宗教上の理由、さんねんめ・第四話
まえがきにかえた作品紹介
この作品は儀間ユミヒロ『宗教上の理由』シリーズの一つです。
この物語の舞台である木花村は、個性的な歴史を持つ。避暑地を求めていた外国人によって見出されたこの村にはやがて多くの西洋人が居を求めるようになる。一方で彼らが来る前から木花村は信仰の村であり、その中心にあったのが文字通り狼を神と崇める天狼神社だった。西洋の習慣と日本の習慣はやがて交じり合い、この村に独特の文化をもたらした。
そしてもうひとつ、この村は奇妙な慣習を持つ。天狼神社の神である真神はその「娘」を地上に遣わすとされ、それは「神使」として天狼神社を代々守る嬬恋家の血を引く者のなかに現れる。そして村ぐるみでその「神使」となった人間の子どもを大事に育てる。普通神使といえば神に遣わされた動物を指し、人間がそれを務めるのは極めて異例といえる。しかも現在天狼神社において神使を務める嬬恋真耶は、どこからどう見ても可憐な少女なのだが、実は…。
(この物語はフィクションです。また作中での行為には危険なものもあるので真似しないで下さい)
主な登場人物
嬬恋真耶…天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子に見えるが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。家庭科部所属。
嬬恋花耶…真耶の妹。頭脳明晰スポーツ万能の美少女という、すべてのものを天から与えられた存在。真耶のことを「お姉ちゃん」と呼んで慕っている。
嬬恋希和子…若くして天狼神社の宮司を務める。真耶と花耶は姪にあたり、神使であるために親元を離れて天狼神社で育つしきたりを持つ真耶と、その妹である花耶の保護者でもある。
1
さて。ひと波乱あった修学旅行も終わり、真の平和が訪れた木花中の話に戻るべきところだが、もう少し思い出がたリをしなければならない。
年度が変わってまもなくの頃の話。新年度恒例の内科検診が行われていた。
木花中では学校医を代々岡部医院の医師が務めている。この医院は、家庭科部で真耶たちの先輩だった岡部幹人の母が主治医を務める、村唯一の開業医。幹人の家は医者一家で、彼の母の他に祖父も現役で聴診器を取り、また幹人のいとこがインターンで勤務していたこともある。
「…」
岡部の母は、検診を受けている生徒の喉を触診していた。白衣を着た岡部の母はそうしながら、少し困惑しているように見えた。もちろん他の生徒にはこんなことしていない。
「…去年と、あまり変わらないなぁ…」
岡部の母がつぶやいた。
思春期の男子にとって、声変わりは通過儀礼のようなものである。それを迎えた男子は次第に声が低くなると同時に、喉仏と呼ばれる出っ張りがあごの下に目立ってくる、場合が多い。喉仏は声を出すのに必要なものだから、男子にも女子にもある。ただ男子は相対的にそれが発達して声が低くなりやすいので外見上目立ちやすい。
だがそれはすべての男子に当てはまるというわけではなく、真耶の喉にはごく小さなそれを手で触らないと確認できず、外見上はまったくわからなかった。
「前よりは大きくなっているところを見ると、去年から今年の間に成長が止まってしまったようだなあ…」
「あ、そういえば去年の秋くらいに声がかすれたことがありました。あの時は風邪だと思ってたんですけど…」
そう答える真耶の声は、相変わらず高い声質を維持していた。
天狼神社の神使は、一度なったら一生続けるというものではない。もちろん「神の子」としてこの地上に遣わされたという定義は変わらないのだが、神使という職務は通常彼女が大人になる前に受け継がれるものである。しかも、そもそも神使は女子がなるものなので、男子の場合、それらしい特徴が出てきたら早めにその資格を返上するのが望ましい、ともされている。
ただ逆に言えば男子らしい第二次性徴が目立っていない真耶が神使の条件から外れるとは言いがたい。もともと具体的に何歳までやるとかいう決まりはないのである。
というわけで、真耶は中学三年生になっても依然として神使を務めていた。
2
時が流れ、修学旅行も終わって梅雨が近づきつつある頃。天狼神社に珍しい客が来ていた。
「久しぶりだねえ。昔と変わってないねえ」
この女性、かなり年配に見えるがそれもそのはずで、すでに米寿を越えている年齢。しかし足腰もしっかりしていれば会話も弾み、元気そのもの。
彼女は真耶の親戚で、かつて神使を務めていたが、今は街の方に住んでいる。神使の職を解かれたのは十歳の頃。実際過去の歴史を紐解くと、神使の地位を退く年齢はおおよそ今の六・三・三制でいうところの小学校の範囲内だったらしい。言い換えれば神使というのは、そのものズバリの「女子」、女の子の務めなのだ。
ところが近年、神使の任期が長期化する傾向にある。その理由は少子化。昔のように五人も六人も兄弟がいる家庭が普通にある時代ではなくなれば、神使の資格を持つ子どもも当然減ってくるわけである。嬬恋家もその例には漏れなかった。
神使の位が受け継がれるパターンとして代表的なのは、一族に新たな女子が誕生すること。しかし嬬恋本家も希和子たちの代はともかく、真耶には妹の花耶しかきょうだいがいないし、神使の弟や妹は「守り人」という地位に就くことが慣例になっている。これは一年や二年で神使の位がやり取りされると煩雑だということから生まれた仕来りだとも言われているが、三人以上のきょうだいが珍しい現代ではそれが裏目に出る。現に守り人になった花耶の次は続かなかったのだ。
かつての大名家を始め、世襲を行っている業界は常に子孫が絶える危険に晒されている。だから大抵その救済策が用意されていて、跡継ぎのいない藩主が病に倒れた時などには末期養子と言って急遽跡継ぎ役の養子を迎えることもあった。これは江戸幕府では当初禁止されていたが、その結果藩が潰れては藩士が失業するので規制が緩和された。
天狼神社の場合、本家の子どもが嫁や婿に出た場合もその子に神使の位を継がせることができる。希和子の姉である麻里子もまた、他家に嫁入りしつつもその子どもが神使の位を継ぐ可能性を秘めていた。しかし彼女が長男の慎吾を産んだ時、まだ先代の神使が務めを果たしていたので譲位はされなかった。既に神使がいる場合、男子は神使になる資格を持たない。男子が神使の位を継ぐのは神使が不在の時だけだ。
その後麻理子が長女の真奈美を身ごもった時は神使が丁度不在の時期だった。だが、同じ頃麻里子の兄である真人の妻、いねもまた一子を身ごもる。どちらか先に生まれたほうが神使を継ぐのだが、軍配はタッチの差で真人たち夫婦に上がる。この場合、あとから産まれてきた真奈美は神使にならない。神の子でもある神使が同時に二人の女性の身体に宿ることはないと考えられているからだ。実際はあまり誕生日が接近していると煩雑なので神使の譲位を省略したという理由なのだろうが、ともかく先に産まれた真耶が神使の位に就いた。
しかしその後一族には子どもがなかなか生まれなかった。いねも麻里子も三人目を産むことにやぶさかでは無かったのだが、麻里子はこの頃から腰に痛みを訴え始め、のちに手術とリハビリが必要になるほどの大ごととなり、出産どころではなくなった。
一方、いねの方は三人目を産むと宣言して真人にもしつこく催促したのだが、真人も嬬恋家の皆もそれには猛反対していた。いねはそういうしきたりの家に嫁ぐと決めたのは自分なのだから、世間一般と同じような親子関係は築けないことも、乳幼児の頃はともかく、いつかは東京の自宅と神社に離れ離れで暮らすことも納得していた。そして、三人目を産んだところでその子が女であれば、真耶と花耶と一緒に暮らせるようになる代わりに新たな神使としてその子とまた引き離されることまで納得していた。
だが真人たちにしてみれば、そのあまりの物分りの良さが痛々しくもあった。自分の腹を痛めて産んだ娘を身内とはいえ他人に委ねることがどれだけ悔しいことか、という思いがあった。当のいねにしてみれば、産んでからしばらくは天狼神社に滞在して乳をやることも出来るし、会いたくなったら車をひとっ走りさせればすぐ会えるというドライで合理的な考えもあったのだが、周囲のほうが気を回していたのだった。そこまでして神社に尽くさなくても良いのに、と。
それに真人は。いねに一つの夢があることを知っていた。
「世の中の人のためになりたい」
女優時代からチャリティー活動と積極的に関わり、いずれは自らの手で苦しんでいる人を助けられるようになりたいと思っていた彼女。自ら発展途上国に井戸を掘りに行きたいくらいの気持ちだったが、専門的な知識や技術を持たないいねには不可能だ。
だから自分にできる範囲で人の役に立とうといねは思った。お客さんが喜んでくれる上にその利益がちゃんと生産者に行き渡るものを売るお店、作る人も買う人も幸せになれるお店を始めたい。そして何か事業を起こすには早い方が良いし、役者時代の蓄えも使える。
それには子育ての手間が省けた今はむしろチャンスだと、その夢を知る真人は察し、いねに言った。
「君が生み出さなければいけないのは、三人目の子どもじゃない。真耶と花耶、二人の子どもが戻ってきた時に安らげる家庭だ。そして君が救わなければいけないのはちっぽけな神社一つじゃない。そのためには、君が今よりもっと素敵な母であり女性であり店長になること。僕が君を素敵だと思ったのは、人生を楽しんでるところだ。夢を叶えることは、それに磨きをかける助けになる」
かくしていねは三人目を産むことを断念した。そのかわり真耶が女の子として育つことへのフォローも精一杯行った。そもそも身体がそれほど強いわけじゃないいねだったが、アクティブに東京と木花村の二重生活を楽しんだ。出産の苦痛はその比ではないのだから、結果的に彼女にとっては良かったのだろう。
こうして、真耶による約十五年という長期政権が誕生したのだった。
3
元神使の彼女が来ていたのも、こういうときどうすればいいのかという知恵を希和子たちが拝借したかったのだ。空振りは覚悟していた。だが、
「私もそういうときどうすればいいかは、聞いたことがないねえ。だってこんなことあるなんて誰も思いもしなかったんだから」
と改めて聞くと、予想通りの答えとはいえさすがにがっかりする。
天狼神社にある数々のしきたりの多くは、必要に迫られて出来たものでもある。裏を返せば少子化というきわめて現代的な問題に対応できるしきたりは未だない、ということでもある。かといってしきたりなるものを自分達で勝手に作っていいわけでもない。
「ごめんねえ、お役に立てなくて。なにせわたしたちの頃と、事情が違うからねえ。それに、男の子じゃ余計に大変だから早く解放してあげたいわよねえ」
思春期を迎えた子どもにとって、神使という職務は必ずしも喜ばしいものではないだろう。狼の着ぐるみを着て祭りに参加したりといったことが恥ずかしくなってくる年頃というか、そもそも反抗期と呼ばれる時期でもある。幸い真耶はそんなことを微塵も思っていないわけだが、問題はそれだけではない。
男子の神使は女子のそれより遥かに過酷な職務を強いられている。神様がなぜ本来女子であるところの神使に男子の身体を与えたかといえば、それは世の中が乱れていて、それを治めるにはより強い身体の神使が必要だと考えたから。乱れた世の中の象徴である以上、儀式もそれら悪い気を追い払うためにより大掛かりになるし、男子の身体と裏腹に女子としての心を抱き続けさせるため厳しい掟に縛られてもいる。そんなことを長い年月やるのでは身体的にも無理がかかる。
もっとも、そんな自分についての深刻な相談がされているとはつゆ知らず、
「お待たせしました。お茶どうぞ」
いつも通りの笑顔で、真耶がお茶菓子を持って現れた。濃い目の緑茶に、ファッジと呼ばれる英国伝統のお菓子。ファッジはバターと砂糖をじっくり煮込んで作るシンプルなお菓子。でも英国ではそれぞれの家に伝わるレシピがあるのだという。嬬恋家では村の特産物であるメイプルを使ってひとアクセントつけている。元神使の彼女はそれを口にして、
「ああ懐かしい香りだ。ママンが故郷を思い出すって言いながら作ってた味だわ」
と、満足そうにつぶやいた。ファッジをつまむ指は白魚のよう。彼女の母はイギリス人。昔から欧米人の血が嬬恋家の一族には入っているので、両親がその形質を持たないと発現しない金髪碧眼で真耶は産まれてきた。
4
余談はさておき、所変わって。
「ぎょうせいしょしに、しほうしょし。にゅうこくかんりかんに、こくれんしょくいん」
何やらさっきから難しい本を読んでいろいろと難しい職業名を列挙しているのは、言わずと知れた嬬恋家の天才少女、花耶。なんでも将来なりたい仕事について調べてくるという学校の宿題を同級生たちと図書館でやっているらしいのだが、相変わらず背伸びが好きな子で、今日もわざわざ大人向けの本を選んで難しい言葉を口走っては、その意味を完全に理解するという天才ぶりを発揮している。
花耶に期待されている役割は、それらについてわかりやすく説明すること。花耶の成績は言うまでもなく学年トップどころか、いくつか上の学年にも匹敵するとも言われている。そういった「出る杭」である児童がクラスで孤立したり、疎まれたりすることが日本ではありがちなのだが、まったくもってこの村ではそんなこともなく、花耶はいつも皆から頼りにされている。それは個性や能力を互いに認め合うよう子どもたちが教育されていることもあるが、花耶自身が高い知能を持っていながら上から目線など絶対ありえず、わかりやすく友達にそれらを教えていることもある。
「うーん、やっぱり難しいよお」
ただやっぱりそれにも限界はあって、花耶はそんなことを言われることもある。決してイライラせず、根気よく説明するわけだが、如何せん知能の成長スピードには個人差がある。
かなり長い時間根を詰めたので、休憩することにした。
「ところで、花耶ちゃんって、将来何になりたいの?」
難しい職業をあれこれ調べているからには、そういうのを目指しているのだろうと皆思っていた。だが。
「お花屋さん」
という答えは、意外に思えた。お店やさんというのは、女の子の人気の職業だがその分平凡な仕事とみなされなくもない。
「おかーさんが東京で雑貨屋さんやってるから、そのすみっこでいいから、お花売ってみたいの」
才女、才女と呼ばれていても、そこはやはり子どもだった。
「そんなに頭いいのに勿体無い」
大人はきっとそう言うだろう。でもその場のみんなは共感していた。花耶ちゃんらしい、と。
優しくて、生き物を愛でたりかわいがったりするのが大好き。天狼神社は雑草だらけだが、その一角に花が咲くささやかな花壇がある。それが花耶によって育てられたもので、雑草が生えてきても外来種以外は抜かずに花と共存させる。みんなそのことを知っていたから、彼女のもとならきっとお花も綺麗に輝く。みんなそう信じていた。
それに、母親のそばでお仕事がしたいという気持ちにも皆共感していた。まだ小学生なのだから。母親が時に恋しくなっても不思議ではないし、大人になってからその分を取り戻して欲しい気も皆していた。
5
「そういえば、真耶ちゃんの進路は決まったの? 来年は高校生でしょ?」
「そういえば、真耶お姉さまは来年どうするの? 来年は高校生でしょ?」
同じような時期に、二つの場所で同じような質問が発せられていた。ひとつは天狼神社の元神使から希和子へ、もうひとつは花耶の友達から花耶へ。
「え? 真耶お姉さまは神社継ぐんじゃないの? 希和子さんは神主さんになるために東京の大学行ったんでしょ? お姉さまも進学コースのある高校へ行って、そこから…」
花耶の友達にとって真耶は輝かしい存在であるので、さすがに神使と崇め奉るのは本人が嫌がっているのを知っているから、たいていの女子は「さま」付けで呼ぶ。まあ普通に考えれば、神社の仕事をあれだけ楽しんでやっている真耶だから、そのまま大人になっても神社を守っていきたいと思っているのでは、という推測は自然なものだ。
しかし、これまた二つの場所で、同じような返事がなされていた。
「お姉ちゃん、神社継げないよ?」
「真耶ちゃんには、神社継いでもらうわけにもいかないしねえ」
神使は神職にはなれない。これは動かすことの出来ない天狼神社の掟である。
神使は別名「神の子」とも呼ばれる。つまり神様が自分の子どもを遣わしたのだと考えられている。一方神社の運営者は、そのトップである宮司といえど人間だ。神の子である神使とは位が違う。
だから形式的には希和子より真耶のほうが偉いということになる。真耶は天狼神社の誰よりも神に近い位置にいる。神の使いが人間の立場にわざわざ落ちて神と神使に仕えるのはおかしい、というわけである。
しかし現実的にはどうだろう。いろいろな苦難や不自由を神使の職務として耐えてきた見返りとして、宮司という人間界での職と地位が保証されるほうが、報われると言えないだろうか?
と、ここで勘の良い人なら気づくかもしれない。神使の職を解かれれば「神と人間の間」という序列からは外れるのだから、関係ないのではないか? と。
しかし、そうではない。さっきから話し合いをしているこの登場人物たちは会話の中で、ある間違いを犯している。その言い方が極端だとするならば、肝心な所を端折って話を進めている。
神様が遣わした人間が「神使」なのだったら、それを「引退」などできない。つまり「神使」という称号と立場は一生ついてまわる、というか今生きている「元」神使たちには全員ついてまわっている。
さっきから大人が寄ってたかって話しているのはあくまで神使の「職務」を真耶がいつまで続けるか、言い換えれば「役職」としての「神使」をいつまで務めるか、そして神使としての「ルール」をいつまで守らせるか、だ。真耶が神使、すなわち神の子であることは一生変わらない。
だが少なくとも、神使を縛り付けてきたかずかずのしきたりの多くからは解放される。この世に生を受けるにあたって求められた一定の役割を果たしたとみなされるからだ。ことに新たな神使候補がこの世に生を受けた場合、神がその縛りを解こうという思し召しなのだと解釈されるからもっとも話が早い。だが肝心の子宝に当てがないのだ。
いずれにしろ、真耶が天狼神社の神職を生涯の仕事にすることは無い。それは真耶自身もちゃんと承知している。では、子供の頃の真耶の将来の夢は何だったのだろう?
小学校の頃、作文のお題で真耶はこう書いていた。
「およめさんになりたい」
それも、
「タッくんのおよめさん」。
6
天狼神社のある小高い山腹のふもとにある照月寺の一人息子、池田拓哉。彼と結婚することを真耶は本気で夢見ていたし、友人たちもそれを応援していた。拓哉との恋人ムードは、二年先輩の彼が中学校を卒業するまで続いた。二人がカップルになることは、学内でも誰もが歓迎していた。
神仏習合で結びつきが強かった照月寺と天狼神社。昔もその間で婚姻がなされていた記録があるので二人は遠縁に当たるわけだが、本当に昔のことなので結婚ができないほど血が濃くなっているわけではない。そしてその意味では、真耶が神職に就けないということはプラスに働く。身体がフリーなのだから。実際、職を解かれた神使の、今風に言えばセーフティネットとして働いていた面はある。
もっとも、それは神使が女子であった場合か、照月寺に娘が生まれてそのもとに男子の神使が養子に行く場合に限られていたわけだが。そう、真耶と拓哉の二人が結婚するにはあまりにも大きな壁がある。日本では法的に同性婚が認められていないという事実。真耶だって拓哉だって戸籍上も医学上も「男」なのだから。
最近は同性カップルに認定証を出す区が東京に出てくるなど性的マイノリティに優しい方向に社会が流れつつあり、木花村も同様の制度を検討中だが、この村の場合はそんな制度を作るまでもなく、ずっとそれ以前から同性の「お付き合い」に寛容であった。だから将来、拓哉が寺を継いだら真耶は寺に住み込みの働き手という体から実際的な結婚状態に持ち込むことも可能だ。
だから、この村なら真耶と拓哉の「結婚」に誰も反対はしないどころか応援してくれるだろう。二人の仲は互いの家族に公認状態だったし、拓哉の両親だって、もし真耶が池田家に嫁入りするなら歓迎しようと思っているに違いない。父は僧侶独特の徳を感じさせる性格だし、母ももとより嫁いびりなどするような性格ではないし、きっと真耶にとっていい義理の父母になる。
だが。
真耶は、「お寺のおかみさん」にはなれない。拓哉が寺を継がない、いや、継げないからだ。
宗教上の理由、さんねんめ・第四話
最近、真耶の声が早見沙織さんで脳内再生されている今日この頃です。早見さんの声で喋る中三男子、現実には不可能でしょうが、一度早見さんの男の子(娘?)役を見てみたいような。
真耶の今後もどうなるか心配ですが、拓哉が寺を継げないってどういうこと? という伏線も張ってみました。なんとか早めに理由バラし編を上梓したいものであります。