよねえ。」
「声……?」
「ねえノエル、あのとき路地で叫んでる人とか見なかった?」
「さ、さあな――」
 曖昧な返事をするノエル。
 それはきっとEMラジオのことだろう。
 ポンコツ車が勝手にラジオを鳴らしたのだ。
 はあ、と深くため息をついて、ノエルはグラスに手を伸ばしたが――空をつかむ。
 じゅるじゅるじゅる、と隣から音がするので視線を上げると、そこにはシシカバが立っていた。ノエルのジュースをすすり終わると、シシカバは匣を作業台に投げた。

Scene7 機密《ミスティリオン》なんてさようなら その3

「やめじゃ、やめじゃ。」
 さきほどの気勢はどこへやら、シシカバは至極つまらなそうである。
「シシカバ、なにかわかった?」
「また妙なものを持ち込みおって。」
 さらにシシカバは、ティナのジュースにも手を出そうとした。しかしそれはユーリエルによって止められる。ユーリエルがシシカバを睨んでいると、今度はユーリエルのジュールを奪って、またじゅるじゅると飲み干してしまった。
「――わからん。だから腹が立つんじゃ。」
 シシカバはただ事実を告げるように、
「値の付けようがない――組成からなにから地上のものじゃない、ということだけはわかったが、それ以外がさっぱりじゃ。」
 と言った。ユーリエルは飲み物の恨みでシシカバを睨みつけながら訊く。
「ってことは『神の遺物』ってこと?」
 しかしそれにもシシカバは首を振った。
「『神の遺物』であれば値が付けられる。あれはいまでは既知のものじゃ。だがこれは――未知じゃ。まるでわからんし、わかりそうもない。」
 シシカバはつらつらと言う。
「じゃあ『神の遺物』ですらないの?」
「そうだ。存在するはずのないもの。存在そのものが『不具合』みたいなもんじゃな。」
 それだけいうとシシカバはまた研究室の奥へ戻っていった。
「そっか――」
 アンナは匣を眺める。
 電灯のもとにその造形がはっきり見てとれる。
 立方体の匣。どこかが開閉するわけでも、蓋があるわけでもない――キューブ。
 いくつも筋が入っていて、その一本一本がなにやらうごめいているようにも見える。
 指先で触れると、熱をもっているように温かい、不思議な匣――
「ま、いっか。」
 アンナは匣を指先でつまむと、ポーチへしまい込んだ。
「えっ!? いいんですか!?」
「専門家でもわかんないもんは、考えてもしょうがないっしょ。それに――追われることには変わりないんだし。まあ、慣れたものよね。」
 アンナは相変わらず、あっけらかんとしている。

 しかしティナは内心穏やかではなかった。
 なぜならティナには、ノエルたちに打ち明けていないことがあった。
 それは――アンナから『キューブ』を奪い返すという使命であった。

Scene8 誘惑《ルアー》なんてさようなら その1

  ***

 かび臭い宿屋の一室。
 疲れ切っていたユーリエルは、すでにベッドに沈んでいる。
 アンナとティナは隣の部屋に泊まっているので、ここにはいない。
 首からタオルを下げたまま半裸でシャワールームから出てきたノエルは――
 自分のベッドの上に、砂山が築かれているのに気がついた。
 ノエルはうんざりしながらも、砂山に声をかける。
「もう二度と会わないんじゃなかったのか? ミズカ。」
 ノエルが問いかけると、砂山は風もないのにさらさらと崩れてゆき――
 緑の衣服を身にまとった少女、砂蟲(サンドワーム)のミズカがあらわれた。
「そのつもりだったんだけど、事情が変わったの。」
「あ?」
 ミズカはふわりと消えると、ノエルの胸もとに抱きかかえられるような姿勢であらわれた。
わたしたち(・・・・・)は、おにいちゃんたちを監視することにしたの。」
 ミズカは小さな手を、ノエルの胸に這わせる。
「監視? なんでまた。」
「最恐のアンナと、人間(ひと)ならざる者の組み合わせ。そりゃ気にもなるわよね。」
 また姿を消すと、今度は枕元の壁から上半身だけ突き出す。
 その壁はアンナとティナが泊まる隣室に接していた。
「そこに、ウリザネアウスの巫女でしょ? なにかありそうって思うわよね。」
「ずっとつけてたのか?」
 ノエルには気配を感じられなかった。
「存在を希釈してたのよ。アンナにも感づかれないくらいにね。幼女に監視されるなんて、一部の大人にはヨダレものよ。」
「そんな性癖はねえ。」
「性癖ねぇ。食べたり寝たり、おにいちゃんたちってずいぶん人間(ひと)くさいのねー。」
 そういってミズカは、ユーリエルの上を浮遊する。
「地上には地上の法則(ルール)があるからな。」
 ノエルが毅然と言い放つと、ミズカはやや気怠そうに話を続けた。
「その法則(ルール)からいうと、わたしたちは巫女と関係が深いの。あの子たちは獣苑の精霊(ぬし)と交感する精霊使い(ジニマギア)でしょ? 砂蟲(わたしたち)は精霊に近いから、巫女の影響も受けやすいのよね。」
「じゃあ、ティナのことも知ってたのか?」
「ええ。巫女の村(シュビレェ)消滅(こと)もね。」
「精霊は、どうして巫女たちを助けなかったんだ?」
「助ける? なんでそんなことしなくちゃならないの?」
 ミズカは目をくりくりさせた。
「勘違いしないでよね。巫女は精霊(わたしたち)の力を借りて(・・・)いるの。精霊が人間(ひと)に肩入れしてるわけじゃないわ。」
 さも当然のようにミズカは言った。
 人間と精霊、そこには大きな隔たりがあるようだった。
「それで、監視役がミズカというわけか。」
「ええ、そうよ。でもわたしもこっそり見守ろうと思ってたの――」
 ミズカは砂に姿を変えると、今度はノエルのベッドでゴロゴロと寝返りを打つ。
「おにいちゃんたち、パン屋に入ったよね?」
「ああ。」
「結界を張るパン屋なんて、いったい何を捏ねてんのって話よねー。」
 ミズカは拗ねたように顔を逸らすと、ノエルの枕に抱きついた。
「結界?」
「結界を破るのなんか、なんてことないけど、騒がれると面倒だからやらなかっただけ。――おにいちゃんたちはあそこで何してたの?」
 そういってミズカは、上目遣いにノエルを覗き込んだ。
「ああ、教えてやってもいいが――」
 ノエルがベッドに腰を下ろす。
 まるでベッドへと誘い込まれたような態となったノエルに、
「やっぱりおにいちゃんって、少女偏愛(しゅみ)だったのねっ!」
 ぽっと顔を赤らめるミズカ。
 しかしノエルは無視して話を続ける。
「アンナが妙なものを持ってるのに、気付いていたか?」
「あの四角い(やつ)ね。」
「あれはいったい何だと思う?」
「さあ、しらない。」
「そうか――ミズカにもわからないよな……。パン屋ではあれの正体を探っていたんだ。けど何もわからなかった――なあミズカ、この世界には、『神の遺物』ですらない妙なものってのがどれだけあるん――なにやってんだ!?」
 ノエルが振り返ると、ミズカは緑の衣服を脱ぎ、あらわな下着姿になっていた。
「準備OKよ、おにいちゃん。あ、年齢のことなら気にしないでね、合法ロリってやつだから。見た目がすべてよ勇気を出してっ!」
「服を着ろっ!」
「おにいちゃんが裸なのに、わたしだけ服を着てるってのも変でしょ? でも全裸よりそそる(・・・)と思って、下着だけ残したわたしのやさしさ! どう?」
「どう? じゃねえ。ユーリが起きる前に早く着ろ!」
「大丈夫よ、ゆっくり眠ってもらってるから。」
 ユーリエルはピクリとも動いていなかった。
 どうやらユーリエルのまわりだけ、時間の流れを遅くしているようである。
「さあおにいちゃん、めくるめく逢瀬を楽しみましょう? わたし、造形には自信があるからっ。」
 ミズカは下腹部のあたりをさすってみせた。
「話を聞けっ!」
 とノエルが叫ぶ――

 ドン!

 枕もとの壁に、ひびが入った。
 ノエルとミズカがびくっとして振り向くと、
『あちゃー、やりすぎたー。ごめんねーノエル。』
 壁の向こうから、アンナの声が聞こてきた。
『軽い壁ドンのつもりだったんだけど……この建物、もろいみたいー。』
「お、おう……」
 怪力を棚に上げて、建物のせいにしたことは置いておいて――
 まるで浮気現場を押さえられたような動悸に襲われ、ノエルとミズカは固まっ(フリーズし)た。

Scene8 誘惑《ルアー》なんてさようなら その2

  ***
 
 アンナとティナは笑い合っていた。
 隣室で盛り上がるノエルとユーリエルを驚かしてやろうと壁を殴ったら、亀裂が入ったからである。
「アンナさん、ふふ、ちょっと、やりすぎ――ふふふっ」
「いやー、はははっ、抑えたんだけどなー」
 などとひとしきり笑いあったが、それでも上気はおさまらなかった。
 ふたりはシャワーを終えたばかりで、まだ頬も赤く、髪も乾ききっていない。
「はあ~アンナさんの身体、とってもきれいでした~」
「ティナの肌も、超きれいだったね~」
 アンナに誘われて、ティナは一緒にシャワーを浴びたのだった。
「いえいえ、アンナさんですよ! おっぱいも大きいですし、腰も細くって――理想の体型って感じで。」
「そう? ティナもすっごくかわいいと思うよ?」
「わたし幼児体系です。」
 とティナは自分の胸に手を当てた。
「ないわけではないですけど……アンナさんを見てると、まだまだです。」
「動き回るときはちょっと邪魔なのよね。知ってる? 原生林に住む女だけの部族がいてね、その人たちは弓を引くのにおっぱいが邪魔だから、片方のおっぱいを切り落とすんだって。」
「どんだけ巨乳なのかって話ですよ!」
「わたしも切り落としちゃおうかなって思うときあるよ。」
「だ、ダメです! 絶対にいけません! アンナさんからプロポーションをとったら、なにが残るっていうんですか!」
 またしても誠意と意味がねじ曲がってしまうティナ。
「悪意はないんだろうけど――やっぱりぶっ刺さるわね。」
「え? わたし、またなにか失礼なことを言いました!?」
 ティナは手で口を塞いだ。
 するとアンナは、ティナの胸へすっと手を伸ばした。
「ほらこの、ちょうどおさまりのいい感じ!」
「あっ、ちょ、ちょっとアンナさん、あっ……」
「ふ~ん、ティナって感じやすいんだ? なにその設定、ずるいー」
 アンナはティナの胸を揉みしだいた。
「ちょっ、ああっ、んっ! アンナさぁっ、やめ、ううんっ!」
「ほほーう、じゃあ――これはどうかにゃ?」
 ティナの甘い声に刺激されて、アンナの手がぐにぐにと動き回る。
「ひゃあっ、あ、あんなしゃん、お、おねがいします……も、もう、やめぇ……あっ」
「うへへへへっ、たまらんのう――」
『やかましいわ!』
 隣室からノエルの声が響いた。
「あれ、ノエル? 聞こえてた?」
『いいから寝ろっ!』
「いや~、ティナがあんまりにも可愛くって!」
「はぁ、はぁ……もう……」
 ティナは半べそをかきながら、ベッドに脱力している。
 しかしその乱れた衣服が、またアンナの情欲をかき立てた――
「ノエル! おかわりっ!」
『やかましい!』
 ノエルの怒号は、次やったら叩き出すぞと言っていた。
「ちぇっ……」
 アンナは後ろ髪を引かれながらも、自分のベッドへ潜り込む。
「じゃあね、おやすみティナ。」
 そういってアンナは部屋の灯りを消した。
「もぉー、アンナさんひどいですよぉ、ううう……」
 ティナは、よろよろと衣服を正してから、ベッドに入る。
「もう――おやすみなさい……」
 早くも眠りかけているアンナに、ティナは律儀にそうつぶやいた。

  ***

 ティナの嬌声が聞こえてきた隣室では、半裸のノエルが気まずい思いをしていた。
 ベッドの上では下着姿のミズカが、肢体をくねらせている。
「向こうもよろしくやってるみたいだから、わたしたちもっ!」
 そういってミズカが手を回してきたが、
「やかましい!」
 と額にチョップを打ち下ろすノエル。
「おにいちゃんノリが悪いー。据え膳食うのは騎士の情け!」
「よくわからんが、いろいろ混ざっとる!」
 ミズカはまた姿を消すと、部屋に備えつけの椅子にちょこなんと座った。
「ちぇっ、せっかくお手伝いしてあげたのに。」
「なんの手伝いだ!」
「泥棒を追っ払ったのよ? 感謝されてもいいくらいだわ。」
「はあ?」
 ミズカが指をぱちんと鳴らすと、窓が開いた。
 階下を見るように合図をするので、ノエルが覗き込むと――
 黒服の男たちが数人、伸びていた。
「アンナの部屋に闖入しようとしてたみたい。」
「死んでるのか?」
「明日の朝まで眠ってもらうわ。どう? 見直した?」
 ノエルの横にあらわれたミズカが、撫でてくれといわんばかりに頭を差し出した。
「いい番犬だ。」
「わんわん。」
 ノエルはミズカの頭をぐしぐしと撫でる。
「ふ~ん……撫でられるのも意外といいものね。」
 少し顔を赤くしたミズカは、そのままサラサラと砂になって大気中に消えていった。
“居場所がバレてるのに、逃げなくていいの?”
 声だけが、ノエルの耳元に響いてくる。
「こっちには最高の番犬がいるからな。」
 そういうとノエルはベッドに横になった。
“おにいちゃんって意地悪ね。わたしが断れないと思って”
「ああ。」
“じゃあ……”
 そういってミズカはノエルの横にすっと姿をあらわした。
「添い寝するくらいの特典をつけてもらわなきゃ。」
「ま――それくらい安いもんだ。」
 ノエルはゆっくりと目を閉じた。

  ***

 ティナは真夜中に目を覚ました。
 アンナは隣でぐっすり眠っている。
 ティナはベッドから起き出してきて、アンナの荷物が置かれている椅子の上へとそっと近付いた。
 ポーチへと手を伸ばし、ゆっくり蓋を開ける。
 ふるえる指先で、中から匣を取り出した。
 柔らかい感触。
 暖かいのか冷たいのかよくわからないそれは――
 聖マザーが『キーキューブ』と呼んでいたものである。
(ごめんなさい、アンナさん。)
 ティナは心の中でそう唱えた。
 ローブを羽織って、扉へ向かうティナ。
(アンナさんにはこれ以上手を出さないよう、おじさまに言っておきますから。)
 そう意を決して、音のしないように扉を開ける。
 しかし――扉の先にあったのは、果てしなく続く廊下であった。
 ティナが入ってきたときとは明らかに違う空間となっていた。
 その奥はあまりに遠くて、暗く陰っている。
(え――なにこれ――)
 ティナは戸惑ったが……引き返すわけにもいかず、その空間へ足を踏み入れた。
 瞬間、ぞくっと背筋を走る冷たい感覚が襲う。
 なにか巨大なものが、こちらを見つめているのがわかった。
 そしてそいつは――自分の生殺与奪もすべて意のままであることが、ひしひしと伝わってきた。
『無理はするな。』
 ティナには、別れ際のアレグラハム・コンマイトの言葉が思い出された。
『チャンスは何度でもある。一度のチャンスに全てをかける必要はない。』
 アレグラハムの鋭い視線の奥には、深い愛情が秘められていることがティナにはわかっている。
 ティナはゆっくりと引き返して、音を立てぬようにそっと扉を閉めた。
 キューブをポーチへ戻すと、ふたたび自分のベッドへ潜り込む。
(お祖母さま、待っていてください……聖域は必ず守ります。)
 ティナは祈りを胸に、また深い眠りへと落ちていった。

Scene9 関所《ハードル》なんてさようなら その1

  ***

“ちゃ~ちゃらっちゃ、ちゃっちゃららっ、ちゃっちゃっらっ、ちゃらららっちゃちゃ~”

 陽気な音楽は、番組お馴染のオープニングテーマ曲である。
 音楽に続いて、明るく景気のいい女の声が聞こえてくる。

『みなさぁん、こんにちは! というわけではじまりましたー!ミカととうちゅあんの――』
『とうちゅあんってなんだよ(笑)』
『あひゃー、冒頭でおもいっきり噛んじゃったー、もうミカね、唇が凍えちゃって――』
『わかったわかった、口を出したおれが悪かったよ(笑)』
『続けるよー』
『はいはい、どんどん行っちゃいましょう』
『ではでは仕切り直してー。ミカと父ちゃんの〈マジカレード・タイム〉!』
『今度は極まったね』
『お相手は、ミカことミッチー・カイラスと』
『父ちゃんこと、ラガー・サイビエスでお送りいたします。』
『さてーーーとうちゅあん!』
『あ、またとうちゅあんって言った』
『もう今日はとうちゅあんで押し通そうかと思って』
『自分を貫くのも大事だ』
『さてさて、とうちゅあん』
『はいはい、ミカちゃん』
『みなさんもお気付きかもしれませんが、今日はスタジオを飛び出して、北方の街エクオフェシスに来ておりますーーー!』
『いやぁ、寒いよ。寒い。』
『ねー、いつもは温度調節された穴倉みたいなところで喋ってるんですど――これじゃ寒くて、口もまわりゃないっ!』
『おれ、寒いの弱いんだよね』
『なぜここへ来たのかといいますと、エクオフェシスはスキーが盛んでして』
『ほうほう』
『きょうはあの有名な、エリクシル・スキー場へ来ております!』
『おれもさっきボード借りてきたんだ。どうかな、似合う?』
『似合ってるー! ステキ!』
『そお? なんか滑れそうな気がしてきた。』
『ではでは、とうちゅあんには早速、リフトで上がって、滑ってきてもらいましょー』
『いってきまーす!』
『いってらっしゃーい。さてとうちゅあんはうまく滑ることができるのでしょうか。それとも、わたしたちの期待にこたえて、何らかのミラクルを起こしてくれるのでしょうか――あ、とうちゅあんが手を振っています! とっとと昇れー! 
 ではでは、とうちゅあんを待っているあいだ、いま滑ってきた方にお話を伺ってみようかと思います。誰にしようかな……。あ、あの女性2人組に聞いてみましょう!
 すみませーん、こんにちわー。』
『えっ、なに?』
『ミカちゃんです! お話を伺ってもいいですか?』
『これ流れてるの?』
『はい、EMラジオで全世界に向けて配信中でぇす。』
『おお、すごーい。』
『あの、お話を――』
『うん、いいよ。』
『え、ちょっと……アンナさん、それは――』
『いいからいいから。ラジオに出られるなんて滅多にないんだし。』
『ではでは――エリクシル・スキー場には、初めていらっしゃったんですか?』
『はい、そうでーす。』
『あなたは?』
『あっ、わ、わ、わたしは――何度か……』
『おふたりは、どうゆうご関係かにゃ?』
『トモダチでーす。』
『ま、まだ出会ってからそんなに経ってないんですけど……』
『出会って間もないのに、一緒にスキーだなんて、素敵ですねぇ。きょうはどうしてここに来ようと思ったんですか?』
『それがさあ――わたしたちウリザネアウスに行きたかったんだけど、入管が厳しくって立ち往生してるんだよねー。それで仕方ないから、ここにきたわけ。』
『アンナさん……それは言わないほうが……』
『あー、ウリザネアウスは情勢的に難しいかもしれまんせんねえ。』
『いやぁ参ったよ。』
『お仕事で来られたんですかにゃ?』
『まあ、そんな感じね。』
『あなたも?』
『え、ええ、まあ。』
『じゃあお仕事の合間に、気晴らしに来てるってことですね? もしかしてこれが流れると同僚の方にさぼってるのがバレちゃうんじゃないですかー(笑)』
『いいのいいの。楽しまなくちゃ。』
『で、でもアンナさん、さすがにラジオはまずいんじゃ……』
『大丈夫だよティナ、堂々としてればわかんないって!』
『そうですかねぇ……』
『おい、アンナっ! 何やってんだ!』
『あ、みてみてノエル! わたしインタヴューされちゃった!』
『へぇ~これラジオぉ? アンナ、いまラジオに出てんのぉ?』
『いいからいくぞ!』
『お連れの方ですか? ミカちゃんです! お話を――』
『取り込み中だ。ほら! ティナもいくぞ。』
『す、す……う……すみませぇえええん』
『ノエルぅ、ティナちゃんが泣いちゃったよぉ。』
『なんで泣くんだぁっ!』
『わたしのせいで、みなさんにご迷惑をぉぉぉ』
『あーあノエルぅ。いまこれ全世界に流れてるよ、女の子を泣かせた極悪人だって、一杯お手紙届いちゃうねー』
『知るか! ほら行くぞ!』
『はぁい』
『ふぇぇぇ、すみませぇぇぇん』
『な、なにやら事態が逼迫してきましたので、とりあえずCMへゴーっ!』

“ちゃっちゃらっちゃ~~~ちゃ~~~~ちゃららっちゃ~~~~”

 ラジオからはまた能天気な音楽が流れた――

  ***

 事態が逼迫したのは、現地だけではなかった。
 ラジオに耳を傾けていた一部の人にとっては、貴重な情報源となっていた。
 ウリザネアウスの隣国に、賞金首アンナ・E・クロニクルと、国を追われる巫女ティナ・フィバーチェが潜伏している――
 〈クーザ・キルティ〉の構成員も、賞金稼ぎ(バウンティハンター)も、ラースの刺客も、ウリザネの反乱勢力も――
 その放送に沸き立っていた。

Scene9 関所《ハードル》なんてさようなら その2

  ***

「ったく、なに考えてんだ。」
 ウリザネアウスへの潜入方法を探るために、二手に分かれて情報収集をしようということになったのだが――
 アンナたちは華麗にサボタージュを極めていた。
「長旅だったんだから、遊びがあってもいいと思うのよねえ。」
 ここはクリプタから、はるか北の大地。
 車を飛ばし続けて5日。
 各所で宿泊したとはいえ、疲労(ストレス)も溜まっていた。
「すみませぇぇぇん……」
 ティナは申し訳なさからか、後ろからとぼとぼと着いてきている。
「ティナちゃん、はぐれないようにね~」
 とユーリエルが声をかける。
 すでに寒冷地用の衣服は買い込んだので寒さはしのげているが、白く立ち上る吐息と、頬を刺す風から、この地の厳しさがうかがえた。
「入管通るには、手形がいるんだってよ。」
 と話すが、アンナは「ふうん」とあまり興味がないようだ。
 だったら押し通ればいい、くらいに考えているのかもしれない。
 もしくは砂蟲(ミズカ)の空間変異の力を借りれば、関所の通過もできるだろうが――ミズカの業務はあくまで『監視』なのだそうである。
 とはいえこの5日間、道中や寝込みを賊に襲われなかったのはミズカのおかげであった。『監視』のためなら問題(トラブル)回避も許されるのだろう。『監視』という名目は、ミズカのさじ加減ひとつであるようだ。
 しかし手形といっても――ティナが入国するためには偽造物でも用意しなければ、その場で拿捕されてしまうだろう。関所にラースの手が回っていないとは考えにくい。

「きゃっ!」

 どさっ、と雪に倒れる音がした。
 ノエルが振り返ると、道路沿いに積み上げられた雪山にティナがダイブしていた。
「すみません! 急いでいたもので!」
 ぶつかった青年が、雪に埋もれたティナを慌てて助け起こしにかかる。
 倒れたティナのほうは別段怪我もないようで、すぐに起き上がった。
「いえ、わたしもぼーっとしていて。――あっ」
「へ? なにか――あっ」
 ふたりはたと顔を見合わせた。
 互いに記憶と一致する相手を手繰りあてて――声を上げる。
「マメくん!?」
「ティナ!!」
 ティナは目を丸くした。
 マメと呼ばれた青年も感極まって、ティナに抱擁した。
「ちょ、ちょっとマメくん!」
 ティナは恥ずかしさから、青年を突き飛ばした。
 どさっ、と今度は青年のほうが雪山に尻もちをつく。それでもめげずに、青年は話を続けた。
「ラジオでティナの声を聞いて、まさかと思って出てきたんだ!」
「え、そうなの?」
 ティナは、自分の声が多くの人に聞かれたという気恥ずかしさから、赤面した。
「ティナ、知り合いか?」
「はい、同級生です。」
 青年は立ち上がって、帽子を脱いだ。
「はじめまして。マラルメ・ビッグラムです。」
「おれは――」
 とノエルが挨拶を返そうとしたところで、マラルメが遮った。
「ここでは人目に着きます。場所を変えましょう。」
 そういうと、マラルメはまた帽子を被った。
 周囲に怪しい人物がいないことを確認してから、
「こちらです。」
 と慣れた足取りで雪道を歩いていく。

  ***

「お待たせしました。」
 人数分の紅茶を持ってマラルメが入ってきた。
 ここはマラルメに案内された洋館の一室。
 暖炉には火が煌々と燃えているので、室内はとても温かかった。
 マラルメは紅茶をテーブルに並べて、みなに勧める。
「ここはぼくの別荘なんです。どうぞゆっくりしていってください。」
「悪いが、そうも言ってられないんだ。」
 ノエルは右手に巻き付けていた包帯を解いた。
 さらに上着を脱いで袖をまくる。
 すでに鱗が右腕を覆い尽くしていた。
「これは……冥魚――」
 マラルメは息を呑んだ。
 ティナの術によって痛みは抑えられているが、全身に回るのも時間の問題である。
 痛みがぶり返す間隔も、日に日に短くなっていた。
「では手早くお話ししましょう。ウリザネアウスに入りたいのですよね。」
「ああ。」
「任せてください。本国まで無事に送り届けます。」
 自信たっぷりのマラルメだが、ティナは不安そうである。
「マメくんにそんなことできるの?」
 ティナの記憶の中のマラルメは、あまり頼り甲斐がなかった。
 背も小さく泣き虫で、そのくせ強がりだったから、上級生からもいびられていた。
 親が資産家で裕福な家庭だったというのも、目をつけられる一因であった。
「ぼくはいま〈緑の信奉者〉にいるんだ。」
 そういうとマラルメは誇らしげに、両手を自分の胸に当てる独特のポーズをした。
「そうだったんだ……」
 ティナはもどかしい顔をして、うつむいてしまう。
 〈緑の信奉者〉とは、政府軍に対抗する反乱軍(レジスタンス)である。
 泣き虫だったマラルメでさえも、革命の獅子に変えてしまうほどの事態が、いまウリザネアウスを襲っている。その事実が、ティナを少しく苦しめたのだった。
「必ず、われわれがあなたがたをウリザネに引き入れてみせます。」
「ああ。」
 ノエルは右手を出そうとしたが、鱗だらけなので止めておいた。
 代わりにユーリエルが、マラルメと熱い握手を交わした。
「よろしくぅ!」
「ところで……ここまで来たということは、ラースに対抗する秘策がおありになるのですよね? よかったらぼくにも教えていただけませんか?」
 マラルメは青年らしい透んだ瞳でノエルを見つめた。
 しかしノエルは――どんよりと濁った瞳で返した。
「ま、まあな。」
 ……『秘策』など……ない。
 そこにはアンナの『まあ、なんとかなるでしょ。とりあえず行きましょ。』という軽さしかなかった。
 沈黙するノエルに、しかし青年の色眼鏡は、
「やはりぼくのような下っ端では話になりませんね。是非われわれのリーダーに会っていただきたい。彼ならきっと、話す気になるかと思います!」
 と逆に奮起していた。
「お、おう。」
 ノエルは、その場を濁すのが精一杯であった。
『ダメだったら、ぶっとばせばいいのよ。』
 どうしてそんな言葉に乗せられてここまで来たのか、自分でもよくわからなかった。

Scene10 巨人《ギガース》なんてさようなら その1

  ***

 かつて高地から地下水を引き寄せた、地下水道(カナート)
 いまではそのほとんどが取り壊されてしまったが――
 このエクオフェシスのマラルメの洋館から、ウリザネアウスのガブリエラ聖堂までの小区間のみ、〈緑の信奉者〉は密かに再開通させていた。ウリザネアウスの内と外とをつなぐ、貴重なパイプラインとなっていた。
「ガブリエラ聖堂ってことは、天使ガブリエルの教会ってことだよね?」
 湿った地下道を歩きながら、ユーリエルは気乗りしないといった風にぼやいた。
「そうですが……どうかしましたか?」
「ボクは苦手なんだ、ガブリエル。」
 ため息の混じるユーリエル。
 見るからに憂鬱そうである。
「それは、ユーリが期日を守らなかったからだろ?」
「立場的にはあまり変わらないのにぃ……」
「そうゆうとこ厳しいからな、ガブリエルは。」
 まわりからは、まるでガブリエルという名の共通の上司がいるように聞かれただろう。
 
 ユーリエルの真名であるところのウリエルは四大天使であって、ミカエル・ガブリエル・ラファエルとは旧知の仲であった。かつてはともに地上の見回りまで行っていた。
 炎の大剣を振り回すなど数々の威光を放っていたウリエルだったが――あるときふいに「ボク、可愛くなりたい」と思い立ち……いまのようになったのであった。

「わたしもよく祖母に叱られました。でも――できないことは糺しようがないですよね?」
 なんてティナが共感してくれたが、やはり着地点が少しズレている。
「そうそう、無理無理無理っ!」
 しかしユーリエルにはあまり関係がなかったようだ。
「このあたりが国境ですね。」
 マラルメが、とくに代わり映えのしない土壁の前で立ち止まった。
「以前はこんなに入国の難しい国ではなかったんです。『再編』以後は国境も曖昧ですからね。ラースが政権を握ってから、大きく変わってしまいました。」
 瞳の奥にたぎらせた炎は、この薄暗い地下水道を照らすランタンのごとく、ぎらぎらと燃えていた。

  ***

 重たい鉄の天板を開けるとそこは、聖堂の講壇であった。
 ステンドグラスを通った七色の光が、荘厳な雰囲気をあたえている。
 ざっと二百人がおさまるほどの聖堂である。
 祭壇には、天井まで届きそうな巨大なガブリエル像が翼を広げていた。
 ここまではっきりと天使の像が造られている教会も珍しい。
 教会というのは基本的に偶像崇拝を禁じているので、こうした天使の聖像というものは極めて少ないのである。
「ひっ。」
 ユーリエルは小さく悲鳴を上げた。
 その像がガブリエルの特徴をよく捉えていたからである。
「いったいどこで見て、こんなの作るんだろうね。」
 ぶつぶつ愚痴を吐くユーリエルだったが――
 しかしノエルは同意もせずに、聖堂内の一点を見つめていた。
 身廊の中央。そこに一人の男の姿がった。
 降り注ぐ光の中、男はひざまずいて祈りを捧げている。
 マラルメもそれに気がついて、顔を曇らせた。
「おかしいですね――誰も入らないようにしてあるのですが……」
 ノエルは、一目見てその男のことがわかった。
 その男は――同業者だった。
 雪のように白い髪。日に当たったことがないかのような白い肌。柔らかそうな白のロングコートを羽織り、そのうえ痩身であるので、まるで長年隔離されている精神病患者とも思われた。
 その男がにいっと笑うと、淡いピンクの唇はその血色の良さから、顔が裂けたような印象をあたえる。
「天使か……」
 男の声が、聖堂内にこだました。
「だれだ、貴様は!」
 威勢のいいマラルメが食ってかかる。
「ネフィエル。それがぼくの名だよ。」
 肌にひりつくような緊張感に聖堂内が満たされていく。
「ラースの刺客か!」
 マラルメはさらに語気を荒くした。
「ラースは、ぼくのともだちだよ。」
 ネフィエルの周囲に風が巻き起こった。
 するとゆっくりと、ネフィエルは宙に浮かび上がる。
「!?」
「ヒトはおもしろいね。『神の遺物(ゴミ)』からこんなものを作り出すなんて。」
 それはネフィエルが腰に装着していた武装外骨格(アームド)のなせる業であった。
 武装外骨格(アームド)から圧縮された空気を噴出させて、浮かび上がっていたのである。
「もっとも――これには少し細工がしてある。」
 腰の武装外骨格(アームド)から赤茶けた筋が幾本も、ネフィエルの背中へ伸びてゆく。
 やがてそれはコートを突き抜けると、空中へ4枚の羽を描き出した。
 宙に浮かぶネフィエルに、七色の光が交錯する。
 その荘厳なる姿は、まさに天使であった。
「まさか――」
 天使とはいえ、地上では力の行使が制限されている。
 その法則は絶対であり、超えることのできない壁である。
 だが地上ではまた、理解を超えた『不具合』という現象も起こる。
 そうした現象を、人々は『バグ』と呼んでいる。
「『バグ』を――操って(・・・)いるのか?」
 驚きを隠せないノエル。
 以前、酒場の店長(バックス)が『バグ酒』を作り出していたが、あれは薬を使ったドーピングであった。
 しかしこれは、紛れもない『バグ』である。
 いまだ予期すらできない超常現象を、ネフィエルは制御し、支配しているというのだろうか。
 と、ティナががくがく震えながら、ノエルの袖をつかんだ。
「ノエルさん……間違いありません……村を襲ったのは、この天使です……」
 か細い声をしぼり出すティナ。
「そうらしいな……」
 ノエルはそんなティナの肩をぐっとつかんで――抱き上げた。
 ネフィエルが右手を祭壇の像へとかざしていた。
 4枚の羽根がパチパチと電光を発っている。
「みんな走れっ!」
 ノエルが叫ぶと、みな一斉に祭壇から離れた。
 直後、ネフィエルの手から発せられた光弾が、ガブリエル像に炸裂した。
「きゃあっ!」
 ティナがノエルの胸の中で叫ぶ。
 巨大な石像は崩れ落ち、衝撃が聖堂を激しく揺さぶった。
「ったく、なんなのよ。」
 理不尽な攻撃に、アンナが苛立つ。
 ネフィエルはふわりと、破砕した像に降りてきた。
「ボクは巨人族(ネフィリム)の子孫でね。ガブリエルは嫌いなんだ。」
 像の残骸に手を伸ばして、優しく撫でるネフィエル。
「彼らのせいで巨人族(ネフィリム)は排斥されてしまったんだ。」
 またしてもネフィエルは、耳元まで裂けているのではないかと思われるような、怪しい微笑みを見せる。

 これを聞いたユーリエルは――動揺していた。
(そのとき……ボクもそこにいたんだけどなあ……ま、黙っておこ。)
 たしかにガブリエルは神から巨人族の根絶を命ぜられた。
 しかし堕落した巨人族の醜態を神へ報告したのは、見回りをしていた四大天使たちである。
 それによって、巨人族は大洪水に見舞われ、一掃されたのだった。

「とんだサイコ野郎が来たわね、ノエル。」
「ああ、そうだな。」
 ネフィエルと対峙するように、ノエルとアンナが立っていた。
 アンナはすでに二挺拳銃を構えて臨戦態勢に入っている。
 ノエルもH&G(ゴート・ホーリー)を引き抜いた。
 だが――
 ノエルは試しにネフィエルに向けて撃ってみる。
 ネフィエルの羽が自動障壁(アクティブウォール)のように素早く動いて、銃弾をはたき落としてしまう。
 しかし、いつもの『奇跡』は、起こらなかった。
「やっぱり効かねえか。」
 贖罪の羊(スケープゴート)は罪を犯した者、またその罪を逃れた者にしか通じない。
 存在そのものが『聖』である天使には、そもそも罪などという概念がないので、その効力は発動しようがないのである。
 どうやらネフィエルも『天使』であることに間違いないらしい。
「ノエルの幸運も尽きたのかしら?」
「アンナの幸運に賭けるよ。」
 アンナはにこりと笑うと同時に、駆けだした。
 ネフィエルに射撃しながら距離をつめてゆく。
 ネフィエルはふわりと舞い上がった。
 4枚の羽がくねくねと動いて、すべての銃弾を受け止めていく。
 ノエルは後退して、ティナたちに近付いた。
「ここはおれたちでなんとかする。逃げろ。」
「できません!」
「狙いはティナだ。」
「わたし、もう逃げたくないんです!」
 巫女の村(シュビレェ)がネフィエルに襲われたとき、自分だけが生き延びたという罪の意識(サバイバーズギルド)が、ティナから逃げるという選択を奪っていた。
 だが、窓外に目を向けたマラルメが叫ぶ。
「ダメです。囲まれています!」
 聖堂は政府軍の一団に取り囲まれていた。
「くそっ! ユーリエル、扉を守ってろ!」
「あいあいさー」
 ユーリエルの術が展開されて、入口扉のみならず、聖堂は固く閉ざされた。
 天使の力は抑えられているとはいえ、ユーリエルにもこれくらいのことならば可能であった。
 これで外部から侵入されることはなくなった。
「ティナ、こっちだ。」
 マラルメがティナの手を引いて、ギャラリーへと上がる階段へ走り込んだ。
 が――ネフィエルはすでに羽を光らせていた。
 ティナの背中に向けて、光弾が放たれる。

Scene10 巨人《ギガース》なんてさようなら その2

 弾は――しかし轟音を上げて飛んできた座席(・・)に空中で着弾し――はじけ飛ぶ。
「余所見してると、怪我するよ。」
 アンナが重たい座席をぶん投げたのであった。
 ネフィエルは続けてアンナにも光弾を放った。
 だがまたしても、アンナが蹴り上げた座席に空中で炸裂。
 さらに粉塵をかき分けて、もう一台の座席がネフィエルを襲った。
 傍若無人な攻撃に、ネフィエルは羽が1枚もがれた。
 どうだい、と鼻を鳴らすアンナに――
 ネフィエルは声を上げて笑った。
「おもしろいね。名を聞こう。」
「アンナ・E・クロニクルっていうの。よろしくね、天使さん。」
 アンナは茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせる。
「アンナ? もしかして『土竜殺し(ワームキラー)』のアンナ?」
「あら、有名人ね。」
「なるほど……きみも人類にとっての可能性というわけか……」
「次は『天使殺し』になるかもね。」
 ネフィエルはまた顔が裂けたように笑うと、アンナに向けて急降下した。
 アンナは銃弾を連射するが、羽に受け止められる。
 さらに高速で振り下ろされる羽が、剣撃のようにアンナの頬をかすめた。
 二撃三撃と振り下ろされる切っ先を、アンナは後転して避ける。
 ノエルが援護射撃をしながら近付いていく。
 ネフィエルは光弾を放ってノエルを牽制すると、さらにアンナとの距離をつめた。
 アンナはぱっと愛銃から手を離すと、こぶしを突き出す。
 ネフィエルは一方の羽でこぶしを受け流し、もう一方をアンナに腰に巻きつけた。
 だが――巻きつけた羽が、ぐにゃりとあらぬ方向へ曲がる。
「っ!?」
 予期せぬ事態にネフィエルは判断が鈍った。
 自由になったアンナの2発目のこぶしが、羽をさらに1枚むしりとった。
 両翼から1枚ずつもがれた天使は、ふたたび空中へと舞い上がる。
「っしゃー、2枚目! よっと――」
 アンナはくるりと回転して、愛銃を拾い上げた。
 そんなアンナを、ネフィエルはじっとりねめつける。
「アンナ大丈夫か!」
 ノエルがアンナのもとへ駆け寄った。
「平気、平気!」
 まだまだ準備体操だとでもいうように、アンナは肩をぐるぐる回した。
「アンナ――」
 先ほどとは打って変わって、冷酷な声に変わるネフィエル。
「きみは――キューブを持っているね?」
「持ってたら、どうだっていうの?」
 ネフィエルが光弾を降らせた。
 すさまじい破壊力をもつその弾は、避けたところで衝撃に巻き込まれてしまう。
 ノエルとアンナは地上をちょこまかと走り続けて、ネフィエルをかく乱する。
 片方が狙われればもう片方が撃ち、また一方が狙われれば他方が――とうまく連携していた。
 しかし、これでは決め手に欠けている。
 ネフィエルの羽はそれほど強固であった。
 と、宙に浮かぶネフィエルの背後(・・)を激しい銃撃が襲った。
「っ!?」
 しかしこの不意撃ちも、羽は防ぎきった。
 マラルメが3階のギャラリーから、重機関銃の砲撃を加えたのだった。
 それは〈緑の信奉者〉が聖堂内に隠していたものである。
「こざかしい。」
 ネフィエルは、マラルメを睨みつけた。
 残された2枚の羽では、重機関銃の威力を防ぎ続けることは難しいのかもしれない。
 マラルメは勝機とみて、さらに銃撃を加えた。
 しかしネフィエルは、慌てることなく天井ぎりぎりまで舞い上がっていく。
 聖堂はアーチ状になっており、ギャラリーから死角になってしまった。
「ちくしょう! 降りてきやがれ!」
 マラルメが憎々しげに叫ぶ。
「ぼくは巨人族(ネフィリム)の末裔だって言ったよね。」
 聖堂内に響くネフィエルの冷たい声。
 ネフィエルは目を閉じて、こうつぶやいた。
「……Delenda est formicae……」
 ネフィエルの背から白い影がすうっと広がっていく。
 それは巨大な天使の姿をした影で、あっという間に聖堂内を埋め尽くした。
 ネフィエルはその手を高く掲げる。すると巨人も腕を振り上げた。

「機械仕掛けの巨人( Gigant ex machina )!」

 白い巨人がこぶしを大地へ叩きつける。
 猛烈な電撃が、大地を駆けた。

「がああっ!!」
「うぐっ!」
 ノエルとアンナに逃げ場はなかった。
 脳内まで電撃で揺さぶられ、ふたりは倒れた。
 扉を死守していたユーリエルも、同じく衝撃にやられて気を失う。
 電撃は3階まで届いた。しかし地上に比べればその威力は落ちており、地面に設置していた重機関銃に動作不良を起こさせるに留まった。しかし、それで十分である。
「くっ!!」
 マラルメが引き金をひけども、重機関銃が火を噴くことはなかった。

 ネフィエルはアンナのそばに降り立った。
 そしてポーチから、匣をつまみ上げる。
「……キーキューブ」
 そうつぶやくネフィエルに、ティナが叫んだ。
「それはフィバーチェ家の神器(レガリア)です! 返してください!」
 身を乗り出すティナを、マラルメは必死に留めようとしている。
「ははは、これはヒトのものではない。」
 少年が悪ふざけをしているようなあどけない声のネフィエル。
「返して!!」
「返して、か。ならばこれを誰から授かったのか、フィバーチェ家(きみたち)は覚えているのか?」
「……?」
 ネフィエルはキューブを手にふわりと舞い上がり、ティナと目線を同じくした。
「『バグ』が……自然発生的に起こるだと? 人知を超えているからといって、ヒトはその可能性を――放棄したんだ。」
 ネフィエルの言葉は、ティナには意味がわからなかった。
 ただ、なにかひどくバカにされているように感じて――悔しかった。
「返してください!」

  ***

 …………。

 ノエルには辛うじて意識があった。
 身体は動かないが、その光景がぼんやりと目に映っている。
 ティナとネフィエルの声も聞こえている。
 そして目の前に――砂の山が築かれているのも認めることができた。

“おにいちゃんを助けてもいいけど……わたしの『お願い』も聞いてもらうからね。”

Scene10 巨人《ギガース》なんてさようなら その3

  ***

 聖堂に浮かぶネフィエルは、ティナとの距離を縮めてゆく。
天使(ぼく)にヒトは殺せない。だが、それに近いことならできる……」
 ネフィエルはティナに向けて小さなナイフを投げた。
「うっ……」
 しかしそれはマラルメが身を挺した。
 マラルメの腕にナイフが深く突き刺ささる。
「マメくん!」
「ティナ……逃げて……」
 マラルメは血を滴らせながらも、ティナを背後にかばう。
 ネフィエルはまたもナイフを取り出した。
「いつまで耐えられるかな。」
 ネフィエルはナイフを振りかぶった。そのとき――

「ミズカ!!」
 ノエルの声が響いた。

 聖堂の天井を突き破って、巨大な土竜の頭があらわれた。
 そして――ネフィエルをひと呑みにした。

「きゃあっ!」
 突如あらわれた巨大な頭に、ティナの悲鳴が上げる。
 土竜はもごもごと口を動かして、呑み込もうとした――が、できなかった。
 喉元がぷっくり膨れたかと思うと、爆散し――ネフィエルが飛び出してきた。
 すでに羽はなく、左腕がだらりと垂れている……それでもまだ飛行を続けていた。
 喉をかき切られた土竜は、怒りに目をたぎらせてネフィエルに襲いかかる。
 しかし首が思うように動かないので、うまく捕まえることができない。
「ちっ……」
 ネフィエルは穴の開いた天井から逃げていった。
 残された土竜は、さらに身体をうねらせて、教会を取り囲んでいた兵士たちを一掃した。
 そして教会を包み込むようにぐるりととぐろを巻くと……さらさらと姿を消していった。

 倒れているノエルの横に、少女姿のミズカもまた身体を横たえた。
 首からはだらだらと血を流している。
「油断しちゃった。少し休むね、おにいちゃん……」
 ミズカはゆっくりと目を閉じた。

  ***

 ティナは3階のギャラリーから、聖堂の惨状を眺めていた。
 自分を救おうとしてくれた人たちが、みな倒れている。
 その光景は、村が焼かれたあの夜の光景と、嫌でもフィードバックしてしまう。
 自分に関わるものには、みな不幸が訪れるのではないか、そんなことも考えてしまう。
 祖母の意志を継ぐために頑張ってきたが、それに意味があったのだろうか。
 自分が生きることは、他人の犠牲の上に成り立っているのではないだろうか。
 いや、自分が生きていることで、他人を不幸に巻き込んでいるのではないだろうか。
 だったら……いっそ、ここで死んでしまった方がいいのではないだろうか。
「う……うう……」
 マラルメは鱗化がはじまり、痛みに悶えている。
 ティナは震える手で、マラルメに刺さったナイフを引き抜いた。
 この刃を……自分に突き立てるだけで、楽になれる――
 そう考えると、それが容易いことのように思えてきた。
 震えながら、刃を首に近付けていくティナ。
 だかその手を、傷ついたマラルメが止めた。
「ティナ……だめだ……」
 ハッとして、ティナは手で頬に触れた。
 しっとりと濡れて、ようやく自分が泣いていることに気付いた。
 ティナはナイフを投げ捨てた。
「ティナ、まだだ……まだだ……」
 そうだ、自分がいまやることは泣くことではない。悲観することでもない。
 ティナはマラルメに手をかざして、祝詞の詠唱をはじめた――そこへ――
 ラッパの音が吹き荒れた。
 聖堂の外から聞こえてくるその音に、マラルメは顔を明るませる。
「〈緑の信奉者〉だ!」
 マラルメは重たい身体を支えて、よろよろと立ち上がり階下を見た。
 扉が開け放たれて、一人の青年が聖堂に入ってきた。

Scene11 見世物《フリークス》なんてさようなら その1

  ***

 申し訳なさそうに視線を逸らすノエル。
 彼はベッドの上に正座させられていた。
 そして隣には下着姿のミズカも、同じく正座させられている。
「いやその……つまりだな……」
 ノエルにはうまい言い逃れが見つからなかった。
「わ、わたし、気がついたらおにいちゃんのところにいてぇ……」
 ミズカもどうしたものかと目を泳がせている。
 救いを求めるようにユーリエルにも視線を送るが、ミズカに拉致監禁されたトラウマからか、冷や汗を流すばかりで固く口を閉ざしていた。
「つまり、お兄様ということですか?」
 頬を赤らめたティナは、なぜか涙目である。

 数分前――
 ティナは介抱のため、いまだ眠り続けるノエルの横で詠唱をしていた。
 が、連日の介抱疲れのためかよろけてしまい――ノエルの上に覆い被さった。
 顔と顔との距離が、ほんの数センチ。
 普段はしかめ面ばかりしているが、眠っているいまは、穏やかそうにしているノエルの顔。
 そのきれいな顔立ちに……ティナは見惚れてしまった。
 ぼんやりしていたのもあって、引き寄せられるように、ティナはノエルの唇に自分の唇を重ねかけた――
「ってててて、なあに、もうおにいちゃん……」
 声がすぐ近くから聞こえた。
 ティナがはっとしてシーツをめくると、そこには下着姿の少女が絡みついていた――

「そ、そ、そうでぇす……わたしはお兄ちゃんの妹でぇす。」
 そんな苦し紛れの言葉にも、
「ふうん。」
 というアンナの刺すような視線が痛い。
「わ、わたし、一人だと眠れなくって、いつもおにいちゃんに甘えちゃうんですぅ。」
 ミズカがいつになく取り乱しているのは、アンナの前ということもあるのだろう。
「齢も……離れていらっしゃるようですけど……」
 ティナが至極真っ当なところを突いてくる。
「家庭環境が複雑なんですぅ! ねっ、おにいちゃん!」
 と同意を求めてくるミズカに、
「そ、そうだ。」
 ええいもうどうにでもなれ、というヤケバチである。
 ノエルとしても目を覚ましたばかりで、なにがなんだかわかっていない。
 話によると、どうやら2日ほど眠っていたらしい。頭が働くわけもなかった。
「そうなんですね、ノエルさんは不潔な方だと思ってしまいました。」
 やはりティナも、目が笑っていない。
「ふうん……」
 とミズカをねめつけるアンナ。砂蟲のくせに、蛇に睨まれたカエルのようにたらたらと汗を流すミズカは、たまらずノエルに助けを求めた。
「ほら、お兄ちゃんもなんか言ってやってよっ!」
「う、うちの妹が、騒がせて、すまん――ちくしょうなんでおれが――いででっ!」
 後ろ手でミズカに尻をつままれるノエル。
「ミズカです。うちのおにいちゃんがいつもお世話になっています。」
 ミズカがおそるおそる手を出すと、アンナは訝しがりながらも手を取った。
「よろしく。ねえ、ミズカちゃんどこかで会ったことない?」
 アンナはまじまじとミズカを見つめる。
「はじめてですよ、、、、アハハハハ、、、、アンナさんおもしろい、、、、」
 いよいよ化けの皮が剥がれそうになっているミズカ。
 傷はまだ癒えていないようで、首筋にも痣が残っている。
「よかったぁ。ノエルさんがこんな幼い子にまで手を出すような変態鬼畜だったらどうしようか思いましたぁ。」
 さらりと『変態鬼畜』といったティナに、肝を冷やすノエル。
 『幼い子に「まで」』という部分も気になるが、とりあえず受け流(スルー)しておいて――
 ミズカに耳打ちする。

――ミズカ、なんで消えてねえんだ!
――本体が休眠中なの! だから幻体も、うまく操れないみたい。
――だぁぁぁぁ!

 そもそもベッドに忍び込んだことに対する怒りまでは、気が回らなかった。
「なにをヒソヒソ話してるの? 家族会議?」
 とアンナは冷笑を向けている。
「ハハハハハ……」
 ノエルは乾いた声を返すしかなかった。
 そこへ扉が開いて、腕に包帯を巻いたマラルメと、眼鏡の男が入ってきた。
「にぎやかですね。」
 眼鏡の男はざっと室内を眺め回して、みなの様子を観察する。
「もう傷はほとんど塞がっていますね。さすがは巫女様。」
 くいと眼鏡を上げて、髪をかき上げる男。
「あんたは?」
 ノエルは正座のまま訊いた。
「わたしは〈緑の信奉者〉のリーダー、ジョルジュ・ハミングです。すべてティナ様からお聞きしました。わが国の巫女にお力添えいただき、感謝しております。」
 ジョルジュは胸に手を当てて、恭しくお辞儀をした。
 痩身ではあるが聡明な顔立ちで、芯の強そうな男である。
「さっそくですが、お話があります――」
 ジョルジュはそういうと、また髪をかき上げた。
「天使をぶっ潰していただきたい。」
 そう冷ややかに言い放つジョルジュは、やはり過激な男であるようだ。

  ***

 ここは〈緑の信奉者〉が潜伏している古民家の一室。
 古民家とはいっても、ときの富豪の遺産を、中流階級に払い下げたという代物であり、やや古びてはいるが、格式高い邸宅である。
 その眼鏡の奥に、青い炎を灯したような反乱軍のリーダー、ジョルジュの申し出はいたってシンプルだった。
「解毒剤――それを手に入れたいのです。」
 ジョルジュは真珠貝のような曲線を描くソファーに優雅に腰かけている。
 それが嫌味にならないのは、普段からそうした高価な品々に親しんでいるからだろう。
「冥魚病というのは――ラースが生みだした魔毒です。王妃殿下がご回復なさっている以上、必ず解毒剤があるはずです。」
 〈緑の信奉者〉は、それがラース邸以外にはありえないというところまで突き止めているらしい。
「ですが――」
 ここでジョルジュはまた眼鏡を上げた。
「あそこには天使が出ましてね……」
 と悔しそうな顔をするジョルジュ。
 きっと多くの犠牲者が出たのだろう。
「その退治をお願いしたいのです。」
 一度撃退に成功したノエルたちならば、聖堂から逃れた手負いの天使ならば――
 今度こそ勝つことができるかもしれないと考えているのだろう。
 しかし、本当にそうだろうか? 
 先の戦闘を思い返してみても、ノエルにはまるで勝算が見つからなかった。
「おっけー、任せといてよ。」
 いとも容易くこたえたのは、もちろんアンナである。
「おまえ一度負けてんだぞ?」
 あの狂天使ともう一戦交えたところで、結果は変わらないだろう。
 ましてノエルは、冥魚にやられて動けるかどうかもわからないのだ。
 だがアンナは、
「わたし一度負けた相手には、二度と負けないの。」
 といたってお気楽な返答を寄越した。
「その自信はどっから来んだよ?」
「なぜなら、それは、アンナちゃんだから。」
「あ?」
 まったく会話にならないやり取りに、思わず怒気が混じるノエル。
「では、ご協力いただけるということで――」
 ジョルジュは快諾と受けとめて、話を進めていく。
 ジョルジュとしても、あまり時間はないと踏んでいるのだろう。
 マラルメも気丈に振舞ってはいるが、その額には脂汗が滲んでいる。
「ですが先日の〈マジカレード・タイム〉のおかげで、この街にも妙な連中がたくさんやってきましてね。いやはやウリザネの入管は、金さえ払えばザルとゆうことでしょう。」
 皮肉とはいえ、どこか寂しさもあるのは、国を憂いているからだろうか。
「ラース邸に行くのも……迷惑をおかけするかもしれません。」
「あ?」
 憂い顔のジョルジュに、ノエルは少し嫌な予感がした。

Scene11 見世物《フリークス》なんてさようなら その2

  ***

「さぁさぁさぁ! 世にも珍しいツィールク団がやってきたケェロケロ~!」
 大通りを奇怪な一団が歩いていく。
 先頭を歩くのは、全身が蛙の肌で覆われた小男。ビラをまき散らしている。
 続いて痩身に眼鏡の旗持ちが優雅に歩く。
 そのまわりでは小さな女子がくるくると踊り狂っていた。
 腹を膨らませた管楽団がそれに続き、テンポの速い陽気な曲をかき鳴らす。
 さらに黒マントに髭を生やした陰険そうな男は――団長だろうか。
 隊列を乱すように、ピエロが右へ左へ愛想を振りまく。
 その後ろには一団のマスコットキャラクターであろう着ぐるみが、よたよたとついてまわる。
 続いて一団が従えるのは獰猛な動物たち。
 身体は馬だが、足は鳥のような生き物。
 鼻が二股に分かれた象の上には、包帯に身をくるんだミイラ男が乗っている。
 豹の檻に入れられた貴婦人はその艶めかしい肢体を見せつけながら微笑んでいる。
(しかし、なぜだか豹のほうが震えているようにも見える。)
 派手なメイクに彩られたその一団は、どこからともなくあらわれて大通りを席巻した。
 道行く人は足を止め、期待に胸を膨らませる。
 あっという間に人だかりの山である。
 一団はその中をかき分けかき分け進んでいく。

 やがてラース邸の正門へと押し入ると、その広大な庭にテント(・・・)を築きはじめた。

  ***

 旗持ち姿のジョルジュが近付くと、ノエル団長は忌々しげに付け髭を取った。
「お似合いでしたよ。」
 爽やかに笑うジョルジュに、ノエルは半眼を向ける。
 着ぐるみの頭を取ったティナがよたよたと近付いてきて、
「すみませんー、どなたか脱ぐのを手伝っていただけませんかー。」
 というと、カエル男がやってきて、
「おまかせですケェ~」
 と背中のファスナーに指をかけた。
 ピエロのユーリエルはまんざらでもない様子で、ジャグリングの練習をしてる。
 おびえる豹と無理矢理に握手を交わしたアンナは、たおやかに檻を出てきた。
 踊り子のミズカは、ノエルの前でくるくると踊りながら、
「どう? かわいい?」
 などと語りかけてくる。
「助かりました、『カエル商人』さん。」
 ジョルジュはカエル男に言った。
「いえいえ、あっしも『青い炎』さんに会えるなんて、これも神の御導きですケェロケロ。」
 と目をしぱたかせている。
 ふたりははがき職人同士、意気投合したらしい。
 ちなみにこのサーカス団セットは、カエル商人がしつらえたものであった。
 ミイラ男だったマラルメは頭の包帯を取り払い、管楽団員の膨れた腹から銃器を取り出していた。
「時間がありません。カムフラージュもそう長くは続きませんから。」
 
 扮装しての侵入。
 設営と見せかけての戦闘準備。
 感銘直截・豪放磊落ゆえに、荒くれどもの目はごまかせたようである。
 決戦だと奮起するマラルメら〈緑の信奉者〉だったが――

 ノエルの背中に抱き着いているミズカ、着ぐるみがうまく脱げずにこけるティナ、ジャグリングで遊ぶアンナとユーリエル……緊張感のない連中に囲まれている。
「ま、これでいいのかもな。」
 とノエルは深く考えるのをやめた。
「なあに? どうかしたの?」
 ミズカが肩越しに、顔を覗き込んできた。
「いや、なんでもない。」
「ふうん。」
 なぜだかノエルは、至極さっぱりとしていた。

 しかし――それにしてもあまりに難がなさすぎる……
(あるいは、誘われているか――)
 不穏なものを感じながらも、〈緑の信奉者〉のリーダー、ジョルジュ・ハミングは一団に指揮を下した。
「では、行きましょうか。」
 武装した一団は、ラース邸の重たい大扉をゆっくりと開けた。

Scene12 天使《アンゲロス》なんてさようなら その1

  ***

 激しい銃撃音が飛び交い、邸はまたたく間に戦場と化し――
 などという展開も考えていたが、大扉の奥は静まり返っていた。
 いや――がらんどうであった。
 いつもは使用人や、警備兵がいるであろうそこには、誰もいなかった。
 それだけではない。
 大理石が敷きつめられたエントランス、2階へと続く大階段、巨大な肖像画、シャンデリア、いったい何部屋あるのだろうと思われる洒落た扉の数々……そんな大邸宅の象徴ともいうべきそれらが――一切なかった。
 邸の中が、ぽっかりと別空間へと入れ代わったかのように――扉の先には広大な灰色の景色が広がっていた。
 
 そこに、ネフィエルがひとり佇んでいた。
「サーカス団を呼んだ覚えはありませんが?」
 余裕のある口振りである。
「ここで一芝居打たせていただけないかと思いまして、交渉に参りました。」
 ジョルジュも負けず劣らずの口振りで返す。これがネフィエルの気に障ったのか、
「ラース公は外出中です。」
 とやや語気を荒げた。
 ジョルジュはにやりとほくそ笑むと、さらに続ける。
「こちらには病を癒す秘薬があるそうですね?」
「なんのことやら。」
「王妃殿下を癒した秘薬です。」
「ラース公の偉大なお力によるものでしょう。」
「お譲りいただけないと?」
「ないものを差し上げることはできません。」
 互いに一歩も引かぬ応酬である。
「では――悪魔をご存じですか?」
「悪魔?」
巫女の村(シビュレェ)を灰塵に帰したという悪魔です。ラースは悪魔と手を組んでいたと聞いたものですから、是非とも――うちの見世物にしたいと思いまして。」
 そう眼鏡の奥を光らせたジョルジュに、
「ハハハハハハ!」
 ネフィエルがいよいよ声を上げた。
「悪魔! それもいい。地に堕ちた天使は、みな悪魔と呼ばれるのだ!」
 ネフィエルは高々と宙へ舞い上がり、4枚の羽を広げた。
 残念ながら、すでに傷は癒えているらしい。
「ボクがその悪魔だ。じっくり眺めてくれ。」
「やはりラースは、地獄に堕ちた魔僧でしたか!」
「君たちよりは、幾分かマシなヒトさ。」
 ネフィエルは手をかざすと、はるか彼方へ向けて光弾を放つ。
 その一撃は、果てしない空間を切り裂いてゆき――猛烈な爆炎を上げた。
「ここではぼくの力はさらに強くなる。それでもやるかい?」
「われわれには巫女のご加護がついています。」
精霊使い(せいれい)なんてちっぽけな存在だよ、ぼくに比べたらね。」
 ネフィエルはその手をジョルジュへかざした。
 一同を巨大な爆炎が襲った。

  ***

 マラルメはティナの手を引いて駆けだした。
 しかし爆風は無情にも、足の遅い彼らを襲う。
 高熱に身を包まれるかと見えたそのときに、ミズカが飛び込んできた。
 砂の膜を張って、ティナとマラルメを護ったのだった。
「み、ミズカちゃん。あなた――」
「はいはい、あとあと。おにいちゃんからあんたたちを護るように頼まれちゃったの。あーアホくさ。あとでうんとお返ししてもらうんだから。」
 ミズカは頬を膨らませている。
 マラルメは自動小銃を構えると、ネフィエルに向けて撃った。
 方々から射撃されるネフィエルだったが――しかしその羽は聖堂のときよりもさらに強化、延伸されているようで、まるで羽衣のようにネフィエルを優しく包み込み、あらゆる衝撃から護っていた。
(ま、わたしは防御で手一杯よね――)
 ミズカは内心ごちた。
 隔絶されたこの空間では、本体の力を呼び込むこともできそうにない。
 にも増して、いまだ傷の癒えぬ身体である。
 爆炎から身を護れているだけでも、良しとしなければならない。
(こんな汚れ仕事を押しつけるなんて――滅ぼしてやろうかしら砂蟲(サンドワーム)。)
 と怒りの矛先を同族へ向けてみた。
 思い付きではあったが、それもまた一興かもしれないとミズカは思った。

  ***

「ユーリ、術式が読めるか?」
 ノエルが隣にいるユーリエルに声をかけた。
「んーやってはいるけど――この空間ちょっとおかしいんだよねぇ。」
「おかしい?」
「別の次元から、ネフィエルに都合のよい空間を呼び寄せているみたいだけど……混じりっ気が多いというか……ああそっか! 呼び寄せているのは空間じゃなくて、事象だけってことか!」
 などとひとりで理解を深めていくユーリエルに、ノエルは眉根を寄せた。
「あ? どうゆうこった?」
「別世界の、構成要素だけを貼りつけてるってこと。ルールとか法則とかね。」
「そんなこと、できんのか?」
「知らないよぉ。」
 ふたりは光弾を避けるため走る。
「でも――理屈だけならわかるかも――」
 走りながら、ユーリエルはきょろきょろとあたりを見回した。
 そして目的のものを見つけて、あらぬほうへ走ってゆく。
「ユーリっ!」
 ノエルが追いかけて、ユーリに飛びついた。
 ノエルの頭上すれすれを光弾が通り抜けて……遠方で爆散した。
「あぶねえ……」
「はい、見つけたぁ」
 ユーリエルは倒れたまま、それを指した。
 天使から抜け落ちたとでもいうような、白い羽毛が1枚、そこに落ちていた。
 ユーリエルが羽毛をつまんで、ふうと吹くと、ばらばらに砕けて消滅した。
「ラースは呪術者としても一級だね。」
「あ?」
「別次元の事象のつなぎ留め。どうやってるのかは知らないけど――『つなぎ留め』ているのであれば、そこには『楔』があるはずなんだ。糸でボタンを服に縫い付けるみたいにねぇ。だから『楔』を壊して、糸を切っちゃえば元通りになるはずだよ。」
「――で、その『楔』ってのが」
「この天使の羽毛ってわけ。悪趣味だよねぇ。」
「おまえに言われたくないな。」
 ノエルは、ユーリエルが用意した派手なオープンカーを思い出した。
「けど――何も起きねえぞ?」
「そりゃそうだよ。これだけの空間に事象をつなぎ留めるには、『楔』がいくつ必要なんだろうね。ボクにも想像がつかないよぉ。」
 ユーリエルは事もなげに言う。
 そこへ自動小銃を抱えたジョルジュが合流した。
「何かありましたか?」
「散らばっている羽毛を撃ち抜けだってよ。それが『楔』なんだと。」
「わかりました。みなに伝えましょう。」
 そういうとジョルジュはまた走っていった。
「ところでさ、ノエルぅ」
 ユーリエルは不思議そうにノエルの顔を覗き込んだ。
「あ?」
「どうしてノエルは平気なの(・・・・・・・・・)?」
 その意味がつかめずノエルが眉根を寄せたそのとき――
 
 右腕を激痛が襲った。
 鱗が、ノエルの全身へ向けて這い出していた。

 ここはネフィエルの力が増強される空間である。
 ならばもし、『冥魚病』にネフィエルの力が混じっていたとしたら、その病もまた凶悪なものへと変貌する――
「なっ……ううっ――」
 ノエルはその場にくずおれた。

 マラルメもまた、地に伏し、もがくことしかできなかった。
 怒涛のような鱗の侵蝕に、ティナはすぐさま詠唱にかかる。
 しかしその進度を鈍らせることしかできなかった。
(これじゃあジリ貧よね。)
 またもひとりごちるミズカ。
 光弾はミズカの砂壁へ向けて何発も放たれている。
 その度に防壁はすり減っていく。
 あとどれだけ持ちこたえられるのか、ミズカにもわからなかった。

Scene12 天使《アンゲロス》なんてさようなら その2

  ***

(つまらない……)
 銃撃がおさまりはじめた戦場で、ネフィエルはそんなことを考えていた。
 威勢のいいことを言っていたが……反乱軍のすでに半数以上が行動不能に陥っている。
 天使の(さが)として命を奪うまではいかないが、それに近い状態ではあるだろう。
 残ったものたちは、『楔』の破壊にかかっている。無駄なことを。
 かれらは、どれだけの『楔』が穿たれているのか知っているのだろうか?
 それにもし空間を解放したところで、優劣はさほど変わらないというのに。
 そうだ。かれらには、すでに勝利の『可能性』がないのだ。
(……つまらない……)
 ヒトはいったい、どれだけの『可能性』を浪費してきたのだろうか。
 あたえられた『可能性』を使おうともせず、わずかながら残った『可能性』すらも捨て去ろうとする。『可能性』とはいったいなんなのか、ヒトはそれを考えようともしなかった。

――だからぼくが教えてやった――

 『可能性』とは『バグ』だ!
 『バグ』とは、決して自然発生的に起こるものではない!
 引き起こされていたものなのだ!
(だがそれも……あと少し……)
 まもなく――ぼくが神をも超える力を手にするのだ。
 これでようやく、神に一泡吹かせてやれる。
 巨人族(ネフィリム)の復讐を果たすことができる。
 ぼくはそのためにここまでやってきたのだ。
 世界を統べるなどと……安穏と鎮座している神など――多元宇宙(可能性)(かなた)へ突き落してやる。
 そんな愉快なことのためならば……これくらい我慢しよう。

 だが――
 そんなネフィエルの前に、女が立ちはだかった。

 アンナは金髪をなびかせて、この絶望においても笑顔に屈託がなかった。
「アンナとか言ったね。どうして笑ってる?」
「え? だって楽しいじゃん。」
「楽しい?」
「わたし、喧嘩が好きなのよ。それもガチンコのやつね。」
「…………」
 やはりヒトのいうことはよくわからない。
 しかしネフィエルは興が乗って、アンナにさらなる絶望をあたえてみたくなった。
「薬が欲しいといっていたね?」
「ええ。」
「残念だけど――薬は存在しないよ。王妃にしたって、あれはすでに死んでいるんだ。ラースの術によって、生きているように偽装しているだけだよ。」
「へえ、そうなんだ。」
 関心のなさそうに返事をするアンナ。
 ネフィエルはアンナをただの馬鹿ではないかと疑った。
「薬なんて、はなっからないと言っているんだ。」
「ないなら仕方ないよ。」
 さらりと返すアンナ。
 ネフィエルは怪訝な顔をした。
「いいのかそれで。」
「いい、いい。あとはあんたをぶっ飛ばしてから考えるよ。」
 その自信に満ちた表情には、絶望など少しも滲まなかった。
 それがまるで確定事項のように、朝になったら日が昇る、というように語るのである。
 やはりただの馬鹿か――飽きてしまったネフィエルはもう興じることを止めた。
 ここにいる全員を仕留めることなど、最初から出来たのだ。
 でもそれをしなかったのは、ただの気まぐれでしかなかった。
「――Delenda est formicae……」
 ネフィエルの背中から、白い煙のようなものが立ち上り、巨大な人型が形成されていく。
 アンナはにいっと笑うと、両手の拳銃をホルスターにしまった。
 それは荒野のガンマンが早撃ち対決をするかのようであった。
 ネフィエルと白き巨人はその腕を高々と掲げる――

「機械仕掛けの巨人(Gigantes ex machina)!」

 電光を放ちながら落ちてくる巨人の手が、アンナの頭上に迫る――

  ***

「冗談じゃないわ!」
 ミズカは激怒していた。
 巨人の手が振り下ろされる直前、アンナがこちらにちらりと視線を送ったからである。
「あんだけ啖呵切ったんだから、ひとりでやんなさいよ!」
 しかしそんな声も、アンナには届かない。
 アンナは巨人の手の中へ消えていった。

 電撃が大地を駆け、地を這うものたちを次々と襲っていく。
 断末魔のような人々の悲鳴が、広大な空間の各所で上がった。

  ***

「ここが、ヒトの限界だ。」
 ネフィエルは鳥瞰し、虚ろな眼を浮かべていた。
 やはりヒトは、『可能性』にまで到達できないのだ。そんな思いが、ネフィエルの胸中を埋め尽くしていた。だが――
「こっちこっち!」
 声が、頭上(・・)から聞こえた。
 ハッとしてネフィエルが見上げると、その眼前に……アンナが迫っていた。
「――なっ!?」
「アンナちゃん必殺ぅぅぅぅ……」
 迫りくるアンナに、ネフィエルはとっさに防御の体勢をとった。
 アンナの強靭な一撃を4枚の羽で受け止めようとしたのである。
 しかしアンナの目的は、打撃ではなかった。
 アンナは羽を1枚むんずとつかむと、そのままネフィエルを飛び越して――
「一本背負いぃぃぃぃっ!!!」
 ぶん投げた。
 武装外骨格(アームド)は制御を失い、ネフィエルを地面に叩きつける。
「――がはっ!」
 全身の骨が軋むような音がネフィエルには聞こえた。
 アンナはうまく着地できず、ごろごろと前につんのめる。
「わ、とととと……」
 ペタンと地面に倒れると、そこでふうとひと息をついた。
 そしてすぐに立ち上がって、服をぱんぱんとはたく。

 すると異空間がすうと消え失せた。
 もとの邸宅内へとゆらゆら変移していった。
「なぜだ……」
 ネフィエルのうめくような声が聞こえた。
「ミズカちゃんに投げてもらったのよ。」
 早撃ちスタイルも挑発。
 攻撃を惹きつけておいて、巨人の手はジャンプしてかわすと、今度は地面に触れる前にミズカが足場を作り、ネフィエルに向けてぶん投げたのである。
「そうじゃない……なぜ消えた……?」
 ネフィエルは伏していることよりも、空間の消失に驚愕していた。
「負けたからでしょ?」
「ちがう……」
――叩き落とされたからといって、消えてしまうような空間ではない。
 それがこうも簡単に消えるというのは……それはつまり――
「ラース……裏切ったな……」

 力を手に入れたヒトが、どのようなことをしてきたか……
 ネフィエルは歴史から、知っていたはずであった。
 だが――
 それでもラースに託したのは、どこかで期待していたのだ。
 ラースであればこの世界を変えることができるかもしれないと、ヒトの『可能性』のその先へ行くことができるかもしれないと、そう感じていたのだった。
 しかし――ヒトを利用していたはずの自分が、まさかヒトに利用されようとは……
 ネフィエルは……笑いが込み上げてきた。
 やがてそれは狂ったような高笑いに変わる。
 アンナが心配そうに見つめていると、ネフィエルは立ち上がって、その指先を武装外骨格(アームド)へ触れた。
「ぼくにできることは、もう何もない。」
 ネフィエルは武装外骨格(アームド)に仕込まれていた『かけら』を取り出した。
 それはかつて、ティナがラースとともに発掘した、聖域の遺跡の一部であった。
 ネフィエルは不敵な笑みを残すと、小さな異空間を巻き起こして、その中へと消えていった。
「あ、逃げられた!」
 すぐに異空間も消滅し、跡形もなくなってしまう。
「ちぇっ――これから、ってとこだったのに。」
 不完全燃焼だったらしいアンナがぼやく。
「ちょっとアンナ!」
 腹を立てたミズカの声が、ようやくアンナに届いた。
「どうしてあんたにまでアゴで使われなきゃなんないのよ!」
「いいじゃん、うまくいったんだから。」
「わたしはあんたとアイコンタクトできちゃったことが歯がゆいのよっ!」
 などとガミガミ言っている。
「それよりも、早くみなさんの手当てをしなくては……」
 ティナとマラルメも、ミズカによって電撃を免れていた。
 ネフィエルの力が薄れたせいか、鱗の侵蝕はおさまっていた。
 しかし痛みがいよいよ脳を麻痺させたのか――虚ろな顔をしている。
「魚だ……」
 マラルメがそうつぶやいた。
「マメくん?」
「目のなかに……魚がいる……」
 マラルメのぼやけた視界には、魚のようなものがゆらゆらとうごめいていた。

Scene12 天使《アンゲロス》なんてさようなら その3 本文編集

  ***

 ラース邸から数十キロ離れた街角で、ネフィエルは壁にもたれて、傷ついた身体を休めていた。
「はあ……はあ……」
 まだ日は高いが、狭い路地は薄暗かった。
 ネフィエルには、体中が軋んでいるのがわかった。
 だが、ヒトの身体に比べればその回復も早いので、少し休めば歩けるようになるだろう。
 ラースには裏切られたが――まだ策が尽きたわけではない。
 『キーキューブ』を奪い返せばいいだけである。
 そもそもラースは、聖域に近付くことができない天使の代わりに、〈超遺物〉を発掘してもらうのが役目だったのだ。 
 ネフィエルは壁から身体を離した。
 いまでも少しなら動くことができそうである。

 そこへ――路地を歩いてくる影があった。
 杖をついた老人である。
 狭い路地を行き交うため、ネフィエルは身体をよじった。
「すまないね。」
 と老人は礼を言った。厳めしい顔つきの老人であった。
 すれ違うと老人は、はたと足を止めてこう言った。
「ハレルヤ(神を讃えよ)」
 変なことをいう老人だなと振り返ったネフィエルの頭に――
 老人の杖が叩き落とされた。

 ぐきゃっ――
 
 鈍い音が響いて、ネフィエルはその場に倒れ込む。
「うぐ……あが……」
 猛烈な衝撃に、一撃で身体の自由が奪われてしまった。
 ただの打撃だったはずだ……それなのに、この衝撃はなんだ……
 この老人のどこに、そんな力があるというのか――
「アロイの杖。」
 口をパクパク動かすことしかできないネフィエルに、老人が語りかけた。
「かのモーセが、天使を叩き殺したという杖だ。天使に人は殺せぬというが……人は天使を殺せるのだよ。知らなかったかな?」
 天使殺し……?
 そんなことが本当にできるというのだろうか――
 しかしこの衝撃は――
「……ま……さか……」
 ここにきてネフィエルにもようやく思いいたった。
 どうしてその発想がなかったのだろうか。
 天使殺しができるとすれば、そいつは――

「聖マザーには世話になったのでね。」
 老人は厳めしい顔をピクリとも変えずに、またも杖を振り下ろした。

Scene13 温泉《セレモニー》なんてさようなら その1

  ***

 あられもない姿。
 それは一糸もまとわぬ、生まれたままの姿である。
 沐浴。
 それは身を清めるために行われる、とっても聖なる(ホーリーな)儀式である。
 ただしここは、厳寒の北国。
 その身をさらすのは清水ではなく――温泉であった。

「く~、きもちいい~」
「温まりますねえ」
 大地より湧きいずる豊かな資源に、アンナとティナは身を任せていた。
「やっぱ喧嘩のあとの風呂は最高だな~」
「アンナさん、これいちおう神聖な儀式なんですからね。」
「きっと神サマも、こんな湯に浸かったらふやけちゃうよ。ほらみて――」
 アンナは足を上げた。
「すべすべ~~~」
「ここは美肌効果もあるんですよ。」
「こうなってくると、ティナちんにも触っておかないと……」
「ええっ!?」
 アンナの悪戯な手がティナへと伸びる。
 身の危険を感じたティナはそっと距離を取ろうとするが――アンナは後ろから抱きついた。
「きゃっ、あ、アンナさん!」
「わお! ティナもすべすべ~!」
 アンナの手がティナの胸を捕える。
「だ、だから胸はやめてくださいぃ~」
 だがアンナは、当然のように止めようとはしない。
「いひひひひっ! ティナはかわいいなぁ!」
「も、もぉ! アンナさん怒りますよぉ! アンナさ、あ、くすぐったいっ、やだ、ちょっと……あふ、ううんっ、あっ、そこは、んんはあっ、アンナさんっ、ご、ごめ、ごめんなさぁぁぁい、許してぇぇぇぇぇ~~~~」
 ティナの身体がビクンビクンと悶えるのを、もてあそぶアンナ。
「ふう~、ティナは(じょく)し甲斐があるわ~」
 というとアンナは手を離した。
「なんですかぁ、辱し甲斐てぇ……ぶくぶくぶく……」
 涙目のティナは、恥ずかしさに顔を半分湯に沈めてしまう。
「よぉし、じゃあティナのためにわたしも胸をかそう!」
「ぶくぶく(えっ)!?」
「わたしの胸も揉んでいいよ。」
 ティナは驚いて湯から顔を上げた。
「ええっ!? いいんですかっ?」
「うむ、アンナちゃんに二言はないっ。」
 そういってアンナは豊かな胸を差し出した。
 たまにはこちらから――などと思っていたティナだが……
 いざ差し向けられると、いささか恐縮してしまう。
「で、では――」
 そういってティナは、憧れのその胸にそっと手を触れた。
 指先に伝わる柔らかな感触。ふかふか、ふにふに、ふわふわ、ふにゃふにゃ……そのどれども違うし、そのすべてともいえるような感触に――ティナはうっとりした。
「やわらかぁい……」
 と漏れたのは感嘆の声。
「そ、そうかな?」
 改めてそういわれると、アンナもなんだか気恥ずかしかった。
「絶妙な弾力です! じゅるる……」
 思わずよだれが出るほどの心地良さ。
 そして、ティナの小さな手ではおさまりきれないほどの豊沃さ……
 ティナの手は無意識的に動いていた。
「んっ――」
 と声が漏れたのはアンナからであった。
 温泉に溶けだした成分が摩擦を減らし、アンナの胸を軽快に這う。
 ぬめぬめとした感触が、得も言えぬ刺激を産んだようである。
 声に気を良くしたティナは、さらにアンナの全身をまさぐった。
「はぁはぁ……アンナさん……ほんとにきれいでしゅ……」
「ちょ、ちょっとティナ! 胸だけだって――ひゃっぁ」
 息を荒くしたティナの手が、アンナの内腿に触れる。
「ああっ、もう、ティナっ――」
 ティナは自分の胸を、アンナの胸にぎゅっと押しつけて、背中や尻に触れてゆく。
 アンナは力が抜けてしまった。
「あ……うっ――」
「アンナさんずるいです……こんなにきれいで――かわいいなんて……」
「ずるいって、そんな――」
「そんなアンナさんには、お仕置きですぅぅぅ」
 ティナはさらに身体をぐいと押し付けながら、尻や背中を揉みしだいた。
「ああっん、ティナっ、う……声が出ちゃ……ああっっ」
 ティナはすっかりのぼせて、頬も赤く染まっている。
 ティナを押しのけるわけにもいかず、アンナはくねくねと手足を悶えさせた。
 ティナはくるりと背後へ回り込むと、アンナの背中をやさしく噛む。
「ああんっ、背中はぁっ、」
 かぷかぷと2度3度、甘噛みをした。
 そのたびにアンナはぷるぷると震える。
「うふふ――」
 ティナの口から笑いがこぼれた。
「ふあ~っ! のぼせちゃいました~!」
 ティナはアンナから身体を離すと、湯から出て淵に腰かけた。
「うう。」
 想像していた以上のティナの責めに、今度はアンナが湯に顔を沈めていた。
「ぶくぶくぶくぶく……」

Scene13 温泉《セレモニー》なんてさようなら その2

  ***

「アンナさん、わたし――」
 声の調子が変わったティナに、アンナは顔を沈めたまま視線を向けた。
「わたし――本当はアンナさんからキューブを取り返しに来たんです。」
「ぶくぶく?」
「クリプタで、アンナさんたちに出会ったのも偶然じゃなくて。ああやって、追われているフリをしたら、きっと助けてくれるって、そう思ったんです。」
「それはまた――思い切ったわね。」
 アンナは顔を上げると、そっとティナに近寄った。
「ええ。でもどこかで確信があったんです。実を言うとアヴァルスの龍華街にもポークルムの獣苑にも、わたしは居たんです。」
「へえ、そうだったんだ。」
「わたしの祖母、聖マザーと、〈クーザ・キルティ〉のアレグラハム・コンマイトさんは親交があったんです。それで、アレグラハムさんがわたしをウリザネから逃がしてくださったんです。」
「ふうん。」
「村が襲われた日、わたしは祖母から神器(レガリア)を託されました。ネフィエルが〈キーキューブ〉と呼んでいたものです。それさえあれば、聖域は守られると。しかしそれを、龍華街でアンナさんに奪われてしまったんです……」
「あ、そうだったの? 悪いことしちゃったね。」
「ごめんなさい――」
「えっ?」
「だましていて、ごめんなさい――」
 ティナは深々と頭を下げた。
 アンナの目を見ることができないのか、きゅっと目をつぶる。
「わたしのせいで、みなさんを大変な目に合わせてしまいました。」
 震えているのは、もちろん寒さのせいなどではない。
 これはいまのティナにできる懺悔なのであった。
 そんなティナに、アンナはそっと手を触れた。
「それは違うんじゃないかな?」
「え?」
 きょとんとして顔を上げるティナ。
「もとはといえば、わたしがキューブを奪ったからでしょ? だったらそれは、わたしから首を突っ込んだってことよね。それに――」
 アンナはゆっくりとティナに向き直った。
 ティナもじっとアンナの瞳を見つめる。
「わたしはすべてをほっぽり出すこともできるのよ。でもそうしてないってことは――」
 アンナはにっこりと微笑んだ。
「好きでやってんのよね。さっきの喧嘩だって、すっごく楽しかったし。」
「そう……ですか?」
「わたし、人に気を遣うの得意じゃないもん。だぶんノエルもユーちゃんも同じ。」
「んー、そうでしょうか?」
「そうそう――だよね、ミズカちゃん?」
 アンナが声を張ると、どこかから砂粒が集まってきてミズカが姿をあらわした。
「冗談! わたしは嫌でしょうがないわ。」
「とはいいつつ、どうして裸なの?」
 ミズカもまた一糸まとわぬ姿で、きれいに折りたたまれたタオルを頭に乗せていた。
「ここは温泉よ? それくらいの礼儀はわきまえてるのっ。」
 ミズカは湯に浸かるとスイスイ泳ぎはじめる。
「ミズカちゃんも温泉に入るんだね。」
「レディのたしなみよ。ちょっとアンナ、あんまりわたしに馴れ馴れしく話しかけないでよねっ。」
 ティナは立ち上がって、
「あの――さきほどは助けていただいて――」
 とミズカに礼を言おうとしたが、
「やめてよ。」
 ミズカはぷいとそっぽを向いた。
「助けたくて助けたんじゃないの。ただ――それが一番、効率が良かっただけ。」
「そうですか――」
 ティナはまたうつむいてしまった。
「もう、素直じゃないなあミズカちゃんは。」
 そういうとアンナはミズカを両腕で捕まえた。
「ちょ、アンナっ!? なにすんのよ!」
 と騒ぐミズカの身体を、アンナはくすぐった。
「あひゃ、こらアンナ! なにやっ――ちょっと、あっはははっ、やめっ、うひひひひ……、あーもー水に濡れて逃げられないーっ!」
 アンナの手にまさぐられて、笑いながら水面をばしゃばしゃと叩くミズカ。
「ほれほれ、いじわるしないって言いなさい!」
「わかった、わかったからもうやめてぇぇ、ああもうアンナなんか、大っ嫌ぃぃぃぃぃ!」
 ミズカの絶叫が、森にこだましていった。

Scene14 不具合《トラブル》なんてさようなら その1

  ***

 樹木が鬱蒼と生い茂る原生林。
 通称迷いの森ともいわれ、『キーキューブ』なくしては立ち入れない場所――聖域。
 しかしティナであれば、かつてそうしたように、キューブがなくともその深部まで足を踏み入れることができる――かもしれない。
 そのための禊は、すでに済ませた。
 森には凶悪な呪術者のラースが潜んでいるとみて間違いない。
 ふたりはその森の奥を見つめて、手を握った。
 ティナとアンナのふたりの手は、その深部まで離すことのないよう、固く結ばれた。

  ***

 ユーリエルは、〈緑の信奉者〉の救護室でノエルとマラルメの看病をしてた。
 ネフィエルとの闘いで、鱗はすでにふたりの身体を8割ほど蝕んでいる。
 ノエルは鱗が顔にまでかかっていた。
 その高熱のためか氷嚢はすぐに温くなってしまう。
 甲斐甲斐しく看病をするユーリエルは、なんだか板についていた。
 なぜユーリエルが留守番しているかというと――天使は聖域に入ることができないのだ。
 もしそれができるなら、ネフィエルはラースの手など借りなかったはずである。
 同じく救護室でつまらなさそうにしているミズカもまた、聖域に入ることができなかった。
 傷ついた身体では、聖域を守る精霊(ぬし)を抑えることもできないらしい。
 聖域にはそれだけ強大ななにかが眠っているということだろうか。
「待機ってのも、暇よねえ~」
 ミズカは椅子に座ったまま、足をぶらぶらさせている。
 温泉に浸かったせいで、砂の身体からまだ水が抜けていないのか、ミズカの髪はしっとりと濡れていた。
「だったら少しは手伝ってよ~」
「おことわり。なんでわたしがそんなこと。」
 ミズカが太々しく言う。
 ジョルジュたち〈緑の信奉者〉はラース邸の探索を続けているので、人手が足りないらしい。
 そこでユーリエルが看病に駆り出されていた。
「うう……魚が……」
 マラルメが顔を歪めている。
 このままではあと一日もしないうちに、全身が鱗に覆われてしまうだろう。
 ネフィエルから受けた傷なので死ぬことはないだろうが、逆にそれは地獄の苦しみを味わい続けるということになるのかもしれない。

  ***

 ノエルは天井を見遣った。
 思うように体が動かない。
 ネフィエルの言うことが本当なら、早く手を打たなければその先には――死が待っている。
 天使に人は殺せないが、天使に天使は殺すことができる。
 すでにノエルの眼の中にも、魚がちらついていた。

  ***

「ティナは昔、この森に入ったんでしょう?」
「ええ。」
「じゃあさ、そのときにもラースと禊をしたの?」
「へ!?」
 アンナの疑問に、思わず手を放しそうになったティナだったが、
「いやその、それはまあ、儀式ですから――」 
 と言葉を濁した。
「変なことされなかった?」
「されてません!」
 ティナは顔を赤らめながら返す。
「昔のラースは、研究熱心な人でしたから。」
「そうかな?そうゆうのにかぎって、腹の内ではなに考えてるかわかんないよ? とくにティナに結婚を申し込むようなやつなんかはさ、きっとティナの裸を覚えてて――」
「それはラースが聖域に――もういいです!」
 ティナは途中で話を止めてアンナに背を向けた。
「あれ、ティナ怒ったの?」
「怒ってません、無視しただけです。」
「それ無視になってなくない?」
「いいんですっ!」
 ティナはさくさく歩いていく。
 アンナはへらへらと笑いながら、それに着いていった。

  ***

 しばらく進むと、開けた場所へ出た。
 そこだけぽっかりと草木が刈り取られたようになっている。
 そこに、ラースが立っていた。
 アンナは背後からゆっくり近付くと、銃口を定めた。
 だがラースはアンナに目もくれず、じっとキューブを見つめている。
「間に合ったようね。さあキューブを渡して。」
 余計なことをしたら撃つ、そうした意味を含めた。
「間に合った?」
 アンナに気付いていたのか、ラースは穏やかにこたえる。
 いやむしろ、ほっとしているようにさえみえた。
「ちょうど終わったところだ。」
 ラースがそう言うと――大地が鳴動した。 
 樹々をなぎ倒し、その根を八つ裂きにしながら聖域が隆起する。
「なにをした!」
 銃口を逸らさぬまま、アンナが叫んだ。
「遺跡をあるべき姿に戻すのだ。」
 アンナはラースを睨みつけたまま、引き金をひく。
 しかし銃弾は、この至近距離にもかかわらず、すべて逸れてしまう。
 ラースはアンナを見据えた。
「わたしには当たらん。」
 続けてアンナは2発撃ったが、すべて逸れてしまう。
(いや――逸らされてる)
 アンナの手首が、射撃の寸前に少しだけ角度を変えるのだった。
 それは無意識的に、撃とうと思っても手が勝手に動いてしまうのである。
 やがて揺れはおさまった。
「ここには昔、バベルの塔があったのだ。いまはその礎が残るばかりだが。」

 聖域から、巨大な塔の礎が隆起していた。
 出現した遺跡はクレーターのように、中心部がすり鉢状にへこんでいる。
 アンナたちのいるところは、その円の縁の部分であった。

「古代人の考えることなんて、わたしにはどうだっていいわ。」
「そうかな?」
 そういうとラースは、すり鉢の底へ向けて歩き出した。
「見せてやろう。きみたちの言う古代人というやつを。」
 ラースの怪しげな雰囲気に呑まれたふたりは、とりあえず従うことにした。

Scene14 不具合《トラブル》なんてさようなら その2

  ***

 もともと起伏の多い地形ではあったが、その表面を覆っていた土砂がはぎ取られ、遺跡ははっきりとその姿をあらわしていた。
 遺跡は無残にも崩壊しているように見えた。
「塔は破壊されたのだ。」
 見透かすように、ラースがつぶやいた。
「破壊されたって、だれに?」
「そもそもバベルの塔が、何のために作られていたかわかるか?」
「天にも届く塔を作りたかったんでしょ? じゃあ天を目指したんじゃないの?」
 それは旧い聖典に記述がある。石や漆喰に代わって、煉瓦やアスファルトを作り出す技術を手に入れた人間は、天にも届く塔作りに着手した。そして――失敗した。
 それは人の『業』の話であると、アンナは理解していた。
「ふむ……それもある意味では正しい。」
「回りくどいこと言ってないで、教えてよラースのおっちゃん。」
 教授の講義を聞いているようで辟易するアンナ。
 ここでティナが口を開いた。
「これは『神の遺物』ではないのですよね……だったらなんだというんです?」
「神ですら超えるもの。それゆえわたしは『超遺物』と呼んでいる。」
「『超遺物』? なんか胡散臭いな。」
「呼称などなんでもいい。ここにあったものは神を超え、天にも届くもの……」
 ラースは指先を空へ向けた。
「――宇宙」
「へ?」
「バベルの塔とは、この地球(ほし)宇宙(そら)とをつなぐ港だったのだ。」
 ラースは歩を緩めようとはしない。
 その最深部へ向かってぐいぐいと突き進んでいく。
「ちょっと待ってよ、古代人にそんなことができたの?」
「彼らは労働力を提供したまでだ。作ったのはわれわれではない。きみたちが神と呼んでいるものより、はるかに優れた生命だ。」
「なにそれ? 宇宙人ってこと?」
「はたしてこの世界の生命かどうかもわからん。もしくは別世界の生命かもしれん。ここにあったものは、多元宇宙よりエネルギーを抽出する装置……かれらはそのエネルギーを利用して、この地に中継基地を築いたのだ。」
 ラースは饒舌にしゃべるが、意味を理解されていようがされるまいが、お構いなしである。
「だが装置が暴走――塔とともに吹き飛んだ。しかし機能のすべてが失われたわけではない。多元宇宙――無限に存在する平行世界から、任意の1つを引き寄せる力……それが残されていた。人々の『言語』がいくつにも分かれたという伝説も、その影響だ。われわれが最初に目撃した――『バグ』だよ。」
 なんとか話に着いてきたアンナが、ここでひとつの答えにゆき着いた。
「ちょっと待って。じゃあ『バグ』ってゆうのは――」
「そうだ。すべての『バグ』は、この『超遺物』によって引き起こされているのだ。」
 ラースはやや大仰に振る舞ってみせる。
 それはつまり、この遺物によって世界の理が造り替えられていた、ということであった。
 いままで自然災害のようなものだと受け入れてきた『バグ』は、すべてこの『超遺物』の力によって生まれていたということであった。
「どうして宇宙人は、そんな迷惑なものをここに置いていったのよ?」
「それは根本的に質問が違う。」
 ラースは裏ら笑いを浮かべる。
「われわれは『超遺物』が、『何らかの理由によってこの地に埋没した世界』を生きているのだ。多元宇宙は無限にあるからな。」
「あ? どうゆうこと?」
「われわれもまた、可能性のひとつを生きているということだ。」
 
 幾重にも分かれてゆく可能性の数々。
 平行世界というのは、その可能性の数だけ存在する。
 中にはきっと、『超遺物』が地上に残されたという道もあるだろう。
 そして地上に残された『超遺物』が、『バグ』として世界に影響を与えるという可能性もまた存在する。
 アンナたちが生きているのは、そんな世界のひとつなのであった。

「言ってしまえば、『バグ』などはじめから起こりえなかった世界、というのもまた存在するのだろう。きっとその世界は、われわれとは何もかもが違うだろうがね。そもそも『バグ』というのは多元宇宙のかなたに存在している事象を呼び寄せているのだ。われわれが体験した『バグ』はすべて、多元宇宙で実際に起きていることなのだよ。」

 『バグ』とは、次元を超えて、事象を引き寄せているに過ぎないのだった。
 遠い次元のかなたで実在している事象を、この世界に出現させる力。
 それこそが、『超遺物』の力であった。

「目が回ってくるよ。」
 崩壊した遺跡群を抜けて、ようやく視界が開けてきた。
「あの――」
 ティナがふたたび、重たい口を開いた。
「ラースさんはその力を、どうしようというのですか?」
「もちろん、利用させてもらう。」
 少しの逡巡もなくラースはそうこたえると、キューブを掲げた。
「キーキューブは、『超遺物』の制御装置だ。これさえあれば、多元宇宙のかなたに潜む『可能性』を、自在に呼び起こすことができる。そして――」
 アンナたちは、遺跡の底にまで降りてきていた。
「これがその『超遺物』だ。」
 すり鉢状に崩壊した遺跡、その底に――
 まるで大きな池のように、『超遺物』が溜まっていた(・・・・・・)
 その水面には、キューブと同じ幾本もの筋が入っている。
 鉛のように鈍く輝いているが、その色は絶えず光の反射で変わっていく。
「美しい――このような姿をしていようとはわたしも想像していなかった……」
 ラースはひとり、世紀を超えた邂逅に感じ入っているようであった。
「ティナ……わたしの研究はきみからはじまったのだ。いまの話はすべてきみへの(はなむけ)だよ。」
「やっぱり……わたしを殺すつもりですね。」
「――わたしを受け入れるなら話は別だ。」
「なにをいまさら!」
「勘違いしないでくれ。巫女の村(シュビレエ)を襲ったときもティナは逃すように言ってあったのだ。」
「でもわたしに冥魚を差し向けました!」
「あれにしたって――冥魚から救えるのはわたししかいない。いずれ、わたしのもとへ帰ってくる……」
「…………」
 ティナは怒りに震えた。
「言ったでしょ、ティナ? やっぱりこのおっちゃん、ただの変態だよ。」
 そのアンナの言葉に、ラースは高笑いを上げた。
「わたしが醜怪なのもこの世界での話。顔などいくらでも作り変えてやろう。」
「さきにその腐った根性を直したほうがいいな。」
 とアンナが口をはさむ。
 しかしラースはティナばかり見つめていた。
「――その眼はやはり、わたしを受け入れるつもりはないようだな。」
 ティナは涙を浮かべながら、ラースを睨んでいた。
「さて――ではどうやって殺されたい? ティナにはそれを選ばせてやろう。」
 まさしく魔僧のごとき邪悪な顔をあらわしたラース。
 その交錯するふたりの視線に、アンナが割って入った。
「好きにしなよ。」
 アンナはふたたび拳銃を構えた。

Scene14 不具合《トラブル》なんてさようなら その3

  ***

 ノエルは夢を見ていた。

 それはいつか見た、田舎町の風景である。
 ノエルは女と、若草の生い茂る土手へ腰かけ、流れゆく川を眺めていた。
「ねえ、ノエル。わたしの好きなところを3つ言って。」
「よく眠る、よく食べる、そしてよく笑うとこだな。」
 ノエルは即答する。
「なによそれ、わたし赤ん坊みたい。」
「そこがいいんだ。」
 女の名はステファン・ビヨルク。この町の銃職人だった。
 そして彼女は、ノエルがこの地上でただ一人、恋をした女であった。
 誰にでも分け隔てなく、心の底から愛し、笑う。
 そんな女は、ノエルもはじめてだった。
「ノエルがあまり笑わない分、わたしが笑わないと。ねえ知ってる? 世界の涙の分量は決まってるんですって。だからだれかが泣くときは、誰かが泣き止んでる。だったらたぶん、笑顔の数も一緒でしょ? ノエルの分を、わたしが笑ってるの。」
「ステフが笑っていたら、誰も笑えなくなる。」
「わたしは何人分、笑ってるのよ。」
「ステフは他人の分も笑って、その笑顔で他人を幸せにしてるんだ。」
「あら、嬉しいこといってくれるのね。ありがと、ノエル。」
 そういうとステファンは、ノエルの耳元に祝福のキスをした。
 風になびかれて、ステファンの優しい香りがノエルの鼻孔をくすぐった。
 なんだか照れくさくなって少し笑ってしまうノエル。
「バツが悪そうに笑う、ノエルのそんな顔も素敵よ。」
「ステフにかかると、だれでも聖人になれる。」
「だって、人はみんな素敵なんだもん。」
「世の中には嫌なやつだっているさ。」
「そりゃそうよ、でもそれも含めて――」
 そういうとステファンは少し寂しそうな顔をした。
「わたしは、生きている目的を持っている人が羨ましい。わたしはいつだって受け身な気がするの。自分からは何もできない。」
「ステフは良い銃をつくるよ。」
「生きていくためには仕事が必要だわ。それは、生きる目的とは違う。」
 と言うと、塞ぎ込んでしまった。
 そういうとき、ノエルはいつものように、そっと話を変える。
「なあ――ステフはどうして銃をつくるんだ?」
 するとステファンもすぐに気を良くして、言葉を返してくれるのだった。
「自分でも不思議よ。わたしが世界中の人をみんな大好きだっていっても、銃っていうのは結局人を殺す道具でしょ? 人を護るために、人を殺す能力を持たせなくてはならない。でも、わたしは別に、銃を作ることで嫌な気分になったことはないわ。」
「人を護るから?」
「んー、そんなたいそうなものじゃないかな。道具って使う人次第。失敗から学ぶように、道具だって良くも悪くも使ってみて、はじめて使い方がわかってくるの。」
「そりゃ……面倒だな。」
「そう、時間がかかるの。だからそこは、待つべきだと思うのよね。」
「待つ?」
「そう。わかるまで、理解するまで、じいーっと待つ。待つってことは、信じるってことだと思うの。」
 そういうとステファンは遠くの空を見上げた。
 それはまるで全世界を相手に、「待つ」ことで、すべての人々を「信じる」とでもいうようであった。その姿が、ノエルにはまぶしく思えた。
「でも、待ってる間に、襲われるかもしれない。」
「そしたらそれこそ、銃の出番ね。」
「使い道が大事ってことか。」
「そう。ノエルはわかってくれる?」
「まあ、少しならね。」
「そうそう、ノエルはそうゆう生半可な優しさが、いいとこよね。」
 ステファンはノエルに向き直ると、ノエルの頭をそっと抱きしめた。
「たとえば――」
「ん?」
「ひとの罪や科を、一手に背負う人がいたとします。」
「お、おう。」
「じゃあ、今度は誰がその人を支えてあげたらいいのでしょう。」
「…………」
「わたし、それって誰にでもできると思うの。そっと背中を押してあげたり、ちょっと笑顔で会話してみたり、ぎゅっと抱き留めるだけで――それだけでいい気がする。」
「…………」
「だからそういう人がいたら、わたしはそうする。」
「そうか……」
「だからノエルも、そうしてあげて!」
「え?」
「そういう人ってきっと――知らず知らずのうちに『お願い』って言ってると思うんだ。わたしは、それを聞いてあげたい。」
 抱き留められたままのノエルには、ステファンの声の振動が直に伝わっているかのようであった。それはまるで、ステファンの心と直接つながっているようで心地良かった。
「おれも……なにか言ってたか?」
「うん。言ってた。」
「そうか――」
「いい、ノエル? 今度はノエルがひとの『願い』を聞く番ね。」
「いちいち『願い』を聞いてたら、きりがないと思うぜ?」
「いいじゃない、それで。……あ、そうか。わたしはそれを生き甲斐にしたらいいんだ。」
「じゃあおれは、ステフの生き甲斐に貢献したってことだな。」
 ノエルは生意気っぽく鼻を鳴らした。
「んー、まあそれもあるけど。」
 だがステファンは、ノエルの顔をまじまじと見つめて、
「単純に、ノエルがかわいかったってのもあるなー。」
「なんだよそれ。」
 ステファンは屈託なく笑ったのだった。

  ***

 ノエルは目を覚ました。
「――っつ!」
 激痛はいまだおさまらない。
 だがノエルの脳裏にはステファンの声が思い出されていた。
 いまではもう会うことも叶わない彼女は――
 それでもどこかで、おれや、輝かしい人の未来というものを『待って』いるのだろうか?
 だが彼女は、ただ待っていたわけではない。
 最善を尽くして待っていたのだ。
 自分のまわりに、笑顔を振りまいて、彼女は人に幸福をあたえていた。
 そしてそんな彼女の幸福は――おれが護らなければならなかった――
 …………
 おれはまた、ステフとの約束を破ろうとしているのだろうか。
 いまみた夢は……ステフがおれに、なにかを知らせに来たのだろうか……
 だとしたら……
 おれにはまだ、なにかできることがあるはずだ――

 ノエルは虚ろな目であたりを見回した。
 病に苦しむマラルメ、看病するユーリエル。
 かたわらではミズカがすやすやと眠っている。
――何か――
 まったく身動きの取れないその身体で、ノエルは必死に希望を見出そうとしていた。

Scene14 不具合《トラブル》なんてさようなら その4

  ***

「はぁ……はぁ……はぁ……」
 アンナは大の字に寝転び、息をついている。
「くそぉ……当たらねぇ……」
 アンナの銃撃も、体技も、すべて逸らされてしまうのであった。
 さらにラースは、『超遺物』によって、獣のごとき様相へと変貌している。
 人間離れしたラースの、素早く強靭な一撃一撃が、アンナの臓腑をえぐっていた。
「まったく……反則(チート)だよ……」
 といいながらアンナはまたゆっくりと立ち上がる。
「人間にしては、よくやるな。」
「なぜなら、それはアンナちゃんだから……」
 ぐっと力を込めて、またも拳銃をラースへ向けた。
 ラースは地面を蹴ると、まばたきのうちにアンナの眼前へとあらわれ、鋭い爪を突き立てた。
 だがそれも飛びのいて回避すると、かすり傷におさめるアンナ。
「おそろしい反射速度だ。わたしの術で鈍らせているというのに。」
「へへっ……まだまだ……」
「たしかに。まだまだ、こんなものではない。次元の壁を超えてゆけば、さらなる可能性へと行き当たる。」
 ラースは手中でキューブを転がした。
 それは指先で操作をしているというよりも、あらゆるイメージが脳内に浮かぶといったもののようであった。
「ほほう、こんな可能性があったのか!」
 ラースの身体が業火に包まれていく。
 やがてラースの肌は溶け落ちて、その下から淡く橙色にうごめくものが産まれた。
 それは人型ではあるものの、溶岩のように流動する光の塊であった。
 頭部の口元であるらしき場所が、もぞもぞと動いて声が響く。
『わたしは人間を超え……生命エネルギー体へと進化した。』
 アンナは銃撃を加えた。
 しかし銃弾はぬるぬると吸い込まれていくだけで、ダメージにはならない。
 ラースはそのスライムのような身体を動かしてアンナに迫った。
 アンナはこぶしを振り上げて躍りかかる。
 が――
「えっ」
 ふわり、とアンナの身体が浮き上がる。
 アンナが知覚するよりも速く、ラースの腕が伸びて(・・・)、アンナを空中に放り投げていた。さらにその視界からもラースは消えると、アンナは猛烈な勢いで地面へ叩きつけられていた。
「があっ!」
「アンナさん!」
 ティナの悲痛な叫びが聞こえる。
 ラースはその変幻自在の身体で剣山をこしらえ、容赦なくアンナに振り下ろした。
 無数の棘に、アンナは全身串刺しとなる。
「がああああああっ!!」
『まだまだ……』
 ラースの身を包む業火が、アンナへと燃え移った。
「アンナさん!」
 ティナが駆けよるが、
「来るなっ!」
 アンナはティナの足元へ撃った。
 さらに懲りせず、ラースへも撃ち込んだ。
 ラースはアンナを串刺しにしたまま高々と持ち上げ、また叩きつける。
 それでもアンナは銃撃を止めなかった。
『こざかしい――』
 ラースは剣山をアンナから引き抜くと、今度は十字架を造った。
 その十字架に――アンナを磔にする。
 手、腿、足と串刺しにして、アンナから完全に自由を奪った。
 アンナの両手から、拳銃がこぼれ落ちる。
 血が十字架を伝って大地に滴る。
 だが燃え盛る炎のなか、身動きすら取れないというのに――
 アンナの目は、ラースを睨みつけていた。
 ラースは目のようなくぼみを、やや細くする。
『わが血肉となるがいい。』
 顎をはずして蛇のように、大きく口を開いた。
 にじり寄るラースの前に――ティナが立ち塞がる。
「やめろ……ティナ……」
 アンナの静止も聞かず、ラースと対峙するティナ。
 その鬼気迫る睥睨は、命をかけても手出しはさせないという気勢があった。
『いいだろう。ならばティナから喰らってやろう。』
 ラースはにんまりと笑うと、ティナの頭に手を触れた。
 激しい炎がティナにも燃え移る。
 しかしティナは身じろぎひとつしなかった。
 ラースは大口を開け――ティナの首筋にかじりついた。

 しかし、その歯が噛みついたのは――
 ノエルの愛銃、H&G(ゴート・ホーリー)だった。

 ノエルが銃口を、ラースの口に突っ込んでいた。
『――!?』

贖罪の羊(スケープゴート)!」

 銃口が火を噴いた。
『あがっぁ!』
 奇声を上げてうめくラース。
 その衝撃でアンナの十字架も解かれた。
 どさり、と力なく地面に崩れ落ちるアンナ。
 そこへ空から(・・・)ユーリエルが降ってきた。
「その炎は幻術だよ。」
 ユーリエルが空中をつまんで、なにかを引っこ抜く動作をすると、火はまたたく間に消えた。
「の、ノエルさん……?」
 ノエルに抱き留められた腕の中で、ティナは呆然としていた。
「待ってろ。いま『願い』を叶えてやる。」
 ノエルはティナを背後へやると、ラースを睨みつけた。
「ノ……エル……」
 傷ついたアンナの声が聞こえてくる。
「ちょっと休んでろ。あとはおれがやる。」
「……交代……だね……」
 アンナは気が抜けたように、眠りへと落ちていった。
『天使め……冥魚はどうした……』
 うねうねと内部を流動させながら、ラースがのそりと立ち上がる。
「手品を使ったんだ。それより……あんたもひでえ恰好だな。」
『これもわたしの『可能性』のひとつだ。』
「よくわかんねえけど――賭けてみるか?」
『なんだ?』
「奇跡と可能性、どっちに未来があるかってな。」
 ノエルがにやりと笑うと、ラースも溶けた顔をさらに歪めて笑った。
『ハハハハハっ! 神など、この地球(ほし)のお飾りにすぎん!』
「じゃあ、賭けは成立だ。」
 ノエルはラースへ向けて引き金をひいた。
 残弾5発、すべてを撃ち尽くした。
 しかし弾丸はむなしくも、ラースの身体を突き抜けてしまう。
 ラースはその腕を燃え上がる長槍へと変形させて、ノエルを貫いた。
 その一撃は、ノエルの心臓をえぐった。
『わたしの勝ちだ。』
 ノエルの眼前で、勝利を告げるラース。しかし――
「どうかな?」
 ノエルは不敵に微笑み返した。
 と――ラースの身体に変化が生じた。
 肉体がぼこぼこと形を変えてゆく。膨らんではしぼみ、隆起しては沈降し、様々に変容しはじめた。
 まるで『可能性』のすべてを手繰るように、その肌や肉体を次々に異界のものに変えていく。
『があああっ!?』
 やがて強靭であったはずの肉体が、しぼみ、痩せこけ、異様にねじ曲がった。
 そこへ――すり鉢の底から、淡い光が降り注がれる。
 ラースが振り返ると、『超遺物』が光を発していた。
『ま、まさか――』
 長槍から解放されたノエルは、胸に大穴を開けたまま、朽ちていくラースへ近付いた。
「遺跡は、おまえの肉体が弱っている可能性を選んだらしい。」
『ば、ばかな!? キーキューブもなしにそんなこと――』
「誤作動を起こしたんだ――奇跡的(・・・)に。」
『ふざけるな!! それが神の奇跡だとでもいうのか!!』
「おまえが選ぶべきは――罪のない可能性だったな。」
 と、ラースの膝ががくりと曲がる。
 バランスを崩したラースは、ゴロゴロと転がって――
 『超遺物』へ沈んでいった。
“さすがに死んじゃった?”
 ミズカの声が響いた。
「死ぬことはないさ。それが天使の(さが)だからな。」
 ティナが駆け寄ってきて、ノエルに胸に手を当てる。
「ノエルさん! いま傷を塞ぎます!」
「ティナ、悪いんだが……おれはもう持たない……」
「そんなことありません!! わたしがなんとかします!!」
 ティナはすぐさま詠唱をはじめる。
 だがノエルの身体は、さらさらと砂粒のように消えてった。
「え? の、ノエルさんっ!?」
 愕然とするティナに、今度は背後からミズカが声をかけた。
「早くしてよね。おにいちゃんもう、限界みたい。」
 ミズカはその手に、キーキューブを持っていた。
「えっ? えっ?」
 なんだかわからずに混乱するティナだったが、
「ここからは、あなたの出番よ。ウリザネアウスの巫女!」
「は、はい!」
 とミズカに焚きつけられ、ティナはそっとキューブを受け取った。
 フィバーチェ家に受け継がれた神器(レガリア)――
 多元宇宙の果ての『可能性』を選ぶことのできる装置――
 いま、世界の『可能性』は、すべてティナの手の中にあった。
 幾重にも連なる、『無限』の『可能性』がここにある。
 だが……ティナには、選ぶ『可能性』などひとつしかなかった。

Scene15 神様《ハレルヤ》なんてさようなら その1

  ***

 目が覚めると、ラースは病室のベッドにいた。
 様々な管につながれていて、あまり身動きが取れない。が、
――生きている!!
 たしかにわたしは生きているようだ……
 天使に敗れ、『超遺物』に落ちたはずではなかったか?
 わたしの身体はいま、どうなっているのだ?
 そう思って、手足を軽く動かしてみるが、どうやらまだつながっているらしい。
 天使は人を殺すことができないとネフィエルから聞いてはいたが……
 まさかそれで自分が助かるとは……

 ふと室内に目を向けると、この部屋の妙な作りが気になった。
 窓も扉もない……あとは真っ白な壁と天井に囲まれている。
 さらにいえば、まわりにつながれている機器も、見たことがないものばかりだった。
「起きたか。」
 男の声が響いた。
 ひどくしわがれた、老人の声だった。
 機器の死角にいて気付かなかったが、ずっとそこに居たようである。
 男は杖をつきながら重たい足どりで歩み寄ってきた。
 厳めしい顔つきの老人である。
「君と話がしたくて、少しだけ待っていた。」
――待っていた?
 声が出ないうえに、首も固定されているので、視線を送ることしかできない。
「キミのいう『超遺物』は無事に消滅したよ。巫女がその『可能性』を選んでくれた。」
――!?
 いま、この老人はなんと言った!?
 遺跡が消滅だと!?
「だがね、あれはすでに廃棄されていたのだ。たいした『可能性』も呼び寄せられない、取るに足らなぬ代物だったのだよ。それなのに、キミのように哀れな夢を抱くものも多くてね、困っていたのだ。」
――この老人はいったい何を言っている……?
「困っていたのは――神も同じだったらしい。つまりキミたちは――利用されたのだ。いや、利用されたのはわたしも含め、といったところだな。」
――まさか……
「そもそも、『バグ』なんてものは、あってもなくても大差ないものでしかなかったのだ。だから神も見逃していた。手を出せなかったのではない。出さなかったのだ。」
――この男は……
「けれど、わたしとしても不愉快なことがあってね。聖マザーを手にかけたのを許すわけにはいかない。」
――この男は『超遺物』をもたらした異界の者もたちの末裔か……まだこの地球(ほし)に残っていたのか……!
「多元宇宙に落ちていったキミたち(・・)を探すのは面倒だったよ。天使は命まで奪えないからね。キミは、自分が生き残るいくつもの『可能性』のなかに分かれていったのだ。おかげでわたしは、キミたち(・・)の生き残る『可能性』をすべて(・・・)摘み取らなくてはならなくなった。まったく面倒なことをしてくれたよ、あの天使は。」
 そういうと男は、ナイフでさっとラースに傷をつけた。
「せめてその苦しみを少しでも味わってくれ。」
 傷口からみるみる鱗が広がっていった。
 あっという間に、ラースは全身を鱗で包まれた。
「ハレルヤ(神を讃えよ)」
 老人がうっすらと消えていく。
 いやそれは老人が消えていったのではなかった。 
 眼のなかに泳ぐ無数の魚に、視界がかき消されていたのだった……

Scene15 神様《ハレルヤ》なんてさようなら その2

  ***

 荒野で目を覚ましたノエルは、自分の身体から鱗が消えているのに気付いた。
 ふらつく頭を支えながら立ち上がると、そこは日陰となっていた。
 ノエルは、影を作り出している壁に手を触れる。
「ミズカ、助かったよ。」
 すると壁がぐねぐねと解けていった。
 それは一匹の土竜であった。
 その存在をあらわすには砂蟲(サンドワーム)と言ったほうが適当なのだが、見た目としては土竜と言ったほうがしっくりとくる。
 土竜は鎌首をもたげてノエルを見下ろした。
 するとその鼻先にミズカがあらわれる。
「高くつくわよ、おにいちゃん。」
 少女はひょいと飛び降りると、ノエルの前に着地した。
「ティナがうまいことやってくれたみたいだな。」
 ノエルは身体の具合をたしかめるように、右手を開閉した。
「でも考えたわね、わたしに呑み込まれる(・・・・・・)なんて。」
「もう二度とごめんだな。」
「わたしもはじめてよ、他人に幻体を操らせるなんてね。」
 ノエルは土竜を見上げた。
 その巨大な土竜に会うのは二度目である。
 聖堂でネフィエルから救ってくれたのも、このミズカの本体であった。
「アンナは?」
「殺したって死にやしないわ。」
「よかった。あれで死なれたら――おれも罪科の仲間入りだ。」
「アンナこそ、人間の『可能性』ってやつなんじゃないの?」
「地上がアンナみたいなのであふれかえったら、たまんねえぞ。」
「わたしもごめんだわ。」
 土竜は首をうねらせると、地面へ潜っていった。
 硬い岩盤をものともせずに、まるで水にでも浸かるように大地に消えていく――
 幻体(ミズカ)だけをそこに残して。
「じゃあ帰りましょうか?」
 といったミズカだったが、その言葉に、自分でも釈然としなかったらしい。
「『帰る』だなんて……わたしも連中にアテられちゃったのかしら。」
 ともどかしい顔をしている。
「顔を合わせてから、まだ一日も経ってないのにな。」
「ひねるよ?」
 ミズカは片腕を砂塵に変えて、ノエルを突き飛ばした。

  ***

 カエル商人の荷台に乗りこみながら、別れの言葉を告げたふたりに、泣くのを必死にこらえていたティナが言った。
「ほんとうに行ってしまわれるんですか……?」
「ここにいたら命がいくつあっても足りねえからな。」
 賞金稼ぎやゴロツキ連中であふれるウリザネアウスに、安住の地はなかった。
 それに加えラースの失踪(・・)や〈緑の信奉者〉によって、国内は荒れに荒れていた。
「これ以上、厄介事はごめんだ。」
「寂しくなります……」
 ティナはうつむいてしまった。
「ティナ!」
 アンナの元気のいい声が納屋に響いた。
「またねっ。」
 短い短い言葉ではあったが、でもその言葉でティナは少し元気が出た。
「絶対ですよ!」
 ティナは顔を上げて、アンナをまっすぐ見つめた。
 そんなティナに、アンナはいつもの屈託のない笑顔を向ける。
 馬車一台がおさまる程度の狭い納屋。
 次またいつ会えるかもわからない別れのときが、こんな場所なのは寂しいが、しかしこんな辺鄙な場所だからこそ、また良き場で再会できるかもしれないという気にもなる。
「ノエルぅ。」
 ユーリエルがほろほろと泣いている。
「おめーはいつでも会えるだろうが!」
「どうしてぼくだけ始末書と報告書なのさあー」
 納得のいかない様子のユーリエルは放っておき、ティナへ視線を向けるノエル。
 するとティナが少し顔を赤らめながら、
「ノエルさん、ちょっといいですか?」
 と耳打ちする仕草をした。
「?」
 ノエルが身を乗りだしてティナに頭を近付けると、ティナはそっとノエルに手を伸ばして、祝福のキスをした。
 はっとして顔を離すノエルに、ティナは真っ赤になりながらうつむいた。
「の、ノエルさんに、精霊の祝福がありますように!」
 なんだかノエルも気恥ずかしくて、そのまま荷台へ腰を下ろした。
「では出発するケロ~。」
 納屋の入口が開け放たれると、眩しい陽光が差し込んできた。

Scene15 神様《ハレルヤ》なんてさようなら その3

  ***

 ウリザネアウスを抜けて、エクオフェシスでカエル商人と別れたノエルは――
 停めておいた車が改造されているのを認めた。
 普通のスポーツカーだったハズだが、屋根がオープンカットにされている。
 さらにその後部座席には、水着姿のミズカがサングラスをかけて座っていた。
「もお、遅いよおにいちゃん。」
「見ねえと思ったら、ここにいたのか? つーか屋根取りやがったな。」
「ツケが溜まってんのよねー。 踏み倒そうたってそうはいかないんだから。」
「へいへい。」
 ノエルは車にキーを差し込んだ。
 すると黒服姿の男たちが次々と路地からあふれてきて――あっという間に取り囲まれる。
 その恰好から、アンナを追っていた〈クーザ・キルティ〉であることがわかる。
「よぉ、久しぶりじゃん。」
 アンナはまだ包帯の取れない身体ながら、やる気満々である。
 そこへ厳めしい顔の老人が、杖をつきながらあらわれた。
「ティナが世話になったな。」
 と不躾に話しかけてくるが、その人物に心当たりはない。
「おっちゃん――だれ?」
「わたしは、アレグラハムだ。」
「アレグラハム?」
 とノエルが脳内検索にかける。すぐさまヒットしたのは暗黒街の顔役、〈クーザ・キルティ〉のボスであった。
「アレグラハム・コンマイトか?」
「そうだ。礼を言っておこうと思ってな。」
「マフィアのお礼参りってのは、あまり穏やかじゃねえな。」
「そう肩を張るな。」
 アレグラハムが手を上げると、構成員たちは構えていた小銃を下ろした。
 みな揃いのスーツに、サングラスと腕時計。胸ポケットから覗かせるチーフは色が違えど同じ物であるようだ。
 ノエルは古いギャング映画を思い出した。
「わたしは聖マザーと懇意にしていてな。ウリザネからティナと(キューブ)を保護したのはわたしだ。」
「ティナと〈クーザ・キルティ〉がつながっているのは、はじめから気付いてたよ。」
 ノエルが臆面もなく言い放つ。
「え? そうなの!?」
 アンナが目を丸くした。
「クリプタでティナを追っていた男、おまえたちと同じ腕時計をしてたからな。芝居するなら時計ははずすんだな。それに、ポークルムの『予知』も、巫女(ティナ)の力だと考えれば説明がつく。」
 ノエルはいつもの陰険な目つきをしている。
「わかっていたか。そうでなくては困る。」
 アレグラハムは感心しているのか、こちら試しているのかよくわからない。
 だがノエルにしたって、ティナを仲間に引き入れたのは、べつに裏をかこうとなどという算段からではなかった。ティナの話を聞いて、そこに嘘はないと確信したからである。
「あの匣を奪われなければ、われわれは出会うことすらなかった。この意味がわかるかな?」
「あ?」
 アレグラハムが妙ないことを訊いてくるので、ノエルは眉間にしわが寄った。
「わたしがなぜ、おまえたちにティナを託したか――それはお前がいたからだ。ノエル・グロリア。」
 そういってアレグラハムは、ノエルを指した。
「おれを知っているのか?」
「わたしも昔、天使とともに暮らしたことがある。その彼女が言っていた――営業(どさまわり)に行かされたかわいそうな天使の話をね。」
「っ――!?」
 ノエルが見回すと、周囲の時が止まっていた。
 アンナもミズカも黒服も、すべてがぴたりと止まっている。
 アレグラハムだけが構わず話を続けていく。
「ノエル……その名の通り、降誕祭を司る天使だそうだね……なぜ天界を追放された?」
 ノエルも腹をくくった。
 アレグラハムもただの人間ではないようである。
 砂蟲とも天使とも、もちろん神とも違うなにかなのだろう。
 だったら、ノエルには考えても仕方のないことである。
「贖罪さ。聖者も地上を歩いたんだ。天使が地上を歩いてもおかしくはないだろ?」
「思い上がるな、と宗教家なら言うだろうな。」
「なんとでも言うがいい。おれには関係ないね。」
「まあ、わたしとて昔話をするつもりはない。だが――やはりこれらもすべて神の采配だったということなのだろうな。」
「よくわからねえな。」
「われわれは、神に扱き使われた(・・・・・・)ということだ。」
 アレグラハムは睨むように天を仰いだ。
「まあその点に関しては――おれも同意するよ。」
 すべてが事態を解決するほうへ動かされていた、ということだ。
 それでいえば、起点はアンナでもない。
 龍華街に潜入していたアンナは、路地から大声が聞こえて発見されたという。その大声は、ノエルのオープンカーから流れたEMラジオであった。
 しかもラジオは、ひとりでに起動(・・・・・・・)したのである。
 それがすべての「きっかけ」だったのだ。
 だとしたら――あれが神の啓示でなくてなんであろう。
 すべては、あのときすでに決められていたのだ。
「ねえ、もう終わった?」
 砂のパラソルをひろげて、バカンス気分でジュースを飲んでいるミズカが声をかけた。
「あ?」
 ノエルが振り返ると、いつの間にか、時が動き出していた。
 まるで白昼夢でも見ていたかのように、周囲は誰も気付いていない。
「アンナ・E・クロニクル――」
 アレグラハムは顔色一つ変えぬまま、しゃがれた声で言う。
「ん?」
「今回はティナに免じて見逃してやる。」
「お、そいつはどうも。」
「ただし――賞金は取り下げん。地の果てまで追われるがいい。」
 そこには暗黒街のボスとしてのプライドがあった。
 宝物を奪われ、構成員を返り討ちにされたままでは、〈クーザ・キルティ(宝と名声)〉の名も廃るというわけだ。
「わお、手厳しい。じゃあわたしは、おっちゃんとこをぶっ潰すしか生き残る道はないのね。」
 そういうとアンナはにっこり笑った。
「おい……この状況でなんで笑ってんだ?」
「だって――まだまだノエルには、助けてもらうことになりそうだなって思って。」
「……!?」
 その事実に、ノエルはげんなりした。
「はいはい、熱い熱い。」
 またずるずるとミズカがジュースをすする。
「行け、次はない。」
 アレグラハムの低い声が響くと、構成員たちが、ざっと道を開けた。
 やれやれ、とノエルは肩をすくめてエンジンをかける。
 そこへアレグラハムが穏やかに声をかけた。
「ハレルヤ(神を讃えよ)」
 言われたノエルは、胸元からサングラスを取り出しながら、
「冗談じゃねえや。」
 と悪態をついた。
「ハレルヤなんてごめんだぜ。」
 ノエルはサングラスをかけると、アクセルを踏んだ。
 砂塵が舞い上がって、ノエルたちの後ろ姿を隠してゆく。
 見送るアレグラハムは、砂が口に入ってしまい、唾を吐き捨てた。
「若造め……」
 アレグラハムはそうつぶやくと、重たい足を引きずってリムジンへと戻っていった。



〈ハレルヤなんてさようなら〉
 ―ハレルヤなんてごめんだぜ― 【終】

【付録】

〈グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン〉 
(1869年ー 1916年)
 帝政ロシア末期の怪僧。
 手を触れただけであらゆる病を癒す呪師として評判になっていたラスプーチンは、ロシア皇妃アレクサンドラの目に留まった。貧しい衣服にぼうぼうの髭、ぎらつく眼という怪しい容貌であらわれたラスプーチンは、皇帝ニコライ2世の子、アレクセイ皇太子の重い血友病をたちどころに治してしまうと、皇帝夫妻から絶大な信頼を得た。
 第一次大戦勃発後、内政を託された皇妃は何事もラスプーチンに相談するようになっていた。
 一説によるとラスプーチンは放縦極まる淫靡な生活を送っていたといわれ、皇后との愛人説まで囁かれていた。
 1916年12月、ラスプーチンは危機感を抱いた宮廷貴族によって暗殺される。
 歴史的評価は低いものの、その奇怪な人物像が後世の人々の興味をおおいにかき立てている。

ハレルヤなんてさようなら

ハレルヤなんてさようなら

天使ノエル・グロリアは、マフィアに追われる女アンナ・E・クロニクルを助けたために、命を狙われることになる。 ノエルは協力者として天使ユーリエルを呼び寄せるが、彼は『不具合《バグ》』により生まれた新種の生命、砂蟲《サンドワーム》のミズカに捕えられてしまう。 ユーリエルを救出するとミズカは天使に興味を抱き、ノエルたちを『監視』することとなる。 そんな彼らの前に北国の巫女ティナ・フィバーチェがあらわれる。 北国では呪術師ラース・フレイディアが権力を持ち、巫女の一族を滅ぼしていた。だがラースの目的は権力ではなく、『聖域』に眠る力であった。 『聖域』の力を制御する『キューブ』を持って逃げていたティナだったが、しかし『キューブ』は、巡り巡ってアンナの元にあった―― 天使・人間・宇宙・神の力《意志》が交錯する、異世界冒険ファンタジー!

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-28

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著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. Scene1 銃弾《ブレット》なんてさようなら
  2. Scene1 銃弾《ブレット》なんてさようなら  その2
  3. Scene1 銃弾《ブレット》なんてさようなら  その3
  4. Scene2 酒場《バッコス》なんてさようなら その1
  5. Scene2 酒場《バッコス》なんてさようなら その2
  6. Scene2 酒場《バッコス》なんてさようなら その3
  7. Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その1
  8. Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その2
  9. Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その3
  10. Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その4
  11. Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その1
  12. Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その2
  13. Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その3
  14. Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その4
  15. Scene5 陰謀《プロット》なんてさようなら その1
  16. Scene5 陰謀《プロット》なんてさようなら その2
  17. Scene6 聖域《アジール》なんてさようなら その1
  18. Scene6 聖域《アジール》なんてさようなら その2
  19. Scene6 聖域《アジール》なんてさようなら その3
  20. Scene7 機密《ミスティリオン》なんてさようなら その1
  21. Scene7 機密《ミスティリオン》なんてさようなら その2
  22. Scene7 機密《ミスティリオン》なんてさようなら その3
  23. Scene8 誘惑《ルアー》なんてさようなら その1
  24. Scene8 誘惑《ルアー》なんてさようなら その2
  25. Scene9 関所《ハードル》なんてさようなら その1
  26. Scene9 関所《ハードル》なんてさようなら その2
  27. Scene10 巨人《ギガース》なんてさようなら その1
  28. Scene10 巨人《ギガース》なんてさようなら その2
  29. Scene10 巨人《ギガース》なんてさようなら その3
  30. Scene11 見世物《フリークス》なんてさようなら その1
  31. Scene11 見世物《フリークス》なんてさようなら その2
  32. Scene12 天使《アンゲロス》なんてさようなら その1
  33. Scene12 天使《アンゲロス》なんてさようなら その2
  34. Scene12 天使《アンゲロス》なんてさようなら その3 本文編集
  35. Scene13 温泉《セレモニー》なんてさようなら その1
  36. Scene13 温泉《セレモニー》なんてさようなら その2
  37. Scene14 不具合《トラブル》なんてさようなら その1
  38. Scene14 不具合《トラブル》なんてさようなら その2
  39. Scene14 不具合《トラブル》なんてさようなら その3
  40. Scene14 不具合《トラブル》なんてさようなら その4
  41. Scene15 神様《ハレルヤ》なんてさようなら その1
  42. Scene15 神様《ハレルヤ》なんてさようなら その2
  43. Scene15 神様《ハレルヤ》なんてさようなら その3
  44. 【付録】