サイコパスの正義(仮)  ~サイコロ課、最後の決戦~

たま ささみ

序章

 
「ごめん」

 カーテンを閉め、一筋の光をも差し込まない暗くなった部屋で、独り呟く。一枚の小さな写真を膝に抱き、壁に凭れ掛かる。
 そこに写っていたのは、この世から、その存在を抹殺された唯一無二の友。
 あんなに笑顔を振りまいていたのに、今、彼は家族の下に遺影もなく、遠い地の海の底にその身体を横たえている。
 
 彼は正義感に溢れ、洞察力、行動力、忍耐力、どれもが周囲の中で際立っていた。
 勇猛果敢で、誰よりも使命感に溢れていた。

 その輝きゆえに、彼は死を選ばなくてはならなかった。

 こんな形で別れを告げるなど、大学を卒業して働き出し彼と出会ってから今迄、終ぞ思っても見なかった。
 今の時代に、こんな、こんな不条理がまかりとおっていいのか。

 あいつらが憎い。組織が憎い。
 いつか必ず、復讐してやりたい。
 そして、そのときこそ、彼の墓前に報告するのだ。
「仇をうった」と。

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 彼が自分の前から姿を消して、早いもので3年が過ぎ去ろうとしていた。
 もう一生、復讐など叶わないのだろうかと、一人、部屋の隅で塞ぎこむ日が増えた。
 長く伸ばした左手小指の爪は、復讐までの道のりの長さ。

 いつのまにか、その純粋な心には、悪魔が巣食っていた。
 悪魔に魅入られた、正義。
 こめかみが痺れ、手指が震える程、胸を支配しつつある、途轍もない思い。

 完全犯罪の成立。
 犯罪者なら、一度は考え胸躍らせるであろう、このワンフレーズ。
 復讐と、完全犯罪を同時にできないだろうか。
 自分になら、できるかもしれない。いや、やってみせる。自分になら、できる。

 我の存在理由は、其処にある。
 我がミッションは、其処にある。
 我を支えし悪の心は、其処にある。
 

 

第1章  定義

 

 サイコパス。
 この言葉を目にして、或いは耳にして、どのような光景や人物像を思い浮かべるだろう。
 殺人、犯罪者、反社会的行動。そういった概念が一般的かもしれない。
 
 ご存じだろうか。
 サイコパス達は、現在も普通に、元気に暮らしている。
 そう、殆どが。
 彼らは決して反社会的でもなく、犯罪者になり得るような人間ではない。ただ少しだけ、通常の人間と違う心理をその片隅に宿すのみである。
 心理学的に、ある意味において共通したサイコパスの定義がある。

 「良心の欠如、他者に対する思いやりの欠如、他者を平然と見下す心。冷淡な心の持ち主にして、平然とつく嘘。その嘘は慢性化し、罪悪感も後悔の念も皆無。自尊心が過大で自己中心的、自分勝手に欲しいものを奪い、好きに振舞う、無慈悲でエゴな人間」

 ところが現実はどうか。
 一見では到底判り得ないのが通常で、一人きりでいる無口な人間でもなく、常常周囲から疎まれるような行動をとることもない。極々一般的な、ありふれた人間像。 一般社会に溶け込んでいるかのように見える彼らは、口達者で表面的にはとても魅力的なのだという。
 普段はきさくで明るい人。それが多くのサイコパスに共通する外見である。
 そう。あなたの隣で、あなたの向かいで、明るく笑う。その人こそが、本当はサイコパスかもしれないのだ。

 もしかしたら、あなたの隣にも、サイコパスがいるかもしれない。
 


 警察庁刑事局特殊犯罪対策部サイコロジー捜査研究課。
 サイコパスの犯罪を心理学的観点から検証し、警視庁及び各道府県と情報を共有、日本の警察機構が未だ成し得ていない反社会的行動=サイコパス犯罪を未然に防ぐ手法を確立することを目的として設置された部署である。
 物的証拠を収集し犯人検挙に奔走するのが捜査一課や鑑識課、科学捜査研究所であるとするならば、サイコロジー捜査研究課は物的証拠の無い事件で、事件前から事件後に及ぶ犯人の心理プロファイルを取り纏め、捜査本部に情報提供する。
 その他、未解決事件における犯罪者の心に潜む行動心理から事件にアプローチし、同一犯罪の起こり得る可能性を見極め、連続した事件に発展するのを防止する。いわば、表に出る捜査部隊がハードとするならば、サイコロジー捜査研究課はソフト。お互いが背中合わせとなり、科学捜査の一助を担う存在とも言えよう。

 犯罪心理、行動心理、認知心理、児童心理、発達心理、臨床心理、等々。課の全員が、入庁前から何らかの形で心理学に携わり、入庁後も心理学的観点から各地で事件解決に尽力した精鋭たちだ。
 精鋭というインテリジェンスを感じさせずにはいられない扇情的アピール。外国映画の日本バージョンを彷彿とさせるキャッチコピー。日本人が不得手とされる横文字を効果的に使用したセンセーショナルな触れ込みにより、一昨年開設された部署である。

 そんな大層な触れ込みはさておき。
 2年の間において、彼らが貢献した事件は決して多くない。本物のサイコパスを見つけあぐねているという実情を除いても、他の部署から「ただ飯ぐらい」と揶揄されることもしばしばである。
 しかるに、挑発的な言葉に反応するサイコロ人ではない。心臓に毛の生えた連中ばかりだ。
 心理通の集合体は「サイコパスは何ぞや」の一点に照準を合わせ、今日も各々のプロファイルを述べ続ける。

 昨年は、事件以外の部分で色々あり過ぎた。今年度のメンバーは顔ぶれこそ初年度と変わったものの5人に戻った。

 和田透、(わだとおる)、29歳。
 自他ともに認める北国のシャーロキアン。シャーロック・ホームズを扱う図書やら何やらで、住まう部屋は寝る場所だけを確保しているようなものだ。故に、サイコロ課のデスクにもシャーロックの本がびっしりと並んでいる。

 麻田茉莉(あさだまつり)、42歳。
 美女にして猛者、T大出身で弥皇南矢のパートナーを自認する。2人の愛息子、オチビ1,2は、モデルのスカウトまで舞い込んでいると豪語する。昨年度のSP業務からまたサイコロ課に戻された。

 神崎純一(かんざきじゅんいち)、26歳。
 科警研からの派遣組。サイバーテロ以外にも科学系統全般担当。現在はデータ入力を担当している。脱ぐとすごいのよっ!という均整のとれた肢体と、プロ並みの射撃術を持つ。どこか不思議な雰囲気を持つイケメン。

 須藤毅(すどうたけし)、42歳。
 関東にある某県警特殊部隊からの派遣組。派遣された警視庁特殊急襲部隊(SAT)では先輩方を差し置き第一人者と呼ばれ異例の速さで抜擢された凄腕のスナイパー。しかし、暴力団との抗争時に脚を打たれ、その怪我を機にアメリカに渡りオペするとともに、FBIで研修しプロファイル術を会得。現場の勘もある頼れる一人。麻田の同期。こちらは鬼面。

 市毛那仁(いちげともひと)、56歳。サイコロ課長。出世欲皆無の変わり種で、唯一の警察庁出身者。26年前、親友にして妻の兄である現役警察官が無理心中に巻き込まれ、上層部から隠蔽を命じられたのちは、何一つ語らなくなった。

 ※弥皇南矢(みかみあけただ)、40歳。元サイコロ課員。現在は出身県警に戻り3年間の育児休暇を取得中。こちらも出世欲皆無。麻田のパートナー。大金持ちの一族の末裔らしい。

第2章  F-15ファイル  毒親

 

「くーっ。この課でまた1年、修業ですか、僕」
 神崎が自分のデスクに突っ伏し、情けない声を上げている。その斜め向かいで、ケラケラと乾いた笑い声が聞こえた。
「去年華々しいデビュー飾ったからじゃないの」
 声はケラケラしているが、目が血走っている麻田の返し。
 麻田には目を向けないようにしながら、和田が向かいの神崎をじっと見る。
「ああ、清野の全裸の写真撮りましたもんね」
 ずいぶんと軽いリアクション。
 立ち上がってデスクに両手をつき、皆の行動を斜め上から見下ろす須藤が、常から低い声を尚更低くする。
「あれで、即アウトだな。ま、気長に行こうぜ」
 サイコロ課、雀たちの囀りである。

 だが今日は神崎を冷たくあしらう空気が課内に漂っている。神崎自身はもしかしたら異動できるかもしれないと思っていたらしい。そうは問屋が卸さないと皆が手ぐすね引いて待っている。
 麻田を泣かせた罪は重い。まあ、麻田が泣いたことは麻田と弥皇しか知らないし、今の麻田はそれすら認めようとしないだろうし、記憶の彼方に事実を消し去っているかもしれないが。
 
 今年は麻田以外、特に人事異動も無かった。平和な年度初めである。
 神崎は、自分は心理専門ではないのにどうするんじゃと皆に毒づいている。それでも、神崎の叫びを押さえ付けるかの如く、サイコロ課のカラーが段々身に着いて来たと周囲は口を揃えて囀りまくっている。3対1。神崎の負けが濃厚だ。
 それを物語るかのように、今日も神崎はデータ入力を主に担いながら、写真等科警研の得意分野で蘊蓄を垂れる。おまけに、和田を超える情報通だ。ソースがどこにあるのか、和田には教えてくれない。
 ならば情報合戦だ!と和田が内心叫んでいる。というわりに、神崎の面の厚さに本音を語れない和田である。

 神崎は決して、厚顔無恥というわけではない。彼は彼なりに、心理とは何ぞやと、サイコロ課の人間たちを観察している。当然、和田もその対象に入る。
 弥皇がフェミニストであるように、神崎もまた、サイコロ課の人間たちをリスペクトしているのが行動からして分かる。
 其処には、神崎独特のオーラが漂っていた。

 神崎独特のオーラ。
 仕事にせよ、プライベートにせよ、事を起こすにあたり、普段、神崎は前もって逃げ道を確保している。
 いざとなると、神崎はするりと逃げて姿を晦ます。体貌の状態からしてもITに長けているところからしても、心理面が浅いとはいえ、使い物にならない人材ではない。
 ただ、去年、清野と一緒にサイコロ課に来たということは、表面的に何らかの問題を抱えていたのは確かだ。それが元カノへの嫌がらせと見做されたのは、事実を語る上で揺るぎようのない事実になっている。
 今のところ、それがプロファイルの邪魔になるわけではない。

 元カノへの嫌がらせ。執拗なまでの品行の悪さは、神崎のスタイルからすると、ちょっと意外な面を見たように誰もが感じるだろう。この時ばかりは、目の前のことに直情径行になり過ぎ、執念を燃やしたに違いない。
 神崎は現在、このことを一番に後悔している。
 サイコロ課の面々は神崎を慰めているやら、からかっているやら、言葉の端々に重みというものが無い。
「元カノ?誰だって思い出したくない青春はあるものよ」
「麻田の場合も、あったっけな」
「黙っててくれる?スーちゃん」
「僕、その件だけは情報が不足してるんですけど。神崎さん、調べたんでしょ、教えてくださいよ」
「和田。それ以上首突っ込んだら、締め上げるよ」
「麻田さん、怖い」

 人の過去など、サイコロ課の面々は主眼を置くでも無く、ただ只管に神崎を心理合戦の中に引き込んでいく。
 なるべく多く他者のプロファイルを聞き、心理を極めて欲しいと願う和田だが、市毛課長も、姿を晦ます神崎を許容している。

 境界線の内側と外側。
 市毛課長が、何らかの理由があって神崎を泳がせているのか、それはわからない。

 市毛課長と言えば、麻田の愛息、オチビ1,2にぞっこんだ。
 あの冷静沈着な市毛課長が、ことある毎に皆の前で鼻の下を伸ばす。
「このまま辞めてベビーシッターやろうかな」
 近頃の、市毛課長の口癖になった。
 鼻の下は美女のみならず、子供でも伸びる市毛課長。

 和田は、市毛課長を傍から見ていると、冷や汗が出る。

(おいおい。この課は一体誰が纏めるんだよ)

 和田の情報網では、市毛課長が昨年末で退職願を出したとか、出さないとか。
 今年、此処にこうして座っているということは、流石に市毛課長の退職願は慰留されたらしい。
 仕方がないと言わんばかりに、己が非番の日の市毛課長は、必ず奥方とともに弥皇・麻田邸を訪問しているという。非番の前の日の課長は段々鼻の下が伸びていく。麻田と一緒になってオチビ1,2の自慢話ばかりしている。

 弥皇・麻田邸といえば、その居室は佐治や和田、須藤すらも教えてもらえない。弥皇の部屋は血だらけになったし清野が全裸になって弥皇の隣で寝ていたから麻田の性格上住まうのは無理として、麻田の旧マンションで子育てをしているのかと皆勘違いしたくらいである。
 弥皇(=の親戚)が稀に見る金持ちらしく、2人は別宅を持っているのだとか。その場所を知るのも市毛課長のみ。課長はその話題に絶対触れない。話題が出るとそそくさと何処かに消えていく。
 市毛課長の口の固さには、皆、ひれ伏すこと、この上ない。


 そんなある日のことだ。
 神崎が、データ入力しながら大声を出す。
「先日の事件です。ファイルはF-15。15歳少年の犯罪です。手当たり次第に親戚を殺傷しています。動機は、金を無心して断られたこと。2人が死亡、5人が重軽傷。一晩のうちに犯行に及んでいます」

 麻田が椅子に座り直し身を乗り出して一言発する。
「両親は?」
 神崎が呆れ果てたように、物も言わず、首を左右に振る。そして一言だけ、少年の家庭環境をデータに落としたものを見て欲しいと皆に言う。

 両親は所謂、路上生活者。
 少年に小学校時代から教育も受けさせず、何年もネグレクト状態のままだった。両親は生活費を稼ぐでもなく、少年に万引きや置き引きなどを強要しており、あろうことか金の無心さえも、小さな少年に行わせた。
 その後、両親は、少年の弟にあたる子供まで産み落とした。赤子が生まれた後は、親戚にあてた金も無心を額が大きくなったうえに、あろうことか赤子の世話をすべて少年に押し付け、自分たちはギャンブルに興じていたという。
 
 データを一番初めに読み終えたであろう須藤が、真っ先に口を開いた。
「そうか。そうなると青年期における典型的な劇場型犯罪に見えるが、こりゃ違うな」
「どうして其処まで言いきれるんですか」
 神崎は自分の見識を述べた。
 やけになった少年が、自分も遊びたくなり、親戚にあてて金の無心に走ったのではないか、と。

 それに対し、須藤の言い分は異なる。
 少年は親に対し口答えをしていなかったはずであるというのだ。
 そして、弟の育ち具合を逆に神崎に尋ねる。
 弟は、戸籍にすら名を連ねて貰えない有様だった。それでも、少年が万引きで準備したベビー用の食物を口に運び食べて飲んで、身体だけは肥え、健康優良児とまではいかないながらも栄養失調の状態には無かった。
 それどころか、栄養失調状態にあったのは、犯行に及んだ兄の方である。
 15歳と言えば育ち盛り。弟に食料を与えていたのだから、兄は栄養に齟齬を起こしても仕方のない状況だといえよう。

 麻田が、須藤の意見をフォローする。
「親が遊んで暮らしてる、ここがミソなのよ、こういったケースは。少年犯罪、サイコパス要素の有無ということでサイコロ課にデータが来るけどね。本来、児童相談所なり然るべきところと警察がデータをやり取りしないといけない案件なの」
 麻田曰く、親、特に母親に対する男子の心中は察するに余りあるものがある。親が遊ぶ金欲しさに少年に窃盗を命じたりする例は多い。悪いと分っているのに、なぜ、犯罪に手を染めるのか。

 親に褒めて欲しいからである。

 愛情に飢えている子供たちは、褒められることが愛情だと一義的に考えてしまう。それが犯罪だとしても、親の顔色の方が大事になってくる。
 一方、親はどうだろう。今回のような最低親は世の中ごまんといると考えられるが、犯罪まで子供に強要する親がいるのだろうか。
 実際問題、増えてきている。子供が言うことを聞いた場合、すなわち報酬を手にしてきた場合は、子供を褒め称える。
『良くやった』と。
 罪を犯してはいけない、ということを教えるのが親の最低条件なのに、反対に犯罪を褒め称え、褒められた子供は、また褒められたいという思いから、重ねて非行に走る。
 このような環境下の家庭では、往々にして子供への虐待も見受けられがちであるのがポイントだ。

 心理初心者、神崎は目眩の極みを何とか持ちこたえながら、声を絞り出す。
「それだったら、最悪のパターンじゃないですか」
 須藤も頷く。
「そうだな。最悪だよ」
 麻田は顔をあげ、天井の方に目をやった。
「こんな親がいるから、少年犯罪がまかりとおる世の中になるのね」
 和田はむくれている。
「これって、絶対に子供を虐待してますよね。その辺もきちんと調べて欲しかったな。でないと、サイコパスかどうかの判断がつかない」
 神崎としては、ただのネグレクトにしか思えない。
「サイコパスとは一線を画すると思うけど」
 和田はもっとむくれ、頬っぺたを風船のように膨らました。
「あんなに何人も殺しておいて?」
 麻田が二人の間に割って入った。
「殺人だけがサイコパスの定義じゃないからね」

 須藤が神崎に向かって捲し立てる。

 市毛課長ではないが、母さんが夜なべをして手袋を編んでくれた、さもなく、一杯のかけそばを子供たちと分け合って食べた時代は、もう、こない。
 そう、現代は夜なべもしなければ、子供たちの前で、親だけが、かけそばを全て食べてしまう世の中なのだ。

 日本国憲法第26条に規定するとおり、すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 15歳の少年は、この、教育を受ける権利を奪われ、一方弟は、戸籍にも入れず基本的人権すら奪われていた。ここで少年が親を恨む、というなら納得がいく方も多かろう。
 ところが、そうではない。

 課長がやるせないように立ち上がって、珈琲を入れにいきながら、低い声で呟いた。
「これは共依存なんだよ。何も良い親と良い子だけが共依存じゃない」
 
 神崎は純粋に驚きを隠せなかった。
「共依存として、窃盗は納得がいきます。人を殺めることが共依存に繋がるんですか?」
 和田が、しんみりと寂しそうに下を向く。
 親は子供の持ってくる金をあてに、少年に向かい、親戚がお金を出さないときは、ナイフをちらつかせて脅せと言う。万が一殺しても構わない、と。
「親はもう、子供自身を金蔓くらいにしか考えていないんですよ。最低な親ですよね」
 須藤が割って入る。
「子供はどうだ。金を持って行けば親が褒めてくれる。これが万引きだけじゃ駄目なんだ。赤ちゃんのご飯では、親のギャンブル代にはならないからな」

 生活保護を申請するなり、子供だけでも一時保護して親から引き離し、更生施設で匿う方法が一般的ではないのか、と神崎が言う。
 麻田が悔しそうに吐き捨てる。
「そういう子供に限って、話を聞いても、親は悪くない、悪いのは自分だと言い張るそうよ。子供が悪いの一点張り。親からしてみれば、早く共依存の相手に戻って欲しいから、更生施設に毎日のように怒鳴り込む。これじゃ、子供の一生が台無しじゃないの」
 課長はまたしても低い声で呟く。
「共依存の典型だな」

 子供に路上生活を無理強いし、その中で更なる子供を産み、赤子の世話まで少年に強要する人生がこの世にあったとは。これが社会の底辺に当たるのか、神崎にはわからない。他の皆だってわかっていないだろうと思う。

 ところで、殺傷事件を起こした少年に、どのような処置が下されるのか。
 実際に手を染めたからには、全くのお咎めなしというわけにはいかないだろう。それなりの施設で親から隔離され、人として真っ当な道を歩むしか方法しか残されていない。
 少年法に守られる年齢なら、名を変え、住まいを変え、懺悔しながら生きることも可能だが、果たして、施設から出所したとき、彼の脳裏には何が浮かぶのか。

 今回、殺人教唆で罪を咎められるであろう、少年の両親。よしんば服役後に少年や、その弟に会ったとしても、いい親子関係に戻れるはずもない。可哀想なのは弟であろう。物覚えができるようになるころには、児童養護施設の中で一人ぼっちになるのだ。須く、両親とは引き離されて育つはずである。
 万が一、両親と一緒になることがあっていいのか。この両親が心から罪を悔い改めるとは思えない。

(それなら、そんな親なら、いない方が余程マシなのかもしれない)
少なくとも、神崎はそう考えた。
「これって、両親と一緒に暮らすことになるんですか」
 麻田はやりきれないと言った表情を浮かべ吐き捨てた。
「行政の考え方次第だと思うけど、親元に戻される危険性もあるわよ」
 須藤も同感だと言わんばかりに大きく頷く。
「そうそう。行政なんざ、自分の仕事を増やしたくねえ連中ばかりだからな」
 和田だけは、何か考えがあるような口ぶりで天井を見上げた。
「子供の未来を見据えた場合、どちらが、より子どもにとって幸せなんでしょうね」
 麻田と須藤がその言葉を受けた。
「この件に特化すれば、親から切り離した方が子供のためになると思うけど、愛情を掛けられずに成長した子は、何処かで歪みが生じると思うわけ」
「そうなると、凶悪な犯罪に手を染める可能性が無いでもない」
 神崎も、その情景を心に浮かべたのだろうか、下を向く。
「どっちに転んでも、不幸な巡り合わせですね」

 少年犯罪自体は減っているという数字も、確かにある。
 しかしそれは軽犯罪等すべての犯罪を含んだ数字であって、大麻の所持や使用、殺人など今迄無かった凶悪な犯罪は、寧ろ増えつつあるという見解を述べる学者もいるくらいだ。

 皆が皆、願い叶えて悪のカリスマになりたいわけでもなく、中には脳の器質異常が何らかの形で表れてしまう場合もある。それが総じて、サイコパスと呼ばれるものだ、と神崎は思っていた。
 犯罪心理という観点からすれば、悪のカリスマも、脳の器質異常も同義にサイコパスなのか、それが神崎にはわからない。

 今回のように、潜在的な共依存からくる犯罪が後を絶たない現状を知り、少なからず、ショックを受けた。
 神崎は、お世辞にもそういった世界を垣間見たことが無かったから。
 そう、神崎自身、良い子と良い親の芝居なら、今迄散々経験してきた。
 サイコロ課に来て、自分は母親との共依存なのではないかと悩んだ日々もある。
 もし共依存であるとするならば、その共依存関係から抜け出さなければ。そのための方策を色々と探っていた。

 そう、神崎自身、良い子と良い親の芝居なら、今迄散々経験してきた。母は教育熱心で、家の中は何から何まで綺麗にし、良妻賢母というフレーズがぴったりだった。
 母親との共依存。
 神崎は小さい頃、両親に褒められたくて、何でも頑張った。勉強、スポーツ、礼儀作法。きちんとすれば、母親は褒めてくれた。家柄の良い家庭だったこともあり、厳格な父を柱とした厳格な家庭。

 それが神崎の神経をズタズタにする事件の、いわばきっかけになった。
 母の暴言。神崎が初めて恋心を抱いた女性に対するものだった。だが神崎は女性に味方することなく、母の言いなりになった。
 その上、女性が結婚するや否や、女性宅への嫌がらせを始め、女性の実家までターゲットにした。女性の結婚相手は自分の同期警察官だったからそちらの家まではターゲットにしなかったが、その男性に呼び出され、一発殴られて目が覚めた。

 神崎が女性に選ばれなかった理由。いや、女性が神崎以外の男性を選んだ理由。
 神崎は、女性の人権を無視したのだ。
 無礼な言葉を投げつけた母親のせいにしながら、自分は庇うことすらせず、まして家を出ることすらしなかった。なのに、結婚した途端、腸が煮えくり返るという浅ましさ。
 同期の男性に自分の心の内を詳らかにされ、初めて自分の立場を知り、二人に謝った。二人とも、これ以上嫌がらせがないなら胸の内に仕舞ってくれると言ってくれた。だから今、自分は警察官でいられるのかもしれない。
 サイコロ課に来た時、同期が過去をバラしたのだと思った。また沸々と怒りがこみ上げつつあった。
 しかし、気付いた。
 違う。噂ではなく、自分の顔つきがそうだったのだろう。行動が人目についたのだろう。だから今、ここにいるのだ。
 
 神崎は都内でも有数の、敷地も広く立派な屋敷が立ち並ぶ閑静な住宅街に住んでいた。父は外交官を経て官僚としての要職にある。厳格な父は幼少の頃から神崎や母よりも仕事を選んだ。遊んでほしいとねだることは許されなかった。ねだろうとすると、母が飛んできて神崎を嗜めた。神崎は、何故自分が母から怒られるのか理由がわからなかった。月日が経ち、漸く神崎は父や母と判り合えないことに気が付いた。

 定時にサイコロ課を出て、地下鉄で帰路に就く。車窓に映った自分は、頬はこけ、目だけがギラギラしているように感じた。特段、痩せたわけではない。母とのバトルがこれから待っていると思うと、少し憂鬱になるのだった。
 科警研の時代は遅い時が多かったのもあり、定時で帰る自分を母が快く思っていないのは、その口元を見れば容易に判断できた。
 サイコロ課を出て30分。電車を降り、歩いて15分。広い敷地に立派な門構え、美しく剪定された木々に囲まれた中に平屋造りという贅沢な佇まいの自宅に着いた。門を開け、バッグから鍵を取り出し、玄関の鍵穴に差し込む。ギギギ、と鈍い音が静寂の中に響く。
 玄関はいつも明るい。父が戻ってくるまで、家の玄関は明るさを保っている。
「ただ今戻りました」
 玄関に母はいなかったが、そのように躾けられていたから、自然と言葉が出る。
 すると、台所の方からパタリパタリと優雅に歩くスリッパの音が聞こえてきた。
 姿を見せたのは、母だった。
「あら、今日も早いのね」
 母の甲高い声が嫌味のように聞こえる。実際、嫌味だ。
 いつもならやり過ごして自分の部屋に戻る神崎だが、今日は立ち止まり、大きく息を吸い込み、静かに息を吐き出した。
「お母さん。僕は一人で暮らしたいと思っています。お許し願えますか」
 そう言って、母に、一人暮らしがしたいと申し出た。勿論、答えは「NO」。
「貴方に一人暮らしは無理でしょう?どうしてこの家から出たいの?」
 親の居ぬ間になんとやら。生活が乱れるから許さない、その一語に尽きるのだった。

 26歳になってからの反抗期でもないが、成人男性が、自分の生活に対する親の意見までは聞こうとしないだろう。両親に告げず失踪するわけにはいかないと思い、聞いただけ。答えなど分かりきっている。

 母から否定の言葉を投げつけられたその夜。神崎は密かに、母の目に触れぬよう庭に出て弥皇に電話した。
「ご無沙汰してます。神崎です。大変不躾で申し訳ないんですが、弥皇さんが借りていたマンション、まだ借りていると伺ったんですが。借主を僕に変更できませんか」
 久々の弥皇登場である。
「僕はいいけど。何、家出するの?」
「実はまあ、そんなところです」
 弥皇は、何もかもすっかりお見通しのようだ。
「家具やら何やら、当時のままだよ。家具付きでもいい?」
「願ってもないことです。僕、身一つで家出しようと思っていたので」
「でもって、派手に血だらけだなって思ったでしょ。いいの?」
「はい。このことなんですが、サイコロ課だけの秘密にしてもらえますか。僕の通勤経路、総務にも言いたくないんです」
「家出だもんね。わかった。麻田さんには話しておくけど、キミの口から、課長には話さないと」
「了解です、ありがとうございます」

 神崎は安堵の溜息を吐いた。
 家具付きで紹介してもらえるとは思っても見なかった。
 家具を揃えて家賃相場を見て、自分の財布と相談して、このところ毎日のように、住まい探しにアフターファイブを使っていたのである。休日は言わずもがな。
 なかなかいい物件には巡り合えず、思い切って弥皇に連絡したという訳だ。

 此処なら、和田や以前いた佐治さんも場所を知っているはずだ。何かと都合もいいだろう。
 僕も派手な血だらけ事件の前に一度入っているが、弥皇さんのツッコミがそちらでなくて良かった。あれを恨まれていたら、今日の取引成立は無い。
 麻田さんに話されて、取引消滅の危機が無くもないが。
 此処は一発。麻田女史に正々堂々、話を通すべきである。

 翌日、少し早めに家を出た神崎は麻田が来るのを待った。灰色に細い白のストライプが入ったスーツに黒いパンプス、黒の大きめバックというキャリアな出で立ちで颯爽と廊下を歩いてくる麻田。神崎を見つけると、握りしめた手から、くいっと親指を下げる。
 まさか。怒ってる?
 神崎は真っ青になる。
 麻田が近づいてくると一歩、また一歩と後ずさる神崎。麻田は眉間に皺を寄せた顔で迫ってくる。
「なにやってんの。3階の非常階段で待ってて」
 魔の非常階段。和田が突き落とされた場所。
 やっぱり、麻田さんは許してくれないか。
 僕を心から許してくれる人間など、いやしないのだと項垂れる神崎。元カノだって許していないに違いないと思いながら、麻田に云われるがままに5階のサイコロ課から3階の非常階段に向かう。

 数分待っていると、麻田が走って非常階段のドアを開ける。5階から走ってきたのだろう、息を切らしている。SPで為らした腕前とはいえ、出産を機に衰えたのか。
「ああ、疲れた。40歳超えるとね、全力疾走無理。1年のブランクあるし」
「すみません。あれも元はと言えば僕がターゲットになっていたからで」
「でもマル被じゃなかったでしょ。大丈夫、あたしは突き落したりしないわよ。犯罪なんて真っ平」
「で、どうして非常階段なんですか。此処は情報交換の場と聞いていましたが」
「良く知ってるわね、さすが科警研のプリンス」
「止めてください。もうそんな名前で呼ばれたくないんです、だから家も出て、弥皇さんのマンション借りようかと。正直に言います。捜査の時と、清野から頼まれた時と2回入っているんです。弥皇さんは忘れてるようだけど、麻田さんが許してくれるか心配で」
「そうねえ。あれには驚いた。でもさ、あの流れがあったから今のあたしがいるわけで」
「いいんですか」
「勿論。ただし、綺麗に使ってよ。弥皇くん綺麗好きだったから。乱入も有り得るから、ワインは極上の物をセットしておくこと」
 麻田は豪快に笑う。麻田自身の昔の行いを全都道府県県警本部にばら撒かれたことなど気にしていないように見えた。気にしないはずもないのに。
 自分だったら。
 もう、人に合わす顔も無く警察を辞めるかもしれない。
 この人は、強い。
 いや、弥皇さんあっての強さか。
「でさ、SPの江本や内田が一緒に飲みたがってんの。和田くんも一緒に、どお?セッティングは任せるわ。秘境とやらがあるそうだし」
「弥皇さんのマンションの話かと思いました」
「そんなん、5階で話せば済むじゃない。この話ってスーちゃん置き去りだからさ。あそこじゃ飲みの話タブーだったの。くれぐれも、今回は誰彼相手に飲ますなよ。あんたの悪い癖みたいだから」

 麻田が先に5階に上がる。
 一連の事件で苦しみに苦しんだ麻田。それすらも、弥皇への想いの一端と吹っ切る。やはり麻田は強い人だと感じる。

(ん?セッティング?まあいい、いつものミセにしようか)

 とぼとぼと重い足取りで5階に上がる神崎。
 サイコロ課内に入ると、全員が揃っていた。まず、課長の耳元で、家を強制的に出た上で弥皇のマンションを借りることにしたと報告する。麻田には報告済だと付け加えた。
 課長が代弁してくれた。
「神崎は、弥皇が借りているマンションに引っ越す。ホントはいけないんだが、総務には内緒にしてくれ。あと、神崎邸にもな。くれぐれも、宜しく頼む」

 有難い。課長は一言伝えただけで十を知る。
 噂通りの切れ者だ。牧田夫の事件さえなければ、今頃とうに出世街道をひた走っていたはずなのに。
 でも、子守爺の時間になると、課長は本当に楽しそうな顔をする。価値観など、人それぞれなのかもしれない。
 神崎とその両親が解り合えないように。

 そんなことを一頻り考えている神崎の目の前に、分厚い紙データがドン、と和田の手によって置かれた。今日もまた、入力作業が始まった。
 データ入力しながら神崎が大声を出す。

「F-29 おれおれ詐欺事件です。なんでサイコパス扱う、うちにくるかな」
 須藤が待ってましたとばかりに講釈を垂れ流す。
「それって元を辿ればマル暴の資金源だったりするわけよ。でもって、下は中学生から高校生くらいまでかな、受け子とか出し子とか呼ばれる人間がいて、実際に現金受け取ったりカードで現金引き出したり。俺が思うに、皆自分のやってることが犯罪だ、って分かってる。なのになんで?って思うだろ。バイト感覚の子もいるだろうけど、スリルなんだろうな。昔の万引きを遥かに超えるスリルだよ。万引きなんてたかが数万だろ、普通は」
 そのスリルがどうしてサイコパスに繋がるかわからない。

 神崎は和田を見る。
 にこにこしながら須藤の講釈を耳に入れていた和田だが、須藤が一区切りつくと堰を切ったように喋り出す。
「二通りいるんですよ、その受け子出し子には」
 急遽、麻田が参戦。
「素行不良児と、普段は良い子ちゃん」
 素行不良児は、なんとなく理解できる。お金も欲しいだろう。
 普段良い子がそんな犯罪に首を突っ込むのか?と神崎は懐疑的だ。
「あ、今。あたしのいうこと疑ったでしょ」
 麻田に突っ込まれた。ボケる準備もしていない。つい、本音が。
「素行の良い家柄もしっかりした子なら、犯罪だとすぐにわかるし手を出さないんじゃないですか」
 麻田がおーっほっほっほと高笑いする。須藤も「チッチッ」と右手の一指し指を横に振って神崎の考えを誤りだと決めつける。
 そして、最後の美味しい所を和田がもっていく。
「過干渉する毒親への、せめてもの争い(あらがい)なんですよ、この場合」
「毒親?」
「過干渉、依存、子供にとって悪影響のある親を毒親と呼ぶんでしょうね。マスコミが使っている言葉です」
「それがサイコパスとどう繋がるんだい?」

 和田が続けて話し出す。
「去年の今頃だったかな、ホームレス殺傷でしたっけ、最初に動物を手にかけていた。あれがいい例なんです。一度染まったら、後は奈落の底」
 須藤はやれやれといった雰囲気で視線を宙に向ける。
「今回の場合は暴力団が介在するから、途中で引き返そうとしても無理」
 神崎は漸く思い出した。自分にもなんとなく掴めてきたような気がする、サイコパスたる者の定義。

 ホームレス殺傷。

 五芒星だ六芒星だと和田と弥皇が大騒ぎした事件だ。確か、家柄の良い中学生が決まった日の夜中に家を抜け出し云々、という流れだったのは覚えている。あの後、どういう措置が取られたのかサイコロ課への報告は無かった。同じ警察組織なら報告くらいしろよ、阿呆が。そう思った覚えがある神崎。
 特段に理由がないながらも、自分に自信のあるサイコパス達なら、事件を起こす時でも120%の仕事をしたと思い込む。
 普通の了見しか持ち得なければ、中学生や高校生がどんなに頑張っても、その仕草はおどおどしたものになってしまうだろう。
 
 中学生や高校生たちの子供が、親の過干渉から逃げたくなる気持ちは理解できる。
 ネグレクトも困るが、過干渉は厄介だ。神崎自身、過干渉の中で生き続けた。スポーツに汗を流すことでストレスを発散しながら、過干渉を受け入れ生きてきた。その過干渉は、どうやら今も続いている。そこから一歩踏み出すためには、あの家を出ることから始まるように思えた。

 幸い、家具類は揃っている。細かなものだけ購入し、神崎は弥皇のマンションを借り上げた。
 借主変更という形で弥皇が保証人になってくれて助かった。保証人欄は一つのハードルでもあったのだ。契約書に押印しながら、やっと過干渉から逃れた歓びを実感する。これから、色々な場面で歓びが舞い込んでくるのか、果たして両親がどういう態度をとるのか見ものだ。
 考えていても仕方がない。前に進むためには壁もあるだろう。
 壁は壊すしかあるまい。一度壊しても、誰にも分らないように修復すればいいのだ。
 こうして、神崎のお一人様暮らしが始まった。


 その頃、ぬいぐるみをナイフで刺し続ける人がいた。その部屋は真っ暗ながら、メールソフトを立ち上げたパソコンの青白い光がぼんやりと浮かび、異様な空間を醸し出していた。
 一方で、部屋の片隅にある椅子に腰かけ、タブレットでメールソフトを起動させる人物。
 一体誰なのか。サイコロ課に縁のある人物に違いないのだが、その姿は杳として知れない。


 神崎が弥皇のマンションに移り住んで早ひと月。季節は梅雨の真っ只中。
 家事一般、そこそこに何でもこなす神崎だが、お世辞にも料理が上手とは言えない。はっきり言えば、下手だ。
 毎日コンビニで酒とつまみを買って帰る。
 冷蔵庫にビールを入れようとして白っぽい汚れに気が付いた。外側の至る所にほぼ均等に、薄らと。はて、何の汚れだろう。
 翌日は靴の手入れと思いシューズクローゼットを開けた。冬に履くブーツが異様な光景を見せている。
 やられた。
 カビだ。
 科警研時代、様々な家に入り込んだ。カビだらけの家も多かった。
 まさか自分が。
 余りのことに、焦って足下にある椅子に躓いた。

 電話を掛ける。相手は和田だった。
「すまない。部屋のカビを失くすにはどうしたらいい?」
「あ。換気怠ってますね?1に換気、2に換気。その部屋、結構なお値段のワイン有りますから気をつけてくださいよ。弥皇さんか麻田さんに高価なワイン渡しちゃう手も考えないと。人のワインで気を遣うのも疲れるし」
「ありがとう、助かったよ」

 換気、か。
 どうして、こんな小さなことに気が付かなかったのだろう。
 神崎はあらゆる部屋の窓を開け、空気を入れ替えながらリビングの窓際に椅子を運び、ふんぞり返って座りながら、ぼんやりと考える。

 人生にも換気が必要なのかもしれない。
 今迄の人生を換気して、新しい人生を。


 それから、季節が廻った。

第3章  E-17ファイル  家族内惨殺事件

 

 麻田から命令されていた合コンを、やっと先週終わらせた神崎。
 頼まれてから半年以上経っていたが、その日は弥皇も交え、男女3対3の6人で会合を開催した。
 金曜日と言うことで、また和田に絡み酒をし、へろへろになった神崎。
 あくる週の初め、バツの悪い表情で、神崎は出勤してきた和田に礼をいいながら、データ打ち込みの準備をしていた。
「和田くん、先週はどうも」
「どういたしまして。また神崎さん酒で絡んでるし。相手が僕で良かった」
「何かと、そういう年頃なの」
「親御さんと、まだ仲直りしてないんだ」
「まあ、そんなところです」

 和田が、入力用の紙データを覗きこんで、目を丸くする。
「こりゃ凄い」
 声に導かれるように、神崎も紙ベースで綴られているデータの山に目を遣る。
「どのファイル?」
「E-17」

 それは、家族親戚の8人の家の中に、1人の男性が入り込み、いつしか、その男性に言われるがまま、家族内で殺傷事件が起きた、というものだった。

 皆が出勤する前に、神崎と和田は、その事件の概要にざっと目を通す。
 二人とも、瞠目の一語に尽きた。
「これぞ、サイコパスだ」

 神崎が和田を突きながら低い声で呟く。
「ここから先、有り得ない展開でしょ」
「いやあ、10年に一度くらい、こういった犯罪があったように記憶してる。主犯格は皆、極刑だったはず」

 
 事件は、半年前の春に始まった。

 都内に家族5人で暮らす一家。
 老齢年金で暮らす両親と、35歳になる長女、独身。近くのスーパーでパート勤めをしている。バツイチで実家に戻っていた。理由は夫のDVだったという。子供はいなかった。
 長男、32歳。独身、工場勤めをしていた。結婚歴はない。
 二女、27歳。独身。こちらは中小企業で事務員の仕事をしていた。長男同様、結婚歴はない。

 半年前の春。
 二女は、立食形式のお見合いパーティーである一人の男性に出会った。
 相手は、バツイチで40歳に近い男性だったが、高学歴で背も高い。180cmはゆうに超えている。名門私立大学の大学院卒業、現在はIT関係の会社役員だという彼。
 男性はスーツ着用のパーティーだったが、他の出席男性がのっぺりとした仮面でも被っているかのように、同じ顔にしか見えない中、ペンシルストライプの濃いグレーのスーツに、ブランド品のネクタイや靴といった、今どきの洋服のセンス。スマートな身振りや話しぶり、女性に対するフェミニスト的な態度に、二女は好感を持ったという。
 という内容で、パーティー後、高校時代の友人に連絡している。

 当然のことながら、バツイチという点さえ除けば、女性達の心が彼に向いたのは言うまでもない。
 バツイチになった理由も、奥方が精神を患い、離婚して欲しいと別れを切り出されたからだという。男性は、それでも支えるからと離婚を承諾しなかったが、精神を患った理由が奥方の何千万円という借金だと聞き、夫婦が離婚し、奥方が自己破産することで、双方が助かる方法を取ったらしい。

 バツイチの理由がちょっと不可解だったが、男性の緩急突かせぬ言葉のマジックに、二女は憧れを抱いた。
 こんな素敵な男性なら、他の可愛い女性に目を向けるに違いない、そう思って遠巻きに見つめる二女の下に、その彼が近づいてきた。二女は何を話していいかわからず、ただ飲み物を運び料理を勧めるだけだった。
 そんな二女に、彼は話しかけた。ありきたりの話をした後、妙な事を聞かれた。家族構成である。また、親類縁者が近隣にいるのか、そういった話題を口にした。洗練された見かけとは違う彼の質問にしっくりこない空気を感じながらも、二女は質問に答えた。
 家族は5人で、母方の伯父伯母家族が3人、近隣に住んでいる、と。

 なぜ質問に答えたかと言えば、彼が結婚を視野に入れて自分や自分の家族に興味を示したと受け取ったのであった。
 二女が思った通り、彼は二女の連絡先として電話番号を聞き、3日後、二女あてに電話が来た。会いたいと言われ、二女は有頂天になった。
 他の女性を差し置いて、自分が彼のハートを射止めたのだから。

 男性は、結婚を前提に交際したいと結婚を仄めかし、それを二女に告げ、通常のデートを4、5回重ねただろうか。認知心理学では「単純接触効果(ザイアンスの法則)」という考え方がある。「ひとは何かしらの対象物(ひと、物なんでも)と繰り返し接することで、警戒心が薄れ、好感度が増していく」という法則だ。

 交際スタートから2か月も経っていなかったある日、男性が申し出た。
『君の家に出向いて、ご両親にご挨拶したい』
 二女は、お見合いパーティーに詳しくなかったので、どれくらいの交際期間が妥当か、分らなかった。友人に話すと、善は急げと背中を押された。良い男は、早めに捕まえろというわけだ。

 男性から、折角伯父伯母が近隣にいるのなら一緒にご挨拶したい、金曜の夜に行きたいと乞われた二女は、両親に話して、金曜日に、親戚の家族を家に呼んで皆で一席設けることにした。

 金曜の夜が来た。
 一席設けた二女の家では、家族5人全員と伯父伯母の家族3人が集まり、男性とともに9人で団欒の時を過ごしていた。
 酒も進み、盛り上がっていたが、男性から二女と結婚したいという話はまだ出ていなかった。男性は伯父伯母と従兄弟に、どんどん日本酒を注いだ。
 バツイチのこともあり、話しにくいのだろうと二女は勝手に思い込んだ。伯父伯母の家族や男性は余程酔いが回ったのだろう、結局その日は皆が二女の家に泊まることになった。


 それが悪夢の始まりとは誰もが知る由もなかった。


 男は、次の日誰よりも早く起きると、家の鍵を探しだし、皆を文字どおり叩き起こした。
 今迄紳士の対応を取っていた男は、もうそこにはいなかった。暴力団のような言葉遣いに、皆が震えあがった。年配者を何度も、何度も突き飛ばし、父親と伯父は捻挫した。両親と伯父伯母は、年金手帳と年金用の通帳、カードを男に奪われた。男から、空き巣が入るといけないので、通帳や印鑑の類いを持ってくるようにと告げられ、何も知らない伯父伯母はごそごそと家の中を探し、通帳をバッグに入れて持ってきていたのだった。
 
 そして、あろうことか、男は皆の面前で、長女を強姦し始めた。長女の叫び声、目を背ける家族たち。鬼畜男が今、本性を皆の前にさらけ出した。
 長男や従兄弟は、おろおろとするばかりで何の役にも立たなかった。というのも、男が長女にナイフを突き付けていたからだった。
 下手に近づけば長女が刺されるという思いから、皆、手が出なかったのである。
『助けて、誰か助けて』と言う叫び声も空しく宙に舞い、行為の後、長女は床の上に伏せっていた。

 二女は、両親や伯父伯母に対する男の豹変ぶりに驚きを隠せなかったが、姉へのバーバリズムを見ると、沸々と怒りが込み上げてくるのが分った。

 その長女に向けて、男は注射器のようなものを取り出したように見えた。
 何を注射するのか。
 皆が判りかけたときは、もう遅かった。左腕に注射された長女は、急に吐き出し、頭を抱えてトイレに駆け込んだ。暫く出ては来なかった。
 
 長女が注射されたのは、覚醒剤だった。
 どの程度の量を注射し、それがどのような禁断症状を呈するのか、家族たちは想像がつかなかった。激しい頭痛と吐き気を訴える長女に、為す術を持たない家族たちだった。
 日がな一日、長女は苦しんでいるように見えた。

 通常、1度に使用する覚醒剤は0・1~0・2グラムで、12時間は“効果”が持続すると言われる。長女に使用した量も、それに相当する量だったに違いない。

 土曜日、結局誰も外に出ることが叶わぬまま、家族たちは男に翻弄された。
 その夜、またも男は、『鬼畜にも劣る浅ましい蛮行』で長女を痛めつけた。毎日、毎晩、その行為は続いた。
 覚醒剤の量が少なかったのだろうか、それとも多すぎたのだろうか。
 数日もすると、長女は元気がないように見えた。落ち込んでいるようにも見えた。ぼうっとする時間が増え、家族の言葉にも反応しなくなった。
 注射されて直ぐの頃は、蛮行のたびに奇声を発していた長女だったが、その奇声も聞かれなくなった。

 家族たちは、長女が自分を取り戻したと、ほっと安堵の溜息を衝いた。
 しかし、後から考えるに、それが禁断症状だったのかもしれない。
 長女は、何と自分から男に注射をしてくれるように頼んだのだった。まるで、主人に尻尾を振る犬のように。
 男は長女をじらしながら、再びバーバリズムに及ぶとともに、長女の左腕に注射器をあてた。
 両親や伯父伯母、長男と従兄弟は、もうやめてくれと叫んだ。

 一人だけ、そうしなかった人物がいた。二女である。
 二女は男に対し、自分にも同じことをしてくれと叫んだ。家族たちは驚き、二女を叱責した。
 もう、二女の耳には何も入ってはいかなかった。姉に対し嫉妬の炎を燃やし、男に寄り添い、自分から洋服を脱ぎ始めた。
 男は薄ら笑いを浮かべながら、裸になった二女を見て、従兄弟を呼んだ。皆の前で強姦しろと、男は従兄弟に命令した。

 従兄弟は断った。従兄弟には婚約間近の女性がいた。二女も、男でなければ駄目だと男の足下に縋った。
 すると男は従兄弟の母、すなわち伯母にナイフを向けた。従兄弟は、皆に見られないよう涙を流しながら二女を抱いた。心と違い、身体は女性を目の前にするとむくむくと首をもたげる。両親や叔父叔母が目を背けるであろうことを信じ、従兄弟は二女を抱いたのだった。男はその様子をムービーに収めた。

 従兄弟との姦通が終わると、二女も覚せい剤を左腕に打たれ、長女と同じように吐き気をもおよしトイレに駆け込む。
 男は従兄弟にムービーを見せ、下手な真似をすれば、会社や婚約するであろう女性に、ムービーをばら撒くと笑った。
 
 男は本性を表してから、誰一人として眠ることを許さなかった。
 それが二晩続き、三晩、四晩と続いていく。
 両親や伯父伯母は、体調を崩し倒れた。

 月曜の朝。
 長男は出勤しなければならなかった。
 この家から出さえすれば、警察に行けると考えていた長男。
 男にはお見通しだった。警察に行ったら二女に両親を殺させる、そう告げられ、この男なら本当に両親を殺すかもしれない、そう思うと普段通りに勤めて家に戻るしかなかった。

 従兄弟もまた同じだった。
 逃げたら伯父伯母を長女に殺させると脅迫された。自分が二女と姦通していること、両親の安全を考え、外では黙っているしかなかった。

 長女と二女は無断で仕事を休んだ。
 呂律の回らない言葉遣いと、ふらふらとした、まるで眠いかのように身体を前後に揺らしながら、男の言うことを忠実に守る子供たちを見て、母親は気を失った。

 その夜、男は長女と次女の姉妹に殺し合いをさせた。何でもありの殺し合い。
 二女は、長女に嫉妬していたから、長女を亡き者にしようとしていたのであろうか。包丁を持ちだし、長女のあらゆる場所に振り下ろした。
 覚醒剤でその痛みすら感じなかったのか、長女は素手で二女に立ち向かう。
 長男が止めさせようとすると、女たちはその腕を振り払い、男は、逆に長女と二女に暴力を振るった。
 また姉妹が殺し合いを始めると、男は高らかに笑い、その様子をムービーに収めた。

 長女と二女は、男の奴隷に成り果てていた。
 覚醒剤を注射されると、瞳孔が開き、男の命令に忠実に従った。不眠状態で置かれた際には、寝ようとする家族をバットで叩いたくらいである。
 その力が余りに強く、自分はこのまま死んでしまうのでは、と母親たちは泣いた。

 3日3晩、不眠を強要した男は、4日目になると漸く両親や伯父伯母、長男と従兄弟に睡眠を許可した。一人一人を別の部屋で眠ることを条件に。
 1週間と経たないうちに、まず、伯父がいなくなった。
 次に、父親が。
 母親が。
 伯母までが、姿を消した。
 半年の間に、年配の者たちは皆、いなくなっていたのである。

 男は初めに、二女に伯父を殺させた。
 方法は、扼殺。
 家にあったロープで伯父の首を絞めさせた。二女だけでは伯父が暴れると知った男は、長女を呼び、一緒にロープを持たせた。遺体は夜になってから車に運び入れ、海に向かった。歯を全部抜き、顔全体、特に歯の周辺を大きな石で滅多打ちにさせ、崖の上から海に目掛けて放り投げさせた。
 無論、男が録画していたことは言うまでもない。海に出掛ける時、男は、誰か一人でも逃げ出せば、ムービーに録画した強姦の様子や殺人の様子を、すべてインターネット上に流すと家に残る皆を脅した。
 長女や二女には、事を起こす前に注射を打った。誰かが逃げ出そうものなら、二度と秘薬は打たない。逃げる奴に怪我をさせろと言い含めた。長女や二女がその言葉に従ったかどうかは、言うまでもない。

 次に男は、長女に、自分の父親を殺めさせた。長女だけでは無理と知るや、二女にも父親殺しを命じた男。
 伯父と同じように、ロープを使っての扼殺だった。
 再び、事を起こす前に左腕に覚醒剤を注射する。
 長女と二女は、女とは思えないほどの力を込めて、ロープを引き、父親が手足をばたつかせると、異様な力でそれを抑え込んだ。
 当然、その様子はムービーに収められ、男は卑屈そうに、くっくっくっ、と笑う。

 長女と二女はと言えば、ふらふらになり眠っているかのように見えたが、男の声は聞こえていたようである。瞬間、意識を失うこともしばしばあったが、男が命じたことは何でも言うことを聞いた。
 
 裸になれと言われれば、素直に服を脱ぎ、男に極度のバーバリズムを許したのである。男は、長女しか蛮行の相手にしなかった。二女の相手は、従兄弟か長男。長男は暴れた。まだ母親が生きているのに、そんな真似はできない、と。
 すると男は、『それなら母親を殺すか』といい、母親の喉元目掛けてナイフを突き付ける。そして長男に二女の相手をさせた。
 二女は、長女がいるがために男の下にいけないことで、長女への怒りを露にし、たまに男が相手をすると、一生懸命腰を振った。

 そんな、ある夜中の事。
 従兄弟と長男は男からナイフを持たされた。
 そのまま、長男の車に移動しろという男。
 最後に、長女が母親を連れて従兄弟の車に乗り込んだ、男と一緒に。

 そして、山の中に向かわされた。
 長男、長女、二女の母親が3人目の犠牲者だった。
 長男や従兄弟は覚醒剤を使用していなかったが、男にナイフで脅された。この時も、ナイフを喉元に突き立てられた従兄弟は、命が惜しくなったのか、すぐに抵抗することを止めた。長男は号泣したが、男になされるがままで自分から行動しようとはしなかった。
 握らされたナイフで、従兄弟は車の中で、長男の母親を3回だけ、刺した。心臓目掛けて一突き、二突き。とどめのひと突きで、母親の息は絶えた。
 長男たちはあとから知った。家から叫び声が洩れ聞こえないようにするために、山の中まで車を走らせたことを。

 遺体は、父親や伯父のように歯を全部抜き、顔全体を大きな石で滅多打ちにした。
 父親たちと同じように、海に車を向けて走るよう命じられた。
 そして、崖の上から遺体を放り投げろといわれ、命令に従った。
 このころ、近くの海岸にて年配と思われる男性の身元不明遺体が打ち上げられたことがメディアで話題になっていたが、長男たちはテレビを観ることを禁止されていたので世の中がどう動いているのか知ることはなかった。
 
 その翌月、今度は伯母が4人目の犠牲者となった。
 前月の母親殺害と同じやり方。
 違うのは、今回は、長男が伯母を、車の中で何回もナイフで刺したことだった。死ぬ物狂いで刺した長男。それを見た従兄弟は、自分は3回しか胸に刃物を押し当てなかったのにと心の中で呟き、長男を恨んだ。
 この事態で、長男と従兄弟の間には隙間風が吹くようになる。連携すればもっと早く外部に助けを求められたのではと思われたが、長男と従兄弟は挨拶程度しか交わさなくなり、事件を外部に知らせる手立てがひとつ、減った。
 
 
 男は、少しでも遺体が見つかる危険性を避けたいと思ったのだろう。
 重ねて言うが、長男や従兄弟は覚醒剤を打っていなかった。そのため、男に信用されていなかったのが事実である。
 車には、勿論男が乗り込み、いつも一部始終を録画していた。

 そうして、長男や従兄弟が警察に行きたくても行けない状況を、男は作りだしてしまった。

 自分の母親を殺さないで済んだ分、長男は安堵した。
 反対に従兄弟は、人を殺めたという後悔の念に、押し潰されそうになっていた。

 そうして半年もの間、この一家と伯父一家は、鬼畜男に全権を握られ、犯罪に手を染め、抜け出せないところに差し掛かっているのだった。
 悪夢の日々は、長男と従兄弟にとって苦痛でしかなかったと思われる。
 警察に逃げ込めば、自分の犯罪も世に詳らかになってしまう。そんな恐怖感を毎日感じながら会社まで運転しているうち、ちょうど同じ日、同じ時刻に、二人は別々の場所で加害事故を起こしてしまった。

 交通課の警察官が到着し、車についている飛沫血痕を不審に思われた長男と従兄弟は、同じ警察署に同行を求められ、警察署で顔を合わせた。
 すれ違う二人の顔色が変わり、表情が強張ったのを、交通課の警察官は見逃さなかった。
 捜査一課の刑事に連絡し、交通課の警官はそのことを話した。
 二人は、車の血痕のことを調べられ、家の中で何が起きたかの一部始終を捜査一課の刑事に話した。

 加害事故を起こしてから1時間後。
 警察が家に向かい、殺人事件の主犯格及び覚醒剤所持の疑いで鬼畜男は逮捕された。
 長男と従兄弟も殺人の実行犯、死体遺棄の罪で逮捕、長女と二女も同様に殺人の実行犯及び覚醒剤使用の疑いで逮捕された。
 当初、男は長女と二女を盾に立て籠もる様子を見せた。
 しかし、どうしてだろうか。
 男は素直に自分からナイフを捨て、外に出てきたのだった。
 今回の場合、男がやったことは殺人教唆だったが、主犯格として逮捕するには有り余るほどの状況証拠が揃っていた。肝心の自白はその後も得られなかったのだが。
 
 長男と従兄弟、長女と二女は、裁判員裁判にかけられた。一審で、殺人罪が適用された長男と従兄弟は10年、長女は13年、二女は20年の実刑判決を受けた。意に染まない行動を取らされたという側面もあったのだろうか、長男と従兄弟に対しては、裁判員たちも様々なリアクションを見せた。同情する者あり、男二人がなぜ逃げ出せなかったのかと憤る者あり。検察側では、殺人の実行犯及び死体遺棄実行犯と定義し求刑していたが、意に染まぬ行動ゆえに傷害致死か殺人かで、裁判員の間で審理は揉めに揉めたという。
 結局、早くに男性2人が逃げ出せばこのような忌まわしい事件を防げたという側面も手伝い、また、傷害致死をどこで線引きするかで協議した結果、積極的な行動ではないものの結果として死体遺棄まで自らの手で行ったことから、子どもたちと従兄弟は全員に殺人罪が適用されたのだった。
 長女と二女の判決の違いは、一番初めに覚醒剤を使用した際、それが自らの意思を持って使用したか否か。長女は己の意志ではなかったが、覚せい剤を止められず、男のいうなりで善悪の判断が出来なくなった。二女は自分から覚醒剤を使用した他、殺人についても長女よりも積極的に行った点が裁判員の心証を損ねていた。
 長女と二女は、覚醒剤の使用について初犯とはいえ、他に殺人まで犯したのだ。長女を可哀想に思う者こそいたが、二女へは非難の目しかなかった。
 なお、長男と従兄弟の弁護士は、傷害致死であるとして、どちらも判決を不服とし、控訴する構えを見せている。長女と二女にも弁護士がついたが、長女は控訴を躊躇っているとし、二女は、全て長女が悪いという論理展開の基、控訴を検討中だという。

 主犯格の男は、覚醒剤投与による殺人教唆が一家の平和を狂わせ、今回の連続殺人事件を引き起こしたとして極系=死刑判決を受け、現在控訴中である。
 裁判の中で男は、ある闇サイトで、この計画を実行してくれる男性を探していたので、自分は計画に従っただけだと主張した。
 しかし、現在そのサイトは閉鎖され、また、海外のサーバーを経由していたサイトだったため、足取りを終えなかったという。その闇サイトの有無、真偽さえ、怪しい。

 
「怖いですねえ」
「まったくだ」
 神崎はブルブルッと身震いした。

 そうこうしているうちに、皆が出勤してきた。

 神崎は先程のE-17ファイルを入力していた。
 皆、一様に驚きの表情だ。
 重苦しい空気の中、麻田が先陣を斬る。
「誰かが計画したことを、この鬼畜男が実行した、ってこと?有り得ない。自分で計画したに決まってる。可哀想なのは二女を除いた子供たちじゃない」
 須藤は、どうにも納得がいかないらしい。
「そりゃ、有り得ない事件ではあるな。けどさ、この男の証言、一貫してるんだよ。普通、嘘ついていれば、どっかで綻び出るだろう」
「だからこそのサイコパスじゃない。この鬼畜男、根っからのサイコパスなんだわ」
「そうかなあ、俺にはこいつも実行犯にすら見えてくる」

 入力しながら神崎も仲間入りする。
「だからうちにデータが着たんですよね、この男がサイコパスだという想定で。もしこれが実行犯だとしたら、その上にもっと強烈なサイコパスたる人物がいるっていうことですか」
「姿さえ掴めないサイコパスを捕まえるのは、至難の業だぜ」
「確か、この男も覚醒剤常習者なんでしょう。計画なんて、いくらでも立てられるじゃないの。証言が一貫してるサイコパスってのも、何となく不思議だけどね」

 珍しく、和田が参戦しない。
 麻田が和田の顔を覗きこむ。
「どうしたの、和田くん。珍しいわね、サイコパス事件に首突っ込まないなんて」
「麻田さん。僕、この事件、何か途轍もない闇世界の一端のような気がするんです」
「闇世界?」
「小説なんて、って皆さん言いますけど、ホームズに出てくるモリアーティ教授のような人物が、もしいたとしたら、その人物が誰かに計画を実行させていたとしたら、どうです?」
「それこそ有り得ない。あれは小説の中だから何でもありーの展開になってるだけよ」
「そうかなあ。なんか胡散臭いんだけどなあ」

 課長が、大きく溜息を吐いた。
「データだけでは、うちに回ってきた意味がわからんな。この主犯格がサイコパスなのか、誰か別にサイコパスがいて、そいつを追えと言うシグナルなのか」
 雀たちは口を揃える。
「万が一別に計画者がいるとしても、どうやって追えばいいんです?」
「課長、無理ですって。いくら私たちでも霧のような計画者を追うなんて」
「でも、これを参考にすれば、第2、第3の計画が分かるかもしれませんね」
「いや、無理だし」

 課長は一瞬、言葉に詰まったような表情をみせたが、次の瞬間にはいつもの課長に戻っていた。
「このケースを頭に叩き込んでくれ。これから起こる他の事件とランダムに交差するかもしれない」
「ラジャー」

 警視庁が先に逮捕された男の近辺を洗ったが、特に計画犯の存在は認められず、鬼畜男が計画性を持って4名を惨殺したという罪で、その身柄は検察庁に送られた。 
 和田は少々不満そうだったが、E-17ファイルについては、鬼畜男がサイコパスである、という結果をもって、サイコロ課での議論は終了したのである。

第4章  M-25ファイル  カリスマ

 

 E-17ファイルが片付いたのち、サイコロ課の面々は少々だらけている。
 面白そうな、もとい、サイコパスが起こした事件性のあるデータが回ってこなかったからである。
 今日もまた、だらだらと出勤する4人。
「こんなとき、弥皇さんがうらやましくなる」
「あら、彼だってオチビの成長に伴ってやること増えて来るわよ。子供の成長は嬉しいけど、こんなに大変だとは思っても見なかったわ」
「麻田。お前は何もしてないだろうが」
「そうそう。やってるのは弥皇さん。だからオチビちゃんはパパにしか懐かないんです」
 麻田が真顔に戻る。いや、これは鬼の顔と言うべきか。
「悪かったわね。あたしだって非番の日とか、合間縫ってちゃんと接してるわよ」
「どうだかなあ」

 課長がゆっくりとした足取りで出勤してきた。
「まあまあ、そう麻田を苛めるな。俺達もたまに行くからだが、双子の世話は大変だぞ」

 ハイハイをするようになれば、危ないものにぶつからないよう、大人でいう膝から下には要注意。
 弥皇たちの住むマンションには、観葉植物が多数置かれていたが、オチビツーの理が、観葉植物の下に敷き詰められていた石を食べ、お口の中を血だらけにしていた。驚いた麻田は即座に救急車を呼ぼうとした。弥皇がその石を食べ、毒性のないことを確認して、漸く麻田は119番を呼ぶのを止め、自力で病院へ行った経緯がある。

 この頃から徐々に離乳食を始める赤ん坊もいるだろう。
 麻田は、ついつい、小さな赤ん坊に、青菜を擂ったものを与えたことがある。聖は欲しがって小さな入れ物ごと食らった挙句に、全身蕁麻疹を起こして救急車騒ぎとなった。
 その後、麻田は離乳食担当から外された。

 つかまり立ちをするようになれば、大人の腰から下は目を皿にしてみなければならない。子供の動きにも要注意だ。
 オチビワンの聖は、つかまり立ちをするようになってから、テーブルの角に顎をぶつけ、流血した。顎に傷が残る、と麻田は項垂れた。本気で双子のモデルデビューを考えていたのであろう。
 立って歩くようになれば、言葉を発するようになれば、と育児には終わりがない。
 
 麻田自身、2歳のころ、母親が家にいないからと母を訪ねて三千里。住宅街をほっつき歩き、迷子で保護されたことがあるらしい。

 保育園、小学校、中学校、と、一気に二人で入学、授業参観、PTAの集まり、卒業となれば、1人では到底周りきれない。フォローする人がいなければ、双子に不公平感を与えてしまう。
 授業参観は土曜日が多いと聞いたが、入学式や卒業式は平日なのだそうだ。万が一麻田が非番でない場合、どうしようと悩んでいたら、課長の奥様が助け舟を出してくださった。弥皇は完全に休みのはず、と思い込んでいる麻田。

 弥皇のイクメンは、子供が3歳までなのだが。
 大丈夫か、麻田。

 珈琲を飲みながら新聞に目を通す課長。老眼鏡必須。誰もそのことには触れない。
「何やら、きな臭い記事が載ってるな」
「なんです?」
「都内で爆弾テロ、だそうだ」
「僕も見ました。ゴミ箱に時計タイプの簡易な爆弾仕掛けていたようですね」
「神崎は、こういう方面のプロだな。どう思う?」
 今までだらけていた神崎も、途端に昔取った杵柄と、真顔に戻った。
「一般的には、今後もっと規模が大きい爆弾による無差別テロ、でしょうか。最初の爆弾は、どのくらいの威力になるか検証している場合が多いんです」
「もしかしたら、うちの課にデータが来るかもしれないな」

 課長は、よく心得ている。

 爆弾テロでマスコミが毎日毎日大騒ぎしている中、仮データがサイコロ課にやってきた。
 容疑者は、北関東に拠点をもつ古神道系新興宗教団体の教祖ほか、団体の幹部ら数名。

 この新興宗教『ラソ』は、イケメンの教祖が宙に浮く、或いは宙を飛ぶといった怪しげな触れ込みで、じわじわと信者を増やし、その勢力を伸ばしていた。

 その要素は、常世(とこよ)と現世(うつしよ)からなる、仏教でいうところの三世(前世、現世、来世)と似た世界観を持つ。常世は黄泉の国であり、神々の棲家でもあり、世界を二律する片方である。常世と対峙する現世は、人々が暮らす今を指す。その間には狭間がある。
 魂、霊や八百万の神々などを崇拝することで自然の精霊たちを呼び寄せ、命としてのマナを享受し、信仰を続けることで神域に達し、狭間の世界を潜り抜けて黄泉の国に飛び、神々と同様の力を持つという。
 教団名、『ラソ lazo』はフランス語で絆の意味なのだそうだ。

 古神道で教団名がフランス語なのも、何かしっくりこない。

 無論、すべてが有り得ない話であり、どうしてこんな宗教に身を投じるのか不思議極まりないのだが、少なくとも幹部たちは、理系の高学歴者ばかりで構成されていた。
 信者の多くは、DV、モラハラ被害者、また、精神疾患、発達障害、パーソナリティ障害を持つ人々など、現世に居場所のない人々が多く、こうした人々の受け皿にもなったのが、この新興宗教だった。
 こうした信者たちは、格差社会で、所謂ところの普通に生きてゆくことに疑問を感じたり、社会に受け入れられないと感じたりした人が多数を占めているという話もある。

 そうして徐々に勢力を関東全域に広めると、瞬く間に信者の数は激増。宙を飛ぶ新興宗教が世を席巻するまでに至った。
 エセ新興宗教と違い、高額な布施を取らず一人一人が「役割」を与えられ、自給自足の精神で生きていた。勿論、まがい物の壺を家族や親類、友人に売りつけることもない。

 高学歴なのに働けない、そんな子供たちの繊細な心を踏みつける親たちは、こぞってこの団体に子供を押し付けた。
 中には、心酔して自らの金品を寄付するものもいた。
 微妙な境目を縫うように家から逃げ出してきた人々は、財産を持たない。通常の新興宗教ではノルマもあると聞く。我が教祖様は、何も我々に押し付けず、ただ黙って悩みを聞いて下さる。それが、信者激増の裏話だったわけだ。

 でも、いくら自給自足とはいえ、信者が劇的に増加すれば衣類も食事もすぐに底をつく。
 そこには、何がしかの方法で手に入れたキャッシュなり、モノがあるはずだ。
 暴力団との付き合いも取り沙汰されたが、最終的に、暴力団との繋がりはないことが証明されたとも聞く。
 まさか。殆どの麻薬売買に暴力団が絡んでいるというのに。
 娑婆を荒らしたら、報復の嵐が待ち受けているはずだ。
 こうなると尚更、金のルートが解明できない。
  
 中には脱会する者もいるだろう。脱会した者を追い、そこから内部に入り込もうというのが、警察の考えらしい。
 漏れ聞こえてきた話では、教団内部では、危険ドラッグや覚醒剤、大麻を作る仕事もあるという。大麻は外から見えないよう、室内で育てられているらしいのだが、噂にしかすぎない以上、令状を持って家宅捜索も難しい状況のようだった。
 
 厚生労働省の麻薬取締官、所謂麻取はおとり捜査も可能であるから、彼らが教団内に入り込み捜査を続ければ、すぐに摘発できそうなものだが。
 
 ラソの教祖は、見ただけで入団希望者が警察や麻取の人間かどうかわかるのだという。
 麻取と言えば、警察官同様の体術を訓練したり、銃器などの携行も認められた人々であるからして、見た目がヤクザのように鋭い目つきで、とてもではないが、社会に行き場の無い人間には見えないのだろう。
 此処まで来ると、何故に警察組織と合体しないのかという疑問を持つ方も現れよう。
 たぶん、それは、無理だ。
 何より、厚生労働省の麻取と警察庁の薬物銃器対策課は、猛烈に仲が悪い。


 1カ月後、また爆弾騒ぎが起きた。
 今度は、多くの人が行き来する駅構内。事件後、急ぎ防犯カメラを解析する科捜研だったが、ラソの犯行を示す羅針盤は針が大きく振れて、ラソには辿り着けなかった。
 幸い、けが人はでなかったが、警視庁も麻取の担当官も、もう痺れを切らしていた。
 まず、器物損壊の令状を取って、警察が教団内に入ろうとした。大人しく入らせてくれると思ったのか、それは警察側の人間にはわからない心理だったはずだ。
 
 ところが、バリケードを築いて、中に入れないようにした人々がいた。
 それは、行き場を失ってラソに来た者たちだった。

 世間の厳しい眼に晒されながら、生きることを苦痛にしか感じない若者。
 常に夫からモラハラやDVを受け、体中に痕跡が残ってしまった女性。
 ここでは、いつの日にか自分たちがマナを享受し、神の域に到達できる。
 誰にも邪魔はさせない。
 そんな思いがあったのだろうか。

 機動隊までが出動し、教団の人々が散り散りになる。警察と麻取の連中が、それ見たことかとほくそ笑みながら、教団の若者たちや女性を蹴りつけるのだった。

 ある者は公務執行妨害で、ある者は器物損壊容疑で、幹部たちや教祖までもが一網打尽になり、捕まった。

 テレビ局では、どこもがその模様をリアルタイムで中継し、日本の国民は否応なしに、その中継画面を見る羽目になる。
 そして、殆どの局でコメンテーターが『信者は教団に洗脳された』『入団希望者に対するマインドコントロール』と同じフレーズを繰り返す。
  
 サイコロ課でも、漏れなくテレビ中継を見ていたのだが、洗脳、あるいはマインドコントロールといった内面的アプローチには懐疑的だ。
「あ、捕まった。あら、教祖ってイイ男じゃない。イケメン」
「何がイケメンですか。爆弾テロですよ」
「洗脳ねえ。他の宗教と違って、此処は復活するぜ。教えがあるもん」
「マインドコントロールなら、いつか解けますからね」
 神崎だけがわからない。
「どうして洗脳じゃないってわかるんですか」
 皆が口を揃える。
「目が生きてるから」
「目?反抗的な目、ってことですか」
「ちょっと違うな。俺達の居場所を取らないでくれ、って目だった」
「あたしも、それ感じた」
「幹部連中はまだしも、この人たちは大麻の栽培や覚醒剤を作っていることなんて、分らなかったでしょうからね」
「罪は罪だけど、こうして世に放り出されたら大変よ。息する場にすら困る人が、最後の砦として縋っていたんじゃないかしら」
「捕まらなかったやつらが、直ぐに幹部として教えを紡いでいくんだろうな」


 一瞬、無表情で神崎が呟いた。
「一度壊れても、わからないように直せばいいんだ」
「何か言いました?神崎さん」
「いや、何も。和田くん、今回の件は、たんまりとデータがきそうだ」


 和田は神崎が何を言ったのか気になった。だが、神崎の表情はいつもどおり。無表情なのはほんのひとときだけだったのだろう。皆の会話に交じるように、神崎は笑顔すら浮かべていた。
「ああ、サイコパスたる教祖が教団にいる人たちを洗脳したと思っているでしょうからね」
「データって、入れてお仕舞よねえ」
「まったくだ。つまらん」
「あ、麻田さん、画面のここ見てください、ほら!」
「どうしたの、和田っち」
「何言ってるんですか、緑川じゃあるまいし。ほら、ここ」
「あら、確か去年会った、双子の兄弟じゃない」
「こっちは牧田の子供、兄妹ですよ」
「2組とも、教団に入ってたのね」
「生きづらかったのかもしれませんね。牧田は殺人教唆やら何やらでも逮捕されたでしょ。もう、人前に出られませんよね、子供たちも」
「ねえ、スーちゃん。双子はどうしたのかしら。解離性同一性障害のせいで、会社解雇されたのかな」
「怒ると凄そうだったもんな。可哀想に。あの双子が悪いわけでもなかろうに」
「今回、逮捕されたのかしら」
「どうでしょう。逮捕までは。まだこの画面に映っているということは、この4人は手荒な真似、してないんじゃないですか」

 ピーチクパーチクと、五月蝿い雀ども。
 どこかに行っていた課長が戻ってきて、椅子に腰かける。
 眼を押さえて、どこか疲れているようにも見えた。
 一番先に気付いた神崎が柔らかな口調で課長に声を掛けた。
「どうしました、課長」
「いや、何でもない。それよりどうした。騒がしかったな」
「捕まったんです、ラソの教祖以下幹部の殆どが」
「そうか。誰かが言ったとは思うが、最後の砦を壊された人たちの心理が、な。可哀想だよ」
「教祖を信じていたのに、ということですか?」
「砦さえも壊された絶望感だ」

 最後の砦として築いた空間を、一瞬にして奪われた心に生じる失意。行き場が無くなりどうしてよいかわからないという絶望感。
 警察に捕まらなかった信者の中には、自死を選ぶ可能性も高い。残された本当の信者たちを助けるべく、新たな教祖となる人物が必要である。
 それが課長の意見だった。
 願わくば、彼らの砦を今一度築きあげて、合法的な活動と揺るぎのない精神をモチベーションとして前に踏み出すとこができるようにと望む、サイコロ人であった。

 数週間、マスコミは教祖逮捕や教団分裂に関するニュースを流し続けた。
 教祖は、最初、これは天から授かった教えであると豪語していたが、警察で調べが進む中、教団幹部たちから変な供述を得た。
 天から降りてきたとされる教えそのものが、インチキだったというのだ。
 教祖は、信者たちの前で飛んで見せたことがない。信者たちの前に示されたのは、ムービーや写真だけ。そんな状態で、よく信者たちの心を掴めたものだと呆れる方も多いであろう。

 此処に、ちょっとした絡繰りがあった。
 教祖は覚醒剤を使用していたという。3日3晩程度なら、寝ないで信者たちの話を聞き、その心を解し、教えを教授することもできる。ムービーやパソコンに残る画像は、いくらでも修正できるのだから、絶対に本物とは言い切れなかった。ここで信じ込ませ信者を増やしたのがカリスマ話術だったのである。
 何ともエセ宗教だ。
 そして、その教えそのものは、あくまで、インターネットの神サイトで指南されただけだったという。
 信者に何も押し付けることなく聞くだけだったのは、ICレコーダを潜ませて、神サイトに教えを乞うていたというのだ。
 いわば、カリスマ教祖もイケメンなだけの、凡人、というわけだ。
 これは、教団最高幹部からの情報だった。

 その情報を基に、教祖を何遍も取り調べたところ、漸く天からのお告げでないことは認めた。幹部たちのいう、神サイトの存在も認めた。
 神サイトのお告げ、いや、指南により、これまで全てのことを行っていたという供述に変えたのである。
 
 最高幹部の中に混じって生活していたのは、教団設立当初から信者に紛れて潜んでいた警視庁の女性警察官と、麻取の女性関係者。男性では体格や目つきなどから入団を断られていたので、女性をおとり捜査に投入した。
 勿論、おとり信者として教団に入り込んだ麻取関係者は、覚醒剤の生成や大麻栽培などの証拠を握るため、教祖の部屋に盗聴器を取り付け、通信傍受できるよう画策していたという。
 これこそが、潜入捜査というやつだ。
 そうして長きにわたり内偵捜査を続け、器物損壊容疑を機に、教団のトップを拿捕することに成功したというわけだ。

 教団に警察の手が入り、捜索を行った結果、教団内に複数置かれていた教祖を模したぬいぐるみの中に、覚醒剤が仕込まれていた。
 白昼堂々と教団へ行けば、寄附のお礼としてぬいぐるみを渡していた。その中に、覚醒剤がたんまりとあるのだから、密売人には美味しい仕事であったと思われる。ぬいぐるみそのものは信者たちが作っていたが、最後の仕上げは最高幹部たちが行い、薬物の袋を仕込む。
 
 また、室内での大麻栽培は、主としてDVから逃げてきた女性たちに世話をさせていた。若い男性の中には、知識がある者がいないとは限らない。今や何でも情報を目にすることが出来る時代だ。

 なお、教祖が嘘をついていると警察では見ているが、教祖は一貫して、指南者の存在を訴えており、男性の警察関係者や麻取関係者についても、入団希望者全員の写真を撮り指南者に送って指示を仰いでいたという。
 ただ、指南者は何を要求するわけでもなく、指南のみに終わっていたというのが教祖の言い分だった。

 その神サイトは現在のところ、見つかっていない。今回も、どうやら海外サーバー経由なのだろう。もしこれが本当なら、結構ITに詳しい指南者だと思われる。

 教祖と幹部連中は、爆破事件の容疑と、覚醒剤の所持と使用の疑いで逮捕され、身柄を検察庁に送られた。
 
 リアルタイムでのデータ入力。
 サイコロ人は雀と化す。
「この教祖、ハニートラップに引っ掛かったみたいな言い方じゃない」
「ITに詳しいハニートラップ?まさかねえ」
「いつだか、闇サイトの計画実行者がいたな。それと同じってか」
「まさか。こっちは大掛りですよ。新興宗教を指示するなんて、できっこない」
「教祖のカリスマ性があってこその新興宗教ですからね。人形だった、じゃお笑いだ」
「万が一、カリスマが別にいるとして、俺だったら他人に実行させないぜ。そうする意味がねえだろ」
「同感。自分が教祖様になった方が実入りも大きいってものよね」

 課長が漸く口を開いた。
「いずれ、この教祖様とやらは、二度と、カリスマとしての輝きを失ったわけだ」

 雀たちは、またもや一斉に鳴く。
「腑に落ちない事件だわ」
「指南者が出てきて信者を統率していけば、丸く収まるもんですかね」
「お前、指南者なんぞいるわけねえよ。教祖様、カリスマ性を失うの巻、ってやつさ」
「今迄ほど強烈ではないにせよ、この宗教は細々と続くでしょうよ。信者がいる限り」
「内偵って、冷や冷やものなんでしょうね」
「あたしならできるわよ。芝居は任せて」
「いや、お前さんは、いの一番にばれる」
「どうしてよ、スーちゃん」
 和田と神崎がクスッと笑いを堪えて手を口に当てる。
「麻田さんほど目つきの鋭い警察官、いないですからね。麻取やマル暴っていっても信じられる」
「目つきでパスでしょうね」
 麻田は鬼の顔に変わる。赤鬼か青鬼か、表情からは分からない。
「あんたたち、あとで道場行こうか」
「勘弁してください。秒殺されたくない」
「僕も」
「そう来たか。和田、神崎。あんたら引き摺ってでも道場行ってやる」

 今迄ふんぞり返って椅子に座っていた和田が、身を乗り出し、机に肘をつき頬杖を突く。
「ところで、この覚醒剤は何処のモノになるんでしょうね」
「そりゃ、警察だろ」
「麻取も騒ぐでしょう、自分たちのモノだって」
「うーん。半々ってことで」
「神崎。それはないと思うぞ。逮捕した方が持って行くだろう」
「じゃ、警察さまの勝ちですかね」


 その晩、パソコンに向かい、同じメールソフトを複数の人間が開いていた。アクセスするアカウントも同じ。一体、誰なのだろう。そして、何をしようというのか。

第5章  P-19-1ファイル  自死

 

 耳元で女の声がする。ベッドに入ったばかりで、其処には誰もいないというのに。
 女の囁きが、うねりとなって襲ってくる。

 『私は天に行って、あの人と結ばれる。あの人の愛さえあれば、命なんていらない』
 

 クソ熱い日差しが、サイコロ課の窓に降り注ぎ、ひしめいている。
 その部屋の真ん中で、神崎が紙データを見ながら口を尖らせていた。
「どうかしたの。プリンス神崎」
「麻田さん、酷い。プリンスは止めてください」
「で、どうしたの」
「いや、このデータ、どうしてまた、うちに来たのかなって」
「僕にも見せてくださいよ、神崎さん」
「俺も見るー」
「和田、スーちゃん。最初はあたし」
「鬼婆さまが最初に見るとよ」
「了解です」
「畜生が。今度こそ寝技で秒殺してやる」
「ママはそんな口利いちゃいけません」
「同感です」

 そのデータとは、梅雨の氷雨が窓を濡らす季節、都内で一人の女性が命を絶ったというものだった。
 左手の手首には切った跡が見受けられた。
 巧く切れなかったのだろう、部屋のドアノブにロープを結び、首を吊ったのが死因だった。
 その女性が残した最後のメッセージが、前述の遺書らしき殴り書きである。そのメッセージは、血文字で書かれていた。
 果たして、女性はどのような思いを胸に、最後の日を迎えたのか。
 
 女性は夫と二人暮らし。子供はいなかった。
 夫は出張中で、家には女性が一人でいたと思われる。出張から戻った夫が、第一発見者だった。
 遺体を前に、泣くでなく喚くでなく飄々とした夫に、警察官は違和感を抱いた。
 通常、忙しい場合は兎角自死で処理されそうな案件だったが、夫の態度が余りに不自然だったため、夫が妻を計画的に殺害した線も捨てられず、捜査一課や鑑識課の登場と相成ったわけである。

 事件と自死の両面から調べが進み、夫はアリバイがあったために捜査対象から外れたが、夫の態度に不信感を持ってしまえば、殺人の可能性も視野に入れたくなってくる。
 しかし、殴り書きは彼女自身の筆跡で、殺人の線は一旦切り上げられ、自死で処理をする目前までいったらしい。

 簡単に考えれば、不倫などしている女性が、現世では相手と結ばれないことを儚んで、自死に至ったと見るべきであろう。
 ところが、携帯電話、スマホのSNSを見た捜査員は、驚きを禁じ得なかった。

 と、前の一行が、サイコロ課データにその事件、いや、事故というべきか、自傷案件が回ってきた所以である。

 それは、SNS上で彼女を追い込むような書き込みが見受けられたからだった。
『死ね』或いは、『殺す』などと書き込みがあれば、捜査をしない訳にもいかない。
 
 雀たちは囀る。
 データ入力後に囀ってほしい神崎は、下を向いて見えないように舌打ちをする。
「なんだか、違和感バリバリ」
「不倫で自死なら、有りでしょう」
「それならうちの課にデータ来ねえだろ」
「ということは、殺人?」
「若しくは、自死の教唆」

 どうして自死で決着がつかなかったのかは不明だが、科捜研でスマホとパソコンを押収し、SNS上の書き込み等を分析したところ、夫、元恋人、大学時代の友人、SNSでの仲間達が、こぞって女性のことを批難していることが判明した。
 
 何故なのか。

 現恋人はいない。
 ということは、現在進行形で不倫している相手はいない。

 夫との仲は冷え切っていたようで、口も利かずSNSでやり取りしていたようだ。この夫が、モラハラ紛いに『お前のような婬奔女は死んでしまえ』とSNSで執拗に追い込むような書き込みをしていた。
 夫に尋ねたところ、妻は、結婚前は一流企業に勤めながらも、こっそりと夜の商売にも手をだし、男性関係は常に複雑だった。二股どころではない。3人から4人、常に恋人がいたらしい。
 夫はそれを知らされず結婚した。
 結婚後、自分の友人に妻の写真を見せたところ、何とその事実が判明してしまった。
 驚いて問い詰める夫に、妻は悪びれもせず、過去や現在進行形の不貞を告白した。
 
 夫は、一時は離婚も考えたらしいが、離婚などすれば自分の将来にとって傷が付くと判断した。妻の昼の顔は、一流企業の会社員だったから。
 妻は妻で、離婚の、離の字も出さない。
 それならばと、子供をもうけるのは止めた。となれば、妻の奔放さは増すばかりで、手が付けられなくなった。

 あくまで夫の言い分である。


 元恋人は、不倫状態が終わり決別したにも関わらず、女性を追い掛け回し、ストーカーに近い生活を送っていたようだ。
 夫と同様のアカウントで、この女性は堂々と不倫をしていたらしく、元恋人から近頃『こちらから殺しに行く』というメッセージが残されていた。
 これまでにこのような事件も多々あり、夫婦は何度か引越までしている。
 それもこれも、妻の命の危険を顧みたわけではない。巷に噂が広がり始め、夫が周囲の視線を感じるから、という理由であった。

 夫は、元恋人の存在を知っていたようだが、知らぬふりをしていた。余程世間体が大事だったようで、離婚する気は毛頭なかったとみられる。その代り、何があろうが妻を助ける気も無かったということに他ならない。

 『あの人と結ばれる』という遺書があるからには、過去或いは現在において、他の男性の影が見え隠れする。
 それが、ストーカーの元恋人でないことは確かだ。

 女性は、自死の際、左手薬指にブランド物の新しい指輪を身に付けていた。
『From Y To M』の刻印がなされた、真新しい指輪である。この指輪を販売している旗艦店や百貨店から、防犯カメラ映像の提出を受けたが、捜査は進展しなかった。
 何れも、女性が発注し、受取を行っていたのである。

 指輪から、新しい事実は浮かび上がってこなかった。

 大学時代の友人は、独身女性である。
 抑制のない性行動をいつも批難していたようだが、女性が死ぬ間際には、いつにも増して、その性行動を批判していた。
 かといって、仲が悪いかと思えばそうでもない。
 半年に一度、二人で旅行に行ったり、休日には二人でランチを共にしていた。
 女性は、夫が家にいる休日は、決まって家を空けていたらしい。
 ちなみに、この友人女性は夜の商売には関係が無く、身持ちの固い女性だと思われた。

 会社時代の友人も、SNSでのやり取りがあったようだ。
 男性も女性もいるが、男性は、ほぼ全員が恋人の期間があったと思われる。夫曰く、男性向けのアカウントと、女性向けのアカウントが別なのだという。
 過去の恋愛が火種になる可能性は捨てきれないとのことで、男性全員に聞き込み、アリバイを確定させた。
 こうなると、もはや女性が自死したのならどうでもいいや、という空気も流れてくる。
 しかし、このとき、捜査一課の一角は暇だった。何がしかの仕事をせねば、周囲の目は冷たい。

 自死した女性には、SNSでいつも恋愛について話している女性の仲間がいたようだ。
 IDから人物を割り出し、捜査員を関東近郊においてのみ派遣した。関東以外では、時間的に犯行が難しいであろう死亡推定時刻。
 その中で、捜査員は不思議な言葉を耳にした。

 それは、『悪魔サイト』の存在だった。

 悪魔サイトと聞き、雀の囀りは、ヒートアップする。
「なるほどね、ここから何かがあって、この人は自分で首を吊った、と」
「そもそも、悪魔サイトってなんだよ」
「えーと。悪魔の儀式を行うことで、自分の欲望を叶えるサイトですね」
「嘘。そんなサイトあんの?おー、怖い」
「実際に今もあるの?その悪魔サイト」
「事件とともに消え失せたらしいです。SNSの仲間たちによると」
「夫は知っていたのかしら」
「いえ、知らなかったようですね。女性たち向けのSNSと男性向けのそれでは、180℃態度が違っていたようですし」
「大学時代の友人だけが、尻軽さを知っていたわけか」
「それにしても、殺人ではないだろう?」
「自死の教唆はあるかもしれない」
「おう、麻田。同じ女として、どうよ」
「すーちゃん、あたしに聞かないでください。あたしは二股さえしたことありません」
「お前は二股に巻き込まれたほうだもんな」

 麻田が顔を引き攣らせる。
「須藤、思い出させるな」
 にやりと頬に笑みを湛えた和田がヒョイ、と麻田の斜め前から顔を出す。
「あ、そういえば、天使の呟きってなんだったんです?弥皇さんの言ってた」
「五月蝿い。お子様は黙らっしゃい」
「神崎さん、知ってるんでしょ、教えて」
「二人のかたーい約束ですから。僕は黄泉の国まで持って行きましょう、ね、麻田さん」
「あんた、余計なこと言ったら脚折るよ」
「僕はただ、話しませんって言ってるだけなのに、酷い。酷いじゃないですか」
 段々と、話が逸れていく雀の集団。

 悪魔サイトと呼ばれたサイト。
 彼女は一体、悪魔サイトに手を伸ばしてまで、何を手に入れようとしていたのだろうか。

 調べが進むうち、死ぬ寸前に、女性がある男性に触手を伸ばしていたことが判った。
 女性は、手に入らない男性をみると、どういう手を使ってでも男性を落とすことが自分の女性力だと勘違いしていたらしい。
 事実、この男性は奥方との仲も円満で、過去に不倫騒動も無い。

 女性は、奥方のいる男に、この日に死んでくれというメッセージを残していた。無論、相手にはその気は無い。言い寄られて辟易していたことだろう。こういっては死人に酷だが、言い寄ってくる人間がこの世から居なくなって、清々しているかもしれない。

 今迄黙っていた課長が、雀たちを統べる。
「この女性は、奔放に生きながら、今迄すべての男性を手に入れてきた。今回、それが叶わず悪魔に魂を売った」
「その代償が命であると?」
「そんなところだろう。サイトが見つからないんじゃ、何が目的かわからん」

 麻田が手を挙げる。
「男性陣は、こういう女性でもお付き合いしたくなるの?」
「俺は御免だね。自分が独身だったとしても嫌だ」
「僕は、そうですねえ。相手を見極められないと思う。だから乗ってしまうかも」
「結構美人ですしね。鶏ガラでなければ、僕も乗せられたかも」
「課長は?」
「馬鹿言え。愛する妻がいたらこんな火遊びできない」
「課長」
「なんだ」
「ご馳走様です」

 サイコロ人の見立ては、下記のとおり。
 女性は、奥方のいる男を手に入れ、恋人にしたくて、意味深な遺書を書いたものと推論された。

 悪魔サイト。
 文字どおり、悪魔が降臨し、命と引き換えに望みを叶えるという。
 その儀式が、悪魔サイトに載っていたということだろう。

 女性は手首を切り、その血で何がしかを認めたに違いない。
 自死を教唆し、そのとおりにすれば欲が叶う。今かなわなくても、来世では叶う。
 違う場所で互いに命を絶ち、天で結ばれる、というストーリー。

 しかし今、悪魔サイトは存在していない。
 誰かが嘘を言っているのか、はたまた、女性の精神状態がおもわしくなく、悪魔サイトなるサイトを自分で作り上げた可能性も大いにある。

 全般ではないが、自死は天に行けないと説かれている宗教もある。
 彼女は、天に昇ったのだろうか。昇れずに、黄泉の国をうろうろしているのだろうか。



『ああ、耳元で女の声がする。ベッドに入ったばかりで、其処には誰もいないというのに』
『女の囁きが、うねりとなって私を襲う』
『堕落した女など、黄泉の国で、地獄で、朽ち果てるがいい』

第6章  G-99ファイル  中毒

 

 近頃、ワイドショーでは覚醒剤所持、使用で捕まる人のニュースばかり。
 大物芸能人だったり、現役スポーツ選手だったり、お役人といった、凡そ捕まって欲しくない人物ばかりが捕まっていく。
 裏には、99%暴力団の影がちらついている。
 毎日毎日、暗いニュースばかりだ。

 サイコロ課の住人は、サイコパスではないデータが多すぎて、雀タイムにも興味を示さず、寝入るかスポーツ紙を読み漁っている。
 データ入力している神崎は、舌打ちを通り越して泣きたくなるのをぐっとこらえ、息もつかせぬ速さでデータを処理していく。

 その神崎が、小声で叫んだ。
「おっ!」

 皆、気が付いていない。
 神崎の見つけた事件は、まさにタイムリーなものだった。

 覚醒剤の所持及び使用に係る容疑で、元オリンピック選手が逮捕されたという。その他にも、密売人が全国に指名手配された。
 この密売人、覚醒剤の他にも、大麻や合成ドラッグ、果てはタリウムや農薬、向精神薬まで、何でも引き受けるらしかった。薬物だけでは、内偵に入られ通信傍受されるのを怖れたのであろうか。
「どうしたの?何かあった?」
「覚醒剤の所持容疑で元オリンピック選手が捕まったんですよ」
「あら、この人?残念ねえ、司会業とかできるくらい爽やか青年だったのに」
「麻田さんからしたら青年でしょうが、僕らの歳じゃヒーローですよ」
「また要らぬ事を囁くのは誰だ」
「神崎です。和田は違います」
「和田、神崎のせいにするな。あんたの声、聞こえてるわよ」

 自らのタブレットを見ながら、麻田がデータを読んでいく。
「ふうん、こうなるとまた、麻取対警察のいいとこ取り合戦が始まるのかしらね」
「麻田さん。うちはドンパチやって犯人捕まえるような仕事ないからですけど、こう、何か役割あったらなあって、思いませんか」
「心理掴めれば、それでOKよ」
「そうそう、神崎さん、去年麻田さんが飛び回っていたからあれが普通と思っているんでしょう。いつもは此処でお互いに雲雀の囀りですよ」
「雀だろ」
「雲雀です」
「雀」
「雲雀」

 須田は、机に肘をついていると思いきや、和田が肘をずらすと、頭を机にぶつけて目を覚ます。
「いて、いてて。誰だよ、今やったの」
「和田です」
「で、何の話?」
「元オリンピック選手が覚醒剤所持で逮捕」
「なんでうちの課に来たんだよ、データ」

「マスコミに流れている情報以外に、情報があるからですよ」
 神崎の言葉に、皆、一様に驚きの表情を浮かべる。
 そして次に、野次を飛ばす。
「神崎。それを早く言って欲しかった」
「神崎さん、情報は小出しが良いんです。全部出したら、この人たち帰りそうだし」
「で、マスコミにリークされてない情報って、なんだ?」

 神崎がニヤリと笑い、エンターキーをポン!と押した。
「さ、ご覧あれ」

 元オリンピック選手の話題でテレビは持ちきりだったが、データに刻まれていたのは、それとは全く別の事件だった。

 密売人が男子高校生にタリウムを売り、その男子高校生が自分の母親、父親、妹にタリウムを飲ませたという、サイコパス的要素満載のデータ。
 他にも、学校内でそりの合わなかった女生徒に飲ませたとか、先生に飲ませたという噂はあるが、父母は失明し、妹は最後に飲まされて薬物中毒になったという。
 学校内で失明した生徒はいない。
 幸い、妹だけは失明から守られたようだったが、肉親に毒ともなり得るタリウムを飲ませるなど、狂気の沙汰としか捉えようがない。

 殺人に憧れていたとする、計画書なるメモが発覚し、少年犯罪の多様性、また残虐性を物語っていた。

 結局、この生徒は認知及び判断能力あり、と認定され、少年院に送致された。

 神崎が、皆に問う。
「この生徒は、サイコパスということでいいんですよね」
麻田が最初に手を挙げて、神崎に向かって答える。
「行動障害が少し引っ掛かるけど、サイコパスの可能性は、大」
「少し気になるんですが、麻取は少年たちがタリウムを買っていることに疑問を感じなかったんでしょうか」
「もしかしたら、他にもタリウムを買った少年あるいは少女がいるってこと?」
「はい。農薬として買うのであれば、誰も文句言いませんからね。もう一般の店では売ってないだろうけど、こういう時の密売人ですよ」

 皆の顔が曇る。
「他にもいるっていうことは、これからも事件が起きる暗示がなされてる、っていう」
「そういうことです」
「そいつはマズイな。1件だけで終わらないのは」
「密売人に聞いても、そんな少年たちの顔なんぞ覚えちゃいねえだろうしな」
「有名な人なら、脅迫の材料にも使えるんでしょうがね」

 第2、第3のタリウム事件が起こる可能性は、現段階では否定できなかった。
「兎に角、密売人を挙げてもらわないことには、勝負になんねえぞ」
「これから警察が出張っても、麻取が良い顔しないでしょ」
「そうですねえ」

 どこかに隠れていたと思しき課長が部屋に戻ってきた。機嫌の悪い顔。また、異動の話でも出たのだろう。
「課長、またですか」
「まあな。今度はCIAだ」
「まさか。本当に?」
「アメリカに行くわけなかろう。日本版CIAを作りたいんだと」
「で、OKしたんですか」
「するわけないだろ。俺は此処で退職して、麻田の子供たちの教育係になるのが夢だ」
「なのに、今回で何回目でしたっけ。余程適役に思われてるじゃないですか」
「違う違う。日本版CIAをどのように立ち上げるか、その相談だ。オフレコにしてくれよ」
 
 違うだろう、誘われたくせに、と思いながら返事をするサイコロ人たち。
「はーい。わかりました」


 密売人の行方は未だ不明だ。麻取、あるいは警視庁や全国の県警で行方を追っているのだから、麻取か警察の手に落ちるのは時間の問題だろう。
 あとは、少年たちの手に、タリウムなどの薬品が渡らないことを祈るばかりである。

 1週間後、密売人は北海道で逮捕された。
 道警から引き継ぎを受けた警視庁では、密売人に、覚醒剤の事を聞いているらしかったが、タリウム関係の情報が欲しいサイコロ課には、何の情報も齎されていなかった。
 
 そんなときである。
 神崎が、どこからか情報を持ってきた。流石の情報網。
 タリウムを買ったのは、高校生風の男女、併せて3名。先日捕まった男子生徒を入れて、計4名が薬品を所持していた、或いは現在も所持していることになる。
 密売人は、何かの時のためにと、購入者の氏名と連絡先をメモしていたようだったが、今の子供たちはそれさえもスリルなのか。2名は偽名を使って購入していた。 電話番号は偽の携帯番号を記入していた。
 携帯番号から辿り着けるかと期待したが、徒労に終わった。
 
 あとの1名は、氏名及び電話番号欄に真実を書いていた。こちらは、とくにヒト用に使う用途など滅相もない、農薬として使用する予定だったという。

 そのことから、偽名2名について、売買の日時や、場所、時間、モンタージュなどを作成されたらしいが、何故かその資料がサイコロ課に回ってきた。
 ようは、少年たちを探すのはサイコロ課に任せた、ということだ。
 此処に来て少年育成課を外すのか。
 そんな疑問を持ちつつも、心理を暴いて先回りする、サイコロ課ならではの手法にかけるしかなかったのであろう。
 押し付けたかったという見方も、大いにできる。
「どうするよ」
「どうしようね」
「どこに焦点当てればいいのか、今は思いつきません」
「売買した場所や時間から当たっていくしかないでしょうね」

「さ、行ってくれ」
 資料を見ながら、都内各地を回ることになった麻田・和田組、須藤・神崎組。
 
 4人は外に出た。
「さて、どうしようか」
「どうもこうもねえよ。しらみつぶしったって、余りにお粗末な初動捜査だな」
「何か妙案あります?」
「中学校や高校から調べたらどうでしょう。あとは、支援学校ですかね」
「神崎、ナイスアイディア」
 
 なるほど、中学校或いは高校で、具合を悪くして通院した生徒がいれば、ドンピシャリ。
 支援学校に転学していれば、自ずとルートが見えてくるかもしれない。
 ただ、高校はまだしも、中学校の数は多い。歩いて回るのは時間の無駄、とばかりに、麻田を元とした4人は、そのまま警察庁の庁舎に戻っていく。

「なんだ、もうへこたれたのか」
 課長が笑っている。
「違いますよ、方針転換したんです」
「中学校や高校と、支援学校を調べたらいいのでは、という話です」
「神崎に同じ」
「俺も」
「えっと。電話帳に載ってるよね、中学校と高校全部」
「教育庁の名簿借りた方が良くない?義務教育課と、特別支援教育課。高等学校教育課も。あとね、生活文化局私学部の、私学助成課」
「誰が都庁まで名簿を取りに?」
「神崎と和田で。スーちゃん顔出したら、渡してもらえないと思う」
「麻田。俺くらい、いいお父さん風情の人間はいないぞ」
「ヤクザ風情の間違いでしょう。さ、行った行った。あたしが電話しといてあげる」

 和田と神崎を部屋から閉め出し、麻田は電話に向かう。
 勿論、電話だけで、各課がすんなり渡すわけもない。
 そう思っていたのは、麻田だけ。
 警察庁のサイコロ課と名乗ると、四課ともすぐに名簿を準備してくれるという。

(いや、本当にそれでいいの?)

 麻田はツッコミを入れたくなる。
 いくら現地で警察手帳を見せるとはいえ、今どき警察手帳など偽造してしまう輩もいるのではないか。こんなことで、幼気な子供たちを悪人から守ることができるのか。
 でもまあ、仕事が捗るのは確かだ。各学校に電話する際にも、四課に確認してくれといえば、怪しまれずに済む。

 小一時間で、和田と神崎は戻ってきた。
 高校と支援学校を中心に、電話の時間に突入した。

 近頃、調子を崩して長期療養している生徒はいないか。
 両親等、家族に体調の変化があった生徒はいないか。
 突然、薬品に興味を持つようになった生徒はいないか。

 4人が4人、同じ内容を電話口で話すから、電話の向こうでは、当然のように訝っているのが分かる。
 そんなこと、百も承知。いちいち気にかけていたら、仕事が進まない。

 都立高校と都立支援学校では、該当する生徒は見当たらなかった。
 私立学校も、該当する生徒はいないらしい。
 それでは中学校に、というとき、課長席の電話が鳴り響いた。
「はい、市毛」

 課長は、相槌を打ちながら相手の話を聞いている。
「了解しました。すぐに課の者を伺わせます」
 電話が切れた。課長は、課員の方に向き直る。

「先日捕まった男子生徒が、妙な事をいっているらしい。誰か二名行って、話を聞いて来てくれ」
「妙な事?」
「少犯サイト、だそうだ。男子生徒は、少年育成課にいる」
「少犯サイト?なんだ、そりゃ」
「もしかして、少年犯罪サイトじゃないですか?」
「なんで」
「今って、何でもそうやって短くするでしょう。少年犯罪サイト、なんて口走ったら周囲も驚きますけど、ショーハンサイト、なら、何かの通信販売に思えてくる」
「なるほどねえ。じゃ、和田くん、あたしと行こうか」
「了解です、麻田さん」
「あ、僕も行きたい」
「じゃあ、和田くんと神崎で行っておいで。サイトの内容、聞き漏らさないでね」
 
 男子生徒は、警察の少年育成課に移送されていた。そこから、サイコロ課二人と刑事が2人付き、取り調べ室に移動する。
 サイコロ課の2人は、少し緊張しながらも、刑事と少年の後ろを、取り調べ室までついていく。
 取り調べ室の前まで来ると、刑事たちはドアの前で立ち止まった。入れという合図のように親指をドアの中を指さす。
「え、僕たち二人で話聞いていいんですか」
 刑事たちは片方の口元を挙げて、やれるものならやってみろ、というような表情で、入れ入れと手の甲で促した。
「わかりました。僕らで聞けること聞きます」

 和田が最初に部屋に足を踏み入れる。続いて少年。そのあと神崎が部屋の中に入った。
 和田が椅子を引いて、少年を椅子に座らせる。
 畏まるようにしながらも、どこか不遜な態度が見え隠れする少年。椅子に座ると、ニヤリと笑った。
 和田は少年の脇にいたので、その顔に気付かなかったらしい。目の前に座った神崎だけが、その表情に気付き、背筋に悪寒が走った。
 少年と正面に向き合った神崎が初めに口を開く。
「何か話したいことがある、そう聞いてきました」
「ああ、そうですね」
「何を話したいんです?」
「俺、自分で考えたことじゃねえし」
「というと?」
「少犯サイトで、どうやれば人を殺せるか、聞いたんだよ」
「それでタリウムを薦められた、と?」
「そう」
「その通りにしたの?」
「いや、言うとおりにしないで親に飲ませた。失明して終わり」
「本当は別の人間に飲ませたかったんだ」
「そう。嫌いな同級生を葬りたかった」
 和田が、少年にタブレットを差し出す。
「どのサイト?」
 少年は無口になり、しばらく指を縦横に走らせていたが、だんだんと、その手付きが荒々しくなってきた。
「くそっ、見つかんねえ」
「サイトが無い?」
「ああ、URL直打ちしてもダメだ」
「サイトが閉鎖された、そういうことかな」
「あったんだよ、相談すると計画を立ててくれるサイトが。アリバイやら何やら、全部教えてくれるサイトが」

 男子生徒のいうことが本当だとして、その少年犯罪サイトは、閉鎖されていた。
 少年の右脇に立ったままで、和田が男子生徒に聞く。
「その他に、少犯サイトって見たことあるかな」
 少年は、和田の方を振り向き、ニヤリと笑った。
「あるけど、俺の見てたやつくらい詳しいのはないね。相談できるサイトなんてありゃしねえ。全部己の自慢話ばっかでよ」
「そうかあ。相談も出来たんだ。計画も立ててくれたの?そのサイトで」
「ああ、そうだよ」
「他のサイトでは、自分が使ったという自慢話が多かったのかい。どのくらい使えばどうなるか、とか。そういう話は載ってなかったのかな」
「ねえよ。私はこれで、友人を廃人にしました、みたいな自慢話。嘘だろってみんなで言ってた」
「そうか。ありがとう。参考になったよ」

 神崎が椅子から立ち上がり、ドアの方に向かって行く。
 和田が、もう一度少年に話しかける。
「もしも、そのサイトが今もあったら、相談してる?」
「勿論。あのサイトなしでは、こうして捕まってしまうだろ。あーあ、言うとおりにしとけばよかった」
「タリウムを買ったのも、サイトの指示?」
「そうだよ、あの人、密売人っぽかった」

 何とも、あっさりとした少年である。
 今どきの少年は、相手の命を奪うことなど、蚊を殺すくらいにしか思っていないのか。それとも、この少年だけなのだろうか。
 
 刑事に少年を引き渡し、和田と神崎はサイコロ課に戻った。
 密売人のメモによると、この少年が一番多くタリウムを買っている。他の連中は、サイトを見たかどうかわからない。それでも、人を殺傷できるような量ではなかった。
 密売人が、多くの少年から多額の金を吸い取ろうとして、売る量をセーブしていたのである。
 その証拠に、密売人の部屋からは、相当な量のタリウムが見つかったのだった。

 サイコロ課に戻り、和田は自分の椅子に座る。神崎は、珈琲を1杯飲んだ後、データ入力するために立ち上がった。

 今も、どこかでタリウムを手にした少年たちがいる。それは、紛れもない事実だ。
 しかし、今の彼等には相談し、計画を立ててくれる人物はいないと見て間違いない。
 また、この事件はマスコミにリークされ、これからワイドショーを駆け巡るだろう。そんな中、計画者もなしに完全犯罪を遂げることなど、無謀過ぎる。

 断言はできないが、少年たちは手にしたタリウムを殺傷の目的で使用する確率は低いだろうということで、その行方を追いかけるのを、一旦、取り止めたサイコロ課だった。

第7章  ジキルとハイド

「ふ、ふうん」
 機嫌が良さそうに、口笛を吹く。
 風呂に入り、着替えを済ませ、パソコンに向かう。

 メールソフトを起動し、カタカタとアカウントとパスワードを入力し、アクセス完了。
 「下書き」欄をクリックし、内容を見る。


「『ジキルとハイド』が今度のパスワード。
 闇サイト、神サイト、悪魔サイト、少年犯罪サイトは、一旦、計画枠から外す。
 新しく作るサイトは『堕天使サイト』」

 3行だけが、下書きフォルダに認められていた。


 既に作成されているはずのWebサイトにアクセスするには、パスワードを入力しなければならない。
 URLを直打ちし、開いたサイトは、パスワード入力専用。長方形で12文字入力できる箱の中に、7文字のパスワードを入力する。

 段階を踏んで開いた画面には、社会的には善人として生きる人物(=ジキル博士)が、根は悪人(=ハイド氏)であることを晒し、何がしかの悪に手を染めたい人々に対する、書き込みコーナーが設けられていた。

 書き込みコーナーに『爆破計画』と入力して送信してみる。
 すると、30分ほどして『官庁爆破予告』という返事と、複数の官庁に送信する文面が送られてきた。

 これは、あくまでサイト公開の最終テストであり、本当に爆破予告をしたとしても、捕まってしまう可能性は限りなく高い。
 偽計業務妨害、または威力業務妨害といった罪で、殆どの場合は逮捕される。個人のパソコンではなく、インターネットカフェから送信したとしても、すぐに身元は特定されてしまう。この罪は、3年以下の懲役または50万以下の罰金という、はた迷惑な罪にしては罰が軽いという向きもあるくらいだ。
 少年の場合、保護観察が多く、また、民事上の裁判を起こしたところで支払い能力がない者が多いのも、この手の罪の特徴である。 

 しかし、ランダムに足跡を消していく Tor(トーア) を使えば、IPアドレスの特定ができないばかりか、使用者もわからない。パソコンを遠隔操作して誤認逮捕させることも可能だ。
 この方法をとれば、自身に捜査のメスが向かってきたり、自身のIPアドレスに辿り着くのが難しくなるため、他人に成りすますことも容易にできるのだ。
 過去にはこのような事件で警察の誤認逮捕が続き、警察は威信をかけて犯人逮捕に躍起になった。その際には真犯人が捕まっているから、成りすましが完璧とは言えない。


 今更、このような悪戯程度の愉快犯では、このサイトに繋がる資格はない。ジキルとハイドを名乗る者は完璧でなければならない。故に、この程度の書き込みなら30分あれば事足りる。それ以上時間を費やしても無駄の一語に尽きるわけだ。
 本当に腹を括って悪事をやってのけるような心臓の持ち主でなければ、計画を授ける意味がないと言わんばかりに。


 翌日。深夜1時。
 また、メールを確認し、サイトのURLを直打ち、7文字のパスワードを入力、堕天使サイトの相談コーナーにアクセスする者がいた。

『スリル』と送信すると、『刑法第39条』という答えと、一つの方法が送られてくる。
 精神疾患の病状を念頭に入れた上で、解離性同一性障害や解離性障害、境界性パーソナリティ障害等の役割を演じる。解離性同一性障害や解離性障害は、記憶に障害が残り罪を犯したかどうかが自分でもわからない。一方、境界性パーソナリティ障害は、気分の波が激しく感情が極めて乱高下し、極端な態度に出やすいほか、強いイライラ感が抑えきれなくなったりする症状が出る。
 それらの病を抱えながら、窃盗から殺傷まで幅広い罪を犯し、裁判では刑法第39条による判断能力の欠如を訴えて無罪を勝ち取り、罪に問われずに済むというストーリー。
 事前に躁鬱病や統合失調症の薬を入手しておくのも手法としては考えられるが、判断能力如何では刑に服することになるので注意が必要である。
 ただし、社会上、地位や名誉を重んじる人には向かない、スリルはあるが時間が掛かることのデメリットも記載されている。

 
 まだ、このサイトは一般に公開されていなかった。
 1時間後、ポン、とエンターキーを押す音が、夜の暗闇と静けさの中に木霊する。

『堕天使サイト』が、今、一般に公開された。

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 そんな闇の動きなど露知らず、サイコロ課の人間たちは雀の囀りどころか、のびた餅のようになって、机にへばりついている。

 いつもそうなのだが、やたらめったらデータが届くときと、1件も届かないときのギャップが激しすぎる。四季に関係しているような気もする。まずもって、春うららかなる季節には、何故かデータの量も増える。大した事件は少ないが。皆、啓蟄まで冬籠りしていたのに、急に春を感じてもぞもぞと這い出てくるようなものだ。
 そして、もう少し季節が進み新緑が眩しくなる頃には、プチサイコパスたる輩が興す事件が増えてくる。殆どが、父親と息子の関係性が悪しき事件の前触れになっていく。サイコパスは両親から虐待を受ける場合がパーセンテージ的には多いのだが、特に、父親が息子に対しレールを敷き、強制的に歩かせている事案が数多く見受けられる。生きにくくなった息子は、何らかの方法で父からの脱却を試みるのだが、その過程で事件を起こす事例が後を絶たない。
 サイコロ課が伸びているということは、それだけ世の中が平和だということだ。
 めでたい話である。
 
「何か、面白い事件ないかしら」
「誤解されますよ、麻田さん。その台詞」
「そうね、和田くんの言うとおりだわ。誤解されると困るんだけどさ」
 和田も左手で手うちわをつくり、ぼんやりしている。
「でも、あまりにこう、動きが無いと滅入るな」
 神崎は、データもないので自分のデスクに突っ伏している。
「その方が世間じゃ平和ってことでしょう」
「神崎。あんた、どうして平然としてられるの」
「たぶん、心理ヲタクじゃないからだと思いますけど」
「けっ、このいい子ちゃんが」
「そうよ、スーちゃん、もっと何かいってやりなさい。誰がヲタクじゃ、ワレ」
「鬼より怖い麻田さま、ご降臨」
「おだまり。若造の和田くん」
「アラサー真っ只中ですよ、僕」

「みんな、そうだれるな」
 課長も口ではそう言いながら、だらけきっているのは皆も承知だ。
 そんなサイコロ課の電話が鳴った。
 和田がのらりくらりとした動きで受話器を取る。のろのろとした動きには、声もついていきはしない。
「はい、サイコロ課。あ、弥皇さん」
 麻田の目が光った。
「なんで弥皇くんが電話してくるのよ。オチビが具合悪くしたのかしら」
「麻田さん、五月蝿い」
「なんですって、この米粒ホームズ」
「はい、はい、なんで僕が米粒なんですか」
「早く聞こえるようにしてよ」

 麻田と和田が電話機を巡って争いを繰り広げている間に、電話が切れたらしい。
 和田が、恨めしそうな目つきで麻田を牽制する。
「僕が悪いわけじゃなく、弥皇さんから電話切ったんですよ」
「何だったの、弥皇くん」
「今からこちらに来るそうです」
「ま、やっぱり変。オチビに何かあったに違いない。あたし、帰る」
「チビちゃん二人は至って元気だそうです。何でも呼び出しあったとかで。課長の奥様にいらしてもらってるとか」

 課長が思い出したように呟く。
「ああ、弥皇を呼んだの、忘れてた」
「課長ー。しっかりしてくださいー」
「弥皇くん、朝には何も言ってなかったな、何かあったんですか、課長」
「野暮用だ」
「なんだそれー」
 麻田の言葉など、今のだらりとした課長の耳には入っていない。
 課員に、弥皇がきたら会議室に、とひとこと云い残し、課長は廊下に消えていく。残された皆は伸びきった麺よろしく、ぐにゃぐにゃと動くばかりだ。

「変ね、なんで弥皇くん呼ぶのさ」
「イクメン止めろってことじゃね」
「あらスーちゃん。育児休暇は3年。申請したもの」
「だから、もう認めないから出てこいってことじゃねえの」
「げっ、何て職場だ」
「麻田さん、女性が“げっ”なんて、はしたない」
「神崎、五月蝿い」
「また、そうやってガン飛ばす」

 麻田対、男性陣。
「3人を独りで手玉に取るなんざ、お前さん以外にはできない芸当だねえ」
「人聞きの悪い。手玉になんかとってません」
「とってる」
「とってない」
「とってる」
「とってない」
 
 一緒に珈琲を入れに行きつつ、フェードアウトしていく須田と麻田。弥皇もそうだが、麻田を心配しつつも、その言葉尻は容赦ない。
 30分も経った頃だろうか、弥皇がサイコロ課のドアを押し、姿を現した。
「麻田さん、何か今日はノリが悪いようですね」
「あら、弥皇くん。分る?朝から化粧がのらなくて」
「それは年のせいでしょう。僕が言ってるのは、この課全体の雰囲気の事」
「あ、あら、おほほ」
「弥皇さん、もっと言ってやってください。鬼の形相になるんですよ、麻田さん」
「また神崎くんにガン飛ばしてたの?」
「僕と和田くんが被害者です」

 弥皇が目を細めて神崎に笑いかける。
「キミは同等でしょう、僕等と」
「何がです?」
「すべて」
「またまた。そうやって馬鹿にする」
「おや、褒めたつもりなんだけど」
 神崎は、弥皇の真意が図りかねているようだった。何故ここに現れたのか、その理由が聞きたいらしい。
「どうしたんですか、今日」
「最初に、呼び出された件で」
「最初?あと何かするんですか」
「そうみたい」
 課長からの言伝を聞いた弥皇は、きびきびとした様子で廊下に消えていく。サイコロ課には有るまじき、きびきびと動くイクメン休業課員。
 麻田ほか、須藤、和田、神崎の皆がドアの陰から覗いている。
「何かしら」
「だから、イクメン禁止」
「五月蝿い、須藤」

 市毛課長と弥皇が消えて、小一時間。二人は並んでサイコロ課に戻ってきた。
「そういや、弥皇くんのイクメン申請って、県警に出したじゃない。何でこっちに呼ばれるの」
「うーん、此処で話していいのかな、ね、課長」
「構わないだろう」
「了解です。日本版CIAとやらに誘われたんですよ」
「イクメンしてるやん」
「ええ、だから断りました」
「げっ、断れるのか、それって。ほぼ決まり事だろ」
「違います、単なるお誘いですから」
「3年後には、何処に戻っても椅子ねえぞ」
「構いませんよ。願望叶ってイクメンできる」

 須藤は、FBIで研修した過去を振り返り、CIAという組織に眉を顰め、麻田はこれからの子育てを考え、安堵の溜息を洩らす。和田や神崎は英文字の組織に憧れがあるのか、目を輝かせて話に聞き入っていた。もっと内情が知りたいのであろう。

 課長は、半ば諦め顔で眉間をペンでつつきながら、課員に情報を洩らす。
「サイコロ課を解体して、日本版CIAを作る気なのかもな。だから、じわじわと課員を丸め込もうとしてるのかもしれない」
  
 雀たちは一斉に課長に火を噴く。こうなると、雀ではなく、ゴジラだ。
「冗談じゃないですよ。各県からポイッとここに配属になって、また衣替えだなんて」
「あたしは警察庁の人間じゃないからだけど、そのCIAとかいう組織は、どうかなって思う。役に立つの?」
「俺はどっちでもいいけど、FBIの奴等は、CIAを良く思ってなかったみたいだぞ。国跨いだ捜査なんてないかもしれんが、如何なものかね」
 
 弥皇は驚いたように、二回咳払いをした。
「皆さん、角、出しますねえ。僕がいた頃はこんなにガサツじゃなかったのに」
「弥皇くん、ガサツは余計。なによ、あたしと弥皇くん入れ替わっただけじゃない。あたしがガサツだっていうの?」
「麻田さん、落ち着いて。僕はそういうことをいってるんじゃありません。ところで、今日は課長と奥様がチビたちを見てくれますよ。どっかでデート、しませんか」
「それが2件目の報告?」
「そうです、たまにはいいでしょ。課長から了解ももらったし」
「あら、課長、有難うございます~」
 麻田はコロリと態度が変わる。女は怖い。ましてや、2年前までは男を寄せ付けなかった麻田である。2年前からその言動を目の当たりにしてきた和田や、元々麻田を知っている須藤からしてみれば、180度変化した麻田の態度に、内心腹を抱えて笑いたい気持ちが芽生えてくる。
「で、最初と言うからには、最後もあるでしょ」
「まあ、育休の僕が口出しする話でもないのでしょうが」

「弥皇、ご馳走になるぞ」
 課長は、弥皇が持ってきたケーキを3時のおやつにしたいらしい。
「和田。みんなに分けてくれ」
「はーい。飲み物は各自セルフでどうぞ」

 和田が立ち上がると、課長は徐に口を開いた。
「惨殺事件と新興宗教、そしてタリウムの事件なんだが」
「あの、計画者とか指南者とかいってた事件ですか」
「ああ。容疑者たちは一貫して、別の人間が裏で糸を引いていると」
「嘘ばっかり。最初闇サイトの話で計画者を持ちだしたから、調子こいて乗っかってるだけでしょ」
「まあ、聞け。事件に共通しているのは、Web上に闇サイトと少年犯罪サイトというサイトがあって、そこに何か目立つ事件を起こせないか書き込みしたら、第三者が計画を授けてくれたという話だ」
「神サイトは?」
「似たようなもんだ。神サイトに宗教で儲けたいという書き込みをした、とな」
「で、指南者が現れた。随分と都合のいい話ですよね」
 神崎は指南者の存在に懐疑的だ。
 
 弥皇は、現在主夫だ。ニュースやワイドショーは観放題に違いない。自ずと、皆の目はそちらに向かう。
「で、弥皇さんの意見は」
「僕はこれらの事件、複数の人間が関わってる根深いものかと」
 ワイドショーの見過ぎだと言わんばかりに、神崎が弥皇に問う。
「どうしてそう思ったんです?」
「勘だけど」
「勘、ですか」
「計画者がいてもおかしくないし、かといって、その存在を追っても追い切れない」
「言えてますね」

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 皆は知らなかった。
『堕天使サイト』なるサイトが開設されたことを。
 そして、ある人物が、ここに書き込みしたことを。


 世間では、闇サイト、神サイト、悪魔サイト、少年犯罪サイトに続き、今度は何のサイトなのだろうとSNSを中心に、マスコミが火をつけて、日本中が騒ぎ出す。
 アウトローな奴等の集まりである『アウトローサイト』など、似たような種類のサイトを開設する愉快犯は多かった。

 警察がIPアドレスを追い、本人を特定し、任意同行を求めると、皆が皆、悪戯半分でサイトを立ち上げたと証言する。
 また、サイトへの書き込みこそあるものの、現実の世界を知って怖くなり放置している開設者が殆どだった。それどころか、書き込みがあると、警察沙汰になる恐怖のあまり、サイトを閉鎖する者もいれば、反対に計画者を募る者まで現れたのである。

 これでは、いつまた『家庭内惨殺事件』のような事件が起こり、不幸な人々が増える可能性も否めない。
 通常であれば、捨て置くサイト運営。
 しかし、4件もの事件が、すべてサイトの計画者に計画を授けられたらしいとあっては、それが犯人の付いた嘘であろうと思いつつも、警察も捜査をしない訳にはいかなかった。


 そんなある日のこと。

 和田は、同級生の男性から相談を受けた。
 離婚した元妻との娘に関する、親権争いだった。

 同級生の言い分は、こうだ。
 元妻は、人格障害を隠して結婚し、娘を連れ去った、と。

 元妻とは、3年前にお見合いで結婚した。
 今どき、お見合いは珍しいと思われるかもしれないが、男性はIT関係の仕事をしており、職場で女性と知り合う機会は少なかった。
 そこで、口うるさい伯母が、ある人物を仲介し、元妻を紹介してくれた。
 お見合いなんて今どき、と思ったが、独身のまま30代、40代を迎えるのかと思うと、それも味気ない。一度だけでも会ってみようかと思う気持ちになった。

 実際に会ってみると、とても女性力の高い人物で、良妻賢母と言う言葉がぴったりだった。少しふくよかな体型。服装も派手すぎず、かといってだらしなさもない。穏やかな語り口、優しげな目元は、少しだけ笑いジワが目立つ。料理は上手で、デートしていても、子供が大好きそうだった。
 男性の実家に連れて行くと、両親もすぐに気に入ってくれた。

 半年の交際期間を経て、春に男性は結婚した。
 すぐに元妻は妊娠し、冬に子供が産まれた。子供が産まれ暫く元妻は実家に帰っていた。
 事件といっていいのかどうか、事情が変わってきたのは子どもが3ケ月になり、元妻が男性の家に戻ってからだった。それまで男性は毎日のように元妻の実家に通いつめ、赤ちゃんの世話をしたり義父母と話したり、およそ夫としての務めは果たしていたという。
 男性の家に戻った元妻は、一切家庭の事をしなくなった。子供の世話すらしない。その代り、野良猫を探し出してきて、飼った。

 気分の上がり下がりが顕著になり、そのたびに猫を蹴り飛ばしたり熱湯を掛けたりと、猫を虐待した。包丁で猫の耳や尻尾を切りつけた時もあるという。
 男性は驚き止めたが、元妻は異常な目をして、男性にまで包丁を振るった。
 元妻は暴れるだけ暴れ疲れ果てて眠ると、起きた時には正常に戻っていることが多かった。
 
 男性は怖くなったが、子供のために我慢した。子供には母親が必要と考えたからである。
 しかし、それも長くは続かなかった。
 元妻は、赤子を虐待するようになった。漸く首のすわった赤子をベッドに叩きつけるような行動が多く、猫宜しく風呂場で熱湯をかけている時もあった。
 暴れて満足すると寝てしまう元妻は、起きると、いつものように前日の行為を忘れていた。

 元妻は、どこかおかしい。
 ヒステリーという性格的なものだけではないと感じた。
 精神科に行こうと元妻に声を掛けると、また気分が乱高下し、家の中の食器を男性の方に投げてくる。男性は左頬を切った。
 仕方ないので、男性は元妻に内緒で、時系列での状態をワンペーパーに纏め、精神科医に相談した。
『境界性パーソナリティ障害』『解離性障害』という結論には達したが、元妻が実際に診療しなければ、病名を確定させられないという。

 その頃元妻は、別の精神科医を尋ね、DV及びモラスハラスメントによる『不安障害、抑うつ状態』という診断書をもって、男性の目の前に突き付け、また赤子をベッドに叩きつけた。
 男性は、自分の両親に相談し、協議離婚することにした。勿論、親権は男性側で持つことにして。

 ところが、元妻は強かだった。
 2、3箇所精神科医を尋ね、どこでもDV及びモラスハラスメントによる『抑うつ状態』『解離性障害』という診断書を貰って来ていたのである。

 男性は、家庭裁判所に親権を巡る調停を起こした。
 そこでも、元妻の態度は、DVを我慢する可哀想な妻。男性が調停員に訴えても、何も聞いてはもらえなかった。反対に、DVとモラハラを止めるように、と説教された。

 裁判に持ち込むことも考えたが、元妻が『境界性パーソナリティ障害』であることを証明できなければ、男性の負けは目に見えていた。
 何人かの弁護士に相談したが、結果は変わらなかった。
 泣く泣く、男性は娘の親権を元妻に取られてしまった。子供に会える機会など、もらえるはずも無かった。養育費の支払いが男性に課された唯一の子どもとの繋がりだった。

 元妻が、何度も精神的慰謝料の支払いを求めて男性の実家にまでやってくる。離婚調停の際は、元妻への精神的慰謝料については認められていなかった。
 それなのに、どの面下げて、と思われる方もいるだろう。
 そのときの元妻の顔は、まるで鬼女のようだった。鬼女とはそういうもので、自分に都合の良い行動しか起こさない。

 男性は、子どものためになるならとお金を渡しているが、元妻が何に使っているのかは聞くことも出来ず、子どもの様子さえ教えてもらえず、やがて鬱病を発症した。会社を辞めて治療に専念したが、それでも元妻は金の無心にやってくる。
 男性は、たまらず秘密裏に住居を変えた。
 治療してから何年になるだろうか。
 漸く元妻との関係性が薄れてき田と感じることができるようになり、元気を取り戻す方向に光が見え始めた。
 
 病気が快方するにつれ、良いことが重なった。知人の紹介で交際する女性もでき、子どものことを心配しつつも、幸せの時間を享受できるようになったのである。

 和田がデータ入力し、皆に意見を求める。
「どう思います?」
「境界性パーソナリティ障害、か。解離性障害は疑わしいところもあるけど」
「忘れたふり?」
「うーん、難しい」
「金の無心止めたのなら、もう会おうとはしないでしょうし」
「いや、また金の無心に来るかも」
「そうなら、裁判でケリ付けるのもアリじゃないのかな」
「馬鹿言え。こんなキツネじゃ、周りを騙して、男性の方が不利になるに決まってらあ」
「腹黒い元嫁だよねえ」
「でもさ、何から何まで、男性の考えを見抜いて動いてるように見えない?」
「そうですね、DVとかは、女性側の立場に同情してしまいますよね、それが嘘でも」
「うそ発見器欲しい」

 課長が口を挟む。
「こういう性格の人間は、嘘を脳内変換するのが周知の事実だ」
「どうにかして、男性のいうこと信じてもらえないのかな」
「周囲への態度とか見てると、まるでジキル博士とハイド氏みたい」
「ジキルとハイドか。あれは本当の解離性障害だろうが、こっちは違うぞ」

 男性を助けてあげたいと思うサイコロ人だったが、救援方法は、見つからなかった。
 まるで、元妻には、誰か支援者でもいるかのようだった。

第8章  モリアーティ

 サイコロ課では、毎日、各県警からあげられたデータを入力している。通常、その他の方法は取っていない。
 ところが、珍しいことに、今回は課長が上層部から直接事件のデータ入力を依頼されたらしい。
 それは、和田の友人男性と元妻の案件に非常によく似たものだった。

 和田の友人が出くわした災難と違っていたのは、『堕天使サイト』に書き込みをした、という筋の話だけ。
「上からの命令事項が来ている。どうやら堕天使サイトなるものが開設されている、とのことだ」
 和田が、がっくりと肩を落とす。神崎は早速データを入力するために席を立つ。
「今度は堕天使ですか」
「願望あれば、叶えてくれるってやつですかね」
「神崎、URLから追えないの?」
「もう警視庁の中で追ってると思います。また計画者とか指南者とか出てくるのかな」

 市毛課長が、ひとこと付け加えた。
「計画者や指南者があるものとして動いてくれ」

 雀たちは五月蝿い。
「人騒がせな事件とか、起こる気配濃厚」
「今度は何だよ」
「どれ、ちょっといじってみようかな」
「堕天使サイトで検索してみれば?」
 
 神崎がパソコンを弄っていると、何やら、パスワードを入力するような画面が出てきた。
 白い画面の中に、長方形の箱だけがある。
 麻田が目を細めながら画面に近づいていく。
「なんだろ、これ」
 須藤はもう何も考えていないかのように他人事。
「竜宮からの土産物だったりして」
「開けたら、ズドン!」
 麻田の究極のジョークに、神崎は真面にとりあっている。
「まさか。何かのパスワード入力画面だと思うんですが」
「だから、竜宮の土産」
「竜宮はあっちに置いといてください」
「何入れる?」
「堕天使」
「入れてみますね」
 
 神崎が日本語から外国語まで、色々な堕天使関連の用語を入れてみるが、画面は白いままで変わる様子もない。
 うんともすんとも言わない画面。
「このまま、科警研持って行ってみます?何かわかるかも」
 神崎は立ち上がり、URLをメモしながらノートパソコンを閉じる。
「じゃ、僕が行ってきます」

 神業で、神崎は消えた。
 戻ってくるときに、髭の生えた老人になっていないと良いが。

 ところが神崎は、それきり戻ってこなかった。
 またしても課長に、電話で休暇の旨を伝えてきたようだ。
「不思議よねえ。突如として消えるんだから」
「ま、いいだろ。世間騒がす様な事件、起こってねえようだし」

 和田は皆の態度に不満げだ。
「僕の友人に、何かいいアドバイスないですか」
「悪い女に捕まったんだ、諦めるしかない」
「だって、子どもさんがこれからも虐待のターゲットになるかもしれないんですよ」
「そうだよな、可哀想だ」
「でしょう?いい案、ないですか」
「裁判しかないでしょう。で、その場で検察から証拠書類として精神監察医の判断仰ぐとか、あとは起こったことを時系列で並べて、DV疑惑晴らすとか」
「いずれ、かなり難しいと思うぞ」

 泣きそうになって、トナカイのように鼻を真っ赤にしている和田。
 麻田が肩をドンドンと叩いて和田を慰める。
「見合いも怖い時代ね。変なのに引っ掛かっちゃ駄目よ」
 須藤も和田の腹にズシンと重みのあるパンチをかます。
「おう、そうさな。どれ、今日も終わりか」

 サイコロ課の帰宅時刻になった。警察機構に定時退庁などあってなきものだが、サイコロ課だけは別だ。
 警察官の中でも、サイコロ課員は鐘とともに去りぬ。他では徹夜で働いている部署もあるのに、サイコロ課に限って言えば、そんな重労働は本当に稀なのである。
 そんな中でも、特に麻田は愛する家族の下へと急ぐ。

 警察庁の庁舎を出て、駅に向かう途中、麻田は意外な組み合わせが向かい側の歩道を揃って歩いているのを見た。

 以前サイコロ課にいた牧田の子ども二人と、解離性性同一障害のあの双子である。
(知り合い?)
(ああ、そういえば、ラソにいたのをテレビ画面で見た。皆、今もラソにいるのだろうか)
 
 気になりながらも、向こう側の歩道だったこともあり、声も掛けずに麻田は帰路を急いだ。
「ただいま」
「麻田さん、お帰りなさい」
「チビ元気?」
「元気ですよ。インターホンなったら、玄関まで行きたいって顔してた。こら、理、聖。ご飯たべるの」
「はい、ちゃーんと食べてね。そういえば、牧田の子ども二人と、あの双子見たわ。知り合いだったみたいね。ラソで知り合ったのかな」
「ふうん。ラソか。生きづらかったんですかねえ、現世は」
「何、やっぱりあの教え信じてるの?」
「信じたい人には、あれが鎖でもあり、縄でもあるんですよ」
「鎖?」
「一生逃げられない。逃げたくない」
「そんなものなのかな、宗教なんて」
「僕は無宗教ですから、わかりませんけどね。ただ一つ、あの4人、会ってみると意外に何か出てくるかもしれませんよ」
「ヤク、ってこと?」
「それも含めて。まあ、いつもの勘ですけど」

 次の日、出勤した麻田は、昨日の弥皇との会話を課長に進言した。
 ラソに行って、もしくは、ラソから出て来てもらって、4人と話をすべきだと。
「弥皇は何か疑っているのか。例えば、ヤクとか」
「その辺りは、勘、だそうです」
「まあ、容疑者ではないのだから、近況を聞いてくる程度ならいいだろう」

 早速、麻田と神崎がラソに出向いた。
 ラソの建物は、教祖が逮捕され一時期騒然としたが、幹部の一人は逮捕されなかったため、その者を中心に今も活動を続けている。
 覚醒剤や大麻が教団内にあるのかどうかは、不明である。

 ラソの敷地内に入る。何人かの信者が、掃除やゴミ集めに追われていた。その中に、牧田の子どもや双子たちを見つけることはできなかった。
 建物に入ると、受付のような机が一つ、電話機の子機が一つだけ置かれていた。『御用の方は○○番を』と張り紙がしてある。麻田は徐に受話器を取り番号を押した。
 案内役なのだろうか、男性が一人現れた。警察手帳を見せると、その男性は眉を顰めるような表情に変わった。決して外来者用の良い顔とはいえない。
 建物本体に入り込み、右手直ぐの場所にある応接間のような一角に通された。
 覚醒剤を扱わなくなったのは本当なのか。カーテンは古びれ、卓袱台と思しきテーブルは自分たちで作ったような形。座布団も所々穴が開いていた。
「牧田裕司さんと牧田杏子さん、今井亮太さんと今井亮二さんにお会いしたいのですが」
「教祖に報告の上、OKが出たら連れて参ります」
「よろしくどうぞ」
 テーブルも椅子もない応接室。麻田と神崎は座布団に正座する。
 案内役が、廊下奥の部屋に速足で駆け込むのがわかった。

 牧田達が出てくるものだとばかり思っていたところへ、新教祖と名乗る男性が姿を現した。
「本日は、牧田さんと今井さんに、どういったご用件ですか」
「以前お会いしたことがあったので、お元気でお過ごしかどうかと思いまして。ちょうどこの辺りに仕事で来たものですから」
「そうでしたか。では、連れて参りましょう」

 牧田の兄妹と、今井の双子が、おどおどしながら姿を現す。警察が来ると、教祖から、罰を受けるということなのだろうか。
 本当に4人が4人とも、明るい表情は見受けられず、ぼんやりとした顔で、転寝の最中かと麻田や神崎が勘違いしたほどだ。

「牧田さん、今井さん、お久しぶりです」
「はあ」
「お元気でした?」
「はい」
「どういった経緯でこちらに?」
「・・・・」
 言いたく無いらしい。
 そんな雰囲気が4人のオーラから滲みだしている。

「構いませんよ、取り調べではありませんから。言いたくないときはそのままで」
「はい」
「こちらでは、充分に食べていますか」
「はい」
「何か困ったことなどありますか」
「いいえ」
「そうですか。それでは、困ったことがあったらこちらにお電話くださいね」
 麻田と神崎の名刺を渡す。
「神崎、お暇しましょう」
 立ち上がる麻田。
「最後にひとつだけ。4人はお知り合い?」
「・・・・」
 無言を貫く4人。
 知り合い、決定。

 今井の弟が立ち上がったときだった。
 信者が揃って身に付けている上下オフホワイトのジャージ。そのポケットから、何かの紙切れが落ちてきた。
 今井弟が急いで拾おうとする前に、神崎が紙きれを拾い上げる。
 メモ帳に殴り書きしたような字。

 そこには、『ジキルとハイド』と書かれていた。

「返して、ください」

 余程、大事な物らしい。
「わかりました。はい、どうぞ」

 神崎が、今井弟の手に紙切れを握らせる。双子の弟は、おどおどしたような態度ながらも、ぺこりと頭を下げた。
 麻田と神崎は、案内役の男性に礼をいうと、座布団を整え部屋を出て、足早に玄関に向かい靴を履く。
 そして、誰も玄関に居ないことを確かめて、挨拶もそこそこに教団を出た。

「前より元気なくなってましたね、4人とも」
「教団の教えとやらに、洗脳されたかな。そういえば、なんだろう、あの紙切れ」
「ジキルとハイドって書いてありました。まるで和田くんの友人の元妻状態ですよ」
 二人は同時にピーンと来た。
「帰ってあのパスワード調べるわよ、神崎」
「了解です」

 二人はタクシーを使って、急いでサイコロ課に戻る。
 神崎がメモしていたURLからパスワード入力画面を開き、『ジキルとハイド』と入力した。
 パソコンが別のURLを開く。そこには、堕天使サイトが閉鎖されないまま残っていた。
 誰かが書き込みしたのかどうかまでは、今の段階では知りようも無い。

「神崎。これ、閉鎖できる?」
「無理ですよ。何処かのサーバーと契約しているかどうかなら、もしかしてわかるかも」
「鑑識にお願いしてきてよ」

 神崎はしばらく一人で挑戦していたが、やがて、諦めたようだった。
「科捜研、行ってきます」
「おう、お願いな」

 小一時間して、神崎はサイコロ課に戻っていた。
「サイトは個人サイトのようですね。どうでしょう、このままにしておいては。書き込みがあってもレクチャーしなければ罪は起こらないわけだし」
「書きこめない様にはできないの?」
「いまのところ、無理ですね」
「書き込みされて、計画授けられたらどうするの」
「警察だって名乗って阻止するしかない」

 須藤が右手を振る。
「まさか。偽警察だと思われて終わるぞ」
「それでも、抑止力にはなりますよ」

 課長が、珍しく大きな声を出す。
「ラソに行け。双子に会って、パスワードを知っていた理由を尋ねてこい」
「はい、では、僕と和田くんで行ってきます」
 神崎の言葉に、またもや課長が敏感に反応する。
「いや、麻田と神崎が行け。人格が変わると厄介な相手だ。麻田と神崎は3回目になるだろう、会うのが。和田は初対面だから相手が警戒するかもしれん」
「了解」

 神崎と麻田が慌ててタクシーを拾い、ラソに向かった。
 勿論、双子に会って、どうしてパスワードを知っていたか問いただすためである。
 課長のいうとおり、双子は解離性同一性障害。所謂、多重人格である。いつもは大人しい二人だが、何かの拍子に、人を殺める人格にならないとは限らない。
 麻田は、いざという時のために、ストレッチ入りのパンツスーツに着替えていたらしい。
「神崎、まさかの展開にはならないと思うけど、一応心の準備しておきなさい」
「了解です。双子が荒々しい人格になったら厄介ですね」
「そう。投げ飛ばすくらいはしないと駄目かもしれない」
「麻田さんの投げ技が見られるのは光栄です」


 タクシーを飛ばし、ラソに着いた二人。
 案内役の男性に面会を申し込む。
 先程の男性とは別の人物。大方、交代制なのだろう。
 今度も、教祖からOKが出たら、と言われたが、麻田は無理に押し通る向きを見せる。
「麻田さん、落ち着いてください。此処で追い出されたら、もう二度と会えませんよ」
「分かってる。けどさ、こう、心が逸るのよ」
「急くのはわかります。でも、堪えてください」

 今回、応接間に教祖は出てこず、双子兄弟だけが、恐る恐ると顔を見せた。
 神崎が優しく問いかける。
「あの紙切れに書いてあった文字が、あるサイトのパスワードでした。何か心当たり、ありませんか」
「僕等は何も知りません」
「では、あの7文字をどうして持っていたのですか」
「それは・・・。たまたま洋服に入っていたのです」
「貴方がたの知らぬうちに?」
「はい」
「そうですか。とても重要なことなんです、何か思い出せませんか」
「そう言われても」

 麻田は今にも双子を投げ飛ばしそうな勢いだ。そんな強気な姿勢では、態度を硬化させ、話ことさえしなくなる。
「困りましたねえ」

 その時だった。もじもじしていた麻田が、大きく、くしゃみをした。どうやら、投げ飛ばしたい気持ちではなく、鼻のムズムズを我慢していたらしい。
「おう。そこのおばさん。大丈夫かよ」

 双子の声だった。
「あ、変わった」
 麻田が目を丸くする。

 荒くれた性格が出て来たらしい。
 不味い、最早こうなっては、こちらの得たい情報が得られるかどうか。
 仕方ない、もう一度話してみようと、神崎は正座し直した。
「そっちの若造さんよ。聞きてえことがあるんだろ」
「はい、実は貴方がたの持っていた紙きれ・・・」
「そりゃ、俺達が下請けだからさ」
「下請け?」
「そう」
「下請けって、どういうことです?」

 双子の兄が口を開こうとしたとき、麻田が再び大きなくしゃみをする。
 途端に、双子は元の大人しい性格に戻ってしまった。
「今、下請けっていいましたよね、どういうこと?」
「僕たちは本当に何も知らないんです。この紙切れが何なのかも」

 また、下請けの事を聞こうとする神崎を、麻田が肩を叩いて抑える。
「では、思い出したら電話いただけますか。とても大事なことなので」
「はい」

 二人はまたしても、中途半端な言葉しか引き出せず、そのままタクシーを拾いサイコロ課に戻った。
「おう、お帰り。何か出たか」
「それがね、スーちゃん。自分たちは下請けだって」
「大人しい双子が口割ったのか」
「ううん。デカいくしゃみしたら出てきた、荒っぽい性格の男」
「そうか。荒っぽい方は覚えてた、ってわけだ」
「あれ、反対じゃないんですか。大人しいほうが素だと思うんですけど」
「解離性障害もそうだが、本来の自分はやったことを覚えてない。隠れてる性格がやった可能性もあるぞ」

 話の途中で和田が乱入する。
「下請け、ってことは、元請けがいるってこと?」
「土木工事でいえば、発注者、元請け、下請け、孫請け。実際に手を下すのは孫請けね」
「一連の事件に置き換えてみると、孫請けは逮捕されてる。下請けが双子だろ」
「元請けと発注者がわからない、ということになるわね」

 警察では、潜入捜査を続けていた麻取の報告から、あらためて教団を家宅捜索し、パソコンを押収するが、メールなどで双子が誰かとつながっている様子は見受けられなかったという。メールを消去したとみて、プロバイダに開示を要請した。
 ところが、メールを送受信した記録は無く、警察は双子の兄弟を重要参考人として任意同行を求めたほか、内部犯行説を打ち立て、教祖と牧田兄妹に事情を聴いていた。
 教祖も、牧田兄妹も闇サイトとの関係は否定するが、牧田兄妹は、二人で連絡事項を、SNS送受信した形跡があり、そちらから神サイト事件の計画犯、そう、発注者、あるいは元請けである可能性が高い、という事実が浮かび上がってきたらしい。

 マスコミは、闇サイトから連なる一連の計画者がいたという、推理小説のような実話を、毎日のように報道する。
『現代のモリアーティ教授』として。

 そんなテレビのワイドショーを、ほくそ笑んで眺めている人物がいた。



 

第9章  宿敵

 

 英国の作家、コナン・ドイルが生み出した探偵シャーロック・ホームズの宿敵、モリアーティ教授。

 若くして科学論文を認めるなど、知的分野において素晴らしい評価を受けながら、悪の権化たる、元数学教授。
 地位も名誉もある表の顔と、狙った獲物は逃さないという裏の顔、相当の残忍さを併せ持っていた。
 隠れ蓑にしていた教師の仕事の裏で、犯罪組織を立ち上げ、その天才的ともいうべき頭脳は、瞬く間に犯罪組織の統領として子分に受け入れられ、己が手を出さずとも子分に計画を授け、実行させていた。
 密な情報網のお蔭で、計画立案を見事に達成し、万が一、子分が警察の手に落ちたとしても、中心部のモリアーティに辿り着くことはできなかったという。

 小説だったにもかかわらず、ホームズとモリアーティが対決した滝には、『ホームズとモリアーティの戦いの記念碑』が残っているそうだ。
 毎度毎度、対決しているかと思いきや、彼等の対決は、その言及も含めて6作品にしか登板していない。強烈なインパクトを持った、まさに闇の帝王である。

 モリアーティ教授と思考の構造が同じで、闇サイト、神サイト、悪魔サイト、少年犯罪サイト、堕天使サイトを計画、指南した者がいた。
 まるで、現代のモリアーティ教授を名乗るかのような緻密な犯罪で。


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 その計画者及び指南者こそ、科警研出身、現在はサイコロ課勤務の、神崎純一だった。
 彼が計画を立てたの背景には、ある事件があった。


 韓国で起きた実尾島(シルミド)事件。
 1971年に韓国にておきた、特殊部隊の反乱事件。北朝鮮支配者の暗殺計画のために作られた韓国大統領府直属の特殊部隊(コードネーム684部隊)は、韓国領土の実尾島において訓練を積んでいたが、その目的を果たせぬままに計画は撤回。
 存在しないこととされていた直属部隊は、機密保持のため隊員が島を出ることは認められず、幽閉状態となったほか、食糧すら届けられない事態に陥り、7名は死亡、24名が自力で島を脱出し、国軍と交戦した部隊員は、ソウル市内にて20名が自爆死、4名が捕まり翌年死刑が執行されたという痛ましい事件である。

 信じられないことに、実は、日本国内においても同様の出来事が起きていたのである。

 警察庁において、警察庁長官襲撃事件が起こったのちに創設された精鋭の直属部隊は、CIA部隊と呼ばれ、警察庁長官が命じた人物を暗殺する役割を担った。
 警察庁にいた神崎の親友が1名、その組織に属した。
 CIA部隊の構成は、20名弱。
 弥皇や市毛課長が誘われたCIA組織に属する直属部隊のはずだった。弥皇と市毛課長は本部警察庁に身を置く仕事だったようだから、その部隊があることを知っていたのかどうか、事実を知らない者には知る由もない。

 CIA部隊は、韓国684部隊同様、世にその存在を知らされぬまま10名ほどが国内にある無人島で訓練を積んだ。その後、アジア周辺国と米国の協調路線から日本が外されたことで存在意義を失い、部隊は弱体化した。
 そのような経緯で事実を伏せるという醜態な状況を招くと同時に、部隊員は行方不明扱いになったがために、以前所属していた部署にも戻れず、家族たちの心配をよそに、3年ほどが過ぎていた。
 食糧補給の道も断たれ、殆どの隊員が自ら、本土に戻ることなく無人島にて、その貴重なる命を絶ったのであった。
 中には、必死に泳いで戻った者もいた。
 戻った2名ほどは、本当のことを語っても受け入れてもらえず、警察官としての身分は剥奪され、皆が警察病院内の精神病棟に入れられ、何故か急な心不全で、2名とも亡くなっていた。

 親友から、秘密の話として部隊結成の過程を聞いていた神崎は、警察組織に対する怒りを爆発させた。
 だが、一介の警察官が騒いだところで、情報統制された警察の組織が動くわけも無かった。
 マスメディアにリークしたにせよ、情報は潰され、何もなかったことになるだろう。
 親友の家に行き、ろくな説明もできないまま、神崎は泣き崩れた。
 そのときからだった。
 いつか親友の無念を晴らし、警察に復讐することを決めたのは。

 神崎は、悪に身を委ね、モリアーティ教授のように闇の世界に生きることを決めた。
 和田には内緒にしているが、神崎はホームズの本を読破しており、場面場面での台詞もそらでいえるほど、モリアーティやホームズを熟知していた。


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 神崎は、3年前、親友の事件で心がボロボロになった。
 そこから、警察への復讐を誓い生きてきたが、あるとき、復讐の刃を研ぎ澄ましながらサイコパスたる自分が、心に巣食ったのを感じた。
 長期休暇の際、友人の伝手を辿り、国外の精神科医の下へ向かった。そこで神崎は自己愛性パーソナリティ障害と診断された。
 広義でいうところの、サイコパスに属する障害と知り、神崎の胸の内はどちらに傾いたのか。警察官を辞めることもできただろう。
 だが神崎は警察官として、警察組織への復讐たるべき刑事案件を模索し、それを実行することで自己満足に浸る道をとった。

 神崎は、単なる愉快犯ではない。
 一義的には、親友への手向けとして、サイコパスたるその頭脳を使った。亡き親友のための敵討ちでもあったのだから。
 しかし、そこに生まれた感情は、親友を大義にした、ただ単に完全犯罪を成功させるという、サイコパスそのものの情意に他ならなかった。
 神崎は、この時点で目的を見誤ってしまったのである。

 警察をコケにする完全犯罪。
 完全犯罪こそが、自分に課せられた究極の使命であり、同時に親友の無念を晴らす結果だと信じ、時間をかけて計画を練っていたのである。

 刑法第39条に、触れるか、触れないか。
 神崎自身の判断能力が欠如しているか否かで、裁判になったときのボーダーラインは違う。最終段階まで企図した上でのスキームだった。

 親友の死に端を欲した、今回の計画。
 神崎は両親の過干渉に苦しめられたが、共依存ではなかった。五月蝿い両親の干渉から逃げるため、家を出て独り暮らしを始めたことにより、そのサイコパスたる精神、才能が一気に解き放たれた面も少なからずあったに違いない。

 サイコロ課へ飛ばされ、最初に実行したのはサイコロ課に配属されたことへの復讐だった。
 警察に復讐を誓ったはずの神崎が、なぜ、サイコロ課をメインターゲットとしたのか。
 その理由は、サイコロ課という一種異様な世界に放り出されたことへの抗議の意味合いが強かった。ただそれだけだった。サイコパスが一番嫌う左遷的仕打ちに、神崎なりに抗議した結果だ。警察を嘲笑うかのように、サイコロ課員の秘密を暴露し、傷つけ、マスコミを煽る。何もサイコロ課に恨みがあるわけではない。その方が目立つ、という些細な理由だけだった。
 無論、全て自分で手を下すわけにはいかない。
 心理など皆目理解できないといった風情で臨めば、誰も神崎を疑ったりしない。それを逆手に取れば、神崎自身の計画に邪魔立てする者は皆無だろう。神崎は学生時代、心理にも傾倒した時期があり、和田程度のプロファイルなら簡単に熟せる。心理の勉強が自己研鑽であったために、警察の中でそれを知る者はいない。そのことは外部には絶対に漏れないようにしていた。
 まさか自分が心理ヲタクの中枢に飛ばされるとは思っても見なかったが、これはこれで復讐計画を実行しやすい環境が与えられたとも言えよう。
 だが、復讐計画を前に、強烈な挨拶をしておかなければ、出鼻をくじかなければ気が済まない神崎だった。

 まず、ありったけの情報網を駆使し、課員の表裏を調べ上げた。サイコロ課は奇異な部署だったため、内部情報がいたるところに乱れ飛んでいる。其処を狙い、牧田の夫の事件、牧田の正体、市毛課長の正体、麻田と弥皇の関係性、そして麻田の過去を洗い出した。
 清野が弥皇を狙っていることを知り、実情を知らなかったふりをしながらわざと清野に手を貸した。弥皇の部屋に入り込み清野と組んで写真を撮ったのは神崎だし、その際、面倒だから安物ウイスキーを並べたものの、部屋にワインセラーがあることも熟知していた。神崎はワインについても造詣が深い。
 弥皇と麻田が高級マンションに秘密裏に引っ越したことも知っていた。皆には秘密にしていただけである。
 情報が錯綜し調べがつかなかったのが、弥皇の一族だけだった。かなりの力を持っているのだろうと当たりをつけ、弥皇をそれ以上追いかけるのを止めた。牧田が有能な麻田には中々手出しできなかったように。

 神崎には弥皇こそがホームズのような気がしていた。和田はワトソン博士のようなものだ。だから、敢えて牧田が二人を襲い課内の人間が次々事件に巻き込まれるのを黙って見ていたのである。
 須藤だけは、経験値がある分、牧田も手出しできなかったのだろう。いや、麻田への恋慕が心の奥底にあるとすれば、牧田が何れマフィアを使って銃撃させたかもしれない。
 市毛課長による事件解決の糸口が余りに早く見つかりすぎて、牧田は、須藤や市毛課長に手出しできなかったのか。
 自分なら、もっと早く事を運ぶのに、と神崎は思いを巡らす。
 そう、一番手っ取り早いのは『警察全体』が情報共有することなのだ。
 
 『正義の使者』は、神崎だった。
 神崎はボーダーラインで敢えて情報をばら撒いたが、運よく牧田が行動を起こした事により、牧田の犯行と思わせることに成功した。
 牧田の正体からして、このくらいのことならやりかねない、それも神崎の推理の為せる技だったのか。

 麻田がサイコロ課に入ったとき、違和感を覚えたのは机の配置かもしれなかったが、背筋にゾクリとする視線を感じたのは、神崎が麻田をホームズの如く推理していたからだ。
 麻田は弥皇に比べ大雑把だ。力任せに心理を語る癖もある。SPとしては有能だが、心理屋としては、弥皇に軍配が上がるだろう。神崎は、当時そんな風に考えていた。ところがどうして。弥皇が麻田を認めていたわけが理解できた。
 だから麻田の前では小心者のふりをすることに決めた。今井の双子に最初会ったときにも、麻田のサブとして振舞った。それ以降もサブを前面に出しながら行動した。サイコパス的に言えば自分以外の人間が自分に指図するなど以ての外だが、芝居と思えば腹も立たない。

 これこそが、神崎の立てた計画の第一段階だった。
 
◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 神崎が次に考えたのが、ソウルメイトを求めることだった。
 手ごまや、配下ではない。あくまでソウルメイト、という呼称。
 ソウルメイトでありながらも、時には神崎の手足になり、時には神崎の代わりに捕まってくれる、有難いソウルメイト。

 ジキルとハイドの刑法第39条を念頭に、ソウルメイトメンバーを考えてみる。
 口説き落とすには、現状の生活に辛さを覚え、世を儚み、時に憎しみすら持ってしまう人物が一番の適役だ。
 サイコロ課に勤務して良かったと思うのは、そういった心理形態が理解できると見せかけられるようになったことくらいか。

 そこで思い浮かんだのが、牧田の子供と、解離性同一性障害の双子、今井兄弟。
 解離性同一性障害。多重人格。
 今井の方が闇に引き入れ易いだろう。性格が変わる際には、何がしかのトリガーがあるはずだ。
 今井の家を何度か訪問し、仕事が長く続かなくなったという二人の愚痴を聞きながら、トリガーを探した。
 すると、拍手を大きく1回することで、二人は目つきが変わり、横柄な態度を取り、荒くれた性格の男に変身した。

 二人が荒くれているときに、ソウルメイトにならないかと匿名でメールを送った。相手は、憤懣やるかたない様子で、すぐに計画に乗ってきた。
 これでいい。
 一組目のソウルメイトは、完了。

 そして、神崎自身が教唆する形で殺人計画を立て、今井の双子を媒介し、そのまた他人に実行させるという手法を考え付いた。

 その後に、家庭内惨殺事件を引き起こした。
 闇サイトというツールを使い、双子というワンクッションを入れて。
 神崎は自ら計画を立てるが、計画を実行犯に授けるのは双子。そういう役割を与えた。荒くれた人格は、家庭内惨殺事件計画を歓び、実行犯が寸分違わず実行していく。

 自分の計画が、そのとおりに実行され、警察が知らぬ間に被害者が増えていくと考えると、身体全体が痺れながらも頭脳だけは冴えわたるような感触に惑わされる。まるで覚醒剤が頭脳の中で作りだされるようなその瞬間、神崎は自分の計画に酔いしれ、真っ暗な部屋の中でワインを一口飲む至福な恍惚感、とでもいうべき感情に溺れそうになる。
 次の瞬間、現実を見極め計画に間違いがないかどうか、綿密に計画書をチェックした。神崎の計画は緻密だった。

 こちらの機知が及ばなかったのは、鬼畜男が、計画どおりに行動しなかったこと。
 年配女性たちは、顔を潰した後、車ごと遺体を崖から落とすはずだったのに、鬼畜男はその約束事を破っていた。崖から帰る手立ての計画を無視して、そこを省いたに違いない。
 あれさえなければ、もっともっとお互いが楽しめたはずなのに。
 だが、あの鬼畜男の罪の重さなど、どうでもいい。
 約束を反故にし、計画通りにしなかった罰を受けるがいい。

 次のソウルメイトを誰にするかは決まっていた。昨年、警察庁サイコロ課に所属した、牧田の子だった。
 父親は殺人犯、母親も殺人教唆及び殺人未遂。
 牧田がアジアのマフィアを使って清野を殺し、牧田自身が弥皇に怪我を負わせた裁判が結審する頃に、神崎は牧田家を訪れた。
 牧田の家族はボロボロになっていた。
 祖父母は、あまりに強引な取材対応に疲弊し、寝込んだ。病院に入院しようとした矢先、そのまま肺炎を併発し、二人とも突然に亡くなった。

 牧田の子供たちは、牧田、という名字だけで就職口も決まらず、周囲の異様な目に晒されながら、それでも一生懸命生きようとした。
 世間の壁は、厚く、苦しかったに違いない。
 その苦しさから逃れたいというのが、牧田の子供たちの願い。
 神崎は、元気が出る薬と偽り、自分が過去に心療内科で処方された精神安定剤を渡した。安定剤は、長く飲んだり多く飲んだりすると、薬物中毒の様相を呈する。
 思った通り、牧田の子供たちは心が楽になる精神安定剤を欲しがり、夜中に電話してくるときもあった。

 直後に、カリスマ宗教団体の計画を実行することにした。
 神サイトを立ち上げ、神崎が関わっているとは知らない牧田の子供たちを仲介して、教祖に、宗教の要素と、覚醒剤の作製法や大麻の栽培方法をレクチャーした。
 途中から、牧田の子どもたちは精神安定剤を欲しいと言わなくなった。覚醒剤に手を染めたのかもしれない。
 あるいは、自力で病院にいくようになったのだろうか。それを確かめてどうなるわけでもない。
 計画指示の仲介さえ務めてくれれば、それでいい。

 思いのほか、この新興宗教は、世を席巻するのが早かった。教祖の形貌もあったのだろう。マナの行動論理も受け入れやすいものだったはず。
 ただ、計画には、爆破テロは入っていなかった。
 高学歴の輩が、変な優越感でも覚えたのだろう。指南者の言うことのみ聞いていれば、まだまだ逮捕されずに済んだはずなのに。

(まったく。どいつもこいつも、要らぬことを)

 爆破テロの直前だった。
 双子と牧田の子どもに、ラソへの入団を紹介したのは。
 牧田の子どもは、自分たちが計画を指南している宗教団体と聞き、二つ返事でOKした。
 双子は家族が亡くなった家に今も住んでいたので、この際転居し、新しい風を入れようと説いた。今迄の不遇の人生から魂を解き放つため、と偽りの情報を流し、常世の教えを守りつつ、現世に居づらい人々が集まる幸福な場所へ、と。


 神崎は、元カノに対する嫌がらせで、自分の思考が世に知れてしまったことを、今更ながらに悔いていた。
 後悔していたのは、元カノにした嫌がらせそのものではなく、神崎の思考が表面に浮き上がったことに対するものだった。
 あれは、神崎の本性が出た。本性を晒せば、いつか自分に捜査の手が伸びないとも限らない。
 今後、何がしかの事を起こし、サイコロ課にでも尻尾を掴まれれば、今度こそ警察官としての首が飛ぶだろう。
 
(僕は絶対に、ヘマなど冒さない。冒してなるものか)

 警察官として内外の情報を集めながら、悪の権化として闇を取り仕切る。
 ホームズの宿敵だった、モリアーティ教授のように。

 犯罪組織も広げ過ぎず、自分は只管、計画を立案し、ソウルメイトに授けるだけ。
 メールからして、プロバイダを通したやり取りはしない。
 神崎とソウルメイト、双方が同じアカウントでメールを立ち上げて、連絡事項を打ち込み、下書きフォルダに保存するにとどめる。それを交互に繰り返す。そうすることで、外部からメールのやりとりを把握することはできない絡繰りだ。メールの交換ではなく、送受信の痕跡が残らない点で巧妙に計画を進められるのである。

 勿論、サイトの実行犯とのパソコンでのやり取りは、神崎自身は絶対に行わない。
 教団に属していた双子と、牧田の子供に特化し、この4人がメールで実行犯に指示を行っていた。

 サイトはTorを経由し、出所がある程度わからないようにしていた。
 パソコンやタブレットの類いは、物質的に破壊し中味を把握できないようにするのがいい。事件関連のサイトを閉鎖した直後にパソコンを買い替えたのでは、捜査の目が向く場合もあるだろう。
 デスクトップパソコンはフェイクとして自宅に置く。
 ノートパソコンを計画に使用し、計画終了のたび破壊して、海に捨てていた。中古業者からパソコンを買い、家電店には姿を現さなかった。

 牧田や双子とも絶対に相対では話さず、メールを通じてのみ。
 こちらが、サイコロ課の神崎だとは、4人とも分らなかったことだろう。

 神崎自身、闇サイトの家族内惨殺事件、神サイトのカリスマ新興宗教事件、淫奔女性の悪魔サイト事件、タリウム使用の少年犯罪事件と、それら事件の終了後は、すぐにサイトを閉鎖しながら、その身に火の粉が降りかからぬよう、するりと逃げていた。

 パソコン上ではTorを使い、何処のサーバーを経由しているか判らないようにしたかったが、双子や牧田兄妹が、ラソからパソコンを持ちだすのは至難の業だろう。
 いつか警察に見つかったとしても、状況的に黒いのは、牧田の子どもや双子たちだ。
 ここは、己のことだけを事件から遠ざけるとしよう。
 誰か他の人間が誤認逮捕されれば、それはそれで良し。捜査の手も、牧田たちのような人形まで及ぶことはあっても、神崎自身に辿り着くまでには、相当の時間を費やすだろう。
 いや、辿り着けない公算が大きい。

 メールのやり取りさえ見えてこなければ、最後に警察が辿り着くのは、牧田兄妹、今井兄弟、若しくは教団。そちらに調べが入ることになると思われる。
 そのために、メールの下書きは見たあとに総て消させている。サイコロ課で牧田や今井の名が出たとしても、知らぬふりをしていればいい。

 サイコロ課の出来次第では、今度こそ、ラソは空中分解するかもしれない。

 牧田兄妹に罪はないが、母親の牧田は酷い女だった。
 去年異動した初日に、サイコパスだと分った。自分に似たオーラ、自分と同じ臭いがした。
 市毛課長は牧田がサイコパスだということを気付いていたのだろうが、なかなか課員には打ち明けられなかったのだろう。それで牧田は勘違いした。牧田自身が大物だと。

(ふざけるな。自分とおなじオーラの人間さえわからないババアが、サイコパスのはしくれとは、笑わせてくれる)

 そういった状況下でサイコロ課に所属しているのは、寧ろ都合がよかった。
 どういった事件がサイコパスとしてサイコロ課に流れてくるか、丸分かりだ。
 万が一の場合、4人を一連の犯人に仕立て上げる、今回の計画。
 
 今迄は、サイトへの書き込みを実行したのちにサイトを閉鎖し、するりと逃げていた神崎だったが、今回は堕天使サイトに目ぼしい書き込みが無かった。
 あったのは、和田の友人の元妻のみ。
 いや、もしかしたら、課長が上から請け負ってきた人物からの書き込みかもしれない。
 元妻同士、どこかで繋がっていたのか、あるいはSNSなどで親権争いのネタが暴露されていたのか。
 それは神崎にもわからなかった。

 どちらにせよ、早々にサイトを葬りたかったが、今すぐに閉鎖すれば、サイコロ課の目についてしまう。

 今回は、マスコミに晒して、事件性が問われているようなケースでもない。
 とてもではないが、世間を驚愕させる犯罪とも言えない。
 手慣らしに計画を伝授しただけだ。
 そんな相談事のために、このサイトを立ち上げたわけではない。
 警察内でリスクを冒しながら、堕天使サイトを続けていく気にはなれない。

 双子の弟が、あそこで紙切れを落してくれたのは、ラッキーだった。
 あれで、堕天使サイトを閉鎖する口実にもなろうというものだ。
 4人には申し訳ないが、ここらでソウルメイトの契約を破棄させてもらおう。
 僕の名は、何処からもでてはこないのだから。


 サイコロ課にも、警察にも、絶対に尻尾は掴ませない。掴ませてなるものか、と神崎は慎重に事を運んでいた。

第10章  最後の戦い

 和田がキョトンとした不思議そうな表情で首を右に捻る。
「このサイト、どうして閉鎖しないのかな」
 須藤は机をコンコン叩きながら和田の質問に答えている。
「そりゃお前、もっと書き込みが欲しいんだろ」
「サイコロ課が気付いたことに気付いてない」

 神妙な顔つきで神崎が付け加える。
「もう犯人が捕まったから、物理的に閉鎖できない」

 サイコロ課の雀たちは、神崎の言葉に反応して一気に騒ぎ出す。
「やっぱり双子や牧田の子どもが犯人なんですかね」
「でも、双子の荒くれた人格は、俺たちゃ下請け、っていったのよ。ね、神崎」
「そうですね、そうなると、元請け或いは発注者が、ラソの教祖」
「そう考えるのが妥当だと思うんだけど、なんかこう、しっくりこなくてさあ」
「勘、ですか」

 事実、牧田の子どもたちは、神サイトの指南について、口を噤んでいた。
 教祖は全く身に覚えがないと、無実を訴えている。
 双子は、荒くれた性格が出ず、大人しい性格であるため、記憶にない、を繰り返していた。

 組織犯罪対策第五課と、麻取が、またも手柄を取り合っているらしい。
 これは、警察の皆々さんには絶対に知られてはいけない話だが、国民の多くとサイコロ課の面々は、どちらが手柄をモノにしようが、薬物根絶につながるのなら全くもって気にしていない。

 牧田兄妹は、どうやら覚醒剤使用者に身を窶し、教祖はそれを強要したのだろう。どちらが最終的に逮捕したかなど、サイコロ課に情報も来ない。

 和田は、組対五課の科学捜査官に直接聞きにいったらしい。けんもほろろに追い出された和田だったが、牧田兄妹は、携帯電話のSNSのやり取りで、授ける内容を確認していた、という内部情報を得てきた。
 転んでも、ただでは起きなくなった和田透、29歳。

教団幹部の間では、またもや覚醒剤の生成が行われ、その覚醒剤のテストとして、牧田兄妹が治験者になっていたのだという。 双子の使用容疑は無かったはずだが、一体どうなっているのか。双子兄弟も治験者になっていた可能性は大きい。
 今度は、サイバー犯罪対策課に行く和田。無論、同様の扱い、けんもほろろに、というやつである。サイコロ課にだけは情報を渡したくないというサイバー犯罪対策課。昨年の清野事件など、すっかり忘れた様子で、和田がさもその場にいないかのように皆が振舞う。
 和田は正直、サイバー犯罪対策課の面々に腹を立てていた。折角、清野の正体を暴いてあげたのに。
 でも。
 そこで和田は気を取り直した。結局清野は、牧田母の陰謀により、その短い命を落とした。鬼でも蛇でも、命が無くなったのを喜んではいけないと、田舎のばあちゃんが言っていたのを思い出したのだった。

 治験者疑惑が持ち上がると、一気に教団幹部あるいは教祖の一人芝居だという意見がサイコロ課の中でも出てくる。
「やっぱりさ、あたしは新しい教祖の一人芝居だと思うわけ」
「その根拠は」
「だって、治験者になってふらふらしてる牧田兄妹や双子兄弟が、計画練ること出来ると思う?」
「無理だろうなあ」
「教祖がサイト立ち上げるメリットは?」
「ないけど。神崎、痛いところ突いてくるわね。それはそれよ。教団にスカウトする気だったのかもしれないし」
「スカウトねえ。弥皇さんは、どういってるんです」
「あたしとは意見が違うの。まずもって、ある程度はITに詳しいだろうって。でも、今の20代ともなれば、皆パソコンとか強いわよね」
「まあ、20代代表神崎にしてみれば、パソコンには詳しいかな、スマホとかタブレット含めて」
「三十路の言うことも聞いて下さい。サイバー犯罪対策課でも、IT系に通じた犯人、という見方してるみたいですよ」
「おう、おまえら知らねえな。今の若いもんはパソコン使えねえやつが多いんだと。スマホあれば事足りるから、パソコンに手ぇ伸ばさないってさ」
 
 神崎は、一番に警戒している弥皇の意見が聞きたい。
「僕は、弥皇さんの意見が聞いてみたいな」
「あら神崎。弥皇くんが泣いて喜ぶわ。警察内に犯人がいる可能性が否定できない、って言い続けてるのよ、やーね、主夫になると現場の勘が鈍るのかしら」
「ふーん、どうして内部なのかな」
「わかんないわ。でも彼、結構ズドン!といくからねえ」
「そうそう。あいつの推理って間違っているようで真理だったりするわけよ。おめでたい頭脳してんだな」

「おいおい、真面目にやれよ」
 椅子に座ったまま目を瞑り、皆から寝ていると思われていた市毛課長。
 課長はいつも雀の囀りに対し是非を語らない。こういう時こそ、仲間に入らなくていいのかと課長を見下ろしたがる雀たち。
「課長はどう思います?」
「まだ、結論を出せる状況ではないな。それだけだ」
 市毛課長の一言は、真理を衝いている。

「僕はね、警察組織の人間か、内偵に入っている人間が、全体の発注者である可能性が高いと思う」
 麻田が弥皇の口真似をして、皆を笑わせる。
「だから、牧田達留置場組は違うんですって」
「根拠あるのかな」
「どうかな。いつもの勘だ、っていってるし」


◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇


 神崎は、一か八か、人生最大の危機を賭けることにした。
 本日夜中、サイトを閉鎖するのである。
 神崎は、和田を飲みの席に誘い、また絡み酒をしながら夜中まで羽目を外していた。日も変わろうという頃、飲み過ぎ注意報の発令された和田をタクシーに乗せた後、自分もタクシーでマンションに戻る。
 酔ったふりはしているが、勿論正気だ。自分ほど酒に強い人間はいないのではないか。警察内では内緒にしているが、常々、神崎は酒豪を自負している。

 部屋に戻って、靴を脱ぎ、シューズボックスに揃えて入れる。次に背広を脱ぎ、専用のハンガーにかけクローゼットに仕舞う前の汗抜きをする。そしてネクタイを外す。
 靴を仕舞う場所も、スーツを掛ける場所も、ネクタイを掛ける場所も、常に同じ。
 さすれば、部屋は汚れない。
 几帳面だと言われれば、几帳面な性格の神崎である。

 その神崎は、今、『堕天使サイト』を閉鎖しようとしている。
 明確な理由はない。
 強いて言えば、面白い書き込みが無かったことと、このまま放置していたら、サイバー犯罪対策課に見つかるような気がしたからだ。
 この辺の勘の良さは、警察に勤めるからこその勘どころか。
 神崎は、まず初めにindex.htmlというページを削除し、サイトを強制終了させた後、ゆっくりと、リンク先やら他のページ、パスワード画面をも最終的には削除、ネット上に堕天使サイトなるものは、消えた。
 何も残らないよう、細心の注意を払う。
 全て消去し終えたのは、午前3時だった。


 驚いたのは、サイコロ課の面々である。一夜にして、消えるはずのないサイトが消えた。
 神崎は、素知らぬふりをして、芝居を打ちながらも皆の言動に注目していた。
「あー、頭痛い。和田くん。昨日大丈夫だった?」
「僕も少し具合悪いっす」
「少しならいいよ。僕なんて、昨日帰ってゲロ吐くし、今日はガンガン二日酔い」
「神崎が二日酔いとは、珍しいな」
 市毛課長が出勤し、神崎の顔前でニヤリと笑う。
「何か、双子兄弟や牧田兄妹のこと考えると、無性に飲みたくなったんです。宗教に縋る思いで入団したんでしょうに、治験者になんぞさせられて」
 和田が、一言付け加えた。
「これで、牧田兄妹と双子兄弟、教祖は除外されましたね」
「そうですね、誰が閉鎖したんだろう」
 眉間に皺を寄せる麻田だが、その実は何も考えていない。
「教団幹部が閉鎖したんじゃない?教祖も捕まりそうだし、またガサ入れで覚醒剤のほかに、パソコン見つかったら限りなくアウト!だもん」

 留置場にいる牧田兄妹、双子の今井兄弟、新教祖は覚醒剤所持及び使用の罪で逮捕された。サイト閉鎖の時間帯、パソコンに触れる環境にはなかったとして、警察内での各種サイト元請け犯としては、アリバイが成立した。

 となれば、ますます、弥皇の勘が真実味を帯びてくる。
 警察内部に、サイトを閉鎖した人物が隠れている。その者は、これまでの4サイトにも関わっている可能性が限りなく高い。
 自ずと、閉鎖した人間は、サイコロ課や組織犯罪対策第五課、サイバー犯罪対策課、または麻取にいるのではないかという説が浮上してくる。
 雀たちは、思い思いに胸の内を語る。
「堕天使サイトには殆ど書き込みありませんでしたね」
「マスコミが大騒ぎしたから、遊び心で書き込みできなかったのかも」
「警察内部でも、このサイトを調べてたのは、うちと組対五課、サイバー犯罪対策課くらいのもんですよ。あとは厚生労働省の麻取だけ。麻取は覚醒剤に特化してるから、可能性は低いかと」
「麻取でも目を付けていた節はあるわよ。覚醒剤の売買に使わないとも限らないし」
「誰が消したんだろ」
「目的を達成したか、あるいは目的を達成できない事を知った犯人か、その周囲にいる応援者」
「いずれ、単独犯ではなさそうよね」
「俺も同意見」

 その中で、一人静かに周囲を見渡している者がいた。
 北国のシャーロキアン、和田である。
 警察内部という弥皇さんの勘は、たぶん的を射ている。あとは、どの部署の人間が消したのか、ということだ。

 和田は口にはせずとも、内心、言葉を連ねて独り言を続けていた。

 警察上層部の知り合いが離婚騒動で書き込みをしたらしいが、それそのものは書き込みをする側だったので、閉鎖できる環境にはないだろう。
 次に、サイバー犯罪対策課。ここはITの専門家が集まっているような部署だから、すぐにサイトを閉鎖できる。
 でも、調べたいはずだ、誰が開設したのかを。こんな急に、閉鎖するのは合点がいかない。犯人が分ったのなら、話は別だが。
 いや、最初から立ち上げたのも警察関係者かもしれない。それこそ、囮に使うために。
 和田が顔を出した時は、犯人を突き止めたような余裕のある顔ではなかった。だから、サイバー犯罪対策課もリストから外れる。

 組織犯罪対策第五課は、麻取と同じようなものだから、サイトが売買に使われる可能性があれば、直ぐに閉鎖するだろう。それこそ、囮でサイトを残して、反対に売人を追うか。
 それなら、こんな中途半端な時期に閉鎖はしない。

 うちのサイコロ課はどうだろう。
 弥皇さんが昼間にサイトを立ち上げ・・・あの人はそんな計画を立てるより、麻田さんやチビと遊んでいたい人だ。麻田さんも右に同じ。嘘をつける人ではない。
 須藤さんはどうだろう、彼は独身だ。
 いや待てよ。須藤さんは飲もうが飲むまいが、午前様になる前に寝る癖がある。やはり、須藤さんも違う。
 最後に残ったのは、神崎さん。夜遅くまで飲み合戦して酩酊していたけれど、あれがフェイクだったとしたら。部屋に戻ってサイトを閉鎖しても、充分おつりがくる。
 でも。
 神崎さんだったとして、あんな凶悪サイトを世に出す動機もなければ、メリットもない。去年いろいろあり過ぎて、人を疑うことが癖になってしまったように感じる。

(いかん、いかん)

 そんな和田の表情を見ながら、神崎が主張する。
「前4回のサイトと、今回のサイトは、別物かもしれませんね。少なくとも、今回のサイトは、内偵捜査していた警察の方から出たのでは?」
「根拠は?」
「あのサイトがあれば、容易に売人が寄ってくるからです。待ち合わせ場所まで指定するなりして、麻薬組織と売人を一気に挙げようとした、とも考えられませんか」
「なるほど」
「でも、教祖以下薬物に絡んだ人間は逮捕された。用済みですよ、こうなると。だから閉鎖した」
「神崎。あんた、筋が通っているじゃない」
「俺もなんだか、そういう気がしてきた」

 和田は、可否を問われても直ぐには返事が出来なかった。
 神崎の言い分も一理ある。そもそも、凶悪犯罪用ではなく、今迄のサイトに似せて作られたものかもしれない。
 サイトが閉鎖された夜に、ちょうど二人で飲んだだけで、神崎は字を書くのも手が震えるくらい酔っていたのは確かだ。それは和田自身が目の前で確認している。

(僕の気のせいか)

 和田は、少しでも疑ってしまった神崎に、内部犯行説を披露して謝った。
「僕らが飲んだ夜。あの日を境にサイトが無くなっていたから、酔って帰った神崎さんがサイトを消したのかと思ってしまって。ごめんなさい」
「疑うなら、まず身内からってね。僕らの基本でもあるじゃない。別に気にしてないから」
 

 その夜、神崎は電気もつけずに部屋にいた。不敵な笑みを漏らしながら。
「ふん。皆、簡単に引っ掛かってくれたな」
 普段ホームズを気取る和田でさえ、気付いた様子はない。
 弥皇さんは、たぶん、別の意味で僕を疑っていたかもしれない。でも、麻田さんが僕を信じているはず。だから弥皇さんは、おいそれと僕を犯人扱いできないだろう。

(神崎犯人説は、消えたな)

 大きな声で笑いたいのを堪えて、神崎はグラスにワインを注ぎ、一気に飲み干した。


◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇


 翌日、上機嫌で出勤した神崎を、誰かが呼び止めた。神崎が後ろを振り向くと、そこには市毛課長の姿があった。
「急で申し訳ない。今晩、お前の部屋で話があるんだが」
「今晩ですか」
「何か用があるか」
「いいえ、僕の部屋は片付いていないものですから」
「そうか、では、お前の秘境とやらで話をしよう」

 刹那。
 神崎は、背中に悪寒が走った。

(市毛課長、この人は侮れない。何かを知っているに違いない。何だろう、計画に関することだろうか)

 日がな一日、落ち着かなかった神崎。珈琲を背広にこぼしたり、舌をかんだりと散々な勤務時間だった。
 夕方になり、いつものように残業のない課員たちは帰宅していく。
 神崎と市毛課長は最後までサイコロ課に残っていた。

「じゃ、行くか」
 課長の一言にピクン、と反応し机に指をぶつけてしまった神崎。
 市毛課長と、無言のまま、秘境を目指す。秘境までの時間が、神崎には果てしなく長く感じられた。
 ミセに入り、市毛課長と並んでカウンター席に座る。課長はドアの近くに。まるで神崎を逃がすまいとする行動に感じられた。
 課長はミセのマスターに向け、徐にウィスキーのダブルを所望した。
「珍しいですね、課長。殆ど飲まないのだとばかり思っていました」
「普段は飲まないさ」
「今日は飲むと?」
「どうかな」
「で、どういった向きのご用件ですか」

 市毛課長が、神崎を直視する。
「お前、もしかしたら今回のサイト事件に絡んでいるんじゃないか」
「まさか、僕が?どうしてそんなこと思ったんですか」
「お前、CIA計画の全貌を知っているだろう、皆には内緒にしているようだが」
「CIA計画?」
「警察庁直属の暗殺部隊だよ」
「暗殺部隊?そんな計画があるんですか」
「実際には、あった、だな。暗殺部隊は皆、死んだ」
「そうだったんですか。そんな計画が」
「暗殺部隊に、お前の親友がいたはずだ。お前、彼の自宅に行っただろう」
「行方不明になったと聞いて、彼のお母さんを励ましに行きました。理由なく行方不明になる奴じゃないから」

 市毛課長の目が光ったように感じて、神崎は冷や汗が出る。心臓の鼓動も、ばくばくと音を立てる。
 こめかみを伝いやしないだろうなと、心臓の鼓動が聞こえやしないだろうなと、神崎はビクビクした。
 手の指が小刻みに震えているのが、自分でも分かる。
 震える声を酔ったせいにしながら、神崎は課長の目をを直視できずに課長の口元を見ながら話す。これでは課長の思うつぼだと知りつつも、それ以上の演技が難しく感じられた。

 こんな時、そんじょそこらの低能サイコパスなら自分に疑いの目があるとも思わずに自滅する。神崎はサイコパスの行動にも詳しかった。だからこそ、100%疑いを晴らさなくては。ほんの一欠けらでも、疑いの芽となるような行動を取ってはいけない。言葉にも細心の注意を払わなければならない。

「あいつからは、何も聞いていませんでした。CIA計画の暗殺部隊という部署に所属していたんですか」
「そうだ、10名が志を無駄にされ、亡くなった」

 驚くようにふるまう芝居。
 芝居には、もう慣れている神崎。
「そんな。大勢が無くなれば、もっと大きなニュースになっているでしょうに」
「警察は、口を閉じた。何もなかったかのようにな。警察機構の体質は、何十年経っても変わらん」
 市毛課長が、溜息を洩らしながら、ダブルのウィスキーを口に含む。
「俺と弥皇は、ただ単にCIA計画に呼ばれているわけじゃない」
「というと」
「公安よろしく、お前の動向を調べる向きもあった。断ったが」

 神崎は頭の中で、如何にしてこの局面を乗り切るか、それを必死に考えていた。
 課長が二杯目のウィスキーを注文する。
「サイコロ課で見る限り、お前には半々で嫌疑あり、と見ていた。弥皇も同意見だ」
「僕が犯人だとして、動機があいつの死に関することだとしても、僕は多くを知る立場にはありませんでした」
「お前を今回の犯人扱いしてはいない。万が一お前が犯人だったとしても、警察では何もできないさ」
「どうしてです?」
「10名の死をマスコミにリークされて裁判にでもなったら、世の批判を浴びて、警察は空中分解してしまう。その証拠があったらの話だが」

 脳内をフル回転させて、言葉を選びながら、神崎は市毛課長に向かい、強い口調で話す。
「僕なら、最初に証拠を見つけます。確たる証拠を見つけるのが僕の役目でしょうから」
「では、証拠集めもしていないのか」
「行方不明になった警官が10名もいたとは、信じられない話ですよ。親友だけだとばかり思っていましたからね」
「そうか。では、今回の話は、お互いに墓場まで持って行くということで」
「CIA計画の闇を人に話すな、それが親友のお母さんであったとしても、ということでいいでしょうか」
「ああ。かれこれ3年になるが、その話題はこれからもタブーでお願いする」
「分かりました」

 そこからは単純な世間話を続け、1時間ほどで市毛課長と別れた神崎は大通りに出て流しのタクシーをつかまえ、後部座席に乗り込んだ。

(知っていた。やはり市毛課長と弥皇さんは侮れない)

 暗殺部隊の死に関する証拠を持っていない訳ではないが、その証拠を出せば今度は自分の身が危うい。証拠を使う切っ掛けを探していなかったといえば嘘になる。もうこれで、証拠が世に出る機会はほぼ無くなったとみて間違いないだろう。
 ここは、警察上層部の顔を立てて、少し大人しくしていよう。
 
 親友には申し訳ないが、今は敵討ちのシチュエーションではない。
 いつか、その時がきたら、敵を討つ。

(ごめん)

 神崎は心の中で、親友に詫びた。

終章

『堕天使サイト』は、世間に殆ど知られること無く、空中分解した。
 
 双子たちが紙切れに、大事なパスワードを書きとめていた。それがサイコロ課麻田の目に留まったのが運の尽きだった。
 身動き取れない状況に陥った神崎は、双子兄弟と牧田兄妹を警察に差し出し、サイトはサイコロ課の手によって強制終了させられたも同然だった。 

 神崎は、これまでの計画をもって、今回の大掛りな闇の事件を、一旦、収束させた。

 この計画を、双子や牧田の子どもに授けたことを後悔しているかと問われれば、答えは『NO』
 4人に計画を授け、矢面に立ってもらったからこそ、彼らは陽を浴び、光ることができた。治験者という、辛い立場から逃れることができたのである。
 計画が途中破綻することだって、あり得る。それでも、自分のところまでは捜査の手が伸びないように画策し、計画を実行させているし、ソウルメイトたちはそれを知っている。

 次は、誰をソウルメイトに引き入れようか。ラソに関連のある人物。いや、警察内で、覚醒剤や銃を横流ししている人物。彼らなら、少し脅しさえすれば、思い通りに動かせるはずだ。

(いくらでも、僕の手足になる人間は、いる)

 警察に、サイコロ課にその身を置きながら、闇を生きる決心をする神崎。
 ホームズの宿敵・モリアーティ教授のように。

(もう、以前の僕には戻れない、いや、戻らない)

 今日も空は澄んだ青色。東から昇った太陽が輝きを増し、穏やかな陽が燦々と降り注いだ一日が、終わろうとしている。
 夕焼けのオレンジ色は、神崎を柔らかく包み込み、神崎は、意気軒昂とした態度で帰路に着く。

 ジキル博士とハイド氏の如く、表裏一体の顔を持つ最大の犯罪者が、ここに誕生した。
 亡き親友のために、悪の世界に身を投じることを選んだ神崎。
 それは、計画を興す言い訳だったのかもしれない。
 自分自身が虐待、或いは殺傷に至上の歓びを見い出すのではなく、ホームズの敵、モリアーティ教授のように、自らの計画が次々と成功していくことに、究極の歓びを見い出す計画者であり、指南者だったからだ。

 現代のモリアーティが、今、ここに蘇った。
 
 

サイコパスの正義(仮)  ~サイコロ課、最後の決戦~

サイコパスの正義(仮)  ~サイコロ課、最後の決戦~

  • 小説
  • 長編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-26

Copyrighted
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  1. 序章
  2. 第1章  定義
  3. 第2章  F-15ファイル  毒親
  4. 第3章  E-17ファイル  家族内惨殺事件
  5. 第4章  M-25ファイル  カリスマ
  6. 第5章  P-19-1ファイル  自死
  7. 第6章  G-99ファイル  中毒
  8. 第7章  ジキルとハイド
  9. 第8章  モリアーティ
  10. 第9章  宿敵
  11. 第10章  最後の戦い
  12. 終章