好きで好きで好きで憎い

 誰かを憎む気持ちが膨らむと、ぼくは「バケモノ」に姿を変える。
 昨日、大姉さんと些細なことでケンカをしたのだけれどね、ケンカの後お風呂に入ろうとしたとき洗面台の鏡に映ったぼくは、まぎれもなく「バケモノ」だったよ。キミに披露できなくて残念だ。キミはそういう類の話が、給食に出るきなこ揚げパンより好きなものね。
「バケモノ」といっても多種多様だけれど、ぼくは毛むくじゃらではなくて、コバルトブルーの肌色をしている。
 おおきなニキビがからだじゅうに、ぶつぶつしている。
 爪は長く、鉤爪だ。人間の洋服なんて、一瞬で切り裂けるほど鋭い。洋服どころか、人間を一瞬で切り裂くことも容易い、かもしれない。
 安心して。
 ぼくは血を見るのが、失恋して泣いている小姉さんを見るより嫌いなんだ。
 小姉さんは惚れっぽいから、週に一回はフラれて涙を流しているよ。それでも懲りないのだから、あれは一種の儀式なのかもしれないね。
 ともかく、憎悪と殺意が比例していなくてよかった。
 それでね、まァ、ぼくは湖に走ったわけだよ。知っているだろ。中学校の近くにある、大して水が澄んでいるでも、きれいでもない。よくある湖だ。
 夜だったのでボート乗り場は閉鎖されていた。
 ほとりを歩くおじいさんもいなかったし、木陰で性行為に耽るカップルもいなかった。
 湖に何しに行ったかって頭を冷やしに行ったのだけれど、湖までの道中ぼくは「ニンゲン」の姿をしていたのか「バケモノ」の姿をしていたのか、わからなかったのだけれどね、すれ違った仕事帰りっぽい女の人や、飲み会に行ってきたと思しき大学生の集団から悲鳴は上がらなかったから、「ニンゲン」に戻っていたのかもしれないね。
「バケモノ」のぼくは、ティラノサウルスだって戦慄くほどに目つきが悪いよ。
 それでね、それでさ、ぼく、湖を眺めていたんだ。湖面に映る頼りない街灯が、伸びたり縮んだりを繰り返していた。
 魚も夢の中だろう時間、ぼくが考えていたことはキミのことだ。
 ぼくが知らぬ間に、キミがとなりのクラスの奴とつき合っていたこと。
 サッカー部だってね。生物部のキミとは不釣り合いなんじゃないかって思った。
 キミ、フナの解剖を喜んでやっていたでしょう。
 食用カエルを物怖じせずに調理しようとしていたじゃない。先生が止めに入らなかったら、あのカエルは今頃キミの胃の中だったろうね。
 うん、そんなキミがさ、サッカー部のエースと恋人同士だなんて、どういうことなのだろうね。おなじ生物部のぼくの方が相応しいと思うのだけれど、キミ、今一度考え直してみたらどうだ。
 小姉さんが「失恋は身を引き裂かれるほどの痛みを伴うの」と云っていたけれど、その痛みを知る小姉さんは実際に身を引き裂かれた経験があるのか、なんて酷く退屈な男みたいに構えていたけれど、あながち間違いでもないみたいだ。
 湖の水面に映るぼくは、やはり、どこからどう見てもまぎれもなくコバルトブルーにぶつぶつの皮膚をした「バケモノ」だった。
 水の波紋により姿が醜く伸び縮みして、最早、誰に見られても否定しようのない「バケモノ」だったのだけど、こんなぼくをキミはどう思う。
 もし、皮膚を削り取って顕微鏡でじっくり観察したいのならば、遠慮なく言ってほしい。ぼくはキミになら、すべてを捧げられるだろう。
 焼き石を冷めた紅茶に淹れて飲んでみたいという実験だって、ぼくならいつでもつき合うからさ。ね。

好きで好きで好きで憎い

好きで好きで好きで憎い

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-27

CC BY-NC-ND
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