知らない街で
井上にとって初めて訪問する相手なので、手土産でも買って行こうと、ショッピングモールに立ち寄ったのがいけなかった。立体駐車場を出る際に、螺旋状の通路をグルグルグルグル回ったせいか、カーナビの道路表示が微妙にズレているのだ。ナビの画面上では、井上の車はビルの中を突っ切って進んでいることになっていた。
「しょうがねえなあ、もう」
位置情報が更新されれば自動的に訂正されるはずだが、急ぎの用事がある井上は、カンを頼りにハンドルを切った。初めて通る道だが、およその方向は合っているはずだ。しばらく放っておけばカーナビのズレは訂正されるだろうと、気が急くままにスピードを上げて走った。
信号で停まった時、チラリとカーナビに目をやると、まだズレたままだった。こんなに長い間、位置情報が更新されないはずがない。井上は舌打ちした。
「ちぇっ、故障かよ」
相手先の住所はわかっているが、日頃からカーナビに頼っている為、車に地図を積んでいない。何かランドマーク的なものはないかと周辺を見回した井上は、自分の目を疑うようなものを発見した。交差点の少し向こうに、井上もよく利用するレンタルビデオショップが見えたのだが、店名がTATSUYAとなっていた。それだけではない。有名コーヒーチェーンはスターダックスに、コンビニはエイトトゥエルブに、ファミレスはバストになっていた。
「どうなってんだ、こりゃ」
急に不安になった井上は路肩に車を止め、少し遅れそうだと先方に電話を入れることにした。
「あ、もしもし、XX商事の井上ですが」
《…この電話番号は、現在使われておりません…》
さて、ここまで読まれたみなさんは、「ははあーん、これは異世界に迷い込んだ話だな」とお思いでしょう。正解です。井上は何かのハズミで、車ごと異世界にまぎれ込んだのです。この世界は、われわれの世界と非常に似ている、というかソックリの世界のようです。どこが同じで、どこが違うのか、詳しく説明したいのは山々ですが、何しろこれはショートショート、そんな余裕はありません。どうか、ご自由に想像してください。
閑話休題。
車を降り、道行く人々に尋ねて回ったものの埒が明かず、井上は一旦会社に戻ることにした。カーナビは当てにならないので、記憶を頼りに道を探りながら運転した。幸い、会社は元の場所にあり、社名がXX商運に変わっている以外は、大きな違いはないようだった。
そして…。
いや、実は、何事もなかったように、井上は今まで通りに働いているのである。ああ、悲しきかな、サラリーマン根性。
(おわり)
知らない街で