マヤ・ズヴェズダ

音海佐弥

「もう……ノンナったら、どこに行っちゃったのよ!」
 しんしんと降り積もる雪のなかで、カチューシャはいじらしく地団駄を踏んだ。ぱふんぱふん、と小さな身体で踏んづけても、やわらかな雪面に小さな足跡が残されるだけで、この雪模様の天気のような彼女の心が晴れることはなかった。
「隊長のカチューシャを置いてけぼりにするなんて、全員シベリア送り五十ルーブルだわ!」
 日の当たらない教室で五十日間の補習ってことですね……と、いつもは隣で補足してくれるノンナが、いまはいない。応えてくれるのは真っ白な雪の上に積もりつもる静寂だけだ。それに気づいて、カチューシャはまた地団駄を踏む。
「ぐすっ……泣いてない、泣いてないんだから……!」


 どうしてこうなったのか。
 今日は戦車道の練習試合。対戦相手は今年度の戦車道全国大会優勝校、西住流の西住みほ(愛称・ミホーシャ)が率いる大洗女子学園との試合だ。準決勝で敗れた因縁の相手との再戦、しかも当時とおなじ雪上戦での試合とあって、カチューシャ、ひいては彼女の率いるプラウダ高校にとってはまさに「雪辱戦」であった。「地吹雪のカチューシャ」「小さな暴君」たるこのカチューシャが、こんどこそこてんぱんに叩きのめして、すべてはこのカチューシャさまより下であることを思い知らせてやる、と意気込んでいた。「大洗の西住隊長とまた試合できるのがうれしいな、って思っているんですね」とノンナにからかわれたが、「ち、ちがうわよ!」とちゃんと否定しておいた。だってちがうもん。ミホーシャと対戦できるのはうれしいけれど、それはカチューシャの手で改めてひねりつぶせることがうれしいんだから。
 試合は順調に運んでいた。頼れる同志であるKV−2重戦車は早々に撃破されてしまったが、高火力を活かした部隊編成とカチューシャの巧妙な作戦指揮で、大洗を着々と追いつめていた。準決勝とおんなじようにキルゾーンにまで誘い込み、周囲を包囲して、建物のなかに追いつめた。全員土下座して降伏すれば許してやろうと思ったけれど、カチューシャの思慮はバイカル湖よりも深いから、三時間は待ってあげよう。ちょうどおなかも空いて眠いし。ノンナに三時間待つことを指示すると、くすっと笑いながら大好きなボルシチを作ってくれた。どうして笑ったのか気になるけれど、まあいいや、カチューシャの懐はシベリア平原より広いんだから。
「楽しそうですね」
 ボルシチを食べていると、ノンナがへんなことを訊いてくる。楽しそう?
「なにがよ」
「……なんでもありません。ほら、口のまわりが汚れていますよ」
「っ! わかってるわよ、大丈夫、自分でできるもん!」
 ボルシチをいっぱい食べて満腹になり、眠くなったので横になった。「三時間後に起こして。いい報せを待ってるわよ」とノンナに言いつけ、眠りに落ちた。
 目が覚めると、あたりには誰もいなかった。


 カチューシャは雪原を歩いた。
 雪はますますその強さを増してきているような気がする。薄暗い闇が支配する雪原の静寂は、まるでスターリングラードの戦いの前夜みたいだと思ったが、実際カチューシャはその戦いのなんたるかをあまりよくわかっていない。
「さむい……」
 ヘルメットを深くかぶる。降雪のせいで視界はあまりよろしくない。ふだんは雪上迷彩として活躍しているプラウダ戦車の白色塗装も、こんなときには恨めしく思う。もう、この雪のなかじゃあ、どこにいるかぜんぜんわかんないじゃないのよ!
 カチューシャは不安になってきた。指揮官不在のまま大洗に勝てるだろうか。いやいや、ノンナという優秀な副官はいるし、高性能戦車で大洗のぽんこつ戦車相手に負けるわけはないし、なによりプラウダの戦車乗りはまっすぐでいい子ばかりだし。でも……と、彼女の脳内で不安が頭をもたげる。相手はあのミホーシャ率いる大洗女子学園だ。一筋縄では行かないことは全国大会の準決勝で思い知らされている。そしてなにより、九連覇経験のある強豪校、あの黒森峰女学園を真っ正面から破った優勝校であるという事実が、そのことを物語っている。
 だから、彼女自身もこの三時間の降伏猶予はあまり意味のあるものではないとわかっていた。大洗は必ず反撃してくる。だからこそ、指揮官である自分は早く戦線に復帰して、プラウダの陣頭指揮を執らねばならない。
 そうは言っても……ほんとうにどこに行ってしまったのだろうか。歩けども歩けども一両の戦車の影も見えない。
「ノンナ……」
 さしものカチューシャも、不安そうに副官の名をつぶやいた。
 しばらく歩くと、小さな川のほとりに出た。さらさらと清らかな音を立てながら、小川が流れている。小川といってもカチューシャの身長の倍はあるような川幅で、雪の降るなかに流れる水は鈍く冷たい光を映している。
「ここは渡れないなあ……」
 彼女は川のほとりに腰を下ろした。ヘルメットを外し、脇に置く。
「もう、戻ったら大洗全員、カチューシャが『しょくせー』してやるんだから!」
 そう意気込んだ声も、しんしんと降る雪に染み込んで響かない。
 こんな思いをさせるなんて、シベリア送り五十ルーブルは確実だ。でも、そんなことより……もしもほんとうに、ずっと置いてけぼりのままだったら、だれも見つけてくれないまま時間が過ぎ去っていったら……カチューシャはどうなってしまうんだろう。
 カチューシャの目に涙がにじむ。そして彼女は涙声のまま、静かに歌をうたいはじめた。

 Ой ты песня песенка девичья
 (ああ歌よ、少女のうたう歌よ)
 Ты лети за ясным солнцем вслед
 (飛んでいけ、輝く太陽の導きで)
 И бойцу на дальнем пограничье
 (遥か国境に立つ兵士のもとに)
 От Катюши передай привет
 (カチューシャの想いを届けておくれ)

 ドゴォッ! という轟音があたりに響いた。「ひええっ!」と身を竦ませて見ると、近くの大木が根元から張り裂け、ごうごうと音を立てて燃えている。交戦している場所から流れ弾が飛んできたのだろうか。見る間に大木は黒色の炭に変わり、黒々とした煙を吐きはじめた。
 カチューシャ、ちょっとわがまま言い過ぎちゃったのかな。みんなもしかしたら愛想を尽かして、カチューシャが眠っているあいだに大洗に寝返っちゃったのかな。もうカチューシャは、ノンナたちと戦車に乗ることはできないのかな。
 ふだんは抱きもしないようなさまざまな思いが、頭のなかに浮かんでは消え、そのたびに彼女は小さく身震いをする。
「ノンナぁ……」
 カチューシャの頬に大粒の涙がこぼれた。彼女はいまはっきりと、自分の感情を理解した。
 心細い。
 さみしい。
 はやく自分を見つけてほしい。
 ついに我慢できなくなって、堰が切れたように泣き出しそうになった、そのとき。
 目の前に大きな影があらわれた。
「あれは、スターリン……ノンナっ!」
 IS−2重戦車の巨体に乗った副官が、こちらを見つめている。
「カチューシャっ!」
 ノンナが叫んだ。カチューシャは急いで駆け寄り、彼女の胸に飛び込んだ。
「どこに行っていたんですか、探したんですよ」
「そ、それはこっちの台詞よ!」
 カチューシャが涙目で訴えると、ノンナは申し訳なさそうにつぶやいた。
「……ごめんなさい。あなたが眠っている間、近くで砲撃音が聞こえたから、少し偵察に出ていました。すぐに戻るつもりだったのですが、戻るとあなたがいなくて」
「まったくもう、みんな寝返っちゃったのかと思ったじゃない!」
 カチューシャのその言葉に、ノンナは不思議そうな顔をした。
「寝返る? ……そんなことあるわけないじゃないですか。われわれは同志カチューシャに、いつまでもついて行きますよ」
 ノンナは当たり前のようにそんなことを言う。顔はいたって大まじめだ。まあ、この副官が冗談を言うことなんて見たことがないから、いつでも大まじめなんだろう。そしてなにより、カチューシャを見つけてくれたあのときの、ノンナのほんとうに安心したような顔……カチューシャはなんだか、少しでも寝返りを疑った自分が恥ずかしくなって、そしてそう言ってくれた彼女の言葉にうれしくなって、ふたたびヘルメットを深くかぶった。
「まあいいわ、今回のことはとくべつに許してあげる。カチューシャの心は広いのよ、シベリア平原のようにね!」
「広いというか……寒そうです」
 ノンナがくすりと笑った。よかった。またこれからもノンナたちと戦車に乗れるんだ。
「ノンナ、戦況は?」
「大洗が降伏勧告を拒否しました。まもなく本格的な反撃がはじまります」
「……さすがはカチューシャの認めたミホーシャね。そうこなくちゃ」
 カチューシャはIS−2に乗り込んだ。
「戦車前進! 大洗を一両残らず殲滅するのよ! このカチューシャに歯向かったやつらは全員『しょくせー』してやる!」
「『粛清』ですよ、カチューシャ」
「し、知ってるわよ!」
「カチューシャ、鼻水が出ています、このハンカチを」
「な、泣いてないんだから!」
 ちーん、と思い切り洟をかんで、カチューシャは前を見据えた。
「さあ、試合再開よ。カチューシャたちの戦車道、見せつけてやるんだから!」
「「Ураааа(万歳)!」」

 Расцветали яблони и груши
 (林檎が、そして梨の花が咲き誇り)
 Поплыли туманы над рекой
 (川面を流れ行く朝霧)
 Выходила на берег Катюша
 (カチューシャは川岸を歩んでいく)
 На высокий берег на крутой
 (高く険しい川岸に)

マヤ・ズヴェズダ

マヤ・ズヴェズダ

『ガールズ&パンツァー』二次創作作品。ガルパンはいいぞ。 Copyright (C) GIRLS und PANZER projekt All rights reserved.

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-26

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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