そんなにも美しくない顔をゆがめてまで、なぜ走るのかマラソンランナー(3)

三 一キロ地点

 潮の匂いだ。ここはどこだ。漁船が停泊している。漁港か。大きな建物が見えてきた。水産棟と表示されている。そうか。魚市場か。街中のすぐ側に市場があったんだ。意外に気がつかなかった。市場なら、市内だけでなく、、県内や日本国内から魚介類が集まるんだ。そう言えば、このマラソン大会も、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から選手が出場しているらしい。なんか、ニュースで聞いたぞ。それにしても、みんな、どこまで走るのだろう。潮の流れに逆らえずに流されるペットボトルやスーパーのビニール袋のように、自分も流されるのだろうか。まあ、いいか。走っているのは間違いない。でも、ゴールはどこだ。

 あの人は今どこにいるのだろう。息子が捜しているけれどみつからないらしい。息子は家にいるようにあたしに言うけれど、このままじっとしてはいられない。あたしもあの人を探すんだ。あの人は絶対に、マラソン大会に出場しているがはずだ。これは長年の勘だ。
休みの日でも、家の用事を済ませると、時間を見つけては、ランニング姿で玄関を飛び出して行った。家族を愛し、走ることを愛した夫。いくら頭は認知症でも、体に染みついた走ることへの欲求はボケてはいないはずだ。絶対に、走っている。間違いない。それなら、見つけないと。息子には任せられない。あたしが見つける。あたしはタクシーを呼んで、マラソンコースへと向かった。

 痛い。膝が。痛い。腰が。痛い。アキレス腱が。朝起きるたびに、俺の意思とは反対に、体が叫ぶ。いいや。この痛みも俺の意思なんだ。このままランニングを続けるべきかどうか。だが何もしないと心が、頭が空っぽだ。こうして自分を壊しながら、俺は消えていくのだろう。どうせ、最後は壊れてしまうのならば、自然崩壊よりも能動破壊を選ぶ。だが、痛みで体が動かなければ、壊しようがない。それでも、毎年、ハーフマラソンだけを目標に練習してきた。これだけは。これだけは、続けよう。走り続けよう。

そんなにも美しくない顔をゆがめてまで、なぜ走るのかマラソンランナー(3)

そんなにも美しくない顔をゆがめてまで、なぜ走るのかマラソンランナー(3)

三 一キロ地点

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-26

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